鈍色(ニビイロ)のヘルメット 公演情報 KUROGOKU「鈍色(ニビイロ)のヘルメット」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

     劇場の後ろ壁から手前に平台を重ねた舞台踊り場に、出捌け用のスペースを確保した上で、衝立を立て、その中央を開けてある。踊り場へ上がる階段は4段、丁度平台の中央に設えた。上手は黒の緞帳で衝立の右端から上手客席側の出捌け迄斜めに仕切り、緞帳の前にバリケードと放送用機材、テーブル等が在る。下手は後ろの衝立に直交する形で緞帳を伸ばし下手奥から出捌けが出来るようになっている。手前はフラット。(華4つ☆)

    ネタバレBOX


     時代背景は、1970年の安保改定を前に、四日市喘息、新潟水俣病、イタイイタイ病等々の公害問題が表面化、政府・各省庁の杜撰極まるいつもの対応もあり、人心は更に権力中枢から離れて行った。当然だろう。人々の身の周りでは光化学スモッグ注意報のオンパレード、地域河川、湖沼、海、入会地や山林の汚染、荒廃が極端に進み、背骨の曲がった魚や足の形がおかしい蛙など身近な生き物の奇形が目に付いた。  
    描かれるのは東大理Ⅲで68年から始まっていた闘争に、大学側が機動隊導入という暴挙で対抗した1969年東大闘争の渦中である。世界的には、1968年パリの5月革命から世界中でベトナム反戦、世界同時革命を目指し立ち上がる者、ドイツ赤軍の活動、70年よど号ハイジャック事件、72年リッダ闘争を始めとして若者の反乱が起っていた時代である。60年代末には、沖縄でも核抜き本土並み復帰闘争が繰り広げられていたし、70年には三島の割腹自殺事件などもあった。
     因みに自分の同年代は団塊の世代の直後、三無世代の前の世代に当たり、東京では初めて学校群制度が適用された世代に当たる。1970年7月28日は、第2学区で最難関の22群(新宿・戸山・青山)の中で東大合格率が最も低かったこともあって都立高校で最も深刻且つ激しい学生運動の拠点となった青山で議長をやっていた自分の中学時代の親友が自殺した命日である。無論、高校時代や早い奴は中学時代から活動家として動いていた者もあった。闘争の中で失明した者、自殺を含めて亡くなった友人、障碍者となった者なども多いが、公安からの追及を逃れている身でもあったので、正式な統計には無論現れていない。自分は大学時代、中退するまでの2年間を大学自治寮で暮らしたが、公安の電話盗聴は当たり前、消防などもマッポとリンクして寮に侵入を図ることは年中であったから、電話1本の受け答えにも様々なテクを用いたのは無論である。大学によっては、自治会やサークル、部活メンバーの中にもスパイが送り込まれていたし、デモ隊には公安の犬や私服が、学生を検挙する為に送り込まれ、デモ指揮を装って検挙されるような行動をするよう誘導したり、煽ったりは当たり前であったし、体育会、右翼・ヤクザ等が襲撃してくることもあった。
     こんな背景が今作の時代状況である。このような状況のほんの一端でも思い浮かべながら、観劇すると良い。学生たちの提起した問題には現在も古びない普遍的な問題も数多く含まれているし、当時の討議の緊張もかなり良く描かれている。

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    2019/02/22 15:08

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  •  バリケードと放送用あれこれ、酒に足を取られたばかりか記憶迄取られていたようなので加えました。
                                   ハンダラ 拝

    2019/02/23 00:44

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