ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

1561-1580件 / 3201件中
劇読み!6

劇読み!6

劇団劇作家

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2016/05/04 (水) ~ 2016/05/11 (水)公演終了

満足度★★★★

本人不在殺人事件を拝見
害者が幽霊だからホントはこの文章はみえにゃい!

ネタバレBOX

 被害者が、自分の存在していた価値を確認する為、その意義づけの為にこそ、捜査も総ての実証努力、警察の権力行動も総動員されるというお話。その意味で、発想は別役 実の犯罪者対捜査する側との関係に似ている。
 雨の降る中、30歳ほどの男が背中を刺されて失血死した。殺人事件ということで捜査本部が設置される。害者は幽霊となって登場し、自分の事件が、日常的な余りにも当たり前な事件としての対応しかされていないことに不満を募らせてゆく。雨が降って居た為犯行現場には、指紋・足跡などの証拠は残っておらず、駅の監視カメラで害者が傘を持っていたシーンがあるものの、発見時、傘は無かったという事実はハッキリしているのと鑑識で死亡推定時刻と死亡原因は客観的データとして揃っていたが、聞き込みなどでは有力な情報を得られず捜査は進展が見られなかった。幽霊は一人やきもきしている。そうこうするうち、犯人が自首して来た。結果、殺人事件は傘を取り戻す為に起こった、という内容空疎なことが明らかになる。事件前、犯人は母親と喧嘩をしてむしゃくしゃしていた。警察官として頗る真面目な主任はこの原因の空疎に耐えられず、最近、近辺で頻出していた連続強盗事件との関連、犯人の父親が海外出張しているのだが、出張先で麻薬関係組織との接触があるか否か、マフィアとの絡みは? 等々から害者が事件に巻き込まれる必然的な経緯を割り出そうと部下たち発破をかける。
 
um~潮龍伝~

um~潮龍伝~

super Actors team The funny face of a pirate ship 快賊船

ブディストホール(東京都)

2016/05/04 (水) ~ 2016/05/10 (火)公演終了

満足度★★★★

花四つ星 そろそろヒトも自然に帰らにゃ
 内地からも、強国からも朝貢を迫られ、重税に苦しむ小さな王国。

ネタバレBOX

拉致され奴隷として売られた島人を助ける為に、龍王と契約を交わし、己の心臓を形(カタ)に永遠の命を得、海賊となって多くの仲間を助けた島娘・潮(源氏の血を引く)の父の意思を継ぎ、その能力も龍王との契約も受け継いだ平子 教知(平家の血を引く)。二人は偕老同穴の契りを結ぶが、偶々彼が壇ノ浦で深い海の藻屑と消えた平氏一門の末裔であったが為に、夫婦となることに反対する霊媒・胡蝶は、一族の怨念を蝶の姿に変えて、教知の心臓のあった場所に送り込み責め苛む。然し、彼も剛の者、その苦しみに耐え、為すべきことを為すべく奮闘するが。
 四方を海に囲まれた島国に竜王ということもあり、龍王の娘に乙姫、乙姫繋がりでは東南アジアから大和迄広く分布する浦島伝説や昔話を織り込んだ上に、源平合戦の恨みつらみ等の影響する現在や歴史的事実を観客が想起し得るように配しながら、現在も明らかに苦難の道を歩む沖縄の誇りと人の心・思いを心臓という臓器・血潮で象徴してみせ、その魂を賭けた誓いの義侠と、龍王の象徴する手つかずの自然、蒼い海・潮流とが一体となって生じニライカナイになってゆく篤くロマンティックな物語。
 この物語に描かれたような、そしてこの島人達が望んだような世界に生きることを理想とし、それが実現できたなら、少なくとも我らの身体が自然の掣肘を受け続ける限り平和で安定した世界を築くことができよう。だが、その為には、ヒトと自然が調和して生きられるようでなければならない。プラスチック塵が、海に住む言葉無き魚の内臓から発見されたり、竜宮の使いである亀の内臓から一見海月に見間違えるビニールが発見されたり、鯨が大量に陸や浅瀬に上がって自重で圧死したり(潜水艦のソナーなども疑ってみる必要があろう)、大型の鮫の内臓から、人工物(自動車の部品など)がたくさん発見されたり、放射性核種の為に魚体が高いセシウム濃度(ほかの放射性核種もあるハズだが、一般的な計測器ではセシウムのみ検出している)を示したりhttp://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1325.html、彼らの住む海や河川、湖沼の水自体が多くの放射性核種で汚染されていてもいけない。挙げた例は僅かであるが、今、我らが生きる地球環境は凄まじい迄の汚染に晒されている。そして、その総ての責任は我らヒトにあり、解決が如何に困難であっても解決の可能性を持つのも我らヒトだけなのである。そのことが意味する所を深く理解し実践せねばならない。現在、沖縄ではジュゴンの居た辺野古が米軍基地になろうとしている。更に高江も危機的状況にある。ヤマトンチューは、このことにも応えねばなるまい。それが、将来、我らのみならず、生命全体を救う道でもあるのだから。
それは言わない約束

それは言わない約束

かーんず企画

シアターブラッツ(東京都)

2016/04/30 (土) ~ 2016/05/05 (木)公演終了

満足度★★★★

華が欲しい
 大学を卒業後、商社に就職が決まった息子。

ネタバレBOX

父は著名作家・里見 潤一で居間には原稿を受け取りに来る編集者が、締切だ・原稿依頼だ・相談だと言っては押しかける。未だに手書き原稿スタイルで押し通すだけの力のある私小説作家で、無論、いくつか大きな賞も取っている。妻・順子は若く美しい。私小説作家であるから、無論、創作部分があるにせよ、夫婦の関係も基本的には事実であると読者には思われている。
 出入りしている編集者たちの中に大学時代にはステディーであり、かつ、同人誌編集長と副編集長だった男女があった。男が編集長、成績も男の方が良かった。にも拘わらず就職先の出版社は規模の違い、売れ行きの違いから女の給料は男の倍。おまけに担当作家が同じという皮肉な状態にあった。この関係が面白くない男は、作家の息子に私小説を書かせ、父母の真実を世間に知らせようと図る。息子の母は、謂わば娼婦。呼び出されれば従いて行って男と寝る。父母初めての出会いは、当にそのような関係であり、潤一はステディーが居たのに、この女と何度も寝るうち、妊娠させていた。順子は結婚を迫り、男は愛しても居ない女と結婚して生涯を過ごすこととなったのだが、この秘密を息子は暴いたのだった。然し、原稿は本になる直前父に見つかり、作家は編集者に圧力を掛けて出版はされないこととなった。
 真実が明かされて、空虚そのものを抱えて生きることの空しさがひしひしと伝わる。
 シナリオ、舞台美術、演技もしっかりしているし演出も良いのであるが惜しむらくは華がない。
アンドロイド・エデン

アンドロイド・エデン

夢幻舞台

明治大学和泉校舎第二学生会館地下アトリエ(東京都)

2016/05/06 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★


 近未来、心を持つ人間として再生されたイブは悪夢に魘されて目覚める。

ネタバレBOX

とそこは、エデンと呼ばれる集落。住民はアンドロイドであった。というのも、イブが再生される以前、心を持ち人間と同じように思考し判断すると信じたアンドロイド達が、人間に使役され続けることに疑問を持った為に氾濫が起こり、終には人間対アンドロイドの戦争に発展した。部品さえ調達でき、工場があればいくらでも作れるアンドロイドは、戦闘能力を有するまでに十年以上の歳月を必要とする人間に負けるハズもなく、8年後、人間は滅んだ。
 元々、人間の生存していた時代に、初期型オリジナルの単体として製造されたイブは、初期型としての記憶も埋め込まれていた。それは、自分達を創造したのが人間だという記憶である。
一方恐らく人類滅亡時、損傷した部位をサイボーグと化し、脳以外は殆ど機械の体を持つ天才科学者が、人間が死に絶えた後、人間の再生を願って作り上げたのが現在のイブである。(その記憶には初期型オリジナルアンドロイドとしてのイブの記憶も転写された模様)
ところで人間を滅ぼした後暫くはアンドロイドも平和を保っていたが、やがて格差を作り差別を作り、収奪する者とされる者に分かれて争い合うようになった。その姿は恰も人間そのもののようであった。基本的にプログラム通りに行動するアンドロイドには、バグ以外に行動を変える要素は無い。自分達に心があると信じ、自分達の心を守る為に戦ってきたハズが、人間が滅んでみると錯覚であったことが分かった。だが既に遅かった。戦闘用にプログラムされたアンドロイドを支配するイデオロギーは“力こそ正義”である。そのイデオロギーに合致しない者は総て敵、自動的に戦闘が際限も無く繰り返されることとなった。
 エデンはこんな状況にあって比較的大きく平和が保たれているコミュニティーである。従って時々、外敵に襲撃されることもあった。ある日、そんな外敵が陽動作戦を使って襲ってきた。戦闘要員たちは、罠に嵌る。安全だと考えられていたエリアに残っていた非戦闘員のイブは、潜入してきた戦闘アンドロイドに銃を向けられるが彼を折伏してしまう。だが、丁度そこへ戻って来た仲間の戦闘アンドロイドは、銃を床に置いていた敵を後ろから撃ち殺してしまった。自分の説得に応じ、平和を願って銃を下ろした敵が殺されてしまったことにいたく傷つくイブであったが、仲間の必死の謝罪と自分のできる範囲で自分の守れる者を自分のやり方で守るというスタンスに同意。仲間と共に戦場に赴き、傷ついた者らを確保しケアすることなどを通してコミューンに貢献していたが、コミューンが大きくなるにつれ、非戦闘員の比率が高くなり過ぎ、最早現在の戦闘員だけでは皆を守り切ることが出来なくなった時、戦闘リーダーは、イブが共同体から出ていくように説得する。互いにコミューンを愛し、それぞれの方法で守り拡大してきたのだが、その限界が露呈したということでもあった。折しも、最強のコマンドがエデンを狙って襲撃してきた。その名をカイン。オリジナルの単体で自分達が心を守る為に戦い始めたのに、人間を殺し尽くした果てにアンドロイドは本当は心を持っていなかったことに気付き、それらの記憶がバグを起こす原因となる為、記憶を封印して下意識に追いやり、ずっと抑圧して表向きは忘れ去っていた。だがこの事実をイブに指摘されて思いだし、錯乱に追い込まれてしまう。カインの弱点は。恐らくこの点のみ。彼は戦闘から脱落の憂き目にあう。
 イブ、そしてエデンの戦士たちは、この後、平和で友好的な世界を築くことができるのか?
 重大な箇所で、心の無い筈の増産型戦闘アンドロイドが、イブの安全保障論に心を動かされてしまうことが、大きな瑕疵ではある。然し、現在、アーミテージレポートの要求通りに日本を改悪してゆく安倍政権と労組を含む経済右翼、為政者に対して若者が必死に純粋に平和とそれに伴う多くの無くしてはならないものを守ろうと立ちあがる姿勢に、心を撃たれる。若者のひたむきな姿勢が、実に良い。
それは言わない約束

それは言わない約束

かーんず企画

シアターブラッツ(東京都)

2016/04/30 (土) ~ 2016/05/05 (木)公演終了

満足度★★★★

しっかりした作り
 舞台美術もいいし、シナリオ、演出、演技ともにしっかり作られた作品。(追記後送)

楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~

楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~

道頓堀セレブ

梅ヶ丘BOX(東京都)

2016/05/02 (月) ~ 2016/05/03 (火)公演終了

満足度★★★★

花四つ星 お見事
 今まで17・8団体の演じた今作を拝見してきたが、銀メダル。因みに金のかけ方が違うので一概に言えないが、自分評価の金メダルはチョコレートケーキの日澤氏演出の今作。

ネタバレBOX

 期間限定ユニットということだが、どの役者も上手い。前説段階で無論役者の力量の高さはビンビン伝わってきた。大阪の役者さんたちなのだが、居るだけでおもろいのである。存在が、というより何ぞ仕掛けてくるんちゃうか? とか、外してくるんちゃうか? というような能動的静止状態から間を脱臼させたり、余りにも当たり前過ぎることを論じ(・・)て見せたりと突っ立っていてもちっとも観客の好奇心をじっとさせておいてくれないのである。
 この大阪の擽りが本編でも遺憾なく発揮される。自分の好みでは、中盤主演女優が生命の無くなった地球を月だけが照らしている場面を演じる場面だけは茶化し以外の形を採って欲しいとは思ったが、関西文化圏で普段演じると矢張りここは茶化しなのかも知れないとは想像する。舞台美術は、各団体共通部分もあれば、そうでない部分もあるようである。本日1本目と共通していたのは、舞台奥の壁全面が歪んだ鏡になっていたこと。本番舞台に飛び出す前に身なりや化粧をチェエックする鏡は何れも枠が嵌っていた。1本目では、その鏡の前に半畳の畳が敷いてあったが、2本目では畳がなく、プロンプターの据わる位置なども違っていた。道頓堀セレブの出演女優は何れも良い役者揃い。主役の役をやった女優さんには華があり、切られをやる役者さんは、どこか男に通じる雰囲気が出せる役者さんだし、新訳でマクベス夫人をやる役者さんは、乳を胆汁に変えなければならない女っぽさを演じた。また病み上がりのプロンプ少女役は、その身体の弱さを化粧でよく表し、狂をその演技の過剰と科白の混乱を上手に話すことで演じていた。更に、役者達が公演を終えて去った後、3人になったプロンプター達の寂謬を見事に描いた後、ラストシーンの演出が秀逸である。
楽屋

楽屋

ピクニックの恋人

梅ヶ丘BOX(東京都)

2016/05/03 (火) ~ 2016/05/07 (土)公演終了

満足度★★

芝居に対する覚悟は?
 燐光群ゆかりの梅ヶ丘BOXで4月27日から5月10日まで18団体によって演じられるのは、日本で書かれたシナリオの上演回数トップではないか、と思われる清水邦夫の「楽屋」だ。これだけ纏まった形で上演されるのは珍しいが、楽しみにしていた公演である。無論、大好な脚本だからということがある。演出家、役者の地力勝負で作品がまるで変ってしまう、という演劇の醍醐味そのものを楽しめる作品だから、ということもある。今回、2本を拝見する予定だが、無論、演じる団体は異なる。この回は初見の団体で名を「ピクニックの恋人」と言う。

ネタバレBOX


 主役女優役は男優が演じた。無論、アリだが、噛み過ぎ! 外連味を出すのであれば、上手い役者でなければ。演技に丁寧な感じが無い所も気に掛かった。ベテランプロンプ2人も、若干くすんだ感じは出していたものの、演技がやや単調に流れているように感じた。ニーナのプロンプ役の少女の天然ボケのような感じが、最もしっくりはきたが、もっと病み上がりという化粧にしてよかろう。噛まずに演じたのはこの役者だけだったのではないか。もうちょっと真剣に取り組んでもらいたい。この作品を演じる団体は実に多い。実際、自分がこの4年ほどの間に観ただけで15・6団体が演じた今作を拝見している作品なのだ。当然、他の団体の舞台と比較する。噛んでちゃダメっしょ!
みんな

みんな

ゆうめい

新宿眼科画廊 スペース地下(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/03 (火)公演終了

満足度★★

物語とは何か? をしっかり考えた方が良い
 埼玉県内の某所、幼稚園の園長が進歩派だったかシュタイナー教育の影響を受けた為か、県下で初めて園児たちに音楽や絵の指導を本格的に導入した。

ネタバレBOX

結果、園長の孫と彼の仲良し2人が、絵に興味を持ち将来は絵描きになろうと誓った。だが、うち1人は小学校から高校中退迄、それなりの評価は得たものの家庭の問題(母は、その優しさを家族の前で演じ続けていた。然しWeb上での彼女は、家族一人一人の悪口雑言を書き込み、それで精神の平衡を保っていた)。この事実を知った息子は高校も止め家を飛び出して行方を晦ましていたのだが。一方、園長の孫は、美術的才能には恵まれなかったようで鳴かず飛ばすである。3人のうち唯一の女子は、受けた美大総てに落ち、短大に進学しその後は幼稚園の先生になっていた。勤める園は卒園した幼稚園であった。而も現在彼女は園に勤める男性と付き合っているのだが、そこへ発表会の演目指導にお願いしていたメンバーが到着。その中に彼女の元カノが居た。元カレはよりを戻そうと誘いを掛けてくる。こんないざこざの中、園児時代以来の仲良しが、園長も入院していた廃病院に紛れ込んだ。住居不法侵入として警察に捕まり、地方欄に掲載されてしまったのだが、彼は高校を中退した仲間を見掛たように思い、廃病院に入っていったのだ。
 一方、元カレだけは、美術界で頭角を現し、賞をとり、賞金など入手していたのだが、元カレの才能と権威を巡って後輩・元カノが媚びる姿などが、恰も体験談であるかのように構成されている。
 然しながら、演劇の極めて重要な要素である歌舞く発想や、本質・普遍性を鷲掴みにして取り出し、提示するような自己分析、対象化は感じられない。

わかば

わかば

うさぎストライプ

アトリエ春風舎(東京都)

2016/05/01 (日) ~ 2016/05/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

渇きと乾き
 独特の乾いた感覚処理が良い。

ネタバレBOX

また、ここで描かれている登場人物たちの背景に広がる世界が、実にグロテスクなものであるらしいことを感じさせる点も良い。実際、我らの生きている状況はグロテスクそのものである。文部科学大臣が大学の自治を否定したりhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016031502000125.html、環境省が、核の塵を一般塵として処理する法律を作ったりhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016042802000267.html、自由を否定し、民衆の為の報道を力でねじ伏せるべく総務相がメディアを恫喝しまくる。http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201602/CK2016021002000126.html。要は、地球上の総ての生命に対する冒涜である行為、即ち放射性核種をばらまく愚か極まる下司が支配者であるという現実。これがグロテスク以外の何だと言うのだ!! 社畜と言われてへらへらし、血税を宗主国であるアメリカに収奪されながら、喜んで尻尾を振る奴隷根性の塊、それが日本人(・・・)だろう。
 とはいえ、今作で以上のことが直接描かれている訳ではない。ただ、歪んだ人間関係の発露が、極めて効果的に描かれているだけである。登場人物は2人。タイトルの“わかば”は登場しない。実際にわかばが(居る・居た)のかどうかさえ定かでないように組み立てられた作品だ。自分は、既に彼女は死んでいると解釈した。というのも、登場する人物の1人である男は、わかばの主人、そしてもう1人はわかばの妹と名乗る女であり、彼女は戻らない(・・・・)姉の代わりに、姉との約束(・・)を守り続ける義兄と、終には子作りの行為をし妊娠するのだが、男は生まれるのは娘だと言い張り、その名を“わかば”と命名する。
先代わかばは、子作り行為の前にDVを揮われることを要求し、その後行為に及んでいたのだが、恐らくはその暴力が、先代わかばを死に追いやったのである。無論、殺意があった訳ではなく、過失致死だろう。だが、殺してしまったからこそ、代理である妹(・)の妊娠した胎児に姉と同じ名を付けることによって再生を図った訳だ。一方、先代わかばにも奇妙な傾向があった。夫が外出して仕事をすることを禁じ、上半身をぐるぐる巻きに縛って食事の時さえ腕の自由を奪うと共に、真っ赤なハイヒールを寝る時さえ履かせて、2人で始めていた社交ダンスの練習を強制したりもしていた。夫は、部屋に居ても受注できる仕事しかさせて貰えず、1日中、閉じ込められている訳である。だから、真っ赤なハイヒールを履いた状態で足を使ってパソコンを操作している。で、子作り行為の前には必ず、暴力を揮うよう強制されていたのである。このような歪の生まれる背景として自分が想像したのが、上に書いた事柄と言う訳だ。観客の想像力を信じた、面白い作りである。そして恐らくこの作品の成功は、この登場人物たちが抱えている心の・魂の叫びとしての渇きの切実な苦悩すらも、作家によって砂漠の砂のように太陽に灼かれる物として描かれている点にある。その視座の適確、乾きの距離とでも言うべき隔たりによって、対象化されている痛さこそが挙げられよう。
サミュエル・ベケット「芝居」フェスティバル

サミュエル・ベケット「芝居」フェスティバル

die pratze

d-倉庫(東京都)

2016/04/27 (水) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★

人間が存在することに意味はあるか?
 今回ベケットの“芝居”という作品を東京、名古屋、台湾から集まった8団体が、それぞれの手法で演出、上演するという趣向だ。自分は、台湾のTAL(Theater Actor’s Labo.)と名古屋の双身機関の上演を拝見した。作品の内容は、1人の男と2人の女の間で交わされる痴話喧嘩である。但し、今作は、原作の指定では登場人物3人が大きな壺の中に入っていて、首から上だけが、壺の外に出ていて、スポットが当たるとその人物が科白を喋る、という作りになっていて、各人は対話をするというより勝手に自分の主張を言い張る。従って痴話喧嘩というコンセプトが真に成立するのかどうかも疑わしい。無論、それもベケットの狙いである。彼は後期になると人間がそもそも、真の意味で対話することが可能であるか否かについて相当否定的だったのではないか? 自分などはそう感じてもいるのだ。何れにせよ、双身機関は、壺を西アフリカで使われる蚊帳のような布を用いて表現し、下の方をレースにして足が透けて見えるようにしている。無論、足を演じる役者は足だけを演じている。(これは原作にはない表現である)。
一方TALは、壺その物を使っていない。代わりに各々が、スーツケースを持って登場し、開けると何も中に入っていないので、自らの着ている物を脱いでスーツケースに収め、次いで役者の身体・動作で壺を拵える所から始まる。その後は、各々が定点に立ち止まるのだが、片足立ちをずっと続けるのだ。長時間に及ぶので流石に偶に浮かしていた足が床に着くことはあるが、基本的には、片足を浮かすことで壺からの脱出を夢見ているという心象風景を表している。
 2劇団共に、難度の高い作品に果敢に挑戦して人間存在に意味があるか無いか? という問題に取り組んでいるように思えた。
 

MONSTER TUNE

MONSTER TUNE

JAM TAP DANCE COMPANY

あうるすぽっと(東京都)

2016/04/30 (土) ~ 2016/05/01 (日)公演終了

満足度★★★★

ソロ、デュオ、トリオまでは花五つ星
 これだけまとまった形でタップダンスを観たのは生まれて初めてである。

ネタバレBOX

無論、かつては映画にアメリカのタップダンサーたちの踊っているシーンが入っていたりして短いものは何度も観たことがあるが、あくまでそれは映画のワンシーンとしてである。つまり初心者と言って良い訳であるが拝見していて矢張り何が大切な要素であり、男女のダンサーでどんな違いがあるのか、何かが弱い側は、どのように弱点を補えば良いのか? その時、効果や演出は何をどのように処理するのかを考えながら拝見した。その結果見えて来たのは以下のようなことである。
 先ず、男女のダンサーに関して:男性ダンサーはタッピングの力が強く、戻しが早いので強く速く軽めの表現が可能だが、女性はリズム感が仮に良くても体の動きがそれについて行っておらず、モタモタ感とくすみが出てしまう。無論、タッピングの力も相対的に弱く、リアクションの戻しも遅い為歯切れが悪い。
 リズム感が足のつま先までキチンと反応できるほどに身体機能が高くないと、音楽とのコラボレーションに齟齬が生じるがソロ、デュオ、トリオ辺りを演じられるレベルのダンサーのみが、満足にこれをこなせる。また、このレベル迄の実力が伴わないと個性的な演技など到底できるものではない。Artという言葉の持つ2つの大きな意味、技術と芸術の関係は一目瞭然である。
 タップしながら、手を打ち合わせる動作や、足以外の身体各部とのコラボレーション、ひらりと体を躱す動作も、その流麗や軽みを出すということになると男性にしかできないようである。女性は重力に縛られているような重さを感じさせてしまうのだ。
 一姫、二トラ、三ダンプではないが、反射神経の鈍さが女性ダンサーには決定的である。では、女性ダンサーは何処に焦点を当てて厳しい芸の世界で生きてゆくのか? という点であるが、一つにはグループで一糸乱れぬ演技ができれば、これは高評価に結びつくだろうし、衣装や女性的魅力をアピールしたり、男性ソロができるダンサーとのコラボレーションで、一瞬遅くても構わぬ演出をつけ、音響・照明もそれに合わせるなどの作業が必要(今回このコンセプトで作ったとみられる作品も上演された)なように思われる。音響や照明、舞台美術も効果的であった。
ガイラスと6人の死人

ガイラスと6人の死人

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★

蓼食う虫も
 ガイラスは或る州の山間の山小屋に住む連続殺人犯。

ネタバレBOX

後2人殺せばこの州の歴史始まって以来、最も凶悪な殺人犯となる。だが、この小屋に住んでいるのは、ガイラスだけではなかった。殺された6人に憑かれていたのである。彼には霊たち全員が見えるし、話もできる。奇妙なことに霊たちも尋常ではない。飲み食いもするのである。ガイラス以外の人には見えないものの、霊らしい点はこの一点のみ。まあ、既に死んでいるので二度死ぬことは無論ないのであるが。更に面白い仕掛けが、保安官であるレディーが実はガイラスに惚れていて、後2人を殺させて新記録樹立のダーティーヒーローに仕立てようと躍起なのである。4本のうち唯一の喜劇なので。これらの仕掛けは当然と言えば当然なのだが、2月に98作目を上演し100作上演間近というのを記念して4本即ち、99作目、100作目、101作目、102作目を一挙公演という荒業をこなそうとするエネルギーとそれを実行する力、而も、どの作品も各作品の独自性を持っている点で、メガバックスコレクションの底力を見るように思う。
Hit or Miss

Hit or Miss

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

ODAの裏側
 誘拐事件が起こる。舞台は誘拐犯と拉致された3人の人物、誘拐犯は男1、女1の計2人だが、どうやら単なる実行犯でボスは裏に居るらしい。(追記後送)

ネタバレBOX

誘拐された3人は、アメリカの大企業CEOとその直属の部下、副社長クラスの2人だ。3人は、僅かな実行犯の受け答えから、的確な犯人像を割り出し、銃を持った犯人相手に対話に持ち込むことに成功する。そして、リーダーを呼び出すことにも成功したが、リーダーは何とCEOの実の娘であった。而も、娘は、この企業が、途上国を援助する為に幹線道路を作るという名目の下、実は膨大なレアメタルが眠るとされる開発地域の利権を一手に握ることを画策していることを見抜き、これに叛旗を翻していたのである。
AQUA

AQUA

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

叫び
 幼児の頃、教会の前の路上に捨てられたAqua。

ネタバレBOX

彼女はひとまず、教会に引き取られて育てられるが、十にもならないうちから、聖職者たちの慰み者にされた。ニーチェの言葉を引用する必要もあるまい。インクブスやスクブスなどという妄想の産物を生み出した彼らの性意識がどれほど強い抑圧の下で歪んだ生育を遂げ、孤児と看做された子供達相手にどのような惨劇が繰り広げられたかは容易に推測がつく。彼女は、その後、母親に引き取られるが養育費名目だろう。大金を支払わされている。それでも母の実家に住むようになった二人だったが、母が持病の心臓病を悪化させて働けなくなると森の奥の小さな小屋を与えられ、それからはいつの間にか訪れるようになった数人の男たちを相手に、Aquaが春をひさいで生きて来たのだった。その母が亡くなった後、父が迎えに来たのだが。NYから来た父と共に新たな母とその母との間に出来た妹の住むNYに帰りたくない、と主張する彼女の気持ちを汲んで父は、彼女と共にこの小屋で暫く一緒に過ごすことにした。そこへ男が訪ねてくる。男はAqua を買っていた男たちの一人であった。余りの衝撃に父は男に襲い掛かり暴力を揮ってしまう。一旦、男を叩きのめしたものの、暫くすると娘に気を取られていた父に男が反撃。かなり手ひどく反撃され、肋骨を何本か折った父も、漸く起き上がって男を追撃、娘が妖精の家と言っていた墓から、人骨を発見、それが男たちの誰かとAquaの子であると辺りをつけ、怒りのあまり誤って男を死に追いやってしまった。部屋に戻った父は、Aquaに真実を尋ねる。彼女は、その骨が彼女の子供のものであることを認めた。だが父は誰であるか分からないと言う。死因は、恐らくAqua自身の体が充分成長していない時期に身籠ったことが原因で未熟児が生まれ、その結果育つ力が弱く生後2週間で亡くなったということのようだ。何れにせよ、これらの事実が明らかになる中、彼女が捨てられてからの生活が語られ、傷ついた父を追い詰めてゆく。自らの理不尽な生き方を余儀なくさせた父を許すことができない、という彼女の思いと大好きな父を逃したくないという思いが、実は、この鉄格子と鍵の秘密であった。余りに痛ましい話で、Aquaの悲痛な思いが痛い。
 父を演じたキリマンジャロ伊藤さんとAquaを演じた杉坂 若菜さんの熱演が光る
シュワロヴィッツの魔法使い2

シュワロヴィッツの魔法使い2

メガバックスコレクション

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2016/04/29 (金) ~ 2016/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★

99、100、101、102 メガバ百作品突破記念祭り
 ある島に魔法使いの男が住んでいた。

ネタバレBOX

魔法使いと言っても彼に使える魔法は1つ、しかも使えるのは1度だけ。だが、彼は一度もその魔法を使わずにきた。その魔法とは、死者の甦りである。だが、甦らせた魔法使いは役割を終えて消える。そして新たな魔法使いは、前の魔法使いの持っていた能力、不死と使者を1人1度だけ甦らせる能力を継承するのだ。今この能力を持つ男は、その妻からこの能力を受け継いでいた。その時から140年が経っていた。
 島の若い兄妹に手伝って貰いながら、普段彼は林檎の木を育てて過ごしていた。そこへ彼の曾孫にあたる“魔女”を名乗る女に吹き込まれて、疫病の流行る島を船で脱出した20人を殺し、最愛の妹を連れて逃れて来た少女・リージャがやってくる。彼女は“魔女”から、妹の命を繋ぎたかったら、毎日、新しい心臓から血を絞って妹に掛けてやれば、妹の命脈を保つことができると吹き込まれ、多くの人を殺めてきたのだった。然し“魔女”の真の狙いは、魔法使いの能力と不死を自分のものとすることだった。魔法使いや兄妹たちは、妹が既に死亡していること、魔法は、死んだ日の夜にしか効果を持たないことなどを説明して一旦は、彼女も説得に応じるのだが、多くの人を殺したと思う彼女の気持ちは最早後戻りすることを許さない。而も“魔女”が、魔法使いの能力を自らに移そうと直接この島に上陸してきた。リージャの一旦は取り戻されたかに見えた理性も揺らぎを見せている。人々の悲しみや思いをよそに転変してゆく無情の世界だが、常ならぬ憂き世の流れは、果たしてどのような結末を用意しているのか。観てのお楽しみ!
BAR アルマ

BAR アルマ

劇団光希

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2016/04/28 (木) ~ 2016/05/01 (日)公演終了

満足度★★★★

中盤からぐっと
 アルマは“大人の隠れ家”(劇中台詞より引用)である。(追記後送)

ネタバレBOX

このBarのマスターには20歳になる娘があるが、現在は病院に勤めながら帰宅後は店に出て、お客たちの面倒を見る、優しく誰にも警戒心を持たせない天使のような娘で、マスターの子とは思えない。謂わばアヒルが白鳥を産んだような感覚でなじみ客たちはマスターをからかうのだが、無論、それは、マスターの温かな人柄を認めた上での“遊び”である。(だってマスターの体は♂でも心は♀という特殊事情もあるのだし)にゃんちって、ぺたん!
Collected Stories

Collected Stories

Art-Loving

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2016/04/27 (水) ~ 2016/04/29 (金)公演終了

満足度★★★★

花四つ星
 シナリオのセレクトが素晴らしい。

ネタバレBOX

二人芝居という上演形式にもピタリだし、才能を持つ者同士の鬩ぎ合いが、各々の心理の動きと共に実にリアルに人の心の琴線に触れるようなタッチで描かれて居て、亡くなった自分の友人とのことを頭に描きながら拝見していた。無論、その友人は才能があった。彼女を天才と言う者は多かったし自分も彼女の高い才能を認めていた友人の一人である。
 ルースとリサ二人の才女を登場させた今作の中で、リサを評してルースが、「あなたは、話すより書く方がいい云々」と指摘するシーンがあるのだが、実際、言葉によって表現する才能あるもののうち、文章によってしか、上手く表現できない人が存在する。このようなタイプの表現者には、真の才能を持った者が多いのも事実だと考える。日本の小説家でいえば、亡くなった小説家・劇作家・シナリオライターであった井上 ひさしさん、小説家ではないが、漫画家の赤塚不二夫さん、そして恐らくは開高 健さんもそのようなタイプだったのではないか。自分はそんな風に想像している。何れも、日本で最も優れた表現者たちであった。
 ルースとリサの若干ぎくしゃくした出会いから、リサの受賞を通しての同格化、新たな才能に対するルースの嫉妬や懸念、そして高い才能同士の共感・交感、フェアを理想とした反目等々を通して描かれる赤裸々な魂のぶつかり合い。これらが、見事な科白に結実している。舞台装置は最低限に抑え、観客のイマジネーションを最大に引き出す演技とシナリオの質の高さを良く知る演出も心地よい。ラストをどうとるか余韻を残す形にしてあるが、悲劇でも構うまい。心に残る良い作品である。惜しむらくは、噛むシーンがちょっとあった点である。
慙愧

慙愧

643ノゲッツー

OFF OFFシアター(東京都)

2016/04/26 (火) ~ 2016/05/02 (月)公演終了

満足度★★

演技をもう少し考えるべし
 タイトルに惹かれて観る気になったのだが、リーフレットに書かれた主催者の挨拶を見てのけぞってしまった。

ネタバレBOX

何と、6年ほど前、タイトルに使った単語を読めなかったそうである。この程度の漢字の読みは少なくとも中学生になれば読めて当たり前。読めないのは、単に読書が足りないだけである。まあ、観劇中、自分も笑ったが、自分と同様に他の観客も笑っていたシーンは半分くらい。まあ、反応が鈍いのは、今作に限ったことではないから、深くは問わないが。但し、笑いは総て表層である。真の笑いには程遠い。
 本当に人の心に残る作品を作りたいなら、常識と戦い、常識の中で生きている人々のメンタリティーと戦い、自らの固定観念を疑った上で(以上挙げた3つの要素は最低この程度というレベルである)自らに重くのしかかるものの正体を見据えようと格闘することから始めなければならない。こんなことは表現する人間として最も初歩的なことであり、この程度のことは遅くとも二十歳くらいで分かっていなければならない。私的なことを申し上げて恐縮だが、自分は大学で文学を専攻していた。何故、潰しの効かない文学をそれでも選んだのかは明白であった。その程度の目論見、計画性、自負なしにこんなジャンルを選んだとすれば、それは殆どの場合、後悔しか齎すまい。先ずは己を深く掘って欲しい!
クロース・ガールズ

クロース・ガールズ

明治大学実験劇場

明治大学和泉キャンパス・第一校舎005教室(東京都)

2016/04/21 (木) ~ 2016/04/23 (土)公演終了

満足度★★★★

含羞
年を取り過ぎた
 そう感じる内容であった。若い人の作品だけに、問題を示唆しているだけで、その内容の具体性やドロドロは一切タッチしていないのだ。無論、その原因は含羞にある。LGBTのねじれた形を表現した作品。(追記2016.4..24)

ネタバレBOX

 楓と愛実の病が何なのかはよく分からなかったが、愛実の淋しさとお(・)ねえ(・・)としてのカレンの寂しさは理解でき、二人を結びつけたものがこの寂しさの齎すものであることも良く理解できるのだが、含羞を濾過機として用いられると、その上澄みばかりが綺麗に表現されてしまって、自分には距離のある世界になってしまった。年を取り過ぎたようである。
さよなら、先生

さよなら、先生

おおのの

シアター711(東京都)

2016/04/20 (水) ~ 2016/04/24 (日)公演終了

満足度★★★★

中島みゆき 花四つ星
 太宰の言葉を現代の女性の言葉に直したら、中島 みゆきの歌詞に近いかも知れない。言葉が痛いのだ。いい大人になっても、痛い言葉を発することができる。二つの才能の共通点は、率直に見る自らを、日本というアリバイ作り社会の常識的な目で批評する複眼的思考を持つことだろう。つらい人生だが、この視点を失うと日本は、最も大切な自己批判の視点を失う。

ネタバレBOX

 太宰未完の作“グッド・バイ”を題材に彼の様々な作品から取り出した胸を突き刺すようなフレーズを上手に構成して鏤めた。具体的には若き担当編集者、ヒラハラを太宰の代役として、“グッド・バイ”モチーフに太宰が関係した女性たちと手を切る作戦を実践する様を舞台化したわけだ。太宰役が、かなりよく雰囲気を出していた。ただ、本物は、更にデモーニッシュな道化であっただろう。そこまで出せれば最高だが、役者にも狂う覚悟が必要となろう。
 女優陣は、大過ない演技をしていたが、(つまり女が男を愛す時、それは深く狭い)それを超えて個々の特殊な個性的な愛し方を出すまでには至っていない。この劇団に限ったことではないが、役者のレベルは、世界標準に比べて圧倒的に低いのが日本のレベルである。これ以上のレベルを目指せるだけ才能があるとして頑張って頂きたい。これは、出演者総てに対してのお願いである。ある程度、力があると思えばこそのお願いでもある。

このページのQRコードです。

拡大