この海のそばに 公演情報 えにし「この海のそばに」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     板上、レイアウトがちょっと変わっている。舞台側壁と奥の壁の内側三方を通路幅をとった上でパネルで塞ぎ、数カ所にドアを取り付けて、場面変換をするのだ。ドアも用いられる箱馬も下部に波打ち際で崩れる波のような文様が描かれているのは、無論、海、故郷、母へのオマージュであると共に、生んでくれてありがとうだろう。(華5つ☆)

    ネタバレBOX

     身に積まされる作品である。自分には、2歳の時の痛烈な記憶がある。主人公のような国籍の深刻な門題を抱えていた訳ではない。然し親に置き去りにされた子供という点では同じである。何故、一緒に死んでくれなかったのか? と良く自問したことも覚えている。最初は「嘘つきは泥棒の始まり」といつも口にしていた父の、行為の矛盾に対する反発から。後現在のように言語化し得るまでに思い返し思い返ししているうち、何らかの理由が親にあったとしてという事に気付いてからではあったが。何れにせよ、人間を信じないことの最初に親への不信があった。
    置き去りにされた年齢差では主人公、勝の方が自分より年上だが、入管法が小手先で「改善」されたとはいえ、旧植民地出身者に対する日本人の差別意識が変わった訳でもなければ、政治屋、官僚、官憲の意識も全く変わっていないことは、在特が減り、強制収容が激増していることだけから見ても明らかである。無論、今作は、更に深い所から作品を創っているし政治的な作品でもない。だが、日本人は、在日外国人、殊にアメリカ人に対するあからさまな諂いと欧州人に対する寛容に比し、アジア、アフリカ、中南米の人々に対する日本国の制度的差別については意識的であるべきである。何故なら、国の判断、政策に現れるのは、我々個々人のエートスであると考えられるからであり、我々個々人が、己のレゾンデートルや矜持、過去から引きずって来た諸々への忖度の無い評価、事実に向き合う姿勢を自ら問い続ける姿勢無しに自らの納得し得るに足る人生など築き得ないし、他者とのフェアな付き合いもできないからである。
    話が逸れた。今作は、基本的に愛の物語である。それも母の強く深い愛についての物語だ。実際、愛し方を知らなかったり、愛されたことが無い、と人生は狂ってしまう。例え貧しくても信じられる愛があれば、餓死に至るような貧しさの中にあっても、人は、人として死ぬことが可能であろう。然しながら、どんなに強大な権力を持ち、豊かな富に恵まれても、信じることのできぬ「愛」しか持てなければ、その人の内実が果たして人のそれであることは極めて難しい。
    自分は、極めて気の強い性格なので、本当に怒ると自制が効かない。命など構っていられないから、極端なことをしてしまう。だからヨナンの行為も自分に重ねながら見ることができた。彼女の勤めていたスナックのママの科白に「明るく振る舞って、皆に気付かれないように昭人さんを殺す決意が揺るがないように研ぎ澄ましていた」というようなものがあった。この科白は胸を撃つ。だからと言って殺人を正当化することは出来ない。それは無論だが、勝が指摘する通り、母は愛しすぎたのだ! この強い愛があったればこそ、勝は、人として真っ当な道を歩いているとは言えないだろうか。これが、今作が、単なる悲劇ではなく、観る者をカタルシスに導いてくれる所以である。

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    2019/02/06 17:02

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