蒼天~そうてん~ 公演情報 劇団黒胡椒「蒼天~そうてん~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

     身体表現と我らが生きることの関係なんちって。(華4つ☆)

    ネタバレBOX

     役者陣が相当の鍛錬を積んで身体表現に挑んでいる姿勢がグー。このような努力があるから、たのは、殺陣に単なる流麗や巧を超えた意味が付与されているのだ。その意味とは、天帝、天一によって創られた命の持つ“業”である。ここに登場する総ての命が、己が生きる為に飲み食いをしなければならない。それは他の命を喰らう所業だ。我々が日常生活の中で「頂きます」と言って食べるのは他の命なのである。そのことの内実を今作は、身体表現という形に昇華して表現しているのだ。
     無論、我々の持つ業は、他にも在る。それ故にこそ、吉原が出てくるのであろう。同時に法の裁きの網目からは抜け落ちるものの、更に性質の悪い悪を懲らしめる者として鬼が汚れ仕事を引き受けている。
     これらのカルマを描く以上、余りにベタベタし過ぎないように全体を纏めていると見た。出捌けを主に、観客席中央通路と、中央を奈落状にし奈落の周囲を奥の壁と奈落を構成するように段差状に組んだ構築物の上手側にしたのは、この奈落部分にエレキバンドが入って物語の進展に沿って実に効果的なオリジナルサウンドを響かせる為だ。同時に観客席側の出捌けによって劇空間をより観客に近づける意味合いもある。
     ところで、天帝達と被造物たる鬼や人間との関係はギリシャ神話に登場する神々程多くなく、神と被造物との関係に喜劇的要素が少ない点に観客の心を捉える仕掛けが弱いように思う。例えば神がもう1人居て、神同士の浮気問題が発生したりしていると、彼らが世界を創造しては失敗していることの必然性が物語の必然性として納得し易いとは思うわけだ。こうすれば、天帝がゲームだと言い張ろうが実際に創ったものを滅ぼすことも可能であろうが、演劇的には更に面白く、不条理だが、失敗そのものが必然となるような我々の現実の生の在り様の面白さにも通じて来よう。

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    2019/01/25 12:34

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