ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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リーグ・オブ・ユース 〜青年同盟〜

リーグ・オブ・ユース 〜青年同盟〜

雷ストレンジャーズ

シアター711(東京都)

2019/09/15 (日) ~ 2019/09/23 (月)公演終了

満足度★★★★

 イプセンの作品だが、シェイクスピアと並ぶほど上演される作家と言われるイプセン作品の中では極めて上演回数が少ない作品である。英、米で何回か上演記録があるそうだが、日本では初。原作をそのまま演ずると3時間以上の長大な作品であり、登場人物も極めて多い(民衆がたくさん登場する為)ので、今作は原作の本質を損なわぬよう注意深く努めつつ約半分の長さに上演台本を仕上げている。(追記後送華4つ☆)

むむちゃん

むむちゃん

U-33project

王子小劇場(東京都)

2019/09/13 (金) ~ 2019/09/17 (火)公演終了

満足度★★★★


 リストカットを繰り返し、後3回切ったら

ネタバレBOX

ちぎれると医者に宣告されたむむちゃんの日常を淡々と描く。
 演劇は人間の発明した伝達手段のうち最も手の掛かる方法だと自分は思っている。書き手が作品の想を練って書き上げ、それが上演されるまでにどれだけの人々がどれほど多くの時間と作業と経費を用いるか一瞥しただけでそれは明らかであるし、ここは演劇サイトだから今更何を!? という声が上がるのは当然だ。然しながら今作では通常の序破急や明確な対立、所謂ドラマツルギーが無い。欠如しているのだ。無論、心の中の動きを主人公・“むむ”を通して観客は想像することができるしその心理的綾を想像できないということではない。ただその心理的綾が描き出すのはあくまで彼女の心理的傾向と自同律である。即ち永劫回帰に陥ったような心的構造である。ここから抜け出す方法は一つしかない。自同律を振り捨て、現実社会と向き合うことである。それができない若者達の傾向を重々承知の上で作家が今作を上梓しているのなら、それは極めて鋭い社会批評たりえただろうが、其処まで明確に意識した作品なのか否かは現時点では決め難い。というのも自分にはこの作家についてのデータや作品傾向がこうだと判断するほど作品を拝見していないからである。何れにせよ上に挙げたような意図が無いとすると、極めて表層的な作品であると思われる。仮にそうであった場合、このような心理状態で今、日本の多くの若者が暮らしているのだとすれば、これだけ手間暇の掛かる演劇という形式で表層をしか創造できない彼らが、これから構築してゆく社会を想像して暗澹たる気持ちになるのである。
盆がえり

盆がえり

演劇集団よろずや

高田馬場ラビネスト(東京都)

2019/09/14 (土) ~ 2019/09/16 (月)公演終了

満足度★★★★★

 丁寧に綴られた脚本に、入念な演出、演技力の高さ何れも素晴らしい。(華5つ☆)

ネタバレBOX

 舞台は現在次女・美佐が家督を継いでいる広島の山間部にある民家の離れ。手前には沓脱石が据えられ、9畳の板の間の奥には6畳分の茣蓙が奥に敷かれている。名家などという訳ではないが、地元には地元の仕来りがあり、美佐はそれを背負って生きている。然しながらその彼女は亭主・亮治が優しいこともあって、現在東京で働き中間管理職となった成績優秀だった長女・枝実、矢張り成績優秀で現在県下の大学の研究者として活躍する三女・希梨と異なりお喋りはするが、本当に人情の機微を危うくするようなことは基本的に何も語らない、極めて繊細で優しい美佐の、一見、ナマケモノにも、まただらしなさや常識外れにも見える生活態度、人間関係作りを象徴するシーンで始まる。これが凄まじく上手い。というのは、亭主が一所懸命、東京に居る姉、市内に居る妹ら、家族や親戚が盆で集まるので、築百年を超え、人が住まなくなって荒れた為、近々取り壊し予定の隠居身分になった爺婆さまが住んだこの離れが物置として使われていたのを片付けようと一所懸命に働いているのに、捨てる物、残す物の選別役の美佐はアルバムを眺め入ってはごろごろ、挙句亭主の作業の邪魔をするような言動を吐き散らしては亭主を付き合わせている。更には大の字になって寝入ってしまう。これがオープニングシーンだ。細部まで丁寧に描かれた脚本はこのオープニングで三姉妹の性格や伏線、美佐と結婚する為に勤めていた会社を辞め、1年近く前に移住してきた夫と妻の関係と亮治の性格、親戚との関係などを見事に俎上に載せこの後のストーリー展開を見事に準備しており、役者陣の演技もそれぞれの微妙な人間関係の綾を見事に際立たせるレベルの高いものである。小道具として終盤大切な意味を持つ浴衣の使い方も見事だ。(無論、これはオープニングシーンでの伏線が効いている。長女は誰に似ており、次女は誰に似ているという亮治と美佐の会話部分)。ホームドラマを眺めるように唯ボンヤリ眺めていることもできるかも知れない。が、普通の感性を持っていれば、美佐の持つ幾つかのトラウマが(このトラウマが中々明かされないことも作品に引き付け続けるテクニックとして極めて巧みだ)、表面上それこそサザエさん的幸せに満ちた地方の家庭生活と見えるのかも知れない日常を、極めてドラマチックな針の蓆に転換してくれる。最初、非常識でナマケモノ、在ってはならないだらしない存在と見えた美佐が徐々に可愛い女性に見えてくる。無論、枝実が勝気で何をやらせても人一倍の働きと能力の高さを見せ、而も率が無い女性であるからこそ、東京に出て、女性でありながら、中間管理職を任され仕事に充実感を感じてはいるものの、所詮、男性優位のジェンダー社会の中で本来は自分の責任に拠る訳でも無い責任を取らされる厳しい場所に居て疲れ切り、ストレスを抱え込みながら孤立無援という辛い立場の中、必死に何とか人間らしく在りたいと悩みに悩んでいるのみならず、早くに親を亡くした妹たちの為にしっかりせねばとの責任感と優しさからキツイ言葉もでてしまう事情も自然な形で描き込まれている。(オープニングで美佐が眺めている古いアルバムの写真で母に似ている枝実の話が伏線となっている点、浴衣は祖母が母に縫ってくれたもので、母の棺に入れたこと。盆祭りに三姉妹浴衣で出掛けようと話をしており、枝実の浴衣は母の棺に納めたものと柄が瓜二つであることを利用して、母生き写しの姉が、盆帰りした母に変わり、美佐のトラウマの一つ、風邪を引いた自分を医者に見せる為に運転をしていた父母が交通事故で亡くなり自分だけが後部座席に座っていて助かったことを、美佐が生き残ってくれて大変喜んでいること、また枝実がしっかりして貰おうとしてキツイ物言いをしてしまう事情なども説明し、いつも子供達を見守っているとの科白を吐く)一方、希梨は矢張り優秀な研究者である同僚と市内で同居しているのだが、相手は男性では無い。即ち彼女はLGBTの内のレスビアンである。このことが意味することは地方ではスキャンダルというレベルでの問題であり、下手をすればこの悩みの果てに自殺者が出かねないレベルの問題である。勤める大学内でも噂が立ち始めていることが原因で、希梨は大学を辞めるつもりで今回実家に戻ってきている。何度も掛かってくる電話を無視し続けていた理由は、同居人が遂に希梨を訪ねてくることで明らかになり、これはこれで二人の今後を決して否定的なものとして描かず希望の灯をともす内容に仕立ててある。このように三姉妹それぞれが、事情の異なる極めて現代的で本質的な問題を抱え、それが日常の中に丁度、海水の中に浮かぶブイのように浮きつ沈みつ不気味な貌を晒している所に、今作の凄さを見ることができよう。脇を固める農家を経営する親戚の鉄人さんの味のある演技や幼馴染で法要を営んでくれる坊さん役の一樹も良い。三都市を回る価値は充分にあるしっかりした心に残る作品である。
 唯一、矛盾しかねないのが、母の浴衣を棺に入れたこととをハッキリ科白化して際立たせて仕舞った点(何か一工夫欲しい)、柄が瓜二つの浴衣を三人で行こうと祭りに誘った時点で枝実は着なかったものの、ちょっと気に掛かりはした。
この頭の底からこぼれ出るムラサキ

この頭の底からこぼれ出るムラサキ

サッピナイ

スタジオ空洞(東京都)

2019/09/14 (土) ~ 2019/09/16 (月)公演終了

満足度★★★★★

 取り敢えず評価だけ。追記2019.9.17

ネタバレBOX

 若手小説家同士が同棲している。同棲し始めたのは、ある小説の好みが同じだった為だ。男は新人賞を獲った後パッとせず、担当編集者からも彼女の方が期待されている。それでも彼女の方から何とかもう少し見てやってくれとのたっての頼みもあり、彼、未だ見捨てられてはいない。今作にはシュレディンガーの猫が挿入されて実にお洒落な使われ方をしているが、作中に出てくるシュレディンガーの猫の話は既に人口に膾炙しているとはいえ、未だこの量子力学に於ける論争が市民権を得ているかというと微妙かも知れないので少し説明をしておこう。実はこのことを小説中に取り込んだ作品こそ、彼らをこのような関係に導いたのであるし。
元々量子力学の話だからミクロレベルで原子の構成要素や分子構造が問題になるから原子物理学や素粒子に関わりのある話である。要はミクロの量子の状態の変化とマクロ世界からの観測を如何に考えるか? の問題で実験としては密閉した空間に生きた猫を入れ、原子核崩壊の際にα線を出す物質を同時に入れておき、α線が出ると密閉空間に設置してある毒ガス噴射装置が機能するようにしておく。実験開始に当たっては容器の蓋を閉じて内部が見えない状態である。原子核崩壊が何時起るかは確率的問題と考えられ観測者は内部に閉じ込められた猫の生死を確率的にしか評価できない。一方、蓋を開けてみれば、猫は毒ガスを浴びて死んでいるか、浴びずに生きているかのどちらかになるだろう。だが、蓋を締め切った状態の時、猫は生きているのか死んでいるのか? それが、問いだ。
因みに照明装置や照明の色に関してもかなり敏感な作品である。意識したか否かは兎も角、原発等の臨界で観測できるチェレンコフ光(チェレンコフ光とは、荷電した電子が例えば水の中を光より早く動く場合に発する青い光のこと)のようなブルー、彼女の好きな緑の光を用いた室内ライト、更にはタイトルにも入っているちょっと特殊な色目、紫も無論用いられる。ここで少し色というものの性質についても説明しておく。ある物質が色を示すということは、物質に白色光を当てた時、物質はその中から特定のスペクトルを吸収、離さなくなる。すると我々の視覚に色として認識されるのは、物質に吸収されなかった補色関係にあるスペクトルである。紫の補色は波長560nm~580nmの黄緑。この黄緑が 物質に吸収される結果我々の目に映ずるのが補色の紫という訳だ。
そろそろ、作品解説に移ろう。男女の微妙な関係それを構成する空気を上手に描き乍らシュレディンガーの猫の生と死の重なり合いと大切な者を失ったが故の非在の現存というパラドクスに重ねた物語だ。このパラドクスに解が未だ見当たらないことの恐ろしさを含め“恐怖”というコンセプトを上手く織り込んで面白い作品に仕上げている。ファーストシーンとラストシーンの効果的な交感も中々洒落た内容である。 
赤と黒のオセロ

赤と黒のオセロ

ウィークエンドシアター

ARISE 舞の館(東京都)

2019/08/31 (土) ~ 2019/09/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 取り敢えず評価だけ。追記第1弾2019.9.17 18:08 追記第2弾 2019.9.27 14時53分

ネタバレBOX

 板中央客席寄りに小机とパイプ椅子。無論、役者は客席を向いて座る。1人の男が現れる。名前を高見沢という。人を3人殺害した廉で逮捕され、面会に来たジャーナリストに対し受け答えをする設定だが、登場人物2人は、対面する形になっていない。即ち役者2名による独り芝居の体裁を採っている訳だ。本人は3人を殺害したことを認めており、事件を起こした時点で正常な判断力を持っていたと主張しており、死刑になるのは当然だと認めているのだが、被害者は4歳の彼の息子、搬送先の病院の医師、そして犯人の母の3人。高見沢は息子を愛していたが、厳格な父に体罰を喰らいながら育てられた為、子供を躾ける為には口先で言葉を用いて注意するのではなく、傷みを体で分からせなければならないと考え時折体罰を加えていた。妻とは離婚しているが、息子の親権は自分が持っている。
 この高見沢に対し、ジャーナリストは冤罪だとの立場からそれを証明する為の取材をしに面会に来ている訳だ。然しこのジャーナリストは2年前に痴漢を疑われた男性がネット上にアップした文章の「自分は痴漢をやっていない」との内容を信じ、スクープ記事を連載していたが、大誤報と責められた挙句件の男性のアカウント赤と黒のオセロは削除され、男性自体存在していないということになっており、それ以降トラウマを抱えることになった。興味深いのは、今作の作り方である。高見沢、ジャーナリスト各々が1人ずつ登場して演ずるのだが、彼らの科白の中には何一つ客観的なことが含まれていないことである。彼らは自分の考えや意は述べるが、事実として果たしてそれが正しいのか否かを客観的に判断できる明澄性はいずこにも存在しない。例えば、この痴漢とされた男が実在し冤罪であった場合でも、被害者とされる女性が「この男です」と主張して譲らなかった時には彼自身の無罪をどのように証明するのかは可也難しいと言わねばなるまい。痴漢騒ぎが起きるのは混み合った車内などの事が多く、仮に目撃者が居たとしても自分の用事にかまけて証言など普通してくれないし、大体急いでいるから直ぐに現場を離れてしまい2度と会うこともあるまい。
 “赤と黒”という言葉がタイトルに入るが、これは痴漢を疑われた男のツイッターアカウント名であると同時に、無論ジュリアン・ソレルの野望を彷彿とさせる。
わたしは…

わたしは…

ソラミミ

北池袋 新生館シアター(東京都)

2019/09/13 (金) ~ 2019/09/16 (月)公演終了

満足度★★★★

 生活者として仕事をし土日に稽古をして演劇に携わっている集団だと伺った。

ネタバレBOX

旗揚げ公演としては客演に宇佐美さんを呼び音響も生で2台のキーボードとギター1台を用いたプロ(プロレベル境界を何処に置くか難しい時代になったが音的にはプロと言って良かろう。但し、自分が本当に感心してきたハッピーエンドや未だ一部の日本のトッププロにしか知られて居なかった頃の辻井伸行くん、憂歌団には現時点で及ばない)が音作りの実力や歌詞の鋭い批評性は垣間見せるから今後の修練次第で愉しみだ。
 さて、作品内容について欠点と思った部分だが、一番、問題になると思ったことは、殆どの関係者が居る中で述べたからここには揚げない。時間が無くて言っていない褒める部分について記しておく。おっと、酒が回ってきた。朝、追記する。
  タイトルの…リーダーが気になるのは自分の本職に関係があるのかも知れぬ。逃げを打つように思えるのだ。作家は可也能力が高そうだし、演出家も然り。だが、覚悟が足りなくは無いだろうか? 無論選ぶのは個々人だから、自分の述べるのは疑問、せいぜい問題提起である。

第一部『1961年:夜に昇る太陽』 第二部『1986年:メビウスの輪』 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』

第一部『1961年:夜に昇る太陽』 第二部『1986年:メビウスの輪』 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』

DULL-COLORED POP

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2019/08/08 (木) ~ 2019/08/28 (水)公演終了

満足度★★★★

 東電がまた大失態を繰り返している。千葉の電源復旧の話である。(追記後送)

ネタバレBOX

こんなこと、予め現経産省(旧通産省)や文科省(旧文部省)の官僚も含めて彼らがホントにエリートならば、とっくの昔に手をつけていたハズの、例えば水素発電を日本の電気エネルギーの中核の一つに置いていたならばずっと早く解決できていたハズ。何故なら水素発電は、原発と異なり危険性が極端に少なく、発電効率は原発の倍以上、設備が小型で構造が単純、而も廃棄物はH2O、即ち水だから公害などの心配も無い。だから人々の多く住む都市部に簡単に発電所を作れる。従って長距離送電線の必要もなく、今回のような台風でも被害を受ける電信柱、そこを経由する電線の長さが桁違いに短くなる分、被害も少なくなるし、被害が在った場合でも復旧が容易い。良いこと尽くめなのである。こんな分かり切ったことが、日本ではできない。何故か? 検証は、今作には直接描かれていないものの中枢に関わっていた連中が日本人でCIAの暗号名・ポダムを持つ米国スパイ・正力松太郎でもあり、彼と関係の深かった中曽根康弘でもあるから内実を明らかにすることが難しいとはいえ、今作に描かれている内容はこの問題の原点に密接に関わる問題である。(華4つ☆)
グロトフスキ研究所(テアトル・ザル)来日公演

グロトフスキ研究所(テアトル・ザル)来日公演

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2019/09/13 (金) ~ 2019/09/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

 戦慄の舞台!! 必見!!! 残る公演は9月15日14時の回のみ。
華5つ☆ たった1000円で観ることができる名舞台! 余りこんなことは記したくないのだが利賀に参加してもいる団体である。世界で活躍する演劇団体を目の当たりにするチャンス、逃すべきではない。

ネタバレBOX

 今宵は仲秋の名月。昼曇り空だった空も秋の風に雲も可也散り、まんまる名月が顔を見せた。今作は、こんな秋の澄んだ空気にも、冬の凍てついた寒気の只中にサクサク訪れる空中の霜のような凛とした冷気にも、将又春の湧き立ち沸騰する命や燃え立つ夏の太陽のような眩きとも異なる。荘厳で魂の奥底を顫わせるような慄然たる面持の舞台に、音が置かれ、響く。歌が聴く者の魂を戦かせる。
 普段、我々は演劇と聞くと視覚芸術だと思い勝ちだ。然しながら、今公演では、演劇には別の可能性があることを示唆してくれる。それが、音であり歌であり、死という避け難い我らの宿命へ果敢に挑む姿である。生き物である我々が奏でる命の発する息吹音と、身体の階梯を通し立ち塞がる死への様々なアプローチであり行為である。無論、我らは死の彼方から戻った者ではない。従ってあちらを知った上で語れる訳でもなければ、恰も分かった振りをして語れるほどの能力もまた偽善も持ち合わせてはいない。我らにあるのは、唯この越えがたき壁を超えることではなく、ただ謙虚に叩き、呻き、境界を今迄より明らかに、自由に、丁度国境を持たぬノマドやゾミアの人々のように行き来しようと声を発し、力尽きて土に還ることを受けいれつつ声を発し、我らと我らの仲間である人間に伝えようとすることのみ。その赤裸の現前がこの舞台にはある。
〇〇Pソファ第2回公演『喜劇 暗がりの代筆屋』

〇〇Pソファ第2回公演『喜劇 暗がりの代筆屋』

〇〇Pソファ

シアター風姿花伝(東京都)

2019/09/12 (木) ~ 2019/09/15 (日)公演終了

満足度★★★★

華4つ☆(追記後送)

ネタバレBOX

 デジタルが席巻したかに見える現在、人々の多くは溢れかえる情報にともすれば溺れ、何をどのように選択したら良いのかさえ最早曖昧になり、情報の海を唯漂うかのように日々をうっちゃってゆく。然し、こんな時代だからこそ、生の人間を感じさせる情報伝達手段が求められることもあろう。その一つの手法が手紙だ。かつて代筆屋は街角の路地の奥などでひっそり営業していた。文字の読み書きが不自由な人々が多い時代には無論生活に欠くことのできない職業だったのである。然しながら、時は移ろい文字の読み書きのできない人は、戦災孤児や無国籍者など小さい頃から大変な苦労を背負わされた方々を除き絶対数が減り、通常では商売として成り立たない。だからこそ、ニッチな職業として大事な手紙や、どうしても残しておきたい文章をキチンとした文章で残したいと望む人々も現れてくるということだろう。そのような人々の意を本人に代わって他人の心に届く文章に仕上げる仕事場で最も文才のある男・梶野と彼の惚れた女・初華の恋のもつれを中心に編まれた作品。
 ところで、今作には下敷にされている古典がいくつもある。それがどんな作品でどのような形で下敷にされているかを思い出してみるのも良かろう。
桃子と百波、ときどき齋藤、空から茜、大地に山脇

桃子と百波、ときどき齋藤、空から茜、大地に山脇

劇団鴻陵座

十色庵(東京都)

2019/09/10 (火) ~ 2019/09/15 (日)公演終了

満足度★★★★

 作家5人の作品が上演可能。但し尺が1作品30分を目安とし、場転を考慮しなければならないから各作品の間に5分の休憩が入る為、全作品を上演するには難がある。この為毎回観客の投票(1人2作品選択)で上演作品3作を選ぶ、同数の場合は協議して決めることになるかどうか、自分の拝見した回は偶々、綺麗に3:2に分かれたので問題なかったため不明。
 演じられた空間はやや横長の長方形、舞台が高くなっている訳でもなければ何か特別な仕掛けが在る訳でもない。展示スペース等としても使える唯の箱型建築。通路や飲み物をストックしてあるスパースが、入った右側にあり、このスペースを取った上で3方の壁に平行にコの字型に客席が配置され、コの字に囲まれたスペースが演技空間だ。演目によってパイプ椅子や小道具が適宜設えられる。以下今回の上演順に3作のレビューを記しておく。
 3作品に共通するコンセプトとしては、アイデンティティー、アイデンティファイに関わる作品群と見受けた。その理由は、己が存在・個別の経験をベースに作品化することで捉えなおそうという試みであると感じたからだ。フェイクニュースや情報に溢れ、ホントに信じられることなど殆ど無い現在、己の生きる環境、状況が信じるに値しないのではないか? との疑問を抱くのは必然と謂わねばなるまい。であれば、己を構成するハズの情報を疑う己自身の検証に向かうのもまた必然であろう。何人もこの事実に向き合わざるを得ないし己で解答を見出さねばならない。それはデカルトが方法序説を書くに至ったと同じ理由からである。だからこそCogito ergo sum.なのだ。因みに作家たちは皆学生さんであるようだ。

ネタバレBOX


「愛着」岸田 百波作
 男と女それぞれの性(さが)が良く出ている作品。多少なりとも男女関係が理解できる人々にとって当たり前に見えることは、逃げる者は追われ、追う者は逃げられるという心理現象だろう。一方、原人以降の人間史を垣間見ると♀は、住居を根城に周辺の木の実採集や子育てなどをその働き場とし♂は狩猟等で遠くまで獲物を求めて狩り、持ち帰るという作業に従事してきた。性的にも♂は広く種を撒くことが主眼だが、♀は良い種を受け、より強く、賢く状況適応力の高い子孫を残すことが主眼である。二足歩行に移った後、人類は手を用い、道具を作って用いること、コミュニケーション手段を非常に発達させたことによって脳の能力を拡大してきた。その結果、知恵や技術力によって地球上の王となった訳だが、その分、本能のみによってではなく自ら発達させた社会や習慣、文化や歴史、己の社会的・経済的位置等によっても己を縛られることになった。これら総ての要素の中で人工的で無い物は、最早殆ど無い。大ざっぱに言えば身体のみが除外され得るが、歯の治療、様々な怪我の治療に用いられている人工物等が己の体の一部を形作っていない個体を探す方が難しかろう。このような状況の中にあって、男は本能的に自由を求め、女は本能的に恋を求め得た恋人を縛ろうとする。今作では、形の上では女が振った。然し残る未練を自分自身に隠す為に彼女自身が「愛着」を「愛情」と取り違えていたとして自己救済を図ろうとしている。それは、自身で本人役を演じない点からも証だてられる気がする。プロの劇作家を目指すのであれば、生き乍ら覚醒した状態で己自身を腑分けしなければならない。表現者の世界はそのようなレベルでの弱肉強食だと考えておいた方が良い。
「でーと」山脇 辰哉作
 兄と妹が居る、シングルマザーに育てられた次男がヤンキー上がりの母、妹らと実家で久しぶりに会うことになる話だが、何と園に通う頃彼の頭は金髪に染められ後頭部には辰の字が剃ってあったというママ振り。これはちょっと仰け反る。自分の周りにも族のアタマ張ってた若い者が居たり、組に入ったのが居たりで所謂ヤンキーには事欠かないが、これはちょっと驚きである。で彼は結果的に大学に入った位だから、母の言動が大嫌いだったし、大嫌いな母を反面教師として自らを作り上げて来たのに、久しぶりに会った母の変容ぶりに愕然とし、自らのアイデンティティー崩壊の危機を迎えたようである。無論、大学生にもなって様々なことを理解している彼は、そんな母を本当はどこかで庇ってやれるだけの力を獲得し実践しつつある。若者らしい優しさやデリカシーと爽やかさを持つと同時に独自の押しの強さを持つ彼に、もっと年を重ねた段階ではトレーランスも発揮できるようになって貰いたい。
「友達とケンカした」佐藤 桃子作
 かなり内向的な女性の作品。内向的故に余り自己主張が得意でなく、本当に自分が傍に居たい、居て欲しいと願う友達も極めて少ない彼女の子供時代、一番大事だった友達との象徴的で決定的な溝が生まれた経緯と今も彼女が引きずる念を描いた作品。
 その大切な友人の名前がアキで男女の役者がアキを演じるので、アキの実態の特定がしずらい。ホントに内気な人のようなので未だ、他人と自らを仮借ない目で見比べることや、関係の中に在る自分が関係を秤に掛けて分析し己の内実というものを対象化しつつ、己の内実を保持できるようなら大化けする可能性を秘めている。
人生のおまけ~Collateral Beauty~

人生のおまけ~Collateral Beauty~

演劇企画イロトリドリノハナ

シアターKASSAI(東京都)

2019/09/05 (木) ~ 2019/09/09 (月)公演終了

満足度★★★★

 初日を拝見。タイトルの「人生のおまけ」は映画「Collateral Beauty(邦題・素晴らしきかな人生)」を意訳したものだ。劇団「光希」の看板女優として活躍してきた森下 知香さんだが、イロトリドリノハナを主宰してもいることは多くの方々が既にご存じだろうが、如何にも彼女の作品らしい作品に仕上がっている。初日、若干硬い所も観られたが回を重ねる毎に良くなることを期待している。音曲の使い方もグー。(華4つ☆ 追記2019.9.7)

ネタバレBOX


 何時までも抜け出せない世界同時不況。資本主義全体の停滞は明らかであるが、この中で広がる格差社会現象についても、元校長先生で現在は潤沢な年金で悠々自適の生活を送っている耕平と対比するように、優秀な研究者でありながら困窮を極めるチャカーナのメンバー達という形で織り込まれている点にも注意したい。既に騒がれなくなったが自殺者数が毎年3万人を超えていた時期にあってさえ、ポスドクの自殺率は異常に高かったことを思い出して頂きたい。この自殺傾向は多少下がってきてはいるものの、研究者の多くが経済的困窮の為に呻吟している事実は今も変わらない。
 この格差社会は既に1970年代から始まっていようが、殊にそれが酷くなったのはリーマンショック以降である。そしてリーマンショックの起った時、既にインターネットは世界中を結ぶ通信インフラの中核技術の地位を確立していたのではなかったか? 一般的に生産性は以下の式で表すことが出来る。即ち、
基本的に生産性=商品÷{生産手段(様々な社会的インフラも入る)+労働}この式で自分が示したいのはインターネットが光速で世界を繋ぐ通信インフラを確立する前の状態である。即ち多くの人々が現在、現実に認識しているレベルに近い。然し、と自分は言うのである。インターネットが世界中の殆ど総ての人間(無論、ゾミアで暮らす人々及び飢餓故に他の総てを犠牲にせざるを得ない人々は含まない)をその網で絡め捕った時以降、主流派経済学論者が主張する通りであるならば、大不況の直後こそ、更に発展するハズの資本主義が一向発展しないどころか、先進諸国、ロシアを始め、既に経済成長鈍化傾向を見せている中国を含め、殊に資本主義を奉ずる先進諸国の経済が実質借金まみれになり、国家経営を金融に牛耳られた挙句、日本等は最早異次元緩和迄行って打つ手が無くなり、自動車、船舶、多くの半導体製品(太陽光パネル等)、家電で国際競争力を失い、稼ぐ力を持つハズの高次な知的レベル産品を開発する力も無いまま、最早儲けることのできるのは、コストパフォーマンスの高い戦車などの武器だけという有様である。ところで、外国はスペックの良さは認めても命の懸かる戦場での実戦経験を持たない国が作った武器等買うはずもない、その為実戦経験の場を作る為に専守防衛のみとしてきた我が国の「軍事力」をアメリカとの集団的自衛権を法制化することで海外派遣し、実戦で破壊と殺戮及び当然のこと乍ら日本人「兵士」戦死を含めて武器を売る為の道具にし、金儲けに走ろうという算段。(言っておくが企業の最優先課題は常に儲けることである。ハッキリ言うと民衆の人命や悲痛等儲けにならないから「有効活用」しようとの判断だろう。)これは産業界が待ちに待った実戦経験を積ませることによって可能になるし、同時に最先端の軍事技術をアメリカから輸入し日本であわよくばカスタマイズして周回遅れだが、スペック的には可也充実し、コストパフォーマンスも高い商品として売ろうというのが??重工を始めとする日本の長大重工産業の腹だろう。だが、こんなことを検討する前に、憲法改悪は国民の賛成が未だ少ない為産業界及び政府が現在行っていることが、労賃を抑えたまま企業収益を高めることであろう。その為の武器はインターネットだ。どういうことか? 簡単なことだ。生産性は、成果物や投入リソースから直接引き出される必要はない。企業目的は利益を得ることだから、労働生産性云々ではなく、投下資本に対する利益の多寡が重要だ。一方、人間の身体能力などこの千年の間に大した変化はない。僅か100mを走るのに最速10秒近くかかるのだから。そこへ利潤を追求する企業が世界中に網を広げたインターネットを用い、利潤拡大最適化をしてきた。これは、生産手段の延びが鈍化・停滞すれば、労賃を一定にしても生産性が上がるようなシステム構築をすれば良いとなるは必定、一例をあげれば先進国の労働者1人を雇う賃金で途上国の人間ならその数倍以上の人間を雇える。ITの進歩で熟練労働者なども最低限必要な者以外は首を切れる。少しパソコンの講習をして現地採用すれば、同じ労賃で雇った現地採用の人数倍と同等とまではいかなくとも生産性を上げることができる。結果的に労働コストは低賃金に方向づけられるから削減が進み、勤労者が貧しくなるのと反対に企業会計の生産性向上に繋がる。普通の人々が貧しくなる構造がここにある。式で表せば、
資本の生産性=利益÷投下資本となる。  
 こういうことを書くと作品に関係ないとか政治的だとかアヤをつけてくる蛙がたくさん居るが、この程度の政治、その下部構造を為す経済分析ができずに演劇を語るのは片手落ちというものであろう。何故なら、シェイクスピアを挙げるまでも無く、演劇はその総合芸術性、発生に関わる時点で祝祭と深い関わりを持っていた点から見ても極めて政治的、社会的な芸術であり、そのような己の出自からこそ、多くの発想、着想、展開の具体性と妙を得て来た芸術様式だと言えるからである。(演じていた者達も被差別民であったり、流浪の民としての遊芸者であったことをみても意味深長である。)庶民生活を描く場合に於いてさえ、それは無論大いに作用している。例えば、下町長屋に暮らした店子たちに政治的発言権は無かった。意見が在る場合、大家、地主である役付きの人々の力を借り彼らの口を通してお上に訴えねばならなかったのである。演劇作品でも良く扱われる落語の持つ面白さの陰には政治に関与することのできないこのような庶民の悲哀があったと考えた方が正鵠を射ていよう。演劇が浄瑠璃など人形を用いる場合であっても「身体表現」であるのは、その根底に我々が生き物であり、生き物である以上、食わねばならず、食う為には食物を入手し、食べるという身体の動作を余儀なくされるということから来る。この制約無しに生き物としての悲哀も存在することの深さや意味も問う事ができないというより、真の意味を持たない。



ツノノコ、ハネノコ、ウロコノコ

ツノノコ、ハネノコ、ウロコノコ

フロアトポロジー

オメガ東京(東京都)

2019/09/04 (水) ~ 2019/09/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

 ディストピア作品であるが、エッジの効いた脚本、演出、演技、舞台美術、照明、音響に至るまで優れた作品。(追記2019.9.8 02;:15)

ネタバレBOX

 時代はハッキリしない。近未来的ではある。極めて意味深長な作品だ。脚本もしっかりしており、舞台美術、演出、演技、照明、音響等何れをとっても上手いと思わせるシーンが多いし、科白と実際に演じられているシーンでの微妙なズレや小さな矛盾の仕込み方、解消の仕方、またタイミングも絶妙である。
 内容的にもハッキリ証拠立てることはできないまでも、如何にも現実に為されていそうな事柄が扱われており、ストーリー展開でも重要な部分で細部に迄注意が配られている他、極めて自然な展開は違和感が無い。観劇中は、今作の内容を追いつつ同時にかつて実際に起こったさまざまな事件(サブラ・シャティラ難民虐殺)やパンデミックではポリオワクチンもその起源として疑われ、現在も諸説ある(AIDS)などが直ぐ記憶から浮かび上がる。AIDS禍では加熱しさえすれば被害が防げたのにそんなに単純で簡単に実施できることすらせず、多くの被害者を出した非加熱精製剤による被害拡大。(この件の裁判も極めて怪しいと言わねばなるまい)他原因が熊本大医学部の研究によりハッキリ疑われ報告されていたにも関わらず対応の遅れと無視によって被害拡大を招いた水俣病を始め、これまた原因が疑われ多くの症例が明らかになった後も放置したまま被害拡大を招いたサリドマイド禍、等々、実験ではないものの官僚、研究者による人道的罪、さらには、患者をモルモット扱いしかしなかったことで有名なABCCとそれを継承した放影研等々、我が国の医療犯罪は枚挙に暇が無いことを鑑みる時、決して単なるSF的ディストピアには見えて来ない点で、今作は特異且つアイロニカルな秀作と言えよう。ラストも不死身の契だけが生き残り他の者は総て死に絶えていることでこの暗愚の国の滑稽な末路を示して面白い。今作の魅力はもう一つ。少女達のひたむきな生き方が、その真摯な姿勢にも関わらず、常に彼女たちの手に負えないレベルで嘲弄されるが如く機能するにも拘わらず、真っ直ぐに尚生きることを選ぶ姿勢の幼さが否応なく訴えかける異様なまでのリリシズムが、我々、観客の胸を撃つことである。
革命を起こすんだ

革命を起こすんだ

teamDugØut×マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2019/09/03 (火) ~ 2019/09/08 (日)公演終了

 自分がまっただ中に居たことと落差が大きい為、☆評価は控えさせて頂く。

ネタバレBOX

 タイトルを見て持ったファーストインプレッション通りの作品。
 革命等まるっきり関係ない話。唯、革命と言い立てることで今作で唯一、コアを為していると思われる“怒られる”ことを目指した行為が校舎屋上占拠計画だったというだけのことだ。戦略、戦術、展望、社会的正義感、目指すべき理想の具体的ビジョンと実現する為の論理的筋道、仕掛けのタイミングとその歴史的、社会的状況分析、反逆する為の止むに止まれぬ居直り、出るであろう犠牲に対するケア等、為すべきことは山ほどあるが、ここに上げた要素の何一つとして舞台上で表現されない。状況分析も甘い。世間で散々言われていることの焼き直ししか言っていないのだ。唯一の例外が先に挙げた“怒られる”ことによって甘えようという判断だが、これ自体甘えでしかない。どうでも良いことだが、当時「甘えの構造」というタイトルの本が流行ったことは事実である。(更にどうでも良いことだが、友人の高校時代のクラスメートの父親が著者であった。)

 今作で描かれている時代は1970年代初頭、自分達は70年に高校を卒業しているが、高校でロックアウトをやり、成田闘争やベトナム戦争反対闘争、沖縄連帯、羽田闘争、新宿騒乱等をやっていた最後の世代に属する。たくさんの友が傷つき、障碍者となり、自死を選んだ者も自分の親友だった友を含めて自分の周りだけでも何人も居る。祭りじゃないんだよ。
『humAn』

『humAn』

劇団夢幻

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2019/08/28 (水) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★

 タイトル表記が小文字で始まっている所が意味深。

ネタバレBOX


 脚本は感じた通り女性のようである。伝えたい思いは無論理解できるつもりだが、余りにも技術的なレベルでの勉強が足りない。少なくとも科学が関わる人体改造に関する物語である。SF要素が絡んでいるのであるからオートマタを説明する科白でからくり人形は許されまい。その程度の技術レベルと脳を剥製レベルで維持するという比喩自体ナンセンスである。脳は例えば心肺停止レベルから秒単位で破壊される。新鮮な呼気が脳に供給されない限り脳細胞が破壊されるからである。人間の脳の大きさは約150ml、重さに換算すれば荒っぽく1.5㎏程度か、日本人男性の体重平均は調べるのも面倒だから調べていないが仮に60㎏だとしよう。40分の1が脳の重さということになるが、使用するエネルギーは、人間一人が使用する全エネルギーの20%である。このことだけからも明らかなように、そして精神が肉体を支配するという考え方が殊に西洋文明に顕著に現れたように脳は極めて特殊でデリケートな器官であり、今作のような形で描かれる為には、千歩譲って剥製化した脳がかなりキチンと機能したとして、語られているからくり人形という技術とどのように具体的にリンクできるのかが作家の頭の中でキチンと組み立てられていなければならない。それができないならば、演劇的には、完全なファンタジーにして魔法というレベルで話を構築すべきであった。ただ、それでは現実にコミットできないという懸念が作者にはあったであろうが。そこが理詰めである必要があるのは、当然のことである。
 この辺りのギャップを埋めることができればかなり面白い作品になろう。舞台美術、照明、ダンス各々キチンと独立して各々の技術だけでそれなりの評価を受けることができようし、関わっている人々個々人の誇りも自分の評価に見合ったものであると思う。何れにせよ、頑張って欲しい劇団である。
ENDLESS-挑戦!

ENDLESS-挑戦!

劇団銅鑼

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2019/08/27 (火) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

 塵廃棄・産廃業の話らしい、とのイメージから最初に頭に浮かんだのはこの話の実際のきっかけになった企業とは別の企業の話であった。

ネタバレBOX

岐阜県御嵩町の一件である。興味のある方は当たってみると良い。2006年に本も出ている「御嵩町史 通史編 現代」そこまで詳しくなくてもという方には、以下https://www.google.com/search?source=hp&ei=h5doXaWNKbySr7wP67WV4A0&q=%E7%94%A3%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%80%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%BE%A1%E5%B5%A9%E7%94%BA&oq=%E7%94%A3%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%80%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%BE%A1%E5%B5%A9%E7%94%BA&gs_l=psy-ab.12...3248.57392..60293...2.0..0.280.7113.48j22j2......0....1..gws-wiz.....0..0i131i4j0i131j0i4j0j0i131i4i37j0i4i37j0i4i30j0i4i30i23j0i5i4i30j0i5i30j33i10i42j33i10.HteCQKnSPwI&ved=0ahUKEwjl7KeR06nkAhU8yYsBHetaBdwQ4dUDCAk#spf=1567139108415
 産廃業者には悪い噂が絶えない。被差別者が携わってきたことも大きかろうし、当然人脈的にも裏社会との絡みが指摘されやすい。実際、上記のような殺人未遂、障害事件等が起こってきたという経緯もある。だが、被差別者を他の職業から排除してきたのは、差別者であり排除されることによって被差別者がどれだけ悔し涙を流してきたかについての責任は差別する側にあると言わねばならない。歴史的には被差別者の方が権力の軛から自由であった側面が皆無とは言い切れない部分もあるが、殆どは最下位であることから来る自由である。それにお上の身分制度の中に組み込まれていた連中も例えばジビエは獲物をイチワ、ニワ…と勘定することで実際にはお上(狭義には仏教の殺生禁止)の禁じた獣肉も食っていた。(ここで上げたイチワ、ニワは兎)一方、被差別民は、牛などが死んだ場合、村の境界領域に遺棄された牛の死体を処理する権利を与えられていたのである。これも差別・被差別から来る「自由」ではあった、というに過ぎない。江戸での被差別民代表格の一人に浅草弾左衛門がある。これは人口に膾炙した役職名なので正式名ではなく、一人という言い方はホントはそぐわない。唯代替わりすると新たな浅草弾左衛門は世襲の別人だった。少々ペダンチックになったか? 自分は差別に関する専門家ではないから聞きかじりを述べているに過ぎないので更に詳しい方がいらしたら色々ご教示願いたい。

ところで、今作が如何にも銅鑼の作品らしいのは、二代目を継いだ女社長(葵)が、窮地に立たされた際、偶然見つけた雑誌の記事に触発され、リーダーシップを発揮して、先ずISO(International Organization for Standardization・国際標準化機構)を取得、環境企業として再生する為に以下の3つを取得することを目指す。通常3年を目途に実施に取り組むが、社長の決めた期限は1年、これでISO 900(品質マネジメントシステム)、ISO 14001(環境マネジメントシステム)、ISO 45001(労働安全マネジメントシステム)3つを総て取得することを目指した。もとより現場従業員は英語力もそれほどない。そこへいきなり国際規格を持ち込まれてもという気持ちもあり、煩瑣な手続き内容や慣れない事務処理や規則による拘束、チェックに対する反発などから、辞める社員も続出、会社は、他者との関係も先細り経営危機に陥る。それでもナクラ組二代目社長、葵は基本的主張を変えない。然し同時に手本にした山口 京子(同業で日本で初めてISOを採用しV字回復を果たした(株)グリーン環境社長)に直に会い話を聞こうと、何度も山口が社長を務める会社を訪れていた。ニ人が出会うシーンが今作の転回点であり肝である。この時の会話で葵は、人の上に立つうえで最も大切なことは、リーダーシップではなく、マネージメントであることに気付く。マネージメントとは、人を差配することではない。多くの日本人が勘違いしていることだが、マネージを管理と訳し違えているのではないか? 全く違う、管理ならば対象は人では無い。品質管理という言葉一つ取り上げてみれば分かるように対象は物である。マネージとはカオティックな現実の中で何とか人々をエンカレッジしてインセンティブを高め、エンパワーメントすることによって各自の能力に自信を持たせ、各々の創意工夫が伸ばせるような労働環境を築きあげることである。即ちサーバントリーダーとして振る舞うということに尽きる。これができない代表例が日本の官僚や「エリート政治屋」である。この点を、演じられた実例によって示している点を、都合よすぎと観る観客が大勢居ることは目に見えているが、そんな些末的、既存体験のみによって判断すべき所に我々は居ない。実際には、第3次世界大戦が何時起ってもおかしくないし、その結果も第2次大戦までとは比較にならないほど悲惨であることも容易に想像がつく。放射性核種による悪影響、DNA改変によって新たに創られ、予防薬も対処療法も軍事研究に携わる者以外に知られていない生物兵器の悪影響、ラボレベルでは開発され尽くしたと言われる一般には未公開の化学技術が用いられた化学兵器による悪影響、戦争による環境の重大な悪化などが極めて長期に亘ることも当然予想の範囲だ。こんな悲観的な未来を変えて行く為にも我らは今、日々の生活を見直しフォーディズムの齎したマイナス面をキチンと根幹から是正してゆくヴィジョンを持たねばなるまい。その為のヒントの一つが提起されている点に今作の意味がある。

夏休みの友たち

夏休みの友たち

ハグハグ共和国

萬劇場(東京都)

2019/08/28 (水) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★★

 一見、勘違いしそうなタイトルだが、友達ではなく、友たちという所に深い意味がある。(華4つ☆)

ネタバレBOX


 自分は、自然が好きな人間なので山も海も散々出掛けてきた。国内の海では伊豆大島、青ヶ島、八丈島、小笠原、沖縄本島、西表、鳥取、溝のような汚い水は嫌いだが油壷や湘南各地、猿島、鎌倉は仲のいい先輩の本拠地だったので年中行っていたし、館山や外房にも出掛けている他、東尋坊、気仙沼、北海道は釧路近辺、札幌近辺、小樽等。山は矢張り信州が多い。生まれが関西だから六甲は、実家が在った場所でもあり、散歩がてら年中登っていたし、最初に通った大学は京都にあったから北山、東山三十六峰のうちの幾つかは生活空間、散策の場所でもあった。好きなのは1?だ(敢えて名前は上げない。荒らされるのは嫌だからだ)。自然が良く保護されている。鳥取は大山と鷲峰山が好きだが、三徳山、投げ入れ堂も大好きな場所だ。自分が鳥取で泳ぐのは良く水死人が出る流れの速い場所で、大物が居るから素潜りで魚を突くのが得意な人は探して行くと良い。上に上げた青ヶ島も水死人は年中出るし、自分が行った頃には、まともに上陸できる場所が無かったから、準備がキチンと出来なければ岩礁で傷だらけになることは覚悟した方が良い。海流も3ノット以上のスピードがあるから、流されればアメリカ大陸迄行っちまうぞ! 無論、助かるまい。何しろ岸辺から鯨を見掛ることもある外洋の央の島だ、釣り人垂涎の地だが、ホントに死人は年中出る危険地域である。よほど泳ぎと装備に自信がある人以外は絶対行かないように。山でも海でも街でも自分は危険の無い所に大した魅力は感じない。生きてる気がしないからである。多くの人にとって日常は、何ということも無い唯安心できることが過ぎて行くことを信じられる時空である。だが、自分は、例えば丹沢辺りの低い山の岩場でハーケンを打ち込みながらロッククライミングをやる時でも、オーバーハングしている岩場で、落ちたら死ぬかも知れないという緊張感を味わいながら登ることこそ、目的である。逆説的かも知れないが、こんな場所に生えている苔の緑を目にする時、これこそ命の色であると深く実感するからだ。本格的に登山をやった訳ではないから、岩はトウシローだが、このように命懸けの時、所での実感程充実感のある体験を自分は他に持たない。新月の晩、船の舳先に独り立ち、南洋の降るような星と夜光虫の光がないまぜになって海と空の境目が分からない中を航行していた時の圧倒的な抱擁感も忘れられない。まるでたった独り宇宙の只中を彷徨うような気分であった。
 今作では、自然のこのような包容力や優しさが瞬時に変わり、その結果、トラウマを負って40年間記憶を消していた元小学6年生たちが40年後に記憶を回復する様が描かれるが、ありきたりの日常が如何に貴重で「非日常」的であるのか、その奇蹟のようなありきたりの尊さを描くことで、人は傷つき、それを見まいとする弱さを持ち、掛かるが故に遠く近く木霊するきな臭い現状を座視している現状を示唆しているようでもある。
TOKYOせんちめんたるジャーニー

TOKYOせんちめんたるジャーニー

劇団アルファー

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2019/08/27 (火) ~ 2019/09/01 (日)公演終了

満足度★★★

 う~む、脚本、演出、キャスティング、演技何れも全体としては中途半端に思えた。(音楽関係は良かったので華3つ☆)

ネタバレBOX

 良かったのは歌と演奏だが、ちゃんとできているのはカルテットとソロで歌う3人の内2人、タップはステップをキチンと踏んでいないように思った。演技的に気に入ったのは亘役。あそこまでポップではないが、自分が世話になった先生は、頗る頭の切れる、而ももし喧嘩になれば殺すか殺されるか、獲物を使わなければ先ず殺されるであろうほど強いが、極めてデリケートで苦労と様々な体験に揉まれた、あるジャンルでは日本でトップの実績をも持つ優れた人間であったから、周りの総ての人々から一目も二目も置かれるひとであったし、ご存命の現在でも慕われつつ尊敬される人である。無論、自分も今もってお付き合いさせて頂いている。
ゆらり獏

ゆらり獏

不定深度3200

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2019/08/22 (木) ~ 2019/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 作・演の東野氏は理系の人だが、随分文化系の本質も理解してきているように思う。夢を語る際の役者達の独特の動きも凄く気に入った。(華5つ☆)2019.8.26 若干追記

ネタバレBOX

 板奥に黒い衝立を立て、その上下が出捌け口になる。板上は縦長の木製机が中央奥に据えられ長辺は側壁と平行である。矢張り木製の椅子数脚。板は客席に近い部分が半円形に迫り出す形で、机・椅子は木目をそのまま活かした作り。その他は黒ベースで落ち着いた雰囲気を作り上げている。原案として用いられている漱石の「夢十夜」は、この希代の天才作家の面目躍如たる佳作だが、夢という不可解な現象を用いることによって、当時未だ人口に膾炙していなかった実存の根底に横たわる不可解と其処からマグマのように吹き出し続ける不安が人々にキチンと伝わるように書かれていることも今作の作・演出を手掛ける東野 航平氏が採用した原因であろう。無論現代に於いてはこの実存的不安は既に多くの人々に乗り越えられたと錯覚されるに至っている。人々は煌びやかな街明りの中に暮らしながら寒暖、飲料水、飢えなどに怯やかされることも無く利便性を享受しているように考えられている。少なくとも先進国中間層の人迄は。だが便利になった世の中で本当に起っていることは、人々の目に映りイメージされているように明るく清潔で経済的にも安定し快適なものだろうか? であれば何故、多くの若者が好きな人が出来ても結婚することも出来ず、将来を設計出来ずにいるのだろうか? 無論、現在海外に銀行口座を持っているような人は日本のコンビニに設置されたATMで日本円で金を下ろすことも安く簡単にできる。電信を使えば今でも数千円は掛かるだろうが。このようなことも実際大した手数料も掛からず、素早く、殆どいつでも簡単に出来ることは確かに便利である。然しながら利便性を享受するだけの人々が実際に今置かれている社会的位置から、熟練や高い技術を必要とせぬ低賃金単純労働者へ一方通行の転落をしないと誰に保障できよう。無論、背景には現在世界の銀行の多くで採用されている金融システム、信用創造システムの成長を強要される問題が横たわり、このシステムの故に例えば準備率10%とするとその10倍のバーチャル経済が少なくともマネーストックとして現実に機能し一旦不況ともなれば銀行の取り付け騒ぎが起こるということがある。現在西側先進国が量的緩和に踏み切り、各国政府が借金漬けから抜け出せない根本的原因もここにあろう。

 何れにせよ天網にも例えることができるインターネットが光速で世界をネットワーク化し社会インフラとして機能している昨今、スマホを持ち歩くことは、常時GPSで所持者の位置情報、即ち行動情報を誰かに監視され得るということであり、人々は嬉々として自らの行動情報を垂れ流している事になる。様々なSNSだって個人情報が誰かに盗まれ利用される危険は常に付きまとっているのである。(これらの情報を個人情報として用いずとも企業は社会の動向を瞬時に正確に知ることが出来る為、何を何時どの程度生産し、何時、何処に下ろせば利潤を大きくし得るかのデータベースとして用いることができる。無論、嘘や偽情報等も在り得るからその辺りは係数化し修正すればよかろう)さて少し先程の話題、一方通行で低賃金単純労働者とされてしまう現代社会の解明に戻ろう。社会が大金持ちと貧乏人の2極になったということは良く言われるし、実感している方々も多かろう。これはどうして可能になったのか? 企業が利潤を追求することは誰もが認める所だろう。当然のこと乍ら各企業は最小の投資で最大の利益を確保しようとする。而も彼らは既に利潤を最大化する為に生産手段の改良だけに頼る必要が無い。何となれば労働コストを下げれは利潤率は高まるからである。先進国の労働者は賃金が高いから彼らを馘首し、代わりにIT技術の発達した現在ではその利用で少しノウハウを教えるだけで誰でも生産性を維持できるとしたら、労働コストのパーセンテージを同じにしたまま、労働単価の安い労働者に代えることによって例えば先進国の労働者が10$の時給で働いている時、途上国の人が1$の時給で雇えれば1人分の労賃で10人雇えることになる。生産性が10倍にはならなくとも数倍になったとすると企業の儲けは遥かに増えるわけだから利潤を追求することが企業の第1目標である限り、企業はこのような合理性に基づいて経営戦略を立て、実現するのが必然である。これが世界中で起っていることなのではないか? このような流れの中で勝ち残ろうとするなら、自らパラダイムシフトを起こせるような技術の開発者となって成功したり、起業して成功者となる他、中々具体的な案すら思いつかないのではなかろうか? 無論、新たな金融システムを立ち上げ、成功させることができれば、これも一つの手ではある。然し生命の危険を伴うことは確実である。リンカーンやJFK暗殺の真の理由がこの辺りにあるとの情報もあるくらいだし、信憑性もありそうだからである。何れにせよ、行くも地獄、引くも地獄逃げ場は既に何処にも無い。自死を除いては。これが我らが生きる現在の実相であるとしたら。経済的レベルから大多数の人々の生命そのものが怯やかされる世の中は、とっくに始まり、只管更なる収奪の道をひた走っているのではないか? 一般民衆は良くて奴隷、悪ければそれ以下の生活を強いられる貧民と成り果てよう。このような未来像こそ、東野 航平氏が「夢十夜」という作品の語り口の違いに気をつけつつ、原案物語の順序を変え、内容を編集、オリジナル要素も加えて現代の物語として再生している所以だと思われる。無論、明治時代を生きた漱石の感じていた実存の根底に蟠る存在の不安とも、それは、そのまま地続きである。
 おっと、余りに当たり前過ぎて書き忘れる所であった。歴史的に大量雇用を伴ってきた先進国の重厚長大産業は、既に国際競争力を持たない。彼らの持つ技術力でおいしく稼げるのは、軍需だけである。だからどんな手を使っても兵器を作り国外にも販路を伸ばして企業として儲けを出し存続し続けたい。だが我が国の場合、国内の販路は自衛隊だけ、基本的に言い値で買ってくれるから極めておいしい商売だ。然し市場が小さすぎる。どうしても輸出したいが、スペックとコストパフォーマンスは評価されても、命の掛かる戦場での実戦戦闘実績が皆無だから買って貰えない。そこで憲法改悪が画策される。当然、政権はその目論見を実現する為の駒で利益共同体である。歴史的にその国の社会を支えてきた重厚長大産業であるから利害関係のある支配層も多く、金融機関も彼らのグループに属して甘い汁を吸ってきた。目的は唯一つ、儲けることである。彼らは自分達の既得権益を手放したいとは思わない。当然、民衆などいくら死のうが関係ない。自分達の利益確保の為には、ということで戦争をおっぱじめようとしているが、食い扶持を失い自らの頭脳を用いて状況判断をし得なかった者は貧困に喘いでいる訳だから兵役に就くしかない、というシナリオだ。こうはならないことを期待したいが。
I s

I s

セツコの豪遊

梅ヶ丘BOX(東京都)

2019/08/24 (土) ~ 2019/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 ハの字に並べられた縦長の机上には様々なサイズの書割が印刷されたA4サイズの紙が乱雑を装うように配置され、下手側では奥の椅子がかなり良く見えるものの、上手側では殆ど隠れてしまった状態である。書割が印刷されている以上、漫画というのは直ぐ分かることだが、タイトルにIが入っているのは、愛に関する内容で執筆を頼まれた素人漫画家が描く各挿話が、演じられる各々の物語の内容だからである。(追記2019.8.26)

ネタバレBOX

 残念なのは、愛の複数と捉えられていることで、それでしかないことである。I以外にmy,meもあるのにそちらには想像力の翼が及んでいないように思われ、その点がちょっと寂しい。己をもっと穿つべきだろう。表現する者であり続けたいならこの程度のことは当たり前だ。一つだけ例を挙げておくとしよう。Myで書くとすれば、愛の孤独について書くことも可能だろう。
さよならはめざめのあとに

さよならはめざめのあとに

劇団ハッピータイム

北池袋 新生館シアター(東京都)

2019/08/22 (木) ~ 2019/08/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 タイムリーパー物というSF仕立てにしているのは、扱っている問題が極めて陰惨な問題・苛めだからだ。(華4つ☆)

ネタバレBOX

この取り上げ方に作家の優しさが見えると同時に社会的問題として見ようとする視座が見える。もう一段踏み込む為には、自分の大切な人の実際に抱えている問題として捉えなおす視座も必要となろう。そうすれば、世間が他人事としてしか見ないことへの批判的視座も持ち得るように思う。無論、更に多くのことについて悩まなければならないし、頗るシンドイ作業であるが、作家はできればそこまでコミットしたいものである。こんなことを書くのは無論この作家は視座の持ちようでそれも可能だと信じるが故である。
 By the way,現在この「国」で横行する陰惨極まる苛めに関わる多くの者達が、実は自らも何らかの問題を抱えているということを描いていることは評価しておく必要があろう。自分はかつて地域の住民運動に関わっていたので様々な問題に関与した。不良少年・少女問題での暴力、カツアゲから売り、堕胎、薬中、苛めや引きこもり、登校拒否、親子関係、DV等々、校内で苛めが問題視されないこと、差別等。現代日本が抱える問題の何から何までがあった。そのような問題の中でも苛めは、苛める側もそうしなければ自らが苛めの対象となるなどの恐怖を抱え、親たちが、自分の子を庇うことなどがあるばかりでなく更に悲惨なケースでは、家庭内暴力に親が為す術もないケースさえある。現在では発達したネットによってSNSなどで誹謗中傷が拡散され、事実無根の情報だけが拡散して被害者を追い込むケースが増えたから猶更である。
こんな状況を抱え、噂や故知らぬ悪意中傷に囲まれ乍ら我々一人一人は生きており、生きてゆかねばならない。その為に人々が考えることは強くなることだが、その為には不断にエンカレッジし続けなければならない。更に普遍的な場所に自ら行き着く為に人々より考え続けなければならない。その勇気を与えてくれる作品だ。

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