ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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B コレクション4

B コレクション4

Bコレクション

TACCS1179(東京都)

2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★

14本の短編を一挙上演
1:「遺失物係」2:「山小屋」3:「燃えるゴミの日」4:「面接控室」5:「将棋対決」6:「余命宣告」7:「靴をなめた父」8:「茶道部」9:「愛の援護射撃」10:「蔵」11:「遠隔操作」12:「動作実験」13:「息子の告白」14:「母と子」

ネタバレBOX


 以上14本を総て上演して90分程だ。各作品はほぼ5~10分程度。1~2分で終わる作品もある。何れも面白く拝見したが、トランスジェンダーや浮気という性的関係性、暴力と心理的SM、現状否定、健康、勘違い等々が多く描かれるのは無論喜劇作品だからということもあろうが、時代を映す鏡であるという側面も大いに関わりがあるであろう。自分が、特に気に入ったのは、5の将棋対決と12の動作実験である。5はそのシュールなシナリオを役者の間の取り方、名人と九段が対決している時の進行係の演技や間で安定させていることの凄さを感じたからである。12は、アンドロイドかロボットを演じた役者の見事なダンスや足捌きに感心した。
AKEGARASU―明烏 転生

AKEGARASU―明烏 転生

NPO法人WOMEN’S

座・高円寺1(東京都)

2016/01/14 (木) ~ 2016/01/20 (水)公演終了

満足度★★★★★


 新内流しの名作「明烏夢泡雪」をモチーフに書かれた今作。

ネタバレBOX

タイトルの示す通り時次郎と浦里の輪廻転生譚であるが、新内が生で唄われ三味がこれも生演奏で入る所が結構あって聞かせてくれる。江戸時代や明治時代迄、喉の良い者は女性にもてた、という話が随所に出てくるが新内節、実に粋である。実際生で新内の入る部分は、道行など見せ場なので猶更である。
 如何に花魁と雖も娼婦は娼婦。金を張られれば自分のマブ以外の男とも寝なければならない。この辺りの事情を絡ませながら女の深く狭い愛を貫く姿は美しい。有名な作品をベースにしているので、内容についてはくどくど言わない。想像がつくだろう。
 演技陣の力量の高さに新旧二組の恋人達相互の嵌入の在り様、音曲のみならず照明など効果の巧み、階段をいくつも組み合わせたような舞台美術とそれを過不足なく使い切る空間処理感覚の鋭さなど、流石、劇作家協会の演目である。さらりと入れた演劇論なども面白いし、余り前面に出さぬようにはしているが、体制への異議申し立ても無論無い訳ではない。但し、今作では純愛に重きが置かれてはいる。が、これだけ完成度が高ければ、これはこれで良しとすべきであろう。大いに楽しめた。
レプリカ

レプリカ

d-contents

笹塚ファクトリー(東京都)

2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★

観客の落とし所を良く知るシナリオ花四つ星

 最初のダンスに必然性は感じなかったが、アンドロイドのことが絡まってのダンスには、必然性があり、その不気味なテイストの表現は見事である。

ネタバレBOX


 ある日突然自分がヒト型アンドロイドとして生まれ変わり、その自覚も無いまま生き続けていたとしたら? 社会はどのように反応するか? 単に本人に自覚が無いのみならず、人間と同等に、睡眠もとれば、食事もするし空腹感や眠気も催す。感情表現や感受性も生きていた時と全く変わらない。変わらないと言えば、成長期でも身長・体重が変わらない位のことである。オペを受けた時の記憶は完全に抹消されているものの、他は全く本人がそれ以降生きた歴史と変わることはない。それが、本人に告げられる迄は。
 今作の優れている点は、アイデンティティーの絶対崩壊を、即ち総ての価値観の崩壊を前提に作られていることである。我らの生きる今日、本質的に総ての価値観は崩壊している。そう言って悪ければ、我らの学んできた或いは学ばされた欧米中心のイデオロギー、二元論や弁証法、ヒューマニズムや価値観、哲学や論理、そしてこれら総ての根底にあるハズの存在や認識の総てが疑われ揺らいでいる。当然のことながら我らの存在に意味があるのか否かだの、生きることに意味があるのかどうか? も問われ揺らいでいるのである。もっと突き詰めてしまえば、これらの問いは、カオスにあっても、何故問われ得るのか? が問われねばなるまい等々。更に今挙げた疑問の形式自体が欧米流の問いかけ方なのに、明確に対置できるような次元が設定できるのか? という問題もあろう。数学的に定義できるという者があるかも知れない。そしてそれは可能であろう。だが、今回自分はその方法を採らない。だが、では何によって自らをアイデンティファイし得るのか? 言葉による方法がその一つである。だが我らの用いる日本語とは、そもどんな言語なのだ? その性質を見極めるのにいくつかの方法が在り得る。他の言語と比較することによってその特性を明らかにする方法。指示するものとされるものとの関係などを内在的に問題化することよって謂わば内的にその構造を明らかにする方法などである。
 ところでこういう問いかけをすることに意味があるのか? 我らの存在そのものの意味がある、ということが幻想に過ぎないかも知れないのに。デカルトならば、Cogito ergo sum.ということになるのだろうが、これもまた西洋の哲学である。それもデュアリズムの原点に位置する根拠律なのである。
我らの居る現在は、以上の論理によって解決しない。丁度、誰も感覚で放射性核種の放出する莫大なエネルギーを感知できないように、分からないのだ。我々は何一つとして。一見、何事も無かったかのように流れる川。その底に沈んだ汚泥の中に放射性核種が含まれており、それがα線、β線、γ線、x線などの放射線を放っているか否かは我々の五感では分からないのである。その上、放射性物質や軍事的核に利害関係を持つ者は、その甚大な被害については出来得る限りの過小評価と露骨な嘘によって答えることになっている。これは既に出来レースであることは誰でも知っているのだが、誰も止めることができない。こうして我々は一秒一秒・一息毎に破滅の淵へ向かっているのだ。滅びは目の前である。更に悪いことには、多くの人々が目の前で進行している破滅への進軍に気付いているが故に目を向けないのである。人々は民主主義の何たるかをはき違え、自由の意味を知ろうともしない。それを担おうとする者が更に少ないことは言うまでもあるまい。そんな思考停止の連中には、管理が似合いだ。そして管理された連中は、人間としてのその迷いすらも、与えられるもの・ことでしかないのである。今作の背景にある不気味さは、何も人間そっくりのアンドロイドが人間に紛れて存在していることではない。総てが管理されることを喜ぶ愚衆の気色悪さなのである。
 ラスト、破壊されるべく集められたアンドロイド達が集められた建物が光る。これは当然神の顕現を表しているのだが、その神は、本物の人間よりも、人間そっくりのアンドロイドが、明確に生きようとする意志を持ち、為に人倫を踏み外していないことを良しとするのである。
 今作でも最後の最後に少し希望の光が灯されるように、この絶望的な状況に光を当てるかも知れない哲学を少しだけ紹介しておこう。そのコンセプトは一即多、多即一。を唱える華厳経と同じく7世紀に成立したタウヒードである。興味のある人は自分で調べるべし。ヒントは与えた。
ラマルク

ラマルク

にびいろレシピ

OFF OFFシアター(東京都)

2016/01/14 (木) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★

女性的アプローチ

 殆どの場面が地下で展開するのは良いのだが、その展開の仕方が、如何にも総てが部屋の中で起こるといった展開の仕方なので、まるで文明の進んだ現代の若い主婦感覚といった感じである。

ネタバレBOX


 男である我々は基本的に外に出るので、こういう作り方を受容するのには慣れていないこともあろうが、かなり眠たくなる。
 恐らく核被害によって地下シェルターに閉じこもることになった姉妹たちは、遺伝子が破壊された為に二度と咲くことのない花の代わりに風船をプランターに活けている。こうやって健康だった頃の自分達のアイデンティティーが保たれているかのようなままごとをしているのである。
 そこへ20年ぶりに外界へ出ていたでんちゃんが帰ってくる。外界に出ていた為、彼女の身体は大きな変化を遂げている。恰も四足になったかのようだ。この核被害以降の、どこにも逃げようのない地獄を、身体の内側に抱えた毒(放射性核種)と共にシェルターで生きて行こうとする物語と捉えた。だから、会話は劇的ではない。寧ろ、アンリ・バビュルスの描いた地獄に近かろう。

台風の夜に川を見に行く

台風の夜に川を見に行く

マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2016/01/13 (水) ~ 2016/01/17 (日)公演終了

満足度★★★

伝説
 こういう形で描くなら、語り部的な作りにした方が良かろう。

ネタバレBOX

タイトルにしても一応、一つの節目(ある種のサスペンスのような)にはなっても、作品全体を示すようなつけ方ではない。年代が矢鱈テロップのような形で出てくるのだが、話の展開に必然的な流れが無い為、何故、そこで年代が出てこなければならないのか殆ど意味や意図が分からない。
 伝説になった横浜マリーをベースにしたキャラクターが出てくるのだが、自分は、横浜で遊んでいた時代もあるので、マリーは何度も見ている。所謂オンリーさんである。だから、いつも白いレース模様の日傘をさして、花嫁と見紛うようなファッションであった。化粧は無論、厚塗りの真っ白。異様な姿は100m離れていて嫌でも気付くインパクトのあるものであった。年齢は70~80歳代という印象であった。そんな、腰の曲がりかけたお婆さんであっても、オンリーさんとしてかつて自分が惚れた男を待ち続けている姿に、人々はうたれ伝説にしたのであろう。描くのならしっかりこのことが分かるようなシナリオであって欲しかった。女優さんが気の毒である。
ジョルジ・フッチボール・クルーヴィー

ジョルジ・フッチボール・クルーヴィー

Ammo

d-倉庫(東京都)

2016/01/08 (金) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★★

花四つ星
 ブラジル、リオデジャネイロのファベーラ(スラム)の物語だ。

ネタバレBOX

ブラジル新聞の記者、マリアは、ここで最近立て続けに起こる警官殺害について関連があるのではないか? との疑念を持っていた。取材を続けるうちファベーラに10年ほど前まで在った小さなサッカークラブに辿り着いた。初日が済んだばかりなのでネタバレは遠慮しておく。
 然し、ブラジルに限らず、中南米の実感がかなりしっかり捉えられていて、1993年、日本でFifa主催のU17大会の時に通訳仲間と話したことや、日本、ブラジルの二重国籍をを持つ友人から聞いた話などを思い出しながら観ていた。ファベーラがどんな場所か薬とギャングと抗争とアル中の父によるDVとストリートチルドレンやバカ騒ぎのごみ溜めという雰囲気が出ていたのである。
 ラスト、サッカーの世界的選手となったアレックスが、渡る板一枚の橋は、エンジェル橋(この時の照明が良い)、上がった奥にマリア広場がある。
三日月にウサギ

三日月にウサギ

9-States

OFF OFFシアター(東京都)

2016/01/07 (木) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★

折角、
 ウサギと薫の恋愛シーンが良いのに勿体ない。

ネタバレBOX

 設定が悪い為、街から絶対出られないという劇中のシチュエイションに説得性がない。シナリオライターは、設定の重要性に気付くべきである。街から出られない設定ならいくらでも考えることができよう。紛争中で敵に包囲されているとか、カミユの「ペスト」のように伝染病を他に伝播させない為とか。
 折角、ウサギと薫の恋愛シーンが見事なのに、絶対閉鎖系として街が描かれていない為に恋人たちの切ない軋みに必然性が欠けているのだ。
 また、描きたいことがハッキリしているのであれば、その内容に沿ったギャグや作品内容から自ずと滲み出てくるようなユーモアなら兎も角、とって付けたようなギャグは作品の品位を落とすだけである。
陽のあたる庭

陽のあたる庭

演劇ユニット狼少年

小劇場B1(東京都)

2016/01/06 (水) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★★

ショータ役がグー
 内容的にはスタインベックの「ハツカネズミと人間」の翻案。無論、日本的にアレンジされてはいる。

ネタバレBOX


 時代設定は1963年、つまり東京オリンピック前年である。ダイとショウタは野上の浮浪児上がり。戦災孤児である。ダイはしっかり者だが、ショウタはおつむが弱い。ふわふわしたものが大好きで見ると触りたがるのは、東京大空襲で母を早く亡くした寂しさの現れであろう。永遠の子供だから母のふわふわした感触が恋しいのだ。然しそのバカ力は半端ではない。優しいのだが、力の加減を知らないので動物を可愛がるつもりがいつも殺してしまう。今回は矢張り前の現場で、親方の女が着ていたふわふわのコートに触りたくて騒動になり、女が暴行だと騒ぎ立てたため、親方やその知り合いのヤクザに追われる破目になって、今度の現場へ流れて来たのである。だが、その2人には夢があった。金を貯めて小さな家を持つ、という夢だ。そこではショウタの大好きなふわふわの兎を飼うことにしていた。無論、小さいが庭もある。だが、今回移ってきた現場にも似た問題が転がっていた。親方の息子が乱暴者で背の小さいのをコンプレックスに持っており、大きい男を見るとそれだけで腹を立てた。目上の者には媚び諂うが、目下の者はとことんいたぶる下司である。しかも去年結婚した女房の浮気が心配で、年中監視していなければ気が済まない。その癖雀荘に入り浸って帰りが遅い。親が親方なので飯場に出入りしては子方に理不尽な暴力をふるったり、嫉妬の憂さ晴らしをするのである。子方たちは仕事を失いたくないから触らぬ神に祟りなしとばかりなるべく関わらずに済ませたがっていた。ところが、この女房も幼少時に疎開から帰ってみると母は空襲で死亡、父も復員してこずで14歳まで親戚を盥回しされた上ヤサグレてしまう。無論、男を騙してもきた。だが、自分の家族を持ちたかったのも本当だ。美人で若い上スタイルもいい。それで太郎が彼女の働いていたバーに来て一目惚れ、直ぐ結婚を申し込んで成婚となったのであるが、掴んだ獲物はババであった。それが不満で飯場にいる子方たち、とくに南方戦線帰りの梶原に話を聞いて貰いにきていたのである。だが、下司とはいえ亭主が年中嫉妬に駆られて飯場を訪れるので子方にとっては迷惑な話であった。
 ダイとショウタが暮らしていた野上がどんな所であったか、大体の察しはつこう。1945年3月10日関東大震災で痛めつけられ漸く再興した下町一帯をカーチス・ル・メイ指揮下のB29大編隊が襲った。海を除く三方を先ず火の柱で囲んで逃げ道を断ち、その後絨毯爆撃を掛けて一般市民(その多くが女子供老人であった)を生きたまま焼殺したのである。焼かれた人間が火のついたまま、凄まじい火災が巻き起こした上昇気流に乗って宙を舞うほどの火災であった。その為僅か数時間の間に生きたまま焼き殺された女子供老人ら市民の数は10万以上、人体から流れ出た油が隅田川に掛かる石の欄干に未だに沁みついて残っている。エンコから野上迄は、大人の足なら15分か20分の距離だから、焼き出された子供達の多くが野上に流れた。浮浪児達は、シューシャン(靴磨き)や闇市の手伝いなどをして生き延びた。ダイ、ショウタは闇市の話をしているから、野上に最初に入ったグループではなく何か月か経った後だろう。闇市が立ち始めたのは敗戦から暫く経ってからであるから。売品の中にはララ物資も無論含まれていた。留美子も14歳でやさぐれているからパンパンなども経験しているかも知れない。何れにせよ叩けば埃が出るような生活をしなければ生き残れなかった時代である。因みに法的に決められた生活を守った裁判官は餓死した時代である。またハイパーインフレは止まる所を知らず、まともな勤め人の暮らしより浮浪児たちの稼ぎの方が多かった上を下への騒乱の時代でもあった。街に溢れかえるチンピラは特攻帰りも多く、特攻では死の恐怖を忘れさせる為に覚醒剤が用いられていた為、戦後も日本薬局方・ヒロポンという名で合法的に販売されていたのである。国家などというものは、無論、そのでっち上げ理論の上で動く。決して普遍性もなければ合理性も持たない単なる虚構である。そう言って悪ければ無責任体制である。唯、多くは軍を味方に付け、権力維持をしているだけなのである。だから決して民衆を守らない。軍も民衆を守らないのは必然である。
 以上のような背景を背負った人間たちが登場する作品として観ると面白かろう。
戯曲試食会 『タバコの害について』

戯曲試食会 『タバコの害について』

劇団夢現舎

「行灯パブ・ろびっち」(通常は新高円寺アトラクターズ・スタヂオ)(東京都)

2016/01/06 (水) ~ 2016/01/11 (月)公演終了

満足度★★★★

様々な工夫
 戯曲試食会というサブのついた今作、メインディッシュの「タバコの害について」が始まる迄に、オードブルやスープが、供される。

ネタバレBOX

短編やチェーホフの生い立ち、スタニスラフスキーとの邂逅、41歳の時結婚したモスクワ芸術座の看板女優、オリガとの関係などが演じられると共に、チェーホフ自身を仮託した人物として「かもめ」に出てくるトリゴーリンとニーナの名声への場面が演じられたりする。この構成に工夫としゃれっ気が感じられ、好感を持った。さて、メインディッシュであが、演じる役者が若いこともあって、スタニスラフスキー理論で最高の演技と考えられる身体から滲み出るというより、歌舞いて役作りをしているように感じられた。その意味では、観客の好悪がハッキリ分かれそうだ。何れにせよ、どちらかに徹底する他はあるまい。敢えてチャレンジングな演出をした勇気を褒めたいと思う。
 更に、観客席の周りの壁にはチェーホフ関連の写真なども展示され、さらに立体的に彼とその作品を理解するのにも役立つようになっている。
 メインディッシュであるこの怪作と格闘した跡をよく観たい。
12人の怒れる陪審員

12人の怒れる陪審員

えにし

駅前劇場(東京都)

2015/12/26 (土) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

う~む
 余りにも有名な作品故、演出にもう少し工夫が欲しい。(追記後送)

ネタバレBOX

無論、原作者関係との版権交渉、翻訳者との交渉などで翻訳語句を変えてはならないなどの契約上の制約があるのかも知れない。然し、もしそうであるならば、このアメリカ的な作品の互いの主張に逃げ道が無い緊迫感を持たせるべきであった。アメリカは自己主張社会である。自己主張できない人々は、居ないと看做される以上にマイナスな存在である。つまり、居ながらにして存在を完全に無視される。だってそうではないか。存在しており、言葉を用いての主張によって自らの存在をアピールするというオーダーが成り立っているのであれば、そのオーダーに合致しないと判断されれば、目の前に居る存在なのであるから、論理的に完全否定せざるを得ない。
悪夢のエレベーター

悪夢のエレベーター

学習院大学演劇部 少年イサム堂

学習院大学富士見会館演劇部アトリエ(東京都)

2015/12/25 (金) ~ 2015/12/26 (土)公演終了

満足度★★★★

定石をどう超えるか?
 中々工夫された舞台セットだ。衝立の角度を変えて出捌け口を4か所作り、上手、下手観客側にそれぞれにテーブルとイスのセットが置かれ、事件の中核を為すエレベーター内部は、舞台中央奥に床にグレーのカーペットを敷いて示されている。無論、無蓋、壁も無しである。(追記は終演後)

ネタバレBOX

物語は、このエレベータに男3人、女1人が閉じ込められた密室状態で展開する。密室と言えば、殺人、完全犯罪というのがミステリーの定石。今作もそのように展開するのではあるが、実は、そんなことではファンが納得できないのは百も承知。初日が終わったばかりだから、終演後に内実は記そう。
優子の夢はいつ開く

優子の夢はいつ開く

パイランド

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2015/12/23 (水) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

ちょっと観方を工夫
 脚本が内田春菊。演出がうずめ劇場のペーター・ゲスナーというちょっと変わった取り合わせだ。

ネタバレBOX

自分の解釈は、一般と可也異なると思うが、却ってこっちの方が、春菊が取り組んできたテーマに近いかも知れない。というのも、この「国」の為政者の発想というのは、千年以上も変わっていないからだ。ということは、真の民主革命が起こっていないということである。だからつい先だって迄五礙の障りなどということが平然と言われていたのだ。自分はそんな側に与しないが、多くの日本人男性は、そのようなことを意識したことも無かろう。それほど、この「国」の女性差別は原始的である。まあ、男が平気で奴隷をやっているのだから、そんな連中を男と認めること自体滑稽そのものなのであるが。マッカーサー如きに精神年齢12歳と断じられてへへーと畏まっていたらしいが、そのこと自体笑止である。戦争で負けたからと言って文化やエスプリで負けた訳ではあるまい。そんなことすら主張できなかった大多数の日本人が、本当に「葉隠」を“死ぬことなりと見つけたり”と読んだだけであるなら、そういう連中は総て自死すべきであった。論理とはそういうものである。戦後精神界堕落の一例を挙げておけば、死に体で、文章を書き殴っていただけの三島 由紀夫を過剰なまでに高く評価すること自体、この植民地の実態を曝け出しているのに、そのことにすら気付けないボンクラばかりでは致し方あるまい。ハッキリ言って三島の作品で優れているのは、戯曲と「仮面の告白」くらいだろう。自然に振る舞えないこと自体、危機的状況であり、それを人工に置き換え、そのことを火箭として用いることのできたのはBaudelaire迄である。Baudelaireは、最後の精神性を担って引き裂かれていたし、最後には失語に陥った。彼ほどの天才にしてそうであった。このことを深く考えるべきであろう。(無論、梅毒の影響を反論の根拠として言う人々は多かろう。だが、彼の担った精神性に匹敵し得るだけの内実を持って言っているか否か、自問して欲しいものである。Sartreの批判もBaudelaireの抱えていた問題総てを批判し切れている訳ではない)まして、三島は表層の作家である。死に体と言って悪ければエパーヴである。ちょっと横道に逸れた。
 さて、本題に入ろう。今作で登場する各人物を国や民族集団に置き換えて考えてみると、とても面白いのだ。欧米人が観て面白がるであろう理由は自分のような観方をする者が結構いるだろうということでもある。内容は観てのお楽しみ。だが、日本で独自の存在感を発揮している内田 春菊の、取り敢えず日常に仮託された社会性をも観る為には、これは案外有効な方法だと思う。
テノヒラサイズの人生大車輪'15

テノヒラサイズの人生大車輪'15

テノヒラサイズ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2015/12/22 (火) ~ 2015/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

見にゃいと損にゃ! 花5つ星
 普段大阪で活躍しているグループなので東京公演は嬉しい。初めて拝見した時から、そのレベルの高さに驚くと共に楽しみにしている劇団である。

ネタバレBOX


 今回、衣装は赤のツムギ。全員お揃いである。舞台道具としては、パイプイスが人数分。即ち7脚だけだ。ところが、このイスが、ジェットコースターにもなれば自動車やイーグルハンドルの大型自動二輪にもなるし、山にさえなってしまう。この使い方が見事である。無論、シナリオの展開の仕方も、各挿話の連携と共に作中話題になるカートボネガット作品との緩やかな関連をはじめ、作品タイトルをこれも劇中のキャラクターの仕事上の固有名詞と関連させるなど芸の細かい所を見せつつ、あくまでも現代的で而も人の世の哀しさを巧みに按配し、更には現代世界の本質である欲望に根差した拝金主義への鋭い批判も鏤めるなど、喜劇の持つべき毒をキチンと埋め込み人間らしさへのオマージュと若干のなんちゃって精神も覘かせながら、最後に総ての挿話を纏め上げる手法は見事。無論、シナリオの良さに加えて気の利いた演出と役者陣の間の取り方の上手さ、演技の手際、先にも挙げた道具の使い方の上手さにも拍手!! 
夢去りて、僕らはハーメルンの白夜に踊る

夢去りて、僕らはハーメルンの白夜に踊る

天幕旅団

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2015/12/18 (金) ~ 2015/12/21 (月)公演終了

満足度★★★★

笛吹き男当たり年?
 今年は、ハーメルンの笛吹き男に纏わる芝居を3本拝見した。

ネタバレBOX

ショウダウンの「ハイドパイパー」、ハッピー圏外の「笛を吹け吹け双子のフロイライン」そして今作である。それぞれパイパーをどのように捉えるかも異なれば、鼠退治に対す関わり方も異なり実に興味深い。今作では、パイパーは、小兵の大道芸人という立場を採っており、前2者のような本当に特殊な能力を持った人間とは捉えていな点でも、この劇団の個性が出ていると観ることができよう。その分、パイパーの最後も人間的に哀れであり、友を裏切り、パイパーの逃走経路を教え、結果的には彼を殺すことになった少女の悩みもリアリティーのあるものになっている。
 舞台中央に工事現場の作業足場を立体交差状に組んだ舞台装置も単純な構造ながら効果的に使われていたし、音響、照明のコレスポンダンスも良い。
つま先から、残像

つま先から、残像

ヘアピン倶楽部

小劇場B1(東京都)

2015/12/22 (火) ~ 2015/12/23 (水)公演終了

満足度★★★

植民地では
必然的に。

ネタバレBOX

 別れを前提の男女カップル。男はロマンティスト、女はリアリスト。最初のカップルほどではないが、矢張り男は女に比べて幼稚なカップル。コンビニ男性店長と男性従業員。といった人々が織りなす21世紀初頭の米国植民地、鵺日本に住むペアのディストピア。
 ♀が何れのカップルでもリアリストであるということは重要である。少なくとも彼女らは存在そのものの基盤迄は失っていない。一方、総ての♂は鉄砲玉に過ぎないから(頭の悪い♂には、ここで言っていることの意味は分かるまいが)生物として存在論的に♀に勝てる訳が無いのだ。逆に存在することで総て、この世で起こることの後始末をしなければならないのが、♀であるなら彼女「らがリアリストでなくなることは、即ち世界が滅亡することであろうから、ただ♀に甘えていれば良い♂と植民地住民としてアメリカのケツも迄させられて、我らの足元を浸すはディストピアの波、どういう訳だかこの波に洗われたらは半透明になり、ある者は判断の論拠を喪い、ある者は命を、そしてある者は信頼するという健全な実存の前提を失っている。存在を持たない彼らにとって、総ては最早蜃気楼の如き不如意。♀はますますリアルになってゆき相対する性の溝は、最早修復不可能なまでに深く広く開いてしまった。おめでとう!
あまやどり

あまやどり

劇団 C.falcata

プロト・シアター(東京都)

2015/12/22 (火) ~ 2015/12/23 (水)公演終了

満足度★★★★

花四つ星
 劇団名は、Cephalanthera Falcataの省略形だという。キンランの学名だそうだ。ということはラテン語である。オリジナルミュージカル上演を主目的とし、今回が0公演。今年から学生劇団として本格的活動を始めたばかりだ。

ネタバレBOX


 シナリオは骨太でしっかりした構成力を持ち、序破急の運びも巧みで良い出来である。また、上演中リプライズを含めると14回歌が入るのだが、曲に移る時のタイミングが良く、ストーリーと見事なコレスポンダンスを為しており心地が良い。今回の出演者で特に音楽的な訓練を受けていないメンバーが一人いるのだが、音感が良く、声の質、音程も良く正確に歌えるので、ミュージカルを演じるメンバーとして全然問題は感じなかった。(初舞台という緊張から若干硬くなることはあったが、これも心配には及ばない。)今作は男性が客演での出演だが、出演者4人の息は合っていた。
 少しファンタスティックな象形も含む作りだが、変な甘ったるさがなく爽やかで、実際にも起こる不幸な出来事を題材に採っていることもあり、深みもペーソスや純粋性も兼ね備えた作品である。あらすじに関しては、近い内にアップしよう。
冬の日光と、ヨーグルトの断面

冬の日光と、ヨーグルトの断面

//APPEND

東京都港区新橋6-20-8 愛宕ビル地下1階(東京都)

2015/12/18 (金) ~ 2015/12/21 (月)公演終了

満足度★★★★

論理構築力欠落という能力
 通常演劇シナリオを書くことは、論理構築力を意味する。

ネタバレBOX

だが、今日観た作品の作家は、盲人が手で触れたり、物音を聞いて様々な判断を下すように感覚を用い手探りで彼の感覚がこれだ、と教えたものをそのまま描こうとし、役者の自由に振る舞まわせるという方法を採っているようである。従って歯車が噛み合わなかったり、ディスコミュニケーションが起こったりということが自然な日常風景として提起されてゆく。そこにあるのは、嵌ると作家が感じた状況であり、ドラマが必然的に成立する為に取捨選択され論理的に再構成された舞台空間であるよりは、作家の感性レベルで感覚的に統一されたよう思われている光と音の共鳴感覚、タイトルに見られるように、ある季節、瞬間的にみられるような光と半固形体とのコレスポンダンスであったりするのだが、面白いのは、それらを観客に提示して起こる反応の総てを作家が負おうとしていることであり、負えると考えているらしいことである。旗揚げ公演ということもあり、このような発想ができるのであろうが、通常の演劇感からは懸け離れた発想ではあり、大化けする可能性が無いとは言えない。暫くはこれからどう変化してゆくのか楽しみにしていよう。
太宰治特集

太宰治特集

J-Theater

小劇場 楽園(東京都)

2015/12/21 (月) ~ 2015/12/23 (水)公演終了

満足度★★★★★

衣装にも注目
 J-Theaterの“日本人作家シリーズ”では、2015年特別企画として5人の演出家が平田オリザ、三島由紀夫、岸田國士、吉村ゆう、森達也らを取り上げ、下北で10月末~11月初旬まで公演を打ってきたが、12月は太宰 治。初日公演は19時半から「失敗園」「尼(陰火)より」「貨幣」の三作を上演した。最終日の23日のみ「貨幣」は上演せず「清貧譚」の上演になるので注意。他の2作は全日程で上演される。
 ところで、今作では太宰に縁のある衣装が何点か使われている。原さんが、ご遺族から譲り受けた本物である。例を挙げておけば、銀座、ルパンの初代オーナー高崎さんの着物、太宰が通った三鷹のウナギ屋台若松屋の女将、小川さんの羽織などである。太宰自身、目にしていたかもしれない貴重な衣装に注目するのもグー。
 また、演出では、太宰の幼少時に彼の面倒を見たタケが冒頭、最後に登場するが、この意味を考えてみるのも面白かろう。

ネタバレBOX

 先ず、驚くのが、作品セレクトの凄さである。太宰作品の中で、今回上演される作品を読んでいる人は少なかろう。だが、各作品の成立年代をみると、何れも時代の転換を意味するようなメルクマール的作品となっており、而も人口に膾炙していない作品である。だが、各々の作品の主人公たちは、人間以外のものであることによって、却って太宰の素の姿を浮かび上がらせ、その人柄を際立たせているように思われるのだ。その余りにも優しく繊細な神経故に無頼派の代表作家となり、精神を病み、薬と酒に溺れざるを得なかった、彼の苦悩を、今またアホな為政者のミスリードによって、地獄の淵に立っている我々は再確認したいのである。
 「失敗園」では、突き抜けた演出が功を奏し、「尼」では、貧乏な男の下に突然現れた尼やその言葉通り、如来が現れること、だが、如来は既に愚か極まりない人々の救済故に疲れ切って瀕死の状態であり、乗った白象は既にとんでもない死臭を発する迄になっている。即ち末法を象徴しているのだ。また、紙幣が主人公の作品タイトルは「貨幣」になっているが、これは、マルクスを読んでいた太宰が、マルクスの資本論に描かれた概念を念頭にタイトルをつけているからであろう。即ち物神性としての貨幣を価値として位置づける資本主義そのものと考えてよい。それは現在、この植民地に蔓延る金銭至上主義と本質的に同質のものである。これら、太宰の主張の根底にある哲学を炙りだした演出にも拍手を送りたい。
ほたえな 胸中が猿

ほたえな 胸中が猿

グワィニャオン

萬劇場(東京都)

2015/12/16 (水) ~ 2015/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

当に猿
 龍馬・慎太郎殺害の下手人については諸説あって何れが真実或いは事実であるか見極めるのは極めて難しい。無論当時の日本の国力で頭角を現したと雖も脱藩下級氏族の龍馬が、あの若さで如何に活動資金を得ていたか、という点で武器商人、グラバーなどを絡ませることも可能ではあったろうが、それでは演劇的に話が大きくなり過ぎ、一定の尺には収まらない。(追記2015.12.23)

ネタバレBOX

 そこで暗殺犯として、新撰組、見回り組、薩摩藩関与説、慎太郎による自作自演説などまで取り入れて諸説あることを紹介することで、世相の複雑さを炙りだすような仕掛けが施されている。自分の感性が感じるのは、見回り組の怪しさである。手練ればかりのハズが、襲撃時に声を挙げたとすれば、それは強烈なパトスを内包していたからである。そして、そのようなパトスは現在でもこの国の公安に引き継がれているパトスと同質のものだ。因に戦国以降に生き残ったこの国の忍法集団の代表は、伊賀と甲賀であるが、何故彼らはその技術を生かしながら生き残れたのか? 支配層である武士は彼らの技術を利用もしたが、恐れてもいたのに。答えは、幕藩体制の中に彼らの組織を取り入れたからである。伊賀はお庭番として、 甲賀は同心として。現在でも犯人逮捕の際に用いられる捕縛術は、元来甲賀の手法であるのはその為だ。そして被差別者であった彼らのメンタリティーは、かなり大きな歪を持っているのも事実だろう。とすれば、差別の酷かった土佐藩の下級士族でしかなかった龍馬に西洋の最新式ピストルで仲間を撃たれた見回り組の怒りは(そのパセティックなメンタリティーを鎮める為には)ファナティックにそのメンタリティーを移行した上での殺害しかないではないか? 未来への展望など彼らには及びもつかない。その意味で今作で指摘される通り、猿レベルなのである。実際、日本の公安警察の頭の悪さと内部犯罪の隠蔽体質は官僚共のそれと同質であり、唾棄すべきものであるのは言うを俟たない。こんな連中と下司政治屋、政商、金融、司法、メディア、ゼネコン、軍需産業などの企業、御用学者にヤクザまでが徒党を組んでこの「国」、人民を宗主国に捧げているのだ! この国の腐敗は千年以上揺るぎのないものなのである。そこん所、腹括って考えねえとにゃ。
昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~VOL.4

昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~VOL.4

昭和歌謡コメディ事務局

ブディストホール(東京都)

2015/12/17 (木) ~ 2015/12/20 (日)公演終了

満足度★★

出演者の志
 が低い。観客もいい年をしたおっさんが、鉢巻をし、笛を吹くわ、鬼の金棒のように大きなライト振るわで呆れてしまった。父が有名なコメディアンで二代目という触れ込みで出ていたコメディアン、父の持ちネタを披露するシーンが多く、後半流石にひねりを加えたものの、意識が低い。もっとラディカルに芸事に向き合わなければ到底おやじを超えることはできまい。

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