それで世界は変えられるのか?
ただ一言。煽動された。この言葉に尽きる。観終わってからもしばらく身体が震えていた。脳内が掻き立てられた。魂を揺さ振られた。心の内から燃えるように熱い思考が思想が生まれ出てきた。初めての生コクーン歌舞伎は、凄かった。
脚本の出来だけを見れば、実はそこまで良い本ではないように思う。登場人物が立っていない。映像で観たコクーン歌舞伎「三人吉三」の衝撃があまりにも大きいのが原因かも知れない。あの本に出てくる人物はいちいち強烈な個性と深遠な心理、そして人物同士の繋がりが感じられ、主人公が何人もいるかのような芝居だった。それに比べると、「佐倉義民傳」では勘三郎演じる宗吾だけが濃く濃く描かれており、他の人物像の描かれ方が緻密ではなかった。
では何が良かったのかというと、圧倒的に演出と役者である。脚本の不具合を感じさせないほどに、芝居のほぼ全てを担っていた。演出がキャンバスにこれでもかと言うほど絵の具を描き殴って極彩色に塗りたくり、柱を背負った勘三郎が途中一度も倒れそうになることすらなく、三時間の芝居を走りきった。
全ては一つの道に繋がっているんだ。千年後までも。何を燻っている。日和ることなく進め。この自身の道すらもまた、千年後へと続いていく道だろう。このままの延長線上で、果たして満足できるのか?変えなきゃ、変えていかなきゃ、この世界を。
脚本の台詞からの言葉ではないが、そんなメッセージを僕は受け取った。「芝居が伝えられるもの」はまだまだ有り過ぎるほどに残っている。脈打つこの熱い血は芝居以外の表現媒体では注ぎ得ない衝撃だろう。