ミセスフィクションズのファッションウィーク
Mrs.fictions
駅前劇場(東京都)
2024/08/08 (木) ~ 2024/08/12 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
なかないで、毒きのこちゃんとMrs.fictionsと日本のラジオを観るんだ、3団体一緒に観るんだという強い気持ちできました。何が何でも初日に、という気持ちで。
「ファッション」をテーマに、タイプの異なる団体がやはりタイプの異なる作品を発表する、言うなれば、ファッションショーケース演劇!
明日のデートに着ていくお洋服を巡って様々な心が脳内会議を繰り広げるかわいらしいコメディで劇場内のモードをグッと温めた、なかないで、毒きのこちゃん。
ヒヤッとしたり、クスッとしたり、ホラーサスペンスともブラックコメディとも言える作風で舞台上に独特の湿度と磁場を生み出す魅惑の日本のラジオ。
そして、特撮好きの恋人とそんな彼に影響を受ける女性の物語を通じて、今と昔、変わりゆく時代と変わらないもの、その狭間で起きる心の葛藤や信念の行方を炙り出したMrs.fictions。
愛らしくて、かっこよくて、楽しくて素敵な作品群でした。
タイプの違う演劇を一気に観られるの豊かだし、1作40分強という短尺なのに見応えが濃密で各々の劇作の力を堪能。
(Tシャツを買ったので一人でお家ファッションウィークやるぞっ!)
個性豊かな3団体を一挙堪能できる、この夏限りの演劇(とファッション)のお祭り。
昨年恵比寿で観る予定だった方も、演劇が初めての方も気になったが吉日な企画だと思います。
チケットがタグなのもニクい〜!
余談ですが、幕間?に岡野さんと並ぶ俳優さんが舞監さんと知る。ランウェイまでモノにするなんて素敵!おしゃれして感想語る会ファミレスとかでやりたい。そんな作品でした。
ガチゲキ!!復活前年祭
『ガチゲキ!!』実行委員会
アトリエ春風舎(東京都)
2024/08/08 (木) ~ 2024/08/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ガチゲキ!! 劇団だるめしあん『#ラブイデオロギーは突然に』を観劇。
激励劇だ。あの頃の自分に言ってあげたいこと、今の自分が言われたいことがギュッと詰まった90分。ケータイ小説に生きるヒロインにも現代を生きる同世代の女性にも自分を見た。
時空を越えたシスターフッド、呪いとの対峙と決別、そして、生きることへの祝福と共にたたかう友との乾杯。私も今を憂いてばかりいられないぞ、とすごく励まされ、励ましたい人の顔も浮かびました。終演と同時に沸き立った溢れんばかりの拍手がこの演劇の必要を物語っていた。
そして、その拍手の大きさに再び励まされるような時間でした。
ファジー「ours」
TeXi’s
STスポット(神奈川県)
2024/08/21 (水) ~ 2024/08/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初日をSTスポットにて観劇。
プロジェクトの中でも前作『theirs』は「男性の背負っている加害性」、今回の『ours』は「女性の背負っている加害性」を一つのテーマとしていますが、私が勝手に思い込んでいたイメージとは全然違う演劇で、そのことに多くの気づきや内省を得ました。
男女二元論、そして、「男女二元論が生み出してしまう加害性」は私の中にも確かに存在する。その事と向き合う観劇でもあった。俳優さんのリレー書簡からも。一人ひとりの眼差し、答えを一つとせず、いくつもの選択肢や可能性を"みんなで考える"シリーズだと改めて痛感しました。
男性、女性、そして全ての人が背負っている加害性を考える本プロジェクトにおいて、おそらく私は、一人の女性としてだけでなく、2人の子どもを育児する親としての視点も持ちながら見つめざるをえないと考えていますし、その必要を感じています。
歩かなくても棒に当たる
劇団アンパサンド
新宿シアタートップス(東京都)
2024/08/07 (水) ~ 2024/08/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
今回もまた日常に生じた小さな嘘と正義、気遣いと気休めによってとんでもねえ事態が招かれ、さらに招かざる客(?!)までが招かれ、やがてとんでもねえ大事態になっていく可笑しみのトリプルアクセルを堪能。
ゴミ出しに間に合うか合わないかの話が、まさかこんな風に展開するなど誰が予想できるのか!笑いだけでなく劇構造の細部にも劇作家・安藤奎さんならではの美学が宿っている様に感じました。俳優の個性を最大に引き出す技術、予想を上回る魅力でそれに応えるキャスト陣も素晴らしく。
(麗しの!)川上友里さんのチャームと狂気が圧巻、堪能!
西出結さんの巻き込まれっぷりと悲哀も、安藤輪子さんのはみ出た真面目さも、永井若葉さんの協調と見せかけた適当さも、鄭亜美さんの番狂せな妖しさと艶も、配分・配置が絶妙で、どことどこをどう掛け合わせたら何がボムするかの見通しが全てクリーンヒットを成していて美しいほどでした。
小気味良く起きる笑いの奥に、荒唐無稽な世界の裏に、ノリや勢いでは成立しないある種の潔癖さを感じて、私はそこに芸術における秀逸さを感じたりもしました。が、今回もまたそこにさらに、お家芸とも言えるどアナログな装置が仕掛けられ新磁場が爆誕。もう呆気に取られ笑うしかない、痛快でした!
はやくぜんぶおわってしまえ
果てとチーク
アトリエ春風舎(東京都)
2024/08/01 (木) ~ 2024/08/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
凄まじかった。
目に見えて人が怪我したり死ぬ出来事は起こらずとも、日常がいかに地獄かを、言葉や意識や無意識によってどれだけの見えぬ血が流れ、心が殺されていくかを60分で描き切っていました。
私も、誰もがあの教室にいた、いや、いるのだと改めて知らされた。
冒頭に高校生たちが手に取るティーン誌は私がかつて長く携わっていた雑誌で、その表紙とめくられていく誌面からぴたりと自分が担当した企画やページが見えて、その時頭上から何かを振り下ろされたかの様な気持ちになった。
少し昔にある世代を魅了したあの"カワイイ"雑誌の中にも、ポップにコーティングされながらその実鋭い刃を剥いた言葉たちが恐らくある。無関心から誰かを透明化したり、物や人への人気投票によって優劣をつけたりがある。他にも色々あった。
そして、紛れもなく私もそれを送り出してきた一人である。
だから「振り下ろされたかの様な気持ち」ではない。振り下ろした、振り下ろしていたのは自分の方なのだ。それらがこうして、ただでさえあらゆる傷を追わねばならない放課後に流通していたことを恥ずかしながら10年以上も経って痛感することになって、これはもう後世忘れてはならない感覚だと刻んだ。刻む様に血の流れ続ける放課後をみていた。
女子高を描いた演劇だけど、女子高生の問題ではない。
全ての人間があの教室の椅子にまず着席せねばならないと思った。
だからこそ、年1回位の頻度でカンパニー出費でなく公的助成や主催のもと上演されてほしい作品でした。俳優が皆痛い程に素晴らしかった。
升味加耀さんは今まさに掬い上げ、摘み取らなくてはならぬ問題に真っ向から筆を入れる劇作家の一人だと思います。それは私が観たどの作品でも揺るがない。岸田戯曲賞の選評ではその眼差しや覚悟についてがあまり言及されなかった気がしてて遅ればせながらもどこかに記したい気持ちにもなり(記し)ます。
冠婚葬祭
エリア51
すみだパークシアター倉(東京都)
2024/07/25 (木) ~ 2024/07/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ある曲とあるシーンで胸がいっぱいになって落涙しながら拍手しました。音楽と演劇の力をどちらも同じくらい感じています。空間としても、作品としても考え抜かれていました。
終演後ゲストパフォーマンス、リリセwith仲間たちのサイファー読書会もとてもとってもよかった。言葉と音楽、そしてそれを持つ心身が対等であり、平等であること。誰しもがライターにもスピーカーにもシンガーにもなれるということを信じ祈るようなパフォーマンス。
またどこかで必ず観たいと思いました。
美しく、高くなるほどに強さが光る鈴木さんのボーカル、神保さんのギターと廣戸さんのベースが刻む不可欠なビート、そして心拍のような心地よさを鳴らす中野さんねマリンバと鐘々江さんのヴィブラフォン。胎内から聞く外の音はこんなだったかもしれないななんて思っていました。
俳優の力と技も感じました。
星さんの包容力とそれでいて孤高の存在感は旅人そのもの。中嶋さんの身体は地を這うときこそ宙に浮いているかのようで、熊野さんの身体は動く度に生きる喜びと切なさが弾け出すようで、萩野さんは静かな葬いに心を燃やすようで、みんなそれぞれ一瞬身体が泣いてるようにも見えた。音楽演劇だけど、ダンスパフォーマンスももっと押し出していいくらい素晴らしかった。
そして、私が思わず涙したのは、高田さんが花瓶に花を活けるシーン。
歌詞に合わせるのではなくむしろ導くような横顔と所作に胸が溢れた。
私は応援コメントに「人生のオールタイムベストだ」と書いたけれど、こんなふうに大切な誰かにもらった花束をほどいて、一つずつ慈しむように時間をかけて活けること、そして例えば窓辺なんかに飾るようなひとときこそが冠婚葬祭に匹敵する、いや、もしかしたら勝る人生のベストタイムであったりするのかもしれない。高田さんの横顔と仕上がっていく祝福の花瓶を交互に眺めながらそんなことを思っていました。思っていたら、自分がそれを忘れていたこと、すっかり蔑ろにしていたことを一緒に思い出して、涙が出てきてしまったのです。
我が家には毎月お花の日があるのに私は多分長らくこんな顔をして活けてなかった。
花を買って帰るには時間が遅すぎたから家に帰ってまず花瓶を洗いました。
起承転結で構成された物語や演劇には慣れていても、冠婚葬祭を紡ぐ音楽と演劇にはきっとそう出会えない。案の定、祭りの後は少し寂しいけれど、それも含めての人生を眩しく描いた音楽と演劇でした。日本ならではの文化が要所要所に忍ばされているのもよかったです。
そして、照明(松田桂一さん)を堪能する作品でもありました。本当に素晴らしく空間を照らし、灯し、縁取られていました。あと、星さんが鬼のお面を手にした時は、「もしや、まだ鬼に魅せられてる?」(1年前の条件の演劇祭参照)と少し笑いました。
作・演出の神保さんにも改めて大きな拍手を。ゲストパフォーマンス含め、演劇シーン、まだまだ進化する、またひとつ素晴らしい世代が彩っていく、と確信するようなステージでした。
墨田区の人は500円で観られるそうなので、是非墨田区の人にも広く伝わりますように。
もちろんそうじゃない人にも。
すみだパーク遠いと思うかもしれないけれど、足を運んで本当によかった...。子どもたちにも見せたかった、聴かせたかったな。多分まだ感想書きますが、とにかく生きるということを最高に祝福され、労われ、激励された気持ちです。祝福し、労い、激励したい人の顔が浮かびました。
ダダルズのサル
ダダルズ
SCOOL(東京都)
2024/07/22 (月) ~ 2024/07/24 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
ダダルズを初めて観た日から今後二度と見逃すものか、それもできたら初日にと心に誓い、今回も類に漏れず待望の観劇。脳や内臓を揺すぶられる様な体感は健在だけど、今回はこれまでより主題が明確で、そのことによりさらに思考の深淵へと臨んでいく様に感じました。
自転車の蛇行という記憶の風景を語りながら、それがいくつもの物事と接着や剥離を繰り返し、やがて部屋の湾曲に繋がっていく。物理的な意味合いでも精神的な意味合いでも人間の心身に発生する歪みや揺らぎ、つまりカーブ。同じことを体験したわけでもないのに痛くなるのは、同じではなくとも確かに自分の中にも、あるいはその部屋にも存在するそのカーブに触れられたからなのだと感じたり。そして、そのカーブは例えば老いゆく母の背骨や日々刻まれていく自分の皺を彷彿させ、やるせ無さがさらに募る。
人が生きていく上で抱えざるをえないトラウマとかやるせない気持ち。そういう個人的な「どうしようもなさ」にどこまでもどこまでも対峙して、今回もまたあんなにも溢れながら「渇き」を開示する大石さんに魅せられ、知らされました。
町や職場に見る"行き場のないオバハン"に母や自分の姿を重ねるときに湧き出る哀しみや怒り。「どうしようもなさ」にジタバタしてもがき、されどもジタバタしてもがくことを決してやめない大石さんの姿はやっぱり理屈とか理性とかを超越した何かを私の心身に残していく。
小5娘をチャリ後ろに乗せて帰宅してから観るにはあまりに痛切な主題だった。忘れない。
次回は10月。これも忘れない!
ダダルズのサル余談。初日は終盤ゲリラ雷雨に見舞われ終演後がそのピークに。
劇場ビルの入口で観客間で今後の雨足や最寄りコンビニを共有したりしつつ少しの間を過ごした。演劇の圧倒と雷雨の圧倒が少しシンクロする様な時間だった。
自分より先に雷雨の中を走り抜ける人の背に大石さんを重ねたりした。
かなかぬち
椿組
新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)
2024/07/10 (水) ~ 2024/07/23 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
椿組、39年続いた花園神社での公演にピリオドを。もう観られない名残惜しさを感じつつ、だったらば!と子ども(6歳と10歳)を連れて観劇しました。
拐われた母を探す姉弟の物語をかつて母乳を生成したこの身体で、しかもそれによって育んだ姉弟を視界に見切らせつつ観るのだから、母の心で見つめざるをえなかった。女が強い物語は清々しいな!と思っていた矢先にその強さの原料が哀しみや諦めであることを知る居た堪れなさよ。
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ネタバレBOX
散り散りになった母と子を往来する中で、主に母から母乳や授乳への言及がある作品だった。(少なくとも私はそこに打たれるものがあったのでした)
離れていても(我が子でない)赤子の泣き声を町できくと、その声が呼び水?いや呼び乳の様になり胸が張ったり、乳が溢れたりした経験からは、なんというか、へその緒が切られても尚ある母子の同機の様なものを感じて、すごく強烈な体験だった。劇中でも度々母がそんな胸の疼きや痛み、吸われる時の体感を口にするんですけど、それが何とも言えない表情で印象深くて・・・。勿論それだけではないけれど、私はどうしても母に、今なお子どもと繋がっているように錯覚する乳房を持つ母にシンクロする様な気持ちで見つめていました。
最後の花園神社公演に立ち会えてよかった。嵐の夜のお祭でした。
ちなみに椿組デビューの子どもたちは、USJに行ったばかりの6歳が「もしかしてお芝居のアトラクションなんじゃない?」と言い、唐組大ファンの10歳が「いろんなテント(芝居)があるとわかった」と言っていました。
もう花園では観られないのだから最後に新世代の子どもたちを連れて行けてよかった!
そういう後世に与える影響も含めた意味で満足度は星5つです。
Deep in the woods
終のすみか
調布市せんがわ劇場(東京都)
2024/05/24 (金) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
東京を離れ、地方の林間部へと移住した旧友のもとを同級生の男女二人が訪ねる。祖父の別荘のあるこの森に一人で住んでいるのは、フリーランスのアニメーション作家と思しきシノダ(武田知久)だ。その幼稚園時代からの友人であるサトウ(高橋あずさ)とアオキ(串尾一輝)はともに既婚者で、アオキには2歳の子どもがいる。シノダの移住からは1年だが、3人が再会するのは4、5年ぶり。そのまま明け透けに懐かしい夜は明けてゆく。
(以下ネタバレBOXへ)
ネタバレBOX
異変は翌日の昼頃に起きる。あと数時間で二人が帰るとなった頃に、息も切れ切れ、会話の応答もままならないシノダの異変に二人は気づく。そこでシノダが心を病んでいることをようやく、はっきりと悟るのである。
心を病んだシノダに「大丈夫?」と数回尋ねた後にサトウが「何かできることある?」と質問を変えるシーンが印象的だった。そこには小さな変化の中に他者に寄り添う気持ちが忍ばされていた。そして、シノダは二人に「また来てくれる?」とたずね、二人は「もちろん」と応える。
人は他者の心の異変にどこまで気づくことができるのか。
本作を通じてそんな命題を問われたように感じた人は多かったかもしれない。
しかし私が本作で最も強く感じたのは、人一人の存在が与える影響の大きさであった。私たちは、あなたたちは、私も、あなたも、存在しているだけでいい。それだけで誰かの今を少し救っているのかもしれない。たとえばこんな風にふらっと久しぶりに旧友に会いに来ることなんかで。それを戸惑いながらも迎え入れることなんかで。この「会う」ということのエネルギーの大きさを、孤独の沈黙を一つ破るだけで変わる風景もまたあるのかもしれないということを感じることのできる演劇だった。「大丈夫?」を「何かできることある?」に変えることでようやく聞こえるSOSがあるのだということも。
心の声など聞こえるか
範宙遊泳
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2024/07/06 (土) ~ 2024/07/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
私には幼少期から夢にまで見る恐れてる事があって、私の身体はすっかりと、それ=世界の終わりとサジェストされている。それこそが心の声がきこえてしまうこと。だけど、私は今もしかしたら終わらないかも、愛によって終わらないかもと思っている。
『心の声など聞こえるか』という演劇に出会って。
(以下ネタバレBOXへ)
ネタバレBOX
サトラレという漫画・ドラマが流行ってた頃はとくに毎日怖かった。自分の心の声の全部がはずかしくておそろしくて、「思うことをやめたい」ということばかりを思って過ごしていた。絶対に嫌われるし、嫌いになっちゃう。それが世界規模で起きたらもうそこらじゅうが戦争で世界はじき終わっちゃう。そんなトラウマは尾鰭背鰭をつけて私の中を長く漂っていた。
だから、劇中で喧騒から逸れた妻たちが心の声を飛び越えて小さくも壮大な耳打ちをしていたとき、そのあと宴席に戻って心の声を介さなければ通じ合うはずない合図で交信をしたとき、次から次から涙が出てきた。その涙でやっとわかった。私がこわかったのは心の声がきこえることじゃない。それで世界が終わることじゃない。人を信じていないこと、信じられないことなんだと。30年以上かかってようやくわかった。浄化だった。範宙遊泳に、山本卓卓という劇作家に、この作品に出会えてなければこのままずっとわからなかったかもしれない。
目の前の人が言っていることを、隣の人が信じていることを自分はどれだけ剥き身で受け取れるだろう。心の片隅でどれだけ微細にも馬鹿にせず、呆れず、その声のままを受け取ることができるだろうか。それはとてもむずかしい。でも、信じたいし受け取りたい。そう思うことからでも何か変わるかな、そう思うことも愛ってよんでもいいのかな。
自分と圧倒的に違う他者やその声を異質と排することで守られる世界があるとしても、そんな世界に守れるものなんてたかがしれてるのだろう。
妄想とたたかうこと。他者が差し出す声を信じようとすること。隣人への愛を全うした妻が「しあわせ」と言ったことおめかしして選挙へ出かけたその夜に誓う様に飛び立ったこと。喜びも哀しみも抱えたいくつもの風景を多分この先もずっと思い出す。信じる力が小さくなるたびにこの演劇に、この演劇を心の底から信じた自分に、その心の声の在処に何度も触れるのだと思う。
「この演劇信じられる」と思うことも「この作家や俳優信じられる」と思うこともあるけれど、「この演劇に、作家に、俳優に、観客じゃなく人間としての自分が信じられている」と思う経験は多くない。そんな演劇だった。目の前の俳優が素晴らしすぎての落涙もあった。
逃奔政走
フジテレビジョン
三越劇場(東京都)
2024/07/05 (金) ~ 2024/07/16 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
都知事選投開票前後のこの時期に政治家1年目の女性候補者の街宣から幕が上がる舞台がやっている。議員の汚職を取り上げた舞台がやっている。そのことももっと知られてほしい。当確が出てからの3年半、県知事の彼女が何から逃げて何に向かって走っていたか。清さも濁りも描かれてます。
エンタメにコメディにパッケージしながら県政や国政をしっかりと作品に持ち込み、そして観客を通じて作品の外、社会へと運び出していく。そのスタイルは劇団公演と何も変わらない。どの劇場だって、誰とだって、いつだって、アガリスクエンターテイメントはやっていることが変わらない。そのことにどれだけ痺れ、励まされたことか。そのことがどれだけ難しいかを知っているからなおのこと。(以下ネタバレBOXへ)
ネタバレBOX
主演の鈴木保奈美さんが家庭や仲間と政界での自分のギャップに誰より自身が戸惑う姿を等身大に演じられていて、公人も個人であるという当然を改めて痛感した。そこにメスを入れ、否、ラケットを切る寺西拓人さんの鋭い分だけ実は高温なポリシー。そのブレなさ、痛快さ。相島一之さんの配役がにくいことはもちろん、舞台上には描かれてはいない私生活やバックボーンに裏打ちされた人間の可笑しみや情けなさが背中や横顔に映し出されるようでした。表情や声色の緩急がシーンのうねりとなってより笑いましたし呆れました(そういう役柄なのです!笑)
そして、なんといってもアガリスクメンバー(常連客演含む)が本当に魅力的。まじの一人残らず全員がバチっと役にハマりつつも想定以上の魅力を見せつけるようでもあり、かっこよくて、なんというかすごく清々しかった。いわゆる小劇場でやってきたこと、やっていることをある意味でリサイズせず、それでいて三越劇場を全く持て余すことなく、むしろ可能性を拡張すらする様に走り抜いていることが。
私は熊谷有芳さん(今作で久々の舞台復帰)演じるアクティビストに共感したけど観る人によって様々な人にシンパシーあるいはエンパシーを抱けるような、全員にきちんとドラマがあること、それらが手をつなぎ合って作品そのものの源流となっていること。人間の悲喜交々が出発点になった冨坂さんの劇作に私はやはりとても惹かれます。
この公演を面白いと思って、ホームであるアガリスクエンターテイメントの作品を観たことない人は是非劇団公演も観てみてほしいなあ、なんて思いました。きっと楽しんでもらえると思います(違いではないけど、劇団公演の方がやや屁理屈濃いめ背脂ありって感じ!笑)
木のこと The TREE
東京文化会館
東京文化会館 小ホール(東京都)
2024/07/12 (金) ~ 2024/07/13 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
南果歩さんの少女の瞳が物語る痛ましさと切実。古澤裕介さんや金子清文さんの個性が手渡す生命の存在感。ピアノ、ギター、コントラバス、チェロが奏でる豊かで、あたたかく、しかし、それだけではない、時におどろおどろしい音楽。
時代を横断してもなお変わらないもの、それらを込めた祈りのような言葉の数々。そして、音楽と言葉に呼応する我妻恵美子さんの生命の躍動と枯渇を体現する踊りは木々の悠然、力強さ、戸惑い、憂い、そのものだった。
その全てにぎゅっと縁取られるような70分。
木を抱きしめ、抱きしめられる時の様な静寂なのに濃密な、時や世界の果てしなさを五感で感じる時間でした。
私は子どもたちの名前は木からとっている。
一人はある神話で人類の始まりに深く関わりのある、葉っぱが四方八方に広がっているのが特徴の木で、小さな手の平からまさに葉っぱが広がるように生まれてきた命を見た瞬間にその名は決まった。もう一人は夏に花をつけ、秋に実を落とす木で多くの生き物のみならず、防風林になるなど人間の暮らしをも守っている。
そんな風に子どもに木の名を命名した私は、人よりも木々の名前を口にすることが多いはずなのだ。だけど、知っていたつもりになっていた。木の記憶の本当の果てしなさ、痛ましさを。そんなことを思いながら劇場からの帰路につき、その道中でまたいくつもの木々に迎え、見送られ、そして今日も今日とて木の名前を呼び続けている。
流れんな
iaku
ザ・スズナリ(東京都)
2024/07/11 (木) ~ 2024/07/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
過疎化、海洋汚染、出生前診断や移植における倫理的問題、不同意性交、そして、母の不在によって家事、家業、妹の育児を一手に担い、進学を諦めた姉の姿にはヤングケアラー問題の側面も色濃く映写されていた。初期作品とあり、調べたら初演は10年以上前。その段階でこんなにも多くの喫緊の題材が扱われていたことに驚くとともに、自分の鈍さを痛感もした。そして、未だそれらほとんどに解決や正解が見当たらないことを改めて目の当たりにするようで目眩を覚える。あらゆる考えが乱立する社会で一つのことを定義する難しさよ。
そして、iakuの作品を観るといつもその前提に必ず人間の野性があることを思い知らされる。本能というよりも野性。涼しい顔をしたり、知らないふりをしたり、いろんな理性でふたをして生きている人間の中にされども絶えずある野性。ひとたび流れ出したら途轍もなく早く、止まらぬ激しい野性。
必要以上の負担と責任を負わざるをえない状況にある姉と否応なくその恩恵を受けるしかない状況にあった妹。いずれものどこにも流せぬ思いが濁流の如く押し寄せて決壊を迎えるシーンでは、その水圧に流されぬようにと流木を掴むような思いだった。もちろん掴む木などはないので掌を握る他なかった。痛くなるほど握っていた。田舎で生まれ育ち、姉と妹をもつ。そんな自分としては、知っている景色やいつか知る景色を見せられている様でもあり、耐えきれないほど解像度の高い衝突だった。
そして、本作なんといっても俳優・異儀田夏葉さん が凄まじい。どのシーンをとっても圧巻だった。(以下ネタバレBOXへ)
ネタバレBOX
田舎の漁港町で自分を犠牲にして生きてきた、生きてきてしまった、生きてこさせられてしまった女性の叫び、えもいわれぬ孤立や喪失感。それらが笑顔の時にこそドバドバと滴り溢れ落ちてくるようだった。そこに流れないもの、流せぬものを見た。見えた。だからこそ、これは本当に思うのだけど、懸命に生きる女性が消費され消耗されて終わるだけの物語じゃ辛すぎるから、劇中のセリフを借りれば、"そういう物語の主人公になって生きるしかなかった人生"なんて居た堪れなさすぎるから、投げつけるものは投げつけて欲しいしそのシーンがあったことが救いだった。一緒に叫び出しそうな気持ちをギリギリ保てた感じがあった。お願いだからあの後絶対幸せになってほしい。むっちゃんと私、2歳しか変わらない。同世代なんだ。だからって訳じゃないけど誰にどんなもの投げつけても、どこにどんなもの吐き出してもいいからってトイレに駆け込むラストシーン見て強く思った。あのシーンも必要だった。
OVERWORK
キュイ
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2024/06/28 (金) ~ 2024/06/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
キュイ主宰である綾門優季さんによる三部構成の連作短編集『OVERWORK』のうち第一部『予想で泣かなくてもいいよ』(演出:綾門優季さん)と第二部『あなたたちを凍結させるための呪詛』(演出:松森モへーさん)の二作を上演。第三部『予定された孤独』は升味加耀さんによる台本の編集・台詞の追加と削除が行われた上演台本を公開。
ネタバレBOX
第一部『予想で泣かなくてもいいよ』(演出:綾門優季)。3人の登場人物によって同時多発的に語られる心の内、その想像は重なり、混ざり、早速誰が何を言っているのかが分からなくなっていく。「目の前の人が話している内容が聞き取れない」という心的ストレスを反射的に抱いてしまってすぐに、いや、これこそまさに水面下で起こっていることそのものだ、と背中を冷やした。人が仕事に向かう時、帰る時、最中に、また、職場でなくとも仕事について考えている時に脳内や心中で常に行っていることで、当然私もやっていて、なんて騒がしいのだろう、これだけで十分壊れてしまいそうだ、とつくづく感じた。
第二部『あなたたちを凍結させるための呪詛』(演出:松森モヘー)は語りとともにスープが着々と作られていく様、そのある種の連動と対比が訴えるものの強さに圧倒された。(実食こそがその本質ではあるのだけど)命を明日へと繋ぐ行為とも言える料理が進めば進むだけ精神が擦り切れていくようで、労働への疲弊や鬱屈、そのことによる心身の破壊が、こちらの目や耳や、食べてもないけど口や、そして脳や心を揺さぶるように調理を通して可視化されていくみたいだった。松森モへーさんは本当に似ている人がどこにもいない、素晴らしい演出家であり俳優だと改めて痛感しました。
どちらも想像の終わらなさと想像の及ばなさが同じくらいの波の高さで押し寄せてくる上演だった。職場の環境や過労、仕事による心労が人を壊してしまうことを初めて実感したのは大学生の頃だったな、と思い出したりもした。当時付き合っていた恋人が仕事によるストレスで笑顔を失ってしまった。出勤時、昼食時、帰宅時に毎日きっちり3回送ってくる「行きたくない」、「帰りたい」、「もうやめたい」というメールによって、私もまたどうしていいかわからない戸惑いと何もできない不甲斐なさから心を病んでしまった。あの時、私もまた想像をしながら、想像が及ばなかった一人だったと思う。多分、私が思う何億倍も彼は辛かったはずだろうと。
それから15年が経っているけれど、劣悪な労働環境は滅びる気配はない。コロナという前例のない大事態から仕事の在り方は大きく変わったように見えるけれど、その実コロナ以前から取り残されたままのことばかりだという印象もある。コロナ is over なムードが漂う中で今この公演が再演されたことはすごく重要な意味を持っている。何も終わっていない。戦争も。“世界から滅びても良い仕事”は、その内容を指しているのではなく、そういった人の生活や心を破壊していくような仕事や仕業を指しているのだとも思った。私もそんな仕事は滅びてほしいと思った。そう思いながらその仕事に日常を支えられていたり当然するのだろうとも感じた。想像をした。
しかしながら私は「想像力!」とことあるごとに子どもに言ってしまっている母だと思う。
ある時娘が言ったのだった。「想像しているうちに怖いことばかり思い浮かんでくる」「だからもう想像をしたくない」と。泣き出したこともあった。「ママが死ぬところまでいってしまう」と『予想で泣かなくてもいいよ』という言葉からはそんなことも思い返していた。
観られてよかった。
内側の時間
劇団野らぼう
調布市せんがわ劇場(東京都)
2024/05/31 (金) ~ 2024/06/01 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
野外と見せかけ実はせんがわ劇場!?と驚くほどの世界観の構築にまずびっくり。テントのみならず太陽光で蓄えた電力も持ち込んでの地産都消のゼロカーボン演劇、素晴らしい試みでした。地球のエネルギーも人間のエネルギー同様に有限。この世界と、今という時間と手をしっかり繋ぎながら描かれていく叙情詩/叙景詩の連作たち。キャストから技術スタッフさんへの「(残りの電力は)あと何%?」という問いかけすら演劇の"内側"に繋がる輝きが眩しくて、尊くて。開けた窓から入る風と光で煌めきながらパラパラと詩集がめくれてくような時間でした。この演劇ばかりは語れば語るほど、本当に語りたいことが指の隙間からすり抜けていくものがある感覚になります。それは多分目に見えぬ、心に直接触れるエナジー。胸がいっぱいの観劇でした。次も必ず観たい!
『阿房列車』『思い出せない夢のいくつか』
青年団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2024/05/08 (水) ~ 2024/05/15 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
『思い出せない夢のいくつか』は列車内を舞台にした3人芝居である。
歌手の由子(兵藤公美)とその芸能人生の苦楽を共にしてきた長年のマネージャー安井(大竹直)、由子の付き人である貴和子(南風盛もえ)が地方巡業へと向かうため列車に乗っている。
3人は過去の世間話や窓の外の景色、そして空の星座についてのとりとめのないおしゃべりを続ける。一見なんてことのない、こちらもまた静かな会話劇だけど、さりげない一言一言がそれこそ星と星のようにつながり、3人の間に生じている穏やかではない起伏をそっと確かに握らせていく。
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ネタバレBOX
三角関係がまるで星座のように浮かび上がってからは、なんてことない質問や応答が牽制のようにも取れるなど、会話の手触りにも変化を感じずにはいられない。その上で最も印象的だったのが、出ハケの効果だった。喫煙や売店への買い出しなどで誰か一人が席を立ちその場を空けると、当然残された二人だけの空間が始まる。表立って分かるほどではないけれども、それぞれが三人の時とは違う温度と湿度を宿した会話がカットインし、そして、そのことによって不在の雄弁さとでも言おうか、席を空けている人間は今、この車内のどこでどんな表情で過ごしているのか、などのイメージも駆り立てられるのである。
由子と安井が恋仲ではないにせよ夫婦に擬えられるような気の置けない関係であること、しかし恐らく安井は貴和子と既に一線を越えているのかもしれないことなどが読めてきたところで、二人きりになる由子と貴和子。空気をかき混ぜるかのように星座早見盤を使って星座を探しはじめる貴和子とその読み方が全く分からないとボヤく由子。そのコントラストはこの先の三人の関係の読めなさを暗に示しているようでもあって、ドキッとさせられた。一つの林檎を回しあって食べるシーンもまた、それぞれの歯形で欠けていく果肉がその関係性を彷彿させるようでもあって、それでいて官能を秘めているようでもあり、とても詩的な演出だった。
もはや俳優評にしたいほど、3人の俳優それぞれが纏うムード、声のトーン、そしてその絶妙に調和のとれた応酬が素晴らしい。状況的には「調和」というよりは「不和」なのだが、一言で「不和」と言い切るには憚れる、えも言われぬニュアンスを見事に生み出しているのだ。兵藤公美の人気歌手という過去も納得のオーラと喋りだすと途端に無防備なチャームを見せるそのギャップ、二人の間に挟まれているのか、挟まれにいっているのか、肝心なところでつかみきれない男の浮遊感を体現する大竹直、若さと無邪気さのその奥で渦巻く複雑な葛藤を目線一つに豊かに滲ませる南風盛もえ。目的地が星のごとく遠ざかっていくような時間とその時間に呼応して間延びしていくような車内の空間。3人の会話と2人の会話の往来によって、人一人の不在が語るものの大きさ、その雄弁さを受け取った。3人が作り出す濃密な芝居を堪能した75分だった。
S高原から
青年団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2024/04/05 (金) ~ 2024/04/22 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
病を抱え、療養を要する人たちが暮らす高原のサナトリウムを舞台に、そこで生活をする人や働く人、入れ替わり立ち替わり面会に訪れる人たちの交流が会話を通じて描かれていく。
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ネタバレBOX
患者がスタッフや面会に訪れた友人と比較的明るく会話をしていることもあり、場所が療養所であるほかは一見自由に過ごしているように見えるのだが、コーヒーが飲めなかったり、テニスができなかったり、おもむろに眠気を訴えたりすることで、やはり何かしら制限をかけなければならない病を伴った身体であるということが伝わる。特段お腹を痛そうにするだとか、息を切らすだとか、そういった素振りをしないにもかかわらず、俳優たちが言葉の端々、身体の隅々を使って体と心の揺らぎを体現して見せる様子が見事だった。
登場人物は16名。
入院して半年の患者・村西(木村巴秋)とその恋人と思しき面会人・良子(瀬戸ゆりか)と良子の友人・久恵(田崎小春)。一時は名を馳せた画家・西岡(吉田庸)とそのかつての恋人であり面会人の雅美(村田牧子)、サナトリウム内で西岡の絵のモデルをしている患者・明子(南風盛もえ)。入院歴4年の福島(中藤奨)の元に挙って訪れるのは、古くからの友人である鈴本(串尾一輝)と坂口(井上みなみ)と恋人と思しき友子(和田華子)。その傍らで何やら騒がしいのが、患者の中でも年少に見える喜美子(山田遥野)と過保護なまでに甲斐甲斐しく喜美子の面倒を見る茂樹(松井壮大)の一風変わった兄妹。そして、新たに入院した患者の本間(永山由里恵)と医者の松木(大竹直)、看護人の藤沢(南波圭)と川上(島田曜蔵)である。
患者とその面会人や家族で構成されるコミュニティは大きく分けて4つあり、そこが時にすれ違ったり、交わったりすることで患者の置かれている状況や心情が炙り出されるようでもあった。私がとりわけ印象的だったのが、患者と恋人や元恋人(恋人と明確に定義はされていないかもしれない特別な間柄も含む)との会話、その温度や質感のコントラストだった。そこにはやはりそれぞれの「死との直面」があった。未来を描ききれずに別れを決めた良子の葛藤にも、その別れを良子の友人から代弁された村西の狼狽にも、つとめて明るく周囲と会話を交わし、蝋燭の火が消えるかのように時折姿を消す福島の背中、隣に座るだけでその孤独を包み込むような友子のたおやかさにもそれぞれ同じだけ胸をかき乱された。
ここにきて絵を描くことの本質と同時に死生観をもまっさらに見つめ直すような西岡の落ち着き、何も語らずしてその余白の中に多くの想像を導いた明子、その様子を複雑な心を秘めつつ見守るようでもある雅美。静かな三角関係が伝える、そこはかとない終末の気配にも心を揺すぶられた。
劇中のどの会話を切り取っても、とても静かなお芝居なのに驚くまでの饒舌さがあった。それは、生の饒舌さであり、同時に死のそれでもあるように思えた。サナトリウムでなくとも、昨日も今日も明日もどこかで誰かと誰かの間で交わされている言葉と会話、沈黙と行間にもきっと同じものが流れているはずで、つまり、これらは、生まれた時から死に向かう私たちのリアルそのものなのだった。停滞にも滞留にも似た時間、達観にも諦観にも似た横顔、高原の上と下では当たり前に空気や温度が違うのと同じようにそこに生じる人と人の懸隔。大きな出来事は起きない静かな時間の中で、その瀬戸際でこそはじめてうねる人々の心。死が訪れる先はその当人だけではないということを改めて気付かされるような、そして、それは、生を感じることが当人だけでは難しいということでもあるのではないだろか、と。
孤独を縁取りながら照らす。そんな演劇だった。
少し余談になってしまうのだが、こまばアゴラ劇場に通った日々についても少し振り返りたい。私は演劇を観たり、取材したりしているわりにはこまばアゴラ劇場に、青年団の演劇に、ひいては“静かな演劇”に出会うのが遅かった方だと自覚している。正直なところ、それまでの私はどちらかというと、客入れの曲がガンガンかかり、最後にM0のボリュームが上がって暗転、明転した時から演劇が始まる、そんな演劇ばかりを好んで観ていた。だから、最初はこの静けさをどう受け取っていいのかがまるでわからなかった。静かに始まって静かに終わっていく演劇に慣れていなかった私はその見方がわからず、突然来たことない土地で迷子になったような気持ちだった。こんなにも答えのもらえない演劇があるのか。そう思った。答えをもらおうとすること自体が違ったのだ、と今では分かるけど、そう教えてくれたのが、紛れもないこまばアゴラ劇場で上演された数々の演劇だった。「聞こえてくるものだけを聞く」「見えているものだけを見る」のではなく、その奥で聞こえずとも確かにある声、見えずとも確かにある風景、そういうことに耳を澄ませたり、目を凝らしたりすることを、その豊かさを、私は時間をかけながらこの劇場で学んだような気がしている。
静かであることの饒舌さ、沈黙や行間、停滞の中にこそ潜む真意。言葉の一つ一つを、台詞の一言一言を文字にしたら、どれもが際して大きな意味はないように見える。淡々と語られる言葉、粛々と過ごされる日々。だけど、だけどだ、その言葉を俳優が口にする度に、あの空間でその一言が発される度に、強烈に死と生が絡み付いていく。拭いきれない死はいつもとても静かで、静かなときほど存在感を増す隣人とも言える。『S高原から』という作品はそんな静かな死の饒舌さ、その実感を改めて私に握らせた。こまばアゴラ劇場で出会ったいくつもの演劇、そして、閉じゆくその空間の中で見つめた二つの“静かな演劇”。それらの存在は、私の心をとても騒がしくした。静けさから導かれたその騒めきをこうして文字に託しながら、改めてそう痛感している。
還暦にピアス
こはるともえ
アトリエ春風舎(東京都)
2024/06/28 (金) ~ 2024/06/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
30歳のカホがマッチングアプリで知り合ったマコは「手当てで生理痛を和らげることができる」と言う。その正体は実は300歳の魔女で、二人はいっしょに暮らすことになるのだが...。
奇しくも誕生日翌日に、PMSと肌荒れを引っ提げた心と体でこの演劇に辿り着けたこと。
祝福だったし、まさしく手当てだった。
30歳の女性の言葉も、300歳の魔女の言葉もいずれも私の内側にあるものを吸収していったし、浸透もしていった。300年一緒に過ごしたい大切な友人たちにすっごく観てほしいし、300年経っても分かり合えないと思っている男性の知人にも観てほしいと思った。理由はまだ説明できないけれど。
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ネタバレBOX
いつだってバースデーケーキのろうそくが消えたその時から願いは現実に向かっていくこと。また一歩死へと確実に近づきながら、たまらなく生の瞬間であること。ささやかであろうと、偉大であろうと目標は生きる上での目印になること。
ああ、思い出したら泣いてしまいそうだ。
他者の痛みの源に手を当てること、存在への肯定と祝福、ありがとうとごめんねを思ったその時に言い合うことの大事さ。37歳になってもブラジャーの締め付けや赤すぎて黒い経血に慣れずにいることや、自分の産んだ子への愛情や願いが呪いに転じてないかの不安...一つ一つ口にはできないけど、怖いな、嫌だな、違うな、わかんないなって思ってること。そういうことに静かに頷き、時折ずばりと言い当てる様な物語で演劇だった。37歳はじめての演劇がこれで、私は本当にうれしい。
いいへんじの中島梓織さんの戯曲はほんとうにそれぞれが漢方の処方箋みたいにゆっくり、しかし長く広く染み渡ってくる。今回は生理痛を柔らげるために飲んでいたのに、緊張や不眠も緩和されていた、みたいな感じだった。南風盛もえさんと田崎小春さんのムードもすてきで配役もすごく合っていた。岩井由紀子さんのコメントも含め名企画。
もちろん台本も処方してもらった。明日位に私のPMSは終わり、そして月経が始まるだろう。涙とバトンタッチでやってくる血量と痛みは壮絶。お腹痛くなったら横になってこれを読もうと思う。おまけの写真2種類あって、私が選んだのは少し褪せたセピアっぽい方。もしかしてこの写真も300歳?だったらいいな。
べつのほしにいくまえに
趣向
スタジオ「HIKARI」(神奈川県)
2024/05/23 (木) ~ 2024/05/26 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
趣向は、2010年に劇作家・オノマリコさんにより設立された演劇ユニット。2023年には俳優の大川翔子さん、前原麻希さんが加入され、劇団化されました。
そんな趣向の『べつのほしにいくまえに』の舞台は少し未来のとある国。結婚率を上げるために政府が新たに打ち出した「互助・共助のための結婚法」。その立案と施行までの道のり、そしてその後を描いた物語です。
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ネタバレBOX
<あらすじ>
物語の舞台でもある「べつの星」は現行の結婚制度に疑問を抱く人々によるコミュニティ。
メンバーは地方紙に勤務するコーデリア(梅村綾子)、専業主夫のボトム(海老根理)、書店で働くヘレナ(大川翔子)、秘書のロビングットフェロー(和田華子)。登場人物の名前がこんな風にシェイクスピア作品のキャラクターから命名されていることも一つのギミックとして活きている。
「べつの星」のメンバーたちには、それぞれパートナーとの関わりや生活がある。コーデリアは同性のパートナーのオフィーリア(納葉)とその子どもと暮らしており、そこに友人のギルデンスターン(多賀名啓太)が居候する4人暮らし。ヘレナには、パートナーとして生きていきたい長年の友人・ハーミア(渡邉とかげ)がいるが、ハーミアにはライサンダー(かとうしんご)という恋人がいる。『べつの星』のメンバーたちは定期的に公民館のような場所に集い、それぞれの立場や経験をもとに意見を交換している。
その会にある日、新たに3名の参加者が集う。妻・ヒポリタ(KAKAZU)を伴って訪れたテセウス(箱田暁史)は、性別や恋愛関係の有無に関わらず、ケア関係にある人間が“結婚”できることになる法律・“互助・共助のための結婚法”を推進している政治家だった。そこに遅れて参加した大学生のジュリエット(松村ひらり)が自己紹介でこう告げる。
「わたし、祖母と結婚したいんです」
ジュリエットは多忙な両親に代わり愛情を注いでくれた祖母のロミオを慕い、施設への入居を反対していた。祖母を一番にケアする権利がほしい。そう望むジュリエットの新たな結婚の形は、もう一人の政治家のティターニア(小林春世)とその秘書・豆の花(前原瑞希)によって、“互助・共助のための結婚法”のプロモーションとなり、ロミオは瞬く間に広告塔になっていく…。
【2024年7月11日に「CoRich舞台芸術まつり!2024春」グランプリ発表ページより以下を転載しました】
本作をCoRich舞台芸術まつり!2024春のグランプリ作品に決定する過程にはいくつかの議論があり、その一つにシェイクスピア作品の登場人物に準えた命名は、果たして本作の主題を訴えるにあたって有効的に機能していたか、という議論も持ち上がりました。
原作のその名の人物たちの立場や役割でと本作のそれらが手を繋ぎあっているのか。そういったことを中心に、さながら「べつの星」のメンバーの様に、審査員間で多様な意見を交換し合うことができました。私個人としてはその整合性については特に気にはなりませんでした。私自身がシェイクスピア作品に明るくないという不勉強さもあるかもしれないのですが、それ以前に、全ての命名に綿密な整合性を持たせること=前例に照準を合わせることは、本作の主題において必ずしも必要であるとは言い切れず、ともすれば逆行することでもあるようにも感じたからです。これは最も極端な例かもしれませんが、禁断の愛、悲恋の象徴であるロミオとジュリエットという名前が本作では祖母と孫に当てられていますが、二人は悲しい結末を辿りません。しかし、性別や年齢こそ違うけれど、現行の結婚制度からは異例な、ともすれば一部からは禁断とも言われかねない「ケア婚」を果たそうとする二人に、その命名は実に相応しいとも感じました。新たな結婚の形に法改正が必要なように、この物語を描く上で必要な翻案が凝らされているのだと私は受け取りました。
【ここまで】
本作の素晴らしいところは“互助・共助のための結婚法”という新たな法律とその施行によって、今を生きる人々が何を感じ、考え、喜び、苦しみ、生きているのかを一人ひとりにフォーカスして描き切っている点であったと思います。
誰に心を寄せたか、どのシーンに心を動かされたかは観客によってそれぞれだと思いますが、私が最も心を打たれたのは、広告塔として奔走するジュリエットを傍目にロミオが夜の街を徘徊していた時に結婚生活と自身の存在意義に悩むヒポリタと偶然出会い、会話を交わすシーンでした。孤独を抱え、行き場のない二人が思いもよらぬ形で出会い、心を通わせた瞬間、自分自身もが救われたような心持ちになりました。あの時、拭っても拭っても溢れてくきた涙、その原料が何であったのかは未だにうまく言葉にできずにいるのですが、そうした心の深いところにそっと触れる、奇跡のような瞬間でした。
パートナーがいても、家族がいても、友達がいても、決して拭い去れない孤独を抱えて生きているのが人間なのだと思います。しかし、その孤独な足もとを照らすのもまた人であるということ、人は人によって救われるということ。物語の中の誰かにシンパシーを覚え、心をグッと寄せたその時もまた同じことが起きているのだと改めて思いました。
物語が真夜中である時にカーテンが開き、煌々とした陽光が劇場を満たしたその時、夜であるはずの世界に昼の世界が差し込んだその瞬間は、演劇だからこそ叶う心象風景そのものでした。昼公演と夜公演でまた見え方は異なると思いますが、内の世界にとどまらず、外の世界へと繋がっていく演出もまた、本作において非常に重要な意味を持っていたと感じます。
男女二元論をもとにした結婚制度から進歩しない現代日本において、本作で描かれた世界、「少し未来のとある国」が迎えた円満なラストは、皮肉にもユートピアであるという実感を抱かざるを得ません。
しかし、だけど、そうだとしても、この祈りを少しでも多くの人が持つことで、やっぱり何かは変わるのではないか。“べつのほし”にいかなくても、この星でも、日本でも、愛しあい、信頼しあい、求めあう人々が誰にも制限されたり、抑圧されたり、差別されたり、蹂躙されることなく、温かく幸せな日々を送ることができたら。それぞれが一人きりである「人間」と、一つきりである「人と人との関係」が尊重され、守られたなら。
たとえ今はユートピアだとしても、そんなifを描き続けることでしか浮かび上がらない、この国を「少し未来のとある国」に近づけるためのsurelyな現実があるのではないでしょうか。「おばあちゃんと結婚したい」と言う孫・ジュリエットと、「わたしを助けようとしてくれているのはジュリエットだけ」と言う祖母・ロミオを交互に眺めながら、そんなことを思いました。
『べつのほしにいくまえに』。
劇場を出て、上り道を経て下り道となった坂道を歩きながら、その後に続く言葉を考えていました。
それは、今しがた見たユートピアを少しでも現実に近づけるための思考、祈りを胸に「このほしでできること」を見つめる始まりの時間であったと思います。
さるヒト、いるヒト、くる
ポケット企画
扇谷記念スタジオ・シアターZOO(北海道)
2024/05/03 (金) ~ 2024/05/06 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
北海道・札幌を拠点に活動する若手劇団ポケット企画。昨年まで学生劇団として活動し、演劇祭や賞レースなどへの積極的な参加を経て、今年からは社会人劇団へ。新たな創作の日々へと乗り出したばかりのポケット企画が本作で目指したのは「今と繋がり、過去を問うこと」ではなったのではないかと感じました。
本公演は、旭川を拠点に活動する演劇集団シベリア基地との同時上演という形式。
北海道内他地域の劇団と積極的に繋がり、ともに舞台芸術を盛り上げる心意気に溢れた企画でした。
当日パンフレットには、2つの団体とその作品詳細はもちろん、ワークショップ情報、本年度のイベントラインナップ、今後の出演情報をカレンダー方式で掲載するなど端々までみっちりと工夫が凝らされており、一目で団体の今と今後、そして、周囲や社会との繋がりにリーチすることができました。また、4日の昼公演は「やさしい回」と銘打って、控え目の音響・照明、ゆとりある客席、上演台本貸し出しなど、観劇アクセシビリティ向上への取り組みも行っていました。こうしたインクルーシブな公演デザインは、演劇やその活動が社会の一部であるという自覚なくしては叶うものではありません。社会人劇団となった1年目から、カンパニーでの公演や取り組みをより外へと拓き、「今と繋がる」その姿勢にいち演劇関係者として敬意を抱きました。
そんな風に「今」と手を繋ぎながら、創作では「過去を問うこと」にも実直に取り組まれたことが伺えました。
『さるヒト、いるヒト、くる』は、「この先も仕事をしながら表現活動を続けると決めた若者」が造形作家のもとに数日滞在するところから物語が始まります。「この先も仕事をしながら表現活動を続けると決めた若者」が社会人劇団一年目のポケット企画の面々であることは早々に察しがつくのですが、この造形作家もまた北海道・恵庭市で暮らす実在の人物(タケナカヒロヒコさん)をモデルにしているそうです。
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ネタバレBOX
森で暮らしながら作家として生きる人と、都市部で仕事をしながら表現活動を続ける人がそれぞれの日々を語り合う中で出てきたこんなセリフがありました。
「何を、どんなことを、考えているの。いま。」
「いま、」
「今」
そうして時は1877年、1899年、1945年と遡り、北海道の歴史、戦争という歴史、その風景が今と並行して語られていきます。このシーンからもわかるように、ポケット企画は本作で自分たちの暮らす場所や現在地から、決して忘れてはならない過去=歴史を問うということを試みたのだと感じました。
作風としては、説明台詞も少なく、そのメッセージ性を全面に出す大仰な演出も用いず、日々の暮らしの隙間からふっと入り込むように戦争を描いていました。そのことが、戦争という歴史の上に今の暮らしがあり、今という暮らしが戦争という歴史を含んでいることを静かに、しかし生々しく握らせました。
その風景を見ながら思い出したのは、95歳の祖母もまた「おはよう」から「おやすみ」までの間に折に触れては戦争の話をしていることでした。その度に、祖母にとって戦争は特別なことではないということを思い知らされるようで、本作からもそうした今と地続きにある過去を見つめる眼差しが込められていたように思います。戦争や過去に対する若者たちの戸惑いや迷いがリアリティを以って表されていたことにも実直な姿勢を感じました。
森を模しながらもどこかファンタジックな美術も目を引きました。本作がせんがわ劇場演劇コンクールファイナリスト選出作品でもあることから、持ち運びと転換時間の制約を鑑みて風船が使われていたことも理にかなった美術デザインだと感じました。軽量でポータブルという機能面だけでなく、本作の主題において重要な音響をも担っており、制作面と表現面の両立としても素晴らしいと感じました。
「ポケットに入れて持ち運べる演劇」をテーマに作品を創作しているだけあって、説明過多でなく、押し付けがましくなく、さらに上演時間も短いことで多くの人にとって受け取りやすい作品に仕上がっていました。私自身がアイヌの歴史や文化について理解が及んでいないこともあり、滞在中にスケジュールが許せば白老町のウポポイに行く予定だったのですが、本作を観たことでさらにその気持ちはより強くなりました。
一方で、この題材を描くにはややコンパクトで抽象的にし過ぎた節も感じました。
短編作品としては成立していますし、本作のような作品が観客にとって必要だとも思うのですが、誠実に取り組まれたことがわかるだけあって、他作品や長尺の作品が観てみたいという気持ちにもなりました。
社会における演劇というものの役割や、それに対する自身の姿勢に向き合った作品で、全員が同じ地平から「今」と「過去」を見つめて取り組んでいることが伝わる公演でした。広い意味での地域共生に取り組む姿勢も素晴らしく、この経験を活かして、どうかこれからも「表現活動を続けると決めた若者」でい続けてほしいと思います。