Takashi Kitamuraの観てきた!クチコミ一覧

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All My Sons

All My Sons

serial number(風琴工房改め)

シアタートラム(東京都)

2020/10/01 (木) ~ 2020/10/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

戯曲はすでに古典的な有名作だが、初めて舞台を見た。すばらしい傑作だった!!。戯曲、演出、俳優、美術と3拍子も4拍子も揃った充実の舞台だった。ケラー家の庭での朝から翌未明にかけての一日の出来事。古典的な三一致の法則にのっとったかのよう。最初はご近所たちとのたわいもない話で幕を開けるが、次第にこの家をむしばむ「罪」が明らかになる。背景の二階家は、内面で傷ついた家庭を象徴するかのように、一部が焼け焦げて崩れている。庭のど真ん中の、大風で倒れた木は、リンゴ。聖書にあるように「罪」を象徴するようだ。

次男のラリーの戦死を受け入れずに現実を逃避する、母親役の神野三鈴がとくにすばらしい。あらためて気づいたが、声がいい。低音が混じり奥深く響く。しかも、この現実逃避した母親が、最も現実に近づいていたことが最後に分かる。つまり、他の人は気づかない怖ろしい深淵を、ただ一人予感していたから、母親は逃避するしかなかったのである(現実は、母親の予感以上に過酷なものだったが)。
父親役の大谷亮介は、最初はただ偉そうにしているだけに見えたが、それが自分の秘めた罪を虚飾するものとわかってくる。元共同経営者スティーブ(パイロット21人が死んだ大事故の原因の、欠陥部品納品の罪で刑務所にいる)の息子のジョージ(金井勇太=好演)に対し、悪いのはスティーブだということを、自信たっぷりに丸め込む場面は見事だった。長男・クリスの田島亮はかっこよく、死んだ次男の恋人だったアンの瀬戸さおりも美しく素敵だった。

日常のリアリズム芝居から、奥深い思想、戦争批判、おカネが人を狂わす資本主義批判へ。「戦争も平和もつまりはカネだ」という資本主義・帝国主義の醜い事実を照らし、「戦争で儲けたやつら」に裁きを下す。井上ひさしの「闇に咲く花」「太鼓たたいて笛吹いて」を思い起こさせられた。似ているところが多々ある。

最後に。日本で戦争を批判すれば戦争指導者(天皇も含むかどうかは別にして)による無謀な戦争がまず批判の第一になるが、アメリカのこの劇に、その要素はない。「正義の戦争」だからだ。「戦争で儲ける奴ら」への批判が第一となる。それが、逆に普遍的な資本主義批判につながる。
また、子世代が父世代を批判する厳しさも欧米的なもの。ドイツのナチス世代を批判する戦後世代も同じ。日本では、元兵士だった父親を息子たちはあまり批判しない。あるいは、戦死した戦中世代が、戦前世代を批判したりしない。あるいは批判は少数にとどまる。この違いはどこから来るかはわからない。

ネタバレBOX

最後にならないと、欠陥部品の責任が父親ジョーにあることがわからない。それが後半の二幕になって、次第次第に明らかになっていく経過が、推理劇のように見事。最初は隣の奥さんのスーの憶測話からそしてジョージの登場以降、二転、三転しながら、悲劇のクライマックスへ。ジョージに向かって、「いるんだよ。責任をとらずに、人が縛り首になるのを見捨てる奴が」と語るジョーの、自分のことを言っているのに気づかないような、平然と語る姿が怖い。戦争成金の自信に満ちた表情の裏の、「原罪」の恐ろしさを抉り出す。

ブルーストッキングの女たち

ブルーストッキングの女たち

劇団青年座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2020/09/26 (土) ~ 2020/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★

宮本研はこの芝居で「真っ直ぐに生きる人間」「一途な人生の輝き」を描いたのだろう。だから中心は伊藤野枝と大杉栄になる。あるいはこのふたりを中心にした結果、「一途に短く生きた人生」がたちあがることになる。人生観や社会論の作者の考えは表面には出てこない。大杉に対して「理想はいいけれど、現実を見ないとしっぺ返しを食う」「3人の女の戦いで、勝ったのは野江さん」など、ふたりの人生へのコメントがあるくらい。青鞜内部の女性たちの家庭や社会での地位や性をめぐる議論もほとんど踏み込まない。同じ青鞜をモデルにした永井愛の「私たちは何も知らない」を去年見たばかりなので、比べる形になった。

前半は青鞜の編集局で主要人物が顔を揃える。ついで辻潤宅。次の「人形の家」の終結部の劇中劇が長くて驚いた。子供を置いて家を出たノラに野枝(のえ)を重ねる構図になる。
最初「私は子供を置いていくことはしない」と言っていたのに、辻潤と分かれると、二人の子を手放した皮肉。最初は子供に未練はない強い女を装っていたが、その母性の葛藤は、後半、辻潤が長男のマコトと現れた場面で噴出する。野枝が息子に詫びるのに対し、息子は「父さんはいつも野枝さんはいい人だ、と言っています」と無愛想に答える。息子の口を通じて、辻潤の未練が伝わる仕組み。その、自分を愛してくれる夫を子供とともに捨てた事実が、野枝を更に苦しくさせる。

後半は大杉栄をめぐる妻と、愛人の市子と、野枝の四角関係から、甘粕事件まで。日影茶屋事件での市子(小暮智美)の刃物を持って愛を迫る場面は迫力あった。
抱月と須磨子のシで終わる同志関係が、大杉と野枝にも重ねられている。ほかにも平塚らいてうと奥村の(籍は入れないものの)小市民的夫婦関係も対比される。
大杉を演じた石母田史郎のダンディぶりが良かった。野枝の田上唯は、野枝のエキセントリックな激しさよりも、純粋さ、真面目さが感じられた。関東大震災の殺害直前のふたりの、真っ白い衣装が白装束のように眩しかった。

細かいところでは、辻潤(松田周=役よりもかなり若いが、好演)と息子の放浪の姿には映画「砂の器」が重なった。大杉栄の自由恋愛?論には、サルトルとボーヴォワールを思わせた。また、りんごが小道具として生きている。大杉が最初かじっていて、子供がりんごを売り、最後に殺害犯の甘粕がまたリンゴをかじる。「小道具は3回使え」の津上忠さんのセオリー通りだ。

『夜鷹と夜警』(よだかとやけい)

『夜鷹と夜警』(よだかとやけい)

東京No.1親子

ザ・スズナリ(東京都)

2020/09/11 (金) ~ 2020/09/22 (火)公演終了

満足度★★★★★

皮肉たっぷりの「政治屋」批判が後半連発されて、笑い転げた。。「政治家はやめられません。われわれの決断一つで、多くの人を(幸せにできる、というのかと思いきや)貧乏にできる(ウマイ!!)」「悪政を敷きながら、いかに当選を勝ち取るかの、そのスリルがたまらない」(ここまで本音いう政治家がいたらサイコー)などなど久々に笑った笑った。絶妙のコントの連続だった。

しかも、笑わせるだけでなく、ほかにも詩情や慧眼にみちたせりふが多い。夜、散歩しながら「太陽の影は厳しすぎる。月明かりの影は、合づち上手で一人ごとのリズムを作る」などと言って、ひとりごとしたり。「田舎は王様の顔が見えやすくていやだろ。都会は自分が誰の奴隷かわからないからすごしやすい」とか。
結婚式専門のカメラマンの科白「どれだけ幸せな二人を世に放てば、悲しいニュースが亡くなるのか」などなど

蝙蝠と格闘しながら友情が芽生えるコント(佐藤B作のまじめなとぼけが面白い)、ギター歌手が、突如辻斬り侍に変身する(村上航)、美人で演技のうまい安藤聖、有名なオヤジと共演して、何も臆する様子のない(どころか、芝居を引っ張る)佐藤銀平、役者たちも良かった。

十二人の怒れる男

十二人の怒れる男

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2020/09/11 (金) ~ 2020/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★

戯曲は名作中の名作、役者もベテラン、若手、いずれも名のある人たちが結集、演出はロンドンの実力者。これでは見ないのが損だろうと見た。期待通りではあったが、期待を越えるものはなかった。そこが微妙なところ。こちらの期待が高すぎるのかもしれない。以前、戯曲を読んだ気がするが、有名な映画は見ていない。でも、忘れていて、見ながら、探偵小説のように、証言の信ぴょう性を一つ一つ崩していく展開がやはり一番面白かった。現場に出かけたり証人に尋ねたりできない、一種の安楽椅子探偵ものである。

ネタバレBOX

階下の老人が「ぶっ殺してやる」という少年の声を聞いたというが、そのとき、効果の鉄道に電車が走っていた。その騒音で聞けるの? 足の悪い老人の歩行実験、など。やはり舞台で見ると、心に刻まれる印象の強さが違う。
ゲルニカ

ゲルニカ

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2020/09/04 (金) ~ 2020/09/27 (日)公演終了

満足度★★★★

共和国軍=正義、ファシスト軍=悪という単純な善悪では割り切れないスペイン内戦の闇をしっかり見据えていた。とくに、共和国軍、人民戦線派にも偏狭なセクト主義や、残虐な殺戮行為があったことには驚いた。そのままだと、ゲルニカ爆撃は、愚かな人間を罰する「神の火」になりかねない。際どい作劇だったと思う。スペイン内戦について教えられるところが多かった。

日本には馴染みのない、当時の複雑な対立関係を割り引くことなく舞台にした、劇作家と演出家の努力に感嘆しました。領主の娘サラ(上白石萌歌)が目覚めていく主筋に、バスク独立勢力の決起、教会・ファシスト側の陰謀をからませています。外国人ジャーナリストの二人連れ(勝地涼、早霧せいな)に、証言者の役割を担わせ、さらに、サラの出会う若者(中山優馬)に、重い秘密を背負わせている。重層的な芝居でした。それらの美談も醜聞も、善も悪もすべてをたたきつぶす爆撃場面は、抽象的ながらも、イメージ喚起力が強く、圧倒されました。

ただ、パルコ劇場の間口が大きすぎて、芝居のサイズとはミスマッチだったかな。

星をかすめる風

星をかすめる風

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2020/09/12 (土) ~ 2020/09/20 (日)公演終了

満足度★★★★

非情な歴史と、それを超えて手渡されていく人間の真心を感じさせる秀作舞台でした。最初、殺された看守が暴力で囚人を支配する鬼姦手と言われると同時に、「本の虫」だったというので、「アレッ?」と思います。その謎が一歩々々解明されていく。殺人事件の犯人より、こちらの謎の方が私には面白かった。シェイクスピアの「薔薇の名前は違っても、香りは同じ」というセリフを、「創氏改名」を強いられた朝鮮人の立場から「名前の重要性」という意味に、解釈を逆転させるやりとりが面白かった。原作にあるということだが、元が舞台の名場面なので、新解釈を舞台で見るとまた格別。

葛西和雄さん、広戸聡さんら青年劇場の看板俳優たちはもうおなじみですが、ユン・ドンジュ役の矢野貴大、看守杉山役の北直樹、看護師の傍島ひとみがよかった。有望な若い俳優を知ることができたのも収穫だった。

ベイジルタウンの女神

ベイジルタウンの女神

キューブ

世田谷パブリックシアター(東京都)

2020/09/13 (日) ~ 2020/09/27 (日)公演終了

満足度★★★★

面白くて時を忘れ、夢のような3時間半を過ごせました。ケラの芝居はその場で立ち上がる雰囲気が絶品です。一つ一つのシーンが絶妙なコントのようで、キャラクター同士の掛け合いが生きています。今回はそれを痛感しました(ザ新劇という舞台を見た、ダブルヘッダーだったかからでしょう)。大きなストーリー、テーマに貢献するというより、その場の作る空気と人物のずれやもつれを楽しむ。さらにステージングと映像がそうした空気をびしっと視覚的に定着させる。何度見ても惚れ惚れします。

緒川たまきの世間知らずのお嬢さん社長、犬山イヌ子と温水洋一の乞食友達、なりあがり悪党と水道オタクの双子の兄弟を演じ分ける山内圭哉、いずれもはまっていました。吉岡里帆と松下洸平の若いふたりも、初々しくて爽やかで、ベテラン陣とはちがうフレッシュさがあってよかった。

ひとよ

ひとよ

KAKUTA

本多劇場(東京都)

2020/09/03 (木) ~ 2020/09/13 (日)公演終了

満足度★★★★

映画を見て興味を持った友人が、今回の舞台を見て「映画はシリアスだったけど、舞台は喜劇。コメディなのに、ぐっと泣かせる」と絶賛していた。舞台は家族経営のタクシー会社。母親・こはる(渡辺えり)の「父ちゃん、殺した」という告白から始まる。3人の子は就職内定が出た長男から、専門学校に入学した長女、高校生の次男まで。「刑期を終えて、ほとぼりが冷めた頃、15年後に帰ってくる」と言って、母は自首しにいく。これがプロローグ。15年後の父親の法事の日から、本編が始まる。

15年後の会社はまず、誰が三人兄弟なのか探してしまう。若い従業員たちの方が目立って、誰が家族で、誰が従業員なのか最初戸惑う。しかし、これはこの家族の微妙な関係を示している。家族同士だけでは「過去」が大きすぎて耐え切れず、従業員たちがいて、やっと関係を保っている

とくに長男・大樹はカギとなる人物なのに、外に勤めている上に、自室にとじこもりがちなので舞台にいる時間自体が少ない。つまり、このままいくと存在感が薄いわけだが、どもりという性癖を与えられているのがポイントで、そのためにセリフを聞けばすぐわかる。ほかの登場人物・俳優も、とにかくキャラがたっているのはさすがである。

母親がついに帰ってくる。最初はただ歓迎していただけに見えるが、じつは子供たちは人生を狂わされたわだかまりがある。長男は内定を取り消され、長女は専門学校をやめてバーで働き、次男は高校でいじめを受けて東京に出た。ただ、長男のセリフに一度出てくるだけで、底流にあることをほのめかす程度。長女の「(母の帰宅を)喜んでいいんだよね?」という一言に集約されている。

同時に、母親の帰宅がテレビや週刊誌で報じられる(家族は積極的に取材を受けてる)。匿名の嫌がらせを受けたり、周囲の目は厳しい。

そういう元を作った母親は、「母ちゃん、間違っていない」というが、渡辺はぶっきらぼうに演じて、内面の葛藤がある、カラ元気であることを感じさせる。長男から「母ちゃんは立派だよ」となじられて、母親がふてくされ「母ちゃん、エロ本読んでる」という場面もぶっきらぼう。ただ、この場面は爆笑である。せりふでこれだけ笑える場面はそうはない。

最後、母親と兄弟だけになる場面がきわだつ。そういえば、途中、母と子どもたちだけになる場面が一度もなかった。そこに、この家族のぎくしゃくした関係が現れていたのだと気付かされる。兄弟三人だけになる場面もほかに一度しかない。同じ家に暮らしていても、打ち解けられない関係を示している。母親の殺人が(暴力的父親から子供たちを守るためとは言え)何を家族に残すか考えさせられた。

暗い過去や、心に傷を抱えた人間が、ずっと抑えてきた内面を垣間見せる場面が秀逸で、そこが桑原裕子の芝居のみどころだと痛感した。

シリアスなテーマなのだが、脇の俳優たちがコミカルな舞台の雰囲気を作って楽しい。作・演出の桑原裕子自身が演じる長男の嫁と、外人のように言葉のたどたどしい北海道の酪農男(成清正紀)のふたりが、部外者ならではの寂しさをまぎらす喧騒(桑原)と、無責任なボケ(成清)を演じて、トリックスター的存在である。

女々しき力プロジェクト〜序章『消えなさいローラ』

女々しき力プロジェクト〜序章『消えなさいローラ』

オフィス3〇〇

本多劇場(東京都)

2020/08/21 (金) ~ 2020/08/23 (日)公演終了

満足度★★★★

いろんな作品へのオマージュを込めた別役実の隠れた秀作。なんといっても別役にしては分かりやすい。ローラが、帰ってこないトムを待つのは「ゴドーを待ちながら」のよう。母親がすでに死んでいて、ローラがその遺体を母の椅子に座らせたままでいるのは、ヒッチコック「サイコ」のよう。そして「ガラスの動物園」のパーティーの後片付けをしないまま、時が止まった家は、ゴシックホラーのようであった。テーブルの上の干からびたお茶やパン粉を食べさせる、渡辺えりと尾上松也のやり取りが、ユーモラスで面白く、大いに笑えた。

最初は、渡辺えりが演じるのはローラなのか、母親なのか、一人二役なのか、そういうもやもやから入るけれど、すぐに、これはローラの二重人格化とわかってくる。そういう謎ときの要素、過去の輝いた瞬間から抜けられないローラのいじらしさ。そして最後に尾上松也が明らかにするトムの死。切ない芝居であった。

ネタバレBOX

最初に、尾上松也がトム役を舞台で演じるのは、渡辺えりの新演出。台本では、舞台奥から声だけとある。
三谷文楽『其礼成心中』

三谷文楽『其礼成心中』

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2020/08/13 (木) ~ 2020/08/20 (木)公演終了

満足度★★★★

よかったです。三谷幸喜らしいパロディがうまく成功していた。曽根崎の森の饅頭屋が、「心中店の網島」を書いた近松に文句を言いに行くと、「俺に芝居を書いてほしければ、俺が書きたくなるような心中事件を起こして見ろ。それなりの心中、それなり心中」という展開に、笑ってしまった。

ネタバレBOX

それで、娘の商売敵のせがれとの「ロミオとジュリエット」的恋を心中に追い込むかというと、そこからもひねって、老夫婦が行き詰って、川に飛び込む。川の中の大胆な動き回りも、人形劇ならではの演出でよかった。その後も、かつての人助けが巡り巡って、老夫婦の再起を促すというハッピーエンド。「心中」ものだが、誰も死なない。めでたしめでたし。
Fly By Night~君がいた

Fly By Night~君がいた

conSept

シアタートラム(東京都)

2020/09/01 (火) ~ 2020/09/13 (日)公演終了

満足度★★★★

コンパクトながら心にしみるミュージカルでした。福井晶一演じる父・マックラムのクライマックスの歌がいい。亡妻とのなれそめを歌う「セシリー・スミス」、そしてベルディ「椿姫」から「乾杯の歌」。オペラは苦手という無骨な男も、好きな女性と見るオペラは別。「何を聴くかより誰と聞くかよ」の歌詞がしみます。「人生は誰と歩くかが大事」というセリフもよかった。二人の女優の歌もよかった。狂言回しの原田優一が、姉妹の母親役、怪しい女占い師役、その他を当意即妙に演じ分け、コミカルにテンポよく物語を進めて、飽きさせない。芸の幅が広くて感心した。

最後の停電の日に、停電のおかげでマックラムは命を救われ、ミリアムの受けた占いの「527」の本当の意味も明らかになる。

子供のハロルドが停電を怖がった時、機転の利く母親がやった、目隠しして10数えるというおまじないにも、人生の智恵があった。目隠しの闇に比べると、停電しても少しの明るさが強く感じられ、怖くなくなると。光を感じるには「闇」を知らねばならないということだし、もっとる来事を考えれば、日常の幸福を感じ取ることができるということである。

「停電があるから光が必要なように(?)、闇があるから希望が必要だ」という科白はベタな分引用しやすいが、上記のおまじないの方が深みがある。

ネタバレBOX

予言の「Great Fall」が本当に起きるとは、予想を裏切られた。何か別の出来事が「大いなる転落」とはこれか、と、喜劇になると思っていたら、意外や悲劇は本当に起きる。そこが感動だった。期待・予想を裏切られるところで、物語の印象はぐっと深みを増す。

残された二人が結ばれるのか、そこはあいまいなまま幕を閉じる。あれで単純に二人がよりを戻すと行かないのは当然のこと。と同時に救いのない終わりにもしない。未来をあれこれ想像させる、空白のあるエンディングがよかった。

オフブロードウエイの録音がアップされているので参考までに。
ウミガメの歌 Circles in the Sand https://www.youtube.com/watch?v=yzCuuFsB9PA
セシリー・スミス Cecily Smith https://www.youtube.com/watch?v=bAfnWMd3flE
無畏

無畏

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2020/07/31 (金) ~ 2020/08/10 (月)公演終了

満足度★★★★

配信で鑑賞。本当は舞台で見たかったが、都合が合わなかった。
中支方面軍司令官で南京事件当時の責任者だった松井石根の、南京事件の責任に迫る。松井は東京裁判で絞首刑になった

松井は日中が提携してアジアを発展させるべきという大アジア主義者で、中国を愛していた(と描かれている)しかし、南京事件は起きた。補給のないままの徴発による進軍、東京の大本営を無視した作戦行動などは、同僚・部下の軍人たちがすすめた。予備役から引っ張り出された高齢の松井は、直接虐殺を命令したわけではない。ぎゃくに軍規のひきしめを繰り返し強調していた。

ネタバレBOX

それでも松井に罪はあることを、弁護士との対決場面で最後に明らかにする。徴発で暴力になじんでいった兵士たちが、強姦の禁令のために、自分たちの強姦を隠すために女を殺す結果になった。禁令が、逆に暴力を誘発した。
「私が南京攻略を急いだのは、中国人のためでも何でもない。私の野心のために過ぎない。それがどこかで私にもわかっていた。だから苦しかった」と。松井は「私は失敗をした。許されない失敗だ。それでも心から中国を愛していた。中国の民衆を傷つけるつもりはなかった」と泣き崩れる。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」(これはレーニンの座右銘)という言葉を思い出した。。軍司令官の独りよがりの善意と、意地と虚栄心が南京事件を起こした(防げなかった)という、歴史観を本作は示している。松井も「許してくれとは言わない。到底償いきれない重い罪だ」と最後は認める。説得力のあるものだった。
殺意 ストリップショウ

殺意 ストリップショウ

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2020/07/11 (土) ~ 2020/07/26 (日)公演終了

満足度★★★★★

赤いブラジャーと赤いパンティという、あられもない下着姿の鈴木杏がまず痛々しい。役のためとはいえ、かわいそう。戦後の闇市の時代、引退公演のストリッパーが、自分が傾倒した進歩的知識人の戦中の転向と、戦後の民主主義の旗振り役への豹変に殺意を抱いた経験を語る。インテリのこうした表b編ぶりはよくある話で、新味はない。

三好十郎はこの程度かと思っていると、進歩的インテリの隠れた情欲生活が暴露されて、あっと驚いた。しかも、天井裏から覗くという、「屋根裏の散歩者」のような話。
ここまできてわかる、革命思想に対する作者の意地悪な視線とニヒリズムが凝縮された芝居だった。
1950年の発表からもずっと上演されなかったというのは分かる。観客も演劇関係者も共産党員やシンパが多かった時代、劇場にはかけにくかっただろう。

「聖人君子も一皮むけばただのスケベ」というのは、よくある人間観である。しかし、戦前戦後の転向・再転向という、こわばりきって茶化しにくい大テーマを、見事に下半身レベルに引きずりおろしたのにはびっくりした。見事なイデオロギーの解体である。脱帽。

演技はもう少し、卑猥さが欲しいというのもわかるが、上述したようなイデオロギー問題だけに、この直球勝負がふさわしかったと思う。鈴木杏の体当たり演技に、惜しみない拍手を送ります。マイク、録音など、一人芝居の「声」に変化をつけた演出も良かった。

2時間の一人芝居に、全く飽きることがなかった。(途中の平凡な話じゃん、という思いも含めて)

赤鬼

赤鬼

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2020/07/24 (金) ~ 2020/08/16 (日)公演終了

満足度★★★★

海辺の寒村に、突然赤鬼(言葉の通じない異人)が現れ、パニックに陥る人々の動きがダイナミックで面白かった。足の長さの違う低い丸いテーブルを、足の枠と天板に分解して、洞窟の入口や、船など様々に見立てる趣向もうまかった。激しい嵐と、浜辺に遭難した3人を村人たちが見つけるシーンも、最初と、最後に繰り返されるが、巧みである。

 友人は、コロナという「未知への恐怖」を描いた新作かと思ったと言っていた。異物排除というテーマも、患者や医療関係者などへの差別と重なる部分がある。
 
 観た回はBチーム。とんび役の秋山遊楽が野田秀樹の甲高い声でちょこまかした演技を踏襲していて、面白かった。加治将樹は、前に舞台を見たことがあり、安心して見られた。浦杉恵子も、始まってすぐの群衆場面から、この人がヒロインだなと分かる華があった。姿勢が良く、凛とした雰囲気で、悲劇を背負うヒロインとしての可憐さがあった。

「赤鬼」は以前一度見た。当時は記録もとっておらず記憶はあやふやだが、ネットの公演記録からすると、2004年の野田地図番外公演の日本ヴァージョンだと思われる。

ネタバレBOX

とにかく、かつて見て覚えているのは、海で遭難した女が、死んだ赤鬼の肉を、「フカヒレのスープ」といわれて食べて生き残ったということだけ。しかし、今回見て、過去の口コミなどを見ていたら、04年の公演では、その海のシーンはあまり印象に残らないあっさりした演出だったという。その前の異物排除、未知のものへの恐怖と差別を中心にした舞台だったと。

そこで、私は疑問が起きた。何故そういう舞台を見て、私は逆に人肉食だけを覚えているのか。舞台を見ることは、重層的な舞台のどこに関心を持つかによって、自分を知ることだと改めて知る。シェイクスピアのいったように、「舞台は鏡」である。

今回の舞台は、最初に謎のように「フカヒレのスープ」と女の身投げがある。最後に、最初からの流れを踏まえて、最初のシーンが繰り返され、その謎が解ける。04年の舞台と違って(多分)人肉食もしっかりフォーカスされている。
「鬼が人を食べるんじゃなかったのね。人が鬼を食べるものだったのね」と言うセリフは重いし、非常に意味が深い。野蛮人を攻め滅ぼしたのは文明人だったこと。大航海時代以来の、ヨーロッパ人の長い征服と侵略の歴史が想起される。
天神さまのほそみち

天神さまのほそみち

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2020/07/03 (金) ~ 2020/07/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

難解と言われることの多い別役戯曲だが、この舞台は素直に楽しめた。場所取りをめぐる、悲しく可笑しいコメディだった。難しいことを考えると、迷路にはまる。役者の困惑とその場しのぎ、意地の張り合い、ばかしあいを、「アホだなあ」と素直に見ることができた。客席も笑いが多い。坂手洋二氏の演出家としてのうまさを非常に感じた。

人間合格

人間合格

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2020/07/06 (月) ~ 2020/07/23 (木)公演終了

満足度★★★★★

観劇再開第一弾。
一つずつ開いた席で、どうなるかと思ったが、すぐにいつもの笑いが客席から自然に沸いて、すごく楽しめた。
益城さんの中北番頭の津軽弁に聞き惚れた。
久しぶりの人間合格だが、非常に内容の濃い台本で、3時間の長さを感じなかった。井上戯曲の傑作の一つ。こんなにたくさんのネタが盛り込まれていたかと改めてびっくり。無駄のない芝居だった

その鉄塔に男たちはいるという+

その鉄塔に男たちはいるという+

MONO

吉祥寺シアター(東京都)

2020/03/13 (金) ~ 2020/03/22 (日)公演終了

満足度★★★★

そう少しシリアスな話かと思ったら、意外とのんびりした雰囲気。戦場のすぐ近くにいるらしい。しかし話は、寝られないから静かにしろとか、誰が水を汲みに行くかとか、階段を上がったり下がったりのくだらないネタとか、たわいもない話ばかり。どうでもいいことに意地になったり、気まずくなったり、人間の性格や態度が現れる。そこを巧みに描き、笑いのツボもおさえていて、OMS戯曲対象をかつてとったのだろう。台本を買ってきたのであとで勉強したい。

さすが30年やってきたメンバーだけに息が合っている。私は笹倉役の水沼健のぶっきらぼうな感じが良かった。パンフを見たら、近畿大学教授とあり、びっくり。つれは陽之助の奥村泰彦を気に入っていた。

本編の40年前の話を書いた新作「プラス」を40分、10分休憩後に、旧作となる本編1時間半。新作を演じた若手の女性たちも勢いがあり、輝いていた。

ネタバレBOX

のんきな話とはいえ、途中、銃を抱えた脱走兵が突然現れたりして、内容としてはただ牧歌的なだけではない。ただ、その脱走兵が至って素朴な人間なので、やっぱりほのぼのしてしまう。
それだけに、ラストの悲劇は突然で意外だった。
きらめく星座【公演中止3月5日(木)~8日(日)】

きらめく星座【公演中止3月5日(木)~8日(日)】

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2020/03/05 (木) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

コロナウイルス騒ぎで5日遅れの開幕。14日土曜日夜に観劇。客席は多少空席はあるが、8割以上埋まっていて、心配したよりもよかった。キャストを一新して、とくに広告文案家・竹田をつとめる大鷹明良がよかった。これまですまけい、木場勝己が演じてきた要の役。木場の熱っぽい役づくりも良かったが、大鷹は飄々として、インテリ崩れの秘めた良心の風情をよく出していた。

演出の栗山民也は「竹田は宮沢賢治だから」といっていたとのこと。いままで4回か5回みて、戯曲も読んだが、宮澤賢治フューチャーは気付かなかった。しかし、ちゃんと「星めぐりの歌」が出てくるではないか。竹田は岩手の山奥で教師をしていたことがあるし。これだけヒントがあって、気付かなかったとは、うかつであった。

若い後妻役の松岡依都美も良かった。前の秋山菜津子がよかっただけに心配したが、松岡は歌も上手いし、若さがプラスした。「星めぐりの歌」をまた聞きたい。ラストの「青空」を聞きながら、何故か涙が出る。これが、この芝居の不思議なところなのである。
正一役の高橋光臣も、体の大きさを感じさせない、軽やかな道化ぶりでよかった。

とにかく、よくできた戯曲である。演出、演技も相まって、街のレコード屋の茶の間のできごとという自然な雰囲気が最後までくずれない。舞台全体の調和が素晴らしい。セリフのないときの俳優にも自然な居場所がある感じ。歌い踊る場面も、不自然さが非常に少ない。脇から邪魔が入って歌を中断して芝居に戻るのもスムーズ。何もかもがスムーズに自然に進んでいく。
冒頭の方は「みさをさんは高等女学校の最上級生よ。そんな年じゃありません」などと、さすがの井上ひさしも情報提示に苦労しているが、説明的なセリフはごくわずか。

しかも内容豊か。昭和の流行歌の数々、傷痍軍人、脱走兵、憲兵。軍国美談に、こじつけの精神主義。恩賜のタバコ、バケツ体操にすき焼き騒動。広告社倒産と物不足。生たまご、コーヒーで描く食料不足。日本歌謡と西洋音楽の関係、朝鮮人の強制徴用に、日本人の傲慢、戦争神経症、満州開拓。(わすれちゃいけない)宮澤賢治、etc、etc。最後に宇宙の中の「奇跡の中の奇跡」である人間賛歌がせり上がってくる。井上ひさしの大傑作を堪能した。

ネタバレBOX

今回、初観劇という友人に言われて気づいたこと。全6場は、それぞれ天長節や、紀元節などいわれのある日になっているが、第4場の8月15日は、戦前のこの時は、何もない普通の日。実はここは終戦の日を意識的にオーバーラップさせている。小笠原夫妻は最初ぼーっと蓄音機を聞いている。これは玉音放送に重なる。流れる歌は「青空」。終戦の日、戦争が終わって見上げた青空は、加藤周一の「ある晴れた日」を始め、多くの人が言及しているところだ。ほかにもあるだろうが、とにかく芸が細かい。
優しい顔ぶれ

優しい顔ぶれ

らまのだ

OFF OFFシアター(東京都)

2020/03/06 (金) ~ 2020/03/11 (水)公演終了

満足度★★★

3話のオムニバスの舞台。第2話が面白い。ネット記事を量産している弱小プロの仕事場。「自衛官若妻の語る自衛官の心を射止める9条」の記事に、サイト会社からクレームが来た。自衛隊から文句が来たらしい。記事を引っ込めて穏便に済まそうという上司、「無理な残業までして書いたのに、こんな小さな記事にまで目くじら立てるなら、やめます」と意地を張る担当者。

そこにクレームの張本人、自衛隊就職相談のボランティアをしている初老の男がやって来る。「これは自衛隊を馬鹿にして、憲法9条を守ろうとするものだ」と。一週間後に憲法改正の国民投票が迫っている。その護憲キャンペーンだ、中立でないというのだ。担当者は反論し、逆襲に出る。さらにサイト会社の美人担当者も記事削除を求めにやってきて…

笑いの中で、無責任なその場しのぎと事勿れ主義が、知らず知らずのうちに、改憲を許してしまう怖さを浮かび上がらせていた。クレームに弱いメディアの体質や、広告料稼ぎのための通俗記事の量産、職場のパワハラ・セクハラも俎上に載せて、メディアの現状をチクリチクリする話に身につまされた。

男女のはじめの決意がもろくも崩れる第1話、寝たきりの妻を介護する店長と、女性店員の第3話はあまりピンと来なかった。「改憲演劇」と銘打っていたが、憲法との関係がほとんどわからなかった。第1話30分、第2話70分、第3話35分。計2時間15分

炎の人【公演中止(02/28~ 02/29)】

炎の人【公演中止(02/28~ 02/29)】

劇団文化座

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2020/02/20 (木) ~ 2020/02/29 (土)公演終了

満足度★★★★

初めて見る「炎の人」。三好十郎はもっと傑作があるのかもしれないが、有名な作品である。ゴッホの炭鉱地帯での宣教師時代から始めるのが意外だったし、知らなかった。そんな経歴があったとは。労働者の貧困とたたかい、さらにパリでの作家仲間たちの流行の不可知論に対し、現実のものはある、それを描くというゴッホの愚直な唯物論は、この台本の書かれた50年代の社会主義と労働運動の勢いをバックに持つものだろう。

ゴッホの、自分は30歳から絵を始めたから時間がないという焦りが、彼の短く燃え尽きた画家人生の根底にあるということもよくわかった。最後に「ゴッホはぼくたちと同じ人間だった」(記憶なので不正確)と、ゴッホの死後、人々が追悼する。間違ってはいないがもちろん、ゴッホの特別さはやはり否めない。

若い藤原彰寛(文化座)が、ゴッホの一途にのめり込む熱情と自信のもてないコンプレックスを熱演して、素晴らしかった。とにかく泣いたり怒ったり、甘えたり喜んだり、不安定な人格で、感情の振幅が極めて大きい。これはやりがいのある役でもあろう。逆にゴーガン役の鍛冶直人(文学座)のシニカルともいえる冷静さが冷たすぎるように私には見えたが。

佐々木愛を筆頭に、脇役のベテラン陣はさすがにうまい。しかも、みなマイク無しでも大きな劇場内に声が響き渡る見事な発声。新劇の演技訓練の蓄積を見直させるものである。

3時間5分かな。コロナ騒ぎで上演期間が2日短縮されたのは残念だった。

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