満足度★★★★
前半、砂糖過多。
ネタバレBOX
中盤からがストレートプレイらしい展開になる。執事役の溝呂木賢氏が中々器用な演技をみせるが、杏奈役、朝木さんの空手の型はなっていない。果林役の吉田さんは、行儀、合気道の動き共にグー。美羽役小野垣さんの動きはまずまず。ダンス部リーダー、倉田役の水嶋さんのソロダンスシーンがあるが、切れの良い動きを見せてくれる。
薔薇戦士誕生の経緯を描いた作品だが、何があったかは終演後に書くことにする。
満足度★★★★★
作家の多和田葉子さんと話をする機会が何度もあり、彼女が現在住んでいるベルリンの演劇状況なども聞き及んでいるので今作「揺れる」を拝見して、なるほど、と得心のゆくことがあった。
ネタバレBOX
というのも今作の表現方法に極めて実験的且つチャレンジングな姿勢を見るからである。原作者の視座・立場からの射程は、ヨーロッパ全土は無論のこと対アメリカ、プーチン独裁を完成させようと動いている対ロシア、世界の新大国として浮上してきた中国等との現実的政治のリアルな闘場として現実が展開する真っ只中で、争闘するドイツのリアルな生活感覚そのものを描くこと。然し、余りにも多くの、時に拮抗し、また優劣を生じ、EUの牽引役として、世界の各大国の凄まじい、情報戦、スパイ戦等の他、政治的、軍事的、経済的、民族的争闘の央にあって、その収奪の対象となってきた或は犠牲となってきた第三世界からの難民問題を抱えながら日々できるだけ人間的に公平に世界情勢に対応しようとすることが、ドイツ民族或はドイツ国家にとって如何様な責任と可能性を負わせるかについての各階層からの叫びが、実際にドイツの新聞などメディアの一面を賑わした情報そのものの羅列によって描かれることで、通常レベルの常識で判断できる脈絡を見付けることは極めて困難であり、演劇が演劇として成立するドラマツルギーそのものが最初から原理的に存在し得ない。自分が初めに書いた“得心”の内容こそ、演劇そのものをこのような形で否定することにより人々の目を現実世界へ開こうという演劇的企画を原作者が持っており、その点を極めて正確に読み取った演出の公家氏が作品と当に格闘しながら東京演劇アンサンブルというこれまた優れた演劇団体と協同して作り上げた作品だという点だ。通常の演劇ではない。実にチャレンジングな、状況への入り口のしての演劇・問題提起作品である。
満足度★★★★★
ちょっとエキセントリックな内容だが、自分は好み。思いがけない逆転もいいタイミングで仕込まれ飽きさせない。お勧めである。今後の予定では池袋演劇祭にも参加予定とのこと。(追記後送)
ネタバレBOX
初見の劇団だが、ちょっと Lautréamontの“Les Chants de Maldoror”(邦訳タイトル:マルドロールの歌) を思い出してしまった。確か 1869年頃に発表された散文詩形態の作品だが、作者が誰なのかは100年以上も確定できなかった。が、現在ではIsidore Ducasse という人物であっただろうというのが定説だ。若くして自殺し、作品“Les Chants de Maldoror”を読んだアンドレ・ブルトンがシュールレアリストのバイブルと称揚したのは、仏文科出身者なら誰でも知っている有名な話だ。日本では寺山修司のファンが知っている可能性が高い。(寺山はロートレアモンが大好きだったと思われるから。)作・演出、役者何れも若いが、発想が面白い。
満足度★★★
マクベスというタイトルではなく、マクベスの悲劇とした点に、今作の主張はあるように思う。その点は、強調されていたと思うのだが、演出にはもっと何故今マクベスの悲劇をやる必然性があるのかを検討して貰いたい。役者陣の熱演はグーだが、(追記後送華3つ☆)追記2020.4.12:03:13
ネタバレBOX
何故、今この作品を上演するのかの意図が突き詰められていないように思える点で評価を下げた。
六本木は特殊なエリアである。 東京都港区六本木7丁目23には、米軍のヘリポートがあるのは、良く知られた事実。(環状3号線や六本木トンネルの脇だ)歴史的にも戦前からの山の手の浅草のような演劇、寄席等を含めた盛り場のあった麻布界隈からも近い、敗戦後の米軍による占領により米兵が六本木に繰り出し、多くの問題を起こしたが日本には彼らを抑える法もなく、米兵のやりたい放題であった為麻布界隈の住人達から総スカンを食ったという歴史がある。
ところで、日本外務省は日本に滞在するアメリカ人の数を現在も正確に把握できない。この「コロナ騒ぎ」にあっても然りである。パスポートコントロールが不可能だからだ。何故なら日米地位協定によって米軍基地内で米軍は、排他的管理権(基地内で総て自分たちの好き勝手ができる権利)を持ち、日本は決して彼ら(米軍関係者*)の出入国に関して異を申し立てることができない(出入国管理法の適用除外)が認められているからだ。この2つの規定故に、米軍関係者は一切、出入国の手続きを経ず、米国から日本の米軍基地に降り立ち、日本に入国して勝手に動き回ることができ、在日米軍基地から米国に帰ることができる。俳優座のある場所から歩いても大した時間の掛からない場所に米軍ヘリポートがある、と態々指摘したのは、このような日本の現況あるが故だ。こういった現実こそ、魔女たちの預言そのものが持つ矛盾を現実化したものに他なるまい。伝統ある劇団がこの程度のことを知らぬとすれば、これは演出の知的怠慢、水を使って俳優を絞ることなどより遥かに大切で本質的な問題提起たりえたハズなのである。創造に関しては無論、更に深く、本質的な指摘をしても良いのだが、この程度のことが分かっていないようではそこまで記す必要はあるまい。
*沖縄の事件以降、米軍について変更はないが、関係者については多少変わった点があるかも知れぬ。調べてみたい方は、ご自分でどうぞ。
満足度★★★★★
流石に木下順二の脚本。骨太で日本の左翼の抱え込まざるを得ない根本的な問題を総て取り込んでいる。
ネタバレBOX
サンジカリズム等について触れられる際にも語られていることだが、労働者階級との実質的な連携の無い点は、象徴的にこの国の西欧文明・文化移入の特質及び限界をハッキリ示している、而もこの傾向は残念ながら現在に於いても延々と続いている傾向である。(例えば哲学研究などに於いても大学で哲学を教えている教授の大多数は、単に海外の新しい兆候を持つ哲学者及び著作の翻訳と解釈のみを行い己の思想を立てない。つまりヒトとは何か? 何処から来て何処へ行くのか? なぜ、生きるのか? 生きることに意味があるのか? 等々基本的で根本的な問いを自らの問題としては考えることができないので、総てのことが猿真似に終わる。結果、生活にも己の生き死にを賭けた深い問いに自らの全存在を賭けて答えようとする努力も問い続ける過程で発見できる実に様々な層や可能性についても無自覚で、その無自覚を恥じることさえできない。このような諸々の結果として捏ねる論理の根拠も浅薄で、形式論理さえ整っていれば、論理のオーダーが整ったと勘違いしてしまうから、其処から先は一瀉千里、論理の唯一の展開である先鋭化という道しか辿れないのだ。資本論にしてもカール・マルクス本人が厳しく批判したカウツキー版を翻訳している学者が出てくるが、この辺りも自分が指摘した問題は当て嵌まる部分があろう。また、仮にマルクスが日本に来ていたら、というような仮定を立てどんなことを先ず最初にやるか? と想像力を働かせ、培ってきた本物の思考を用いて社会の諸問題を先ず事実に即して徹底的に調べ、調べた結果を徹底的に分析した上で導き出された結論を如何様に解釈するか? という視点に立つならば自ずと歴史も変わる可能性が増す。)こういったことができなかった日本の左派の消長を描いているとはいえよう。
舞台は赤旗事件(1908)大逆事件(1910)後、12月31日に設立された売文社(1919.3月迄)に集ったアナーキスト、コミュニストらのイデ闘や主義主張、官憲から睨まれるという共通性を通じ、また新たな女性を目指す青鞜の伊藤野枝などをモデルにしている人物が登場しつつ展開する。因みに千葉は堺利彦、官憲に追われ生活もままならない同士たちの生活を支える為に売文社を立ち上げた訳だ。あとは観てのお楽しみ。各観客の持っている知識や思考によって様々な観方のできる作品である。
満足度★★★★★
兎に角、素晴らしい。イキナリ釘付けになり、ノンストップで130分、その状態が続いた。終演後、頭の中をイマージュが走り回って今日が何日だったか不分明になった程。(華5つ☆)後ほど更に追記する。タイゼツ、ベシミル❕❕
ネタバレBOX
選ばれている原作、見事な脚本と演出、キャスティング、卓越した演技、音響センスの良さ。やや昏めの照明は、登場人物たちをレンブラントの絵画に描かれたように印象深くくっきり浮かび上がらせ、決して単調ではなく自らの意図したようにはならぬ人生というものの移ろう姿と、富・社会的地位や名声、誰もが羨むような伴侶に恵まれながら而も決して幸福とは言い切れない人の世の定めと、我々がそこに立っていると信じていることや大地が実はそのまま底なし沼でも在り得、而もその底なし沼に棹差して懸命に生き、より良くあろうとあくせくするというリアルを映し出して見せる。
我々は普段、分かったようなフリをして生きてはいるが、無論一寸先は闇。誰が何を正当だと言おうが言うまいが人生に於いて何が正解かということなど凡そ分かったものではないという事実を、今作ほど端的に表し得た作品はそうあるまい。
満足度★★★★★
今作はタイの作家によって書かれたものだ。(かなり客観的に書かれた作、若い人達に見てもらいたい。)
ネタバレBOX
無論タイ語で書かれた作品だが、その原題を英訳すると「Where should I lay my soul?」、日本語タイトルが「安らかな眠りを、あなたに YASUKUNI」である。内容的には、無論日本語タイトルに表されているように官幣大社であったYASUKUNIに大いに関係する作品であるが、その評価は、かなり客観的である。無論、原作者は実際に靖国も遊就館も訪れており、此処に書かれている外国人向け英文の説明を読んでも居るし展示物も見た上で執筆しているが、海外から見た日本、海外で教えられている日本の歴史と靖国及び遊就館に書かれている説明には齟齬が多いことも知っている。であればこそ、人を殺すという行為を罪とし、戦争一般を俎上に載せた作品として描いているのである。その意味で今作は、普遍性を持つ。而も極めて興味深いこととして今作の構造が能の表現に近いということが挙げられよう。無論、観阿弥・世阿弥父子が理論家しソフィスティケイトした後の能より大和猿楽の伝統を色濃く残した段階の能ということではあるが。坂手氏が、書いてきた作品群を自ら評して夢幻 能と言っていたことと考え併せても極めて興味深いのである。
満足度★★★★
雛チームを拝見。
ネタバレBOX
序盤、ちょっと登場時に硬くなったか? 演技をしているというのが形になってしまったのが残念。間もなく自然な演技になり、効果的な挿入曲や、他の音響・照明効果、エンジンの掛かった演技によって、いつか公平になるようにとの思いを込めて付けたと謂われるつかこうへいのペンネームの意味する所を、つか作品に多用される台詞の差別表現や女性差別的態度の底に脈打つ、つか作品の優しさと人間としての温かさを、銀四郎に被せつつ、はにかみを梃に表出してみせた。
基本的に素舞台で妊婦のお腹も膨らませないが、その辺りは観客の想像力に任せている。但し妊娠してお腹が大きくなれば所作は違ってくるので、そういったことも表現できるようトライしておくと芸域は広がりそうだ。
監督が座るような椅子に花束が置かれるのもオシャレ。無論、安の魂を弔う為であることは言うまでもないが、最終的にはハッピーエンドにしてある。演技では、安、小夏、銀四郎、クミ役4人の演技が気に入った。
満足度★★★★
当時の誰をデフォルメしているかが良く分かるし、海外の著名な作品からも原作や海外公演を示唆する指標を鏤めてあるので、様々にイマージュが広がり楽しめる。(華4つ☆)
ネタバレBOX
或る意味無論嘘である。皆が同じ歌を歌えた、とか。んなことある訳が無かろう。無論、表層しか生きていない大多数の日本人には当て嵌まる。
一方、同じ時代“頭脳警察”は音楽的には大したことは無かったものの、当時日本で間違いなくトップクラスだった(自分はトップだったと考えている)“ハッピーエンド”と同じライブハウスで演奏しており、頭脳警察の熱狂的なファンも居た。釜には憂歌団が居て、ブルースとはこういうものだという歌を歌っていたし、無論関西で憂歌団のライブは矢張り熱狂的な支持を得ており、屋根に三ツ星が描かれた西部講堂でも何度もライブが行われた。関東の著名某大学の映画祭などでは秋吉久美子が人気絶頂で彼女が登場するシーンでは久美子コールが余りに激しく、台詞が全然聞き取れないという状況であった。要は、鍋も釜もぶちまけて上を下への大騒ぎをやらかしていた沸騰の時代であったということだ。
ところで、稽古という言葉がある。「稽」の字義は考察するということであるから稽古とは、古(いにしえ)を考えることに他ならず、これは東洋(殊に中国)の堯や舜の時代を理想とみる思想に通じる。こういった日本文化の古層にあるもの・ことがこの国の芸の根底にあって、芸術ではなく芸道を追求する点にこの国の狭いが高さもある伝統文化の限界もあるだろう。今作の根底に横たわるスターシステムの頂点・スターとアーティストとしての歌い手の根底に存する暗渠は、このように決定的な歴史・文化・哲学の西洋との乖離である。我々は、このような矛盾の中で生きているにも関わらず、殆どの人がこの矛盾に気付かず、当然のことながらアウフヘーベンすることなど思いもよらない。今作で多用される、本歌取り的手法は、この辺りの矛盾を技術的に迂回する方法でしかないことが、この国を真に民主的な発想や自由の概念から遠ざける文化的既成なのだと考えられる。無論、観客の評価は、間の取り方や、阿吽の呼吸の見事さ、雰囲気を実に上手く掬い取って形にしていることに対して向けられるから、本物の哲学を欠き、表層に留まらざるを得ない。そのような文化的基底を晒して見せている点が興味深い。
満足度★★★★★
タイゼツベシミル。華5つ☆。少しだけ追記! 3.21
ネタバレBOX
言わずと知れた名人形劇団ひとみ座。「ひょっこりひょうたん島」は、この劇団が演じた。何が素晴らしいってこの劇団、物である人形に魂を宿す、人形劇の金字塔だと自分は思っている。ここには詩があり、普遍性があり、見なければならないもの・ことを見る勇気と人間の最も素晴らしい性質、想像力とそれを未来へ向けようとする意志、そして世の中を過不足なく、つまりバイアス無しに見ようとする詩人の視点がある。期待して観に行き、見事期待に応えて頂いた。戦中の劇団史を存じ上げないが、自分の拝見している限りでは流石70年の伝統と研鑽の証拠を至る所で見せられたというべきか。登場する生き物たちの形態模写の素晴らしさ、ウミガメの歩行の様子や、タコの捕食時の動き、海が描かれる最初のシーンに海月が登場するセンスの良さ等々。無論これらばかりではない。海のその時々の模様を壁のような波で表現したりするのだが、これがまた見事。脚本も極めて明示的に事態を表しており、照明、音響も舞台美術も素晴らしい。
自分は始まって直ぐ、海月やタコ、魚群などの登場直後に何やら生活物資が海中に漂い、流れてきたのを観た瞬間、背筋が凍った。この直観通りその後は3.11大地震と大津波、3.12人災の過酷な状況が描かれていると解釈した。無論、今作如何様にも解釈できるように作られているが、終盤の女の子と男の子の逃走の果て、男の子は外へ、女の子は内へ残る、というシーンが描かれるが、これを自分は愛し愛される者の分断の象徴と観、胸が塞がれる思いをした。それだけ人形劇としても如実にレベルの高い作品である、同時に実に深い問題(即ち日本の一般の人々が御上の下した命令と判断した時、盲目的に従うエポケー(一般に判断停止と訳される元ギリシャ語)のバカバカしさとその民衆のエポケーを利用し続ける為政者の奴隷となり、結果的にアメリカの奴隷ともなって勇んで隷属的に振る舞うことを選び、結果己の子を犠牲に捧げるような理不尽をそれと気づかぬまま実行する愚か者としての日本人問題)を提起をし、考えさせてくれる秀作である。
おっと大切なことを書いていなかった。今作には生身の少女が登場する。これは通常のメタ化ではなく、位相とでも呼ぶべきレベルが介在するということだ、この意味する所を考えることも頗る興味深い宿題と言えよう。
満足度★★★★
三好十郎の傑作だが、(追記後送)
ネタバレBOX
第2次大戦で日本が負けたことを徹底的に見つめ直し、何物によっても壊されなかったもの・ことだけを根に再生を目指した真の探究者であった
三好にとって今作もまた見直し作業の一環であったと思われるが、脚本家は捧げる物が何も無く己を火にくべての供応を目指した兎を登場させて大きな意味を持たせている。この所、原作を読む為に時間を作ろうとしていたのだが、未だ4分の1を読んだ程度、追記する。
満足度★★★★★
4演とあるから再々再演ということになる。(断固観るべし❕❕! 華5つ☆追記後送)
ネタバレBOX
今作を初めて拝見したのは、タイトルに作家のチャレンジと勇気、そして自負を感じたからだ。期待は裏切られなかった。作・演だけでなく、演技も良い。無論、照明・音響も内容のある作品の邪魔もせず、時に余り目立たぬように作品をフォローする素晴らしい作品である。作・演はAmmo代表の南 慎介氏、シアターミラクルの池田さんの友人という方だ。池田さんは、シアター・ミラクルの支配人であると同時にfeblaboでその優れた能力を示し続けている演劇人である。作品内容のレベルも極めて高く、演出もグー。平均年齢24歳という役者陣の演技も良い。
板奥に窓を、中央に長辺と短編を形作るように丁度ヨーロッパの中庭を囲む建物群のように机を並べただけの、シンプルな舞台美術が内容の充実を予感させ、これも裏切られない。而も討議に参加する人数はオブザーバー(市長資格)で出席するこのゼミの担当教授1名を除くと11名の奇数である。この設定を観ただけでワクワクするではないか!
満足度★★★★
観たいにも書いたから読んだ人も居るかも知れないが、
ネタバレBOX
タイトルは“ヒレン”と読む。まあ、人間に最も嫌われている虫の一つ、ゴキのことで、沖縄ではアマミと言い、大和に居るのとはまるっきりサイズが違う。By the way,海外のジョークで~国人に対して、それぞれのお国柄をからかった傑作ジョークがあるのは、良く知られた事実だが、以下日本人の特質を見事に表したジョークを引用しておく。
豪華客船が航海中に沈みだした。船長は船客たちに速やかに船から海に飛び込むように指示しなければならなかった。
彼は、それぞれの船客にこう言った。
アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄です」
イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」
ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則です」
イタリア人には「女性にもてますよ」
フランス人には「飛び込まないでください」
日本人には「みなさん飛び込んでますよ」
良くそれぞれの特質を掴んでいると思わないか?
さて、本題に入ろう。主人公は3地区に住むエリート家庭に生まれ、親に期待される通りに歩んできた。だが、勤務地が変わる。この地区は貧しい同種族が住むが、主人公のようなエリート地区居住者との激しい格差社会を為している。当然乍ら、基本的に互いの行き来は無い。だが公にされていない人口問題がある。非エリート地区の人口増加率はエリート地区より遥かに高く中央管理局は非エリート地区内に対策施設を設けそこにエリート地区の中から選抜されたメンバーを送り込み非エリート地区の妊婦抹殺を行い続けて人口調整をしていた。ここに送り込まれたエリートたちが、任期を全うすれば彼らは栄転、1区住民となる資格を与えられていた。施設周囲のフェンスには猛毒が塗られていて、非エリート達は施設内に入ることができない。だが、この秘密は一部に漏れ、反対するエリート住民が非エリート地区にも徐々に入り込んで地域住民をサポートするようにもなっていた。
所謂、優生保護思想に基づく差別問題を扱った作品で相模原の凄惨な殺傷事件が直ぐ頭に浮かぶが、自分が作品を拝見しながら思い浮かべていたのは、アンナ・ハーレントがアイヒマン裁判を傍聴した後の証言である。1963年ザ・ニューヨーカーに発表された(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)余りにも有名な記事だからご存じの方も多かろう。彼女は、アイヒマンの凡庸に驚きを隠さなかったが、そもそも優生保護という発想をすること自体、陳腐な頭脳と自己判断の欠如を示し、凡庸であるが故の無責任と狡さを表しているに過ぎないことは、アイヒマン裁判を検証するだけで良く分かることだろう。
満足度★★★★
役者陣は中々魅力的なのだが。
ネタバレBOX
極めて深く深刻で実際にはこれに近い問題が多く起こっているであろう。然し表へ出てこない、という問題があるであろうに。ヒロイン、美沙が狂った実父に襲われる近親相姦問題のつけを友人たち、殊にムードメーカーを自称する奈々海(同年輩の不良を集め、家族と称して共同生活の音頭を取りつつオレオレ詐欺の受け子や先輩と呼ばれるヤクザ関係の儲けをちょろまかしていたらしいという理由で殺されたか、沈められたか、売られたか)に負わせてしまっている点に難があるように思う。また、母の骨を食べたからといってそれをトラウマとし大人になっても克服できないという設定も幼稚である。もう少しリアリティーを持った脚本にするか、美沙が取返しのつかないダメージを負う脚本にすべきである。何となれば全き孤立は、自同律を反復せざるを得なくする。それが亡くなった母を美沙が己の分身として作り出した原因だ。従ってそこにはトートロジー以外の何の意味も発見できないことは明白な事実なのだし、作劇法として上に挙げたような作り方の方が観客を引き込める。この点で脚本が弱い。つまり観客を引きずり込む点で弱さを感じる。
満足度★★★★★
脚本、演出とも原作者の深く、切実な意図を良く汲み、役者陣の力量もかなり良く示して良い出来。舞台装置はシンプルだが、迫真的なイマージュを効果的な照明、音響の相乗効果で高めて良いセンスを見せている。(必見! 華5つ☆ 追記後送)
ネタバレBOX
原作者は1921年、旧ポーランド領ルヴフ生まれのSF作家、スタニスワフ・レム。2006年に亡くなったが元々、医学を学んだ人である。在学中から雑誌に詩・小説を発表その壮大で現実的なSFは映画化もされてきた。「砂の惑星」「ソラリス」など。原作はSFという形を採った実存的作品であり、「虚数」は、何より人間存在そのものの意味の問い掛けのみならずその曖昧性を提示して見せる作品と言ってよかろう。
ヨーロッパ近代への哲学的道を開いたと同時にデュアリズムの弊害をも齎したデカルトの有名なCogito ergo sum.が語られるがこれは無論、Je pence donc je suis.のラテン語訳である。無論、哲学者と詩人という差やこの事象を如何に解釈し己の人生の根底とするかについて選択の差はあるが、Rimbaud流に示すならば、Je est un autre.である。天才同士の哲学的な差や生き方そのものの根底的な選択以前に、無論外国人がこんな動詞変化をやらかしたならば端的に間違いと見做され即却下。だが、詩人として天才と見做されるRimbaudの書いたことであれば、当然全く別の解釈が為されそちらが正しい。
ポーランドとは言っても現在ではウクライナ領になっているルヴフ生まれだから、単純にアイデンティティーが形成されたとは思えない。SF作家として大成したのも、このジャンルを選んで作品を発表したのも誰にも指弾できない未来の話で自由に己を主張できたからであろう。そういう意味でも実存的なのだ。
満足度★★★★★
深読みすると実に面白い。(追記後送)
ネタバレBOX
日本人の最も苦手とするのは、自分の頭を使って考えるということなのだが、その点を砂糖で包みながらアイロニーにはならないように描いている。この方が万人受けするのは確かだろう。架空の国は、万人の幸せを実現する為、少子化対策として国を挙げて最大多数の最大幸福を追求しているが、ズルをする者が出ないように監視体制もかなりキツイのが実情だ。秘密警察のスパイもいそうだ。ジョージ・オーウェルの傑作・1984年を彷彿とさせるようなシーンも多用され監視国家であることは明らかである。無論、随分デフォルメされているが、イメージされている国は明らかだ。上演の都合上総て日本語の台詞になっているが、奇天烈な発音でこの監視国家の民衆を表している点も興味深い。殊に都会と名指されているのは、隣国を指すだろうし今では遥かにソフィストケイトされている都市(=隣国)との間に有るのは無論、表層でのイデオロギーの差ではない。分断の苦い苦しみと取り返しのつかない大切な人々の死である、
満足度★★★★
観客の心構えとして、今作の見方は2つ。(華4つ☆)
ネタバレBOX
1936年~39年に掛けてのアイルランドvsイングランドの歴史・宗教・経済・政治状況総てに通暁しているか、無論、フランコに対して立ち上がった義勇軍の歴史については常識として知っているだろう。もう1つは徹底的にバイアスを排除して観ることの2つである。
描かれている一家は、カソリックだから被差別者である。差別者はアイルランド人口の約3分の2を占めるプロテスタントである。一家が貧乏なのは、無論差別された結果でもある。5人姉妹が未婚のまま一緒に過ごしていることの不自然は、無論狭い地域共同体の中で他人の好奇心の対象とされている。それでも辛うじて体面を保っていられるのは叔父・ジャックがウガンダでハンセン病患者の為に生涯を捧げている神父だからであり、長女・ケイトが教師だからである。然し末の妹・クリスは妻子ある男の子を産み一家で育てている。極めて微妙なバランスの上に成り立つ碓氷の上の生活が淡々と描かれているので、差別・被差別の実態も滲み出るような形で実生活に近い為、日本人には退屈に映るかも知れない。つまり社会に於ける階層分化の内実を普段から見据えようとしない思考法しか採らない主体には、脚本自体は普遍性を具えているにも関わらず本質を捉えるイマジネーションを湧きあがらせることができない。この問題は、日本人の特質である訓練された唾棄すべき白痴性にある。自分の頭で考えることの出来ない人にとっては、唯海外の、ど田舎の日常が淡々と描かれているに過ぎないであろうから。ウガンダのハンセン氏病ケアに人生の殆ど総てを捧げたジャックのアフリカ理解の深さも殆どの日本人には残念乍ら分かるまい。
満足度★★★★★
良いか悪いかではなく、ヨーロッパなどに住みちゃんと住んだ国の言葉ができ、彼らの生活の中に入り込んだ日本人なら誰でも知っていることがある。それは、深さだ。(追記後送 華5つ☆ ベシミル)
ネタバレBOX
ワンツーワークスは古城さんの脚本を基本的には舞台化するが、時折海外の面白い作品を舞台化してきた。今作も翻訳劇である。驚いたのは翻訳劇に良く見掛けるわざとらしさを全く感じなかったことだ。白人、黒人、黄色人種が登場するが何れも頗る自然な演技とメイク、階層分けされた衣装や舞台美術の工夫による差異化、その差異を際立たせる照明などで効果を高めている。また、翻訳が素晴らしい。翻訳でも通訳でもそうなのだが、外国語を他の言語にトランスレイトする作業が上手くゆくには、翻訳者・通訳が、翻訳される原文言語(例えば英語)と翻訳された言語(例えば日本語)双方に対して深い言語知識と文化や習慣、歴史、互いの特徴や相似、相違について知っているばかりではなく、肝心な部分に深く切り込み、考え抜くことが要求されるが、コノタシオンが異なる言語を可能な限り見事にトランスレイトしている。
今作は、所謂ブラック企業に勤めた内気ではあるものの、賢く有能で真面目而も仕事熱心な女性・グロリアが、要領良く立ち回り自分の野心に忠実で他の人の痛みには蓋をし兎に角自分さえ良ければよい、と構える多くの社員にあしらわれながらも、僅かな給料の中から苦労して自分自身の住居を持ち社員全員にパーティーの招待状を出したにも関わらず、片手の指にも足りない人数しか集まらず、最後まで居てくれたのは1人だけ、おまけにグロリアのパーティー及び彼女自身は、物笑いの種にしかされなかった。その結果、惨劇が起こる。僅か15分ほどの間に最後に自殺したグロリアを含め10名が死亡、8名が負傷した。
満足度★★★★★
いい味のハートフルコメディー。
ネタバレBOX
かなりチャラけたギャグや台詞が入るが、院長夫妻、食堂のおばさん、小児科医などを演じるベテランがぶっ飛んだ調子を上手に吸収してバランスの取れた良い作品に仕立てている為、硬軟相俟って脚本内容に相応しいハートフルコメディーとして仕上がっている。
グローバリゼーションという名で呼ばれていることの内実は、力のある者が他の総てから収奪するシステムである。これを縛る法は一般的に独禁法だが、アマゾンを観ても分かるように、日本政府は殊アメリカに関しては大甘だから、油断するとあっという間にやられちまうぞ。彼らは次はリアル店舗を狙っているという話が出てきたし。という状況の中で今作、現代日本及び我々日本人が失ってきた金儲け以外の視座の大切さをそれとなく示している点も評価したい。無論こういった人間的で温かく皆が安心して暮らせるような価値観をやんわり表現し得ているのには脚本がしっかりしていることが欠かせない。
今作も大病院を経営する院長と舞台となる小病院の経理事務がつるんで乗っ取りや横領を画策・実行しているばかりでなく、大病院院長は経理担当女史の色でもあるなどの対比を通して善良で優しい小さな病院の経理以外の人々の持つ人間味が、より明確に効果的に創られ、素敵な大団円に繋がってゆく。
満足度★★★★★
神話というものの凡そは、
ネタバレBOX
その想像力の持つ条件の為なのか、或は人間の中の統べる者が発生に於いて必要とされる為政者自らの正当性を担保する為に作り上げるに過ぎない策術に過ぎない為なのか、或は宇宙にそれを認識し得る知を持って誕生するヒトという生き物の孤独を慰める為なのか、或は仮初に上げた以上のような理由総ての為なのかは、私の知る所ではない、としておこうか。その方が楽しく遊べる。いや~~~~、文句なく面白い。イマージュの美しさ、壮大、飛躍、人と神々の関係、条理と不条理混交のアナーキー、掟と情との乖離から来る様々な運命の持つドラマ、想像力の形が持つパターンが腑に落ちる点等々枚挙に暇がない。コロナで大騒ぎしている我々だが、こんな雄大な世界に足を踏み入れるのも一興だろう。或は仙人になれるやも知れぬぞ!