宮地真緒主演  「モーツアルトとマリー・アントワネット」 公演情報 劇団東京イボンヌ「宮地真緒主演 「モーツアルトとマリー・アントワネット」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    観せて、聴かせて...
    歌劇ではなく、芝居とクラシック音楽を楽しむ公演...時は、18世紀中頃のフランスが舞台で、登場人物は音楽史、世界史で有名な二人が主人公である。フィクションであるから、自由に物語を展開することができる。この出会い、モーツァルトが神童と呼ばれていたことから、その存在を「神」として人間界へ降臨(憑依)させる。一方、マリー・アントワネットは通史の通り。
    この虚実綯い交ぜを上手く描き、さらにお馴染みのモーツァルトの曲が聴ける至福、素晴らしかった。

    ネタバレBOX

    舞台はセットは、宮殿をイメージするような左右非対象の変形階段で、その上辺の中央から上手側に演奏者が並ぶ。ピアノだけが劇中でも使用するため通常の舞台上にある。そのピアノ(演奏者:音楽監督の小松真理 女史)も含めると14名の演奏者であったが、選曲した楽曲からすると演奏人数はぎりぎりであろう。先にも記したが、本公演は音楽に特化したジャンルではないため、フルオーケストラでも、その配置でもない。例えば、劇中劇のようにして「フィガロの結婚」を演奏しているが、本来であれば、その歌劇の「音楽」と「劇」であるから、そのジャンルに興味を持っている方には好まれない。しかし、この公演は「モーツァルトとマリー・アントワネット」という”フィクション劇”に合わせて、劇中の彼が作曲した音楽を場面に応じて演奏している。そして、場面に応じた選曲が見事であった。「フィガロの結婚」の「序曲」「誰の作曲?~恋とはどんなものかしら」からバリー夫人との確執から「伯爵夫人、私を許して下さい」(通史とは違うかも)などがその例である。ここは音楽監督の手腕の見せ所であった。また「フィガロの結婚」は、贅沢する王妃に対する非難(貴族社会への痛烈な批判)が込められている、ということを説明した上で演奏しているが、まさに舞台上の進行形の中で描いている。コメディでの展開だと言うが、権力者に対する反発であるが、それを笑いとユーモアで包みこんで、最終的には人類愛へ向かう。さらに好いのは、多くの(クラシックファンではない)方も聞き覚えのある曲を演奏することで興味を惹かせる。彼没後も演奏され続けていることは、(曲の趣向はあろうが)それだけ愛されている証であろう。今回は、芝居の観(魅)せるという面でもダンス(群舞)を取り入れ楽しませてくれた。

    さて、自分が気になったところは、物語としての二人の距離感である。「神」と「人」というよって立つ存在が違うことを前提にしていることから、心魂の交流や深淵が観えないこと。もう一つは、フランス革命前後の不穏な雰囲気が感じられないこと(物語性の重視)。舞台セットや合唱団、ダンサーの衣装がホワイト基調であり、淡色・浮遊感があることが影響していると思う。しかし、逆に照明色彩によって、状況変化が演出できる工夫もしている。いずれにしても新しいジャンルを目指している中で試行錯誤している、その真摯な姿勢に共感を覚える。

    この劇団の好ましいところは、芝居、生演奏を観(聴か)せる工夫(演奏者数も含め)をし、大劇場のみならず、中規模劇場でも上演できるような試みをしている。その結果、演劇の裾野拡大を図っているところ(企業メセナもあった?)。
    次回公演も期待しております。

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    2015/12/10 00:01

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