ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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万お仕事承り〼 お仕事の参~若さのヒケツお捜しします~

万お仕事承り〼 お仕事の参~若さのヒケツお捜しします~

劇団岸野組

俳優座劇場(東京都)

2013/05/18 (土) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

見事
 エンターテインメントに徹しながら、この完成度!! お見事!!! 幕開きでは、浮世絵を見るような舞台美術と役者陣の配置、適確な照明と絶妙なスモークで三次元を二次元と見紛うような色合いで見せて驚かせ、観客を引き込むテクニックにレベルの高さを見た。その後の展開も、演技、演出、場転、これらを邪魔しない音響と照明、一見何気ない科白に人間観察の鋭さを活かしたシナリオ。猪鹿蝶ばあさんトリオによるイソギンチャクの揺らめく触手のような、生体情報アンテナの手踊りも笑いのアイテムとして丁度良い。

未確認の詩-ウタ-

未確認の詩-ウタ-

ライオン・パーマ

インディペンデントシアターOji(東京都)

2013/05/16 (木) ~ 2013/05/20 (月)公演終了

満足度★★★

どの世代にも
 この所、重い作品ばかり観ていたので息抜きになるような作品であった。というのも、明るいホームドラマ風のテイストに詰め込まれた、一般人が夢見るレベルの本質的な事と生きて行く為に必要な希望が、殆ど屈折なしで描かれていたからである。
 今回が20回目の公演であり、それなりのロジックとフィジカルなレベルでの加工は、充分にこなされたシナリオで、役者陣の演技もそつの無いものであったが、尚、高いレベルを目指すのであれば、夢見るレベルではなく、夢を夢見るレベルで作品を書くという所迄、作家は、自らの哲学と存在のレベルを掘り返して欲しい。それができれば、一皮どころか、二皮も三皮も剥けた作品世界を成立させることが可能であろう。

シュナイダー

シュナイダー

青年団若手自主企画 マキタ企画

アトリエ春風舎(東京都)

2013/05/15 (水) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

表現上細かい欠点はあるが、本質的な欠点なし
 よくこれだけダークな作品を描いたな、と感心した。というのも、現在、この国で喧伝されているのは、在りもしない未来と幻想ばかりだからである。少なくともTVはそうではないか? 然るに、現実はそうではない。それどころか、原発推進派や諸官僚、政治屋の動きを見る限り、ふりまかれている下らない幻想と反対に暗く蠢く人間という生き物のダークエネルギーしか見えてこないのである。端的に言えば、「我の死後洪水は来たれ!」という無責任そのもの及び倫理の徹底的退廃の上で、既存「エリート」は、多くの甘い囁きを垂れ流しているだけなのだ。その点をブレの無い視座で見定め作品化している点に感心したのである。そも、人間という生き物は、この地球上に於いて食物連鎖の最上位に位置する。即ち、あらゆる生物の王と言って過言ではない。従って、いいことも悪いことも自分の好きなことをやってのけることができる位置にいるのである。我らは、このことの意味する所を良く知らねばなるまい。誰でも理屈の上ではよく知っていることだが、人間は、総ての良いことも、また総ての悪いことも、最大限実行可能なのである。それを敢えてしないのは、倫理と法による規制に従うからである。
 一方、自分自身がどうなっても良いと定めれば、彼を縛るものなど何処にもないのが実情である。そして、負のエネルギーを解放する為に、一般市民が、採り得る方法とは、先ず、自らが犠牲者の立場になることではないだろうか? そして、自分の不幸の原因を、例えば加害者に求めるとすれば、加害者が法的に罰せられ、その罪を法的に償ったあとでも、倫理を盾に、加害者をいびり続けることは可能なのではないか? この作品では、登場する被害者の総てが、加害者に対してこの点をメタレベルで実践している。そのことを舞台を通じて観るのが、我ら観客である。つまり、舞台は、このようなことが正当なのか否かを観客に問うているのであり、観た者は、その答えを探すことを求められているのである。だから、この作品は、謎に始まり、謎に終わっているのだ。

メメント・モリ

メメント・モリ

ウンプテンプ・カンパニー

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2013/05/16 (木) ~ 2013/05/27 (月)公演終了

満足度★★★★

理性と信心
 さて、タイトルについて少し考えてみよう。誰がメメント・モリという標語を喧伝したのか、という点についてである。これは、結構重要な視点である。なぜならば、この言葉が盛んに用いられ、絵画などでも表現されたヨーロッパ中世には、ペストの大流行があり、流行地域では当時の人口の三分の一の死者が出たと言われているほどだ。宗教改革が始まる16世紀中葉迄には、既にキリスト教内で分裂騒ぎが持ち上がり、異端審問や魔女狩りが行われた。ペストのような大災厄は、死を人々の間近なものとすると同時に、犯人探しの心理が働き、悪魔の手先と看做された者は、当然のことながら、拷問の末に虐殺されていったのである。
 この作品は、ガルシア・マルケスの「愛その他の悪霊について」から想を得ているとのこと。マルケスはスペイン人侯爵の長い髪の令嬢の伝説から着想を得たという。何れにせよ、宗教的権威が揺らぐ時代にあった、スペインの植民国、ヌエバ・グラナダで、狂犬に噛まれた12歳の侯爵令嬢の髪が、その死後も伸び続け、後、発見された際には22mにも及んだ、という。(追記5.19)

ネタバレBOX

 今作では、彼女が主人公だが、異端審問をする側の尖兵には“サマランカ大学”出身の修道士が当たっている。無論、これは実在のスペインの名門大学、サラマンカ大学を指すことが明らかだが、実在の大学である為、敢えて名前に細工をしたのであろう。宗派もジェズイットと同格であることを匂わして濁している。カソリックの神学理論で最も高い見識を持つ同派は、一方で最も戒律の厳しい宗派でもあり、その戒律が余りにも厳しかったが故に、ヨーロッパでは、布教に支障をきたし、結果、アジア、南米など、当時のヨーロッパからは未開の地であった遠方へも布教に赴いたのは歴史の教える所である。
 何れにせよ、侯爵令嬢は、狂犬の犠牲者4人のうちの1人であり、噛まれた人間3人に含まれていた。もう1人の犠牲者は、唯、狂犬の唾液を浴びただけで発症し、既に縛めを受ける身であった。当時、狂犬病は、罹患すれば一例の救いも無い悪魔の病として恐れられた業病であった。
 ここで、彼女の出生が、事件に大きく関与する。彼女の母は、メスティーソである。(学位論文などではないので生みの母の問題は割愛する)侯爵の初婚の相手は雷に打たれて絶命し、後妻に娶ったのが、身持ちの悪いと評判の彼女の母だったのである。メスティーソとは、アフリカ黒人とスペイン人との混血であることは、御存じだろう。生みの母との関係で娘は黒人奴隷の文化的影響を受けて育てられた。このことが、後に、彼女の運命に大きな影を落とす。一方で、原作者、マルケスの作品は寓意に満ちた作品でもある。そして、マルケスの立ち位置は、あくまでも人間なのだ。其処には、肌の色による産別を厭う魂があり、民衆の語る物語の方法を自らの手法に摂り入れた天才の大きな翼と長い歴史性がある。その根底的な価値観に、舞台で描かれた世界観は、対置されているのである。発症していない侯爵令嬢が、修道院に閉じ込められて自由を奪われ、彼女の継承していたアフリカ的な文化が、悪魔に憑かれた証拠だとされ、理知で、彼女の無辜を信じ、愛するに至った当代最高の知は、異端と退けられ生涯を苦役に服さざるを得なかったことを描くことによって、その理不尽の、また、権威・権力という名の力の不正義を問い、返す刀で民衆の選択した、犠牲者・侯爵令嬢の髪がその死後も伸び続け22mにも達した、という奇跡を描くことによって人間の尊厳、自由、愛の普遍性を示したのだ。
 その結果、今作で描かれた世界は、偏見に囚われ、正しい判断が下せない権威・権力に対する人間的価値からの痛烈なアイロニーである。
 従って、実際にメメント・モリを喧伝したのは、権威・権力者であったにも拘わらず、それを真に追求しなければならない者こそ、彼ら、権力者である、という逆転が含まれていると解すべきであろう。
ペコラムートンの羊(再演)

ペコラムートンの羊(再演)

劇団MAHOROBA+α

遊空間がざびぃ(東京都)

2013/05/17 (金) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★

不思議なテイスト
 “と”:歩が、金に変わるように、~と~の間に在る繋辞、“と”の物語。時には対立項として、時にはアウフヘーベンすべきもの、概念として。
(未見の人はネタバレ見ると観劇の際つまらなくなります)

ネタバレBOX

 世界を変ずる祭、観客の背景にあった幕が落ち、役者達が大声で騒ぐシーンは、驚かされた。
砂漠の密室

砂漠の密室

劇団BOOGIE★WOOGIE

秋葉原アトリエ「ACT&B」(東京都)

2013/05/15 (水) ~ 2013/05/18 (土)公演終了

満足度★★★★

演技力
 人間が考え出した思考の中で最も不合理で間尺に合わないものは? と問えば、正解は、無論、宗教である。従って、理性的に思考することが出来ると自負する人間にとって、宗教とは、赤子の頃から刷り込まれたのでない限り、滑稽でしか無い。但し、世界は不条理に満ち、その不条理を負わされ呻吟する多くの人々が、それに頼らざるを得ない現実というものがあるのも事実なのである。この辺りの事情を演技力とシナリオの良さ、本質を衝いた演出で見せる。(追記 5.18)

ネタバレBOX

 理知と弱さ、この双方を理解し、悪知恵に長け、而も複合的意識を常に脳中に活性化し得る人格が、他者を己の欲得の道具として物象化することは容易い。無論、縁なき衆生を救うため、実際、命賭けで倫理を守り、人々の命を守ろうとする聖者を自分は否定しない。実際、自分の尊敬する宗教者の中に、このような聖者は何人もいる。現代の名僧知識である。だが、彼らは一様に、教理にドグマティックに拘るような愚か者ではない。在るがままを真っ直ぐに見つめ、命の論理に最も大きな価値を見出す知恵者である。
 然し乍ら、今回、今作で描かれた「宗教者」、神楽坂 向陽は松本 智津夫などをモデルに作り上げられたキャラクターであり、偽物。もっと端的に言えば、単なる詐欺師である。周りに居た信者達はどうかと言われれば、ストックホルム症候群の患者達と考えれば筋が通ろう。そうでない者は、松本と同類で、更に悪賢い詐欺師乃至は洗脳された者である。何れにせよ、自らの劣等感を生みだす原因となったもの、或いは知の導くままに真相を追い、明らかになった事実の前に、自らの力で立つことができなくなったり、自らの力で克服できずに居る人々である。
 他方、詐欺師が詐欺師として成功する条件は、基本的には頭の良さである。ここに登場する神楽坂 向陽もそのネーミングからしてこの「宗教」の崇拝の対象、天照 大神を己の名に取り込むテクニックを見せ、更に、科白にあるように、宗教がその信者に信じさせる信仰の本質を言い当てている。即ち、「宗教は謎を中心にし、一方で真理を探究する」謎を解明する為には真理の探究が必要不可欠であるから、謎めけば謎めくほど宗教は、威光を増し、有り難がられるのである。この真理探究と謎の無限のループこそ、信者をして宗教の虜にする本質であることは、多少自らの頭脳で考える習慣を持つ者であれば、誰しも到達するレベルの思考だろう。そして、この程度のことが、宗教と名指される総ての思考に共通するコンセプトである。
 教理問答はこの程度にしておこう。ここは、観劇に関するコーナーであるから。本作が、芝居として面白いのは、密室に閉じ込められた5人の心理状態や人格崩壊の緊迫感を、身体感覚に落とし込んで描いている点にある。詳細は、無論、公演を観て感じて欲しいが、主役の神楽坂 向陽を演じている佐藤 秀樹の演技が殊に迫真に迫り、自分は好きである。無論、他の役者陣も、良い演技をしている。何と言っても、自分のように理屈っぽい無神論者が、新興宗教を扱った作品に引き込まれたのは、役者陣が、演技でどんどん引っ張っていってくれたからであるのは、明白だから。
匿名家族

匿名家族

劇団フルタ丸

サンモールスタジオ(東京都)

2013/05/11 (土) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

ラディカル
 作・演出レヴェルで考えさせる所の多い舞台だ。通常の舞台公演で感動するようなシーンも無論ある。ちょっと紹介しておこう。
教授が息子の結婚式で述べるスピーチで「私は、彼の美質を一つしか知りません、それは、自分に嘘がつけない、ということです」という科白の美しさは格別である。

ネタバレBOX

 一方、実験的な部分は、核になっている直系家族(作家志望の息子、父、母、祖父母)が総て非在という点だ。だが、この点こそ、最も評価の分かれ易い点でもあろう。(通常なら主役・主役級が居ないのだから)結果、主役級とダイアローグを交わす相手役がその都度、非在のキャラクターを立ち上がらせなければならない。観客も、その想像力を最大にすることを余儀なくされるのである。これが、実験でなくて何であろう? この実験を面白がるか否かで評価はハッキリ別れざるを得ないのである。チャレンジング興行と銘打たれているだけあって、実験は、何もこれだけに留まらない。サンモールスタジオという小空間で回り舞台というのも意表を衝く表現だろう。そして、その回り舞台を出演している役者陣が回すのである。その時、役者陣は四角いサングラスのような物を装着する、自分は、これを人形浄瑠璃の黒子と解釈した。その上で、彼らは、一種の狂言廻しもやってのけるのである。こうすることで、様々なレベルの観客にグラデーションのついた舞台を観せることが可能になっている。
 これら重層的でメタフィジカルな舞台作りが総て、この作品のタイトルや内容と結び付けられイマジネイションの適度な(乱)反射を作り上げている。シナリオの緻密、構成の巧み、意表を衝いた演出、良くできた舞台装置、卓抜な発想によって観客の想像力を最大限に引き出そうとする実験性、また観客の質を信じる度量には並々ならぬ力と可能性を感じる。
 更に深読みをするのであれば、地方と中央の、更には、最も日本的であるかも知れない、中央の核心部分の非在について読み込むことが可能である。
(一応、誤解の無いように言っておくが、以下の見解は、ハンダラ個人の見解であって、劇団とは無関係である。文句が在る場合は、ハンダラ個人に言うべし)地理的に言えば、東京の中心にある江戸城及び吹上は、天皇の居住地・隣接地でもあり、ど真ん中に在りながら、最も東京らしさに欠けた謂わば東京の空白地帯であり、そこに居住する者たちは、当に存在ではない者・象徴なのである。そして、それ故にこそ、「存在し続けてきた」。このことの意味を我々は問われていると考えることさえ可能である。無論、これらの想像、解釈は、総て観客個々人に任されているのであり、それ故にこそ、この作品は所謂不条理劇ではないにも拘わらず、今後、様々な状況の中で、作品として生き延びてゆく可能性を秘めているのである。
ブリの照り焼き

ブリの照り焼き

劇団C2

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2013/05/14 (火) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★★

人間味
 不思議なタイトルに惹かれた作品だったが、裏切られなかった。隠し味のように微妙な按配を見事な科白と巧まざる演技で表現して見せた。巧まざると表現したが、観客にそのように見えるということは、シナリオ、役者の佇まい、演技共に最高レベルである。実際、このシーンで、舞台がぐっと引き締まった。(追記 5.16)

ネタバレBOX

 このシーンとは、営業成績トップの内海に対して、店長の阿部が、二人がぶつかった仕事の話をするくだりである。当時、店長は、利潤優先に陥り、営業として最も大切なこと、即ち、顧客の立場に立って最善の手を選ぶ手伝いをすることを忘れかけていたのだが、内海の顧客本位の姿勢に初心を思い出させられた、と語る。その上で、彼女と全然成果を上げられない新入社員、菅野が似ていると告げる。また、上司とぶつかった時の彼女の主張が、営業を生業とする者にとって、全面的に正しかったことも告げるのである。
 これらの行程を経たうえで、菅野の面倒を見てくれと頼む。何と深い心理洞察に満ちた遣り様だろうか。無論、これだけのシナリオを上げてくる作家、演出家である。キャスティングの妙、主役(西川 俊の爽やかさと良い意味での若者のナイーブな面を表現した時の“らしさ”)、(内海役、渡部 愛の人情家であるが故の厳格)店長(阿部役、松山 コウの温かさに現れる心理洞察の鋭さ)など素晴らしい演技を引き出している。言うまでも無いが、役者陣もこの演出に見事に応えた。
既成事実

既成事実

小西耕一 ひとり芝居

RAFT(東京都)

2013/05/15 (水) ~ 2013/05/19 (日)公演終了

満足度★★★

浮気と嫉妬
 浮気症の彼女に惚れた嫉妬深いコキュの顛末。

ネタバレBOX

 実父と育ての父、自分が惚れた女と浮気相手の間の子を引き受ける等、父母の代からの因果を描く。かなりぐちゃぐちゃな男と女の話。
 おまけに、嫉妬に狂った挙句、会社の先輩と初めて浮気をしたコキュは、性技としての首絞めに失敗、殺害してしまう。きちんとしたアリバイ作りもせず、逃げ延びていた彼であったが、自らの子では無くとも、惚れた女の宿した命を父と同じように引き受けようとする矢先、パトカーのサイレンを聞く。
 科白をもっと具体的なイメージとして、身体化して欲しい。科白が上滑りしているような印象を受けた。そのように科白を身体化する為には、己の更なる客体化が必要だとも思う。
谷根千キャッツ!!

谷根千キャッツ!!

STUDIO D2

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/05/11 (土) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★

おにょれ カーチス!! にゃこに未来はあるにゃ
 当然のことながら“某劇団のキャッツ”に関し何らかのメッセージが含まれているのであろうが、ゲル貧の自分は、そちらを拝見していないので、この点に関しては沈黙。悪しからず。
 By the wayそんなことを知らにゃくても充分楽しめるにゃ! インターネットは全世界展開だから一応、谷中、根津、千駄木界隈について説明しておくにゃ。
 カーチス・ル・メイの命令による日本全土の空襲の中で1945年3月10日、関東大震災で大打撃を受けたとほぼ同じ地域が、大空襲を受け僅か数時間のうちに10万人以上の方々が、生きたまま焼き戮された。カーチス・ル・メイの命令を下す時の様子が、伝えられている。「日本の家屋は、竹と紙でできている。良く燃えるぞ」と嘯きつつ、彼は嘲笑っていたそうだ。この「国」は、そんな彼に勲一等を与えている。恥を知らない「国」、否、植民地である。因みに隅田川に掛かる橋には、未だに、当時焼かれた人々の生身の体から出た油が沁み込んだ跡が確認できる場所がある。話がそれた、ここから先は、自分で調べて欲しい。幾らでも資料はある。
 そんな大空襲の中で焼け残った家屋が多かったのが、谷中、根津、千駄木である。当然、亡くなった方の数も少なくて済んだ。そのせいで現在も、自民党のイデオロギーによって「復活」されたのとは一味も二味も異なる下町情緒が残っているのが、この界隈なのである。
 前置きが長くなったが、この程度のことは最低限知って居ないと、この作品の雰囲気が伝わらない。
(追記5.18)

ネタバレBOX

 集合を掛けられた日から満月までの日々、今年も恒例の祭りが行われる。この祭りの間、猫達は人に楽しみを与え、奉仕すらするのだ。谷中、根津、千駄木界隈は、森 まゆみさんの優れた地域雑誌・谷根千による知名度アップ効果もあったであろうが、本当の意味で温かく細やかな下町の人情を残す土地だからであろう、猫が住みやすい街なのである。結果、夕焼け段々などの猫名所が、訪れる人々の人気スポットの一つにもなっている。この作品は、当然のことながら、こういった背景が実際にあることから生まれてきた。
 作品の展開は基本的に時間軸に沿っている。早朝、昼、夕方、夜間といった具合である。ここを見逃してしまうと、作品の解釈はできなくなってしまうだろう。猫と人の関わりで有名なのは、猫に小判の元になった江戸時代の実話であろう。両国の回向院にある猫塚は、この悲劇の猫を祀ったものである。隣に鼠小僧次郎吉の墓が在るのを御存知の方も多いだろうが、江戸っ子の洒落である。猫塚の猫は病気の主人に孝養を尽くした結果、殺されてしまった猫の話であるが、後に、この猫を殺した犯人が、事情を知り、憐れみと後悔とから塚を作ったと伝えられている。その例に因んでというのでも無かろうが、この作品でも猫の人助けの話が出てくる。有機栽培、拘りの水、バター、塩などを使って仕上げたクロワッサンは、店の努力にも拘わらず、高過ぎる、と一つも売れない。それを手助けしたのは猫だった。鯛を加えて店長の前を行ったり来たり売り出し、インスパイアされた店長はヒントを得て鯛入りのパンを考案、大ヒット商品となった。あの手この手で売ろうと試みたが失敗に終わったクロワッサンであったが、猫の手を借りるきっかけにはなったのだった。
 エピソードは他にもある。日本武尊が創建したと伝えられる根津神社へは、受験生やオーディション合格祈願者なども訪れるが、受験生は東大の受験票を落としてしまう。受験できない、と嘆く彼を救ったのも猫であった。おまけにオーディションの合格祈願に来ていたダンサーとのカップリングもこの流れの中で成立してしまった。
 唐突だったのは、パーカッション奏者の墓地への登場。無論、この界隈は寺が多いので、有名な墓地もある。谷中霊園は、桜の名所としても著名人の墓が多いことでも知られるが、夜の霊園にパーカッションが響くと、墓の中から現れたのはゾンビならぬ幽霊達、パーカッション奏者を真似て墓石を叩き始める。今では、幽霊だけで毎夜セッションを開いているとか。因みに、出が唐突ではあるが、このパーカッション、聴く価値は充分にある。
 猫同志の内輪話あり、猫に餌をやるおばさんもあれば、毒殺する連中もいる話あり、更に、アラサー女史の迷いや遅すぎる決意等々の挿話もふんだんだ。ミュージカル素人の自分には、結構、楽しめる作りにはなっているように思えた。
割れて砕けてキラキラ落ちる

割れて砕けてキラキラ落ちる

演劇企画ハッピー圏外

TACCS1179(東京都)

2013/05/10 (金) ~ 2013/05/14 (火)公演終了

満足度★★★★

もう一つの換骨奪胎
 オムニバス形式の3本立てだが、総てのストーリーを第3話で纏めてみせた。織り込まれた古典にはソフォクレス在り、シェイクスピア在りという如何にもこの劇団らしい内容なのだが、有名な科白やシーンを取り込むことに汲々とするより、次回は、古典の持つ構造を考察して取り込むという方が、大きな効果を持つように思う。

ネタバレBOX

 つまり、古典が古典として生き残って来た原因を考察することによって、構造的な換骨奪胎を図るのである。こうすることによって、スケールの大きい、普遍性を具えたドラマツルギーが成立するのではあるまいか。
 その上で、今作で見せたような、照明の効果で死神と落ち武者を異界へ旅立たせたり、梅子一家が、落ち武者の末裔であることを苗字で示唆したりという細かな配慮を見せれば尚のこと作品が活き活きしたものになるのではないだろうか。演技では、皆、しっかりした役作りをしていたが、死神役の大串 潤也、落ち武者を演じた中川 敏伸、ザムザ祖師谷を演じた家紋 健太郎らが、特に気に入った。
 梅子を演じた彩島 りあなが、見せる立ち姿に、時に華を観たのは自分だけではあるまい。
ハッピークイーンとイバラの姫

ハッピークイーンとイバラの姫

カラスカ

要町アトリエ第七秘密基地(東京都)

2013/05/10 (金) ~ 2013/05/26 (日)公演終了

満足度★★★★

脚本の良さ
 脚本が良い。適度なおかしさも入れてあり、真面目に捉えると本当にシンドイ問題を緩急をつけ、ギャグでいなしてシリアスにし過ぎない。同時に、内容の深刻さをネグレクトするわけでもない。良い按配でシナリオ化している。これだけ、関係の見える作家・演出であるので、楽しみながら観て同時にぐいぐい引き込まれる。エンターテインメントとしても楽しめるが、シリアスに取っても充分楽しめる。満足できる心理サスペンスである。
 2週間後には、シナリオだけ同じでキャストと演出が変わるバージョンの公演も予定されているそうである。できれば、こちらも観たくなった。

祭よ、今宵だけは哀しげに

祭よ、今宵だけは哀しげに

東奔西走企画

レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)

2013/05/11 (土) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★

謎の魅力の方が
 「銀河鉄道の夜」を下敷きにした創作だが、原作の持っている謎を合理的に解釈しすぎるきらいがあるように思った。謎解きし過ぎるとイマジネーションが限定化され、賢治の恐らく目指していた無限の広がりとそれに対峙するように佇む実存的人間の絶対的孤独を、そこいらに転がっている陳腐なザインに変えてしまう。カンパネルラの死が、としの死に重なるであろうことに思いを致すべきだろう。「永訣の朝」の悲痛を同時に考えたい。

【全ステージ終了しました!ご来場ありがとうございました!】ハロー!新宿ちゃん。

【全ステージ終了しました!ご来場ありがとうございました!】ハロー!新宿ちゃん。

なかないで、毒きのこちゃん

新宿眼科画廊(東京都)

2013/05/10 (金) ~ 2013/05/15 (水)公演終了

満足度★★★

小粒
 総てが2人芝居で、総数4話のオムニバス形式で進行する。無論、各挿話は、各々独立しており、話としての相関関係は感じられない。また、タイトルと各挿話との関係も感じられなかった。
 シナリオ、演技、仕掛けで最も面白く感じたのは第1話。仙台に帰ってしまう女の子を演じた女優の演技は、Goo。また第3話で女子高生を演じた俳優の軽妙な所作が気に入った。

(艸'∀゚*)lilΣ( @Д@∥;)i|l(゚∀゚三゚∀゚三゚∀゚)。+.。゚p(≧□×。)q)))゚。+。゚。+。(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

(艸'∀゚*)lilΣ( @Д@∥;)i|l(゚∀゚三゚∀゚三゚∀゚)。+.。゚p(≧□×。)q)))゚。+。゚。+。(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)

宗教劇団ピャー! !

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2013/05/08 (水) ~ 2013/05/13 (月)公演終了

満足度★★★★★

安定感が出てきた
 世界に浸蝕された体験を持つ作・演出の塚田 朋揮が、終に在る地点に達した作品と見ることができる。その地点、地平とは、所謂第八識、西洋流に言えば集合無意識である。誤解を恐れず更に平たく言えば、人々の心の奥底に在る共通項とでも言えばいいだろうか。ある種の普遍性であり、その中に総ての個を含むと同時に、個の中に普遍性を含むレベルの精神世界である。個にして遍く、遍くして個であるような在り様を指す。これ迄、5回の公演を重ねて得た作品の存在感と脈絡が、恐らく作者を救っている。無論、劇団で一緒に活動して来た、総ての関係者との関係を通して掴んだもの・ことを通して作家の世界が遍くして個的、個的にして遍き世界に達したのである。(追記後送)

もうひとつある世界の森に巣喰う深海魚たちの凱歌

もうひとつある世界の森に巣喰う深海魚たちの凱歌

あなピグモ捕獲団

シアター711(東京都)

2013/05/09 (木) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★

熱演
 この作家の傾向として記憶のディテールへの拘りが、舞台上で表現された観念連合や森の正体なのだろう。そして、キリンQは、作中で指摘された通り、主人公自身であろう。つまり自己認識の為に主人公が析出した自己の影だ。以上の解釈が正しいとすれば、この作品は、自同律とその不快を表現したものだろう。

トラブルマスターズ

トラブルマスターズ

劇団 浪漫狂

シアターサンモール(東京都)

2013/05/09 (木) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★

ドンデン
 途中まで、本当にありきたりのエンタメかと思いきや、ラストのドンデンが見事。伏線をしっかり見ておくこと。(追記5.11)因みに星4つはラストの見事さから。

ネタバレBOX

 世界の複雑性を、悪と看做されかねないマッチポンプ方式で照らし出した手法が面白い。流石に30周年を迎えるだけの力を持った劇団である。

松ぼっくりⅢ

松ぼっくりⅢ

植吉劇場

「劇」小劇場(東京都)

2013/05/09 (木) ~ 2013/05/13 (月)公演終了

満足度★★★★


 命の論理、命に向き合う者の倫理、この双方が原点だ、という姿勢に賛成だ。それにひきかえ、原発人災の結果を受けて尚そのことに気付かない原子力推進派の愚かなこと!!(追記5.11更なる追記5.17)

ネタバレBOX

 親方、松山 吉郎の妹、千代美は長野で無農薬林檎栽培を手掛けている木村 次朗に嫁いでいるが、珍しく1週間も植吉に居座っている。その折も折、次朗が、小枝を1本持って訪ねて来た。林檎の小枝である。蕾が良い具合に膨らんで良い林檎が収穫できそうである。それが伝えたくて、長野から17時間掛け、ヒッチハイクとランニングでやって来たのだ。何故、そんなに小枝1本を女房に見せたかったのか。 林檎は、一度、失敗すると次の年も実をつけることはない。これまで、千代美が、帰宅しても直ぐ戻らねばならなかったのは、無農薬で育てる林檎の木にたかる毛虫などを枝1本ずつ手でしごいて、駆除することに忙しかったからである。だが、何万匹という「害虫」を苦労して駆除しても、林檎は実をつけなかった。悩んでいた次朗は、ある発見をする。それは、自然のあるがままに、雑草や「害虫」の駆除もせず、樹木の本来持つ生命力を高めることによって、おいしく安全な林檎を作ることであった。その実践を始めて初の成果だったのである。無論、問題は、これのみに留まらなかった。次朗の畑の周りで農薬を用いて林檎栽培をしている農家からもクレームが入った。曰く「お宅で農薬を使わないからうちの畑に害虫が飛んでくる」というものであった。次朗は、その隣人を自分の畑と隣人の畑の境界へ連れて行き、虫達の動きを観察する。すると隣の畑から、次朗の畑へ虫が飛んでくるばかりで、次朗の畑に一旦入った虫が、隣に戻ることは無かったのである。隣人も気付いた。そして、自分の畑の林檎の木を総て伐採してしまった。「農薬を使った自分の畑の林檎が、次朗の畑の林檎に悪影響を与えてはならない」というのがその理由であった。次朗は、隣人のこの態度にいたく感銘を受け、枝と共にこの話をすることになった。本来、百姓という言葉は、百の命をまんべんなく育てることを意味する。その為には、駆除するのではなく共生することが大切なのだと次朗は悟ったのである。植吉も庭木を扱う職人として日々命と向かい合って生きる人間の一人である。次朗の話の真髄を即座に合点した。
 一方、植吉は、問題を抱えていた。先代から受け継いだ日本庭園を、父亡き後イギリスから戻ったオペラ歌手の娘夫妻が、壊すというのである。先代の思いや、自分達が込めた丹精と長い時間が蔑ろにされる決定であるため、植吉、職人らは、何度も施主説得を試みるが、イングリッシュガーデンに拘る娘は頑として言うことを聞かぬ。どうしても施主が折れないので、散々、庭の手入れをし、丹精を込めた自分達の手でケリをつけることを選んだ。これは特徴的なことである。即ちどうしても生命あるものの命を断たねばならなくなった時、それを実行するのが、その命に最も近い者だということである。ここには、命と命を賭けて向き合ってきた者のみが持つ責任の取り方が現れていると見ることができよう。
 蛇足になるが、イングリッシュガーデンと俗に言われている庭園概念の歴史は浅い。無論、フランスやローマのシンメトリックな庭園技法はずっと古いのだが、現在、日本で言われているイングリッシュガーデンのコンセプトは、たかだか18世紀以来である。ポープに批判されて、シンメトリックなそれまで流行りの流れが変わったのである。それに引き換え、日本庭園の歴史は、無論、古代中国、朝鮮半島を経て伝わって来た庭作りを源流に、東洋的宇宙観を背景に創られている。一例を上げておこう、借景という技法がある。これは、庭園に石一つ置くにしても、周囲の山々や海川、丘陵などとの関係に於いて庭作りをするということである。仮に、三角形の石を庭の何処かに置いてあるとすると、その延長線上に冨士山が見える、といった具合だ。親方が劇中で言っている、日本の庭は宇宙を表す、というのはこういう意味である。
ばたふらい

ばたふらい

ソラリネ。

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/05/07 (火) ~ 2013/05/12 (日)公演終了

満足度★★★★

普通って
 普通の女の子の普通の恋愛を極めて普通に描いている点が良い。因みに、普通のことを普通に演ずるということは、一般に考えられているほど容易なことでは無い。

ネタバレBOX

 スタニスラフスキー理論の中核にあるものが、transparence and effectである理由もそこにあるだろう。即ち俳優が、その全存在によって役柄を舞台上の身体に滲みださせる時、自ずから其処に“普通”の表現が成立するのである。このような“普通”が最高度の表現であるのは、言うをまたない。
 本作で、今日、かおり役を演じた永井 友加里は、ソラリネの代表を務めるが、その職責に充分見合う才能を見せた。殊に印象に残ったのが、3年間付き合った彼に別れを告げられるシーンで、自らのスカートの裾を掴み、何度も、掴んだ指で揉みしだくような切ない表現と、ラスト、閉店後のアルバイト先で、女性店長と二人きりの時、当たり前の会話の後に感極まって泣くシーンである。泣く姿に凝縮された、胸の詰るような、身悶えを、観客はここに感じる。
踏切があがるとき

踏切があがるとき

神奈川県演劇連盟

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2013/05/03 (金) ~ 2013/05/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

いつもの「国家」犯罪
 鉄道の効果音がくぐもったような部分を含めて再現されていて驚かされる。シナリオが実に良い。国鉄が民営化される前後のことを描いた作品だが、この物語で描かれた国家犯罪は、無論ごく一部である。

ネタバレBOX

 実際、我が「国」の非民主性の酷さは、世界を旅してみればわかる。無論、パックツアーなどでは分かるまい。住む国の人々と日常的に接し、その国の人々と付き合い、生活をするという意味である。言葉? できて当然だろう。閑話休題:実際、この主人公、聡一の父修二のような目に遭った人々は、結構居る。完全な冤罪である。それもこれも、この国に民主主義が、根付いていないせいだ。実際、日本よりGNP,GDPが低い数々の国々に行ったり、生活したり、その地の人々と交わったりした経験から、我が国ほど、民衆が自分で自分の首を絞めている国は無いように思う。子供達の目に光が無いのは必然なのである。振り返ってみるがいい。バブルが崩壊して後、勝ち組、負け組と勝手なレッテル貼りをして得意顔していたのは、どこの誰だ? 自分の胸に手を当てて少し振り返ってみるがよい。この作品にも出てくるが1972年は、この国の民主勢力が決定的に衰退したメルクマールの時期に当たる。沖縄復帰の年でもある。新左翼と言われた左翼勢力がこの年を境に決定的に衰退して行った。それまで、価値とされてきた痩せたソクラテスはダサイ者・物の象徴とされ、太った豚として軽蔑の対象だったものが、価値になった。自分が、決定的に反旗を翻したのは、この時からだと思う。独りでも貫く覚悟を決めたのだ。この国の体制及び、それに追随する者は、俺の敵となった。無論、射程は、この国などというレベルに留まれない。この「国」は良く言って属国、実質、植民地であるから。真の敵は、宗主国であるアメリカである。今更言う迄もあるまい。ここが分かっていないと何時迄もこの「国」の在り様が見えないボンクラか、見えているから、大衆に見せまいとする「選良」と同等の下司になり下がるぞ。そういう問題なのだ。この作品でも描かれていたが、国労は、敵を見誤った。仮に正しく認識していたにしても、上手く行ったか否かは分からない。然し、正しく見ていれば、矢張り、現在が今我らの経験しているものとは異なっていたはずである。少なくとも、もう少し誇り高い連中の数が増えていただろう。ところで、君達は誇りを持っているか? 

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