ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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FANTASISTA

FANTASISTA

夢幻舞台

中野スタジオあくとれ(東京都)

2012/10/19 (金) ~ 2012/10/21 (日)公演終了

満足度★★★

若者らしい
 感性が、若者のそれである。現代この「国」の若者らしく決してきらきらしているわけではないが、線が細い。不必要な緊張があった。もう少し知的であるべきだろう。知識の量ではない。知恵の領域の話だ。若者は若者で自分達の立ち位置をキチンと把握すべきである。それができれば、無用な緊張はせずに済む。演劇を構築することは、論理である。子供だましの感情論ではない。
 殊に、脚本はプロの劇団スタッフが書いたものだと言う。神の扱いが面白い。神は人間の作ったものだから、よほど、ペダンティックな神学論争にならない限り、人間的であるはずだろう。従って、神の神性を保障するためには、対立概念としての悪の権化は必然である。一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では、神が、総てを創ったとされており、それが、正しいならば、神は悪とその実践主体である悪魔も創ったのだ。何の為に? 馬鹿げた質問だが、応えておこう。自らの存在意義とアイデンティティの為だ。神は自らをアイデンティファイするために、また善を良きものとみなす為に、必然的に悪魔を必要としたのだ。また、神は、この劇の中で、退屈もしている。退屈とは、無論、退廃の臥所である。
 だが、太平楽を決め込んだ、この国に生きる、若い演者、演出家にこのようなことを読み取ることは、荷が重いかも知れぬ。然しながら、表現自体が、世界レベルで行き来するのは、文化の必然であり、コミュニケーションを支える技術の発達によって伝播のスピードは、劇的に縮んだ。若い人たちには、そのような時代状況に合った成長を遂げてもらいたい。

夢の星

夢の星

玉田企画

アトリエ春風舎(東京都)

2012/10/17 (水) ~ 2012/10/21 (日)公演終了

満足度★★★★

リアリティーが浸蝕するもの
 劇の劇的な部分を敢えて批評的に捉えるタイプの作品と見た。演じられてはいるものの、批評のリアルに支えられたドライで強靭なリアリティーが、センチメンタルな感情や心象風景を浸蝕し、感興を削ぐことに成功している。何よりこのドライな批評性が心地よい。
 情況設定は、芝居を舞台に掛ける迄の演出家と役者たちの練習風景なのだが、脚本の変更あり、ダメダシの変更ありという中で情況の細部が変わり、その度に、演出家は新たな演出をつけ、役者たちはそれに直ぐ応えて演技の形にして行く訳だが、短時間で想像力を身体の動きや科白回しに変え、役作りの有り様を見せて行く。若い役者たちの演技も基礎がしっかりし、よく考えていることが分かるものであった。惜しむらくは、最近流行りの若者特有の変な日本語の発音を取り入れていることである。演劇は、時代を反映する度合いの高い芸術形式ではあるが、若者特有のおかしな発音を作品に取り込む必然性は無いように思う。

ミュージカル「Do Not!!」

ミュージカル「Do Not!!」

翠組 midori-gumi

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2012/10/16 (火) ~ 2012/10/21 (日)公演終了

満足度★★★

ダンスはまずまず
 合格点だったのはダンスとストーリー。シンプルだが、肝心な所を押さえ、筋の通った展開で合格。然し、歌唱力は、もっとつけて欲しい。殊にソロで歌う人々は、もっと基礎からキチンと歌の歌える身体をつくるべきであろう。楽器の演奏も音楽劇なのだから、もう一段や二段は高い所を、最低目指さなければならないレベルだ。また、オフブロードウェイを名乗るのなら、アメリカ流のブレイクダンスやレビューなどではなく、日本独自の身体表現を編み出したり、コンセプトを作るくらいの独自性と知的水準の高さがあって良い。テイストとしては、大人になり切れない日本人には、向くかも知れない。
 ところで、照明は中々気が利いていた。

琉歌・アンティゴネー

琉歌・アンティゴネー

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2012/10/10 (水) ~ 2012/10/16 (火)公演終了

満足度★★★★★

ニライカナイ
 物語ではニライは姉、カナイは妹である。無論、沖縄のユートピアであるニライカナイに掛けてある。一方、アンティゴネ-は、ソフォクレスの悲劇、「アンティゴネ-」のことである。つまりオイディプスの娘、クレオンの姪である。今更、芝居好きの前で言う事ではあるまいが、最近では古典を読まないヒトが多いので勘弁して頂く。「オイディプス」も「アンティゴネ-」もギリシア悲劇の傑作中の傑作であるが、この悲劇の因縁を巧みに取り込みながら、蹂躙され続けて来、今また更なる蹂躙に晒される沖縄本島の政治、生活、日常を、分断が、当たり前に行われ、アンチノミーやアンビヴァレンツに苛まれる人々の日々の愛や争闘に描き出して見せた。
 武器を持ち、地位協定に守られた、犯罪者上がりの多い米海兵隊、差別剥き出しの米軍、米国人に媚を売ることしか知らぬ大和政治屋と官僚。植民地軍の扱いに抗議することもせぬ腑抜け自衛軍らによって二重、三重、四重に虐げられた人々の魂の傷。血を流し続ける彼らの魂の真上を今朝も、明朝も米軍ジェット戦闘機、攻撃型ヘリコプター、オスプレイなどがお構いなしに飛んでゆく。日本国土の僅か0.6%の空間に日本全国の基地の75%が存在する、海も山も空も、米軍基地に占領された「監獄」、沖縄。蹂躙され続けた魂の誇りは、血を流し続ける魂は、ニライカナイに辿りつくことができるのか? を鋭く問う秀作である。

夢のあとさき

夢のあとさき

劇団キンダースペース

劇団キンダースペース アトリエ(埼玉県)

2012/10/10 (水) ~ 2012/10/14 (日)公演終了

満足度★★★★

夢現
 三席の落語を芝居に落とし込んだが、第一席に「夢の酒」第二席に「天狗裁き」そしてトリに「芝浜」を持ってくる。気の利いた構成であった。夢の酒は、軽め、天狗裁きは、イラク戦争でアメリカがイラクに迫った大量破壊兵器を持っていないことを証明せよ、とのいちゃもんを思い出させて、不条理劇の怖さを改めて見せつけられたような恐ろしさを現前させ、トリの芝浜では、言わずと知れた人情噺の傑作を舞台化した。非常に小さな劇場だが、出捌けは深く切れ込んだホリゾントからで能の橋掛りや歌舞伎の花道が在るわけではないが、上手奥に深く穿たれたホリゾントは、充分にその効果を発揮し、興をそそる作りになっている。舞台美術も三席総てに共通する文様ではないものの、合理的な作りで、観客の想像力の邪魔をしないものであり、照明、音響で一瞬にして場の雰囲気を変える手際も鮮やかなものであった。
 演じた役者陣は、全員、和服を着ての演技であったが、歩き方、立ち居振る舞いも和服を着るときのそれで、細かいところへの気遣いが見て取れ、満足のゆくものであった。
 演出家の謙虚で真摯な態度も、役者陣の気を抜かない演技もレベルの高いものであったが、噺に忠実に作り込んでいる分、落語の本来持つ、狂気が出ていたのは「天狗裁き」を第一に、「夢の酒」を第二にという感じであった。芝浜は、人情噺の代表的な作品だから、狂気のようなものを取り入れるのは容易ではないが、立川 談志の噺のような切れと激しさを入れるともっと良くなるように思う。何れにしろ、謙虚で真摯な劇団と見た。これからの更なる研鑽に期待して、今回、星は4つ。

柳亭市馬独演会

柳亭市馬独演会

市川市文化会館

市川市文化会館(千葉県)

2012/10/12 (金) ~ 2012/10/12 (金)公演終了

満足度★★★★

構成も良い
独演会とはいえ、前座もあり、休憩を挟んで曲芸もありという構成で、様々な層の観客に対して細かい配慮が見受けられる。落語が庶民の芸能である所以であろう。師匠は、各々の芸(前座、曲芸)を噺の枕に取り込んで、自然体で自らの噺をしている。出のシーンでの歩き方、裾捌き、着座、挨拶する時の位置なども、マイクのある位置からお客に対して不自然にならないような位置に座を占め、おじぎが丁寧に見えるような計らいも見受けられる辺り、流石の感を抱く。出からして前座とは格が違うというのが、ハッキリ観てとれるのだ。決して歩き方が美しいとかではない。ただ師匠の生きている環境の中で自由にしていられる。そういう歩き方、登場の仕方なのだ。その辺りを流石だと思う。流石、流石のオンパレードだが、それだけ引き締まった土台の上に成り立っているという、芸事の基本を思い出して欲しい。落語は演劇で言うと一人舞台に似ている、言い方を変えると共通項が多い。実際、高座での師匠の噺には、形態模写もたくさん出てきて、上手いのだ。

いつも心だけが追いつかない(終演御礼。ご感想お待ちしています。ワンダーランド・10月期クロスレービュー対象公演なのでぜひご投稿を)

いつも心だけが追いつかない(終演御礼。ご感想お待ちしています。ワンダーランド・10月期クロスレービュー対象公演なのでぜひご投稿を)

MU

BAR COREDO(東京都)

2012/10/01 (月) ~ 2012/10/08 (月)公演終了

満足度★★★★

思春期
 微妙な時期のメンタリティーを舞台という形で現前させたことを評価したい。このような形で表現できる所に演劇という表現媒体の特徴もある。教師サイドの反応も愉快だ。

ズーキーパーズ ★第24回 池袋演劇祭「優秀賞」受賞作品★

ズーキーパーズ ★第24回 池袋演劇祭「優秀賞」受賞作品★

マグズサムズ

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2012/09/27 (木) ~ 2012/10/01 (月)公演終了

満足度★★★★

面白い
よんどころない用事があって、大幅に遅刻をしたので、中盤迄は見ていないが、リズミカルでテンポの良い科白回しや、次々に襲ってくる難題、事件をコミカルに且つしっかりしたリアリティーを持たせて見せる辺り、力のある劇団とみた。大幅に遅れたので、細かい点は、他の方にお任せする。

あずき

あずき

CHAiroiPLIN

相鉄本多劇場(神奈川県)

2012/09/28 (金) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

レクイエム
 大人から子供まで楽しめる。実に多様な解釈のできる作品だ。と同時に深いレクイエムでもある。

ネタバレBOX

 
 この作品の意味を解釈するのは尚早、との批判を覚悟で意味に挑んでみよう。冒頭、飛び出すのは座敷わらしである。わらしは、自分はこの家の妹で生まれて直ぐに死んだ、と自己紹介する。一方、家族はあずきご飯を炊き掛けており、祝賀の際に供される小豆ご飯で祝うもの・ことについて多くの質問を出すが、その問いは悉く否定されてしまう。それでもあずきご飯を炊く準備は総て整っているのである。おかずに掛ける調味料の好みについてさえ多くの質問が為され、各々の好みに応じて調味料は人数分用意されているのだ。
 而も、その後、家族は離散の憂き目に遭い、捜索願が出されるが、出したのは死んだ妹、わらしである。更に家族の居ない邸には、毎日、一通ずつの手紙が届く。家族から家族へ宛てた手紙は、郵便配達によって毎日読み上げられる。言の葉が、誰に伝えられることも無く、意味の埒外で死んでしまわぬように。手紙は、再び家族が見出された時に終わる。366通目だ。その日、集まった家族は、出来上がった赤飯をこぞって食べる。これは舞台上で現実に為されることにも注意を喚起したい。次に最後の儀式が待っているからである。最後のシーンで家族の一人一人が笊を頭上に掲げる。何が入っているか察しの良い読者には既にお分かりだろう。小豆である。それを全員頭からかぶる。当然、小豆は床に落ちて音を立てる。実は、この音こそが狙いである。かつて飢饉で命を落とす農民の間には竹筒に玄米を入れて振り、瀕死の者に米の音を聴かせる風習があったと聞く。周知の如く封建体制下にあって人口の95%を占めた農民の常食は、粟、稗などの雑穀であった。経済の指標であった米は、生産者の口には入らない高嶺の花であった。当然、死にゆく者に聴かせる米の音はレクイエムである。ChiroiPurinは、小豆でそれを為したと言わねばなるまい。作者の鈴木氏は、3.11、3.12以降、甚大な被害の前で演劇やパフォーマンスに何ができるかを深く考えただろう。その答えの一部が、この作品として形象化された。

黒い花の咲く山

黒い花の咲く山

劇団演奏舞台

上野ストアハウス(東京都)

2012/09/28 (金) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★

この国
発声法が独特なこの劇団であるが、生演奏が入る為に楽器の音に負けない発声で演じているためだろう。非常に人工的な発声の為、良く通りはするが、シチュエイションによって煩く感じたり、また発声法に戸惑って間を外すケースがあるので、この辺り、根本的な演技方法レベルで考えてみる必要があろう。
 今回の舞台は、戦争と支配・被支配、人の紐帯とそれを破壊する競争原理や効率化の問題である。実際に、それがどのように機能し、人々のコミューンはどのようにして崩壊してゆくのかを描いていると言って良い。当然、現実に我々の生活の中で起こっていることとも関係している。観客は、自らの国の政治屋等を頭に思い浮かべながら観劇するのも楽しかろう。それに充分耐える内容である。勿論、デフォルメはされているが。

「みごとな女」「妹の着物」

「みごとな女」「妹の着物」

劇団グスタフ

シアターグスタフ(東京都)

2012/09/28 (金) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

若手VSベテラン
 時代背景を考慮した演出だろうか? 古色蒼然たる音声案内。これには、流石に驚いた。まるで、数十年前の浅草に迷い込んだような錯覚さえ覚える。今回は、森本 薫の「みごとな女」と川端 康成の『掌の小説』から「妹の着物」を舞台化した二本立てだ。
 「みごとな女」では、若手が中心の舞台作りで、看板女優の渡邉 宰希が胸を貸す、といった舞台作りになっていたので、こちらはエチュードの仕上がりを見る、という感じであった。
 が、休憩を15分挟んで演じられた「妹の着物」は、殆ど渡邉の一人舞台という形式で演じられるのだが、実に上手い。演出、照明、効果音も適切である。

ネタバレBOX

 幾つか、例を挙げておこう。開演早々、姉、妹の早変わりを演ずる場面があるが、一瞬部屋の隅に身を隠しただけで、玄人と素人の本質を演じ分けるのだ。更に病み衰えてゆく妹の顔が痩せ、目が大きく見えるようになり厚化粧をすると崩壊の美を彷彿させることなどを話しながら、口紅を引くシーンでは女そのものを感じさせる。
 また妹の亡くなる晩、危篤状態の妹を夫に託し医者を呼びに走る途中で、妹の結婚前の恋人に呼び止められ、妹と間違って為される恋人の呼びかけ、嘆願の言葉から、妹が大恩あるあねに義理を立てる為に、気の進まない結婚を承諾した事情を知るが、妹の着物を着、髪型も妹と同じに替え、体つき、顔立ちもそっくりな姉は、そのまま妹を演じその男と情を通じるのだが、川端の筆の冴えをきちんと受け止めて伝えてくる。
 他にも印象的なシーンは多々あるが、見る時の楽しみを殺ぐのは本意ではない。伏せておくとしよう。評価は二本合わせて★4つとした。
「ヘロペ」

「ヘロペ」

.comet <ドットコメット>

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2012/09/27 (木) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

満足度★★★

素人向け
ヘロペ
 劇団の志が低いように思われる。意味のあることをやろう、という強い意志を感じない。

ネタバレBOX

 森に住むと言われる謎の生き物。高速で移動し、その姿を見た者は願いが叶うと言われる。また、その声を聴いた者は幸せを得るとも。かつては統合されていたものの分離して150年経つ村の再統合にこのヘロペを利用しようとの計画が持ち上がるが、村の青年団に強硬な反対派がおり、交渉は中々纏まらない。明後日には、領主が視察に訪れるという時になっても対立は続いたままである。この対立は、一つの村の村長の長女ともう一つの村の若者がかけ落ち寸前に、それを取り止めたことで遺根を残していたことにも一因があった。
 一方、対立で混乱した村へ、調査の為に珍しい物を研究している博士とその夫、好奇心の強い領主の娘がお忍びでやってきて巻き起こす珍騒動を描いた作品だ。
幻想の方舟

幻想の方舟

ミームの心臓

荻窪小劇場(東京都)

2012/09/26 (水) ~ 2012/10/03 (水)公演終了

満足度★★

空中分解
 箱舟に乗り込めば救済されるとの情報で、我がちに人々が集まる。然し、乗り込めるのは、ごく一部の人間だけであるから、当然、競争は苛烈なものになり、多くの者は、残されたまま滅ぶと考えられている。然し、実際に船に乗り込んで見ると、乗船している人々が幸せだとは思われない。幸せでも不幸せでも無い状態は、極端な悪さにも陥らない為、これがベストなのだという発想が、主流を為しているのである。
 然し、新しく乗船したシャンスラードは、この船の救世主になる可能性があると、この船の歴史を総て知っている道化が、彼に告げる。
 乗船者達は、それぞれ個性を持っているはずであるのだが、毎日、同じ議論を繰り返していて、一向に結論は出せない。然し、革命を目指す者が一人、彼女は情況を打開する為に先を見越すことを提言する、が。
演者たちの演技が空中分解していたように、この革命議論も幻想論の域を出ていないことが、一弾深みのある論理によって浮き上がってこない。このことに象徴される舞台であった。
本来、役を振られた役者が、己の実態と役の間にある溝に悩む姿を形象化しなければならないはずのこの舞台で、演出がその点に気付かず、きちんと駄目出しもできていない。 
ここで描かれているキャラクターは前に進もうとはしない、が、幻想を持つほどに進みたいとのアンビヴァレンツやアンチノミーを表現したかったはずの舞台で、脚本の意図を汲んでいないであろうからである。
 ハッキリ言って演出・役者の力量不足。道化を演じた役者に役者としての芽を感じた他は、見るべき所無し。それぞれのキャラが立つような演出になっていないのは、脚本の読みが浅いのと、脚本自体が頭でっかちなのであろう。
脚本に直接あたっていないので定かでは無いが、恐らく脚本自体コンセプチュアルなものであったろうことは想像できる。演劇は身体性に根ざしていなければならないだろうが、その点についての考察の甘さも感じる。

白虎隊風雲録 コダマ!(CM大会最優秀賞受賞!)

白虎隊風雲録 コダマ!(CM大会最優秀賞受賞!)

劇団バッコスの祭

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2012/09/26 (水) ~ 2012/10/01 (月)公演終了

満足度★★★★★

エール
 会津は、現在の福島県の一部である。ここに話を設定したのは、無論、3.12のことがあったからであろう。政府や推進派の大音声頑張れキャンペーンに対しては反吐しか催さないが、このようなエールなら大歓迎である。先ずは、このような姿勢があって、”コダマ”という仕掛けがある。この仕掛けを用いることによって、現在の日本にほぼ重なる地域の千年以上に亘る差別と被差別、都の狡さと鄙の純情、先進地域の利器と周縁部の紐帯、雅な連中には、つきものの裏切りと俗な人々の連携、男と女、大人と子供というレベルまで様々な背景と歴史を見事に物語の俎上に載せた。
 殺陣のシーンが多いので、舞台設定は、動きの多く激しい流れを汲んで合理的且つ美的・動的に組み立てられている。場面転換など、敷居上を障子が移動することで表現しており、簡潔にして要領を得る見事なものである。
 一方、現在我々の被っている核被害を振り返ってみるときに、東電の頬っ冠りは無論のこと、政府行動のいい加減は最早覆うべくもない。ここに表れているのは、現実の差別である。アメリカの日本に対する差別、日本の「選良」による同一民族への差別、また、都人の地方の人々に対する差別、力ある者の無き者への差別である。これに対するに、双方の「コダマ」を以てし、観客の持っていたはずの傾向、判官贔屓に訴えた作品として高い評価を与えられるべきであろう。その結果がこだますのか否か、今や、我らに問われている。

纏繞の夕月

纏繞の夕月

集団as if~

笹塚ファクトリー(東京都)

2012/09/26 (水) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

満足度★★★


 劇を通して訴えたいことがはっきりしていない。その結果、主張が空回りしてしまって、折角のストーリーが、単なる因果応報の話に堕してしまった。ひとつ、箍の繋ぎ方を変えると、見違えるような作品になったはずだが。
 劇作家は、自分の位置を正確に見極めるべきである。世間での己の位置、演劇が、この時代、この地域でどのような位置づけなのか、といった世塵にまみえる覚悟が必要である。そうすればインプロビゼーションの扱いも、まるで違ったものになったはずであり、今回のような小手先の器用を売るレベルに堕したりはしなかったであろう。観客は、しっかり見ている。そのことの怖さを手掛かりに、先ずは、自分達の生きている状況の分析をしっかりやりなおして欲しい。そうすれば、人間相互の関係を見るきっかけが生まれよう。先ずは虚心坦懐にそこから見直して欲しいのだ。

中也論 よごれたかなしみ

中也論 よごれたかなしみ

趣向

STスポット(神奈川県)

2012/09/23 (日) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★


 飛び石や靴脱ぎ石には、石材が使われ、如何にも大正から昭和初期の雰囲気を醸し出している。更に孝子の庭には、四季折々の木々と花、鳥や虫が挙って、いやがうえにも風情を顕す。このような背景が、芸術家たちの寄る辺ない位置に、傷つけられた神経をどれほど安んずるかに思いを致すべきであろう。
 太郎が、泰子が、秀雄が、二郎が何故、中也を嫌うのかの答えが、ほの見える。無論、中也自身が最も深く傷ついている。中也は、小林自身が指摘している通り、voyantである。見えすぎるが故に、彼は言葉を溢れさせる他、方法を持たなかった。而も、彼の発する言葉は、その向かう対象の裸形を明らかにせざるを得ない。彼の愛する対象は、中也に愛されることによって、己の本質と真正面から向き合わざるを得ない。それが如何に不快であるか。多少とも自らを掘り下げたことのある人なら納得のゆく所であろう。つまり、太郎、泰子、秀雄、二郎総てが、自らの本質を嫌ったのである。そして、そのことを悟らせた中也を嫌うことによって自らの平衡を保ったのだ。そして、それら総てを暴き、愛された者たち総ての裸形を知る中也を恐れたのである。そのことが、voyantである中也には見えていた。そして、己自身、そのヴィジョンに喰われつつあることも。
 それが、中也という詩人の誇りでもあり、傷でもあった。即ち、中也とは、総ての底を見尽くす透視力と同時に見られる傷。傷を一身に体現した存在。詩人と名付けられ、生きながらメスをあてがわれた神経束、同時に自らを切開するメスであった。
 だが、彼を詩人と名付けた者は誰だったのか、或いは何だったのか? 
 我らに残された問いである。

ナイゲン【本ページは2012年版です。ご注意下さい】

ナイゲン【本ページは2012年版です。ご注意下さい】

Aga-risk Entertainment

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2012/09/22 (土) ~ 2012/09/30 (日)公演終了

満足度★★★★

設定
 場面転換が一度もない。それだけ考え抜かれたシチュエイションである。実体験をもとにしているようだが、今回は余り捻らず直球勝負であったことも良かったのではないか。シナリオも当然のことながら良く練られていて、登場人物のキャラが立つ。照明の腕も勘所を押さえたライティングで感心させられた個所があった。論理的な展開と時々吹き出したくなるような要素が上手く絡み合って飽きさせない点でも、ウエットになりがちな場面もドライに処理して、ケレンミも無い。役者たちの演技も中々のもので、本当にこんな奴いたよな、と感じさせるほど完成度の高い舞台で楽しめたが、もう一段、高みを目指して欲しい。力のある舞台を創っている。だからこそ、更に大きなものと格闘して欲しいのだ。そこで敢えて評価は4にした。更なる表現を期待している。

おとう戦記

おとう戦記

PROJECT VANGUARD

明石スタジオ(東京都)

2012/09/21 (金) ~ 2012/09/23 (日)公演終了

満足度★★★

崩壊家族
 家族などというものが、実質崩壊して既に長い時が経った。作者は、こんな状況を憂いているのだろう。劇中、親子は互いの役割分担を変えて、互いの立場を分かりあうべくロールプレイングゲームを展開するが。

ネタバレBOX

 悲惨な現実は理解できても、それで事態が好転するわけでもなく、益々、ドツボに嵌ってしまう。互いに関係修復を図ろうともがく節はあっても、照れやすれ違い、表面的な対抗意識から融和は中々はかれない。時が経ち、息子も結婚して子を持ち、父の思いも知るようになる。
 出演人数がかなり多いのだが、主たる登場人物以外、充分に活かしきれていないのが残念である。結果、行儀よくまとまりはつけたものの展開の意外性や深みに欠けた。
ブラッディ・マリー

ブラッディ・マリー

劇団東京ドラマハウス

萬劇場(東京都)

2012/09/20 (木) ~ 2012/09/23 (日)公演終了

満足度★★★★

芝居はなまもの
 都会暮らしでは忘れがちだが、人生もなまものである。そのことを思い出させるような泥臭いシーンが続くが、終盤、煌びやかではないが重心の安定した人生を、舞台という鏡を通して見せてくれた。芸達者な役者たちに拍手。

ネタバレBOX

 マリー役の女優がキスシーンに拘った訳も明らかにされる。彼女の彼氏は、親子以上に年の離れた人物であった。マリーと彼は、マリーより7つ年上の娘に反対されて、別れることを選択するが、キスシーンには、マリーから彼への最後の愛のメッセージが込められていたのである。何より、舞台上から、観客として来ている彼への、なまものとしての愛が手渡されたわけだ。
 今回、自分が見たのは、トマトチームだが、もう一つチームがあってウオッカチームという名である。両方を合わせるとブラっディーマリーが出来上がるという寸法だ。
 舞台設定もユニークである。観客が実際観るのは、舞台裏の様子である。劇中、劇中劇が、上演されるが、実際には、こちらは音声のみの表現である。舞台裏では、緊張に押し潰されそうな進行係の様子や、アクシデントでアドリブを余儀なくされる演出家、役者陣の姿が描かれることによって、芝居に賭ける役者の生き様が描かれ、遂には人生そのものがなまものであるという事実を浮かび上がらせるのである。
 構想、構成の確かさ、演出の面白さ、役者陣の実力が相まって、見応えのある舞台になっている。
林檎ト大地ノ黙示録【ご来場ありがとうございました!!】

林檎ト大地ノ黙示録【ご来場ありがとうございました!!】

空間交合〈アサンブラージュ〉リジッター企画

ザ・ポケット(東京都)

2012/09/18 (火) ~ 2012/09/23 (日)公演終了

満足度★★★★

出口なし
 乱暴に思われるかもしれないが、宿命を負ったと設定することで、兄弟はその宿命を生きるほかなくなるのだ。無論、そこから簡単に抜けられない点で、これは単なる宿命というより運命とでもいうべきレベルにアップしている。このことこそが、悲劇を構成している。更に、この脱出不可能性を描く屈折が良い。演出にも光る所が見え、照明、音響なども効果的に使われている。
 実際、出口なしの状況に置かれた愛は、他にどのような結末を迎え得よう? この作品の妙味は、このような状況下では、愛の唯一の脱出口が、このような結末を迎えざるを得ないことの必然を析出して見せた点にある。
 今回、拝見したのはBだが、Aとは結末も異なると言う。自分の予想するような結末をAで採用するか否か、こちらも興味深い所ではある。

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