monzansiの観てきた!クチコミ一覧

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Freak box -the:FINAL-

Freak box -the:FINAL-

姫君

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2014/06/25 (水) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

マリオネット「夏の夜の夢」〜ホラーにも神秘がある
衣装がファンタジックだ。


野生動物やドール、寓話をイメージして作った衣装は、ともすると学芸会となる。仮に、『姫君』が馬力エンターテイメントを提供しなかったら、舞台美術の評価もきっと180℃転換したことだろう。


『Freak box-the:FINAL-』が三部作まで継続した根拠はわかる。一つのリトルワールドだ。

タップ・ダンスに関してはプロに近い技術であった。バレエダンサーも、太い足にめげず、華麗に初心者向けテクニックを披露した。『東急ハンズ』で買い占めれば済むレベルだった演目がマジック・ショーだ。しかし鑑賞する価値はある。

ネタバレBOX

ここでアメリカに伝わる 小噺を ご紹介したい。



キャサリン「今度 オハイオのショッピング・モールへ遊びにいきましょう」

ドール人形「嫌だわ」


キャサリン「なぜなの?あなたの お友達が たくさんだと思うわ」


ドール人形「それでも…」


キャサリン「わけを教えてちょうだい」


ドール人形「視線が耐えられないの。あなたへのよ」




「ドール」は何十年という汗を吸収する、いわば少女の形見だ。少女にとって、ハネムーンへ旅立つまで最も肌を密着させた人物でもある。


『Freak box-the:FINAL-』は そんな「愛憎」まみえる人形社会で、大人を刺激する。
湯けむりの向こう側

湯けむりの向こう側

演劇集団池田塾

ザ・ポケット(東京都)

2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

おもてなし、だけじゃ、始まらない


「地域振興」のあり方に一石を投じる。

池田塾・塾生が主体となった公演ですが、パワフルな質感で、役柄と本年齢の差を躊躇することなく、完全に役になり切っているようでした。

地域が、「旅」を守り抜く。


少子高齢化社会を迎え、東京一極集中が進展するなか、この国の「旅」は危機に あります。


なぜ一般旅行客は旅館を避けるのか。

大手ホテルチェーンは その知名度により「品質保証」をアピールできます。
ところが、個人が経営する宿泊施設ですと、季刊雑誌等に掲載される「マス」依存になってしまう。「口コミ」も そうです。

私は千葉県・房総半島域の小さな民宿に一週間泊まったことがありますが、そこで発見してしまいました。
それは、学生団体の「合宿」という、集団旅行客に基づいた民宿経営のメカニズムです。いたるところに「学生様歓迎!」の看板が。

日本企業は社員の福利厚生を積極的に推進しています。代表格は松下幸之助が創業したパナソニック(旧 松下電器産業)でしょう。
茅ヶ崎市は、同氏が理事長兼塾長を務めた松下政経塾の所在地です。70年代まで、松下グループの販売社員を養成するための研修施設が立地していました。
太平洋に面した観光地に わざわざ研修機関をつくるとは。
「社員は家族」だったわけです。

こうした「福利厚生」「レクリエーション」「終身雇用制度」の企業社会は観光業界にも雫をたらしました。
「社員割引」という形で、旅館、民宿側もファミリー層を取り入れていたのです。
しかし、いずれも、「集団」から存続しえるメカニズムであることには変わりませんでした。


つまり「集団」と縁が切れたら、「地域」の旅館、民宿が消滅してしまう現状です。インターネット時代下においては、この旧態経営を改革しなければならない。「個人」と コミュニケーションを図っていく。これが「旅」を守り抜く唯一のヒントです。


「池田塾」の舞台には、外資系ファンドが連ねるわけですが、「ハゲタカ不動産」などと地域の旅館、民宿から揶揄されていました。 同業者同士がアンチテーゼで「一致団結」し、旅行客における「ハート・フロンティア」(心のふるさと)へ、おもてなし接客を昇華していく。既存の業界団体の皆さんは このサクセスストーリーを どう評価するのでしょうか。




※追記あり





少年期の脳みそ

少年期の脳みそ

玉田企画

アトリエ春風舎(東京都)

2014/06/20 (金) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

満足度★★★★

細かく、描写力




「思春期」の淡く、愉快で、誰しもが心の原典として所持している、少年期しか味わえない記憶を呼び覚ます。


Aさんが台詞を放つ、Bさんが台詞を放つ、という単調さはない。
常に、役者の表情や、ナチュラルな その反応にもダイヤモンド級の価値がある作品だ。



「卓球部強化合宿」における「現役高校生とOB」という関係。
恋心を打ち明けるに適度な距離の関係であり、いわば奇妙な視点から描く「黄金郷」だ。


玉井自身「細かさ」を公言してはばからない。彼の次世代メソッドは、理研の顕微鏡をはるかに上回る精度で、爆笑を呼ぶ。それも、リアリティに裏付けられた確かな「共感力」がある。

「恥ずかしい」という10代の初々しい感情が、巧みな視線、意図した沈黙によりターゲット化されている。
じつに見事な舞台だ。
玉井氏は青年団を変革していく男かもしれない。






パプリカな夜に 〜逃亡者の館〜

パプリカな夜に 〜逃亡者の館〜

K2WALKプロジェクト

六行会ホール(東京都)

2014/06/17 (火) ~ 2014/06/21 (土)公演終了

出演陣は華美だが、「脚本破綻」している時点ですでにダメだ


下品。


私は下ネタ好きである。しかし、この舞台=『逃亡者の館』は人を不快にさせる生々しさのオンパレードだ。誰ひとり笑っていなかったことが その証拠だろう。


・サスペンスを謳いながら「脚本破綻」している。

『逃亡者の館』に部外者が侵入すれば、管理人へ通報するのが当然のストーリーの流れだろう。

また、サスペンスの柱は「過去逃亡者の末路」にあったと思う。再逃亡者の出現でそれが一部明らかになったのに、「また あなたですか」(管理人)という そっけない台詞は何なのだろう。

・パフォーマーをキャスティング。そして、初級のジャグリングもどきを10秒間 披露させる。失敬にもほどがある扱いだ。私が演出家なら 彼女に「ジャグリング・ステージ」タイムを提供したことだろう。
OPに「パプリカ」という架空アイドル・ユニットの「歌ステージ」が あったのに。
わざわざミュージカルの殿堂で公演し、音響設備完備の舞台装着を用意したわけだから、多様なエンターテイメントを追求するべきだったのだ。


・気になった黒塗りチラシ。戦後日本の教科書のよう。
照明スタッフのクレジットをマジック・ペンで一枚、一枚、線引きしたようだが、醜悪であったのは音響スタッフだ。

「感動ソング」挿入のタイミングも早すぎ。


・魅了したのが影の主役・団 時朗である。他にも渋い演技をする役者がいた。「パプリカ」妹の軽々しい、およそ役の年齢を想定しない台詞遣いからすれば、実に廃墟ビルのような存在感であった。

Shampoo ~花の香り~

Shampoo ~花の香り~

PROJECT-残-

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2014/06/21 (土) ~ 2014/06/22 (日)公演終了

正統派、錆びず。キラリと光る明日を追い求め


「残りモノには福がある」という。
この格言が、クリスマス・プレゼントの交換会で、どれほどの少年少女を裏切ってきたか。
想像に容易い。



スミタ・ナオタカ氏は「正統派」だ。下手な踊りや笑い、事件に逃げず、ひたすら「ドラマ」を伝えている。
たしかに「叫び声」は小劇場のボリュームではない。「うるさい」と感じた観客も60㌫以上にのぼったはずだ。

しかし、スミタ・ナオタカ氏は、そうした台詞使いであっても、「激情」ではなく、むしろ「場を鎮めさせる」のだ。「ヒューマニズム」が彼の基盤にある。



「夢を追いかけているのか、
夢に逃げているのか」


この台詞が一番、素晴らしい。


普通なら国家試験を5浪した男を「現実から逃げている」と断罪する。スミタ・ナオタカ氏の記す「夢に逃げている」はニュアンにおいて近いが、夢に向かい努力する人間しか解らぬ文章だと思う。


浪人生活を続け、町工場就職を拒む葛西 正(スミタ ナオタカ)。彼女想いの男だ。雑貨店を飛び出すシーンは どうしても同情してしまう「寂しさ」がある。これはスミタのぽっちゃり体型ゆえかは不明だが、「背中で語る」ことを地でいく演技だ。

「現実」を直視していなければ、毎日憔悴することもない。
「パチンコ依存症」人間は「現実」を耐えられない弱さだろう。

ネタバレBOX


上演時間は1時間05分ほど。

「ストーカー殺人」が かなりシリアスな題材であるが、演劇的クライマックスを欠落した「物足りなさ」も実感した。
弟・葛西英彦(川野 洋)が彼女の黒下着を所持していたとすれば、それを付箋とし、「嫉妬心」から第二の事件が発生しても 良いクライマックスだったろう。
「正統派」演技は認める。
私が要求したいのは脚本(展開の持って行き方)である。



終演後の挨拶は30劇団に1.2あるかないかの感動スピーチだった。
彼らは舞台と同じか、それ以上の分量で観客をハートフルにさせた。
昔ながらの定食屋のように「自分の頭で考える」役者たちだ。



「こんなに たくさんの方に毎回ご来場して頂き、本当に、本当に嬉しく思います」


これが、「正統派」である。
マルワル

マルワル

劇工舎プリズム

駒場小空間(東京大学多目的ホール)(東京都)

2014/06/19 (木) ~ 2014/06/22 (日)公演終了

病み付きのエンドレス

螺旋階段をモチーフとした 巨大なセット。床にはランナーズウエアを装着した若いスポーツマンが寝転んでいる。
そこに、割烹着スタイル(小保方氏ではない…)の女性、ラフな格好の男性も頂上部に位置する謎の扉からやってきて、「ここは一体どこなんだ」が議論されていく。この時点だと、まるで「密室サスペンス」である。


・ダンス・シーンはいわゆるロボットダンスとも違った「グニョグニョ感」だ。確かにスタイリッシュではあるのだが、アフリカン・ソウルを大勢で放出するかのような質量だった。

ネタバレBOX


エンドレスな会話劇である。スポーツマン役の役者がコミカルな演技で会場を沸かしたし、姉弟の「友愛」もメッセージ力を感じた。弟役の○は学生劇団ということで18歳以上だろうが、純情少年を濃く、パレット化したような演技だった。

しかし、「中だるみ」も否定できない。
「汚れ」が取り憑き、6人が豹変していく そのシーンは、エンドレスゆえ「退屈」であった。種明かし=「洗濯」のピース一欠片分だとすれば。
UTSUKE  *当日券若干お出しします!!

UTSUKE *当日券若干お出しします!!

u-you.company

Geki地下Liberty(東京都)

2014/06/19 (木) ~ 2014/06/29 (日)公演終了

過去との遭遇…【未来編】
「時空間移動」

要するにタイムトラベルのことを指す用語であるが、時代をスライドさせることなく、同時進行的に「過去・現在・未来」が交差する三本仕立ては斬新だった。「携帯電話」という非・視覚アイテムを活用した想像力である。


宇宙人と人間が巡り合う『E.T』等の映画。これらは、日常生活で誰しもが蓄積する、半径50m以内のストレスを減らしてしまう効果がある。

その点、磯辺と相馬が囲碁盤を前に宇宙人である告白について語るシーンは わずか1mの距離感だろう。
アメリカから「休暇」を名目とし やってきた捜査員ジョージ・高木、アリス・須賀。スティーブン・スピルバーグ監督が全米を泣かせ、数兆円単位の興行収入を叩き出して来た「ハリウッド系カルチャー・ウインド」である。
Mafty(役 ジョージ・高木) 、杉山夕(役 アリス・須賀)は観客を笑わせようと懸命に海外ドラマ・吹き替え声優の真似をすることはしない。そのテンションを保ちつつ「日系米国人」をストレートに演技したのだ。
この2人は「時空間の歪み」でもあった。セリフを聴くと心地良い。身体観すらも、アメリカンになろうとしていた貫徹主義者だった。

ネタバレBOX

「日本人の雑食性」と「ハリウッド系カルチャー・ウインド」が後半にかけ攻防する。そこに、「事業仕分け」を担当する女性国会議員が視察に訪れ、「経済」までもバトルロワイヤルしなければならない展開に。
サラエヴォの黒い手【ご来場ありがとうございました!!】

サラエヴォの黒い手【ご来場ありがとうございました!!】

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

満足度★★★★

静かな台詞にも、地球規模のダイナミズムを感じる…
1914年に実在した「人々」が100年後、劇場にいる私たちを再び身震いさせる。


「サラエヴォ事件」は人類史上初の全面戦争となる、あの第一次世界大戦を誘発したセンセーショナルな出来事だ。今脚光を浴びる社会派『劇団チョコレートケーキ』。青年ボスニア、セルビア軍「黒手組」が関与していく、事件までの足跡を硬派な演技で示す。


青年ボスニア生存メンバー2名が「語り手」。時代は「ユースゴスラビア社会主義共和国連邦」である。1980年代のボスニア深夜に、歴史を変えた「思い出話」が咲く。さすがに2014年だと100歳を上回る御年齢だから それは そうだろう。


この「モザイク国家」は1990年代の「コソボ紛争」を経て、今は もう世界地図にない。【大袈裟に言えば、20世紀の人類の抱えた問題の基を辿ると、大体がこの戦争(※第一次世界大戦)の時期に行き着くのです。】という古川 健の分析は正しい。 なぜなら、オーストラリア・ハンガリー二重帝国の継承者が6月28日に倒れなければ、「ユースゴスラビア社会主義共和国連邦」成立も、その後の「コソボ紛争」も、AP通信は配信する必要などなかったからである。

かつての「ユースゴスラビア社会主義共和国連邦」は優等生国家だった。非同盟運動の指導者。非同盟諸国首脳会議の議長を連邦崩壊まで長らく務めた。1984年にはサラエボ冬季五輪を開催する。スロベニア共和国を中心に軽工業が発展し、市民生活は西側に迫る水準だった。首都ベオグラードはセルビア共和国。

「コソボ紛争」は いわばクロアチ対セルビアの戦争である。クロアチア人はカトリック系。対するセルビア人はスラブ系(東方正教)だ。
経済先進地帯の「クロアチア」が、ベオグラードに住むセルビア人官僚の支配する連邦政府から その財源を「取り戻す」ことが連邦離脱宣言の背景だったとされる。
80年以降、国家元首である「最高幹部会」議長は 6構成共和国の輪番制であった。こうした「社会工学」的なシステムは築くが、あっさり崩壊したニュースは記憶に新しい。

連邦軍のセルビア人部隊化。崩壊過程では 軍組織がミロシェヴィッチの「セルビア軍」に寝返った。しかしながら、どうしてクロアチア政府が 一ヶ月ほどの急しのぎで造った軍が、連邦軍(セルビア軍)に「抵抗」できる軍事プレゼンスを保有しえたか。

それは、ハンガリー経由で、大量の武器がクロアチア共和国内に持ち込まれたためである。クロアチア系が 一定数おり、文化的につながりの深い、統一ドイツ・ゲンシャー外相がイニシアチブを発揮した国際社会も「スラブ系」のロシアを除けば「クロアチア支援」の世論でまとまりつつあった。

もう一度、「サラエヴォ事件」時、1914年のバルカン関係を整理する。


セルビア+ロシア対オーストラリア・ハンガリー二重帝国+ドイツが当初の戦争当事者だった。すなわち、フランス、英国の動向こそ違うが、90年代から続いた「コソボ紛争」「ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦」と等しい関係なのである。


古川の「大体は この戦争の時期に行き着くのです。」は正しい。




追記あり

毒舌と正義

毒舌と正義

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2014/06/06 (金) ~ 2014/06/12 (木)公演終了

あっという間の1時間50分…教育現場をサスペンス

「教育新生」は国民が渇望する夢だ。

小中一貫校を制度化し、「箱」を改革していく。これは「教育崩壊」を あくまでもテープで継ぎ接ぎするようなモラトリアムに過ぎない。

毎日教壇に立ち、生徒を指導する「最前線部隊」としての「教員」が この問題の責任者だ。「教職は一般企業の仕事とは違う気がするんですよね」というセリフもあったが。
仮に、「日教組を ぶっ壊す」が「教育新生」への最速手段だとすれば それは一大国民運動となりえる。





修学旅行中の生徒同士の暴力沙汰。
「教育新生」どうこうより、大人のための組織論を学べる舞台だ。

転任教師と教頭の「嫌み」と「嫌み」合戦は、まるで朝日新聞社説のような「頭の良さ」だった。古城氏には脚本構築力がある。もっとも、「築」は鉄筋コンクリート製のガチガチな建造物を指す。


タイトル『毒舌と正義』のうち、「毒舌」といえば故 立川談志だろうか。彼は こう述べている。
「アタシは絶対的に正しい人間だと思ってる。なぜなら“おれは間違ってるんじゃないか”と常々思ってますからね」

対極は役人連中である。

役所は未就学児にも解読できるだろうな「絶対的に正しい」スローガンを公共施設に貼っている。言語を「取り繕う」ことが この国では「公の証明」だ。

「みんな」とか、「地域」とか、「元気」とか、「明るい」とか。こうした文章は「ひらがな官僚作文」と呼ぶ。「ゆるキャラ」も ある種、作文がキャラクター化したプロパガンダだ。

議員への政策案に「等」を散乱させることで「裁量権」を得ようとする役人連中は「私」のコンピュータ付き野生動物だろう。官僚作文は 典型例である。また、関係ないが、外務省は日米首脳共同声明の文章に「軍事コミットメント」を高頻度に載せるなど、英単語を 過剰輸入する傾向がある。




しかし、立川談志からすれば 「公」(絶対的な正しさ)を ひらがな や難解な漢文調で証明(定理化)しようとする役人連中は まさしく「愚の骨頂」なのである。



追記あり

素人

素人

劇団天然ポリエステル

タイニイアリス(東京都)

2014/06/12 (木) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

すべての劇団員、必見
架空の劇団を軸に「演劇愛」を訴えるシリーズは定番化している。
必ずしも小演劇界の実情ではないが、やや誇大広告的に「こんな話がきた」「任せてくれと頼まれた」ーその展開は まるで「ジャパニーズ・ドリーム」である。


『劇団天然ポリエステル』「劇団寂し部」第二弾。で、なぜ「すべての劇団員、必見」か。それは、女を捨てたわけでもないのに「演劇と結婚」したことにされたアラサー主宰(=小島 菜奈子)の生き様にある。

「卵子減らして、それで、それで、いい作品つくってんだよ!」


この台詞は女優の視点とは違う。もし、お化粧し、ドレスに身をつつむ役が放ったら露骨すぎる。「裏方」の代表にしか その資格がなかった。
この作品、劇団ではなく、(世間が烙印する)「負け犬」の応援団だ。


さらに 「○○と結婚」を夢想すると、「お笑い」が検索ランキング一位である。女性お笑いコンビ「オアシス」大久保氏は本気で「男なら誰でもいい」を結婚条件にしている。
また、お笑いの世界も大変厳しいために「辞める」女性が ほとんだ。

「昨年、芸人を辞めちゃいまして…。今は普通に事務系の仕事やってますね」

昨年4月の段階で都内オーディションに出場していた女性コンビの一人。たしかツッコミ担当だった。

「○○と結婚」するのも「茨の道」に変わりないようだ。



(ある女子大学生は「結婚は女の逃げ込み場」と表現している)

ネタバレBOX

プロデューサー・柳(=やんえみ)のハスキー・ボイスが、劇団の逼迫したリアリティを不意に提供している。
王子(=泊太 貴)も、一般男性とMr.アンパンマンを華麗に両立させた演技をしていた。「二次元しか愛せない」を告白するシーンは「アキバ感」が乏しかったが。
【不帰の初恋、海老名SA】【カラシニコフ不倫海峡】

【不帰の初恋、海老名SA】【カラシニコフ不倫海峡】

MAパブリッシング

草月ホール(東京都)

2014/06/03 (火) ~ 2014/06/05 (木)公演終了

「文口体」にみる表現活用法と「敗者の宿罪」


『カラシニコフ』(高橋一生・酒井若菜)

民族紛争が勃発する国際情勢は、地雷の除去を「職業」とするNPO・ボランティア・スタッフを海外へ派遣した。

「バズン」

少年兵の撃ったライフル銃が命中。
「女性死亡」ニュースが流れ一年が経つ。意気消沈するボランティア・スタッフの旦那。「雑誌記者」を自称し、何の前触れもなく「事件」について迷惑メールとともに送信してきた女。

ここから「恋」が始まる とは…。


坂元の根底には、「国際平和とかアピールしてるけどさ、エネルギッシュの真裏に湧く男女の欲望は隠蔽できないわけよ」という斜めの視点がある。

酒井は『カラシニコフ』に宿罪する「敗者」にも それを導き出し、エロティックに朗読していた。


彼女には知られざるエピソードがある。


「マイク、でかい」

大作ホラー映画の舞台挨拶。進行を止めた張本人が酒井だった。

映画用の宣伝物がマイク周囲に付けられおり、巨大な故、「壺にはまった」(水川あさみ)らしく、大爆笑してしまう。10分間の笑い声。


それは独自の「感受性」だった。

ネタバレBOX


/『カラシニコフ』の朗読劇はPCメールである。文語体、口語体、時に画像、という名のコミュニケーション・ツールが登場する。
「国際紛争」のシリアスな話題ものぼるが、マイナー・ネタで終始和む。「東急ストア」に「村上龍」…坂元はテクニシャンである。



/ラストにかけ背景の整合性が欠落していた。「タクシー代がない」から小竹向原から渋谷・宇田川町まで走る男が、コンビニで「烏龍茶」を購入するのは どうか。気が動転しているわけでもなさそうだ。
また、あの緊迫した状況下、女がホテル室内にて「長文メール」を打てるとは考えにくい。
演じらる「使命」を汲む朗読劇『カラシニコフ』だ。サスペンスに演技メソッドを感じつつ、結局のところ「出来過ぎた」の一言である。
ひまわりの見た夢

ひまわりの見た夢

雀組ホエールズ

OFF OFFシアター(東京都)

2014/06/10 (火) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

我々は、キテレツな「愛」を持っているのかもしれない

日本の刑事司法の「盲点」をつつく舞台だ。

加藤明日香〈絵川杏奈〉は「お兄ちゃん」にある日、殺された。当然、「遺された家族」をメインに、その苦悩、葛藤をシリアスに組み立てる作品を期待していた。

ところが、「センチメンタリズム」目的で劇場空間へ集結した人々を『雀組ホエールズ』は自ら裏切ってしまった。

なぜか。
「死亡」した(メディアが報道合戦した客観的な事実である)明日香が邸宅のリビングに呪縛霊かのごとく「いる」からである。幽霊・明日香とでも呼ぼうか。
これは奇妙な現象だ。

映画『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)が全米公開された際、観客はポップ・コーンを片手にモヤモヤしていた。「幽霊役の俳優が同じ映像に収まってるのは誠にクレイジーだぜ」
彼らがジャンボ機に乗って下北沢にやってきたらどうなるか。
きっと、舞台『ひまわりの見た夢』を観劇した米国人は 〈?〉のガスが大量充満。3.4分もすれば暴発してしまったことだろう。


幽霊・明日香は家族のシャツの襟を掴んだりもする。それは「心の叫び」であって、「遺された家族」の身体は動じない。「心」が昇天することのない「ファンタジア」だからこそ、次の単語を演劇辞書に掲載したのであった。

「死後和解」である。

ネタバレBOX

坂本浩之は『週間ポスト』記者を有意義に演じていたように思う。
「第四権力」たる報道機関ではなく、むしろ「愛した人」だからこその直球。周囲が恥ずかしくなる台詞の放ち方である。絶妙な空気。


テーブルを強打しながら連呼する、絵川。「なんでたよ!なんでだよ!なんでだよ!なんでだよ!」が響く。「会話劇の妨害」だったことは確実である。しかし、この「奪われた未来」一点だけでも、彼女を主演にしなければならない説得力だ。


大和田悠太は『劇団ヨロタミ』の常連である。病が進行する青年の「光と影」をハートフルに好演したのが2013年9月本公演『兄弟ノート』であった。
彼は優等生的笑顔を得意とする。その彼が頬を赤らめ、身体エネルギーを開放していくシーンは、観客からすれば「なぜ、君が…」である。
『ひまわりの見た夢』の脚本とマッチングした俳優だ。




12年前から あの日に向かい針が回る。12年後からは 明日へ向かい針が回る。
「遺された家族」は時計盤がストップしたまま。「ひまわり」のように満開の花びらを咲かせる日は遠く来ない。


チャイム音らしき音響は「過去と現在の往来」を困難にした。前半においても、「あれ、これ12年前?12年後の?」を混同させるべきだったのである。

勉が受験を語るシーンは 「真の更生とは何なのか」を問題提起している。


日本の刑事司法下、加害者が家族とふたたび暮らす状況は夢想に過ぎない。まず ありえない。「死後和解」も そうだ。リアルな話ではない。

「吉田調書」にも通じる 真実は何だろう。やはり「ニュース番組のテロップより、半径50メートルの生活」である。これが『ひまわりの見た夢』を流れる「時計の針」だ。
骨相学特別篇   Kaleido Fluid

骨相学特別篇 Kaleido Fluid

劇団メリケンギョウル

荻窪小劇場(東京都)

2014/06/06 (金) ~ 2014/06/08 (日)公演終了

短編を書いてみたくなる!

「えぇー、7名のお客様のために出すね、我々6人、全力でやらせて いただきますので、どうぞ よろしくお願いします」




『劇団メリケンギョウル』の坂根 迅。
関西圏出身を感じる話し方で、公演の集客数を自虐した。


「ラスト・サンデー」の18時以降。日本国民は ある習慣を持っている。

「デデンデデデン、デデンデデデン、デデンデデデン♪」


魚科の苗字と名。独特な編み方のヘアー・スタイル。

液晶パネルに ひょっこり顔をだす女性こそ、東京世田谷の桜新町在住といわれる著名な主婦・河豚田サザエである。

PM6時30分、茶の間のテレビ前に家族全員が集合しなければならない。日本国民は そう信じて疑わなかった。いつしか、子供から高齢者まで、「サザエさん症候群」を罹っていた。


夜7時開演の『劇団メリケンギョウル』が戦う相手。それは雨天でもなく、交通アクセスでもなく、河豚田サザエその人だった。



・「夢」。
四条半人前が最近、観た それは衝撃だった。

「商店街を全裸で走るんです。洋服屋に用があって、“じゃあ、今 身に付けてるもの、要らない”という意識」


もしこれがリアルだとすれば八百屋は 白菜を無償提供しただろう。






第一章 ホラー編


『恐怖!ゾンビ女』は落語怪談噺をモチーフとする短編らしい。
脚本を書いた当人は兼子佳那子であるのに、劇団員・坂根 迅が「ネタがないんですわ」という作家設定である。
あのタモリが全米ネットワーク・テレビ映画の形式を輸入した「ストーリー・テラー」。
「かわいい」これが黒メガネをかけない、痩せたストーリー・テラーの第一印象だった。




追記あり

ネタバレBOX


第二章『世界滅亡八時間前』。
「悪夢」に関する四条半人前らとのトーク・セッションの最後、「地球滅亡」という単語が響く。それが、この短編を生むシナリオであった。つまり、脚本と「アドリブ」の混合体に等しい。

情けなさい男。女性との肉体関係を要求しながら、一方で「お母さん」を神妙に連呼する その姿は、とうとう「好感触の域」に達していた。坂根の「人の良さ」が演技を真実化するのだ。
救いを求める女たち

救いを求める女たち

劇団新和座

要町アトリエ第七秘密基地(東京都)

2014/06/06 (金) ~ 2014/06/08 (日)公演終了

彼らの演技は総体のスピリチュアリズムである









古代エジプト神の子孫が、ギリシャ領主に庇護を求める話。

9名に及ぶ女性キャスト。まるで合唱するかのごとく、御祈りをしたり、同時にセリフを発する。


前回、「キーとなる配役を考慮すべき」とアドバイスしたが、『劇団新和座』は さらなる平等主義を貫いた、といえる。「女」を記号化したような無機質さであった。

しかし、どうにも「厳格な古典調子」だ。感情に基づかない表層的演技、技量不足を痛感しつつ、「古典作品」を数年にわたり打ってきた この歴史は認めざるをえない。
「多神教スピリチュアリズム」。
霊的な「女」の総体を、9名の女性キャストが役割分担し、時に合唱しながら演じた舞台だった、と思う。


女性キャストがダオタス(古川 康史)、ペラズコス( 上村 聡)といった「男」を、すがりつくように「ボディ・タッチ」するシーンが あった。紀元前・神々の子孫が住まう古代ギリシャだ。
異性の肌に何の抵抗もなく触れる中央広場は ありえたか。身体観に欠けた演技だった。


ただし、『劇団新和座』を複数回、観劇し、辿り着いたエッセンスもある。それは「眼力」だ。
驚くべきことに、彼ら彼女らは一度も瞬きをせず、ちょうど照明・音響の舞台装置室へ視線を1分間ほど定置する。
古代ギリシャ演劇に その答えを解く。


石器の野外劇場。客席は楕円形。「神官の椅子」は真ん中にある。どの観客も その席に座ることが許されない、ということはつまり、「神」に捧げる演技だったのである。
『劇団新和座』の「眼力」は2600年の伝統を継承した宗教性なのかもしれない。





ろだん

ろだん

643ノゲッツー

OFF OFFシアター(東京都)

2014/03/13 (木) ~ 2014/03/18 (火)公演終了

核心をつかぬ あやふや感…



【団地の集会室を、「非日常」の視点からアクチェアリーに、また、住民の錯綜とした不安を 楽しむかのような作品であった】



【◯、◯の小学校教員は 国家試験をパスした小役人であった。「ろだん」という「非日常」から自己保身する演技である】



【「30代」という鍵。団地住民は かつて日活の製作陣がフィルムに収めた「架空の人妻」と同年代である。小学校教師も同じく この年代だ。
「夫が浮気したか否か」で論争する「団地の人妻」、自己保身する「小学校教師」、彼らは紋切り型の「腹黒さ」であり、こうした“茶の湯の茶殻”を局所にテーゼしていたように思う】



【「ろだん からの品物」。これを団地住民が一時的にせよ保管することに合意したシーンは 優しさだ。彼らは なぜ、そこまで「日本人」でなければならない?団地の その集団コミュニティ機能に『ろだん』のシチュエーションを正当化する意図があったか】










6週間のダンスレッスン≪プレビュー≫

6週間のダンスレッスン≪プレビュー≫

シーエイティプロデュース

博品館劇場(東京都)

2014/05/30 (金) ~ 2014/06/05 (木)公演終了

「傘寿」を迎えても美男子がお相手したい 草笛光子





81歳を迎えた日本ミュージカル界の金字塔・草笛光子。
読売演劇大賞優秀女優賞を受賞した『6週間のダンスレッスン』が帰ってきた。
草笛による初演2006年当時、主人公にしてヒロインのリリー・ハリソンは72歳だった。同年代の女性を演じれば よかったわけだ。ところが、あれから8年の年月が経ち、ついに「傘寿」という人生の大台を越えた草笛。役とは10歳のギャップがある。
「実に若々しいプロポーション。人生の終期を自覚した未亡人のアグレッシブさ と、“神父の妻”という半世紀に及ぶ自尊心を両面で演じている」
「DVDチャプターでしか“タンゴの情熱”を拝見できす落胆した。彼女の体力が心配である。そして、同時に映写した80年代、90年代のフロリダ州観光写真は どうにも前時代だった」


ダンス・インストラクター・マイケル・ミネッティ役(Wキャスト)・斎藤直樹にも言及しておく。


「彼はゲイである 性的マイノリティ、境遇、社会観を その登場シーンから“コメディ・ショー”のように、やや本来の男性的な自分を殺すかのごとく、“発散”した演技をしていた。
彼は大御所女優である草笛との“年齢差”(祖母と孫ほどの)を感じさせるには十分な役者だった。しかし、実際の彼は1968年生まれだから、「母親と息子」である。ここにフラットな人物描写を観察する。

つまり、男女間の恋愛ではなく、特殊な、“ゲイと未亡人”の友情サクセス・ストーリーへと、『6週間のダンスレッスン』を新調したのである」


プレビュー・公演でありながらもウィットに富んだ会話は フロリダ州滞在する旅行者を笑わせるに等しい的中率だった。草笛の年齢とハリソン、客層が一致した、同性、同年代の「綾小路きみまろ夫人」である。


「このくらいの男(72歳前後)は結婚してるか、死んでるわよ」









こんにちわハワイ

こんにちわハワイ

かのうとおっさん

小劇場 楽園(東京都)

2014/05/28 (水) ~ 2014/05/31 (土)公演終了

この二人、中々やないかい

女子高校生のレビュー・トークを掲載しておく。



【女子高校生A「ちょーウケたんだど。ヤバくない?『魔界』とかマジで」

女子高校生B「え〜。ウチは 『セクシー先生』ハンパなかったと思う。中学生のころ、保健室に好きな男の子との恋愛相談的な?なんか、つーか、人生経験マジ盛ってますよ的な?センコーいたら、絶対 常連になってたし」


女子高校生A「なにそれ、喫茶じゃん(笑)」


女子高校生B「あたしのパパとか〜仕事帰りに毎日足しげく通うから。かのう さんの京都弁 聴きにね〜。だって あれ神でしょ?」


女子高校生A「マジ、エロだわエロだわ。ねえ、京都弁の“どすぇー”とか耳元で囁かれたら彼氏の祐介くん どうなっちゃうんだろ?」


女子高校生B「『祇園パワー』(笑)」


女子高校生A「ハハハハハ(笑)そしたら〜今度、修学旅行で『祇園パワー』身につける(笑)」】




『かのうと おっさん』。このユニット名称は丸みを帯びたエナジーであった。『おっさん』(有北 雅彦)の方は蔑称、しかも年長者なのに後列とは。高度経済成長期以降の世相を象徴するようだ。


・前説は10分間。有北が「一週間前の東京滞在中にあった本厚木胃腸科クリニック」の爆笑エピソードを披露した。要するに胃痛ゆえの受診である。相方の不幸を軽く受け流す嘉納に対し、有北は「他人事ですね…」とコメント。すると嘉納「まあ、他人ですからね」。
東京の劇団で、前説10分間「はい、すべらない話をどうぞ」(テンション任せではなく)を注文されたとする。まず「すべる」だろう。関西の劇団の安定性、技量、サービス精神を痛感せざるをえなかった。

ネタバレBOX


・稽古不足が響いた。関西組5名+東京組4名の合同稽古が本番1週間前らしい。役者もセリフを間違え、その後、笑ってしまい、危うく中断しかけたシーンも あった。
もちろん、それは「コントが救った」



・嘉納は 空気を張る美声の持ち主だ。青年を演じた姿は、凛々しく、愛らしく、雄々しい。



・着飾らない演技、直球かつ明朗に区分けしたコントが、膨大なセリフ量のもと進む。「世の中の女全員が俺に気があると思って、耐えてきた」
有北は天才高校生を演じても、没落中学生を演じても、やはり親近感がわくソフト・クリームである。



・東京の劇団だと「パンチラ」はタブーだ。関西の劇団は、エロシチズムではなく、現実との乖離を越えた「青少年の生態」を見事に描いている。



・イントネーションの 面白さを再発見。



四角い箱

四角い箱

劇団ステア

中野スタジオあくとれ(東京都)

2014/05/30 (金) ~ 2014/06/01 (日)公演終了

雑貨屋的アイデアのセール…

「ひきこもり」をバッシングする世論。

日本では 報じられない。現在、海外のトレンドは「若者のフーリガン化」である。5月の欧州議会選挙は欧州人民党(EPP)と欧州議会社会民主グループ(S&D)が過半数ラインを確保したものの、フランス右派・「国民戦線」に代表される「EU懐疑派」も全体の3割弱の議席を得るまでに大躍進した。


欧州の失業率は10%超である。そして、彼らの多くが、「外国人労働者排斥」を街頭で直接アピールしている。


私は 必ずしも その存在にYESを言わないが、日本の「ひきこもり」は、英国保守党本部に乗り込んだイギリスの若者のように、台湾・立法府議会を占領した「ヒマワリ運動」のように、「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に公園でテント生活を続けたアメリカの若者のように、果たして行動を示しただろうか。

社会秩序の観点からいえば、日本の「ひきこもり」は支配層の評価対象である。なぜなら他人へ迷惑をかけることをしない。この「ひきこもり」をバッシングする風潮は集団主義であろう。
個人に焦点を当てると、商店街のウインドウを破るのではなく、部屋で ずうっと液晶画面を操作する若者の方が よほど健全ではないか。


さて、本題の劇団ステア『四角い箱』。タイチ(市川 敬太)という名の「ひきこもり青年」の物語である。

ドラえもん 秘密道具『人生やり直し機』は、意識のみが過去の自身に遡り、過ちを克服できるマシーンだそう。これは「のび太くん 、君が努力しなければ結局、同じだよ」の教訓である。

ネタバレBOX

「モテる」「スポーツ万能」「頭がよい」等のNo.1を獲得するのにもかかわらず、すぐさま堕落し、「同じ」の二の舞いとなるタイチは、『ドラえもん』の世界観だった。
『四角い箱』は四次元ポケット。「大人のび太くん」は冒頭の「ひきこもり」に通じる哲学を やや内包していた。




1 劇団員同士がディスカッションを重ねたらしい。エネルギーは充満していたが、私には自己満足に感じるバイタリティだった。


2 回想シーンを「パッ」という大声により転換する。これは素朴なナチュラリズムだ。音響に頼るよりも効果的な選択だろう。


3 中学生の男女4人が「ダルマさんごっこ」をする姿は幼稚だ。
七人みさき

七人みさき

シアターキューブリック

あうるすぽっと(東京都)

2014/05/21 (水) ~ 2014/05/25 (日)公演終了

土佐ブランドに固執するな
坂本龍馬は「日本人が尊敬する偉人ベスト一位」を争う候補者だ。
プロレスの赤コーナーが彼だとすれば、青コーナーは織田信長である。

両者に共通する「志」は自由経済。


龍馬は1865年に薩摩藩のバックアップを受け日本初の株式会社となる亀山社中を結成した。一方の織田信長も、その領内に「楽市楽座令」を発動し、商人を優遇する経済システムを構築した。租税、支配層たる「座」の専売権を排除する、まさしく経済解放区である。



我が国では「消費税価格転嫁等対策法」が成立してしまったが、スーパーマーケットが「消費税 3% 還元セール」を表示する ことすら、処罰の対象らしい。この「統制経済」は経済活動の自由、表現の自由、消費者益を無視した政策である。

「中小企業の社長を守る!」へ霞ヶ関官僚が一丸となるのはよい。その組織的問題は 経済産業省外局の中小企業庁がリーダー・ジップを発揮しない点だろう。
消費者庁が増税時の価格転嫁対策をめぐり、大阪府内の中小企業相談窓口を臨時に設置したことが広報されていた。(他の地域もに違いない)
二つの疑問がある。
なぜ中小企業庁が一括対応しないのか。そもそも、中小企業も「消費者」に分類することが可能なのか。
この国の「縦割り行政」を浮き彫りにした消費税価格転嫁等対策法である。


現行の経済政策は「統制経済」であって、「自由経済」ではない。やっと「解雇ルールの緩和」が進展するのかと思えば、労組・厚労省の既得権スクラムに敗北し、「骨抜き」になった。



今の日本は それこそ歴史上の「自由経済派」からすると「反乱」を起こすに相当する世であろう。坂本龍馬や織田信長が ここ数年、ヒューチャーされる所以だ。


「シアターキューブリック」は高知県観光団体との協力により劇場ロビーに高知物産展を併設。『龍馬の休日』なる幟が数十箇所に立ち、同県の観光をアピールしていた。
しかし、本作『七人みさき』は坂本龍馬ではなく、「本能寺の変」織田信長死後の安土桃山時代、ほぼ四国地方統一を果たした長宗我部 藩主 元親を史実、脚色両面から描いた歴史ファンタジーである。


20代女性客の感想を紹介しよう。


女性A「理解できなかった」

女性B「前半の“九州征伐”(1586年)は史実として知っていたから何となく付いていけたけど。後半は さっぱり解らなかった」

女性B「そうだね」



これが 的を得た感想である。

ネタバレBOX

豊臣秀吉・大君に騙された 元親が、「九州征伐」の戦にて戦力を壊滅させられ、精神に傷を負ったことは全体図において示す。

しかしながら、戦国時代劇まで
「幻」に覆われ、その幻影は「ファンタジー」か「元親の狂気」か混濁であったのだ。


城下藩民の役者はナチュラル。コミカルに悪人化した豊臣秀吉より、遥かに共鳴できる演技だ。
鬼泪-キルイ-

鬼泪-キルイ-

ELEGY KING STORE

TACCS1179(東京都)

2014/05/21 (水) ~ 2014/05/25 (日)公演終了

ビースト・スピリットが衝突する殺陣裁き


「鬼は外。福は内」「鬼に金棒」「来年のことをいうと鬼が笑う」


「鬼」は広辞苑のページ数を ひたすら増やしてきた。


空想上の未確認生物に「河童」も忘れてはならない。キュウリを巻いた「河童巻き」の由来であり、大手回転寿司チェーンの看板にもなった水陸両用の種族だ。


「鬼」や「河童」のごとく真っ赤な人間や緑色の人間が目撃され、それが「風俗化」した という説も成立する。ただ、いずれも、特に「鬼」に関しては、「鬼畜英米」のように特定の集団を畏怖し侵略する、戦意高揚としてのスローガン性も あった。


中世ヨーロッパ社会に目を向けよう。


市民、教会による「魔女狩り裁判」が横行したが、ターゲットは「鼻の高い未婚女性」である。こちらも「鬼」と同じくファンタジーの部類。 迫害勢力はその未知なる「ウルトラ・パワー」に立ち向かう義務感、自己陶酔に溢れていたのだろうと推察される。


舞台『鬼泪』は広辞苑によるところ「鬼の目にも泪」の略称らしい。


第一に、殺陣はビーストスピリットを対立する高速かつ、無駄のないテクニカルだった。江戸時代の殺陣だと「しきたり」を維持しなければならない。
その点、『鬼泪』は「大和朝廷」と「吉備国」の総力戦といった模様。近代兵器なき近代戦争であった。



※ネタバレ追記あり

ネタバレBOX


◯を演じた◯が、女性であるにもかかわらず、威圧、権威、実力を発揮した殺陣を繰り広げるため、アン・セクシャルな様式を感じつつ観劇した方もいるはず。

なぜなら、「アタシは」という「男言葉」も台詞に散見するからである。つまり、女性キャストが侍を演じるのではなく、元々が女侍であった 解釈も 可能なのだ。

これは「自由」だ。

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