あずき 公演情報 CHAiroiPLIN「あずき」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    レクイエム
     大人から子供まで楽しめる。実に多様な解釈のできる作品だ。と同時に深いレクイエムでもある。

    ネタバレBOX

     
     この作品の意味を解釈するのは尚早、との批判を覚悟で意味に挑んでみよう。冒頭、飛び出すのは座敷わらしである。わらしは、自分はこの家の妹で生まれて直ぐに死んだ、と自己紹介する。一方、家族はあずきご飯を炊き掛けており、祝賀の際に供される小豆ご飯で祝うもの・ことについて多くの質問を出すが、その問いは悉く否定されてしまう。それでもあずきご飯を炊く準備は総て整っているのである。おかずに掛ける調味料の好みについてさえ多くの質問が為され、各々の好みに応じて調味料は人数分用意されているのだ。
     而も、その後、家族は離散の憂き目に遭い、捜索願が出されるが、出したのは死んだ妹、わらしである。更に家族の居ない邸には、毎日、一通ずつの手紙が届く。家族から家族へ宛てた手紙は、郵便配達によって毎日読み上げられる。言の葉が、誰に伝えられることも無く、意味の埒外で死んでしまわぬように。手紙は、再び家族が見出された時に終わる。366通目だ。その日、集まった家族は、出来上がった赤飯をこぞって食べる。これは舞台上で現実に為されることにも注意を喚起したい。次に最後の儀式が待っているからである。最後のシーンで家族の一人一人が笊を頭上に掲げる。何が入っているか察しの良い読者には既にお分かりだろう。小豆である。それを全員頭からかぶる。当然、小豆は床に落ちて音を立てる。実は、この音こそが狙いである。かつて飢饉で命を落とす農民の間には竹筒に玄米を入れて振り、瀕死の者に米の音を聴かせる風習があったと聞く。周知の如く封建体制下にあって人口の95%を占めた農民の常食は、粟、稗などの雑穀であった。経済の指標であった米は、生産者の口には入らない高嶺の花であった。当然、死にゆく者に聴かせる米の音はレクイエムである。ChiroiPurinは、小豆でそれを為したと言わねばなるまい。作者の鈴木氏は、3.11、3.12以降、甚大な被害の前で演劇やパフォーマンスに何ができるかを深く考えただろう。その答えの一部が、この作品として形象化された。

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    2012/10/01 04:08

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