SUPERHUMAN
ヌトミック
北千住BUoY(東京都)
2018/03/23 (金) ~ 2018/03/25 (日)公演終了
満足度★★★★
「今、ここ」に存在し、立っていることを確かめ、さらに、より遠くへ、意識、想像を広げていく−−。4人の類まれなる身体を持った俳優たちのパフォーマンスは、終始、そのための試行錯誤、遊びを続けているように見えました。
冒頭で繰り返される「やるやるやられるやるやられる」との言葉には、いやがおうにも人と人とのテリトリー、つまりは「争い」を想起させられますが、4人の実験はそこにとどまるのではなく、劇場のある北千住にいながらにして太平洋へと漕ぎだし、世界を体感することへと向かいます。タイトルの「SUPERHUMAN」には、超人的な身体の可能性のほかにも、領域を踏み越えていく希望のようなものが込められていたのだと思います。
一人ひとりに「役」はなく、明確に対話と呼べるものもありません。戯曲も、音楽のスコアのように、一人ひとりのモノローグの断片と合いの手を組み合わせて作られており、その発話もリズムをとるように、自在に止まったり、走り出したりします。
10年ほど前なら、こうした発語の方法は、「伝わらない」「伝えることが不可能である」という葛藤を前提にしていたでしょう。ですが、ここから立ち上がってくるのはもっとポジティブでオープンな感覚でした。「不可能性は知ってるけど、やるよ」というような。(そのオープンさは開演前アナウンスやアフタートークにも感じられました)それは、これからの演劇と社会との関係を考えるうえでも、とても興味深いことでした。
俳優の能力を軸にした実験作である一方で、その俳優たちの思わぬ側面を引き出すところにまでは至っていない惜しさは感じましたが、ともかく、刺激的で考えさせられる体験でした。劇場へ向かう路地を歩きながら、「なんだか東京らしい、いいところだなぁ。でも戦争や災害が起きたり、ゴジラが来たらひとたまりもないかもしれないなぁ……」などと考えていたことが、どうも、この芝居でも扱われていることともリンクしていたようで、印象深い観劇になりました。
湯煙の頃に君を想う 舞台写真UPしました!!!
ホチキス
テアトルBONBON(東京都)
2011/04/13 (水) ~ 2011/04/19 (火)公演終了
満足度★★★★
様式美です、これはもう。
あまりにも秀逸であほらしいオープニングに思わず声をあげて笑ってしまいました。バカだね~。
火曜サスペンス劇場的なものの、基本をきっちりおさえた配役、演技。俳優みんなが「それ顔」になっているところ、またそれとはちょっと外れたところにいる小玉さんのおもろせつない存在感に感銘すら受けました。
また、2階建てにしたセットと併せた動きの作り方をはじめ、演出の工夫も行き届いているなと思いました。
2010億光年
サスペンデッズ
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2010/05/22 (土) ~ 2010/05/30 (日)公演終了
満足度★★★★
過去から現在を見出すラブ・ストーリー
過去とは、未来とはなにか、あるいは「共に生きる」とはどういうことか――大きなテーマを、静かに、繊細に描いた美しい作品だったと思います。
裸の女を持つ男
クロムモリブデン
シアタートラム(東京都)
2011/04/16 (土) ~ 2011/04/24 (日)公演終了
満足度★★★★
直線状の狂気
ドラッグにかかわる二つの事件をきっかけに、より悪く、よりおかしな方向へと地すべりを続ける物語。よくある芝居では、その様相は「アリ地獄」とか「デススパイラル」と表現されるのだろうけど、クロムモリブデンの場合はちょっと違う。ある場面は歯切れよく、しかし継ぎ目なく別の場面へと移動していき、その移動の無機質さ(とその繰り返し)が、一種の狂気を醸成する。
私は、このいわば「リニアな狂気の描き方」こそが、l今回の作品の肝だったのではないかとおもっています。
演出的にもアンサンブル的にももっとも光るシーンが、映画「サイコ」を模した逃走(移動)シーンだったこともしかり。そしてもしかしたらこれは、クロムモリブデンの表現の特色、核でさえあるのかもしれません。
マクベス-シアワセのレシピ-
THEATRE MOMENTS
シアターX(東京都)
2010/05/20 (木) ~ 2010/05/23 (日)公演終了
満足度★★★★
<言葉>のドラマを<身体>で見せる
開演前に出演者が観客に飴を配るという予想外の親しさ、そして昼間からいっぱいで、ワイワイしてる感じの客席にまずはビックリしました。
気軽な雰囲気の「前説」(らしきもの)からシームレスに本題のドラマに入っていく手つきも含め、気持ちよく、伸び伸びしている集団(もちろん「考えている」と思います)なのだなと感じました。
芝居そのものはもちろん、「マクベス」ですからシリアスです。
セットも衣裳も小道具も、できるだけ具象を排した空間の中で展開されるのは声と身体のドラマ。動きもせりふも、決して過剰になることなく、でも、十分に満たされている、といってよいものだったと思います。中でも私は、感情や状況をたくみに表現する<声>に魅力を感じました。<声>が表現する恐怖や喜びには、不思議な奥行きが宿るものです。
グラデーションの夜 《群青の夜》 《黒の夜》 《桃色の夜》
KAKUTA
アトリエヘリコプター(東京都)
2011/04/13 (水) ~ 2011/05/01 (日)公演終了
満足度★★★★
広がりのある企画、広がりのある客席
「黒の夜」と「桃色の夜」を観ました。
これはただ単なる「小説の舞台化(リーディング)」ではなかったようです。
「文章を読む(音読する)」ということ、「せりふを話す」ということ。この企画は、二つの違った表現が作り出す波を使って、「読書」の時間、その世界を舞台に再現しようとしていました。
小説と、それを読む時間、そしてその時読み手の脳内に広がった世界……それらが同時にそこにあるような。
だからこそ観終わった時の感覚は「体験型」に近いというか。
ローヤの休日
ゲキバカ
王子小劇場(東京都)
2011/03/16 (水) ~ 2011/03/27 (日)公演終了
満足度★★★★
大真面目に「ゲキバカ」
「ゲキバカ」というちょっとこっぱずかしい(?)劇団名にふさわしい、真摯な作品だったと思います。ダンスシーンについても最初は「唐突な盛り上げ?」とも感じましたが、劇の構造が分かった時点で「なるほど」と腑に落ちました(これをどこで気がつかせるかというのも難しいところだとは思いますが)。
うれしい悲鳴
アマヤドリ
吉祥寺シアター(東京都)
2012/03/03 (土) ~ 2012/03/11 (日)公演終了
満足度★★★★
空間を揺るがす演劇
言葉が世界を、構造を立ち上げる。その世界の中で俳優たちの身体が震え、客席と共振する。言葉(戯曲)と身体が織りなす、演劇のダイナミズムを体現するような芝居だったと思います。
理不尽で不条理な暴力が横行する近未来にあって、痛みを感じない男となんでも過敏症の女の結びつきを描く物語は、政治や社会状況への疑問を抱えながら、現状を甘受し続ける私たちの現在の写し絵なのでしょう。一つの役を複数の人物の証言や演技で表現するスタイルは、個と集団のさまざまな関係への思索を促す、とても刺激的なものでしたし、時おり差し挟まれる鮮やかな群舞(乱舞)もまた現代の群衆や大衆のあり方を思わせ、物語にさらなる奥行きを与えるものとなっていました。
ツレがウヨになりまして
笑の内閣
KAIKA(京都府)
2014/02/28 (金) ~ 2014/03/04 (火)公演終了
満足度★★★★
この熱気に期待!
時事ネタ、社会の課題に触れつつも、仕上がり自体はウェルメイドな青春ラブストーリーだったと思います。
目新しい実験性といったものはありません。
ですが、むしろ、このウェルメイドさと、集中力と熱気を同時に感じさせる客席が相対する空間には、何か新しい演劇受容(と供給)の芽があるのでは、とさえ感じさせるものがありました。
そう考えると……高間さんの前説(これは笑えた!)、本編、刺激的なアフタートーク、という構成も練られていますね。3つ揃っての「笑の内閣」という気もします。
特に私が観劇した日は、京都第一初級朝鮮学校のオモニ会の代表であった金尚均さんがゲストで、当事者としての体験談や芝居と違う実状(批判でなく)を語ってくださり、この芝居を起点にさらに別の視点を得ることもできました。
緑子の部屋
鳥公園
3331 Arts Chiyoda(東京都)
2014/03/26 (水) ~ 2014/03/31 (月)公演終了
満足度★★★★
生理を揺さぶる知的空間
一枚の絵に書込まれた「視線」のズレを起点に、今はもういない「緑子」の存在/不在が語られます。さまざまな人物、さまざまな側面から語られる「緑子」は、元は学校の教室であった今回の舞台の設計(白い壁に囲まれた空間に裏通路や切り穴、顔を出せる窓などが設置されている)とも相まって、徐々に(不在にも関わらず)その存在感を増していきます。一見、淡々としたテキストの中にも、ドキリとする生々しさが隠されていたり。やや、(空間の)仕掛けが先行した感もありますが、知的な考察と生理を揺さぶる感性を併せ持った、たくさんの可能性を秘めた公演だったと思います。
美術も現代口語の淡々とした語りも、どこかサラリとして洗練されていますが、特に対話のシーンでは、もうちょっとベタな部分があっても、面白かったかもしれません。
愉快犯
柿喰う客
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2011/01/07 (金) ~ 2011/01/16 (日)公演終了
満足度★★★★
めくるめいて愉快
ワークインプログレス公演では、温かくフレンドリーに観客を迎えつつも、「ご意見拝聴」とか「ファンサービス」よりはむしろ、「観客を入れて自分たちの芝居を確認する」ことに軸足をおいている、そのワガママで真摯な姿勢に感心しました。
そして迎えた本番。
正月らしくスコーンと突き抜けた舞台でした。
大胆かつカラフルな(かつ俳優の体力を確実に奪いそうな)セットに目を奪われ、いつも以上にテンションの高い演技に、あっという間に巻き込まれました。
ハッピーでラッキーな琴吹家を襲う不幸の連鎖の物語は、猛スピードでゴロゴロと展開していきます。その原動力となるのはもちろん、俳優。極端に力の入った濃い&キレのいい演技(セルフパロディー?)は、にもかかわらずどこかカワイイ。つまり嫌味がない。これは得がたいことだと思います。
表層が勢いよく渦を巻き、その中心は空洞で、しかしブラックホールのような底知れぬ闇を湛えてもいる――というのが私が考える柿の表現の特色です。ですが、今回はその空洞がどんなものであったのか、いまだにちょっとモヤモヤするところもあります。今回はむしろ、勢いやネタの遠心力に賭けた演目だったということでしょうか。それももちろんアリ。
でもこういう公演があったからこそ、いつかその空洞の中に、本当の「手の内」のようなものを見たいとも思いました。これだけのことができる集団ですから、そんなものが出てきたら、本当にオソロシイ。楽しみです。
くろねこちゃんとベージュねこちゃん【ご来場ありがとうございました!!】
DULL-COLORED POP
アトリエ春風舎(東京都)
2012/03/14 (水) ~ 2012/04/08 (日)公演終了
満足度★★★★
「お母さん」という生き物
「お母さん」という生き物は、家族の中でも人一倍「よかれ」と思って行動する人なのではないでしょうか。その頑張りには当然、勘違いもあれば、間違いもある。この作品はそんな「お母さんの頑張り」の苦さ、痛さを克明に描き出しながら、「家族の絆」のあり方を鋭く問うものでした。
月の剥がれる
アマヤドリ
座・高円寺1(東京都)
2013/03/04 (月) ~ 2013/03/10 (日)公演終了
満足度★★★★
身体のありか/メッセージ性のある死
死をもって(戦争等によってもたらされる)死に抗議する思想集団、“散華”を舞台に展開する物語。少々理屈っぽく、中2っぽい、散華のアイデアはしかし、マッチョな精神論、安易な共同体信仰が幅をきかせる昨今の日本の状況をよく映しているのかもしれません。自らの曖昧な(傷ついた)感情を、対象化し吟味することもなく、単純なつまらぬ美学に同化してしまう。その身体的現実感のなさ、薄ら寒い世界認識は、とても現代的なものにも思えました。
アマヤドリの代名詞でもある群舞、洗練された舞台美術、音楽……と、空間設計も充実しており、戯曲のビジョンを体現する、非常に完成度の高い舞台を観ることができました。惜しむらくは、もう少しの”破綻”がないことでしょうか。細かに張り巡らされた設計、統制された空間を打ち破り、こぼれ落ちてしまうような演技、身体が、むしろ舞台空間の内に留まらない想像力の扉を開くこともあるように思うのです。でも、これも、もちろん、この舞台の高い完成度を前にしたからこそ、考えることなのですが。
ストレンジャー彼女
tsumazuki no ishi
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2012/03/28 (水) ~ 2012/04/01 (日)公演終了
満足度★★★★
死者と生者が出会う場所
「いま・ここ」にはいない人々の対話、ドラマを「いま・ここ」に呼び出す演劇は、そもそも一種の降霊会のようなものなのだと思います。それは、過去と現在が、虚構と現実が、同列に扱われ、語られる場でもあります。ですから命を扱ったこの芝居が、打ち捨てられたマンション建設現場で行われる「降霊会」の形をとっていることは、とても得心のいくことでもありました。
降霊会の会場は天上と地底とをつなぐ鉄製のエレベーター。参加者たちは、子殺しの母・クマコと地底人・ポールに導かれ、過去の凶悪犯罪の被害者、加害者、その死霊や生霊との対話を重ねます。愛のあり方や暴力について……時には詭弁めいた意見も交えつつ、しつこいほどに続くディスカッション。動きも少なく、どうしてもやりとりが観念的に思え、うまく飲み込めない部分も少なくはありませんでした。けれど、振り返ってみれば、あのしつこさには、通り一遍の善悪を超えた、人間の業に触れようという強い意志があった気もします。
終幕、クマコに殺された娘(の霊)は、その母を恨みつつ抱きしめます。(むろん、それもこの会に呼び出された幻にすぎないのかもしれませんが……)やはり、愛も憎しみも暴力も、一人の人間からは生まれないのですよね。他者の存在はいつも、喜びであり、哀しみでもある。
夢!サイケデリック!!
範宙遊泳
アトリエ春風舎(東京都)
2012/04/25 (水) ~ 2012/04/29 (日)公演終了
満足度★★★★
夢の強度とその先
ふわふわしない、確かに奇妙な強度のある、おかしな「夢」の時間を体験しました。
一見キッチュ&ポップにごちゃごちゃと飾っているようで、実は(舞台面は)シンプル、という空間構成の妙が、移り変わりやすく荒唐無稽な「夢」の場を、うまくリードする役割を果たしていたと思います。そして俳優の佇まいもまた、「夢」というテーマに甘えない、不思議なリアリティを持っていて、魅力的でした。
とはいえ、ほぼ全編にわたる「夢」の時間は次第に無限のようにも思え、「アレ、今のコレはなんだっけ?」と目の前で起こっていることを見失ってしまう瞬間もありました。
露出狂
柿喰う客
王子小劇場(東京都)
2010/05/19 (水) ~ 2010/05/31 (月)公演終了
満足度★★★★
ベタの極限に現れる闇
女子高サッカー部の「チームワーク」のありようと、その栄枯盛衰変遷を描く、ハイテンション・エンターテインメント。でも、その先に表現されたのは、言い知れない「闇」のようなものでもあったと思います。
耳の中で残響が唸るほどのハリハリの発声、かえって眩暈がしそうにキレキレの身体。そして分かりやすい(気がする)ストーリーと様式美といってもよいせりふまわし、下品なイディオム……そのすべてが<完成形>に向かっていく充実感がここにはあり、私たちはついこの<祭>にのせられてしまいます。
ことりとアサガオ【舞台写真UPしました】
三角フラスコ
エル・パーク仙台 スタジオホール(宮城県)
2010/03/12 (金) ~ 2010/03/16 (火)公演終了
満足度★★★★
お葬式日和
太宰治の世界を換骨奪胎した埋葬と再生の物語。
時代設定は現代で、家族を失ったらしい女と、家族がバラバラになっているらしい男(二人は長い付き合いで、男の兄弟をめぐっての因縁もある)の会話を軸に舞台は進行します。
女の夥しい<思い出>が埋められた庭での何気ないコミュニケーションが、彼らの絶望や自己憐憫をちょっとずつ和らげていく過程に、鳥を探す「作家」というなぞの男との詩的なエピソードが差し挟まれ、ベタなりがちな設定や物語をギリギリ回避しつつ、膨らみのあるものにしていると感じました。
また、「作家」のかもし出す不条理感も得がたいですね。この「作家」、「作家」かどうかということも含め、全体に対してどう位置しているのか、若干追いきれないところもあり…なんとなくもやもやもする部分もあるのですが、一方でむしろこの不条理、時間間隔を「分かりやすさ」ではない方向にもっともっと
演出も含め)鋭く磨くことで、「日常」の場面が引き立つのではないか、さらに舞台としての面白みもまた増すのではないかという大きな期待を感じもしました。
冒頭、男女が会話するあいだに、何をするでもなく「作家」が舞台を横切るのですが、これはちょっとチェーホフなんかも思い出す遊びというかほのめかしで、個人的に好きです。
最後に舞台とは直接関係ないのですが、前説で本番中に連日続いた地震に触れて、非難誘導の話をされたこと、終演後、劇場出口で知り合いだけでなく、すべてのお客さんに挨拶されていたこと(出演者の人数が少ないからできることではあるでしょうが)、好印象でした。
翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)
バナナ学園純情乙女組
王子小劇場(東京都)
2012/05/24 (木) ~ 2012/05/27 (日)公演終了
満足度★★★★
だまし討ち!かと思いきや……
3度目のバナ学体験。客席に用意されたレインコートのあまりの薄っぺらさに、バナナ慣れした観客への「舐めてんじゃねーぞ」な警告メッセージを感じた私は、のっけからかなりの防御テンション。確かに水とワカメの量や勢いには、「後方席だからといって許されるわけではない」という気合いを感じました。しかし、「シェイクスピア」というお題があったせいなのか、全体としては実は「やや大人しい」作品だったと感じています。
痒み
On7
シアター711(東京都)
2014/03/25 (火) ~ 2014/03/30 (日)公演終了
満足度★★★★
「女」はイタいがOn7は…
結婚、出産、仕事……。日常において「女」をさほど意識しなくとも、その生き方によって分断されがちな「女」たち(一応言っておくと、そこまで明確に分断されない「男」もむしろ大変だと思ってます)。その違和感「痒み」を私たちはどう、乗り越えていくのでしょう。ここに描かれた、あの世ともこの世ともつかぬ不思議な場所で、それぞれに強く、逞しく、身勝手に生きる女たちの姿は、まさにその答えに繫がる入口をみせてくれているように思えました。
はじめのうちは、がなるようなせりふ回しと、かしましくもイタい同級生トークにひるみもしましたが、次第に違った顏を見せる女たちの柔軟さに惹かれていってしまったのは、新劇で腕を磨いてきた俳優たちならではの「上品さ」によるものだったのかもしれません。
俳優集団ということで、作・演出家によって、毎回公演の色合いは変わるのかもしれません。それでも、やっぱり今回のように、リアルで柔軟な女の物語を観続けられればいいなと思います。
枝光本町商店街
のこされ劇場≡
枝光本町商店街アイアンシアター(福岡県)
2013/03/23 (土) ~ 2013/03/30 (土)公演終了
満足度★★★★
演劇の生まれる町
かつては八幡製鉄所のお膝元として栄えたものの、今はもう、ずいぶんと寂しくなってしまった商店街を、劇団員の女優さんのナビゲートで散歩します。実際にこの町で生活する人たちのお話は、そのどれもが演技のようで演技でなく(演技でないようで実は演技でもあるのですが)、そこで生きてきた時間、町の歴史を感じさせる、味わい深いものでした。また、そうして出会ったいくつかの「現実」が、終幕に用意された明確な「虚構」(演劇)によって、重なり合い、より遠くを、過去や未来を想う「想像力」をもたらすーーという仕掛けにも、驚き、感動を覚えました。