実演鑑賞
満足度★★★
う~む。
ネタバレBOX
物語が展開するのは下町場末の定食屋兼安酒場。常連の多い店である。此処にモテない
保険の営業マンがやって来て営業する話であるが、加入できるのは女性のみ。掛け金は格安、リターンは信じ難い程大きい。30歳で加入し60歳迄保険会社の提示した条件を守れればリターンは1億2000万円、人生100年と言われる昨今、女独りで生きてゆく覚悟さえできれば生涯設計は安泰という訳だ。
だが脚本で多用されるギャグの質が単純で而もワンパターン、ギャグの面白さは思いがけない発想・飛躍や脱臼、調子っぱずれやタイミング外し等々を予想を裏切る形で繰り出したり、態とギャグの無い時間を入れて間延びさせたりしつつ、観客の反応をじっくり観察し、丁々発止のアドリブを入れ乍ら展開させることによってしか生むことが出来ないと考えるが、こういった発想自体が欠けているように思った。それにモテル、モテタイという凡庸な発想の真逆の発想だけで喜劇が成立するものでもあるまい。作家が真面目過ぎる気がする。喜劇は通常のストレートプレイより遥かに難しい。それは我々の体験し続けている人生が圧倒的に悲劇的なものだからであろう。実際の体験がそのようであれば、共感を得ることもその分容易であろう。反発もその分強いこともあろうが、対応方法はいくらでもある。だが、苦労や苦悩に疲れ切り打ちのめされた人々を笑わせることは容易ではないのである。喜劇で勝負するつもりならこの辺りから再考してみる必要があるのではないだろうか?
まあ、テーマが保険だからその縛りから抜けられないという理由はあるだろうが、ギャグを多用するならそのような社会認識の枠そのものを壊しかねない程強いインパクトを持つ非常識なギャグ的発想が欲しいのだ。
演劇は長い間、喜劇と悲劇に大別されてきた。不条理劇が出てくる迄。それには無論深い意味があると考える。そのように分別することで極端化し易くなるからだ。当然、その分劇的効果が増すのである。
実演鑑賞
満足度★★★★★
必見、華5つ☆。(追記後送)
*文中IPCC、COP3などに関する説明は当パンに記された記述を参考に手を加えて書いている。
ネタバレBOX
今作、根本的にはIPCC(即ち気候変動に関する政府間パネル)に関するドキュメンタリー作品である。そのクライマックスは1997年に京都で採拓された京都議定書採択へ至る過程である。では何故京都議定書採択の過程が歴史に残るような紛糾に至ったのか? それはIPCCがUNEP(国連環境計画)とWMO(世界気象機関)によって設立された国際組織でありIPCC自体は研究を行わず世界中の気候科学に関する研究を整理し中立的立場で評価報告書として纏める。そして報告書に基づき~しなかったらこうなるとハッキリ書く。この明確なメッセージが国際交渉や各国政策に多大な影響を及ぼしてきた為一定の影響力を持つのである。利害も歴史も国力や政治力も経済力も異なる国々が各々の利害や未来を賭けて展開する戦いは真剣そのものだ。
ところで1997年に京都で開催されたCOP3(第3回締約国会議)が何故歴史に残るような紛糾に至ったのか説明しよう。史上初めて先進国に対し法的拘束力を持ち2012年を約束期限とする温室効果ガス排出削減数値目標を課したからであった。
実演鑑賞
満足度★★★★★
必見! 華5つ☆ 途中休憩を挟み長尺の大作だが余りに夢中になって時を図るのを忘れた。追記7月8日11:55
ネタバレBOX
私事で恐縮だが私自身が多少複雑な環境下で育ったので幼児期のある期間親権下になかった。70年以上経た現在でもトラウマであることに変わりはない。ただ許すことを覚えたに過ぎない。更に若い頃かなり長期間地域の住民運動に関っていたから様々なタイプの人々と関りを持っていた。こういう人々の中には虐待を受けていた人たちも多かった。そして子を虐待した親のそのまた親も子を虐待していたというケースが実に多いのが実情であるという事実を観てきた。
オープニングでホリゾントに浮かび上がる観覧車の光彩が都会の夜に浮かび上がる時、何という侘しさ、妙な切なさが胸を撃つか! これはこの後のシーン、マリとカネマサの少女・少年期が交互に描かれる、母に取り付いた男によるそれぞれの虐待の有様を予め暗示しているように見える。マリとカネマサの左手に残る無数の根性焼きの跡。更にマリの胸にはアイロンで焼かれたケロイドが残り、カネマサには失明の危険を伴う頭部の負傷があった。カネマサの母、マリの母は、何れも自らの子が傷付けられることを防げなかった。但しカネマサの母は息子を庇おうと抵抗した実績は持っていた。この点がカネマサが弱者を庇い続け、優しさを持続する靭さを保持し得た原因かも知れない。極めて残念なことであるが、今作で描かれているように虐待に走る親と、それを止められない親に共通する圧倒的共通点は、現に虐待している親は、虐待されて育った親であり、その親もまた虐待されて育っているので、子供の愛し方を知らない、否寧ろ子供の愛し方が分からないという事実なのである。
兎に角、脚本に人の心を撃つ力がある。作・演が上西 雄大さん1人なので細かい処迄虐待という不条理に抗う強い念が一貫している。キャスティングも良い。殊に少女時代のマリを演じた役者さんのまっすぐな演技が作品の錨のように機能し、所轄の刑事らのカネマサ(鴉)に対する深い人間性評価は剣持さん演じる元名刑事・桑島を通じて随所に鏤められ、カネマサの犯した殺人事件や窃盗事件に関しても何とか見逃してやってくれ! との気持ちを観客に呼び覚まし一瞬たりとも緊張感が途絶えることが無いなど芸達者な役者陣が各々いい演技をしている。
終盤、カネマサ逮捕に至る場面でも、それを執行したのは、本署の連中であり所轄署は蚊帳の外で関与出来なかったが、カネマサがマリの誕生日に買ったプレゼントは桑島の計らいで渡すことができたばかりでなく、カネマサ、マリが分かれの挨拶を交わすこともできた。一方で現実に殺人という重罪が裁かれるという現実の厳しさをも同時に描いて作品のリアリティーを担保する点も流石である。観客もこの劇団のファンが多いようであるが、それも当然と頷ける良い作品であり、劇団である。
実演鑑賞
尺103分。通常の観劇体験のみならず香や音との共感覚すら楽しめるゆったりした舞台空間は秀逸。最終的な☆印、追記は後送するがお勧めである。未だ予約も可とのこと。
ネタバレBOX
板上はセンター奥に荘厳な祭壇を思わせる造りの構造物、手前には周囲を椅子に囲まれた広く大きなテーブルが並べられている。客席側の下手、上手には幾多の切り花をふんだんに用いた華の宴。ここ以外にも随所に花々が見え、洒落た瓶や試験管立に並んだ試験管、その1つに差し込まれたピペット等が見える。極めてセンスの良い安定感と豪奢すら漂わせながら決して威圧感のないこの舞台美術を包み込むように仄かに漂う微妙で繊細な芳香、そして音響。これらが共感覚を体験するように観客の身体をしっとり浸し包み込む。
この空間の手前は店の入口という設定なので登場人物が客席側通路から店へはいる際、出る時は音で出入りを表現する。
ちょっと見、花屋に見えるこの空間に下手奥から試験管とピペットを持ったカガミが入って来、ピペットから薬品を垂らす。微かな反応がある。満足そうに彼女は試験管立にそれを差す。
と店に若い女性・アイリスが入ってくる。挨拶後、飲み物を取りに行こうとするカガミにアイリスが質問する。花屋さんでしたよね? と。答えはマジョノミセ。「ようこそ生贄さん」と返され、直ぐ帰ろうとするアイリスにカガミは冗談であったかのように応答。この後もスナック、花屋と答えは変転するが、総て嘘、との言葉も入り、アイリスが帰ろうとすると引き止め、これから先は総て真実しか言わない契約を交わす、と悪魔と人との契約時の台詞をベースにした文言を滑り込ませる辺り、中々芸が細かい。この直後カガミがアイリスに飲み物を用意している間に常連たちが次々にやってくる。物語の始まりだ。
実演鑑賞
満足度★★★★
解散と何度か唱えて、その度に復活するバカバッドギターを悪く云う者は余り居ないような気がする。というのも演劇は一種の麻薬のような吸引力を持つ芸術だからだ。誰が好き好んで離れたりするものか! んなこたあ、謂わずもガナなんである! 華4つ☆
ネタバレBOX
という訳で今回も復活の狼煙を挙げた訳だが、とはいえ多少の人生経験も積みいきなり本公演で臨む等ということはしない。今回は短編3本、1本目『タイムスリップおばさん』原作矢島ヨーコ/脚本・演出 片寄直樹約40分、2本目『楽屋、ではなく喫煙所。』脚本佐藤ホームラン/演出 片寄直樹、3本目『グッバイ三ツ山』脚本矢島ヨーコ/演出 片寄直樹は各々約20分であるが、矢島ヨーコが脚本を書いたのは初とのこと。また、タイトルのケルベロスは3つの頭部を持ちギリシャ神話に登場する怪物であることは衆知の事、だが何故頭部が3つあるかと言えば冥界に入る者と冥界から逃げようとする者を同時に監視する為である。前説から登場するがちゃんとリードを取り付けられており先導者に引っ張られるとベニヤで作られたケルベロスの顔出し穴が顔を突っ込んでいる役者陣に当たって痛がったりするのをアピールするものだから、思わず客席から笑い声が起こったりもして如何にもこの劇団らしい雰囲気で始まった。
さて『タイムスリップおばさん』から参ろう。タイトルから明らかなようにタイムスリップ物であるが、そこはバカバッドギター。タイムマシン第1号は通常なら試作機に当たる段階の未完成品だがこのマシンで出発してしまう処がまずもって常識外。何となれば行きはよいよい帰りは…の片道切符マシンだからである。行く先は搭乗員の出身高校、1991年(つまり彼らの高3時代=バブル期)。
ところで、出発のあれやこれやの最中、インド諸島に生息していた偶蹄目の“トウヘンボク”が乱獲によって2020年に絶滅しましたとのアナウンスが流れる。過去に戻った3人は加藤、タマ、京子の3人。加藤は弱小高校野球部であったが、現役時代ライトフライを取り損ね珍しく初戦敗退を免れ強豪校と当たることになった時に甲子園への夢を果たすことが出来ずにいて、戻れた今回はこの失敗を取り返したいと考えていた。そして今回は見事にその念願を果たした。だが、これがまずかった。歴史が変わってしまったのである。理由は歴史を改変したことだ。これを修正する為に身体の大部分をアンドロイド化し而も教え子たちより後に開発された帰ることのできるタイムマシンによってここへやって来た担任教師・武田に助けられ歴史の重大改変は回避された。無論、物語はこれだけに終わらない。タイムマシンで到着した3人と仲良くなっていた転校生・ユカが謎の失踪を遂げてしまったのである。理由はパラレルワールドが関与してきたことであった。そしてこのパラレルワールドでの結末はハッピーエンドに終わるのだが、彼らが戻っていた時期、戻っていた世界でトウヘンボクに関する絵本を出版しており絶滅の危機を訴えていたことからパラレルワールドでは元の世界で絶滅後もこの生き物は数十頭生息している。落語のオチのような結末である。
次に控えしは「死神」。有名な落語ネタを矢張り舞台上演回数日本トップで有名な清水邦夫「楽屋」ではなく『楽屋、ではなく喫煙所。』として創作した落語物、落語は語りを中心にした一人芝居と取れる芸術であるから芝居ネタとしては極めて相性が良いのは当然だ。これを2人の噺家が演ずる。但し物語中盤迄、1人は生きている噺家として機能しており、もう1人だけが喫煙所に巣食う霊である点、役者が男性2人であり清水原作の女性4人とは異なる点や相違点として挙げられる。前半生きて「死神」を語る役者の噺ぶり、霊の役者の噺ぶり、前者は故立川談志流でテンポの良い江戸を感じさせる噺っぷりで上手く、後者も上手い。そう思って見聴きしていたのだが後でパンフを見てみるとそれもそのハズ、ライブハウス等で噺しているのである。
さて第3話に参ろう。『グッバイ三ツ山』である。所謂推し活によってデビュー曲が大ヒットし一躍スターダムにのし上がった三ツ山地方出身の歌手・近藤銀八とファンクラブ会員No.1,No2の往時と現在を巡る物語。推し活の熱狂と持続力、その活況と悲哀をも感じさせる。
実演鑑賞
満足度★★★★★
ヒグラシチームを拝見。面白い、お勧め!
ネタバレBOX
地方の火葬場待合室を舞台に火葬開始から骨上げまでをリアルタイムで描く。窓外には桜の満開が見え、天気も上々。尚、板中央やや奥に吊るされた大き目の白枠は場面によって窓にもなれば、写真のフレームや他の様々な物にもなる。
Mura.画は、村上 悠太氏が独りでやっている企画ということで毎回、キャストは異なるという。今回拝見したのはヒグラシチームであったが、一部のキャストがWキャストであった。脚本も面白いが、役者陣が上手い。殊にシングルキャストで出演している役者さん達はベテランも多く流石と感じさせられた。中盤までは火葬に付される本人達の霊の登場以外は、待合室でありがちなシーンがベースになる比較的オーソドックスな創りだが、恍惚の人の仲間入りをしたと思しきお婆ちゃんの登場で事態は一変する。何とお婆ちゃんには、火葬される息子と同じ日の同じ時刻に矢張り火葬される2つの霊が見え、会話ができたからである。こんな事情で同日・同時刻の火葬で若干いがみ合いをしていた親族達は、故人個々の念をイタコと化したお婆ちゃんを通して知ることができ、故人個々の念や亡くなった経緯を正確に知ることとなった。その内容の奇想天外な展開や個々のエピソード、夫婦、親子、恋人同士の愛等が実にリアルに表現され心を撃つ。終盤、怒涛の如く訪れる各エピソードの回収のセンスも洒落ており、表現も美しい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
淡々と紡がれる今作のテーマは深い。改めてゆっくり、世の中のこと。自分のことを振り返ってみたい。(追記予定)
ネタバレBOX
十日に一度、欠航でなければ内地からの船が港に入る人口千人程の小島には四十年来稼働し電気を起してきた風車が在る。物語は島の崖に立つこの風車が強い風に立ち向かい人々に恩恵を施してきた音、目には見えないほどゆっくり、而も着実に移動し島の若者たちが何度も戦争に獲られ亡くなってきた墓を耳にできる音もなく、心の琴線を響かせて埋め尽くして行く“音”、そして周囲を囲むさざ波の聲が続いてきた。然し心臓音のように当たり前の風車の音は搔き消されることになる。この風車を四十年間護り続けてきた老人が語る島の歴史が今作で描かれる三つの音の内実と共に展開する。
冒頭に挙げた入港の日の賑わいを想像して欲しい。人々は欠航でなかったことにホッとし、待ち侘びた新鮮な食料や便り、注文していた物が漸く無事に手に入る喜びや幸運に胸をなでおろしひと時の安らぎを覚える。だが、何度となく起こっては村の若者を徴兵し死や身体の欠損を強制する戦争に抗する手立ては無念にも見付からない。今迄の戦争で敗戦の憂き目もみて来た。その時に受けた魂の傷は時の経過も癒すことが出来ない重い軛である。母が愛する嬰児が泣く声を防空壕の皆から咎められ止む無く殺した、その痛みは! 嬰児を水に沈めた時、水中から上がって来た小さなあぶくの数々が、一つ一つ彼女の魂を抉るのである。今も、明日も、永久とは言わぬまでも少なくとも死ぬまでは。付き添う夫もどうしてやることもできない。愛する妻を庇ってやれない苦悩は筆舌に尽くし難い。戦争は若者達にも大きな重い圧を加え、未来は鈍色である。徴兵される男子ばかりではなく、恋こそ命の乙女も無論、この宿命からは逃れられぬ。砂丘は古い兵士の墓から順に覆い尽くしてゆく。だが今後も墓が消えることは無さそうである。それは、この国の為政者が民の命を何とも思っていないからである。
実演鑑賞
満足度★★★★★
扱っている問題が本質的なので観る者次第でいくらでも深読みできるが、無論その分、如何様に表現するか? 難しい処をいい塩梅で表現している。単に面白いというのではない、オモクロさが楽しめる。役者陣の演技、演出、音響、照明もグー。(追記予定)
ネタバレBOX
タイトルに先ず捻りがある。“あくた”は主人公の名・アクタと重なるが当然のことながら人々は塵芥を想起する。“ちり、あくた”だ。即ちつまらないものなどの例えだが“もの”を開いて表記したのは、人と物を、差別する側が同一視点から観ているからである。つまりゴミ、クズと評価している訳だ。自分達と寸分違わない同じ人間を。
タイトルからだけでも最低このくらいのことが見て取れる。オープニングの演出も素晴らしい。漸く舞台が見える程度の昏い照明の中、風が吹き荒れる音や雷を背景に白い剥片が地下から吹き上げられるように舞ったかと思うや、朗読調の台詞が此処、彼処で叫ぶように始まる。板に着いた大勢の役者たちが台本を持って読み上げるようなスタイルを取っていたのである。その台詞の一言、一言に台本の一片が宙を舞う幻想的なオープニングは、息を吞むほど美しくいきなり観客を劇空間に引きずり込む。 明転するとホリゾント上手の一角は羅生門に見えた。
実演鑑賞
満足度★★★★
「アンネの日記」は小学校時代に読み、自分がその時代に生きていたら、助けたいとその理不尽に心を撃たれた書物であった。であるが故に自分は現在、パレスチナの側に立つことを選んている。
ネタバレBOX
物語は2つの部分に大別される。「アンネの日記」で描かれたオランダへ出国、隠れ家へ移ってからの閉塞した生活内容をベースに展開しゲシュタポに発見され踏み込まれ連行される迄の部分と、余りに悲惨な史的状況を前半で伏線として描いていた姉の眼鏡を用いることで、収容所での生活をパラレルワールド理論を用いて覆すことによって。
欧州での例史的アシュケナジー差別を多少、深堀してきた人によって見方は相当変わろう。殊にシオニズムが力を持つようになって以降の歴史を知る者にとっては、殊更である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
祝20年! ゴイス! タイゼツベシミル❢! 華5つ☆(追記後送)
ネタバレBOX
トツゲキ倶楽部の舞台製作では端役を作らない。だから必然的に出演している役者は1人の例外も無く例えスポットの当たっていないシーンでも何等かの仕草や表現をして舞台上で生きている。このことで一瞬、一瞬の空気が形作られ、濃厚な雰囲気や重層性を作り出している。芝居は最低同じ演目を3回は観ると良いとされている。それは良い芝居は上述のように個々の役者が各々の演技をしているので細部迄観て作品の面白さが真に分かる為に3回程度は最低見た方が良いということだ。今作は出演者数も多いのでできればこれ以上観てみたい。自分がゲル貧でなければ本当に3度でも4度でも観たい作品である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
タイゼツベシミル! 華5つ☆
ネタバレBOX
流石夢現舎の作品である。舞台美術は基本的に必要な物だけ。作品の内容を深く鋭く分析し、洋の東西を跨いで本質を見事に抉り出し、それを2人の登場人物、ベンとガスに託して益田 善晴さん、山田 哲朗さん2人がその身体と技術の総てを使って観客に届ける。間の取り方、抑揚やちょっとした仕草、ピンター本人の作品に向き合う姿勢を深く、明確に理解し、役者という位置を矢張り明晰に掴み取って観客に届ける。
元来不条理な作品というものは、世の中の有象無象総てがそれまで社会を支えてきた論理や倫理のほぼ総てを崩壊させ、その余りの根底的破壊に人々の信じて来たもの・ことの総てが音を立てて或いは音もなく意味を為さなくなった時、その場にその時居た者たち総ての苦吟が滾る如く否が応でも滲み出す。最早希望も普遍的価値観も喪失し、新たで納得のゆく真理も行為も総てが為し崩し的な崩壊様相を“新たに”呈するに至った未来に向けて滲み出てくる呟きの如く苦い果実であろう。その歓迎されない不運、貧乏籤、己自身を洒落のめす他無い程バカバカしい迄のどうしようもなさを、それでも何とかうっちゃる為の営為であろう。哀しいと逃げることは容易いが、この辺りの虚しさ、苦しさ、遣る瀬無さが濃厚なアトモスフィアとして生きる総ての者達を囲み、圧迫し、いつでも、どこでも逃げ場等無いままで圧し潰しに来るのだ。この逃げ場のないどうしようもなさが醸し出される凄さ。ミッションの段取りをする中でベンが間違えることの意味も、此処迄書けば類推できよう。
ラストの衝撃的シーンを予告する如く、これこそ伏線の手本と言えるような脚本の上手さは、ガスはベンの名を始めから何度も呼ぶのに対しベンは終盤の終盤に至る迄ガスの名を呼ばないという見事な暗示。当パンに二度見の勧めが書かれているが、二度、三度観たい作品であり、演技である。無論、お二人の演技のみならず、舞台美術、音響、照明の効果的な用い方も素晴らしい。
実演鑑賞
満足度★★★★
「Deep in the woods」を拝見。
ネタバレBOX
板上は30年程前に現在の住人、シノダの祖父によって建てられた地方の別荘。2Fには書斎を含めて5つの部屋があるという可成り立派な建物である。今回集まっているのは幼馴染3人。 他に雑誌の企画・編集などをやっていて漫画家の夫の不倫に立腹し、夫のシトロエンを運転して来たサトウ。もう1人は医師、アオキ。妻子は祖父母の処へ出掛けているので一緒に来ることができた。
シノダは、芸大を出てその才能を活かし賞も獲っており注目度も高いが、サトウの車が故障、シノダの車も半年も前からライトの具合が悪いのに修理もしていないので使えない。アオキは行路の途中に住んでいる関係でサトウの車に同乗して来ているので何処へ出掛けるのも不便だ。こんな訳で別荘で話す場面が基本的にメインになり、徐々に何故、半年もの間たかがヘッドライトの故障を放置し続けてきたのか? そしてもごもごと喋る様子や何となく覇気のない、決断を中々下せない様子、レスポンスの遅延などの仕草を通じて、2人はシノダの変容の並々ならぬことを幼馴染ならではの感覚で察知するが、具体的にどのような対応を取れば良いかが判然とせず、大人になってしまった自分達とアーティストらしさを未だ抱えたシノダとの邂逅のもどかしさに蹉跌を感じる。どう対応すれば良いのかに戸惑い直球を投げられないのだ。友人としての2人のぎこちなさが、或いは慮りを欠くと彼の精神状態が不安定の度合いを増す怖れもある。こんな模様は観客に慮る友人とアーティストの持つ世界とのギャップの歪として観客にも伝わる。各々の生活、互いの微妙な在り様とのズレが、間の取り方や台詞回し、抑揚等の細部を通じて表現される。精緻な作品。誰にでも上記で述べた事情が分かるのは到着翌日の展開である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
抜群のセンス。ベシミル。華5つ☆ おっともう1点、きづいていたお洒落シーンがあったのだが、書き忘れていたので書き足した。(6.22 2:38)
ネタバレBOX
様々なレベルでお洒落なセンスを感じる公演。物語の展開するバーの名はイタリア語のマリオネッタ。劇場床に1枚平台を置いてあるが、この平台の上手及び下手にはピアノの白と黒の鍵盤が描かれ、下手鍵盤の直ぐ横には太い柱が立っている。この柱の正面は微妙に色の異なる煉瓦で表装され側面は白のレンガ型ブロックで表装されている。上手奥にはバーカウンター、下手へ延びるホリゾント壁にはLPレコード3枚が行儀よく斜めに嵌め込んである。バーカンにはハイチェア、背凭れ付きチェアが並び、奥には様々なボトルが肩を並べていてこの店の独自の魅力を醸し出している。而もこれだけではない。登場人物総ての衣装が、黒・白・赤を全身で或いは衣装デザインの色として、或いは組み合わせとして用いられ統一感と格調を示しているばかりでなく、劇空間にはほのかなワインフレーバーのような香りが漂っているのだ。謎が謎を呼ぶ重層的で練られた脚本が終盤まで観客を引っ張るので観客は様々な推理をし乍ら見続けることができる良さときめ細かな演出、役者陣の個性的な而も演じるエネルギーの緩急を弁えた演技の調和も見事だ。
無論、幾つもの謎の回収も素晴らしい。様々に工夫された伏線も多く、2度観、3度観も楽しめよう。
追記:ラストに下手袖から紅の袖が出、手に青い薔薇を一輪。花言葉は”奇跡”が一般だが、何故、このシーンにこのようなアクションが? その訳は観劇者各々に考えて欲しい。
実演鑑賞
満足度★★★
う~~~む。
ネタバレBOX
プロデュース公演vol.21と銘打っての公演だが、自分には合わなかった。例えてみれば表層の波形や蒸散、陽光の影響や変わり易い表面温度と僅かな差異に惑わされて己の頭で考えることが無いという唯一の共通項を持つ空虚が一つ、また一つと増えつつ表層を、表層だけを浮きつ沈みつし乍らここは自分の席だとでも言わぬばかりに肩肘を張り角突き合わせて蠢いているエパーヴのような存在。
無論、エパーヴの持つ思考装置の機能は条件反射の如きものに終始するから、政治が独身税なるモノを近々実施するという事象に反応するだけで何ら本質的で独自な対応策も出てこない。他人の設計した方法で他人の設計した方法に従ってマッチングされた出来レースに参加し、偶然を装った「期待される」結論になだれ込んでゆくだけである。
実演鑑賞
満足度★★★★★
英語のタイトルが“Not to be,or not to be…”と実に意味深。無論日本語タイトルも三点リーダーでその意味深を示してはいるが。Spiral Moon50回目の公演でもある。尺は95分予定。
月組拝見。脚本は逆張りの手法で描かれている。この点が今、今作のような戦争物が他でもないSpiral Moonによって而も50回目の節目に演じられる意味であろう。というのも混迷の昨今、観客にも世を憂うる人々、流れ流れて生きる人々、何となく生きる人々様々がある。その何れにも入り易く而も本質を取り違えることのない実に上手い演出だからである。(追記後送)
実演鑑賞
満足度★★★★
華4つ☆ 追記2025.6.15 7:35
ネタバレBOX
板上は下手ホリゾントのコーナー部分に中学校生徒用机2つと椅子。ホリゾントやや上手寄りに小型スクリーン。スクリーン手前には机と椅子。机上にはノートパソコン、書類用ファイル等が見える。上手側壁から板上を隠すように置かれた衝立で袖を拵えてある。板手前の客席側には楕円形の座卓。座卓の下には荷物入れ用のボックスが置かれている。
物語は現在と10年前を入れ子細工に、主として学校と家庭を舞台に展開される。所謂問題児達の背景にある事情を地域の著名女子中に通う中二女子やこの女子中の教師達、その教師の一人であり現在は映画研究会顧問を務める沖田と10年前丁度中二の時に不登校になっていた沖田の大切な友、米谷が虐待されていたこと。沖田はそれを知りながら米谷を救えなかったこと、而も転校後米谷はその虐待が原因で自殺していたことを知る。
ところで現在教師となって女子中の映画好きの為の顧問を務める沖田は中二のクラスの副担任でもある。お嬢様学校として名を馳せるこの中学の副担任クラスには、ホテル街に入り浸って補導されるなど問題児とされる萌が居た。彼女もネグレクトされていた。父母はその仕事が各々の最重要課題であり、一人娘に対しては経済的安定と名門校に通わせ良い成績を取らせることで教育義務を果たしたとするとんでもない勘違い傾向が見られた。その点父はまだしも父親らしい愛情を注ごうとはしていたものの、母は寧ろファナティックなまでに己の教条主義に固執するタイプであったから萌の繊細で敏感な感性を理解できなかった。まして人生で最も多感で不安定な時期であるにも関わらず、母親は娘に対する当たり前の配慮をすることさえできなかった。女性が日本社会で仕事をする上での様々な障壁は具体的に描かれていないが、これが萌が問題行動に走る原因だということに最も鈍感だった理由であることは類推できる。が、本当だろうか? その母としての言い訳はいつも「仕事が忙しい」だけであったから偽装している可能性は否定できないように思う。萌が問題児として、名門女子中落ちこぼれとして最も問題のある児として評されていた頃、既に両親は離婚しており、親権は母親に在った為、父との面会さえ公式には禁じられていたのである。この事情は更に萌を非行行動に走らせる原因の一つとなっていたと考えることも可能なのだ。
一方、このクラスを含む生徒を教える教師たちにも悩みはあった。名門女子中である以上、生徒たちにはお嬢様が多い、親の社会的ステータスも高い。そんな親たちの加入しているPTAは発言力も強く、地域社会での影響力も強いから学校経営者からは、校内スキャンダル等もっての外という態度しか出てこないのが実情でありながら、唯でさえ忙しい教職の中心を占める教育以外に部活顧問や風紀問題、今作で描かれている訳では無いが果ては補習などの面倒見やその手配(補習時刻設定、教室確保、補習担当教員確保等々)、更にはここに挙げた事象関連の書類作成や提出等々枚挙に切りがない程教師の仕事は多忙であることは常識である。その中で就任当初に抱いていた高い理想や教育理念は徐々に蝕まれ腐ってしまった教師も居ることになった。
一方、日本社会は何等かの詭弁を用いて言い訳を作り出しそれをアリバイに転嫁するなり『事実或いは真実』に加工し直して広報や社会的権力・権威等で護り同時に広報等で衆知徹底するから異論・反論・反対論等は抹殺され易いという現状がある。元来柳田國男が日本人について述べた1931年発表の「世間話の研究」では日本には世間はあっても社会は無いという認識がある。これは平たく言えば欧米近代以降生じた国民という名の民衆間に存在してきた共同体の基本原理が日本には存在していないという認識であり、代替するものとして機能していたのが世間という、より範囲は狭く、普遍性に照らして検証されてもいないがある程度ファミリアルな人間関係世界であった。更に言い換えればこれは二人称で呼び交わすことのできる関係を欧米では意味し日本では其処迄明確に区別は出来ないものの或る程度二人称的世界観が(世間内作法が機能して)通じる世界であった。これに対して三人称世界は所謂社会というバトルフィールドであって利害関係が中心となる社会であるから強者による選択が自由に行われれば弱者に選択の絶対自由は無い。即ち強者の指示により弱者AとB以下の誰でもが交換可能な利害社会である。この説明を聴いて読者は何を感じるか? 所謂、新自由主義とJ党が政策として推進して来、現代日本の徹底的敗北を齎した経済社会生活ではないか? 毀誉褒貶様々な評価はあるもののそれ迄の日本社会を特徴づけていた終身雇用制が壊され被雇用者の非正規雇用が極大化されてきた中で弱者はより弱く、強者は更に強くなって支配力を強めてきた。その結果、欧米社会の根本を為してきた共同体の基礎原理の無い社会で以前は世間として代替機能を或る程度果たしてきた紐帯はあっという間にバトルフィールドの緩衝地帯としての機能を喪失してしまった。そして今、サードパーティー空間も消滅の危機を迎えているのではないか? サードパーティーは未だ完全崩壊には至っていない面もあろうが世間はほぼ壊滅したと言って良かろう。話は前後するが、このクラスの担任は、吹奏楽部顧問も兼任し面っつらは理想の教師を目指すようなことを言いつつ実はトンデモ無いことをしていた。そして自分の仕組んだ犯罪を隠蔽する為に萌と取引さえしていた。(この内実は作品を観て確認して欲しい)当に現代日本の権力者の姿そのものの悍ましさが描かれている点も面白い。
但し、今作では現代日本がバトルフィールドに参加せずには居られないにしても、総ての人間の生存可能性を高める共同体関係構築が既に淘汰されたかに見える中、以下のような2つの光点を示していることを書き加えておく。救うことは出来なかったものの、米谷に対しての沖田は米谷の、萌に対してのアミが傷つけられた萌の、魂の安息所になっている点が救いになっていることである。人間は、誰にせよこのような安息の場、魂の休息所を持つことが出来なければ破綻する生き物である。即ちこのような友、自らの存在そのものを、それ故にこそ認めてくれる者が周囲に居ること。このことが、若い人々の創作作品である今作にキチンと描かれていることに光を見る。
若干、不満だったのは、神という単語の概念と中二病という単語の概念が余り明確に今作の作家に規定されていないのではないか? と疑念があった点である。尤もごく一部の宗教者には例外が在ることは、実際に人間として尊敬している何人もの宗教者との付き合いがあるから重々承知しては居るものの、そのような付き合いの無い方々の認識は、形ばかりの宗教はあってもその本質が殆ど形骸化してしまったように見えるであろう日本の諸宗教や共同体の基礎理論が普遍性として成立していない状態にあって、そもそも定義することの不可能性すら提示し得るかも知れぬこの国の倫理崩壊は、“神”や“中二病”の定義をも真摯に検討するような営為を無化してしまっている可能性もあるし、単に私自身の知見不足によるのかも知れないが。
実演鑑賞
満足度★★★★★
タイゼツ、ベシミル!! 華5つ☆ 終演後、追記するかも。
ネタバレBOX
いうまでもないことだが、性自認は兎も角、遺伝子は女性でXX,男性でXY。遺伝子の詳細までは書かないが基本はこのようであると学校で教わった記憶があろう。然るに日本では性教育の在り方が余りにもお粗末なことも。描かれている今作の内容から類推できよう。
By the way,現実の日本の為体をいくら上げてみても何ら意味はない。実際に妊娠が身籠った女性にどのように(肉体的・精神的・社会的)働くか? 男性にとっては? 両性間のギャップと諸対応、各々の認知差とそれを埋める為の対話が何処までキチンと当事者間で行われているのか? その実態は? 対話がまともに行われていないとすれば、その実態は? 医療との関係は? 社会的弱者と受け皿としての福祉の関りについての具体例は? これらに対する世間は? 等々ばかりでなく、今作では子供を欲しがっているが、子宝に恵まれないカップルの不妊治療のケースを対比させ日本社会の本来近代国家成立要件の1つである国民に対する国家としての人権保障の観念が政治に欠落している問題すら透けて見える。人権の何たるかを政治家の大多数が正しく理解していないという問題である。かつてはこの欠点を或る意味補ってきた世間も現在では崩壊しており、これも枢要な原因の一つとして日本の劣化は余りにも酷い。描かれている人々は典型的でありながら、同時に個別・具体的である。この脚本の最も優れた特質であろう。演出は、この本質を深く理解し舞台化している。そして緊張感を終始維持する為に場転でも舞台美術の転換を1度もしない。
板上は、ホリゾントに両開きの黒っぽい壁面に見え、開けるとネカフェ6号室等になる空間、手前両側に段を設けた高めの平台(ここはネカフェ5号室にも)。この平台上手にはコインロッカー。その客席側と反対側の下手には衝立を設けそのようにして設けた目隠しは袖となり各々出捌けとしても用いられる。因みに出捌けはもう一カ所、下手側壁に添って吊るされた暗幕の客席側にも矢張り袖を設けてここが出捌けに用いられこの出捌けから出た処に少し大型の机と椅子が設えられており、場面によって診療室等になったりする。その対面には観客から演者が見やすいように斜めに置かれた長椅子が見える。シンプルな舞台美術だが、今作を最大限その内容に集中して観て貰う為に最も有効な舞台設定だろう。
描かれる内実は無論、凄い! 殊に男性には観て欲しい作品である。カップルで観るのもお勧め。
オープニングでThe Beatles の「 Don't Let Me Down 」が掛かっており、女性の存在が、実は男を支えている本質であることが示唆され、それに被るようにコインロッカーに赤ん坊が預けられる。村上 龍が「コインロッカーベイビーズ」を発表したのは1980年、日本の決定的劣化が始まって8年後のことであった。
実演鑑賞
満足度★★★★★
「Le moment et l’éternité」傑作である。殊に脚本が素晴らしい。社会人劇団だという。大変だろうが、皆さん力を合わせ、健康に留意しつつ今後の活躍にも期待している。
ネタバレBOX
物語は岩手県盛岡の農家長男として1967年3月3日に生まれた息子・浅沼健太郎が父の強要する農業ではなくファッションデザイナーを目指して上京し全く実体験・実経験の無い世界にそれ故にやみくもに飛び込んだ。これが結果的には僥倖を齎した。当時はまだ珍しかったデザイナーズブランド・éternelを立ち上げ成功していたファッションデザイナー・金森十和子の下で働くことになる。物語が変動の激しいファッション業界の、それも才能の容赦ない弱肉強食現場、デザイナー事務所に焦点を絞り而も関係する中枢をその本質を抽出し枢要な要素として自然と感じるほど巧みに溶け込ませ展開させる構想力・構成力は大したものである。また、健太郎(後、デザイナーとしての名は深海水生)の純粋で初心なキャラ設定も実に良い。まるで何も描かれていなかったキャンパスの如き存在だからこそ、彼の変容がドラスティックな社会の変容と過不足なく照応し展開しているのだ。
今作で最も優れている点の1つは、我々の生きているこの地、この時と作品で描かれている内容とが紛れもなく地続きであると観客に感じさせる点である。当パンの説明を読むと社会人劇団だという。多くの社会人劇団で優れていると感じる劇団は大抵自分達が普段社会で味わっている現状から脱却し、別の世界を描こうと飛翔している場合が多いように思う。一方、一応演劇中心(時には映像なども)で、兎に角、生活の中枢を表現そのものに置くことを志している人々は、様々な演劇論や表現法に則って作品を創っている。この何れもが作品が社会を映す鏡というより、社会の中である位置を占める何かであることが多い。それは例えば喜劇であり、風刺であり、冒険譚であり、サスペンスであり・・・といった具合だ。然し今作はファッション業界を描く作品中に、自然災害やインフレ、スタグフレーション、バブルなどの経済的局面と人々、業界の好不況の有様が過不足なく見事なバランスで取り込まれ恰も当時を生き直してでもいるような錯覚に観客を陥らせる。また、変化の激しいファッション業界では描かれている時代に地殻変動のように大きな変動が幾度も襲った。その央(ただなか)で所謂オートクチュールは単に職人技というより芸術家としてのデザイナーをも生み出していた。この表現する者同士の才能の弱肉強食は一歩間違えば終わり。即ちオートクチュール作家としての死を迎える厳しいものであり、これは総てのアーティストに共通のセレクションの形である。この鬩ぎ合いが同時並行的に進むのだ。この緊張感も堪らない! 本物を求める以上必ず通らねばならぬこの道の果てに今作の、そして今作の作家の見出したものは、チェーホフのそれに近い。その内実を今後どのように膨らましてゆくか? 楽しみにしている。
実演鑑賞
満足度★★★★★
単なるエンタメに終わらない深みやペーソスを具えた作品。面白い。
ネタバレBOX
物語が展開するのは、そこから東京タワーとスカイツリーが一直線上に見える廃ビル屋上。6歳の時、父に去られ母に死に別れたことで虐められしょげかえっていたダイスケはUFOに乗って近寄ってきた宇宙人のテレパシー能力によって対話を交わし、また会うことを約して別れた。その後ダイスケはこの約束を果たす目標が出来た為、独学で天文学や通信技術など関連する諸学問を学び宇宙との交信を試みていた。時は過ぎ30年が経っていた。或る夜、いつものように観測とデータ整理をしているとミュージシャンのトビタ、ヒッチハイクで日本を旅する大学生のガク、屋上から飛び降り自殺しようとした看護婦のオンナ(という苗字の女性)と知り合い4人で力を合わせて観測をし始めた。偶々オンナのやっていた副業関係のお客が最愛の妻を亡くした後何とか妻の魂とコンタクトを取りたいと考えてエジソンが亡くなる前にしていたと言われる研究2つの内の1つを実現する為の機械の設計図を入手していたが、別の方法で亡き妻とのコンタクトが取れた為設計図が不要になったとしてオンナにくれたオリジナルが手に入った。30年間チャレンジして可能にならなかった宇宙人とのコンタクトが可能になるかも知れないと4人は懸命に機械の制作に励みコンタクトに最善とされる満月の前夜、機械は完成した。後は明日また廃ビル屋上でとなった瞬間、ガードマンの邪魔が入った。廃ビルといえどダイスケらに何の権利も無い。管理会社関係者に出て行けと言われれば従う他無いというその刹那、オンナの信じるスピリチュアルパワーがものをいった。雲に覆われていた月がほぼ満月の全容を表し交信が可能となったのである。実験は大成功! 4人とオンナの客と思しきクミちゃんの5人はUFOに乗って飛来した宇宙人とのコンタクトに成功した。
ところで宇宙人等存在しないと考える人々も多かろう。然し本当に存在しないのか? 総ての物質を構成している素粒子等の微小な物は総て宇宙の誕生と関係し周期表に載っている諸元素は恒星の燃焼過程から基本的には生じた。地球上に現存する生物を構成しているアミノ酸等もこうして出来上がっていた無機物が惑星上での様々な条件(雷等の電気的衝撃や至る処で爆発を繰り返していた活火山の排出するガスや火山灰等による化学反応等)も加わって出来上がり生まれてきたのである。環境変化の中でこれらの物質に命が宿り繁殖するに至ったのは持続するエネルギー源(熱噴水等)が生じた生命を維持する為に機能したからであり時の流れの中で絶滅や適応したものたちの隆盛を繰り返し、生命は更に多様化し進化して現在に至っている。無限だと言われる宇宙に恒星だけで幾つあるか? 誰も答えられない。我々の居る天の川銀河だけでも2000億から4000憶個の恒星が存在すると言われているがハッキリした数は特定できていないようである。我らの銀河だけに限ってもこれだけの恒星、惑星は幾つ存在するのか? その内、生命存在の可能性のある惑星は? また人類には知られていない生命の在り様というものが在る可能性を排除出来るか否か? 等々。問いは幾らでも続く。地球に生命が誕生した以上他の惑星に生命の誕生しないと考えることの方が寧ろ不合理だ。今作で興味深いのは宇宙人にとっての1日が地球人には30年に相当する点など時間についても考えさせる内容が含まれていることだ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
Cチームを拝見。演劇の力を心底から体験。自分にとっては秀逸な作品であった。華5つ☆
ネタバレBOX
ハンバーグが抜群に旨かった店のシェフが亡くなった。とは言っても店が閉められたのは既に13年も前の話だ。シェフはその後警備の仕事を10年、更にタクシー運転手を3年やっていて事故で亡くなった。63歳であった。物語は弔いに集まった親族を巡るこれからの話である。
ところでこの家族、関係がちとややこしい。というのも子供は、長男・藤沢夏雄、次男・藤堂友基、妹・金山愛が産まれているが、それぞれの子の父が誰であるかはハッキリしていないのである。無論今の時代DNA鑑定をすればすぐに分かることは明白であるが誰も其処迄する必要を感じておらず実施していないというわけだ。一方長男の生活は金が在ればパチンコ等のギャンブルにつぎ込んでしまい女房からも借金している有様。更に最近は若い恋人が出来て離婚危機だし、現在住んでいるのは弟の持ち家の子供部屋という笑えない状況であり、おまけに父のやっていたレストランは父の言とは異なり実は借家で閉店後、父の生きる糧として再開を目指して来た為建物はそのままの状態で残して来たが近年家賃を支払い続けてきたのが弟であった。その家賃は月12万。持ち家のローンの支払いがあり、他にも弟は自分達の生活を切り詰めて妻の不妊治療迄行い家に尽くして来たのであった。こんなことが明るみに出たのは銀行員をやっていてしっかり者の弟が、自堕落な兄と喧嘩になったからだ。兄は兄でレストランは父の所有物件だと聞いていたので取り壊しの話が自分に知らされずに進んでいたこと、その件が如何に誰によって始まったのかの経緯についても全く蚊帳の外であったことに激高していた。が誰もが生活に追い詰められる世。父の死を契機にレストランを取り壊す相談が為されていたのである。だがそれは弟夫婦が言い出したことではなく借家の管理会社が勧めてきたことであった。そしてその案件を実際に動かしていたのは妹の愛であった。だがこれらの動きにも訳があった。くんずほぐれつの展開の中で、子供たちの生い立ちの中で父として或いは母と関わりの深かった男としてこの複雑な関係にある子供たちにびっくりするほどおいしいハンバーグを作り食べさせてくれた父の思い出が堰を切ったように溢れ出す。そして、父を越えたいと15歳で飛び出してシェフを目指し勤めていたレストランが潰れた為、一旦は諦めたシェフへの道に再チャレンジしてみようとの想いが長男にも再び湧き上がってくる。愛に泊まることを提案した次男に甘えてそれを受けた妹、最初、女性は女性同士次男の妻・留美が愛と一緒の部屋で、兄弟が男同士子供部屋で寝ることにしたが、夏雄の発案で妹・愛を真ん中に挟み夏雄と友基が両脇に雑魚寝することになったシーンでの寝入りばなの雑談シーンは本当に子供たちの対話そのもののような内容で素晴らしい。また彼らがこの寝床で見た夢のシーンも。