最新の観てきた!クチコミ一覧

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「巡光ーめぐるひかりー」

「巡光ーめぐるひかりー」

エビス駅前バープロデュース

エビス駅前バー(東京都)

2015/08/28 (金) ~ 2015/09/09 (水)公演終了

満足度★★★★★

充実の60分ドラマ
久々に心を鷲掴みにされる芝居をみれました。
しかも至近距離の芝居小屋です。
登場人物の心情も立場を考えれば、共感できるものばかり。
役者さんの表情も苦悩、癇癪、懇願などなど実に表現豊かに演じます。
公演期間の半分となる9月2日に伺ったのですが、私の前で受付けされた方全員がリピーターだったのに最初驚きましたが、観劇し終って納得しました。
私もリピーターします

くろねこちゃんとベージュねこちゃん

くろねこちゃんとベージュねこちゃん

DULL-COLORED POP

in→dependent theatre 2nd(大阪府)

2015/09/01 (火) ~ 2015/09/02 (水)公演終了

満足度★★★★

本当の家族とは…
これ程 観る人の環境(家族構成・年齢・性別) によって 観方が変わる作品も珍しいと思う。 私の場合は年齢の差は有れど 母視点で観た為 心が深く抉られる想いで 観終わった時 グッタリと… ただ脚本や演出は素晴らしく 違った視点で観ていたならば 違った感想になったかと… 併せて出演者の年齢に幅が有ったのが(実年齢は判りませんが)小劇場では珍しく とても それが活かされた作品だったと思います

BABELL

BABELL

BABELL

新宿眼科画廊(東京都)

2015/08/28 (金) ~ 2015/09/02 (水)公演終了

満足度★★★

インターホンを拝見
嫉妬はNya~

ネタバレBOX

 恵介と恵吾は父の名が偶々同じ恵だったのがきっかけで仲良くなる。思春期に達した頃には親友と呼べる間柄になった2人だったが、恵吾に19歳の大学生、幸子という彼女ができた。恵吾は、彼女との睦言を総て恵介に打ち明ける。無論、幸子は、そんな恵吾の話を恥ずかしい、と考えているのだが、恵吾は独善的で幸子のデリカシーが理解できない。一方、恵介は、物事に適度な距離を置いてみることができるタイプなので、何気ない会話でも幸子とフィーリングが合う。そんな2人を見る恵吾の目は嫉妬の為、曇り、あらぬ妄想に苦しめられるようになる。偶々、幸子の誕生日に、プレゼントのほかに彼女の良く口ずさんでいる「聖者の行進」をハモニカで演奏して驚かせようと計画していた恵吾は恵介にその旨打ち明け、ハモニカを吹いてみせた。そして、ハモニカを彼の家に忘れて帰っていった。その後、やはり偶々、幸子と3人で待ち合わせた折、遅れて到着した恵吾の耳には彼女の歌う「聖者の行進」に合わせてハモニカを吹く恵介の姿が映った。自分が、サプライズを演出するために計画していたことをおじゃんにされて、恵吾は落ち込み、遂に、包丁を持ち出す。そして自傷行為に及んでしまった。命は取り留めたものの、声帯を傷つけ声をなくしてしまった恵吾は、長い療養生活に入る。恵吾と幸子を不幸に落としてしまった、と感じた恵介は2人に会うことを避け通していたが、ある日、幸子の訪問を受ける。
 ぎちゃぐいちゃの嫉妬話など、誰も聞きたくない。まともな恋愛話でも、自分のことでない限りうざいだけだ。それが、普通の感覚だろう。それらの話題が他人の心を打つケースというのは、社会的な状況が恋を邪魔するとか、人々が経験する実際の恋愛問題に普遍的に関わり且つ蔑にできない親との関係など二人称ではなく、三人称の世界が関与して、恋愛を潰そうという力が働くときである。
 シナリオに決して力がないわけではないが、余り人気は出まい、と感じるのは、以上のような理由からである。その代りと言ってはなんだが、恵介の友人たちが、様々なフォローをしている点で、評価できる。特に一見、他人のデリカシーには一顧だにくれない、という設定のキャラである満が、逆に暖かく親切であるというのが良い。
 ただ、タイトルと内容が余り深く繋がっていないのは、矢張り、初めて書いた作品ということか。
笛を吹け吹け 双子のフロイライン

笛を吹け吹け 双子のフロイライン

演劇企画ハッピー圏外

TACCS1179(東京都)

2015/09/02 (水) ~ 2015/09/06 (日)公演終了

満足度★★★★

Aチームを拝見
 ハーメルンの笛吹きの噺は、誰でも知っているだろう。鼠がたくさん発生して街の人々が困った時、道化の服装をした笛吹きが表れて鼠を皆、川へ追い込み溺れさせて街を救った。ところが、街の人々はなんだかんだと理屈をこねて彼に謝礼を支払わなかった。そこで怒った笛吹きは街中の子供130人を笛の音で呼び寄せ、何処へともなく連れ去ってしまった、という話である。

ネタバレBOX

 この事件はドイツのハーメルンで1284年6月26日、ヨハネとパウロの日にこの街で起こったとされている。而も、キリスト教の科学を否定する精神によって知的には暗黒時代であったこの頃、一般の人々に理解し難いことは悪魔や魔法のせいにされるか、良いことであれば神の恩寵と解されるのが通例であったから、笛吹きは実は魔法使いであった、と言われてきた。だが、ハッピー圏外の解釈は、あくまで合理的である。では、どう解釈しているのか? 1260年に起きたゼデミューンデの戦いを起点とする、という歴史的解釈なのだ。今作では、ローマで有能な書記官として活躍していた男が、その合理的精神を枢機卿から嫌われて所払いになり、助手と共にハーメルンで領主をしている伯爵から家譜作成を頼まれ赴任してくるという話になっている。因みにこの伯爵こそ、女子供迄戦ったといわれるゼデミューンデの戦いの勝者であり、現領主という訳であるが、前領主は、領民からも慕われた名君であった為に、戦力に於いて劣る領主の為に民衆が加勢したとも取れる逸話が作品中で語られる。だが、前領主は、戦いに敗れ、領地を没収された挙句亡くなっていた。
 だが、現領主は、民衆に人気のあった前領主の子が何処かに落ち延びて生きていることに恐怖を抱いており、いつの日か忘れ形見の子が、挙兵して自分を襲い滅ぼすのではないかと恐れていたのである。
 書記は、助手と共に、先ず、一時情報を集めることから始めた。彼が興味を持ったのは、2年前。即ち、子供たちの失踪事件が起こった2年前、実際に何があったのかである。それを確かめる為、彼と助手は、人々に訊いて回った。数々の証言が集まった。書記たちは、証言を更に集めてゆく。嘘の証言をすることに利害関係の無い下級兵士などの人々を含めて。また、旧領主の奥方が、町外れに生きていることを探り当てて、家系図などの資料も入手すると共に貴重な証言も得た。更に矢張り町外れに棲んでいるちょっと変わった音楽家からも、なぜ、笛吹きが鼠を退治することができたのかに関する科学的根拠を入手することができた。更に、戦に敗れた20年ほど前、旧領主の妃が5歳だった息子を預けた旅芸人一座の座長からの証言も得る等、多方面から様々な情報を集めることによってハーメルンの笛吹き男伝説の背景にあった史実を浮き上がらせてゆく。このシナリオの手際が見事である。
 作品の本質には関わりの無いことながら、池袋演劇祭参加作品で同一テーマを二つの劇団がそれぞれ全く違った舞台に仕立て上げるという面白い企画のうちの1本である。もう一つの劇団はショウダウン。26回池袋演劇祭大賞を獲得した劇団である。できれば、どちらも観たいものである。それに、捻りもある。ハッピー圏外はWキャストでの上演。ショウダウンは、スピンオフとして、林 遊眠の独り芝居もある。
 ところで、今作の演出に関して。道化衣装は元々、二面性をも表す表象である。折角、笛吹きは、デモーニッシュな姿にも極めて真っ当で紳士的にも見られる内容なのだから、彼に対するその時その時の人々の評価をデモーニッシュな評価の時には寒色の青を強く、また人間的な評価では赤系統の暖色系を強く当てるなどの工夫を強めた方が効果的だとは思う。
保健室探偵カネコ【終演しました!ありがとうございました!観てきたランキング1位獲得!】

保健室探偵カネコ【終演しました!ありがとうございました!観てきたランキング1位獲得!】

もぴプロジェクト

cafe&bar 木星劇場(東京都)

2015/08/26 (水) ~ 2015/09/06 (日)公演終了

満足度★★★★

これも演劇だ
20秒に1度のペースで投下されるナンセンスなセリフやアクションも、その殆どは不発弾。しかし、憎めない。昔、夜眠れない時になんとなくテレビをつけて、たまたまやってた「世界で一番くだらない番組」を見れてしまったのを幸運と思ってしまうような、偶然の出会いにすこしだけ感謝したくなる不思議な魅力のある作品でした。

終演後にサニーさんのステキな歌を堪能出来たのは大きな収穫。

プロトタイプ

プロトタイプ

劇団衛星

KAIKA(京都府)

2015/08/27 (木) ~ 2015/09/02 (水)公演終了

満足度★★★★

ユニット美人「となりのヒロイン達と敵討ち」観劇♪
ユニット美人さん、初観劇♪
幾つかの話が錯綜し、結びつきながら、ユニット美人の代表は誰になるか!

とっても楽しく観劇させて頂きました!
面白かったです♪

龍 -RYU-

龍 -RYU-

劇団ZAPPA

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2015/09/02 (水) ~ 2015/09/08 (火)公演終了

満足度★★★★★

幕末ファンタジー
歴史上の人とファンタジーを織り交ぜ、明るく楽しく、そしてカワイくまとめた龍馬物語でした。
後の活躍を知ってるこの人、あの人の出世前の描かれ方も、見所のひとつ。

ネタバレBOX

最後の蛍が流のように見えるシーンが印象に残りました。
以蔵役の人の面構え、時代劇にとっては最高じゃないですか。
転校生

転校生

パルコ・プロデュース

Zeppブルーシアター六本木(東京都)

2015/08/22 (土) ~ 2015/09/06 (日)公演終了

満足度★★★

新感覚の舞台
女子高校生たちの他愛ない会話が同時進行で繰り広げられる。さらに、その舞台をリアルタイムに撮影した映像が効果的に使用される。舞台の楽屋を思わせるセットを背面に置き、女優たちが舞台と「楽屋」を往復する様子も観客に見せる。舞台で進む複数の会話を同時に見せるのは平田オリザの「技術」である。それを本広克行のテイストで味付けられた舞台は、これまでの演劇とは違う、新感覚の戯曲と言える。

会話劇なのだが、丁寧に会話を追っているとたぶん、相当疲れる。台本が背後に投影されるという、これもかなり新しいテイストだが、おそらく作・演出側は台本を目で追わせるということは狙っていないだろう。高校生たちの学校生活の一場面をリアルに見せる、仕掛けであると思う。

これらを受け入れて楽しめるか、どうか。もう一つ、ももクロファンであるかどうか。これが、「転校生」を心から楽しめるかどうかの一つの鍵になるかも。
ここに登場した女優たちが、次世代の演劇文化を楽しく支えていってほしいと、おじさんは思うのだ。

ただ一つ、言っておかねばならないと思う。(おじさんの繰り言)
女優は、観客より先に感極まって泣いてはいけないよ。あ、でも、これも舞台や女優に感情移入できるお客さんであれば、たまらないポイントにもなる。

ともあれ、演劇にタブーはあってはならない。「転校生」をいろんな角度から楽しみたい。

地獄谷温泉 無明ノ宿

地獄谷温泉 無明ノ宿

庭劇団ペニノ

森下スタジオ・Cスタジオ(お得に楽しむ会)(東京都)

2015/08/20 (木) ~ 2015/08/24 (月)公演終了

満足度★★★★★

明るい怪談 浸る舞台の 面白さ
北陸の山奥の思わせるすっかりひなびた温泉。観光客も訪れない温泉宿に、「人形芝居」を生業とする父子が訪れる。父倉田百(もも)福(ふく)は82歳、息子の一郎(辻孝彦)もそれなりの年齢のようだ。トランク一つの身軽な二人は、この宿の主人から余興の依頼を受けてやってきたのだった。しかしこの名もなき宿にははるか昔から主はおらず、村の数人が湯治宿として利用しているだけだ。タキ子という常連客らしき老婆(石川佳代)に一泊していくように勧められる二人。帰る手段がないので仕方なくその通りにする。ところがタキ子が泊まる部屋以外の部屋は病気で失明した若者、マツオ(森準人)との相部屋だった。やがてタキ子の部屋には芸姑のフミエ(久保亜津子)とイク(日高ボブ美)が三味線の練習の稽古にやってくる。唯一この宿の管理をしているものと言えば、無口の三助(飯田一朗)だけだが、誰一人として倉田父子に余興を依頼した手紙の主が思い当たらない。執拗に親子に話しかけ続けるマツオ。無言のまま客たちに奉仕する三助。離れた街へ余興に出かけていた芸子の二人が酔って帰宅すると、酔いに任せて倉田父子に「人形芝居」の実演をねだる。百福の異形と、一郎の虚無のような目に震撼していたタキ子も現れると、父子は人形芝居のさわりを演じ始める。その芝居を目の当たりにした一同は、それぞれに強い衝撃を受ける。ある者は感動し、あるものは恐怖し、ある者は欲情し、ある者は…。

ネタバレBOX

名もない宿で名もない人々が過ごしたなんでもない一晩を、静かに、しかしどことなく背筋に冷たいものを感じさせながら描いた舞台だった。人々が文字通り裸の付き合いをしながら生きている田舎の、怠惰で終末観すら漂う停滞した空気。その反面、常に首元に剃刀の刃を突き付けられているような、緊張感。それはあきらかにこの異形の父子の到来に端を発しているのだが、冒頭ではあくまでユーモラスに、むしろ観客はこの異形の父子に感情移入しながら、ぽつりぽつりと現れる、身体的というよりどこか心に欠損を抱えているように見える人々に対して警戒する。マツオは見えていた瞳が見えなくなったこと、三助は言葉を話さないことという特徴が与えられている。しかし決して盲と唖は安易な対になっているわけではない。マツオの触覚への欲求は、次第に視覚の補完を越えて、性的欲望にも似たものへと変化する。それを残酷にも煽るのが百福と一郎の親子であり、彼を凌辱することで、父子はある種の支配欲を満たす。一方三助の無言は、義務的な労働と、本人の意志による献身的な行為に忙殺された結果ととらえることが出来まいか。実際演じた飯田は「動作が多くてしゃべる暇がない」「しゃべっていないことに違和感を覚えない」と述べている(デジタルパンフレットより)。言葉を持たない彼が人一倍性欲に振り回されるのは、その動物的な性質に起因するともいえる。
それに対して女性三人は親子孫の三世代にわたって自分の子供を持たないことへの後悔や不安、コンプレックスといったものが現在過去未来の三様に描かれているように見える。細かく特徴を見れば、タキ子の芸姑の夢への挫折が物語後半の女性陣の「回復」に強く影響を及ぼすのだが、全体としてはマツオ、三助に対してはやや曖昧で画一的な印象を受ける。タニノクロウはインタビュー(デジタルパンフレット)で、「今回は女性を丁寧に描いた」と言っていたが、もう少し明確に三人の、異なる心の闇が描かれていてもよいのではないか。特に年齢的に中間にあたるフミエの個性がやや埋没している印象を受けた。
 倉田父子の存在感が絶大だ。マメ山田は実年齢のひと回り上を演じているが、その年齢はおろか性別すらも観る者の判断力を失わせる妖艶さは恐ろしい。その繊細で柔らかな動作が時にユーモラスでもあり、セクシーでもあり、またグロテスクでもある。仙人のような長髪を束ねるしぐさを、部屋で、脱衣場で、露天風呂と三か所でする度に、それぞれ別の人物が目撃して、全く異なった感情を抱く。三助は柔和な動きと髪をかき上げるその背中を見つめて勃起してしまうのだ。タニノクロウは俳優にも観客にも本当にサディスティックな演出家である。ひとつの事象を多面的にとらえること。演劇にとってそれは極めて重要なことだ。しかしそれはしばしば図式的で説明的な空間づくりに陥りやすい。この作品では、それを見事に視覚化しつつも、そのまま観客に見せることに成功している。それが今回の舞台の特徴でもある、巨大な回り舞台として作りこまれた舞台装置である。宿の玄関、居室(二階家・上がタキ子の部屋、下が倉田・マツオの部屋)、脱衣場、岩風呂の4杯飾りはやはり圧巻だ。近年これほど作りこまれた舞台美術をスタジオ公演で観ることはない。舞台美術に感動することが出来るのも演劇の魅力である。本水を使用した岩風呂の意匠には多くの観客がどよめいていた。裸の俳優たちが次々と風呂に入ってくる。舞台の上の「ウソ」に手加減が見られないからこそ、演じる価値がある(美術=稲田美智子)。
 この芝居の中心はやはり倉田一郎である。タキ子が出会った瞬間から本当に戦慄したのは小人症の父ではなく、「普通」の男であるはずの一郎の瞳の奥の闇だった。異形の父を持ち、学校にも行けずに胡弓を弾きながら厳しい父の人形芝居の伴奏を続けてきた。しかし彼の心の闇の、さらにその奥でブラックホールのように渦を巻いているものは、その人形芝居の人形に対するコンプレックスではなかったか。父の身の丈ほどもある人形は、顔と手が以上に大きい、グロテスクな赤ん坊だ。フミエはあれも百福の子供なんだと気付くと、怖くなって目を逸らし、イクは食い入るように見続け、その興奮は三助とのセックスへと彼女を駆り立てた。異形の人形を息子になぞらえて戯れる父を、胡弓を弾きながらじっと見つめてきた一郎。心の闇は異常なほど奥の深い寛容を作り出す。無関心ではないが、すべてに関して無感動に見える彼の心の深淵は常人のものではない。ほとんど心の動きを見せないが、無感情ではない人間、一郎を演じた辻は相当な苦労をしたに違いない。好演だった(あえて怪演とはいうまい)。
 常に聞こえる虫の音や沸き続ける温泉の水音など、この舞台を支える音は極めて繊細だった(音響=さとうこうじ)。ひたひたと声の湿り気を感じさせる抑えたエコーが世界観を決定づけるほど効果的だったのは語り部の老婆によるナレーションである(田村律子)。前半はメタシアターの効果を、後半には芽生えた恐怖心によって舞台から抜け出ようとする観客の意識を無理やり引き戻すような、いわば桶につけた顔を上げさせないような腕の役割を果たしている。
文明から取り残されたような過疎の村が、タニノの執筆の契機になった新幹線の開通によって、迷い込む機会すら奪われてしまった日本全国の「忘れられた場所」が描かれている。開発が押し寄せるはずだったが、結局取り壊されることもなく、そのまま存在している、という「何も起こらない」チェーホフ的な明るい残酷さが最後まで尾を引く。唯一惜しむらくは公演期間の短さ。また、夏に観たい芝居である。
BIRTH ~ペルー日本大使公邸人質事件~【アンケート即日公開】

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劇団バッコスの祭

萬劇場(東京都)

2015/09/02 (水) ~ 2015/09/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

誰にでも薦められるお芝居
出来がとにかくいいと思いました。脚本、演出、演技、どれも小劇場で観られる演劇の最高峰、これが人気駅団なんだな、と思いました。わたしには少し端正すぎるのが難点だったのですが、これは完全に個人の好みの範疇で、普通に考えたら大満足!な観劇体験だと思います。

ネタバレBOX

これは「劇評」欄に書くことかどうか微妙なので、ネタバレに。
適正価格だと思いました。最近、チケット代が高いな・・・と思うことが多く、それが小劇場演劇離れを促進している気がしたので、なんだかホッとしました。
いえ、3200円は大金です。ですが、ここまでやってくれるなら。回収(やる側の都合)ばかりを考えた価格設定に辟易していたので・・・「自分たちの作品は面白い自信がある(だからこれぐらい頂く)」と感じさせてくれる劇団さんに、久しぶりに出会った気持ちです。
オールスターチャンピオンまつり『五右衛門vs轟天』

オールスターチャンピオンまつり『五右衛門vs轟天』

劇団☆新感線

赤坂ACTシアター(東京都)

2015/07/29 (水) ~ 2015/09/03 (木)公演終了

初日観劇、お祭りですホント
音モノの代表五右衛門とネタモノの代表轟天。
タイムスリップものですが内容は当然深くないです。
歌で盛り上がり、予定通りの展開と五右衛門ロック!
古田さんのカッコよさ、轟天の天然さと両方上手く共演
登場人物も過去からの再登場が沢山いて、ファン祭り風。
成志さんの「ばってん不知火」の歌が何度も聞けただけで十分!
流石にリピーチする気が無く、チケットは流して小劇場へ行きました。
人気あるんで、評価はしませーん。

青い地球は誰のもの 「OUR BLUE PLANET」

青い地球は誰のもの 「OUR BLUE PLANET」

DGC/NGO 国連クラシックライブ協会

サントリーホール ブルーローズ(小ホール)(東京都)

2015/08/30 (日) ~ 2015/08/30 (日)公演終了

満足度★★

歌とダンスは○
ストーリーは平凡だがまぁまぁかな。でも,劇の中にシンポジウムのゲストを登壇させてどうすんの。彼らがモタモタして,芝居のテンポも狂ったし,第2部のシンポジウムに繋げたかったのかもしんないけど,あんまし意味のあるものとも思えなかった。シンポジウムも得るものはなかったしなぁ。趣旨は誰もが賛同するの,反対なんてしないでしょう。あとは方法だよね。それだって,いろいろな人の立ち位置があるから,どちらが正しいなんて言えないし,いろいろ考えながら聞いていたけど・・・あ~ぁ。歌とダンスは良かったと思います。ヴァイオリンは・・・好みなのかもしんないけど,嫌いだなぁ,キーキーと高音ばかりが耳障りで,音に深みがない。大仰な動作で弾くよりも,音を追求してほしいと思ってしまう。サントリーホールは大好きなんでよく行くけど,小ホールとはいえ,サントリーホールであんな音を聴かされると思わなかった^^;

トリコ/ロール

トリコ/ロール

カンムリプロデュース

HOTEL SHERWOOD(東京都)

2015/08/28 (金) ~ 2015/09/13 (日)公演終了

満足度★★★★

初見
ブラジルの舞台はまだ観たことないし、その主宰で、脚本家でもあるアン山田氏の作品も未体験。という現状で、今回の作品を観た。不条理なモノ?、やたらに凝ったモノ?と構えていたが、何のことはない。非常に分かりやすい、シンプルな内容!しかし、喜怒哀楽がギュッと詰まった話しだけに、大きく笑うことなくなく息を呑んで、舞台を凝視していた。独特の世界観にひきこまれ、チョコチョコ挟まれている笑いに吊られた時、ふと井伏鱒二の「山椒魚」の自嘲の笑いと同じような気がした。

DADDY WHO?

DADDY WHO?

天才劇団バカバッカ

テアトルBONBON(東京都)

2015/08/26 (水) ~ 2015/09/13 (日)公演終了

満足度★★★★

ほろろんと・・・
ほろろんと・・・する、あったか~いストーリーでした!なのに、バカバッカさんならではなのかな?(初見なので!)面白くて笑いが沢山!一人ひとりのキャラが濃いっ!(笑)曲での笑いも面白かったし(*^_^*)最後には、ほろろんとする・・・あったか~い舞台でした!

國語元年

國語元年

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2015/09/01 (火) ~ 2015/09/23 (水)公演終了

満足度★★★★

國語元年
色とりどりの方言の渦でセリフは半分ぐらい理解不能(笑)。でもとても幸せ。かつて知っていて今はもう失ったものを懐かしく悲しくかみしめた。

天皇ごっこ~母と息子の囚人狂時代~

天皇ごっこ~母と息子の囚人狂時代~

オフィス再生

APOCシアター(東京都)

2015/08/28 (金) ~ 2015/08/30 (日)公演終了

満足度★★★★

予想と違って。
重い感じ・低いトーンで進んでいく作品なのかな、と予想していたものですから
冒頭鳴り響く音楽から、あ、これは違うんだなと。

照明の使い方など魅せ方の面白いところも多かったですが
静かに描いた方が胸に迫るんじゃないかなー
と思いながら観てしまったところもあったのが正直なところでした。

見沢さんの作品に触れているかいないかでまた違ったのかな。

ネタバレBOX

客席に背を向けてのところなど、
台詞がBGMの音量に負けてしまっていたところもあったし
曲が合ってないかなあ、という箇所もあったかと。
美少女戦隊フラワーズ

美少女戦隊フラワーズ

モリンチュ

koenji HACO(東京都)

2015/08/26 (水) ~ 2015/08/27 (木)公演終了

満足度★★★★

ほどよく楽しい60分。
人数の少ない芝居だとお話が停滞したりすることが多いですが
いい具合にお話が転がっていき、
狭いスペースでも動きもありつつで楽しめました。
なにより3人の呼吸が合っていて台詞のテンポもよかった。

これより広い空間ならまた作り方が違うんだろうなあ。

ドリアン・グレイの肖像

ドリアン・グレイの肖像

松竹/フジテレビジョン

新国立劇場 中劇場(東京都)

2015/08/16 (日) ~ 2015/09/06 (日)公演終了

満足度★★

最初の一言で
舞台が始まって一番の最初の一言で“この程度?”と感じてしまった。この大きな舞台でメインを勤めるには主役の芝居が幼すぎる!その相手をしている徳山さんも今まで観た中では一番覇気がない。この話はもう少し小さい劇場のほうが表情が良く見て取れて見応えがあるのではないだろうか?舞台に無駄になってしまっているスペースがあまりにも多過ぎる。その他の出演者がせっかく良い演技をしてもメインで躓く感じがとれず、本音言えば1幕で帰ろうかと迷った。アヘン窟のシーンは雰囲気があってよかったが、全体としては演出もこれと言うところがない。1997年に宝塚で公演しているが、そのときの主役は紫吹淳。あれくらいの雰囲気と実力を持ってこその役だと思う。

美しい日々

美しい日々

TEAM 6g

萬劇場(東京都)

2015/08/26 (水) ~ 2015/08/30 (日)公演終了

満足度★★★★

申し訳ないです・・・。
実は観劇中に一緒に観に行った息子が急に体調を崩し、いきなり冷たい汗びっしょり!という状態で・・・約30分、話が動き始めた辺りから舞台に集中出来なくなってしまいました。ので、大まかな感想しか書けませんが・・・。看護師さんたちのキビキビした動きとサバサバした対応が良かった。対比的に困ったチャン揃いの患者。事なかれ主義の医師。イイバランスでした。ラストの先生の表情がパッと明るくなったのは印象的でした。

時をかける206号室

時をかける206号室

企画演劇集団ボクラ団義

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2015/08/19 (水) ~ 2015/08/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

エネルギーと輝きに満ちた作品
ボクラ団義vol.16「時をかける206号室」、いろいろ細かな感想は以下で述べますが、総括してとてもとても素敵な作品でした。もちろん初日から十分に完成された作品でしたが(当然のことのようで、千秋楽が終わってから振り返ると初日はまだまだだった、ということは往々あることですが、ボクラ団義さんはそれが無いというのが素晴らしいところのうちの一つだと思います)が、回を重ねるにつれてより一層深まり、勢いと輝きを増してゆくのを間近で観られて、とても充足感のある観劇でした。
本当はアンケートも記入したかったのですが、多忙かつ言葉がまとめられなかったので、ここで感想を述べます。冗長すぎる文章になってしまったので、もし万が一読もうと思われた方がいらっしゃいましたら、ざっくりかいつまんで読んでください(*_*)

ネタバレBOX


※ほんとに長いです※

ストーリーの構成がとても複雑で難解で、おそらく初見で全てを理解しきれる観客はいないでしょう。もちろん複数回観劇しないと全く楽しめない作品ではなく初見には初見の楽しさがありますが、謎解きをされてもなお理解が追いつかない部分は多々あり、もう一度観ないとすっきりしない感覚が残る点は、例えば劇団や出演者のファンでない観客にはネックなのかもしれません。
わたしは客演の役者のファンで、複数回観劇しましたが、何度観ても飽きることのない、毎回新しい感覚や発見を得られる作品というのも、なかなかそう簡単に作れるものではないでしょう。久保田さんのロジカルな物語は、リピーターを離さないなあと思います。もちろん一度きりの観劇で100%満足してすっきりと劇場を後にできる作品、というのも、これまた難しいものなのだと思います。

オムニバスとも群像劇とも、枠物語とも言えるのでしょうか。
とある空き部屋の内見に訪れた"男"に、突然現れた"女"が、この部屋で起こった出来事として六つの部屋の物語を語りだす。"男"にはいずれの物語も初耳で、時に同時進行の複雑な語り方に混乱しながらも、本当に起こったこととしてはいささかドラマチックすぎる話に驚いたり聞き入ったりしている。
観客の視点は、中盤までこの"男"と同じなのだと思います。初見ならなおさら。感じることも、疑問に思うタイミングも。彼の目線と思考がそのまま観客の目線と思考。しかし物語を全て知ってみれば、全てが乖離性同一性障害を患った"男"が過去の体験を元に小説として書いた物語であり、身に覚えがないのではなく、記憶が別人格のものとして切り離されているだけ。そこからはストーリーテラーの"男"と"女"ではなく、ある一室でやりとりを重ねる"父と娘"の物語が始まり、"男"と観客のイコールは無くなっていく。
"男"を演じる大神さんは普段とは全く異なる受信的な姿勢で、"身に覚えのない自分の衝撃的な重い過去"をひたすら浴びせられ続ける、ひどく消耗の激しい役どころで、精神剥き出しでぶつかっていく姿はとても引き込まれるものでした。
"女"を演じる今出さんは、相対する大神さんが精神剥き出しなのでそれとのバランスとして、内面的・心理的な描き込みの少なさが気になるところも若干ありましたが、まだ若くてお芝居の経験値もそう多くないのに、これだけの台詞量のストーリーテラーを担い、作品全体を牽引する役目を背負った覚悟とポテンシャル、本当に素晴らしいと思います。

各部屋の感想を。
201号室の柏木は、"妻を数ヶ月放ったらかして不倫相手の女と子どもを授かり、行く行くは妻と離婚し不倫相手と結婚しようとしている男"。あえて冷たく書き出してみると本当にひどい状況ですが、演じる竹石さんの醸し出す、なんていうんでしょう、クズ野郎感がとても魅力的で、当事者だったらまあ当然許せないのでしょうけど、観客であるわたしはついうっかり許してしまいそうになる。顔が良いって罪だなあ、と思います(笑) その妻(ミカ)・齋藤さんの強烈なヒス女、不倫中の婚約者(今日子)・明日香さんの馬鹿女、どちらも普段あまり振られないであろう役柄で、ご本人とも全く違うキャラクターなのでしょうがとてもハマっていて、女優さんってすごいなあ、と心底思いました。三者の関係はとっ散らかっているのに、お芝居はきちんと観やすかったです。齋藤さんは二十年ほど後にもミカとしての出番がありましたが、201号室時点での修羅場でとんがっていた角も取れて、年老いて丸くなった様子が、衣装やヘアメイクは少し変わっただけなのにしっかりと現れていて、声のみで芝居をして声のみに感情や情報を乗せることのプロですから、やはり当たり前のようにずば抜けて巧いなあと感嘆しました。

ミカが柏木の血を引いた今日子の息子・勘太を誘拐して姿を消したあとの今日子と柏木を描いた202号室。最愛の我が子を失い精神をおかしくした今日子・中野さんの、細く小さい身体で爆発寸前の大きな爆弾を抱えたエキセントリックさは、良く知った妻であるはずなのに恐ろしく、そんな妻と二人きりで生きることに疲れきっている、光の灯らない目をした柏木の沖野さん。状況としては悲惨なものであるはずなのに、あまりの悲惨さにむしろコメディに見えてしまう、という具合、絶妙でした。

"逃げ癖"が出てついに今日子を刺殺した柏木は出所後に小説家となり、編集者の女性と結婚。その二人が住む203号室。小説のネタのために様々な犯罪を重ねてきたことが明るみに出てしまった柏木・高田さんと、元編集の妻・平山さん。この部屋が最もダウナーだと感じました。ダウナー感はおそらく、大家さんが部屋の中に入ってこなくて、ひたすら夫婦ふたりのやりとりが続くところにあるのかなと。言い換えると高田さんと平山さんの、たった二人だけで世界を構築する力が必要だということなのでしょう。朝練などして随分と稽古を重ねたと聞いて(アフタートークで出たスタバver.の台詞合わせの話には笑いました^^)、その積み重ねの成果なのだなあと思いました。

これ以降は、ひとりになった柏木が、これまでの過去を振り返り、悔いの残る人間たちをモデルとして登場させた、フィクションの世界。
204号室は、"小説家の妻"と離別することになる最初のきっかけともなった、轢き逃げ事件の被害者の息子をモデルとした、漫才師の青年・亮太を加藤さん。その相方・カズキを図師さん。カズキは202号室の時代に今日子が誘拐してきた子供の将来がモデル。七海さん演じるカズキの恋人・幸子と、吉田さん演じる幸子の兄であるオカマ(本名は勘太)。幸子はミカの娘(柏木との娘ではない)、勘太は柏木と今日子の息子で、ミカが勘太を誘拐して二人を兄妹として育てたという設定になっている。勘太が借りたアパートの一室に、妹と妹の恋人・カズキと、その相方を住まわせている四人の暮らし。漫才コンビやオカマという個性の強いキャラクターがいることもあり、前半は暗く重くなりがちな作品を明るく賑やかな方へ引き上げていましたが、後半はそれぞれの生まれ育ちや家族のことが絡んできて、このチームの最大の見せ場、作品としても山場となる漫才の大会のシーンは、漫才という形をとりながら正直な言葉と本心のぶつかり合いで、とても良いシーンでした。
吉田さん演じるオカマの勘太は、とにかくオカマが板につきすぎていてハマり役とはこのことか、という具合でしたが、ただ単に"オカマらしい言動"をトレースしただけの、ステレオタイプのモノマネには全く見えないのがすごいなあ、と思います。実の母親ではなく誘拐犯に大人になるまで育てられてしまった、誰にも見つけてもらえない本当の自分から、見つけてくれない社会から逸脱しようとして、オカマであることを選んだのではないでしょうか。ミカが自分の知らない間に幸子に会っていたと知り半狂乱になるシーン、「アタシは言ったあの女に!今の幸子には絶対会わないでって!」と、こんなときでさえ作った言葉遣いが抜けないほど、本当の自分を奥にしまいこんで生きてきたのだなあと思うと悲しすぎる。イロモノをイロモノで終わらせない巧さが光るなあと思いました。
妹・幸子を演じた七海さん。控えめで口数は少なく、でもカズキへのフォローは欠かさない優しい恋人で、血の繋がらない兄は幸子が実の妹ではないと分かっていながら自らを犠牲にしてまで妹の幸せを願ってくれていることをきちんと知っている、聡い女の子。過去に久保田作品に出演された2本も観ていましたが、確実に進化・成長していてすごいなあと思いました。本公演に出られたことが泣くほど嬉しかった、とお話しされてたのが印象に残っています。また本公演に出演されたら、わたしもとても嬉しいです。
加藤さんと図師さんは、役柄でなく役者本人も呼吸の合った漫才コンビのようなところがあると思うので(笑)、もはやただの張り手である強烈なツッコミや、ストップモーションでの大神さんとの絡みやその他諸々、コメディリリーフの大家さんと並んで、笑いで息を抜ける、この作品の救いでもあったなあと思います。大会シーンの図師さんは、笑かそうとするのが逆に泣けて、無理して明るく努める様が痛々しく感じる、とても繊細なバランスでコミカルとシリアスを両立させ、その二つの間に段差を感じさせない巧さには驚きました。これまでコミカルな役ばかり観ていたので余計に。
このシーン、台詞で牽引していくのは主に図師さんですが、触れられたくない"抱えてきた闇"をネタにするカズキに対し本気でキレて、胸ぐらを掴み上げたり怒鳴ったりする亮太の、傷のいっぱいついた心が、シーンをよりいっそう深めていたのだと思います。図師さん/カズキの作った明るさだけでは芝居は締まらなくて、母親を轢き逃げで喪った亮太の痛ましさや、自分を失い抑圧されてきた勘太の怒りや不足感、それら噛み合わない相反するものの衝突は剥き出しの心のぶつかり合いみたいで、きっとあの芝居をするのは、心底楽しいのだろうと思います。

205号室は、"おじさん"と呼ばれる老いた柏木がモデルの男・中村さんと、"おばさん"と呼ばれる母親のロールを引き受ける女(ラストでモデルがミカだとわかる)・大音さん、204号室でも登場させた轢き逃げ被害者の息子・亮太がモデルの"若い男"・福田さんと、ミカの娘・幸子がモデルの"若い女"・大友さんの、劇団員四人による部屋。血の繋がらない者たちが、家族の温かさを求めて家族ごっこのルームシェアをしている物語。この"血の繋がらない"という言い方がちょっとズルくって、亮太はもちろん他人だし、柏木とミカは夫婦だけど夫婦という間柄には血の繋がりは無いし、ミカの娘である幸子の父親は柏木ではないことは判っているので、柏木との血の繋がりはないのですよね。ちょっとズルい気もしますが、あとで気づいてなるほどなと思ってしまいました。
それから一瞬だけ、突然脈絡もなく"家族に囲まれるような部屋がいい"という小説家志望の若い女の子(今出さん)が現れる。もちろんモデルは、離別した後に"小説家の妻"との間に生まれたであろう自分の娘。乖離性同一性障害であるということで、"男"は自分が"女"を小説に登場させていたことを色々知らされたあとで気づきますが、顔を見ることも叶わなかった実の娘を、家族の温かさを求める部屋に一瞬だけでも書き加えていたことがわかります。
明確に筋立てのある204号室とは違って205号室にはストーリーがなく、ただひたすら楽しげな"家族の団らん"として、ゲームに興じている様子だけが描かれていますが、現在の柏木(大神さん)が全てを知ったあと、自分たちの過去を見つめたり、偽りのロールではなく本当の間柄としてお互いを認めたりするラストが加筆される。大友さんの「ねえ、お母さん」と大音さんの「んん?そうね」がまさに万感交到る、といった感じで、やけに掠れた大友さんの声と、あえて気の抜けたような大音さんの柔らかいリアクションが、きゅっと胸を締めつける切なさでした。

204号室と205号室は、現実の三部屋と比べて救いがあり綺麗で、切なさはありながらもエンディングは幸せなストーリーで、だからこそ引っかかるのが、柏木という罪深い男の"エゴ"です。
この作品で語られるのは、柏木が書いたフィクションの中の住人である彼らのみであって、例えば、まだ幼い頃に母親を轢き殺された青年の実際は描かれませんし、今日子が誘拐してきた赤ん坊が実際にどんな大人になったのかも分からないし、今日子が案じた"この子が将来何を思うのか"の答えが"たった二日間だけど大切にされた記憶がある"だなんて事実もありません。
どんなに彼らが幸せになる小説を書いたところで、轢き殺した女性が生き返ることはないし、誘拐という行為で幼い子どもとその家族に落とした暗い陰が晴れることもない。自らの不逞のせいで全うな人生を与えられなかった息子に、漫才師という賑やかな友と、自分を選んでくれる妹という、心安らぐ家族を与えることもできない。想像の中の贖罪に過ぎません。
でも、そんな柏木でも嫌いになりきれない(創作上の人物を本気で嫌うのもおかしな話ですが)のは、やはり柏木を演じた4+2人の役者の持つ魅力によるものなのだろうなあと思います。
屈託のない笑顔と甘い声で常識を外れたことを言う竹石さんと、やつれて疲弊しきって生気もないのになぜか惹きつけられる引力のある沖野さんと、おおよそ常人には理解し難い理由でいくつもの犯罪を行ってきた底のない沼のような、駄目人間を極めきったようなどうしようもない存在なのになぜかどうしようもなく愛してしまいたくなる高田さんと、フラットで空っぽ、何ひとつ知らないという観客と同じ地点からスタートした、全てを被る主役の大神さん。リズムゲームのリズムは全く取れないし「流れ」なんていう若者のワードに馴染めない、老いた鈍臭さがチャーミングな中村さんと(老け役については本当に中村さんの右に出る者はそういないなと改めて思いました)、ただひたすらに娘という存在を認め頼り、なにより愛してくれる、幸せな甘さのある雄一さん。六人もの容姿も声音も芝居も違う役者が同じ作品の中で同一人物を演じることが通用する、舞台の面白さや可能性というのも、ここで強く再認識しました。


"女"が書いた206号室の"娘"と、感想の流れに組み込めなかった部屋の外の人たちについて、ここでまとめて。
"幸せそうな娘"松嶋さん。優しい父親と暮らし大学へ通い、友達ができたと嬉しそうに報告をする、ごく普通の平凡な、そして平凡だからこその幸せを当たり前と思わない聡明さが魅力の女の子。松嶋さんは笑顔が良く似合うなあと思いますが、千秋楽の三回目のカーテンコールでの涙もとても印象深いです。
"太った男"内田さん。しばしば体型をイジられますが、それだけで笑いをかっさらえるのは強みだなあと思います。痩せないでほしい。柏木の書く話ですから元カノが他の男との間に生んだ息子に金をせびるようなキャラとして描かれていますが、内田さんのどうしても悪い人間には見えない滲み出る人の良さも、これまた強みなのでしょう。でも、救いようのない悪役も観てみたいですね。
"刑事"添田さん。本人たちは至って真剣なのにはたから見ればコメディ、な沖野さんと中野さんとのやりとりの絶妙な間合いはさすがだなあと思います。"疲れた夫"を案じ、出来る限り穏便に事件を解決しようと試みる姿に人間らしさと優しさを感じました。
"編集者"春原さん。ダウナーで緊迫した203号室に高いテンションで入ってくる、その空気の読まなさ、ふたりに引きずられることのない自由なスタンスがとっても面白かったです。どうにかして本林を引き離したい気持ちでいっぱいの柏木の後ろを、そんな気持ちは御構い無しにひっついて回る、悪意のない圧迫感が秀逸だなあと思いました。
"不動産屋"糸永さん。台詞回しや動きにある独特のゆるっとした空気が大好きです。実直で誠実そうな印象なのに、ちょっと幽霊の真似事で脅されたらすぐに退散してしまうようなところも最高です。斜めに射し込んだ陽光とジリジリと鳴く蝉の声とでリアルに作られた"106号室"に、さらにもうひとつリアルさを足す存在でした。
"大家"椎名さん。全ての章を同じ世界に存在する同時進行の話であるかのように繋げる役目を持つ、影の立役者でしょう。一番多くの役者と絡む役でどの部屋でもよく馴染み、コメディリリーフとしても120%完璧で、完璧でありながらもとても親しみやすくて、なんとなく忘れてしまうんですが、ボクラ団義初客演なんですよね。椎名さんの大家さん無しではこの作品はうまくいかないのだろうと思いました。

公演期間の終盤でやっとわかったこと。
「時をかける206号室」という公演タイトル、"女"が手にしている本のタイトルも同じく「時をかける206号室」としている。ただし柏木が書いたのは第五話、205号室まで。"女"は「言ってないよ、不動産屋さんはここが206号室だとは一言も」などと言うけれど、一番最初に部屋番号について言及したのは"女"の「隣には205号室だって207号室だってある」という台詞。観客は「時をかける206号室」を観に来ているので、何の疑いもなくここが206号室だと思い込んでしまう。
物語を語り聞かせる"女"は、他でもない小説家・柏木祐介の書いた物語の続きである"206号室"で新たな小説を、そして父親・柏木祐介と、小説ではなく本当の暮らしも書き始めたかったのだろうな、と思った。「もっと重要だったのは、これから見つけるもの」だから。



本当にひどくまとまりのない感想でしたが、とにかく本当に本当に心底楽しかった作品でした。
今回で言えば盆なんかはそれこそ文字通り力を合わせなければ成立しないものですし、それだけでなく芝居も裏方も制作も、全員で協力してフル稼働の全力で創り上げた作品の、それによるポジティブなエネルギーの塊のようなもの、その熱をしっかりと感じました。劇団っていいなあ、と思いました。これからも素敵な作品を真剣に全力で作っていける劇団であるように、さらなる活躍を、飛躍を祈っています。
素晴らしい作品を、ありがとうございました(^○^)!!!!

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