泥人魚 公演情報 劇団唐組「泥人魚」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    出張で札幌滞在最終日の朝に訃報を聞いて、それは代表作『泥人魚』東京公演開幕日でもあった。
    そして、翌日予定通りの日時に予定外の状況で紅テントに向かった。浴び、吸い込み、啜るような観劇だった。
    上京してから産前産後を除いて唐組を観続けてきたけれど、その中でも忘れられない日になった。状況が状況だから特別にならざるをえない節もあるけれど、むしろ私は、私の胸は、いつも通りの圧倒が全うされていたことにたまらず溢れたのだった。うまく言えないのだけれど、こんなにも大きな喪失を抱え、漂わせながらもいつも通りの眩しく儚い紅、そこで圧倒が更新されていることに心が震えた。
    無論前身の状況劇場にかすってもいないことはおろか唐十郎演出の唐組を一度しか観たことのない私である。「全盛期を知らないじゃないか」と言われればそれまでだけど、私にしてみたら観始めたその日からいつだって唐十郎は全盛期じゃないのだろうか、と思っていた。思ってきた。いや、思っている。 ぴたりと同じ時代に生きたわけでない、"全盛期を知らぬ世代"の私も、それでも誰がなんと言おうと、唐十郎の言葉に唐組の劇世界に魅了され続けた、され続けている、歴としたその一人です。

    札幌で訃報を聞いた時は事実に輪郭がないままだったけれど、羽田からのバスが奇しくも新宿に、唐十郎なき新宿に着いた時ようやく実感がおそってきた。さみしい、とも、かなしい、ともまた違う、しかし確かな喪失感だった。花園に聳える紅に命の火をうつすように唐さんの肉体から魂が離れたように感じた。風になったようにも思うけれど、やはり水かもしれないとも思う。手を洗うとき、風呂に入るとき、汗、涙、雨、あらゆる水を経験しながら、唐さんの戯曲で出会った言葉の数々を反芻していた。いつも通り当然のように予約していたその日がまさか唐さんを偲ぶ観劇になるとは思いもしなかった。だけど、いつも通り呆気ないまでに素晴らしい役者たちが今日も今日とてドカドカと舞台の上を暴れ回っていた。大鶴美仁音さんの香り立つような儚さ、妖しさに惑わされながら、泥の波間の花園で人魚を見た。テントの紅から人が溢れ出していた。虚構が現実に明け渡され役者が去っても続く遺言の様でも産声の様でもある歌声。その余韻の中で嗚咽みたいな喝采はいつまでも鳴り止まなかった。奇しくも今までで最も"唐十郎"を近くに感じた瞬間だった。

    ネタバレBOX

    ネタバレ、というより私情である。しかし、少なくとも私に取っては唐組を語る上では欠かせない話でもあるので、少し追記をする。

    何度足を踏み入れても現実的ではない存在だった紅テントが少しの間だけ日々の一部になったのは、昨年の春公演『透明人間』の時だった。長年の念願叶ってテントの建て込みと稽古場の取材・執筆をさせてもらったこともあるけれど、夫が出演していたことも大きかった。唐戯曲で馴染みの"田口"という名の役だった。台所で胡瓜を切ったり、洗濯を取り入れてると、風呂場や部屋の向こう側から唐戯曲、そこに刻まれた美しく荒ぶる台詞たちが小さくしかし確かに漏れ聞こえてくるのだ。そんな中やはり私は胡瓜を切り続けたり、はたまた黒地に赤で"テント番"と書かれたTシャツを畳んだりして 田口の台詞とともに日々に非現実が雪崩れ込んでくる度いちいち胸を熱くしていた。自分の人生でこんな日がくるなんて思いもしなかった。しかしそれでも、たとえ家族が出ても、日々の隙間でそれを娘と見に行っても、感慨深さはあれど遠い幻影の様な紅テントの圧倒は初めて観た日と何も変わらなかった。ようやくここまできました」「それでもまだまだ遠いです」と、あの日々、私は心の中で誰かに向かって必死に話しかけていて、その誰かこそが唐十郎その人だったということにようやく、はっきりと気づいたのは、唐さんが旅に出てしまった時でした。
    さみしい、かなしいともまた違う、だけど確かな喪失を感じながら、けれども美しさと荒々しさに身を任せながら。きっとずっとそうだろう。紅テントが花園に建つ限り。唐十郎の言葉が戯曲が存在する限り。

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    2024/05/20 14:14

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