ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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普通の人

普通の人

劇団G・I・K

北池袋 新生館シアター(東京都)

2019/02/07 (木) ~ 2019/02/10 (日)公演終了

満足度★★★★

 分かり易く而も本質的。噛む役者が多かったので華4つ☆だが、そうでなければ5つ☆の作品である。(追記第1回 2月9日17時33分)

ネタバレBOX

開演前にはずっとヒトラーの演説が流れており、大衆を鼓舞する彼の演説の調子、上手さが理解できる。板上はほぼフラット。中央かなり客席寄りに箱馬が1つ置かれているだけだ。出捌けは下手手前とほぼ対角線に上手奥の2カ所。但し上手は、観客から少し目隠しになるよう袖が設けられてはいる。
 第1次大戦後、戦後賠償によるトンデモナイ、ハイパーインフレが、ナチスを生み出し、成長させた大きな要素の一つであったことは、誰しも気付く所であるが、歴史的な動きをベースにしながらも今作はフィクションである。
 但し、今作の作家若いが中々、本質的にものを見ていて、それは科白の端々に現れているので、観劇の上楽しんで貰いたい。
卒業制作

卒業制作

しあわせ学級崩壊

王子小劇場(東京都)

2019/02/06 (水) ~ 2019/02/10 (日)公演終了

満足度★★★★

 若いころに悩むべき正当な問題にキッチリ向き合い、チャンと正解を選んでいる(追記第1回2月9日17時16分)

ネタバレBOX

賢い作家の作品だが、未だ、演劇界での経験が浅い。その為演劇的な見せ方にイマイチ経験不足を感じた。然し乍ら、この若さでこの本質的解に至りつく頭脳は評価できる。
 舞台美術がちょっと変わっている。恰も鵺のような身体と精神を外側から支えでもするかのように、床から天井まで届く檻がまるで骨ででもあるかのように、出演者総てを閉じ込め周囲に張り巡らされている。客席はこの檻を挟むように設えられ、檻の格子を通して見える向こうの席がこちらの姿を映す鏡のよういな錯覚を起こさせるから面白い。檻の中には60㎝ほどの高さで1辺2間ほどのほぼ正方形の平台の上に学校で用いられる安っぽい机と椅子が4つずつ置かれている。平台下手と上手に椅子が各々数脚置かれており、片側の檻と壁の間にシンセサイザーと音響担当が居てマイクを通して発語される科白と競うような音響が流れ出てくる。序盤は殆ど自動律の反復が延々と繰り返されるが、時折“我々は何処から来て何処へ行くのか”といった本質的問いが為され、この問いが自動律を抜ける外壁、そう言って悪ければ、遠い反照のような構図を示してくれる。
朗読劇『罠 Piège pour un homme seul』

朗読劇『罠 Piège pour un homme seul』

演劇企画CRANQ

ザ・ポケット(東京都)

2019/02/06 (水) ~ 2019/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

 原作はフランス語で書かれた作品と見える。(気懸りを少しばかり追記)

ネタバレBOX

恐らく表現にも様々な引っ掛けや罠が仕掛けられた本なのだと思う。フランスの作品らしいエスプリの効いた洒落たものなのではあるまいか。原題を見てそう思う。いつか原作を入手したらゆっくり読んでみたい。当パンには朗読劇となっているのだが、結構動きや出捌けもあり動的な作品に仕上がっている。唯残念なのは、テキストを持って演じているのに噛むシーンが何か所もあったことである。このような点については改善を求めたい。舞台美術も中々お洒落で、音響は弦楽器の生演奏というのも良い。ストーリーは観てのお楽しみだ。と言うのも、推理物だからにゃ。
 おっと、これはもう少し調べなければならないのだろうが、原作者は、今作で本当は何について書いているのだろうか? グローバリゼーションだの、治安と言えば何でもアリの極めて危険な国家の在り様をこそ、問題にしているのなら極めて刺激的なのだが。
この海のそばに

この海のそばに

えにし

「劇」小劇場(東京都)

2019/02/05 (火) ~ 2019/02/10 (日)公演終了

満足度★★★★★

 板上、レイアウトがちょっと変わっている。舞台側壁と奥の壁の内側三方を通路幅をとった上でパネルで塞ぎ、数カ所にドアを取り付けて、場面変換をするのだ。ドアも用いられる箱馬も下部に波打ち際で崩れる波のような文様が描かれているのは、無論、海、故郷、母へのオマージュであると共に、生んでくれてありがとうだろう。(華5つ☆)

ネタバレBOX

 身に積まされる作品である。自分には、2歳の時の痛烈な記憶がある。主人公のような国籍の深刻な門題を抱えていた訳ではない。然し親に置き去りにされた子供という点では同じである。何故、一緒に死んでくれなかったのか? と良く自問したことも覚えている。最初は「嘘つきは泥棒の始まり」といつも口にしていた父の、行為の矛盾に対する反発から。後現在のように言語化し得るまでに思い返し思い返ししているうち、何らかの理由が親にあったとしてという事に気付いてからではあったが。何れにせよ、人間を信じないことの最初に親への不信があった。
置き去りにされた年齢差では主人公、勝の方が自分より年上だが、入管法が小手先で「改善」されたとはいえ、旧植民地出身者に対する日本人の差別意識が変わった訳でもなければ、政治屋、官僚、官憲の意識も全く変わっていないことは、在特が減り、強制収容が激増していることだけから見ても明らかである。無論、今作は、更に深い所から作品を創っているし政治的な作品でもない。だが、日本人は、在日外国人、殊にアメリカ人に対するあからさまな諂いと欧州人に対する寛容に比し、アジア、アフリカ、中南米の人々に対する日本国の制度的差別については意識的であるべきである。何故なら、国の判断、政策に現れるのは、我々個々人のエートスであると考えられるからであり、我々個々人が、己のレゾンデートルや矜持、過去から引きずって来た諸々への忖度の無い評価、事実に向き合う姿勢を自ら問い続ける姿勢無しに自らの納得し得るに足る人生など築き得ないし、他者とのフェアな付き合いもできないからである。
話が逸れた。今作は、基本的に愛の物語である。それも母の強く深い愛についての物語だ。実際、愛し方を知らなかったり、愛されたことが無い、と人生は狂ってしまう。例え貧しくても信じられる愛があれば、餓死に至るような貧しさの中にあっても、人は、人として死ぬことが可能であろう。然しながら、どんなに強大な権力を持ち、豊かな富に恵まれても、信じることのできぬ「愛」しか持てなければ、その人の内実が果たして人のそれであることは極めて難しい。
自分は、極めて気の強い性格なので、本当に怒ると自制が効かない。命など構っていられないから、極端なことをしてしまう。だからヨナンの行為も自分に重ねながら見ることができた。彼女の勤めていたスナックのママの科白に「明るく振る舞って、皆に気付かれないように昭人さんを殺す決意が揺るがないように研ぎ澄ましていた」というようなものがあった。この科白は胸を撃つ。だからと言って殺人を正当化することは出来ない。それは無論だが、勝が指摘する通り、母は愛しすぎたのだ! この強い愛があったればこそ、勝は、人として真っ当な道を歩いているとは言えないだろうか。これが、今作が、単なる悲劇ではなく、観る者をカタルシスに導いてくれる所以である。
ひとりぼっちのリチャード

ひとりぼっちのリチャード

ぼっち企画

サブテレニアン(東京都)

2019/02/02 (土) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

 地力あり。

ネタバレBOX

 シェイクスピアの「リチャード三世」を1時間強の作品として脚色した作品だが、シェイクスピアの特質をキチンと活かし本質を捉えた良い脚本に仕上げている小真瀬 結さんと同時に、何とこの作品を1人芝居として演じた若い役者の加藤 広祐くんの地力を感じさせる演技が良い。今作、シェイクスピア作品の中でも自分が最も好きな作品の一つだったということもあり、それなりに様々な舞台を拝見しているのだが、ゲル貧のままで、良く今作の本質を顕わし内容の濃い作品に仕上げていることに感心すると同時に、スタッフ・制作さんらの丁寧な対応にも好感を持った。しっかりと自分と世界を見つめ、世界と向き合って、考え、更に成長して欲しい。
PARTY PEOPLE

PARTY PEOPLE

艶∞ポリス

駅前劇場(東京都)

2019/01/31 (木) ~ 2019/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★

 アメリカの植民地であることを止めるだけで、日本人はずっとリッチになるんだけどにゃ~。ふあ~にゃ!!

ネタバレBOX

 昨今の歪な資本主義の形を反映したかのような大金持ちと貧乏人を対比したような作品であるが、ちょっとした金持ちなら、庭にプールくらいあって当たり前、大金持ちであれば自家用ジェットも当たり前は世界の常識だ。だからここで描かれているのは、あくまで日本の金持ちである。その証拠にお手伝いさんが登場しない。ロマネコンティーは出てきてもデカンタージュしない。ドンペリも登場しなかった。但し金持ちの話も入っているから、彼らの深刻な願い「ワクワクしたい」とか子の出来ないことの悩みの深さ等はキチンと表されていたが、このクラスの金持ちであれば、もっと反社会的な遊びも無論やっているのが世の中である。何故なら、資本主義社会で金を持っていることは即ち力を持っていることと同義であるから、有り余る金を持ってしまった者の生活実感は退屈でしかあり得ないからである。だから彼らは賭けるのだ。無論、究極の賭けは己の命を賭けることだが、それに近い刺激を求めざるを得ないのが彼らの宿命である。その辺り迄描く視座を持った上でのおチャラケであったら、更に辛辣な面白さが創れたであろう。
desnudo Vol.16「牛女」

desnudo Vol.16「牛女」

ARTE Y SOLERA 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団

MUSICASA(東京都)

2019/01/30 (水) ~ 2019/02/01 (金)公演終了

満足度★★★★★

 フラメンコと言えば日本人が最初に想像するのはヒターノであろう。迸る情熱と哀愁を帯びたメロディー、緩急を基調に凄まじい迄のタップに激しくかき鳴らされるギター。踊りが演じられるのは場末の安酒場とくれば、もう映画そのものという感じがする。(ブラボー!)

ネタバレBOX


 然しながら今回演じられたのは、フラメンコはフラメンコでも、童話作家・小川 未明の作「牛女」とのコラボだ。用いられている楽器は、ピアノ、チェロ、尺八、ギター、パルマ。ピアノ奏者は歌も歌えば作曲もする。フラメンコ自体非情にレベルの高いものだが、朗読、楽器演奏や歌唱とのコラボを含め全体のアンサンブルが素晴らしい。ダンサーたちの身体訓練もキチンとしていることは明らかだ。お年を召したダンサーもいらっしゃるが、踊りの要である足腰の鍛錬によって可能な限り姿勢も制御している。ヒターノの狂熱的なダンスではないが、身体の基本を良く知り、極めて合理的に制御している技術とそれらを可能にしている基礎鍛錬が素晴らしいと同時に衣装にも気配りが効いてダンスを盛り上げている。無論、基本はタップなのであるが、物語りの内容に応じて緩急のみならず、強弱から無音に至る総ての階梯を実に納得のゆく演技で表現している。
 牛女が亡くなる辺りから、息子を思って何としても亡き後も見守ってやりたいとの切なる念の表現も母の有難さをひしひしと感じさせる。キュートでありながら、深く包み込んでくれるような温かな愛の表現である。牛女役でソロを演じる鍵田 真由美さんのお顔が菩薩顔ということもあって理想の母像としても拝見した。
 母を亡くした後、南に行って成功し、故郷に錦を飾った息子は広い土地を買い林檎園を経営し始めるが、大地に感謝するシーンがあって、農民の本質を良く理解していることもうかがえる。
 最前列桟敷席で拝見したので、腰の悪い自分は腰の痛みに耐えられるかも不安だったのだが、終演後、スタンディングオペレーションをする人が何人もいたが、それも充分頷ける内容であった。
迷路みたい

迷路みたい

青色遊船まもなく出航

王子小劇場(東京都)

2019/01/31 (木) ~ 2019/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★

 哲学的には未だ未完成というかトバ口に立ったという所だが、一所懸命創っていること、この時代のからくりを未だ充分に見切れないまま悩む多くの人々の視座に寄り添うように自らも格闘している点、裏方スタッフも一丸となって感じの良い空間を作り上げている点など好感を持った。旗揚げ公演ということだが、今後も頑張って欲しい。(後記追送)

プライムナンバーセブン

プライムナンバーセブン

teamDugØut

d-倉庫(東京都)

2019/01/23 (水) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★

 う~~む。発想は面白いのだが。

ネタバレBOX


 世界を破滅させるに至る動機に弟へのコンプレックスがある訳だが、弟が如何に勝っているかについて具体的な記述が脚本レベルで為されていないのが、決定的な弱さだ。素数やリーマン予想といった数学の大問題を絡めて話が展開するのだが、この難問を解いた暁には世界の初源が解けると解釈しその裏つまり消滅も操れるとしてその研究に没頭するキャラクターを中心に描かれる作品なので興味深くはあるのだが、この研究に没頭する動機づけにリアリティーが欠ける点で、総てが口先だけの悪い意味で軽い作品になってしまった。
残念である。

本能寺夢絵巻 慚愧伝

本能寺夢絵巻 慚愧伝

夢劇

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2019/01/25 (金) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★

 多くの謎を孕む本能寺の変。面白い解釈だ。(追記後送)

ネタバレBOX

 初日ということもあってか序盤ちょっとチグハグな点が多々あった。また信長の側室が、内股で歩いていない演技も気になった。蝮と言われた道三の娘とはいえ、大名の姫ともあろう者があんな歩き方をする訳が無い。演出はもっとキチンとダメ出しをすべきである。
 さて、「敵は本能寺にあり」を作家がどう解釈して見せたかについては、あかさない方がよろしかろう。観てのお楽しみだ。ヒントを出しておけば、戦国史上最もインテリだったと言われる光秀が、果たしてあのような非合理を選んだのか? であろうか。
こちらなかまがり署特捜一係3

こちらなかまがり署特捜一係3

劇団カンタービレ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2019/01/23 (水) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★

 10周年おめでとうございます。

ネタバレBOX

 この小屋の通常の使い方である。即ち下手の花道に当たる場所を別の小空間として用いる。場面は主として2カ所、なかまがり署及び山奥に1軒だけ残っている因縁の家。この場転が短時間で行われるが手腕が見事である。
 一応、事件もの即ち推理も入るので余り詳細なことには立ち入らないが、10周年ということで力が入り過ぎたかお茶らけのキャラが立ち過ぎた感を持った。
蒼天~そうてん~

蒼天~そうてん~

劇団黒胡椒

上野ストアハウス(東京都)

2019/01/24 (木) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★

 身体表現と我らが生きることの関係なんちって。(華4つ☆)

ネタバレBOX

 役者陣が相当の鍛錬を積んで身体表現に挑んでいる姿勢がグー。このような努力があるから、たのは、殺陣に単なる流麗や巧を超えた意味が付与されているのだ。その意味とは、天帝、天一によって創られた命の持つ“業”である。ここに登場する総ての命が、己が生きる為に飲み食いをしなければならない。それは他の命を喰らう所業だ。我々が日常生活の中で「頂きます」と言って食べるのは他の命なのである。そのことの内実を今作は、身体表現という形に昇華して表現しているのだ。
 無論、我々の持つ業は、他にも在る。それ故にこそ、吉原が出てくるのであろう。同時に法の裁きの網目からは抜け落ちるものの、更に性質の悪い悪を懲らしめる者として鬼が汚れ仕事を引き受けている。
 これらのカルマを描く以上、余りにベタベタし過ぎないように全体を纏めていると見た。出捌けを主に、観客席中央通路と、中央を奈落状にし奈落の周囲を奥の壁と奈落を構成するように段差状に組んだ構築物の上手側にしたのは、この奈落部分にエレキバンドが入って物語の進展に沿って実に効果的なオリジナルサウンドを響かせる為だ。同時に観客席側の出捌けによって劇空間をより観客に近づける意味合いもある。
 ところで、天帝達と被造物たる鬼や人間との関係はギリシャ神話に登場する神々程多くなく、神と被造物との関係に喜劇的要素が少ない点に観客の心を捉える仕掛けが弱いように思う。例えば神がもう1人居て、神同士の浮気問題が発生したりしていると、彼らが世界を創造しては失敗していることの必然性が物語の必然性として納得し易いとは思うわけだ。こうすれば、天帝がゲームだと言い張ろうが実際に創ったものを滅ぼすことも可能であろうが、演劇的には更に面白く、不条理だが、失敗そのものが必然となるような我々の現実の生の在り様の面白さにも通じて来よう。
「幸福の黄色い放課後」

「幸福の黄色い放課後」

オフィス上の空

萬劇場(東京都)

2019/01/23 (水) ~ 2019/01/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 Castは3-A,3-Bがあるが、前者を拝見。(追記後送 必見)

ネタバレBOX


 状況設定が実に上手い。舞台は、板上に60㎝程の高さのほぼ正方形の大きな平台を設え、その上に真ん中に若干距離をとってパイプ椅子を十数脚づつ、背凭れを観客側に向けて置いただけで、奥には黒板も何も無い。在ると言えばあると言えそうな文様らしきものの入った壁が正面奥にデンと広がっている。この無機的な感覚が堪らない。無論、観客側には、役者達の後ろ姿が見え、シーンを演じている役者だけが、正面を見せたり側面・背面を見せて動き、喋る訳だ。通常の見せ方とは真逆の方法が採られているのが、先ず興味を惹きつける仕掛けになっている。観客は椅子の向きを見ただけで、演出家の力量を評価できる仕掛けである。シーンの転換は授業チャイムで知らされる。チームを分ける時も如何にも現実の高校のクラス名のような3-A、3-B。サブタイトルの中で“東京の演劇ガ、アル。”と宣言して見せる所等も興味深い。何れにせよナマジッカでは無いセンスの良さと自負を感じるのだが、それが決して嫌味に映らないのは、ステレオタイプに矮小化することで最も重大なことを恰も何でもないことにしようと躍起になっている日本を代表するアホ為政者やその取り巻きの偽善者、悪辣極まる公僕犯罪者たる高級官僚共の嘘と隠蔽及びプロパガンダを揶揄しているからであろうか。
はこづめ

はこづめ

ハコボレ

王子小劇場(東京都)

2019/01/12 (土) ~ 2019/01/14 (月)公演終了

満足度★★★★★

 大坂、ミナミで活動を始めた20代のメンバー達の東京初公演だ。演技、演出、エネルギー何れもグー。追記にゃのだ!

ネタバレBOX

舞台は板手前中程にステップが置かれているので客席側から役者が登場するシーンがあるのが予測できる。これが用いられるのはオープニング。狂言回しがこのステップに足を掛け、後ろ半身で観客にシチュエイションを説明しながら物語が立ち上がってゆくのだが、板上下手には、一段高くなった所にパーカッション中央はフラットにして上手は衝立にカーテンが付いていて開閉できるようになっている。ここは、未来のある時点、地球を捨てた人類は月や火星をベースに様々な星に特化されたジャンルの人々を住まわせ、そこで生産やら文化・研究活動などを行うようになっていたが、物語の星は鉄屑の星。怖い金色の雨が降る星だ。雨には強い酸が含まれる為、当たれば金属は溶け、肉体は焼けて凄まじいことになる。各惑星には、ヒエラルキーがあり、上層部は、火星や月などに住み、噂によると格下の星を破壊するゲームをして楽しむなんてこともしているらしい。
 さて、この鉄屑の星に不時着などの結果集まった3人は、自作の楽器で為政者たちへの反逆と己の生きる意味を勝ち取ろうとするが・・・。
 この過程と結末までを反逆の音楽たるロックとアナーキーな生き様で示す快作。好きだなあこういう作品!
 で何で自分がこういう作品が好きか というと先ずアナーキーだからであり、自己主張の果ての責任の取り方がピュアであり同時にフェアであるからだ。大衆を牛耳る為政者共には到底真似のできない高い倫理がここにある。時々、相当のインテリが国家の無無謬性だとか強さについて御託を並べるのを聞くことがあって、元々不良少年上がりの自分等はホントに驚いてしまうのだ。権力に媚びる連中だけが上層に上がってゆくのが世の中なのに、小学生にすら分かり切ったこのような人間の習性が、相当のインテリとされてそのような地位に就き、社会的にも高い評価を受けてきた連中が、その人生の秋を迎えて未だこのような世迷いごとを抜かせることに呆れ返るのである。今作にはこのような瞞着やペテンが無い。或るのは唯これからこの国の若者に圧し掛かってくることが確実な希望の無い未来の地獄である。
 ちょっと周りを振り返って冷静に日本社会を分析してみるがいい。日本という国家は、弱者の苦悩等何とも思っていないどころか、ディベート能力も己で考える力も倫理観もイマジネーションやまともな歴史認識も無く、唯強い者に媚び諂う事しかできぬ下司であることすら自省できない下司が、この「国」を牛耳り、このような下司に輪を掛けたような非人間が己らの利益の為だけに国を語り利用して愚衆を動かしているのだが、その原因は革命を産むのが実はイデオロギーなどでは無く技術革新だということにすら気付かず、優秀な技術者達を海外に流出させた日本企業の経営陣であった。その結果、国内産業は必要な技術革新の齎す特許など金のなる木を海外に奪われ、おこぼれだけを頂戴するハメに陥って、現在世界に対して優位を保ちつつ売れる産品が無くなってしまった。これに対し重厚長大、物作り神話に凝り固まり、守られた産業界及び日経などのアホメディアは、憲法を改悪し世界に軍を出して破壊と殺戮の実績を上げようと憲法改悪を狙っている訳だろう。技術革新の恩恵を被れなかった企業は、それが一時コングロマリット企業と謂われたような企業であっても凋落は必定であるから、リストラなどによって経営合理化を図る。一方、根本的技術開発に投資する余裕や発想もなく唯、革新に成功した企業の下請けとして命脈を保つ他がないから、雇うのは正社員ではなくパートや派遣の安い労働力である。こんな具合でほんの暫くの間に社会中間層は消滅の憂き目に遭い、その多くは下層労働者へ転落して来、行くのである。これが、バブル崩壊以降のジャパンだ。更に悪いことに安倍晋三のような国賊がアメリカに日本の最後の砦を明け渡してしまった。無論、アメリカだけではなく、ロシアにも、今中国にも売り渡そうとしているのかも知れぬ。各々方、気をつけられよ! 
 自分が今作を好むのは、追記で記したこのようなことに今作は異議を唱えているからなのだ!
昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~Vol.10

昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~Vol.10

昭和歌謡コメディ事務局

ブディストホール(東京都)

2019/01/11 (金) ~ 2019/01/14 (月)公演終了

満足度★★★★

 ハンダラは、先ずこの劇団、裏方さんにお詫びをしなければならない。というのも
よんどころない事情はあったにせよ、序破急のうち拝見できたのは急の部分だけだからである。それでも受付にいらした女性は嫌な顔一つせずフライヤーなどを揃えて下さり、扉の内側のスタッフに繋いで下さった。内部の方も気の利いた方で、観易く而も遅れて入った自分が心理的負担をあまり感じない、他の方々にも迷惑は最小限で済む 席へスムースに案内して下さった。終演後も声を掛けて頂き、受付して下さった女性にもお礼を述べることができた。このような心遣いは流石である。

ネタバレBOX

 既に爺になった自分には、懐かしくスーッと入ってゆける曲目なので楽しめた。一方、乗り切れないのは、無論自分が齢を重ね、用心深くなったせいである。演者のせいではない。ただ、日本の哀れな現況とこの先どのようになるかの大方の予想を現行の趨勢からみると、矢張り笑ってばかりは居られないというのが、素直な感想である。結果、楽しく、人々への細やかな思いやりも満点をつけたいが。という自分の天邪鬼意識は出てしまった。だが、自分の中にこれさえなければ。楽しく有難い舞台である。
超人類

超人類

BACK ATTACKERS

テアトルBONBON(東京都)

2019/01/08 (火) ~ 2019/01/13 (日)公演終了

満足度★★★★


 大坂の通天閣地下には、超能力者を集めた秘密組織があるらしい。(追記2019.1.19)

ネタバレBOX

そんな都市伝説の真偽を確かめようと東京からやってきたのは超常現象を扱っている雑誌の記者とカメラマン。記者はフリーランスで世界中を飛び回って来たようである。偶々日本に居たということで今回の特集に参加したのだろう。新世界へやって来たものの、当てが有る訳ではない。そこで大阪名物のたこ焼き屋に入って情報収集から始めている。運よく入ったたこ焼き屋のおばちゃん・タマヨは、この謎の企業に出前をしたりしており、この界隈では情報通として知られた人物であった。 
 タマヨと仲良くなった2人は、彼女の手助けを受けつつ、企業中枢に上手く入り込むことができるようになった。通天閣地下には、実際に今や世界にその存在を知らしめるような企業が入り超人類とも言えるエスパーを集めて娯楽の世界で新風を巻き起こしていた。用いられているのは、世界最速レベルを誇るスパコン、そして数々の異能を誇るエスパーたち、そして彼らの作ったエンターテインメント作品を具現化し発信してゆくマスコットキャラクターの少女・ナミ。彼女のライブや情報発信に対するアクセスはウナギノボリに延び終には世界1ということになるが、この会社のエンジェルとなって莫大な開発費用を出資し、上がりに対してコミッションを要求してくる神は、このナミを譲るよう脅迫してきた。通天閣地下にある企業の名は「バビロン」。聖書に現れるバビロンの塔のバビロンである。対するは、神を名乗る者だ。戦いの火種は撒かれた。而も神は、既に刺客を送り込んでいたのだ。その刺客は新しいエスパーとして採用されたエビス。彼の能力は、相手の精神をコントロールすることだ。その術中に嵌ったヒノは、ナミのアクセス権を無効化遂にはデリートされる所迄追い込む。その後、彼自身がデリートの憂き目に遭う。この内部からの崩壊工作に対してサポートを受け持つサノオも、昼の間予知によって様々な困難を乗り越えてきたアマテラ、夜の担当クヨミの予知も、神によって作り変えられていた旧ヒルコ(即ち現エビス)を阻むことはできず、神の矛によってバベルは崩壊するが、再起を目指しナミを復活させたバベルサイドの各エスパーと社長イナギ、秘書カガミら、抗う者らの魂が滅んだ訳ではない。
 ところで、この主従関係、現実の鏡に映すとどう解釈できるだろう? 自分は、デュアリズムで押しまくり、現在の帝国を作ったアメリカとその植民地である日本を思い浮かべていた。圧倒的な力の差によってしかデュアルな世界で覇権を握ることはできない。これを解釈すれば、神とは力の別名である。そして少なくとも近現代に於いて神はまさしく力そのものであった。そしてそれに対抗するのは自由を求めるまつろわぬ精神を持つ人々であった。因みに今作、神サイドは基本的に更に進んだ技術力と富を具えた存在であり、対するまつろわぬ者らは神を名乗る者よりは遅れ、経済的規模も小さい者らである。神サイドが反逆者らの文化的レベルを取り込み自由に用いているのに対して反抗する側に此処までの裁量が無いことを見ると優劣は明らかであるが、まつろわぬ根拠そのものが、創世神話に根差しただけのものであることは矢張り必敗の歴史を刻むしかないことを示唆しては居よう。而も、彼らがまつろわぬ者である根拠には、神世界同様の論拠が根付いているのであるから、まつろわぬ者ら自身が己の中に矛盾を抱え込んでいることになる。この点を解消した上で独自の原理を定め発展し得ない限り彼らに勝ちは無い。

ふむふむ、1回目ね。

ふむふむ、1回目ね。

劇団ふむふむ

スタジオ空洞(東京都)

2019/01/08 (火) ~ 2019/01/09 (水)公演終了

満足度★★★★★

 30分の作品3本のオムニバス公演だ。聞くところによると大学2年生、演劇部のメンバーだとのこと。では、このタイトルも悩んだ末に出てきた物なのかもしれない。

ネタバレBOX

3部構成のうち奇数回がシリアスもの、2回目の作品が喜劇である。だが、喜劇は、通常のplayより数段難しい。その本質に於いて箍を外さなければならないからだ。箍を外す為には俯瞰しなければならない。然し、若者(現役の年長で20歳、早生まれなら19歳も居る)は通常この年齢で俯瞰できるほどの人生経験を積んでいない。それもあって、小道具やパロディーにかなり比重を掛ける作品になった。尤もサンドイッチの具に喜劇を入れる構成自体は成功している。1話は、天才アーティストの素質を持った少年と器用ではあるが、職人的才能の持ち主である少年の角逐は必然的に天才に軍配が上がる。それを当然の予測として持っていた女教師つまり理解者兼傍の者の傷ついた職人への贖罪と、ここに至って漸く他人を傷つけたことに気付かざるを得なかった天才の負わねばならぬ地獄という宿命を見事に対比しつつ、互いに人間としての道を踏み外さぬ展開にした脚本も、3人の演技(キャラの描き方、間の取り方、呼吸の整え方)もグー。3作目は、為政者の嘘が極端になる戦時下の子供たちへの教育(洗脳)が前提とされる社会で、水先案内人を務める男は、多くの経験から世の中の真の姿を知り、自らが案内する「世界」が多くのフェイクに傅かれ先導されつつあることも知っている。而も魂を未だ失っていない彼は内心このことで悩んで来たのだが、今回案内した若者は、真偽を見分ける能力を持ち、自らも案内人になることを志願する。何故なら多くのフェイクの中にも宙のような真が或ることを理解し、若者自身もそれを更に若い世代に伝えることに希望を見出し得たからである。実際、お先真っ暗な現代日本にこのように強く爽やかで逞しい精神を持った若者が居てくれることを嬉しく思う。
 この劇団の今後に期待したい。
女中たち

女中たち

風姿花伝プロデュース

シアター風姿花伝(東京都)

2018/12/09 (日) ~ 2018/12/26 (水)公演終了

満足度★★★★

 謂わずと知れたジャン・ジュネ作品だ。

ネタバレBOX

然し、今作女優、殊に女中役の2人にとっては、極めて役作りが難しい筈だ。何故か? 知れたこと。自壊するキャラクターだからだ。拝見した今作から受けた第1印象は、ジュネ自身の体験に基づき犯罪者の心理描写がリアルに描き込まれていることだ。従って主役は無論、奥さまではない。奥さまごっこをしている女中姉妹である。無論、姉を演じても妹を演じても同じように難しい。先に挙げた通り通常の演じ方では表現できないからである。では通常の演じ方とはどのような演じ方で、今作は自壊するキャラを演じなければならないと何故難しいのか? 何故なら普通役者は役作りをすることで演劇世界の住人になるのだが、今作では、役を作ると同時に壊れなければならないからである。何となればジュネの描いた世界とは“実存の顫え”そのものであり、その本質を理解したからこそ、サルトルは彼を高く評価したのであろうから。実際サルトルは、その拠ってくる“ところ”の怖ろしさを良く知っていた。ハイデガーが書き、サルトルは表現せずに済んだ実存の地獄を。
不遜ながら、今作の演出はその辺りのことを理解しているとは思わない。ハイデガーのdas seinの意味する所を恐らく読み込めていないのだ。現実存在の地平という場で己の実体を普遍化した時に感じる、管の如き強固な壁に生爪を引っ掻けながら否応なくずり落ちてゆく在り様そのものの齎す不安と居心地悪さを。無論、救い等何処にも無い。神は疾うの昔に死んでしまったし、恩寵等幻影でしか無いことを当事者たる本人が最も深く自覚している。その明澄性の地獄で明晰極まる意識によって己自身を生きたまま仮借なきメスを用いて腑分けする作業、それこそが実存なのである。サルトルがジュネを高く評価したのは、これが原因であると自分は考える。ジュネは己が犯罪者であることによって物(即ち物的証拠)や時間(アリバイ)そしてこれら素材のみから組み立てられ、演繹・帰納される関係性総てを己のついた嘘に対して考究することを迫られた。そのことが原因で彼はサルトルやハイデガーが体験した存在そのものが持たざるを得ない曖昧や不安に直面しているのだ。ここで描かれた女中はその意味でジュネその人である。だが、彼は発狂しなかった。発狂せずに済んだのは、自問の形式が二者の対立をその基礎とし弁証法的展開を可能とする形式をその思考形態の内に含んでいた為だ。自分はそのように考える。演出家も或いはこの程度のことは考えていたのかも知れないが、当パンを拝見しただけでは発見できなかった。この程度のことすら考え及ばなかったとすれば、もっと想像力と知力を磨いて欲しいものである。
 その点、美術は気に入った。大きな零形の額縁は、天井に繋がる部分、床に付いている部分を支点に回転可能で、額縁は金色である。上部には、丁度神社の太鼓に描かれているような勾玉の形のマジックミラーか何かが嵌め込んであり、演技している女優達の表情が映り込むと同時に、向こう側が透けて見えるのだ。この大道具が、かなり実存の本質を形象化している。お洒落な電話の受話器、不必要に飾られ部屋のほぼ全四周を取り囲むように飾られた生け花、豪華な奥様の衣装や、小物入れ、そして様々な小物(宝石類、鍵、台所にあるハズの目覚まし時計等々)そして数々の嘘と奥様に対する殺人未遂、これら総てが、ご主人の釈放を契機に女中たち2人に逃げ道の完全封鎖を告げる。女中2人が姉妹という設定になっているのも、ジュネの内部での心と魂との葛藤を描く手法として適当な選択だし、演劇術の要求する対立を表現する為の形式そのものを代弁していると言えよう。
 ところで、以上のことだけで女中たちが味わう絶望を説明できようか? 否、説明できない。姉妹たちの悪巧みが悉く失敗し、その原因が奥さまの育った環境や彼女の持つ道徳的な美徳に因っていること、そして女中姉妹にはどんなに努力しようが、運命に抗おうが、決して奥さまのように自由闊達で温かい人間性には到達し得ないという認識にあることをも見て取らねばなるまい。
TROUBLE BOX

TROUBLE BOX

チャピロック

BASEMENT MONSTAR王子(東京都)

2018/12/21 (金) ~ 2018/12/25 (火)公演終了

満足度★★★

 この劇で中核を為すのはDV被害者の復讐譚である。

ネタバレBOX

であれば、何故マッポを巻き込むのか? これが拝見して先ず思うことである。シナリオは、幾度もの反転に近い展開を見せそれなりに盛り上がる面白いものであるが、アクションで自分が合格点を出せたのは1人、知念の兄を演じた役者さんだけだ。彼の年齢も勘案してその基本的な身体能力の高さと可也現役時代より増えた体重で尚これだけのパフォーマンスを見せてくれる鍛錬と能力に敬意を表するのである。
 然しながら、全体でみるとこのシナリオを十全に表現しているとは思えなかったのも事実。役者個々の力量に差があり、仲には重要な科白が聞き取れない役者が何人もいたし、それは重要な役を演じていた役者の中にもハッキリ言って基礎訓練ができていない者が混じっているということである。楽も直ぐだというのに、若い役者が噛んでいるのは、演出家の責任だろう。客をナメチャいけませんぞ! そして、肝心のシナリオ自体が、甘い。子供時代にこれ程の虐待を受け、復讐するのであれば、簡単に殺してはなるまい。この世のありとあらゆる辛酸を味わわせてからゆっくり殺すべきである。真に鬼畜の心肝を寒からしめる為には、それが必要であると覚悟したからこその殺害であるなら、其処までキチンと匂わせる作品に仕立て上げて欲しかった。それでこそ、小劇場演劇ではないのだろうか? この程度の表現でtroubleの詰まったboxというのは如何なものか!? 興業的に成功させなければならない事情は理解できるが、何公演回に1回はそういう毒っ気の強い作品上演を期待したい。

円盤屋ジョニー

円盤屋ジョニー

ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン

上野ストアハウス(東京都)

2018/12/19 (水) ~ 2018/12/25 (火)公演終了

満足度★★★★★

 流石に多くの観客を動員することが出来るだけのことはある。(追記2018.12.26 8;55)

ネタバレBOX

 Zigzigの公演は2時間の1本ものと30分程の短編3本を隔年で上演する形態できた。今年は短編3本の年。上演順にタイトルを上げておくと1:晩秋に吠えろ2:円盤屋ジョニー3:父を叩くである。何れも全くテイストの異なる作品だ。
 1は、地方のテニスクラブで巻き起こる女子メンバーへの男子メンバーからのコクリや浮気騒動等。老いた男(戸塚さん)が若い弁当屋で働く娘にコクリ、彼女がまた店にお出で下さいと返す言葉に温かさを観、好む観客も多かろう。2話は若いカップルが出掛けた南のリゾート地は、観光客をカモにしようと虎視眈々と狙う悪党共の巣窟だった話。行方不明になった彼女(ナツキ)の姿を探す彼(イシカワ)は、怪しいバーに案内されるが、そこは島のギャング(檸檬屋)がマスター(ワタナベ)の借金(バカラで大損)の形に取り上げようとしている店でもあり、ボス(ネモト)のバシタ(アヤカ)は、マスターの色だった女だったが彼女も借金の形に取られていた。そこでワタナベは、ネモトをネモトの舎弟ツノと組んで殺し、アヤカとよりを戻すことを狙っていた。そんな中虫取り屋ホセに騙され檸檬屋の事務所に監禁されたものの一度は逃げ出したナツキが連れてこられ、イシカワがぼったくられた代金の支払いを求められるのだが、彼女は風俗嬢として働くことを肯じ、ギャングに脅されると唯々諾々と聞き入れる弱い彼氏をさっさと捨てて自分だけ助かろうとする姿が露骨に描かれて居て小気味よい。悪の何たるかを相当リアルに表現していると同時に、ネモト役は、良く威圧感を表現していたし、最後に生き残ったツノが新たなボス宣言をするシーンもグー。自分は最も気に入った作品。3父の容体を慮って役者をやっている弟(守)が久しブリの帰宅を果たすが、父(政男)の余命は1カ月、明日が初日。数十分の滞在で日帰りをし、場当たりをしなければならない状況であったが、大学卒業後自分が本当にやりたかったことも諦め家業を継いでいる兄(忠)、兄嫁(さつき)のかいがいしい而も常識的にはあり得ないような父の性的欲求に応える姿を観、弟の心が揺れ動くさまを、小劇場演劇に携わる役者たち総ての抱える本質的問題(親の死に目に会えない、一人前の社会人として食っていけないなど)として提示してみせた。ラストの父の科白「肩叩かせてやろうか」が心憎いまでに利いている。

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