ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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第壱部「綺譚 逢浄土桜心中」第弐部「DREAM-NeoJapanesque」

第壱部「綺譚 逢浄土桜心中」第弐部「DREAM-NeoJapanesque」

想組〜こころぐみ〜

小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)

2024/06/01 (土) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 元々、福岡で舞踏の人々と共に活動していたという劇団。それだけのエネルギーと自由な実践力を持つ。華4つ☆

ネタバレBOX

 二部構成の作品。間に20分の休憩を挟み150分超のエネルギッシュな公演だ。福岡から来ているという。初めて拝見する劇団だが、第一部は歌舞伎の演目から、第二部は歌謡、ダンス、パフォーマンスのショータイムと趣向を変えた構成だ。群舞では全体のモーションの不統一が若干見られるし、足指、手指の尖迄キチンと伸びて決めているダンスが実現できている者は少ないが出来ているメンバーのダンスは見事だし、其処迄細部を決めていない他のメンバーも基本的なポテンシャルは高いのでちょっとこの辺り迄詰めれば更に良くなるのは確実だ。
 第一部、二部ともに板上は素舞台。第一部では出捌けはホリゾントセンターに設けられた1か所及び客席上手側の通路の都合2か所。六道輪廻の世界で因果応報に絡め捕られた貴族の娘、嫡男、次男の森羅万象中心に描くが、各々の人生の余りに凄まじく苛酷な変転に世の無常が描かれこの世界観に嵌ることができる人々には痛烈な作品であることは想像に難くない。然し乍ら現代を生きる自分には、因果律や六道輪廻の構造を示し敷衍することによって人々を操作する主体が何或いは誰なのか? と主体を問うことが興味の対象とはなった。その答えは容易に指し示すことは出来ないものの、ヒトが何処から来て何処へ行くのか? ヒトとは一体何か? という問いと同時に明快なことが殆ど分からないヒトという生き物の抱える巨きく不気味な不如意によって穿たれた底なしの深淵が覗き込める作品でもあるとは感じる。
黒い太陽

黒い太陽

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2024/05/30 (木) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 板上は作品内容が岡本太郎の作品“太陽の塔”制作依頼過程そのものの経緯に在る為、彼の作品にふさわしく極めて斬新、而も岡本が追求した美しさとしての機能美を具えたものである。今作、脚本の良さは無論のこと、演技、演出、舞台美術から照明、音響、制作に至る迄、総てが作品の趣旨に沿って見事に収斂している。必見の舞台。華5つ☆。尺は約110分。追記6月3日0時58分

ネタバレBOX


 劇空間に入ると演劇空間は、高さ30㎝ほどの大きな円筒を中心に同心円上に広がる板面更に外側に白い同心円を為す。円筒の周囲に椅子や文机等の小道具が置かれ必要に応じて円筒上に持ち出される。この円筒の真上、天井部には白い円形のオブジェ。円形オブジェの接合部に見えるのは照明によって極太の円柱に見える紗の膜。観客席はこの実質素舞台をL字型に囲む形を採っている。開演前には祭囃子や万博開催時の喧噪と同時に実況中継の模様が音声で流されている。
 上演台本は緑 慎一郎さん。尚、登場人物は名前は使われているがあくまでフィクションであるということは付言されている。その点に付いては今更言うまでもあるまいが誤解なきよう。
 身の回りを見ても優れたアーティストという者は極めて親密で同時にフランクな人間関係を構築するものである。殆どの人が世間体だの常識だのに縛られ聊かも疑いすら持たぬのが世の常であるなら、真のアーティストは、それらから意図的に自らを疎外する。己自身で観たもの・ことを中心に持てる総ての感覚、知恵、知識、経験などを用い対象を真っ直ぐに観察し享受し自らの内部で熟成させる為である。このような生き方の実践のみが独自なアートを生み出し世に問うのである。従って存命中にそれらの作品が評価されることは無いかも知れぬ。だが時代の常識が変わり、人々の習慣が変わる時、彼ら、彼女らの作品群は、俄然真のアーティスト作品群と評価されるのである。
ピテカントロプス・エレクトス

ピテカントロプス・エレクトス

劇団あはひ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/05/24 (金) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 開演前、猿人と思しき者がモギリをしている場に現れたり、開演直前に劇空間に設えられた立ち入り禁止区域のコーンや侵入防止用の棒等を撤去する為に作業に入ったスタッフを邪魔してする悪戯が極めて面白い。追記6月3日0時38分

ネタバレBOX

 劇空間は四方を観客席に囲まれている。板中央に深い奈落が設けられており、奈落の底へ下りる階段、登る階段として都合2つの階段が設けられている。この奈落は化石の堆積層と考えられる。物語はヒトである我々は何処から来て、何処へ行くのか? が今作で表示された問いだが、ヒトである我々とは何か? という問いを当然続く問いとして提起された壮大な物語だ。猿人(アルディ・ピテクス)、原人(ホモ・エレクトス)、旧人(ネアンデルタール)、新人(ホモ・サピエンス)各々の集団が化石層に埋まった別の年代の類縁と交錯し対話する方式を摂る。が、その質疑応答が基本的に同じフレーズで為される為退屈感は否めない。またオープニングで登場した人物がいきなり鴨 長明の「方丈記」冒頭をそらんじ乍ら奈落の周囲を幾度も巡るのだが、無常を現したとされるこの随筆より、寧ろ老子の方が相応しいように思うのである。理由は、その哲学にあるのは無論だが、様々な異論が出され得ることも無論承知している。というのも老子が実在したか否かさえ疑うことが可能だからである。周知の如く“子”は男子に対する尊称であるから、老という苗字の男性に先生という意味で付けた表現、老・子が老子という具合に個人に対する尊称を含めた表現として伝承されてきた可能性を否定できないからである。一方、無論司馬遷の『史記』に老子に関する記述が見られるが司馬遷自身が老子の存在を確定できなかった表現も同時に見て取れる。また孔子による記述も老子の実在の根拠としては弱かろう。だが、老子の述べた言葉としての記述『老子』が残存しているというから一応そこに書かれているとされる言から引くとその哲学の中心の1つを為す“道”に関する後代の解釈は多様である。自分はこれを前秦時代の春秋戦国時代をきめ細かく注意深く生きた人(々)の知恵の集大成であるかも知れないと思うのである。無論、老子個人であると解釈しても構わない。その辺りを研究する研究者の仕事に口出しすることも出来ないし、そのつもりも全くない。が、その知恵の骨子は戦乱の時代を生きた観察をベースに実に科学的な目と見識で編み出された知恵と解釈するのである。今作「ピテカントロプス・エレクトス」も考古学によって明らかにされたホモサピエンスに通じる人類史がどちらかと言えば科学的な実証に基づいている以上、文化的観想である無常観を代表する随筆『方丈記』より親和性も高かろう。演劇の醍醐味は当初バラバラに見えた各要素が一点に収斂してゆくダイナミズムにあろう。この点に留意するなら、今作の思考部分を為す哲学表現的立場もより親和性の高いものにした方が良かったのではないかと感じる。
最初の二十面相

最初の二十面相

劇団身体ゲンゴロウ

北千住BUoY(東京都)

2024/05/23 (木) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 Aチームを拝見。谷崎の「小さな王国」は読んでいないが。実にスリリングで面白い。
華5つ☆ ベシミル。追記した。5.25 17:44

ネタバレBOX

 板上は劇空間入口が、設定上の地下室と外界との接点となるドアになっておりホリゾントにはSNS上の交信内容が映写される。ホリゾント下手、センター、上手に出捌けが設けられている他、センターと上手の出捌け中ほどに丁度監獄で配膳に用いられるような仕掛けが設えられており、人が何とか這いずり出ることができる空洞を可動式板で使用時以外は塞いでいる。物語の多くの部分が小学校の教室での話と絡むので椅子が板上に在る他ラジオのような形の小道具が在る程度、ほぼ素舞台である。二十面相がタイトルに入っている通り犯罪という形、即ち違法になる行為が為されるのだが、今作の描く内容は寧ろ思想そのものである為、極めてスリリングな展開で緊張感が続く場面が多くその緊張度が極めて良質で高い為、またその緊張を破る食品デリバリーの配達員がドアを激しく叩くタイミングが絶妙で強い為唐突に途切れる演出が見事。また途切れた緊張感を上手く逸らし擽りや脱臼的手法で着陸させて別方向にずらして行く手腕もグーである。演劇であるから無論、次のカタストロフへ繋がってゆくのだが、其処は脚本でこの地下空間がどのような場所であるのかが書かれて、自殺志願者が30日の間に課されるミッションと内職をクリアした暁には目的を成就するN国へ行くパスポートを得る(或いはそれが自死成就かも知れないのだが)究極が与えられて居る為、観客が基本的な緊張感を途切れさす懸念は除外されている。この構成も見事である。
 言ってみれば今作は命懸けの思想闘争がメインテーマ。但しこの思想実践は法に抵触するという問題を同時に孕む。即ち体制VS反体制の命懸けの闘争が主題である。無論、命を賭ける以上、同胞たる者には絶対的な信が置けなければなるまい。それが思考を真に自らに真摯な思考と為すと考える根拠足り得ることになろう。また倫理的にも自らの全責任に於いての選択が実存レベルで要求されるのは当然のことだ。若干飛躍するが哲学的に考えれば総ての犯罪は反体制的であるから、極めて現実的な本質に関わる問題提起を江戸川乱歩の小説の主人公の一人である二十面相と絡め、知的でスリリング且つ本質的な問題提起として上演された作品であると言うことができる。
 ところで、書き落としていた。今作ラストシーンの状況を経ても今作の中盤でずっと描かれていた仲間内に於ける支配と隷属の関係である。換言すれば支配VS従属という関係だが、命賭けで同胞としての盟約を結び得た後に何らかの目標に対して(今作の場合は犯罪行為となる反体制的行為ということになるが)完全対等を保ちつつ盟友関係を保ち同時に目的を遂行し続けることが可能か? という問題である。そこに能力差によるヒエラルキーが生じ固定化することはないのか? という問題は必ず出来する。その際、分け前が同等であればそれで済む、ということで完全には解決されない問題はこれもまた必ず出てくるだろう。
去りゆくあなたへ

去りゆくあなたへ

劇団BLUESTAXI

ザ・ポケット(東京都)

2024/05/21 (火) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 板上は下手に葬儀場の控え室。ホリゾントの手前にお茶のセットが置かれ、六畳の畳敷の休憩室にはテーブル、座布団が見える。正面奥の障子を通して落ち着いた雰囲気が醸し出されている。出捌けはこの休憩室の手前の側壁2か所に設けられた袖から。尺は約120分。

ネタバレBOX

 物語は2つの葬儀(通夜の模様)をほぼ交互に演じ分けることで進行してゆくが、互いの挿話に因縁が無い為因果の生ずる必然性が生ずることは無い。その為、全体としてはドラマの迫真性を欠く。折角、舞台で演ずるのだから、話をどちらか1本に絞って更に掘り下げた作品にした方が良いように思う。映画なら、例えば葬儀場そのものをテーマとして脚本は無論変わるものの同じセットでもカメラを通した目で撮影し、フィルムを編集して様々にタイプの異なる葬式や通夜の内輪を描くことで別のテーゼ(例えば人間の儚さをテーマとした作品)を提示しテーマを統一することが可能であっただろうが、今回の表現法では演劇の醍醐味である登場人物相互の葛藤が作品全体に及ばす、生の人間が観客の目の前で苦しみ、哀しみ、悲嘆に暮れ或いは歓喜に我を忘れる様をダイレクトに共有する演劇独自の熱狂を共有することが出来ない為、全体としての遡及力が弱くなってしまった。この点が残念である。
親の顔が見たい

親の顔が見たい

diamond-Z

日本橋公会堂ホール「日本橋劇場」(東京都)

2024/05/16 (木) ~ 2024/05/18 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 戯曲は畑澤聖悟さん作、演出が西川信廣さんである。今作は初めて拝見したが、1月から今作を含めて42本を拝見したうちのベスト作品と評した。文句なしの華5つ☆

ネタバレBOX

 脚本が素晴らしい。演出も無駄が無く舞台美術も必要最小限で小道具1つに至る迄総てを用い緊迫の舞台内容を盛り上げている。自分は初見の作品であったが、有名な戯曲だとのことで読んだり、観たりで既知であった方々も多いのかも知れない。何れにせよ。楽公演じっくり拝見させて頂いた。
 板上はホリゾントセンター上部に「愛友理真」と大書された額、その真下の壁に「聖母子像」が描かれた額が懸かっている。ホリゾントやや下手に出入口、その下手の壁手前には電話台と受話器がある。丁度板全体の中央辺りを占めるのは大きなテーブル。長辺の各々にはパイプ椅子が各4脚、上手短辺に1脚並べられている他、上手観客席側にはパイプ椅子が観客の視線と直交するよう横向きに2脚並べられ、その下手に塵入れとして用いられるのか、防火用水が入っているのかバケツがある。パイプ椅子は下手にもあるがこちらは上手のパイプ椅子とは逆向きに置かれ而も2脚づつ、やや間隔を置いて置かれている。舞台美術は以上。出捌けは出入口1か所と極めてシンプルだ。因みに尺は約110分弱。
 美術的に優れているのは、大書された文字が右側から左へ向けて書かれていることで、この学校が敗戦前からあったこと。聖母子像が懸かっていることでミッション系であることが即座に分かること。深読みすれば何故そのようなことが許されていたのか迄観客は想像できるということだ。(名門校であり女子校であることまでは極めて合理的判断で辿り着ける)
 さて、物語本題に入ろう。発端は、この学校の中学2年の生徒、井上道子が、朝教室内で首を括って縊死していたことであった。それを初めに発見したのが新任で担任の女性教諭、戸田菜月。年齢が生徒たちと近いこと、優しく親身に生徒たちに向き合ってきたことから生徒たちからは菜月、菜月とファーストネームで呼ばれていた。それだけに戸田自身精神的ダメージは極めて大きく、学年主任で教頭の原田茂一が16時から緊急開催される懇談を一切取り仕切って戸田には「休んでいるよう」指示していたのだが、戸田は、懸命にお茶出し等に関わっている。自死という行為が学校内で起きたことで校長も当然懇談には出席する。実際舞台上に登場するのは親たちと教師陣だが、道子の自殺原因はクラスメイトたちによる苛めであった。この場に居るのは苛めを実行したと考えられる子らの親たち保護者たちと教職者である。では何故、朝早く起きた事件当日に懇談会が持てるようなことになったのか? それは道子が出した菜月宛ての手紙が届いており、そこにクラスメイト5名の名が記されていたからである。遺体発見が午前7時を少し回った頃、菜月の反応は極めて迅速而も理に適ったもので直ぐに他の教師たちに連絡を取って道子を降ろし皆で人工呼吸、AED等必要な処置を為しつつ救急連絡を取って救急車を呼んだ。死亡判定を下したのは救急車で駆け付けた医療関係者で7時台に判定は下された。既に登校していた生徒が100名ほど居たが全員各家庭に帰した。その後道子からの書面で名指された5名の生徒及びその親たちに16時に学校へ来るよう連絡を取って集まって貰っていたのである。 
 親たちは会議室に集められ、子供たちは1人づつ、別々の場所に付き添い教師と共に居た。実際、苛めた本人たちであれば口裏合わせを防ぐ為ということも当然考えられる。
 協議が開始されると、教頭が菜月宛てに送られてきた文書を皆の前で読み上げた。親たちは自分の娘が同級生のそれもクラスメイトを苛めて死に追いやったということを認めたくない。その為、様々な異論、反論を述べ立て始める。最初の異論、反論はそれなりに自然な発想と論理に基づき、その異論、反論に濡れ衣であるかもしれない論拠が在る程度認められるものであった。然し徐々に親たちの論理に合理性が欠けてくると、同窓会会長やPTAトップ等も務めてきた森崎(妻)が、その書面を見せて下さいと言い出し2度目にそれを要求した際、その書面に火を付けて燃やし証拠隠滅をしてしまう。そんなことをする森崎雅子に抗議する学校側に教師で夫妻の長谷部(夫)が証拠が無くなって仕舞ったのだからとやかく言っても始まらない、防げなかった学校側も問題だとして恫喝を掛け、事実隠蔽工作に走る。だが更に道子からの手紙は別の人物宛てにも送られており、それも親たちの面前で読まれることとなったが、今度は切羽詰まった挙句教師から奪った手紙を破いて食べ、あっという間に呑み込んで仕舞うということをしでかしたのは、今度もまた森崎雅子であった。そして今回も詭弁を弄してあくまでも娘たちを庇い続けたのは長谷部亮平であった。然し乍ら幾ら何でも酷すぎると保護者サイドからも内部告発がおずおずと出始めた。而も乱入者がありその乱入者は会議室迄入ってきた。彼は道子がアルバイトをしていた新聞配達店の店長であり、彼に親切にして貰った道子は3通目の便りを彼に送っていたのである。メディアでも速報が伝えられていたから店長は直ぐに気付き真実を明かす為に会議室に押しかけ苛めの全容を明かす。流石に今回ばかりは、森崎雅子も手紙を奪うことは叶わず、事件の全容は親たちの中からも明かされてゆく。そして終盤、チェーホフ作品の幾つかで言及される深い台詞が引かれる。無論単に引用している訳では無い。チェーホフ作品の中で用いられて表現されている内容との対比の為にここに持って来られたのだ。この苛めという陰湿で卑怯でグロテスクで無責任な社会の在り様の鏡とする為に! (因みに証拠隠滅を国家レベルでやった歴史、個人レベルでやった歴史は敗戦後も脈々と実際に続いているのが実情である)焼却で対応する有名な件は敗戦直後進駐軍がやってくるまでの2週間程で問題になりそうな書類が昼夜を徹して焼却された事実として、食べた件は金丸が国会で疑惑を追求された際、証拠書面を実際に食べて隠滅した事件がある。
 以上が私の観た今作の内容であり、今年観た全作品中、最高作品と評価する所以である。
世界ギュルルン滞在記

世界ギュルルン滞在記

FREE(S)

ウッディシアター中目黒(東京都)

2024/05/15 (水) ~ 2024/06/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 う~~む、TVを全く見ない自分には感性が合わなかった。華3つ☆

ネタバレBOX

 完全にTV風。或る意味メタなのだが、その表層性に棘を感じることは無かったし、表層性そのものをメタ化しようとする気概やキートンの狂気も無い。TVを全く見なくなって既に10年程にはなるが、理由は総てが嘘臭いと感じられるからだ。やらせのオンパレードに笑いの毒も必然性も感じないということである。舞台美術も小道具として使えるように配置された物が用いられず、唯点描として機能しているだけ。最終部分だけは視座をずらし全体を総括したように見せつつ、観客に判断を委ねる形を採っているものの、インパクトはさほど大きくなかった。
達磨さんは転ばない

達磨さんは転ばない

劇団龍門

シアターシャイン(東京都)

2024/05/15 (水) ~ 2024/05/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 初日を拝見。作・演は村手 龍太さん。如何にも村手さんらしい味のある深く而も観る者に勇気を与えてくれる作品。華5つ☆。ロンモチ、ベシミル!

ネタバレBOX

 金本 達磨は映画監督。名前からは想像するのが難しいが女性である。年1本のペースで作品を発表。数々の賞を受賞後、この5年間作品発表は無い。そんな彼女がキャスト募集オーディションをSNSで発信。応募者三千名を超える中から選ばれたのは僅か8名。共通項は1つの例外もなく闇を抱えた人々であった。応募の履歴書には、これ迄過ごしてきた人生を詳細に赤裸々に書くことが義務付けられていた。
 監督の5年もの沈黙は、表現ではなく利潤で差配される映画の製作過程で内容がスポイルされていることに対する挑戦があった。然しプロデューサーやスタッフからも著名俳優等を中心にキャスティングしなければ製作費が出ない、との反対意見が相次ぐ。当然、スポンサーやメディア報道等の動向も緻密にチェックしつつ、要所、要所に攻勢をも掛ける。こんな状況下、愈々オーディション当日に集められた志願者に対応した監督の為したことは? 通常のオーディションでは全く考えられない破天荒な内容であった。言ってみれば、それは各々の生き方そのものを問う、否根底から問い直す修羅場であった。集められた者全員と監督の面前で各々がありきたりの仮面、偽装、表の顔を剥がされ剥き出しの自分自身と対峙してゆく。そしてそのことを通してハッキリ己自身の位置と裸の己を正確に把握してゆく。即ち世間体等という表層を脱し己自身を確立してゆくのである。
 この過程が、監督の新たな作品だと分かる迄に二転、三転・・・と物事の本質と表現行為、皮相でしかない「現実」との対比、葛藤、止揚が行われる。この間の丁々発止が見ものだ。而も警察の者だと登場する人物による社会戯評が的を射ている。脚本、演出、演技も良く、先にも書いたように兎に角観る者に元気を与えてくれる作品である。
マクベス

マクベス

演劇ユニット King's Men (キングスメン)

座・高円寺2(東京都)

2024/05/14 (火) ~ 2024/05/16 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今作にはシェイクスピアの「マクベス」に対する新解釈が盛り込まれていると言うことができようが、これが素晴らしい。ベシミル! 華5つ☆本日楽日。3公演がある。尺は120分。

ネタバレBOX

 板上フラット。上手・下手側面に黒幕を各三枚天井から板面迄下ろして袖を構成。このようにして作られた袖を用いて出捌けに用いる他客席側通路が魔女たちの登場・退出や王子らの国外脱出、城攻めに参加する軍勢等の登退場にも用いられる。衣装、髪型などはカジュアル。拝見して直ぐに感じたのはシェイクスピアシアターに似ているということであったがそれもそのはず、今回マクベス、マクベス夫人を演じ、共同で演出にあたり制作まで担当した主宰のユニットキングスメンの平澤智之氏、篁エリさんはお二人ともシェイクスピアシアター出身であった。
 肝はラストシーンにある。今迄他の劇団が演ずる「マクベス」を何作も拝見してきたが総てシャイクスピアの翻訳作品に忠実で今回のような独自の解釈を付け加えている作品を拝見したのは初のことである。無論、このことに様々な意見は在ろうが、演劇たるもの、このように原作を忠実に反映しつつも、時代に生きる人々へのリアルな訴え、問題提起をすることは最も大切なアートの務めでもあると信ずる。
換言すれば我々が今現在生きている世界は、今作に登場する魔女たちの言説で端的に表されているように矛盾だらけの前提の上にその矛盾をどうにか糊塗し己の利害を優先する為に謀略が実行され、謀略によってあからさまに実行されてしまった取り返しのつかない惨虐によって後戻りできなくなった人間の喘いでいる時代ということができよう。その末路を描いたのがシェイクスピアの「マクベス」であると捉えられようが、この喘ぎの央(さなか)で最も苦しんだ人々が見出した最終判断こそ、今作のラストで描かれているシーンだと断じた。懸命な判断であろう。
貧乏神シャバダバ

貧乏神シャバダバ

近藤一彦プロデュース

オメガ東京(東京都)

2024/05/08 (水) ~ 2024/05/11 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 以下の説明で分からない具体的な答えは、この作品を観て確かめて頂きたい。お勧めの完成度の高い作品である。公演は11日が楽。

ネタバレBOX

 板上はホリゾントセンターに出捌けにも用いられる開口部が設けられこの開口部を中心に上手・下手はシンメトリックな構造。上手客席側に側壁から出っ張るような塩梅になっているのはクローゼット。このクローゼットの中で現当主の祖母の上の孫娘が十年ほど引き籠っている。このクローゼットの奥側壁にも出捌けがある。無論、クローゼットにも出入口が付いているが鍵が掛けられるようになっており、もう一カ所の出捌けは下手側壁に設けられている。オープニングでは上手に箱馬三つ、下手に二つが見える。全体に極めて緻密な作りだ。脚本、舞台美術、演出、演技、場面の状況にしっくりしっかりフィットした照明と音響のマッチングも素晴らしい。役者陣の演技も上手いし、キャスティングも適切だ。ちょっと大きめな小道具を板上に据える時も必要最低限の小道具が様々な用途に使われるのは無論のこと、段取りがキチンとして居る為搬入の際にも一切無駄が無い。尺は80分。役者の演技はスタニスラフスキー流ではなく手練れの役者の演技と観た。内容は金持ちの家に伝わる家訓とそのような習わしから自由になりたい孫娘二女に狙いを付けた男、若奥様の婿の過去の女性関係をネタに結婚詐欺だと主張し、いか程か巻き上げようとする女、3か月間消息を絶って外遊していた若奥様の拵えた借金返済を迫る三十余名の金融業者、当代の当主の目の前に現れた死神の予言と人の心を良く知る死神故の慈悲は、退屈凌ぎの最後の遊戯。これらの素材をフィクション内のフィクションで引き回すのが、貧乏神。してその心は。死神が大奥様の真の悩み、即ち貴族同様に仕事らしい仕事等持ち合わせたことが無い大金持ちが罹る不治の病、『退屈』退治の妙薬。そしてこれこそ、今作の主題とみた。そしてこのフィクション全体を引き回すのが、代々の主人に仕えてきた家政婦、服部夫人である。  
花影

花影

臼井智希プロデュース

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/24 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

華5つ☆ ベシミル!
 花影(かえい)とは、月光などにより花が落とす影のことを指すが、何とも含みのある言葉ではないか。こんな素敵なタイトルを未だ若い人たちが付けた作品が今作だ。壬生狼と呼ばれた時期もあった新撰組の謂わば顛末記の一節が今回描かれた訳だが、今迄新撰組に纏わる舞台を10作程は拝見してきた。その中でのベスト作品である。僅か2日間の上演であったが配信もあるとのこと、是非観て頂きたい。お勧めである。

ネタバレBOX

 何がお勧めか? 登場する個々の人物のキャラクター描写が素晴らしいのだ。史的には、激動の歴史の最中で先の見極め方を誤った者達が殺戮集団として機能したことが悲劇として或いはアイロニカルな喜劇として描かれることの多い新撰組だろうが、それを観た者は更に捻れた悲劇と取る向きも喜劇と取る向きもあろう。然し乍ら今作のように己の生き死にの問題と捉え、自らの念(おもい)と生き方の切実な鬩ぎ合いと捉えて作家自らがキチンと自らの頭で考え創作された作品は極めて少ないのが我が国の現状のように思われる。その壁を今作の作・演出を担い役者としても登場している臼井氏はやってのけた。役者陣の意識も高く、脚本・演出・演技・手作りの日本刀、衣装、照明や音響も良い。殺陣も半年掛けてしっかりしたものに仕上げている。また武士の作法についても良く此処迄キチンと調べた、と感心させられるような数々の場面があって驚かされた。
 さて、今作を論じる核心に入ろう。上記の如く新撰組評価に関しては毀誉褒貶様々であるが、そのような評価に関する意見でもない。表現そのものが、それを受け取る人々に何を齎すかについてである。所謂エンターテインメントが楽しみや安らぎ気晴らしを提供すると主張し娯楽作品を提供している。これを悪いことだというのではない。然し世の中には真に自分の伝えたいことを持ち伝える手段と方法を持つ者が居る。だがそういう者達の中に在ってそれを最も有効且つ効果的に伝える方法を持つ者は少ない。その方法の有効性に気付いて居ない場合も多かろう。その稀有な才能を顕わす前に他界してしまった者もあろう。然しそれを表現し得た者が日本にも居た。既に鬼門に入ってはいるが昭和の時代に彗星の如く顕れ世界でも高い評価を受け未だにファンの多い多才な詩人・劇作家・映画製作者等々の肩書を持つ寺山修司である。彼は“問い”を表現の極めて大切な動機、方法、実現手段として社会に大きな文化的インパクトを実際に与えた。
 つらつら考えてみるに表現する者にこれ以上に大きな社会貢献は可能だろうか? との問いが生まれた。今作の眼目は、作家が自分の頭で本当に自分の描きたいことを考え、それを問いとして提示する為に演劇を選び、新撰組という素材に念と何時死ぬとも分からぬ我らの“死”を前提とし各々の実存を賭した生き様を、普通に生きる人々に提示した点にある。以下、作中に顕れた具体例を幾つか上げておく。
 当時、労咳と言われた結核が沖田の持病であった。不治の病と恐れられ罹患すれば死は避けられない。池田屋襲撃時に傷を負った沖田は、近藤、土方をはじめ新撰組の寝食を共にした家族のような仲間から可愛がられた。然し「無理をするな」との温かい思いやりは、全身全霊を懸けて信じた近藤についてゆく。明日をも知れぬ自らの命をその念の為に費やそうとする総司には隊の任務に携わらせない皆の思いやりが、アンヴィヴァレンツでしかない。そのことを土方のいたわりに対する答えのシーンで訴える。その直截な表現が胸を撃つ。
 その優しさの余り隊規を破り切腹を余儀なくされた山南 敬助が介錯に沖田を指名し「声を掛ける迄待ってくれ」と言ってから切腹したことの意味。即ち既にサラリーマン化した江戸時代の武士の切腹が初手で脇差を刺した瞬間に介錯を行っていたことに逆らい古式の切腹をして“武士”として天晴な死に様を晒したことと沖田に任務を与えたことの意味は明白である。
 また山南の古くからの親友、新撰組参謀として活躍した伊東 甲子太郎は、手の込んだやり方で新撰組に敵対することとなったが、流石に切れ者の甲子太郎、時代の読み方に間違いは無かった。この流れに共感する者二人。藤堂 平助と永倉 新八各々の剣の腕と人間性。それに賭けるだけの力や矜に懸けた念によって敵対しつつ共鳴する生き様は、新撰組の法度を鬼になっても護ろうという念で実行した土方撃退には共闘して当たり功を得た。然もそれぞれの歴史的立ち位置と選択の差によって決着はつけるという男の意地を通す美学は現代的では無かろうがグー。
 細かい点で他に2点、指摘しておきたい点がある。新撰組法度に盾突き追われる身となった山南が追手となった隊士たちと争う場面で隊士を殺さぬ為北辰一刀流の妙技・親指斬りを用いたと思われるシーンがあった点。
 山南の遺志を継いだ伊東が近藤 勇と会談した折、近藤は着座の際、刀を右側に置いて敵意の無いことを示し、伊東は左に置いて反対の意思を示している点である。双方の懇談に対する態度が如実に示されると同時に近藤のリーダーとしての人間の大きさも示すシーンだと解釈した。
 物語の創りとして本質的に非常に上手いのが、今作がかつて新撰組隊士であった人物の語る一次情報を基本とした事実譚として創られていることである。物語であるから、フィクション部分はあるのが前提だが、このように本質を弁えて作られると物語としてのリアリティーが確保されるのだ。作家は若い。この若さで此処迄普遍性を具えた作品に仕上げた才能に今後とも期待したい。制作を今回担当した駒井さんは照明、広報、ヘアメイク、小道具製作なども手掛け大活躍、役者陣もキチンと役の個性を演じてグー。こんな質の作品をあと2作発表できたら、今作に参加した総てのメンバー全員が、今後も期待できる本物と見做せよう。
絶望という名のカナリア

絶望という名のカナリア

甲斐ファクトリー

小劇場 楽園(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 べし観る! 多くの擽りを入れほろ苦い笑いを誘うが、現実に出来している末世を深く考えさせる作品。

ネタバレBOX

 物語のタイトルと話の展開から明らかなように終演部分で主人公・鈴木は帰ってきた名前の無かったカナリアにdesperatioという名を付ける。無論、絶望という意味だが、ラテン語である。この辺りも如何にも研究者出身の鈴木らしい。ラテン語は学名を付ける際に用いられるから、この辺りにも今作がエンターテインメントとして創作・発表されている仕掛けがみえて面白いのだ。
 ところで、鈴木が15年の歳月を費やして挑んでいた数学の難問、ポアンカレ予想は1904年にフランスの数学者、アンリ・ポアンカレが提唱したトポロジーに纏わる理論で難問として有名であったが、約100年後、ロシアの数学者、グリゴリ・ペレルマンが証明した。だが、何故ホモ・サピエンスは絶対知を求めるのか? 私見であるが、それは現生人類が知を持っていることから必然的に出来した宿痾である。ヒトが現在地球上の食物連鎖の最上位に在るのは、当に知に負っているからであり、知無しにはヒトの繁栄は在り得なかったからであるのは自明と言わねばなるまい。同時に知恵は悪知恵という副産物、嘘という鬼っ子等たくさんの弊害をも齎しているが、これを何とかする為、即ち正しく処理する為にも基準となる絶対値を要するのもまた必然であるからヒトは絶対知を追求し続ける他に道を持たず、それなしには不安という泥沼に沈み込む他無いのである。故に絶対を合理的に求める手段として最も有効な方法が数学であることに異論を唱える者はあるまい。
 今作の作品構造に関して言えば、現代社会に蔓延るスターシステムをベースにしSNSを駆使したマッチポンプ型収奪方式をはじめ非普遍的宗教(即ち端的に言って詐欺、人口に膾炙した言い方では新興宗教と呼ばれる場合も多いが実態が詐欺の場合もあるから誤解を招き易い)という社会的仕掛けが実態をカモフラージュして脱法行為を成就させる事件を生み成功させる訳だが、その成功を成就させたもの・ことが数学的誤謬を原因としていること、逆説的ではあるが今作を根本で支えている論理的根幹は、この数学の絶対的合理性なのであるという事実。この絶対合理性に辿り着く為の死に物狂いの天才たちによる追求姿勢と覚悟は、人倫を全うすることの困難そのものでもある。対比されているのは現代日本の徹底した壊れよう。人倫も何もありはしない。そんな実感を多くの人々が持っており、然も同時に手を拱くだけで実際に有効な手段を取ることもできない情けない有様を浮かび上がらせているのだ。
 無論、この状況に抗する術もキチンと提起されていることは、作品をキチンと受け取った観客には明らかなことだが。
「あぁ、自殺生活。」

「あぁ、自殺生活。」

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 自死というテーマで様々なことを思考させてくれる作品、その行為が成功してしまえば二度と再びこの世には戻ってこれない事象だけに、いくらでも深堀りすることができ、様々に微妙なユーモアを紛れ込ませることもできる処が今作の強みだろう。役者陣の演技もグー。

ネタバレBOX

 頂いたパンフの中には令和4年の我が国の自殺者数他、令和5年の自殺手段、理由、曜日、月、県などが上位3位迄記されていたりする。
 実際に演じられるシーンは圧倒的に鉄道への飛び込み関連が多いのは、それだけ他者への影響力も大きく、賠償請求額も高額になるということがあろう。
 ところで自分の好みでは自殺という言葉より自死を選びたいので、以下の表記では自死を用いさせて頂く。病死、事故死、自死、衰弱死等々死に方は様々だが現在までの処人間も生まれた以上必ず死を免れることは無い。掛かるが故に総ての哲学的思考は死すべき定めを自覚することに原点があると考えられる。その可成り純粋な形が自死の形を採って現れる場合があろう。このようなケースが最も論理的に自死の軌跡を追いやすいケースではないだろうか? 今作では、呆けてしまい醜態を晒すことを恐れて。そのような醜態を晒す前に自ら命を絶つケースである。実際、このようにして亡くなった方がいらした。極めて優秀な研究者であり、ユニークな研究者でもあった方である。業績も大きかった。継承者も育てた上で自死を選んだ背景は、矢張りお歳を召してそれ迄確かであると信じてきた生活の中での認識が、視聴覚の衰えやレスポンスの遅れ等でそれ迄通りにはゆかなくなったという自覚が、自ら築いてきた実績を汚すと考え、矜りを傷つけられたということだと愚生は考えている。無論、今作の別の部分でたくさん描かれているように会社の同僚や上司等から散々いびられ、貶された結果追い詰められて死を選ぶケースも多かろうが、このケースでは様々な要素が入り込む為社会的要因や力関係、時代や生きている場所のその時点での価値観等要素が多い為中々自死という不可逆的で自分自身では自ら認識し他者に伝えることが出来ない自分の死について客観的な視座を持つことは不可能であること、また先に述べたように要素が多すぎて分析せねばならぬことが多岐に及ぶ為焦点が呆けてしまい易いことなどからアプローチしない。このような思考もあって自分は自死という言葉を選び如何なる場合にも自死は個々人の権利であるとも考える次第である。今作を拝見して以上のようなことを考えた。
朗読劇「Aiと命」

朗読劇「Aiと命」

WizArt

Art Live Space 「Special Colors」(東京都)

2024/04/13 (土) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 朗読劇である。尺は約1時間。全3回公演の楽を拝見。

ネタバレBOX

 板上はホリゾントセンターに大型スクリーンを据えて人間の歩んできた各時代の景色等を映写で示し、スクリーン手前にセンターを開けてカキランを配しハの字に重ねた平台の上に2人掛けのソファを1つずつ配してAI役が2体ずつ腰掛ける。時代設定は数世紀後、人類は既に死に絶えんばかり。無論、戦争のあからさまな結果故である。登場するのはサイボーグ化した身体に人間の意識を移植し数百年を生きる最後の人間・カキランと第1世代から第4世代迄のAI達。AI達は何れも不死を獲得している。そして皆、寿命を持っていた人間、戦争という愚かな行為を繰り返しつつも各々が生きていた意味について思考していたことの意味について検証する為に転生するカキランの生の軌跡を追って答えを得ようとする。
 即ち物語は不死を獲得したAI達が持った疑問を検証する為に二足歩行をするようになって脳が肥大化し狩猟・採集によって生きることを可能にした人類文明の黎明期からシュメールを始めローマ等数々の文明を生き死んでいった人間の有様を通して死が思考に与える影響を考えるという体裁を採っている訳だ。
 尺が短いことも、恐らく脚本家が若過ぎることなどもあり、AI各世代の性能による人間評価の差異というよりは、女の子の形をしたAI個々の性格の差異という観点からしか描かれていないように観えたのは残念。また、人間のように感情を持つようにプログラムされた後代AIが不死を得て退屈という怪物に悩まされずに安穏と日々を送っている点などにも疑問を覚えた。また、転生を繰り返すカキランにはシュメール文明を立ち上げたキャラとして活躍することなども織り込まれるが、このようなことができたのはAIが時代を遡って関与した結果であることを示しながらタイムパラドクスについての顧慮も無い点は問題だろう。
 AI役の4名の内、音響に負けて台詞が聞き取れない役者が2名いたことも残念である。この辺りは全3回の公演とはいえ演出家がキチンとダメ出しをして音響を抑えるなり、台詞を大きな声で言わせるなり対策を施すべきであった。
世迷子とカンタータ

世迷子とカンタータ

9-States

駅前劇場(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華4つ☆ 創造に普遍妥当性のある方法論は存在するか?

ネタバレBOX

 カンタータは17世紀に西洋で起こった世俗的抒情詞を基にした多楽章楽曲のことでイタリア語である。表現する者と表現する者をサポートしたりコーディネイトしたりする者との相克を縦軸に、表現された結果即ち作品を受容する者達の世界(今作の場合、評者や読者)を横軸に今は寂れた地方の温泉宿を舞台に展開する物語。
 表現する者が何をその根底とするか? 何を根底とすべきか? は当事者達にとって無論大問題である。小説家という職業にしたところでその不安定は並大抵のものではなく、著名な賞を受賞しても仕事が新たに入ってくるとは限らない。生涯書き続け、生活を保障するだけの収入を確保できるか否かも不明である。才能の枯渇と言われるような状態もある。そんな中、真に作家を理解し正当な評価を下し而も本にして売れる作品にすることは目標であるが、作家にとっても編集者にとっても極めて難しい問題であるから、考えに考えたと「自負」する対処法も新たな葛藤や苦悩を生み、当事者達は総て例外なくこれらの問題群と格闘せざるを得ない。この有様を地域再活性化とも絡めて描く。地方のうざいほど強固な人間関係を通して背景に紡がれる物語にも考えさせられる場面や事項も多く一見の価値あり。
ハナコトバ -朗- for spring

ハナコトバ -朗- for spring

Daisy times produce

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 出演者全員女子、Aチーム初日を拝見。

ネタバレBOX

 朗読劇で「青春カルペディエム」と「魔女のお茶会」2作を上演。この2作は関連している。何れもナレーションをも担当する役者が1名ずつ居り、他の役者が登場人物個々の台詞を担当するが、描かれる登場人物のメンタリティを上手く掬い上げる脚本家と朗読する役者陣の感性が光る。かてて加えて「青春カルペディエム」ではラナンキュラスの花言葉、続く「魔女のお茶会」ではスノーフレークの花言葉が巧みに織り込まれ興趣をそそる。
生きる為には君が邪魔だった

生きる為には君が邪魔だった

劇団水色革命

新宿スターフィールド(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 身内に知的障害を持つ長女・奏を抱える家族の話だ。必然的にこの家族の生活は奏を中心の生活となる。(追記後送)

ネタバレBOX

父は研究者、長男は長じて医者、次男は定職にも就かずに暮らしていたが、或る時父が失踪、一家の暮らしを一人で支えなければならなくなった兄は責任の重さや様々なストレスから奏が宝物の貯金箱を振って騒音を出すことに苛立つようになっていった。そして奏を庇う剣佑と事あるごとにぶつかるようになっていた。剣佑の片耳の聴こえが悪いのは兄の打擲のせいだった。
 さて、こんな家族生活に嫌気が差して剣佑は家を飛び出し子供の頃から良く行っていた山に入った。そこで彼が出会ったのは何と山賊を名乗る奇妙な集団と山賊について何かを調べるこれも矢張り奇妙な集団であった。
私を殺して...

私を殺して...

東京ハイビーム

地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/12 (金)公演終了

実演鑑賞

 タイトルに惹かれて出掛けた。

ネタバレBOX

 然し前説の物言い、挙措を見ているうちに失望に変わった。演劇の体を為していないどころか、エンターテインメントとしても徹底性に欠けギャグの質は低すぎるしハナシの外。
私を殺して...

私を殺して...

東京ハイビーム

地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/12 (金)公演終了

実演鑑賞

 タイトルに惹かれて出掛けた。

ネタバレBOX

 然し前説の物言い、挙措を見ているうちに失望に変わった。演劇の体を為していないどころか、エンターテインメントとしても徹底性に欠けギャグの質は低すぎるしハナシの外。
幽囚文庫

幽囚文庫

演劇ユニット苹果錫侖

早稲田クローバースタジオ(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

 若い人たちばかりのグループのせいか、老いて視聴覚の衰えた観客に対する配慮が無い。演技が殆ど見えないレベルの照明で、終演後に客電をつける配慮もなくアンケに書かれた文字の判読もできない有様。以上の理由から評価はできず。

ネタバレBOX

「エフィラのひとみ」
 照明が昏過ぎて演者たちの表情も良く見えない。脚本は悪くはないが、図式的に過ぎた。またオープニングでの最初の発語に気遣いが感じられなかったのは残念。これは間の取り方の重要性に気付いていないか、大して意識していないことから来る結果とみた。
「フェンスと箪笥とレジスタンス」
 こちらも照明が昏過ぎて演者たちの表情が良く見えない。然も脚本内容は、余りにも世界が狭い。

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