丘田ミイ子の観てきた!クチコミ一覧

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天の秤

天の秤

風雷紡

小劇場 楽園(東京都)

2024/03/29 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

家族を母体として劇団活動を続けている風雷紡。2007年の結成以降、津山事件、帝銀事件、あさま山荘事件などの昭和の事件をモチーフに作品作りを行ってきました。本作『天の秤』のモチーフとなっているのは、1970年3月31日に発生した日本赤軍による「よど号」ハイジャック事件。奇しくも私が観劇した千秋楽は事件が起きた当日でした。
妙な偶然の中で見る、「正義」とはなんたるかを問う物語。細かな取材や資料の参照にあたりながら、事件の真相と深層をともに描き出した作品でした。
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ネタバレBOX

客席と舞台を機内に見立てた美術、離陸アナウンス風の上演諸注意など、開幕前からすでに劇空間が物語に占拠されていることにまず耳目を奪われました。続く内容は事実に忠実に則っており、物語は、赤軍派を名乗る田宮貴麿(杉浦直)らによってハイジャックされた日本航空351便が北朝鮮へ行くことを命じられるところから始まります。
事件の現場である機内と事件の対応に奔走する社内。その2つの軸を往来する形でシーンが展開していき、立場の違いによって正義が歪む様を皮肉に炙り出していました。

機内パートには、田宮以外に機長の石田(祥野獣一)、副操縦士の江崎(北川サトシ)、客室乗務員の神木(秋月はる華)と沖宗(岡田さくら)、植村(吉永雪乃)。社内パートには、日本航空専務の斎藤(高橋亮次)、運輸大臣の橋本(齊藤圭祐)、政務次官の山村(山村鉄平)、客室乗務員指導教官の深澤(下平久美子)。立場や視点の様々な10名の登場人物の抱く恐怖や絶望、迷いや思惑、そして、それぞれ異なる正義の形が描かれていく点が最大の見どころです。人命がかかっているにもかかわらず、社内での権力争いや世間への体裁を優先し、そのジャッジに振り回されるのはいつも現場スタッフで…。こういった構造は現代にも通じる不条理であり、過去の事件ではありますが、組織や国家の闇はいつの世も変わらないのだと痛感したりもしました。

「ハイジャック中の機内」という状況下だけあって、俳優らのお芝居にも緊迫感が走り、また正義を口にする時にはそれぞれ温度も高く、熱演という言葉の似合う作品であったと思います。私が個人的に惹かれたのは、実行犯である田宮に次第に共感を覚えゆく乗務員・沖宗の姿でした。社会運動に刺激されたり、運動者の思想に感化をされる若者の姿は当時の世相を象徴しており、本団体が事件をモチーフに創作するにあたって重要視している「時代に翻弄された人々」をまさに端的に示すシーンであったと思います。

事件の背景や詳細、その当時の時代性を細やかに捉え、真摯に舞台化された作品であったと感じる一方で、それ以上のテーマ性には踏み込んでいない感触を覚えたのも正直なところでした。「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」というセリフは、本作の核心を突いた言葉であると思うのですが、言葉の力に寄り掛かりすぎている印象がありました。言葉の力が素晴らしいだけあって、こうした言葉を暗に示すような劇的な風景をさらに期待してしまったのかもしれません。また、起きていることの情報を正しく伝えようとするあまりに説明台詞が過多になってしまった感も否めず、全編を通じてではないものの一時的に再現VTRを見ているように感じる瞬間もありました。機内に仕立てた空間や俳優の力量を活かして、演劇でなければならなかった演出がもう少し忍ばされていたら、より深層へと潜って行けたのではないかと思います。

しかしながら、風雷紡の実際に起きた事件をモチーフに作劇をするといった試みは、今この瞬間にもあらゆる事柄が風化してしまう現代社会において、非常に意義深いものであると感じます。次はどんな事件をモチーフとするのでしょうか。劇場では、そんな風に今後の団体の展開を楽しみにしているファンの存在感も感じることができ、豊かな時間でした。
(あたらしい)ジュラシックパーク

(あたらしい)ジュラシックパーク

南極

インディペンデントシアターOji(東京都)

2024/03/28 (木) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

平均年齢26歳の南極ゴジラは、演劇をポップカルチャーに押し上げるべく旗揚げされた“ゆかいな劇団”。
『(あたらしい)ジュラシックパーク』は、CoRich舞台芸術まつり!2024春の最終選考対象作品であると同時に、注目の若手劇団が集う佐藤佐吉演劇祭2024参加作品でもあります。
物語の内容は、誰もが知るSF超大作を下敷きに”テクノロジーの暴走“を描くというもの。私が観劇した日の会場は超満席、客席に漂う前のめりなムードから団体に寄せられる期待が沸々と伝わってきました。その様子はこれまでの団体の在り方や創作に対する評価そのものでもあると思います。
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ネタバレBOX

その期待に全力で応えるカラフルPOPな舞台美術とオープニングの演奏がチャーミングで、パワフルで、まさに“ゆかいな劇団”(あるいは“ゆかいな楽隊”)そのものの絵面でした。私の横で観劇していた方が思わず「わあ」と感激の声を漏らしていたのですが、多くの観客が心で同じような歓声をあげたのではないかと思います。
「一体今から何が始まっちゃうの?」
そんな待望に拍車をかける楽しげな音楽で、観客が待ち望む演劇の入り口としてこれほど相応しいオープニングはないのではないかと感じました。一人ひとりから「期待を裏切るものか」という熱気が感じられるエンターテイメントに富んだ幕開けでした。

物語は前述の通り、映画『ジュラシック・パーク』の設定をベースに施設内で恐竜たちの飼育と管理を行う人々の一風変わった仕事模様が描かれるオフィス劇。しかし、主人公・湾田(端栞里)がパークで生まれ育ち、外の世界をほとんど知らないという閉塞感や、いわゆる“しごでき”な同僚たちに劣等感を抱いたり、自身の生き方に疑問や葛藤を覚える様子などからはさりげなくもじわじわと社会的側面も感じることができました。
管理室は、湾田の所属である小型草食恐竜のお部屋と花形部署・大型肉食恐竜のお部屋とがあり、後者の所属で同期であるシャークウィーク(瀬安勇志)は“しごでき”同僚の中でも群を抜いてのエース。設定はこんなにもユニークなのに、同期が集う時の静かなマウント合戦、誰にも本音を漏らせなさそうな雰囲気はひやりとするほどリアル。さらには同部署である微山(こんにち博士)、アルミ(九條えり花)、メガマック(TGW-1996)からの扱われ方や評価も散々な湾田にいつしか感情移入している自分がいて、湾田の存在や振る舞いはコミュニティに馴染めない人々の共感を誘うものであったのだと感じたりもしました。そんな中で唯一、湾田が友人・ドゥドゥ(古田絵夢)と過ごすいわゆるアフター5的シーンは、そのキャラクター性も相まって観客にとっても安息の時間になっているように感じました。
一方でそのことを周囲が嘲笑っていることには「マイノリティの行き場のなさ」を痛感せざるをえず、二人を愛すれば愛するだけ、弱い立場の人間が手を取り合うことがもう少し認められる展開が欲しかったとも思ってしまいました。

外部からの来訪人・セールスマンの中黒(ユガミノーマル)によって、パーク内かき回されるシーン、異質の挿入によってやがて内部の闇が暴かれ、崩壊していく様も起承転結のメリハリを担保する好展開。湾田がSOSを求める相手が決まってAIコーチ(井上耕輔)である無情、人間製造機を使ってコピー人間を研究する浮卵博士(和久井千尋)の存在、彼によって登場した“しごでき”ver湾田ことワンダー(揺楽瑠香)など人間と科学の対決を彷彿させる展開も現代版SF劇の最高潮として効いていました。ラストにかけて、その戦いが、人間臭い純粋な悩みと嘆きによって昇華されていくのも素晴らしかったです。
南極ゴジラにしかできない方法でエンタメ性と社会性を繋げた意欲作である一方で、やや間延びを感じてしまう部分が惜しくも思えました。キャラクターがみんな軽妙洒脱にデザインされていることもあり、個人的にはもう少しハイテンポに展開を紡いだ方が本作のカラーと相性が良かったのではないかと感じたのも正直な感想です。

もう一点、どうしても残念に思ってしまったことが、主演の端栞里さんや魅力的悪役に扮した瀬安勇志さんをはじめ俳優さんたちがあまりにも素敵なのに、当日パンフレットでは役名と顔と俳優名を一致させるのが難しく、チラシを参照しようと思ってもぼやけた写真でスムーズに照合が取れなかったことでした。
小劇場においては俳優の顔写真自体が載っていないパンフレットやチラシも多く、ネット検索すれば辿り着ける情報ではあるのですが、せっかく作ってあったからこそ惜しいと感じました。観客が一次資料のみで知りたい情報にリーチできることは観劇アクセシビリティ向上においても重要であると考えます。また、そのことは団体から参加俳優に向けたリスペクトの表明にもなり得るのではないでしょうか。

南極ゴジラの魅力は圧倒的デザイン力の高さ。グッズなどの周辺アイテムの工夫も含め、企画・制作・創作面の打ち出し方を細やかかつ鮮やかに考え抜くその力は、同世代のみならず世代を越え、群を抜いたものであると改めて感じました。その魅力をそのままに、観客の知りたい情報にもう少し寄り添っていただけたらさらに嬉しく思います。そして、舞台上からは今後も私たち観客のことをゆかいに裏切り続けて下さい。今後の飛躍を楽しみにしています!
更地

更地

ルサンチカ

戸山公園(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/25 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ルサンチカは河合朗さんが主宰し、演出する舞台芸術を制作するカンパニー。
劇団の主宰が作・演出をともに手掛けることが多い中で、「演出」に注力したアーティストによるカンパニーは貴重であると感じます。「過去」の戯曲を上演する形式とその広がりをテーマに据えるとともに、今、そこにいる観客、現代を生きる観客に向かって「過去の言葉を、戯曲をどう扱うか」を問うこと。そういった試みは、観客に新たな気づきをもたらすことにも、忘れてはならない何らかの風化を止めることにも繋がるのではないでしょうか。
私はルサンチカというカンパニーのその姿勢、演劇を通じて社会を見つめる眼差しの深さに強く感銘を受けています。また、CoRich舞台芸術まつり!2024春の一次選考通過の賞金をそのまま観客へと還元する取り組みも素晴らしく、一人の観客としてこの場を借りて感謝を申し上げたいと思います。
そんなルサンチカの新作は、1992年に太田省吾によって初演された『更地』の野外劇。本作を野外劇として上演した前例はあったのだろうか。そう考え、調べたところ特に見つからず、まず驚きました。野外で観ることで戯曲の言葉が広く羽ばたいていくようでもあり、同時に内に向かって濃く浸透していくようでもあり、その光景を非常に意義深く感じたからです。また、上演場所は戸山公園 陸軍戸山学校軍楽隊 野外演奏場跡とあり、まさに文字通り「跡地」。「言葉」と「場」の関係にこだわった公演を体験し、会場選びから演出が始まっているということを改めて感じました。

上演に向けたステートメントにこんな言葉がありました。
【本作は、映画『ゴジラ』の中で、ゴジラが踏み荒らした東京の「更地」から着想を得たと言われています。震災やテロ、戦争など、いつか起こってしまうだろうと思ってはいるものの、それが今日だと誰も考えていないものが、現実には起こり続けています】
是非全文読んでいただきたいのですが、これら言葉を上演前に掲げることもまた社会運動の一つであると私は受け取りました。
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ネタバレBOX

円形の舞台上には所々に雑貨や廃材が転がっていて、感慨深くその風景を見つめる二人の男女の姿や言葉から、それが解体された家の跡地であるということがわかります。円の中で男(御厨亮)と女(永井茉梨奈)がその家での日々を振り返る表情は清々しく、ときにはスパゲティを手で食べ出してみたりと楽しげで、一見重苦しいムードではありません。しかし、時が進むごとにそこはかとない喪失が炙り出されていくようで、例えば自分がもう一人の登場人物としてそこにいたとしても「二人の間に生まれた子どもの不在」について尋ねることは憚れるような。そんな気持ちで、歩んだ日々の凹凸が跡地に刻まれていく様を見つめていました。その瞬間から、舞台は「円形である」という情報ではなく、時を示す、文字通りの舞台装置として機能していくようにも感じました。時の流れは一方向であるにも関わらず、その中で起きることはよくも悪くも過去から現在へと循環を成していること。もっと言えば、同じ流行と過ちを繰り返していくこと。そんな実感を得るようでもありました。

「なにもかもなくしてみる」という台詞をどう受け取るか、は観客によってそれぞれであると感じます。「更地」という言葉に舞台上を大きく翻った白布を重ね、「まっさらになる状態」や「まっさらにする決意」を彷彿する時はさほどネガティブな印象を持たないですが、「まっさらにせざるを得なかった状態」を思うと、そこにはただただ、喪失や絶望が横たわりました。そんなとき、上演に寄せたステートメントがふと劇世界の風景と重なり、より実感を持っていくように感じました。元旦に起きた能登半島地震、ロシアとウクライナの戦争、そして、今もなお続いているイスラエルからパレスチナへのジェノサイド…そうしたことが今も実際に起きていて、それを知っているにも関わらず、自分には、この場所には、今日には起こらないと潜在的に慢心している。今いる場所が、在りし日の戦争の事実を存分にはらんだ、“陸軍”戸山学校軍楽隊 野外演奏場“跡”にもかかわらず。そんなことをまざまざと握らされました。

一方で、これは野外劇という形式がもたらしてしまう偶然性、否応なく発生するドラマティックさのせいでもあるのですが、鳥たちがさえずるうららかな天気の中に佇みながら、思い出を辿る男女二人があまりに一枚の絵に美しく収まりすぎていて、背景に流れるものが伝わりづらく感じる節もありました。上演に向けた言葉や戯曲の成り立ち、そして今いる跡地がかつてどんな場所であったことなどの情報から得る体感の大きさが、演出にやや勝ってしまっていた。そんな感触が拭いされなかったのも正直なところです。
ただ、だからと言って、上演に寄せたアーティストの思いや意向を削ぐこと、その表明を避けることは、この混沌の現代で芸術表現を行う上で相応しいこととは思えません。「今」にとって必要な「過去」を都度選定しながら、演劇を通じて社会に伝えたいことを見つめること。繰り返しになりますが、ルサンチカというカンパニーのその眼差しに敬意を込めて、これからもその姿勢のまま、さらなる飛躍を遂げられることを期待しています。
新ハムレット

新ハムレット

早坂彩 トレモロ

THEATRE E9 KYOTO(京都府)

2024/03/15 (金) ~ 2024/03/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

音楽と身体を使って、翻訳劇を独自の技法で作り上げる作劇が特徴であった初期と、戯曲の本質に踏み込んだ緻密な演出スタイルにシフトした中期。そして、それらを経て、今その活動は第三期、「自由に、開いて、場作りを進めるトレモロに突入」と主宰の早坂彩さんは言います。その言葉通り、本作『新ハムレット』はSCOTサマー・シーズン2022と豊岡演劇祭2022で初演、豊岡での滞在制作と利賀山房と出石永楽館での上演を経て、東京と京都の二都市での再演へ。さまざまな場所で上演を重ねることによって、場作りはもちろん作品そのものを広く開いていく果敢な試みが感じられます。

原作は太宰治の『新ハムレット』。シェイクスピアの『ハムレット』を題材に取りつつも、太宰自身の新たな視座を含んだ戯曲風の小説です。
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ネタバレBOX

劇中ではそのことを太宰治本人と思しき男に語らせる形をとっており、男(黒澤多生)の趣と存在感に観客の耳目を引きつけるオープニングが、まさに劇世界と小説世界のゲートを一つに繋げているようで興味深かったです。作者当人がストーリーテラーのような役割を担うこと自体は真新しくなく、むしろ現代口語演劇のある時代のトレンドとしても多くみられる導入だと思うのですが、本作の大きな特徴は作者の奥にさらにもう一人の作者が存在することです。
「シェイクスピアの『ハムレット』について色々思うことがあるから、僕が今からなんやかんや言いながら似た小説を書きますからね」
「戯曲みたいに書いていきますからね!」
という形で小説が始まる手法は批評的で面白く、さらにそれを舞台化するというのは、マトリョーシカのような入れ子構造を繰り返しながら、太宰がもし存命なら一生続きそうな批評バトルを重ねていくような可笑しみも感じました。
太宰治は派手で傍迷惑なその生き様から多くの作品のモチーフやモデルにもなってきましたが、個人的にはそのナルシズムが「芸術家としての美点」にではなく、「人間の可笑しみ」に振り切って表現されている作品ほど本質を突いているような気がしていて、本作はまさにそのことを導入から叶えていたと感じます。
派手におちゃらけるとか、明確に言葉尻を遊ぶだとか、そういった分かりやすい方法ではないにせよ、人間臭さの感じる存在として俳優がそこに立っていたこと、立ち回っていたことに説得力がありました。太宰に見せてあげたかったくらいです。

他にも俳優陣の表現力の高さに本作の本質が支えられていた瞬間は多くありました。
ハムレットの悲壮や葛藤が最大限に表出された松井壮大さんの鬼気迫るお芝居も凄まじく、姿は「ハムレット」であるはずなのに、その精神はどこか太宰の「芸術家としての美点」の方のナルシズム的気配を纏っているような感触もありました。もう少し踏み込んで言うと、太宰が魅せられた死への欲求や自己憐憫をハムレットという人物に映写するように声と身体を駆使して体現されているように私には見えて、その加減に舌を巻きました。
もう一人印象的だったのが、王妃のガーツルードを演じた川田小百合さんでした。川田さんの俳優としての技術力の高さを痛感したのは、自分をモデルとした劇を城内でハムレットらが上演する様子を眺めている時の表情でした。「眺めている」と書きましたが、その様子を実際に眺めてお芝居をしているのではなく、記憶が正しければ、ハムレットらと並列になった状態で表情のみで「眺めている」ことを表現する演出だったのですが、まさに「絶句」の様子を瞳の変化でまざまざと表現されていて、こんなにも静かで激しいお芝居があるものかと驚きました。その激しさの中にもふと太宰の直情さが顔を出すようでもありました。

以上の理由などから、本作はシェイクスピアの『ハムレット』よりも、さらには『新ハムレット』そのものよりも、「『新ハムレット』における太宰の眼差し」を重んじてつくられた批評性の高い作品であることに面白さがあると感じました。ただ、一つ懸念があるとするならば、私個人が日文学科の太宰治ゼミ専攻であったこと。その影響が本作を、太宰サイドへと強引に誘ってしまっている可能性も少なからずあったとも感じます。

本作は舞台芸術における風景としても鮮烈なものを残した作品であったと感じます。
椅子や梯子などの木々を複雑に組み合わせたオブジェ作品のような舞台美術(杉山至)は、ある時は船に、またある時はお城の中に変幻し、劇的な展開を手伝う貴重な装置でもあり、俳優が実際にその上に乗って芝居をすることから直接的な意味合いでは舞台そのものでもあって、本作の支柱として素晴らしい役割を果たしていたと感じました。演劇における忘れられない風景というものは人それぞれにあると思うのですが、本作においてはおそらく多くの人がこのオブジェをセットで思い出すのではないかと感じました。
「自由に、開いて、場作りを進める」。そんなトレモロの新章、早坂さんの挑戦を今後も楽しみにしています。
波間

波間

ブルーエゴナク

森下スタジオ(東京都)

2024/03/15 (金) ~ 2024/03/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

福岡県北九州市と京都府京都市の二都市を拠点に活動するブルーエゴナク。そんなブルーエゴナクにとって5年ぶりの東京公演となるのが、THEATRE E9 KYOTOのアソシエイトアーティストとして制作・初演された『波間』。再演はメンバーを一新し、東京で活動する俳優・スタッフ陣によって上演されました。
物語の舞台となるのは、「死ぬことを決意した青年」の夢の中。
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ネタバレBOX

舞台上に男(大石英史)が一人。30脚ほどのパイプ椅子をひたすら事務的に並べ終わると、男はマイクの前に立って、「自分は死ぬことを決意していて、今から話すのはその朝に見た夢の中での出来事だ」といった旨の語りを始めます。舞台奥のカーテンが閉められると、そのまま「夢」が始まるのですが、次第に、そこで描かれていることが「夢」のみではないことが忍ばされていきます。明らかに夢であることが分かるような、コンビニでの頓狂な出来事が描かれていると思った矢先に生々しくいじめの過去が再現されていき、そのことによって、男の自死の決意とその過去が深く関わっているということに観客も気付かされていきます。

本作の素晴らしいところは、スタジオの無機質さをうまく利用しながら瞬く間にその場を異質な空間に仕立て上げ、「夢と現実の間」を表現するにふさわしい劇空間を創出していたことでした。
冒頭に並べられたパイプ椅子をはじめ、夢へのエントランスに見立てた空のハンガーラックなどはおそらく全てがスタジオ備品なのではないでしょうか。特別なものを使わずして空間を劇的なものにする、という挑戦を美しく成し遂げていたと感じます。会場の選定がどこまで意図的であったかは分からないのですが、本作と森下スタジオが非常に合っていたこと、その特質を余すことなく活用しきっていたことも魅力だと感じました。スモークや照明の活用も夢を夢たらしめる上でキーとなっていました(スモークの演出があることから観客にマスクが配られている配慮も細やかであったと感じます。)

俳優の物理的な配置、他の俳優との距離感も、夢らしい絶妙な違和を築き上げていました。
だだっ広い空間にぽつりと人間が立っていること、言葉を発すること、そのことによってフィクションと現実が近づいては離れ、絡まってはねじれながら現在へと繋がっていく。そうして、波と波の間で夢と現実とが擦れ合って音を立てるような演劇でした。
男を演じた大石さんのみならず、深澤しほさんの佇まいや田中美希恵さんの声色、男の唯一の友人を演じた平嶋恵璃香さんの舞台での居方も印象深かったです。感情を綴るセリフを極力抑えた上演台本であったにも関わらず、引き算によって魅せる存在感や表現力の技術が高く、俳優の全うした役割もクオリティを大きく支えていたと思います。

ただ、空間の構築が鮮やかな手つきで行われていただけに、「夢」という曖昧な風景の中に「いじめ」という凄惨な現実を混ぜ込み、投影することで削がれてしまうものや、整理された演出が際立つことによって登場人物たちの意図や真意、心のうねりがこぼれ落ちてしまったような感触もありました。一言で言うと、主題に対して美しくパッケージされすぎているような心持ちになった節もありました。「すごい作品を観た」という感触は大きく残ったのですが、人物にその心の抑揚をほとんど語らせない手法も相まって感情移入が難しく、「この主題によって何を訴えていたのか」ということを掴みきれずにいる自分もいました。

しかし、家に帰って改めて考えてみると、それらは、必ずしも重要なことではなかったような気もしてきました。
現代社会ではあまりにも被害者が矢面に立ち、語らせられ過ぎていて、「被害を受けた上に、さらに声をあげなくてはならないのか」ということが多すぎると感じます。それは、周囲の無頓着、社会の無関心、世界の無慈悲によって引き起こされていることで、そういったことも含めての主題なのであったとしたら、「死ぬことを決意した男の感情」に寄せずに淡々と風景を描き出していく演出は、観客に想像の幅を持たせる意味合いでも成功していたように思います。
実際に本作が「いじめ問題」と「自死」を扱った作品であることが明確になってから、冒頭シーンに立ち返ると、事務的に行われたパイプ椅子のセッテイングは男の死後に訪れる葬列への準備だったのかもしれないという風にも思いました。当然、死んでしまってからは何もかもが手遅れです。そんな風に口数こそ多くないものの、実はものすごくたくさんの示唆的な演出が忍ばされていたのかもしれません。私がそのことに気づけなかっただけで。

その「気づけなかったこと」について考えを巡らせること。
それもまたこの作品が導いた大きな余韻であったのではないでしょうか。
舞台上で描かれた「男の現実と夢の間」は、今まさに「現実と虚構の間」に居座っている観客にとっても決して他人事ではない。
ラスト、カーテンが開けられ「現実」が空間を包み込んだ瞬間に、ふとそんな気づきを得るような作品でした。

【2024年7月11日に「CoRich舞台芸術まつり!2024春」グランプリ発表ページより以下を転載しました】

本作はCoRich舞台芸術まつり!2024春の最終審査において複数の審査員から準グランプリへの推薦の声が挙がりました。
惜しくも受賞とはなりませんでしたが、最後まで拮抗した団体であり、作品であったこともここに明記しておきたいと思います。
雨降りのヌエ

雨降りのヌエ

コトリ会議

扇町ミュージアムキューブ・CUBE05(大阪府)

2024/03/09 (土) ~ 2024/03/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2007年に結成し、現在は兵庫県を拠点に活動しながら兵庫・大阪・東京在住の6人が劇団員として参加するコトリ会議。そんなコトリ会議が「1ヶ月たっぷり公演」と銘打って、扇町ミュージアムキューブオープニングラインナップのラストを飾ったのが、本作『雨降りのヌエ』でした。

この企画の素晴らしい、いや、もはや凄まじいところは1ヶ月の上演期間のあいだ、劇場の開館時間である10時〜22時まで劇団員の誰かしらが在館していること。つまり、作品の上演はもちろん、「来たらなにかが無料で見られる生展示」など手を替え品を替え、小劇場団体が日々劇場を、企画を動かし続けるという前代未聞の公演なのです。このことは作家や俳優、スタッフなどの作り手はもちろん、観客にとっても多くの発見を与える試みであったと感じます。
「劇場とは観客にとってどういった場所なのか」という現状を観測し、「どういう場所になり得るのか」という可能性を模索すること。そんな前例なき追求があって初めて劇場に辿り着くことのできた観客も多くいたのではないかと思います。

その追求は公演の形式のみならず、創作や上演の方法にも表れていました。
本作は、1公演につき全5本中2本の短編演劇を上演。1本30分弱という上演時間のコンパクトさはさることながら、内容についてもどこからでも、何からでも気軽に観られるようにつくられています。演劇はしばしばその上演時間の長さやテーマの難解さ、チケットの高さなどから敬遠され、映画と比べられる際には「映画は演劇よりも自由に観られる」などと言われますが、本作はまさにその印象を果敢に裏切っていくような公演でした。
それでいて、1公演観たら、他の公演も観てみたくなる、気づけばコンプリートしていたなんて観客の声も少なくありませんし、私自身もまた同じような心持ちを覚えました。私が観劇したのは第夜話と第形話だったのですが、どちらも読み切りのオムニバス小説のような感触がありつつも同モチーフを別視点から切り取った連作的な魅力も感じました。

第夜話『縫いの鼎』、第空話『盗んだ星の声』、第形話『温温重』、第蓋話『糠漬けは、ええ』の4作の各短編は、全てのあらすじが「兄が亡くなったそうだ」から始まっている通り、「兄の死」がモチーフに。
死んだ兄は同一人物であり、4人の弟や妹をそれぞれの話の主人公に据えながら、四種四様の二人芝居形式の会話劇を展開していきます。第糸話だけが毛色がやや異なり、ストレンジシード静岡で上演したリモート作品の改訂版。この作品が入ることによって、他4作から伝わる物語としての「作風」とはまた別の、コトリ会議という劇団の取り組みを把握することができることも意義深いパッケージだと感じました。
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ネタバレBOX

観客が演劇をより楽しめるための工夫にも抜かりがなく、当日パンフレットに書かれた導入テキストや兄弟の相関図など物語への没入を手伝い、上演をより豊かなものにしていたと思います。
全体を観るには1作品がかぶることやチケット代などを鑑みて、複数観劇した観客やコンプリートを果たした観客に台本やオリジナルグッズをプレゼントしていたのも細やかな配慮に富んでいて、またリピート率にも一役買っていたのではないかと思います。
俳優それぞれの個性も素晴らしく、死んだ兄を演じた若旦那家康さんの「不在」という強烈な存在感や三ヶ日晩さんと山本正典さん演じる夫婦の歪な距離感、花屋敷鴨さんの心情をダイレクトに表出した大暴れっぷり、妙に落ち着いた兄の分身として笑いを誘う原竹志さんも魅力的でした。
1ヶ月とはいえ限られた時間の中で、「劇場空間と観劇体験をより豊かなものにするための可能性」を拡張し続けた公演であり、劇場の敷居を下げ、観劇という文化をより広く開いたものにする一つの革命であったようにも感じています。

【2024年7月11日に「CoRich舞台芸術まつり!2024春」グランプリ発表ページより以下を転載しました】

最後に、本作はCoRich舞台芸術まつり!2024春の準グランプリ作品でもあります。
審査では準グランプリにするのか、制作賞するのかの議論が持ち上がったのですが、結果としては、「制作を含むチーム一丸でロングラン公演を叶えた企画力」や「作品全体が外部へと拡げたムーブメント」を評価する形で準グランプリに決定しましたことをこちらでも併せて明記させていただきます。
この世界は、だれのもの

この世界は、だれのもの

ながめくらしつ

現代座会館(東京都)

2024/03/01 (金) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

ながめくらしつは、2008年にジャグラー・演出家の目黒陽介さんによって結成された現代サーカス集団。これまで、サーカステクニックを基底に、音楽家やダンサーなど多ジャンルのアーティストと接点を持ちながら、幅広い場で活動をしてきました。
そんなながめくらしつが久しぶりに新作として上演したのが本作、『この世界は、だれのもの』。
コロナ禍での公演形態や主催の独演などを経て、新たに取り組むアーティストとの協働。サーカスやダンス、音楽などジャンルを横断し、舞台芸術の魅力を訴えるような力強いパフォーマンスでした。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

出演者は、目黒陽介さん、安岡あこさん、目黒宏次郎さん、入手杏奈さんの4名で、名前を挙げた順の2名1組の男女によるパフォーマンスが順次展開されていきます。身体を密着させては突き放す、恋の駆け引きのようにも愛憎の応酬のようにも見えるパフォーマンス、机とボールを用いたゲームがやがてバトルに展開していくようなパフォーマンス、体に複数のリングを絡ませて行うパフォーマンスなど、さまざまなダンスとジャグリングの融合が見られました。
身体の先端から末端までを駆使するダンスの本領や、誰も真似することのできないサーカスにおける超人技など、アーティストの圧倒的技量をも感じることもできました。
本作のもう一つの大きな特徴として挙げられるのが圧巻の音楽です。現代音楽家として活動するイーガルさんによるピアノ生演奏は、舞台上のアーティストの身体の流れやうねりに文字通り伴走するような力強さがあり、空間全体を縁取るようでも、音を介してダンサーやジャグラーの身体を導くようでもあり、とても興味深かったです。
全体のムードとしては決して暗いわけではないのですが、ドラスティックな不協和音を奏でているような趣がありました。怒涛の音楽に包まれながら、4名の俳優が自身の身体やその個性や技量を使い果たすようにパフォーマンスを成し遂げていく様、そして、それらが交わり、重なることで、ペアだからこそできる表現の魅力や可能性を示していたことも素晴らしかったです。

その一方で、どうしても2人1組のパフォーマンスを交互に見る趣が強く、全体を通してショーケース感が否めなかったのが残念な点でした。4人が1組となったパフォーマンスも最後にあったはあったのですが、個人的には、せっかくこんなにも魅力溢れる4名のダンサーとジャグラーが集っているのだから、全員が一つの作品の出演者として存在しているシーンや、それぞれの強みが一つ二つと融合していく様子をもっと見たかった、という心残りがありました。人が他者と関わり、重なり、交わることで物事やその景色は大きく変わること。そういったコミュニケーションがもたらす変化については、ペアのパフォーマンスによってしっかりと描かれていたと感じました。『この世界は、だれのもの』という言葉の惹きつける力が大きかったこともあり、他者が複数存在する「世界」というものへの接続を期待してしまったのかもしれません。

しかしながら、言葉を発さず、表情さえもほとんど変えずして、一人ひとりが濃密かつ情感豊かなパフォーマンスに仕上げている点、その表現力の高さはやはり抜群に素晴らしく、5名のアーティストには改めて大きな拍手をお送りしたいと思います。
「他者への関心」というテーマをそれぞれが身体に落とし込み、さらに、舞台上で生まれる新たな反応を信じる姿勢で臨まれたのであろう、純度の高いパフォーマンスでした。
異ジャンルを横断しながら「今」に向かって放たれる、ながめくらしつならではの創作・表現活動。そのパフォーマンスのさらなる飛躍を今後も楽しみにしています。
エアスイミング

エアスイミング

カリンカ

小劇場 楽園(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初の海外戯曲上演となったカリンカ第4回公演。
『エアスイミング』は「触法精神障害者」として不当に収監された女性二人の会話を、実話を基に描いたシャーロット・ジョーンズによるイギリス戯曲。戯曲に見出す現代との接続点、2人芝居というミニマルかつ壮大な心のたたかいを、物語の登場人物たちに流れる緊迫や狂気へと繋げ、二人きりの言葉と身体の力を以って独特の磁場を生み出していたように思います。

私は本作をいわば“忘れてはならない女性史の一部”である、と感じました。
しかしながら、その日本での上演、とりわけ小劇場で取り上げる団体は少ないように感じ、私自身にとっても本作が初めてのきっかけとなりました。海外戯曲の知識が乏しいこともあり、日本における上演の歴史や経緯について詳しくお伝えはできないのですが、「どうしてもっと上演されてこなかったんだろう?」と思うほど、現代において重要な戯曲であると感じました。

喫緊に向き合わねばならない女性を巡る諸問題と直結する本作を、小劇場のプロデュース公演として選択されたことは非常に有意義なことだと思います。戯曲のチョイス、CoRich舞台芸術まつり!2024春への応募文章、上演の全てが「今、この戯曲を自分たちで上演しなければ」という信念に基づき手を繋ぎ合っていて、同じく30代を生きる一人の女性として感銘を受けました。自身の現在地から見つめる世相、それに対する戸惑いと怒り。そして、覚悟。現代社会に生きる女性としてのシンパシーとエンパシーのいずれをも上演を以て応答する、果敢な挑戦心に満ちた作品でした。

応募文章には【多方面の方から「今後若い頃よりも役や現場が少なくなってくる」と言われる事が増えました。実際それは構造的な問題もあるし、さまざまな問題をはらんでいると思いますが、ひとつ30歳という節目において、俳優自身が自ら創作の場を作れるということを、今後もカリンカでの活動を通して、モデルケースとして提示していきたいです】という言葉がありましたが、まさに、30歳を迎えることによってかけられたネガティブな声を、演劇を以っておつりがくるまでに返上するような、これまでのキャリアや歩みが二人それぞれの唯一無二の厚みとなったお芝居であったと思います。俳優個人はもちろん、「カリンカ」というカンパニーが今後さらに発展していくための布石として、充分に力強い作品であったと感じます。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

堀越涼さんによる舞台空間の使い方や演出も洗練されていて、とりわけカーテンを使用した演出ではその透け感が現実と虚構のあわいを表しているようでもありました。色のない透明の椅子や真っ白なワンピース、水槽の中の魚も登場人物たちの心象風景のように感じ、効果的に昨日していたように思います。

バスルームの掃除の時だけ、拘束を解かれて言葉を交わせる二人。互いと交わす会話を支えにそこで生き続けた果てしなさが、俳優が2時間その役を全うする果てしなさと重なって、彼女たちもまた芝居をするように、いや、することで、あのバスルームで生き抜いてきたのだ、と思わされました。劇場を後にして、眩しいお昼の光に目を細めながら、心の底からこの外の光を、世界をその目で見ることを渇望した彼女たちに見せたかったと痛感しました。
収容された年やその後の時間の流れを知らせる役割をも持つキーパーソンであるドリス・デイ。その代表曲『ケ・セラ・セラ』が聞こえ始めた時のショッキングさは忘れられません。「なるようになる」という歌に包まれながら「決してなるようにはならなかった、なれなかった女性たち」がそこにはいて、セリフと歌詞と風景が淡い光の中で錯綜していく。唯一の救いは、水槽の中にいたのが本物の魚であったことでした。あの舞台上に周囲の視線や状況をいとわず、ただただ生き、泳ぎ続ける生命があったこと。彼女たちが夢にも見た自分たちの姿がそこにはあったのだと思います。

【2024年7月11日に「CoRich舞台芸術まつり!2024春」グランプリ発表ページより以下を転載しました】

最後に、本作はCoRich舞台芸術まつり!2024春の最終選考対象作品であり、審査員の一人であった私が本審査において出演者のお二人を演技賞に推薦したことをここにも記しておきたいと思います。詳細は審査ページに掲載されていますが、「精神の崩壊」という難解な心理的局面をそれぞれの身体性を以て貫いた橘花梨さんと小口ふみかさんに心より激励を申し上げます。
アトラスの姫

アトラスの姫

ロマングラス

中板橋 新生館スタジオ(東京都)

2024/06/20 (木) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

とある国で一族のはみ出し者と噂されている絵描きのフデが国からとんでもない依頼を受ける。それは国の地図をつくること。フデと仲間たちは"三角の力"を寄せ合って、それを実現しようとするのだが...。
地図と噂を巡る物語の行方は?

稽古見学させてもらって「御伽話のようで、とても今だ」と思ったけど、全貌見届けて、ますますそう思った。
シスターフッド、家父長制、SNSを巡る匿名性、それを使っていとも簡単に噂を流したり、火をくべたり、犬笛が吹けるということ。全てが全て意図的に直接的に描かれたものではないにせよ、そう感じるに十分の現代との接着面があった。「物語」に実直に向き合い、その力を信じ抜いた作品でもあった。それでいて地図を作る時のように、演劇を、観客を鳥瞰する様演出、語る俳優と語られる観客の関係を用いて、誰しもが噂の発信と受信の当事者になりうることを伝えていくようでもあった。
以下ネタバレboxへ

ネタバレBOX

一人だけ女として生まれてしまったことを悔いるフデには、女性がゆえにできなかったこと、させられなかったこと、そして、させられたことに苦しんだ多くの女性が映った。
立場は違えど王女にもまたそれに似た葛藤があり、そんな二人が手を取り合うことは、それに仲間が共闘することは、紛れもない、いわば世界に対する"me too運動"のはずだった。だけど、顔のない噂が、犬笛が、それを阻んでいく。お願いだから、と何度も思った。そう思わせる顔を、まなざしを俳優たちがこちらに向けていた。
地図をつくるときに用いる三角が何を示していたのか。そうしたことから物語は現実へと挿入されていく。

アフタートークでは"噂"にちなんで、話題にされる人(演劇の作り手)/話題にする人(観客であり書き手)として作・演出の髙山さんとお話をしたのだけど、この物語からのその切り込みも鋭い視点だった。それはそのまま噂を流す人、流される人であるのだ。「演劇を観て何かを書くときに気をつけていることはありますか?」という質問は、本当にこの演劇の直後に相応しすぎる質問だった。それはそのまま私に"噂を流す側としての覚悟"を問う質問で、私は「いつもこわいと思っています」という第一声を思わず漏らした。目の前には多くの観客がいた。こんなにも劇世界と現実をシームレスに繋ぐ質問と風景があるだろうか。自分をアフタートークに呼んでいただいたことを嬉しく思うと同時に、今一度襟元を正さなくてはならない気持ちにもなった。だって私もまたこの瞬間にも筆をもっているのだから。

一緒に観た娘も「すごい面白かった」と言った。トークを娘に見られるのは恥ずかしかったけど、何か感じてくれてたらいいな。車に乗って感想を聞いたら「ママくねくねしてた」と言われた。鋭い質問への焦りが見えたのかもしれない。帰ってすぐ家族にもそう共有された。ここにも噂を流す奴がいると思った。
地の面

地の面

JACROW

新宿シアタートップス(東京都)

2024/06/14 (金) ~ 2024/06/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

大企業が地面師グループに50億強騙し取られた実際の事件に着想を得た演劇。

こういう派手な事件を題材にする時は犯人、つまり詐欺師を主人公にそのトリックを持て囃しがちなのだけど、そうはせず被害を受けた会社に焦点を当て、さらにその被害の裏に存在し得る組織の権力構造や内部抗争を物語の核心に据えている点が興味深かった。
もうね、サラリーマン版アウトレイジじゃないですけど、私に言わせりゃ全員悪人ですよ。俳優さんらが達者だからいっそうにアウトレイジ(笑)。戦いはいつも男が始める、なんてよく言うけど、その始まりの始まりは椅子取りゲームなのだと思ったり。誰かよりも少しでもいい椅子に座りたい人々が権力勾配を狡猾に利用し、騙したり騙されたりして、つまり詐欺の裏にいくつもの詐欺がある。

登場人物は幹部クラスの男性のみでそこに女性がまるで出てこない、出てきても会話の「かみさんはさ〜」くらいなところがまためちゃくちゃ風刺がきいていて。
きっと組織でたんまり溜め込んだストレスを家庭でぶちまけても、"男同士の秘密"は決して打ち明けず、女性の人生にも関わる大事なことは何も知らせることなく過ごしてんだなーという感触も含めて、悪しき男社会をリアルに描いていると感じました。土地のことを「女」とか言っちゃうし。
でも、救いようのないところがよかった。
「これが男の生き様だぜ⭐︎」みたいな美化や心酔は全くなくて、愚者として貫かれている。
そこに作家のスタンスを見た気がしました。
それでも、私はやっぱりこうも思わずにはいられない。

あの中に一人でも女性がいたら、幹部の人選に女性が一人でも抜擢されていたら、あの詐欺はもしかしたら防げていたんじゃないか、と。

流石の俳優陣かっこいいなあ〜と思って見つめてた冒頭のダンスシーン、観終わる頃にはすっかりと印象が変わっていた。地位や名声に踊らされている人たち、その滑稽さ。そして、俳優の力。最初と最後も同じシーンなのに景色が反転する。地の正体を巡り、14人の男の"地の面"が暴かれるまで。サスペンフルな作劇の魅力もありました。
映画『走れない人の走り方』ではあんなに柔和な父だった谷仲恵輔さん、見る影なかった...(賞賛の意です!)

見上げたらメンチカツ

見上げたらメンチカツ

艶∞ポリス

食堂ミアゲテゴラン(東京都)

2024/05/17 (金) ~ 2024/05/30 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

さて、今日私はどこで演劇観たでしょう?
もうこの質問から始まる時は、だいたい艶∞ポリスでございます!

昨年から始まった艶∞ポリスのこの新シリーズ。演劇の敷居を下げ、もっと身近なものにするべく暮らしに紐づく様々な場所で新作の演劇を上演しています。
1回目『生意気なからあげ』は目黒川沿いのおしゃれなカフェで、前回の美容室で上演された『角刈りのカリスマ』は、初回のカフェ公演を観た美容室の方から繋がった企画でした。
そして第三回目となる今回はなんと"居酒屋"で観る演劇、『見上げたらメンチカツ』。
前回の美容室同様に学芸大学の街と文字通り杯を交わすような企画で超楽しかった!
演劇はまだまだ街や暮らしと手を繋げる。

劇中に「私はこの店じゃなくて業界全体のことを考えてるんです」みたいなセリフがあった。キャラや文脈から笑える一言としてしっかり機能しているそのセリフになんだか私はグッときてしまった。それはそのまま演劇の敷居を下げ、劇場となりうる場所を拡張していく劇作家・岸本さんの姿に重なった。

上演場所や上演時間(1h)などの趣からイベント的に見えるかもですが、毎回しっかり岸本鮎佳ワールド満載の劇世界が広がります。人々の悲哀と可笑しみがぱちぱち点滅する艶∞ポリス喜劇をベースに、実際にそこで働いている方を巻き込んだ物語はまさにその場で上演する"ならでは"な意義がある。
今回も実際にこの居酒屋で働いている方も出演されていて、理屈では太刀打ちできない、彼の日々や生業に裏打ちされた圧倒的な存在感と説得力にグッときました。異業種とのタッグと接続によって「営み」というものについて様々を想像させられるし、演劇を通じて唐揚げやメンチカツなど商品PRを成立させてるのも面白い!

岸本さんの仕掛けや試みからはいつも演劇が決してコアな世界で収まらない、という可能性を教わるような気持ちです。演劇が詳しい人だけのものじゃないということ、もっと手の届きやすい場所や価格でさりげなく街に存在したらいいのだということ。内々には収まらない、常に外に向かっていく演劇。それは外に持ち出す人がいなければ当然始まらない。私は岸本さんの試みに共鳴するいちライターであり、艶∞ポリスの新たな演劇を待望するいち生活者でもあると改めて痛感。

しっかりレモンサワーとメンチカツ、なんなら梅水晶と焼きそばも食べたくなった(し食べた)最高の協働演劇!ずっと追いかけたい!
演劇って気軽には誘いにくい節があるけれど、艶∞ポリスのこの企画なら演劇観たことあってもなくてもいい、家族や友人と楽しく観られる。可能性が詰まった名企画です。場所のひらかれ方、演劇を初めて観る人への工夫、体験としての演劇の追求。観客の方の反応を見ていても「満足度の高さ」がひしひしと伝わる観劇でした!

演劇作品集『ちがう形』

演劇作品集『ちがう形』

中野成樹+フランケンズ

新宿シアタートップス(東京都)

2024/05/22 (水) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

当日券ダッシュで中野成樹+フランケンズ 『#ちがう形』のAプログラムのみ観劇(大池容子さん作『かがやく都市』と『EP2(犬の話)』(シェイクスピア『ハムレット』2幕より)。
始まる前からわくわくが立ち込める客席で図らずも20周年初日目撃の喜び。面白かったし、何よりかっこよかった〜!痺れました。「『ハムレット』を20年かけて上演する」という常軌を逸した果てなき企画もこの方々ならやってのけてしまいそうだし、何より、「全部観たい」と思わせてしまうところが魅力で、20年の賜物という感じもする。これからの20年も楽しみです。『かがやく都市』も面白かった。うさぎストライプの上演を風邪ひいて見逃してしまっていたこともあり、物語との邂逅にも胸熱く。キュートで可笑しく、それでいて登場人物たちの心情は味わい深く。煙の気配をそこまで強く感じなかったのは、もはやすでに煙の中にいたからなのかも、などと想像したり、まんまとふしぎな物語の術中にハマっていました。歌唱シーンのタイミングと選曲がまたよすぎて。もちろん帰り道速攻聴きましたよね...楽しかったし、かっこよかったです。

あと、これは声を大にして感謝をお伝えしたいのですが、上演ステートメントに「子ども向けではないけど入場OK」の旨が添えられていたこと、自分の様な子育て中の観客の存在が決して忘れられていないと思える一言で、救われる気持ちでした。映画と違って演劇は具体的な対象年齢の設定や記載はほとんどありません。未就学NGの記載やチケット種類(に未成年があるか)や作風、また最近はトリガーアラートなどから何となく子と観られるか否かを"察して"観に行くのですが、ナカフラさんの様にカンパニーサイドから内容や作風と入場是非が併せて明記されている公演はまだ少ないので、とてもうれしかったんです(私個人としてはこの文言で作者の創作意向を知ることができた事も有り難かった!)

子どもを対象にした演劇でなくても、子は大人の想像を越えた実感を得たりする。
それはあくまで経験則としてコラムなどにも書いているのですが、一方で「作り手は子ども向けとして作っていない」という情報も私はとても大事だと思っていて、そうした上で「入場はOK」ということがなんかもう言葉がうまく見つからないけど、とても嬉しかったんですよ。
"子を連れてくる親"としてだけでなく、"この作品を観たい一観客"として尊重されている気持ちになったというか。
「子どもを劇場に連れて行きたい」という気持ちの面だけでなく、時には連れて行かざるを得ない状況がある私のような人間にとっては色々悩ましいところがあるのですが、こういった新しい開き方をして下さっていること、本当に心強いです。「演劇や劇場にできたらこうあって欲しい」そう願っていることの一つが叶えられた公演でした。ゆえに満足度は抜群です!

裂け目BB’

裂け目BB’

ダダルズ

SCOOL(東京都)

2024/05/24 (金) ~ 2024/05/25 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

様々な演劇やパフォーマンスがあるけれど、頭というより脳を、心というより内臓を揺さぶられるこんな体験は ダダルズ 、大石恵美さんからしか受け取ったことがない。
言葉と身体を、意識と無意識を切り裂き、かき分けるその裂け目に理屈ではない"生"を見る。あんなにも溢れながらこんなにも「渇き」が訴えられるなんてどうしたことか。
初めて観た日もう絶対に見逃せないと誓ったし、同時に例えば上演前日に大石さんも私も風邪をひいて同じ医者にかかったとして、そこに明日必ず治る薬があるとして、でも一人にしか渡せないとしたら、迷わず大石さんに譲ってまたあのすごい沸騰と蒸発を、またあんな風に世界の裂け目から別の世界をこじあける様に見せつけてほしいと思ってしまう。確実に一人芝居の歴史変えている。もはや人間が一人で行うあらゆるパフォーマンスの中でも頭抜けた求心力ではないだろうか、と前も今回も思う。素晴らしかった。素晴らしすぎて、帰りの電車2駅間違えて降りた。
なんだろう。脳裏に刻まれるとか胸を打たれるじゃなく、本当、臓器への揺さぶりみたいな感覚なんだけど、言葉にした瞬間から足りなさ、乏しさにジタバタする。ここに書かれていることなんかよりずっとずっと以上のことなんだーうわああって気持ちになってしまう。一人の文筆家としてはいつか、ここで起きていること、大石さんが起こしていることの凄まじさをちゃんと言葉にできたら、と思うけれど、一人の人間としてはそれを拒絶するような気持ちもある。
だって、文字にするとやっぱり揮発してしまうんだ。あんなにドバドバと溢れているのに。嗚呼。
星5じゃ足りないくらいです。”観劇”というより、”目撃”をしてほしいパフォーマンスNo.1。言い切ります。

理想郷

理想郷

小田尚稔の演劇

水性(東京都)

2024/05/23 (木) ~ 2024/05/29 (水)公演終了

実演鑑賞

いつか観たいと思っていた、小田尚稔の演劇。
私には昔から極度の不安やストレス、寂しさや心細さなどを感じた時に髪や爪をしきりにさわったり、お布団や布類で肩や足下まですっぽり隠さないと落ち着きを保てなくなる癖?があるのですが、観劇中にその状態になってしまい、自分でもとてもびっくりした。だけど、このざわざわやモヤモヤした感触にこそ、この演劇の核心(やそれと繋がるヒント)があるのかもしれないと思ったりしていて、いまもまだそのことを色々考えています。信頼を寄せる知人に感触を吐露しながら心の整理をつけさせてもらえたのも有り難かった。水性には2回目の来訪。図らずも通行人がキャストに、場合によってはドラマそのものを生む空間でとても好き。今回もっとも食らったのは、絶妙なタイミングで横切った二人の子どもかな。あと、美術のチョイス、使い方好きでした。
存分に戸惑った観劇ではあったんだけど、帰宅して改めてチラシを眺めつつ、シンパシーを感じることだけが演劇の豊かさではないことを痛感したり、(ネタバレBOXに続きます)

ネタバレBOX

同時に、時間が少し経ったことで、このえもいわれぬ気持ちは、あの中の誰か、だとしたら多分最後に出ていった女性かな、に対するエンパシーであったようにも感じたり。はたまた、普段の私が良くも悪くもあまりに感情移入が強く、演劇にも潜在的に共感を求めがちであることにつくづく気づいたりもしました。それは言い換えればやはり他者への勝手な期待でもあって、劇中でも示唆されていたようにそれは"理想郷"においてはともすれば攻撃になりうるかもしれない。だけど、私は女性の逃げ場は決して女性間の戦場にはならないことを信じているし、対立のゴングはいつも第三者が鳴らすとも思っている。もっといえばシェルターなんてわざわざつくらなくてもみんなが安心して暮らせることが本望で。勿論、理想だとはわかっているけれど。
あそこに男性はいなくて、その皮肉なまでの不在、気配の無さが、分断や対立の種子となる無関心さとしてかえって際立っているようにも見えて、多分私は自分の描く"理想郷"と目の前の"理想郷"のギャップに狼狽えたのかな、と今ようやく言葉が追いついてきました。こういう体感こそ残しておくべきなのかも、と思っています。観られてよかった。
ただ、「満足度」という側面からこの作品を判断するのはとても難しい。もちろん、作品の良し悪しという意味ではなく、あの光景を見て「満足」して帰るのはとても無理があるというか…。観た人と出来るだけ沢山の感想を共有したい。そんな作品でした。
『ウィークエンド』

『ウィークエンド』

画餅

小劇場B1(東京都)

2024/05/21 (火) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

画餅『ウィークエンド』開幕。初日観劇。
ここにきて画餅の様式美のようなものがさらなる高みへと極まっていくのを感じる初日でした。何を何にと言われたら即答は難しいのだけど様々の配分や配置が絶妙で、その様式美の中で今回もやはり存在感抜群の俳優陣が次々沸かしまくる全員山場の痛快さたるや!
今回も沢山笑いました。

作・演出を手掛けながらの出演って、俳優としてというよりも作家として存在の意味付けがされてしまうことが多いのですが、神谷さんにはとてもいい意味でそれをあまり感じない。
切り替えなのか、切り離しなのか、そのあたりはわからないのだけど、とてもフラットにいち俳優として存在されていて、同時にご自身の演者としての強みや魅力がしっかり活かされていて、ソロプロジェクトを全うする推進力と俳優を輝かせるプロデュース力を感じます。(私は神谷さんの悲哀の滲む困った顔が大好きなので、今回はその表情がたくさん見られて、俳優神谷圭介ファンとしても大満足だった!)

内容としては日常へのニッチな視点に加えて、社会に対する疑いというか推奨されている物事に潜むバグみたいなものを拾い上げてドライブさせるような印象もあって、これは3回公演まではない感触でとても興味深かった!インタビューでの神谷さんの言葉をかりるなら、それもまた"日常的な違和感"なのかもしれないと改めて。

ネタバレBOX

母乳育児への妄信的な肯定とフェチズムや執着がこんな形で描かれている作品は後にも先にもなさそうだし、授乳を経験した者から見ても母乳外来やセミナーの独特の雰囲気や断乳に対する(自分由来というより世間由来の)謎の背徳感はリアルに根差していると感じました。
フェティッシュを害悪ととらえるか、マイノリティととらえるかという、結構ギリギリな境界を攻めた作品だけど、今世の中で起きている対立や分断ってたしかにこういう側面があったりするよなと思ったりもしました。今回の画餅の作品に社会的なものが意図的に盛り込まれていたのか、ただ私がそこに社会を見出してしまったのかはわからないけれど、大いに笑いつつも一つの変化として興味深く観劇しました。
アラビアンナイト

アラビアンナイト

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2024/05/04 (土) ~ 2024/05/18 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

文学座アトリエにて上演された『アラビアンナイト』。5/4〜6まではファミリーver上演につき、未就学無料、桟敷席&家族割アリというGWにぴったりだったこの公演。私は地方出張につきファミリー公演の観劇はできなかったのですが、5歳の息子と稽古場見学をさせていただき、後に10歳の娘と通常ver.を観劇しました。

アラビアンナイトは、愛する妻の裏切りをきっかけに心を病み、「これからは一夜毎に花嫁と結婚をして、その日のうちに処刑する」という残虐な心を持ってしまった王様と、物語の名語り手である大臣の娘・シャハラザードが結婚し、千夜にものぼる物語で王の心を溶かしていくというお話。その主旋律をベースに、マトリョーシカのように物語の中にまた別の物語が入っているという構造で、劇中劇文学、劇中劇演劇の金字塔とも言える作品です。

上演時間は休憩込みで2時間45分と割と長尺なのですが、本編を通して「シャハラザードはどうなってしまうの?」という緊張感と「物語の続きは?」という好奇心がしっかりと手を繋ぎ合っていることで中弛みを全く感じませんでした。これはひとえに演出の工夫と俳優の技の賜物ではないでしょうか。また、1時間15分毎に休憩を入れるというバランスは大人子ども問わず、誰しもにとってベストなのではないか、と想像しました。

親子観劇って「子が楽しめるか否か」にかかっているんです。そして、それは、「そうでないと(子が気になって)大人も手放しで楽しめないから)という理由も正直あるんですよね。子だけが楽しくても、大人だけが楽しくてももどかしい。そういう不安で劇場を遠ざけている人にこそ、是非この『アラビアンナイト』に出会ってほしい!と思いました。子どもの心を奪う演出が細部にわたっていくつも仕掛けられているだけでなく、大人が思わずうっとりするような演劇の魔法にも同時にかけられていく。(例えば、白布一枚で海に浮かぶ船の上へ、伝説の大きな鳥の卵やその翼の下へ導かれていく……。)なんというか、五感の何も置き去りにされてないんです。五戸真理枝さんの繊細な視点と俳優さん達の心技体が込められた演出、本当に魔法だった。そして、それはきっと、私たち観客のイマジネーションとの共作でもありました。隣で子が絵に描いたように目を丸くするのを、そのままハッと驚きの息が漏れるのを見て、知らないだけで自分も同じような顔をしているのだと知るようでした。

残念なことに、稽古場見学の日は後に予定が控えていた都合で最後までは観られなかったんです。
当然息子はこう言います。帰り道にも眠る前にも「あのお話の続きは?」と。 まさに劇中で妹が、そして国王が、物語の名語り手のシャハラザードにあと一夜、もう一夜と千にも昇る命懸けの物語をねだった様に。

これほどまでに「物語の力」を示す作品はないと思う位、小さな頃から『アラビアンナイト』の幻想的でちょっぴり怖い世界が大好きでした。だけど、改めて気がついた。「物語の力」だけじゃない、「物語を信じる力」によって一夜は千夜になったのだと。そして、それは演劇の魔法を信じることにも繋がっている気がする。そんなことを感じる景色の数々でした。大所帯だけど物語の中で一人一人が忘れ得ぬ登場人物を生きているのも、誰しもが等しく聞き手でも語り手でもある様なセリフの扱い方も好きでした。
最後に10歳の娘とのやりとりをネタバレBOXに綴ります。

ネタバレBOX

色々と分別のつき始めた5年生の娘との観劇では、幼い頃とはまた違った、娘個人の考えに触れることができるようになりました。この日も信濃町駅まで歩いて帰っている帰路で「王様の罪」について色々と話をしました。
私が「シャハラザードは勇敢で美しい心の持ち主で、それによって王が自分の罪深さに気づいたことはよかったけど、死んでしまった女の子達のことを思うと、王が、彼女や彼女の家族達が永遠に失ってしまった”愛する家族と幸せに暮らす未来”を描けることが苦しい。ママは王様の心の再生を手放しで祝福できない部分もあったんだよね」というようなことを話したら、娘が「罪を犯した人がその罪をまるで無かったことにして幸せになるのはよくないけれど、自分が悪いとわかったのなら、そこからほんとうの苦しみがつづくはず。間違いや罪を犯した人が一生幸せに暮らしてはいけない、一生不幸なままでいなきゃいけないというのは怖い、なにか違う気もする。しあわせなほど苦しみはおそってくる」みたいなことを言っていて、私は我が子ながら「お見それしました!」という気持ちになるなども(笑)。そうなんですよね。こういう時間が観劇の、物語の余韻の中の最も豊かな瞬間なんですよね。翌朝、最後まで観られなかった息子が口をとがらせながら「アラビアンナイト、最後まで見てずるい」と言って、その後「ぼくだって全部覚えてるもん。でもはなすのは夜だからね」と言っていました。いつだって線引きをするのは親の方で子はいつも軽々とそれらを飛び越えていく。子どものことを決してナメてはいない演劇と出会うと、そういうことをつくづく思いさせられます。
「子どもより大人の方が物事をわかっているなんてことは決してない」
そんな教訓を改めて握りしめるような観劇でもありました。
なかなか失われない30年

なかなか失われない30年

アガリスクエンターテイメント

新宿シアタートップス(東京都)

2024/04/27 (土) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

快作に次ぐ快作を新たに発表し続けるアガリスクがまた、オールタイムベストに追加されるような新作を世に放った。2024年の世に放ったその物語は、私たちがここまでくるのに当然通らずにはいられない1994年と2004年と2014年という時が内包されていて、それはもういくつかの、一見失われたようで、その実”なかなか失われていない”時代たちを巡るタイムトリップそのものであった。
舞台は、新宿の街のとある劇場跡地の雑居ビル(下はケバブ屋さん)(と聞いて、小劇場好きはもうあそこだ!とピンとくるだろう)ある時代は劇場であった場所はまたある時代はデリヘルの待合所で、そして、またある時は…と10年毎に遡るこの30年、実に様々なことが起きた。山ほどある風刺すべきポイントを決して逃すことなく、しかし今回も劇団名に違わず、とんでもないエンタメ満ち満ちの作品だった。

アガリスクの演劇の凄いところは「エンタメ要素が散りばめられている」のではなく、冨坂さんと俳優さん達の技巧が「数々のエンタメな瞬間を生み出している」ところ。会話の度にエンタメが仕掛けられては生まれていくその様に毎回惚れ惚れしてしまう。ちょっとここは思い切って言い切ってしまうけれど演劇に縁のない人、または抵抗がある人も本作ばかりは楽しまずにはいられないと思う。両親にも姉妹にも地元の同級生にも観せたい演劇だった(つまりGWにぴったり?!)

それでいて、『かげきはたちのいるところ』、『SHINE SHOW!』、『令和5年の廃刀令』などの作品群がそうであるように社会ともしっかり手が繋がれているところや、その劇場あるいは街で上演される意味があるところが本当に見事だし、鮮やかなんです。客席の反応も含め大満足な紛うことなきオススメの一作!
人によってオススメしたい作品違うからあまり言った事ないけど、こればかりはオススメ作品って言葉がしっくりくる。でも何一つ媚びてないし、むしろ極められていて語り甲斐もある。
私の中の"アガリスク、新作の度に代表作更新説"がまた濃厚に!

泥人魚

泥人魚

劇団唐組

花園神社(東京都)

2024/05/05 (日) ~ 2024/06/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

出張で札幌滞在最終日の朝に訃報を聞いて、それは代表作『泥人魚』東京公演開幕日でもあった。
そして、翌日予定通りの日時に予定外の状況で紅テントに向かった。浴び、吸い込み、啜るような観劇だった。
上京してから産前産後を除いて唐組を観続けてきたけれど、その中でも忘れられない日になった。状況が状況だから特別にならざるをえない節もあるけれど、むしろ私は、私の胸は、いつも通りの圧倒が全うされていたことにたまらず溢れたのだった。うまく言えないのだけれど、こんなにも大きな喪失を抱え、漂わせながらもいつも通りの眩しく儚い紅、そこで圧倒が更新されていることに心が震えた。
無論前身の状況劇場にかすってもいないことはおろか唐十郎演出の唐組を一度しか観たことのない私である。「全盛期を知らないじゃないか」と言われればそれまでだけど、私にしてみたら観始めたその日からいつだって唐十郎は全盛期じゃないのだろうか、と思っていた。思ってきた。いや、思っている。 ぴたりと同じ時代に生きたわけでない、"全盛期を知らぬ世代"の私も、それでも誰がなんと言おうと、唐十郎の言葉に唐組の劇世界に魅了され続けた、され続けている、歴としたその一人です。

札幌で訃報を聞いた時は事実に輪郭がないままだったけれど、羽田からのバスが奇しくも新宿に、唐十郎なき新宿に着いた時ようやく実感がおそってきた。さみしい、とも、かなしい、ともまた違う、しかし確かな喪失感だった。花園に聳える紅に命の火をうつすように唐さんの肉体から魂が離れたように感じた。風になったようにも思うけれど、やはり水かもしれないとも思う。手を洗うとき、風呂に入るとき、汗、涙、雨、あらゆる水を経験しながら、唐さんの戯曲で出会った言葉の数々を反芻していた。いつも通り当然のように予約していたその日がまさか唐さんを偲ぶ観劇になるとは思いもしなかった。だけど、いつも通り呆気ないまでに素晴らしい役者たちが今日も今日とてドカドカと舞台の上を暴れ回っていた。大鶴美仁音さんの香り立つような儚さ、妖しさに惑わされながら、泥の波間の花園で人魚を見た。テントの紅から人が溢れ出していた。虚構が現実に明け渡され役者が去っても続く遺言の様でも産声の様でもある歌声。その余韻の中で嗚咽みたいな喝采はいつまでも鳴り止まなかった。奇しくも今までで最も"唐十郎"を近くに感じた瞬間だった。

ネタバレBOX

ネタバレ、というより私情である。しかし、少なくとも私に取っては唐組を語る上では欠かせない話でもあるので、少し追記をする。

何度足を踏み入れても現実的ではない存在だった紅テントが少しの間だけ日々の一部になったのは、昨年の春公演『透明人間』の時だった。長年の念願叶ってテントの建て込みと稽古場の取材・執筆をさせてもらったこともあるけれど、夫が出演していたことも大きかった。唐戯曲で馴染みの"田口"という名の役だった。台所で胡瓜を切ったり、洗濯を取り入れてると、風呂場や部屋の向こう側から唐戯曲、そこに刻まれた美しく荒ぶる台詞たちが小さくしかし確かに漏れ聞こえてくるのだ。そんな中やはり私は胡瓜を切り続けたり、はたまた黒地に赤で"テント番"と書かれたTシャツを畳んだりして 田口の台詞とともに日々に非現実が雪崩れ込んでくる度いちいち胸を熱くしていた。自分の人生でこんな日がくるなんて思いもしなかった。しかしそれでも、たとえ家族が出ても、日々の隙間でそれを娘と見に行っても、感慨深さはあれど遠い幻影の様な紅テントの圧倒は初めて観た日と何も変わらなかった。ようやくここまできました」「それでもまだまだ遠いです」と、あの日々、私は心の中で誰かに向かって必死に話しかけていて、その誰かこそが唐十郎その人だったということにようやく、はっきりと気づいたのは、唐さんが旅に出てしまった時でした。
さみしい、かなしいともまた違う、だけど確かな喪失を感じながら、けれども美しさと荒々しさに身を任せながら。きっとずっとそうだろう。紅テントが花園に建つ限り。唐十郎の言葉が戯曲が存在する限り。
『動く物』『旅の支度』

『動く物』『旅の支度』

ウンゲツィーファ

PARA(東京都)

2024/04/18 (木) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「部屋の風景、外の天気、本棚の本の名前、隣の人の服と私の服が呼吸の波間で擦れて小さく音を立てたこと。全部を身体が覚えている。動く物/動物という言葉、意味、在り方の境界を突きつけられ、いのちを目の当たりにした。死生観が揺らぐ様な演劇体験だった。2024年4月、小さな部屋の中で鮮明に目撃したあの演劇が再び上演される。別の二人の俳優によって『動く物』が続いていくこと。あの時私を圧倒した二人の俳優が新たな『旅の支度』へと向かうこと。そのいずれにも演劇の可能性を、"ふたりぼっち"の可能性を予感している」

と上演に向けたコメントに寄せた通り、待望の観劇だった。

ウンゲツィーファとの出会い、『動く物』という演劇との出会いは間違いなく私の演劇観、ひいては死生観までを揺るがす出来事であり、演劇の新しい扉をはっきりと自覚しながら開けた瞬間でもあった。
その作品が再び観られるのだから、待望以外の何ものでもなかったのだが、今回はさらに新作『旅の支度』という二人芝居も同時上演という。そのキャストこそが2019年の『動く物』で私を魅了した黒澤多生&豊島晴香ペアだった。そして、『動く物』はこれもまた近年数々の作品で抜群の存在感を発揮している藤家矢麻刀、高澤聡美に引き継がれる。
キャスティングからカンパニーや作品の豊かな試みと拡がりを予感させる企画で、ある種の覚悟のようなものも抱きしめつつ観劇日を心待ちにしていた。

私が観劇したのは『動く物』→『旅の支度』の順で2作を通しで上演する千秋楽の公演。予定的にこの日しか見られないこともあったのだが、結果的に2作を地続きで観られたことで迫るものもあったように思う。その反面、いずれも決してライトではない、心に残すものが大きく、余韻を噛み締めるのにもそれなりの時間を要する大作であるので、2作とも初見の場合は日を分けて観た方が(身のためと言う意味で)よかっただろうな、とも感じた。そのくらい、ずっしりとした作品なのだ。
ウンゲツィーファの演劇のすごいところは、まさにそこでもあって、いずれも上演時間自体は1時間ちょっとで決して長くはない。会話も難解な言葉を用いないし、一見日常的な会話劇である。そのパッと見普遍的でさりげない時間の中で人の心が小さく泡立ち、擦れ合い、戸惑いを覚えるくらいの波になり、やがて予想もしないうねりを見せていく。人の感情の発端と経過に目を凝らし、耳をすまさなければ生まれようのない景色がそこには広がっているのだ。これは2作にともに共通して感じたことであり、前作『リビング・ダイニング・キッチン』でも感じたことだった。これこそが劇作家・本橋龍ならではの眼差しであり、本領であり、おいそれと真似の叶わぬ個性と技なのだと痛感する。

『動く物』は同棲をしているカップルと彼らに飼育されている1匹のペットを巡る物語…
※以下はネタバレになるので、ネタバレBOXへ

ネタバレBOX


『動く物』は同棲をしているカップルと彼らに飼育されている1匹のペットを巡る物語。
冒頭はどちらかといえば怠惰な生活を送る、ありふれたカップルの日常に見えるのだけど、実はこの部屋には「いのち」に関わる大きな問題が二つ内包されていて、それはトピックとしては二つなのだけれど、つまるところは一つの命題である、という手触りがあり、それがそのまま『動く物』と言うタイトルに収歛されていく様には何度観ても身震いしてしまう。観始めた時と観終えた時で心の状態が大きく変わる作品。
前回の黒澤&豊島ペアの二人が本作を演じたときには、恋人間に流れる「停滞」を強く感じ、その停滞と“動く物”との対比に心をグッと掴まれたのだけど、今回の藤家&高澤ペアはまた違った魅力があった。「停滞」というよりはどちらかと言えば「不協」を濃く感じ、そのことによって問題の深刻さが詳らかになる体感があった。“動く物”と“動かない物”や、いのちに対するそれぞれの線引きがリアリティを以って差し迫ってくるような。
藤家さんの打ち明けられた真実に対して狼狽する様子、そこに滲む理屈では太刀打ちきかない情けなさや滑稽さの露呈がまた見事であり、立て続いた出演作から一転、また違った横顔をしっかり受け取った。
高澤さんを拝見するのはおそらく初めてだったのだけど、最初の表情から心をすっかり奪われてしまった。とりわけ驚かされたのは、筋肉の使い方。大きな問題を抱えながら生きている時ならではの人間の顔の強張り、体の脱力がとてもリアルで、劇中の過去の穏やかな日々のシーンで、上着をスルッと脱ぐようにその緊迫が体から剥がれている様も素晴らしかった。
相手に告げぬまま妊娠と中絶を遂げた女性の心の揺らぎ、それを受け止めきれないまま呆然とする男性の困惑、そんな二人に今まさに横たわる、ペット・ミチヨシの脱走。ラストシーンを終えても余韻を引き取るような存在感。時を経た再演でキャストを変えることの豊かさを感じる時間だった。

対して『旅の支度』では黒澤&豊島ペアが再び新作で観られることにどうしても期待は高まってしまうが、その期待を上回ってしまうのだからもう流石のタッグとしか言いようがない。
物語の舞台は、母の再婚を前に結婚式のためにハワイに発つ前夜。二人は今回は恋人同士ではなく、主にその母の子である姉と弟を演じるのだけど、家庭やそれぞれの心身の状況が明確に言葉にされる前から、二人の抱えるものがそこはかとなく滲むような役の背負い方が素晴らしかった。時折、二人の演じる役が夫婦になったり、親子になったりといくつもの役を演じ分けるのだけど、観客が混乱することは当然なく、それぞれ全く違った趣にスイッチングされる。そして、劇中のちぐはぐで歪な二人の人間のやりとりは、その実二人の俳優の息のあったコンビネーションに支えられていて、俳優のキャリアと共演の歴史を思い知るような気持ちにも。歪な家族の中にある、歪ながらも切って切り離せないもの。その煩わしさと同じだけの愛着。途方に暮れる姉と呆れる弟の瞳の端にそういうものが映っては消え、消えては映っていくたびに胸がギュッとなった。

ウンゲツィーファの演劇は、そこに生きる人々は、手放しで明るい状況ではないことが多いけれど、絶望や悲劇に集約されるだけの人はいない気がしている。この世界をうまく泳ぐことができない人間に泳ぎを教え込むのではなくて、ただその手を引いて足のつく場所に、すなわち息のできる場所に導くようなやさしさがあって、『旅の支度』はまさにそんな演劇だと思った。もちろん観ていて辛くなるところもある作品だったけど、最後は夜明けに、または朝焼けに託されているようなやわらかい光があって、緩みゆく二人の表情がとてもよかった。
通し公演限定の演出、ラストに藤家さんと高澤さんがある役で登場するのも、(もちろん、他公演と遜色が出ないよう物語に干渉はしないよう作られているけれど)、ラストの温もりや旅の続きを補填するような素敵な演出でした。さらに松井文さんのアフターライブがあり、二つの物語の余韻を水面に手を添えるようなやさしさで包み込んでもらったような心持ちに。上演中に流せなかった涙が遅れて流れてくるのを感じながら、音楽の力と言葉の力の共鳴に身を任せていました。贅沢な千秋楽特典が観られて幸せでした。

演劇の可能性を、ふたりぼっちの可能性を示した素晴らしい二人芝居。いずれもカンパニーの代表作として今後も引き継がれ続けてほしい、と感じました。
夜会行

夜会行

動物自殺倶楽部

「劇」小劇場(東京都)

2024/04/24 (水) ~ 2024/04/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2日目のお昼公演を観劇。
4名のレズビアンの元に訪れた1人の恋人といくつもの提起。5名が過ごしたある夜の物語、そして、"ある夜"にも"レズビアン"にも決してとどまらない問題がガラス窓から街へと現実へとシームレスに続いていく。

ガラス窓の向こうには植物に囲まれた部屋の一室、うっとりと見惚れてしまうような美術に迎えられ、そのまま食い入るように5名をただただ見つめ続けた85分。コロナ禍が初演なだけあり、物語や演出の端々から時節を想起させられました。ガラス窓はそれもあっての(感染対策も加味した)演出だったのかなと受け取りつつも、物語やその心象風景においてもそれ以上の効果が発揮されていて、素晴らしかった。3年前にこんな凄まじい演劇(初演)を見逃していた自分つくづく信じられないと悔やみつつ、今回たしかに目撃したガラス越しのあの風景を、あの一夜を、その手ざわりを知らない自分にはもう戻れない。戻らない。途中、理由のわからないままの涙を二度流した。そこにはきっと大切なことが隠されているはずだから、時間をかけて紐解きたい。
静かに激しく流れる一夜を映すようでも照らすようでもある照明、怒りや焦燥、心の騒めきと伴走する音響。そして、饒舌な時も寡黙な時も、息づかいから瞬きまで、人間がそこに存在することによって生じる全て、感情の源流その在処を伝える様な5名の俳優の素晴らしさと、そのような細部こそが伝えるものの大きさととことん向き合った演出。全てが全てに隙間なく接続した圧巻の総合芸術でした。好きな俳優さんがたくさん増えました。

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