旗森の観てきた!クチコミ一覧

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笑の大学

笑の大学

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2023/02/08 (水) ~ 2023/03/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

三谷幸喜の代表作と言われながら、96年以来、舞台では上演されていなかった作品のパルコ劇場50周年記念公演、全国ツアーもある。今回は作者本人の演出。配役も、小劇場らしい顔合わせだった西村雅彦、近藤芳正から、内野聖陽、瀬戸康史に変わった。25年ぶりの晴れやかな再演である。
脚本をなかなか出版しない(戯曲未刊行)作者だから、再演の細部の変更はわからないが、ほぼ初演と変わらない感じ。(映画は取り組みが違う)。一つのセットで二人だけの役者で二時間弱、誰もが楽しめる舞台になっている。
良いところをあげていくと、まずは、俳優二人の快演。パルコはかなり大きな舞台なので取調室内の二人だけの室内劇では隙間があるのではないかと危惧したが、全くそういうことはない。内野はこう言う軽喜劇の経験が少ないが、軽重巧みに取り合わせて融通の利かない検閲官を肉付けした。対する瀬戸康史。湿っぽくないのが良い。それが最終幕で逆転する。
間口を狭め、奥に向かった遠近をつけた堀尾幸雄の単純浴び術も効果を上げている。
脚本はすでに数々の賞がある出来だが、今回改めて「笑の大学」というタイトルが単に瀬戸の演じる軽演劇劇団の名前だけでなく、作品全体が笑いの構造を追及する「大学」になっていることがわかった。くすぐり、地口からはじめて、ドタバタ、さらには喜劇というテーマへと難題を膨らませていくうちに「喜劇」を大学レベルまで、考えさせてくれる。作者の、「喜劇」へのこだわり、ともすれば、喜劇を安全な社会批判の道具にしか考えてこなかった日本の演劇対する批判も見える。
久しぶりに、老若男女ほどよく案配された満席の良い客席だった。
三谷幸喜は、これで、現在の日本の演劇界の一角を代表する作家になったと言えるだろうが、これからも、日本の演劇のレベルを底辺で叱り支えて良い作品を見せてほしい。

桜姫東文章

桜姫東文章

木ノ下歌舞伎

あうるすぽっと(東京都)

2023/02/02 (木) ~ 2023/02/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

本年屈指の話題作の登場である。
木ノ下歌舞伎が岡田利基で桜姫をやる。どうなることか、と芝居ファンは固唾をのむ。
これまでの芝居狂の方々の「見てきた」のように、意外にオーソドックス。いつものようにほぼ満席の劇場だが、いつもはあまり見ない若い男女が多い、これは成河、石橋静河のファンだろうが、こう言う芝居の出来る役者のファンと言うだけあって、場内皆固唾をのんでいるジワが、開幕から続く。こう言う小屋の緊張感は、なかなか味わえない。若い人たちにとっては単に「モノメズラシサ」かもしれないが、モノメズラシサは芝居の出発点だ。
総評から言えば、一番は、この役者二人の大出来が一番だろう。最初の出会いで、成河が桜姫に惹かれてふっと立ち上がるところ、様式化されていない現代演劇の美しさ。最後の桜姫、清玄二人だけになって、ここだけはチェルフィッチュ風の見せ場になるが、振り付けも良いが、二人の役者としての切れも良く素晴らしい幕切れになっている。
演出がメタシアター仕掛けになっていて、それぞれに数役を兼ねる他の役者も全員舞台に出ずっぱり、下座は電子楽器一本で始終音が出ていてこの演者(荒木優光?)も出ずっぱりで、生身と役を往復して大健闘ある。軍助の谷山智宏,変ななまめかしさを見せるお十の安部萌。普通の芝居と全然違う間の作りがうまく、俳優の現実の肉体と役を、距離を持ちながらも往復する意味が、よくわかるように演じられている。たいしたものだ。
本は木ノ下が補綴したものを、岡田が上演台本にしたようだが、とにかく南北の原作に従ってちゃんと七幕まである。大歌舞伎でも見たことのない場があるが、物語はどんどん進む。桜姫は、今は南北の代表作のように言われているが、初演以後はほぼ百年お蔵に入っていたという難物。昭和になってからの復活も、孝夫・玉三郎の京都南座の大当たりまではさして受けていたわけではない。要するに話に「実は」が多すぎて、時代劇というハンディもあって、見物はついて行けないのだ。ここ四十年の名作である。
岡田利基は、その難しさを、チェルフィッチュガ開発した「今から何々をやりまーす」と宣言してから演じるという「三月の五日間」の手法で解決した。舞台中央に縦型のスライド映写のスクリーンがあって、シーンが始まる前に次のシーンの登場人物とあらすじが投影される。そこから周囲に控えた俳優が舞台でその場を演じるのだが、この流れが非常にうまくいった。木ノ下歌舞伎で、よく、始まる前に芝居の予告編と称して、全編の登場人物と見せ場を見せてしまう、という手を使っているが、これがこの複雑怪奇な演目によく似合って
成功している。これを見ていると、ホントは、場の設定だけ出来れば、スジはどうでもいいのではないかとさえ思えてくる。しかも、この上演に関してだけ言えば、このメタシアターの作りともに合っているのだ。期せずして、古典から現代への見事な通路になっている。
岡田利基はパンフでも今作は、古典を現代に翻訳しただけ、といっている。あまり解釈批判を避けて、と言ってもいるが、本人も言うとおり、それは避けられないから、いろいろな意見が出てくるだろう。コクーン歌舞伎の時だってその批評では大げんかがあった。今回は、周到な出来だから、あまり大きな論争は起きそうにはないが、やはり、これは現代の若い世代のトップスター的な演劇人が、難物の古典に取り組んだ成果の一つとして財産にしていきたいものだ。
と書いたところで夕刊が来たので、開いてみたら朝日新聞の夕刊にこの劇評が出ている。全くとんちんかんな劇評で、見てもいない初演時の俳優の心境を元にこの芝居の原点にし、俳優を共演者すべてをなぎ倒す者をよしとし、相対主義が役者の演技をも解体すると断じ、全体を虚無的な芝居ごっこであると結んでいる。他にも短文の中にワケのわからんことを権威に寄りかかって得意そうに言いつのっている!木ノ下も岡田もこの筆者よりは年下だろうが遠慮することはない、反論するなり、からかうなり、言ってやらないとこの貴重なトライアルが無駄なものになってしまう。馬鹿につける薬はないと笑って許すんじゃないよ!

血は立ったまま眠っている

血は立ったまま眠っている

文化庁・日本劇団協議会

Space早稲田(東京都)

2023/02/01 (水) ~ 2023/02/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

初演は昭和35年というからもう六十年も前の作品。新しい演劇の時代のスタートとなった作品で、確か日生劇場で四季が上演したのではなかったか。そのときからわからん!わからん!ト評判は悪かった。
60年安保が背景だからさすがに古い。今再演するなら、どこかに焦点を絞って新しく作らないと見るに堪えないものになる。危惧は当たって、ただわぁわぁと賑やかなだけの二時間。惨憺たる出来である。
若い演出者に今が不安な時代であるからと言って、往事の安保戦略を押しつけるのも酷だが、やる方も時代をちゃんと見なくては。今この作品をやるとしたら、やはり流山児の嗜好には合わないだろうが、言葉だろう。あの図々しいとしか言い様のない独特のレトッリックをうまく芝居にするのは、今の時代なら出来そうだ。俳優もどうやっていいのかわからずやっている感じだったが、二三目立つ役者はいた(配役表がないので名前を挙げることが出来ないが)

いごっそうと夜のオシノビ

いごっそうと夜のオシノビ

Nana Produce

サンモールスタジオ(東京都)

2023/01/25 (水) ~ 2023/01/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

横山拓也の十年以上も前の若書きの短編二篇をフィルムのタイトルでつないで続けて見せる。70分。
今冬最も寒いと予告されている夜の70ほどの客席は初日から満席、ツボを押さえた横山脚本に寺十吾の演出で、客席は暖かい笑いが続く。映像タイトルで横山の旧作が逆時代順に流れていき、最初のエピソードは「夜のオシノビ」。初期の作品である。
同棲していた女が死んで命日に年忌をすると決めている残された男(寺十吾)の年忌の当日。九年もたてば、来客も少なく女友達(金子さやか)と男の二人だけ。もう来年はできないかも、でも十年だから動員をかけるという女を、思わず男は押し倒してしまう。決然と去る女。で、翌年、誰も来ない十年目の年忌に死んだ女の仕事の付き合いがあったという男(浜谷康幸)が訪ねてくる。この男は実は死んだ女と不倫の関係があったというのだ。詫びに来たという男に、10年もたって、それが何の意味がある?となじる男。間男来訪の行為をめぐっての男同士のやり取りはとても新人とは思えない面白さだ。不倫男が扱っていた商品が売れない生理用品で、それが、今なお棚に残っていて、男は雑な女だったからと思っている、不倫男は思い出のために残っていたと感動する、などという小道具の使い方も、下ネタの使い方も舌を巻くうまさだ。定番の通夜の客ものの設定を年忌に伸ばしている。
後半は「いごっそう」。高知を舞台にした僻村の嫁不足を素材にしたコメディである。いごっそうというのは高知方言で、強情っぱり、というような意味だが、高知のいごっそうは度を超す。時にはそうならざるを得ないことも強情のせいにしてしまう。
嫁の来てがなく40歳前後になった三人の独身者のあこがれは飲み屋・いごっそうの主人(青山勝)を助けてバイトをしているかなえちゃん(青山祥子)。皆それぞれに事情がある上に、町役場で地域振興のために東京でリクルートした職員(泉知東)が単身赴任していて、恒例の村を挙げてのクリスマスパーティの相談をこの飲み屋でやろうと集まった。(この設定うまい)話はややこしくなる。話は登場人物全員をうまく使って進んでいく。全員芝居場があるのでやっていても楽しいだろう。舞台が初日から弾んでいる。観客も乗せられる。
この初期の短編に作には、その後の長編作に生かされているところも多く、めったに上演されないだろうから大いに楽しんでみられた。
寺十吾の演出・出演。この演出家、小劇場つまずきの石の出身だが、今は小劇場から中劇場まで、何でもそつなくこなす。一頃の鈴木勝秀みたいな位置だが、カラーはずいぶん違う。
こういうところにも時代は顔を出す。




あでな//いある

あでな//いある

ほろびて/horobite

こまばアゴラ劇場(東京都)

2023/01/21 (土) ~ 2023/01/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

学生劇団出身らしい都会風な現代青春後期劇である。作者は四十歳半ば、劇団員もおおむねそのあたりで固めている。
青春劇だからそれぞれのタイプを対立させて描いていくが、軍に入って世を正したいという青年がかなり丁寧に追われているのは珍しい。それに対するのは女性の美容師。仲間にアジア人の日本在住35年の整体師。口は立つのにあっさり騙されて妊娠して捨てられる女性、彼女の元を離れられない意気地のない肥満男、食肉生産工場で神経を病む中年の男、浮浪者取り締まりを請け負う男、などが登場する。個々の話も人物もうまいが類型的だ。
エピソードを重ねていく手法で、話の運びは抽象劇と日常会話劇を混ぜた調子で、それはそれで良く纏まっていて、飽きないで見られるが、見ているうちに80年代に流行ったにぎやかな小劇場のいくつかを思い出した.あれはもういいとなったはずじゃなかったのか。
ひねり玉のつもりかもしれないが小洒落ているが力がない。引きこもりの右翼青年なんか面白いのに、説明が先に立つ。せっかく切り込めるところなのに尻すぼみ。思い切って突っ込むところがない。
この調子では、現代リアルの若い加藤拓也に、内容だけでなく技術的にもかなわない。「ほろびて」なんて縁起の悪い劇団名だ、と言われないように生き生きした劇世界を表現してほしい。

シン令和のKAIDAN

シン令和のKAIDAN

リブレセン 劇団離風霊船

ザ・スズナリ(東京都)

2023/01/12 (木) ~ 2023/01/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

離風霊船を見るのは何年ぶりだろう。松戸俊一も伊東由美子もすっかり老年に達している。あとは知らない顔ぶれだ。エッ? 三十年ぶり?まさか。霊船に乗ってきたか。
 そういえば、あの時代にはメタシアターが大流行だったな、と思い出す。いまはこの離風霊船という劇団名も、意図不明のとんがった感じだが、かつては、「遊◎機械全自動シアター」とか「秘宝零番館」「自転車キンクリート」に「ブリキの自発団」「第三エロチカ」とサーカス小屋のようなネーミングが並んでいたものだ。その中に、今に続く「夢の遊眠社」も「ナイロン100℃」も並んでいたとおもうと時代の変遷に懐かしいだけではない感懐がある。
舞台は、ご本家メタシアター「作者を探す六人の登場人物」そっくりに、脚本家の前に登場人物たちが現れるまっとうな趣向で、ネタになる劇中劇は「東海道四谷怪談」に脇筋では童話の「桃太郎」。人物配置も筋も四谷怪談を追っているが、今の若い観客が入り組んだ人間関係を知っているかと、心配になる。結構、劇団消長に絡ませて筋、配置はしっかり追っている時代劇のだ。
1時間半ほど。観客約半分強。時々笑いも起きるが、劇場の熱は上がらない。この劇団らしい伝統で残っているのは、人間の手で、細かい舞台トリックを全部やってしまうところで、ほとんど裸舞台で時代劇をやってしまう。劇団創立者で岸田戯曲賞も受けた大橋泰彦はいまどうしているのだろう。確か、この劇場であのシンではないゴジラが出てくる芝居を見た。

十二人の怒れる男

十二人の怒れる男

劇団東京乾電池

ザ・スズナリ(東京都)

2023/01/05 (木) ~ 2023/01/09 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

乾電池が知名度の高い定評ある名作とどのように取り組むか?
今年の初芝居は、ザ・スズナリ。土曜日の午後の公演はどこかの現劇グループの女性団体客
も入って、開演前から劇場らしい賑わいの声があって正月らしい芝居風景だった。
乾電池に翻訳劇はどうかと思っていたが、今や、日本も欧米と肩を並べるG7。五十年前の戯曲とはいえ、先進民主主義国が当面した諸問題は、現在の我が国との共通の課題も多く、日本人の俳優が演じても違和感がないばかりか、日本の現実の問題とも重なるところも多く、客席には緊張感があった。
柄本演出は、かなり現戯曲をいじっているがその狙いは大きくは次のようなものだろう。
まず、原作の各登場人物の背景の説明をできるだけ省いて、たまたまその場で出会った人々が話し合うという、いまのSNS状況を思わせるコミュニケーションのドラマにした。このため、原作にあった、ニューヨーク人情物語的側面がほとんどなくなって、薄い人間関係の中のディスカッションドラマにしている。これは新しい演出だが、その功罪はあって、この事件の背景はよくわかるが、各陪審員の判断の根拠がよく解らない。ことに最後に翻意する陪審員の親子関係が全くカットされているので翻意がただ少数派になったのでやーメタ、という風にもとれる。ほかにも、貧民街に育った人、努力で成り上がった人、さまざまな階層の人々の背景が現戯曲では書き込まれているがそこをずいぶん短くしている。そういう狙いも今の芝居ではありだとは思うが、最後に写真を出している以上、説明不足になっている。そこもどーでもいいんだ、というところまでは思い切れていない。しかし思い切ったら別の芝居になってしまいそうだ。全体で15分は切っているのではないだろうか。1時間45分、休憩なしだった。
二つ目。11対1で反対を始める陪審員8号は、この芝居では主役で、いままでも主演者が演じてきた。そこをほとんど知られていない飯塚三之の助をキャスティングしている。平凡人の勇気というところを飯塚はよく演じているが、戯曲自体が立て役で書いてあるので、どうしても荷が重くなるところがある。それはすべての陪審員にもいえることで、柄にはまっている谷川昭一郎や吉橋航也、杉山恵一はのびのびやっているが、ほかはかなり窮屈そうだ。出演者では陪審員長の岡部尚が健闘している。
男性だけで演じられる舞台を見ると、この五十年でずいぶんジェンダーの問題は進んできたな、と思う。今、アメリカなどではこの芝居は打てないのではないだろうか。
そういうアピールにもなっている。そこが乾電池らしいともいえる。

ジョン王【1月3日夜~1月8日昼、1月22日昼公演中止】

ジョン王【1月3日夜~1月8日昼、1月22日昼公演中止】

彩の国さいたま芸術劇場

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2022/12/26 (月) ~ 2023/01/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

明治開化で現代劇が始まった頃、活劇というジャンルがあったそうで、日清戦争名場面などを舞台でやってみるのがはやったそうだ。これはまさにシェイクスピアが書いた英国史の活劇で十世紀も前の英仏(仏王・吉田剛太郎)の戦争をめぐる両王家の活劇である。不運、不人気のジョン王(横田栄司)の話として、英仏国民にはおなじみの話なのだろうが、いかんせんここは極東の日本で話になじみがない。彩の国シェイクスピアシリーズで最後に残った歴史劇大作も、英仏陣を衣装の色で分けるとか、主人公の王族私生児(フィリップ・小栗旬)を冒頭、お得意のホリゾントを開けて町の中から登場させるとか、日本の流行歌を挟んで、観客を休ませるとか、蜷川が発明した趣向を取り入れて最後の歴史劇巨編をキャスト三十人の殺陣満載で挑んでいるがとにかく長い。20分の休憩を挟んで80分づつ。年末に3時間では客の入りはどうだろうと思ったら、これが意外にもほぼ完売。大河ドラマで人気のあった小栗旬の人気によるものだろうか、寝ている人も多かった。

ミュージカル「洪水の前」

ミュージカル「洪水の前」

ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ

恵比寿・エコー劇場(東京都)

2022/12/22 (木) ~ 2022/12/28 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

名作の名がふさわしい昭和の小劇場ミュージカルだ。曲は古めかしいが、歌の快感があり、何よりも歌詞がよく聞き取れる。小編成のバントとの取り合わせもいい。今風に編曲もできると思う。
主演の大連に流れてきた文士役の浅野雅博がいい。もう文学座では中堅だが、時間をかけて一つ一つの役を積み上げてきた実績がこのまとめ役に出ている。ラサールは、財津のイメージを追えば、この人しかいないということになるだろうが、もっと若い(一回り半くらい)人の方がニンにあう。決して悪いわけではなく座長としての収まりもいいが、この傑作ミュージカル、次回再演の時は思い切った座組で現代化を。時代を超えられる作品だからだ。ことに世界が今、「洪水の前」にあるときは。
演出の鵜山仁は、フォーリーズのメンバーとゲストをうまくまとめている。振り付けもグループのダンスなど、古めかしいが作品に似合っている。ここまで一新して再演されると古典になると思う。同じ占領地ものでも「上海バンスキング」に比べれば再演のしやすい名作である。

The Birthday Party

The Birthday Party

CEDAR

新宿シアターモリエール(東京都)

2022/12/17 (土) ~ 2022/12/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

何度か見ている芝居なのに見るたびに感じが違う。1957年のピンターの初期作品で、まだ冷戦時代。イギリスではグレアム・グリーンが人気作家で、まもなくモームが亡くなり、ル・カレがデビューするころ。芝居では、不条理演劇が注目されていた。
日本で最初に見たときは、田舎旅籠ものの調子だったが、次第に不条理劇的になり、今回はサスペンスもの。
様々な趣向が可能なところが奥が深いところだ、登場人物たちも、登場人物たちも、物語も、キャラがあるようで、破綻している。そこがリアルなのだが、確かにまとめにくい。演出の松森望宏は始めてみる演出だが、細かくサスペンスを積んでいって飽きさせない。ストーリーを見る作品ではない、というのはその通りだが、今までは筋をなおざりにしてきたせいで、思わせぶりな前衛劇、という印象が抜けなかった。松森演出は謎に満ちた現実の諸相をあたかも伏線であるように描いていって、緊張感がある。照明に加えて、音響効果と音楽も狭い劇場の特質を生かして大いに劇に貢献している。新人なのに、うまいのである。
この演出者は後しばらく見てみたいと思わせる出来だった。
CEDERは松森が新国立劇場の俳優研修生の北野由大(スタンレー)と組んだグループだが、実質的にはプロダクションで、適材がキャスティングされている。大鶴(謎の追究者ゴールドバーグ)、大森(宿の亭主ピーティ)のどこのプロダクションでも手堅く脇を固める俳優に加え、意外な顔ぶれではテレビタレントとみてきた藤田朋子が宿の女主人メグを好演している。2時間15分。クリスマスイブとあって、客が薄いのが残念な翻訳劇だった。

サド侯爵夫人(第二幕)

サド侯爵夫人(第二幕)

SCOT

吉祥寺シアター(東京都)

2022/12/16 (金) ~ 2022/12/24 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

久しぶりのSCOTである。この舞台はかつて、静岡の丘の上の奇妙な形の劇場で見た記憶がある。大分変わっているようだが、雰囲気以外の細かいことは忘れている。かつて見たときは三島のテキストから、この部分を選んで、舞台に乗せたいとは見るものにはそれぞれだろうが解釈できた。通俗的に見ても女同士の駆け引きと情念は結構面白かったように覚えている。それから十五年。今回の舞台はいにしえの塑像が演じているような古怪な雰囲気で、能狂言を見ているような。昭和の流行歌に乗って演じられる俳優の演技も様式的な台詞もおなじみのSCOT風だが、かつて持っていた強い生命力が感じられない。
配られた席ビラには、鈴木忠志の演出の弁も載っているがそれは十五年も前のもの。古典再演のつもりだったとは思えないからアフタートークで埋めるつもりだったのだろうか。これは聞かないで帰った。
SCOTらしいと思ったのは、いつも不愉快で観劇の気分を大いにそぐ開演前のコロナに関する、ご注意(何のことはない劇場警察である)を一切やらず、これはさすがの判断だと思った

夜明けの寄り鯨

夜明けの寄り鯨

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2022/12/01 (木) ~ 2022/12/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

横山拓也の芝居を、こんなガラガラの小屋で見たのは初めてだ。珍しく老人客が多い。
それでも約半分、普通席の約四分の一の安いZ席が若い観客で埋まっていたのが、辛いような。
捕鯨の是非で生活を揺るがされた捕鯨を生業としていた漁村のほぼ半世紀の変転を背景に
した物語だが、いつになく歯切れが悪い。時代の変遷を青春期から老年期への人の一生と重ねているが、ここもあまり成功していない。捕鯨への反対運動の下りなど、いつもの横山なら絶対に取らない方法でドラマに組み込んでいる。
演出はこの劇場が養成してきた人材と言う触れ込みだが、舞台をストーリーに従って、小奇麗に整理はできているが、肝心の、漁村の生活感がまるでない。リアリテイがないのは最近の若い観客にはさほど気にならないのかもしれないが、今年で言えば、ぺニノの「笑顔の砦」のような圧倒的なリアルの追求を見ていると、いかにもきれいごとで、しらける。やっぱり、新国立は困ったもんだと言うところに落ち着いてしまう。
横山も、これからはこういうたぐいの注文仕事をこなさなければならなくなるだろうが、それは職業だから、めげずに頑張ってやってほしい。今回はやむを得ない。

ダブリンの演劇人

ダブリンの演劇人

Ova9

シアターブラッツ(東京都)

2022/12/06 (火) ~ 2022/12/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

滅多に見られない愉快な笑劇の舞台だ。
新劇各劇団で、山椒の小粒のような脇役で地歩を固めた女優七人と、パフォーマンスとしての打楽器奏者和田啓が加わって、アイルランド演劇の基礎を築いたア米劇場開場の顛末のドタバタ劇である。脚本はアイルランドの作家マイケル・ウエスト。ジョイスの「ダブリナーズ」も劇化している!!と言うから只者ではないのだろうが、この作品はコントをつなげて様な形式で、新しい国民劇場開場と、その日の英国国王の訪問、反体制派や当時のアイルランド市民の母国脱出願望などを背景にした、劇場人たちの右往左往である。狭い劇場で舞台は八百屋にした空間に全員出れば動く隙もない。
かなり複雑な異国の話だが、よくわかるのは、演劇人の生活は東西を問わず、だからだろう。上演台本をうまく作っていて、俳優には大変な舞台だが、皆楽しそうにやっている。コメディアデラルテや、西欧古典劇の笑劇をベースに、衣装や化粧も含めいろんな笑いの形を取り入れていて、歌舞伎まで入っている。いずれもひつこくならないところで寸止めしている。楽器演奏の和田啓が秀逸。これでが劇の基本のリズムが取れたことが大きい。
全体としては殊勲甲であるが、せっかくここまでできるのだから感想を言わせてもらうと、
まず、やはり、演出者は要るのではないだろうか。みんな頑張っていて、引くところを知らない。というか折角の機会だから、やれるとこまでやっちゃえ、でそれはうまい人たちだから解るが、客は疲れる。
二つ目、自分で人物説明も、場面説明のナレーションもやり、対面の芝居でセリフは客席に向かって言い、聞く方は横顔、と言うスタイルは、長くなると飽きるし、手もなくなる。つい衣装や化粧に頼るが、例えば、日本の浅草喜劇などは基本スタイルは同じだが、その辺はうまく処理していたように思う。
三つ目、この演目は劇場の狭さに救われている面もある。次回ははトラムとか、あうるすぽっと、とかせめて風姿花伝くらいの小屋でやってほしい。十分できるだけの内容だった。
満席だったのは喜ばしいが、後ろの方で、役者が売ったチケットで来たのか若い女性客の一群が、役者が登場するたびに、待ってましたというように内容にかまわず,嬌声を上げるのがずいぶん邪魔になった。前の方だったからよかったが、後ろの方の席だったら、「出て行け!」と言いたいところだった。

どっか行け!クソたいぎい我が人生

どっか行け!クソたいぎい我が人生

ぱぷりか

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/11/24 (木) ~ 2022/12/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

共依存症の話である。舞台は広島の小さな地方の都市の母子家庭の家族物語だが、見ているうちにいまこの社会に瀰漫している世界が広がっていく。岸田戯曲賞を受賞した作品は見ていないが、正当な演劇の伝統も感じさせる新人の爽やかな初見であった。現代版・「欲望」のブランチである。
夫と別れた母44歳(占部房子)は娘(林ちえ)を引き取って暮らしている。別れた夫のことは気になるが知りたいような知りたくないような。密かに弟(富川一人)に聞いたりしている。弟が妻(岡本唯)とともに姉の近くに住んで、なにかと面倒を見ているのは、この姉には、ちょっと病的な依存症があって、霊的な存在や占いを信じて生活の指針にしてしまうからだ。娘を溺愛して、大学三年生になっても手元から離せない。占部房子演じるこの母の造形が、新鮮で、まずこの舞台の第一の見どころだろう。こういう人物は、今の社会のどこにもかなりいるが、今までは都合のいい脇役でしか舞台に出てこなかった。
この舞台はそれを正面に据えて、今の社会の鏡にしている。
この母の誕生日。娘は、母のためにイヤドロップを買ってきた。冒頭で、二人の共依存が日常の一コマとして描かれる。母の働く場の若い労働者(阿久津京介)や弟夫婦を招いての誕生日パーティ。娘の自立や、弟夫婦が交通事故にあう事。近所で起きた同年齢家族の殺人事件の噂話、父が実は死亡していたことなどをめぐって、家族関係が微妙に変わっていくのを面白く見せる。ダレない。
最近の若い演劇人も劇団も、威勢よく踊ったり歌ったりしたり、したり顔でスローガンを叫んだり、自分本位の身辺雑記をやって見せたりするだけでは、やっていけないことが分かってきて、芝居でリアルを求めるようになった。この新人福名里穂もこの家族の表現はリアルで、かつ、新鮮、面白く見られる。先に言ったように、見ている間は笑っているが実際はこういう人間関係の不調は今この社会に上から下まで溢れているのだ。占部房子はそこをユニークに演じる。新劇系のうまいとされている女優なら出来る役だろうが、愛嬌もある独自の世界を開いて、この女優らしい実績を一つ積んだ。占部以外のよく小劇場で見るが俳優たちも、役を把握して的確に演じている。
人物の配置はいいのだが、この後物語の推移が、普通の運びであるのが物足りないが、ここをユニークにすると、普通の社会の話でなく共依存症の病気の話になってしまうのでやむを得ないところだろう。
昨年の岸田戯曲賞と言うのはよくわかった。だが、このタイトルは下手だなぁ。

建築家とアッシリア皇帝

建築家とアッシリア皇帝

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2022/11/21 (月) ~ 2022/12/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

競馬予想みたいだが、この舞台、今年のベストワンの本命だろう。
アラバールは戦後の現代芸術の方向を示したトップランナーと評価され、寺山。唐の時代から、野田にも、ケラにも影響がみられるが、本人の作品を、このように明確に、面白く、言葉は悪いが、女子供にもキャッキャッと楽しめるように作った舞台はかつてなかった。薄暗い難しい暗喩ばかりの実験演劇から解放したこの公演は、俳優、演出、舞台装置、照明、舞台操作、全スタッフ・キャストが一団となって細かく設定された完成度の高い舞台を創り上げた。どこを取り上げても、今年の最高の演出、演技、美術、音楽・音響、照明、もっと言えば、舞台監督、道具方、の賞に値する。アラバールをこういうふうにマンガみたいにやっちゃおう、客は来るぞ、と言い出した人には企画賞。
物語の設定は単純で、孤島に流れ着いたアッシリアの王と大衆のひとりである建築家が、二時間半にわたって、現代を王と道化の役を演じながら笑いのめす、前半は、政治、後半は裁判が軸になっているが、筋はどうでもいいことで現代に生きている人間どもの、性や支配意欲や脱出願望をテンポのいいセンスが光る演出で演じていく。
きっと男優賞は外さないであろう岡本健一と成河(ことに成河は休憩時も舞台に出ずっぱりで三時間、舞台を楽しんでいるように見える。かつてない最高の出来で、役をよく把握していて、これは是非賞を上げてほしい。岡本は、まぁできるとは思っていたが、コンビが非常にうまくいっている。機関銃のようにある無数のきっかけを外さずにやり切った)、の快演で、立見席まで万遍なく埋めた各年齢の女性客は大満足の様子だったが、3時間の立ち見はしんどい。
昨日は開演直後に瞬間停電があって、そういうことがあると、仕込みの多い現在の舞台は、仕込みがどう暴走するか解らないので、もう一度、さらわなければならない。20分押しだったが、非常時の処理もうまくいっていた。

守銭奴 ザ・マネー・クレイジー

守銭奴 ザ・マネー・クレイジー

東京芸術祭

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2022/11/23 (水) ~ 2022/12/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

現代のモリエールの舞台になっている。
ブルカレーテはフランス人ではないが、フランスでは、モリエールをどのように演じ、見ているのか、公式見解ではなく、観客の立ち話で知りたいものだ。
先人の批評は辛い(ごもっとも)。ついでに、今月号のテアトロに載っている渡辺保氏の「桜姫」評をお勧め。こちらはこういう公演の難しさを容赦なくとらえている。

遥かな町へ

遥かな町へ

文化庁・日本劇団協議会

シアターX(東京都)

2022/11/23 (水) ~ 2022/11/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

日本の漫画やアニメが海外で歓迎されているという話はよく聞くが、その実態は海外へ行ってみないと肌で感じられない。よくわからない。これは、日本の漫画がフランスで人気となり、それをスイスの仏語圏(?)の演出家が日本の若い俳優を使って劇化した作品の里帰り公演ということだ。フランス人はどう感じているのか興味を持って両国へ。カイは小さな小屋だが平日昼間の老若バランスのいい客で、ほぼ満席。
30年ほど前に書かれた谷口ジローの原作は見たことはないが、舞台から察すると、世紀末に流行った自分探しのテーマのいかにも日本風の話である。
中学生のころ、父親が突然蒸発し、母親に育てられ一応社会的には安定した立場がある48歳の男が、京都への出張のついでに、ふと故郷の倉吉によってみると、タイムスリップして、中学生時代に戻って、その父親の心情を探る。
舞台は、大きな白黒の幕や歌舞伎のだんだら幕の色の大きな板などを巧みに使って、幕で切り取った舞台がいかにもマンガの駒割りの様にみせるところなど、細かい工夫がされている。この手で、観客からの視点を、天井から見ている(俳優が寝ているのを上から見る)視点にするところなどはうまいものだ。48歳の今の家庭と、14歳の少年の時の家庭と二つの家族のそれぞれを並行させて舞台は進む。二人の役者が同じ動きでタイムスリップをやって見せたりするのはフランス流合理主義だ。人物解釈もフランス人のセンスで、登場人物はみな幼いころから自立している。その中での父親の蒸発である。舞台からうかがえる原作はもっと、日本的な情感に支えられている父に託した自分探しだろうと思う。
地球を半分回ったフランスのことだから、違うのが当たり前で、きっと、フランスでは、孤独に育つ子も日本より数多く(それは映画などを見ているとよくわかる)異国の漫画をきっとメルヘンチックに自分たちに引き寄せたのだろう。舞台となる倉吉は中国地方の知名度もそれほど高くない小都市だが、日本の作品だったら、その地域性は外さないだろうし、古い街の独特の家庭環境ももっとリアルになったに違いない。そのどちらが演劇にとって、いいかを言うのは、難しいが、こういうことから国際的な双方の理解が深まるのは長い目で見ていいことだと思う。現に、その感覚の違いを見るだけで、面白く見られた。しかし演劇的にどうかと問われたら、上演されたここ日本の両国では、演劇としてのリアリティが足りない。だから蒸発の理由もただの説明に終わってしまう。
これは劇団協議会が文化庁と組んでやっている日本の演劇人を育てる会のプロジェクトの一つで、出演者は、文化庁の育成対象者が多い。皆まじめに取り組んでいるが、そしてぼろも出してはいないが、日本人の生活感のある演技や台詞を全く捨てている。それをフランス人の演出者に求めるのは酷と言うものであるが、日本で上演する以上そのへんをどう考えら上でのことかは観客に知らせるべきだろう。先日見た新国立劇場の鳴り物入りのイギリスとの共同開発の戯曲(私の一か月)も、関係者の苦労は十分に察しられるが、最終的に、観客が常に地域を離れられないということについては、さして考慮されてはいなかった。




しびれ雲【11月6日~11月12日昼公演中止】

しびれ雲【11月6日~11月12日昼公演中止】

キューブ

本多劇場(東京都)

2022/11/06 (日) ~ 2022/12/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

このうっとおしい時期に心和む最高のエンタティメントである。ケラはもともとうまい人だから、そこはよく心得ていて、いつもの黒い笑いでなく、優しい笑いで劇場を包んでいく。なんと、今回は泣かせもする。
どこか内海の島と思しき海辺の町の昭和10年の話である。夫の七回忌を済ませた未亡人(緒川たまき)とその娘(富田望生)。未亡人の妹(ともさかりえ)と夫(萩原聖人)。この港に記憶喪失して流れ着く三十男(井上芳雄)と島人たち。この三組の登場人物をめぐる愛のメルヘンである。どこの方言とも知れぬ島の言葉が日常会話で流れ、舞台のテンポも、リズムも心地いい。しばしば使われる「御免なちゃい」「ありがとう」と言う言葉が、舞台の空気を作っていく。言葉を作って、その話しかたイントネーションまで決めている。ほとんど、木下順二以来のことではないかと驚嘆する。
物語は、ケラ作品としては稀に見る見やすい話だ。美貌の未亡人が、一人娘が婚期を迎える葛藤、亡き夫の同級生の街のケーキ屋(三宅弘城)は思春期からの想いをたちきれない。その妹は、夫との些細な日常の感覚のズレにいら立って、離婚しようとしている。目覚めから朝ごはんに至る間の二人のいさかいなどよく出来ている。その間に、ホントはこの二人、惚れぬいているのだとわかる。七回忌の法事の日に島に流れ着いた船で、記憶を喪失していた男は、狂言回しの役も務める。この男の正体が、解りそうで解らないところ、そして最後の解決など、ドベタなのだが、まったく嫌味がない。とにかく展開がうまいのだ。島のバーとか、頼りにならなさそうで、実は頼りになる医者、とか脇の設定もうまい。
俳優は全員役に嵌まって好演。音楽も、いつもながら的確。どーでもいいことで、難癖をつければ、ラジオで番組を選局するシーンがあるが、この時代はNHK一局(第一放送)で第二放送はあったとしても短時間の教育放送で選局の対象にはならない。
休憩15分を挟んで3時間半。長いがちっとも飽きない。
コロナで予定の初日からほぼ一週間の休演もあって開けたばかりだが、休演の間も準備を怠らなかったことはよくわかった。


吾輩は漱石である

吾輩は漱石である

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2022/11/12 (土) ~ 2022/11/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

井上ひさしにも失敗作はある。どこかで、航海に例えて、井上の弁を読んだ記憶があるが、作者は出航の時は、湊から出ても波を切れると思って船を出すのだが、いざ航海を始めると、とてもこの船では駄目と分かることがある、だが、時すでに遅し、日程も配役も決まっていて、已む無く書きつづけ、幕が開いてしまう。とんでもないところに船は着いている。失敗だったと作者には分かっている。だから、そういう時は作者の責任で止めるべきだ。それを可能にするために自らの劇団を作った。それがこまつ座だ。
創作者としての覚悟のある発言である。しかし現実にそんなことをしていたら興行業界成立しない。ウラもオモテも寄ってたかって何とか形にして幕を開けてしまう。そうやっているうちに中身も面白くなってくる作品もあるから芝居の世界は不思議である。
これは、こまつ座では初演と言っているから、はじめは注文仕事だったのだろう。
中身は夏目漱石が伊豆の宿で喀血し人事不省に陥っていた数時間に見た作中人物たちと、本人の交流のイメージという、狙いもよくわからぬ作品だ。死の直前に見るイメージを舞台化してみるということなのだろうか。そこにも、変に井上流世情批判みたいなものも入ってきて、よくわからない。「頭痛肩こり樋口一葉」の再現を狙ったのだろうが、一葉と漱石では素材の質も歯ごたえも、井上との距離感も全然違う。失敗作である。俳優も演出も投げずにやっているがどうしようもない。土曜の午後、一番入りのいい公演だろうが、老人客ばかり、それでも七分は入っていた。
こまつ座もいつまでも井上聖書再現だけではナマものの芝居は時代についていけない。良しあしを決める覚悟が見えない。2時間45分。

藤原さんのドライブ

藤原さんのドライブ

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

社会全体の利益を考え一部の人びとを「集団隔離」することは許されるか?と言うテーマで、すでにナチスのユダヤ民族問題は糾弾されつくした感じもあるが、なかなかどうして、ことあるたびに、人間は繰り返す。今回はコロナ騒動がきっかけで、わが国でも、市中、マスク警察や、劇場検温警察はあっさり許される。ここから邪教問題の統一教会問題はほんの一歩先の同じ根元だ。今は良心的と澄ましかえっている新宗教の中には数十年前には同じことをしていた教団は幾つもある。なかなか治らない。
坂手洋二戯曲は、あまり直接的でなく、メルヘン的にも見える芝居つくりだが、こういう近未来SF風は難しい。一応全部の世界を作らなければ世界が成立しないが、どこかほころびが出る。出ないようにすると嘘っぽくなる。そこで、芝居つくりのうまい坂手は時代を旅するロードムービーにした。なるほど、気持ちよく見られはするが、焦点はボケてしまう。問題点集中の抗議ドラマは、一般はウザイ!と見ないから宣伝にしか使えなくなった。難しい時代になった。観客ほぼ7分。善戦だ。

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