x / groove space 公演情報 フェスティバル/トーキョー実行委員会「x / groove space」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    観客のあり方を主題化
    観客参加型の作品。
    観客は出演ダンサーと共にひとつの空間を創りあげる。
    ただし、各人の参加の仕方は自由であり、その参加の仕方そのものが、作品の意味を規定する。
    複数の意味で、観客が主役の舞台だと思った。

    ネタバレBOX

    この芝居においてダンサーの踊りは鑑賞の対象ではない。
    ダンサーは創作空間と観客との媒介である。
    その媒介によって、観客たちで満たされた場が変容していく。

    まず、観客は自分が演者と、つまり劇そのものと、直接出会っているという興奮を覚える。
    次に、周りの観客の反応を観る。多くの人はこの場でどう振舞っているのか、それは自分と同じか、違うのか。
    更に、他の人を見て、自分は振舞いを変えるのか(同調するのか)などを、意識的にせよ、感覚的にせよ、踏まえながら、自分の身の処し方を決めていく。
    そして最後に、自分の振る舞いの意味とは何かを考える。

    二重の意味で、観客が主役の作品だと思った。
    第一に、演者のダンスが主役ではなく、観客の体験そのものが主役であるということ。
    第二に、演者のダンス以上に、他の観客の反応こそが鑑賞の対象であるということ。

    そこでの振る舞いの意味は、観客の数だけ存在する。その解釈も。
    例えば、皆と同じように振舞っている人は、多数派の振る舞いに合わせることで自己を防衛しているとも言えるが、協調性があるとも言える。
    対して、頑なに自分を守っている人は、「空気」に流されない確固とした自己を持っているという言い方もできるが、融通がきかない、場を楽しめない人という言い方もできる。参加する勇気がない人とも。
    周りの反応に合わせるかどうかという問題と、ダンサーのアクションに応えるかどうかという問題もある。

    様々な意味で問われているのは、「観客」個人の反応と、「観客たち」の反応ということだろう。

    一点、この作品の評価で難しいのは、その面白さを支えているのが、観客の直接参加という刺激ブツに依拠しているということ。
    それはアルコールによる興奮のようなもので、知性や認識が刺激されている訳ではない。ここでの直接性も、他者と出会う危険がある訳でもなく、劇という守られた空間での幻想でしかない。
    とは言え、ただ面白おかしいというだけではなく、その刺激を利用して屹立する世界が、少数派と多数派の問題など、現代社会を痛烈に批評しえているから難しい。
    刺激ブツを利用しても、本質は失っていないのだから、作品が面白くなるなら使えるものは何でも使うべきと捉えるか、刺激ブツによって味わわせる興奮なんてマヤカシの興奮だというか、というところ。

    私個人は、どちらも同時に思いながら観終えた。充分に楽しんだ上で。

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    2016/11/04 22:49

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