ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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Starting Over

Starting Over

“STRAYDOG”

ワーサルシアター(東京都)

2018/04/29 (日) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★

 タイトルのStarting Overは、再出発とかやり直すこと、(追記2018.5.4)

ネタバレBOX

という意味だが主人公は今までの一切の人間関係を断って、一からやり直そうとこの部屋へ引っ越してきたのであった。だが、相場に比して極端に安い物件には、無論何らかの因縁話や理由がある。そのうちの一つ、幽霊が出る、がこの部屋が格安になる原因であった。
ところで彼は、不動産屋と約束していた引っ越し時に敷・礼は払うとの約束もすっかり忘れていたようである。然し先立つ物は無い。だが霊感の極めて強い彼は、不動産屋がちょっと外れた時に霊を見てしまった。それで安い原因を特定したのである。その上で、払えていない敷・礼をロハにして貰う折衝にこれを使おうと考え、不動産屋が幽霊を見た場合には、敷・礼の支払いは無し、と話を纏めた。後はこの部屋の地縛霊とのネゴである。
実は、この物件、この他にもたくさんの幽霊が居て、極めて力の強い蘇我馬子と同期の霊、兵士の霊、首吊り自殺をした看護婦の霊等々。
この敷き・礼支払い問題でゴタゴタしている最中に5千円を貸していた親友が彼女連れで金を返しに来たり、彼がSNSで新住所を拡散してしまったものだから、弟、劇団に勧誘して来た先輩らが押し寄せ、部屋でバーベキューを始めようと盛り上がって大騒ぎ。更に地縛霊の頼みを聞くという約束で手伝って貰った手前、自縛霊の頼み通り彼女を部屋へ連れてくると、今度は自分の元カノ迄ひつこく訪ねてくる始末。これに不動産屋の手配した除霊師までが加わってすったもんだの展開。それなりに笑わせるが、中身は薄い。
サイキックバレンタイン

サイキックバレンタイン

たすいち

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/04/29 (日) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★

 驚いたのは、エレベーター前(1F&4F)にスタッフが立っていて、適切なサジェッションとフォローをしてくれたことだ。 シンメトリックに創られ、手前は狭い幅の袖、中央はやや広くとった袖、最奥部は壁風にレイアウトされた衝立各所に、エスパー(特にトランスポーテーション能力を表現するにうってつけの)伸縮テープを用いた舞台美術も素晴しい。色彩の用い方も抜群のセンスである。(追記2018.5.4)

ネタバレBOX

 超能力者の話である。超能力の研究が日本より進んでいる国がある等という少年誌の記事に踊らされて、超能力を得ようと努力した経験は、多くの方々が持っていることだろう。今作には、サイコキネシス、テレポーテーション、テレパシー、プレコグニッション、クリアヴォワイヤンス、パイロキネシス、コンパウンドなどの超能力者が登場するが、舞台は、人間が作ったエスパー研究施設である。表向きの研究目標でエスパーたちを集めてはいるが、研究所の目的は、特殊能力を持つエスパーたちを人間の完全な管理下に置くことであった。
 このことに気付いた八重内(コンパウンド)は、仲間のるる(クリアヴォワイヤンス)に5年後、この施設で起こる危機を告げ失踪する。
 そして、5年目、新たなメンバーが施設にやってきた。八重内からのメッセージを受け取っていたルルは、早速新たにやって来た2人の内偵を始める。1人はパイロキネシスを持つ四方、1人は能力不明のマリ。然し四方は、もう一つ優れた技術を持っていた。それは催眠術である。彼は会った人々に強力な催眠術を掛け、操り人形と化していたのである。その技術を用いて彼は研究所とツルンデいた。エスパーを管理下に置く為に研究者が研究を重ねていたことは先に述べたが、彼らは研究成果を用いてエスパーコントローラーを既に開発していた。このことの危険に気付いていた八重内は、実際には5年前に殺されていたが、残留思念となってこの地に留まり、機会の訪れるのを待っていたのである。そして四方のスパイ活動を通じて、実際に研究所がエスパーを管理下に置こうと行動を起こしたことが、八重内が、各人に取りついて自由に操る能力を用いて反乱を起こすきっかけになった訳だ。
 結末がどうなるかは観てのお楽しみだが、ここには支配・被支配そして自由の問題が提起されている。観た者が何を感じ、どう作品を解釈するかはそれぞれの自由である。その自由が保障されないということになれば、窮屈な世界になることは明らかだろう。それによって殺されるものが何なのか? そのことに思いを馳せたいものである。


婚約観察バラエティー ぽきのり

婚約観察バラエティー ぽきのり

ポッキリくれよんズ

東演パラータ(東京都)

2018/04/29 (日) ~ 2018/04/30 (月)公演終了

満足度★★★★

 サブタイトルに“婚約観察パーティー”と名づけてある。にゃんと40本ものショートショートを演じて1作品とする試みにゃのら!! ちよッとクリビツである。

ネタバレBOX

全体として、そのトーンは沈みがちである。それも当然だろう、エネルギー政策を見ても、教育行政や、文化政策などを見ても何のパースペクティブも無いだけならまだしも、展望を持とうと、或いは持ち得る芽が出ようとする度、これらをどんどん潰すことばかりに血道を上げているような愚か極まる「上層部」官僚、司法、マスゴミ、政治屋、最高裁等々の失態と詭弁、嘘、マヤカシと無責任をこれだけ毎日毎晩見せつけられれば、明るい未来の展望など持ち得るハズもない。にも拘らず若者達は、幸せを築こうと努力し、笑っていようと涙ぐましい努力をする。このことを観ているのは、辛いことであるし哀しい。年を重ねるとこんな風に悲観的になりがちなのだが、若者達は、それでも笑顔を絶やすまい。明日を掴もうと必死である。この懸命な姿勢が、爽やかである。
失楽園 前編・後編

失楽園 前編・後編

Performing Arts Theater Company GEKI-kisyuryuri

KISYURYURI THEATER(東京都)

2018/04/24 (火) ~ 2018/04/30 (月)公演終了

満足度★★★★

 小屋名は貴種琉璃から採られている。

ネタバレBOX

 メソッド演技や大野 一雄らを学んだというM役とシカという仇名を持つ2人に、Mの夢たる女性3人が実際に登場する役者であるが、このほかに富士樹海のゲットーと呼ばれる施設に収容された人々が、科白や身体表現によって描かれる。
 Mは、ラテン語のmoriから採られているのであろう。何故ならゲットーに来た以上、規定のプログラムをこなした後、再生プログラムを受けて、人々に奉仕する存在として生き続けるか、死ぬかしかないからである。
もう一つの可能性は、ゲットーの世話人すら戻れないような樹海の奥まで入り込んで、生存し続ける事であるが、この道は極めて厳しい。
 興味深いテーゼは、謙虚などの仮面をつけて社会の中で生き続ける在り様もまた、存在そのもの、即ち存在の裸形からの逃避に過ぎないという視座である。
ダム・ウェイター

ダム・ウェイター

Prayers Studio

Prayers Studio(東京都)

2018/04/28 (土) ~ 2018/04/28 (土)公演終了

満足度★★★★

 劇団名はPlayers StudioではなくPrayers Studioである。然し宗教的な組織が背景にあるとか、関係しているということでは無論ない。(華4つ☆)

ネタバレBOX

主宰の渡部氏がロシアのレオニード・アニシモフ氏に師事し氏主宰のレパートリー・シアターで体験した謂わば根源的な演劇体験が、人が真摯に祈る時の態度・心象に近いのではないか、と感じる故である。
 今回ベン、ガスを演じた2人の俳優、小八重 智さん(ベン役)、北口 哲也さん(ガス役)にしても真摯な演技には好感を持った。
 作品はピンターの「ダムウェイター」大分前に三茶のシアタートラムでも上演されたことのある作品だが、大方の方が述べるのとは、少し異なる視点から、観てみよう。
 それは、この二人に決定的な情報が最後まで与えられない、ということの意味についてである。観客である我々は、現在、膨大な量の情報の洪水に毎日、毎時、毎分、毎秒襲われ続け溺れている。然しこれらの情報の如何ほどが、自分が現場でリアルタイムに、見聴きしたことだろうか? 伝言ゲームというゲームがある。この結果は、ご存じであろう。我らの日常に、確たる情報など自らの直接体験し得るもの以外、実は殆ど無いのであり「~だそうだ」という話でしかないことは、かつて吉本 隆明が指摘した通りである。ありていに言えば、今作が我々の実存に直接訴えていることとは、実は本当に大切な情報が、実は所、他のどうでも良い(自分の実存にとって)情報の氾濫に隠されてしまって見えていない怖さなのではないか? ダムウェイターが降りてくる度、与えられるメニューが隠喩に満ちていることは、実に示唆的ではないか? 而も、隠喩を読み取れない者にとって、それは、馬鹿げた文言や謎に過ぎないのであれば、そこには、ピンターからのもう一つのメッセージ、メディアリテラシーへの誘いが含まれているとも言えよう。
ラーメン

ラーメン

宇宙論☆講座

スタジオ空洞(東京都)

2018/04/27 (金) ~ 2018/04/30 (月)公演終了

満足度★★★★

 アナーキーでシュールな展開が面白いのと同時に、本番途中、何度も出演者からダメ出しが入って協議となり、改稿されて進行する批評的な進行が実に楽しい。
 最初、ラーメンを食べ始めた姿勢で固まって最後の最後に動き出す役の、大変肉体的にキツイ役回りを演じる役者さんが居るのだが、彼の役は、荒れ狂う嵐に耐え、沖に出てアンカーを打って船を安定させる碇のように、このアナーキーな劇の創造力を観客の想像力と繋ぎ止めてみせる。

~ラビット番長ノワール短編集~

~ラビット番長ノワール短編集~

ラビット番長

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/04/29 (日)公演終了

満足度★★★★

[RS][パンジーな乙女達]を拝見。

ネタバレBOX

「ラビット番長ノワール短編集RS/パンジーな乙女達」
「RS」とは、ロールプレイング サミットの略として用いられているようである。各参加者に渡されるデータは2種類。コモンデータ及びパーソナルデータである。これらのデータを用いて、自分はやっていないと言い置いて刑場の露と消えた模範囚の事件の真偽及び彼の動機を探るとされているが、どうやら真相は異なるらしい。この真相が何か? 或いは? を考えるのが今作を観る観客の愉しみということになりそうである。

「パンジーの乙女達」
舞台はラジオのパーソナリティーを勤めてきた有名作家の奥さんの番組最終日スタジオと作家が取材の為、付き合って来た4人の若い女性達とその友人1人が集まった彼のマンションの1室を相互にライトで浮き上がらせながら紡がれてゆく。今夜は、20年間続いてきたこの長寿番組の最終回。このパーソナリティーに番組から彼女の好きなパンジーの花束が贈られた。パンジーの花言葉は“もの思い”“私を思って”“思慮深い”“天真爛漫”など様々であるが、巷では、この作家が浮名を流す女性達との関係を取り違えた下司の勘繰りが、更なる憶測を呼び、作家は流行作家となって、その妻は夫に浮気をされる妻として好奇の目に晒され続けてきたのであった。が、妻は一切を歯牙にかけずゆったり構えていた。当初、巷の好奇の目から話題になったこのラジオ番組であったが、いつしかそんな時期も過ぎ、今までは固定ファンがついたこともあってこれだけ長い番組になったのである。然し、最新作は、ちょっとトーンが変わった。妻は敏感にこのトーン変化に気付き、原因を正確に見極めていた。為に最近は別居していた夫のマンションに赴き、彼を殺した後にこの番組に出演していたのである。
一方、このマンションには、5人の若い女性達が集まっていた。各々は他の女性を知らなかった。だが、顔を合わせることになって互いの作家との関わり方を話し合うこととなり、作家との関わり方が綺麗なものであったことが明らかになる。一方、自らの容姿にコンプレックスを持ち、街中で、その人の顔を見ては詩を書いていた少女は、作家の作品のファンでもあり深く作品を理解してもいた。その彼女を作家も愛し始めていた。その所為で作品のトーンが変わったのである。妻は作家に新たな恋人ができたことを知り、彼を殺したのだが、詩を書く少女が、作家を殺したと言い張っていたのは、真実が明らかになる前のこと。少女も作家を愛していた。ちょっと不思議で極めて切ない物語。


 
FAMILY 2

FAMILY 2

ヒューマン・マーケット

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2018/04/24 (火) ~ 2018/04/30 (月)公演終了

満足度★★★★

 10年間冷戦状態の後、1年前に融和を為した佐藤家、鈴木家は、頗るつきで上手く行っている。今日は、融和1周年の記念パーティーの会場である。

ネタバレBOX

どういう訳か鈴木家も佐藤家もワンマンぶりを発揮して皆に恐れられる還暦のオヤジが居り、彼らのワンマンぶりを継承するキャラも混じって、周りが振り回されるてんやわんやを描きつつ、高橋家という家との縁も絡んで人情噺でもみせてくれる。シリーズ第2弾。
『シーチキン®サンライズ』Musical『殺し屋は歌わない』

『シーチキン®サンライズ』Musical『殺し屋は歌わない』

T1project

小劇場B1(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★

「殺し屋は歌わない」ミュージカル初日を拝見。
 T1プロジェクトのオリジナルミュージカル第2弾。作・演の友澤氏は、今作で5つの挑戦をしたという。先ずはそれを当ててみて欲しい。追記2018.5.1 。

ネタバレBOX

 日程的に大体真ん中辺りだから5つの挑戦を明かしておこう。当パンをベースに引かせて頂く。
① ミュージカルをやらないような劇場でミュージカルを創る
② 生声で上演する
③ 転換なし、一場で進行する物語
④ ロングタイムのナンバーを入れる
⑤ 30年近く脚本を書いてきた自分自身の感性を30代前半に戻して物語を紡ぎ上げる
の5つである。
 結果的にミュージカルとしては、かなり素朴な作りになっている。然しT1プロジェクトの良さは、再演、再々演などという時に、時代や状況に合わせて脚本を練り直し、キチンとコミットしてくる点である。芝居というものは、生身そのものだし、2度と同じ舞台は作れないので、ヴィヴィッドある為にはその都度創造してゆかなければならないのは当然のこととはいえ、これをキチンと実践し続けることには、大変な努力と真っ直ぐで直向きな向き合い方が必要である。それを若い人達と一緒になってやっている所にこのグループの将来性と可能性があるように思う。
CRIME

CRIME

劇団伍季風 ~monsoon~

Geki地下Liberty(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/04/30 (月)公演終了

満足度★★★

 核爆発が落とされても壊れない、との噂が立つ程の堅牢性を具えていることが自慢の五和銀行本店。課長は、受付嬢と不倫しているし、受付嬢には、出前のお兄ちゃんがストーカー紛いの張り付き方をしており、金庫以外はどこか怪しげな印象を漂わせている。

ネタバレBOX


 こんな銀行に外資系大手の支店開設絡みの融資の話が舞い込み、客が店長を訪ねてきていたが、そんな折も折、3人組の銀行強盗が襲撃を掛けた。
 一度、板上に上がった役者は、殆ど皆出ずっぱりなので、ある程度仕方がないのかも知れないが、銀行強盗を仕掛けるような犯罪者が、手袋も覆面もせず、而も簡単に仲間の名前を呼んでしまうという間抜けぶり(名前を呼ぶ件については、犯罪者としてはトウシロウであるこの3人組を示したかったのかも知れないが、余りにも馬鹿げている)は、脚本を弄ってもう少し工夫すべきだったのではないか?(再演なのだし)
 中盤に入ってからは、アクシデンタルな理由で金庫に閉じ込められることになった面々が、同じ人質の中に爆弾を持っていた者がおり、彼の爆弾が起動してしまったことによって命の危険に晒される中で、深刻な人生論が語られ、今作の内容を一躍深いものにする。また、銀行強盗をすることになった3人の犯行動機には、同情すべき事情がある事も明らかになって、五和銀行と、この銀行を吸収合併しようとしていた四和銀行及び大手ゼネコンの絡んだ犯人親族への過剰融資という企業犯罪の問題が問い質されて一挙に社会的な話題をも射程に入れてくる。この辺り、銀行と商社はやくざより性質が悪いと言われる所以を含めて考えるに値しよう。ラストのドンデン返しもグー。
『シーチキン®サンライズ』Musical『殺し屋は歌わない』

『シーチキン®サンライズ』Musical『殺し屋は歌わない』

T1project

小劇場B1(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

 出演者22名、これだけの役者が出ていながら、誰一人キャラの立っていない役者が居ない。年間少ない時でも250本程度は芝居を観る自分も、これだけのキャストが皆キャラの立った演技をしている舞台を観たのは今回を含めて2度しかない。
 兎に角、重層化した深みのある脚本なので、可也演ずるのが難しいとは思うのだが、それを見事に演じている。キャスティングの良さ、演出の良さも、脚本の良さも無論のことだが、所謂下世話な世界を描き乍ら、決して下卑たり、媚びたりしない、而も極めて本質的な作品である。
 舞台美術も作品内容にピッタリしたものだし、導入部から、観客を引き込む演出手腕も見事である。脚本・演出は、何れも友澤氏が務めているが、脚本に対する演出の仕方に適正な距離が取られている点も見逃せない。照明、音響のオペも見事である。総てが総合的に収斂して総合芸術としての舞台芸術を形作っているのだ。(華5つ☆ 追記2018.4.26)

ネタバレBOX

 芸能界の裏を描きつつ、人はどう生きるか? 如何に生きるべきなのか? を問う。長い下積みから「陽はまた昇る」で一躍ブレイクした後、コンビを解散した漫才コンビ・シーチキン。一人立ちした後突っ込みだったリョウは今や芸能プロダクションの看板。一方ボケの榊は、鳴かず飛ばずで今では大人の玩具の販売で食いつなぐ。4年後、超売れっ子のリョウから下積みの頃に常打ち小屋として出演させて貰った小屋で復活公演を演るとのオファーが入った。当時の仲間も呼ばれている。ひとまず了解した榊であったが。
天井からアスベストが出たとかで楽屋を急遽倉庫のような掘立小屋に移した空間で話は進行する。ファーストシーンで雷光の中に浮き上がる女の立ち姿が強調される導入部の上手さは流石である。三々五々、出演する芸人たちが集まってくるが、当初、榊は、掘立小屋の梁に黒いネクタイを掛けて首吊り自殺を図っていた。偶々支配人がやってきた為、タイミングを逃してしまった。ところで、この小屋も借金の形に入れられ支配人は返済の催促に追われていた。
 今作が、このような状況を描くのは、1920年代の世相を描きロストジェネレーションと呼ばれた作家たちの代表的な存在であるヘミングウェイの”The Sun Also Lises”(1926)を、その背景に置いてからだと観ると更に面白く観ることができよう。The Sun Also Lisesは、ヘミングウェイ初の長編小説であり一躍彼の名を有名にした作品でもあるので読んだ方も多かろう。因みにロスジェネの表す概念は、第1次世界大戦の時代に思春期を過ごした世代が、それまでの価値観や社会体制に疑義を持ち、自堕落で享楽的な生活態度を選んで反社会的に過ごした様を呼んだものと言われている。
当に今作の芸人たちが置かれている時代。価値観が無限に希薄化し、生きる意味を考えたり、天下国家を論じたりする当たり前のことも忌避するようなこの「国」の社会状況の閉塞感と、無意味が存在自体を蝕んでゆく鵺のような状況の中で。逆説的に刹那的で二極的なイデオロギーを強調することによって、職業、恋、生活の総てを律し、人としての思いやりも人情も捨て恬として恥じない生き方を選ぶリョウを通して、優しい人々の優柔不断や、その不甲斐なさを浮かび上がらせるが、その冷淡な態度は、実はリョウの責任感の強さと優しさであったことが描かれる。(その理由は察しの良い方にはお分かりだろうが観てのお楽しみだ)ラスト、リョウの恋人・愛のストーカーの放火によって小屋が焼け落ち中止になった演目がコンビによって演じられるシーンは圧巻!!

美愁

美愁

The Vanity's

APOCシアター(東京都)

2018/04/24 (火) ~ 2018/04/28 (土)公演終了

満足度★★★★★

 脚本の完成度の高さ、演出の上手さ、歌の上手さに踊りの切れが加わり、更にエレクトーンと二胡の生演奏の響き、悲劇の色調を耽美なまでに表現してくれた。見事である。終演後には、ゲストとThe Vanity’sメンバー3名のうち今回は出演していない1名を除く2名が歌を披露してくれるおまけつき。こちらも聴くべし! (追記2018.4.27 02:40)
 

ネタバレBOX

 物語は、架空の国のある裕福な商人の家。落雷の轟音と共に赤子の泣き声で幕を開ける。この演出が、先ず巧みである。観客をビックリさせて虚を突き劇空間に引き込む手段であるが、これが効果的であると同時に生まれて来た子の将来を暗示して見せている訳だ。商家とはいえ、名高い家の長女の誕生は呪われていた。顔の左反面に引き攣れを伴った大きな痣があったのである。龍家の主人・龍仁は、すぐさま我が子を無き者にせよ、と妻・美羽に申し付ける。然し、妻はそれを望まない。そこへ妻の姉・鈴が助け舟を出す。要は龍家の子ではなく赤の他人として育てれば問題は無い、と。鈴は龍仁を説得し、この家にあって使われていなかった離れでこの子・呉葉を育てることになった。将来、健康な子を授かった暁には、この子が御付の者として仕えるようにしようというのである。19年が経った。呉葉は利発で真っ直ぐな乙女に育ったが、龍仁は家格を重んじ一切の肉親の情を与えなかった。一方生みの母・美羽は、内心自らの罪の意識に苛まれていた。というのも娘にこのような酷い痣が出来たのは、己が若い頃から使用していた禁断の麻薬が災いしたからと知っていたからであった。己の咎ゆえに娘を不幸にし而もその罪の証が、今、新たに生まれこの家の娘として育てられている柚杞の御付の者として不幸な暮らしを余儀なくされ、いつも罪の源泉たる自分の前に居るのだから耐えられない。この状況は、麻薬を続けることの理由になった。例え見付かれば死罪に処せられようと。
 一方、柚杞には国の武官を代々勤める楊家から縁談の話が持ち込まれていた。父も乗り気である。話はとんとん拍子に運んで愈々、輿入れの儀式が行われようという頃、柚杞が結婚すれば、彼女について嫁入り先で仕えよ、との父の命を受けて遠方へ旅立つ前にどうしても実の母の目を真っ直ぐ見、抱きしめて欲しいとの望みを持つ呉葉は愛される条件として母の言った痣の無い顔を手に入れようと禁断の地・水仙の森に住むという魔女の下を訊ね、痣を消す代わりに、人を殺すことを命じられれる。半信半疑で呪いの札を受け取った呉葉は、其の札を鈴に渡す。これがもとで鈴は命を落とすが、本当に呉葉を愛し、彼女の為を思って色々と面倒をみてくれた命の恩人を呉葉は自らの手で殺してしまった。
 更に嫁に行く柚杞は、美羽の娘ではなく、本当は、鈴と龍仁との間に出来た子であった。エピローグ。己の狭い了見の故に命の恩人であり、育ての親でもある鈴を殺してしまった呉葉は、10歳の時美羽に貰った、母に愛された証である簪を返し、自分は魔女と交わした皆から忘れ去られる寂しさと苦悩を受け入れ、遂に麻薬エキスを用いて自死。以上が物語の顛末。この救いの無さにこそ、自分は、救済を見た。何故ならそこに無意味の意味が見えるような気がするからであり、ニヒリズムの肯定を見るからである。人類は矢張り意味が無かったことの文化的例証を一つ新たな形で観たことの安心感とでもいうか。最早、ヒトという生き物の愚かさ故に滅ぶしかない地球上のあらゆる生命の末路だけは、予めレクイエムとして謳うことが出来たかも知れぬという下らない自惚れを最後の自嘲として。
 
タバコの害について/たばこのがいについて

タバコの害について/たばこのがいについて

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2018/04/20 (金) ~ 2018/04/24 (火)公演終了

満足度★★★★


 オリジナル作品1篇とチェーホフの「タバコの害について」の2本立て公演である。(華4つ☆)

ネタバレBOX


オリジナルは、表現活動をする男とその男の世話をし続けて5年になるが、妻にもしてもらえないことを嘆きつつもその生活資金も食事などの世話も止められずに暮らす女の関係を描いたものだが、女は男を浴槽で飼っているピラニヤに擬え、臆病な癖に強がるとからかう。
 男は、嫌いな食べ物が多く、女が一所懸命ヘビースモーカーである彼の健康を考え、何とか食事で健康を回復させようと考えて作った食事を食べずに過ごすことも多く、そればかりか、女が男の為に断念した表現者の道の後輩をたらし込んで浮気をしている。女はこれを詰るが、男は、女が未だ手垢のついた自分の革命的な生き方に憧れてついて来ていることを知悉している為、革命的論理によってこれをいなしつつ、自由になること、縛り付けられずに脱出することばかり考えている。無論、女は、反対に好きな男を自分から逃さず管理下に置くことを今日も、明日も考えている。今作は、革命は兎も角、この男女相互の普遍的な関係を描いた秀作である。

 チェーホフの「タバコの害について」である。モーパッサンの「une vie」ならぬ「男の一生」とでも名付けたい内容の作品である。確か日本の落語にも下げで「おんな」が「かんな」になるものがあったように思うが、今作は、当にこれではあるまいか? 
 発生学的にみても、雌雄がある生物のプロトタイプは♀である。それは、種を残す性が雌だから当然のことなのだろう。鯛などは、総て雌として生まれるし、人間の男も母体の中で男になるのであって、最初から男として形成されている訳ではない。今では差別用語とされるかも知れないが、色盲なども発現率は女子の方が低い。生物学的には母体の中で一種のオペを受けて♂になる生命体より♀の方が強いのである。
 一方セクハラ等、男の横暴が話題になる昨今だが、こんな言動は、自民党議員など下劣を旨とする下司がやることであって、一般男性の多くは寧ろ女性に奉仕することで一生を終える者の方が多かろう。蟷螂は、生殖行為後、♂は♀に食われて生涯を終える。つまり♂は、♀に奉仕するだけ奉仕させられ、絞り尽くされてその生涯を終えるのが、生物としての宿命なのである。
 人間社会が男性優位社会という形を採ってきたのは、戦争を含めた生存競争の結果かも知れないが、実は、生物学的に弱い♂が、♀に甘える為のシステムであるかも知れない。医者でもあったチェーホフは男女のこのような生物学的関わりをその本質に於いて知っていたのではなかろうか? 実に深い作品である。
作レ家

作レ家

法政大学Ⅰ部演劇研究会

法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎 多目的室2番(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/23 (月)公演終了

満足度★★★★

 作家の作業を良い家を作る作業に例えて創られた脚本は、恰も露伴の「五重塔」の構成を思わせる、しっかりした太い柱が全体の構成を合理的且つ論理的なものとし、ブレのない考えさせる作品になっている。(華4つ☆)

ネタバレBOX


 板部分は手前が広い台形になっており、奥中央、左右の辺中ほどに出捌け口が作られ、役者の動きもスムースである。床面は、寄木細工の文様を施し、雰囲気を醸し出す。奥壁の両コーナーに掛かったカーテンは、閉じると、スクリーンとして利用できるなど極めて合理的な作りである。主人公が作家なので、板中央には、机と椅子が置かれ、作家の仕事机としても、家族の用いる居間としても用いられる。
 さて、物語の内容であるが、表現する者としてその仕事に特化する生き方(いわば芸術至上主義或いは仕事中心主義)と生活(特に家族関係の親疎)の切実な問題を描いて、ホントに考えさせられる内容であった。
 演技には、序盤若干硬い感じが観られることもあったが、中盤からはそれもほぐれて自然な感じになり合格点。小道具の使い方と小道具自体も洒落たものが使われている。殊に家の模型が、家族崩壊の危機を表現する場で用いられるのだがとてもセンスの良い色・形の模型を用い、照明の適確な技術もあって頗る美的に映った。
 スタッフの対応もいつも通り、非常に感じの良いものであった。
ヴィテブスクの空飛ぶ恋人たち

ヴィテブスクの空飛ぶ恋人たち

劇団印象-indian elephant-

シアター711(東京都)

2018/04/18 (水) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 ダニエル・ジェイミソンという人の原作を演出家の鈴木 アツト氏が訳している。生のヴァイオリンが入っていて、イディッシュ語を話すことの多かったアシュケナジーユダヤの生活の匂いが感じられるような気がする。
(ところで、照明ランプにも絵が描いてある。お魚の絵で、シャガール作品に現れる絵のお魚に似ているように見受けた。粋な演出ではないか)(華4つ☆)

ネタバレBOX

水晶の夜迄は、ホロコーストに直結するような行動を矢張りヨーロッパ人も中々起こせなかったとは言えまいか。無論、「屋根の上のヴァイオリン弾き」が、ポグロムに追われたユダヤ人の物語であり、ロシアでは、このポグロムによってかなりの数のユダヤ人が殺害されていた。その為もあってか、現在、イスラエルで最右派を形成する勢力、リクードのイデオロギーのベースはロシア出身のシオニストの論理がベースになっているという事実は、日本人以外ならかなり多くの人々に知られている。この論理が、現在、ホロコーストこそやっていないものの、ナチよりも悪辣なやり方をするに至っているイスラエルによるパレスチナ人ジェノサイドに利用されているのである。
だが、かつてユダヤ人殊にアシュケナジーユダヤには、極めて優れた表現者、学者、思想家らが輩出した。何故か? 彼らは各々が、語るべき多くのことを持ち、主張しなければならない正当性と論拠を持っていたからであり、これらを抱え込まざるを得ない故なき被差別が、彼らをして人類全体を底上げする為の人生を選ばせたからである。フランツ・カフカが存命中、プラハに居たユダヤ人は3万人ほど、そのうち14人だったか15人だったかハッキリ思い出せないが、このどちらかの人数のユダヤ人がノーベル賞を受賞している。それほど、彼らの知的レベルと人類への奉仕の姿勢は高かったのである。現在、パレスチナ人が、かつてヨーロッパで迫害されていたユダヤ人と極めて似た状況に置かれている。そして、パレスチナ人一人、一人は、多くの語るべき物語を持ち、世界中に散らばったパレスチナ人は、表現者、学者、思想家として素晴らしい活躍をしている。このような差別状況を作り出している人々がシオニストであることはもっと糾弾されてよい。(断っておくが、自分はユダヤ人批判をしているのではない。あくまでシオニストを批判しているのである)
 今作を観るに当たって、観客は“ミルクの夜”を過ごしたシャガール夫妻の恋による魔法を見ることになる。シャガールの絵の解釈については、今作とはかなり異なる解釈に立つものも実はある。だが、それはしばらく経ってから明かすとしよう。取り敢えずは、恋の魔法に掛かった彼らという設定を通して観てみたいと思わせるだけの作品であったのだから。
アラクネの恋

アラクネの恋

劇団もっきりや

ART THEATER かもめ座(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 どの役者の演技も個性を持ちつつしっとりしていてグーだが、自分は特に先生役が気に入った。(華4つ☆)

ネタバレBOX


世界中で起こっている多くの欺瞞をベースにした事象に対するに当たって、絶対的な力を持つとされる“神”に支配される架空の街で起こった或る美術教師と高校のマドンナの恋、そして同じ美術部の天才高校生のマドンナへの憧れ、更に神が女として望んだ捧げものとしてのマドンナの関係が惹き起こした悲劇を通して真実とそれを暴く者、相思相愛であるが故に力関係を斟酌し卑劣な手段をとることでしか、恋人を護ることができなかった弱い人間の魂に打ち込まれた後悔という名の杭は、教え子の天才美術家の自死。それを見て否見続けて知らぬ振りを決め込む他者たちの欺瞞を告発する作品。
 惜しむらくは、主張の強さの余り、それを表現する科白がくどくなったこと。もう1枚、別次元のカムフラージュを掛けておいて、それをラストで明らかにすることで、観客を無明の闇に放り込み、考え抜かせるように仕組んだ方が更に演劇的効果は上がりそうだ。
歌姫、ネバーダイ!

歌姫、ネバーダイ!

ライオン・パーマ

上野ストアハウス(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイムマシンものなのだが、タイムパラドクスなどの理屈を捏ねることが野暮と感じられるほど、良く人間の情緒を丁寧に描いた秀作。前作とは毛色の全く異なる作品でもこれだけ質の高い作品を創りだす劇団の実力に感嘆することしきりである。(追記第1回2018.4.22)

ネタバレBOX

 作中、登場する要素は、海賊(ロマン)、人魚伝説(怪奇・幻想)、タイムマシン(夢)、社会や自然の厳しさと優しさ(存在することの厳しさとその中で協同・共同することによって作り上げられる人情などの温かさ)、夢と掟の果てに存在し続ける心。そして魂を抱えた永遠の存在、である。
リチャード三世

リチャード三世

芸術集団れんこんきすた

アトリエファンファーレ高円寺(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今作、最大の特徴は、「時の娘」を埋め込んでいることだろう。(追記2018.4.27 01:32)華5つ☆

ネタバレBOX

「時の娘」と言われてピンとくる方はそう多くあるまいが、シャイクスピアが、今作を書くに当たって資料とした文献は、勝者ヘンリー7世を正当化する史家のものしたものである。つまりチューダー家のプロパガンダとして書かれた史書をベースにしているとして、これに反した解釈を述べた本のタイトルが「時の娘」なのである。
 残っている歴史というのは、勝者の歴史に過ぎない、との歴史見解があるが、それを地で行った書物ということが出来よう。
 脚本家の奥村氏は「時の娘」のエッセンスを要約すると同時に自分自身の批評を込めてラストの科白を創作しているが、この科白によってシェイクスピアの傑作、「リチャード3世」という大作をひっくり返してもいる。詳細は追記するが、流石というしかあるまい。
 役者で気に入ったのは主宰の中川さんの、死神のようなイメージから「時の娘」に描かれたもう一人のリチャードの荘厳な佇まいに至る演技は無論のこと、リチャードの妻・アンを演じた木村さん(受け身で緊張を強いられる難しい立場を見事に演じた)、王女のエリザベス役を演じた佐瀬さんは、作品としての「時の娘」を体現してみせた。更に爽やかで聡明なエドワード王子を演じた中村さんも聡明故に己の位置を正確に知る王子の覚悟を演じて見事であった。

 多くの方が指摘しているように、噛む役者さんが複数いたことは事実で、残念ではある。然し、経済的基盤のしっかりした劇団の公演や、ヨーロッパの演劇環境と日本のそれとは大いに異なる。民衆の文化に対する感覚が異なるし、人間的なレベルでアートに対する考え方の基本も大きく異なる。こんなこともあってか、役人の文化政策自体、ヨーロッパ先進国に比べてお話にならないレベルである。標準語なる言葉が恰も存在しているような文部行政の言葉感覚も全く肯んじ得ない。少なくともヨーロッパの先進国は、標準的な言葉を定める為にその国のトップクラスの国語学者がチームを作って世紀を跨いで辞書を作る。だから、語源や初出から、時代を追って変遷してゆく意味から現代使われている言語表現をどのように位置づけるか等々を延々とやり続けている。そして例えばアカデミーフランセーズのような機関が国語全般に亘って侃々諤々の議論をして正しい言葉、用法を示して基準としているのである。日本でこのような基礎作業もせずに標準語などと言っているから、僅か数十年の間に送り方などが変わって混乱を来したりするのだ。全く何をやっているのだか、国民の貴重な税金を使って、監視社会を作ろうなどと馬鹿なことをしている。おっと、話が逸れ過ぎた。
 何れにせよ、人間社会の根底を為す言語に対する「国家」の態度がこの程度のものであるから、文化行政などあって無きが如きお寒い状況であるのは、芝居好きなら誰でも知っている事。こんな状況があって、小劇場演劇に携わる人々の多くが、生活の為に何らかのアルバイトをしつつ芝居をやっているという事情がある。シェイクスピアは、天才中の天才、その彼の天才ぶりは何処に発揮されているかというと、その科白によって登場人物の全体を活き活きと描いていることにある。その分、一つ一つの科白が長くなり、どうしても練習時間の少なくなりがちな小劇場出演俳優には負担が掛かる。無論、それでも噛むこと自体は避けられればそれに越したことはないし、噛むことの無いよう努力する必要がある。だが、このような状況を斟酌することも必要なのではあるまいか? 無論、脚本を書いた感受能力の高い奥村さん自身、これだけ密度の高いシャイクスピアの科白を刈り込むことには、大変な苦労をしたに違いない。感受能力が高ければ高いほど、その困難は増し当に死闘であったろう。同時にこのような脚本家は、今自分が生きている地域、時代、世界情勢についてもヴィヴィッドで高い感受性を具えてもいるものだ。そして更に優れた批評意識も。即ち今回脚本化としての原作を刈り込む作業は、感受性と批評意識との壮絶な戦いであったと考えられる。この作業が、高い精度で為されたが故に、ラスト部分で、この傑作を全く古びさせず、而も現代における差別史への視座、力関係やプロパガンダによって歪み得る我らの認識とこの事に対する批判及び反批判を通じての客体化、フェイクとファクト、それらを見極める知恵としての総てのメディアに対するリテラシー、これら諸問題に対するにあたり己の立ち位置と批評眼を如何にバイアスから解放し、メディアリテラシーを根拠づけ、世界に解放してゆくかに賭けたハズである。お疲れ様。一言ねぎらいたい。

忘却論

忘却論

華凛

ワーサルシアター(東京都)

2018/04/18 (水) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★

 レイアウトが少し変わっている。(追記4.25:04;48)華3つ☆

ネタバレBOX

板中央は十字路が通っており、その各コーナーには水を張った水槽が1個ずつ置かれている。無論台に載っている。これらの周囲を囲むように椅子と机が置かれているが、机は入口からみて右奥のコーナーを除く3か所に、机用椅子は机の手前に背凭れの無い物が置かれている。他の椅子は十字路への入口を除いて均等に置かれている。このひと回り外側総てが観客席である。天井からヨシキリ鮫の顎ほどの大きさ、形状の枠から吊り下げられたテルテル坊主が吊るされている。
 出演は女性ばかり10人。5人が姉妹、母、教職の研修に来ている国語教師、近所のおばちゃん、花屋、姉妹の彼氏役である。
 しょっぱな忘却曲線について語られるが、このデータを得る為の実験と結果の妥当性が今も古びずに用いられていることが緩やかな導きの糸となり、物語というものは作家の意図次第で結末をいくらでも改変できるという事実をもう一つの糸にして物語が紡がれてゆく。各出演者かなりの熱演で、その点は評価していいが、3~4 割の演者の科白は、がなられているだけで滑舌が悪く聞き取れない。演出はしっかりダメ出しをして少なくともゲネまでには改善するか、それができなければ舞台を通常の形にして滑舌の問題が余り観客の聴き取りに問題にならないよう、科白の聞き取り易さを優先すべきであろう。仮にこのような点にも気付いていないのであれば、演出を基礎からやり直すべきである。演出の役割とは、脚本に書かれていることを観客に最大限効果的・的確に伝えることだろうからである。熱意や勢いだけで演劇は成り立たない。
 ネタバレが楽日以降との要請があったので、この点については楽日以降に記すことにする。
 善悪は人間が勝手に決めるもの、一方人間はどんなことも考えることができ、罰を考えなければ簡単に実行に移すことができる。それを演劇という手法で見せた点が良い。
 但し様々の悪行は、己の内側の論理によって、己の総てを明澄化し、律していないことから来る。考える気になれば無意識のある程度迄を意識化できるし、八識についても認識できるのが人間である。またこのレベルに至って初めて無明の闇の入り口に立つことになろう。即ち己の無明を己の力で律するトバ口に立つことができるのである。今作は。この認識のとば口にも立つことのできない無明を生きる者たちの迷妄を描いた、と見た。熱演ではあるものの、この文の途中で注意したことなどを意識して更に高みを目指して欲しい。
母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ

母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ

MICHInoX(旧・劇団 短距離男道ミサイル)

北千住BUoY(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 2011.4月、殆どの日本人がF1人災のショックに魂を抜かれたようになっていた時に立ち上げたユニットが母体となったこの劇団だが、よくあの中で立ち上げたな! と感心する。(追記後送)華4つ☆

ネタバレBOX

自分などは、メルトダウン、メルトスルーを心配して12日、13日辺りはもう日本が終わる、と深刻な精神状態で情報集めと分析に必死になっていた。偶々、フランス在住の知り合いから、13日深夜だったかヨーロッパの科学者たちがスパコンを使ってF1人災によって発生した放射性プルームの移動予測(スピーディの予測のようなもの)したものをメールに添付して送ってくれたので、そのデータを自分の親しい者達には拡散した。東電や官僚、政治のスポークスマンの言う事は無論信用できないから。菅首相(当時)は東工大の物理出身だから核暴走がどのような結末を招くか即座に判断して東電に報告や状況把握を求めたが、清水(当時の東電社長)は、自分達が逃げることばかり考えて碌な対応を取らなかったことは、当時も報道された。東電で頑張ったのは亡くなった吉田所長と現場の人々である。
 ところで、太宰の薬漬けは、無頼派青年の深刻な精神状態とその危機を如実に語るものとして我らを惹きつけてやまない訳だが、今作は、当にこの点にコミットしている。(無論、麻薬にということではない)作品をソフィストケートすることによって全体をパーフェクトでコンセプチュアルな様式に貶めるのではなく、あくまで今作のベースになっている「人間失格」を書いた当時の太宰の抱えた“破綻”に掉さしてゆこうとしているからである。何故、このように困難で未完な形式を選んでいるのかについては、3.11の深く、凄まじい体験があるからなのだと、自分は考えている。
 これらのことを描く為に彼らが採った方法とは、生身であることだ。2011年4月に結成されたユニットが旗揚げであったことは既に述べた。この時彼らは、生身を視覚的象徴的に表現する方途として脱ぐことを選んだのである。以来、この方法は、この劇団の伝統となっている。今回、演じられたBuoyが、元銭湯であるというジョークも気が利いている。実際、劇空間は、上階には元ボーリング場の、今作上演会場は、洗い場のタイルの上に組まれた畳2畳の部屋と下手にはカラン、部屋の奥には浴槽が残り客席床からは欠けたブロックと20㎝ほど底上げされたタイル面、切断された管などが丸見えのB1にある空間であり、入口から劇空間まで観客席を囲うように入口側を除く3方には、天井から帯状の紙に記された「人間失格」の一部“弱虫は、幸福をさえおそれるものです”などが書かれ吊り下げられている。その数100枚近いだろうか。BGMは、ちょっと変わった環境音楽といった感じのものが流れて、異空間を形作っている。更に、この部屋の奥の衝立は、スクリーンとして利用され演じ手としても登場する本田氏がパワポで拵えたイメージが映される。(何と、パワポで700メガ)

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