
僕らこそミュージック
東宝
博多座(福岡県)
2020/12/09 (水) ~ 2020/12/10 (木)公演終了
ミュージカルメインかと思いましたら、そうでもなく。物足りないなあと思ってましたが、終盤にエリザベートとモーツァルトから、まあ満足です。生オケでしたしね。

エーリヒ・ケストナー〜消された名前〜
劇団印象-indian elephant-
駅前劇場(東京都)
2020/12/09 (水) ~ 2020/12/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2020/12/09 (水) 19:00
劇団印象、第26回公演にして最高傑作が生まれた!と思う。これまでと一転して、まるで海外戯曲のような、大作映画を1本見たかのような重厚な物語。全ての作り手、表現者に観て欲しいお薦め作品です。自分があの時代に、その状況にいたらどうしただろう?ひょっとすると、生きるため、創るためという理由でナチスに組してしまったかもしれない。と思わされました。

断食芸人
シアターX(カイ)
シアターX(東京都)
2020/12/08 (火) ~ 2020/12/08 (火)公演終了
鑑賞日2020/12/08 (火) 19:00
今年度、シアターXの1人芝居試演は2回目、「狂人日記」に続く。
やはり、題名がそのまま原題である作品の方が、観劇の訪れる方にしては、足を向けやすい。
1人芝居でも、相応の名のある方の場合、舞台装置に凝り、舞台美術が絢爛で、シチュエーションに演者が配慮をしない舞台が多いと思うけれど、ここはそれ、自ら場を作り上げる、自己構築芝居。
そうか、1人芝居の魅力は、どの角度から見ても良いことだよ、それなら後ろからもありだ。「狂人日記」でもそれは成立しただろう。1人芝居とは、見世物なのだから。

一日だけの恋人
稲村梓プロデュース
サンモールスタジオ(東京都)
2020/11/26 (木) ~ 2020/11/29 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/11/28 (土) 17:00
初見のユニット、というより、稲村梓を初めて見た。面白い舞台だった。
長崎の老舗旅館の一人娘で、東京に出て来て銀行で働く女性が、母親の上京に合わせて婚約者がいることにしたくて頼んだ俳優(の卵)と打ち合わせする一夜の物語の二人芝居。設定そのものはよくあるものだし、物語のドタバタ振りを楽しむ作品だが、個々のエピソードは玉石混交という感じで、納得できるものもあるが、そうでないものもあるのだが、稲村・杉山の演技力でしっかり芝居として成立してる。稲村は『売春捜査官』を何度もやっており、そんな雰囲気の部分もあって、いろいろ考えると楽しい。

HOT
劇団かもめんたる
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2020/12/02 (水) ~ 2020/12/07 (月)公演終了
満足度★★★★
劇団かもめんたるを初めて観劇。
う大さんが祭りに対して冷静にダメ出ししていくシーンが
一番面白かったです。独特のかもめんたるの世界観が好き、
下ネタを儀式的なものとして扱うことで下ネタ嫌いのお客さんも
平気になる?
配信ではなく生で見れたことに感謝

エーリヒ・ケストナー〜消された名前〜
劇団印象-indian elephant-
駅前劇場(東京都)
2020/12/09 (水) ~ 2020/12/13 (日)公演終了

2020
劇団肋骨蜜柑同好会
サンモールスタジオ(東京都)
2020/12/03 (木) ~ 2020/12/13 (日)公演終了

花トナレ
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2020/12/01 (火) ~ 2020/12/13 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/12/09 (水) 14:00
座席1階
桟敷童子の舞台の楽しみの一つは、その舞台装置だ。同じ敷地内に新劇場として移転した最初の舞台。検温、消毒をして入ると真っ赤な曼殊沙華が咲き誇っていた。言うまでもなく、今回の舞台の象徴である。
物語は、二つの寒村の住民がぶつかるという設定で進むが、本当の敵は舞台には表れてこない都会の住民たちだ。物語では直接触れられていないのであくまでも客席からの推測だが、都会の住民はゴミや汚物を寒村に運んで捨てる。猛烈な悪臭。それは物語の登場人物が時々鼻をつまむ「へ」とは比べ物にならないくらいの強烈さだ。村人たちは、そういう匂いの中で暮らさなければならないのだ。
臭いを舞台空間に流すのはさすがにできない。その代わりのアイテムが「死人(しびと)花」とも言われる曼殊沙華なのだろう。真っ赤に咲き誇る曼殊沙華は、やがて、舞台の中央にも現れる。他者の痛みを顧みない日本の社会への警告だろうか。その赤さは、暗い舞台に不気味なほど存在感を持って迫ってくる。
もう一つの舞台装置は、風である。相当強烈な風を出す送風機が客席側から舞台に据えられている。それはまるで、都会の住民が、被害者である寒村の住民をなにごともなく吹き飛ばすような装置に見えてくる。
一度捨てれば「なかったもの」として都市の住民が忘れる廃棄物。においを発するものだけではない。音も臭いもなく人間をむしばむ放射線だって過疎地に捨てられているではないか。「花トナレ」と連呼する役者たち。客席に届くメッセージは、鋭いものがあった。

ガールズ・イン・クライシス
文学座
文学座アトリエ(東京都)
2020/12/04 (金) ~ 2020/12/16 (水)公演終了
満足度★★★★
配信で拝見。
演出家・生田みゆきの名はよく知るが実際に観たのは初めてか。
戯曲もぶっ飛んだ内容だが演出も負けじと飛んでいた。だが演出の言葉によれば原作は移民問題がテーマとなっていると言い、終盤その問題を連想させる場面が僅かにあるものの上記の通りなら演出は明らかに強調点を変えている。
感覚的なものだが今の状況で書かれた戯曲ではないかと思い、すぐさまデータを見返した。2017年作であった。
最初「女性の自立」路線の話かと思いきや、現状を脱して「次」のステージを求める主人公が、やがて破綻を迎える。コロナ状況をどう捉えるかにも拠るが、コロナは文明の矛盾をあぶり出し、人間の本性を、文明(科学主義・進歩主義)に依存した人間の脆弱さを暴く。
主人公は自分の望む未来を「ある物」を手に入れる事で手にしようとするが「ある物」の欠点への不満はその製造者へのクレームとなり、理想を追うかに見えた彼女の実像は結局怠惰な「消費者」へと矮小化していく。容姿も整った主人公と、いきさつあって友達となるデブ子の存在が面白い対比となって効果的。

断食芸人
シアターX(カイ)
シアターX(東京都)
2020/12/08 (火) ~ 2020/12/08 (火)公演終了
満足度★★★★
シアターX独特の主催行事は多々あるが今回は<一人芝居>試演会vol.5、前半最後の演目との事で「一発限り」の上演を観た。(後半の5名による試演は来年3月頃より順次実施との事。)
服部吉次によるカフカの短編の上演。舞台奥のパネルの一部が外れ道具類が見える隙間から、スタスタ登場した氏の右手には紙が握られており、「読むのか・・」と思っていると、イソップ寓話の一話をやろうという。舞台役者たる氏一流の耳心地良い口上で、4行ばかりの話の朗読を挟みつつ「皆さんとこれをやる」との提案。やんわりかつ強引な動員による大がかりな客いじりの後、本編へ。
舞台脇にも客席を置いた三方客席に挟まれたステージ前方で、カフカの風変わりな(という事はカフカらしい)短編が始まった。服部吉次という俳優の面白さが、このステージの面白さの全てと言って良く、それはシアターX恒例の上演後交流会での服部氏の語りに続く。とりわけ黒テント役者(それ以前に音楽一家出身)の面目躍如たるオープニングとラスト(と途中にも一箇所)の生ソプラノサックスが聴かせる。黒テント芝居が音楽抜きに語れぬのと同じく、服部氏のこの作品の解釈(又はカフカ理解、又は本上演の文脈)に関わる何かを感じさせるのである。(氏の音楽への造詣を知った思い出として・・黒テントの2007年「上海ブギウギ」の幕間で斎藤晴彦と二人で披露した懐かしの楽曲を巡る歌・演奏込みの丁々発止。両者一歩も引かぬ凄技であった。)
一人芝居研究会?は数年来シアターXでレパ上演(ローズ)を続けて来た志賀澤子が別作品をやる他、石井くに子、谷田川さほとベテラン役者が名を連ね、作品の方ではやや若手の女優が石原燃戯曲に挑戦するようで楽しみ。

プライベート・ジョーク
パラドックス定数
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2020/12/04 (金) ~ 2020/12/13 (日)公演終了
満足度★★★★
昨年、コロナ騒ぎはまだ影も見えぬ中で、大手町の大きな新しい劇場で「ピカソとアインシュタイン―星降る夜の奇跡」という、舞台の上で二巨人を出会わせるいかにもアメリカ的な趣向の芝居を見たが、この舞台はそれをもっと拡大、二十世紀に前衛を走り抜けた巨人たちが青春期に学生寮で共に過ごし、生涯その関係を続けた、と言う設定でドラマにしている。架空の設定にして実名はないが、それぞれ、科学者ではアインシュタイン(加藤敦)、画家ではピカソ(西原誠吾)とダリ(小野ゆたか)、詩人で劇作家でもあるロルカ(植村宏司)、映画監督のブニエル(井内勇希)、の5人のそれらしき人物が登場する。プライベイト・ジョークというタイトルをどのように解釈すればいいかも謎で、この構成そのものがジョークで、プライベイトは作者が考えた私の巨人たち、という意味なのか、作中人物はそれぞれの人物の本人あるいは評伝からの引用が多いようで、ここにそれぞれの巨人たちのプライベート・ジョークがあるという意味なのか、よくわからない。
その解釈は見る側の勝手でどうでもいいとして、芝居のテーマはジョークではない、全然。芸術、科学それぞれの分野で時代を画する仕事をした人たちが時代の抑圧と、いかに戦ったか、その原点が、青春時代の架空の学生寮でのまるで日本の旧制高校のような共同生活だ、と言うところにテーマが置かれていて、解りやすいユダヤ人追放や、官憲の脚本検閲などの抑圧と、一方では時流に媚びざるを得ない立場との矛盾、そこからの自由への解放が軸となている。二十世紀前半の三つの時代、学生時代、そこから十年後、二十年後、と時代は暗くなっていき、のびやかな青春時代は遠くなっていく。
この作品は07年初演の作品の書き直しという事だが、初演は見ていない。劇場パンフによると、作者は前回は全く物が見えていなかったと書いている。野木萌葱のパラドクス定数の舞台を観るのはほぼ、二年ぶりだが、その間に作者は新国立劇場の気まぐれ発注に巻き込まれて疲れ果てたのだろう。「骨と十字架」はこの作者らしからぬ作品だった。唯一の現代劇の税金劇場の新国立が気まぐれにあまり経験のない作者をつぶしてどうする!という憤りはまた別のテーマになるが、この舞台で繰り返し語られる抑圧への批判、自由への渇仰は切実である。
しかし、観客としては、もう新国立で挫折する演劇人をこれ以上出してほしくない。永井愛だって新国立事件がなければ、もっと観客が楽しめる含蓄のある生活劇が書けただろうに。
舞台で挨拶する野木萌葱には、以前のおおらかさが消えていた。もう競馬馬が語り合うような愉快で独創的な芝居は書けないかもしれない。それは本当に残念だ。

エーリヒ・ケストナー〜消された名前〜
劇団印象-indian elephant-
駅前劇場(東京都)
2020/12/09 (水) ~ 2020/12/13 (日)公演終了
満足度★★★★
感動しました。反ナチのケストナーと、ナチスの女神になったレニ・リーフェンシュタールを鉢合わせにする発想がうまい。共産党員でゲシュタポに殺された俳優ハンスと、ナチにすり寄って映画監督になったヴェルナー。ケストナーと寄宿学校以来の親友だったという二人の変化を絡めた、1923年から1945年までのナチスの台頭と破滅と、ケストナーの執筆禁止の中での、映画脚本という誘いを受けての葛藤。少数の登場人物たちの人間関係の変化と時代の変化を絡めるのは井上ひさし芝居のようでした。
特に前半は、中学生のロッテの怖いもの知らずの一途さといい、レニをめぐるヴェルナーとケストナーの掛け合いと言い、活気がみなぎっていた。
ナチスの弾圧が始まると、それぞれの立場が硬直して、人物が与えられた枠を越えられないところは残念。でも、最後、ドイツ降伏後の場面は、戦争協力を責められて反論するレニのセリフが光っていた。「女には権力に擦り寄るしか映画を撮る道はなかったのよ」なぜ私だけが」「あなたは私を見ると、鏡のように、自分の姿が見えて苦しいのよ!」
「雪山の道なき道を必死で登ってきたのよ。雪が溶けてから、本当の道は違ったと言われても、どうしようもないわ」等々。
戦争協力を、男社会で女性が実力を発揮するためのやむを得ない選択、という見方は、きわめて今日的だと思った。女性活躍が未だにお題目だけの日本の現実に刺さる

『ガギグゲゲ妖怪倍々禁』
飛ぶ劇場
J:COM北九州芸術劇場 小劇場(福岡県)
2020/12/04 (金) ~ 2020/12/06 (日)公演終了
満足度★★★
コロナ禍から10年後、新たな細菌が人々を襲う。
妖怪は感染しないとのデマ、そしてばらまいたのも妖怪と。
不安からそれを信じ、偏見を膨らませ、排除へと向かう人間たち。今を生きている妖怪は人間とのクオーターで能力も限られて、人間と変わらないのに。
少数派が共存を求めるも、もう取り返しがつかないところまで。
やられたらやり返す。争いをやめることはできないのか。

ミセス・クライン Mrs KLEIN
風姿花伝プロデュース
シアター風姿花伝(東京都)
2020/12/04 (金) ~ 2020/12/20 (日)公演終了
満足度★★★★★
女優三人の格闘技のような舞台で、芝居のだいご味をたっぷり味わえる本年屈指の舞台・2時間45分である。イギリスのニコラス・ライトの三十年ほど前の本で、中身は三十年代の終わりにナチに追われてロンドンに逃げ延びてきた精神分析医療の女性研究者の物語である。その精神医療を使っての物語は、時代相と相まってさすがに古めかしく、新聞の片隅の身の上相談レベルだが、その物語に上乗せされた女三人の相克の芝居が見所である。
自らの生き方を科学に託し、わが子の成長すら研究対象とするが、現実には子供たちから離反されていく母・ミセス・クラインを那須佐代子、その娘で、やはり同じ研究者の道に進むが母に反抗しながらも逃れられない娘を伊勢佳世、ドイツから逃れてきたばかりで、生活のためにクラインの助手の仕事を求めるポーラに占部房子。
ミセス・クラインのもとに、息子がハンガリーで落命したという知らせが届く二昼夜の物語である。ストーリーは息子の死因の真相をサスペンス風に追って進むが、芝居の核心はそこにはない。
母国を逃れたユダヤ人の話は数多く書かれているが、この戯曲が面白いのは、登場人物がいずれも科学者で、事件の中で揺れ動く、科学と女の生き方の間のジレンマが克明に描かれることである。登場人物は三人だけとなれば、これはもう役者と演出が勝負どころになるが、細かい演出、無駄のない新鮮な演技で、期待に応えてくれる。学者としても、親としても自尊心を捨てられない那須賀世子、親に反抗するように我が道を行く伊勢佳世。一方ではその人生に疑いを持ち、時に原初的な母と子に戻りながらも、異邦人として異国に生きなければならない人々のある種突っ張った女たちを型通りにならず演じ切る。その親子の鏡になる占部房子もよく物語を支え、最後にミセス・クラインに爆発するところなど見事であった。細かい動きとセリフに埋め尽くされた舞台を演じ切った小劇場の女王たちに拍手。
風姿花伝の小さな舞台だが美術も、衣装もいい。控えめな音楽の選曲も良い。よくわからなかったのは潮騒と海鳥の声らしい音響効果で、舞台がロンドンのハムステッドとなれば、海岸からは遠い。母国からは遠く、との意味かもしれないがそれは少しうがちすぎだろう。。

SessionYoshiya
かわせみ座
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2020/11/24 (火) ~ 2020/12/12 (土)公演終了
満足度★★★★★
Session Yoshiya12月8日のパフォーマンスを見てきました。山本由也さんの人形たちとパーカッションChristopher Hardy, ,サックス、フルートなどのAndy Bevanの共演。。音楽に合わせて人形が命を吹き込まれたように動き出すのが毎回の驚きです。今回もとても楽しんできました。好きな河童さんが動いたのが嬉しかった(^-^)
![[Go Toイベント]詩X劇 フクシマの屈折率](https://stage-image.corich.jp/img_stage/m/888/stage_88810.jpg)
[Go Toイベント]詩X劇 フクシマの屈折率
遊戯空間
上野ストアハウス(東京都)
2020/12/03 (木) ~ 2020/12/06 (日)公演終了
手描きだった時代のアニメのセル画みたいに複数の画を重ねて1つの画を作るように2011年と2020年を重ねて1つ作品を作りあげてました。
今年1年、色々あったなあ。

プライベート・ジョーク
パラドックス定数
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2020/12/04 (金) ~ 2020/12/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
1年9か月ぶりのパラドックス定数本公演だったそうです。
本公演初のアフタートーク観てて思ったのが、犬が飼い主に似るように、演劇も作った人に似るんだなってこと。飼い主のほうが犬にそっくりみたいな、もはやどっちがどっちに似たのか分からない関係っていうのかな。
観客の8割が女性。
自分正直書くと、何の物語が何をしてたのかよく分からないままの観劇でした。

ミセス・クライン Mrs KLEIN
風姿花伝プロデュース
シアター風姿花伝(東京都)
2020/12/04 (金) ~ 2020/12/20 (日)公演終了
精神分析がらみの海外戯曲の作品は、
DULL-COLORED POP プロデュースの
『Freud's Last Session』(公演名
『最後の精神分析-フロイトvsルイス-』)以来久々。
夢とはレム睡眠中に脳が活動するためにおこる
一種の幻覚に過ぎず、夢の内容、ストーリーの
分析自体には神経科学的、生理学的にあまり意味はない
といってしまうと身も蓋もないけれども、それでも、
岡目八目ではないが、腕利きでも、自分で自分自身や
その家族を対象として冷徹に客観的に徹底して
分析し尽くすことの、なんとハードルの高い
やっかいなことか。
一流は、報酬も一流。
ちなみに、細かいことで聴き間違いなら大変申し訳ないが、
ハンガリーの首都は、
ブタペストorブダペスト?

アクリルジャンクション
backseatplayer
俳優座劇場(東京都)
2020/12/02 (水) ~ 2020/12/06 (日)公演終了

ミセス・クライン Mrs KLEIN
風姿花伝プロデュース
シアター風姿花伝(東京都)
2020/12/04 (金) ~ 2020/12/20 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2020/12/07 (月) 19:00
座席B列10番
メラニー・クライン、この実在の精神分析学者の息子の死をきっかけとする、同業の娘とやはり同業のクラインを尊敬する若い医師の3人ストレートプレイ。
とにかく、濃い。
ストレートプレイ度が強ければ強いほど、登場人物の性格と相互関係を、観客により深く理解させることが必要で、冒頭から綿密に選ばれた仕草・独白、出演者相互の最初の接触からの言葉遣い・態度、ここらが肝となる。
まあ、この舞台のこの辺りの息苦しいほどの重厚さ、まあ、最初の20分くらいで疲れ切ってしまいそう。説明口調の凡庸さを避けるには、演技の練りこみで仕切りとらなくてはならず、3人の「私が」オーラの凄いこと。ともすれば、眩暈さえ誘う熱だ。
3人3様の性格・性癖・思考のコントラストが見事。僅か一夜の出来事を目まぐるしい事実と言葉の分析を応酬することで、お互いの本性を暴き合う展開は、しんどいけれど面白い。ただ、あらゆる分析が1つの事実で解明された時、狼狽するクライン夫人は、まさに葦のごとくの儚さで描かれ、ポーラの恫喝とその後の野心を漂わせる夜叉のような表情は、この物語のその後を暗喩する不気味な象徴として終幕後も強く私に烙印された。
(そういえば、「終夜」と同じような構成だな)
「外の世界を待たせておく」
解決は自らのサークルの中で行う。さて、勝者は?敗者は?得たものは?失ったものは?
去る者は?残る者は?理解者は?誤謬者は?観客それぞれの判断に委ねられるだろう。