優子の夢はいつ開く 公演情報 パイランド「優子の夢はいつ開く」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ちょっと観方を工夫
     脚本が内田春菊。演出がうずめ劇場のペーター・ゲスナーというちょっと変わった取り合わせだ。

    ネタバレBOX

    自分の解釈は、一般と可也異なると思うが、却ってこっちの方が、春菊が取り組んできたテーマに近いかも知れない。というのも、この「国」の為政者の発想というのは、千年以上も変わっていないからだ。ということは、真の民主革命が起こっていないということである。だからつい先だって迄五礙の障りなどということが平然と言われていたのだ。自分はそんな側に与しないが、多くの日本人男性は、そのようなことを意識したことも無かろう。それほど、この「国」の女性差別は原始的である。まあ、男が平気で奴隷をやっているのだから、そんな連中を男と認めること自体滑稽そのものなのであるが。マッカーサー如きに精神年齢12歳と断じられてへへーと畏まっていたらしいが、そのこと自体笑止である。戦争で負けたからと言って文化やエスプリで負けた訳ではあるまい。そんなことすら主張できなかった大多数の日本人が、本当に「葉隠」を“死ぬことなりと見つけたり”と読んだだけであるなら、そういう連中は総て自死すべきであった。論理とはそういうものである。戦後精神界堕落の一例を挙げておけば、死に体で、文章を書き殴っていただけの三島 由紀夫を過剰なまでに高く評価すること自体、この植民地の実態を曝け出しているのに、そのことにすら気付けないボンクラばかりでは致し方あるまい。ハッキリ言って三島の作品で優れているのは、戯曲と「仮面の告白」くらいだろう。自然に振る舞えないこと自体、危機的状況であり、それを人工に置き換え、そのことを火箭として用いることのできたのはBaudelaire迄である。Baudelaireは、最後の精神性を担って引き裂かれていたし、最後には失語に陥った。彼ほどの天才にしてそうであった。このことを深く考えるべきであろう。(無論、梅毒の影響を反論の根拠として言う人々は多かろう。だが、彼の担った精神性に匹敵し得るだけの内実を持って言っているか否か、自問して欲しいものである。Sartreの批判もBaudelaireの抱えていた問題総てを批判し切れている訳ではない)まして、三島は表層の作家である。死に体と言って悪ければエパーヴである。ちょっと横道に逸れた。
     さて、本題に入ろう。今作で登場する各人物を国や民族集団に置き換えて考えてみると、とても面白いのだ。欧米人が観て面白がるであろう理由は自分のような観方をする者が結構いるだろうということでもある。内容は観てのお楽しみ。だが、日本で独自の存在感を発揮している内田 春菊の、取り敢えず日常に仮託された社会性をも観る為には、これは案外有効な方法だと思う。

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    2015/12/26 01:29

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