実演鑑賞
満足度★★★
ネタバレ
ネタバレBOX
玉田企画の『영(ヨン)』を観劇。
この劇団を見始めてやや10年くらいだろうか?小さいな劇場からスタートして、やや遅いきらいはあるもののやっと池袋シアターイーストに登場だ。
あらすじ
脚本家のマリカは韓国ドラマが好きでしょうがなく、それ故か彼女が描くドラマは常にバイオレンスに展開してしまう。一発奮起して恋愛ドラマを書いてみるがどうやらそれも怪しい感じだ。
そこに彼女にしか見えない韓国人の殺し屋の少女が現れてくるのだが…。
感想
他者との関係で互いに触れたくないものをやや強調しつつ、場を可笑しな空気にしていく上手さは抜群で常に観たくなる劇団だ。
物語らしい展開はなく、話の辻褄があっていようがなかろうがその場の空気が物語を凌駕してしまう瞬間は最高で、そこに喜びを感じる事が玉田企画の魅力である。
だが今作では空気より物語を優先してしまった為か、話の辻褄が合わないのは何故?という疑問が湧き出てしまったようだ。それを空気という武器で回収してくれれば良いのだが、叶わずという感じだ。今までは狭い世界での出来事だったので功を奏したが、世界を拡げるとこのような結果になるのかと思ってしまったが果たしてどうなのだろう?
ただ要所要所で玉田節で爆笑し、長井短の100連発セリフ攻撃は最高だし、常連俳優は楽しい。大好きな李そじんも出ている。伊藤修子という俳優を発見したのも見逃せない。
実演鑑賞
満足度★★★
ネタバレ
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やみ・あがりシアターの『Show me Shoot me』を観劇。
三鷹市芸術文化センターの期待の若手劇団の公演である。
常に漫才の掛け合いしながら生きている花形夫婦。
互いの呼び方は相方である。全く面白くないながらも彼らは満足しているようだ。
だがある日、隣りに越してきた大阪人の夫婦の何気ない会話の掛け合いに愕然としてしまうのであった…。
社宅での物語だ。
近所同士のお付き合いや会社の同僚などとの出来事を、大した物語もなくサラリと描いている。
演劇特有のテーマらしきものすらなく「こんなので2時間の上演時間は持つのか?」と思いきや、捉えどころないままあっという間に終わってしまった。退屈することすらなく、不思議な時間が過ぎていったようだ。
80年代小劇場では考えられない作風だが、その時代を沢山観ていたからこそ、こんな作りが新しく感じられた劇団である。
実演鑑賞
満足度★★★★
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マームとジプシーの『cocoon』を観劇。
今回は再再演。
戦争が始まっても沖縄の少女たちはのんびりだ。
「明日は何をしよう?」「どこでブラウスを買うか?」と毎日が夢一杯だ。そんな彼女らも野戦病院に駆り出されるが、そこで見るのは地獄絵図だ。危険が迫りガマへ移動するも、そこすらも時間の問題だ。
戦況が悪化の為「各々で逃げて生き延びなさい」と通達が出るが、外は米兵だらけだ。彼女のたちの運命は一体どうなるのだろうか?
初演と比較にならないほど今作から彼女たちが受ける惨さが身に沁みるてくる。兵士に犯される者、自害する者、生きることを諦めてしまう者。
前半にたっぷりと描かれる少女たちの無垢さにはややうんざりしてしまうが、後半に地獄を体験していく彼女たち。そこから楽しい思い出が何度も交互しながら天国と地獄を描いている。
必要なまでに反復を用いるのはマームとジプシーの技だが、反復方法がこれを程までに記憶に残る表現方法だったとは、明らかに映像より上を行っている。
勿論、反戦を込めて…。
実演鑑賞
満足度★★★★
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iakuの『あつい胸さわぎ』を観劇。
夫と離婚後、娘をひとりで育てた母・昭子は、娘・千夏の芸術大学の入学に喜んではいるが、「学費が高い!」「将来は大丈夫なのか?」と嘆いている。
幼馴染の光輝も同じ大学へ進み千夏の恋心が芽生え始め、昭子も会社の上司に関心へ持ってしまい、貧しいながらも親子は幸せな日々を過ごしている。
そんな最中、千夏の大学での健康診断が再検査になってしまい、親子の人生を揺るがす出来事が起こってしまったのである…。
胸をモチーフにした内容で、日常の中に突然に迫ってきた死をどのように選択していくか親子の葛藤が描かれている。
少女の頃、胸の膨らみを好きな男子にからかわれた瞬間、初めてのブラジャー、恋心を抱いた時の胸さわぎ、希望の道に進める胸いっぱいの気持ち、19歳での乳癌と胸のエピソードからこんな物語を作れ、作・演出が男性とは驚きでもあるが、年齢、男女問わず、微妙な感情を描くことを得意とするiakuは今作でも完成度は高く、戯曲と演出力は本物である。毎作ごと、飽きることなく、観客の満足度は常に高い。
先日観劇した野田秀樹も良いが、こちらも同等に素晴らしい!
お勧めである。
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタバレ
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野田マップの『Q : A Night At The Kabuki』を観劇。
ロミオとジュリエットを下敷きに、音楽はクィーンを使用し、英国尽くしの内容になっている。
再演。
12世紀の源平合戦の平の瑯壬生(ろうみお)と源の愁里愛(じゅりえ)の愛の物語で、もし彼らが若くして死なずに生き延びていたなら?という過程で展開していく。
第一幕はろうみおとじゅりえの出会いと死までが描かれているが、隣で30年後のろうみおとじゅりえが「何処で我々は間違いを犯してしまったのか?」と記憶をだどりながら若い時分の自分たちを見ている。
第二幕は生き延びて苦労しているろうみおとじゅりえを30年前の若いふたりがそれを見守っている。
時間と場所、過去や未来が瞬時に逆転したり、若いろうみおとじゅりえと30年後のろうみおとじゅりえが出会ってしまったりと大胆な発想と展開、見立て、言葉遊び、クィーン、歴史観ともう野田秀樹満載で十分面白い!と思ってしまいがちだが、ここ数十年の野田秀樹にはそんなに生やさしい演劇観はない。ここで描かれるのは戦争と政治だ。
独裁者がどのようにして民衆を足蹴にするのか?
戦争を戦っている名もなき兵士たちは?
それに苦しむ市民たちは?
まるでロシアとウクライナの戦争が始まったのでそれを機に再演をしたわけではないが、あまりにもタイムリーな内容だ。
シェイクスピアのロミオとジュリエットは究極の愛の物語として語られ、そこを軸に様々な演劇人が再構築しているが、ふたりの仲は何故引きさかれたのか?の箇所を見逃してはならない。その答えこそがロミオとジュリエットの本来のテーマであり、今作の見どころだ。
そこに行き着かなければならなかった劇作家・野田秀樹の苦悩とじゅりえ(松たか子)の涙が交差する。
大傑作である。
実演鑑賞
満足度★★★
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範宙遊泳の『ディグ・ディグ・フレイミング〜私はロボットではありません〜』を観劇。
10年以上前に期待の若手劇団として注目を浴び、映像、舞台セット、照明を多用して現代社会に警告を鳴らしていたが、演劇的な面白さが欠けていたのだろうか?それほど人気には至らなかった。
だが昨年に岸田戯曲賞を受賞して、これから一気に飛躍する劇団と思われる。
人気のユーチューバー集団は如何に視聴者数を上げるか?を苦心する中、誹謗中傷、炎上などに敏感になりながらも、あの手この手で電脳の世界を徘徊している。
そんな最中、記憶にない事件の被害者の家族が乗り込んできて、ユーチューバー集団が窮地に追い込まれしまう….。
電脳の世界なしには生きていけない我々は、ネットの書き込みの誹謗中傷で病気になったり、死まで選んでしまう中毒者は多数だ。
誰もが簡単に電脳の世界で泳ぐ事が出来、それに伴う危険と楽しさは紙一重だが、自分の意志とは無関係に広がってしまう恐怖に警告を鳴らし、どのようにして生き抜いていくか?と言うメッセージが語られている。
言葉にしてしまうと立派なが、それに相反する熱苦しい俳優陣の演技と馬鹿馬鹿しい小道具使いと笑いがテーマの深刻さを助長する。そこに好き嫌いが分かれそうだが、深刻な社会問題を問うているのは間違いない。
李そじんと村岡希美の共演はファンには堪らない。
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタバレ
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つかこうへいの『飛龍伝2022』を観劇。
このシリーズは富田靖子、黒木メイサ、桐谷美玲バージョンを観ているが、今作は北区AKTステージの井上怜愛が神林美智子役だ。
誰が演じようと筧利夫と富田靖子を超えないと観客は納得しないが、それを覚悟で紀伊國屋ホールで演出を担当する元アイドルの錦織一清には敬意を表する。
始まりから『初級革命講座』を色濃く出してくる展開はつかこうへい版との違いを明確に打ち出してきていて、学生vs機動隊の戦いはミュージカル仕立てで攻めくる辺りは後の展開に期待してしまう。
前半の神林美智子、機動隊隊長・山崎一平、全共闘リーダー桂木順一郎の三角関係の恋愛模様がただの流れにしかなっておらず一気にトーンダウンしてしまうが、神林美智子が機動隊の情報を盗み出す為に山崎一平の妻になる下りから愛の育みを焦点に持っていき、一気に絶望まで持っていく流れはお見事であった。一瞬ではあったが、つかこうへいを凌駕したのではないか?とも思えてしまった。
筧利夫、神尾佑とまではいかなくとも、肉体美と機関銃連射攻撃の早口セリフ回しを難なくこなしている一色洋平には大満足だ。
勿論、時事ネタは満載で、沖縄問題、ロシア戦争、日大問題、VAN
ネタはファンを喜ばしてくれるが、太陽にほえろネタは無意味であった。誰も気が付かないと思うが、日大農獣医学部ネタは最高であった。
実在した樺美智子の死は学生運動中の転倒が原因の圧死となっているが、実は機動隊に意図的に殺されたのである。
国家は何故、彼女を殺したのか?
彼女がジャンヌダルクになるのを恐れたからか?
もっと他にも強力な学生運動のリーダーがいたのに、なぜ彼女を殺したのか?
それは彼女は共産主義者で、学生たちに共産主義が蔓延するのを国家は恐れたからである。
だから樺美智子殺されたのである…。
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタバレ
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昨年の『病室』に続いての観劇で、全編茨城弁である。
老夫婦が暮らす一軒家では娘が父親とたわいもない会話をしている。
母親が入院しているので認知症気味の父親の面倒を娘(由紀)がみている。母親が退院するも今まで通りの生活を送るのは困難なようで、既婚者の兄と相談するも、公共のサービスを使うか?施設に入れるか?と両親の問題には関心がないようだ。
娘(由紀)への負担が一気に増えるなか、親の面倒も限界にきてしまっているなか、由紀はどうなっていくのだろうか?
これほど恐ろしい身近な題材を何気ない風景として描いた劇作家は過去にいただろうか?
向田邦子を感じさせる市井の何気ない話と思わせるも、そこには主人に刻々と迫ってくる逃げられない不安と恐怖と絶望が描かれている。
誰も抱える高齢の両親の問題は避けては通れないが、自分自身で面倒をみるか?高額料金を払って施設に預けるか?姥捨山に捨てるか?はたまた両親と心中するか?とたったこれしか選択肢がないのは既成事実だ。
現在、自分も同じ環境に置かれているが、今作をまるで他人ごとの不幸な出来事して観劇している自分に呆れてしまうが、それほどまでに完成度が高いということだ。
地味ながら傑作が生まれたようである。
今作で二作目の観劇だが、この劇団から当分逃れられないようだ…。
実演鑑賞
満足度★★★
ネタばれ
ネタバレBOX
劇団あはひ『流れる〜能 “隅田川より”』を観劇。
隅田川のほとりで渡し船の出発を待っている松尾芭蕉と弟子がいる。
側には乗船チケットを買い損ねた女性もいて、船頭の息子アトム(ロボットの様な少年)が母親を探し回って辺りをウロウロしている。
どうやら隅田川ではこの時期に子供が二回も亡くなっているようだ。
さて船は何時出発するのだろう?
能の隅田川を下敷きに、鉄腕アトムと松尾芭蕉という奇妙な顔合わせで物語が進んでいく。女性は隅田川の役どころの狂女であり、隅田川で亡くなった子供を船頭がロボットとして生き返らせ、アトムは女性が失った子供の生写しの様だ。
様々な人物と能の融合?という点は興味深いが、隅田川という物語を知っていれば展開を掘り下げられたのだが、全く知らないのだ。
能と鉄腕アトムと松尾芭蕉の知識がないと単なる会話の風景を見ているにしか過ぎないと思う観客は沢山いただろう。着眼点は面白いのだが物語でしか叶わない人物の融合が「ただ出会っただけ?」になっている。
その出会いで何かを読み解くのが観客の役目?とも言っている様だが、それは劇作家の役目でしょう。
比較するのはナンセンスだが、源氏物語の六条御息所を下敷きにした野田秀樹「ダイバー」第七病棟「ふたりの女」の衝撃を思い出してしまうのは今作の不満の現れだ...。
実演鑑賞
満足度★★★
ネタばれ
ネタバレBOX
小田尚稔の『是でいいのだ』を観劇。
昨年の岸田戯曲賞候補の劇団。
就職活動中のある女は新宿で震災に遭い帰宅難民になってしまう。
彼女の両親は震源地のそばに住んでいて、連絡が全く着かないようだ。
自宅は遥か遠い国分寺だが、徒歩で帰宅する決意をする。
他にも都内で離婚協議中の夫婦、引きこもりの少年、仕事に疑問を持っているOLなど、震災時のその瞬間と数年後の話しを描いている。
今作の興味深いところは、ある女が震災の瞬間から国分寺の家に着くまでの時間を描いているのに対して、他の人たちは震災時から数年後までを描いている。
ある女の時間と他の人たちの時間を対比として描き分けているのが狙いで、観劇中に「それは何故?」と思い続けなければ意図は掴み取れない。それは震災の被害をまともに受けた家族、親族、友人などは、あの瞬間から時間が未だに進んでいないという表れで、他の人たちは過ぎ去った時間として描いている点だ。
人によって時間の進み具合はそれぞれだが、不幸が訪れてきた人は時間の感覚までが変わってしまうという事を教えてくれる。
この時期に合わせての公演だが、新たなる表現方法で震災を思い起こされる戯曲は抜群だが、演劇を観に来ているのに朗読劇のような見せ方では、観客にテーマの深さを呼び起こさせるにはやや難しいような気がする。ちょっと残念であった。
実演鑑賞
満足度★★★
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東葛スポーツの『保健所番号13221』を観劇。
初見の劇団で、昨年の岸田戯曲賞候補劇団。
次回公演の戯曲は未だに書けず、悶々としてい劇作家が突然コロナにかかってしまう。
さて、どうするのか?
俳優がマイクを持ちながら、全体の2/3をラップをしながら演じている。大きい音と共にラップで語られるからか、社会の鬱憤や不満が感情を刺激する。
あのチェルフィッチュか?バナナ学園純情乙女組か?と勘違いしてしまうぐらい鮮度は新鮮だ。
ラップを武器として演劇を作っているので、俳優が話す言葉の重さはテーマと深く重なってはくるが、ラップ特有の一方的に主張を吐き出す手法は観客が妄想する瞬間すら奪ってしまう。
「観客はなぜ演劇を観に行くのか?」
「それは妄想をする喜びを得るためである!」
寺山修司、チェルフィッチュ、バナナ学園純情乙女組が登場した瞬間の「これは演劇なのか?」という衝撃度を感じたのは間違いない。
ただ今作は決して誰にも薦めない演劇である......。
実演鑑賞
満足度★★★★
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コクーン歌舞伎・最終公演「天日坊』を観劇。
シアターコクーンが長期休暇に入るので、コクーン歌舞伎はこれで見納めであろう。
孤児の法策(中村勘九郎)は女性にだらしない観音院のもとで坊主の修行見習いをしている。ある寒い晩、世話になっているお産婆に酒の差し入れを持って行くと、ある事実を聞かされる。それは彼女の孫が源頼朝の落胤で、お墨付きを持っているという。法策は迷いながらも産婆を殺め、お墨付きを手に入れ、自分が源頼朝の落胤になろうと決意する。
逃げる法策、途中の河原で小作の男と服を取り替えるがその男も殺めてしまい、自分は殺されたという事にしてしまう。
道中、鎌倉幕府討幕を狙う地雷太郎(中村獅童)と一悶着あり、彼の連判状とお墨付きが入れ変わってしまう波乱はあるが、法策の腕についているアザが木曽義仲の嫡子であることが分かり、法策、地雷太郎、盗賊・人丸お六(中村七之助)の三人は意気投合し、鎌倉幕府倒幕を誓うのであった。
法策は天日坊を名を変え、地雷太郎と人丸お六の三人で源頼朝に接見し「天日坊は源頼朝の落胤である」と名乗り出るが、厳しい追及のもと天日坊が動揺してしまい、嘘が見破られ大立ち回り最中、天日坊だけが生き残るのであったのだ…。
簡単に粗筋を述べてはいるが、法策の奇怪な波乱万丈の人生物語と言っても良いだろう。ちょっとした偶然が法策の人生を変えてしまうが、彼が決して望んでいたのではなく、そのただ波に乗ってしまったようだ。
だがその法策もお産婆を殺めた瞬間、お墨付きを得た瞬間、自分の存在を消した瞬間、幕府倒幕に加担した瞬間、そして源頼朝に接見した瞬間など、常に苦虫を噛んだような表情をしていて「自分がこれを本当に望んでいたのか?」という疑問を常に唱えている。
一幕の終わりに法策が「俺は誰だあっ!」叫ぶ場面があり、今作は最後のコクーン歌舞伎のフィナーレに相応しい己の探究の物語なんだなぁと思わせるが、これは演出家・串田和美の罠で、法策の煮え切らない後味の悪さを観客は終始感じ続けるのである。
こんな毎場面、毎場面、主人公の後味の悪さが続く芝居はかつてあっただろうか?
しかしこの串田和美の罠がとある瞬間に破られるのである。
果たしてそれは何時なのであろうか?
観劇した者のみ答えを知るであろう。
その答えを知った観客は劇場を出た瞬間に問いたくなるのである。
「串田和美、貴方こそ何者なのだと?」
傑作である。
実演鑑賞
満足度★★★
ネタバレ
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ニットキャップシアターの『チェーホフも鳥の名前』を観劇。
初見の劇団で、2020年の岸田戯曲賞ノミネート作品。
舞台はサハリン(樺太)。
1890年から1980年までのサハリンで生きつづけた市井の人々の話。
日本、ロシア、韓国の人々が、近代以前はどこにも属していなかったサハリンで、国家間の争いに翻弄されながら生き永らえる。
ただ描かれる人達から悲壮感は感じられず、時代に身を任せながら、波に溺れる事もなく、多民族国家を行き来しながら時が進んでいく。
歴史的背景は決して明るくなく、生き続ける事には厳しいものがあったにも関わらず、作家の登場人物たちへの眼差しは優しい。
国家同士の分断が現代社会の最大の問題ではあるが、このサハリンでの多民族間の生き方こそが今の世界に必要ではないか?と劇作家とチェーホフは叫んでいる。
そして誰も取り上げた事のないサハリンという島と人々の歴史を取り上げた事が目玉だろう。
今作を演劇作品としてはお薦めはしないが、劇作家の静かな声を我々は聴かなければいけないだろう。
実演鑑賞
満足度★★★
ネタバレ
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モダンスイマーズの『だからビリーは東京で』を観劇。
追い詰められた状況を苦しみながら打破していく人たちを描いている劇団で、多額の現金を偶然に手にしてしまった若者たち(夜光ホテル)、血脈の呪縛から逃れらない家族(まほろば)、世話になったボスから離れられない青年(凡骨タウン)、学校のクラス内での格差(昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ)
誰にでも起こりうる出来事を、狭い環境設定で追い詰めていくのが作・演出の蓬莱竜太の世界観だ。
今作では全く人気がなく将来の見込みのない劇団が、コロナという追い討ちにどのように立ち向かって行くか?の今が描かれている。
過去の傑作群は創作された世界観として、すんなりと内容に没入する事が出来、登場人物に共感することが出来たが、今作は世界で起きている光の見えない遠い出口とモダンスイマーズが演劇活動を継続していく困難さを重ね合わせている。
常に新作を追っかけていたファンとしては今作に居心地の悪さは否めないが、作家も観客も結に何も見出せないでいるからだろう。
今まのモダンスイーマズとは明かに違い、過去作を見続けているものとしては完成度には不満だが、世界の危機的状況の今を直ぐ様描ける演劇の強みと作家の突破しようとする試みには敬服する。
モダンスイマーズの今を知るにはもってこいの作品である。
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタバレ
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城山羊の会の『ワクチンの夜』を観劇
いやらしい演劇である。
男根をムズムズさせる事に全力に取り組んでいるのがこの劇団の持ち味であるが、その微妙さのさじ加減が薄れてきていたので最近は観ていなかったが、今作は初期の頃を彷彿させる面白さである。
ワクチンとタイトルは謳っているが、コロナ問題を取り上げているのではなくワクチン接種後の副反応という厄介な身体的な問題と男根が見事なまでの作劇によって作り上げられている。
戯曲の完成度の高さ、演出力、俳優の絶妙な演技と間合い、台詞の強弱など全てが細かくコントロールされているのは良く分かる。だがいやらしいので、身体がそんな事に感心している場合ではないと合図さえ送ってくる。
母役の岩本えりは「ポツドール」「ブス会」と女性の性を露にした芝居の上手さは群を抜いているが、常連女優の石橋けいとはまた別の女性を演じて、戯曲からでは決して読み取れないキャラクター作りの上手さはここ最近の俳優ではベストではないかと思う。
今作は妄想という台詞が何度か発されるが、観客の妄想度のよりけりにより興奮の度合いが大きく変わってくるのは間違いない。
一度は観ることを薦める劇団である。
何度も言うが「いやらしい演劇」である。
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタバレ
ネタバレBOX
『彼女を笑う人がいても』を観劇。
作・瀬戸山美咲 演出・栗山民也
新聞記者・伊知哉は東日本大震災を長期に渡り取材していたが、東京オリンピックの開催を目前に配置転換されてしまう。そんな時に祖父・吾郎が新聞記者だった時の取材ノートを見つけ読み進めていくが、60年代安保闘争の時期だけ何も書かれていなかった。
何故 、空白だったのか?
調べていくうちに当時と今を結ぶマスコミの社会への在り方が見えてくるのであった…。
樺美智子を知っているだろうか?
日米安保条約改定反対運動の際に死んだ女性戦士と言われている。
死因は運動の最中に勢いの余る学生たちに踏み潰され圧迫死と公表されているが、解剖医の検査結果は警官の棍棒の投打になる内臓破裂という証言が出ている。隣にいた学生の目撃証言も得ているが、その学生は存在すらしていなかった。
樺美智子を題材にした演劇は観た限りではつかこうへいの『飛龍伝』だけだが、内容は神林美智子と名を変え、学生運動リーダーと機動隊隊長との三角関係を描きつつも、運動に参戦している現場側から闘争を見据えていたが、今作は新聞記者側から見た闘争の検証に迫っている。
当時も今もそうだが、マスコミの報道の仕方次第でいくらでも世論は動いてしまう。
樺美智子の虚偽の死因を報道したのもマスコミ、学生運動の終止符を打つために七社共同宣言を発表したのもマスコミ、東日本大地震の復興を他所に東京オリンピック開催の話題を提供しつづけたのもマスコミだ。彼等は言葉の弱さを嘆きつつも、暴力無しでは革命は成立しないという結論すら出している。
ただ震災で生き延びた女性が「人は常に正しい行いをしなければならない!」と叫ぶ姿が、樺美智子の生写しに見えてくるクライマックスは救いを導いてくれる。
そして蜷川幸雄やつかこうへいが革命を寓話的に描き、熱くなった観客はそこに向かいたくなるが、決してそれを期待してはいけない。間違いなく言えるのは結は全く一生だったと言う事だ。
当時のヒーローだった樺美智子があれから全く無視されているのは、彼女が共産党員だったからなのだろうか?疑問である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
ネタバレ
観劇予定の方は絶対に読まないように。
ネタバレBOX
野田秀樹の『THE BEE』を観劇。
アングラ演劇から始まって現在までの演劇シーンで鑑みると、今作こそが演劇史上の『最高傑作』である。
生で観れる俳優の表情、一瞬で変わる美術、見立ての旨さ、演劇の面白さが存分に感じられる。
解説
初演の日本バージョン、ロンドンバージョン。
再演の日本バージョン、ロンドンバージョン。
今作の再再演日本バージョンを入れると5回目の観劇となる。
日本バージョンとロンドンバージョンでは演出、俳優、言語も異なっている。
初演、再演の日本バージョンの主役の井戸役は野田秀樹、今作は阿部サダヲ。
初演の脱獄犯の妻役・秋山奈津子、再演は宮沢りえ、今作は長澤まさみ。
あらすじ
善良なサラリーマンの井戸が帰宅してみると脱獄犯が井戸の妻と息子を人質に取っている。
井戸は脱獄犯の自宅に向かい脱獄犯の妻と息子を人質に取り、お互いの家族を暴力で報復しあい終わりのない暴力連鎖が始まるのであった…。
感想
観劇予定の方は決して読んではいけない。
初演はアメリカ同時多発テロの影響で出来上がった作品だからか、暴力連鎖の悲劇を明確に打ち出してきていた。互いの妻を強姦し、子供の指を全部切り落とし、更に妻の指までも切り落としてしまう程だ。
再演では初演を踏襲しつつも、相手側の妻が加害者に従順していく心理も描かれている。
再再演の今作では前作を踏襲しているが、世界情勢がまるで変わったしまったからだろうか?演出をかなり変えてきている。
善良な人間であった被害者が加害者に豹変していく瞬間を目撃してしまう恐怖。
被害者が全ての力を手に入れ、独裁者になってしまう瞬間を目の当たりにしてしまう恐怖。
野田秀樹が演じた井戸はやられたらやり返すまでの暴力連鎖だったが、阿部サダヲが演じた井戸はそれを遥かに超えてしまっている。野田秀樹では成し得なかった役柄を阿部サダヲが体現してしまったのだ。
今作では鉛筆が折れる音が子供の指を切り落とす見立ての残酷なシーンは前作ほど怖くない。
朝起きて、皆でご飯を食べ、子供の指を切り落とし、妻を犯し、一緒に寝る。こんな残酷な場面を何度なく折り返し、オペラ・蝶々夫人のハミングコーラスが流れていても前作ほど悲しくない。
これこそが暴力が日常化してしまい、何も感じなくなってしまった証拠だ。初演、再演を観ている観客もこの暴力に麻痺しまっているのだ。
それに気がついた観客は更なる恐怖を感じ取るであろう。
初めて観た観客は初演と同じような恐怖を感じるだろう。
タイトルがなぜ『THE BEE』なのか?という疑問も最後の最後にやっと分かるのである。
鳴呼!! もうこれ以上の作品は永遠には現れないだろう?というほどの大傑作である。
実演鑑賞
満足度★★★
ネタバレ
ネタバレBOX
あやめ十八番 『音楽劇・百夜車』を観劇。
初見の劇団である。
百夜通い伝説を知っているだろうか?
絶世の美女といわれた小野小町に惚れた深草小将が求愛するが拒絶される。それでも懲りない深草小将に「百夜訪ねて来てくれたならお心に従いましょう」と言い放った小町を深草小将は毎夜訪ねるが、百日目の夜に大雪に見舞われ、寒さと疲労で凍死してしまったという伝説。
それをモチーフに、交際男性5人を殺害した清水謡子容疑者に雑誌記者・実方が100日間の裁判を傍聴したら獄中結婚するというお話。
平安時代の伝説を現代に甦らせ、容疑者と雑誌記者の愛の行方を描いていくのだろう?と期待をしたがそうではなく、事件の全容とそれに関わる人々の100日間を並行して描きながら、音楽劇で清水容疑者を深く掘り下げていく手法だ。
百夜通い伝説をモチーフにするアイディアに即座に飛びつき、それが鑑賞のきっかけになったが、事前の勝手な物語への思い込みが作品をつまらないものにさせてしまったようだ。
作品の完成度は高いようだが、僅かな前情報だけで物語を想像してはいけないのである。それは演劇にしか存在しない余白を無にしてしまう行為だ。
作品の出来云々より、明らかに演劇鑑賞者失格の私であった。
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタバレ
ネタバレBOX
iakuの『フタマツヅキ』を観劇。
噺家くずれのダメ親父の下で過ごした息子は、将来の夢もなく仕方なく介護の仕事に就くつもりだ。そんなダメ親父に噺家としてのチャンスが再び巡り、自信がないながらも妻の応援もあって挑戦してみるが失敗する。
夫をずっと応援してきた妻、やりたい事の為に子供を顧みないダメ親父、そのダメ親父の背中を見続けてきた息子。
ダメ親父の敗北によって、家族同士が真摯に向き合う瞬間がやってくるのであった…。
『好きな仕事につけた幸福は人生の幸福の8割を占めている』と著名な方が言っていたが、どうやらそれが怪しい名言だと感じてしまったのが観劇後の印象だ。
今作は『夢を持って生きろ!』『やりたい事をやるのが人生だ!』というのがテーマではなく、背景に過ぎない。
若い頃から妻に応援され続け、それに応える為にもがき、逃げることすら出来なくなってしまったダメ親父、常に夫優先の妻、子供の頃から構ってもらえず両親をなじる息子。
大人になろうが、子供を持とうが、人間は常に何かしらの弱さを抱えてはいるが、その負の部分は決して抱えきれないが、時として対話によって簡単に解決してしまうのかもしれない。特に家族間ではそのような事は顕著に表れてくる。
前作でも対話不足によって起こった悲劇を描いていたが、今作も同じようなテーマが潜んでいる。
前作は会話によって悲劇は解決したが、今作では話しが得意な噺家のダメ親父が家族の再生に用いた道具は言わずとも分かりそうだが、そのクライマックスの上手さには演劇的魅力が存分に溢れていて、涙せずにはいられない。
iakuは今作で6本目だが、代表作がここに誕生したようだ。
傑作である。
実演鑑賞
満足度★★★★
ネタバレ
ネタバレBOX
扉座の『二代目はクリスチャン』を観劇。
故・つかこうへいの生の芝居を体感したいなら『扉座』と言われているが、ここ数年でつか作品を連発している。
つかこうへい自身はこの戯曲を一度しか公演していないようだ。
元シスター今日子は刑務所から出所してみると亡夫の神流組はほぼ壊滅状態だという。組員たちも組を解散するつもりだが、今日子は組の立て直しを決意するのであった…。
概ねのあらすじだが、横内謙介は原作を借りただけでほぼ新作を作ってきたようだ。
暴対法によりヤクザたちのシノギが無くなり、原発危険作業員、老人介護など人がやりたがらない職業で金を稼いでいる。ヤクザと戦う事が警察の生き様だと言い切る警察側はヤクザの覇気のなさに憤りを感じ、ヤクザ復活にあの木村伝兵衛が登場する。この辺りは学生運動が鎮火し、活躍の場を失ってしまった機動隊員の哀愁を描いた『初級革命講座』にそっくりだ。
つかこうへいの描く弱者の目線は在日韓国人、オリンピック補欠選手と様々だが、今作の弱者は落ちぶれたヤクザだ。その弱者を通して国家への批判を声を大にしているのは勿論の事だ。
今作をただの再演にしているのではなく、つかこうへいのエッセンスを上手く取り入れ、時事ネタ、木村伝兵衛、熊田留吉の息子までが登場してしまうとはつかファンにはたまらない。それに今日子役は『飛龍伝』のヒロインの石田ひかりだ。更に木村伝兵衛の最期まで描いてしまうとは…。
つかこうへいを堪能した事があるファンには堪らない作品になっている。
そんな方のみにお勧めしたい作品である。