酒井一途の観てきた!クチコミ一覧

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暴くな

暴くな

INUTOKUSHI

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ(東京都)

2010/05/15 (土) ~ 2010/05/23 (日)公演終了

学生劇団の特権を存分に
前回のBOOKENDから観てる。今回は「相撲」がテーマということで、どこまで本当なのかなあ?と期待していったら、ガチで相撲だった。しかもむちゃくちゃ面白かった。話の筋が前回よりはしっかりしていたけれど、ある種のハチャメチャさは健在。ここまでど派手にふざけられて、ストレートなギャグで笑わせられる劇団ってのは本当貴重な存在だと思う。

劇場入ったときからこれは舞台広がるのかしらとは思ってたけど、あそこまでとは。序盤で与える驚きは、ぐっと観客を劇世界に引き込むことができる。舞台美術もすごい。学生劇団だからこその作り込み方が非常に作用していて、こういった学生劇団がもっと増えれば、また小劇場界に新たな旋風を起こせるような気がする。

制作面で思ったのは、劇場をこれだけ長く借りられるのはこれもまた学生劇団の特権だな、と。週末を二回公演に挟めることで、クチコミがとても有効に働いてくる。僕が行ったのはちょうど公演中盤だったけど、客席は見事に満員だった。稽古時間が多く取れる分、2ヴァージョンにしても完成度が変わることなく高い。1000名動員したというのも頷ける話だ。

棄憶~kioku~

棄憶~kioku~

G-up

青山円形劇場(東京都)

2010/03/05 (金) ~ 2010/03/11 (木)公演終了

緻密な
照明変化は転換時のみ。曲の使用はラストのみ。男七人役者で見せる硬派なストレートプレイ。史上の事件を絡ませて作る物語が興味深い。観る人は選ぶが、確かに観客の心にズシリと重い碇を残していく一時間半。

青山円形はでかい、というのは確かにあるかもしれない。演劇の良さとして、「逃げられない」というのがある。目の前で生身の人間が汗や唾を飛ばしながら演じている。観客席は所狭しと敷き詰められている。途中で逃げさせる隙間を持たない。映画ならまだ席を立ちやすい。しかし演劇は違う。どれだけ作品で恐怖や悪夢を観たとしても、劇場というのは実に逃げにくい機構をしているである。

この作品には、「逃げたい」と思わせる力がある。目を閉じ、耳を塞ぎたくなる。ただしそうさせてはいけない。真実は突き付けなくては、生温い日常に遊ぶ観客たちに直視させなくては。そういう意味で、もっと小空間だったら、集中力もより高まり、さらに観客の心を凍り付かせられただろうと思う。

スイングバイ

スイングバイ

ままごと

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/03/15 (月) ~ 2010/03/28 (日)公演終了

随所へのこだわり
すでに多くの方が仰っているが、作品が始まる前から随所へのこだわりが感じられる。そういった観客の期待感を膨らませていく演出は小劇場という規模だからこそできる面白さだと思う。

ワークショップっぽくキャストと共に芝居を作っていくらしく、様々なアイデアや演劇的要素が散りばめられている。お芝居は斬新で面白かったし、多くのインスピレーションをもらったけれど、何か今一つ物語に親切さが欠けるような。物語である以上、ほんの細かいことにも意味を持たせてほしい気はする。まあ一応、それ以上をもらい、受け取ったから満足ではある。

夜にだけ咲く花

夜にだけ咲く花

楼蘭

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2011/02/03 (木) ~ 2011/02/06 (日)公演終了

観劇。
ピアニストの紡ぐ音楽が物語の世界と合致しており、効果的だった。しかし特異な言語を扱うこの脚本を役者に喋らせる割には、演出の甘さが目立つ。自分の演技に酔ってる奴は芝居を駄目にするであろう。幸いというか、僕の友人二人は上手く世界に溶け込んでいた。

自分の演技に酔う人は、板(舞台)の上に上がるべきでない。「台詞を歌う」ことは、それが演出であるならば別にいいのだ。しかし金を貰って見せる以上、少なくとも「演技に酔う」という一点は徹底的に排除されなければならない。酔った演技は不快感こそ生みはすれど、観客に何物をも伝えることはない。

例えば宝塚はものすごいキザな台詞も多いけれど、あれは自分に酔ってはいない。見せるための基礎が身体に叩き込まれているし、大体規律と厳しい上下関係の中でそんな演技をしようなどと思うはずもない。そもそも酔った演技では、千人規模の大劇場の空間を支配することなど到底出来ないことは自明。

言うまでもないことであるが、役者は表現者たるべきだ。己の中に溢れてくる表現欲求を具現化し、見る者にそれを伝えられる人を表現者という。だから自己満足であってはならない。せめて自己満足から脱却する努力をせねばならない。ひたむきな努力は、その人の表現に自然と垣間見えてくるものである。

自己満足であるか、そうでないかの線引きは非常に難しいけれども、自分の演技に酔うという行為は、役者としてあるべき姿勢とは正反対に位置する。とても表現者とは言えないし役者でもない。よって板に上がるべきでない。まして金を取る興行であるならば。と、僕が言いたいのはそういうことである。

ここまで言うのは、この重大な問題点は「自覚」という二文字によって、今からでも改善出来ることだからだ。その二文字は恐ろしく空高く聳える壁だが、飛び越えることは不可能じゃない。他人からの助言を素直に聞くことで、足掛かりを作ることもできる。ただし最終的に越えるのは自分と忘れてはならぬ。

残り3日間5ステか。僕のこの文章が果たして意義を成すものかわからないが、足掛かりの一助となってくれればと願う。役者が演技に酔わなくなるだけで、この芝居は随分と観る人の受ける印象が変わってくると思うのだ。

なんにせよ、旗揚げおめでとうございました。公演の無事をお祈りしています。

レベッカ

レベッカ

東宝

帝国劇場(東京都)

2010/04/07 (水) ~ 2010/05/24 (月)公演終了

酷評です。
ええと、始めに言っておきます。『Rebecca』の制作者である脚本家Michael Kunzeと作曲家Sylvester Levayのコンビは僕の最も好きなミュージカル制作者です。『Rebecca』の楽曲も大好きで、オリジナルキャストのCDを何百回と聞いています。そういうわけで、この作品自体は好き。でも日本版がどうしても気に入らない。だから酷評です。

よろしければ、ネタバレBOXどうぞ。

ネタバレBOX

演出が陳腐。日本で演出されるミュージカルで頻繁にあることだけれど、台詞だけのシーンで流れがブツリと途切れる。これ一番致命的。台詞から感情が高ぶって歌になるのが理想なのに、歌っているときだけが演技になっている。「突然歌い出す」イメージが定着するのも無理はない。
舞台美術はゴチャゴチャしていて綺麗でない。あちこちの方向にばら撒かれた光の線には最初は衝撃を受けたものの、何回もとなると飽きてしまう。そして同じシーンで、一部まったく何の意味もなく壁に光を当てていたのは何故。こういう細かいところがしっかりしていないと駄目。
無駄に映像を使った風景演出には閉口。何よりレベッカの姿映像で出すな。しかも美しくない姿だ。最初何あれと思っていたが、気付いて完全に冷めた。目に見えない存在だからこそ恐怖が生まれるんだろう。もしどうしても出したいのなら、映像じゃなくて生身の人間を使った方がよほど効果的。『ウーマン・イン・ブラック』は実際恐怖だった。
本火には期待していたけど全くもって大したことなかった。どうせ使うならブロードウェイの『Jekyll&Hyde』のように格好良く使えばいいのに。これに至っては超主観ですが。

役者は大塚ちひろがやはり大好き。オープニングはやはり鳥肌が立ちっぱなしだった。初演では同じくオープニングから歌が良すぎて泣いた。シルビアはひたすら凄い。発声や佇まいからしてもう。山口祐一郎さんは山口祐一郎さんですね。吉野圭吾さんはもう自由すぎてなんか素晴らしい。

「作品自体は好き」とか言ったものの一応触れておくと、脚本はKunzeの作品の割にはそれほどでもない。ヒッチコックの映画に勝るものが見えない。ミュージカル版で新たに加えられたベン役もそんな活きてない。Levayの音楽は言わずもがな。好きすぎて涙出てくる。今回一曲だけ新曲があって狂喜乱舞。

ちなみに二人の作品で一番好きなのは『Elisabeth』ですが、これも演出で好感度が違って、Wien版>>>>宝塚歌劇版>>東宝版。Wien版は物語の深さも、小池さんが脚色している日本版とは大きく異なっています。ここまでくると、ただのミーハーですわな。でも好きだからこその酷評なのです。
幸せを踏みにじる幸せ【公演終了!ご来場誠にありがとうございました】

幸せを踏みにじる幸せ【公演終了!ご来場誠にありがとうございました】

ジェットラグ

タイニイアリス(東京都)

2010/05/28 (金) ~ 2010/05/31 (月)公演終了

背けてはいけない目。でもやはり。
単純に好みの話から入ると、こういう作品は苦手。作家からすると「知るか!」って言いたくなる感想だろうけど、多分僕の場合作品の意図や伝えたいことを解った上で、やっぱり苦手なのだと思う。もともと万人受けするために作っているわけでも、観客を楽しませるために作っているわけでもない作品だから、こういう感想があっても。

作品を観て、全身がグサグサ突き刺される感覚を味わいながら、その内自分が加害者もしくは徹底的な傍観者であるように錯覚する。玉置さんを知っている関係者の方はS心が刺激されたりしたのかも知れないけれど、そうでない僕はひたすら痛かった。お遊びやおふざけから発展する集団狂気を知っているが故、罰ゲームのような最初の拷問からして既に辛い。けれど劇場という閉鎖空間からは逃げられない。

どうしてもジャック・ケッチャム『隣の家の少女』を思い出してしまったが、別に意識していなかったようだ。決して救われないし、作者の狙い通り「二度と見たくない」と思ったものの、そこには谷さんなりの希望があった。でも作品を完結させる希望を遥かに上回る、現実に対する絶望がどんよりと沈んでいた。谷さん自身はこの作品を作ったことで、昇華されたものも大きいと思う。

じゃじゃ馬ならし

じゃじゃ馬ならし

Studio Life(スタジオライフ)

博品館劇場(東京都)

2010/07/08 (木) ~ 2010/07/25 (日)公演終了

解りやすく親しみやすい
独特の観客層とのことで多少覚悟しつつ観劇に赴くものの、平日マチネの博品館劇場ということもあってか、普段とは違った客層のようであった。というより、役者さんが確実にやりにくそうなほど冷め切っている。後半にはアドリブで「ずいぶん静かな観客席だな」と言われてしまうほど。こういう公演は楽屋で「今日のお客さん怖いよ」と話題になっていそうだ。ラストでようやく手拍子が入り、僕までホッとした。

作品について。何より良かったのは、古典劇とはかけ離れたシェイクスピアになっていたということ。最初と最後に脚色が入っただけで、松岡和子さん訳の台詞もしっかりシェイクスピア調なのだけれど、そこには持って回った古臭さがない。作品自体はさすがにプロットの組まれ方が上手いので、物語に自然と入り込める。脚色も機能していたが、終盤はもっとスマートに終えて欲しかった気はする。あと、やはり『じゃじゃ馬ならし』の脚色は『Kiss Me, Kate』に敵うものはないかな、と。

劇中のナンバーはともかく、音響はどうしても馴染めず。親しみやすさやポップな感じを出そうとしているのかもしれないが、安っぽさというか「ハチャメチャ劇」みたいな感じが苦手。個人的な好みの問題ではある。

何より気になったのは、通じないギャグ?をあまりにもしつこく繰り返していたこと。「ファラウェイ」とか「ジョイナス」とか。全然わかんなくて、そのくせ後半になるにつれ使用頻度が多くなって、困った。客席でも理解している人がいなさそうだったから、途中で捨てた方がいいネタだったんじゃないかなあ。。

役者さんは岩﨑大さんのダンスと林勇輔さんの歌が周囲を圧倒していた。上手い人が一人でもいるとその人に自然に目がいくので楽しめる。

この劇団のアットホーム的な雰囲気はファンにとって嬉しいはず。終演後、主演がロビーに物販しに出てくるあたり、規模がなかなか大きい割には凄いこと。余計なお世話かもしれないが、今後どういった客層にアピールし、マーケティングを進めていくかが大切だと思う。

露出狂

露出狂

柿喰う客

王子小劇場(東京都)

2010/05/19 (水) ~ 2010/05/31 (月)公演終了

柿のスタイル
『悪趣味』『すこやか息子』に続き、三作目の柿。柿のスタイルは「形」あるいは「型」だと思う。作品のどこまでを形づけて演出しているのかわからないけれど、出来上がる作品は柿特有のものである。結局劇団の良さというのは、いつ見てもその独特さがあること。そういった個性はプロデュースでは出すことが出来ない。柿の公演はよく言われるようにお祭りだから、「観に来たら高揚感に満たされる」感覚に嵌る人が多いのも納得。ただアクが強いのも事実だから、全員が全員手放しで柿を褒めているかのような状況も不思議な感じはする。

物語は人間関係を見せているだけで深さとかはあったもんじゃないんだけど、その人間関係がとてつもなく破天荒でそれだけで面白い。そしてその少ないとは言えない出演者を、これほど魅力的に演出するのは中屋敷さんのすごさ。圧倒的な個性でどの役も引けをとらない。特に目が行ったのは七味さん、コロさん、深谷さん、岡田さん、熊川さん。

『悪趣味』の時はギャグに次ぐギャグで、本気で周囲に申し訳ないほどツボってしまい、必死で笑いをこらえながらもぶははと吹き出していたので、そういった終始爆笑させるところがなかったのは個人的に残念ではある。もちろんそんなことは観客のエゴでしかないけどね。

松山流

松山流

シガラキ

RAFT(東京都)

2010/04/16 (金) ~ 2010/04/18 (日)公演終了

一人芝居で満腹
大学時代から才能ある役者さんだったとの話を聞き、谷さんの新作短編もやるということで観に行った。巧みで小粋な演技がとても良い。

一番好きだったのはRazif Hashimさんの短編。遅れて入ったために最初の数分を見逃してしまったが、それでも他の作品との圧倒的な空気感の違いが楽しめた。

谷さんの短編はアイデア一本で通した感じがしてしまったかな。『アムカ』が好きすぎるのだが、残念ながら再演はもうしないだろう。精神が飛び散るような血の滾る作品をまた期待したい。

百年時計【公演終了!】

百年時計【公演終了!】

声を出すと気持ちいいの会

演劇スタジオB(明治大学駿河台校舎14号館プレハブ棟) (東京都)

2010/07/24 (土) ~ 2010/07/28 (水)公演終了

身体性と言語性
既視感とシンクロする身体性、伏線としての「動き」が物語を追うごと解き明かされていく感覚。と同時に、言語に対する美的感性に優れている。幻想的で高潔な耳障りの良いその台詞は、観客の想像力を刺激する。期待していた舞台美術も美しい。転換の多い芝居を効果的に支えていた。

役者でひときわ映えていたのは鈴木由里さん。圧倒的に自分と世界とを馴染ませることに成功しており、一番自然に溶け込んでいた。声も他の役者と被ることなく特徴的で聞き分けが出来るいい声だった。
また、個人的に石綿大夢さん演じる役のエピソードに大いに心掴まれたので、その時の真っ直ぐと前だけを見つめる大夢さんの目が印象に残った。

難を言えば、ヴィジュアル的演出には長けていたものの、人物を深く描き出しまた掘り下げていく力に欠けていたのではないか。これでは「世界」を見せつけているだけであり、複雑に絡んでいる物語が理解されないことにはこの作品の印象が薄れてしまう。一つ一つのエピソードに社会性が感じられ、伝わらないのは損だからこそ、それは非常にもったいないと思う。

「伝えたい物語」は人物の内面部分にもっと眼をやることで、観客をも当事者としてその物語の中に引きずり込むことが出来、きっと心を揺さぶるパワーを持ったことだろう。

何にせよこの劇団が外小屋で芝居を打つときが楽しみ。

6月歌舞伎鑑賞教室「鳴神」

6月歌舞伎鑑賞教室「鳴神」

国立劇場

国立劇場 大劇場(東京都)

2010/06/02 (水) ~ 2010/06/24 (木)公演終了

歌舞伎の心意気
鑑賞教室ということで、初心者にわかりやすいよう一部は歌舞伎の解説や紹介、二部を「鳴神」の構成であった。

一部がまた非常に面白い。普通、解説とか聞くと退屈な香りがぷんぷん漂うが、 「観客を楽しませよう」という歌舞伎の精神がよく表れており、もう驚きの連続。幕が上がった瞬間から、三日月の映し出されてたスクリーン、回り舞台が回りながらセリが上下し、奥行き広い国立劇場の機構が観られて、それだけで劇場の神秘性を感じる。

舞台体験として、桐朋女子の高校生が二人舞台上にあがり、太鼓で滝の音や雨の音を鳴らしてみたり、振り袖を着て女形の歩き方をやってみたり、それは観ているだけでも、十分に楽しめるもの。隈取りをした役者が出てきて、歌舞伎のしゃべり方をしているのに、解説の歌舞伎役者は「あ、そう」とか「それで?」と現代口語で対応していて、妙に滑稽だったり。「歌舞伎ってのは古めかしいだけじゃないんですよ。民衆に楽しんでもらうために存在しているんですよ」という思いがとてもよく伝わってくる。そして実際に面白い。「観客を楽しませる」その心意気が、これまで歌舞伎が発展してきた支柱を成しているのだろうなあ、としみじみ思った。

二部は「鳴神」の芝居。20分の休憩のあいだに舞台美術ができあがっているのも、演劇のすごさ。さっきまで素舞台だったのに、もう山奥の社の美術となっているのだから。言葉はところどころわからない。でもそんなことは気にならず、話は追えるし、くすりと笑える。想像力も大きく刺激される。圧巻はラスト。鳥肌ものの終盤の盛り上がり。ただ物語の羅列をするのは好きではないので、ここでは控える。

今回は招待券だったものの、定価でも学生1300円である。安すぎる。「行政の支援を受けた面白い芝居がこんなに安値では、どうにも小劇場の立つ瀬がなくなる」だとか、「それほどまでに安く面白い芝居があるのに、一般にはその存在すら知らない人たちばかりでもったいない」など、もはや作品と関係なく作品外で思うところが多々あった。

遠ざかるネバーランド

遠ざかるネバーランド

空想組曲

ザ・ポケット(東京都)

2010/02/10 (水) ~ 2010/02/14 (日)公演終了

伝えたいこと
伝えたいテーマがある。感動のシーンで感動の曲を流し、観客の感情に丁寧に寄り添った作品を作る。それは下手にとんがった反骨意識を持って観客の意図を外れさせようとする創作者よりもよほど素晴らしいことだと、個人的に思っている。というのも、観客が「その作品」だけの独立した評価ではなく、「あの人は何を作りたかったのか」と考えるという、よくわからない傾向が蔓延しているように感じるからだ。「意味が理解できぬ作品」は観客が悪いのではない。伝えようとする意志のない創作者側に問題がある。そういうときは、素直につまらなかったと言っていいと思う。

話がずれすぎたけれども、ほさかさんは「伝えようとする」創作者だ。ストレートすぎる伝え方を嫌がる観客はもちろんいるが、それは人それぞれ。観客の好みに関しては、創作者に責任はない。そして少なくとも僕はまた観たいと思える作品だった。

ファンタジックでどこか幼さのある序盤から、「異人」が入り込むことによって展開が変わる。夢の世界が崩れていく不快感が、次第にそれを望む気持ちに移行していくという不思議な感覚。希望のあるラストが、これもまた個人的にかなり好きだった。

浮標(ブイ)

浮標(ブイ)

葛河思潮社

吉祥寺シアター(東京都)

2011/02/01 (火) ~ 2011/02/13 (日)公演終了

観劇。
台詞をこれほど美しいものと感じたのは初めてかもしれない。耳に入ってくる台詞ひとつひとつに生命のエネルギーが宿っている。前日に観た「アンナ・カレーニナ」では音楽に震えたが、今日は三好十郎の台詞に震えた。俺泣きすぎだよ本当に。でもただただ泣くしかできないんだ。

二村周作さんの美術と、小川幾雄さんの照明が秀逸だった。砂浜の上、ひとりの人影が左右にふたつ映し出される。まるで海の沖合で浮標が揺れるようにゆらゆらと、人が生と死との狭間を漂うように…。その境目は僅かな紙一重であるというのに、ひっくり返った瞬間にすべてが変わってしまうのだ。

そして晒しの舞台上で負けなかった役者の根気に、何よりの拍手を。田中哲司に藤谷美紀、大森南朋の迫ってこんばかりの演技が身体に染み渡る。安藤聖は演技力こそ伸びしろがあるものの美しい声。しかし1日2ステとか馬鹿じゃないのかと本気で思う。観る方ですら憔悴する芝居だというのに。

断っておく必要があるのは、激しい集中力を使うことで体力的に憔悴する芝居でありつつも、精神的には生命の活力がみなぎり溢れた芝居ということだ。生きて生きて生き抜くパワーが伝わってくる。倍の値段払っても全く惜しくない芝居に出会えるなんて、そうあることじゃない。素晴らしかった。

最後に、パンフレットからの知識の引用となるが、一言書いておこう。幕末の国難を乗りきった一度目の奇跡、第二次大戦敗戦から復興を遂げた二度目の奇跡を我々日本人は経た。そして今、三度目の奇跡を果たすべく、未曾有の社会状況に立ち向かっていかねばならないという。まさに時代の過渡期にある。

今こそ我々には生きることを強く願う意思が必要だ。執拗なまでに生の讃歌を歌い上げるのだ。戦渦にあった三好十郎が書いた台詞を、「生きて生きて生き抜け」という言葉を、後世の日本に引き継がんためにも。

電車は血で走る(再演)

電車は血で走る(再演)

劇団鹿殺し

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2010/06/18 (金) ~ 2010/07/04 (日)公演終了

初演に増してエネルギッシュ。
初演に続き再演も拝見。初演を観た頃は商業演劇ばかり観ていたので小劇場を知らず、「こんな芝居があるのか!」とただただ興奮していた。普通によく観ていた宝塚歌劇団が、名前をパロっただけで全くもって関係のない宝塚奇人歌劇団として出てくるのもなんだか愉快だったし、そのインパクトの大きさは半端ではなかった。

今回の再演。高校の二年間で数多の小劇場芝居を観、様々な芝居の色を知った上での再観劇はどのように感じるのかと期待と不安で胸を一杯にして劇場に行けば、やはり観劇後には衝撃ばかりが残った。血が沸騰するかのような熱さを感じる。激しい動の中に静が生きる。突飛で衝撃的な展開に、僕は知らぬ80年代小劇場界の熱狂を垣間見るかのようだ。

難を言えば、後半のシーンが少しだれてしまい、劇世界に連れ去られるようなパワーから一瞬なりとも解放されてしまったことであろうか。そのまま終幕まで観客をその背に乗せたまま全力で突っ走ってほしかった。が、まあそんなこと気にする以上に素晴らしく楽しめたからいいのだ。

コクーン歌舞伎「佐倉義民傳」

コクーン歌舞伎「佐倉義民傳」

松竹/Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2010/06/03 (木) ~ 2010/06/27 (日)公演終了

それで世界は変えられるのか?
ただ一言。煽動された。この言葉に尽きる。観終わってからもしばらく身体が震えていた。脳内が掻き立てられた。魂を揺さ振られた。心の内から燃えるように熱い思考が思想が生まれ出てきた。初めての生コクーン歌舞伎は、凄かった。

脚本の出来だけを見れば、実はそこまで良い本ではないように思う。登場人物が立っていない。映像で観たコクーン歌舞伎「三人吉三」の衝撃があまりにも大きいのが原因かも知れない。あの本に出てくる人物はいちいち強烈な個性と深遠な心理、そして人物同士の繋がりが感じられ、主人公が何人もいるかのような芝居だった。それに比べると、「佐倉義民傳」では勘三郎演じる宗吾だけが濃く濃く描かれており、他の人物像の描かれ方が緻密ではなかった。

では何が良かったのかというと、圧倒的に演出と役者である。脚本の不具合を感じさせないほどに、芝居のほぼ全てを担っていた。演出がキャンバスにこれでもかと言うほど絵の具を描き殴って極彩色に塗りたくり、柱を背負った勘三郎が途中一度も倒れそうになることすらなく、三時間の芝居を走りきった。

全ては一つの道に繋がっているんだ。千年後までも。何を燻っている。日和ることなく進め。この自身の道すらもまた、千年後へと続いていく道だろう。このままの延長線上で、果たして満足できるのか?変えなきゃ、変えていかなきゃ、この世界を。

脚本の台詞からの言葉ではないが、そんなメッセージを僕は受け取った。「芝居が伝えられるもの」はまだまだ有り過ぎるほどに残っている。脈打つこの熱い血は芝居以外の表現媒体では注ぎ得ない衝撃だろう。

農業少女

農業少女

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2010/03/01 (月) ~ 2010/03/31 (水)公演終了

遊び心とテーマ性
超格好いいオープニングとラストシーンを筆頭に、かなり様々な演出的遊び心には溢れていたものの、戯曲を掘り下げる演出でなかったような印象。野田の本はふざけているようで、深いテーマ性があるからこそ骨子が成り立っているのであって、松尾スズキの演出だと確実にそれが浅い。「面白い楽しい」ではあるが、野田特有の「響く考える」作品としては伝わってこなかった。

もちろん「そうあるべき」というわけではないけど、戯曲が意図するところを観客に伝えるための演出になっていなかったのは残念である。伝えるべき場所はしっかり伝えなきゃこの脚本を今の時期に上演する意味がなくなってしまうんじゃないかなあ、と。

多部ちゃんは可愛くて、急に踊り始めるダンスも上手くてきゅんきゅんしたけど、ラストの独白はさすがに。あそこぐらいもっと演技指導してあげればいいのに…。雰囲気や声は特有のものがあり、そういった意味で演技が新鮮さに溢れていて良かった。

「ジャパニーズ・ジャンキーズ・テンプル」

「ジャパニーズ・ジャンキーズ・テンプル」

ハイブリットハイジ座

シアター風姿花伝(東京都)

2013/03/06 (水) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

娯楽と諷刺と
好みは観る人によって全く分かれると思うが、僕は好きだ。シュールなギャグがことごとくツボにはまって、笑いを堪えるのが大変だった。ただハイジ座の作品はそれだけで終わらない。痛烈に社会批判の目を向けようとする意志がある。

今回の作品はアイデンティティ・クライシス(自己喪失)への警鐘が作品の根幹にあると感じた。自分が何者で、どこから生まれ、何を目的として生きているのか。ある種の喪失感に抗う主人公は最後、これまで逃れられなかった性質に背き、ひたすら自分の思いに向き合おうとする。

ハイジ座は割といつもそうだが物語という物語は描こうとしていない。非物語の中で娯楽と諷刺を行き来する。日常の生活に埋没して機械的な行動に打ち込む、といったような消費社会における現代人への批判的な眼差しは、ハイジ座の作品には通底している要素のように思う。

今回批判は描かれていたもの、読み取りづらくはあった。確かにその案配は難しいところなのだ。余計なことだけど、作り手としておそらく満足しきってはいないだろう。とはいえ作品そのものとしては楽しめたのも事実。これから幾らでも伸びしろある才能なので同世代として楽しみ。

ちなみに作、演出の天野峻は同い年。彼の作品は処女作から観ていて、今回で五本目。観られてないのも二本あるから、凄まじいペースで作品を作っている。学生的なノリとテンションを残しながらも、独特のテンポある演出方法は我が道を行っていてクセを生む。はまる人は絶対好き。

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