宮地真緒主演  「モーツアルトとマリー・アントワネット」 公演情報 宮地真緒主演 「モーツアルトとマリー・アントワネット」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-19件 / 19件中
  • 満足度★★★★★

    好き
    理屈無しに美しい世界観。


    以下、気になる点(痛烈ダメ出し)はネタバレBOX。

    ネタバレBOX

    ・声楽家の歌唱力に難あり。
    アリアやリートをあれだけの量、歌うなら、それなりの声楽家でないと耐えられない。せめて藤原歌劇団や二期会の本公演のソリストクラスを揃えて欲しい。

    ・曲が多すぎて、物語に入ろうと思う度に、心にストップが入ってしまう。曲を減らして、物語部分をもっと増やすべきではないだろうか。

    ・歌は意味を持ちすぎる。上手な声楽家かつ歌を減らせば、もっと感情移入が出来たのではないだろうか。

    ・宮地真緒の演技が浅い。もし深い演技が出来るヒロインなら、完成度がグンと上がったはず。

    ・世界観に不純物が幾つも入った印象。劇中劇フィガロなどはオペラファンを小馬鹿にし、一般の客は意味が分からない無駄な時間。


    ただ、ここまで書いても、全体的にはとても好きな世界。

    開花する可能性のある数少ない集団。

  • 満足度★★★★★

    可能性
    まあ、彼らは新しいことをやってるわけなのでね、まずはそこに敬意を表します。同時にキャパがでかくなりましたね。これは問題点が分かりやすい。

    良い点
    ・世界観
    ・着想
    ・やはりどう考えてもこの演劇スタイルはこの劇団にしか出来ない。そこに今後の無限の可能性を見る。
    ・石井康太、与座よしあき、狩野和馬が良かった。

    悪い点
    ・アンサンブルの身体能力、発声能力、演技能力の低さ。
    ・マリー・アントワネットはギロチン前だけは衣装替えをするべきでは?ボロボロの服1枚になれない理由はあったのか?
    ・声楽家、男女ともに技術に差があり過ぎる。ゲストくらいのレベルを団員の声楽家も保持すべきでは?
    ・演奏家、指揮者がいない為、演奏の冒頭が必ず揃わない。指揮者は必須では?
    ・キャパが中途半端。倍にするか、半分にするかじゃない?


    以上

    福島さん、痛風お大事に。

    自称、応援団長として(ワーサル以来でしたが)、今後とも期待しています。

    ただ、劇場に戻ったほうが良くないですか?

    キャパ600くらいの劇場のほうが良い気がするなぁ。色々遊べますよ。

    追記:
    「俺の兄貴はブラームス」DVDで拝見しました。こっちのほうが断然良い。
    福島真也の世界観が一色に統一されており、揺るぎがない。
    今回は、色んな人間のアイデアが入ったんじゃないかな。
    少々カオス感があった。

    また、声楽家のレベルも前回公演のほうが圧倒的に上。団員を鍛えるか、外部から補強するしか思いつかない。

    と長々と書きましたが、次回あたりから、化けるんじゃないかな、という期待を込めて★5!

  • 満足度★★★★

    演劇を建てるには音楽を犠牲にしなければならない、、のか。
    東京イボンヌ初観劇。その期待を「観たい!」にも書いたが、舞台上にクオリティの高い演奏家を置き、芝居にもしっかりと噛む。如何にも贅沢な、未だ観ない光景だと思った。私の一方的な期待だが、舞台はそれとはやや違って、その違いは、この舞台を「演劇」として観る場合、大きかった。 「未だ観ない」とは括弧付きで、オケ付きの「舞台」としてはオペラがあった。こちらは得意分野では全くないが、ズバリ今回の舞台はオペラかオペレッタの崩しみたいだ、と思った。
     モーツァルトが登場し、声楽家も居るので「フィガロの結婚」の一節が歌われてもおかしくないが、本格的な声楽家(欧州在住日本人の声楽家をわざわざ呼んだというから気合いは半端ではない)が、そこでフィガロを歌ってしまったら、そこはフィガロの空間以外の何者でもなく、それを包みこんで物語が流れるはずの「芝居」のほうは、こいつには到底勝てない。
     全体にコメディの味付けが濃く、近世ヨーロッパの王道的傑物二人の懐の内に遊んでいるといった感じで、そうした細かな笑いを挿入することで傑物の傑物たる所を引き立てているとしても、以上にはならない。
     ドラマとして見た時、超有名人であるアマデウス・モーツァルトとマリー・アントワネットが何ゆえ「特筆」されるべき人物であるのかを、作家独自の視点で「説明」し得ているか・・それが気になった。 一般教養のレベルで、少し勉強すれば判るだろう・・、という前提を受け入れるにしても、作家自身の捉え方は作品の中に一本なければならないように思う。
     プロの声楽家にオペラの一節を歌わせること有りきで、その上で「演劇」を成立させるギリギリの努力をされたのだろう・・が、相対的に「演劇」が疎かになったとの評価は、否めないように思う。
     そのポイントを幾つか羅列すれば・・

    ○構造としては「芝居」が始まり、その中に「音楽」が組み込まれる、という外形はとっているが、「フィガロ」の一場面が歌われると、その場面の位置づけがあやふやになる。「オペラが上演されている場面」なのか、「芝居の進行上の挿入歌」なのか、何らかの意味を付されねばならないが、この舞台では「ひらつかホール」で声楽家が声を披露している」という事になってしまう。もちろんその側面があってもよく、それで拍手が起きてもよいのだが、しっかり「演劇」の中に組み込まれているかが問題だ。
    ○他の演奏場面も、「上演・演奏風景」として位置づけられている事が多かったが、生演奏の再現力はドキュメント性を強く持ってしまい、一節の終わりまでしっかり演奏する事で尚更、音は独り立ちしてしまう。「上演・演奏風景」以上のものになる。つまり「ひらつかホール」で演奏を披露している、という事にやはりなってしまう。
    ○これには、(他の投稿にもあったが)「物語」の流れに沿った音楽であったかどうかが「音楽そのもの」から伝わって来ないという事が大きかったのではないか。有名な曲目をチョイスしたのだとすれば、そのチョイスの仕方が既に「音楽・演奏ありき」で「演劇」は二の次だったとなりそうだが、実のところどうだろうか・・。
    ○また、これを言っては身も蓋も無い?が、複数の声楽家を招いたことで一定の「披露の場面」を準備することとなり、歌の比重が大きくなった、その事で「物語に沿った音楽」という使用はいよいよ狭まり(オペラ曲では尚のこと)、モーツァルトの仕事の中でも歌劇が前面に出ることになった。その事がストーリーの組み立て(あるいはモーツァルトという人物の位置づけ)に与えた影響は無かっただろうか。。
    ○同様の難点は、舞台の上方に演奏者がデンと終幕まで座って、「演劇」の中に生きる存在として見えにくいという事もあった。(他の難点がなければさほど気にならなかったかも知れないが)
    ○モーツァルトの音楽が「民衆」に対して、本来寄り添おうとするものだったという視点、モーツァルトの中に庶民性を発見する事が、フランス革命をドラマに大きく取り込むことの意味になると思われるが、(でなければ例えば、逆に彼の中の貴族性が暴かれ、彼自身の=神との約束との=葛藤が浮かび上がる、といった展開も可能?) フランス革命に対し懐疑的な描き方がされており、はっきりして来ない憾みがある(能力のないリーダーが威張ってみる等のギャグ)。 ・・権力の肥大化、その挙句の絶対王政の下、硬直した社会システムに苦しむ人々、そしてついに暴動に至った、つまり、「不平分子」が居たり「洗脳」によっては、大規模な革命など起きない。革命の前に支配と権力があり、沈黙する民衆はその下で疲弊する。さてそこへアマデウスは自らの音楽で何を変えようとしたか。そして「何に挫折したのか」、そこを鋭く描いてもほしかった。
    彼の音楽が受け入れられていく、人気を博していく、という導入は良いが、人気の中身が何であったかについても、知りたい所だった。
    ○マリーとの接点は、フィクションであって良いけれど、モーツァルトがどこに立っており、マリーとどう出会ったのか(人に理解されない穴を埋めあう、とか、政治的立場が違うにも関わらず惹かれあう、とか・・)、アマデウスの物語にとっての、マリーの存在の「意味」。
    ○神に頼んで地上に降りたモーツァルト、という着想は色んな可能性を孕んでいると思う。ただこの部分にしても、神世界に属する存在が「人間」になった時、初めて発見することというのがありはしないか。それとも今回は何度目かの事か。何のために彼は人間界に来ようとするのか、そのメリットは・・。そういったディテイルはとても大事だと思う。彼にとっての「超課題」は何か・・「演劇」ならそここそ重要だと考える。

     難癖ばかりになってしまうが、舞台装置は見た感じからして辛いものがあった。横に長く、前後に狭い。中央で芝居をやると役者がはけるのに時間がかかったり。中央の(高台二つの切れ目の)通路はいまいち利用されていない(使いづらかったか)。上段に楽隊が占め、上手中央寄りにピアノも置かれ、動線の工夫も大変だっただろう。
     (これらも「演奏を聞かせるパフォーマンス」の一つと見直せば、有効な形なのかも知れない)
     様々な条件を制約と抱えながら舞台化を遂げた努力はしのばれ、「思い」のようなものは感じる、ものの、「演奏」を「演劇」(物語)の中に美しく組み込む試みは、まだその「始まり」に思えた。 難しい取り組みを、それでも取り組み続け、成果をあげて行って頂ければ私は嬉しい。
     ・・・と「演劇」(私定義による)好きの一人が長々と申したが、単に「違う路線」ゆえの「違い」に過ぎないかも・・

  • 満足度★★★

    演劇の印象薄い!
    ステージにオーケストラが丸見えなのは個人的には好まない。
    舞台セットに凝ったものができなくなり、芝居の印象が薄れる。
    衣装にも工夫が見られず、本来ドラマティックな部分であるはずのシーンがそのようにまったくみえない
    演奏や歌は良かったものの、オーケストラの待機時間長く持て余してるようにも見えた。
    今のやり方がいいのか再検討が必要なのでは?

  • モーツアルト
    説明 に※この物語はフィクションです。とあるようにフィクションなのですが、本当にマリー・アントワネットがモーツアルトとこんな風に出会えていたら良かったね!と思えるお話でした。しかし、気の毒なアントワネットに寄せる思いは切実なのに、モーツアルトの結婚観は最低で、これじゃあコンスタンツエもぐれちゃうよねと思われ、そのあたりの設定は考えて欲しいと思いました。またあの時代の衣装を再現するのは予算的に難しいと思いますが、アントワネットが結婚してからも同じ衣装と言うのは残念でした。それと私はクラシックになじみがないため、演奏されている曲名はもとよりそこのシーンと関係があるのか無いのかも分からなかったので、そこらへんはもう少し親切でも良かったのではないでしょうか?

  • 満足度★★★★

    大好きなモーツァルト
    イボンヌさんは前回公演のブラームスに続き2回目です。今回は大好きなモーツァルトが題材とあって、好きな曲が沢山聴けそうととても楽しみにしていました。その期待は裏切られることなく、交響曲第25番から始まって、歌劇「魔笛」や「フィガロの結婚」からのアリアやピアノソナタまで、クラシック入門曲と言ってもよい有名な曲ばかりでひたすら楽しかったです。欲を言えば、使用曲を当日パンフレットに載せていただけると知らない曲でも家に帰ってからCDを探したりして思い出に浸れそうだなと思いました。なお、演劇部分をもっと突き詰めていっていただけるともっともっと楽しめるかな・・・と。客演の方達の存在感に比べ、アンサンブルの方達の力不足がかなり気になってしまいました。。

    ネタバレBOX

    最初に感動したことがありました。歌劇『魔笛』の童子の三重唱、沈黙の試練を与えられたタミーノに「口を閉ざして」と歌う曲を替え歌にして、観客にスマホの電源を落とさせてました(笑)舞台の上の声楽家さん達に電源落とした画面を見せたり、観客同士で画面を見せ合うことを促したり。ユーモアたっぷりで◎でした。
  • 満足度★★★★

    音楽と芝居の融合
    前作には及ばないものの音楽と芝居の調和した良作。フィクションでありコメディであり,自分の好みからはちょっと外れてはいるが,物語を音楽が包み込んで良い空間を創り出していた。4~5年前から軟弱になって(こーいうことを言うと怒られるが),モーツアルトの音楽が心地良く感じるようになり,気持ち良い作品だったと思う。前作でも思ったが,開演前のミニコンサートが効果的,期待が高まりました。次回作は,自分が東京イボンヌと出合った作品,これも期待です。追伸,福島さん,痛風お大事に。

  • 見てきた。
    クラシック音楽と演劇の組み合わせで作品を構成されている作品でした。
    コメディ要素を多めに取り入れてる分役者さんの活き活きしている部分が見られたのは良かったです!
    声楽家の方々も本当に素晴らしい。ホールに響く歌声はまさに声の楽器!オケも生演奏だから味わえるものが格別ですね!
    上演前のプレコンサートを最初から見たかった。

    とは言え、クラシックはやはり敷居が高い。なかなか庶民が足を踏み込むにも勇気がいりますし、マナーも気になるところ。
    他の感想も拝見しましたが、マナーの悪い方がいらっしゃるのは事実で、私も後ろの席から携帯の音が聞こえてきたのには若干残念に思いました。

    このような作品を見るうえでは最低限のマナーが出来る観客を選ばなければ行けないのかも知れませんね。

    今後もクラシック演劇を見る方達の為に。

  • 満足度★★★

    笑いに隠れてしまったシリアスさが勿体ない
    クラシック音楽と演劇の融合を目指している劇団東京イボンヌの第10回公演初日にでかけてきた。
    以前、この団体はクラシックの作曲家や演奏家に焦点を当てた演劇を上演するという方向で「クラシック音楽と演劇の融合」を目指していたが、色々事情が合ったようで『無伴奏』という作品を頂点に活動を休止していたのだが、最近演劇の中に生の演奏を挟みこむという以前とは異なる手法での融合を模索し始め、今回はその一つの到達点といえる公演と位置づけたもののようであった。

    役者には主演に宮地真緒(マリー・アントワネット役)と石井康太(モーツァルト役)を迎え、舞台上にひな壇を設営して小規模の室内楽的なオーケストラを配置し、舞台の進行に合わせて器楽演奏や声楽家を迎えての演奏を行うというもので、演劇と音楽の双方に『本格的』という姿勢を打ち出した。

    舞台の粗筋は分かりやすく、神の子として生まれた男が音楽で人間を豊かにしてみせると人間界にモーツァルトとなって降りてくる。しかし、思いとは裏腹に人間たちの複雑な感情や行動を知れば知るほど、思ったように音楽で人間を変えることの難しさに悩む。そんな時、モーツァルトが巡りあったのがマリー・アントワネット。彼女に一目惚れしたモーツァルトは、彼女のためにも曲を書き、彼女を王室外の世界にも触れさせる。しかし、結局モーツァルトは目的を果たせず神の世界に戻るのだが、アントワネットもフランス革命により処刑され、天上の世界に。そう、二人は天上の世界で、結ばれることになる。

    劇中には流行の「壁ドン」が出てきたり、観客の笑いを誘う演技が多数出てきた。これをクラコメ、つまりクラシック・コメディと言うらしいのだが、そのためかモーツァルトやアントワネットが叫ぶシリアスなセリフが劇中に埋もれてしまった感があったのが残念。
    それと、度々登場する声楽家による演奏が、「なぜその場面でその曲を歌うのか」という劇の進行との兼ね合いがわかりにくかったのが心残り。原語歌唱にこだわったのは本格的なクラシック音楽に接するよい機会だとは思うのだが、字幕なりパンフレットに翻訳なりをして観客に提供したほうがベターではなかったろうか。予算的に難しい問題ではあるが、本格的な融合を目指すには必要であろうと思った。

    そもほか、細かい点でまだまだ改善の余地を残しており、今の手法における演劇とクラシック音楽の融合の現段階での到達点のお披露目という意味合いでは意義のある好演だったと思うが、ある程度完成された舞台を期待した方々にとっては物足りなさを感じたに違いない。
    今後の進展に期待したい。

    なお、来年には『無伴奏』が再再演されるとか。過去の上演と異なり、現在模索している手法も取り込んでの上演だと面白い結果が出そうだが、過去の上演と同様の形態でもお薦めの作品には間違いない。

  • 満足度★★★★★

    ネホリーハホリー☆
    (^^)/ 昨日の9日の昼、ひらつかホールで
    [東京イボンヌ]の
    【モーツァルトとマリー・アントワネット】を観てきました☆
    面白かったです。
    クラシック+演劇という、
    唯一無二の劇団の第10回公演☆
    歌劇ファン大喜びの、
    フィガロの結婚、魔笛、もいっぱい♪
    高尚なコメディと感動も勿論健在で、
    フランス革命との絡みも素晴らしい!
    さらに、役者さんたちが素敵です☆
    大満足の舞台でした。
    観劇日記をブログに書きました。

  • 満足度★★★★

    融合のむずかしさ
     記念すべき第10回公演とあって演目はモーツアルトとマリーアントワネット、演奏にも力が入っている。13時半に入場すると既にコンサートは始まっていて贅沢な気分に浸った。(ネタバレ追記2015.12.11:01時22分)

    ネタバレBOX

     東京イボンヌはクラシックの生演奏と演劇を融合させたい、という理念で作られている劇団だから、今回も普段はイタリアで活躍している声楽家も招き豪華なキャストで臨んでいる。だが、異なるジャンルを過不足ないバランスを取りつつ上演するのは至難の業であることも事実だ。この難しさが今回も出たように思う。歌われる言語にしても何か国もの言語が用いられるので、聴いただけで全言語を理解できる日本人は稀であろう。字幕をつけるという配慮があれば、予算、翻訳者の確保等大変な作業が増えるが、観客には喜ばれよう。
     またシナリオは、若干説明的になり過ぎたきらいがある。鋭い煌めきを放つ科白も何か所もあるのだが、序盤、大状況を説明してしまうのは如何か? 演劇的にその悲惨な様を描くことで観客にそれと得心させる所に芝居の醍醐味はあると考える。
     音楽のレベルが高いだけに、それに見合う内実が欲しかった。音楽と演劇が融合していたのは、中盤マリーアントワネットとモーツアルトが初めてゆっくり語り合った場面で、このコラボレーションは見事であった。 
     フランス革命時、今作にも描かれているように庶民の生活は悲惨そのものであった。絶対王政の下、王が殺されるような凶事が起これば太陽が昇らなくなるという迷信が信じられていたとの噂を聞いたことがある。王権神授説を奉じて王の支配権を正当化していた以上、このような世迷い事が民衆に信じられていたとしても驚くにはあたるまい。実際、時の権力が如何なるものであれ、民衆が結果的にそのイデオロギーを支えなければ権力は生き延びることができないのは普遍性を持つ事実であろう。フランス革命後、恐怖政治を通じて民衆の支持を失った革命政権は短命に終わって、ナポレオンが王政を復活させた歴史は誰もが知る通りである。因みに自分がフランスに住んでいた1994年~5年に掛けてのフランスには、良くも悪しきもフランス革命の遺産が重い歴史の重圧としてフランス社会に影を落としていると感じていた。革命とはそのように多用な面を含む。その革命時、民衆がパンを求めたのも事実なら、マリーアントワネットが「パンが食べられないならケーキを食べれば」と言ったというのも良く言われることである。だが、今作で描かれたように本当に彼女が下々の生活を一切知らなかったのであったとしたら、この発言も単に彼女の不徳の致す所と断じる訳にはゆくまい。また、ルイ16世の鍵狂いも、彼の愛の形も、愛新覚羅 溥儀の虫狂いと正妻とのセックスレスとに通じるようで、王たる者の孤独・孤立・不自由・退屈を興味深く想像させる。一方、王ではないが、矢張り騒乱の時代を生きた貴族であるモンテーニュが、普遍的古典となった「エセー」を書き領主として驚くべき開放的精神の持ち主であったことをも考え合わせるならば、これは為政者としてコインの表裏を為すものかも知れない。まあ、為政者次第で人生を翻弄される民には、こんな論理は受け入れられないだろうが。天才芸術家と王妃、王妃と王との純粋恋愛の三角関係とも読める純愛を素直に受け取るのも楽しみ方の一つであろう。
  • 満足度★★★★

    クラシックと演劇の融合
    劇場に入って驚いた。白を色調にした舞台と衣装に、室内楽編成のオケ。ピアノもある。プレコンサートが始まった。声楽家が歌う。クラシックのコンサートという印象。
    2時間の舞台が始まる。俳優が歌うわけではない。それではミュージカルかオペラだ。俳優、声楽家、演奏家が1つの舞台に載ってそれぞれの役割を演じる。新しい試みなのだろう。
    テーマの意図は分かるが、…。それは使用曲が人気作品をつなげたもので、舞台の演技としっくりこないのかも知れない。
    しかしながら、これだけの出演者で5,000円、リーズナブルだ。ゲストの声楽家の歌に感動した。

  • 満足度★★★★

    よくわかるフランス革命
    次第にクラシックが本格的になり、大変充実して来たのは良いが、
    その分芝居の方が軽くなった印象を受けた。
    マリー・アントワネットのキャラと悲劇性が弱く、肝心な
    “モーツァルトの音楽に救われた”感が薄いのが残念。
    また、マリー・アントワネットぐらいは結婚後衣装替えがあっても良かったのでは?
    囚われの身になって初めて夫ルイ16世と心を通わせるシーンはとても良かった。
    神様役の吉川拳生さんが登場すると舞台が引き締まる。

    ネタバレBOX

    開演前のミニ・コンサートで、客席には豊かな歌声が流れている。
    ロビーの花の香りと共にクラシックコンサートの華やかさが伝わってくる時間。
    電子機器の電源OFFを歌で促すなどの工夫も楽しい。
    舞台は奥に向かって階段状に高くなり、一番高いところにオーケストラが控えている。
    舞台手前上手側にピアノが置かれている。

    神の子モーツァルト(石井康太)は自信家である。
    「自分の音楽で人間世界を変えてやる」と父である神(吉川拳生)に宣言、下界へと下る。
    彼の音楽は熱狂的に受け入れられるが、やがて貴族や大衆、同業者ら世間の
    気まぐれな感情に翻弄され、次第に疲弊していく。
    そんな彼が出会ってすぐに愛したのが、あのマリー・アントワネットであった。
    叶わぬ恋ながら、モーツァルトは彼女の悲劇的な運命を見守ることになる…。

    挿入されるクラシック音楽が素晴らしく、物語がおまけになりそうな迫力。
    その中でモーツァルト役の石井さんは頑張っていたと思う。
    メリハリがあり、笑いのタイミングも良い。
    ピアノを弾くシーンなども、シンプルながら良く工夫されていた。
    神役の吉川さんが素晴らしく、ラスト「過ちを繰り返す人間をそれでも許す」と語るところは
    舞台が引き締まるような台詞だった。

    ちょっともったいなかったのは、マリー・アントワネットの影が薄かったこと。
    宮地真緒さんは素のままの髪型で衣装替えも無かった。
    “作らない”設定はもちろんありだが、クラシックの方々のいで立ちと迫力に
    負けないだけの“生まれながらの王女”感があれば、さらに悲劇性が高まったと思う。
    清楚で華奢なだけでは“知らなかった”と泣き崩れる説得力が弱い。
    ルイ16世(鈴木貫大)との最期の別れは、不器用な人間の哀しさ切なさが伝わったが、
    マリー・アントワネットの“寂しい豪遊”がもう少し丁寧に描かれていたら、
    さらに高まっただろう。

    鈴木さんのルイ16世、最後の最期に彼の特技を生かす場面が出来た、
    その誇らしさと哀れさが伝わって来てとても良かった。

    クラシック音楽と演劇の融合は難しい。
    “クラシックだけよりストーリーが豊かで楽しい”とか
    “芝居の中に本格的な歌が入って違和感がない”とか
    そんな風に双方のファンから支持されるようになったら良いと思う。

    福島さん、お身体に気をつけてまた素晴らしい“融合”を見せてください。

  • 満足度★★★★

    クラコメ=クラシックコメディだそうです♪
    白を基調とした舞台に楽団を配し、中央と左右からの役者登場で展開する作品=約2時間強。

    イメージ的には”二級天使”の焼き直し?とも言えましょうかな(^^)

    さてプレコンサートのラストに面白く携帯等の電源オフを訴えたりしてくれてましたが、開演後に遅れて入場する観客にも強く電子機器等の電源オフや物音を立てないようにとマナーの遵守を言って欲しいと強く思った(=座席案内するスタッフさんが入場扉前でね)!

    理由=開演時間過ぎて右隣に座った老夫婦が、まぁペットボトルを子気味良く音立てて開封するわ、何度も・・本当に何度も何度も折りたたみ携帯をパタン・パタンと開け閉めして情報確認二人揃ってするし・・・。普通に上演中に二人で会話するのは止められたが・・・本当にマナーが悪すぎた! ここまでマナーがなってない人間みたのは久しぶりだが、招待等での足運びで興味の無い作品なら寝てるか、ちょっと腰掛けて直ぐ退席するとかして欲しかった。=音が素直に楽しめなかったです・・・(-_-;) 

  • 満足度★★★★

    神と人間との間で苦悩
    モーツァルトのイメージの中でも映画『アマデウス』で描かれていたキャラは強烈で、今回はあえてこの映画の影響を排除した感がうかがえたが、演じるのがやるせなす石井となると、お笑いキャラを期待しないわけにはいかない。もっとガンガン客席を笑わせて欲しかった。

    恐らく劇中で使用されたモーツァルトの作品とストーリーがリンクしてるっぽいので、最後の大合唱の部分の歌詞の意味は知りたかった。字幕か何かが欲しいと感じた。こちらの不勉強ではあるのだけれど。

    開演前のミニコンサートと歌での開演前の注意は、わくわく感が高まるステキな企画。今後も続けて欲しい。(今回は要望、希望ばっかり)

  • 満足度★★★★★

    観せて、聴かせて...
    歌劇ではなく、芝居とクラシック音楽を楽しむ公演...時は、18世紀中頃のフランスが舞台で、登場人物は音楽史、世界史で有名な二人が主人公である。フィクションであるから、自由に物語を展開することができる。この出会い、モーツァルトが神童と呼ばれていたことから、その存在を「神」として人間界へ降臨(憑依)させる。一方、マリー・アントワネットは通史の通り。
    この虚実綯い交ぜを上手く描き、さらにお馴染みのモーツァルトの曲が聴ける至福、素晴らしかった。

    ネタバレBOX

    舞台はセットは、宮殿をイメージするような左右非対象の変形階段で、その上辺の中央から上手側に演奏者が並ぶ。ピアノだけが劇中でも使用するため通常の舞台上にある。そのピアノ(演奏者:音楽監督の小松真理 女史)も含めると14名の演奏者であったが、選曲した楽曲からすると演奏人数はぎりぎりであろう。先にも記したが、本公演は音楽に特化したジャンルではないため、フルオーケストラでも、その配置でもない。例えば、劇中劇のようにして「フィガロの結婚」を演奏しているが、本来であれば、その歌劇の「音楽」と「劇」であるから、そのジャンルに興味を持っている方には好まれない。しかし、この公演は「モーツァルトとマリー・アントワネット」という”フィクション劇”に合わせて、劇中の彼が作曲した音楽を場面に応じて演奏している。そして、場面に応じた選曲が見事であった。「フィガロの結婚」の「序曲」「誰の作曲?~恋とはどんなものかしら」からバリー夫人との確執から「伯爵夫人、私を許して下さい」(通史とは違うかも)などがその例である。ここは音楽監督の手腕の見せ所であった。また「フィガロの結婚」は、贅沢する王妃に対する非難(貴族社会への痛烈な批判)が込められている、ということを説明した上で演奏しているが、まさに舞台上の進行形の中で描いている。コメディでの展開だと言うが、権力者に対する反発であるが、それを笑いとユーモアで包みこんで、最終的には人類愛へ向かう。さらに好いのは、多くの(クラシックファンではない)方も聞き覚えのある曲を演奏することで興味を惹かせる。彼没後も演奏され続けていることは、(曲の趣向はあろうが)それだけ愛されている証であろう。今回は、芝居の観(魅)せるという面でもダンス(群舞)を取り入れ楽しませてくれた。

    さて、自分が気になったところは、物語としての二人の距離感である。「神」と「人」というよって立つ存在が違うことを前提にしていることから、心魂の交流や深淵が観えないこと。もう一つは、フランス革命前後の不穏な雰囲気が感じられないこと(物語性の重視)。舞台セットや合唱団、ダンサーの衣装がホワイト基調であり、淡色・浮遊感があることが影響していると思う。しかし、逆に照明色彩によって、状況変化が演出できる工夫もしている。いずれにしても新しいジャンルを目指している中で試行錯誤している、その真摯な姿勢に共感を覚える。

    この劇団の好ましいところは、芝居、生演奏を観(聴か)せる工夫(演奏者数も含め)をし、大劇場のみならず、中規模劇場でも上演できるような試みをしている。その結果、演劇の裾野拡大を図っているところ(企業メセナもあった?)。
    次回公演も期待しております。
  • う~ん・・・・
    これ、以前も感じましたが、劇場と劇がうまくマッチしてない感じがする。新百合ヶ丘のアルテリオでも時々音楽劇が上演されますが、こちらはかなりいい感じにまとまっているのに対し、、このスクエア荏原は左右のウイングが広いせいか、役者さんが苦労しているのがありありと感じられる。全体にセリフが大仰になってしまい、その分内容が薄くなり、笑いも起こらない。また、音楽劇と銘打っているけれど、うまく音楽がはまったな、と感じたのは「夜の女王のアリア」ぐらい。全体に手垢のついた曲が多く、観客に迎合している、または観客を甘く見ている、という感じが強い。その上白っぽい舞台美術なのに白っぽい衣装が多く、人物が映えない。マリーアントワネットが少女の頃ならあの衣装も可愛いといえないこともないけれども、王妃になってからもあれでは品格も悲劇性も感じられなかったのは残念。

    ネタバレBOX

    ハイドンの衣装が半分なのはなぜかが謎。左右をうまく使い分け、一人二役の達者な演技を見せるのかな、と思っていましたが・・・・。まさかハイドン→ハンブンの洒落?マリーアントワネットは最後まで違和感が残り、まったくそれらしくは見えなかった。扇ぐらい持たせたらどうだろう。またこの時代濃い頬紅
    が流行ったそうですが、それもいいかも。またマリーアントワネットはバルコニーから民衆に謝るとき、いとも優雅なお辞儀をしたそうですが、ああいうのがフランス風のお辞儀なのだろうか・・・・・。全体にコスチュームプレイの風格や型が感じられず、美しさというものが欠如していた舞台だった。コメディでもなおざりにしていいものではないと思う。
  • 満足度★★★

    発展途上の段階
    “劇団東京イボンヌ”は、前作「俺の兄貴はブラームス」に次いで2回目の観劇になる。

    前作に比べ、コメディに重きを置いた感があり、物語の訴求力がいまひとつだったように思う。

    当日パンフに記された主宰の言葉にあるように、今作はモーツァルトの歌曲を前面に出したようで、声楽家の皆さんのパフォーマンスは素晴らしかった。

    主宰が謳う“クラシックと演劇の融合”は、まだ発展途上の段階なのだろうが、新ジャンル確立のへ意欲は見て取れる。

    更なる進化を期待したい

  • 満足度★★

    クラシック+コメディー?
    これ、コメディーかなぁ?クラシックコンサートほどじゃないにしろ、客席は水を打ったような…。芸人さんの熱演が微妙な空気になっちゃってるのが気の毒でやるせなす。

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