タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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一角仙人

一角仙人

演劇ユニット 金の蜥蜴

ブディストホール(東京都)

2025/01/29 (水) ~ 2025/02/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明には「能楽『一角仙人』を題材に、神や鬼が跳梁跋扈する時代劇ファンタジー」とある。さらに当日パンフによれば「インドの『マーハーバーラタ』、今昔物語の『天竺編』、歌舞伎の『鳴神上人』そして能楽までアレンジした金の蜥蜴流平安神話ミュージカル」と記してある。長々と引用したのは、これら 取っ付きにくそうな芸能を独自の観(魅)せる公演として仕上げ、楽しませるところが巧くて好い。

また能楽作品を分かり易くとの配慮から用語解説もあり、例えば、三か月も雨が降っていなかったため、雨乞山へ向かった。この山、物語上は架空だが作品のイメージとしての地理的な場所や一角仙人が住む仙境ー御在所山など丁寧な説明がある。もっとも観劇に際しては、その前知識がなくても理解できるよう工夫されている。

時は平安、まだ神と人、あの世とこの世の境目が曖昧で同じ所で暮らしていた時代 という設定。能楽としての能面や装束ではなく、時代劇としての衣裳、そして言葉遣いも現代風で身構えることなく楽しめる。勿論、音響・音楽(音源)は、小鼓・能管・篠笛・龍笛といった和楽器、照明は鮮やかな文様や暖色を照射する美しさ。その舞台技術は、場転換などで効果的な役割を果たしていた。そしてラストは…。
(上演時間2時間 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は 山なりの段差を設えているが、左右は非対称。真ん中の台 下は空洞。場面に応じて屏風状の衝立や障子戸が運び込まれる。段上の一部が半円状 それが開閉し岩を現す。シンプルなセットは、一角仙人と竜神との殺陣シーンを観せるため 広い空間を確保している。上演前の鳥の鳴き声が山奥を思わせる。

物語は、人間を信じない一角仙人と信じる竜神の心の有り様や葛藤、それを人間の所業と絡め描いている。平安時代の朝廷(帝)は、その権力基盤が脆弱で いつ謀反などで崩壊するかといった疑心暗鬼に苛まれていた。知恵者 中宮徳子は、敵対勢力がいる拠点(村)を洪水で流すことを進言する。権力者の陰に女あり。そして朝廷は、巫女の協力によって竜神と契約を結ぶことに成功する。一方、一角仙人は 嘗て人間に欺かれ、額にあった鹿の角を切られた忌まわしい思いがある。人間に対する思いの違いは 戦いで決着を、その結果 竜神は岩山に閉じ込められた。

竜神は、その力をもって人間が必要としている地域へ、必要なだけ雨を降らせていた。その竜神の力がなくなり、三か月間も雨が降らない。物語には河童も登場し、この世は人間だけではなく、妖怪や獣 そして植物など万物が雨(水)を欲していた。ちなみに河童は、シェイクスピア劇における道化師の役割を担わせたのだろうか。さて、人の所業は至る所に影響する、そんな教訓めいたことが浮き彫りになる。何とか雨を降らせたい、そこで 一角仙人に酒を飲ませ神通力を弱めさせ、竜神が岩山から出られるように…。

一角仙人は酒好き、巫女の母娘が 何とか飲ませようとするが、頑として聞き入れない。母が唄い、娘が舞ってもてなす。別シーンでも同じような舞唄を披露し、金の蜥蜴公演らしい魅せる演出が好い。また場転換はすべて暗転、その際 雷鳴といった効果音を轟かす。照明は丸形や幾何学文様といった照射で美しく印象的だ。ラストは朝廷(帝)を始め、今回の騒動を起こした人間が自ら死をもって償おうとする。人間は過ちもするが、悔い改めることも出来る、そんな寓話劇。登場する者(神・妖怪・人間)が全員現れ、踊り歌う祝祭をもっての大団円。
次回公演も楽しみにしております。
メモリーがいっぱい

メモリーがいっぱい

ラゾーナ川崎プラザソル

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2025/01/24 (金) ~ 2025/02/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
この公演は、川崎市市制100周年記念事業として「若手演劇人によるプラザソル演劇公演」と銘打っている。多くの人に観てもらいたい といった思いからなのだろう、分かり易い物語で 観劇歴が浅い人でも十分楽しめる。見所は、親子の愛情と地域コミュニティの大切さ、そこに父親がロボットという奇知で興味を惹くところ。その物語を役者陣の確かな演技力で観せていく。まさに演劇による まちづくりに相応しい心温まる公演(物語)である。

説明にもあるが、離島・ロボットの父親・優しく見守る島の人々、それを30年の時間軸の中で純熟するように展開させる。出会いがあれば別れもある、たとえロボットであっても…。偏見かも知れないが、離島の人々にとっては 見知らぬ家族、しかも父親がロボットだから好奇心と警戒心を抱く。それがどう受け入れられていくのか。いろいろなエピソードを回顧するように紡ぎ、じんわりと納得と共感を呼ぶ。

子(娘)の幸せを 願わない親はいないだろう。さてロボットは、その答えのようなものを 娘が連れてきた男を殴ってしまう という行為で表わした。人間と変わらぬ愛情を娘に注ぐ、そんな普遍的な思いが切ない。
(上演時間2時間 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は上手と下手に大きさの違う平台、その中間に小さい平台を重ね合わせ階段状の段差を設える。そこに木椅子3つ。壁は平板模様だが、上手は横向き、下手は縦向きになっており微妙に異なる。そして平台の行き来や段差の上り下りが 場所(空間)や時間そして状況の違いを表す。同時に生きている、動いているといった躍動感を現す。

物語は りつ と登志夫が結婚するため離島の父 大地へ挨拶に行くところから始まる。りつは事前に父親がロボットであることを伝えていない。戸惑う登志夫と大地の行為が波紋と呼ぶ。登志夫は、なぜ父親がロボットなのか、島の人々はどうして不思議がらないのかといった疑問が…それを ばあさんのキヌが回想を交え順々と説明していく。このエピソードが人間とロボットの違いを際立たせ、いかに大地が りつ を大切に育てたか、そして大地が島の人々にとって 役立っているかを点描していく。

大地と りくを この地(離島)へ連れてきたのは翔太、自分で子は育てられない。そこで大地に子育てを。プログラミングされたとは言え、その愛情の注ぎぶりは微笑ましく、実に心温まる。それは りく だけではなく友達に対しても同様。また缶蹴り遊びで 缶を圧し潰したり、運動会の綱引きでは怪力を といった面白可笑しいシーンで笑わせる。その飽きさせない演出が上手い。登場人物は善人ばかり、1人ひとりの見せ場を作り その性格や立場をしっかり立ち上げる。またロボットらしい動きをした大地(豊田豪サン)、物語の語り手でもあるキヌおばあちゃん(内野詩野サン)の演技は秀逸。勿論 音響・照明といった舞台技術も印象的な効果を発揮していた。

人間はいずれ死ぬ、ロボットは永遠かといえば メンテナンスが必要。身近な機器類でも故障すれば修理が必要になるが、型落ち品で部品がなければ廃棄へ。大地もメンテ=バージョンアップが必要になるが、その結果 いままでの大地ではなくなる。その苦渋の選択を翔太が行うが、大地は大地であって他(バージョンアップすることで大地とは違うロボット)に代替が利かないといった悲哀。そこには単なるロボットではなく<大地>という存在が既に認識されている。りつや翔太そして離島の人々との別れ、その後のホッとさせるなようなラストは名場面といっても過言ではないだろう。
次回公演も楽しみにしております。
6回の表を終わって7-0と苦しい展開が続いております(仮)

6回の表を終わって7-0と苦しい展開が続いております(仮)

坂田足立連続デッドボール

駅前劇場(東京都)

2025/01/22 (水) ~ 2025/01/29 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
中年男性への密かな応援歌といった物語。タイトルは人生の3分の2(野球で言えば6回ぐらいか)ほど過ぎた中年男の現状を表しているような。舞台は銭湯、その名も招湯。そこへ来る常連客の愚痴、ぼやき、嘆きといった不平不満を笑いと悲哀で綴る。物語は悶々とした胸の内を曝け出すが、実際に行動を起こすかと言えば 二の足を踏む。見所は、その圧倒的な演技力。

まだ何者にもなれない中年男たち、無為に歳月だけが過ぎていくが、それでもよし といった惰性・諦念といった気持もある。ところが或る出来事によって心境の変化がおきる。まずは、草野球チームを作って という前向きな姿勢になること。もう一つが、常連客の1人が夢を叶えようとしていること。この男が 夢から一番遠そうに思えたが、努力は実を結ぶといった教訓じみたことが描かれる。

公演は むさい男=オッサンが「銭湯」と「サウナ」で語る くたびれた話が中心だが、劇中のキャッチボールのシーンは躍動感と迫力がある。なお オッサンたちの背景は 敢えて深追いせず、今の状況を淡々と描く。そこに身近にいるオッサンたちのリアルが立ち上がる。他愛ない会話の中に納得と共感を誘うような。ぜひ劇場で。
(上演時間1時間55分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、上手に脱衣所、そこにロッカーや冷蔵庫等、下手にサウナ室があるが直接行き来はしない。上手の暖簾が湯舟やサウナへ通じる入口。また銭湯の出入口近くにマッサージ機を置き雰囲気を漂わせている。

登場人物は6人、銭湯の主人 マスター、常連客の先生・オサム・岡・ユージ・戸塚と素っ気ない名前で、ほぼ今ある姿だけで物語を紡ぐ。そして夫々の会話から関係性や付き合いの長さが何となく分かってくる。常連客の先生は小説家、それも官能小説を執筆しているらしい。オサムは広島出身 独身でバイト暮らし。いい歳をして まだ母親に金を無心している。岡、何かを喋ろうとすると他の誰かが口をはさむ。その正体は最後まで謎のまま。ユージは地元のようで野球愛に溢れ草野球チームを率いている。戸塚は刑務所帰りの元ヤクザ、背中一面に刺青。ほとんど女性に係る話題はなかったが、マスターが婚活を始め、好感度を上げる対策を練る。面白可笑しい会話が次々と…。

話題と言えば野球、それ以外は他愛ないことばかりだが、不思議と現実感がある。マスターの婚活も スケベ心は勿論だが、将来の一人暮らしが心配といった悲哀も滲み出る。毎日明るく元気に過ごすこと、そんな日々に満足しているようだが、いつかは達成感めいたものが欲しい。先生曰くまだ本気を出していない。自分の実力はこんなものではない と言わんばかりだ。そんな中、戸塚が俳優オーディションに通った。それが何とアメリカ(ハリウッドか?)というから皆驚き。端役と思っていたが主役、それもヤクザ映画だから素で出来る。

年齢的に 何かを成し遂げようとするのは難しい、そんな躊躇する気持がどこかある。それでも大声を出し明るく元気、その第一歩が草野球で勝つこと。しかし世の中そんなに甘くはなく連戦連敗で意気消沈しそうになるが…。50歳になろうとする男たちが足掻く姿、それは惨めというよりは開き直りの清々しさを感じる。それがタイトルの最後にある(仮)、つまり苦しいが まだ(人生は)ゲームセットではない。
次回公演も楽しみにしております。
アンナの銀河

アンナの銀河

演劇集団nohup

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/01/22 (水) ~ 2025/01/27 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
SF仕立てにした人間観察劇といったところ。物語は二重構造<宇宙船の内と外>、さらに云十年に及ぶ時間軸を時系列に描く。一見 複雑そうに思えたが、プロローグとエピローグのような描き方で違いを表す。内容的には、人間の喜怒哀楽や冠婚葬祭に準えたイベントを展開し、人の在り様を洞察する。そうせざるを得ない状況を作り出し、さらに そこから抜け出せない半ば強制的な環境を巧みに設定する。その柔軟な奇知が物語に深みと味わいをもたらしている。

シンプルな舞台装置、それゆえ役者陣の演技力が問われるところだが、しっかり感情表現をしていた。個々人のキャラクターを立ち上げ、ありがちな人間関係(家族内や隣人家など)を上手く描いていた。シリアスでありコメディなシーンといった硬軟ある観せ方は観客を飽きさせない。

地球人が、異星人から高度な科学(兵器)技術を背景に 理不尽な要求を迫られる。その高圧的な相手が異星人というところが肝、個人的には「アンネの日記」「幕末の黒船来航」そして「拉致」といった深刻な状況を連想した。究極の進路選択を迫られた時、人はどのような判断・対処をするのか。そして独りになった場合は…舞台という虚構(世界)の中で しっかり考えさせる。
(上演時間1時間25分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、正面壁際に六角柱の椅子が7つ横並び、そして同形のものが舞台中央に1つ の計8つ。舞台と客席の間に折畳み椅子が3つ、というシンプルなもの。

木ノ川家は両親と姉・弟の4人家族、ゴライ家は両親と娘の3人家族の計7人が宇宙船で暮らす。後に、セパクという老人が 子供の教育係として同居し8人になる。宇宙船の外の人間は、異星人によって拉致されシェルターへ収容されているらしい。一方 決まった作業の繰り返し、その刺激の無さが だんだんと人の感情を蝕んでいく。平穏に暮らせる喜び、しかし 悪意はないが欲求するという感情は制御できず些細なことで怒る。そして宇宙船という小さい空間(世界)の中で、反抗期(13歳)を自我の成長と諭し、異性への恋愛感情を育み結婚、そして人の死、といった人生イベントを順々に描く。

長い年月を狭い空間に籠り、何の変化もない暮らしによって生まれる閉塞感や倦怠感。しかし外に出れば生命の危機といった八方塞がりの苛立ち。それは外から観察してきた星人にとっても同様で、食料にウィルス(毒)を少しずつ混入し、アンナ以外は全員亡くなる。1人になったアンナは孤独と戦うため日記を書きだす。この状況は、父と異星人が交渉した結果である。人の命と人生とは を問うー単に生きることが必要なのか、それとも存在意義ー生き甲斐のようなものを求めるのか。そんな根本的なことを考えさせる。

完全に孤独になったアンネが発狂もせず、以降も淡々と暮らしながらも希望を失わない。考えてみれば恐ろしいこと、誰とも話をせず 対話するのが自分だけ。その確固たる意思はどこからくるのだろうか。物語はシリアスとコメディ、そのバランスがよくラストも悲劇に追い込まない。このシェルター以外の様子や状況は解らないが、人智によって希望が持てるような。そこに銀河(宇宙)に1人取り残されたアンネの救いをみる。
次回公演も楽しみにしております。
カンテン「The Foundations」Final.

カンテン「The Foundations」Final.

カンテン事務局(Antikame?)

座・高円寺1(東京都)

2025/01/22 (水) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。 [Select B:集]観劇。
「架空畳」の「Φ(ファイ)をこころに、一、二と数えよ」と「劇団だるめしあん」の「バイトの面接に遅刻しそうだったが、どうやら遅刻していたのは世界の方だったらしい」の2作品。

役者陣の演技力は素晴らしく、何もない空間に役者の息遣いが聞こえ、虚構の世界を立ち上げる。演出は、それぞれ特徴があって、「架空畳」は音響と照明が印象的で、それが物語の世界観の希望と恐怖といった明暗をしっかり印象付けていた。一方、「劇団だるめしあん」は、板にテープを縦横斜めにバミリし、その線上を或る世界観に見立て時空の歪みを表出しているようだ。勿論 テイストは異なるが、それぞれテーマは明確で考えさせるもの。

●「Φ(ファイ)をこころに、一、二と数えよ」
失われたモノは、無かったことではない。その表し難いことを多角的な観点で考察するような描き方で、物事の本質に迫ろうとした問題作。
●「バイトの面接に遅刻しそうだったが、どうやら遅刻していたのは世界の方だったらしい」
何かの拍子で時空が歪み、意識が別次元の自分と入違ってしまう。その世界は、性差や人獣等といったことを超えて といった挑戦作。

素舞台にも関わらず、物語が豊かに紡がれ テーマが鮮明に浮かび上がる。同じ空間、60分という限られた時間、その同一条件下で描く話は、団体毎に無限の広がりを持つ。観客の想像力を刺激し、演劇という壮大な世界へ誘ってくれる好企画。ぜひ継続を…。
(上演時間2時間10分 休憩なし 作品間の転換10分) 

ネタバレBOX

舞台という空間・演じる人・物語の言葉という極めてシンプルなモノだけが俎上に上がる。そこに演劇の虚構の世界が立ち上がるから不思議である。しかも6団体すべて違うテイストになるのだろう。

●「架空畳」の「Φ(ファイ)をこころに、一、二と数えよ」
Φ(ファイ) 何もなければ新たに言語を作り出すことになるが、あった言語を失くすことは出来ない。原爆を投下された国⇒無くなった国⇒失った言語は、何も無かった訳ではない。言語を失ったら人間ではなくなるのか。地下で生まれ育った少女は、新たに言語に意味付けをする。言語は世界である。それはパソコンで翻訳できないスペルは 文字化けするといった変換不能(意味不明)=Φ(ファイ) ではない。征服/被征服といった怖い世界観、デパ地下やネズミといった場所や小動物といった比喩で観客に訴える問題作。

●「バイトの面接に遅刻しそうだったが、どうやら遅刻していたのは世界の方だったらしい」
舞台上の線の上を走り、バイト先の面接に向かう途中で、男子高校生と女子高校生がぶつかり性別が入れ替わってしまう。映画「転校生」のような設定で、同じようなことが続く。女性は成長するとゴリラになる世界へ転移する。何度か入れ替わり、だんだんと意識が混乱していく。螺旋階段をぐるぐる回るようだが、見える世界は少しづつ違う。時間軸が歪み、それに伴って意識も転送され 今いる世界が判然としなくなる。男とか女とか、性差はあっても男女における役割/分担など、既成の価値概念・先入観を崩壊させるような異色作というか挑戦作のよう。

次回公演も楽しみにしております。
どらきゅらぁズ

どらきゅらぁズ

四宮由佳プロデュース

サンモールスタジオ(東京都)

2025/01/21 (火) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

物語のカギは、フライヤーにある「ドラキュラー家のピンチがスタートする」…どうしてそのようなピンチが といった原因。物語は大きく前半と後半に分かれ、前半は どらきゅらぁズの現状を描き、後半はピンチを招いた原因と対応を描く。表層的には どらきゅらぁズvs人間といった内容だが、それには当然訳がある。

物語は どらきゅらぁズ が人間界で認識され、ある程度容認されているという前提に立っている。公演は、表層だけを観ていると味わいが薄(浅)いが、その奥にある<共生や享受>さらに<寿命や感情>を考えた時、味わいが濃(深)く、観客としての感性を問われているようで手強い。その意味では、観客によって評価が分かれるのではないか。

前作「べらんだぁ占い師シゲ子」でも感じたが、ツッコミどころが いくつかある。それは物語そのもの=表面的なことではなく、考えさせることが いくつかあるということ。そこへ導く伏線がもう少し丁寧に描かれていたら…惜しい。ちなみにドラキュラは悪役としての吸血鬼といったイメージで、災いを招くという先入観がもたれている。公演では そんな先入観を払拭するが、一方 悲哀も感じてしまう。
(上演時間1時間45分 休憩なし) 【Aチーム】

ネタバレBOX

舞台美術は、上手に大きくて頑丈そうな棺桶。天井には赤い紗幕が垂れ下がる。下手には円柱と立方体の椅子が各2つずつ。中央は 広い空間を確保している。上演前から 四宮由佳さんが棺桶に入っており、冒頭は その中から現れるところから始まる。またシーンに応じた衣裳替えも見所。

ドラキュラー家は母 赤坂ナナエ<武藤令子サン>と娘2人(既婚:白石ヤスコ<菅川裕子サン>、赤坂ソラミ<四宮由佳サン>)。ソラミは、血液成分を分析し癌の早期発見に資する仕事、母は若さを保つ秘薬の販売。その仲介業をする者(人間)は、この家族がドラキュラであることを知っている。勿論 怖がりもせず、普通の人間と接するような対応。ドラキュラは身近に存在していることが早い段階で認識されていることを示す。

後半は、このドラキュラを退治したい人間集団が現れた。なお ドラキュラは、朝日・大蒜・十字架に弱いという先入観を逆手にとって面白可笑しく描く。シルベスター秋山<黒田勇樹サン>が率いる組織、彼がドラキュラを憎む理由 しかし真相は…。そして彼に加担してドラキュラに接触したい人の思惑を次々に説明していく。イーゼルにフリップを置き、その内容をオムニバス風に紡いでいく。

知られたドラキュラ=吸血鬼は若い女性の血を吸って生き永らえるのだが、本作は性別 年齢問わず<噛む>ことで命を繋ぎとめる、若しくは殺してしまう。母ナナエは究極の行為に躊躇してしまう。仮に生きた場合、人間はドラキュラになり長寿。例えば、家族/親族、親しい友人を見送っても自分は死ぬことも出来ない。そんな悲哀を味わうことになる。人間の宿命(寿命)という道理が歪むのである。またドラキュラも結婚し (ドラキュラの)子孫を残し、また死にかけた人間を嚙むことによってドラキュラへ。何が人間との共存/共生なのかといった問題まで考えてしまった。
次回公演も楽しみにしております。
ぼくらは生れ変わった木の葉のように

ぼくらは生れ変わった木の葉のように

Liveoak企画

オメガ東京(東京都)

2025/01/16 (木) ~ 2025/01/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

日常と非日常が交差して生まれた奇妙な世界、その歪みこそ不条理なのかもしれない。そして途中からハムレットなど劇中劇を挿入することで、歪んだ世界観が一層印象的になる。同時に、劇中ワークショップを観ているような錯覚、そこに公演そのものと 劇中劇という二重の意味での熱演を見るようだ。その演技力は、「円熟み溢れる俳優達」の謳い文句の通りで堪能した。
(上演時間1時間10分)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央から上手にかけて車が壁を突き破って 家屋の内に入った光景、上手に揺り椅子、下手はタイニングテーブルセット。このセットによって、日常と非日常が同居したことを表しているようだ。

物語は説明にある通り、男女が運転する車が ある家へ激突したところから始まる。その家には大学教授と妻、その妹の3人が住んでいた。この家族は淡々と日々変わらぬ暮らしをしていた。一方、男女は定住することなく車で移動しながら 日々変化のある暮らし。その平静と刺激的な生活スタイルが交差したことによって、お互いの暮らしが影響し合う。いや正確には 男女が この家族によって翻弄され出す。2人にしてみれば家を半壊した弱みがある。にも拘らず歓待されるという薄気味悪さ、居心地の悪さが じわじわと精神を追い詰める。自分たちの生活スタイルが侵されていく怖さ。まさに不条理の世界ではなかろうか。

劇中での歌は魅せるといった感じで、一瞬にして抒情的な雰囲気を醸し出し 不穏な空気を和ませる。舞台美術も、その状況を一瞬にして知らしめる巧さ。壊れた車の座席に座って、妹役のHakkaさんが楽器を奏で歌う。その時の佇まいが、何故か劇中から抜け出して 情況を俯瞰しているような。

さて前説で、この物語の背景は1970年代と言っていたが、その頃は一時の学生運動は下火になっていたと思う。そう考えた時、何らかの刺激を欲していた時期なのかもしれない。毛沢東 云々の台詞はそんな名残を思わせる。
物語は、そんな世相をこの家における1か月間の様子に重ね、緊張と迫力、弛緩と可笑しみといった情景として描いているようで面白かった。
次回公演も楽しみにしております。
バンバン学校裁判BANG!

バンバン学校裁判BANG!

FREE(S)

ウッディシアター中目黒(東京都)

2025/01/16 (木) ~ 2025/02/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

設定が上手い学園法廷コメディ。
とあるド田舎の小中一貫校では生徒間が対立、それを学校裁判として児童・生徒自らに解決させる。校内の問題は学校全体、ひいては担任教諭や校長の責任を問うような広がりをみせる。勿論、学校法廷劇であるから被告と原告といった立場で議論するが、その内容が面白く しかも考えさせる。自分で考え 意見を言い合い、お互いの気持を理解していく。公演で描きたかったことが浮き彫りになる。
表層的にはスラップスティック・コメディといった印象だが、その中での台詞(言葉)の遣り取りが面白可笑しい。真面目な裁判劇といった理屈で観たらツッコミどころ満載。

ド田舎ゆえ生徒数は少なく、学年が違っても皆 顔見知り。そして学級委員長という優等生から素行が悪い者、少し精神が といった者まで個性豊かな生徒が集まっている。その生徒たちが提訴する内容が妙。少しネタバレするが、幽霊の存在を信じるか否か といった 悪魔の証明 のような言い争い。その和解までの議論が心に響く。そして学級委員長が提訴した或る問題が学校全体を巻き込んで…。
(上演時間1時間40分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は学校の講堂のような場所、二段のうち 上段中央に椅子1つ。上手にいくつかの椅子が横並び。下段の上手 下手に椅子1つずつ。上段中央は裁判官席、下段の上手は被告席、下手は原告席というシンプルなもの。
学校裁判を始めるにあたり、学級委員長が裁判官役として模擬裁判(練習)を始めるが思っていた以上に難しいと、そんな感懐を抱いたところから物語は始まる。

まず、絵の盗作をされたという提訴。実際描いた絵を見せ合うが構図が全然違う。逆に原告へ絵が上手くなるための努力をしたのかと詰め寄る。次に飼育している豚が逃げたなど、少し推理する事件で楽しませる。
個人的に好きな案件は、原告が最近まで亡くなった祖母の姿が見えていたのに、被告から幽霊なんかいないと言われてから、祖母が表れなくなったと。幽霊の存在の有無、いないことの科学的証明 まさに悪魔の証明のよう。一方 被告の父は既に亡いが、自分の前には表れない。どうして と逆に原告に迫る。亡き人は見守ってくれているが、もう大丈夫と思ったら表れないのだと。ちなみに弁護人が、被告にアメリカ人を見たことがあるかと質問。ド田舎ゆえ外国人はいない。見たことがない=存在しない とはいえない という論法も解り易い。

学級委員長は小麦アレルギー、自分が食べられない分、他の生徒が食べているので相応の金額を返金してほしいと。これは原告1人に対し 他の生徒全員が被告になる。さらにアレルギーのことを知っていながら、この食材を使った給食を出している学校ー残さず食べろという担任教師や責任者である校長を訴える。この裁判に養護教諭が出廷しているところも上手い。提訴する問題に厚みを持たせると同時に、対立していた生徒同士が一つになり協力し合う姿がみえる。この案件、健康や予算といった根が深い問題を孕んでおり考えさせる。

孕んでいるといえば、途中から産休中の教師が加わり 裁判官の合議制(合議審)になる。それまで裁判官が入れ代わり立ち代わり交代していた。それは自らの存在を知らしめる好機と言わんばかり。名前さえ覚えてもらえていない学校事務員にその役割を負わせている。その意味では登場させる人物も巧い。ラスト、ソーラン節を歌い踊る中で産気づいた妊婦が…。予定調和の大団円。
次回公演も楽しみにしております。
月と箱舟

月と箱舟

“STRAYDOG”

アトリエファンファーレ高円寺(東京都)

2025/01/15 (水) ~ 2025/01/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、今まで観てきた“STRAYDOG”作品とはちょっと違うテイストだったが、この混沌とした世界観は好きだ。公式サイトの「平成での上演を最後に封印していた混沌の怪物を、いざ令和の世に解き放つ!」という謳い文句に惹かれて観劇したが、何となく そういう意味なのかと 独り合点した。ひと筋縄ではいかない構成、独自の手法により魅惑的な世界観を創り出している。

物語性は勿論あるが、その観せ方がミステリー、サスペンス、スプラッターホラーそしてコメディと変幻自在の演出で、情景・状況が目まぐるしく変化する。その何でもアリの混沌とした世界観、その不思議な魅力が物語を牽引する。根拠がある訳ではないが、何となく自由奔放イメージの中島らも 作品を連想、それは理屈を超えた勢いのようなもの。
ちなみに人によっては気分が…トリガーアラートの案内があったほうが良いかも。
(上演時間1時間40分 休憩なし)【さくら組】 

ネタバレBOX

舞台美術は、冒頭…若き考古学研究者の部屋。薄汚れた一室、上手に机台(シーツ) 下手にアイロン台が置かれている。正面奥は引き戸の出入口、その左右に見開き窓。場転換し17年後は廃棄物処理会社の事務所内…シーツを取り事務机、下手はテーブルと椅子を置く。
前途洋々とした若き考古学研究者の梅宮だったが、今 廃棄物処理 それは人が嫌がる仕事であり地域住民との諍いが絶えない、そんな憤懣やるかたない状況下にいる。そうなった原因が物語の肝。

物語は説明にある通り、17年前 考古学を学び、良き友そしてライバルであった松坂と梅宮、そして二人の間で一人の女性 古都 を奪い合う。月日は流れ 松坂は考古学の教授、梅宮は父の跡を継ぎ廃棄物処理会社の社長と、違う道を歩んでいる。この会社、更生施設のように前科者を多く雇っている。一癖二癖もある者、その心底にあるのは愛欲とお金。金で愛情を買い、愛憎が暴力を生むといった殺伐シーン。一方 妄想の世界に浸り、官能小説を執筆しながら朗読する濡潤シーン、そして被り物をした公務員の笑劇シーンなどバラエティなシーンの構成。物語はシリアス、コメディを行き来しながら、過去の在る出来事へ繋がっていく。

廃棄物処理場に遺跡の発掘を絡ませ松坂と梅宮を邂逅させる。そして調査で発見される「瑪瑙(めのう)」や頭蓋骨、同時に起こる誘拐や身代金強奪等、そのミステリー性が物語を惹きつけて離さない。動的な殺傷シーン…血まみれの顔、血に染まった服など生々しい状況。最前列 客は役者の合図によってシートを持ち上げ血飛沫を防ぐ。静的なロマンー梅宮が松坂の助手に語るシーン…発掘された人骨から その人物が当時どんなことを考え、行動していたのかを想像する。その人に想いを馳せる。そんな動・静の対比シーンも良かった。
~公演中なので後日追記予定~
おもいだすまでまっていて【東京公演】

おもいだすまでまっていて【東京公演】

Pityman

シアター711(東京都)

2025/01/16 (木) ~ 2025/01/21 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初日観劇、面白い。
リアルな情景を舞台という虚構の世界に巧く落とし込んだ珠玉作。テーマは「老い」、そしてどうしても介護と切り離せないため、それを切実に感じる世代と もう少し距離というか時間が先の若い世代とでは、その受け止め方に感情的な違いが出るかもしれない。それは現実的な感情と、解ってはいるけど といった観念的な理屈といったところか。

登場人物は4人、母と兄は一人二役 そして姉と妹。物語は、広島から東京 浅草観光旅行と子供の頃の出来事を往還して、母との関係を生き生きと描き出す。全編 広島弁、自分は広島が第二の故郷であるから、その方言が懐かしく思えた。方言が母娘の繋がりを意識させ、日常の暮らしがリアルに立ち上がってくる。そして微妙な沈黙も含め、会話の間が実に巧い。旅行でのエピソードを散りばめながら、滑稽とも思える 笑い怒り呆れる といった感情を爆発させる。

アフタートークで山下由 氏が、あるシーンは賛否両論があったことを話していた。初日の観劇後であることから、それは前回上演時の感想であろう。自分も このシーンだけは現実離れしているといった印象を持った。対談の相手は作家、エッセイストの こだま さん。彼女も前半だけで終わったと思っていたと。ぜひ劇場で…。
(上演時間1時間20分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、周りを白のレースで囲い 舞台と客席の間にも敷いてある。中央に椅子3つ並べ、上手に縁台と玩具の木馬(実は山羊)のようなもの。下手に椅子2つ。
会話の中に倉橋島や四国 といった台詞があることから広島県呉市あたりの島が舞台。周りのレースは白波のイメージか。

物語は、夜尿でシーツや寝間着を汚したため、次女ミツ子が 呆けてきた母 トヨ(80歳)の着替えを手伝っているところから始まる。老いーそれは不慮の事故や災害等が起きなければ、殆どの人が迎えるといっても過言ではない。しかし 公演では、老いをことさら深刻に追い込むことなく、日常の暮らしをゆったり飄々と紡いでいく。家族構成や事情は台詞でサラッと説明し、主に母と長女 エイ子・次女の会話を面白可笑しく語り聞かせる。ミツ子は 会社を辞め母の面倒を見るため広島へ、しかし彼女自身の家族は描かれていない。エイ子も近くに住んでおり、日々様子を見に来ることくらいの情報しかない。

東京/浅草観光旅行、新幹線の中での姦しい会話、夫々が勝手な行動をするため 目的の東京スカイツリー展望台(天望デッキ+天望回廊)へ上がれなかったと不満を口にする母、その母に人力車なんかに乗るからと言い返す。チェックイン前、突然 蕎麦が食べたいと言い出した母のために コンビニでカップ蕎麦を購入し ホテルへ持ち込むエピソード。罵りあいながら笑う、何気ない会話と行動の中に可笑しみが溢れる。

幼い頃、姉妹は兄に暴力を振るわれ、それが嫌で家出をする。昼間は海辺で遊んでいたが、夜になると途端に寂しく心細くなる。帰り道が分からなくなり途方に暮れる姉妹、その時 探しに来た母の行動?が…ここが評価の分かれるシーン。今のエイ子はのんびりとした性格、しかし子供の頃は激しく兄に逆らっていた。妹のミツ子はテキパキと忙しないが、子供の頃は従順のよう。そこに成長するに伴い性格が逆転していくような歳月、時の流れを感じる。エピソードを羅列したようなイメージだが、その日常の積み重なりこそが 老いなのかもしれない と実感する。
次回公演も楽しみにしております。
マルコとグリーンの海

マルコとグリーンの海

ヒコ・カンパニー

ブックカフェ二十世紀(東京都)

2025/01/10 (金) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い。お薦め といっても早い段階で完売。
濃密な男女の二人芝居、4場。当初1時間30分の上演時間が1時間50分になるほどの力作(事前にその旨連絡あり)。上演時間が長くなったのは、ラストシーンに救いを求めたのではないか と想像している。テーマは昨今大きな問題として取り上げられるハラスメントー特にパワハラ・セクハラー、それを演劇の世界という自分たちと向きあった所を舞台にしている。それだけにリアルであり切実な思いが痛いほど伝わる。

パワハラ・セクハラの加害者、被害者の捉え方、その視点の複雑さを多面的に描くことで、問題の本質に迫ろうとしている。被害者は、その行為を忘れることは出来ないだろうが、加害者が真にハラスメントを認識した時の精神的苦痛は計り知れない。ハラスメント行為は無意識に行っている場合、逆に言えば 叱咤激励しているつもりが 知らぬ間に相手を傷つけている なんてことが往々にしてある。ちなみにパワハラ・セクハラを並列に記したが、それぞれの場面を描くことによって、人が潜在的に持っているであろう偏見、差別といった心の闇が浮き彫りになる。

終電を逃した男女の一夜の弛緩と緊張を繰り返すような会話から、徐々に過去にあった出来事、その結果が今の状況を招いていることを切々に語る。未だに出口が見つけられず悶々とした日々を過ごしている。見知らぬ関係ゆえに心の内を激白する。さらに会話は漂流し 思わぬ方向へ…。
(上演時間1時間50分 休憩なし)

<2025年1月公演>朗読キネマ『潮騒の祈り』

<2025年1月公演>朗読キネマ『潮騒の祈り』

idenshi195

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2025/01/08 (水) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

母と娘の確執・回想・受容といったエレメントで構成された抒情的な作品。娘の観点で描いているが、その娘が母親になることで 新たに母の思いを知ることになるのではないか。母にも子供時代があり経験したにも関わらず、親=大人になると その立場 目線で考える。それは先人の定めのようなもので、一概に親のエゴと言えるだろうか。

当日パンフの中で、主宰の高橋郁子さんが「再演を重ねる中で、『これは私の物語だ』とおっしゃるお客様と何人も出会い・・・作者の想いなどはとうの昔に超えて、『私』となる方のためにこの作品は在るのだと思う」と記している。長々と引用したが、この「私」は たぶん娘 綾子なのであろう。しかし母1人娘1人という状況の中、必死に子育てする母の気持が痛いほど伝わる。母が娘の心を殺すまで無関心・無神経だったか。逆に外国映画に「毒親(ドクチン)」という、娘への過剰な教育や躾といった問題を描いた作品がある。子育てに正解はないのだろう。

寂れた海辺の街という設定が妙。妊娠した娘の精神的・肉体的な変化を自然のなかで情緒豊かに紡いでいく。羊水の中の胎児、それを月と潮汐に準え神秘的に、時に現実的に読む。だから配役(表)も娘 綾子、母 和江、そして海となっている。しかも娘と母の間に海が、それは2人を取り持つ新たな命(胎児)を連想させる。シンプルな舞台装置に揺れる波が映え擬声音が効果的に響く。

先の当日パンフには「想像力で溶け合うことで視えてくる母と娘、海と命の物語」、男の自分には、親子の一番解り難い関係(母と娘)だけに手強い。母と息子、父と娘、父と息子は、自分が子として又は父として接したことがあるため何となく想像が出来る。公演では女性ならではの身体的な描写があるため、理屈では分かったつもりだが やはり観念的に捉えている と思う。男優による朗読、それでも母娘は違和感なく存在したが…。
(上演時間1時間20分 休憩なし) 【上弦】 

ネタバレBOX

舞台美術は、会場入り口の対角線上に腰高スツール3脚。その後方に縄簾のような幕。さらに幕奥に照明が1つ。このシンプルな舞台美術が実に効果的な役割を果たす。朗読劇だから、ト書きや波音などの情景は擬態語・擬音語で表現する。また後景の縄簾への流線形の照明が揺らめく波のように見え、さらに丸照明がシルエットになり朧月のように見える。物語は、8月下旬から12月下旬までの約4か月間の話。

綾子は身籠った子を産み育てるため、実家に帰り嫌いな いや憎んでさえいる母に頼らざるを得ない状況。当初 母 和江は反対していたが自分も反対を押し切って産んだ経験があるから認める。母への蟠りは消えない…小学校4年生の時に初潮、それを機に苛められるようになる。登校したくない、しかし 母は綾子が弱いからと決めつける。子の心情に寄り添えず、自分=大人(母親)の立場で追い詰める。そんな母が嫌いだった。その母は、夫に先立たれ昼はパート、夜はスナックで働き1人で綾子を育ててきた。それだけに負けず嫌いの気性の激しい女のよう。母 娘の確執とその原因となった回想が淡々と語られる。

綾子は 東京の予備校で働きだし、年上の男から交際を求められ妊娠した。男の身勝手、結婚もしない 認知もしないし養育費も支払わない。実家に帰るまでの逡巡、それでも産むためには母を頼らなければ、その葛藤が痛いほど伝わる。そして月齢が進むにつれ、自分の体の変化と同時に感情の変化、綾子はだんだんと受け入れていく。胎動によって胎児と語り、それによって母性を育んでいく。そして綾子の思いは母 和子の思いへ近づき、いつの間にか同化していく。

体調の変化は 水が関係してくる。風呂場で異変を来し悲鳴を上げる。そして12月下旬、月に導かれるように夜中の海に入っていく。幻想的な情景 不思議な行為は、生 なのか 死 なのか いずれにしても神秘性を感じる。が、一度産むと決心し胎児と向きあった以上、母 和子が間に合ってホッとした。このドキドキしたシーンによって迷いや葛藤は吹っ切れたかのような和み。
次回公演も楽しみにしております。
なまえ(仮)

なまえ(仮)

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2025/01/08 (水) ~ 2025/01/13 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2023年新春公演でも同じ演目「なまえ(仮)」を観ているが、前回に比べ その内容(小話)が増えた分、<なまえ>に対する拘りが強くなったような気がする。小話毎に訴えたいことは違い、その濃淡も異なる。

2023年時に演じた小話は、題名こそ違えているが 内容的には ほぼ同じ。しかし増えた題目は、<なまえ>の重要性・必要性というよりは、便宜的な曖昧さの中にも名前というか呼称が必要なことを挙げている。同時に題目間の繋ぎのような役割も果たしているようで、その意味では場転換はスムーズだ。
(上演時間 1時間35分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は暗幕で囲い、冒頭は中央にテーブルと椅子が置かれている。暗幕には紅い短冊に、舞台と客席の間には白い短冊に文字が書かれている。しかも天井にも貼られ、薄暗い場内だが おめでたい紅白幕を連想させる。最後の獅子舞も合わさって正月公演らしい。

勿論、<なまえ>は人間が付けた便宜的な記号・符号のようなものであるが、その共通性が大切。言語は国によって異なるが、<なまえ>という概念は ある程度共通認識を得ている。その意思疎通・情報伝達から曖昧な呼称まで様々。公演は、その曖昧模糊とした題材に着目した点が妙。

さて「おしながき」の「なまえ(仮)」と構成・梗概は次の通り。
①「ゴッドハンド(仮)」
小学校教師の胃痛を執刀する医者の名(苗字)が「藪(やぶ)」、その語感から手術に対する不安が生じる。医術的なことより先に、名前が重要だと言わんばかり。人格や技術等は名前と関係ないが、外見的なことに拘りが出るというオーソドックスな話。
②「病名(仮)」
病名で患者の気持が一喜一憂するという不思議さ。例えば風邪ならば安心し癌ならば深刻になる。勿論その気持はよく分かるが、医師は何でも病名をつけ、患者はその診断名を欲するという奇妙な現実を突き付ける。
③「電話(仮)」
電話口で「サルワタリ アイコ」という女性は もういない。名前は人物を特定することに関しては便利であるが、その人物自身を表すものではない。例えば女性は婚姻によって姓が変わる。それによって姓+名の語呂が怪しくなる場合もあると。これって夫婦別姓への問題を意識したものか。
④「私の伯父さん(仮)」
「ワーニャ伯父さん」を劇中劇仕立てにしており、伯父と姪の なさぬ恋のよう。「なぜあたたは伯父さんなの?」という台詞は「ロミオとジュリエット」の「ああロミオどうしてあなたはロミオなの」のパロディで、「家なんて関係ない、その名を捨てて私を愛して」に通じる。
⑤「胡散(仮)」
名前は その人物の特定に役立つが、呼称のようなものは それを曖昧にする。例えば 怪しい人物、それも中年以上になれば「胡散臭いおじさん」という一括りで呼ぶ。この題目は2023年の時にはなかったと思う。
⑥「中華満珍楼(仮)」
中華飯店で働く男、その名もチンさん。語感だとどの漢字のチンさんか判然としない。揶揄われることに嫌気がさし、衝撃の告白。本当の名は別にある。外国人が日本人の名前を買うには高額すぎる。だから”珍”さん、何ともシュールだ。
⑦「CHIBA(仮)」
千葉県にあるのに、東京ドイツ村や東京ディズニーランドというイメージ戦略、一方 成田国際空港は、当初 新東京国際空港としたが、いつの間にか今の名前に改称した。国や企業等の思惑によって恣意的に付けられる名前や呼称の曖昧さ。
⑧「列車にて(仮)」
電車内、失恋した男の悩みを聞く牧師。世の中にはもっと辛い思いをしている人がいる…夫が事故で生き埋めになり、その妻が夫の名前を呼び続ける話。それ自体良い話だが、失恋男が誤って「神父さん」と呼ぶが、自分は「牧師」ですと返答する。そこには厳然とした違いがあるという。
⑨「小竹林(仮)」
この読み方は何でしょう。フリップを使い 福井県大野市(越前)という地名までだし、さぞかし難しい読み方のような思わせぶり。実は「コタケバヤシ」という素直な読み方。名前というか漢字の読み方に対する先入観の妙。
⑩「ぐっち(仮)」
アベックが高級貴金属店で買い物をする。男は女のためにGUCCIの指輪を購入するが、店員は それをロゴなし袋に無造作に入れる。アベックは、品物に相応しい(見せびらかす)袋を用意しろと…。目に見えない袋を用意されたアベックは、宛ら「裸の王様」の寓話のようだ。
⑪「市民土木課の一日(仮)」
市民課と土木課の統合で生まれた新設課。配属された人の中に元恋人同士、その喧嘩や日和見の新人の言動を面白可笑しく描く。しかし、原発誘致が白紙になり 日々暇を持て余す課員たち。そして関係のない課を一つにし市民蔑ろの行政、ここでは どちらの名を先にするかが問題。銀行の合併じゃあるまいしは辛辣。また「課長」<権威>という呼称は、個人の名とは関係なく歩き出す習性の怖さ。全員登場による共演。

各題目ごとに 「なまえ」という切り口で緩い寓話らしきものを垣間見せる巧さ。その内容は多義にわたり面白可笑しく観せ、2023年に比べると時事的な事柄も随所に描く。また題目によっては<なまえ>のダジャレのような描き方だが、そこには繋ぎという別の役割を持たせており巧い。

演出は各題目によってテーブルや椅子の配置を変え、シンプルであるが状況を表出する。同時にキャストは衣装替えをし、観せる工夫をする。勿論、音響・照明などの舞台技術も効果的な役割を果たしていた。薄暗がりの無人舞台、暗幕に貼られた短冊、そしてラストには天井から短冊が舞い落ちる。その光景は、<なまえ>が重いのか軽いのか、人それぞれの思いと状況によるような。
次回公演も楽しみにしております。
卒塔婆小町 葵上

卒塔婆小町 葵上

東大芸研2025 一月企画専用

駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)

2025/01/10 (金) ~ 2025/01/11 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

三島由紀夫の近代能楽集から「卒塔婆小町」と「葵上」の2編。本演目は未見で戯曲も読んだことがないため、興味津々で東大多目的ホールへ。登場人物の少なさやシンプルな舞台装置、薄暗い中での飄々 時として濃密な会話は別役実作品を観ているような印象。

この両作品とも、二項対立させながらテーマらしき比喩が浮かび上がる。「卒塔婆小町」は「若い」と「老い」や「生」と「死」といった対比の中に抗えない人の宿命が描かれている。「葵上」は「愛情」と「嫉妬」や「情念」と「諦念」といった人が、特に男女間で起こる感情の縺れを情緒的に描いている。しかし近代能楽とは言え、元が能楽ゆえ若干違うが、「あの世=ワキ」と「この世とあの世との『あはひ』に生きる者=シテ」という基本的な構造は変わらないようだ。

舞台装置や演出は、幽玄といった雰囲気を醸し出しており観応えがある。しかし演技がその雰囲気の中に溶け込んでいかないのが憾み。外見(観)や発声等は学生演劇の域を出ないのは止むを得ないとしても、演技は工夫の余地があると思う。例えば腰を曲げた老婆(99歳)、その割には俊敏と感じられるような動き。腰を曲げているにも関わらず吸殻を簡単に拾い上げる等…。台詞は 丁寧に発音しており、情感がこめられているだけに惜しい。
(上演時間1時間30分 休憩兼転換10分)追記予定

二十歳の集い

二十歳の集い

アガリスクエンターテイメント

上野ストアハウス(東京都)

2025/01/02 (木) ~ 2025/01/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

正月に相応しく 明るく楽しい雰囲気の公演。伝えられない想いが溢れ出す、そして何故か心の奥深いところで人間が愛おしくなる、そんな中編2作品。

「Go as Operation‼」は、寂れた個人経営のレンタルビデオ店を舞台にしたスラップスティック・コメディ。いつまでも続くと思っていた心地良い関係、しかし出会いがあれば別れがあるのは必然。その当たり前が行動の契機になる、状況や台詞の誤解や勘違いを上手く織り込んだ笑劇。年代的には20年近く前の作品で、最近ではレンタルビデオ店は見かけなくなったが、内容的には現代でも十分に通じる。ただ 劇中で使う映画(レンタル商品)は、少し新しいもので、そこは脚本・演出を担当した淺越岳人 氏が巧く辻褄合わせをしている。

次の「宇宙からの婚約者」は、説明にある通り 彼女はウルトラマンだから一緒になれない、まさに異性が異星(人)だから結婚できないという シャレにもならない悲喜劇。当日パンフに脚本・演出の冨坂友 氏が記しているが、愛する二人の会話が「身近な人と思想的・立場的に絶対に相容れないことが分かってしまった。」という かなり政治的な話になった と。表層的には 面白可笑しいが、その底流に描かれている出来事は怖い。まさにブラックユーモアだ。これを どう乗り越えるか⁉

2025年に劇団結成20周年を迎える その第一歩。自分としては、今年の観劇初め この楽しめる公演は幸先よし。
(上演時間2時間15分 途中転換あり) 

ネタバレBOX

●「Go as Operation‼」の舞台美術は、上手にレンタルビデオ店のカウンター、それ以外のスペースを商品棚。勿論レンタルビデオの陳列はなく空棚であるが、その店内風景は十分。舞台となる店の名は「misdirection」、まさしく”勘違い”である。

物語は、寂れたレンタルビデオ店に長年勤める中年男 高橋はバイトの大学生 恵理へほのかな好意を隠して働いていたが、その彼女が急遽辞めると。彼女は ひそかに思いを寄せていた常連客の青年 岸に告白しようとしており、一方 岸も理恵へ何か用事があるよう。高橋は二人の恋路を邪魔しようと企むが…。

そこへ私人の万引きGメン、妻が借りたビデオだから延滞料は支払わない、そして青年 岸の映画撮影への思いなど、各人の勝手な思惑等が絡まり混沌とした様相へ。特に万引きの盗ると映画を撮るといった<トル>という言葉の語感が勘違いを生む面白さ。因みに劇中見せるビデオ「万引き家族」は2018年公開。

●「宇宙からの婚約者」
舞台美術は二人がいる部屋、上手にキッチンやラック そして宇宙の絵画。中央に丸テーブルに椅子、下手はレンタルビデオ店の棚。机やパソコンがあり 短い時間の場転換であるがスタイリッシュな感じへ。二人の会話が異次元へ飛んだ時、大きな音と共に後景に銀幕が落ちる。

スケールの大きい恋愛話のようだが、何故か世界中のあちこちで見聞きするような話題ー紛争・戦争そして難民移住などーに思える。彼女はウルトラマン、実は彼も宇宙人で母星を失い移住する星を見つけている。その対象が地球、そして宇宙船の着陸予定地が関東平野だという。宇宙船には立ったまま20億星人が乗船しており、早く着陸をしたい。彼女(ウルトラマン)は、関東一円に住んでいる人が下敷きになり死んでしまうと…。

かくして恋人同士が尊厳をかけて戦う羽目に というシュールな内容へ。二人にとっての母星ではないが、地球を巡って否が応でも対立せざるを得ない状況は、笑うに笑えない。いや切ない!
次回公演も楽しみにしております。
食わばもろとも

食わばもろとも

新雪/深雪企画

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/12/27 (金) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

全ては自分で解決して行かなければ、しかしその自縄自縛のような思い込みが事態を更に深刻にする。それを痛痒く紡ぐような感覚劇といったところ。まさにドロ沼状態だが、今居る場所が何となく救いになっている。喧騒に佇む下宿に集う人々の心温まる交流と愛しい日々が淡々と描かれている。

説明だと「病床に伏せる父の代わりに、一軒の下宿で住み込み台所番になった女性」の観点から描いた物語のように思えたが…。実際は、大地という大学一年生の強迫観念が周りを巻き込んで といった描き方のよう。彼の悩みや母との(隠れた)確執を中心に、下宿にいる人たちの悩みを点描することで、家族や社会との関わりの複雑さが浮き彫りになってくる。
なお、大地の苦悩は 或る映画の主人公に重なり 面白かったが、全体的(他の人物も含め)に不鮮明な説明・設定が憾み。

有効な処方(箋)はなく、自分で考え周りの助けを得ながら対処療法的に地道に進むしか…。そんな もどかしさを感じさせるが、先ずは皆で食事をしよう。明るく「腹が減っては戦ができぬ」といった旨の言葉が問題解決への嚆矢のよう。
(上演時間1時間30分) 

ネタバレBOX

舞台美術は下宿という設定から そのダイニングのテーブルと椅子。中央の出入り口の奥に各人の部屋があるよう。説明からは、父に代わって料理番になった女性の観点で描く下宿人 群像劇かと思っていた。しかし 何となく下宿した大学1年の大地という青年の或るトラウマを浮き彫りにするような物語だ。

大地のトラウマ、自分の感情を抑えきれずに暴力をふるってしまうのではないか。それを母との関係において、歪んだ若しくは閉ざした心として表わしている。感情を押し殺した従順、その逆らわない気持がマザコンのようにも思える。この苦悩は映画「ある男」を連想してしまう。勿論 そのテーマと深刻度は異なるが、自分も父と同じように いつ暴力(映画は「殺人」)をふるうのか恐れ戦いている。その抗えない諦念のような気持と下宿にいる他の人々との会話が表面的過ぎるのが恨み。

登場人物は、大地の他に 管理人の五十嵐、現在フリーターの志保、大学4年の佑、そして料理番の睦美。それぞれ色々な思いを抱いているようだが、それは日常に見られる他愛無いこと。この淡々とした日々の暮らし、その根底にあるのが<食>である。タイトルから孤食であれ共食であれ、命の源は食事である そんなことが描かれている。日常の それも等身大の暮らしは、演劇的には刺激と印象が弱い。

物語は、大地の抱く潜在的な暴力への恐れ、一方 他の下宿人は何となく言い訳が上手くなってきた大人、その相容れない対比の面白さ。下宿という共同生活体の中で、どう馴染んで生活していくか、心を閉ざした大地と明け透けに言い合う下宿人、それでも食卓は囲む。ラストは、取り敢えず食事をして…そんな未来志向か?
次回公演も楽しみにしております。
ThreeQuarterカウントダウン公演「1…」

ThreeQuarterカウントダウン公演「1…」

四分乃参企画

JOY JOY THEATRE(東京都)

2024/12/27 (金) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

【カウント3(Three)チーム】観劇
つかこうへい の代表作であり つか魂がストレートに伝わる演目を解散公演に選んで、全力で演じていた。三日間で8公演と驚異的なスケジュール。本作は何度か観たことがあり 上演時間が短いように感じていたが、当日パンフを読むと体力的に厳しくカットしたシーンもあると…納得。

本作は、舞台装置がシンプルで 役者の演技力が公演の要(かなめ)。劇団のモットーは「愛と情熱」をテーマに活動、稽古は土日のみ。最終公演に向けては どうだったのかは分からないが、粗さも目立つが、愛おしさが感じられるような演技であった。
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、お馴染みの古びた机、その上に黒電話、捜査資料、傍らの置台に洋酒瓶が置かれている。舞台技術の音楽選曲と照明効果は上手い。

物語は、警視庁の木村伝兵衛部長刑事の取調べを中心に熱海の殺人事件の概要をなぞりながら、その過程で事件の底流にある問題を抉るもの。人間を鋭く観察し、心理描写と情況表現が中心であることは間違いないが、本公演は故郷という心の拠り所も強調している。人間、社会そして自然といった世界観の広がりを思わせる。

在日への人種差別への思い(代弁)を独白・激白、その故郷を追われた慟哭が胸をしめつける。また同性愛者を登場させ、その性への偏見差別、職業・職場、さらには社会進出における男女差別、権力至上への揶揄など、色々な問題・課題を浮き彫りにしてくる。一方、人が感じ持つ優しさ、哀しさ、孤独、気概などの人間讃歌とも受け取れるシーンの数々。単なる痴情の もつれによる殺人事件ではなく、大山金太郎(容疑者)を一流の犯人へ仕立て上げることによって、事件の底流にある本質を炙り出す。この硬質で骨太い描きの中に、女性ならではの純粋と情念の心情を垣間見せる。またちょっぴりあるお色気シーン、この緊張・弛緩のほど良い刺激が1時間40分という時間を飽きさせない。

つかこうへい の思いは、役者の演技力という体現なしでは伝わらない。特に主人公 木村伝兵衛を演じる女優の力強く凛とした姿と愛嬌ある仕草、また山口アイ子の切なくも強かな女、その異なる女性像を自在に演じ分ける難しさ。またアクションにキレがあり身体の強靭性も必要。本公演では櫻井まりあ さんが演じていたが、遠慮しているのか少し弱々しく迫力を欠いたのが惜しい。男優陣は、熊田留吉刑事、桂万平刑事、大山金太郎との絶妙な遣り取りに人間味が感じられる。今まで観てきた公演の男性陣も熱演であったが、それは主人公・木村伝兵衛を引き立てるといった印象。本公演も基本的には同じであるが、単に櫻井さんの盛り立て役に止まらず、一人ひとりの人間性を立ち上げている。体躯のよい正木拓也さんは、厳つい風貌と剛腕を見せつつ純情な面を併せ持つ熊田留吉刑事、平澤雅己さんは顔付こそ野性味あるが、やはりホモらしい繊細さを見せる桂万平刑事、永松翔平さんは2人に比べると体は細いが、強情で熱い男-大山金太郎。相乗効果を発揮した役者たちの演技は良かった。

原作の意を表した脚色、それに魅力付けした演出(清水みき枝サン)、そして充実した演技、さらには舞台美術(音響・照明)など全体が調和した公演は好かった。
中国神話の世界

中国神話の世界

カプセル兵団

三鷹Ri劇場(旧 三鷹RIスタジオ)(東京都)

2024/12/27 (金) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
ギリシャ、北欧、インドの神話は何となくイメージ出来るが、中国神話は馴染みがなく興味があった。その痒いところに手が届くような説明から始まる。少しネタバレするが、中国では 或る人物のせいで 非科学的なことを記録、いわゆる文献にする風潮がなかったらしい。もう一つが、人が超常の力を得て仙人に成るとか、または実在した偉人を神格化させる傾向にあり、非科学・伝承的な類の神話は広まらなかった と。

本公演では、「天地創造」を含む13物語をナレーションで繋ぎながら、実に壮大な世界観を描き出す。勿論 朗読劇ならではの魅力、登場する者・物・モノなどの姿・形そして情況を観客に想像させる。そして本編を離れ一発芸や面白ネタといった別編?を挿入し面白可笑しく楽しませる。その本編と別編の絶妙な切り替わりが巧い。しかも本編の醍醐味である中国神話が印象深く紡がれ、神話から人間の世界へ…そう中国における創世記のようなものが立ち上がってくる面白さ。
観(聴き)応え十分。
(上演時間2時間10分 休憩なし) 

隧道

隧道

劇団ゼロイチ

駅前劇場(東京都)

2024/12/25 (水) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

普通に楽しめた沖縄県民の青春群像劇。
謳い文句「芝居の力で沖縄を変える」という強烈な思いよりは、まだ何者にもなっていない若者の焦燥や苦悩といった心情が前面に出ており、ありふれた若者像を描いたといった印象だ。むしろスタートラインに立ったと言ったところか。父親の30歳過ぎにもなって まだふらふらと演劇なんか、というリアルな台詞。

保育園の時に東京から来て幼馴染みになった少女との魂(沖縄ではマブイ)探しといった面白味、その心の端となった会話があまり生かされない。沖縄県の問題/課題を点描しているが、もっと県人らしい鋭い深掘りを期待したのだが憾み。
なお、演出で気になることが…。
(上演時間2時間10分 休憩なし) 

ネタバレBOX

三面舞台…全体的に薄暗く 板(床)は黒色。入口の反対側が正面、通常の 客席側が上手、舞台側が下手になる。正面に白っぽい(押入)戸、上演前は 黒箱馬1つにパソコンが置かれている。シンプルな舞台装置だが、場景ごとに黒箱馬を持ち込み情景を描く。ただ三面舞台にする意味(効果)は何だったのか。押入れにあるTVモニターの映像、押入れ戸へ映写したタイトル、そして友人の位牌等は、両端の観客には見切れになったのではないか。自分は正面に座ったから観えたが、その視線には両端の観客が前屈み もしくは横へ身を乗り出すような姿勢が隣席人の迷惑に…。この劇場で 前に観た三面舞台は「ナイゲン(2022年版)」。

物語は、沖縄県今帰仁村から上京した劇作家 サトシが 今一度演劇を続けていく意味を想い返す といった回想であり成長譚。毎日ダラダラと過ごしているサトシ、郷里の友人から住むだけで60万円というバイトを紹介される。今では闇バイトを思い浮かべ 失笑が漏れるが、実は高齢者が孤独死した事故物件。そこに幼馴染で亡くなったアキラが現れて…。幼い時の思い出が次々とよみがえり、北山高校卒業時に将来の夢を語る というか宣言する場面が肝。アキラは有名女優に、そしてサトシは劇作家になる と。

アキラが 風呂や台所がない、狭い部屋の押入れから現れ サトシと語り出す。アキラは駐留米兵に強姦され暴行死しており、今いるのは幽霊(魂=マブイ)である。ちなみにアキラの衣裳は浮遊感ある白地、舞台美術と相まって鯨幕のような存在。そして説明にある これは夢か妄想か現実かといった混沌とした世界観へ誘われる。押入れがその世界への入口(隧道<トンネル>)である。アキラは米軍基地反対、基地での雇用問題や跡地の代替利用等を話し出すが、表層的で2人の会話も深耕しないのが惜しい。相反性が感じられる訳でもない。作・演出の平良太宣氏が沖縄県出身であれば、地元観点でもっと抉り出してほしいところ。勿論、大上段に構え「日米地位協定」を云々 などとは言わない。

アキラは夢を叶えることなく非業の死、しかし それに対する怒りや悲しみが伝わらない。実際あった事件だけに胸が締め付けられる。が、なんとなく淡々と描き、受け入れてしまっている。その意味では沖縄が真に置かれている状況、その問題や課題が表面的に扱われているようで物足りない。社会的なこと、それを身近な個々人の問題を絡ませることによって 深刻さや現実味がリアルに表現出来るのではないか。敢えて、あまり暗く重くしないといった演出であろうか。

公演では、沖縄民謡を楽器で奏で、歌い踊るといった郷土愛を感じさせる場面が多々ある。その日常の隣り合わせに危険が満ち満ちているといった恐怖と狂気を描くこと、それが「芝居の力で沖縄を変える」に繋がるのではないか。
次回公演も楽しみにしております。
イヨネスコ『授業』

イヨネスコ『授業』

楽園王

サブテレニアン(東京都)

2024/12/17 (火) ~ 2024/12/21 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

イヨネスコ「授業」は、楽園王を始め いくつかの劇団 公演で観ている。不条理をいかに不条理劇として観せるか、それをどう味わい深く伝えるかは、相当難しいのではないか。本公演も説明にあるように、構成を大きく分断し 戯曲の後半部分を先に、前半部分を後に上演して不条理劇の不条理を倍増させる工夫をしている。

自分では、難解?もしくは自由過ぎると敬遠しがちだった不条理劇の魅力を感じることが出来た。今作は、不突合・不調和といった状況下における可笑しみ、同時に恐怖を感じた。また後半部分を先に表現することによって、不条理の(本)質というよりは、ループすることで不条理の連鎖なり重層、その量を意識させられた。まさに この世は不条理で満ち満ちているといった印象である。

演出が好い。出演者の衣裳や行為(動き)、そして音楽の雰囲気が前半(最初の生徒)と後半(二番目の生徒)とでは違って、同じ不条理の光景(場景)でも その印象が異なる。この外観的な中に、不安・不穏もしくは苛立ち・怒り といった表現し難い感情が透けて見えてくる。勿論 生徒が鎖の付いた手錠をしていることは奇異であるが、教授と生徒という立場の違いを表しているのだろう。
(上演時間65分) 

ネタバレBOX

演劇を観る楽しみ 面白さは、表現し難いモヤモヤした気持を的確に表現してくれるところ。この得も言われぬ研ぎ澄まされた感覚が心に刻み込まれる。この公演もそんな1つ。

舞台美術は 真ん中に白線、その両側にテーブルと椅子2つ。ほぼ対称であるが、一方のテーブルの上にテキストとナイフが置かれているのが違うところ。物語は、教授が言語学の講義をしているが、女生徒は歯痛を訴えている。それでも教授は授業を続けるが…。後半は別女生徒が教授に教えを乞うており、算術から始まる。足し算は出来るが、引き算が出来ない。数字という概念の理解が疑わしい。存在しているものを合わすことは出来るが、存在そのものを無(引)くすという思考はない。そこで数の概念 つまり言語学から教えること、それが先の場面(前半と後半が逆)へ ループしていく。女生徒が2人登場するが、同一人物として解釈するのか など思考を巡らす楽しさ。

教授と女生徒の感情は離れ、教授の苛立ちは怒りへ 女生徒のそれは苦痛に変わる。人間の心ほど読み取れないものはなく、感情のもつれが悲劇を生む。解らないことを無理やり講義(聞か)される苦痛、それが歯痛になるのか。自分では形容し難い思い、それを巧く観せてくれる。

登場人物の衣裳…教授はワイシャツに黒ズボン、女生徒2人は上下 白、女中は黒服に白いエプロンで、薄暗い中でモノトーンが怪しく動く。動くと言えば、女中は直線的に歩くだけで応用が利かない、そんな不自由さを感じる。そこに常識に囚われた世界を連想する。音楽は最初の女生徒の時は、勇ましく煽るような、2人目は不安・不穏、そんな印象を受けた。この音(楽)にも拘りがあったのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。

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