monzansiの観てきた!クチコミ一覧

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火消哀歌~冬空の木遣り唄~

火消哀歌~冬空の木遣り唄~

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2014/01/04 (土) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

「平成時代劇」を語るにふさわしい見せ場だ
江戸の街は、「吉原」という一大遊廓テーマパークで賑わっていた。
私が観劇した劇場は『BIG TREE THEATER』だから、今のところ、遊廓の中の物語を知らない。なぜかというと、新春本公演は『シアターグリーン』大中小劇場を利用した初の同時上演の試みであり、「吉原」は主に中劇場に相当する『BOX inBOX THEATER』で語り紡ぐ役割だった為だ。それにもかかわらず、私は「花魁の世界を楽しめました」と宣言できるのは一体、なぜだろう?



「たった3分間の 踊り」が その答えである。七人の遊女は いわば、ミュージカル劇におけるアンサンブルだった。黒澤明『座頭市』がタップダンスに求めたのが「男の江戸」だったとしたら、本作は間違いなく、「女の江戸」だろう。
色気が漂うわけではない。官能的なダンスでもない。しかし、一人ひとりの顔は“演劇的に「吉原」を示す”表情だ。このエッセンスは、踊りのテクニックよりも大切かもしれない、と切に感じた。




同時上演の弊害をあげれば、「軸となる役が みえなかった」設計だろう。
もちろん、本来は助六(=木村 延生)が主役であることは言うまでもない。幼き頃、「吉原」へ身売りされた おそめ(=戸島 花)との淡く切ない恋物語…。
ただ、場面数からいうと、最も占めたのは、火消しの安助(=斉藤コータ)本助(=なる)舟助(=荒澤 守)だった。
「三劇場の公演を全て観て下さい!そうすれば分かります!」という誘い水かもしれないが、だとしたら『BIG TREE THEATER』登場回数トップの、彼ら三人組のストーリーを、終盤にかけ じっくり描く選択も あった。花魁を指す。

ネタバレBOX

重い新春を感じた場面が、火事場の「吉原」である。必死に火の粉を振り払う遊女のなか、まるで時が止まったかのように、二人(助六と おそめ)は再会する。その台詞というよりは、2時間かけ造り上げた「境遇の違い」を みせつけられたようで、これが涙を呼ぶ悲劇性だった。
大川の大忘年会2013

大川の大忘年会2013

大川興業

ザ・スズナリ(東京都)

2013/12/30 (月) ~ 2013/12/31 (火)公演終了

世界一マニアックな新年の迎え方



3時間40分の年越し観劇…。(休憩なし)


この「大忘年会」は、カウントダウンまでの3時間がお笑いライブ&トーク、年明け後は大川興業芸人によるパフォーマンスの構成だ。記すのは、2014年一発目だった後者である。


ある痩せ型芸人(50センチの首輪を腹に巻いたまま!)が、ライターの火を付けた煙草を指に…。当然、「あちちっ」なのは言うまでもないが、その指圧を加え続け、なんと鎮火してしまった。

ダチョウ倶楽部は、 熱湯に入れたおでんを「あちちっ」と毎度、オーバー•リアクションする、ゆで卵を飛ばす芸でお馴染み。しかし、大川興業芸人の「あちちっ」は、お笑いではなく、アクロバットショー並の舞台だからこそ漏れる「マジ」だ。


この「厄払い」と称したショーは、「己の身体を顧みない人達の暴走」だと思う。つまり、それは、イリュージョンや少林寺拳法のいう「技法」ではない。凡人が危なかっしいことを、年明けのテンションで やってしまう、「現実」=「マジ」なのだ。
















アタシのアンテナ終末論

アタシのアンテナ終末論

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新宿シアター・ミラクル(東京都)

2012/12/21 (金) ~ 2012/12/24 (月)公演終了

〈自滅する帝国〉をアングラ感たっぷりに描く


明治の浅草周辺を訪れると、こんな無秩序な世界が拡がっていたのだろう。

白化粧を塗りたくった人々が、「バーチャルアイドルという群像」に惑わされ、追いかける物語である。死生観といい、極めて日本的ながら、〈奇抜〉を貫く。むしろ、そうした目を覆い隠す作品であることに誇りを持っているようにも感じる。
大音量のスピーカーを使い、音楽フェス会場のごとく観客の耳を痛めつける。マイクを握った“兄”は、「しらざあ、いって、きかせやしょう」を連呼するが、その台詞も日本なのだ。

そういえば、〈奇抜〉を主張すればするほど、エロチシズムとは無関係だから、若さを醸す。〈帝国〉の偶像性とバーチャルアイドルの偶像性をリンクさせたのは新しい。

この劇団、サークル色を脱し、より〈奇抜〉を強化すれば、観たい!観客は増えるのではないか。そこで大切なことは、もっと巧みかつ壮大でいて、共鳴できるストーリーだ。
この、「共鳴できた方がよい」とは 何のことを指すのかというと、近未来設定にリアリズムが足りなかった序盤である。将軍らしき人物が高らかな演説をするが、〈帝国〉の権威のみに基づき近未来を語るのも限界だろう。設定から観客を引き寄せれば、もっと終末論に集中できたはず。









人狼 ザ・ライブプレイングシアター #08:MISSION The Castle Job

人狼 ザ・ライブプレイングシアター #08:MISSION The Castle Job

セブンスキャッスル

上野ストアハウス(東京都)

2013/12/25 (水) ~ 2013/12/31 (火)公演終了

「多数決の空気を占有する力」がモノをいう




2013年最後の観劇…(13時〜回)


「人狼ゲーム中毒者」、日本を覆う。
この戦いは、単純化すれば、「人間チーム」対「狂人+人狼チーム」の争いである。しかし、どちらが「○○チームの者です」とは証明できないところが、紅白歌合戦に真似できない特徴だ。「多数決の論理」に全てを委ねるルールは、世論調査のような「空気」を形成する。その煙を吸った人間が「人狼ゲーム中毒者」となる。


今回の結末も先に明らかにしてしまおう。何と、「狂人+人狼チーム」の完全勝利であった。つまり、狂人1人と、元々いた人狼3匹が1名も処刑されることなく、無傷のまま賞金500億ドルを独占した。プレイ時間からいえば1時間40分なので、まあ平均より短いくらいであるが、毎回参加してるオーディエンスからすれば「秒速」の感だろう。


私は、人狼3匹を的中している。No.5 レクターとNo.6スタンリーとNo.9 クリスが その3匹だ。
オーディエンスは3日目夜の投票回収時、すなわち2日目の夜までの処刑者、または犠牲者の「正体」を把握する。驚いたのは、3日目昼、人狼スタンリーが霊媒師を名乗り、No.7 ガルシアは「人狼でした!」と誤った「正体」を告げてしまった展開だ。このガルシアは2日夜、オーディエンスにのみ、「人間」であったことが公表されている。そして、既に「私が予言者です」を公言していた人狼ノエルの側につく動きをみれば、2人は組んでいる可能性が極めて高い。必死に、2人の「予言者•霊媒師」(人狼)と2人の「予言者•霊媒師」(本物/No.3 ジャクソン、No.10 バード)を、「じゃあ、AチームとBチームに分けよう」と攻勢をかけたようにみえるクリスも、私は「人狼判定」をした。
狂人であるNo.1 レクターが早い段階に「予言者だ」を名乗ったが、彼は狂人だから、早いうちに仕掛けたい意思が働いた結果だと思った。
こうして、「狂人1人」「人狼3匹」は的中することができた。ただし、ガルシアが人間である「正体」を知らなかった場合、その的中はどうだったか。


「人狼チーム」の勝利は、「多数決の空気を占有」しなければ得ることは できない。今回、といっても いつもであるが、「ジャガイモ根っこ論」を振りかざしたクリスがキーマンだ。「Aチーム」と「Bチーム」を分けるよう必死だったのは彼である。
今回、「人間チーム」を含めた多数決で「予言者を名乗るジャクソン」(本物)を処刑してしまったため、あとは一蓮托生の「霊媒師を名乗るバード」を処刑する他なかった。「4対3」のパワーゲームだと、狂人1人+人狼3匹の勝ちは決定的だ。なお、人狼クリスが霊媒師ゲートに向かい、いきなり「君は 美味しそうだ…」などと化けの皮を剥がすまで、「人間チーム」は彼(ゲート)を処刑する考え が固まっていた。

ここで、もし、人間が「俺は人狼だったんだぜ?」を強調したら、狂人を混乱させる展開もあったかもしれない。それを封じたのは、やはり「多数決の空気を占有する力」だ。


次は、中身に目を向けよう。少し“グタグタ”だったのではないか。
緊張感が生じ、初めて盛り上がるのが人狼ゲームだろう。あの、鋭いノエル=永石 匠(美声)とクリス=林 修司がタッグを組めば、簡単に「人間チーム」を壊滅させる理由も分かる。
























第1回 A-1 グランプリ!!

第1回 A-1 グランプリ!!

プリズム・ミュージック

ブディストホール(東京都)

2013/12/29 (日) ~ 2013/12/29 (日)公演終了

白熱した闘いをすべきなのに、できないところが演劇の良さだ




役者(アクター)のNo.1を決める戦い、それが『Aー1 グランプリ』である。ひとつ判断材料に苦慮したのは、「脚本、演出の違いを、どうするか」という点だった。同じテキストなら、比較した上で、それぞれの持ち味を評価できる。ところが、一話目、二話目、三話目を観たところ、観客の反応からも三話目が“ズバ抜けて”魅力溢れるコメディだったのだ。「舞台全体の評価」と「役者個人の評価」を切り分けるのは、相当、集中して観劇しなければならない技術である。



個別の役者評価には言及しないつもりたが、私は基本的な立ち振る舞い=身体性の他、「他の役者とのセッション」を重視する立場で臨んだ。業界関係者からしたら、「キャラクター性」もマイナスポイントだったかもしれない。応用が効かないと思われる。
今回、「最も存在感の あったアキバ系オタク」がグランプリを逃したのは、業界関係者票を逃した結果だろう。ただ、私が推した木島 忠さん がグランプリを果たしたことも付け加えておく。


私は、「この世に つまらない演劇は ない!」がモットーだ。たとえば、中学生が吹くトランペットがプロ奏者の音を上回ることはない。しかし、その年代の少女が、仮に舞台で思春期の女子中学生を演じたとすれば、どんな名優さえかなわない姿が そこに、稀に ある。これこそが演劇だ。


だから、今回は本番中「仲良しクラブ」を出すなど、意識の面に疑問を抱く役者もいたが、全員“アクター”であり、より磨かれた今後を期待したいと思う。




















12月特別公演

12月特別公演

teamキーチェーン

なかのZERO(東京都)

2013/12/20 (金) ~ 2013/12/27 (金)公演終了

若い表現方法で完成された漫才コンビ


「漫才の、ツッコミとボケを、完成された形で舞台へ応用しているように感じる」

「(一部)ミュージカル形式には疑問だ。なぜなら、彼らの歌唱力は、それを耐えうる基礎が存在しなかったからだ。ただし、ミュージカルを、ディフォルメする意志があったなら、全く違う印象を持ったはずである」


「若手劇団内部の潜在的な不安定さ を見事に捉えた舞台。公会堂は演劇ホールとしてはふさわしくないが、リハーサル室にシチュエーションを得た結果、これ以上ない〈空間〉だった」


「この女探偵は何者なのか?おそらく、どんなギャグ漫画を舞台化しても、この “服の上からブラジャーを着けた女性”を観ることはできないだろう」


「一度ハマった人間は抜け出せない。私も、あと少しで落ちるところだった」







人狼 ザ・ライブプレイングシアター #08:MISSION The Castle Job

人狼 ザ・ライブプレイングシアター #08:MISSION The Castle Job

セブンスキャッスル

上野ストアハウス(東京都)

2013/12/25 (水) ~ 2013/12/31 (火)公演終了

勝敗を決めたのは、狂人





「人狼ゲーム中毒者」を増殖させる、癖になる味だ。まず紹介文を 読まれることをお勧めする。


「誰が人狼か?」を考える際、重要なのは、「我こそが人狼です」と名乗る人物はいない事実である。そこで鍵になるのが、「予言者」「霊媒師」の人間だろう。
「誰が予言者ですか?もしくは霊媒師ですか?」と質問すれば、1人、2人は名乗る人物が現れる。
仮に2人だとすれば、どちらかが「狂人」「人狼」の可能性が高い。
当然、夜間に人狼のターゲットとなるリスクを避けるため、本物の「予言者」「霊媒師」が名乗らないかもしれない。


今回のゲームは、結論からいうと、3人の最終段階までステージを続け、勝ったのは「人間チーム」だった。何せ、アドリブ劇であり、毎回ストーリーも、結末も変わるから、この舞台にはネタバレという概念すらない。

人狼だったのは、レクター(伊藤 陽佑)とクリス(林 修司)とメイソン(石井 由多加)である。序盤において、メイソンとレクターの2名は処刑されている。つまり、「人間チーム」の圧倒的有利であった。このような状況ながら、2時間を超す大激戦となった理由が、クリスの「客観的な見せ方」だ。例えば、人狼だったレクターが人狼の可能性のある人物を一人挙げた時、同じ人狼なのにもかかわらず、「勘で、この人たち(予言者、霊媒師、狩人)を殺してもいいの?」などと発言し、批判している。人狼同士は互いを認識済み。
それは、采配する側面とともに、「全滅させなければ負けない」人狼の特色を活かした、焦土作戦だ。


これからも、日本中に「人狼ゲーム中毒者」は溢れかえるだろう。議論の有り様を舞台化した作品は多いが、それ自体、その時の役者の体調や空気感ですら毎回 変わってしまう「ドキドキワクワク」がある。











銀色の蛸は五番目の手で握手する

銀色の蛸は五番目の手で握手する

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターサンモール(東京都)

2013/12/27 (金) ~ 2013/12/30 (月)公演終了

青春の一コマを深く信奉しているように感じる

劇団『ポップンマッシュルームチキン野郎』は所見だが、間違いなく、これが最高傑作なのだろうと思う。逆に、「これを上回る作品があったのか?」と疑ってしまう仕上がり である。


宇宙人を登場させ、銀色に光る脚八本を左右へ揺らしながら、「学園ドラマ」「人間ドラマ」「スポ根 ドラマ」、どれを取っても、普遍性を有している。すなわち、本舞台は、主人公を宇宙人ではなく、「不思議な力を持つ少年」に置き換えたとしても、全く等しい感動を与えることができたはずだ。



※バレてないネタバレ



私は、不覚にも、泣いてしまった。裏を返せば、基本、バカバカしいコメディ舞台だけあり、「喜怒哀楽の破壊力」を発揮していた。このことは、舞台作品をジャンル別で分類する考えに異議を申し立てている。また、沖縄辺野古基地移設、オスプレイといった、政治社会問題を、下ネタを交え「笑い化」する。これも、アメリカの人気テレビ番組『サタデーナイトライブ』へ通じる手法なのではないか。必ず批判を浴びるネタ(黒人)もあった。今回は二、三個だったが、ブラック•コメディの開発発展を、今後 期待したい。




ネタバレBOX

名門サッカー•チームに加入した主人公は「勝ち組」だろう。その彼が、「優しさ」故に、枯れ果ててしまう。銀色に光る脚が何本も落ちる。「もし、あの時、あの行動をとらなければ…」という、紙一重の、スリリングな後悔を観客は抱く。それも、普遍性だ。ところが、ラストにかけ、観客は次のことを気付かされた。「彼こそが(ほんとうの) 勝ち組」だと。

※同窓生との再会を、もっと厚く描いてもよかったか

※結局、離婚したのか、していないのか?心残りである
空飛ぶ☆コメディキャラバン

空飛ぶ☆コメディキャラバン

to R mansion

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/12/25 (水) ~ 2013/12/29 (日)公演終了

「非日常」を、演劇的ストーリー性とコメディで造る


このコメディ•キャラバン公演(MIX版)は、エンターテイナー二組が、前半と後半に別れ、観客へパフォーマンスを披露するものだ。大道芸人が1時間、耐久できるはずがない。路上とは違う、演劇的ストーリー性を備えていなければ、客層(舞台通+ファミリー)からしても、「飽きる」ことは 間違いない。つまり、路上や駅前広場を占拠する多くの大道芸人とは、全く違う「素養」がなければならない。


エンターテイナーといえば、日本国内で最も著名なのが、「が〜まるちょば」だろう。その名の由来は、グルジア語の「こんにちは!」らしい。彼等が遠征公演先に選んだグルジア共和国を訪れた際、現地の子供とコミュニケーションを取れないながらも、身振り手振り …そして、「が〜まるちょば!」の一言により、真の「友人」になることができたという。この海外体験が、ユニット名を生んだ経緯だ。

2012年9月27日「が〜まるちょば」は、明治大学リバティホール(御茶ノ水)にて、公開講義を行った。タイトルは『GAMARJOBAT SILENT and TALK -が~まるちょばサイレントコミディーの世界』。二部では、明治大学文学部の中野正昭教授と、ユニットが結成されるまでの軌跡や、日本におけるサイレント•コメディ•パフォーマンスの現状を話し合った。私も拝聴している。
その会場で何度も語ったのは、(コメディ•パフォーマンスの他)「ストーリー性のある長編演劇に力を入れていく」目指すべき方向だった。例えば、彼等は『あしたのジョー』風のボクシング•ドラマを、サイレント•パフォーマンスのみで、構成する。これは、大道芸人が小刻みに技を決める「一過性の連続」とは、対極のジャンルだ。世界各国で、パフォーマーが喝采の対象となるためには、劇場空間を、1時間を耐久しえる、「演劇的ストーリー性」は絶対条件だろう。


大道芸人は日本から消滅してしまえばいい。市民生活の害である。しかし、本公演、後半出演したパフォーマンス ユニット『to R mansion』は、たった 一本の赤いゴム糸を操り、見事な、スタイリッシュ極まりない舞台をみせてくれた。感動すら覚える。コメディを忘れず、しかも、本場ロンドンをモチーフとした、「統一した世界観」を提示してくれる。たった一本の赤い糸が、固定される空間を、流動的なものとして作り替える。ヨーロッパの城が内側へ迫り来る動きだ。これは、ぜひ、一度 観なければならない光景である。その意味では、コメディ•キャラバンに出演したエンターテイナーは、私は大道芸人ではないのだろうと思う。「が〜まるちょば」に並ぶ、日本を(これから)代表するかもしれない、純正パフォーマーだ。









トリコロールバッドエンド

トリコロールバッドエンド

劇団MAHOROBA+α

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/12/04 (水) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

「怯えと忠実」を養う暗闇の力


三本の短編集…。暗闇と照明を効果的に使い、コンクリート剥き出しのギャラリーを、高級ホテルさえ対抗できない「幻想空間」に造り替えた。また、その「空間性」を主張する台詞、演出、展開だから、狙った感じが全面に(違和感とともに)出ている。つまり、残念ながら、彼らには 担うべき力量がなかった、ということである。


三話目は、1957年スプートニク2号の人口衛星発射実験で、「世界初 宇宙遊泳 犬」を果たしたライカ犬•クドリャフカの物語。「怯えと忠実」を、女の子の感性から描く。これは、クドリャフカが雌犬であることを把握した上の演出だろう。

童話アニメーションの少年少女(二話目、三話目)だ。純粋な眼差しを失っていない。このテーマと、時間や空間が途切れ途切れ繰り返されるSFが、おそらく本舞台である。
しかし、「力量不足」のため、「幻想空間」を語る資格は持っていない。関係性も一方向に留まり、短編とはいえ、暗闇の良さも映せていない。大川興業暗闇舞台『Show the Black』を観劇した観客からすれば、「サスペンスに利用しただけで、暗闇に膨らむ想像力を生かしきれてない」となる。高級ホテルのジャクジーを訪れ、幻想的ライトが照らす大人の雰囲気を楽しめても、その浴槽へ注ぐ「水」がなければ、元も子もないではないか。


カルネ・ウァレ

カルネ・ウァレ

朋澤精肉店

d-倉庫(東京都)

2013/12/19 (木) ~ 2013/12/23 (月)公演終了

壊れゆく女の園ー「共同幻想」をみよ
「祈り とは何なのか?」を、猟奇性を交え、繊細な身体観で描く。まるで、洞窟に住むコウモリが、自らの羽根を岩場にバタバタ当てる空間的狭さだった。幾度となく〈血〉を流しながら、エロチシズムともいえない、 〈強烈すぎる現実〉を提示する女性たち…。不気味さとともに。

※バレてないネタバレへ



私は、パンフレットを読まない主義だ。観劇後、詳しく挨拶文等を読むことはあっても、「これは○○の考えで書いた作品です」といった説明は本来、それぞれの観客が抱くべき権利だから、先入観は植え付けられたくないのだ。
ただ、今回はパンフレットを事前に読み、110分間 観劇している。主宰の三輪明羅氏は、「この稽古期間中、何度もお祈りをしました。良い役者が集まりますように、稽古場がちゃんと取れますように、皆が怪我をしませんように、お客さんがいっばい入りますように。物心つく前から今までの人生で、数えきれないくらいお祈りをしてきました」らしい。こうした立場を表明しておきながら、冒頭から「女性同士のキスシーン」を設けている。脱帽してしまった。

結局のところ、〈共同幻想〉で壊れゆく女性の姿を描いた作品だろう。劇団旗揚げ公演より、桜美林大学や日本大学のパフォーマンス公演に近しい印象であったが、哲学めいた台詞は確か だ。


ネタバレBOX

ある空間に暮らす若い女性達が、次々殺されていく。「共同幻想」である。たった 一人 残った女性が、孤独に陥った女性が、死神から〈女神〉の称号を受け取る。〈祈り〉の「共同幻想」に死んでいった集団が、その狂いの末、新しいシンボルを創った軌跡である。
仮名手本忠臣蔵

仮名手本忠臣蔵

遊戯空間

浅草木馬亭(東京都)

2013/12/20 (金) ~ 2013/12/21 (土)公演終了

「忠臣蔵」と「終戦のエンペラー」〜私は形式から誤った手法だと思う



「忠臣蔵」は、半沢直樹「倍返し!」へ繋がる、日本人に親しまれてきた時代劇である。終戦後、マッカーサー率いる連合国軍総司令部(GHQ)民政局が 歌舞伎演目「忠臣蔵」の上演を禁止したのも、「残兵が主君の仇討ちを図ることを阻止」するためだったらしい。
ただ、マッカーサー氏が厚木飛行基地に降り立ち、乗用車で都内へ移動中、武装解除した日本兵は背中を向け、彼(米国)に敬意を表したという。この場面、教科書を
探しても写真は掲載されていないだろうが、本年度公開のハリウッド映画『終戦のエンペラー』には、トビーリージョーンズ氏 演じるマッカーサー司令官が車内で通訳から そのことを聴き、日本人の精神性を読み解く表情を みせている。

なぜ、GHQは、日本人が「倍返し!」しえない精神性を確認しながら、「忠臣蔵」上演禁止を47年まで続けたのだろうか。禁止には、映画等の映像作品も含まれる。


実は この話は、「こども歌舞伎」で、家柄に囚われない、一般家庭出身の子供を対象とした歌舞伎プログラムを実践されているNPO法人日本伝統芸能振興会の竹芝源一専務理事に伺った史実背景だ。彼は、歌舞伎の家柄支配(松竹支配)を造ったGHQを、力強い調子で批判する。一方、GHQが日本政府に指示し、「国民栄養調査」を行い、全国民的な「タンパク質不足」を突き止めたことが、戦後の長寿社会に良い影響を与えたのは間違いない。その点は評価したい。つまり、卵や牛乳を摂取する欧米式ライフスタイルなくして、今日の逆三角形ビラミッド(人口構造)は存在しない。

「国民栄養調査(現在の国民健康・栄養調査)の始まりは戦後の貧困状態にあった昭和20(1945)年に海外からの食糧援助を受けるための基礎資料を得る目的で連合国軍司令部(GHQ)の指令に基づく調査を実施したことに端を発している。初回の調査は昭和20年12月に東京都民6,000世帯約30,000人を対象としたものであったが、翌昭和21(1946)年からは9都市、27都道府県、4鉱山・炭坑地区および1鉄道局で実施されている。昭和23(1948)年からは全国調査となり、層別無作為抽出法により調査地区が選定された」(独立行政法人 国立健康•栄養研究所「国民栄養の現状レポート 国民栄養調査とは」より引用)

しかしながら、歌舞伎等の文化政策に目を向ければ、必ずしも 良い影響を与えたとは私も思わない。


一体、「『忠臣蔵』の どこに、アメリカが隠したかった日本人のDNAが あるのか?」ーそれを知りたく、本作を観劇した。なにせ全幕だ。アメリカは、第二次世界大戦中より、「どこに日本人の DNAが あるのか?」を、研究している。当初、ターゲットにしたのは、世界文化遺産(現在)の富士山だった。


「第二次世界大戦中、米国OSS(戦略情報部)の神経戦部では、富士山を赤いペンキで染める案が検討されていた。しかし、12万トンの赤ペンキ及び総費用600億円が必要なことが判明し、その無謀性から実施断念となった」(富士山情報サイトー「フジヤマNAVI ホームページ」より抜粋)

もし、第二次世界大戦中、富士山を染める軍事行為を実施していれば、アメリカは「人類の財産」を奪った汚名を着せられたはずだ。
この例で解るのは、アメリカは、「日本人のDNA」=「精神性」を 単純化し、「どこにあるのか?」を追い求め、そして出した答えが「忠臣蔵」だった経緯である。


「歌舞伎」は大衆の手のなかに。それは、原田芳雄氏の遺作『大鹿村騒動記』(東映 2011)を鑑賞すれば、誰でも気付く。銀座•東映本社で 試写を鑑賞した私が得たのは、地域独自の「浄瑠璃 歌舞伎」の魅力である。GHQは2年間かけ、数千あった歌舞伎団体(主に地域の文化組織)を ほぼ壊滅させた。プロ野球や
大相撲が戦争終結に伴い再興したなか、歌舞伎だけは政治的に切り捨てられた。裏を返せば、歌舞伎という全国津々浦々まで拡がる「情報伝達力」のもと、「仇討ち文化の忠臣蔵」が、ある種「農民一揆」を引き起こす事態を避けたかったのかもしれない。それは まるで、富士山という、遠く離れた農民すら拝める「情報伝達力」に共通した精神文化である。

先ほど紹介した、NPO法人 日本伝統芸能振興会の竹芝源一 専務理事は、入会の挨拶文で、次のように述べておられる。


「〜歌舞伎は特定の人の所有物?
そこで我々は、もう一度歌舞伎の原点に立ち戻り、考えました。
歌舞伎は日本の財産であり、私たちの誇りであり、宝であるべきです。
特定の人の所有物ではなく、私共全ての日本人の所有物であらねばならないと、我々はこのことを正しく伝えなければなりません。
間違ったものにいつまでも目をつぶってはいけません。」



本作はリーディング公演である。
浄瑠璃は「語り」と「台詞」が構成要素だが、映像技法のアップ、ローのアングルを狙った演出のため、本作では「台詞」の役者が「語り」を交えた。これが混乱させた。
時代劇のリーディングは、少人数の方がいい。
役者は渾身である。しかし、「半分も解らない」声が続々だ。
演出の責任を感じる。






ファントム・ライセンス

ファントム・ライセンス

進戯団 夢命クラシックス

笹塚ファクトリー(東京都)

2013/12/18 (水) ~ 2013/12/22 (日)公演終了

コンセプトは「観客を楽しませる!」百家争鳴 怪盗ショー

開演が25分間遅れたっていい。機材トラブルでアフター•トーク イベントを逃した女性客がいても、「…25分も待たされちゃったよ。いきなり蛍光灯がつくしさ…」といった一言(アドリブ)が、この場しか光らないプレミア感である。


どうやら連続シリーズだ。「怪盗」14人は、キャラクター設定も華々しい。ただ、例えば「夜の0時 を迎えると記憶を失う」少年怪盗がいる。初めて観劇した者は “ちんぷんかんぷん” だろう。生写真や記念チェキを宣伝するだけあり、イケメン揃い だ。リピーター客が多いから、キャラクター設定の背景を省いたとすれば、観客へ対する配慮が足りなかったと言わざるをえない。


一方、これも指摘する必要がある。殺陣のシーンは、鮮やかで、この上なく躍動していた。ドラマ性のある音響とハーモニーを奏でたのだ。ミス(剣と剣を付き合わせる場面で、逸れてしまう)こそ 見受けられたが、殺陣を繰り広げる時間は無駄ではなく、大きな価値があった。

私が未だ疑問充満中なのは、オープニングに他ならない。なぜ、湾岸道路とか、日本の地名が登場するのに、登場人物は外国人設定なのか。そこはリアリズムでもよかったはず。その後の、島を舞台にした、お姫様を巻き込むサスペンス政治劇と比べ、作風の統一性が足りなかった。「東の国家」「西の国家」王族同士の結婚から発展する、「お宝」争奪戦…。


とはいえ、殺陣のシーンはエンタメ力であろう。漫画『ONE PIECE』をも彷彿させる、魅力的なパフォーマンスだ。








ブルーギルの計画

ブルーギルの計画

山田ジャパン

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2013/11/27 (水) ~ 2013/11/30 (土)公演終了

ドラッカーは感心しない



『山田ジャパン』は、芸人・伊藤あさこ が劇団員として所属する。ありきりたりの「山田」と、国民が酔いしれている「ジャパン」が連結した劇団名は、アメリカ合衆国なら、『スミス USA』といったところか。

浪速の新喜劇文化と、小劇場の土壌が融合し、ほどよい配分で楽しめた。伊藤あさこ が演じた女性弁護士は、ホルモンバランスの変化という彼女自身が持つ肉体的現実を、演出・山田能龍氏が拾った結果かもしれない。

回想シーンが何度も何度も登場した。むしろ、ストーリーテラーよろしく、回想シーンこそ主軸であった。

残リモノ

残リモノ

PROJECT-残-

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2013/09/14 (土) ~ 2013/09/16 (月)公演終了

セレソンのDNAは、受け継がれて行く



「東京セレソンデラックス」が解散したのは周知の通りだ。

今年の5月、劇団として消滅した。
しかし、その精神はDNAを形作り、 次世代へ継承されてゆく。

劇作家•つかこうへい氏の死後、「北区つかこうへい劇団」は消滅。そこから、「地元•北区(東京都)に密着した演劇を続けたい!」の想いの下、旧メンバーの有志により結成された「北区AKTステージ」が旗揚げするまで、長い時間はかからなかった。

今作『残りモノ』の作•演出を務めたのは、「東京セレソンデラックス」で作家見習い だったスミタナオタカ氏である。
たしかにDNAは存在した。



当日は私を含め、4名の人間が観劇した。天候の影響等もあり、ある程度、観客は少ないだろうとは考えていた。
とはいっても、4名は「マジかよ!」(開場中、主宰から漏れる)の事態だった。


本編に話を移すと、「人の入れ替わり」をストーリーの歯車として活用する姿が目立った。
それは、例えば「東京セレソンデラックス」の解散公演でいうエレベーターである。

シチュエーション設定はアパートの一間だったので、上下に動く鋼鉄の箱は今回、玄関へ変わった。

親方が主人公(若者)の部屋を出たら、「立ち替わり」に友人2人が部屋を訪ねる。
これは不思議な現象ではないか。
逆の言い方をすれば、リアリズムから大きく離れている。それがセレソン流のコメディなら問題ないが、どうも『残りモノ』は違うらしく、出来すぎた話の展開だった。


一人暮らしの青年が住む社宅は、漫画雑誌やペットボトル、わずかの小物で再現しえるのがいい。「儚さ」みたいなものを演出する最終兵器だ。

















Kの昇天~或はKの溺死~

Kの昇天~或はKの溺死~

MAG.net

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2013/11/27 (水) ~ 2013/12/03 (火)公演終了

その美姿に見惚れるも、読み手を混同してしまう


「極上文学」には、誇り高い自負心がある。『極上』を明鏡国語辞典で調べると、「きわめて上等なこと。また、そのもの。」らしい。世の中の広告市場に溢れた「天然素材」「無添加」「無農薬」等々の宣伝文句を捉えれば、何か足すのではなく、余計なものを加えない品質こそ「きわめて上等なこと。また、そのもの。」だろう。すなわち、「極上文学」を標榜した時点で、何かを削ぎ落とすコンセプトを発生させる。


砂浜に見立てた正方形のセットは幻想的。360度の規則を活かした幾何学間の舞踏も…。全員が男性にもかかわらず、しなやかであり、エロティックである。

リーディング・フェスタ2013 戯曲に乾杯!

リーディング・フェスタ2013 戯曲に乾杯!

日本劇作家協会

座・高円寺2(東京都)

2013/12/14 (土) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

演劇愛って、何だろう?
『日本劇作家協会 新人戯曲賞』のレビュー リーディング(5戯曲 15分間)と公開審査会を拝見させて頂いた。セットもなく、リーディングのためだけに参加する俳優達が審査戯曲を読む。当然、作家が記した文章が全て だから、いずれも「同じ土俵」であろう。


レビュー リーディング公演は、日本劇作家協会の審査対象ではない。むしろ審査会を見守る人向けだ。
『漠、降る』、『ト音』、『クラッシュ•ワルツ』『東京アレルギー』、『死の家』の5作品を拝聴した。後に公開審査会でも指摘されたことだが、総じて「人間の不幸」をモチーフとしていたように思う。『東京アレルギー』は、青森から来た女性が、新宿界隈の風俗店のチラシ配りを始める冒頭である。「標準語を津軽弁へー津軽弁を標準語へ」変換し、新しい「東京の在り方」を問う一点突破型だ。渡辺えり氏のいう「底辺」の不幸を、言語を逆転させた手法で浮き彫りにする。

一つひとつの作品は挙げない。私が濃密な会話劇だと感じたのは『ト音』と『クラッシュ•ワルツ』の二作品だった。前者について、佃典彦氏は「舞台化した場合どうなのか…」と疑問を呈されたが、それは同感である。参考になるのが駒場小空間で上演された『あの日踊りだした田中』(劇団綺畸2012年度夏公演)だろう。『ト音』と同じく、2人で1人の役を演じるコンセプトだった。常時、役者の隣か前後方に もう1人の役者。お互い台詞を放つ。ただし、心が分裂した主人公と周囲を描く本作と比べれば、違う面も多い。
このポージングは残念ながら観客の「違和感」であり、佃氏の言うとおりラジオドラマであるとか、小説であるとか、単一情報の媒体の方が、その緻密な関係性は表現しえるのかもしれない。

ヨミのうさぎと猫王子

ヨミのうさぎと猫王子

夜光堂

シアター1010稽古場1(ミニシアター)(東京都)

2013/12/07 (土) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

カワイイ•アラフォー
2008年流行語大賞に選ばれたのは、「アラフォー」だった。「アラフォー」とは、「アラウンド•フォーティー」の略で、天海祐希さん主演の民放ドラマが広めた新語だ。40代を迎えた女性を指す。本舞台には、一人だけ男性が出演していたが、後は客演を含め全員アラフォー世代であった。


特殊能力を持ったウサギ•ヨミ(七海 明美)と ある日出逢った猫王子(吉田 美千子)が、『思念』に取り憑かれた人物の自宅を訪れ、対決。当人は ぐっすり睡眠中だから、 闘う相手は『思念』そのものだ。制するとラムネ菓子ほどの小さな玉となり、カプセルの中へ封じ込めらる…。彼らは、こうした作業を、何度も何度も繰り返す公務員らしい。


今、担当大臣さえ設けられるほど過熱中なのがクール•ジャパンである。海外で日本のアニメ•漫画フェスティバルを開催すれば、多くの若い世代が集結する。2013年7月4日〜7月7日にかけフランス•パリ市で開催された【第14回Japan Expo】は、何と23万人が来場したという。入場料は一日最大17ユーロだった。
外国人の女性がセーラームーンのミニスカート制服を身につけ路上を歩く姿を目撃された方もいらっしゃるのではないか。今作は、アニメーション的ストーリー展開であり、「クール•ジャパン」というコンセプトから捉えることも可能だ。



※バレてないネタバレへ

ネタバレBOX

対決を、いわばコーナ化し、「なぞなぞ」や「ダンス」等を披露する演出は評価したい。そして、長期の観点からいえば、「ウサギー子猫」の友情を コーナー化に見出す演出も そうだろう。(時間の経過として)ただ、対決を一回、二回、三回と繰り広げること自体、「マンネリ」であるのは間違いない。舞台は、30分アニメーションではなく、劇場版だ。この配慮が決定的に欠けていた。むしろ、本作は短編オムニバス形式こそ適当であり、「ほんわか」とした同好会的価値観を観客へ訴えかける唯一の方法だったはず。
シラノ!

シラノ!

おおのの

「劇」小劇場(東京都)

2013/12/11 (水) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

師匠の人生とリンクする…快活な嗜好性に溢れた落語&演劇の2時間



立川志ら乃師匠は噺家として大変、立派な方である。それを確信したのが、落語中にあろうことか、携帯電話が鳴ってしまったハプニングだ。観客席から鳴り響く「テロテロリン♪テロテロリン♪」を一体、どう対処するのか…。


着信音は、志ら乃師匠が噺にでてくる〈さんま〉を食す場面で鳴った。師匠は満面の笑みを浮かべ、両手を顔の左右へ振ったー「じぇじぇじぇ」?ーそう、「美味い♡」を表現したのだ。女性客によれば、「初め効果音かと思った」らしい。


着信音が すぐ止んだら、「落語初の電子効果音」として語り継がれただろう。しかし、その後も10秒程鳴り止まなかった結果、仕方なく師匠も このハプニングを受け、噺を遮断する他なかった。私は、落語史にすら残る名場面だったと思っている。これが故•立川談志師匠なら、喧嘩を始めるか、〈退席〉すること間違いなしである。



『シラノ・ド・ベルジュラック』について、映画や小説等で接した経験は ない。談志師匠がファンであり、弟子の名前を「志ら乃」と名付けた逸話は存じ上げていた。なぜ、今 このエピソードを紹介したのかといえば、志ら乃師匠という落語家とフランス軍青年隊シラノが、時と場所を越え、下北沢に「出逢った」かのように感じたからである。講座を離れず、イケメン俳優(=藤本 岳宏)と二人三脚(現在と若かりし頃の世界…切替が解りづらかった…)で演じた「シラノ」は、師匠の人生そのものだ。熱い魂が放たれる。






Present for me

Present for me

SORAism company

d-倉庫(東京都)

2013/12/11 (水) ~ 2013/12/15 (日)公演終了

クリスマス公演史上最大級の謎解きー裏切らない裏切りだ!
オープニングから退屈なクリスマス-コメディが展開され、「いつまで続くのか?」気掛かりだった。もし、このままだったら、「劇場を利用して忘年会 開けばいいのに…」とすら思った。しかし、結果「クリスマス作品」としては、 この上なく緊迫感があり、謎解きファン向けの舞台だった。まるで、彼氏から賞味期限切れの和菓子を貰い、封を開けたら「指輪」が入っていたプロポーズ作戦ではないか…。


※バレてないネタバレへ




私は、映画『8ミニッツ』(ディズニー・ピクチャー 日本公開2012年)と共通項の多い内容だったと思っている。面白いことに、この映画作品も、アメリカ大陸を横断する〈乗り物〉が ほぼ全てのシチュエーションだ。海上を移動する貸切船内の一空間を固定し、いわゆる「シチュエーション」を曲げないあたりが共通項だろう。ただ、観客の欲をいうと、船底の「やり取り」もぜひ観たかった。照明を暗めにすれば、こうした展開も可能であったはずだが、それを拒んだのは「ミステリーへの探究心」かもしれない。

ネタバレBOX

この舞台は、主人公の私立探偵が客船沈没により死亡するのだが、何度でも「元の位置」に戻ることができる設定である。いわば、一種のファンタジー?タイムスリップ劇であり、「誰が爆破犯か?」を主人公の視点で探し当てるサスペンス?ストーリーだ。後から思い出すと、退屈なオープニングにも意味があった、ということになる。なぜなら、たわいないTEL音等が、「ファンタジー?タイムスリップ劇」を現す一つひとつの装置だったからだ。

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