ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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死に際を見極めろ!Final

死に際を見極めろ!Final

ライオン・パーマ

駅前劇場(東京都)

2019/12/11 (水) ~ 2019/12/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

 オープニングシーンが良い。

ネタバレBOX

上・下に設えられた出捌けは長短のパネルの配置で構成されており、表面には太い雨脚の痕のような、これも矢張り長短取り混ぜた線が描かれ丁度センターには客席側の角を斜めに切ったちょっと厚めの平台が置かれ、最深部のパネル中央が開閉可能の扉、この扉の奥に小部屋のようなスペースが設けられ、進行する内容に従って様々な小道具が置かれ、実に重要な意味を担って利用される。平台上は、主人公の実家の団欒の間になったり、課されたミッションの実験ラボになったりと千変万化、この活用ぶりも見事である。
 設定としては、某TV局放映の大ヒット刑事モノの名場面を超える作品を撮ろうと看板役者、監督が組んで、劇作家界の大御所にそれぞれ看板役者の死に際を書いて貰い、数百ページにも及ぶ脚本を各劇作家の表現のままに脇が固め、その中で看板役者は自由に自分の裁量で演技するというコンセプトなので、主人公も自分の役どころが分からない所から始まるのだが、その道先案内とも取れる形でファーストシーンが描かれている等、この劇団の底力をビシバシ見せてくれる。そしてかなり錯綜した筋立てがそれぞれ巧みに組み合わされて、納得のゆく筋をキチンと通しつつ、防衛・防御とはどのように為されるのがベストかについての本質的な両論、即ち武器を更に破壊力の大きな物にして敵を震え上がらせるなり、軍拡競争に持ち込み経済的に破綻させて勝つのか? 或いは武装ではなく、どんな利害の食い違いも話し合い理解し合うことによって解決してゆくのか、といった本質論がさりげなく挿入されてもいるのだ。この辺りの深浅、ギャグと人生の絡み合い、そして様々な映画やTV番組とのマッチング等々、エンタメ要素も加えつつ、粋な終盤に向かって話が進んでゆく。
終わらない世界

終わらない世界

ジェットラグ

博品館劇場(東京都)

2019/12/11 (水) ~ 2019/12/15 (日)公演終了

満足度★★★

 オープニングとエンディングをほぼ同じ展開にしてサンドイッチにするのは良い

ネタバレBOX

が、演出としては凡庸という印象を拭えない。また塚ガールが何人も出演しているようでダンスは確かに合格点だが、図抜けて上手い歌い手もおらず、歌では感心できなかった。つい最近聞いた歌い手さんでは、秋野 紗良さんという若い歌い手の声が素晴らしかった。今回の出演者の中には残念ながら彼女に太刀打ちできる歌い手は一人も居なかった。ストーリー展開は中盤から終盤に掛けてがグー。役者で気に入ったのは小道具係りを演じた上遠野くん、上遠野荘の出か? 新聞記者の親戚はいるのだろうか? 感性のレベルで広がりを感じた。
 今作のホントのプロデューサーも演出もイマジネーションの広がりを感じないし、科学的知見が低すぎる。6千万年前の誰でも知っている恐竜全滅時の小惑星追突にしても、あのような大被害を齎す小惑星に因る壊滅なら、潮汐異常も観測されれば、視認も出来よう。そんなことに気付かぬミムメモばかりではあるまい。ギャングの世界も表層的に描き過ぎているし、これでは良い点を差し上げようがない。それにあの至近距離で撃たれたのに、ネックレスで助かるというのも信憑性に欠けると思うが如何か?
ベベコレ東京2019

ベベコレ東京2019

笑福亭べ瓶独演会事務所

赤坂RED/THEATER(東京都)

2019/12/10 (火) ~ 2019/12/10 (火)公演終了

満足度★★★★★

 恒例のベベコレ、(華5つ☆ 追記後送)

ネタバレBOX

今年1年を振り返って笑福亭べ瓶さんが語る世相、無論、プロの噺家だから、深浅のみならず更に深読みをしても耐えられる内容になっているのだが、表層を追い掛けるのが常という人々にも分かり易い笑いを提供しつつ、中位の深さ、ホントに深くて光も届かないような深み迄フォローして見せるのは流石である。つい先日、関東の落語家が話すのを聞いたのだが、間の取り方がまるで違う。流石に千年の都のあった西の文化は深いと感心することしきりであった。
『粗忽長屋』を読み解く

『粗忽長屋』を読み解く

劇団あはひ

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2019/12/09 (月) ~ 2019/12/09 (月)公演終了

満足度★★★★

 2020年2月12日から16日まで下北・本多劇場で打たれる公演「どさくさ(再演)」のプレイベントとして今作は上演され、間に10分の休憩を挟んだ2部構成。(華4つ☆)

ネタバレBOX

パート1では、立川 志のぽんさんの「粗忽長屋」、パート2では漫才師をやりながら大学で講師を務める変わり種・サンキュータツオさんと“あはひ”で作・演を担当する大塚健太郎くん、演じ手の松尾敢太郎くん4人の座談会という形を採るが、「粗忽長屋」を出汁に心理学、比較文化学、意味論、様々な噺家の上演時の同一作品に於ける演じ分け等々が、サンキューさんのシャープで洒脱なツッコミを梃に1部の落語から2部の漫才形式へと実に洒落た転移をしてゆく展開を見せた。現役大学生と、とうの昔に学生を終えた大人の人生経験の差も色々現れ、そういったこと総てを計量して俎上に載せ、この2部構成を1人芝居としての落語から、通常2人以上出演する演劇への架け橋として、2人で演ずる漫才のツッコミ的手法を用いて繋いでいる点も気が利いている。
 ところで2018年に旗揚げしたばかりの“あはひ”が何故本多劇場で公演を打てるのか、不思議に思う演劇ファンも多かろう。実は2019年春の第2回公演「流れる-能“隅田川”より」がCorich舞台芸術まつり春でグランプリを受賞している。これが理由とみた。
汚れた世界

汚れた世界

無頼組合

シアターKASSAI(東京都)

2019/12/06 (金) ~ 2019/12/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

 脚本・演出・演技など細かいことは、今余り書かない。そんなものは、今作の本質をキチンと表現する為に相当キチンと組み立てられているからだ。とはいえ、女性が観てもお洒落な科白、シーン、カッコ良いシーンは随所にある。いくつか例を挙げると、花言葉と花、ラストシーンのフランス語による表記、様々な映画のタイトル等を科白に入れ込むことによる、作品の膨らみや深さを増す手法等。(華5つ☆)

ネタバレBOX

現代日本の写し絵、それも本質的な部分で極めて正確な写し絵と言える作品である。今作で描かれているような入口(会員制秘密倶楽部)のような場所は、金と権力にあかせて様々な下司が散々使っていよう。興味のある方々は、例えば国家上級を通った官僚共が。恰も自分の能力がずば抜けていると誇示するかのように数百ページもある契約書などをいとも容易く短時間に処理しているというパフォーマンスを見せられたことがあるかも知れない。無論、これには種も仕掛けもある。最初こそある程度大変だが、フォーマットが出来てしまえば後は、その年度の1~数ページだけ変わるだけだから、その部分だけチェックすれば良いのである。内容的、文法的に正しく、且つ文章としても例えば担当通訳が作った文書の方が良い場合でも官僚共は、変えていい場所を指定して来て直そうとしない。これが日本の「高級」官僚の実態だ。自分はそういう官僚の担当する文章に関わって仕事をした経験からこう書いている。要は嘘八百の茶番で上に立ち、権力を乱用して日本人の奴隷根性を利用することで恰も権力を握れること自体が主権者である我々よりも「偉い」だとか「賢い」だとかと同義だと(極めて馬鹿げたことだが感じ)演じているに過ぎない。実際、ホントに優秀で且つ人間としてもマトモな奴は早い時期に官僚を止めてしまう連中が多い。そういう連中の中にはホントのエリートがいるのは事実だ。だが残っているキャリアの殆どは人間の屑と言って良いのではないだろうか。キャリアで残っていて人間的に優れている人が皆無という訳ではないが圧倒的マイノリティーであるという感触を自分は持っている。但し、セミキャリアの実務能力が高いのは可也確かだし、ノンキャリには時々面白いのが居る。
 ところで今作でテロリストとして追われているグループの言っていること、やっていることは人間として極めて正常なことばかりであり、基本的に暴力を用いて自分達の主張を強制しようとはしていない。然るにアホそのものの官僚、そして権力機構、またそれらを支える主権者であるハズの国民はこの反逆者グループに加わって一緒に活動したり、共感してデモに参加したりする少数のマトモな人間に対しては、如何にも精神の奴隷らしく無視するか、潰しに掛かってくるか(戦前・戦中なら非国民呼ばわりをしての八分等)の行為を通して己自身の奴隷としての安寧に沈み込んで恥じもせず、薄ら笑いを浮かべている、下司そのものというのが実態である。
今月4日にアフガニスタンで殺害された中村 哲さんは、帰国するとあちこちから声を掛けられて講演なさることがあった。自分も何度か講演を伺いに出掛け話をさせて頂いたことがあって、この堕落し切り、腐れ切った日本で日本人がどんどん劣化してゆく中、尊敬できる数少ないの日本人のおひとりであったから、こんなことに成ったことが悔しくて仕方ない。襲撃犯の詳細は未だ分からないが、中村さんの魂がまあ、この世をご覧になっていらっしゃるなら、復讐などは望むまい。襲撃犯のホントの償いは、アフガニスタンの人々の為に(中村さんにとっては、国境などで区切られない弱い人々すべての為であったであろうが)身命を擲って尽くされた。その救われるべきだった人々の未来を、襲撃犯達が閉ざした以上、彼らの償いとは、生きて中村さんの目指した目標実現の為に今後の彼らの人生を捧げることだけであろう。刑罰を与えるのなら、このような刑罰であって欲しい。罪を憎んで人を憎まず、襲撃犯自身がいつか己の償いがホントに他の人々の幸せに繋がり、彼らはその贖いの行動・行為によって贖罪を何とか果たそうとしたし、一定の成果を出し得たと彼ら自身納得した上で生涯を終えられるよう計らって行かねばなるまい。このような計らいができることこそ、テロ根絶に繋がるのだし、人々の心・魂を浄化し得るのではないか? 今作はこのように本質的で、大切な問いを他ならぬ、今腐り切った日本の主権者である我々に問い掛けているのではないか?
365度人生

365度人生

張ち切れパンダ

小劇場B1(東京都)

2019/12/07 (土) ~ 2019/12/15 (日)公演終了

満足度★★★

 或る意味スゲーって思うのは、

ネタバレBOX

普通ここまで壊れてたらバイトとはいえ絶対レギュラーなんかになれねえだろうって思うけどそうでもないのかな? ここで描かれる職場のような所で働いた経験が無いから分からないが、自分が店長なら七子は一発で首。シフト組めないし、間違いだらけだし、話の外だ。
 まあ、別にリアルな世界を描いているのではなく、所謂新自由主義の中で奴隷労働を強いられ搾取されるだけ搾取されて尚、他人の言うなりになってやり過ごしてりゃそれでいいじゃん、ていう腐り切った多くの日本人をパロっているのなら、それはそれでいいのだが、自分には、それも感じられなかった。が、ここに描かれたのが我らの飾りを剥ぎ取った姿だとしたら、我々日本人一般は、何の為に生きてるんだろう?
「冒した者」2019

「冒した者」2019

劇団速度

こまばアゴラ劇場(東京都)

2019/12/05 (木) ~ 2019/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★

 2018年の利賀演劇人コンクールで優秀演出家賞・観客賞受賞作に手を加えて京都・東京の2都市で公演される今作。三好十郎の「冒した者」が原作である。(原作は読んでおいた方が良い。かなり異色な作品だからだ。華4つ☆追記後送)

ネタバレBOX

三好自身、原作発表時にかなり実験的な作品であると断っているように1952年当時原作の持っていた革新性は、一般的に捉えられていた劇作家とその作品との関係を画するものだったようである。無論、それでも作家謂わんとすることの内実を汲み取ることのできる上質な鑑賞者は居た。それらの鑑賞者は時代の本質を作家同様に見抜き、理解するより悟ってくれるだろうと三好自身が考えていたことは、示唆的である。元々革新的な作品であった「冒した者」の原作をベースに上演するに当たり、この劇団は矢張り少し変わった形で取り組んでいる。劇団メンバーからして通常の劇団コンセプトの劇団では無い。構成・演出をした野村眞人氏は役者として他劇団に客演したりもしているが、演劇以外にダンス、陶芸、アニメーションなど多様なジャンルの表現者が関与し、取り敢えず劇団というスタイルを採用している。今回の舞台美術は、陶芸家が関わっているので焼き物を作るのに用いる生土(陶芸用粘土)を約2トンも使って舞台やテーブル等の舞台美術を作っている。パソコン画面に映ったフライヤーを見て自分がトンブクトゥーの建物群を想像したのはこの為であったと納得した。何れにせよ、アートの大切な表現方法の一つに、それまで無かった物や概念の組み合わせによって新たな美意識や観念を創造するという方法があるが、この方法は単に奇を衒うという悪趣味のみならず作家など表現者の採る位置や狙い、見識などによって千差万別。またこのように千差万別の表現を取れぬような不自由な人間に表現者たることなど不可能である。閑話休題、兎に角、若い才能が大きな仕事を成し遂げた大先輩の作品と格闘して作り上げた作品だ。
憲法くん

憲法くん

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2019/11/29 (金) ~ 2019/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

 流石、と言わなければなるまい。全編、日本国憲法を内在化し、且つそれを担った者にしか表せない視座、想像力と事実認識に基づいて描かれ舞台化されている。松元ヒロさんの原作を坂手洋二氏が脚本化し演出しているのだが、脚本の上がりが遅くなったことが(役者さんにとっては大変だが)ホントに未だ話題になって連日メディアで報じられる安倍の桜に絡む更なるマヤカシやつい先日幕張で行われた(追記後送)

カケチガイ

カケチガイ

Offbeat Studio

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2019/12/04 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

 大人の童話。

ネタバレBOX

設定はキャラが突然入れ替わってしまう「乞食と王子」のような奇抜なものだが、緻密で外連味を敢えて取り除いた作品内容の科白には思わずハッとさせられるような珠玉の科白が幾つも有り胸を突かれる。人の幸せの何たるかを再考させてくれる作品。そんなに煌びやかに見せては居ないが、舞台美術に用いられている数々のベンチやテーブル等も構造的に負荷を支えるのみならず、球体や三角柱を通常とは異なる角度で置いた上に天板を載せてあったり、直方体や立方体の置き方がわざとずらしてあったりするので、一見、使用には支障が無くとも、バランス計算を間違えると、!? !!!というようなメッセージが舞台美術から作品内容へのコレスポンダンスとしても用いられていて奥が深い。実際、誰でも聞いたことぐらいはあるような、それで居て実際には縁遠かったり、自分の周りでは起こって欲しくはないような、極めて日常的な生活が少し入れ替わっただけで全く別の様相を見せたり、固定観念で突き進んで来た人生が、他の視点から観ると全く異なる様相を呈したりしつつ、人が生きる意味とは何か? 人と人の繋がりの意味するもの・こととは何か? 幸せとか不幸せとは何か? など普遍的な問題をやんわり提起してくる。脚本だけでなく、演出、演技も良い。冒頭、大人の童話ち記したが、極めて味のある、そして上品過ぎないほど良さに仕上げられた、童話であり、深さ、優しさがある所が良い。
雪女 2

雪女 2

Dance Entertainment REACH

妙善寺(東京都)

2019/11/28 (木) ~ 2019/12/03 (火)公演終了

満足度★★★★

 個々の演者のレベルは高いが、こういう公演は総合芸術だ。高い能力を持った個々人の素晴らしい表現を、どう全体として関連づけ、統一感のある作品に仕上げてゆけるかが課題と観た。(今回は、ネタバレに挙げたような理由で華4つ☆としたが、今後に期待している)

ネタバレBOX

 昏い空間は想像力を羽ばたかせる。寺の本堂仏前に設えられた結界が舞台になる。この結界は、竹籤で多少歪に編まれた上部三分の一程が開いた球形のほやの中に電球を埋め込んだ構造の照明器具を楕円の円周上に十近く並べた光の結界だ。可也明度は低い。本は絶対読めないし、輝度の調性はするが、時折、黒い衣装がギリギリ明度の差で分かる程度のシーンもあり、全体として白い衣装で雪を顕わしつつダンサーが群舞する時でさえ、表情がハッキリ見える程度の明るさだ。この明暗のセンス、殆どの時間聞こえる水音、開演前のチェロの音等々。並々ならぬ美的センスを感じるし、個々のダンサーの舞いの腕は見事なものである。これだけの舞い手が群舞を踊った時など当に圧巻。舞とはこれほどまでに美しいものか、と感激した。
 但し、一応「雪女」という民譚を下敷きにしているのであれば、メインストリームと、若い女が冬山に入って雪女に出会い、命の攻防に敗れるシーンや、男の忍びが、暗がりの中で何者かに襲われるシーン等、幾つかの挿話が踊られるのだが、その各々の踊り自体の素晴らしさとメインストリームとの関係が見えないのは残念であった。冬山に入った若い女を踊ったダンサーさんに訊いてみたら、彼女としては、好きな男を追って冬山に入った若い女を踊るという気持ちで踊っていたのだと伺った。そういうことならば、ほんのちょっとした科白を序盤に挟むとか、その後、音響を用いて後追いをする女の道行のような雰囲気を音で描くなり、何処かに伏線として短い科白を仕込んでおくと、何故、雪女は、里の男に出会いに山に彷徨い出るのか? などと観客は勝手にイマージュを膨らまして、物語りはドンドン深まり、忘れ得ぬ作品として心の奥に何時までも残るだろう。大抵の昔話で雪女に出会った男は殺されている。男に会えば殺してしまわざるを得ない雪女の悲しさ、寂しさと、赤子を抱いて現れた今回の雪女の、残した物が、多数の大判だということは、彼女にとって耐え難いアイロニーですらあろう。女性として子を産みたい、惚れた男の子を産みたいという切なる念も考えるなら、彼女の孤独の深さ、悲嘆の深さには同情すべきものがあるようにすら思うのだ。そして、このように雪女を捉えるなら、何故、彼女が若く美しい女を殺したのか? その哀れで惨めな気持ちも表現することができたであろう。このようにして各挿話と雪女の関係が示唆されていたら、大傑作になったこと間違いなしだ。
 音響も面白い試みが為されていた。まさかアフリカの楽器・カリンバが登場するとは思わなかったのだ。自分も西アフリカのギニア・ビサウとセネガルに住んでいたから懐かしくもあったし。
 ダメ出しをもう一つ。パーカッションを叩く人が入れ替わったりしていたが、ダンサーの身体的動きとパーカッションの打ち方がずれていたシーンがあったのは残念。個々の演者はポテンシャルが高いので、もう少し事前のリハをキチンと決めて貰えればありがたい。今後に大いなる期待をしている。
リリーは死なない

リリーは死なない

劇団亜劇

中野スタジオあくとれ(東京都)

2019/11/27 (水) ~ 2019/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

 初見の劇団。期待を良い意味で裏切られた良い作品であった。(追記2019.12.6)

ネタバレBOX

 所謂ゾンビのコンセプトを下敷きにした作品だ。そしてゾンビ物に対しては、「四谷怪談」などの文化を持っている場所で育った自分には単に滑稽感しか持つことの出来ない作品群なのだが、今作については初めて、深い悲しみ苦しみを、リリーの死ねない「命」に対して覚えた。
 物語は、カルト教団が支配する街の高校3年生の教室を中心に展開する。数日後にひよこから準会員になる為の儀式があり、これが卒業の通過儀礼となっているのだが、どういう生き方をするのかを宣言せねばならないのだ。が、この街しか知らない生徒でもこの街何となくオカシイんじゃないか? と感じている者は多く而もその疑問を口外することはタブーのようにも思えて言い出せない。そんなことを言おうものなら、浄化と呼ばれるリンチが待っていることを既に経験しているからだ。クラスには、こんな状況にも拘わらずアダプトしない者も若干数居ない訳では無いがマイノリティーだ。カルトの教義を熱心に支持する者もいるが、内心の不安や怯えを表しているということも考えられる。何れにせよ、鍵を握っているのは、外の生活を知っているリリーで、彼女はこの街に越してきて日が浅く、偶々彼女の父が喧嘩の仲裁に入ったもののその優しさと正義感が裏目に出て殺されてしまったことを、カルトの教義、感情は穢れ、個人を求めることは穢れとの教義に救いを求めた母がカルト教団の支配するこの街の高校へ転校させた訳である。因みに彼女が現在通うこの高校は私立であり、当然の事ながら教団の教理が仕込まれている。教師達も内面の優しさや思いやりから連帯保証人になった挙句自己破産に追い込まれる等の過去を持ち、教祖、サリの持ち出す屁理屈に逆らえない。また教団設立時にサリと共に教案設立に帆の素し、今も信者として教団を支えている第1世代は格が高いとされ、極めて傲慢で権威主義的であるから、普通なら真の宗教の持つ真理探究の姿勢と普遍妥当性を追及し実践する生活態度を身に着けて初めて、マトモな信者となる訳だが、そういった要素が一切ないだけのことで既に宗教失格である。だが、内心オカシイと気付きはしても「浄化」という単語を用いて為されるリンチに対する恐怖や、仲間でるハズの者達総てから異端視され八分にされることの恐怖と親権に対する裏切り感覚等が己の論理的、人間的心情の正しさを認めさせないという内面の精神構造が殆どの生徒に自らの人間としての当然の権利や義務等からの自己阻害を齎していた訳だ。
 然るに、猫を追掛けて飯場の中にあった穴に落ち、其処に在った鉄筋に心臓を刺し貫かれたにも拘わらず死ぬことから遠ざけられたリリーも、そして公立中学に通う弟も母に勝手にファーストネームを変更され、母の演出する狂気のままごとの登場人物として、その型に嵌った演技を強制される日々を送らされていたが、事故以来、通常の食べ物は不味くて食べられず、食欲の湧くのは人間が何か己の自由や真実に向かって必死にその宿命にチャレンジするキラキラした情熱を感じた時、その原因を作った人間に対してだった。死ねない体を持ち、そのことを重々承知した上で、普段は空腹に苛まれるだけで餓鬼の如く食べること、食欲を満たすことしか考えられなくなった己をリリーは力なく見つめざるを得ないことに極めて自覚的だった彼女が、学校に赴任してきた最も新しい教師の姉が実はこの学校の元教師ぇあり、自殺していたこと、その原因を探る為にフリーのジャーナリストと組んで、このカルト教団の真の姿を暴き出す為にここで教職に就いていること等が明らかになったばかりか、ここでサリと特別な関係にあり、信者でも無いのに、教師を務めあまつさえ、何をやっても非難されることの無い教師、藤塚アヤメが実はかつて製薬会社の新薬開発研究チームのリーダーだった女であり、無認可の薬品を用いて人体実験をやっていた廉で逮捕され出所後、この学校へ来て再度教師や生徒たちを人体実験のモルモットとして利用しようとしていることが判明、リリーのクラスメイトが、皆各々の人格に目覚め、校規に反逆しようとキラキラし始め、おいしそうになった所に新薬を強制投与され食欲を満たせなくなったリリーの反逆が始まる。結局、薬は未だ完成形ではなく、効力は一時的なものぁったので、薬が初めから効かなかったリリーが反逆の狼煙を挙げると仲間たちも、1人、1人と覚醒して、悪の権化サリとその相棒を警察に引き渡すことができた。
 「国」中が忖度とやらに躍起になっている今日この頃の日本、情けないだけの祖国、哲学はポスト実存・構造、主義辺りから真理よりは雄弁を、探究より優位獲得と維持を目指す為だけのツールと成り果て、そんな中で己の実存と生き様を根拠に十字架を背負って歩む者を警戒し恰も怪物であるかの如く看做すように成り果てた。リリーは、猫を追って飯場に行き着きそこに在った穴に落ちた時に心臓に鉄パイプが刺さり死ぬことが無かった。という形でその在り様を示された存在だが、臆病で卑怯そのものである傍観者たちは、己の感じている不条理に本当は気付き乍ら一向行動に転じることが無い。その彼らのメンタリテイーを表象するものが、意味も無く永遠を生きるリリーの感じる空虚感で表されているとしたら? 彼女こそ、これらの臆病で卑怯な傍観者・即ち我々の憑代となるに相応しいキャラクターである。このように解釈するなら、今作が抉っているもの・ことが現在の日本に生きる我々自身であることに簡単に気付けるハズである。
 
わたしたちのともだちは、ダイヤモンドがお好き。

わたしたちのともだちは、ダイヤモンドがお好き。

黒ヰ乙姫団

名曲喫茶ヴィオロン(東京都)

2019/11/29 (金) ~ 2019/12/02 (月)公演終了

満足度★★★

 ドンモヤイダは何だろにゃ。nYa~!(華3つ☆)

ネタバレBOX

 設定は30年程前に4人の仲良し4人組がやっていた交換日記をネタに40代半ばを迎えた友人が遂に言行一致のモットーの実現形態としてゲットした彼(敢えて控え目に年収三千万以上、ホントは五千万以上らしい彼との結婚に漕ぎ着けた4人組の一人・ちよ)との結婚披露宴の二次会で披露する友人代表のイベントの打ち合わせを、ラインを通じた多人数同時会話サービスを利用して、ちよ以外の女性・みよっち、めんみ、のんたんの3人がああでもない、こうでもないと議論し合っている場面の実況中継という形で上演される作品。3人の内既婚者はめんみのみで高校生になった息子が居る。めんみは母親ということもあるのだろうが、携帯が脳に与える悪影響について語っていて、まあ、打ち合わせがメインなのでさわりだけだが注意を喚起し耳に携帯なりスマホなりを近づけることの危険を指摘している点がグー。日本は官僚という名の下司共が天下りの先行きを考慮してヨーロッパでは携帯電話器使用の前後から危険性を指摘していた問題をスルーするのみならず、安全宣言を出して企業論理に加担していたことまで含めての説明は無論していないが、脳に距離を置いて通話できる機器を勧めている点で評価できる。科学的な根拠を挙げておけば、用いられている周波数と脳の要領との間に何らかの共鳴現象が起きた場合には、どんな影響が脳に起きるか分からない。音叉の科学実験をやったことがある人なら、共鳴するガラスコップが音叉の音によって粉々に破壊される事実を知っていよう。無論、他にも心配せねばならぬ要素はあるが此処までにとどめておこう。みよっちは女性に対する割礼儀式に対する抗議を行っていたが、もっとレベルを上げて、ジェンダーの深みと知性を噛み砕いての科白を作家には書いて欲しかった。このままでは、確かに通じ安かろうが、たかだか今時TV番組を見ている程度の人々に通用するにしても直ぐ古びてしまう。もう少し普遍性のあるレベルを目指して欲しいのだ。こう思う一方、現状日本を或る意味鏡のように映し得ている可能性も感じた。この最後の感想が当たっているとすれば、残念乍ら、この「日本という国」は完全に終わっていると惨憺たる気持ちにはなる、が。女性らしい作品の創り方ではある。
『微かなひかりに満ちている』

『微かなひかりに満ちている』

Antikame?

劇場MOMO(東京都)

2019/11/28 (木) ~ 2019/12/02 (月)公演終了

満足度★★★★

華4つ☆(追記後送)

ネタバレBOX

 タイトルから類推がつくようにデリケートな作品であり“ひかり”が開かれた表記であることも、また劇団名が万年生きると、この国やその文化の大本の国、恐らくは経由地の国々でも伝えられてきたのであろう亀に対する非科学的幻想に?マークを敢えて付けていることでも解釈する側の観客の多面性に対する用心が見て取れる。
空飛ぶカッパ

空飛ぶカッパ

東京AZARASHI団

サンモールスタジオ(東京都)

2019/11/26 (火) ~ 2019/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

 喜劇で笑いを獲る基本は、無論桁外し! これが実に巧みだ。(
終演後若干追記する)

ネタバレBOX

前説から様々な手法の桁外しが行われ並々ならぬ力を見せつける。桁外しの方法は実に多様だが基本パターンは用意してあって、これが様々なヴァリエーションを生みつつ多様に展開すると共に、別次元の桁外しがふんだんに用意されているので、兎に角笑える。而も単に笑いだけではなく、喜劇のこれも王道である社会戯評も可也辛辣なものが実際ありそうなリアリティーを伴って描かれているのみならず、アルツハイマーを疑っても良いか? と思えるような言動を見せる会長を医者が「いや、しっかりしている」と太鼓判を押して、伏線化している点も実に上手い。
酔いどれシューベルト

酔いどれシューベルト

劇団東京イボンヌ

小劇場てあとるらぽう(東京都)

2019/11/27 (水) ~ 2019/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★

二度用いられる「アヴェ・マリア」の使い方は、特に気に入った。'(華4つ☆)

ネタバレBOX

 今回、生演奏を入れていない分、舞台は広めに使っている。言う迄もなく音楽は抽象的な芸術だ。殊に西洋音階は謂わば東洋や中東の音階がアナログだとしたら、デジタルだろう。キッチリ音符で再現すべき音を記帳し、それに従って演奏されるから中間的音階が無い。その分、個的才能のみならず、オーケストラのような多くの人々がコンダクターの指揮に従って演奏する曲を作ることが可能だ。この前提になるのは、基本を同一の規則に従わせることだ。丁度、数学が定理や数に関する約束事で絶対を構成し其処に個々の演奏者の才能を花咲かせることができるように。無論、バロックの頃のように楽器自体が結構不自由で微妙な音が出た時代は兎も角、中東の人々や我々アジア系に馴染みのある音は、クラシックでは、中々表現されない。
一方東京イボンヌは、クラシック音楽と演劇の融合を殊に目指してきたのであるから、身体という生ものにこの絶対を対置させる訳である。従って表現を効果的足らしめる為には、相当根源的な方法を編み出さねばならぬ、この点に目指している世界を実現する困難がある。
 さて、作品の評に入ろうか。舞台美術の落ち着いた色調と自分達が過ごした小学校の木造校舎の床のような板張の、而もワックス掛けをしていないくすんだ感じは、余計にシューベルトの曲を楽しませる。下手のバーカウンター、樽を用いたテーブルに粗末な木製椅子、上手奥の出捌け、バーカン手前と奥の壁に掛かったランプ等、全体に少し暗めの照明も音楽を聴くには最適だろう。だが、シューベルトの科白にはもう少し工夫が欲しい。唯飲んだくれて「俺は駄目だ」と言っているだけでは、物語りは動かない。動かす為に自分なら、先ず彼の天才故の徹底的な孤独、孤立を表すような科白を伏線として敷く。その上でなら「俺は駄目だ」の科白を然るべき場所に用いることは一向に構わない。この伏線の後にクラウディアにふられる経緯を展開するなら、観客は思わず知らず、彼の孤立の深まりを破滅に向かう必然性を享受するだろう。無論、クラウディアの選択の根底にあった貧しさと援助者・バロンの豊かさ、貴族、平民という身分意識の抱える根本的な社会的問題つまり差別を意識させることすらない民衆による王制支持と、その差別構造故にシューベルトに懸想するエリザベスは、彼に会えたことの矛盾迄含めて屹立し合うもの・ことをドラマとして効果的に用いることができよう。そうすることで、バロンが献金によって爵位を得たように金次第でどうにでもなる階級という社会システムの本質を暴き(それが現代世界を席巻している新資本主義そのものであることも)、ミミがクラウディアも街角に立ったことがあることを明かして描かれた舞台がぐっと深みを増したように、そしてシューベルトが、悲しみの余りクラウディアを想起させるミミとの関係を持ち、為に死に至ったことの強く、底の無い孤独をも、最後の最後にクラウディアに看取られて逝く時に彼女が彼に彼自身の創作の秘密を明かしたような生き様がドラマとして屹立するように思う。
小さなエイヨルフ=罪過

小さなエイヨルフ=罪過

クリム=カルム

新宿眼科画廊(東京都)

2019/11/22 (金) ~ 2019/11/27 (水)公演終了

満足度★★★★★

 無論、イプセン原作の作品だが尺を約半分の1時間程にしているから脚本はかなり手を加えているが、その本質は見事に掬い上げていると見ることが出来よう。(追記2019.11.26)

ネタバレBOX

登場人物はヴァンパイヤのアルフレッド、幼い時に両親を殺され生きる気力を失い自死しようとしていた少女に生きる活力を与える為、首筋を噛み同族とした妹のようなアスタ、相愛の妻・リータ、道路工事の現場監督/人と人の心を繋ぐ医師でもあるボルグハイム、そして鼠を駆除することで知られる鼠婆さん、子供のできないアルフレッドが妻に与え、子に恵まれることは決してない二人の悲願を幻想として実体化した人形・エイヨルフ。
 夫婦になって10年、初めて妻を置いて一人旅に出てしまったアルフレッドが前触れもなく戻ってきた直後から今作は始まる。
 板上には防水用マットが敷かれている。というのも丁度センター辺りに黄金風呂のような形態のバスタブが設置されているからでオープニング早々、リータが乳白色の湯に浸かっている。部屋の奥に設えられた収納用凹みの左右には、何やら巻貝のような形のオブジェが2つ並んでいる。この小屋の鰻の寝床のような下手長辺にはアスタ。2人は前触れもなく帰ってきたアルフレッドについて意見を交わしている。2人の関係は、真に女性らしい。リータはアルフレッドを独占したく思っているので心の底、否、魂の底ではアスタが邪魔である。一方のアスタは、両親が何故殺されたのかも知っており、ヴァンパイヤならずとも人間からは敵視される存在であることを自覚している。アルフレッド以上に孤独な存在である。
 観劇していて、不可思議に思ったのは、鼠婆さんが来、エイヨルフを攫い、それまで鼠をどのように退治するかについて細かい話をしていたのだから、この時点で姿を消した彼女によってエイヨルフの身体は湖の底に沈められ、包帯が浮いていたとか、泳げない子が湖で溺れたとの伝聞も伝わってくるので、エイヨルフにまつわる総ての幻想性は悉く破壊され、その幻想を一切信じることも出来ずに10年間嘘を吐き続けてきたアルフレッドの何ともいたたまれないような魂の傷を、無論彼は未だ清算できておらず、幻想が打ち砕かれた妻の痛みを思って悶々としていた。が、鼠婆さんが出て行ったあと、彼女の杖が室内に残っていたこと自体は、この幻想は、夫婦がエイヨルフと名付けた人形が、子供を作ることができない自分達の愛の代償として吐き続けてきた魂の震えそのもののような嘘の結晶であり、二人は共にそのことを重々知りながら演じ哀しみを共有することにあったことに気付いていたことで共幻想(=対幻想)に陥ることができたことを表しているが、この幻想破壊自体は実際に起きたことを物語っていた。これを仕組んだのが、道路工事の監督、即ちヒトの心と心を結ぶ医師でもあるボルグハイムだったのであり、この計画を手助けしたのがアスタであった。因みに現実に演じられたあのスペースでアスタの隠れ場所は無いので下手手前に体を丸めてうずくまることで、鼠婆さん登場シーンでは、アスタ不在を表していたと解釈できる。総ての謎が解かれる中で、人間存在の不如意が新たに別次元で提示されている辺り、流石にイプセン作品というべきであろうし、ここまでイプセンの原作の本質を捉え、表現した脚本家、演出家、役者陣の演技を褒めるべきであろう。
 切り込みの入ったお洒落な当パンの折り方のセンスも頭を使った作りになっており、とても気に入った。
宇宙カバ~Space Hippo

宇宙カバ~Space Hippo

人形劇団望ノ社

芸能花伝舎(東京都)

2019/11/24 (日) ~ 2019/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

 カナダ人と日本人が共同で創った作品、ストーリー・ダニエル、音楽・エリオットそして演出/影絵美術・矢内 世里、他に日本のミュージッシャン作の2曲が用いられている。

ネタバレBOX


 物語りは環境破壊が極限に達し、最早手の打ち様が無くなった時代、それでも政治家は嘘と詭弁と選挙のことしか考えず、対策として宇宙にカバを送り出すことを決め、実行した。無論、御用学者もプロパガンダの一翼を担った。
 宇宙船は銀河を逍遥するが、或る時、ゼータの宇宙船に拿捕されカバはゼータに連れて行かれる。が、偶々彼らの信仰していた神の姿はカバに似ていたのでゼータの長は様々な実験、調査をする。そして体の大きいカバを敵対し戦争をしているアンドロメダに送り込む。然し、カバのコントロールに失敗、カバはアンドロメダの捕虜にされてしまう。アンドロメダでも神の姿はカバに似ていたので長は大衆統治にカバを利用してやろうとしたが、何とかこれを逃れたカバはアンドロメダ軍の攻撃に遭い危うく命を失いかけた。だが、地球を出発した時の相棒、エサ用ロボットの活躍で命からがら逃げ延びた。然しロボットは弾薬の代わりの餌を撃ち尽くしてしまいカバは飢え死にしそうになった。それを救ったのが蜥蜴マン。食糧を用意しカバの面倒をみてくれたのだが、気付くと蜥蜴マンはゼータとつるみカバを売り渡してしまっていた。然し彼はカバに特殊な能力を開発させていた。サイコキネシスである。カバはこの力を用いてゼータと闘い勝利する。だが、それも束の間、今度は蜥蜴マンが、カバをアンドロメダに売り渡していたのだ。でもそれは、壊れてしまった宇宙船の代わりをカバの為に新たに買う為であった。蜥蜴マンは、攻撃を受け殺されてしまった。カバと餌ロボットは蜥蜴マンの買ってくれた宇宙船で新たな旅に出るが、隕石の衝突で通信機器が壊れてしまい船外に出て修理しようとしたが、失敗。宇宙に放り出されてしまう。これをバッテリー寿命が切れる寸前のロボットが救い、カバはゼータ・アンドロメダのエイリアン達が信仰する神が祭られている神殿に辿り着き、自分に良く似た神像の口から流れ出る液体を飲む。するとカバ自身が神として迎えられる。カバは雌で最初に地球を発った時には、生まれたばかりの子が居た。それを引き離されたのがずっと気懸りであった。既に地球上にあった総ての生命は滅び、同じ固体を再生することは神にも許されないという。然し、娘は転生し輪廻を巡っていつかまた進化したカバの形を採って現れる。それまで永遠の命を持つ神として娘を見守ることはできる。但し触れることはできない。母カバは数十億年の時を費やし、決して人間を生じさせないような進化の過程をデザインして公害の無い世界に進化したカバを出現させることに成功した。
 エイリアン達の用いる言語は、英語、日本語、仏語、ほにゃらら語など。ダニエルの発想がかなり面白い。唯、カバが神になることと、予め神像があったこととは、時間的矛盾と観ることができる。無論、パラレルワールドを自由航行できる科学技術を想定することもできるし唯神像がカバに似ているだけだとの解釈も可能なのだが、子供向けでもあるので余り細かいことは問題視されていないようだ。

KAPPA〜河童〜

KAPPA〜河童〜

ミュージカルを考えるチーム ビエンナーレ

シアター風姿花伝(東京都)

2019/11/23 (土) ~ 2019/12/02 (月)公演終了

満足度★★★★

 当パンにアンケート用紙も入っていなかったが、ネットで余り厳しいことを言わせない為にも付けた方が良さそうだ。序盤から中盤辺りの展開は凡庸で集中が途切れる。

ネタバレBOX

 ミュージカル界に新風を、ということらしいが所謂ミュージカルをそれほど観ていない自分には、これで新風と言えるのか否かは定かで無い。然しストーリーテリングな作品でも、ミュージカルとして上演された作品はそれでも数十本は観ているだろう、そのような作品と比較した限りでは、それほど新機軸を感じた部分は無い。若干現代社会の創られた表層性やその虚妄を見抜くことのできない勉強不足や知の欠落傾向に己の存在根拠が揺すられ自らを失って漂う哀れな人間存在が発するトートロジカルで陳腐な堂々巡りが、その内実を欠き結果として実体を虚体化してゆく様は木霊のように描かれているとは思ったが、そこから先に知が踏み込んでいる形跡はない。
 一応大筋を追って見えてきた解釈は、6体の人間の形をした♂・♀が、河童であるかも知れにと嫌疑を掛けられ、河童では無いことを自ら証明しなければならない、という悪魔の論法に縛られた結果自縄自縛を強いられ、何とかそれから逃れる為の旅をしつつ、ああでもない、こうでもない、という答えの出せないもどかしさの中で食糧も尽き、遂には命の危険に晒されるが、この試練を何とか持ち堪えある場所に辿り着くと、そこは空気も水も澄み、汚染もされていない桃源郷。そこで彼ら・彼女らは、自らが解放され浄化されて世界に溶け込むことを学んだ。即ち、ここに描かれているのは、普通の人間存在(高い能力や知性、天分に恵まれた一部の人間ではなく)凡庸そのものの人間のイニシアシオンではないか、という解釈だ、彼らは自分達が全員河童であったと気付き、浄水の中を自由に泳ぎ回るのである。当然のことながら、問題解決など一切ここには無い。
 然し、上演形態でいえば、歌の上手い役者とダンサーのキャスティングはバランスが良く、天井から丁度ブランコのように吊り下げられたプレートを上下に動かすことで水面を見下ろす形になったり、水中になったりの演出は面白く拝見した。
音楽家達との夜。

音楽家達との夜。

ラビット番長

演劇制作体V-NETアトリエ【柴崎道場】(東京都)

2019/11/22 (金) ~ 2019/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

 遅刻してしまったのだが、嫌な顔一つせず迎え入れられたのには、ホントに感謝している。観劇前に公演に遅れる場合の連絡先なども予め連絡をして頂いて居た上での体たらくに対してである。兎に角、温かい。何も言い訳などせずともイマジネーションを働かせて柔らかく、温かい対応が返ってくる。主催者のみならず、役者・スタッフ皆がそうなのだ。この辺りにこの劇団の本当の強さと本物の優しさを感じる、追記2019.11.26 華5つ☆

ネタバレBOX

 今作には、主催であり座付き作家・演出家でもある井保三兎さんの持っている様々な要素と生き方・感じ方がふんだんに注ぎ込まれていることがありありと見える。子供達にも楽しんで貰えるよう、舞台は学校の音楽室。そして物語の主たる内容は、この学校の音楽室で展開されるのだが、読者諸氏は、夜の学校に忍び込んだことはあるだろうか? 小学生位の年齢だと結構スリルのあるものである。自分の小学校時代の理科室には、骨格模型や人体模型、様々な動物の剥製などがあるし、廊下は板張りで軋み、必ず七不思議や幽霊の話を昼間の教室で聞かされたりしているから、それだけで既に不気味なのである、だだっ広いし、風が吹き抜ける音が聞こえてくるし、自分独りのハズなのに足音が響いて誰かか何かの霊が彷徨い歩いているような気もしてくる。自分以外のいたずらっ子が割ったガラス窓にも、応急処置がしてあって風で唸り声を上げる等々。無論、フェンスの破れや鍵が締められていない窓などは探せば結構あった。雨樋を伝って上の階へ上がれば入れる場所を見つけるのはそれほど難しくなかったのが、自分達の小学校時代であった。ホントに悪戯ばかりしていたからな。大人をからかうのはとても面白い遊びだったし。
その代り「坊ちゃん」ではないが、自分の場合ほぼ2階の高さから飛び降りたこともあった。用務員さんが見回りに来て危うく見つかりそうになったのだ。自分は頗る身軽だったので坊ちゃんのように怪我はしなかったが。まあ、この文章を子供達が読むことはないだろうが、もし読んでも真似しちゃだめだよ。オジサンが子供の頃、こんな無茶をやって怪我しないのはオジサンだけだったんだからね。オジサンの真似して骨折ったりした奴もいる。大抵は怖がって真似しなかったけどね。それが正解。
 By the way,kono sakuhin wo taihen kiniitta.Nazekatoiuto hontoni hitotosite atatakaikara.Kono Gekidanha Wakatewo totemo jyouzuni sodateru.Wakai gekidaninga minna totemo sunaoda.Sosite konokotoha totemo taisetuna kotoda.Nazenara geijyutuka ya hyougensha ni totte ichiban taisetunakototoha massugu mono/kotowo mi sono keikenwotoosite handansurukotodakarada. Ihosan ha sorega dekiru wakamonowo erabi sodateteiru.
 小学校時代に習ったローマ字を60年ぶり位に思い出して書いているので間違いがあったらお許し願いたい。兎に角、大人も子供も愉しみながら、作曲家に親しむことができ、良い音楽を身近に学べる。学ぶことが楽しいことだという発見は、実際強制され受験に追われて詰め込みをされ続けることでは基本的に生まれない。フランソワ・ラブレーという医師でもあった、イギリスのチョーサーと並び称されるフランスの大作家は、「ガルガンチュワとパンタグリュエル物語」の中で、巨人族の王子であったパンタグリュエルの教育の有様を描いているが、決して強制しない楽しく学ぶ教育法を描くことで、当時主流だった詰め込み教育の愚を揶揄している。「エセー」で知られるモンテーニュも領主の子息であったから、通常の学校には行っていなかったが、ラテン語は当時のフランスでラテン語を高等教育機関で教えていたような人々が家庭教師として就いていたから、子供時代既にフランスきってのラテン語の名手であった。モンテーニュも知の愉しみを知って学んでいた人物の一人であろう。現代では、日本でも意識の高い親たちが一時盛んに留学させてもいた、エンデの出身校・シュタイナー学院などがこういった教育姿勢で臨んでいるのではないか? 日本の文科省をはじめ官僚たちの頭の固さには呆れるばかりである。こんなことでは国際競争に勝てる訳も無いのは無論のことだから、そんなことは打っちゃっておくが良いのだ。梁塵秘抄にもいうではないか。遊びせむとや生まれけむ、と。
世界はあまりにも

世界はあまりにも

劇団 脳細胞

アトリエファンファーレ高円寺(東京都)

2019/11/20 (水) ~ 2019/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

 脚本、演出、演技。舞台美術何れも素晴らしい。無論、効果もぬかりない。

ネタバレBOX

 観終わって、尻切れトンボのようなこのタイトルの絶妙に感心。
 舞台は山奥の広大な土地に建てられた別荘。養蜂業を営む森尾社長一家は携帯の電波も届かないこの僻地に年に一度保養に来る。台風が近づき大雨と強風に曝される中、友人・井川と釣りに出ていた息子・旬が帰宅するが、車が故障して立ち往生していた平山一家を直ぐに井川が案内してくるという。
 ところで金持ちにとっての地獄は、我々貧乏人のそれとは、無論質が異なる。貧乏人の地獄は日々体験していることだから今更論う必要もあるまい。では金持ちにとって耐え難い地獄とは何か? 病? 稔らぬ恋? それとも・・・。答えを書いておく。それは退屈である。人間は己が地獄から逃れる為なら基本的に何でもする。卑しい動物である。幸か不幸か、知恵を持っているから始末が悪い。おまけに金持ちはふんだんに富を所有し、富は他人を支配するに頗る有効である。そんな森尾家に世話になることになった平山家は、ミドルクラスだ。というのも平山は自動車メーカーの研究職だから。オーナー社長一族に対する、プチブルの差が実に上手に表現されていると同時に、金満家の謂わば社会階層としての性格も実に巧みに描き出されており、そのような金満家に対する雇われ人のコンプレックスも、そしてそのようなことにコンプレックスを持たざるを得ない階層に属せばこそ、更に弱い者に対しては容赦せぬ差別的言辞を平気で行使する鈍感も描き込まれている。今一世を風靡する新自由主義とは、やや異なるものの、資本家階層の大衆との距離の取り方の上手さ、絶妙、そして諧謔や利用の仕方をも見事に表現した役者陣の演技も冴えたものであった。ネタバレになり過ぎるから書かなかったが、面白味は、森尾家の面々が退屈凌ぎに何をどのようにしたか、にある。

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