ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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音楽劇 やくそく

音楽劇 やくそく

心魂プロジェクト

横浜ラポールシアター(神奈川県)

2018/02/10 (土) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★★

 グループ名は“こころだま”と読む。()花4つ☆

ネタバレBOX

立ち上げたのは宣教師の息子として生まれ、脱サラの後四季に属しミュージカル俳優として舞台に上がった後2013年末に退団、このプロジェクトを立ち上げた主人と、宝塚の男性役を務めた後、四季に移り今は奥さんになって共同代表を務めるお二人。成り立ちがこのような経緯を辿ったので、メンバーの殆どが四季出身の実力派揃いだ。国内各地の病院や、出掛けられない方の所へ出向いての公演を行っている他、台湾やビルマなどの病院を訪れて公演をしてきた。流石に各々の才能は大したものであるが、その才能を表へ出たくても出られない難病を抱えている方々の為に用い続けている姿勢の高さと覚悟、また心遣いに優れたものがある。財政規模が乏しいことからくる備品などの不十分を、創意工夫で埋めようとしてはいるものの、劇場で演ずるにはやや地味ではある。
いずこをはかと

いずこをはかと

PocketSheepS

TACCS1179(東京都)

2018/02/08 (木) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★★

 先ず、タイトルから解説しておく方が親切だろう。劇中でも神父がキチンとした説明をしてくれるが、元々10世紀前半に書かれたといわれる「伊勢物語」の一節“いづかたに求め行かむと門に出でてと見かう見けれどいづこをはか(り)とも覚えざりければ”から採られている。古い本なので()で示したようにヴァリアントがある。句読点は当時用いられなかったから、そのままにしてある。脚本と演技は☆5つ、舞台美術にもう少し工夫が欲しい。花4つ☆(追記2018.2.14)

ネタバレBOX

 閑話休題、内容の要約は、不如意な生まれと感じざるを得ない家に生まれてしまった令嬢・瑠璃は、中堅の武士であった先祖が何とか出世したいと望み、殿に宝物を献上したことが原因で、生涯座敷牢同然の部屋住みを強いられる宿命から自由を強く望む娘に育った。武士が入手した宝とは、金色に光る蛙であった。献上された殿はこの宝物をいたく気に入り、家宝として大切にするよう家臣に命じ、命を請けた家臣は、生きたまま蛙を桐箱に収め、宝物殿の奥にしまい込んでしまった。当然、金色に光輝く蛙は死に、齢三百歳を超え、妖術を用いるまでになったその母の大ガマガエルは、復讐の念に燃え、娘である金色の蛙を生け捕り出世の為に殿に献上することで命を奪うことになった令嬢の先祖に呪いを掛けた。もし、娘が外に出れば、この世で最も酷い呪いを彼女は周囲にふりまくことになる、という呪いであった。以降、この家の当主は長女を屋敷内に閉じ込め一生飼い殺しにするという家訓を守ってきた。この話が原点である。
 要は子は生まれる時代、家、両親を選べないという不如意を背負って誕生するという事実に迄敷衍できる。そして、幽閉が自由を命懸けで求める契機となることも。更にこの呪いをパンドラの函に掛けたことが、今作をより普遍的なものに繋げる縁となって居ることにも注意を向けたい。
 さて、この物語のもう一つの動力、それは互いに生まれて初の親友を持つに至った女掏り・珊瑚である。彼女は仲間2人と共に子供の頃、女掏りの親分・銀子に拾われ育てられた。つまり孤児と考えてよかろう。(捨て子かも知れないし、両親共に亡くなっているのかも知れない、その辺りはこちらで解釈する他ない。何れにせよ育ててくれる大人は居なかったから今流に言えばストリートチルドレンである)幸か不幸か、銀子は彼ら3人(珊瑚、鷹彦、虎次)を一人前の掏りに育て上げることで将来独立させる他、生きてゆく為の方法を教えることができなかったせいで厳しい管理体制を敷き、3人の自由を奪っていた。無論、上納金も含めてである。その所為で珊瑚も自由に対する強い憧れを持っていたのである。
 偶々、縄張りで荒稼ぎをし過ぎたせいで、取り締まりが厳しくなり上がりが乏しくなっていたこともあり、大店を襲って大金をせしめ、銀子に上納金を払って尚自分達3人が生きてゆけるだけの金を稼いで自由になろうと三人が衆議一決した時、忍び込んだのが、今では財閥となった瑠璃の実家であった。宝とは金銀財宝と思っていたのに、この家第一の宝とは瑠璃であった。その財宝自身が「自分を奪ってくれ」と言い出したからたまらない。自由を望む強い気持ちで相通じた二人は、座敷を飛び出し、冒険の旅に出るが、既に年頃となっていた瑠璃には父が決めた婚約者が在り、倒産寸前の会社を助ける為の政略結婚をさせられることになる彼は、瑠璃の夫になることでこの家の資産総てを乗っ取ろうと企んでいたのである。彼は、無論この計画を最後の最後まで明かさないので、この話に纏わる展開も一波乱あって実に面白いのだ。瑠璃の父も単に家を護る為の鉄面皮ではなく、実に人間味のある男であることもキチンと描き込まれている。
 一方、舞台美術には、もう少し工夫が欲しかった。脚本、演技は高いレベルであったが、舞台美術及び舞台監督、演出には、もう少し物語と美術の相関を詰めて欲しかった。教会は祭壇を設けてもっと小さいスペースで済ますとか、下手奥に2階を設けそこを掏りたちの溜まり場にするとか、費用的にきつければ幕や布で書割を工夫するとか。そうすれば、観客はもっと自由に想像力の翼を広げられるように思う。脚本と演技が良いだけに、この点は残念であった。

富士美町の朝日荘

富士美町の朝日荘

劇団サラリーマンチュウニ

上野ストアハウス(東京都)

2018/02/08 (木) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★★

 今回は、来年十周年を迎えるサラリーマンチュウニの第3回番外公演である。ということで今回の演目は劇団外からも劇作家を招いてのオムニバス形式。大枠のコンセプトは訳アリ物件。但しロケーションと環境には恵まれた物件であり、名を富士美町の“朝日荘”と言う。(花4つ☆)

ネタバレBOX


 ところで何気に聞こえる今作のタイトルだが、ここにも工夫があるのは流石である。富士美の「み」は“見る”の“見”では無く“美”であり、“朝日荘”の名からは、名曲「朝日のあたる家」が想起されるではないか! 内容は、このアパートに起こる奇々怪々を巡る6篇だ。
 一応作品名を挙げておくと1「歪みの向こうから」2「訳アリ物件の幽子さん」3「ぜ・く・し・い」4「物件No.48 誰か居る」5「生活音が聞こえる部屋」6「雨降る晩に」エピローグである。感心するのは、どの作品も捻りがあること。エピローグも洒落ている。エピローグへ向かう6人の脚本・各々の、特性を活かすと同時に上手く配剤している総合演出のバランス感覚の良さも光る。
 自分が最も気に入ったのは第6話だったが、先にも述べたようにそれぞれ捻りのきいた作品群である。
 ただ、6話に自分が感心したのは短編の中に演劇に必要な総ての要素が巧みに取り入れられ、物語の展開も非常に自然でありながら、人と人とが出遭うことの不如意から始まって、その必然性へともつれさせ、不合理でありながら、訳アリ物件というシチュエイションに登場するならうってつけのキャラを設定することで、在り得ない世界と我らの生きる世界を繋ぐと共に、不自然同士の間柄に誤解を埋め込むことで、人間的な普遍性を獲得している上にどんでん返し迄用意されて、完成度の高さをいやが上にも見せつける作品であった点である。
 楽日には、席が未だかなりあると言う。各自ネットで残席を確認の上、是非観て欲しい作品群である。
「マーニ ~その隠された人生~」再演

「マーニ ~その隠された人生~」再演

SPPTテエイパーズハウス

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/02/07 (水) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★

Aキャストを拝見。

ネタバレBOX


 実在したゴーストシンガー、マーニ・ニクソンの物語。女優としてデビューしたハズが、並外れた歌の上手さ故に「王様と私」のデボラ・カー、「ウェストサイドストーリー」のナタリー・ウッドそして「マイフェアレディー」のオードリー・ヘップバーンのゴーストシンガーを務めた。然し、エンドロールに彼女の名が載ることはないまま長い下積みを余儀なくされた。後デボラ・カーやナタリー・ウッドの証言により表舞台に立つことになったそうである。(以上当パンを参考にした)尚当パンラストページ中ほどに誤字がある。行進ではなく後進が正しい。尚、当パンに書かれている史実と実際今回演じられる出演者の役名・役割が史実と若干異なるのは、無論のことである。(念の為)
 この劇団随分公演を打っているようだが、どこか間が抜けている。本日の公演も序盤、演技のヴィジョンを各々の役者がキチンと掴んでいないのが原因で、間の取り方がなっていない。おまけにアメリカ人を装う仕草がわざとらしくげんなりしてしまった。もっと演出もダメ出しをキッチリやって欲しい。演技で気に入ったのはエド役、ビル役、オルドリィ役の3人。若い頃のマーニを演じた役者は、Tonightを歌う時の口パクが音響とずれてしまっていた。頑張って居た所もあるが、この点は気を付けて欲しい。脚本も細部の詰めが甘く、結果、内容的にソフィスティケイトされているのではなく軽い。表現する者としての哲学が弱いのが原因だろう。所作のわざとらしさを克服する為にはスタニスラフスキー理論に従った練習法を取り入れてみたら如何か。
MOTHER

MOTHER

庭劇団ペニノ

ドイツ文化会館ホール(OAGホール)(東京都)

2018/02/06 (火) ~ 2018/02/10 (土)公演終了

満足度★★★★★

「地獄谷温泉 無明の宿」で岸田戯曲賞を受賞したペニノのタニノクロウ氏。そしてカスパー・ピヒナー氏が2015年に立ち上げたMプロジェクトの作品。ユニットのコンセプトは、観客自身を作品の作り手、一部として観客が自由に劇空間を動きながら作品を作り上げてゆくこと。(以上当パン参考に作成)

ネタバレBOX

結果、当然のこと乍ら役者から、観客に対する突っ込みなどの当意即妙なアドリブが入り、笑いも生まれる。
 劇空間に入る前にはスタッフから、お面と半球型で小型のライトが貸し出される。劇空間は消灯してあるから、観客は足元を自分のライトで照らしつつ慎重に劇空間を移動しなければならないのだが、この緊張感と暗闇がイマジネーションと童心の頃の悪戯心を最大値に向かって亢進してゆくから面白い。つまりワクワクするのだ。
 ところで会場内には、様々な器具、玩具等が予め配備されており、これらのものと役者達の関わりや遊びに観客が絡んでゆくことで劇が成立してゆく。暗がりのあちこちに置かれているこれら、遊具にアプローチする役者達の動きに沿うように観客達も自由に動き回るので、前の方に居る観客は、腰を屈めながら観ていたりするのも楽しい。一々の仕掛けも楽しいのは、それこそ、子供の頃秘密基地を作って遊んだ感覚を思い出させるからである。“人間は遊ぶ動物である”と喝破した哲学者も居たが、多くの文人墨客が座右の銘とする「梁塵秘抄」の一節“遊びをせむとや生まれけむ”を想起する者も多かろう。
 様々な遊具を用い、観客とのアドリブ的交感を経た終盤、プロジェクターに映し出されるのは「2001年宇宙の旅」のワンシーン。「美しき青きドナウ」の流れる中、プロジェクターからは星屑が溢れ出し、劇空間を覆ってゆく。そして会場の一隅からは、膨張する物体が現れどんどん肥大し、遂には天井に迄届く。この巨大な物体の前にシルエットのように浮き上がる、極端に小柄な役者達、役者達を囲む通常の背丈の観客を、巨大化した物が、相対化しサイズの大小など取るに足りないことと思わせながら、而もタイトルそのものに集約してゆくラストは圧巻である。この物体が何であるか、既に感のいい方にはお分かりであろうが、実際に観劇するとこの壮大なイマジネーションに感動できる。
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劇団鹿殺し

座・高円寺1(東京都)

2018/02/01 (木) ~ 2018/02/12 (月)公演終了

満足度★★★★

 自分は子供好きなので、

ネタバレBOX

こんな状況で子供を持とうと思わないが、未だに大多数の人々は愛する人との間に子供を作りたいと望む。それが素直に望めれば自分もそちらを選ぶ。然しながら我々の暮らす現代は、ヒトのみならずありとあらゆるこの星に生きるものが滅んでもおかしくない状況である。第1に核だ。第2にAIとナノテクを組み合わせた新兵器、その他にも環境破壊やヒトの欲望の作り出した不自然な環境負荷が今後の生物の存在に与える悪影響等々をあげつらえば枚挙に暇がない。
 だが、今作の登場人物の中に現代に自分のようなディストピアを見る者は皆無であるから、精子無力症の主人公も、子の出来ない原因を打ち明けられたことも無い妻も多くの人々同様子の誕生を望んでいる。内容は、観て貰いたい。但し始まり方は、この評のように、ちょっと常識から外れた視座を用い、ショックを見る者に与えて後、引き込んでゆくという方法を用いている。
 ところで、気になった点はタイムパラドクスの処理についてである。男3代に跨るこの話の中に祖父、父、孫が出てくるのであるが、孫が父に会う時、祖父に連れられた幼い父と同時に存在しているというドッペルゲンガーを更に複雑にしたようなシーンがあったりするのだが、この問題をキチンと処理していない点である。孫が時間を遡り過去を再編した点については、父の死の代わりに母が大怪我を負うという形でタイムパラドクスの処理が為されているので、作家にこの知識が無かった訳ではないのが分かるだけに、最初に挙げた点が未処理である点については、不満が残った。
 面白いのは、舞台奥に向けて7~8°程度の登坂傾斜を持たせた平台の上に文化住宅の間取りが示されている点だ。これが固定された唯一の舞台美術であり、他は必要に応じて半透明な箱馬が多用される。文化住宅の名は、2種類あるが、ここでのそれは大阪で1950~60年代に建築され、それまでの銭湯使用・共用トイレ・共用炊事場などでは無く、各戸にそれらが設えられ核家族化がモダンの象徴として喧伝されたことに拠る。無論、背景にあったのは、同じ敗戦国イタリアなどの人民を慮る配慮がこの植民地官僚には最初から無かった点にある。この辺りの本質が、現在も変わらないのは、政治と官僚の結託を見れば明らかであろう。何れにせよ、民衆はまんまと官僚の仕掛けた罠に嵌ったということである。
 今作、元々TV用に作られた脚本ということであるから、余り厳しく追及するのも大人げないかも知れぬが奇を衒い過ぎて哲学的な深みや科学的整合性に欠ける点は、更に勉強して欲しい。
オホヒルメ

オホヒルメ

アブラクサス

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2018/02/01 (木) ~ 2018/02/05 (月)公演終了

満足度★★★★★

 738年女性として初めて立太子した後749年孝謙天皇として即位し、一旦は上皇に退きながら重祚し再度称徳天皇として返り咲いた聖武天皇と藤原光明氏の娘・阿倍内親王を中心に、物語は展開する。
背景には645年に大化の改新で功を遂げ死後天智天皇から藤原姓を受けることになった鎌足の子孫で紫微中台長官及び太政大臣を兼任した仲麻呂、同じく新勢力として躍進していた藤原四兄弟の子で従兄弟に当たる永手と共に律令制を取り入れようと画策していた。即ちこれまで朝廷を支えてきた旧貴族勢力、長屋王や橘諸兄・奈良麻呂らとは対立関係にあったのだ。
なお、この物語の半世紀ほど前には壬申の乱、更に10年程前には白村江の戦いがあり、大和は、大敗を喫していた。しかも壬申の乱では、天智天皇の子・大友皇子が叔父である大海人皇子に敗れ大化の改新以来天智天皇の重臣となっていた貴族達も散り散りになっていたため、天武天皇は皇族中心の中央集権政治を実現することができるようになっていた。
 今作は、このような経緯があって後、疲弊した大和で仏教を重んじた聖武天皇及びその子、阿部内親王(718年生まれ。後の孝謙、重祚して称徳)は、728年に生まれた弟、基の死を受けて女性初の立太子として立った後、749年に即位したのだ。(追記2018.2.3)

ネタバレBOX

 先にも述べた通り天武以降天皇の権威が増し神の憑代としてその権威は高まりを見せていた。このことが、今作の改革派中心人物である藤原仲麻呂の権力の背後で権威として機能している聖武天皇の皇后であった藤原光明子(今作では多くのシーンで皇太后)の権威の源泉、力の源泉であることは言うまでもあるまい。光明子を演じた女優に品があることもキャスティングの良さを示している。長屋王の変、についての解釈、内親王の生涯についての通常とは反対の立場に立つ解釈(道鏡及び彼との関係に関しての解釈についても)自分にはとても納得のゆく解釈であり、今作の解釈が正しいのではないかと思う。何となれば歴史などというものは所詮勝者が己の為した悪逆非道、人倫無視の政策を隠蔽する為のものでしかないのは、事実を発掘し続ける者達の努力によって綴られる歴史とは大方対極を為すからであり、政治という人民操縦の具だからである。
 以上の事実から、今作の眼目は、現安倍政権に対するアイロニカルな批判ともとれる。実際、現政権の無定見、無思慮、無責任、そして反人民性、反人間尊厳性は明々白々である。この事実を、実際に現天皇及び天皇の家族が、政治的立場を明確に示せない現行法の中で示し得る最高の方法でアピールしているのを見ても、そして本音では、これら良心の鏡とも言える天皇家の国民的人気が、自民党の議員にとって頭の痛いことであるのも事実であろう。だが、自分は天皇制には反対である。天皇、皇族に対する現在の日本の総ての人民が、彼らを特別視することが逆差別に当たると考えるからである。ヨーロッパの国々にも王や王族を抱えたまま民主主義国家である国々は多いが、王、王族も人間として民と同じである。(無論、キリスト教という一神教の国々が多いことと無関係ではないが)
ヨーロッパに比して若干難しい問題はあるにせよ、人間及び人間性をベースにしたシステムの中で、天皇や皇族に人として当然の権利を与えるのは、主権者、国民の義務でもあろう。そのようなシステムを我々自身が用意しない限り、天皇制の問題は穏便に片付くまいしこの国特有のファシズム形態を乗り越えることもままなるまい。今作はこのような問題迄考えさせてくれる力を持っている。
演技では、特に主役の羽杏が気に入った。
瀬戸の花嫁

瀬戸の花嫁

ものづくり計画

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2018/01/31 (水) ~ 2018/02/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

 序盤、何と冴えない、ダサイ作品! と思わされた所から術中に嵌ってしまった。花5つ☆

ネタバレBOX

ヘタウマの手法だったと気付いたのは中盤後半辺りだ。島の人々の素朴さを表現する為に敢えてダサイ、ちょっと都会感覚からずれた生活態度、風景、発想を序盤でたっぷり味あわせ、中盤に入ると徐々にそのぎこちなさを克服するという形で、観客を取り込んでくる。その如才の無さは半端ではない。完全に芝居の内容を観客に追体験させているのである。
 一方、劇中でもこの観客の追体験の流れと並行する形で、島の人々が大失敗をやらかしたり、あってはならない喧嘩を始めたりすることで、都会から来た女性達の隠して置きたかった過去をカミングアウトさせるまでに解放する。この流れが自然に感じられる所が素晴らしい。脚本の良さは無論のこと、手際の良さを見せないほど練達の演出が素晴らしいし、役者陣の演技もいずれ劣らぬ素晴らしいものであった。音曲の合わせ方、照明効果も見事なコラボレーションを為して観客の感涙をそそった。
 終演後、外に出ると、皆既月食がほぼ、完成する所、天体までが応援してくれたような舞台であった。
Do Munch

Do Munch

みどり人

新宿眼科画廊(東京都)

2018/01/26 (金) ~ 2018/01/30 (火)公演終了

満足度★★★★

 開演前、突き当りスクリーンには、エンドレスな映像が映されている。客席は、上手長辺に沿って高低差のある2段と入口横、つまりスクリーンの真反対にこれも高低差をつけて2段。上手長辺の真ん中辺りにムンクの絵が数点飾られている他は、舞台美術なし、床もフラットである。

ネタバレBOX


 開演直後、女が一人ふらふらと入ってきていきなり倒れる。これがムンクの幼い頃、亡くなった姉として物語が始まる。ムンクにとって、この姉の突然死は大変なショックだったと推察されるのが、今作の要の一つ、もう一つは、大家の不可解な行動の原点にある。(この不可解については観劇して確かめて欲しい)
 ところで、当パンを読むと、作家自身がムンクに惹かれ続けてきたということだが、何故惹かれるのか、その原因が得心できずにきたという。それが今作を創るきっかけになったということなのだが、自分は、それをガンジガラメにされた日本の、真綿で首を絞められるような逼塞感からのはみ出し行為、即ち自由へのよちよち歩きと捉えた。
 物語り自体は従って芝居の三一致法則からも外れ、劇的展開への工夫も弱い。然しながら、現在日本に住み、暮らしている女性が感じる閉塞感から脱出したいとの念はとてもよく滲み出ている。
 劇的になっていなかった点を以下に若干挙げておくと、大家・茂道の足が悪いことと姉・母の死が関連付けられていない点(ムンクも姉の死の直後母も失くしている、それであのような独自の作品を生み出していると解釈されている)、今作の創作意図にはそぐわないかも知れないが、圭子と瑞紀が終盤のクライマックスに絡んでこない点も迫力を削いだ。
演出上で門題を感じたのは、茂道が部屋を出るシーンで施錠するのだが、この直後、部屋の中を紙飛行機が飛ぶと、開錠せずに部屋に入って行くシーン。このシーンは幻想シーンなので敢えてこのような演出をしたと考えられないことはないのだが、矢張り感覚的には不自然感が残る。施錠する寸前に音などでタイミングを合わせ、飛行機を飛ばす等の工夫が欲しい。
第3回 神奈川かもめ短編演劇祭

第3回 神奈川かもめ短編演劇祭

神奈川かもめ短編演劇祭実行委員会

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2018/01/25 (木) ~ 2018/01/28 (日)公演終了

満足度★★★

Aブロックを拝見。出演順評価1: ☆2, 2:☆5, 3:☆4 4:☆2 全体は満足度のコーナー

ネタバレBOX

一劇団20分以内の作品を上演して勝敗を競うこの演劇祭も今年で3年目。Aブロックは1番目、高知のシャカ力「大好きなものを食べる」。3人のオカマが登場。肝は、娘が可愛がっていたスッポンが死んだのだが、オヤジは素知らぬ顔をして料理を
拵え、娘と共に舌鼓を打つ。初めにグリコーゲンの多い部分、娘が「おいしい、これなあに?」と問うのを「外側」と答え、次に食べた物を「内側の・・・」と答えるオチ。
2番目が、島根から来た亀二藤演目は「酒とお蕎麦と男と女」20分で良くこれだけ濃い内容の作品を創った、と感心するほどの脚本。話は観てのお楽しみだ。自分はこの作品が最も気に入ったが、惜しむらくは、最後のシーンで使われた小道具が、このシーンには相応しくなかったことだ。
3番目は戯曲選抜チームの作品で「机上の空論」文芸誌の編集者とこの雑誌の看板作家、そしてちょっと器用なライターの締切間際のスッタモンダを扱った作品で、編集者出身でライターの自分には、身につまされる科白なども随所に入っていて面白く拝見した。
4番目は、小田原からやってきたチリアクターズの「くよくよ、迂回」である。妖怪が人間に追い詰められて、何とか起死回生の手を打とうと祭りを計画するのだが、いかんせん、一番人気のあった狼男は人間の女との結婚で抜け、ろくろ首は、妖怪に憧れる人間の女、あとは、とても吸血鬼には見えない吸血鬼と童らしさは若干あるものの、ちゃんと座敷童っぽい形をして出演している訳ではない座敷童達のああでもない、こうでもない。
ここから

ここから

ソラカメ

王子小劇場(東京都)

2018/01/24 (水) ~ 2018/01/28 (日)公演終了

満足度★★★★

 舞台が設定されているのは、どことも知れぬ森の中の空き地。戦火から逃れ右往左往する少女達、空には爆音が響き、地には銃声が木霊する。だが逃げる彼女たちには肝心な情報が無い。

ネタバレBOX

敵・味方の区別もつかず、一体誰に追われているのかも知れない。爆音が去って静かになり漸く少し寛げそうな場所に辿り着いて一息ついていると銃声がする。やって来たのは、これまた肝心な情報を持たず、拾ったマシンガンを手に暴発させてしまい動顛した挙句、暴発した際、先の女性たちに怪我は無いか? と心配している若い女だった。彼女達同士がどうやら敵ではないという認識を持って暫く経つと又も飛行機の爆音。隠れる場所を探しどうやら隠れられそうな場所に潜り込んだ。
この辺り、どうやら不法廃棄物の捨て場となっている場所なのだが、ここにやってくるJK達にとっては、子供の頃の秘密基地を思い出させる何故か心休まる場所でもあった。高校をふけてやってくるJKや既に社会には出ているものの、失職したり一時はヒット曲を出したが一発屋でその後はニート生活を送る者、正体の分からぬ敵に怯えて逃げ出した者達同士が、この場所で遭遇した。恰も異なった時空が、偶然その扉を開いて邂逅したかのように。相変わらず正確な情報は無いまま若い女性達は、とても真っ当で健気な判断を下す。即ちそれでもここから始めよう、と。
然しながら、彼女たちの悲劇は、その普通で健気で真っ当な判断にも拘わらず、肝心な情報を欠いていることである。その肝心な情報とは、自分達の位置である。無論、GPSによる単純な位置情報だけではない。世界政治、軍事、経済、科学技術、社会、歴史、民俗、宗教、思考傾向、情報分析等々をトータライズした際に置かれる己の世界内位置を考察するに必要な情報である。どうでも良い情報は溢れかえっているのが実情だが、フェイクを含め、そんな屑情報は一切必要ない、と判断できるだけのキチンとした情報が欠けているのだ。そして先ず知るべきは隠し、偽情報を流しているのは、支配政党であり、それに媚びる官僚、最高裁、御用学者、マス塵、経済界等々為政者サイドであり、強行採決、閣議決定等を通じて法的武装をした彼らの流すプロパガンダであるという事実だ。
彼女達が健気であるだけに、気の毒でならないのは、単に作品化された今作の内容が訴えてくるものから受ける印象だけではなく、そこに込められた心を汲み取ればこそである。君たちに必要な情報をキチンと探し、自分達のものにしたまえ。
参考までに、今日本で起こっていることの根本が書かれた本を1冊紹介しておく。「オキナワ島嶼戦争」小西 誠著 社会批評社
ところで、何故女性にこの本を薦めるか? であるが、女性同士の話の多くに恋が絡み、それは自然で大切なことなのだが、恋した相手が戦で死んだり、障害を負ったりするばかりではなく、自分の産んだ子が戦争に巻き込まれることも在り得る。そうした状況を創らぬ為には、先ず現実を知ることから始めねばならないからである。戦争など本気で望む奴は外道だろう。先ずは一人一人が、本気で厭戦を肝に据えねばなるまい。その為に力を発揮できるのが女性ではないか、自分はそう思っている。


はなしたく、ない

はなしたく、ない

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/01/22 (月) ~ 2018/01/24 (水)公演終了

満足度★★★★

 3人の女を巡る、一風変わった恋バナ。

ネタバレBOX

一見LGBTだが、妙な違和感や特別な空気も感じさせず、寧ろ男性の中に在る女性性や、女性の中に在る男性性を描くような淡泊な印象を受ける。登場人物達各々の在り様を通じて、新宿という街のディープなレベルでの優しさが描かれているように思うのは、かつて新宿を中心に遊んでいた時期が長い筆者自身の経験によるものが大きいかもしれないが、現在とみに問題視されるストーカーやLGBTという社会現象を纏いながら描かれるのは、そのような人情の街としての新宿だという印象を持った。
サクラと私と不透明な昨日までのこと

サクラと私と不透明な昨日までのこと

劇団 Sakura Farm

学習院女子大学 (東京都)

2018/01/19 (金) ~ 2018/01/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

2018.1.21 19時 互恵会館
 パフェ(学習院女子大舞台芸術部)は4年生の卒業公演を1か月後に控えていた。脚本(仮)も上がり本格的な稽古が始まろうとしていたが、授業にも遅刻ばかりしていたり、欠席を繰り返していたサリーは、年の離れたバイト先の店長と熱愛中、大学も止めると言い出した。当然、最後の公演となる卒業公演にも出ないと言う。(追記2018.1.27)

ネタバレBOX

このことで部長・中井との仲が狂い始めている。2人の間に立った者の思いややりきれなさからくるストレス、そして対立する2人の思いを軸に、若い女性たちの淡く柔らかい感性や互いを思いやる優しさに思いあぐねたサリーは、彼を皆に実際に観て貰い彼女自身の気持ちを分かって欲しいとの思いから話し合いの場に連れてくる。だが、彼女の意に反して外部世界の象徴としてグイグイ割り込んでくるサリーの彼・店長の強引なまでの現実感との狭間で悩み、引き裂かれそうになる部員たち。然し乍らも尚、部員同士互いに向き合おうとする柔軟な存在の仕方を余韻として残しながら、中井の気持ちを察し、彼女をそっとしておこうと退出した皆の後、カナダに留学していた為に卒業が1年遅れた先輩が実に優しく自然に部長を慰めるフォローの仕方や、後輩部員の仲違いをしないで欲しいとの真摯な訴えとして纏めると共に、年中家族旅行をしては、お土産を持ってきてくれるメンバー、公演迄2週間という絶妙な時点で、サリーの抜けた穴を埋めるように入ってきた新入部員で新たな展望を予感させつつ、メタレベルでは、サリーの相手は結婚詐偽師であることが判明、サリーも部活復帰となって、新入部員は制作を担当とすることになるオチ迄が一連の流れ。
 出演する役名と本名がダブっている点も見逃せまい。何故ならここに描かれていることは、ドキュメンタリーではないが、パフェに属する、或いは属した彼女たちの掛け替えのない日々だからである。
 而も作中何度も出てきた、ミサイルへの危機感が戦争勃発を懸念する女子大生たちの時代への懼れであることが確実な中で、ラストにはけたたましいサイレンの音が入る。これをミサイルが落ちて鳴らされたサイレンと取ることも、或いは卒業公演迄2週間という時点で決定稿が上がり卒業してゆく4年生たちを送る記号としてのサイレンと取れる所もグー。
 但し注意しておかなければならないことは、戦争で決着をつけようとすれば、互いの疑心暗鬼は、軍拡競争を生み、戦争が始まればその結果は増々その悲惨の度合いを増すということである。まして日本はアメリカの植民地であるから、アメリカの言うなりに動かされている。その結果、アメリカを守る為の最前衛を担わされているのである。日本の軍隊は日本人を守る為に機能していない。このことを肝に銘じておくべきではあろう。
リタイアメン

リタイアメン

燐光群

森下スタジオ(東京都)

2018/01/18 (木) ~ 2018/01/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

 日本でリタイアした人々が、東南アジア諸国へ出向き、悠々自適の生活を送っているとか、いや、それほど良い物でもないらしいとか、様々な噂は風の便りに聴いたこともあろう。

ネタバレBOX

今作は、このような人々が現地で実際どのような生活をし、どのように現地の人々から観られ、或いは溶け込んで生きているのかを、数々のリサーチをベースにし、タイやフィリピンの役者達とワークショップを開いて互いに学び、意見交換し、リサーチした結果をどう演劇化するかディスカッションを重ねて生まれた創作である。無論、ドキュメンタリー作品ではなく演劇であるから、ここに描かれているのは、各登場人物の在り様を通じた人間関係の妙であり、社会性や喜怒哀楽そして海外で生きることを内と外から見る、或いは見られる複合的な視座とこのような複合的視座の上で選択される判断が、どのような展開を遂げることになるかの演劇的見取り図である。と同時に現代日本が置かれている世界状況を大方の日本人の閉鎖的視座からではなく、外側から見ている点が興味深い。
 また、今後、この植民地で確実に起こることになるであろう原発人災に対し、政府が如何様な対応を採るかについても最もありそうな想定で描かれている点も見逃せない。前中盤までの文章と最後の文章が如何様に繋がるのか? は観てのお楽しみ! 
全段通し仮名手本忠臣蔵

全段通し仮名手本忠臣蔵

遊戯空間

浅草木馬亭(東京都)

2018/01/18 (木) ~ 2018/01/22 (月)公演終了

満足度★★★★★

対絶べシミル!! 花5つ☆ ご存じ忠臣蔵!! アナザーバージョン! 古典は苦手という方は、少し早めに行くべし。当パンの中に粗筋等を記したリーフレットが入っているから、事前にこれを読んでおけばキチンと筋が追える。また、上演時間は、10分の休憩を挟んで3時間程、極めて質の高い、息もつかせぬ迫力の舞台である。

ネタバレBOX

 前回の演技版から今回は初心に戻ってというより、前回までの5回の公演で実験して来た様々な要素を組み入れ、より自由、闊達にリーディングと呼ばれるジャンルの一定の作法を飛び越えようとの試みも仕込まれているばかりではなく、リーディングと演技との謂わば境界域の緊張感と同時に、既に各演者の頭に科白が入っているということから来るゆとりが、相互の関係性に迄気を配る細部の繊細な動きや挙措にも表れ、舞台を活き活きとしたものにしている。
 今作のように人口に膾炙し、長く生き残ってきた作品というものの凄味は、各挿話の質の高さに由り、またその相互の関連を通して描かれる人間の生き様に在ることは無論であるが、その凄さを今回の演者たちのようにしっかり演じてくれる役者、演出家あってのものでもある。
然しながら今作、今回の公演を以て暫くは、演じないという話である。18日初日で19日には、未だ残席があるとのこと、駆け込んで是非ご覧頂きたい舞台である。
十文字鶴子奮戦記 外伝

十文字鶴子奮戦記 外伝

劇団カンタービレ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2018/01/17 (水) ~ 2018/01/21 (日)公演終了

満足度★★★

 物語は1982年と2017・8年を入れ子細工にして展開する。

ネタバレBOX

1982年といえば、族真っ盛りの頃、レディースなども登場し、猫に学ラン着せてナメ猫! なんかもあった時代だ。
 主人公は、矢張り走り屋から、プロレーサーに歩を進めた天才を父に持つ紅天使リーダー鶴子、そしてライバルクレイジーハートトップ瞳たちレディースである
これに、地元では最大の勢力を誇り、120名を束ねる族が絡んで傘下に入らなければレディースメンバー全員を罠に掛けて呼び出した上で回す計画が練られていた。この危機を回避できるか否かが矢張り最大のクライマックスだが、そこは、JK、コイバナや学校カリキュラムとの絡みも。遊びたい年頃であると同時に気後れしがちなナイーブさ、両リーダーの持つ、貫目や度量も描かれていて興味深い。
 残念に思った点は、前半脚本、殊に導入部が余り練れておらず芝居を観なれている者には不自然を感じさせられる科白・演出であった点、また演技が余りにオーバーで、結果ギャグなどが滑ってしまったことだ。
 開演前に流れて来た数々のヒットソングは、1982年当時のもので、この選曲はグー。また作中で使われる音曲も良い。驚かされるのは、ラーメン屋兼定食屋、喫茶店、屋台等々場転でセットが変わるのだが、この早変わりが素晴らしい点だ。裏周りは大騒動だろうが、キチンと設定されていた。
あなたのこと、わたしとのこと

あなたのこと、わたしとのこと

TCU Creative

at THEATRE(東京都)

2018/01/13 (土) ~ 2018/01/14 (日)公演終了

満足度★★

 僅か40分程の尺なのだから、(追記:前半余りに工夫がなかったので寝落ち、結果、自分の勘違いした点もあったので追記しておく。尚、追記部分は、ネタバレの最初のレビューから2行空けて書き始めてある。)

ネタバレBOX

物語にもっと緊迫感を持たせる設定にするなり、唯、退屈をやり過ごし、生きながら死んでいるような状況を描くなら完全にシャレノメス位のことをやらないと。科白を構成しているボキャブラリーが貧弱過ぎて唯でさえ平板な科白、状況設定が、尚ドラマツルギーから離れてしまった。美術も机と椅子である必然性が何処にも無い。座ったり、手を突いたりというだけなら、箱馬で充分。
 更に決定的な欠点は、人間観察の甘さが出てしまったことだろう。残念だ。


 タイトルに惹かれたのだが、殊に“のこと”と“とのこと”の対比に何かしらセンスを感じたのだ。だが、序盤余りにも扁平な“幸せ”・“愛してる”の多用が折角のセンスをぶち壊してしまった。この単語の一々に、感情や念いの千変万化を表現しているなら兎も角(これだけ多用すればそれも不可能)そういった配慮も見られずに、言葉の齎す印象に多少とも敏感な人間なら、この序盤だけで好い加減飽き飽きしてしまう展開である。
 男1と別れた女が男2と暮らし始めることで、小市民的な“幸せ”を成就することで、男1とは浮気関係に過ぎなかった男女関係自体はステイブルなものになり、それこそ、小市民的な幸せが成就しメデタシ、メデタシとなる訳だが、一方、手取り僅か18万の給料から不倫の代償として女は、男1の妻に対し300万の支払い義務を負うことになる。
 これがこの物語の粗筋だ。場転で机と椅子は対面に設置され、二人っきりでゆっくり食事を摂る場面等が展開するのだが、このどうしようもなく陳腐な“幸福感”を得る為に支払った女のリスクの大きさが漣のようなテイストで描かれる所が、如何にも日本ということか。
 残念なのは、序破急でも起承転結でもなく、前場、後場の作りになっていることだ。脚本で一場になっている部分は、導入というより前説の要素が強いのでイントロとしては頂けない。二場になっている部分が前場に当たるが、ここでもこれだけ同じ単語を繰り返す必然としての伏線が敷かれていないことが問題である。ここには、伏線としても、これらの単語を繰り返す必然を示すという意味でも他の言葉群に対してメタレベルで要になり、重心にもなるような一行がどうしても必要である。その上でなら、家裁の調停が入った上での示談にももっと説得力が出てこようというものだ。
 無論、主人公は女、市子である。何故なら男は、1,2という記号であるのに対し女は個人名であるからだ。それも市井の人を意味しているような名である。このことで、作家は女を般化したつもりなのだろうが、ポピュリズムに流れてしまっては、市井に埋没してしまうので、この点でも捻りが必要だ。演出レベルで言うなら、男が軽く扱われている分、1、2の区別をキチンとつける必要を感じなかったのかも知れないが、これでは観客が戸惑ってしまう。せめて片方には髭があるとかネクタイが違うとか、直ぐ様変わりできるような「記号」をつけるべきだろう。
 余りにも退屈な前半で寝落ちしてしまって、当初、その印象でレビューを書いたのが、配られた脚本を拝見すると自分のレビューにも誤解があった為、稿を改めた次第である。
スピークイージー

スピークイージー

やみ・あがりシアター

荻窪小劇場(東京都)

2017/12/23 (土) ~ 2017/12/28 (木)公演終了

満足度★★★★★

 タイトルのスピークイージーとは、アメリカの禁酒法時代に酒を出すバーを指していたとされる。禁酒法ではアルコール飲料の販売、生産、輸送(密輸を含む)が禁止されていた。

ネタバレBOX

この事実をベースに都条例で禁酒法が可決されたという設定の話だ。悪法として歴史に残る禁酒法が施行されるとどんな状況になるかを描いている。
舞台は、雑居ビルの1階にある「居酒屋」たこはち。客は、毎年忘年会をこの居酒屋で行って来た階上に入居する会社員である。社長、専務以下総てのメンバーが揃っているが、新入社員2人ということから規模も想像できよう。
舞台セットは中央に4畳半サイズの畳敷きがあり、この真ん中に縦長のテーブル、客席側を除いた3方に座布団が2枚ずつ置かれている。上手、下手の壁のやや奥に出捌け口があり、暖簾が掛かっている。畳敷きは各コーナーに柱が設えられ、空洞部分には、各種の瓶が、種類ごとに纏めて置かれている。畳敷きと壁の間には、日本酒一升瓶用のラックや、ビールケースなどが裏返しに置かれて丁度椅子に用いる高さになるよう重ねられている。下手奥にお品書き。天井からはフィラメントの裸電球が下がっている。中央の物だけサイズが大きい。
参加メンバーで面白いのが、飲むと一切を忘れてしまう女子社員と大学時代飲み会を目的としたサークルに入っていた男性社員、特技はテン上げ(テンション上げの略)、ビールズのメンバーでもある。(因みにビートルズの誤記ではない。シールズを想起させるこのネーミングは禁酒条例に反対して立ち上がった反条例ムーブメントであり、当然のことながら、ビールはアルコール飲料の象徴である。)
アメリカの禁酒法が悪法の代表例として良く批判されるのは周知の事実であるが、ビールズの名前からも想起されるように、殊に第2次安倍政権以降、日本会議を背景に閣議決定・強行採決を通して国民の声が一切反映されない中で強行されてきた、集団的自衛権、安保法、秘密保護法、共謀罪等々、アーミテージレポートで指令されたことを悉く法制化した悪法の中の悪法が、日本を滅ぼすであろう
自衛隊が、アメリカの中国封じ込めの第1次防衛ラインを担うべく機能させられているのは、指揮権密約で有事の際は、自衛隊がアメリカの指揮下に入ることが定まっているからのこと。だから、富士演習場では、実戦さながらの共同訓練が日常化されているのであり、カリフォルニアの米軍基地内でもイスラム教徒を敵と想定した実戦仕様の合同演習が行われているのである。ここに、海上自衛隊に先んじられた普通科連隊(通常の軍事用語では歩兵連隊を意味する)が参加しているのだ。
中国封じ込めに関しては、この数年の自衛隊基地、レーダー施設、ミサイル部隊配備計画を観ても明らかである。つい数日前、中国の一帯一路政策にコミットすると安倍が発言したのは、既に中国封じ込めの為の既成事実が完全に出来上がったとか、99%まで目途が立ったことの証でしかあるまい。今作はそこまで深読みできる作品である。
残念だったのが、効果音として流される音響が科白が聞き取りにくい程大きい場面が時々あったことだ。
雨宿りの後には

雨宿りの後には

学習院大学演劇部 少年イサム堂

学習院大学富士見会館401 演劇部アトリエ(東京都)

2017/12/20 (水) ~ 2017/12/23 (土)公演終了

満足度★★★★

 今回は、1,2年生の初公演だったのだが、フレッシュな感じが心地よい。(花四つ星)

ネタバレBOX

作・演も無論1,2年生である。或る建物の前を通りかかるとその建物が人々を呼び寄せでもしたように雨脚が急に激しくなり、何人かの男女が雨宿りをする為にこの建物に避難してきた。ところで、建物の中は、壁と言わず床と言わず何やら紙がびっしり表面を覆っていた。良く目を凝らしてみると、それらは脚本を1ページ1ページバラバラにしたものであった。偶々、体が雨で冷えた者が手洗いを探して奥に行くと、奥から1人の男が現れた。皆仰天するが、どうやらここはかつて劇場だった所で、奥から出てきた人は、この劇場のオーナー兼劇作家であった。但し、彼は作品原稿を残さぬ主義主張を持っていた。別にピーター・ブルックやつか こうへいを気取っていた訳ではない。唯、原稿をアップしそれが演じられ楽日が来た後には、作家の周りに集っていた総ての人が1人として居なくなってしまう。その寂しさから逃れようとしているうちに作家は作品を終わらせることが出来なくなってしまったのである。結果、劇場には閑古鳥が鳴くようになり、現在は開店休業状態に立ち至っていたのである。偶々雨宿りに集まった4人は、作家の作品作りに自分達を観察して作品を紡ぐという約束をし作品を完成に導く手伝いをすることになるのだが、無論、そんなに簡単にゆく訳もない。侃々諤々の議論が戦わされ終には作家が手伝ってくれていた人の中から学生時代に演劇部に所属していた女性を人質にとり、皆が劇場を出て作家を1人にしないよう要求する。無論素手ではなく手には刃物を持っている。必至の説得と皆が今後も作家の手助けをし、また劇場にも足を運ぶことを約束して人質は解放されるのだが、人質を解放するに至らせるまでの議論が白熱し最後まで対立軸がぶれない点、若々しい役者陣が背伸びせず、極めて好感できる演技をしている点も良い。
大人の条件

大人の条件

The Vanity's

ギャラリーLE DECO(東京都)

2017/12/19 (火) ~ 2017/12/24 (日)公演終了

満足度★★★

 高級住宅地に住む3姉妹、長女は三十路も半ばに近い。次女は二十代半ば、三女が二十歳である。

ネタバレBOX

長女はプロポーズされたのだが、相手を振ってしまった。親切で優しく、いつも姉を大切にしていることは妹も知っているので、それは、事故で記憶を失くし、目も見えなくなってしまった妹を気遣ってのことだと妹たちは考えているのだが、姉は否定する。
 一方、この三姉妹を調査してくれとの依頼が或る女性から一人の女に依頼された。事情は明かされないが、依頼人は、かなり年配の夫人、依頼されたのは二十代の女性である。この女がひょっこり三姉妹の屋敷を訪れることで物語が動き始めるのだが、展開の仕方には新味がない。先行きがすっかり読めてしまうからだ。
ネット上でピアノの生演奏が入るとあったので、あの狭いLe decoにスタンドピアノを入れるのだろうか? 大変だろうなと思っていたら、シンセのようなマシンであった。電子ピアノとでも称するのだろうか? 何れにせよ、音は結構いい音が出ていた。演者の中にも声楽をやっていたな、と思わせる演者が居て音楽的には楽しめたのだが、いかんせん脚本にはドラマツルギーが成立しておらず、冗漫な展開になった。粗筋は、説明しても余り面白くなりそうでないので説明は控える。

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