やってきたゴドー
劇団東京乾電池
駅前劇場(東京都)
2017/01/18 (水) ~ 2017/01/22 (日)公演終了
満足度★★★★★
とても刺激的だった。観念作品としての異常な可笑しさを、軽妙な「芝居」として成立させるすごさ。最終的には、脚本のもつ深みを考えさせられた。不条理劇というより、これこそが今の社会のリアリズム劇なんじゃないかとさえ思った。
メロン農家の罠
桃尻犬
OFF OFFシアター(東京都)
2017/01/12 (木) ~ 2017/01/18 (水)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2017/01/18 (水)
差別など、あらゆる価値観を相対化していく視点が面白かった。
未来への希望のなさ、人間への幻滅なども、とても共感した。
作家・演者にとっても、切実な問題なのだと思う。
役者さんたちの力の入った演技がとてもよかった。
ザ・空気
ニ兎社
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)
2017/01/15 (日) ~ 2017/01/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/01/15 (日)
『ザ・空気』は、今の社会が抱える問題に直球で永井愛氏が挑んだ作品と言えるだろう。抵抗の表現として本当に素晴らしいと思う。私は、作品が作者のメッセージになることに戸惑いがあるけれど、今の日本のメディア状況は、そんな悠長なことを言っていられる段階にないと思う。また、ギリギリのところで、一義的メッセージではない演劇的ドラマツルギーが成立していたとも思う。前半部では、今のメディア状況を述べるために、説明的な部分も目立ったけれど、1時間45分くらいの長さで、今のメディア状況の問題をここまで的確に濃縮できるというのはすごい。
作品自体に不満はないけれど、個人的には「空気」というと、上からの圧力というより、何の圧力もかかっていないのに同調して、それがSNSなどの熱狂と相まって形成される流れや、政治の話題を気軽に出してはいけない雰囲気の読み合いなどの方に関心がある。ファシズムはこちらから生まれると思っているから。『ザ・空気』の主題はメディア批判の文脈では割と言葉になっていることなので、未だ言葉になっていないものに戯曲が言葉を与えてほしかったという意味でも。とはいえ、それは高望みで、充分に素晴らしい作品でした。
フリーである私には、本当の意味での組織の苦悩は体験としてはないのだけれど、メディアに関係する身としては他人事ではなく切実に響くものがあった。なにより、よ~く聞いたり、読んだりする話だから。「そうだよね」「そうなるよね」って。自主規制に関しては、フリーでも、自主制作で作る場合でも、結局あるものだから。
メディアに関わってない人には「うそ~」ってことも多いのだと思うので、ぜひ多くの人に観ていただきたい。これが現実ですよ、フィクションというより、ドキュメントというか。
【追記】
この物語のようなことは、あらゆる表現の世界にあること。そういう意味では普遍性がある。ただ、もう一方で、普遍的でありながら、例外的でもあるということは押さえておく必要がある。
政権批判的な表現が上からの圧力によって潰されるような事態は今でも厳然とある。ただ、例外的だ。というのは、この演劇でも描かれている通り、自身の立場、ひいては生活のために、自己保身に回る。自主規制する。自分が実害を受けてまで抵抗する人は少ない。いや、保身のためにやりたいこともできず、言いたいことも言えないという状況はまだマシだ。むしろ、「政治的問題なんて本当にどうでもいい」と思っている表現者、報道関係者さえもごまんといて、むしろそっちの方が大多数であるということ。それこそが最大の問題とも言える。
作品は現実の一部を切り取って世界として提示するものなので、少ない抵抗の現場を作品化することに何の批判もない。ただ、これがやはり普遍的力学でありながら、事象としては例外的であるということは、観客は踏まえて観た方がいいとは思う。
亡国の三人姉妹
東京デスロック
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)
2016/12/21 (水) ~ 2016/12/22 (木)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2016/12/22 (木)
【異化の進化形、そして言葉の力】
この舞台では言葉が宙づりにされ続ける。言葉は話者が相手役に届けるために発せられるのではなく、観客に向かって語りかけるわけでもなく、役者が自分自身に語りかけるわけでもなく、舞台上に投げ出されたまま。どこにも送り届けられることのない言葉は、舞台上を彷徨い続ける。
それぞれの役に別の動作を課しながら芝居をさせたり、人形で芝居をさせたり、その有機的対話の切断は自然でも不自然でもなく、絶妙に続けられる。また、舞台上での物語と関係ない人物やその動作が介入し、観客の意識も常に切断され続ける。
観客はその距離のある舞台に対して、そこで投げ出されている言葉を意識的に捕まえに行かなくてはいけない。その際、舞台と観客の間にある目には見えていない社会の事象を通ってそれらの言葉を捕まえることになる。
舞台装置は難民キャンプのようなテント。あらゆる美術や衣装にまでに丸い穴があいている。水玉を意味するのか、ドットか、はたまた穴の開いてしまった半透明な現実感のことか。その答えは観客が考えるしかない。
そこにシリアをはじめとする難民問題を重ねることもできれば、そこから生まれる移民問題、3.11や熊本の震災でのことを思う人もいるだろう。また劇中の家族に、現代社会の崩壊しつつある家族関係や不倫問題、DVなどを重なることもできる。
観客の数だけ、この舞台を観るためのフィルタ―があり、そのフィルタ―を通すと、100年以上前のロシアの風景は、現在進行形のわたしの切実な問題となって起ち現れる。
物語があることで過去の出来事として認識されてしまうチェーホフの『三人姉妹』を、物語から言葉を開放し、その言葉の普遍性・現代性を露見させている。そこにある力を。
ただ、一点気になるのは、結局は言葉に依拠しているという点。現代演劇の闘いは、物語(ドラマ)への抵抗というだけでなく、言葉への反逆の部分もあった。とはいえ、もはやその言葉の力も失われてしまった時代に、そこでもう一度言葉の力をということなのだろうか。
この作品では、その言葉の力を一方で最大限に利用しつつ、言葉と身体とのズレ、自己と他者のコミュニケーションツールであることを根本的に解体してもいる。この点がこの作品の最大の特異性であり、面白さである。それが、現代社会のコミュニケーション不全、対話の成立しない時代、他者なき時代、それぞれが勝手なことを言い、相手の言葉など聞こうとしないSNS型社会を表象している。それが演出意図であれ、偶然の産物であれ。
このように理屈で考えてきたけれど、理屈で整合性がつかない部分こそが、演劇のもっとも面白いところ。コミュニケーションが解体されている芝居の中で、時折、役者同士の有機的対話が成立しかかる時がある。また、役者それぞれの中でも、言葉や他者との距離の取り方が一定ではない。上手い役者は場面場面によって、その距離感を変えているのもわかる。それらの距離の違いやズレが、この作品に異様なグルーヴと、無機的な芝居の中にある有機性、生命感を与えている。
作品の内容的な解釈は無粋だと思ってしていないけれど、1点だけ。この作品で繰り返し語られる、何百年も先の未来(正確な文言は忘れました、すみません。)への視座というのは、とても不思議。少なくとも100年強では、この作品の言葉たちは無効になっていない。いや、より切実になっているとさえ言える。チェーホフ賛美で言えば、そこに普遍性があるとか、予見的だと言えるわけだけど、逆に言えば、人間は100年たっても、何年たっても変わらないのだなと思うのでした。せめて、何百年か先には、この戯曲が無効になるような未来であってほしい。まぁ、「無効」の意味が最悪の形である可能性もあり、それは本当に望まないのだけれど。
ドーレ・ホイヤーに捧ぐ 『人間の激情』『アフェクテ』『エフェクテ』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
あうるすぽっと(東京都)
2016/12/09 (金) ~ 2016/12/11 (日)公演終了
『POLITIKO』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
森下スタジオ(東京都)
2016/11/08 (火) ~ 2016/11/12 (土)公演終了
『B.E.D(Episode 5)』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
SAKuRA GALLERY(東京都)
2016/11/12 (土) ~ 2016/11/13 (日)公演終了
満足度★★★★
興味深い
BED/マットレスがもつ概念とマットレスを用いたパフォーマンス(ダンス)との間にある距離を、観客が自身の想像力によって繋ぎ合わせることで成立する作品。
インスタントカフェ・シアターカンパニー『NADIRAH』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)
2016/11/11 (金) ~ 2016/11/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
他者とは、、、
宗教(イスラムとキリスト教など)の違いから生じる問題を中心に、国家(シンガポールとマレーシア)の違いや民族(マレー人、中華系、、、)の問題など、さまざまな角度から、「他者」との共生の意味が問われている。
IS(イスラム国)によるテロが世界的な問題となり、同時にイスラム教徒が不当な差別にもさらされる中、そしてアメリカではイスラムや移民を差別してはばからないドナルド・トランプが大統領になるという状況の中で、この作品が問う「他者」との共生の意味は大きい。
正攻法で非常によくできている脚本、シンプルだけれど繊細に配置された美術と演出。演技もすらばらしかった。
x / groove space
フェスティバル/トーキョー実行委員会
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2016/11/03 (木) ~ 2016/11/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
観客のあり方を主題化
観客参加型の作品。
観客は出演ダンサーと共にひとつの空間を創りあげる。
ただし、各人の参加の仕方は自由であり、その参加の仕方そのものが、作品の意味を規定する。
複数の意味で、観客が主役の舞台だと思った。
『哀れ、兵士』
フェスティバル/トーキョー実行委員会
あうるすぽっと(東京都)
2016/10/27 (木) ~ 2016/10/30 (日)公演終了
満足度★★★★★
正攻法の舞台
韓国にとって、過去から現在まで切実な、戦争・軍隊・兵士についての物語。
この具体性から、国家や会社などに従い、制度や規律を遵守して生きなければならないあらゆる人間の苦悩が見えてくる。その普遍性に至っている。
混沌にんぶち
野戦之月海筆子
矢川上公園(国立市)(東京都)
2016/10/01 (土) ~ 2016/10/02 (日)公演終了
Woodcuttersー 伐採 ー
フェスティバル/トーキョー実行委員会
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2016/10/21 (金) ~ 2016/10/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
素晴らしい精度
最終日に二度目の観劇。
最初に観た時は古典的と思った演出も、よくよく観ると極めて微妙なズラし(異化)が多用されている。表面的には普通に見えるのに、普通じゃない違和空間を生じさせ続けるマジックは、極めて高精度の演出設計にあったのかもしれない。特に、舞台外から舞台に発せられる主体が曖昧な「声」は本当に絶妙だった。
2度観ても飽きることはなく、より深く作品が問いかける意味を噛みしめることができた。
カーテンコールの時、ルパの言葉だと思うが、ポーランドの社会状況とそこでの表現の在り方について語られた。日に日に表現の自由が奪われている状況について。それを聞く俳優の一人は涙を流していた。なぜこの作品をルパが今上演するのかということが、切実に感じられた。そして、それは日本の社会状況を考えても他人事ではないとも思った。
素晴らしい舞台だった。
Woodcuttersー 伐採 ー
フェスティバル/トーキョー実行委員会
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2016/10/21 (金) ~ 2016/10/23 (日)公演終了
満足度★★★★★
謎
観念ありきのテキスト、多少変わった部分もあるにせよ、どちらかというと古典的な演出。
普通に考えたら、退屈な芝居のはず。実際、見ていて歓喜するような興奮はない。ただ、それでも休憩をはさんで4時間強の芝居を、観続けてしまう。
そして観終わると、演劇や芸術とは何かという以上に、人生とは何なんのかについてジワジワと感じ入ってしまう。
何の魔術だろうか。クリスチャン・ルパの力か、トーマス・ベルンハルトの力か。とても不思議な作品だった。
署名人
libido:
プロト・シアター(東京都)
2016/10/06 (木) ~ 2016/10/10 (月)公演終了
荒野のリア
ティーファクトリー
吉祥寺シアター(東京都)
2016/09/14 (水) ~ 2016/09/19 (月)公演終了
満足度★★★★
リア王の再構築
川村毅氏が古典を再構築する手腕が斬新で面白かった。
ただ、現代の世相と重ね合わせても、さまざまな問題を読み取れる戯曲のはずなのに、この舞台から現代を感じることはなかった。
斬新な再編集がなされ、表現的には鋭利になっているのだが、内容面では矮小化されしてしまっている気がした。私が感じられなかっただけかもしれないけれど。
麿赤児氏の存在感がすごかった。
手塚とおる氏もとてもよかった。
ラストダンス
国分寺大人倶楽部
シアター711(東京都)
2016/07/06 (水) ~ 2016/07/12 (火)公演終了
束芋 x 森下真樹 映像芝居「錆からでた実」
映像芝居「錆からでた実」実行委員会
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2016/07/08 (金) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★★
束芋の三次元
束芋のインスタレーションが立体化した作品。
そういう見方をすれば面白かったのだと思う。
だから、ファンにとっては素晴らしい作品なのだと思う。
私はファンではなく、現代アート作家がどんな舞台を創るのか、演劇系の人にはできないような世界を創り出してくれるのではないかと過剰に期待してしまったため、もの足りなさが残った。もちろん、映像の使い方などは秀逸だったけれども。
音楽も面白かった。
白痴
KARAS
KARAS APPARATUS(東京都)
2016/06/21 (火) ~ 2016/06/29 (水)公演終了
満足度★★★★★
揺らぎ続ける身体、存在。
物語・言葉・意味のある原作をどう踊りで解体するのかと思って観に行ったら、正攻法に原作と向き合っていた。ちょっと残念と思いながらも、正攻法の作品としてはとても素晴らしかった。ムイシキン公爵とナスターシャの揺らぎ続ける身体、その存在。
また、上演後の挨拶も感動的だった。KARAS APPARATUSをはじめてちょうど3年が過ぎ、植物が光と水によって成長を続けるように、アップデイトダンスを、自分たちのダンスを、日々創ってきたという感慨。そこには観客という存在もあってできることの喜び。それらすべてに対する自負と感謝に満ちていて、本当に素晴らしかった。
「細胞は毎日新しくなっている、少しづつ。そして200日ですべての細胞は入れ替わり、また新たな生命となる。私たちはそうやって生きている。老人であっても。日々成長し続けている。同様に、アップデイトダンスを続けてきた。」という主旨のことを語った勅使河原氏。本当に素敵な人だと思った。
ロベール・ルパージュ「887」(日本初演)
東京芸術劇場
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2016/06/23 (木) ~ 2016/06/26 (日)公演終了
満足度★★★★
・・・
私は英語ができないため、ひたすら字幕を追って舞台が終わった。
英語ができる人には素晴らしいのかもしれない。
私の座席が遠かったため細かな演出や演技がわからなかったのも、そんな印象に影響しているかもしれない。
と言っても、作品の問いかけとしても、演劇としても、ラストがとても良かったため、好印象で舞台を観終えた。
新・二都物語
新宿梁山泊
花園神社(東京都)
2016/06/18 (土) ~ 2016/06/27 (月)公演終了