ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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今時な運命のシンデレラ

今時な運命のシンデレラ

SFIDA ENTERTAINMENT

劇場MOMO(東京都)

2025/06/17 (火) ~ 2025/06/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 う~~~む。

ネタバレBOX

 プロデュース公演vol.21と銘打っての公演だが、自分には合わなかった。例えてみれば表層の波形や蒸散、陽光の影響や変わり易い表面温度と僅かな差異に惑わされて己の頭で考えることが無いという唯一の共通項を持つ空虚が一つ、また一つと増えつつ表層を、表層だけを浮きつ沈みつし乍らここは自分の席だとでも言わぬばかりに肩肘を張り角突き合わせて蠢いているエパーヴのような存在。
 無論、エパーヴの持つ思考装置の機能は条件反射の如きものに終始するから、政治が独身税なるモノを近々実施するという事象に反応するだけで何ら本質的で独自な対応策も出てこない。他人の設計した方法で他人の設計した方法に従ってマッチングされた出来レースに参加し、偶然を装った「期待される」結論になだれ込んでゆくだけである。
 
徒然なるままに…  NOT TO BE, OR NOT TO BE…

徒然なるままに… NOT TO BE, OR NOT TO BE…

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2025/06/18 (水) ~ 2025/06/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 英語のタイトルが“Not to be,or not to be…”と実に意味深。無論日本語タイトルも三点リーダーでその意味深を示してはいるが。Spiral Moon50回目の公演でもある。尺は95分予定。
 月組拝見。脚本は逆張りの手法で描かれている。この点が今、今作のような戦争物が他でもないSpiral Moonによって而も50回目の節目に演じられる意味であろう。というのも混迷の昨今、観客にも世を憂うる人々、流れ流れて生きる人々、何となく生きる人々様々がある。その何れにも入り易く而も本質を取り違えることのない実に上手い演出だからである。(追記後送)

夢ならなおさら覚めてくれ

夢ならなおさら覚めてくれ

中央大学第二演劇研究会

高田馬場ラビネスト(東京都)

2025/06/13 (金) ~ 2025/06/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華4つ☆ 追記2025.6.15 7:35

ネタバレBOX

 板上は下手ホリゾントのコーナー部分に中学校生徒用机2つと椅子。ホリゾントやや上手寄りに小型スクリーン。スクリーン手前には机と椅子。机上にはノートパソコン、書類用ファイル等が見える。上手側壁から板上を隠すように置かれた衝立で袖を拵えてある。板手前の客席側には楕円形の座卓。座卓の下には荷物入れ用のボックスが置かれている。
 物語は現在と10年前を入れ子細工に、主として学校と家庭を舞台に展開される。所謂問題児達の背景にある事情を地域の著名女子中に通う中二女子やこの女子中の教師達、その教師の一人であり現在は映画研究会顧問を務める沖田と10年前丁度中二の時に不登校になっていた沖田の大切な友、米谷が虐待されていたこと。沖田はそれを知りながら米谷を救えなかったこと、而も転校後米谷はその虐待が原因で自殺していたことを知る。
 ところで現在教師となって女子中の映画好きの為の顧問を務める沖田は中二のクラスの副担任でもある。お嬢様学校として名を馳せるこの中学の副担任クラスには、ホテル街に入り浸って補導されるなど問題児とされる萌が居た。彼女もネグレクトされていた。父母はその仕事が各々の最重要課題であり、一人娘に対しては経済的安定と名門校に通わせ良い成績を取らせることで教育義務を果たしたとするとんでもない勘違い傾向が見られた。その点父はまだしも父親らしい愛情を注ごうとはしていたものの、母は寧ろファナティックなまでに己の教条主義に固執するタイプであったから萌の繊細で敏感な感性を理解できなかった。まして人生で最も多感で不安定な時期であるにも関わらず、母親は娘に対する当たり前の配慮をすることさえできなかった。女性が日本社会で仕事をする上での様々な障壁は具体的に描かれていないが、これが萌が問題行動に走る原因だということに最も鈍感だった理由であることは類推できる。が、本当だろうか? その母としての言い訳はいつも「仕事が忙しい」だけであったから偽装している可能性は否定できないように思う。萌が問題児として、名門女子中落ちこぼれとして最も問題のある児として評されていた頃、既に両親は離婚しており、親権は母親に在った為、父との面会さえ公式には禁じられていたのである。この事情は更に萌を非行行動に走らせる原因の一つとなっていたと考えることも可能なのだ。
 一方、このクラスを含む生徒を教える教師たちにも悩みはあった。名門女子中である以上、生徒たちにはお嬢様が多い、親の社会的ステータスも高い。そんな親たちの加入しているPTAは発言力も強く、地域社会での影響力も強いから学校経営者からは、校内スキャンダル等もっての外という態度しか出てこないのが実情でありながら、唯でさえ忙しい教職の中心を占める教育以外に部活顧問や風紀問題、今作で描かれている訳では無いが果ては補習などの面倒見やその手配(補習時刻設定、教室確保、補習担当教員確保等々)、更にはここに挙げた事象関連の書類作成や提出等々枚挙に切りがない程教師の仕事は多忙であることは常識である。その中で就任当初に抱いていた高い理想や教育理念は徐々に蝕まれ腐ってしまった教師も居ることになった。
 一方、日本社会は何等かの詭弁を用いて言い訳を作り出しそれをアリバイに転嫁するなり『事実或いは真実』に加工し直して広報や社会的権力・権威等で護り同時に広報等で衆知徹底するから異論・反論・反対論等は抹殺され易いという現状がある。元来柳田國男が日本人について述べた1931年発表の「世間話の研究」では日本には世間はあっても社会は無いという認識がある。これは平たく言えば欧米近代以降生じた国民という名の民衆間に存在してきた共同体の基本原理が日本には存在していないという認識であり、代替するものとして機能していたのが世間という、より範囲は狭く、普遍性に照らして検証されてもいないがある程度ファミリアルな人間関係世界であった。更に言い換えればこれは二人称で呼び交わすことのできる関係を欧米では意味し日本では其処迄明確に区別は出来ないものの或る程度二人称的世界観が(世間内作法が機能して)通じる世界であった。これに対して三人称世界は所謂社会というバトルフィールドであって利害関係が中心となる社会であるから強者による選択が自由に行われれば弱者に選択の絶対自由は無い。即ち強者の指示により弱者AとB以下の誰でもが交換可能な利害社会である。この説明を聴いて読者は何を感じるか? 所謂、新自由主義とJ党が政策として推進して来、現代日本の徹底的敗北を齎した経済社会生活ではないか? 毀誉褒貶様々な評価はあるもののそれ迄の日本社会を特徴づけていた終身雇用制が壊され被雇用者の非正規雇用が極大化されてきた中で弱者はより弱く、強者は更に強くなって支配力を強めてきた。その結果、欧米社会の根本を為してきた共同体の基礎原理の無い社会で以前は世間として代替機能を或る程度果たしてきた紐帯はあっという間にバトルフィールドの緩衝地帯としての機能を喪失してしまった。そして今、サードパーティー空間も消滅の危機を迎えているのではないか? サードパーティーは未だ完全崩壊には至っていない面もあろうが世間はほぼ壊滅したと言って良かろう。話は前後するが、このクラスの担任は、吹奏楽部顧問も兼任し面っつらは理想の教師を目指すようなことを言いつつ実はトンデモ無いことをしていた。そして自分の仕組んだ犯罪を隠蔽する為に萌と取引さえしていた。(この内実は作品を観て確認して欲しい)当に現代日本の権力者の姿そのものの悍ましさが描かれている点も面白い。
 但し、今作では現代日本がバトルフィールドに参加せずには居られないにしても、総ての人間の生存可能性を高める共同体関係構築が既に淘汰されたかに見える中、以下のような2つの光点を示していることを書き加えておく。救うことは出来なかったものの、米谷に対しての沖田は米谷の、萌に対してのアミが傷つけられた萌の、魂の安息所になっている点が救いになっていることである。人間は、誰にせよこのような安息の場、魂の休息所を持つことが出来なければ破綻する生き物である。即ちこのような友、自らの存在そのものを、それ故にこそ認めてくれる者が周囲に居ること。このことが、若い人々の創作作品である今作にキチンと描かれていることに光を見る。
 若干、不満だったのは、神という単語の概念と中二病という単語の概念が余り明確に今作の作家に規定されていないのではないか? と疑念があった点である。尤もごく一部の宗教者には例外が在ることは、実際に人間として尊敬している何人もの宗教者との付き合いがあるから重々承知しては居るものの、そのような付き合いの無い方々の認識は、形ばかりの宗教はあってもその本質が殆ど形骸化してしまったように見えるであろう日本の諸宗教や共同体の基礎理論が普遍性として成立していない状態にあって、そもそも定義することの不可能性すら提示し得るかも知れぬこの国の倫理崩壊は、“神”や“中二病”の定義をも真摯に検討するような営為を無化してしまっている可能性もあるし、単に私自身の知見不足によるのかも知れないが。
産声が聴こえない。

産声が聴こえない。

“STRAYDOG”

サンモールスタジオ(東京都)

2025/06/11 (水) ~ 2025/06/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 タイゼツ、ベシミル!! 華5つ☆ 終演後、追記するかも。

ネタバレBOX

 いうまでもないことだが、性自認は兎も角、遺伝子は女性でXX,男性でXY。遺伝子の詳細までは書かないが基本はこのようであると学校で教わった記憶があろう。然るに日本では性教育の在り方が余りにもお粗末なことも。描かれている今作の内容から類推できよう。
 By the way,現実の日本の為体をいくら上げてみても何ら意味はない。実際に妊娠が身籠った女性にどのように(肉体的・精神的・社会的)働くか? 男性にとっては? 両性間のギャップと諸対応、各々の認知差とそれを埋める為の対話が何処までキチンと当事者間で行われているのか? その実態は? 対話がまともに行われていないとすれば、その実態は? 医療との関係は? 社会的弱者と受け皿としての福祉の関りについての具体例は? これらに対する世間は? 等々ばかりでなく、今作では子供を欲しがっているが、子宝に恵まれないカップルの不妊治療のケースを対比させ日本社会の本来近代国家成立要件の1つである国民に対する国家としての人権保障の観念が政治に欠落している問題すら透けて見える。人権の何たるかを政治家の大多数が正しく理解していないという問題である。かつてはこの欠点を或る意味補ってきた世間も現在では崩壊しており、これも枢要な原因の一つとして日本の劣化は余りにも酷い。描かれている人々は典型的でありながら、同時に個別・具体的である。この脚本の最も優れた特質であろう。演出は、この本質を深く理解し舞台化している。そして緊張感を終始維持する為に場転でも舞台美術の転換を1度もしない。
 板上は、ホリゾントに両開きの黒っぽい壁面に見え、開けるとネカフェ6号室等になる空間、手前両側に段を設けた高めの平台(ここはネカフェ5号室にも)。この平台上手にはコインロッカー。その客席側と反対側の下手には衝立を設けそのようにして設けた目隠しは袖となり各々出捌けとしても用いられる。因みに出捌けはもう一カ所、下手側壁に添って吊るされた暗幕の客席側にも矢張り袖を設けてここが出捌けに用いられこの出捌けから出た処に少し大型の机と椅子が設えられており、場面によって診療室等になったりする。その対面には観客から演者が見やすいように斜めに置かれた長椅子が見える。シンプルな舞台美術だが、今作を最大限その内容に集中して観て貰う為に最も有効な舞台設定だろう。
 描かれる内実は無論、凄い! 殊に男性には観て欲しい作品である。カップルで観るのもお勧め。
 オープニングでThe Beatles の「 Don't Let Me Down 」が掛かっており、女性の存在が、実は男を支えている本質であることが示唆され、それに被るようにコインロッカーに赤ん坊が預けられる。村上 龍が「コインロッカーベイビーズ」を発表したのは1980年、日本の決定的劣化が始まって8年後のことであった。
moment et eternite [瞬間と永遠]

moment et eternite [瞬間と永遠]

劇団ろうそくだんす

北千住BUoY(東京都)

2025/06/06 (金) ~ 2025/06/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 「Le moment et l’éternité」傑作である。殊に脚本が素晴らしい。社会人劇団だという。大変だろうが、皆さん力を合わせ、健康に留意しつつ今後の活躍にも期待している。

ネタバレBOX

 物語は岩手県盛岡の農家長男として1967年3月3日に生まれた息子・浅沼健太郎が父の強要する農業ではなくファッションデザイナーを目指して上京し全く実体験・実経験の無い世界にそれ故にやみくもに飛び込んだ。これが結果的には僥倖を齎した。当時はまだ珍しかったデザイナーズブランド・éternelを立ち上げ成功していたファッションデザイナー・金森十和子の下で働くことになる。物語が変動の激しいファッション業界の、それも才能の容赦ない弱肉強食現場、デザイナー事務所に焦点を絞り而も関係する中枢をその本質を抽出し枢要な要素として自然と感じるほど巧みに溶け込ませ展開させる構想力・構成力は大したものである。また、健太郎(後、デザイナーとしての名は深海水生)の純粋で初心なキャラ設定も実に良い。まるで何も描かれていなかったキャンパスの如き存在だからこそ、彼の変容がドラスティックな社会の変容と過不足なく照応し展開しているのだ。
 今作で最も優れている点の1つは、我々の生きているこの地、この時と作品で描かれている内容とが紛れもなく地続きであると観客に感じさせる点である。当パンの説明を読むと社会人劇団だという。多くの社会人劇団で優れていると感じる劇団は大抵自分達が普段社会で味わっている現状から脱却し、別の世界を描こうと飛翔している場合が多いように思う。一方、一応演劇中心(時には映像なども)で、兎に角、生活の中枢を表現そのものに置くことを志している人々は、様々な演劇論や表現法に則って作品を創っている。この何れもが作品が社会を映す鏡というより、社会の中である位置を占める何かであることが多い。それは例えば喜劇であり、風刺であり、冒険譚であり、サスペンスであり・・・といった具合だ。然し今作はファッション業界を描く作品中に、自然災害やインフレ、スタグフレーション、バブルなどの経済的局面と人々、業界の好不況の有様が過不足なく見事なバランスで取り込まれ恰も当時を生き直してでもいるような錯覚に観客を陥らせる。また、変化の激しいファッション業界では描かれている時代に地殻変動のように大きな変動が幾度も襲った。その央(ただなか)で所謂オートクチュールは単に職人技というより芸術家としてのデザイナーをも生み出していた。この表現する者同士の才能の弱肉強食は一歩間違えば終わり。即ちオートクチュール作家としての死を迎える厳しいものであり、これは総てのアーティストに共通のセレクションの形である。この鬩ぎ合いが同時並行的に進むのだ。この緊張感も堪らない! 本物を求める以上必ず通らねばならぬこの道の果てに今作の、そして今作の作家の見出したものは、チェーホフのそれに近い。その内実を今後どのように膨らましてゆくか? 楽しみにしている。
メイクコンタクト

メイクコンタクト

劇団ZERO-ICH

雑遊(東京都)

2025/06/04 (水) ~ 2025/06/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 単なるエンタメに終わらない深みやペーソスを具えた作品。面白い。

ネタバレBOX

 物語が展開するのは、そこから東京タワーとスカイツリーが一直線上に見える廃ビル屋上。6歳の時、父に去られ母に死に別れたことで虐められしょげかえっていたダイスケはUFOに乗って近寄ってきた宇宙人のテレパシー能力によって対話を交わし、また会うことを約して別れた。その後ダイスケはこの約束を果たす目標が出来た為、独学で天文学や通信技術など関連する諸学問を学び宇宙との交信を試みていた。時は過ぎ30年が経っていた。或る夜、いつものように観測とデータ整理をしているとミュージシャンのトビタ、ヒッチハイクで日本を旅する大学生のガク、屋上から飛び降り自殺しようとした看護婦のオンナ(という苗字の女性)と知り合い4人で力を合わせて観測をし始めた。偶々オンナのやっていた副業関係のお客が最愛の妻を亡くした後何とか妻の魂とコンタクトを取りたいと考えてエジソンが亡くなる前にしていたと言われる研究2つの内の1つを実現する為の機械の設計図を入手していたが、別の方法で亡き妻とのコンタクトが取れた為設計図が不要になったとしてオンナにくれたオリジナルが手に入った。30年間チャレンジして可能にならなかった宇宙人とのコンタクトが可能になるかも知れないと4人は懸命に機械の制作に励みコンタクトに最善とされる満月の前夜、機械は完成した。後は明日また廃ビル屋上でとなった瞬間、ガードマンの邪魔が入った。廃ビルといえどダイスケらに何の権利も無い。管理会社関係者に出て行けと言われれば従う他無いというその刹那、オンナの信じるスピリチュアルパワーがものをいった。雲に覆われていた月がほぼ満月の全容を表し交信が可能となったのである。実験は大成功! 4人とオンナの客と思しきクミちゃんの5人はUFOに乗って飛来した宇宙人とのコンタクトに成功した。
 ところで宇宙人等存在しないと考える人々も多かろう。然し本当に存在しないのか? 総ての物質を構成している素粒子等の微小な物は総て宇宙の誕生と関係し周期表に載っている諸元素は恒星の燃焼過程から基本的には生じた。地球上に現存する生物を構成しているアミノ酸等もこうして出来上がっていた無機物が惑星上での様々な条件(雷等の電気的衝撃や至る処で爆発を繰り返していた活火山の排出するガスや火山灰等による化学反応等)も加わって出来上がり生まれてきたのである。環境変化の中でこれらの物質に命が宿り繁殖するに至ったのは持続するエネルギー源(熱噴水等)が生じた生命を維持する為に機能したからであり時の流れの中で絶滅や適応したものたちの隆盛を繰り返し、生命は更に多様化し進化して現在に至っている。無限だと言われる宇宙に恒星だけで幾つあるか? 誰も答えられない。我々の居る天の川銀河だけでも2000億から4000憶個の恒星が存在すると言われているがハッキリした数は特定できていないようである。我らの銀河だけに限ってもこれだけの恒星、惑星は幾つ存在するのか? その内、生命存在の可能性のある惑星は? また人類には知られていない生命の在り様というものが在る可能性を排除出来るか否か? 等々。問いは幾らでも続く。地球に生命が誕生した以上他の惑星に生命の誕生しないと考えることの方が寧ろ不合理だ。今作で興味深いのは宇宙人にとっての1日が地球人には30年に相当する点など時間についても考えさせる内容が含まれていることだ。
Brother~another father~

Brother~another father~

“STRAYDOG”

アトリエファンファーレ高円寺(東京都)

2025/05/28 (水) ~ 2025/06/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

Cチームを拝見。演劇の力を心底から体験。自分にとっては秀逸な作品であった。華5つ☆

ネタバレBOX

 ハンバーグが抜群に旨かった店のシェフが亡くなった。とは言っても店が閉められたのは既に13年も前の話だ。シェフはその後警備の仕事を10年、更にタクシー運転手を3年やっていて事故で亡くなった。63歳であった。物語は弔いに集まった親族を巡るこれからの話である。
 ところでこの家族、関係がちとややこしい。というのも子供は、長男・藤沢夏雄、次男・藤堂友基、妹・金山愛が産まれているが、それぞれの子の父が誰であるかはハッキリしていないのである。無論今の時代DNA鑑定をすればすぐに分かることは明白であるが誰も其処迄する必要を感じておらず実施していないというわけだ。一方長男の生活は金が在ればパチンコ等のギャンブルにつぎ込んでしまい女房からも借金している有様。更に最近は若い恋人が出来て離婚危機だし、現在住んでいるのは弟の持ち家の子供部屋という笑えない状況であり、おまけに父のやっていたレストランは父の言とは異なり実は借家で閉店後、父の生きる糧として再開を目指して来た為建物はそのままの状態で残して来たが近年家賃を支払い続けてきたのが弟であった。その家賃は月12万。持ち家のローンの支払いがあり、他にも弟は自分達の生活を切り詰めて妻の不妊治療迄行い家に尽くして来たのであった。こんなことが明るみに出たのは銀行員をやっていてしっかり者の弟が、自堕落な兄と喧嘩になったからだ。兄は兄でレストランは父の所有物件だと聞いていたので取り壊しの話が自分に知らされずに進んでいたこと、その件が如何に誰によって始まったのかの経緯についても全く蚊帳の外であったことに激高していた。が誰もが生活に追い詰められる世。父の死を契機にレストランを取り壊す相談が為されていたのである。だがそれは弟夫婦が言い出したことではなく借家の管理会社が勧めてきたことであった。そしてその案件を実際に動かしていたのは妹の愛であった。だがこれらの動きにも訳があった。くんずほぐれつの展開の中で、子供たちの生い立ちの中で父として或いは母と関わりの深かった男としてこの複雑な関係にある子供たちにびっくりするほどおいしいハンバーグを作り食べさせてくれた父の思い出が堰を切ったように溢れ出す。そして、父を越えたいと15歳で飛び出してシェフを目指し勤めていたレストランが潰れた為、一旦は諦めたシェフへの道に再チャレンジしてみようとの想いが長男にも再び湧き上がってくる。愛に泊まることを提案した次男に甘えてそれを受けた妹、最初、女性は女性同士次男の妻・留美が愛と一緒の部屋で、兄弟が男同士子供部屋で寝ることにしたが、夏雄の発案で妹・愛を真ん中に挟み夏雄と友基が両脇に雑魚寝することになったシーンでの寝入りばなの雑談シーンは本当に子供たちの対話そのもののような内容で素晴らしい。また彼らがこの寝床で見た夢のシーンも。
僕は肉が食べたくて裸(ラ)

僕は肉が食べたくて裸(ラ)

南京豆NAMENAME

新宿シアタートップス(東京都)

2025/05/28 (水) ~ 2025/06/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 尺は約125分。追記後送

ネタバレBOX

 板上はアパートの一室、ホリゾント壁面には換気扇だのエアコンの室内機だのが見えその手前がキッチン。キッチンの上手にドア。その手前が畳敷きの室内になっているのだが、その有様たるやこれ以上雑然とすることは不可能とでも言いたくなるほどの体を為しており寝具だの着替えだの優に1m以上はあるぬいぐるみだのが、所狭しと盤踞している。部屋の上手は導線。
 内容的にはかなりハチャメチャでリアリティーはほぼ無いに等しい。作家はどうやら不条理という単語を表層で日本語として人口に膾炙したレベルで考えていると思われる。然しながら本来“不条理”という難しい漢語に訳された単語absurdité は1953年にパリで初演されたベケットの「ゴドーを待ちながら」の評価に際して用いられた概念と捉えられる。
リア

リア

劇団うつり座

上野ストアハウス(東京都)

2025/05/28 (水) ~ 2025/06/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今回の公演では受付時点で履物を脱ぐ、能楽堂での観劇を連想したがその通りであった。分かり易い。華5つ☆ 追記後送

ネタバレBOX

 板上はセンター奥に観客席に背を正面に置かれた椅子が一脚。座面上には王冠が置かれている。つまり板上基本的にはフラットである。唯、場面によって天井から幕が下り王宮内と外を弁別する。琵琶の生演奏が入るが用いられる琵琶はかつて琵琶法師が用いていたサイズのもので通常の琵琶より小型である。音色も当然異なる。その音色を聴いていると古代ギリシャの遺物や墓に刻まれた歌譜等を基に研究者と音楽家が協力して当時の竪琴を再現し演奏迄している音に似通ったものすら感じる。琵琶奏者の演奏は上手客席側の一角。この他、役を演じながら生のジャズトランペット演奏をしたり、オカリナの甲高く美しい音色を響かせたりと生の音響でもレベルの高い演奏を聴かせてくれる演者が活躍するのは如何にも篠本氏が関わる公演である。 
 オープニング早々、複式夢幻能の多くが採用する此の世ならぬ者が旅の僧侶に対して弔いを願い往生させてくれと懇願すると全く同じ様式が用いられ単に物語自体の台詞に込められた冥界の者が発する台詞をエリザベス朝演劇や能の隆盛を見た室町時代と地続きの伝統の世界に放り込む。この辺りの演出の上手さは流石と言って良い。役者陣は場面で素足の者、履物を履いた者の二手に分かれる。観客にも履物を脱いで貰うのは、身体をより開放し、地に足を着けて単に耳目のみならず全身で観劇して貰いたいとの願いからでもあろう。
『イライラの依頼人とベンベンの弁護人』

『イライラの依頼人とベンベンの弁護人』

コケズンバ

サンモールスタジオ(東京都)

2025/05/27 (火) ~ 2025/06/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 初観劇の団体だが、独特の歌舞き感を持った団体のようである。

ネタバレBOX

無論、演劇の本質は歌舞くことにあるから本質的である。従ってその本質性が明らかになるのも終盤に入ってからだ。まあ、前説が音声のみで為されることと、その語り口が極めて高い独自性を持つことは伏線であることが後から分かるが。
 板上下手奥は法律事務所受付カウンター、上手に所長のデスクと椅子。下手観客席寄りに面談用テーブルと椅子が置かれたシンプルなレイアウトだ。
 序盤から素っ頓狂な展開で笑わせてくれるが、これは良くある法律の無料相談を利用した「客」。次に現れるのが、今作のメインストリームに絡む客で、依頼内容が、無茶である。而も依頼案件の詳細を質してゆく度に回答が異なるという不審極まる依頼。だがこの町場の法律事務所、経営不振で家賃を半年分滞納しており、追い出されても文句は言えない状態である。依頼人の成功報酬は1億円! 飛びつかない手は無いのだ。無料相談に現れた素っ頓狂な「客」とこの素っ頓狂な「客」に多大な損失を負わせることになった占い師が微妙にメインストリームに絡み乍ら、依頼人の不可解な答弁と依頼動機等が終盤明らかにされてゆく。
 一方シリアスな展開となる中で語られる名台詞の数々は、依頼人の心象風景を端的に表す一言で吹っ飛んでしまう。どんな時代にも見られる世代間ギャップ及び普遍性が、人間が当事者として置かれた位置による凄まじい迄の差として表現され観客の度肝を抜くのだ。見事である。
図書館より愛をこめて

図書館より愛をこめて

劇団傘泥棒

吉祥寺櫂スタジオ(東京都)

2025/05/23 (金) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 板センターに客席側に本をびっしり並べたカウンター。上手、下手の側壁近くに背の高い本棚がある。センターのカウンターは場面によってここが喫茶店・レーテ(ギリシャ神話に出てくる冥界の川、その水を飲むと前世を忘れるという)の店内になるから。本が並んでいるのは、図書館にもなるからである。尺は約100分。

ネタバレBOX

 物語は、司書を務める白石 知栄が傘も差さず歩いていた馬淵 碧(高3)を気遣って自分の傘を譲ったことから始まる。その際菜種梅雨の話をし春は雨が結構降るから傘は持って居た方が良い等のサジェゼッションもしたが、碧の様子を見て「行く所が無いなら図書館へ行くといい」と話してもくれた。知栄の観察は正しかった。碧は学校、家に居場所を失い彷徨っていたからである。
 後日、雨の日に碧は図書館へ行ってみた。そして働いている知栄に会った。傘を返そうとする碧に対し知栄は読書が苦手だった碧にその手解きをし、お勧めの本を紹介してくれた。碧はその教えに従って本を借りては読むうちにどんどん読書が面白くなり良い読み手になると同時に居場所としての図書館を確保、知栄が良く行く近所の喫茶店・レーテを通じて友達もできて行く。誰に対しても親切で優しく見返りも求めない知栄に対して碧は恋心を持った。だが知栄自身は自分はそんなに立派な人間ではないと否定し続ける。そして人間は様々な側面を持つことや碧には未だ若過ぎて知らないことがあることも、大人になるということが在る種、妥協の産物であることも、人には隠していることがあることも。
 ところで碧が知り合い懇意になった人々についても述べておこう。美大生という触れ込みの不破は、小学校時代から虐めに遭って保健室を逃げ場所に何とか耐えて来たが中学に入ると保健室は不良女子らの溜まり場になった為居場所を失い登校できなくなった現在中学3年生の木崎 明日花の勉強をみてやっている。レーテで、或いは図書館で。
 明日花も本が大好きで小説家を目指し既に何作も書いてレーテのマスターの手伝いをしている佳乃、不破や知栄にも読んで貰っていて、中々評判が良い。物語は、このような感じの良い繊細な人々の和気藹々とした雰囲気と、思春期の若者と世の中を既に知った大人との差異に戸惑い時に子供っぽい自分に愛想をつかし掛けながら成長してゆく碧の淡い恋と知栄の対応を芯に思い掛けない展開を遂げるが、本好きになった碧と明日花の読書談義の中で明日花が想像力について語るシーンでリルケの感性によく似た感性が表現されていて驚かされた。今作の作家と終演後この件で話をすることが出来たが、彼女はリルケを読んだことが無いのが分かった。にも拘らずこの柔らかく同時に正確で鋭い感覚の鋭敏な表現をしていることに感心したのである。
 物語は、碧が閉館後の図書館の外で最近図書館へ来る子供たちの為に催す読み聞かせの会の準備で忙しく裏で作業して居る為中々会えない知栄を待っていて注意され、未だ若い碧が遭遇するかも知れない様々な危険が在ることやそういう危険から人々を護る為にルールが在ること、子供から大人へ移行する若者達と大人との差等が話され、皆の知栄に対する肯定的評価と本人が思っている自己評価は全く違うこと、それは彼女が人を殺したと自認していることから来ていることなどが分かる。彼女の言う殺人とは堕胎した子のことであった。産み、育てることの主体となる多くの女性達にとっての妊娠と胎児の命に対する深く真剣な向き合い方が如実に表れて胸を撃つ。この胎児の死が伏線になって以下の人の死に関わりかねない大変な展開になって行くが、この際に図書館の本の間に隠された分厚い本型の箱を偶々本だと思って開いてみたのが碧であった。彼が箱の中に見た物、それはピストルであった。而もこの箱の中には数字を記したメモが入っていて電話番号にしてはオカシイ。出て来たブツがブツなだけに暗号かも知れないと謎解きが開始され、約束していた自作小説を持って来てくれた明日花の協力もあって意味は読み解くことができた。
 以上のような経緯を経て物語は大団円に向かってゆく。いくら何でもネタバレは此処までにしておこう。
 今作の良さは脚本の良さは無論のことキャスティングが適格であること、出演している役者各々が作品とがっぷり四つに組んで作品を成立させている点、物語の内容が踏切での列車走行音の被せ方で真に迫る上手さ等。登場人物各々が、居場所を失っていたり、本当の自分を隠して社会生活を営んでいたりと極普通の人々の抱える非常に本質的な問題を繊細な感性と微妙な心理を巧みに掬い上げる表現力で台詞化している点。今後も注目したい旗揚げ公演であった。敢えて難を言えばレーテのマスターが実は何者であったのか? について大きな疑問が出ることだが、これを解決する為には尺も長くなるし設定も極めて難しくなろうから、今後の宿題として検討頂きたい。
高尾山へ

高尾山へ

さよなら人生

スタジオ空洞(東京都)

2025/05/22 (木) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

空洞での公演は鰻の寝床のように細長いこの空間の長辺に客席を設えることが多いが、今回は空間入口側短辺に設えてある。劇空間のレイアウトが上手いことに感心させられた。先ず奥の下手側側壁、ホリゾント及び上手に分厚い壁のように置かれた大きな矩形のオブジェに樹木の写真を貼り付けて高尾山の模様を表す。同時にこのオブジェと上手側壁の間の観客席からは見えない部分を袖として用いて一旦観客席下手の狭い空僚を出捌けとして用いて板に乗った役者の溜まりにもしているのである。板状は出捌け出口に切り株を活かしたテーブルが置かれその奥にベンチ式の椅子、上手に通常の椅子。写真の貼られた空間の入口のテーブルの対角線に対し交差するような面持ちで置かれている背の高い長方形のテーブルと巨大なオブジェ手前に置かれた背凭れ無しのベンチ。
尺は約85分。心に沁みる作品。(追記後送)

チョコレイト

チョコレイト

キルハトッテ

小劇場 楽園(東京都)

2025/05/21 (水) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 先ず舞台美術が目を引く。何と箱馬の形が総て林檎と♡を足して2で割ったような形をしているのだ。色は総て白。舞台壁面のパネルから箱馬迄。楕円形のパネルは照明で調整しているかもしれないが黄緑である以外、総て白。今作で重要なアイテムとなる少女漫画『ロマンチック・ラブ』単行本の山を除いて。この色彩感覚と形が少女漫画のある種の特徴を見事に表象している。尺は約90分。(追記は終演後に)

ネタバレBOX

 というのも「イカロスの飛行」でレイモン・クノーが描いている以外にも多くの作品で物語の主人公が現実世界に飛び込んで来るという話は良くあるパターン。「ひょっこりひょうたん島」大統領、ドン・ガバチョはTVから飛び出していた。今作で飛び出すのは『ロマンチック・ラブ』の主人公大企業主の息子・生徒会長・バスケ部キャプテンのカオルとその彼女、スズ。飛び出してしまった経緯は15年続いた連載が終わったことであった。そして2人が迷い込んだ現実世界が、今作で描かれる1週間後に結婚披露宴が決まっているのに、夫となるべきソウタの歯が総て差し歯であることを理由に婚約破棄を提起され受け入れることが出来ないフィアンセのヒナの暮らす世界であった。
穴熊の戯言は金色の鉄錆

穴熊の戯言は金色の鉄錆

MCR

ザ・スズナリ(東京都)

2025/05/21 (水) ~ 2025/05/28 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 作品が展開する舞台は病院である。脳腫瘍を患った夫は入院先の医院で奇矯な行動を起こしては厄介を起している。腫瘍のある部位がオペで切除できない関係で可能な治療を行っている中でこのような事態が起こっているという状態だ。尺は約110分。(追記後送)

六道追分(ろくどうおいわけ)~第三期~

六道追分(ろくどうおいわけ)~第三期~

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2025/05/14 (水) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 第三期「龍」の初日を拝見。

ネタバレBOX

 2回目の観劇、「龍」を拝見。前回は5月1日19時開演の「剣」を拝見したが大きな違いは前回、メインのダンサーは二人とも女性であったのに対し、今回は男性、女性各々一人づつ。色違いの傘を用いたダンスは、センスの良さ、照明の上手さでひときわ艶やかであった。
 また終盤、磔のシーンでは1日に拝見した「剣」とは全く異なる演出で、効果に大きな差が出たのはお菊の動きに関してであった。前回は、お菊が抜け穴を通って刑場へ行き当に槍が貫く瞬間を見事に具現化していたが、今回は一度暗転後、明転してそのシーンが一葉の写真の如く提示された分、インパクトが極めて弱くなってしまった。女優さんの体調等色々事情はあるのであろうが、できれば「剣」で魅せてくれたような演技が見たかった。
 無論、鬼薊一党の子分衆、正義感が強すぎて黒幕を明らかにした時、それが幕府高位の者であった為憂き目を見た、父が岡っ引きであった灸次郎の潔さ、また与力の部下である九次に何度も刺されながら傷だらけの自身と共に荒れ狂う大井川に水没させた伊助は、三吉が医者になる為に不利な証拠を消し去ったが、この執念見事である。
 清吉、お菊の恋等に関しては「剣」を参照して欲しいが、清吉が無宿者であることに関しては若干の説明が必要となるかも知れない。というのも幕府は士農工商を一応身分ある者として定めたが当時人口の大多数を占めていた農民の相続に関しては基本的に資産である農地を長男一人に限っていたから、次男・三男・・・等は小作に甘んじるか流れ者になる他無かったという事情がある。所有地自体が極めて小さい日本の農家でこれが強制されていたのである。時期や藩によって新田開発等も無いでは無かったが充分ではなかったことが多かった。やくざ映画等に出て来る一宿一飯の恩義とは、状況次第でそれが無ければ命の存続も危ぶまれる程の危険が実際に在ったから出て来た表現だと考えられよう。幕府は以上のような定めを作った上で無宿人狩りを頻繁に行っていた。それがどういうことか、想像力が少しあれば誰にでも分かることである。
 キャスティングについては、前回「剣」で亡八を演じた役者さんは、どちらかというと丸顔で余り酷薄な印象を受けない役者さんだったが、今回の役者さんは、細面で髪もザンバラな分、冷酷な雰囲気を出して似合うキャスティングと感じた。
 基本的に脚本が実に良く練られているので、何度観ても感動できる。
お針子マーチ

お針子マーチ

さんらん

市田邸(東京都)

2025/05/13 (火) ~ 2025/05/17 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 市田邸一階の八畳間での公演。八畳間の下手は廊下、廊下の左手のガラス戸を通して庭が見える。八畳間奥は中央に床の間、床の間の壁には掛け軸が掛けられているが水墨画ではなく、パンダ二頭がカラフルに描かれている。その手前には大小様々なぬいぐるみが幅いっぱいに置かれ、床の間下手は下段に小さな襖型の開き戸、上部は踊り場のようになっておりこちらにも並べられるだけ並べたぬいぐるみ。床の間上手は下段に収納用小型箪笥、箪笥上には貯金箱等、更に上部に本棚があるが並べてあるのは総て単行本の漫画。尚この奥の部分は畳部分より三寸ばかり高くなっている。尺は約40分。

ネタバレBOX

 登場するのは縫製に携わる人々。社長と借金をして業者に高い手数料を払い日本にやってきた技能実習生三名の若い女性(内一人は熟練工)。仕事は本来シャツ縫製であるが、描かれた時代はcovid-19や不況の煽りを喰らって待機(即ち仕事無し)とタオルの縫製等単純で単価の安い高度な技術を実践習得することもできない仕事が圧倒的に多い。更に待機中は収入が無いにも関わらず家賃、光熱費等は実習生も負担せねばならぬのは、収入の乏しい社長もフォローできない事情が透けて見える。更に悪いことにこの工場に仕事を下してくれるタエ(個人名か社名かは不明)何れにせよポルシェで乗り付け若い技能実習生を食い物にしているファッションデザイナーは、若い実習生たちをもて遊んでは捨て、を繰り返している下種野郎。今回もその被害者が出て、縫製工場内部は大騒ぎである。今作はこの大騒ぎの有様を、実習生が暮らす寮を舞台に描く。
 日本の非欧米人以外に対する差別は、当にこの「国」の後進性を見事に表しているが、この傾向は所謂新自由主義が世界を席巻して益々苛烈になったことは否めない。即ちこれは何も技能実習生に対する仕打ちに留まらないということでもある。一時、勝ち組・負け組と二分割して騒ぎ立てることが流行っていた。殊に浮ついた者たちの乗降することの多い駅内では大声でこのようなことを得意気に騒ぎ立てる者たちを良く見かけた。無論、騒ぎ立てている連中も必死なのである。そんなことは言わずもがなではあるが、内実も伴わず否それ故にこそ、コンプライアンスだなんぞと騒ぎ立て、匿名で他人を非難し自らは恰も「正義」の監視役ででもあるかのような錯覚を起こしている人士も多い。その癖、そういう連中に限って卑怯な振舞い以外何一つ建設的なことなどやっていないように見えるが偏見だろうか? 大企業に勤めていようが、官公庁に勤めていようが職場に完全従属している人士たちなのではないか? 打ち破るべきはこのような奴隷根性であり、目指すべきは、ヒトがヒトとしてヒトらしく生きることのできるシステムの実現である。この長く険しい道を諦めずに追求し続けることこそ、ヒトが他のヒトビトと手を携え、地球上の総ての生き物の頂点にある存在として母星・地球を守り、未来を夢見ることを可能にする方法ではないのか? 今作の問題提起は、このような広がりを持ち得ると解釈した。
 因みに法もヒトが作るものである。そしてヒトは多くの間違いを犯す。法は万能では無いことが先の二文でも明らかだ。間違った法なら正さねばならぬ。
再生数

再生数

よた

水性(東京都)

2025/05/09 (金) ~ 2025/05/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 板上はセンター奥のホリゾント手前に白いカウンター状の衝立、衝立上にはモニター、手前には白い椅子一脚。また衝立奥には階段が設えられている。下手側壁前には台車上部に楕円形の枠が付いた機材、楕円枠には様々な四角や螺旋を連ねた銀色のbricolageが吊り下げられており、この飾りの直下に小さなテーブル、テーブル上にはモニター、その周囲に植物のミニチュアがあしらってある。上手には長方形のテーブルが観客席に対して直角に置かれておりテーブル上には3台目のモニター、テーブル奥に丸椅子2脚ほど。床には布の端切れで作られた大小の島のような形が示されているが、これら装飾は総て無意味。この無意味性が、我らが生きるこの「国」の無化された意味へのアイロニーとして用いられているとすれば大したものだが、そこまでの批評性はないと思われる。

ネタバレBOX

 物語はフフとミチコが繰り返す死、生のループに映画撮影者達が割り込んで撮影する有様を描く。タイトルはその死と再生の回数を示したものと捉えられよう。感心したのは、この狭い劇空間に比して極めて多い登場人物たちがぶつかり合ったり鉢合わせしたりせずに動く為に空間処理を巧みに行っている点と、音響センスの良さ、そして脚本の底流に重層低音のように流れていると感じるこの「国」の耐え難い生きづらさ、ネットでの匿名性を利用し正論を装って装われた正論に同調することを押し付けてくる社会に対する有効な手立てを持たず、罅割れて消耗させられてゆく多くの人々の抱える虚無感に蝕まれる不快と最早しっかりと世界に根を張ることが不可能であるかのような疲労感があるようだ。つまり我らの日常の根底には「嘘」或いは敢えて為される事実誤認による事実・真理圧殺の茶番が盤踞している。
 他方、演劇的に難を感じた点は上記に記したような“雰囲気”が本質的には一人称と二人称の世界観でしか描かれておらず、役者の演技としても自らの身体の中に完全に異質なキャラを取り込みそれを表現として具現化できていない点を挙げることができる。演じている役者さんたちが全員若者であるから実際にそのような演技ができるとは思わないが少なくとも演技はそこまでできなければ本物とは言えまい。演劇学科専攻の学生さん主宰のグループということなので是非本物を目指して欲しい。
花いちもんめ

花いちもんめ

劇団川口圭子

OFF OFFシアター(東京都)

2025/05/08 (木) ~ 2025/05/12 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 戦争の内実を端的に示した必見の舞台。(追記2025.5.13)

ネタバレBOX

 板上下手客席側コーナーに地蔵菩薩、小さな平台の上に載っているのはやや盛り上げた礎石などの台を示していよう。この奥に柱が立ちその奥、ホリゾントには卒塔婆が連なる。地蔵が祭られた場所の奥には泉の湧く場所があるようだ。この泉の上手は大小の平台が重ねられ四国四県の空海ゆかりの霊場八十八カ所(全長1400㎞)を巡る巡礼の旅(お遍路)の道程を表している。その長い道程には難所もかなりあり、殆ど身一つの旅は難行である。板中央から上手に重なる平台の傍には矢張り墓や卒塔婆が見える。
 物語は中国東北部に大日本帝国が「建国」したと主張し13年間「存在」した満州国(面積は日本の約3倍)末期、ソ連との国境沿いに存在した開拓村団員の方々が経験した事象の有様を、史実を基に演じる一人芝居。
 自分には個人的に様々な縁のある作品であった。縁の深い親戚が満州引き上げ者であったこと。自分の仲良かったライターの父親が満鉄社員であったこと。更に自分の勤めていた出版社の経理の方が矢張り満鉄社員であったこと。取材で訪れた夜間中学に中国残留孤児の方々が何人もいらしてお話を直に伺ったこと等々と自分の親友もお遍路をしたことだ。   
 親戚に関しては伯父は戦中に亡くなっていたのでお会いしたことは無かったが従弟たちは満州の話をあれやこれやしてくれたものの、伯母は一度も満州の話をしなかった。亡くなる迄一切。如何に悲惨であったかは想像できるものの、実際に何が起こったのかは想像する他ない。
 満鉄社員だったお二人は極めて優秀な方々であった。友人は大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を受賞した一流ライターであったし、お父様、お母さまも実にしっかりなさった方々で流石に出来のよい娘の親と感心させられた。ご両親にお会いしたのは友人の葬式の席であった。お母さまとは電話で何度かお話させて頂いていたが、お父さまとは初めてであったがとても大きな葬式で著名人も多く訪れる中、特に娘と親しかった者の一人として格段のご配慮を賜った。経理をなさっていた方は明治生まれらしく気概が昭和世代の我々とは全く違う覇気に溢れ自らの高い能力をフルに発揮してことに当たる方であったが、この方に我ら編集部員が皆「“侍”だね」と言われたことが嬉しかったことを思い出す。
 夜間中学を当時文科省は正式に認めていなかった(現在がどうかは関心ある読者ご自身で確かめて欲しい)。が実際に存在していたし、実際の中学校で開校されていた夜間中学校教室と中学校の校舎を使用せずに運営されている夜間中学の二通りが在った。自分が取材したのは前者の一つ。ちゃんと給食も出るのは昼間就労している方も多いからである。残留孤児以外に、様々な理由で登校できなかった方々、正式な国籍が無い(出生時に未登録を含む)為、就学できなかった等々本人の責任は全く無いにも関わらず義務教育の機会さえ奪われ社会の最底辺で苦労なさっている人々の例えば電車に乗る時。彼らは最低運賃である初乗り料金の切符を買い、下車駅は車内放送を聞き逃さぬ様注意して乗っており下車駅が告げられるのを目安に降りて精算するという話(理由は分かろう)を伺った時は、余りの落差に唯呆然とする他無かった。引き上げの方々では親を探したが見付かっていない、との話をなさる方々がいらして今作の内容と引き比べると言い出せないお母さまもいらっしゃるのであろうと、その深い、余りにも深い苦悩に胸が痛む。お母さまにとっても、子供(たち)にとっても。
 お遍路をした親友は医師である。日本を代表する大学の医学部出身であるが、天下の秀才には珍しいどこか鄙びた村の村長さんのような人間味溢れる男である。極真空手、柔道等武道を嗜むが無論右翼などではない。常に弱者の側に立つので万が一に備えてのことである。

音響劇『ドグラ・マグラ』

音響劇『ドグラ・マグラ』

半畳の宇宙

本妙院(東京都)

2025/05/03 (土) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 言うまでも無く原作は夢野 久作。今年は刊行90周年に当たるということもあって、大田区池上本門寺の直ぐ傍にある本妙院という寺の本堂での公演が企画・上演された。墨流しで得られた形象をコの字を時計回りに90度回転させた空白部分に当たる壁面に映し出し、ドグラ・マグラが発するものを映し出す。これに鐘や和太鼓等様々な音響効果を加えた音響劇として上演したのである。因みに客席はコの字を構成する各直線部分に設えられている。華4つ☆

ネタバレBOX

 物語が紡がれる場は九州帝国大学精神病科の7号室。現在では日本でも遅ればせながら多少存在するようになった精神科解放病棟の一室である。今作では天才的帝大教授であった正木 敬之教授が初めて提起した狂人の解放治療の実施がこの病室の患者・呉 一郎に対して行われる模様を通して一郎が犯したと疑われる殺人事件の解明をも目指す正木の同級生でもあった若林 鏡太郎の治療実践を通した事件解明の模様が描かれる。何故正木ではなく若林がこの任に就いたのか? 正木は後を若林に託し自死してしまったからである。若林が一郎の治療を通して理解したことは一郎の祖先であった唐の天才絵師・呉 青秀が、皇帝の愛妾狂いを諫める為に描いた呉家に伝わる絵巻物(類稀なる美女が死んでから腐敗し遂には骸となる迄を詳細に描いた傑作)が、一郎が犯したとされる殺人事件と関係があるらしいこと。その理由。現在記憶を失くしている一郎が記憶を取り戻せば殺害された彼の婚約者の魂の救済にも繋がり一郎の回復にも通じることが期待されている。という推理小説的展開を通じたドグラ・マグラという作品構成要素以外に、この絵巻物を描いた青秀の作品を通して芸術の持つ力をアピールしたかった夢野 久作の念をも同時に表出したかったと思われる。無論、因縁話的な要素を盛り込む為に呉 青秀とその妻黛子(双子の姉妹芬子との関係)と一郎の母千世子と姉八代子、その娘で婚約者であったモヨ子との血の繋がり(DNA的繋がり)と史的繋がりの綯交ぜ。何れにせよ、解毒阿保陀羅経の如く折に触れて囃される文言の齎す茶化しのインパクト等が、今作の横糸を為し、縦糸には個体発生が系統発生を繰り返すという生命誕生時の発生学的知見を縦糸に解釈するなら、今作は極めてシンプルな様相を呈するに至る。大団円も素直に受け取ることができよう。
 難解とされる原作を極めて明快な作品として提示した点に今回上演の意味があろう。

叙情詩劇【失楽園】第一部「ゲットー」

叙情詩劇【失楽園】第一部「ゲットー」

エンギ シャB

テルプシコール(TERPSICHORE)(東京都)

2025/05/04 (日) ~ 2025/05/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 今作は全三部作の第一弾。第二部(mother)は6月に、第三部(天国の朴)は7月に、三部作一挙上演は8月に予定。何れも東京での公演になりそうである。劇団は現在長野県飯綱町を拠点に活動、今回は1回ワンステージのみの公演。
板上は基本的にフラットだが丸椅子が矩形の空間のほぼ四隅に置かれている。内1つの空間には音響等効果用機材や操作器具も整えられている。この対角線上の椅子には狂言回し(ナレーターと言った方が分かり易いか)が座す。中々骨のある良い劇団である。何より表現する者として自問し続けて来た姿勢が良い。それは今作脚本の独自性や、演技の質、台詞内容の一々にも端的に現れている。座長は無論のこと、他の役者陣の演技力も可成り高く台詞の謂わんとすることをキチンと汲み取り身体の総てを用いて上手く表現している。(追記後送)

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