ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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平成31年東京の旅

平成31年東京の旅

劇団星乃企画

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2019/02/25 (月) ~ 2019/03/04 (月)公演終了

満足度★★★★

Eを拝見。(追記後送)

ネタバレBOX

 女の恋の在り様は、その存在の本質に同期しているが、男のそれは、非在に対応する。即ち女が存在を根拠に物を考え、発言するのに対し、男は本質的存在というよりは一種の鉄砲玉として存在するのみであり、その存在の比重が女性に比べてはるかに低いのだ。それは、チョウチンアンコウの♀、♂を比較してみれば歴然としている。
 即ち女の恋愛には、存在を根に持つ深く多様な広がりと具体性があるのに対し、男のそれには枝葉末節と華美な果実の空虚があるだけなのだ。だから男ははにかむのだが、全き存在を感じ得る女がそのような男の在り様を理解することは経験的には殆ど不可能である。
グラスに手を伸ばす

グラスに手を伸ばす

法政大学Ⅰ部演劇研究会

法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎地下1階多目的室1番(東京都)

2019/03/01 (金) ~ 2019/03/04 (月)公演終了

満足度★★★★

 劇場奥壁から通路の幅を取った上で衝立を設け中央に大きな楕円形のドア。(追記後送)

ネタバレBOX

平台の上には奥の衝立との間に出捌けの空間を上下手に取り、目隠しに煉瓦塀が中央方向に袖を為す。これに直交するように上下共に衝立が手前に延びている。平台手前の客席側下手にはカフェの看板よろしく、緑板に何やら書き込んであり、その奥には小振りの花壇。上手にはカフェ用テーブルと椅子2脚。上下共に手前に延びる衝立の外側は通路になっており、出捌けに用いられる。
 今作、大学が薬物乱用防止啓発の為にフォローをしている作品群の一環として上演される作品だということもあって、舞台美術もしっかり作り込まれている。
 物語は、正義感が強すぎて勤務時間中に煙草を吸った上司とぶつかった新任の郵便配達員ソラが、遂には危険で不穏極まりないと評判の街、リーガルシティに左遷されることとなった所から始まる。件の街では、殺人・盗み等が多発し噂では死神と仇名される人物が悪の元凶だという。更に時が無限ループしているらしい。
7ストーリーズ 7階でおきた7つの物語

7ストーリーズ 7階でおきた7つの物語

劇団Kalium

新井薬師 SPECIAL COLORS(東京都)

2019/03/01 (金) ~ 2019/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★

 カナダの劇作家、モーリス・パニッチの作品。ピープルシアターで上演された幾多のカナダ作品の訳でもお馴染み吉原 豊司さんの訳だ。(追記後送)

ネタバレBOX

 序盤、何やら不条理劇のような、何とも捉え所のない対話が続き、意味を捉え難いような印象で始まるが、丁度水彩画で薄い色を塗っては乾かしを繰り返して徐々に何が描かれているかが明らかになってゆくような具合に物語は、段々その輪郭を顕わにしてゆく。
月とララバイ

月とララバイ

バズサテライト!!

新宿スターフィールド(東京都)

2019/02/27 (水) ~ 2019/03/03 (日)公演終了

満足度★★★★

 腹違いの兄、妹。兄の母は殺人を犯した。痴情の縺れえ父を刺し殺した廉で服役。妹の母が2人を引き取り育てることになったが。(追記後送)

幸せな時間

幸せな時間

T1project

本多劇場(東京都)

2019/02/27 (水) ~ 2019/03/05 (火)公演終了

満足度★★★★★

 プレビュー公演を拝見。途中休憩10分を挟んで凡そ3時間のミュージカル。良くぞこれだけ歌の上手い出演者を集めた! 舞台美術も主人公の老年、即ち人生の秋を象徴するかのような随所に落ちた葉によって象徴化され、人生の労苦・辛酸も描かれて、単に甘い夢物語には終わらない。(追記後送)

平成31年東京の旅

平成31年東京の旅

劇団星乃企画

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2019/02/25 (月) ~ 2019/03/04 (月)公演終了

満足度★★★★

Cを拝見(追記後送)

ネタバレBOX


 今作では板ほぼ中央に木製ベンチが置かれているのみ。中高生の甘酸っぱい恋を羞恥心というベースに載せて展開する物語だ。
 1場:設定は高校の修学旅行、行く先は東京だ。TV局や映画撮影地に興味を持つマドンナ、ミズノに憧れるAは、告るつもりだったが恥ずかしくてどうしても言い出せず遂に最後の夜を迎えていた。理想を言えばひっそりとした夜、告りたかったが、既に遅い。翌日昼でも構わないと助っ人を頼むことにした、1人はミズノと中学の時から一緒だった鉄道マニアのB,もう1人が川柳好きで既にミズノと何度も話した実績を持つCだ。しかもCは策略を用いて明日の彼女の行動予定表をゲットしていた。この3人が彼女の行動予定表に合わせて移動し恰も偶然に出会ったかのように接触のチャンスを掴み、Aが告るチャンスを掴もうというのである。
 然しながら、世の中そうそう上手く行くものではない。手分けして彼女を探す3人のうちミズノに出会えたのは1人、而もミズノは彼を好ましく思っていた。そしてその彼はAではない。更にちょっと深読みするなら、川柳好きのCは、何故、Aに助っ人を頼まれる前にミズノの翌日の行動予定を入手していたのかという点でも楽しめる。
平成31年東京の旅

平成31年東京の旅

劇団星乃企画

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2019/02/25 (月) ~ 2019/03/04 (月)公演終了

満足度★★★★★

Dを拝見。各作品40分程。タイゼツべシミル!!(華5つ☆)追記2019.2.26

ネタバレBOX

 明治大学劇研はレベルの高いことを評価している劇団群なのだが、星乃企画は初見であった。イヤ凄い。下手なプロは太刀打ちできないぞ! 
 学生劇団を自分は結構好きなのだが、その理由はハッキリしている。若い人の作品というのは先ず、物の見方、身の周りの事象に接する時の柔らかな感性、新鮮な戦きを感じていることが伝わってくるヴィヴィッドな表現に触発されることがあるからだ。作品を観る前に余計な判断をすることを避ける為、通常当パンを開演前に読まない自分が、どういう偶然か、ざっと目を通した。説明文を読んで驚かされた。星乃企画の公演回数や作品数とその詩的な感覚・質にである。
 舞台を拝見して、この直観が裏切られなかったことを確認した。照明が入ると舞台美術を設えられた板に役者陣が就くわけだが、舞台美術も鮮明に浮かび上がる。客席に対向する3方をパネルで囲み、上手・下手各々の2カ所に出捌けを設けてある。上手側には、北欧風の木製テーブルに椅子(木の無垢を利用した作りなので木肌の色がそのままだ)下手側には、机上にパソコンを載せた黒くかなり大き目のデスク(椅子も無論黒だ)が置かれ、板中央奥には北欧風のベンチが設えられている。シンプルだが、キチンと整序され、合理的でコントラストの鮮やかな優れた舞台美術だ。
 さて、上演開始直後にも矢張り驚かされたことがある。作家は21,2歳だろう。この若さで良くこれだけの科白を書いている、ということにである。2011年から今迄に2350本以上の舞台を拝見している自分だが、開演前に当パンを読んだ経験は数回程度だから殆ど初に近い感覚で拝読していたのだが、当パンを読んでの見立て通り、この作家は、世界に真っ直ぐに向き合い、バイアスの無い物の見方をしている。表現する者にとって最も大切な資質を持っているわけだ。作品は極めて本質的である。生と死、親と子、男と女、幸と不幸という要素が過不足なく、極めて巧みな構成の内に呈示されているばかりではなく、物語の流れや男子高校生と女子大生とのカップリングについても、少年にとっては大人と感じられる女性に対してする背伸びの在り様が内容的な必然性と共に描かれ、更にそれが、上手で演じられる内容にキチンと被る。この組み立て方が素晴らしい。役者陣の演技も中々に優れたものである。自分が殊に気に入ったのは、隼人役を演じた役者さん、妹との会話で背伸びをした嘘を追及されるシーンでの表情が素晴らしかった。上演期間中A~H迄8作品を上演するのだが、各作品、尺は40分前後というのは既に告げた通り。

喫緊のお知らせが入った。明治大学の先輩には、パレスチナに関わった人もいるので。
 今作の腰を折る事にはならないと考える。そんなヤワな作品じゃないし。で、今作の追記については、今暫くお待ちくだされ! にゃん。

知り合いから案内が届いたのでお知らせします。
すでに、新聞・テレビ等で報道されているように、現在、封鎖下のガザから現在、パレスチナ人画家3名が来日中です。
その画家のみなさんを、27日(水)、京都大学にお招きして、公開講演会を開催いたします。

*東京でも、東京大学東洋文化研究所(本郷キャンパス)のロビーにて、彼らの作品展を開催中です(3月7日まで)。
28日(木)には、東京大学本郷校舎に作家の徐京植さんをゲストに、画家たちのギャラリートークがあります。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/news/news.php?id=WedFeb201410392019

以下、27日の京都企画の詳細です(拡散歓迎!)

■■□================================
アーティストブリッジ2019 in 京都
封鎖に抗して ガザ・アーティストは語る
   2月27日(水)
  京都大学 吉田南キャンパス
人間・環境学研究科棟 地下講義室
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イスラエル占領下のパレスチナのガザ地区が完全封鎖されて、まる12年が経とうとしています。
現在、200万以上の住民たち(その7割は、71年前の民族浄化によって故郷を追われた難民たちとその子孫です)が、12年もの長きにわたり、世界最大の野外監獄と化したガザに閉じ込められて、人間らしく生きる権利を奪われています。

4年半前の2014年の夏には、ガザは51日間に及ぶ、ジェノサイドとも言うべき攻撃に見舞われて、2200名以上の人々が殺されました。
(うち500人以上が14歳以下の子どもたちでした。)

攻撃から1カ月半後の2014年10月、ガザから、パレスチナ人権センターの代表で弁護士のラジ・スラーニ氏をお招きし、京都大学で講演会を開催しました
*その時の動画はこちらで視聴できます。

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/tag/rajaslani 

あれから4年。
環境はさらに悪化し、社会全体が精神を病み、自殺を最大の禁忌とするはずのイスラーム社会のガザで、ここ数年、自殺者が劇的に急増しています。
もはや自殺して地獄に堕ちることと、ガザで生きることに何の違いもないからです。

その完全封鎖下のガザから、このたび、3人のアーティストが来日しました。
ガザを出ることができたということ、それ自体が奇跡のいま、多くの困難と障壁を乗り越えて実現した、まさに奇跡の来日です。

世界から隔絶され、世界の忘却と無関心のなかに打ち棄てられているガザの声を、ガザの人々の《肉声》を通して世界に伝えたい、ガザと世界を、私たちを、つなげたい——そのような市民の想いで、3人の来日と作品展が実現しました。

呼びかけたのは、20年以上にわたり、占領下のパレスチナやレバノンのパレスチナ難民キャンプで難民の子どもたちの絵画指導をおこなってきた画家の上条陽子さん(1937年-)をはじめとする日本のアーティストたちです。
(来日した3人の画家のうち2人は、上条さんの教え子です。)

彼らの来日は、日本のメディアでも報道されています。
NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190219/k10011820611000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_003

朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/DA3S13900374.html

奇跡の来日を遂げたガザの3人のアーティストを京都大学にお招きできることになりました。
27日(水)18:00〜、講演会を開催し、ガザの人々の思いを肉声で語っていただきます。

そして、3人のお話をより深く理解するために、2部構成にして、第1部(16:00〜)では、ガザで支援活動をおこなっている日本のNGO、日本国際ボランティアセンター・スタッフの渡辺真帆さんに、ガザの現況についてお話しいただきます。

市民の力で実現したこの「奇跡」が、私たちにできることは、まだまだたくさん、あるということを示しています。
みなさまのご来場を心よりお待ちしております。
世界を変えるために、私たちに何ができるのか、ともに考えましょう。

以下、プログラムの詳細です。
■■□===============================
アーティストブリッジ2019 in 京都
封鎖に抗して ガザ・アーティストは語る
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【日時】2019年2月27日(水)
第1部 ガザの現況報告 16:15〜17:30(16:00開場)
第2部 封鎖に抗して ガザ・アーティストは語る
    18:00〜21:30(17:30開場)

【会場】京都大学 吉田南キャンパス 人間・環境学研究科棟 地下講義室
*吉田南キャンパスは、時計台キャンパスの南側のキャンパスです。
*キャンパスマップ↓
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/yoshida/map6r_ys.html
 人間・環境学研究科棟は、89番の建物です。
 ピロティを挟んで東側(大文字側)、ガラス張りの建物の地下です。

【言語】アラビア語、英語(日本語通訳あり)

●入場無料、事前申し込み不要(どなたでもご参加になれます)。

【プログラム】
第1部 ガザの現状(最新報告)16:15‐17:30
16:00 開場
16:15 開演 主催者挨拶(おか)10分
16:25 講演「完全封鎖下のガザの現況」
       渡辺真帆さん(日本国際ヴォランティアセンター)
17:15 質疑応答
17:30 終了
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第2部 封鎖を超えて ガザ・アーティストは語る
17:30 開場
18:00 開演
      主催者挨拶(岡)
      招聘団体挨拶(「アーティストブリッジ2019 ガザのアーティストを支援する交流展」)
18:15 封鎖下のガザ 現況(渡辺真帆)
18:30 動画紹介(12分)
      アーティストトーク
       ガザの状況、封鎖下の生活、アートとは何か 
20:15 休憩
20:30 私たちに何ができるか
      質疑応答
21:30 終了予定

通訳:渡辺真帆、佐藤愛

【プロフィール】
■ムハンマド・アル=ハワージュリー Mohammad Al-Hawajri
1976年、ガザ、ブレイジュ難民キャンプ生まれ。ガザの現代アーティスト集団「エルティカー」創設メンバーの一人。国外の多くの国から展覧会に招待される。作品はコレクションされている。

■ソヘイル・サーレム Soheil Salem
1974年、ガザで生まれる。「エルティカー」創設メンバーの一人。アル=アクサー大学美術学士号取得。フランス他、国外から招待出品。

■ラーエド・イーサー Raed Issa
1975年、ガザのブレイジュ難民キャンプ生まれ。国外でも活躍。イタリア・ローマの国際美術賞を受賞。「エルティカー」メンバー。

獣物

獣物

山カsanka

北千住BUoY(東京都)

2019/02/21 (木) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★

 自同律の無限ループを生きようとすることの過ちを実践してみせようとした作品。

ネタバレBOX

従って、関係を対立させることによって研ぎ澄まし、以て起爆力と為す演劇的手法にはそぐわない。演劇的手法とは、この起爆力の部分にエートスやカオティックで未分化なパトスを溜め、対立的関係をより尖鋭的に対峙させることによって、生きる我々自身を腑分けするからある。自らの体を自ら執刀する外科医として。
 然るに今作では、敢えて肝心要の主語に当たる部分即ち主体を曖昧化し、このことによって己を己自身で腑分けする努力を怠っている。捉えようによっては甘えている訳である。このスタンスがナルシシックな立ち位置を正当化し、ディスコミュニケーションを己の主張の正当性の根拠たらしめようとしているが、所詮トートロジーでしかあるまい。この構造が自動律を必然的に呼び込み、その結果無限ループという罠に嵌るのである。観る者に難解を感じさせるのも当然であろうが、これは、甘えをベースにした韜晦という手法によって成立している。
 演劇として、このテーマを表現するなら、敢えて暈している主体をハッキリさせ、キチンとその正体とトートロジーの過ちを関係性の場に持ち出して切開し、自らを関係世界に投擲するアクションによって腑分けしなければなるまい。そうしない限り、曖昧模糊とした今作のモノトーンと非演劇性は克服されず、自ら作り出した不分明な冥界を彷徨い続けることになろう。恐らく誰にも理解されぬまま。無論、「悩む」本人にさえも。そして自ら腑分けしないことは、本人にとって快楽に近い。ナルシシズムの持つぬるま湯の罠に留まり続けることである。
疚愛 – ALL OF THE HARASSMENTS

疚愛 – ALL OF THE HARASSMENTS

ナイーブスカンパニー

高田馬場ラビネスト(東京都)

2019/02/22 (金) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

 板中央奥に両袖机。椅子は革製の豪華なもの。両袖机の下手に斜めに置かれた書記用サイズの机。こちらは秘書が使っているもので椅子も粗末だ。両袖机の上には黒電話器が載っている。更に机の脇には、木製の椅子一脚。

ネタバレBOX


 中盤迄、つか こうへいの「熱海殺人事件」と“べしゃり”や演出がカブル形で展開するので、パロディーというよりパクリかと思いつつ見ていたのだが、モテオ君役の心九郎、彼の同棲相手であるいつみとの愛の軋みが作家のオリジナリティーで満たされ、つかと格闘していることが見て取れてからは、俄然面白くなった。この時、いつみを演じた女優さん、日向 みおさんの演技が素晴らしい。(因みに今作で彼女は三つの役を演じている)
 心九郎の考える愛の形はあくまでセクシュアルな関係であり、曜日毎に床を共にする女は異なる。それに対していつみの愛は、羞恥心と控え目で待ち焦がれる、可也ナイーブでプラトニックな側面を含む。テレサ・テンの歌で歌われるような可憐な女性のそれである所が奥ゆかしく、可愛い。
 総理大臣の金之助は、おかまという設定で、心九郎を愛しているのだが、本当は、彼と一緒に居ることで幸せを感じることのできる己を愛している。即ち愛とは自己愛が他者にシンクロナイズすることだとの認識に辿り着く。心九郎の名はシンクロと響き合っている訳だ。このような形でしか愛を形成できない所に、日本人にありがちなある種の愛の形が現れているのかも知れない。ナルシシズムと言ってしまえばそれまでなのだが、そのような表現では味気ないので、ここでの表現はこのようになっているのだろう。断腸の思いで別れるのだし。
 中心になる役者3人の熱演がグー。
Opus No.10

Opus No.10

OM-2

ザ・スズナリ(東京都)

2019/02/22 (金) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

 完全なディストピア作品。

ネタバレBOX

現在日本の右傾化の主体は、無論、聞く耳を持たず、観るべきもの・ことを見ず、発言すべきことを発言せずに口を噤む日本国民自身の民意によって齎されている。この結果、近い将来に起こり得る核戦争によって齎されるディストピアが描かれていると捉えた。
 物語の中では、現状を曲がりなりにも支えてきた枠組が日本国憲法で示されると同時に、自分の目で見たものは見たと認識し、聞いたことは聞いたこととしてこれまた怪しければ自ら向き合い、常に自ら立証し得る事柄のみに根拠を置いて、己の頭で考える主体が示される。無論、その主体は他とは異なる。それが完全ではないと判断され、己の特異性が自然を裏切ったとしてファクトを主張するも、事実を事実として認識し、そのことを主張し得る夢を語ると、彼は他ならぬ見ざる・聞かざる・言わざる結果、自らの頭では決して考えることをせぬ国民に虐殺されてしまう。
 身の周りでは、それまで辛うじて成立していた屋台骨が無惨に砕かれ、遂には核戦争が勃発してしまった。降り注ぐ核種は、丁度放送終了後のTV受像機のちらつきのように世界を覆い核の冬を齎した。その直中で人々は、食べ、飲み、出産している。間近に迫った、核汚染による惨たらしい死に向かって。僅か旬日、飲み食いを断つだけで我らヒトは死の憂き目に遭うからだからだが、死のみが救い。何故なら生き延びることは、目から、鼻から、耳から、口や尻や性器から出血するのみならず、目は飛び出して落ちかねず、最早医療のケアも期待できないまま、唯地獄の痛みにのた打ち回った挙句息耐えることだから。風が吹く、風が吹く。更なる汚染を運んでくる。
 このような未来は、冷静に現在の日本を検証する限り、可也リアルな未来だと考える。トランプは使える核兵器を本気で開発したがっている訳だし、冷戦終結に繋がったINF廃棄条約の破棄と宇宙軍構想、小型核兵器開発等々は、中国・ロシアの対抗を更に急速にまた過激にすることは言を俟たない。このような情勢下での日韓関係悪化と米朝関係の進展は何を意味するか? 仮に朝鮮半島統一ということになった暁に、その政治体制はどのように変化するか? 在韓米軍が引き上げることになったら、その時日本は、アメリカの最前線として新たな冷戦下、中露と向き合う不沈空母の役割を負わされることになろう。既に集団的自衛権は既定路線、反対派を抑え込む為の法は整備され、適用され始めている。政府は、嘘・隠蔽・証拠隠滅廃棄と書き換え、秘密保護法、更にフェイクと共謀罪等々の他、溜池規制迄言い出しているのは、自然災害よりは、日本が戦地になると見越してのことだろう。国民の再洗脳もメディア、官僚、政治屋共の思うが儘のように見える。既に己の頭で考える習慣もなければ、キチンと話し合う気も無い国民については、その根底から倫理が崩れ去ってしまったことも明らかである。後は為政者の扇動に従って盲従する他あるまい。判断の根拠は其処にしかないのだから。このような状況の進展の結果、今作に描かれるようなディストピアが出来することは想像に難く無いのである。観劇した方の多くが気付いたことを期待したいのが、終盤、女性が着ている着衣が何であったかである。
グッバイ・ルサンチマン

グッバイ・ルサンチマン

劇団サラリーマンチュウニ

上野ストアハウス(東京都)

2019/02/21 (木) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

 にゃんと当パンのサラリーマンチュウニ的用語解説に銭湯が載っている! にゃんにゃんだ、れこは!! ふに~っ!!!(追記第1弾にゃ~~~、終演後になって申し訳にゃい。理由はネタバレに)第2弾は近いうちにゃ。

ネタバレBOX


 非モテ系に絶大な人気を誇る反リア充作家・吉崎の新作出版記念会場で 、幕が開くのは、この劇団が今年十周年を迎え、今作がその記念公演であるという事情が関わっていよう。この劇団らしいセンスの良い内祝いである。
 板上は、門構えの中心やや客席側に演説台より少し高めのテーブルを設え、テーブル奥には、人が立てるようなスペースを設けて、出版記念パーテイーの時には背後に“爆(は)ぜろリア充”と大書されたパネルが貼ってある。このスペースの両側に設けられた出捌け口は、男湯、女湯の暖簾が掛かると銭湯・玉の湯の番台に早変わりという訳だ。下手壁際には、書籍なども展示できる、階段型の収納ボックス、上手側壁には本棚として用いられているカラーボックスのような本棚がある。椅子等は必要に応じて適宜丸椅子を配する。
 序盤、反社会的とは言わないまでも、どちらかといえば非社会的・サブカル的範疇に属すタイプの人間集団を描く所から始まるので、吉崎を“神”と崇めかねない熱狂的支持者たちなどは、一般的感覚を持つ観客には、どこか刺々しい摩訶不思議な人々と感じられかねない、何らかの距離感があるであろう。だが、序盤のこの「違和感こそが中盤以降の物語りの受け皿となって作品の広がり、深さをドンドン増してゆく構成に繋がる辺り、流石サラリーマンチュウニ! と拍手を贈りたい。
  ではどのような点で作品に広がりと深さを持たせてゆくかというと、脚本・演出・演技それぞれが現実に存在している卑近な、当に隣に居る人々のような自然なリアリティーを漂わせつつ、決して居ないであろう類型を同時に抽出しているのだ。(「隣は何をする人ぞ」的な近隣の距離を含めて)この微妙で精妙なセンスの良さに着目しておきたい。
 例えば凋落産業である銭湯の再活性化についても、経営の合理性から見、テキパキと必要な改正条件を挙げ対処してゆこうとする妹のデキル女の合理性と、どこか妹に甘えつつもその裏の無いキャラで常連さん達に支持され・愛されて人間関係の糊のような役割を果たす兄、女房・子供に事業展開の失敗から愛想を尽かされ、現在はこの銭湯で働きながら居候同然の男、自らのユーチューバーとしての位置を確立する為に作家に近づき押しかけ同棲を始め、非モテ系のカリスマとして君臨する作家をネタに利用する女。自分達の神を虚仮にされたのみならず、隠れ家のようにして同行の士が集まっていたコミューンを破壊され逆上してサイトを炎上させたのみならず、件のユーチューバーを包丁で刺し殺そうとした吉崎の信奉者。アニメ中毒の息子を心配する母と、その母は怪しい宗教に嵌っていると心配している件の息子は、顔を合わせば言い争いになる。
 こんな状況を抱えながらもユーチューバーは、とても優しく良い人である作家を裏切り続けている己自身の自責の念に耐えかね出帆してしまう弱さを持つ。ところで、初めて恋心を知った作家は、何らインパクトの無い駄作を書き連ねる。為に担当編集者との間で作品を巡って丁々発止の論戦が繰り広げられる、等々が中盤の見せ場を作っている。
 件の理由にゃ:https://handara.hatenablog.com/


鈍色(ニビイロ)のヘルメット

鈍色(ニビイロ)のヘルメット

KUROGOKU

中板橋 新生館スタジオ(東京都)

2019/02/20 (水) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

 劇場の後ろ壁から手前に平台を重ねた舞台踊り場に、出捌け用のスペースを確保した上で、衝立を立て、その中央を開けてある。踊り場へ上がる階段は4段、丁度平台の中央に設えた。上手は黒の緞帳で衝立の右端から上手客席側の出捌け迄斜めに仕切り、緞帳の前にバリケードと放送用機材、テーブル等が在る。下手は後ろの衝立に直交する形で緞帳を伸ばし下手奥から出捌けが出来るようになっている。手前はフラット。(華4つ☆)

ネタバレBOX


 時代背景は、1970年の安保改定を前に、四日市喘息、新潟水俣病、イタイイタイ病等々の公害問題が表面化、政府・各省庁の杜撰極まるいつもの対応もあり、人心は更に権力中枢から離れて行った。当然だろう。人々の身の周りでは光化学スモッグ注意報のオンパレード、地域河川、湖沼、海、入会地や山林の汚染、荒廃が極端に進み、背骨の曲がった魚や足の形がおかしい蛙など身近な生き物の奇形が目に付いた。  
描かれるのは東大理Ⅲで68年から始まっていた闘争に、大学側が機動隊導入という暴挙で対抗した1969年東大闘争の渦中である。世界的には、1968年パリの5月革命から世界中でベトナム反戦、世界同時革命を目指し立ち上がる者、ドイツ赤軍の活動、70年よど号ハイジャック事件、72年リッダ闘争を始めとして若者の反乱が起っていた時代である。60年代末には、沖縄でも核抜き本土並み復帰闘争が繰り広げられていたし、70年には三島の割腹自殺事件などもあった。
 因みに自分の同年代は団塊の世代の直後、三無世代の前の世代に当たり、東京では初めて学校群制度が適用された世代に当たる。1970年7月28日は、第2学区で最難関の22群(新宿・戸山・青山)の中で東大合格率が最も低かったこともあって都立高校で最も深刻且つ激しい学生運動の拠点となった青山で議長をやっていた自分の中学時代の親友が自殺した命日である。無論、高校時代や早い奴は中学時代から活動家として動いていた者もあった。闘争の中で失明した者、自殺を含めて亡くなった友人、障碍者となった者なども多いが、公安からの追及を逃れている身でもあったので、正式な統計には無論現れていない。自分は大学時代、中退するまでの2年間を大学自治寮で暮らしたが、公安の電話盗聴は当たり前、消防などもマッポとリンクして寮に侵入を図ることは年中であったから、電話1本の受け答えにも様々なテクを用いたのは無論である。大学によっては、自治会やサークル、部活メンバーの中にもスパイが送り込まれていたし、デモ隊には公安の犬や私服が、学生を検挙する為に送り込まれ、デモ指揮を装って検挙されるような行動をするよう誘導したり、煽ったりは当たり前であったし、体育会、右翼・ヤクザ等が襲撃してくることもあった。
 こんな背景が今作の時代状況である。このような状況のほんの一端でも思い浮かべながら、観劇すると良い。学生たちの提起した問題には現在も古びない普遍的な問題も数多く含まれているし、当時の討議の緊張もかなり良く描かれている。
新しい星

新しい星

甲斐ファクトリー

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2019/02/20 (水) ~ 2019/02/24 (日)公演終了

満足度★★★★

 観劇中にビックリしてしまったことがある。(追記後送 華4つ☆)

ネタバレBOX

自分は、時々“イマジネーション遊び”というのをやっているのだが、今分かっていないことを素材に勝手な想像をして楽しむのだ。そのイマジネーション遊びの一つとしてDNA個々の塩基の役割が不明のものの役割について等への想像がある。自分は、この役割不明の塩基が、いつ、如何なる状況に於いてその機能を明らかにするかについて想像し、同時に素数の存在意義を同じ俎上に載せてみた。この想像の結果は読者諸氏の想像力に任せるが、兎に角こんな風にして遊んでいると楽しくて仕方がない。
 今作で登場するのは、この塩基配列が突然変異を起こした話。どういうことかと言うと惑星全域を襲ったパンデミックサバイバーが僅かばかり居た。彼らは突然変異により、それまでの人類とは異なる能力を身に着けていた。その能力とは脳内シナプスの量が、それまでの人類の1.5倍にも増えたことであった。当然、記憶力、演算・より多量の情報源の一括認識・統合力・分析力・判断力など情報処理能力の飛躍的増大と処理時間の短縮が彼らの属性となった訳だ。謂わば新人類の誕生である。但し、罹患せず生き残った旧人類も25億人程残っていたので、数では圧倒的マイノリティーであり、パンデミック収束以降には、新人類は危険だとの認識が旧人類の一部に広がりを見せた為、融和を図ろうとする勢力、戦い殲滅すべきだとの勢力がつばぜり合いを始めた。
紡ぐ。

紡ぐ。

劇団ヨロタミ

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2019/02/14 (木) ~ 2019/02/18 (月)公演終了

満足度★★★★

 いつもとはちょっと作風を変えた作品。(華4つ☆)にゃ~、二郎の表記がまちがってたにゃ~。べんかん!!

ネタバレBOX

敢えてドラマツルギーを壊して全き日常性から、表現する者として立ち上がり、土が土を捏ねて何らかの表現に到達しようと、己の実生活を見つめ、表現のできれば普遍レベルへチャレンジしようとする物語。ラストの一見漫画チックだが、そして途中に脂ギッタギタのラーメンの話が出てくるのに妙に爽やかなのは、言葉にするのは恥ずかしいが、純な表現への欲求が描かれているからだろう。以下には、今作に描かれる二郎系ラーメンの本家本元の話を書いておく。何となれば、自分は、本家本元のラーメン二郎の常連の一人であったから。
 では、参る にゃ! ラーメン二郎は、田町・三田から近い慶応大学の正門或いは重要文化財指定されている図書館側の門から近い位置にあった小さなラーメン屋。当時、未だラーメン戦争は無かった時代で、無論、地元では口コミで有名になっていた店ではあったが、基本オヤジが1人でやっていて3角カウンターに12、3人座れば満杯。旨いとか不味いとかの評価より、食えるか食えないかが、先ず本質的問題だったのではないかと自分や仲間は思っていた。食えれば絶対病みつきになるラーメンだったのだ。因みに当時、日本で営業しているラーメン屋は、醤油ベースで鳴門や法蓮草などもトッピングされたあっさり系が未だ結構あって、油が層を為し、臭いも九州ラーメン的臭みを発するようなものは余り無かった。そういう意味では革命的ラーメンでもあったと思う。安くて、ボリュームが凄くて、オーダーに独自のスタイルがあって一元さんはちょっと入り難い感もあった店であり、トウシローがオーダーの仕方も分からずに、今の内装にする前のエンコの神谷バーに来ていたホワイトカラーのように場馴れないオーダーをしたり、愚図愚図しているとホントに冷たく白い視線が居並ぶ常連から浴びせられる。そんな店であった。だが、一度、食えた者にとっては、何としても乗り越えねばならぬ壁、直ぐにノウハウをマスターして常連の仲間入りを果たした。
 紡いでゆくことの果てには、このような日常を自らのものとしてゆく為の努力と知り合った人々との人間関係の形成、そして仲間になることや、仲間になって何か一緒に作ってゆけるほどの濃い付き合いに至る過程と、その上で意識的に創造的な関係を築いてゆこうとする実存的選択がある。この辺りの事情が、小劇場劇団の作・演出家VS役者のキャスティングや役作りを巡る作品解釈、矢張り自分があわよくば自分の解釈通りに作品を作り上げたいとの自然な欲求との争闘として若干コミカルに描かれている点もグー。
大安不吉日

大安不吉日

ウィークエンドシアター

Arise 舞の館(東京都)

2019/02/02 (土) ~ 2019/02/23 (土)公演終了

満足度★★★★★

 舞台は下手から上手迄ほぼ全面をカバーする平台の中央辺りに出臍を取り付け、観客席は舞台に対して片仮名のコの字の形に設えられている。会場入り口は、客入れ後締め切られ、黒の緞帳が掛かって出捌け口として用いられる。もう1か所の出捌け口は、平台上手奥だ。

ネタバレBOX


 平台の中央上には、新郎新婦席が設けられ、ケーキカット時には、台とケーキが持ち込まれる。式次第は、通常の婚礼通り、ちょっと変わっているのが、人前結婚式であるということだ。神前婚や、仏前婚ではなく、列席の人々に承認されるタイプの比較的新しい結婚の形だ。従って仲人などという前近代的な仲介者は居ない。新郎・新婦入場後、司会者が式の流れを取り仕切り、2人のなれ初めなどを紹介、スタッフは典礼に基づいて粛々と式を進めるハズであった。
 ところが、指輪交歓、婚姻届署名と進む中、新婦の様子がぎこちない。交際3年でのゴールインなのだが、不自然なぎこちなさなのである。ケーキ入刀で、新婦は終に控室に逃げ込んで内鍵を掛け内部にあったソファーから何から破壊している模様である。会場は、次の披露宴の予定が入って居る為、スタッフは気が気でない。
 新郎は身の置き所が無いのだが、何れにしても何故、新婦がこんな状態に陥っているのか理由が分からない。そこで控室に乗り込んで訳を訊ねるのだが新婦は答えない。然し、新郎以外の恋人は居ないのだと言う。今も新郎以外に愛する男性は無い、と。然し何故結婚式を台無しにしているかについては全く答えないのだ。スタッフらのトリナシもあり、式場に戻った2人だが、会場には、新郎の元カノが来ていて、1週間前に「彼に捨てられた」と言い出して会場内は大騒ぎ。新郎は別れたのは3年半前だと反論するのだが、このような状況下では、女性の主張が支持されやすい。追い詰められた新郎に偶然が味方する。新婦友人として挨拶した女性が落とし物をしたのだが、其処に書かれた名前と出席者名簿の名前が違っていた。矛盾の説明を求められた女性は、自分は、派遣されたエキストラだと白状、新郎の元カノもエキストラであった。偶々、来たら新郎が元カレあったというだけで別れた理由も彼の仕事が忙しくて中々一緒の時を過ごせない寂しさから以前付き合っていた男と再び逢瀬を重ね、偽りを重ねていたのが原因であり、別れたのも彼の言う通り3年半前であったことが明らかになる。
 さて、新婦がぎこちなかった理由であるが、新郎の上司の提案で為された新婦当てゲームを通してその理由が明らかになる。ちょっと脱線するとヌーベルバーグをパクってニューシネマと称しアメリカ映画界は映画思想史に生き残ったが、その後のハリウッドの堕落は凄まじく陳腐としか言いようのないプロパガンダ作品を量産し続けている。が、今作はそんな下司用作品では無い。来週、もう1回公演があるので、それがどんな問題であったかは、観てのお楽しみだが、ヒントだけ書いておく。その言葉は聞いたことがあっても、当事者でない者には、その深刻な苦悩が如何なるものか想像しようともしない。そんな問題を抱えていたのが、新婦であった。新婦が何をどう悩んでいたかについては作中最終部分で明らかになるが、このような立場にあるマイノリティーの悩みを我々マジョリティーにも分かるように具体的表現として本質的な提起をした点で高い評価をしたい。
 但し、本当に小劇場で尺も短い1時間強の作品だから本質論で済むが、尺を通常の2時間にし、小劇場でもキャパが100を超える劇場で上演する場合には、新婦と新郎の上司の苗字の問題や、今作では一切触れないで済ませているサイドストーリーとしての親戚がどう対応するかという門題はキチンと書き込まなければならないことは、これだけ良い脚本を書ける作家には無論分かっているであろうから、更に大きな劇場にも進出して自分の才能を世間にアピールして貰いたい。
 スタッフの対応、音曲の選択、キャスティングの妙、適度に笑いを挟んだ演出、役者陣の演技もグー。
台所太平記~KITCHEN  WARS~

台所太平記~KITCHEN WARS~

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2019/02/16 (土) ~ 2019/02/25 (月)公演終了

満足度★★★★★

 谷崎の原作を望月 六郎流に仕立てた作品。(追記1回目2019.2.18:0:20)(追記2回目2月20日16時43分)

ネタバレBOX


 いつものように歴史的知見や社会時評が、単語や何気なく書き込まれたかのような1行に込められており、多少知識のある人間ならばいくらでも深読みができる作品だ。更に言えば、深読みの先に見える景色は、日本ではタブー視されがちな庶民と弱者の見た事実、歴史の表舞台からは、為政者の都合で消されてきた事実の齎す鉛色の重い真実である。
 物語りの表層には、谷崎家に雇われた5人の若いお手伝いさんたちの生活が描かれるのだが、深層で描かれるのは、1950年代初頭の熱海の連続火事に纏わる裏話だ。1回目も大きな火事であったが、2回目は、消失物件数が2ケタ多い大惨事。その原因も公式発表は怪しい。シャブが合法的に薬局で買え、特攻隊の生き残りやシベリア帰り、南洋戦線の生き残りが街を跋扈していた時代である。

 さて、今夜は深読みできる単語の1つを上げて解説しておこう。今作に出てきた済州島(チェジュド)出身者ということについてである。現在は韓国の一部である済州島は、日本の沖縄同様、かつて国としての体制を整えていた。そこで何故、韓国軍、米軍に朝鮮戦争直前に襲われ死亡者数さえハッキリさせることが出来ない程の大虐殺が起こったかについては作品中で触れられているからここでは述べない。然しこの虐殺で亡くなった方は4万人以上と謂われ、海は真っ赤に染まった。少年がリンチを受けて我を忘れる程の錯乱に陥り放火するのは、深層意識に刻まれたこの凄まじい血の呼び覚ます言葉では表せない悲痛そのものの表現なのではないか? 年端もいかない子供が経験するには余りに酷いこのような歴史的体験は心どころか魂の深奥に深く決して消えることの無い底の無い穴をあける。因みに現在は、名称さえ消されてしまった日本最大の在日朝鮮族の在地“猪飼野”には、多くのチェジュド出身者とその末裔が暮らす。何故か、4.3事件(チェジュドを韓国軍・米軍が襲い虐殺を起こした事件)で命からがら、チェジュドからの直行船便に乗って大阪へ辿り着いた人々の出身地が、当にチェジュドだからである。現在チェジュドが置かれている状況が沖縄と極めて似ていることも含めて、アメリカと日韓の関係を抜きには語れない現代の我々の問題なのである。
 ところで、今回は、1回お休みを頂いていた、侑希さんが戻ってきた。ちゃんとケジメの挨拶もしたにょだぞ! おきゃえり~~~~~。明日香さんがヒロインを演じたし、微妙な人間関係を座長の丸山 正吾氏が、電信柱や海にもなったりしてフォローしており、璃娃さんが谷崎家出入りの中国人占い師役を演ずる。
 また朝鮮半島(今作には登場しないが、台湾)が植民地とされ人々が日本国籍を持っていたことが触れられている等々、大日本帝国時代の日本の実情にそれとなく触れながら、谷崎作品を変態的としてコミカルに表現している点、明るいアイロニーが秀逸である。以下、朝鮮族が大日本帝国下でどのような歴史を辿らされたかについて若干の補足をしておく。(ここから下の文章は、最近自分が参加している「討論塾」の話し合いを自分が纏めたものに若干手を加えて記してある)
 植民地化される以前、日本に居た朝鮮人は2000人程で、1910年の朝鮮併合・植民地化以降朝鮮族も日本人にされてしまった。そして大日本帝国は、朝鮮総督府の土地調査事業と称して彼らの土地を奪い、米増産と称して日本向けの米を作らせ収奪していった。また大日本帝国内で若者が戦争に取られた為、労働人口が減少したことに対する補充などが行われた。その結果、収入と働く場所を奪われて隷属化され経済格差をつけられることになった人々が、ニューカマーと言われる人達が近年経済格差の故に出稼ぎで日本に来たように、宗主国へ働きに出た。急激に在日の人々が増えた訳だ。この結果約200万の朝鮮族が、終戦時日本に居ることになった。この中には、強制的に連れて来られた人々もあったし、上記のような収奪の結果出稼ぎを余儀なくされた人々も居た。敗戦日本の戦後処理の中で独立した朝鮮半島出身者のうち帰れる人々は帰還したが、既に日本に生活基盤を持ち、家族も居るという人々も居た。つまり日本に根付いた人々、帰ってもツテが無い人々などと、1950年に朝鮮戦争が勃発したことも影響して難民状態になり、帰るに帰れない人々が60万人ほど残った。帰れた人々は財産の持ち出し制限が課されても帰り、先に挙げた理由から帰国できない人々があったということだ。
日本国籍云々に関しては以下を参照。
 1947年「外国人登録令」(日本国憲法発布前日に出された勅令。1952年に外国人登録法と改称。“朝鮮族、台湾人は、日本の植民地政策によって日本国籍を有しているが当分の間これを外国人と看做す”という内容)が出され公布内容の殆どが即日施行された。
つまり、新憲法が発布されれば、天皇・裕仁が政治に携わることができなくなり国会での議決が必要になるので、その前日に勅令として発布してしまおうというものだった。対象は大日本帝国旧植民地出身者で、戦中動員された朝鮮(・台湾)人。軍艦島、九州、北海道の炭鉱などで過酷な労働に就かされていた人々である。而も登録令にも記されている通り1952年サンフランシスコ条約締結に伴い日本国籍を強制剥奪されるまで、彼らは日本国籍を有していた。(同じ敗戦国でも旧独では、旧植民地の人々に国籍を選ぶ権利が与えられたが日本ではこれも無かった。要するに日本の植民的発想そのものは変わらなかったのだ。)
 外国人と看做されることの内実は、潜在的犯罪者・治安事犯者と看做されることだったから、外国人登録証常時携帯、警官からの提示命令に対してこれを提示するなどが強制された。違反すれば懲役、禁固、罰金、退去強制などが科された。以下、この件に関する吉田 茂の反応を見ておく。
 1949年吉田茂は、マッカーサーに対して“総ての朝鮮人が彼らの故郷である半島に戻ることを期待する”として願書を提出、その理由として“何故なら彼らは犯罪を犯しかねない危険を孕んでいるからだ”と主張した。敗戦までは彼らの土地を奪い、収奪して出稼ぎを余儀なくし日本に流入せざるを得ないようにしたうえで、強制徴用し安い労働力として酷使しながら、景気が悪くなると犯罪者扱いして追い出す。現在では経済格差を利用した上で戦前から続いて来たこの日本のやり方を欧米を除く外国人に対して繰り返している。
 この所、オリンピック・パラリンピック開催で政府は、肝心な原発問題や米軍基地問題を含む地位協定問題、秘密保護法、共謀罪や集団的自衛権等々の悪法、都合の悪い門題を誤魔化す為に小手先で入管法改正などを繰り返しても来たが、内実は相変わらず差別的だ。殊に対アメリカに対しては、宗主国待遇がそのまま出ている点も興味深い。
 現代世界を繙く為に以下のイベント、展覧会もグー。
パレスチナ・ガザの画家3人展(アーティスト・ブリッジ2019巡回展) 

 ガザのアーティスト達3名が難題を乗り越え来日、群馬県前橋にある広瀬川美術館を経由して横浜関内のGALLEY SHIMIZUに戻ってきた。昨19日に1回、23日にもう1回3名の画家によるトークと展覧会がある。アーティストトーク参加には500円必要だが、通訳がつき、質疑応答が可能。

http://www.frame-shimizu.jp/index.html

 更に2月28日16時頃から(時刻は凡そ)は東京大学東洋文化研究所1階ギャラリーでトークあり。因みに東文研は本郷校舎、懐徳門を入って10m強直進、右手の獅子像のある建物。
よかったら、自分のブログにもどうぞ。
https://handara.hatenablog.com/
最期の作戦行動

最期の作戦行動

有機事務所 / 劇団有機座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2019/02/15 (金) ~ 2019/02/17 (日)公演終了

満足度★★★★

 とある喫茶店。大和最後の出撃で生き残った老人と海自自衛官らとの語らいを中軸に戦中から1970年代中頃に生起し、現在に迄繋がる国防を巡るよしなしごとと大切な人々との邂逅を訴える作品。
 終演後、何と琵琶の演奏が聴けた。(追記後送)

ネタバレBOX

 自分の記憶では、掛かっている曲は1973年以降、即ち沖縄闘争敗北以降の新左翼崩壊以降の時代だ。大和玉砕、沖縄戦から以降、戦中の指導層が岸を始めとした自民党有力者、正力らCIAエージェント、旧軍部を中心にアメリカの日本指導部として植民地支配の中核を担って来たのは、秘密解除指定された米国文書からも明らかだ。そういう意味では、現状に繋がる認識が脚本レベルで甘い。
 だが、このレベルで日本の大衆が踊らされていることも事実である。そこにアイロニーを見るという視点で一応☆4つとした。
マクベス  Macbeth

マクベス Macbeth

TYプロモーション

三越劇場(東京都)

2019/02/14 (木) ~ 2019/02/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

 途中20分の休憩を挟んだ公演。

ネタバレBOX

1場では階段の中央に切れ目があるが、2幕ではそれが無い。場転の際、入れ替わりが見事。また役者陣の地力が高いことも流石である。声が通る点、役作りなどは無論だが、基本がしっかりしているので体術などの必要な殺陣でも、良い動きを見せる。女性が側バクをやったのは驚きであった。
 脚本は、小田島 雄志さんの翻訳をベースにした上演台本が用いられている。予言をする魔女たちの独特の雰囲気も上手に描かれるのは、その衣装や着こなし、身のこなしもさることながら、舞台奥に広がる雲のようなオブジェに照明や音響を効果的に用いて様々な印象を齎す極めて高い技術が齎す効果による。この点でも唸らせるものがある。
荊姫~いばらひめ~

荊姫~いばらひめ~

演劇ユニット 金の蜥蜴

ブディストホール(東京都)

2019/02/13 (水) ~ 2019/02/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

 能の「鉄輪」という作品を戯曲化した作。

ネタバレBOX

時代設定は平安、場所は京の貴船、鞍馬辺り。現在でも鞍馬山は山岳宗教のメッカの一つだし、由緒のある鞍馬寺もある。義経が天狗から様々な兵法を学んだ場所との伝えも有名だ。叡電で隣の駅が貴船で、ここには立派な神社がある。未だに京都市内とは隔世の感のあるこの辺り、今作には実に相応しい舞台設定である。  
女性達の纏う衣装の衣擦れも良いし、立ち居振る舞いもグー。すり足や内股で歩く和服の着こなしもキチンとしている。今和服を着こなせる女性は殆ど居ないから、猶更、感心した。
 物語りの荊姫は、今回婚礼を上げる姫・沓子の母親世代の姫君だった女性が、夫に捨てられ鬼と化すところを安倍 晴明に邪魔立てされ、鬼にも人にも成れぬ哀れな怨霊と化した嫉妬の権化だが、婚儀を挙げることとなった沓子を唆し、臣下なのだが彼女の幼い頃からの憧れの君・幸治と添い遂げようとしないのか!? 幸治は、沓子の親友・楓と生涯を伴にすることを誓い合っているというのに、と更に焚きつける。元々、荊姫の思い人は、源 博雅。沓子の属す五土家は安倍家や博雅と縁が深い。
 荊姫の悲劇は、彼女の恋が純愛であったことだ。源氏物語にも、源氏に狂った六条の宮が怨霊になって恋敵を苦しめる話が出てくるが、実に恋は罪なもの、業の深いものである。閑話休題、純愛故の嫉妬と凄まじい業が経糸だとすれば、この嫉妬を転化させる対象として沓子が選ばれ家の犠牲として見たことも無い物部 保人に縁ずけられる己が身の、矢張り断ち切りたくはない初恋と親友・楓との因縁に二律背反を背負いつつ、流されかける緊張感が中盤の流れを引き締める。晴明一党の助力のなかで保人に出会い、彼が及ばぬながら物の怪と化した荊姫から沓子を守ろうとした伏線を経て、彼女が徐々に心を開いてゆく様に就かず離れず関わる晴明一派の明察などが龍脈を見極める風水のように作用しつつ、保人・沓子を自然に新たなカップルとして育んでゆくが、荊姫の怨念が消えた訳ではない。一旦この場は引くものの、ラスト荊姫が再び登場し、若夫婦の今後に緊張を残す作りがグー。
東京を待ちながら

東京を待ちながら

劇団ヤリイカの会

新宿文化センター(東京都)

2019/02/11 (月) ~ 2019/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

 東新宿というのが新開発地域なのかどうかは知らないが・やけにモダンなセンスと尖がったお洒落を感じる建築群が並び、(華5つ☆)

ネタバレBOX

ポンギや麻布10番、狸穴辺りの変にバタ臭い「洒落た」街とは異なる雰囲気が良い。ちょっと、ミュンヘン空港の合理的な建築のお洒落に宇宙的なアモルフをプラスしたような建築も見える。自分は、無論、野性的な大自然も大好きではあるが、このようなコスモポタニックな街も好きである。会場は、このような街に、人間の体の一部を基準に建物の大きさを測るイマージュを持たせることで、巨大建築への違和感を相殺する建築様式として知られるレンガ造りを敢えてイメージした外装の新宿文化センター。1階正面にある彫刻も傑作、左手の絵も、近海日本画をイメージさせる非常に質の高い作品である。会場の3Fの作品も良い。唯、用いられたホールは演劇専用ホールでは無く観客席が完全フラットな為、椅子は半身ずらしで並べられて配慮は見えるものの、矢張り板下部の見切れは、後列に座る観客には避けられない。ちゃんと半身ずらしにしている所から考えても予算が許せば、観客席に段差を設けることは考えたであろうが、この良心的料金設定ではそれも難しかろう。
 ところで、お待ちかねか否か定かではないが、本題に入ろう。ベケットのWaiting for Godotも今作も設定されるテーゼは空虚と言って差し支えあるまい。牽強付会と謂われるのは仕方ないにしても。
 であれば、演者、演出家が、この脚本をどう解釈し、どう意味付けるも勝手である。従って観客がどう解釈するかも勝手なのだ。自分は、原作が持つというか提起した“空虚”と恰も4次元列車“銀河鉄道”であるかのようなこの列車に注目した。銀河鉄道は、死と生を同時に載せることのできる不可思議な鉄道であった。ということは、死と死も、生と生もまた同時に載せ得る鉄道ということだろう。今作では、死に近い生を載せていると解釈した。即ち生きながらの死である。インスタグラファーを目指す女とユキチにしても、恐らくは3.11を契機としたF1人災を、その津波被害の中で生き延び、自らを仲間を殺した殺人者として認識したカラシマと8年前に被災地から引っ越したものの、そして一応名門とされる大学には受かったものの看板学部の看板学科ではなく司法試験合格者数でも大したことは無い学科に受かり、故郷を喪失したままの、それでも明示的には未来が自分にはあると信じている若者の根拠の無い自信が崩れ去りつつあるキヨハシらの必然的邂逅を、恰も不条理という形で描くことしかできない、現在我々が暮らすこの地域のバカバカしさ茶番を論ってみせた、というべきか。面白い!

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