満足度★★★★
鑑賞日2020/12/07 (月) 19:00
座席B列10番
メラニー・クライン、この実在の精神分析学者の息子の死をきっかけとする、同業の娘とやはり同業のクラインを尊敬する若い医師の3人ストレートプレイ。
とにかく、濃い。
ストレートプレイ度が強ければ強いほど、登場人物の性格と相互関係を、観客により深く理解させることが必要で、冒頭から綿密に選ばれた仕草・独白、出演者相互の最初の接触からの言葉遣い・態度、ここらが肝となる。
まあ、この舞台のこの辺りの息苦しいほどの重厚さ、まあ、最初の20分くらいで疲れ切ってしまいそう。説明口調の凡庸さを避けるには、演技の練りこみで仕切りとらなくてはならず、3人の「私が」オーラの凄いこと。ともすれば、眩暈さえ誘う熱だ。
3人3様の性格・性癖・思考のコントラストが見事。僅か一夜の出来事を目まぐるしい事実と言葉の分析を応酬することで、お互いの本性を暴き合う展開は、しんどいけれど面白い。ただ、あらゆる分析が1つの事実で解明された時、狼狽するクライン夫人は、まさに葦のごとくの儚さで描かれ、ポーラの恫喝とその後の野心を漂わせる夜叉のような表情は、この物語のその後を暗喩する不気味な象徴として終幕後も強く私に烙印された。
(そういえば、「終夜」と同じような構成だな)
「外の世界を待たせておく」
解決は自らのサークルの中で行う。さて、勝者は?敗者は?得たものは?失ったものは?
去る者は?残る者は?理解者は?誤謬者は?観客それぞれの判断に委ねられるだろう。