r_suzukiの観てきた!クチコミ一覧

21-40件 / 101件中
SUPERHUMAN

SUPERHUMAN

ヌトミック

北千住BUoY(東京都)

2018/03/23 (金) ~ 2018/03/25 (日)公演終了

満足度★★★★

「今、ここ」に存在し、立っていることを確かめ、さらに、より遠くへ、意識、想像を広げていく−−。4人の類まれなる身体を持った俳優たちのパフォーマンスは、終始、そのための試行錯誤、遊びを続けているように見えました。

冒頭で繰り返される「やるやるやられるやるやられる」との言葉には、いやがおうにも人と人とのテリトリー、つまりは「争い」を想起させられますが、4人の実験はそこにとどまるのではなく、劇場のある北千住にいながらにして太平洋へと漕ぎだし、世界を体感することへと向かいます。タイトルの「SUPERHUMAN」には、超人的な身体の可能性のほかにも、領域を踏み越えていく希望のようなものが込められていたのだと思います。

一人ひとりに「役」はなく、明確に対話と呼べるものもありません。戯曲も、音楽のスコアのように、一人ひとりのモノローグの断片と合いの手を組み合わせて作られており、その発話もリズムをとるように、自在に止まったり、走り出したりします。
10年ほど前なら、こうした発語の方法は、「伝わらない」「伝えることが不可能である」という葛藤を前提にしていたでしょう。ですが、ここから立ち上がってくるのはもっとポジティブでオープンな感覚でした。「不可能性は知ってるけど、やるよ」というような。(そのオープンさは開演前アナウンスやアフタートークにも感じられました)それは、これからの演劇と社会との関係を考えるうえでも、とても興味深いことでした。

俳優の能力を軸にした実験作である一方で、その俳優たちの思わぬ側面を引き出すところにまでは至っていない惜しさは感じましたが、ともかく、刺激的で考えさせられる体験でした。劇場へ向かう路地を歩きながら、「なんだか東京らしい、いいところだなぁ。でも戦争や災害が起きたり、ゴジラが来たらひとたまりもないかもしれないなぁ……」などと考えていたことが、どうも、この芝居でも扱われていることともリンクしていたようで、印象深い観劇になりました。

湯煙の頃に君を想う 舞台写真UPしました!!!

湯煙の頃に君を想う 舞台写真UPしました!!!

ホチキス

テアトルBONBON(東京都)

2011/04/13 (水) ~ 2011/04/19 (火)公演終了

満足度★★★★

様式美です、これはもう。
あまりにも秀逸であほらしいオープニングに思わず声をあげて笑ってしまいました。バカだね~。

火曜サスペンス劇場的なものの、基本をきっちりおさえた配役、演技。俳優みんなが「それ顔」になっているところ、またそれとはちょっと外れたところにいる小玉さんのおもろせつない存在感に感銘すら受けました。

また、2階建てにしたセットと併せた動きの作り方をはじめ、演出の工夫も行き届いているなと思いました。

ネタバレBOX

明るく楽しいストーリーと演技だけに、抑揚はそれほどありません。ですからかえって体感が長いなと感じたりはしました。

それからやっぱり「湯けむり旅情」は土曜ワイドではないか、という疑問は拭いさることができません(笑)。とはいえ、この様式美と思い切りは、本当に得がたい。敬意を表します。
2010億光年

2010億光年

サスペンデッズ

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2010/05/22 (土) ~ 2010/05/30 (日)公演終了

満足度★★★★

過去から現在を見出すラブ・ストーリー
過去とは、未来とはなにか、あるいは「共に生きる」とはどういうことか――大きなテーマを、静かに、繊細に描いた美しい作品だったと思います。

ネタバレBOX

人間の「現在」と「未来」はすべて「過去」の中から生まれてくるものですが、その「過去」は「現在」によってくり返しその内容を点検され、書き換えられていくものでもあります。

死んだ恋人のことを忘れられなかった女、その女との不倫の思い出にとらわれている男、有能な脚本家が脱退し迷走する劇団の人々……。ここには、それぞれに「過去」に翻弄され、「現在」を見出せない人たちが登場します。

悩める男女が回想シーンや彼らへの“突っ込み役”でもある周囲の人々との関係を通して、改めて自分たちの「過去」と出合い直す(精算ではなく)、その先の「未来」はここでは描かれませんが、不恰好でも共感できる「現在」は確かに終幕にあらわれていました。(そしてそれは美しかった、と思います)

率直に言うと、後半に明らかになる不倫相手の女性のトラウマ含みの恋愛の実体(それはカメラマンの男との関係とも深くつながっている)が、どうにも抽象的すぎるというか、なかなか身体に入ってこないな……とも感じたのですが(単純に好みの問題かもしれませんが)、その後の関係の帰結というか行く先については違和感を感じるところはありませんでした。

ともかく、ダメ劇団が白塗りでリルケの「嘆き」の一節を演じるシーンが、終幕、あれほどの輝きを放つとは!涙が出そうになりました。練習シーンではあれほど失笑を誘っていたのに。そしてそんな展開も演劇ならではの仕掛けかな、と嬉しくなりました。

















裸の女を持つ男

裸の女を持つ男

クロムモリブデン

シアタートラム(東京都)

2011/04/16 (土) ~ 2011/04/24 (日)公演終了

満足度★★★★

直線状の狂気
ドラッグにかかわる二つの事件をきっかけに、より悪く、よりおかしな方向へと地すべりを続ける物語。よくある芝居では、その様相は「アリ地獄」とか「デススパイラル」と表現されるのだろうけど、クロムモリブデンの場合はちょっと違う。ある場面は歯切れよく、しかし継ぎ目なく別の場面へと移動していき、その移動の無機質さ(とその繰り返し)が、一種の狂気を醸成する。

私は、このいわば「リニアな狂気の描き方」こそが、l今回の作品の肝だったのではないかとおもっています。

演出的にもアンサンブル的にももっとも光るシーンが、映画「サイコ」を模した逃走(移動)シーンだったこともしかり。そしてもしかしたらこれは、クロムモリブデンの表現の特色、核でさえあるのかもしれません。

ネタバレBOX


一般的に(?)「狂気」は多層的に垂直方向を意識した描き方の方がなじみやすく、感情移入しやすいでしょう。だからこの芝居に没入するのは難しい。

でも、それこそがオリジナリティなのだから。この道をがっつり、楽しく極める姿をまだまだ観てみたいとも思うのです。クリエイターの意志をこれほどまでに体現するスタッフ&キャストもいないと思います。中毒性があるって意見も、よくわかります。

マクベス-シアワセのレシピ-

マクベス-シアワセのレシピ-

THEATRE MOMENTS

シアターX(東京都)

2010/05/20 (木) ~ 2010/05/23 (日)公演終了

満足度★★★★

<言葉>のドラマを<身体>で見せる
開演前に出演者が観客に飴を配るという予想外の親しさ、そして昼間からいっぱいで、ワイワイしてる感じの客席にまずはビックリしました。
気軽な雰囲気の「前説」(らしきもの)からシームレスに本題のドラマに入っていく手つきも含め、気持ちよく、伸び伸びしている集団(もちろん「考えている」と思います)なのだなと感じました。

芝居そのものはもちろん、「マクベス」ですからシリアスです。
セットも衣裳も小道具も、できるだけ具象を排した空間の中で展開されるのは声と身体のドラマ。動きもせりふも、決して過剰になることなく、でも、十分に満たされている、といってよいものだったと思います。中でも私は、感情や状況をたくみに表現する<声>に魅力を感じました。<声>が表現する恐怖や喜びには、不思議な奥行きが宿るものです。




ネタバレBOX

考えてみれば、この「マクベス」は、<言葉>が人を動かしていく物語でもあります。ならば、声という要素が全面に出てくるのも、不思議ではないのかもしれません。要所要所で手にした新聞紙(キレイに色が塗られているので中身までは見えない)を小道具に使っていたのにも同じような意味を感じました。(「上手く表現し合えない恋人たちの告白」の寸劇が前説として登場するのも親切なだけでなく、示唆的です)

上演時間は1時間半程度だったと思いますから、当然、テキストは再構成されています。となれば、時間を経ての別の角度、読み方、深め方もありうるのかもしれません。

今後も、親しみやすさは保ちつつ、さまざまな角度・深度を持った上演に挑戦して欲しいなぁと思っています。
グラデーションの夜 《群青の夜》 《黒の夜》 《桃色の夜》

グラデーションの夜 《群青の夜》 《黒の夜》 《桃色の夜》

KAKUTA

アトリエヘリコプター(東京都)

2011/04/13 (水) ~ 2011/05/01 (日)公演終了

満足度★★★★

広がりのある企画、広がりのある客席
「黒の夜」と「桃色の夜」を観ました。
これはただ単なる「小説の舞台化(リーディング)」ではなかったようです。

「文章を読む(音読する)」ということ、「せりふを話す」ということ。この企画は、二つの違った表現が作り出す波を使って、「読書」の時間、その世界を舞台に再現しようとしていました。

小説と、それを読む時間、そしてその時読み手の脳内に広がった世界……それらが同時にそこにあるような。

だからこそ観終わった時の感覚は「体験型」に近いというか。



ネタバレBOX

もちろんそれには相当な読み込みと計算が必要でしょうし、時には「作り過ぎない」「説明しすぎない」ことも必要でしょう。オリジナルの物語との関係や「桃色」の猫や音楽のありようなどなど、ちょっと気恥ずかしさというかベタさを感じてしまった部分もあります。

とはいえ、価値ある企画だし、俳優も含め魅力ある時間を生み出せていたと思います。「桃色の夜」では対面する客席に涙する女性が数人。それはもしかしたら「恋愛」というテーマへの感情移入にすぎないのかもしれませんが、それをきっかけに「演劇の時間」の楽しみが染み込んでいくのなら……。
客席の様子にも夢が広がる上演でした。
ローヤの休日

ローヤの休日

ゲキバカ

王子小劇場(東京都)

2011/03/16 (水) ~ 2011/03/27 (日)公演終了

満足度★★★★

大真面目に「ゲキバカ」
「ゲキバカ」というちょっとこっぱずかしい(?)劇団名にふさわしい、真摯な作品だったと思います。ダンスシーンについても最初は「唐突な盛り上げ?」とも感じましたが、劇の構造が分かった時点で「なるほど」と腑に落ちました(これをどこで気がつかせるかというのも難しいところだとは思いますが)。

ネタバレBOX

死刑囚の虚構の回想、さらにそのあいだにリアルな家族の思い出が挟み込まれる構造は分かりやすく、また、演劇ならではの「立体感」を生み出していました。
この世界を成立させていたのは「物語」や「テーマ」ではなく、戯曲と演出と俳優が一体となって立ち上げた「空間」だったのです。

難しいテーマだけに、主人公が殺人を犯すに至るモチベーションやラストの選択など、まだまだ考える余地があるとも思えます。
でも、今、ここで挑んだ「ゲキバカ」ぶりには、ちょっと打たれるものがありました。
うれしい悲鳴

うれしい悲鳴

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

空間を揺るがす演劇
言葉が世界を、構造を立ち上げる。その世界の中で俳優たちの身体が震え、客席と共振する。言葉(戯曲)と身体が織りなす、演劇のダイナミズムを体現するような芝居だったと思います。

理不尽で不条理な暴力が横行する近未来にあって、痛みを感じない男となんでも過敏症の女の結びつきを描く物語は、政治や社会状況への疑問を抱えながら、現状を甘受し続ける私たちの現在の写し絵なのでしょう。一つの役を複数の人物の証言や演技で表現するスタイルは、個と集団のさまざまな関係への思索を促す、とても刺激的なものでしたし、時おり差し挟まれる鮮やかな群舞(乱舞)もまた現代の群衆や大衆のあり方を思わせ、物語にさらなる奥行きを与えるものとなっていました。



ネタバレBOX

男性の役を複数の俳優が演じる(証言する)のに対し、女性の役は二人。そこになにか含意があるのか、とても気になったのですが……それについては最後までうまく読み取ることができませんでした。

詩的な言葉とストレートなメッセージの絡め方にも、演劇らしいジャンプ力があり、スケールを感じます。もちろん、そのダイナミズムを感じ取り、ついていくのは、観客としても体力のいることでしたし、長いモノローグになると、どうしても客席ごと「気分で流されている」ような気もしてしまいました。とはいえ、この言葉と想像力と現実とをつなぐ感性、そこから生み出される空間の、今どき珍しいほどの「ザ・演劇」感には、格別なものがありました。
ツレがウヨになりまして

ツレがウヨになりまして

笑の内閣

KAIKA(京都府)

2014/02/28 (金) ~ 2014/03/04 (火)公演終了

満足度★★★★

この熱気に期待!
時事ネタ、社会の課題に触れつつも、仕上がり自体はウェルメイドな青春ラブストーリーだったと思います。

目新しい実験性といったものはありません。
ですが、むしろ、このウェルメイドさと、集中力と熱気を同時に感じさせる客席が相対する空間には、何か新しい演劇受容(と供給)の芽があるのでは、とさえ感じさせるものがありました。

そう考えると……高間さんの前説(これは笑えた!)、本編、刺激的なアフタートーク、という構成も練られていますね。3つ揃っての「笑の内閣」という気もします。

特に私が観劇した日は、京都第一初級朝鮮学校のオモニ会の代表であった金尚均さんがゲストで、当事者としての体験談や芝居と違う実状(批判でなく)を語ってくださり、この芝居を起点にさらに別の視点を得ることもできました。

緑子の部屋

緑子の部屋

鳥公園

3331 Arts Chiyoda(東京都)

2014/03/26 (水) ~ 2014/03/31 (月)公演終了

満足度★★★★

生理を揺さぶる知的空間
 一枚の絵に書込まれた「視線」のズレを起点に、今はもういない「緑子」の存在/不在が語られます。さまざまな人物、さまざまな側面から語られる「緑子」は、元は学校の教室であった今回の舞台の設計(白い壁に囲まれた空間に裏通路や切り穴、顔を出せる窓などが設置されている)とも相まって、徐々に(不在にも関わらず)その存在感を増していきます。一見、淡々としたテキストの中にも、ドキリとする生々しさが隠されていたり。やや、(空間の)仕掛けが先行した感もありますが、知的な考察と生理を揺さぶる感性を併せ持った、たくさんの可能性を秘めた公演だったと思います。
 美術も現代口語の淡々とした語りも、どこかサラリとして洗練されていますが、特に対話のシーンでは、もうちょっとベタな部分があっても、面白かったかもしれません。

愉快犯

愉快犯

柿喰う客

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2011/01/07 (金) ~ 2011/01/16 (日)公演終了

満足度★★★★

めくるめいて愉快
ワークインプログレス公演では、温かくフレンドリーに観客を迎えつつも、「ご意見拝聴」とか「ファンサービス」よりはむしろ、「観客を入れて自分たちの芝居を確認する」ことに軸足をおいている、そのワガママで真摯な姿勢に感心しました。

そして迎えた本番。
正月らしくスコーンと突き抜けた舞台でした。
大胆かつカラフルな(かつ俳優の体力を確実に奪いそうな)セットに目を奪われ、いつも以上にテンションの高い演技に、あっという間に巻き込まれました。

ハッピーでラッキーな琴吹家を襲う不幸の連鎖の物語は、猛スピードでゴロゴロと展開していきます。その原動力となるのはもちろん、俳優。極端に力の入った濃い&キレのいい演技(セルフパロディー?)は、にもかかわらずどこかカワイイ。つまり嫌味がない。これは得がたいことだと思います。

表層が勢いよく渦を巻き、その中心は空洞で、しかしブラックホールのような底知れぬ闇を湛えてもいる――というのが私が考える柿の表現の特色です。ですが、今回はその空洞がどんなものであったのか、いまだにちょっとモヤモヤするところもあります。今回はむしろ、勢いやネタの遠心力に賭けた演目だったということでしょうか。それももちろんアリ。

でもこういう公演があったからこそ、いつかその空洞の中に、本当の「手の内」のようなものを見たいとも思いました。これだけのことができる集団ですから、そんなものが出てきたら、本当にオソロシイ。楽しみです。




くろねこちゃんとベージュねこちゃん【ご来場ありがとうございました!!】

くろねこちゃんとベージュねこちゃん【ご来場ありがとうございました!!】

DULL-COLORED POP

アトリエ春風舎(東京都)

2012/03/14 (水) ~ 2012/04/08 (日)公演終了

満足度★★★★

「お母さん」という生き物
「お母さん」という生き物は、家族の中でも人一倍「よかれ」と思って行動する人なのではないでしょうか。その頑張りには当然、勘違いもあれば、間違いもある。この作品はそんな「お母さんの頑張り」の苦さ、痛さを克明に描き出しながら、「家族の絆」のあり方を鋭く問うものでした。

ネタバレBOX

夫をなくし、情緒不安定になった母のもとに集った兄妹。それをきっかけに、この家族と母の「これまで」が紐解かれます。

夫の仕事を自慢にし、その悩みや痛みを受け入れなかったこと。子供たちの進学や就職をめぐる無理解、無神経。そのくせ何かにつけ「○○してあげる」とのたまう独善的な態度……。そりゃあこのお母さん、子供とうまく行かないはずです。なかでも受験勉強に勤しむ妹に向かって「そんなに頑張らなくていいのよ(女の子だし)」と持論を展開する場面の会話のリアリティは、演技も含め、絶品。ホントに苛々しちゃいました。

ただ、このリアリティの精度が上がれば上がるほど、「どうしてここまで憎悪を鮮やかに描くのか」という疑問も湧きました。ここに描かれた「お母さんの勘違い」の一つひとつは、そうそう珍しいものではありませんから……芝居の効果を狙うにしても、キャラクターの臭みが強すぎるような気がしました。もうちょっとでも共感できる、人としてのブレがあっても(父の死による動揺がソレでもあるのですが)、物語は十分面白く、さらに豊かになったのではないかと思います。

終幕、脚本家の長男は、父の遺した本物の遺書を隠し、母の気に入るようなストーリーを盛り込んだ偽の遺書を読んで聞かせます。その「優しさ」が家族の最後の絆なのか……ちょっとホッとしつつも、複雑な気もする、考えさせられるラストでした。

アフタートークでは「あのお母さん、マジで嫌いな人は?」「いや、分かるという人は?」と客席への逆質問があったのですが、私はどちらにも手を挙げられませんでした。帰り道にも「うーん、どっちなのかなぁ…」と考えていたのですが、もしかしてこの「うーん…」自体が、この芝居の狙ったところ、「思うツボ」だったのかもしれませんね。
月の剥がれる

月の剥がれる

アマヤドリ

座・高円寺1(東京都)

2013/03/04 (月) ~ 2013/03/10 (日)公演終了

満足度★★★★

身体のありか/メッセージ性のある死
死をもって(戦争等によってもたらされる)死に抗議する思想集団、“散華”を舞台に展開する物語。少々理屈っぽく、中2っぽい、散華のアイデアはしかし、マッチョな精神論、安易な共同体信仰が幅をきかせる昨今の日本の状況をよく映しているのかもしれません。自らの曖昧な(傷ついた)感情を、対象化し吟味することもなく、単純なつまらぬ美学に同化してしまう。その身体的現実感のなさ、薄ら寒い世界認識は、とても現代的なものにも思えました。

アマヤドリの代名詞でもある群舞、洗練された舞台美術、音楽……と、空間設計も充実しており、戯曲のビジョンを体現する、非常に完成度の高い舞台を観ることができました。惜しむらくは、もう少しの”破綻”がないことでしょうか。細かに張り巡らされた設計、統制された空間を打ち破り、こぼれ落ちてしまうような演技、身体が、むしろ舞台空間の内に留まらない想像力の扉を開くこともあるように思うのです。でも、これも、もちろん、この舞台の高い完成度を前にしたからこそ、考えることなのですが。

ストレンジャー彼女

ストレンジャー彼女

tsumazuki no ishi

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2012/03/28 (水) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★

死者と生者が出会う場所
「いま・ここ」にはいない人々の対話、ドラマを「いま・ここ」に呼び出す演劇は、そもそも一種の降霊会のようなものなのだと思います。それは、過去と現在が、虚構と現実が、同列に扱われ、語られる場でもあります。ですから命を扱ったこの芝居が、打ち捨てられたマンション建設現場で行われる「降霊会」の形をとっていることは、とても得心のいくことでもありました。

降霊会の会場は天上と地底とをつなぐ鉄製のエレベーター。参加者たちは、子殺しの母・クマコと地底人・ポールに導かれ、過去の凶悪犯罪の被害者、加害者、その死霊や生霊との対話を重ねます。愛のあり方や暴力について……時には詭弁めいた意見も交えつつ、しつこいほどに続くディスカッション。動きも少なく、どうしてもやりとりが観念的に思え、うまく飲み込めない部分も少なくはありませんでした。けれど、振り返ってみれば、あのしつこさには、通り一遍の善悪を超えた、人間の業に触れようという強い意志があった気もします。

終幕、クマコに殺された娘(の霊)は、その母を恨みつつ抱きしめます。(むろん、それもこの会に呼び出された幻にすぎないのかもしれませんが……)やはり、愛も憎しみも暴力も、一人の人間からは生まれないのですよね。他者の存在はいつも、喜びであり、哀しみでもある。

ネタバレBOX

鉄格子に囲まれた舞台は、まるで牢獄のようにも見えました。それは、私たち自身が抱える他者との関係のジレンマを、象徴していたのかもしれません。そういえば、檻の向こうにはいつも、他のお客さんの顔が見えていました。

照明や音響の効果、空間設計……この芝居の醸し出す「臨場感」には格別なものがありました。あの得体の知れない静けさを持ったクマコの表情と共に、たびたび記憶の奥底から甦る、そんな芝居になりそうです。
夢!サイケデリック!!

夢!サイケデリック!!

範宙遊泳

アトリエ春風舎(東京都)

2012/04/25 (水) ~ 2012/04/29 (日)公演終了

満足度★★★★

夢の強度とその先
ふわふわしない、確かに奇妙な強度のある、おかしな「夢」の時間を体験しました。
一見キッチュ&ポップにごちゃごちゃと飾っているようで、実は(舞台面は)シンプル、という空間構成の妙が、移り変わりやすく荒唐無稽な「夢」の場を、うまくリードする役割を果たしていたと思います。そして俳優の佇まいもまた、「夢」というテーマに甘えない、不思議なリアリティを持っていて、魅力的でした。
とはいえ、ほぼ全編にわたる「夢」の時間は次第に無限のようにも思え、「アレ、今のコレはなんだっけ?」と目の前で起こっていることを見失ってしまう瞬間もありました。

ネタバレBOX

夢の中にありながら「今ここにいる根拠」を示すピンポン球の「受精」シーンや、ふと目覚めた主人公が再び深い眠りに着く(夢や睡眠がループしながら、現実との境目を曖昧にする)終幕に、ドラマの予感を感じつつ、もう一歩掘り下げた表現のコアに出会いたかったと思ったのも事実です。

「気軽でポップな劇場体験」が、カンパニーの一つの目標であることは、アフタートークからも伝わってきましたし、今作でのきっちりとした(演技も含めた)空間づくりを観ていると、その方向性への期待も膨らみます。けれど、だからこそ(同じ気軽さを標榜しつつ)、まだまだ掘れる、まだまだ脱げるものもあるのではないか、それがカンパニーの強さになり、演劇の強さになるのではないかという思いもまた、膨らむのです。
露出狂

露出狂

柿喰う客

王子小劇場(東京都)

2010/05/19 (水) ~ 2010/05/31 (月)公演終了

満足度★★★★

ベタの極限に現れる闇
女子高サッカー部の「チームワーク」のありようと、その栄枯盛衰変遷を描く、ハイテンション・エンターテインメント。でも、その先に表現されたのは、言い知れない「闇」のようなものでもあったと思います。

耳の中で残響が唸るほどのハリハリの発声、かえって眩暈がしそうにキレキレの身体。そして分かりやすい(気がする)ストーリーと様式美といってもよいせりふまわし、下品なイディオム……そのすべてが<完成形>に向かっていく充実感がここにはあり、私たちはついこの<祭>にのせられてしまいます。



ネタバレBOX

ですが、この「チームワーク」という祭にも終わりは訪れます。卒業という儀式(これも祭のひとつかもしれないですね)を通して、別の世界へ踏み出す時、それまで拘泥してきたコミュニケーションはどのように各々の中で継続、あるいは相対化されるのでしょう。

舞台は、卒業の別れと変化を受け入れられない(自己愛の強い)生徒の回想とも現実ともつかぬ「入部」のシーンで終わります。彼女の笑い声が響く、ちょっと不穏なラストシーンに、コミュニケーションの病(それは決して、この、彼女だけのものではなく、現代に生きる皆の)のようなものをを嗅ぎ取ってしまうのは、ちょっとうがちすぎでしょうか。
ことりとアサガオ【舞台写真UPしました】

ことりとアサガオ【舞台写真UPしました】

三角フラスコ

エル・パーク仙台 スタジオホール(宮城県)

2010/03/12 (金) ~ 2010/03/16 (火)公演終了

満足度★★★★

お葬式日和
太宰治の世界を換骨奪胎した埋葬と再生の物語。

時代設定は現代で、家族を失ったらしい女と、家族がバラバラになっているらしい男(二人は長い付き合いで、男の兄弟をめぐっての因縁もある)の会話を軸に舞台は進行します。

女の夥しい<思い出>が埋められた庭での何気ないコミュニケーションが、彼らの絶望や自己憐憫をちょっとずつ和らげていく過程に、鳥を探す「作家」というなぞの男との詩的なエピソードが差し挟まれ、ベタなりがちな設定や物語をギリギリ回避しつつ、膨らみのあるものにしていると感じました。

また、「作家」のかもし出す不条理感も得がたいですね。この「作家」、「作家」かどうかということも含め、全体に対してどう位置しているのか、若干追いきれないところもあり…なんとなくもやもやもする部分もあるのですが、一方でむしろこの不条理、時間間隔を「分かりやすさ」ではない方向にもっともっと
演出も含め)鋭く磨くことで、「日常」の場面が引き立つのではないか、さらに舞台としての面白みもまた増すのではないかという大きな期待を感じもしました。


冒頭、男女が会話するあいだに、何をするでもなく「作家」が舞台を横切るのですが、これはちょっとチェーホフなんかも思い出す遊びというかほのめかしで、個人的に好きです。

最後に舞台とは直接関係ないのですが、前説で本番中に連日続いた地震に触れて、非難誘導の話をされたこと、終演後、劇場出口で知り合いだけでなく、すべてのお客さんに挨拶されていたこと(出演者の人数が少ないからできることではあるでしょうが)、好印象でした。


翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)

翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)

バナナ学園純情乙女組

王子小劇場(東京都)

2012/05/24 (木) ~ 2012/05/27 (日)公演終了

満足度★★★★

だまし討ち!かと思いきや……
3度目のバナ学体験。客席に用意されたレインコートのあまりの薄っぺらさに、バナナ慣れした観客への「舐めてんじゃねーぞ」な警告メッセージを感じた私は、のっけからかなりの防御テンション。確かに水とワカメの量や勢いには、「後方席だからといって許されるわけではない」という気合いを感じました。しかし、「シェイクスピア」というお題があったせいなのか、全体としては実は「やや大人しい」作品だったと感じています。

ネタバレBOX

今回はシェイクスピアを題材にしたとのこと。舞台上にはロミオとジュリエットをはじめとする有名登場人物たちが次々と登場、口々にそれらしきせりふ(引用?)を叫んでみたり、演じているようでした(水をかぶり、ワカメを浴び、飛び交うゴミを避けながら見た限りでは、ということですが)。彼らはきっと「亡霊」なんでしょうね。数多くのシェイクスピア作品の中に描かれた、すれ違いや敗北のドラマが、今ここに召喚されているという意味での亡霊でもあり、また、もしかしたら、「演劇=シェイクスピア」という一種の呪縛の意味での亡霊でもあるのかもしれない……ゾンビのように死んでも(倒れても)甦る彼ら彼女らの姿を見ながらそんなことをふと考えました。

惜しむらくは、この「シェイクスピア断想」と、バナ学的狂騒の掛け合わせの結果、いつもの「るつぼ」感も、明確で冷厳な「演出」の存在感も、そのどちらもが「やや薄れた」感じがしたことでしょうか。バナ学の作り出すカオスの魅力は、アナーキーに見えて、同時にそれが統制されたものであるという、一種の冷たさ、寂しさを感じさせるところにあるのではないかと思います。無礼講の中の一筋の冷静さと孤独が、むしろ、観客と舞台の距離を埋める、というような……。

パーティー(無礼講)をしてみせながら、実際には巧妙に観客をパーティーに誘い、パーティーをさせてしまう。劇場の革命はそんなふうに起こるのかもしれず。バナ学にはいつも、そんな革命児であってほしいと思っています。

【付記】こうした破天荒な舞台の実現をがっちりサポートしている、劇場、カンパニー制作の方々には心から敬意を表します。当日劇場前の歩道までもが開演を待つお客さんで意図せずしてカオスになっちゃってましたが……そこらへんも今度はきっと、凄まじく「ビシッ」と修正してくださると思っております。
痒み

痒み

On7

シアター711(東京都)

2014/03/25 (火) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★★★

「女」はイタいがOn7は…
 結婚、出産、仕事……。日常において「女」をさほど意識しなくとも、その生き方によって分断されがちな「女」たち(一応言っておくと、そこまで明確に分断されない「男」もむしろ大変だと思ってます)。その違和感「痒み」を私たちはどう、乗り越えていくのでしょう。ここに描かれた、あの世ともこの世ともつかぬ不思議な場所で、それぞれに強く、逞しく、身勝手に生きる女たちの姿は、まさにその答えに繫がる入口をみせてくれているように思えました。
 はじめのうちは、がなるようなせりふ回しと、かしましくもイタい同級生トークにひるみもしましたが、次第に違った顏を見せる女たちの柔軟さに惹かれていってしまったのは、新劇で腕を磨いてきた俳優たちならではの「上品さ」によるものだったのかもしれません。
 俳優集団ということで、作・演出家によって、毎回公演の色合いは変わるのかもしれません。それでも、やっぱり今回のように、リアルで柔軟な女の物語を観続けられればいいなと思います。
 

枝光本町商店街

枝光本町商店街

のこされ劇場≡

枝光本町商店街アイアンシアター(福岡県)

2013/03/23 (土) ~ 2013/03/30 (土)公演終了

満足度★★★★

演劇の生まれる町
かつては八幡製鉄所のお膝元として栄えたものの、今はもう、ずいぶんと寂しくなってしまった商店街を、劇団員の女優さんのナビゲートで散歩します。実際にこの町で生活する人たちのお話は、そのどれもが演技のようで演技でなく(演技でないようで実は演技でもあるのですが)、そこで生きてきた時間、町の歴史を感じさせる、味わい深いものでした。また、そうして出会ったいくつかの「現実」が、終幕に用意された明確な「虚構」(演劇)によって、重なり合い、より遠くを、過去や未来を想う「想像力」をもたらすーーという仕掛けにも、驚き、感動を覚えました。

ネタバレBOX

行く先々で見聞きするのは、人で溢れかえったかつての町の姿、隣接した花街、アイアンシアターや劇団(のこされ劇場)との交流をめぐるエピソードの数々。そして、最後に訪れた元料亭の屋上で、私たちは、これまでの町歩きの時間、そこで語られた歴史、過ぎ去った時間(と、これから)を一気に体感するような、体験をすることになります。最後に用意された仕掛けは、ともすればあざとくも感じられる危険性を孕んではいると思いますが、それでも、この町で生きる人々とその歴史と、観客のそれぞれの現実を繫ぐ”想像力”を発動させるものとして、鮮やかに印象に残りました。

事前の情報もあまり持たずに参加したので、後になって、一見、自然に話しているように見えた町の出演者の方々が、実はこの「芝居」のために、さまざまな工夫、演技をしていたことを知って驚きました。長い時間をかけて、コミュニケーションを重ねて育てられた作品でもあるのですね。

このページのQRコードです。

拡大