点滅する女
ピンク・リバティ
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/06/14 (水) ~ 2023/06/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
不思議な空気のある新人の舞台である。初見の劇団。
ホームドラマに幽霊を出すという手はもうノエル・カワード以来、出尽くした手だし、ホームの事情もよくある話、蛍を最後のクライマックスに持ってくるのも、もう何度も見た芝居の設定なのだが、いつのまにか2時間、持ってしまう。
たぶん、これは舞台の独特のテンポにあるのだと思う。ほとんど従来の序破急の劇的構造による進行に頼ることをしないで、ひとつひとつ確認するように事件が進んでいく。そのテンポに乗ってみているうちに不思議なリアリティが舞台に生まれてくる、この他愛もない世界が、実は「現代の社会の中で失われた家庭」であることが解ってくる。作者はこのことについて劇中で、なくもがなの短い家族論の演説を試みるがそんなモノはなくてもいい。
長い歴史のある演劇の世界では、「はじめて」と言うことは、貴重である。ことにこの作品は、戯曲、とか台詞、役者、美術など具体的、固定的なモノでなく「独特の芝居の空気」
だから、霧散するのも早い。次回を見るのが怖いような公演だった。
仮名手本忠臣蔵
花組芝居
小劇場B1(東京都)
2023/06/21 (水) ~ 2023/06/27 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「仮名手本忠臣蔵全十一段」を一気に見せる、花組芝居ならではの総集編だ。
敵討ちの進行と、それに関わった人々のドラマを90分二本の前後編にまとめて見せる。
すべての段から有名場面はもとより、見栄えの良いところは全部とっている。大歌舞伎でもあまり見ない段まである。それでいて、無理矢理現代ぶっているところや楽屋落ちがない。様式的な統一もあって、きちんとした古典の一つの現代上演になっているところが素晴らしい。花組もまた、木ノ下歌舞伎とは明確に異なるコンセプトで歌舞伎古典に挑み、三十年、これだけの成果を出したことは誇って良いと思う。花組を入り口に古典に親しむようになった、という観客は少なくない。古典の底辺はこうも広がる、ということを、原点を損なわずに現代につなげた功績は大きい。今回もよく出来ている。
樫の木坂 四姉妹
夏の川企画
川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)
2023/06/15 (木) ~ 2023/06/21 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
夏になると、必ずこの手の反戦・平和路線ドラマを上演するのは旧新劇時代からの日本の演劇風物詩である。懐かしい感じだが、いまいかにプーチンが核を使いそうだといっても、その迫力を失っていることも事実で、かつては何本も量産されていたのに、現在は数少ない。上演あれても、こう言うオーソドックスな型どおりの筋書きにかわって、例えば、チョコレートケーキやパラドックス定数の政治劇では、かなりリアリティのある人民側にたった物語の上に納得できる現代の人間像が描かれている。
だからといって、こう言うドラマを上演する演劇人たちも、この芝居も見るだけで反繊運動に参加した気分になる観客も、批判しようとは思わないが、ファンタジーの世界に酔っているのはいかがかと思う。少しは迫力のある企画を考えた方が良いと思う。政治劇は時代を外すと途端に時代遅れになる。
一夜の芝居としても、結構新劇大劇団のトップクラスの俳優が参加して、演出者も青年座から出ているのに、物足りない。大きく問題点は二つだと思う。まず脚本。十年ほど前に俳優座が上演したという創作劇だが、そのときと今とはずいぶんこのテーマに関する周囲の状況が変わっている。そこがつかみ切れておらず、古いままやっている。きめの細かい作家ではあるが、こう言う素材なら、ウクライナ問題があり、コロナが流行って、政府が国民に何事も平気で強制し、国民が唯々諾々と従うようになった現在が見えないと懐メロになってしまう。俳優は新劇団を代表する劇団のトップ俳優が出ていて、それなりの実力は見せてくれるが台詞回し術だけに止まっている。台詞でいやというほど人物の背景説明しているのに役にリアリテイを持たせる演技の工夫をほとんどしていない。過去のシーンが出てくる必要があるとは思えない。それよりも、もう老年になった三姉妹の生活のリアリティだ。これは演出にも責任がある。ここが第二。話にリアリティを持たせるセット(美術)の工夫もない、例えば、せっかく写真家の第三者を置き、写真という小道具まで言っているのにドラマになっていない。
久しぶりに新百合ヶ丘の小劇場へ行ったが、約6割の入り。ここまできた甲斐があったといえないところが残念。
少女都市からの呼び声
新宿梁山泊
花園神社(東京都)
2023/06/11 (日) ~ 2023/06/26 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
唐十郎らしい初期の作品だ。
唐十郎もすっかり現代演劇古典の一角を占めるようになって、この唐節満載の舞台にも観客は慣れている。ことに今回は、このテント公演を皮切りに、続いて、渋谷のおしゃれの先端パルコ劇場で、ジャニーズやタカラヅカ、さらにはナイロンの人気者を迎えてひと月(30公演)の公演を控えている。秋にはこの本で劇団新宿梁山泊の新人公演をザ・スズナリでやるという。この興行形態もかつてない挑戦的な試みである。昭和後半以降の劇作家で、小から大まで、どんな劇場でも上演できる作品が描ける作家は数少ない。
赤テントの継承劇団では最大の劇団の首領・金守珍の演出で、続くパルコ公演も、ほとんど脇は同じキャストでやるらしい。他の継承劇団がもっぱら唐作品だけしかやらないのに、新宿梁山泊は、キムの作品をはじめ韓国作品など手数も広く、テントに変わる主劇場・すみだパーク倉もある。今回は始祖の地、新宿花園神社の境内に紫テントを張って夜だけのの16回の公演である。
「少女都市からの呼び声」は初期の唐の奔放な劇的世界がよく現われた作品だ。
主人公の名は、いつもの田口。舞台が開くと田口(六平直政)は原因不明の病で倒れ、緊急手術の手術台の上にいる。緊急手術の結果、田口の腹の中からはふさふさとした女性の髪の毛が摘出される。それは、双子として生まれるはずだった妹、雪子(水島カンナ)が田口の体内で育った髪の毛だった。田口は幻の雪子を探して旅に出る。
さすがに作者だけのことはあって、唐十郎本人の雪子の説明はうまい「男が起きるときだけ起き上がるもろいガラスの少女、自分の変わりに生まれていたかも知れない少女、舞台には、いつも、損阿はかなく美しい妹が潜んでいるのです」。かくして、ガラスの体をもった少女は、満州の荒野をさまよい、オテナの塔を目指した旅する田口の前に清純と淫靡のさまざまな姿で現われる。
満州に君臨するフランケ醜態博士(金守珍)、日本軍の連隊長(風間杜夫)、彼らを支える看護師たちや兵隊、乞食老人が紡ぎ出す幻の世界を縫って蝶の羽を背に一輪車に乗った子供のような島田雅彦(染谷知里)が駆け回る。
話の筋はよくわからない。しかし見ていれば、舞台に引き込まれてしまうのが唐マジックである。奔放なイメージで次々に現われるシーン、言葉の力。何かにとりつかれたような俳優の演技、押し被せるような大音響の音楽。かつての暴力的な力は薄くなっているが、それでも、舞台はテントを圧倒する。
ここには出発点の唐の演劇が残っている。それが、あの、パルコ劇場は移ってどうなるか。一部の俳優が変わるだけで、唐を引き継ぐこの演出が大きく変わるとも思えないが、たのしみではある。
楽園
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2023/06/08 (木) ~ 2023/06/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
相変わらずの新国立の新人シリーズ。今年の三人は、それぞれすでに実績もある人たちだが、なんとか見られたのは須貝英だけで、後は、新国がお役所、政府筋向けにお茶を濁しただけだった。今回も、選りに選って難しい沖縄問題を扱っている。
「未来を担う」作家も沖縄の官費旅行が出来るなら良いかと引き受けたのかも知れないが、途中でさんざん「センセイ、そこはちょっとご配慮いただいて・・」と言われたのか、なんとも中途半端な出来である。
南方諸島の散村で伝統祭事が行われようとしている。折から村は選挙の真っ最中、村長派と村議会長派が対立し、その家族も祭事に参加している。本土からはテレビの情報番組のクルーが撮影に来ているが、その撮影許可を巡って両派は対立する。ここらあたり、最初はきっとそうではなかったのだろうと思わせるが、やむを得ない。
舞台は祭事に参加した女性だけ七人の舞台で。全員達者なと言うより、うまい人たちが揃ったので、こういう事態にも事を荒立てることなく1時間40分務める。昔、というか五十年前なら、こうはいかなかったろう。
芝居から見えてくるのは、こう言う民間の些事を巡っても、もう誰も責任をとらない、いや、とる体制が全く崩壊してしまっている、それなのに、選挙という表向きは責任を取るシステム自体は事々しく通用している、それに乗ったモノは勝手なことをして傲慢だ、ということである。新国も予算があるからやれば良いというモノではないよと、この若い女性作家は皮肉を言っているのである。
そこはお見事、であった。いつも通り、半分の入り。老人が半分。
R.P.G. ロール・プレーイング・ゲーム
ワンツーワークス
赤坂RED/THEATER(東京都)
2023/06/09 (金) ~ 2023/06/18 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
宮部みゆきが、現実の小市民の生活に素材をとった市民ミステリの傑作を連打していた頃の代表作の一つ。ことに現実生活から逃亡するためにネット上に疑似家族をつくるというネット社会らしい発想が生きていた。あれからもう二十年もたったかと思うが、現実にはもっと悪質なネット犯罪や世界的規模の金融問題なども起きていていまなお新鮮さを失っていない。ことに、タイトルにもなっているR.P.Gは、演劇で言えば、古くからあるメタシアターの構造がそのまま乗る。
脚本は、原作の面白さに乗って、本当の家族、疑似家族、その枠の上に課せられた犯罪事件の究明、の三つのシチュエーションを攪拌しながら進んでいく。手際はなかなかうまい。
しかし、この脚本を面白く見せるには、やはり、俳優の力量が要る。
全員が同じテンポで、台詞の番が来たら言います、という調子で進むので原作には巧みに織り込まれている出演者のキャラクターがどこまで行っても見えてこない。スジは解るが味気ない。一つのシーンにほんの5秒でも俳優の技を見せるところがあると膨らむのに、この舞台はそういう人間表現の余裕を全部殺してしまっている。もう三十年もやっている劇団というなら俳優指導が第一歩だろう。
ミステリ劇はなかなか面白くできあがらないジャンルだが、こう言うミステリ名作を取り上げることは、めげずにやってほしいところだ。
赤坂レッドの舞台に十五人の出演者で2時間、6割の入り。
新ハムレット
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2023/06/06 (火) ~ 2023/06/25 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
太宰治はせりふがうまいなぁとつくづく思う。テキストは大幅(といっても半分くらいになっている感じだが)にカットされているが、台詞もスジも原作通りである。
演出の五戸真理枝は新人ながら昨年大活躍で、「貴婦人の来訪」も「毛皮のヴィーナス」も面白く見たので大いに期待して観にいった。
舞台は上手から下手にかけて、灰色の長い廊下、下手に行くほど広がっている六体画風。上手中央に玉座が二つ。王(平田満)と王妃(松下由樹)の座である。ハムレットは木村達成、オフィーリア(島崎由香)彼女の父ボローニアス(池田成志)、兄ホレーショー(加藤諒)。原作に起きる事件では、叔父の父親殺しをハムレットが解く、くだり、ハムレットとオフィーリアの恋愛沙汰(遂にオフィーリアは妊娠してしまう)、王権の中の忠誠争い、先王の幽霊の出現の噂(だけで現実には出てこない)、芝居による真相究明など、見ていればどの場のパロディだかはよくわかるが、物語はまったく原作と違う変な方向に進んでいく。
太宰は、ハムレットを素材にその頃の時代風俗で、ないかと建前にこだわる西欧名作をからかってみたかったのだろうが、寝転んで原作を読む限りはなかなか面白い。太宰の各人物に対する突っ込みもさすが言葉がうまいのでで、大笑い。かつて、白石加代子の百物語で「かちかち山」を見て爆笑したことがあったが、声に出して面白い言葉(台詞)なのである。ところが、せっかく戯曲体で書いてあり、五戸の上演用のカットも的確なのだが、いざ、舞台で見るとわざわざ木村の資質を生かそうとラップまで入っているが弾まない。むしろ深刻な家族葛藤劇。見る前は爆笑喜劇になるに違いないと観にいったのに当て外れ、パンフレットを買って読んでみると、皆さんずいぶん真面目にこの作品に取り組んでいらっしゃる。期待の新人演出家も、この作品から人生の教訓を受け取ろうと、下北半島を三里も歩いたと? それはちょっと、と半分しか入って居ない観客席の一人は思った。
『カミの森』『<花鳥風月>短編戯曲セレクション1・2』
ティーファクトリー
座・高円寺1(東京都)
2023/05/31 (水) ~ 2023/06/11 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
抽象的な世界を芝居にする面白さにかけては、この作家はなかなかうまい。アングラ時代からこの一派は腕を挙げてきて、北村想などから出発して次世代の岩松了、前川知大、新しいところでは、加藤拓也や岡田利規にまで一つの大きな流れを作っている。素材の劇的要素を考えて構成しているので破綻しにくい。
このドラマの主人公は森の中に出家してグループの指導者になっている兄(今井朋彦、ぴったし)と、そこでゾンビ映画の撮影にやってきた弟(配役表がないので不詳・これが兄と対照的でうまい)が、現代の「神」(生きていく指針)を探すという枠取りで、話の展開では映画の中の主人公の父母(この二人もうまいが不詳)のゾンビが出てきたり、殺人事件が起きたり、する。
美術が洒落ているのはいつものことだが、天井から細い電線が伸びている森の木の切り株を散らした裸舞台を森を思わせるカーテンが囲っている。
二時間ちょっとだが、冒頭の抽象論が少しダレる。もっと入っても良いと思うが、硬派に舞台が進んでいくところが若い人を遠ざけているのかも知れない。大人の客が多い。
WE HAPPY FEW
劇団昴
Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)
2023/05/20 (土) ~ 2023/06/04 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
いかにもイギリスの実話ベースらしいウエルメイドプレイである。
第二次大戦中、男優が戦地に出征して、俳優はもとより表方も裏方も手が足りなくなって、家で裁縫編み物をするとされていた女性たちが職場に進出してくる。その実例は今までもいくつもの映画で見てきたが、これは女性だけで劇団を作ってシェイクスピアをはじめさまざまな演目をもって国中を回ろうという移動演劇の劇団が素材になっている。
2004年の初演(イギリス)と言うが、構成は昔のウエルメイドプレイのスタイルで、一幕はその運動が一応の成功を収めるまで、二幕は、その後彼らはどうなったかという物語で、全体としては保守的だったイギリスの女性観の中でジェンダー問題を問うドラマになっている。結局劇団員は7名で活動するのだが、それぞれのエピソードも丁寧で一幕1時間半、十分の休憩で二幕1時間20分。合計3時間。日本だと「紙屋町さくらホテル」のような話なのだが、向こうは苦労はしたろうが戦勝国、こちらは完敗。ひがむわけではないが、ウエストエンドで受けそうな愛国モノの調子もあって、日本人が今見るのはかなりつらい。戦時中のドラマはどうしても戦争の行方が影を落とす。
それはおくとして、登場人物十五人も居る集団劇を観客80名くらいしか入らないこのPitで上演している割には、焦点が定まらない。演出は外部演出の千葉哲也だが、狭いところで健闘しているが、話の流れはよくわかるが、結局女だけの劇団という事実以上の魅力に乏しい(上述の本のせいもある)。俳優も近いところで見ているので、技量の程がよくわかる。全員、自分の役をつかもうと懸命だが、全体に貢献する華のある俳優がいない。これだけ出れば、一人や二人、目立つ俳優がいるものだが、いない。
この劇団は新劇系の中でも、あまり前衛的でもないメジャー系の翻訳劇を取り上げてきたのは評価できるのだが、演出者をいつも借りてくると言うのでは、カラーが定まらない。
日頃稼いでいる吹き替え調になってしまうのもやむを得ない。残念なところだ。
Spring Grieving
PLAY/GROUND Creation
サンモールスタジオ(東京都)
2023/05/19 (金) ~ 2023/05/31 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
この須貝英という劇作家は、もう忘れられている昔のミステリを脚色してみたり、新国立で新作をいじられてみたり、大胆に活動しているので、今回はいかがと観にいった。
大学内のパワハラの犠牲になって自殺した優等生を持った家族の物語である。
優等生(武田光稀)には普通の兄(三津谷亮)が居て、父(辻親八)はパワハラの教授(出てこない)の科は違うが同僚で助教授、母とは離婚している。優等生と同年のいとこ(伊藤白馬)も居る。この人間関係の中で、優等生がパワハラに耐えられず自殺するのだが、その前、葬儀の後、一年後、二年後、の命日の前後が演じられる。
桜の枝が舞台の枠に大きく飾ってあって、時はいずれも春。父と兄が主な登場人物になる静かな会話劇である。パワハラ事件の方はよくある展開で、あまり工夫もないが、家族の自殺で家族や周囲が少しづつ変わっていくところは意外によく出来ている。ほとんどが登場人物の板付きの会話ですすむのだが、家族がお互いに思いやる感じなど人間関係を人間関係をよく表していて面白く見た。
社会問題劇的な発想とテーマにはなっているのだが、そこを、家族に反映させて家族劇にしてしまおうと努力したところが良い。少し昔のイギリスのテレンス・ラティガンや、アメリカのリリアン・ヘルマンのようなタッチで、こう言う声の低い作風はこれからの時代のものだろう。最後の方でセクハラを問題化する声高な女子学生(内田靖子)などは、事件の方も解決しなければと入れたのだろうが、浮いていて面白くもない。今時の兄を演じる三津谷亮は煮えきらない普通人をうまく演じている。父はもう少し振幅が欲しい。
新国の「私の12月」では各シーンが揃っていたのに、今回はバラバラでそこで余計な雑音が入る。そこが課題だろう。でも「静かな演劇」というなら、よく見ると騒々しく品のない平田オリザよりも、それは時間の経過もあるだろうが、それは時間の経過もあるだろうが、
綿子はもつれる
劇団た組
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/05/17 (水) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
若者世代切っての才人・加藤拓也の現代艶笑譚。
三十歳から四十歳にかけての今を盛りの世代と、これからその世界へ入っていく十代後半のセックスの話を面白く見せる。
開幕の、ベッドの上で中年男女がぼそぼそと早口でなにやら話している。台詞の細部はよく聞こえないが、二人が事が終わって、帰り支度の最中と言うことは解ってくる。服装だとか、小道具とかでことの次第を説明することなく、そのことを解らせる手際はとても三十歳を過ぎたばかりの作者のわざとは思えない。家に帰った女は連れ子のあった再婚相手と暮らしているが、帰ってきてからのそのうんざり具合も、ろくに説明しないのによくわかる。以後、物語は浮気相手が帰途交通事故死したことで(その葬儀などと言うダサいことは一切・きれいに省くところがこの才人のすごいところだ)隠されていたいとはほつれていき、お決まりの艶笑譚になっては行くのだが、その表現が画期的に新しい。終始大人同士が小声で演じ、子供たちが分かりやすい現代日常語でセックスを話題にする。ろくに解らなくても客に通じるのが万人共有のセックス事情である。客席はシーンと見入っている。満席。
そこは、加藤拓也を褒めるしかない。が。
スケベは、人間性を表す面白い本能ではあるが、結局は、そこに止まってしまってしまったのは残念だった。俳優では、したい盛りの年齢をしれっと演じきった安達祐実快演。いるよなぁ、こんなの。
虹む街の果て
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)
2023/05/13 (土) ~ 2023/05/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
昨年KAATが試みた市民参加演劇の続編。庭劇団ペニノのタニノクロウの構成演出。
主舞台は横浜中華街の外れのアパートの一画にあるコインランドリーが横に長く組まれ、その隣には中華食堂とかスナック、雑貨屋らしき店、そこに、さまざまな国の人々が現れる。ゼリーを運ぶ人が居たり、短軀の人(赤星満)が絵本のダンゴムシの童話を語ったり、女性が歌ったり、二階から登場人物全員の靴を吊る人が居たり、なかには段ボールで作ったロボットのかぶり物の人も居たり、置物で中央に丸い笑う人形がおかれていたり、その数・十五人。登場人物にはなにがしかの役が振られているが、全体で一つの物語が進行するわけでもない。つまり、昨年の「虹む街」の「果て」を演じているワケだが、それほど深刻な終末を迎えるわけでもない。80分だらだらと続く。
タニノクロウ作品には波長の合う作品とそうでない作品がある。庭劇団ペニノの公演でも、独特の細部に凝りに凝った作劇や装置がはまる作品と、結局意図がつかめない作品とがある。昨年の「笑顔の砦」(吉祥寺シアター)が傑作だったので、横浜まで足を伸ばしたが、そう次々と傑作が生まれるわけもなく、今回は少し投げやりな感じで、そういう時もこの作s者には時々ある。笑顔の砦はスタッフキャスト田舎の漁村に合宿して作ったという情熱が端々から感じられたが、今回は市民との共同作業という点でも感じ取れるところがなかった。
スウィングしなけりゃ意味がない
サルメカンパニー
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2023/05/18 (木) ~ 2023/05/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
成功した音楽劇は舞台の上も、観客も芝居ならではの幸福感に包まれる。
しかし、音楽を演劇の中で昇華するのは難しい。そこへ挑戦しているカンパニーというので、内容も確かめずに観にいった。
劇団の意図は十分に評価する。しかしこれでは、心意気だけである。
基本的なことが行き届いていない。
一つ。音楽と演劇と言いながら、「音楽」ないしは「音楽監督」のクレジットが見当たらない、曲名はタイトルにあるがその由来もつまびらかでない。演出者がまとめたというのならそう表記してその責を担わなければ。既成曲も使っているが選曲の意味がわからない。歌っているのは英語歌詞によるものがあるが、この事件が政治的には英露の綱引きにも関連しているので、ここは明確でないと作品の意図が伝わらない。
二つ。企画。今テロのドラマをやる意味はなくはない。しかし何で、チェコスロバキアのナチ高官の暗殺事件なのだろう。この事件は私はたまたま80年代にプラハで仕事をする機会があり、そこで詳しく知ることになったが、一般の人にとっては知らない事件だろう。
(ほんのちょっと触れられているがこの事件の背景には複雑な英露関係がある)本は、壁の崩壊後、映画にもなった事件経過を忠実に追っているが、登場人物たちの葛藤は「正義の人々」以来この種のテロもので扱われた以上のものがない。なぜ、身近な日本の素材でやらないのか。歴史をひもとけば同様な素材はいくらでもある。
三つ。脚本と演出。ステージングは要領を得ていてこれはこれで出来ているが、同じようなシーンが続いて、同じスポット照明の暗い場面が続いて疲れる。俳優たちの個々のキャラをたて観客を楽しませる工夫がない。台詞も言い始める前に気分を決めておいて一気に言っておしまい、という台詞術しかないので単調になってシーンの中の感情が盛り上がらない。せっかく大劇団の中堅俳優を客演に呼んでいるのだから、この際徹底的に台詞を学び直さなければシーンが膨らまない。事実以上に舞台が感情を持たない。
半世紀ほど前にオンシアター自由劇場が、この道を探って「上海バンスキング」という傑作を生んだ。フォーリーズにも「洪水の前」という傑作がある。前者には越部信義、後者にはいずみたくという現場に合わせて音楽を作れる優れた作曲家がいた。その後ダンスが現代演劇に取り入れられるようになって今の音楽劇はここも強化しなければならない。音楽劇は、一層さまざまな才能を発揮させる総合演出が重要になっている。
このジャンルが難しいことは承知の上で、劇団の奮闘を期待したい。いまはもうがっきをあつかえるはいゆうはいくらでも居る。
舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド
Bunkamura
THEATER MILANO-Za(東京都)
2023/05/06 (土) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
せっかくの大劇場のこけら落としに、こんなことは言いたくないが、これは考えすぎである。
マンガに、テレビに、劇場映画にとさまざまなクリエーターの手で育てられてきたエヴァンゲリオンだが、芯となるものは、単純なファンタジーである。劇場お向かいの映画館の上に君臨するゴジラと同じで、難しく考えすぎると失敗する。
ゴジラもかなり日本的キャラクターだが、ウルトラマンに始まる巨大戦体人間と、子供を絡ませたヒーローアクションものも、我が国で独自に発展したジャンルで、海を渡ると理解されにくい。子供だけが操れる科学の粋を尽くした人間型兵器、なんてファンタジーに決まっている、というのが日本なら、そんなナンセンスな、と言う常識派が海外である。当然その後のドラマの組み方が違ってくる。
こけら落としというので呼ばれてきた著名な振付師であるジェルカウイも大いに悩んだに違いない。それは、構成台本とか上演脚本とか原作とか、さまざまな名称でクレジットに並べられている日本側の台本関係者の多さからも察しられる。結局舞台は誰かが統一しなければ出来ないから、最もギャラの多い(推察だが)ジェルカウイが八方、取り入れられるものは取り入れて、自分で自信のあるダンスを軸にしてまとめてしまった、のがこの舞台である。95分の一幕と15分の休憩の後2幕50分、
ストーリーについては、舞台独自のものと断ってあるし、タイトルにもビヨンドとつけて、今までのエヴァンゲリオンものとは別物と強調しているが、それが、理に落ちて面白くもない。災害をもたらし、戦う相手の「使徒」が自然からの警告、だとか、ラストに舞台から木が育ってくるとか、もう飽きられているジブリ風のテーマの置き方が陳腐としか言いようがない。それでも通用する場所もあるだろうが、ここは新宿ど真ん中の最新鋭の劇場のこけら落としである。この良い子チャンぶりでは意気が上がらない。今までのエヴァンゲリオンには最新の兵器戦争もあるが、同時に、おかまいなしに父子関係に溺れるとか、同性に興味を持つ14歳の少年たちの生態を組み込むとか、傷ついた少女が忘れられないとか、子供がらみの(親になっても忘れられない経験にもとづく)経験がドラマに仕込んであって、ほとんどの作品がそこを中心に展開してきた。
従って、エヴァンゲリオンそのものの周囲の状況は行き当たりばったり(でもないだろうが)で、さまざまに展開されたエヴァンゲリオンの解釈本というのは三十種類もでているそうだ。
今回の舞台もその解釈のエピソードの一つと思えばいいのだろうが、それにしては得るところが少ない。
劇場は客席は4階までもあるが見た1階席は見やすく、音響も良い。時代を映して、映像処理も多彩である(しかし、劇場の映像マッピングはどうやっても映画にはかなわない。映画はドラマも映像に取り込めるからである。舞台機構も良さそうだが、今回はフルに活用、というわけでもなさそうだった。(むしろ昔からある、ハンギング(吊り)、舞台のスライディング、多様な幕などを使っている。圧倒するような装置はなく、それがこの作品のスケール感を乏しいものにしている。
良いところは、さすが一流の振付師と言うだけあってダンスをたてたシーンの演出は見事である。ことに、意味がよくわからないが、ハンギングで水中であるかのように見せる踊りは見事であった。
幕が開いてからほぼ20日、一階で八割ほどの入りは寂しいが、これに懲りず新しい劇場にふさわしい快作を観客は期待している。
独り芝居『月夜のファウスト』/前芝居『阿呆劇・注文の多い地下室』
フライングシアター自由劇場
音楽実験室 新世界(東京都)
2023/05/13 (土) ~ 2023/05/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
懐かしい空間である。ここは上海バンスキングの初演の地として、今や歴史的存在でもあるが、自由劇場がコクーンへ大出世した後は、忘れ去られ捨て去られていたらしい。相変わらずの階上のガラス屋は健在だ。上海バンスキングはここでは見なかったが「赤目」は見た(記憶がある)と串田説(すべては個人の記憶しか残らない)に倣って言って見たくなる。
前半四十分・前芝居「阿呆劇・注文の多い地下室」は、この空間発見の時を素材にした、演劇発見の青春感懐。後半は芝居(メフィストレレス)に捕まってしまった自ら(ファウスト)の人生を回顧する一人語りである。こう言う作品は得てして自慢話になってしまって嫌みになるところだが、地下室に寝転がると天井に星空が見えたとか、悪魔と人間を分かつものは何だ?とか、嫌みになりそうなところが、良い気分で見られてしまう。こちらも、記憶の罠にはまっているのだが、そこを超えて楽しめるのが演劇である。
小劇場ブームのただ中で一風変わった劇団を率いて五十年近く、ほとんど路線も変えずに波乱の昭和演劇史に鮮やかな一ページを加えてきた演劇人の芯の強さに敬服する。それを、都会風な照れと、自負が支えている。テキストを売っていたので読んでみると、そこはよく作品に反映している。先頃横須賀まで行ってみた白鸚とは真逆の道で人生を演劇に捧げた演劇人の舞台であった。(確か二人は同年?)
五十人ほどの観客で満席。2時間20分。
夜叉ヶ池
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2023/05/02 (火) ~ 2023/05/23 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
泉鏡花を現代的にリニューアルした本年屈指の力量感のある再演だ。
舞台の上手に一段高く釣り鐘、下手には三国嶽の山里の鐘守夫婦(勝地涼・滝内公美)の家。舞台の前には山頂の夜叉が池から流れ落ちる清流が流れているという設定。アヤメが数株おかれた中央は広いスペースになっていて、そこで、妖しい者たちや村人たちのドラマがモブシーンで展開する。振り付け・森山開次との息が合って、森新太郎・演出が、冴える。今までに見たことがない「夜叉が池」である。
里山に鐘の音が響いて幕が開くと、山里の生活風景。夫と妻の夕餉の準備に旧友(入野自由)の訪れ、とおなじみの導入部が終わって、夜叉が池の白雪姫(那須凛)が妖怪たちを引き連れて現れると舞台は急転。ここからは、ダイナミックなモブシーンが、終わりまで続く。アイディアの良い衣装(西原梨恵)をまとった個々の俳優の動きをたてながら、集団としての動きもよく工夫されている振り付け、現代的な効果音(高橋厳)と音楽(落合崇史)もこの場の効果を上げている。
新派の「夜叉が池」が、伝統日本に異国情緒を持ち込んだ独特の文明開化趣味で大正のジャパネスク世界を作っていたが、こちらは現代の「夜叉が池」である。
今更、「夜叉が池」をやってどうなのだろう、という疑問に舞台は見事に答えを出している。この物語の魅力二は、今関心を持たれている自然回帰や、村社会への鋭い観点があったことを教えてくれる。
俳優もスタッフも、皆懸命に演出についていって(あちこちに細かい工夫が成功しているのが見える)、新しい「夜叉ヶ池」が生まれた。パルコ劇場開場半世紀の記念公演にふさわしい快作である。
あたらしい朝
うさぎストライプ
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/05/03 (水) ~ 2023/05/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
青年団系の小劇場だが、少し風変りのところがある劇団だ。主宰作者は大地容子。
青年団系は自己中心の思い込みで展開するいい子ちゃん風劇団が多い(またか!と辟易する)のだが、この作品は、若者エンタメ風。女性優位の夫婦(木村巴秋・清水緑)がヒッチハイクの謎めいた女性(北川莉那)を車にのせたばっかりに、・・・という展開で、その女性の相手の男性の代わりに、最初は食事、続いて旅行に、ついにはベトナムやトルコにまで一緒に旅をすることになる。ナンセンス・ファンタジー・コメディのような展開(古い例だがモームの「叔母との旅」みたい)で、若者気質も新鮮に面白く書けていて、結構笑える。いや、女性は強くなったなぁと、気を許して見ていると、この二つのカップル、どうも変で・・・というあたりの運びも巧みである。結局それはこういう話ではよく使われる仕掛けで、なーんだというところもあるのだが、いろいろな工夫の連打でナンセンスな世界を短いながら(70分しかない)押し切ってしまう。ここではよくある複数シーンの同時進行など邪魔でしかない。
狭い舞台で、多くのシーンをそれぞれ、象徴的な道具を出してひとつづつ個性的に手際よく組み合わせている。冒頭の女性をピックアップするまでの行き先表示の使い方とか、旅先のメコン河の船上とか、万国旗の使い方とか、場所設定が良く出来ている。演劇としての世界はできているのだから、青年団系劇団の仲間ぼめの中で安住しないで、もう少し大きい劇場(300人規模)でも見てみたいと思った。
桜姫東文章
CCCreation
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2023/05/03 (水) ~ 2023/05/10 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
昨年から数えると四つ目の「櫻姫東文章」である。今作は先の三作品と、全く違う。
大歌舞伎に始まり、ブルカレーテの「スカーレット・プリンセス」、今年になってからの木ノ下歌舞伎。それぞれ舞台面は全く違うが、それぞれに「演劇的」野心のある舞台で、大いに楽しめた。改めて、鶴屋南北、劇作家としてすごい!と思う。
しかしこの四つ目の「櫻姫東文章」には、演劇的野心よりも、若いスターたちのタレントショーという面が強い。観客も、よく知っていて、男性客は十人に及ばず、ほとんどが二十歳前後の若い女性観客である。配役表すら置いていないのは客は配役を熟知しているからだろう。グローブ座がゼロに引っ越した感じだ。
タレントショーとしては、主役・櫻姫の三浦涼介、清玄の平野良、釣り鐘の鳥越裕貴、それぞれに魅力があって、歌に殺陣にと頑張っているが、それはあくまでショーとしてであって、演劇的成功を目指していない。それはそう言うものだから仕方がないが、それなら、こんな難しい物をやらなければ良いのにと思ってしまう。早い話、多くの女性観客は何のことか解らないという空気である。でもご贔屓の歌もあるしかっこいいから・・。
加納幸和の本は長年花組芝居をやってきただけのことはあって、実に巧妙に南北戯曲の山場、見せ場はほとんど全部取り入れて二時間にまとめている。歌舞伎の長編をサマライズするうまさは「義経千本桜」で感心したが、この本も(再演か?)要領よく、加納本人が演出していれば、かなり変わった舞台になっていたと思う。それにしても、櫻姫が出家する寺がキリスト教というのはどういうつもりなのだろう。三浦涼介の衣装は似合っていたから、これでいいとなったのだろうが、それなら別の本でやるべきだ。
音楽が今風のリズム楽器主体なのは致し方ないとして、古典で見せ場になっているところが全部歌になっているが、その曲想が昭和歌謡とは言えないまでもせいぜいJ-ポップスのレベルで、古めかしい。ダンスの入れるタイミングは良いのだが振り付けが平凡。タレントのスチールを撮るためか、と勘ぐってしまう。
チグハグ感が半端ない公演でこれで9500円は高い!だろう。8割近く入ったのはご贔屓スジの奮闘による。
空に菜の花、地に鉞
渡辺源四郎商店
ザ・スズナリ(東京都)
2023/05/02 (火) ~ 2023/05/05 (金)公演終了
実演鑑賞
青森の劇団もここ三年東京で公演が打てなかったそうだ。開演前、いつものように座主の畑沢誠吾が前説で言っていた。県境を越えることが出来なかった、と。そんなことがあったとは知らなかった。それはいかにコロナ下とは言え、憲法で保証された基本的人権(移動の自由)の侵害ではないか。
そういうことは、昨今、ものすごく増えてきて、その一つ一つに戦前生まれの私はやばいぞ!これは、と思うけど、世間はあっけらかんとして通している。
このドラマは原子燃料廃棄物を押しつけられた青森の村を舞台にしたファンタジー風の作品だが、作品はさておき(というのも良くないが、きりがないので)こんな呑気なことで良いのかと思ってしまう。畑沢誠吾が少し痩せたように見えたのも気になった。健康と活躍を祈っている。
エンジェルス・イン・アメリカ【兵庫公演中止】
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2023/04/18 (火) ~ 2023/05/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
この欄でいつも参考になる意見を書いてくださる方々が揃って五つ星をつけている。休憩を入れると全部で七時間かかると聞いて、半分づつ見ることにした。
原戯曲が書かれたのは1985年、英米での評価も高く、日本でも三度も上演された。どの公演も、面白い座組で、話題にもなったから上演されたことは覚えているが舞台は初見である。アッカーマン演出のベニサンピット(1994,2004、後は杉原邦生演出。これはまた見る機会がありそうだ)は見ておけば良かった。悔やんでも仕方がないのが芝居だから諦めていると、今度のように優れた再演がある。時代とするどくきり結んだ作品に、その後の時間の経過も感じられる舞台である。
大きく見れば、世界のリーダー国家の「アメリカ」への自国民の作家による痛烈な批評である。第一部は80年代から90年代にかけて、アメリカの人々を恐怖に陥れたエイズが素材にとられている。この伝染病は性行為、それも本能に反すると一般には信じられていた同性愛者で流行したために、罹患者とその周辺に社会的にも、倫理的にも波紋が大きかった。ここで「アメリカ」の社会が動揺が明らかになり、その亀裂からアメリカが培ってき夢夢の真実と虚偽がこぼれ落ちてくる。現戯曲はテレビドラマから出発しているようで、テレビ作品のエピソード・スタイルを巧みに生かしている。
大筋は同棲中のゲイのカップル(長村航希、岩永達也)の一人が発病する、というストーリーと大物弁護士のロイコーン(山西錞)が、書記官のジョー(坂本慶介)をワシントンに転職させようとするがジョーの妻(鈴木杏)の抵抗で実現しなくなる。一方でロイコーンはバイセクシュアルなのにエイズにかかってしまう、という二つのストーリーがある。
この二つのスジを、ストーリーに絡む他に十三役ある副登場人物を八人の出演者でこなしながらエピソードを重ねていく。ホモセクシュアルの性交とか、エイズ患者の苦痛とか、ロイコーンの横暴な権力の行使とか、リアルなシーンもあるが、北極でエスキモーの幻覚を見るとか、天使が空から舞い降りるとか、ゲイ患者の世紀を超えた先祖たちが二人も顕れ、私生児論争をするとか、舞台ならではのシーンもある。シーン数は非常に多いが手際が良い。一時間づつの三部になっていて休憩二回を含め三時間半だが、一つ一つのシーンはほぼ独立していて,テンポもよく飽きない。無駄に情緒で引っ張るようなところがなくドライでアメリカの味がする。(しかし、このドラマの本当の味は自国民のアメリカ人なければ解らないのではないか、我々は外から覗いているだけ、という感じは抜けない)
演出の上村聡史は、いつもながらこの難しいドラマを音響と音楽、それに美術照明と、手を抜かないでまとめている。