ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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サマデーナイトフィーバー

サマデーナイトフィーバー

20歳の国

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2017/08/07 (月) ~ 2017/08/13 (日)公演終了

満足度★★★★

台風3号の接近により、高校から帰宅できない生徒も出てきた夏休み直前の校舎内で展開する恋愛模様を中心テーマとして、揺れ動く微妙な青春の炎を巧みに描いた作品。

ネタバレBOX

不良先輩あり、一見、ズべ公あり、引き籠り、未来への夢、そしてその夢を明かすことへの羞恥あり、ぶきっちょな自分を晒す勇気が無く、はにかみに阻まれて中々一歩を踏み出せない臆病あり、それらの鬱屈を発散させるかのような水の滴る中で濡れそぼりながらのダンス。いきなり沸点に達したようなストレートプレイからミュージカルへの遷移等々、興味深い演出も為され、若い感性の柔らかく揺蕩うような心象と羞恥心を巧みに描き出している。劇団名ともぴったりの内容なのだが、齢を重ねてゆく今後は、劇団名を変じてゆくのだろうか? 25歳の国、30歳の国・・・という具合に。そんな老婆心を起こしたくなるような、可愛らしい感性の劇団。
劇作家協会公開講座2017年夏

劇作家協会公開講座2017年夏

日本劇作家協会

座・高円寺2(東京都)

2017/08/05 (土) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

 昨日に続く、劇作家協会主催公開講座第2部である。司会・進行に中津留 章仁さん、丸尾 聡さん。応ずるのは、演劇評論家・みなもと ごろうさん、青年座取締役相談役・水谷内 助義さん、チョコレートケーキ俳優・西尾 友樹さん。テーマは昨日に続いて新劇とは何か? である。新劇は骨太であるなど昨日同様の指摘は割愛する。時間的にも、話者の人数でも昨日より小規模ではあったが、昨日と重複しなかった見解として出てきていたのが、所謂、新劇の優れた舞台では、板上で「嘘」を描いているのだけれども、それがシャープなリアリティーや知性、ついては説得力を伴って観客に迫ってくるような表現様式を持ち得たという事実が在ったことを指摘したことである。殊に優れた役者の持っていた表現力(科白全体の中に於ける各品詞のバランスをキチンと意識し、それを発音の高低や強度、正確な発音、更に間によって適確に表現し客席に届かせる発声法など)、板上に置ける位置取りの差による効果の違いを明確に見極めて、効果的な位置取りをすること等々、実に示唆に富む話題も出た。演劇の難しさ、面白さが出たトークであった。

つぐない

つぐない

劇団あおきりみかん

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/08/04 (金) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★

教会の場面が多いので、基本的には中央奥に十字架の掛かった祭壇が設えられたキリスト教教会の趣。裁判所の場面では、一瞬にして奥の十字架の掛かった壁が180°回転して裁判所の壁に変わる。

ネタバレBOX

 この壁の手前に説教壇、更に手前には、開かれた聖書の置かれた壇。やや、距離を置いて信徒たちが腰かけるベンチが縦3列、横2列に並べられ、中央通路に緋毛氈が敷かれている。中央祭壇脇の壁には明り取りの縦長窓。信徒たちの座るベンチの在る空間の側壁にはステンドグラスが嵌め込まれた窓。
 物語は、罪悪感を持たない姉と、その姉を庇い続けて来た健気な妹の話を主軸に、姉妹の恋は、恋相手男性が重複する。而もこれは仕組まれた男女関係であり、その消長と真実の姿が徐々に明らかになってゆく。
ずっとこの劇団のシナリオ、演出を担当、女優としても出演してきた鹿目 由紀が、恐らく初めて“地に足のついた”作品として仕上げてきたと思われる今作だが、作家が更なる飛躍を遂げる為には、一、二人称のシナリオに歴史を繰り入れ、三人称の歴史の大きな流れの中に揺蕩うように在りながら、尚キーマンとして歴史に不可避的に関与する主人公を据え、更にはその流れが現在の我々の生活や生き方にも通底するような世界を、女性ならではの世界観で描けるようになる必要があろう。そうなった時、作家としての彼女も、劇団としてのあおきりみかんも普遍性を持った存在として歴史に刻まれるであろう。このような骨太の構造を勉強するには新劇研究をしてみるのが良いかも知れない。彼女の才能を以てすれば、必ずや大きな発見があるであろう。
ルート64

ルート64

ハツビロコウ

【閉館】SPACE 梟門(東京都)

2017/08/05 (土) ~ 2017/08/11 (金)公演終了

満足度★★★★★

 犯罪の現場に立ち会うかのような切迫感が続く、2時間強。観る方も力が籠る。それだけ迫力のある舞台。(隠れ5つ☆)

ネタバレBOX


 実にチャレンジングな舞台である。通常の展開が無い。所謂、事件発生から時系列に沿って、事件の原因を探り、様々な情報、状況捜査などから浮かび上がった情報を一旦ばらして、論理として組み立て直し整合的な答えを見つけ出すと共に、犯人の動機を探りつつに絞り、事件への関与を明確化することによって、犯意を推理・確定し事件として起訴するに至るような展開が無いのである。あるのは、今作で扱った事件のモデルとしての坂本弁護士一家失踪事件に関わったと思われる4人の人物たちが、この事件現場と遺体処理の間で、失策を含めた行動をとり、仲間内で揉め、殺人事件という重い犯罪の罪の意識に押しつぶされそうになりながら、必死に打開策を見出そうとする異様な心理的葛藤のリアリティーである。確か、この事件は、結局真相が掴めず謎が残っていたと思う。TBSの坂本弁護士取材ビデオをオウム幹部に見せたことが、坂本事件の発端になったと言われていることについての、事後処理のまずさなどもこの事件が単に一犯罪事件という範疇に収まりきれなかったことの一端を為そうし、オウムのグルたる松本の下に集まった出家信者、幹部の多くがかなりのインテリであり、而もかなり幼児性を帯びたメンタリティーの持ち主でもあったこと、今作の4人に端的に描かれているように、カルマを、修行やワークによって解脱したのではなく、単に教団の洗脳システムを自己のシステムとして取り入れたに過ぎない、幼稚で決して利口とは言えない、自らの判断の根拠を持ち得ない無能者ばかりであることもまた明らかである。
 今作に取り組んだ、ハツビロコウの総ての人々(作、演出、役者、効果、裏方スタッフ迄)が闇の中を手探りで進むように明らかにしてきたのは、当にこの点ではなかったか? 通常のコンセプトには当てはまらない題材を、現場に何度も立ち戻り、諸説を体感してみせる、という極めて特異な方法で舞台化してみせた努力とチャレンジ精神に拍手を送りたい。一方で評価し難い作品である。何故なら、評価すべき座標が無いからである。だが、上記の如き内実から、隠れ5つ☆とした。つまりポテンシャルの高さ、先にも述べたチャレンジ精神、そしてそれを舞台化し得た個々の努力と工夫と労力に対して惜しみない賛美を送りたいのだ。
 まだまだ書き足りないことがあろう。例えばタイトルについてもだ。然し、コリッチでは此処までにしておく。何れ、もっと調べて公共空間Xに発表するかも知れない。それだけ考えるべき問題を与えてくれた。
劇作家協会公開講座2017年夏

劇作家協会公開講座2017年夏

日本劇作家協会

座・高円寺2(東京都)

2017/08/05 (土) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

“劇作家協会公開講座2017年夏”2日目のドラマリーディングは 斎藤 憐 作の傑作戯曲「グレイクリスマス」だ。今回のシナリオは、本多劇場の杮落し公演で1983年に初演されたバージョンではなく、劇団民藝が既に300回以上の公演を打っている新バージョンの方である。

ネタバレBOX

演出の中津留 章仁氏によれば、曲目の選択なども原作に忠実なことを目指した、とのこと。第二次大戦敗戦直後から朝鮮戦争勃発までの数年間を日本国憲法成立過程や、その理想と民衆の責任の観点から描いた、骨太で而も実に抒情味も社会の実態感もある傑作。
第二次大戦後の動乱期、旧支配勢力の没落・復活画策と故国が戦勝国となった在日朝鮮人勢力、GHQ内部での民生局・情報局の対立と最終的な情報局の勝利の中、憲法九条を持つ日本国憲法は変質してゆく。一方、新憲法によって初めて社会的権利を認められた日本女性の視座は、新憲法をベースに構築されてゆく。変貌する世界情勢の中での資本主義VS社会主義各々の囲い込み政策の中、ソ連・中共対米・西欧・日・韓・台湾の勢力圏争いの幕開けである。何より現在まで続くアメリカの対日政策及び極東戦略のアウトラインが如何様に決まってきたのか? を見る上でも頗る興味深い。
 これを、単に役者達が椅子に座って読むのではなく、かなり動き回りながら読んでいる点に、時代の動きを身体の動きで表そうとした演出の意図が働いているように思う。
 それにしても日本の為政者共の何と言う醜態だろう!? これも日本会議全盛の昨今、保守勢力の下劣に血脈と共に受け継がれている点でも興味をソソル。
劇作家協会公開講座2017年夏

劇作家協会公開講座2017年夏

日本劇作家協会

座・高円寺2(東京都)

2017/08/05 (土) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

二部構成でⅠ部が劇場を体験するワークショップ。講師は中屋敷 法仁さん。Ⅰ部は観ていないので割愛。Ⅱ部が標記タイトルの公開講座である。実に内容の濃い公開講座であった。観客には無論劇作家志望者が大勢いたハズである。この観客を前に登壇したのは、劇作家の長田 育恵さん(てがみ座主宰)、鈴木 聡さん(ラッパ屋主宰)、中津留 章仁さん(TRASHMASTERS主宰)、マキノ ノゾミさん、司会・進行を横内 謙介さん、青木 豪さんの二人が務めた。ゲストとして、新劇俳優(文学座)の坂口 芳貞さんが、主として第Ⅰ部に、鈴木 瑞穂さん(民藝・銅鑼)が第Ⅱ部に出演。Ⅰ部、Ⅱ部共に、所謂小劇場演劇と新劇との背反と小劇場演劇サイドの反省、新劇の長所についての再評価などが語られ、実に示唆に富む、而も切実な公開講座になっていた。6日にも矢張りⅡ部構成で公開公演があり、斉藤 憐さん作の「グレイクリスマス」のリーディングが第Ⅰ部、「新劇を学びたい」と題したトークセッションが第Ⅱ部として公開される。何れも指定席、1部が1000円、Ⅱ部だけなら500円(何れも一般。詳細はHPに当たるべし)

ワンマン・ショー

ワンマン・ショー

やっせそ企画

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2017/08/02 (水) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★★

 心理学者の言う、所謂”唯幻論”を演劇化させたような舞台。(花四つ☆)

ネタバレBOX

哲学的には認識論ということになる。但し、原作者は作家としては哲学者的な位置を確保していても、芝居の狙いは別の所、即ち唯幻論レベルの着地を目指していたのだろう。そこに演劇的ダイナミズムが生まれるからである。殊に観客のイマジネーションと作品を身体化することによって「現実化」する劇的時空の呈示によって、造成される諸々の解釈、解釈の多様性に対する観客個々人の心の内に起こる波紋を推量することによって、作る側に関わる総ての人間もまた、劇的時空への揺蕩う参加者となるのだ。
 登場人物各々の状況認識が、個別であるが故に、全体の関係性が簡単に見えてこないように作っている所が味噌である。一方、芝居の求める結末への収斂へ向かって、個々の情報が再構築され、一定の解釈圏に着地していることも事実。この辺りを楽しめるか否かで評価は変わってこよう。メタレベルと抽象度の高い舞台である。
ジュジュの奇妙な日常

ジュジュの奇妙な日常

ノーコンタクツ

萬劇場(東京都)

2017/08/03 (木) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

 “エンゲージリングは受け取らない”というサブタイトルが付いているのだが、物語の本筋には余り関わりが無い。某少年誌の著名漫画を恐らくパロっているのだろうが、自分は一度も読んだことがないので、何処までが今作のオリジナルなのか全然分からない。無論、タイトルや、フライヤーの絵をそれなりに似せているだけで、今作は総てオリジナルということも在り得るのだが、自分は漫画を一度も読んでいないので判断できない、ということに過ぎない。こんな事情で、今回星印は遠慮させて頂いた。

ネタバレBOX


 ストーリーとしては、主要キャラクターの多くが傀儡のような存在を呼び出すことのできる特殊な能力を持っているのだが、その能力を持つ者同士の争いが古から続いており、今回は、その因縁話に傀儡同士の争いに興味を持つ者が参入。現在、この能力保持者の頂点を極める血筋の者達を襲うのだが。この二つの筋に恋が滑稽な形で絡んでくるなどのエピソードが挿入されている。
「REVIVER・リバイバー 〜15老人漂流記〜」「ダンパチ15・獣」

「REVIVER・リバイバー 〜15老人漂流記〜」「ダンパチ15・獣」

ショーGEKI

「劇」小劇場(東京都)

2017/07/27 (木) ~ 2017/08/06 (日)公演終了

満足度★★★

男5人が基本的なキャストだが、そのほかに2人の男性俳優と3人の女優による、ほぼコント形式のショート・ショート。花三つ☆

ネタバレBOX

どういう訳か舞台奥の四分の一ほどが坂になっている。実際の演技でこの傾斜を使うのはほんの少しだけ。而も余り必然性はない。これも受け狙い、ということはできるかも知れないが。自分が一番面白く感じたのは“忖度”を売りにしている引っ越し業者とその顧客を描いたショート・ショートで、これは抱腹絶倒。忖度の行き過ぎが齎すグロテスクなまでの滑稽が、晋三如きを忖度して右往左往している、この「国」の亡者というよりは、下司犬共を”国民議会”風におちょくる感じ。雇主と、雇主を「忖度」によってドンドン追い詰めてゆく民間業者の間に生まれるチグハグは実に面白い。いくつかのショート・ショートの中で、これが白眉である。このレベルの作品で全部、出来ていたら、花5つ☆なのだが。自分には、他の作品はそれほど面白いとは思えなかった。
還刻門奇譚〜リローデッド・ゲート ゼロ〜

還刻門奇譚〜リローデッド・ゲート ゼロ〜

ZERO Frontier

萬劇場(東京都)

2017/07/26 (水) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★

 アヤカシというタイプの妖魔・カウの悪戯によって創られた還刻門と言う名の門を通ることができれば、時間を遡って、人生をやり直すことができる。

ネタバレBOX

人間の短命と愚かさ、欲と狡猾を秤に懸けることは実に面白いゲームだとして、妖怪と人間の間に生まれた存在・シキを門番による開閉とは別の開閉の鍵として設定した妖魔。
 そのアヤカシの罠に嵌って、失くした大切な人を取り戻すべくきろうに集まった成仏できぬ霊や生霊の如き人士たち、数百年、千年以上の時を超え、更に幾度も戻された時の積み重なる時空の中に繰り広げられるのは愛憎の縺れと魂を救済する導師・ガラン&シキVSアヤカシ・カウの戦い。
功夫調の殺陣や郭の遊女たちのダンスを織り交ぜて、いつどこで、誰が誰を恋し、どんな事件が起こって大切な人を失くし、その人と事件前に戻ってやり直そうと、他の無関係な人々の人生の歯車を狂わせ乍ら還刻門をくぐろうとする者達の門の鍵・シキを担う亡者たちと己のエゴで他人の人生を狂わせてはならぬと考える人間との三つ巴、四つ巴の戦い。
総じていえば、描かれているのは、人間の色恋を巡る欲を焚きつけた悪戯者と、その災いを人間に被せることを阻止しようとする導師たちの戦いに人間の様々なカップルの愛や友情が絡んで輻輳化してゆくのだが、時間軸、空間軸の遷移による様々な問題点をきっちり詰めるという形を採っておらず、主役、脇役の区別も不分明で焦点が不明確。当然、メインプロットとサブプロットの相互補完によるダイナミズムの構築も疎かになりがちである。劇的であるとはどういうことか、シナリオレベルでもう少し検討を加える必要があろう。
その代わりと言ってはなんだが、功夫を多用した殺陣は中々の迫力で見応えがあると同時に遊女たちのダンスも花を添えてグー。
第20回公演 『君♡ふりーく』 第21回公演 『ジェニュイン・ケア』

第20回公演 『君♡ふりーく』 第21回公演 『ジェニュイン・ケア』

劇団天然ポリエステル

小劇場 楽園(東京都)

2017/07/26 (水) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★★

 いつもとちょっと毛色の変わった今作、観たことが無い方々に説明しておくと、自分が天然ポリエステルを見始めて以降いつも、何かに追われてアタフタというのが、天ポリのスタイルだったからである。

ネタバレBOX

例えば締切に追われるなどだ。実際、座付き作家は遅筆らしい。とすれば、それは役者・演出家・照明や音響は言うに及ばず、舞台美術、小道具、宣伝他総てに関わってくるわけだ。別に作家にプレッシャーを掛けるつもりはないが、総合芸術である演劇の根本の柱になるシナリオは、それだけ大きな役割を負っているのである。同時に演劇は、一舞台、一舞台が総ての細部に亘って同じものは一つもない。従ってどんなベテラン役者であれ、スタッフであっても、常に一回限りの真剣勝負で舞台に臨まなければならない。これが、演劇の非再現的緊張を生み、舞台を常に活き活きしたものに保つのである。かつて、つか こうへいが実践したように。そして、くしくも同じ時期・同じ発想で舞台作りをしていたピーター・ブルックが、今も演劇と格闘し続けているように。
 さて、今回天ポリが挑んだのはストーカーという病に罹りながら、それを病とは認識できない人々についてである。思えば、母子相姦に於いても、本人同士が、それを悪とは認識していないケースが問題化したことがあった。彼らの論理はこうであった。”互いにこんなに愛し合っているのに、愛していることがいけないのですか?” という反応である。開いた口が塞がらないという読者もいらっしゃるだろうが、これは事実である。即ち社会・三人称的世界観が完全に脱落或いは脱臼していて、一・二人称で世界が完結しているというのが、彼らの特徴であった。近親相姦がどんな結果を齎し得るのか? その反省を踏まえてタブーとされた歴史的知恵を彼らは認めていないかのようである。確かに恋に酔うことは、一時的に三人称的世界を忘却することであり、掛かるが故に恋は賢者をも愚者にするのだが、大抵の者は、予め近親相姦が齎すリスクを科学的知見としては兎も角、社会的常識として知っており、そんなリスクは冒さないというボンサンスを持ち得ている。
 では、ストーカーをする人々というのは、どんなタイプの人々なのであろう? 今作に登場する彼らの論理から見るに、彼らもまた近親相姦者同様、愛しているのに何故いけないのか? という論理があるようである。異なる点は互いに愛し合っているとは言い難い点である。仮にかつて相思相愛の時期があったとしても、問題となる時点では片やストーカー、片やその被害者となっている。つまりこの時点でストーカーは、愛が妄想と化した状態で被害者を追い掛け回すのに対し、被害者は毛嫌いしているという訳である。今作は、物語を余りにも深刻なものにしないよう、被害者にも強いアイドル指向を持たせ、ストーカーたちをすらファンという概念を用いて自分に納得させようとする、これまた病的キャラクターとして描いているが、案外、今作の視点の方が現実に近いかも知れないのである。何故なら心理学的分析は完全な科学と呼ぶには余りにも客観性を欠く学門であり、多くの場合、その療法も想像力の産物だと思えるからである。そもそも、対象とする心理そのものが揺れ動く何者かなのであり、対象を特定することが頗る難しいと考えられる。而も、我々自身、胸に手を当てて振り返ってみれば、煩悩と呼ばれるような本質的欲望を抑えるのは至難の業であることを知るであろう。殊に三大欲求たる睡眠欲、食欲、性欲を抑え、コントロールすることは至難の業、眠らず、食べずにどれだけ生きられるか、と問うなら生死に関わる欲望でもあるのは一目瞭然。では、性は? 各々、心に深く思いを馳せたい。
かつて女神だった私へ

かつて女神だった私へ

芸術集団れんこんきすた

studio applause (スタジオアプローズ)(東京都)

2017/07/27 (木) ~ 2017/07/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今年に入って既に百数十の舞台を拝見したが、今作がベスト1である。観た者は、観劇前と後で、自分の心と魂が変わっていることに気付かされよう。絶対お勧めの舞台である。花五つ☆

ネタバレBOX


“クマリ”を辞書で引いてみるとネパール盆地のネワール人に信仰される生き神だという。ドゥルガー女神の処女相として13世紀(一説には11世紀)以降信仰され、18世紀以降に隆盛を迎えた。クマリの資格を持つのは仏教徒カーストに属す初潮前の少女。クマリとされる少女は多くの集落に存在するが、カトマンズのクマリはクマリの館に住み、特に有名だと言う。
 恥ずかしながら、自分はクマリという存在を今作で初めて知った。チベット、ネパールそしてブータンは憧れの地域・国であるが、遠い夢であるうちは、詳しく調べてもみなかったわけだ。今回、れんこんきすたが挑むのは、この遠い夢の地域。思えば雲南省に住む少数民族地域などには最近まで桃源郷のような場所が存在していた。自分の知り合いのカメラマンで女性初の太陽賞を受賞した写真家が、雲南省が大好きで良く入っていたので自分は知ったのだが。尤も近頃では随分「開発」が進んでしまっただろう。ブータンにしても車が増えている。
ところで、ドゥルガー女神とはどんな神なのだろう。パールバティーと同一視され、シヴァ神の妃である。ドゥルガーの名以外にいくつもの呼称を持つ、強大な神であり、慈母であると同時に凶暴な側面を持ち、近寄りがたい存在とされるが、ヒンドゥ教の位高き神である。クマリになる少女に施される化粧に額の中ほどに引かれる線があるが、これはドゥルガー女神の第三の目を表すのであろう。初日が終わったばかりだから、余り詳しいことは書かない。だが、これだけは書いておこう。人を救うとは、彼ら・彼女らの中に眠る可能性をめざめさせること、世界は強く尊いものから成り立っており、ヒトもまたそのようなもので形作られているが故に尊いこと、そのことを相談に来た各々に気付かせること、それがクマリの力である。この力を行使する為に、クマリは様々な制限を受け、試練を課される。尊いとは何か、それが何故美しいのかを、これほど雄弁に訴えてくる作品は稀有である。

アイバノ☆シナリオ

アイバノ☆シナリオ

BuzzFestTheater

ザ・ポケット(東京都)

2017/07/19 (水) ~ 2017/07/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

 雨が、降ったり止んだりしている。傘を差している人々は、雨の降り具合で3割から5割という中、劇場へ向かった。受付扉前には、雨に濡れた観客に衣服の濡れや肌の濡れを拭えるようにハンカチーフのような乾布を手渡してくれるスタッフが立っている。微妙な天気の変化に対応する心尽くしが有難い。(この言葉の原義通り、有り難しのレベルである)実に気の利いた対応に、気の利く観客なら総てが頗る良い印象を持ったことだろう。(表舞台のみならず、裏方を含めた全員一丸となって良い舞台を作る、小劇場演劇の鏡)

ネタバレBOX


 さて、小屋に入った。指定席であったが、目の悪い自分の状況を慮って席の位置をキチンと受付で教えて頂いた。気が利くというのはこういうことを言う。親切であるばかりではなく、顔と名前を察知し適確な対応をしてくれる頭の良さが心地良い。すべからくこのような頭の働きを持った、而も善意の人が応対してくれることが、序盤での観客のリラックスに繋がる。とても大切なステップなのである。無論、それが押し付けでなく自然であることが肝要であり、その兼ね合いには、経験と経験をベースにした分析、的確な判断が必要なことは言うまでもない。
 さて劇場に入って早目に来た観客が最初に興味を持って見るのは、舞台美術である。隙が無い。下手奥に逆L字型に据えられたバーカウンター、その上手にはいくつかの階段の上に踊り場が設えられている。設定が網走のスナックの店内なのでカラオケステージとして使われることもあれば、店外のとある場所として用いられることもある。良く練られたシナリオの展開の妙を見事に脚色した演出が、状況の進展にぴったりの展開で場を盛り上げつつプロットを積み上げてくる。スナックの客達・ホステスのカラオケデュエットを含め、話の節目に入る主人公、アイバの失踪した彼のオリジナルソングは、その曲想と歌詞で観客の心を撃つ内容のものである。二千に近い小劇場演劇を観てきて、初めて曲のCDを買いたいと思ったほどいい曲であった。貧乏な自分はシナリオを買うと余裕が無く泣く泣く諦めた次第である。
 良く練られたシナリオに優れた演出。そして役者陣の演技の質は、ホントに観客の想像力を刺激し、キチンとシナリオと観客のイマジネイションの最大化を図ることができるほどのレベル。こんな演技をしてくれた役者が何人も居た。船頭・豊川役の藤馬 ゆうやさん、銀行員・宮國役の前 すすむさん、猟師と双子の曽我部兄弟役を演じた菅沼 岳さん、朱音を演じた山本 真由美さん、朱音の弟、卓馬を演じた飯田 太極さんらの演技は特に気に入った。主人公、相場を演じた川村 ゆきえさんがラストに近い所で嘆くシーンは、ちょっとオーバーに感じたが。(発狂するほどの嘆きは、無声慟哭になるような気がするので。)船頭・豊川を争う過程で、婚約者・千秋を演じたちすんさん、自殺を前に躊躇う男・達郎を演じたかめや 卓和さんらもいい味を出していた。御名前を挙げなかった役者さんたちも自然な、役柄に合った演技をしていたことは無論である。
 
引き返せない夏

引き返せない夏

非戦を選ぶ演劇人の会

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2017/07/19 (水) ~ 2017/07/20 (木)公演終了

満足度★★★★

 二部構成だ。第一部は宮城 康博作・演の「9人いる!~憲法9条と沖縄~」
           坂手 洋二作・演の「反戦」落書きのススメ
                    「戦場イラクからのメール」  

ネタバレBOX

  
       第二部が高遠 菜穂子、小西 誠、志葉 玲を招いてのスペシャルトークである。

何より、このような時代にこのような催しが行われていることに賛意を表すると、共謀罪に問われかねない、ということ自体大問題なのである。琉球弧・奄美に於ける自衛隊配備、軍事施設増強、の異様な有様は、かつて天皇・裕仁が沖縄に対しては戦後も敢えて朕であり続けた如き態様が取られ続けているのであり、それは未来のヤマト全体の姿でもあろう。この構想の背景にあるものこそ、アメリカによる日本植民地化の更新なのであり、対中国封じ込めの捨石としての地政学であることは、明らかであろう。秘密交渉の2+2でこれらのことが決められているとしたら、総ての状況が明らかになるのではないか?
 稽古時間の不足があるのだろう。若干、噛んだシーンがあったので、☆は4つだが、共謀罪の施行された今このような企画が演じられたことは特筆に値する。
引き返せない夏

引き返せない夏

非戦を選ぶ演劇人の会

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2017/07/19 (水) ~ 2017/07/20 (木)公演終了

満足度★★★★

 昨夜7月19日19時と20日14時に亘ったピースリーディング、演出、役者陣そしてゲストの方々も恐らくみなさん睡眠時間を削っての出演、本当にご苦労様でした。

ネタバレBOX

かく言う観客の自分も昨日は3時間45分、本日は4時間半の睡眠で駆けつけた次第。それだけ、危機感の共有された舞台でありました。(因みに心肺停止の臨死体験をして以降、20年近く自分の睡眠時間は現在、平均で7時間程に増えています。その前は4時間程度でしたが。)
 何れにせよ、忙しい方々が予定を繰り上げ、或いは繰り下げて同日、同時刻に集まってトークに参加してくれたこと自体が、劇作家協会理事長を長く勤めてきた坂手氏、そして演劇のひいては文化の力であることにも言及しておきたく思います。無論、芸能の中には、面白いけれど直ぐに消えてゆく作品もあれば、数百年、幾千年に亘って継がれてゆく芸能もあります。最低でも数百年に亘って継がれてきたものが、普遍性を持つと評されるに値するのでしょう。ですが、その手の作品は、文学に於いても、口承に於いても多々残存してきました。
 ところで、昨夜よりゲストのトーク時間を多く取れた本日の公演では、様々なゲストの状況へのアプローチから観客の多くが、示唆や勇気を貰ったのではないでしょうか。そしてそのようなゲストを一堂に会することができたことこそ、この公演の中心になっている演劇の力というものなのでしょう。
 稽古に時間的制約があったと思われ、若干噛むことがあったので、☆は4つ。
キリンの夢3

キリンの夢3

THE REDFACE

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2017/07/21 (金) ~ 2017/07/23 (日)公演終了

満足度★★★★

 開演の大分前から、プロ歌手にエレクトーンかシンセの伴奏付で、歌謡ショーのようなものが演じられているが、今作との関係がイマイチしっくりこなかったり、声はいいのだが、選曲とリズムが合っていなかったりで却って興ざめをしてしまった。

ネタバレBOX

おまけに、フライヤーには書いてあるものの、劇場の指定席座席表と公演関係者の付けたS席だのA席だのB席だのが異なり、受付にも劇場の座席表の所にも表示が無い為、観客は、主催の座席割り当てのコンセプトがハッキリ掴めず、混乱をきたすもととなっていた。もう少し頭を使ったらどうだろう! 別紙で、どの部分がA、B、Sと劇場座席表の横にでも貼り付けておけば、気の利いた観客はそれを頼りに正しい席に座るのだ。スタッフはそれでも目が悪いとかで自分の席を発見できない観客だけに対応すればよいのである。
 こんな要領の悪さで観劇前にインセンティブが大分削がれてしまったのは残念だ。扱われている事件は、光クラブ事件。東京大学文科Ⅰ類主席の主人公が代表となって興した闇金を巡る事件である。戦後直ぐの時期だから、東大も今ほどおちゃらけたイメージではない。東京帝国大学のイメージの方が圧倒的に強かったハズである。その頃の帝大と言えば、現在のフランスでENAなどに相当する超エリート校であり、末は博士か大臣かが、ジョークではなく通用した。それほど権威があったのである。因みにENAなどの卒業生の初任給は、通常の大卒の5倍程度である。
 話が脇に逸れた。光クラブ事件は余りにも有名だし、三島も「青の時代」で扱っているからご存じの方の多かろう。従って事件についての詳しい説明は省く。書いておくべきは、主人公、山崎が今作で太宰 治と会い、決定的な言葉「人間失格」を投げかけられていることである。無論、これは太宰の傑作小説のタイトルであり、そのことも科白で言われているのだが、山崎の辞世の句”貸借法すべて青酸カリ自殺”に現れた幼いシニシズムをこそ憐みたい。落とそうと思い定めた女には、そっぽを向かれるどころか破滅させられ、太宰には本質を見抜かれた上に先立たれることで、最早、追いつき追い越す目標を抱くことさえ不可能にされた負け犬の愚かな末路は余りに悲しい!

変更と加減

変更と加減

劇団冷たいかぼちゃスープ

APOCシアター(東京都)

2017/07/15 (土) ~ 2017/07/17 (月)公演終了

満足度★★★

 タイトルから察するに当然、シナリオの方向性、観客への斟酌、そして普遍性へ向かう道筋が想定されるが、

ネタバレBOX

このうち実現されているのは、シナリオの方向性くらいだろう、だがこれも片肺飛行ではある。確かに扱っている問題、苛めや自己中など世界中に蔓延し、而も解決が難しい問題を扱っているので作劇化自体にかなりの困難が予想されるのだが、であれば、主題をもっと絞った方が良いのではあるまいか? 
劇的なもの・ことのベースになる如何ともし難い必然性が土台部分に無いことが原因で、科白で説明する部分が目立ち、宿命や運命として必然的にそうなるという演劇の基本が抜け落ちてしまった。作家は透徹した視線でもの・ことを観る必要があろう。そうしなければ、今作で描こうとした人間関係の拠ってくる地盤が見えてこない。状況の如何様にもし難い必然性を前提にすることで、ドラマツルギーが生きるということを分かっていないと見た。それかあらぬか、表現の人称も一人称表現の稚拙なものが多い。作家は肝に銘ずべきである。他者に対して発表する作品は、少なくとも三人称をベースに組み立てられているということを。結果的に一人称を用いる場合でも、それは三人称経由の一人称、二人称であるということを。少なくとも一流の作家はこの程度の芸当はこなしている。
香典泥棒

香典泥棒

法政大学Ⅰ部演劇研究会

法政大学 市ヶ谷キャンパス 外濠校舎 地下一階 多目的室2番(東京都)

2017/07/13 (木) ~ 2017/07/16 (日)公演終了

満足度★★★★

 いつもながらの中々凝ったセットだが、終盤、もっと驚く。この仕掛けには感心した。基本的に大人の狡さ、卑怯を嫌った若者達の、それでも生きていれば嫌も応もなく大人の年齢になってしまうことへのアンヴィヴァレンツや、そうなってしまうことの是非に対し、ちょっとしたピカレスク・ロマンの手法を用いたケツマクリ。若書きの粗さや、背伸びが見られなくもないが、ふつふつと湧き出るエネルギーと突っ走る勢いには爽快感さえ感じる。
花四つ☆

ネタバレBOX


 実際多くの子供達が思って居るハズだし、思ってきたハズだ。何を? って大人は矛盾だらけの馬鹿だということをだ。3~4歳にもなれば、この程度の判断はつく。だが、いつ頃何が原因でそう考えていた子供達の多くが自分の正当な意見や行為、そして権利を捨てて世間に埋没してきたのか? 金か? 必要なら稼げばよいではないか? 金だけが目当てなら何をやっても食ってゆくこと位はできよう。恋か? 互いに年を取らず、いつまでも若く美しく健康ならば、それも良かろう。然し、それにも限りがある。では、地位や名声か? そんなもの、健康を損ねてしまえばそれまでのこと。また、大きく儲ける為には仕組みを先ず作らなければならない。今作では、実はそれが図られていた訳である。人々のメンタルを操り状況を動かして、動いた金を喰う訳である。現在、資本主義のやっていることもこれであろう。本当の金持ち達は、長者番付けに載るような馬鹿なことはしない。ケイマン諸島やカリブ諸島を経由してどれだけの金が洗浄されているか、考えてみるが良いのだ。皮肉にも、大人を嫌って単純な子供のような反応をした者達は狡猾の餌食とまでは言わないまでも、単に右往左往させられ、更に社会的リスクを背負わされたにも拘わらず、それら総てを企んだ連中だけが、高笑いをしつつ、おいしい汁を吸っているのだ。現在のこの「国」の為政者ような完全に破綻した支配層を持つ社会に於いては、このように冷静に企まれた悪だけが、不善を撃つことができるのかも知れない。
人本のデストピア

人本のデストピア

バカバッドギター

上野ストアハウス(東京都)

2017/07/15 (土) ~ 2017/07/17 (月)公演終了

満足度★★★★

 20年に亘って続けた公演も今回が最後、との触れ込みで始まった今作。デストピア状況が描かれる。デストピアについては、余り多くの方に馴染みが無い概念かも知れない。要するにユートピアの反対概念である。今作では、総ての動植物(無論、人間を含む)が一冊の本になってしまう、という奇病の流行った小国の話として描かれている。花四つ☆

ネタバレBOX


 こんな未来の無い状況なら必然的に起こってくるニヒリズムという深刻な問題は、スルーされているが。この物語の訴えるデストピア状況、即ち「原因不明の病」の大流行によってあらゆる生命が危機に晒されている中で、尚、ヒトはヒトらしく生きることができるのか? という本質的な問いに対する答えとして,ノブレスオブリージュが提示されていることの重大な意味を減ずる訳のものではない。斯様に受け取れる作品であった。タイトルセンスも人を引き付けるに足るものである。難を言えば、序破急のうち、序破の部分をもう少し、大人っぽく刈り込んでも良いかも知れぬ。
 為政者の勤めの中心を果たすのが魔女の家系だが、それをサポートする軍部が体制護持に走る姿は、現実に軍の機能を表象しているだけに実に興味深い。
 前説にも、センスの良さが認められる。この前説だけで、大きな拍手が起こったほどだが、何が起こるかは、観てのお楽しみ。
 20年も続いて来た劇団が、今作をもって終演とするということだが、様々な事情があるにせよ、早目の復帰を願ってやまない。
おんわたし

おんわたし

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2017/07/12 (水) ~ 2017/07/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

 流石! 話の持って行き方が素晴らしい! 島に暮らす人々の温かさ、素朴な人情の持つ力を描いて見事である。(花5つ☆)

ネタバレBOX


 メインストリームは、12歳で重大犯罪を犯して施設に10年間もの間送り込まれ、そこで人格改造を行われた若者、保(現在22歳)が保護司(中村)に連れられて来島、役所の紹介者(平良)を通じて郵便局長が預かることになる。因みに保の個人史に関しては保護司、平良、保自身の誰も語らなかった。然し、真面目に仕事をやり、礼儀正しい保の態度がぎこちなくとも島人達は彼を受け入れようとしていた。だが、人にも仕事にも慣れて来たハズなのに、保は決して笑わない。島人達の温かさは恰もそれが自分達のせいででもあるかのように気遣うのだが。矢張り、彼は笑わないのだ。そこで、事情を紹介者の平良に訊ねてみることにした。保の事件の実相を聞いた面々は、保に対する判断・対応を個々で決断してゆくことになる。(島で保を預かる際、責任者となった局長は好意的である。局長不在の際、万屋件喫茶を兼ねる店を任されているしっかり者のアルバイト、珠代は否定的だが、本人に気取られるようなことはなく、この万屋に入り浸りの寂しがり屋、吾郎には、おしゃべりで空気が読めないので、このことは秘密にしてある。)
ところで、この島で民宿を営む玉城夫婦は、バイト(政男)が相談も無く九州へ出てミュージシャンとして売り出そうと島を抜け出してしまった結果、唯でさえ唯一の売り、島一周遊覧コースが船の故障でへたっている上、稼ぎ時の夏季に民宿が回らないと大騒ぎしていた。そんな折も折。団体客の予約が入った。困り果てた玉城夫妻は「保を仕事に寄こしてくれないか」と相談しにきた。局長のOKも出、保も否定しなかったのでこの件は決まったのだが、間もなく保は仕事を放り出して逃げ帰ってきた。何でも「来客の誰もが、彼の顔をじろじろ眺める」というのである。保自身が最も事件のことを気に病んでいたのである。
さて、ここにサブストリームが巧みに絡んでくる。オープニング早々、局長が海辺で暇さえあれば石投げをやっている話が伏線として出ていて、その折、コーラ瓶を拾って持ち帰った。中に何か入っていたからである。それは12歳の少女が10年前に瓶に詰めて流した手紙であった。手紙には彼女の名前、住所と解けずに悩んでいる連立方程式問題が記されていた。玉城が解いた回答と万屋スタッフの写真“良かったら遊びにいらっしゃい”との招待のメッセージを、記してあった住所に出した。暫くすると局長宛に便りが届いた。成長し短大を卒業後、就職、現在は結婚していると最近の消息を伝える彼女からの返信であった。
返信が届いて暫くすると島に中年の女性(松原)が訪れた。彼女は瓶の手紙少女の母であった。届いた手紙は、実は彼女が認めたものだった。娘は中学受験に失敗、自殺を遂げていた。教師をしていた母が、一番身近に居た12歳の娘の発したSOSに気付くことができなかった。彼女はそれを恥じて教師を辞め、離婚した。だが、島からの温かい返信に対して嘘を吐いたことが申し訳なく詫びに来たのであった。
そんな母に局長は、娘と同い年で重大事件を起こし、まともに学校へも通えなかった保に夏の特別授業を頼む。母は、娘を失くした原因を根底から覆す為、保に教えることを選ぶ。実の親からも人間として向き合うことをしてもらえなかった保は、生まれて初めて、人の情けを知り、本音を漏らそうとするが、その場に現れた保護司中村に、本当の自分と事実を晒すことを拒否される。
因みにタイトルの「おんわたし」は、他人から受けた恩を隣りの人に渡す(返す)こと。この島の道徳法である。今作の随所にその例が見受けられるが、終盤、松原と保の真剣勝負で、この概念がいかんなく発揮され、成就する様は類ない。見事である。

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