満足度★★★★
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青年団『眠れない夜なんてない』を観劇。
昭和天皇が生死を彷徨っている最中、遠い南のマレーシアでは老後の余生を過ごしている日本人達がいる。そこは日本人村と言われ、残りの人生を全うするようだ。
南の島独特の空気が流れていて、時が止まっているようである…。
1980年代に「老後を海外でロングステイ」というライフスタイルが流行り始めた頃の物語だ。戦争経験者世代が余生を楽に暮らすというのが主な理由だが、そこには何かがあるようだが、物語として決して語らない。たわいもない会話の節々で登場人物の心情を読み取るしかないのが平田オリザの世界観だ。
だが今作は実に分かりやすい終わり方になっているので、平田オリザを罵倒した八王子の住職にも勧められる。
満足度★★★★
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二兎社の『ザ・空気 ver.3』を観劇。
国家に批判的だった新聞記者の横松は、今では政治家御用達の評論家に成り下がっている。そんな横松を起用するTVプロデューサー星野は、後輩の自殺について嘘の話を投げかけてみると使命を思い出したかのように隠し持っていた日本学術会議のスクープを生放送で暴露しようとするのだが…。
日本特有の場の空気を読むことによって、意見が言えないもどかしさとジレンマを話しの中心に添えてテーマを明確にしていたのが前二作までだが、今作は直接的に問題の核心をついてきている。
総理大臣を辞任に追い込める最大のスクープを手にしたジャーナリスト、テレビ局が政治圧力がないのに一歩手前で躊躇してしまうのは、空気を読む云々どころでなく「マスコミには勇気すらない!」と嘆いている。終わり方も希望すらなく、ただただ呆然と眺めるしかないのだ。
「頑張れニッポン!」ではなく「どうするマスコミ?」のようだ。
政治問題を正面から捉えて、見応え十分な芝居を作れる演劇人は永井愛だけかも知れない。
お勧めである。
満足度★★★★
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イッセー尾形の『妄ソー劇場・すぺしゃる』を観劇。
80年代の『都市生活カタログ』のシリーズは伝説化して何本も観ていたが、形を変えて未だに演っているとは驚きであった。
各登場人物の癖や仕草が短にいる人物にそっくりで、「いるいるそんな人!」と思う事が面白さの秘訣だと思っていたがそれは大きな間違いで、創作で作られたキャラクターを実際に存在するかのように演じているから面白いのである。
誰もが一度ぐらいは観ておくべき芝居である。
満足度★★★
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『ミセス・クライン』を観劇。
ユダヤ人で実在した著名な精神分析家のメラニー・クラインの物語である。
自殺で息子を失ったメラニー夫人は悲しみに打ち拉がれているようだが、娘のメリッタ(精神分析医)から見るとそのようには思えない。それは娘と息子を常に幼少期からコントロールし、研究対象にしていたぐらいだからだ。そこに同じユダヤ人の精神分析家・ポーラが介入してきて、メラニークラインと娘のメリッタ、そしてポーラとの精神分析の対立が始まるのである。
精神分析家が己の悲しみをどのような論理で解決していくのか?
が物語の流れになっていて、その葛藤が互いに火花を散らしていく様が見所である。
息子の自殺は自分が原因ではないと認めようとしない母親、
幼少期から精神的に束縛られてきた母親への憎しみを持つ娘、
肉親の憎しみ合いを第三者の視点でみるポーラ、
曰く我々観客が親子の愛憎劇を客観的に目撃するのである。
彼の解決方法は常に言葉であり、空気やその場の雰囲気でない。
ナチスの恐怖がユダヤ人に迫ろうが、我々の問題は我々で解決する。
彼らの論理は「外の世界を待たせておく」のである。
満足度★★★
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マームとジプシーの『かがみ まど とびら』を観劇。
ある日、大事にしているぬいぐるみを親が捨てようとしているのを知った女の子は、それをどうにか阻止しようと鏡から窓、そして扉を超えて外の世界に向かおうとしている。そこで一体何を見つけたのか?
今作は小さな子供も観劇出来るような作りになってはいるが、これが意外や意外に侮れない作品になっていて、未知の世界へ行く為の境界線とそこに必ずある鏡と窓と扉。それが大きなテーマになっていて己の捉え方によっては世界の隅々まで観えてくる仕掛けになっている。
「子供のイマジネーションに負けてたまるか!」という勢いで大人も能動的に観劇に立ち向かわないと観客失格になってしまうようだ。
満足度★★★★★
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木ノ下歌舞伎の『糸井版・摂州合邦辻』を観劇。
昨年冬に初演を迎え、今回は再演。
ここ十年の演劇史の中では最高傑作である。
大名・高安家の跡取りの俊徳丸は許嫁・浅香姫がいて将来が約束されているが、家督を継ぐことが出来ない異母兄からは妬まれている。
厄介なことに年が殆ど違わない継母・玉手からは求愛をされている。
そんな折、俊徳丸は癩病に侵されてしまい父への不幸を詫び、許嫁を捨てて家を出てしまう。
俊徳丸は西へ向かうのだが、病気の為に目が見えなくなり身体もボロボロだ。許嫁・浅香姫は彼をどうにか探し当て、偶然にも玉手の父母に助けられ匿われることになる。
その玉手も世間の噂も顧みず愛する俊徳丸を探しに出て、実家に立ち寄るが父になじられしまう。
遂に玉手が俊徳丸を見つけ出すが、娘の行為に堪りかねた父は娘に手をかけるが、玉手の命を賭けた無償の愛の告白を聞いた瞬間、茫然してしまうのであった…。
上演時間が25分も長くなり、前作でやりの残したことを加えて時間が伸びたようだ。その分、幕間が入り玉手の直球の愛がやや断ち切られた感じが否めないが、作品のテーマを明確出してきたようだ。
ただ今作の見所は玉手の俊徳丸への愛の告白が最大のクライマックスになっており、それを聞いた瞬間、観客全員の魂が震えてしまうのは約束する。
お勧めである。
満足度★★★
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Pityman(ピティーマン)の『みどりの山』を観劇。
違法ながらも代理出産が出来る産婦人科医があるようだ。
今では男性も出産が出来、好意や借金の返済の為に行っていたりと様々な人達が滞在している。
当然、誰が親なのかは知る由もないが知りたくなるのは本望だ。
そんな問題も抱えつつ皆が仲良く出産まで過ごしている最中、三人の患者が一度に出産をするが、産まれてきたのは人間と魚の半魚人ようだ…。
日本で禁止されている代理出産を海外で行っている人がいる事は知っていたが、ダウン症の子供が産まれ受け取りの拒否した親がいたという事は知らなかった。
今作は代理出産の是非を問う展開に行くのか?と思わせつつ、最後の最後に親が子を拒否するという事を問題提起しているようだ。
ただ直接的ではなく、恐ろしいほど寓話的に。
満足度★★★
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Qの『バッコスの信女・ホルスタインの雌』を観劇。
日本一理解出来ない三大劇団は『ワワフラミンゴ』『鳥公園』『Q』だ。
だがその『Q』が岸田戯曲賞を取るという快挙を成し遂げたようだ。
今作はギリシャ悲劇『バッコスの信女』をベースにしていて、それに基づいた展開に近いのかもしれないが、観たこともないので全く分からず。
バッコスの信女で登場するコロス(合唱隊)の登場もあり、顔が人間で身体が牛の半獣、犬、主婦らでテーマの人間の性の営みをR指定–18というぐらいに大胆に描いている。テーマは理解出来なくもないが、これが生の舞台で観劇をしながら捉えられるか?というと甚だ疑問である。
ただ「岸田戯曲賞を取ったのだから必ず面白いはず!」と無理矢理に思い込んで観ていても駄目だったようだ。
岸田戯曲賞は戯曲の出来不出来の判断で決まり、舞台を鑑賞しての結果ではないので審査員は今作を生の舞台で観たらどうなのだろうか?
数々の岸田戯曲賞受賞作品を観たが、初めて撃沈されてしまったようだ。
満足度★★
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劇団献身『知ランアンドガン』を観劇。
日の目を見る事がない演劇青年・浅見が彼女との別居を決めて、クリエイターが集まるシェアハウス(トキワ荘)みたいな所に引っ越す。
そこは才能があるものしか入れず、浅見も提出した戯曲が認められて入所したようだ。
そこは寄付金で賄っているが、コロナの影響で金が集まらなくなり住まいも取り壊しになるのだが、クリエイター達は演劇作品を作って金を得ようとするが、コロナが収束する気配もなく上演する場所がなくなり窮地に追い込まれてしまう…。
コロナで表現する場所がなくなり、苦境に追い込まれた己の才能を信じる者たちの物語である。
前回に観た作品もそうだが、どうやら30歳というのが演劇青年の人生の分かれ目のようだ。演劇人の目標である岸田戯曲賞を勝ち得た人たちは、概ね20代で受賞しているからだろう。
演劇は新聞で大々的に広告を打とうが、偉い方からお褒めの言葉を得ようが、観客を満足させなければあっという間に落ちていく日本の文化シーンで一番厳しい世界かもしれない。つまらなくても大ヒットしてしまう映画とは大きな違いだ。
そんなことを考えさせる作品でもあったが、『才能』というテーマ主義が災いし物語をおざなりにしてしまったからか、語るに値しない演劇作品になってしまったようだ。
満足度★★★★
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東京夜行の『BLACK OUT』を観劇。
演劇界の演出助手の話し。
小劇場で何度か公演を行なっている作・演出の真野は、30歳を目前に今後の生き方を模索している。
「このまま鳴かず飛ばずのままで終わるのか?」
昔の演劇仲間から商業演劇の演出助手の依頼がきて、嫌々ながらも待遇の良さに引き受ける事になる。
戯曲がコロナを扱っていて主演のアイドルとヒロインが病原菌の拡大と共に拒絶し始めるが、内容の変更などで乗り切っていき、もう直ぐ初日だという時に都からの要請により公演中止になってしまう…。
舞台が公演を迎えるまでのスタッフと役者たちのドタバタを描きつつ、コロナで公演も打てない、仕事すらない演劇人はどのようにすべきなのかを問いかけている内容だ。
演劇人が志しを高く持とうとするが、それに立ち向かえない無念さが嫌がでも伝わってくる。
それは創作をしている人たち全員に共通している事だ。
ここで描かれている演劇人の苦悩が、「今作のBLACK OUTが本当に初日を迎えられるか?」と同時進行させているリアリティは抜群だ。だからか社会背景とドタバタ感の融合が面白い作りになっている。
コロナを扱ったのはこの劇団が最初だと思うが、危険が大きいながらも初日を迎える事が出来た「東京夜光」には拍手を送りたい。
タイムリーな内容ながらも、今作の面白さは保証する。
満足度★★★★
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野田秀樹の『赤鬼』を観劇。
一流の映像、舞台俳優を簡単に集められる野田秀樹だが、無名な若手俳優を集めての公演。
過去にイギリス、タイ、日本バージョンがあり、それぞれの国の俳優を使って何度なく公演していたものの再演である。
周りを海に囲まれた島で暮らす島民。
海の向こうに何があるのか?すら知らない島民は、浜辺に流れてくるゴミが唯一の情報源だ。
そんな最中、同じ言語を話さない『赤鬼』が流れつくが、島民は得体が知れない為か恐怖におののいてしまう。そこで村八分にされている『ある女』『とんび』『ミズカネ』がコミュニケーションを取り始めると少しづつではあるが交流が始まっていく。だが島民は『赤鬼』に興味は示すが排除しようとする気運が高まって行く。
そして『赤鬼』と『ある女』たちは生命の危機を感じ島から脱出をしたのだが…。
排除する側とされる側を明確にした内容だ。いまの時期を狙っての公演かというと偶然だったらしいが、初演は1996年というから驚きだ。
自分は他人に対して差別は一切しないと思い込んでいながらも、生活圏に相入れない他者が入り込んでくるといとも簡単に拒んでしまう。差別意識を寓話にしているからか、己に食い込んでくるメッセージが重くのしかかる。普段から差別という事を心しておかないと、無意識のままに他者を追いやってしまうから厄介なものだ。
テーマは強烈ではあるが、そこまでして描かないと観客には決して届かないという野田秀樹の叫びが大きく木霊する。
大人数の若手俳優が狭い四角い舞台を走って、走って、走り回り、人間スローモーション、見立てなど『夢の遊眠社』時代を彷彿される舞台であったが、イギリス留学以降の野田秀樹の戯曲には希望が全くないのである。
満足度★★★★
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KAKUTAの『往転』を観劇。
新宿バスターミナル発、福島・仙台行きの夜行バスに乗り合わせた運転手を含む乗客7名。だがバスは山中で横転事故を起こし、大惨事が起きてしまったのだ….。
そのバスに乗り合わせていた運転手、乗客の事故の瞬間と前後の時間を群像劇として描いていて、「何故、そのバスに乗っていたのか?」「事故後に訪れた家族の不幸は?」。
生き残った人たちがこれから抱える一生の不幸という「長い時間」と、事故の瞬間の「短い時間」を交差して描いていて、日常では得る事が出来ない瞬間を体感してしまう。それは映像などは、現在から回想という前後の区切りがあるせいか、時間が同時に交わる事は決してないが、今作は、異なった時間が同時に混じり合う瞬間を目撃出来るのである。それも悲惨な出来事をだ。
「これこそが演劇だ!」と歓喜の声を上げたくなるが、ただ夫が、亡くなった妻の位牌を散骨すると同時に、その妻が生きていた頃の姿を見せられると、観客は悲しみに打ちひしがれるのである。
満足度★★★
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東京乾電池の『卵の中の白雪姫』を観劇(22日・19:00)。
別役実の戯曲で、柄本明の演出。
舞台にセットは何もなく、街灯の下で乞食が座っている。
察するところに、これは『ゴドーを待ちながら』なのだろうか?と勘ぐってしまう。
それはきっと乞食は誰かを待っているのだろうと。
そして乞食の待ち人とは、お金を恵んでくれる人たちの事で、
その乞食の待ち人は、沢山現れるが、お金を一切恵む様子はない。
そして乞食の待ち人が沢山集まり、彼らがこそが、とある人物を待っていたのであった….。
別役実がベケットを捻り、それを柄本明が、80年代の東京乾電池風にアレンジしたと感じられる舞台だ。
不条理とナンセンスは紙一重だと。
そしてその感じは、演出ではなく、俳優を通して感じられる。
だだその中に、東京乾電池風の演劇を吹き飛ばす勢いを持って現れたのが、
最後に出てきた待ち人を演じた女優であった。それは明らかに東京乾電池風の芝居を破壊しているのである。
そしてそんな俳優を最後に持ってきたのは、演出力か俳優の力なのかは分からないが、ただただ見事であった。
満足度★★★★
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平田オリザ『東京ノート・インターナショナルバージョン』を観劇。
言わずと知れた90年代小劇場の最高傑作で、今作は国際版。
欧州では戦争が起きていて、各国が美術品を守る為に、日本の美術館で保護してもらっている。だからか沢山の美術品が一同に会しており、あのフェルメールが全て揃うくらいの勢いだ。
そしてたまたまその美術館にいた日本人、中国人、台湾人、韓国人、フィリピン人、ロシア人、アメリカ人たちのロービーでの僅かな時間を描いている。
平田オリザの同時多発の会話劇を、多言語を巧みに操って展開していく。そこでは家族同士の些細な問題から、個人が抱えている悩み、戦争への参加、不倫問題、戦争反対などの会話が各々で繰り広げ、群像劇ながらも、殆ど他者が交じり合う事もなく、静かに進んでいく。勿論、物語には起承転結もなく、彼らの会話を盗み聞きするような感覚だ。
そして彼らが抱えている問題は何も解決する事もなく、終演を迎えるのだが、その瞬間に「一体何だったのか?」という疑問に落ち入るが、「戦争も個人も、人間にとっての悩みに大きな隔たりはない」と気がつく事によって、テーマに辿りつけるのである。
やはり何度観ても、傑作は傑作ある。
平田オリザが今作を作った事によって、過去の演劇史を全く変えてしまったのは事実だが、それ以上に彼を超える新しい劇作家が、未だに登場してこないのは大問題である。
満足度★★★
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二兎社の『私たちは何も知らない』を観劇。
『ザ・空気』シリーズでは、世間が周りに気を使い過ぎ、個人の意見が何も言えない現代の風潮を風刺した作品から一転、明治時代に、正々堂々と、社会に向けて、主義主張をした平塚明(らいてい)達が、青鞜社という婦人雑誌社を立ち上げた話である。
この手の作品にありがちな、個人vs社会の構図にはならず、恋愛、不倫、妊娠、雑誌社の台所事情など、個人事情を多いに踏まえてながら女性たちを描いているからか、非常に登場人物たちの生き方に共鳴する事が出来、そして彼女たちを通して、当時の社会を見る事が出来る様になっている。
そして令和と明治で、『これほどまでに我々は変わってしまったのか?』と改めて認識させてくれる作品でもある。
満足度★★★★
ネタバレ
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スーパー歌舞伎(セカンド)の『新版・オグリ』を観劇。
市川猿翁のスーパー歌舞伎シリーズはほぼ観尽くしたが、
市川猿之助になってからは、今作で三作目。
既に猿翁が今作を作っているので、今作は新版という事で、戯曲を一新したようだ。(共同演出に、木ノ下歌舞伎の杉原邦生が関わっているのは見逃せない)。
このスーパー歌舞伎シリーズは、内容、キャラクター、派手な舞、激しいアクションなど、舞台で出来るあらゆる限りをやり尽くしている。
更に物語とキャラクターも深く掘り下げていて、それを演じる俳優が全員上手いので、もう大満足である。
そして今作は舞台を三次元的に捉え、映像、照明、フライング、マッピングなど最先端の技術は使われているので、楽しいのなんのと言う事なしである。
そしてそんな最新技術の応用ばかりに目が行きがちだが、実は猿翁版と比較してみると、大事なシーンの芝居の箇所にはかなり時間を割いていて、効果音や技術などを一切用いずに、直級勝負で、シェイクスピアでも観ているのではないか?と思わせる程、丁寧に描いている。
流石に猿翁もここまでは拘っていなかっただけに、完成度の高さには圧倒される。
猿翁版を含め、今までのスーパー歌舞伎の中で、今作が最高傑作ではないかと思う。
かなりお勧めだが、残念ながら、明日で千秋楽だ。
満足度★★★★
ネタばれ
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イキウメの『終わりのない』を観劇。
家族と友人と一緒に湖畔にキャンプにきた少年・悠理が湖で溺れる。
そして気がつくと1000年後の世界に居て、そこは宇宙船の中だ。
温暖化によって地球が滅び、富裕層のみ生き長らえて、次なる住まいの惑星を探している。
そしてそれに愕然とし、宇宙空間に逃げ出した悠里は、今度は人類が神によって作られたばかりの惑星にいる。
そして再び現在の地球に戻って来るのだが…。
量子力学、世界温暖化への危機、そして少年が自我に目覚めいく話である。
今までの「奇ッ怪シリーズ」は、日本古来の話で、「昔ばなし」という馴染み易い言葉がキーワードであり、それによってすんなり嘘の世界に入って行く事が出来た。
だが今作は、想像がつかない未来、人類が生まれたばかりの惑星、と想像すら出来ない世界にどの様に誘っていくのかと思いきや、「量子論」という言葉をキーワードに、その論理を解りやすく噛み砕きながら、「これから必ず起こるであろう出来事」とし、その異世界にすんなり入って行けるのである。
何気ない日常の隙間から異世界に誘うのがイキウメの旨さだが、今作は論理を応用して、いつも通りに我々を異世界に連れて行ってくれたのである。
見事である!
満足度★★★★
ネタばれ
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唐組の『ビニールの城』を観劇。
今作は1985年に、唐十郎が「第七病棟」に書き下ろした伝説的な作品。
閉館した浅草常盤座での公演を観たのは、もうかれこれ34年前だ。
記憶は定かではないが、「第七病棟」の公演では、ビニールの城に閉じ込められたモモ(緑魔子)側から濃く描かれていたが、今回では腹話術師・朝顔の煮え切らない女性への男の弱さ前面に出している。
今作は「第七病棟」の為に書かれている戯曲なので、モモは緑魔子が演じるのが前提で、女性からの男性への強烈な愛のアプローチが主で、行動的で、直接的だ。
だが今作では、あの緑魔子はいない。
その代わりを演じた藤井由紀にもの足りなさを感じてしまったのは、彼女の役不足ではなく、演出の狙いで、女性側からではなく、男性側から描いた点だ。
石橋蓮司の演出と比較してはいけないが、やはり当時と同じ様なものを求めるのは、観客としては必然である。
それはあまりにも傑作であったからだ。
それと同じ様な事を感じた「ふたり女」も同様だった。
(やはり唐十郎が第七病棟の為に書き下ろした戯曲で、後日、唐組が公演している)
ただ比較する事は別として、この戯曲を男性側から描く事には成功していて、大半の男性客は、朝顔に感情移入してしまい、出来の良さを保っている。
それに演出が久保井研に変わってから、男女の秘めた愛を、ロマンチックに描き、戯曲の奥深さを追求しているのは、唐十郎の頃とはまた違った、紅テントが観れている事は確かである。
今回は稲荷卓央が久しぶりに戻ってきたからか、この様な展開になっと思われるが、「第七病棟」への書き下ろし戯曲はまだまだあるので、緑魔子バージョンならず、藤井由紀バージョンを観たいと思うと、紅テントファンは思っているのである。
満足度★★★★
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庭劇団ペニノの『笑顔の砦』を観劇。
漁師の剛史は53歳ながら、仲間を従えて、笑いの絶えない楽しい日々を送っている。
そしてある日、隣に母親が認知症の男性が越してくる。互いに挨拶はするが、特に付き合いがあるわけではないが、隣の部屋の物音が聞こえてきて、何気なく、気になってしまう。
そしてある日、隣の家の認知症の母親を見かけた瞬間、剛史の中で何かが変わっていくのである……。
今作の見所は、セットが真っ二つに別れていて、左が剛史の部屋、右が認知症の母がいる男の部屋で、観客は同時に芝居を観ることが出来る。
だが登場人物たちは隣同士で、壁があり、互いの生活が見えず、隣から聞こえる物音でしか相手を理解する事が出来ない。観客は、常に両方が見えているからか、登場人物たちが知り得ない情報を知る事が出来、両家族の視点から見る事が出来るようになっている。普通なら、登場人物の見たもの、感じたものに追随していく形で、観客は感情移入していくが、今作は登場人物よりも沢山の情報を我々が得ているからか、観客の感情が先に揺れ動いてしまい、登場人物と観客の感じる箇所と時間に微妙にズレが生じていき、何とも言い難い、体験をしてしまうのである。
この劇団を毎回観る度に、とても奇妙な感覚に陥ってしまうが、生の舞台の無限の広がりを感じずにはいられないのである。
満足度★★★★
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阿佐ヶ谷スパイダーズの『桜姫〜燃焦旋律隊殺於焼跡〜』を観劇。
以前に長塚圭史がコクーン歌舞伎に書き下ろしているが、今作はそれとは全く別物で、舞台は戦後の日本。
原作は鶴屋南北の歌舞伎『桜姫東文章』
同性愛者の岩井清玄は、愛する白菊と心中を試みるが、清玄は生き残り、白菊を失ってしまう。残ったのは白菊との思い出の光る玉のみである。
そして年老いた清玄は、戦争で身寄りのない子供達の為に、財産を寄付をしたりして、社会的地位を築いている。
そして孤児院の女性が清玄の前に現れる。その女性も光る玉を持っていて、清玄は白菊が蘇ったと感じてしまう。だがその女性は、家紋の入墨が、互いの同じ場所に入っている権助に運命を感じ、関係を持ってしまう。
そして清玄の家の前に赤ん坊が置かれ、それが清玄と女性との関係に疑われ、破滅に向かって行くのである。
鶴屋南北が原作だからか、荒唐無稽な話である。
上記の簡単な粗筋から、更に話が捻れ、各々の登場人物の悲惨な人生を描いている。
光る玉、家紋の入墨がどのように彼らの人生に絡んでくるかとワクワクさせながら、これこそが因果応報の物語だと思いきや、展開には一切関係させないのが長塚圭史の演劇である。当然それは意図であり、生きている上で、因果応報はなく、欲望の果ての結果に過ぎないと言っている。
観劇後の喜びはないが、観劇中に策略に嵌められて、喜びを与えてくれるのは、阿佐ヶ谷スパイダーズだけだろう。