旗森の観てきた!クチコミ一覧

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赤鬼

赤鬼

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2020/07/24 (金) ~ 2020/08/16 (日)上演中

満足度★★★★

いま公演される演劇として、誠に時宜を得た舞台である。
NODAMAPの赤鬼の再演.1996年の初演は今はなきパルコパート3で、段田と富田靖子で見た。海外公演を最初から予定していたと覚えているが、野田にしては寓話性がはっきりしていて、90分の小品ながら、気持ちのいい公演だった。今回は、後半、かなり変わっていると感じたが、大枠の話の筋は踏襲している。25年もたっているから、時代に合わせ、複雑になっていて、ミズカネの役は単純なずるい奴から、現代的な融通のいい悪い奴になっている。これを河内大和が好演。知恵遅れの行き届かない弟の木山雅彬も塩梅がいい。前川知大の舞台で見た記憶のある森田真和の赤鬼も純なところがわざとらしくなくてよかった。初演はイギリス人がやったからそれだけで説得力があったが、今回のテーマである「異人」という役どころをよく演じている。問題はきっと評判がいいとは思う夏子の主人公のあの女で、真正面から乙女の武器全開で場をさらっていくが、本はもう少し複雑な設定になっている。村人の反発もそれなりの位置がとられているし本人の出自も単純ではない設定なので、この単純に押しまくる演技では、底が浅くなる。
周りを囲む円形舞台は初演を踏襲しているが衣装などはタイ版(だったか?)の白衣装を引き継いでいる。15人の登場人物が円形舞台で、動きもテンポよく「ここから向こうへ」のテーマを演じていく。コロナ騒ぎの中で未知のものへの対処を考えざるを得ない時期には適した公演だ。しかも、単純な解を求めていないところがいい。
見ていて、何か連想する舞台があったなと気になっていたが、帰りの電車で気が付いた。これは木下順二の「夕鶴」ではないか。戦後の混乱の中で上演された寓話劇と、コロナ騒ぎの中で上演された「赤鬼」。村社会の中で、別世界に生きるものに出会う、というテーマは同じである。そういえば野田は「夕鶴」の映画版にも主役の相手役で出ていたなぁ
劇場は席を半分にして、中央舞台をビニールで遮断しての公演。最初は嫌だなと思ったが意外に透明度もよく邪魔にはならないが、役者がやたら声を張るのはこのスクリーンがあるからかも。早く自粛劇場警察みたいな雰囲気のなかでなく芝居を観たいものだ。自粛で、この非常にうまく言った舞台でも4割引きくらいにはなる。やっている人たちはもちろんわかっていると思うが、舞台と客の間に大きな溝ができているのは事実だ。
、初演とほとんど同じ93分。

アンチフィクション

アンチフィクション

DULL-COLORED POP

シアター風姿花伝(東京都)

2020/07/16 (木) ~ 2020/07/26 (日)公演終了

満足度★★★

いま壮年期の演劇人として仕事が注目されている谷賢一。コロナ騒ぎのなかで自分自身の劇団での一人芝居。どんなものかと期待してみたが、今どき演劇人のボヤキのようなモノローグ芝居。今フィクションが通用するかと自問している内容だが、そんなこと言っている場合か?と思う。通用させてこそ演劇人ではないか。積極的に演劇擁護の発言を、バッシングにめげずやっていて、その上代表作の過去作を自分の劇団の若者を軸にこの時に見せる、という結構な覚悟の野田や、さっそく、本領発揮の昔タッチのケラのネット劇に比べて、なんという線の細さ。この際、昨年岸田賞の再編集でもして見せてほしいところだ。演劇界も谷ばかりではないが、しっかりしてくれなくては困る。終盤現役連中がドロップで並ぶが,それで義理を済ませているつもりだとすればもう情けないというしかない。モノローグ芝居はまとまりはいいだけに今どきの若者困ったものだという感想だ。

天神さまのほそみち

天神さまのほそみち

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2020/07/03 (金) ~ 2020/07/19 (日)公演終了

満足度★★★★

こわごわ劇場へ行ったというのが本音である。コロナ感染を恐れてではない。劇場の過度の規制でしらじらしい空気の中で、規制した上演側だけがやってます、みたいな空気になったらいやだな、と思っていた。入場前の諸手続きで、やはりそうなるのか、とかなりがっかりしていたが、劇場に入ると、そこはやはりスズナリで別役実の世界である。
例によっての、別役劇で、市民生活の中で、てきやの広場の場所取りの不条理劇が面白おかしく展開する。文学座や新劇系を見慣れていると、燐光群はやはり言葉の訓練が足りず、最初は意識的にやっているいわゆる現代語セリフ調が浮いていたが、次第に動きとセリフが同調してきて舞台の上の人数が多くなると演出のさばきもよく楽しめてくる。経験豊富の男優陣の健闘に比べると女優陣はやや手薄な感じ。それにしても、どうしても社会派的な正邪を求めやすい坂手演出が、不条理劇でまとめてしまったのは意外でもあった。
最初の「あなたの家の前を通ったトラを見ましたか?」という問いかけを結局解決していないのもよく辛抱したと思う。それで面白いのだから成熟と言っていいだろう。席を間引いて70席ほど。これくらいだとほとんどスカスカの感じはしなかったが劇団としては赤字だろう。劇場の客席で同一方向を向いている客席でクラスターなど起きるはずはないのだから、間抜けな官僚のいう事なんか馬耳東風で、どの小屋もフルシートで客を迎えればいいのに。この頃の演劇人はおとなしいなぁ。

ミュージカル「ナミヤ雑貨店の奇蹟」

ミュージカル「ナミヤ雑貨店の奇蹟」

ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ

俳優座劇場(東京都)

2020/03/26 (木) ~ 2020/03/31 (火)公演終了

満足度★★★★

悲運の中劇場ミュージカルだ。
リアルな人間感情をしっかりと持ちながら、ファンタジーの世界をミュージカルで成立させるのがいかに難しいかは、いくつもの事例が示している。これはまれにみる成功した中劇場ミュージカルなのに。
原作は映画にもテレビにもなった人気作家東野圭吾の連作短編集。廃業した雑貨店にたまたま侵入した三人の若者の発見する過去・未来の人々の手紙という枠の設定だけは同じだが、連作だからそれぞれ趣向が違う。これを一つの2時間前後に舞台作品としてまとめるのは容易ではない。初演(2017)は見ていないが、今回の再演では、その経験を生かして原作をうまくまとめている(脚本・大谷美智浩)。原作を多く使いながら、非常に長い映画の脚色に比べると実に手際がいい。しかも、小説の主題でもある、挫折した人々に寄り添う優しさだけでなく、人生の歳月や世代への感懐のような表現しにくい(通俗に落ちそうな)領域まで組み込んでいる。
音楽(小沢時史)はミュージカルの生命線だが、巧みに作品の基調を作っている。さらにねだるとすればファンタジーなのだから、もっと奔放に歌い上げるところがあってもいい。メインの二曲は少し趣向が近すぎる
初演は劇団の劇団内公演のような形で上演されたようだが、再演では、ゲスト出演者も招きレベルアップしている。ベテランの石鍋多加史(雑貨店主)と、若者の一人を藤原薫の二人が、役どころにはまっていて舞台が締まった。なかには、うーんという人もいなくはないが、青年座から招かれた磯村純の無理のない素直な演出にひきだされたのか、皆がこの上演に向かって纏まっていることが感じられる。見ていて上手下手を超えた爽快感がある。
だが、この、久しぶりの俳優座公演はもろにコロナ騒動にぶつかった。企画でも若干は考えられたであろうが、一つのエピソードの軸になるオリンピックも延期が決まった。どこまでもついていない、のである。
外出自粛の首都の六本木の土曜日のマチネは三割がやっとという入りだったがフィナーレに並んだキャストの顔を晴れ晴れとしていた。手を抜いたところは全くなかった、ぜひ、時宜を見て再再演を期待している。

山の声—ある登山者の追想-【東京公演3月29日公演中止】

山の声—ある登山者の追想-【東京公演3月29日公演中止】

オフィスコットーネ

Space早稲田(東京都)

2020/03/25 (水) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★

時に、作品の背景が、内容と相まって観客の心を打つ、という伝説的な作品が生まれる。
スッカリ忘れていた投稿作品が、受賞した時、作者がすでに亡くなっていた、という(劇場パンフによる)この作品の成立は、ヒマラヤに思いを残しながら、雪山で遭難する二人の貧しい登山者の物語を一段と引き立たせる。
没後十年の大阪の地方作家の遺作は、どれも対象へ向かう作者の誠実さを見せているが、「山の声」は自身の登山体験も裏打ちされているからか、甘いところもあって、そこが魅力になっている。
若い単独登山の青年(山田百次)が、単独登山のベテラン(河野洋一郎)に誘われ、冬の北アルプスに登る。共に下級サラリーマンで、山へ登ることが生きがいになっている。そういうちょっと鬱屈した青年、そこから抜けられなくなった中年の二人の男が好もしく登場する二人芝居である。なぜ山に登るのか、わからないが、そこにしか生きがいを見つけられない二人である。夜のキャンプ、天候に欺かれると知りながらあまりの山の美しさに惹かれて、試みる無謀な登山、と、物語は山岳冒険ものの、類型的な進行なのだが、二人の会話と、モノローグから、二人の置かれた冬山登山の困難な状況や人柄がよく伝わってくる。本も、二人が、北アルプスの連峰の美しさを語る場面、とか、家族に論及するときには、詩的な味わいもある。
今回の登山者は河野洋一郎と山田百次。この二人がいい。特に、河野洋一郎は一人立つ佇まいがこの役を生きているように、はまっている。背筋の伸び方が素晴らしい。ふたりとも単なる市井の登山者という役の行動を超えて、山(のように未知なもの)に惹かれる人間の宿命に触れている。
今回の演出は、初演を踏襲したというが、音楽だけは入れ替えてもよかったのではないか。説明的で、通俗的すぎる。そういうスタイルながら人間の高みに触れているところが素晴らしいという面はあるのだが。

安らかな眠りを、あなたに YASUKUNI

安らかな眠りを、あなたに YASUKUNI

燐光群

劇場MOMO(東京都)

2020/03/20 (金) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★

タイとの共同制作というと「赤鬼」が浮かぶ。国際共同制作という点では、野田の場合は、自分の作品を、世界各地で上演してみる、燐光群の場合は、地域先行で東南アジアの各地と、混合型というか、できるところから共同で作ってみる。今回は本もタイで俳優も来ている。共同制作だからただ役割分担しただけでなく、現場の交流も重ねてのことである。
タイは日本に親しい国の一つであるが、もちろん国情は大いに違う。お互いの理解も距離があるのはこの二つの「共同制作」を見てもよくわかる。
今回の本は、日本の靖国問題がタイではどのように見られているか、というケーススタディになっていて、勉強にはなるが、演劇的に見て面白いかというとかなり苦しい。観客の中に政治的な意識の側面が抜きがたくあって、それがコロナ騒ぎの中で靖国問題を取り上げた芝居を見るという営為とバッティングする。芝居が靖国から広がっていかないのだ。
現実のタイとの関係で言えば、外国人労働者の問題がある。身近な小さな会社でもタイの人を迎え入れて、たぶんお互いに初めての国際経験をしている。こちらは人間的に具体的で面白い。そういう素材は中津留に任せて、と言わないで、現実的な話題から入った方が実り多いのではないかと思う。85分。

冬の時代【3/28-29公演中止】

冬の時代【3/28-29公演中止】

アン・ラト(unrato)

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2020/03/20 (金) ~ 2020/03/29 (日)公演終了

満足度★★★★

五十年という歳月を改めて考えさせられる舞台だった。
舞台の設定はほぼ百年前。木下順二が戯曲を書いて民藝初演がほぼ五十年前。そして今、この芝居を見る。
すでに、この芝居の実録的背景になっている「大逆事件」は遠く。カリスマ的だった劇作家の作品は現実を打つ力よりも古典化し。今上演のスタッフキャストは平成令和の人々である。
今の閉塞時代に、この舞台が、現実味を持ち、改めて上演の意義があるという政治的な見方もあるが、それは言ってみるだけであまり意味はない。時代は違う。この物語を今の現実の教訓にするというのは、つまらない教養便利主義だ。
演出の大河内直子は、この戯曲を青春劇として読み直したようで、それはこの戯曲の一つの読み方であろう。この明治の青春劇の奥に、時代へ向き合う普遍的な若者像が見えてくるというのが狙いだ。ホリゾントに枯れ木の並木(現実)を配し、大きく空(青春)をとり、舞台前面に長方形の枠で舞台を隈どった舞台装置にもそれはあらわれている。二重に張ったスクリーンのおくに雪が降る「冬の時代」である。俳優たちを戯曲に沿って細かく動かしているのも計算が立っている。舞台の上の俳優たちを、まとめたり、ばらしたりする計算づくの動線は見事だ。絵になっている。改めて、木下順二はセリフがうまいなぁと感服した。さすが、言葉に生命を見た劇作家の作品である。
しかし、それを実現するべき俳優の力が足りなかった。コロナ騒ぎで、稽古も浮足立ったのか、演出のつけている動きを自然に見えるまで消化していない。セリフも大声で口にするだけで、言葉になっていない。セリフは原文のままだから、やりにくいのはわかる。しかしそれをやり切って、明治のメディア青春劇を令和の観客に「今生きているように」見せるてこそ俳優というものだろう。渋六、くらいしか印象に残らなかった。3時間半、入りは7分。いいキャストで見たい。

ネタバレBOX

全くこの上演にとってはどうでもいいようなことだが、冒頭に出てくるインタナショナルは、確か、佐野碩が昭和になってから翻訳した歌詞で、この時代にはなかったのではないか。ひょっとすると旧訳かもしれないが、この曲自体、日本で歌われるようになったのは劇中の時代よりかなり後のように思う。まぁ、それでもかまわないのだが。
対岸の絢爛

対岸の絢爛

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2020/03/06 (金) ~ 2020/03/15 (日)公演終了

満足度★★★★

小劇場の手打ちの公演がウイルス騒ぎで立ち往生している真っただ中で、果敢に開けたトラッシュマスターズ公演。駅前劇場で、座席も80くらいに絞って席の間を少し開け、マスクを配り、観客にアルコール消毒を求める、という苦渋の決断だ。こういう風に見せないと、ネットで叩かれたりするらしい。そういう上からのお達しに配慮はしたくない劇団だろうに涙ぐましい。生活が懸かっている。
表向きはいま問題が顕在化しているIRが素材だが、テーマは、こういう「已む無し、ことなかれ処理」でうやむやに解決していくことこそが、日本の宿痾であるという芝居だ。最近の「埋没」も「オルタニティ」も、表面的な事件の奥に、日本の社会構造の見えにくいところに触れていた。しかし、その課題には解決の先も見えていない。昔の新劇社会劇の裁きではどうにもならないから、民芸に書いた作品などは、訳のわからない風俗劇になってしまう。
「対岸の絢爛」では、戦時中の空襲による市民被害者の処理、80年代の開発ブームの中の地方都市の開発、近未来のIRの受け入れに揺れる大都市の住民説明会、と三つの時代の場面が交錯する。政府が住民に求めることは住民の生活の安寧とは食い違っているが、住民の方にも、付け込まれる要因がある。住民の中にも賭博嗜好が消えがたくある。いままで、パチンコとか、宝くじで長年、法で禁止しておきながら、抜け道を作って賭博には慣れ親しむようにされてきている。舞台で演じられるように、市民の家庭の中にも深く入り込んでいて、今さら単純な論理で排除できない。そこでどう生きるか。IRのように先端的な問題提起のおくに、根本的な問題を提起しているところがいいが、そこを解くにはまだ、作者にも見る方の社会にも時間がかかりそうだ。
七人の俳優が、三つの時代の登場人物を演じる。時代を超えて、相互に関係があるような、ないような作りで、それが日本に遍在する国民性を現していて、これはなかなかうまい趣向だ。トラッシュマスターズも二十年という。俳優も力をつけてきて、それぞれリアリティのある演技だ。今、小劇場で、社会問題を素材に、かつての新劇のような政治に沿った型通りのプロバカンダ劇でない芝居を志す劇団は少なくない。トップランナーとして、頑張ってほしい。
運悪く、今回は勘定は合わないだろうが、作った席だけは売れている。

死の泉 Die spiralige Burgruine【大阪公演 会場変更】

死の泉 Die spiralige Burgruine【大阪公演 会場変更】

Studio Life(スタジオライフ)

紀伊國屋ホール(東京都)

2020/02/27 (木) ~ 2020/03/08 (日)公演終了

満足度★★★★

オールメールのユニークな劇団の看板演目の一つ。原作は皆川博子の代表作、この作者は現代、近代を舞台にしながら伝奇的、ゴシック風なところが劇団と相性がいい。
原作小説は、確かその年のベストミステリになったはずで昔読んだ。第二次大戦をはさんでほぼ二十年、大戦に翻弄されるドイツを舞台に、登場人物もすべてヨーロッパ人、ナチのSSが登場し、人種差別や人種浄化がドラマの原点になっている。伝奇的な要素も十分で、クライマックスは古城が舞台である。複雑に組まれた人間関係が、異常な愛や憎悪を生んでいくゴシックロマンの大長編だが、ベストに上げられたくらいで、よくできている。
舞台は、原作をかなり忠実に追っていくが、何しろ長い。舞台は三時間あるが、それでも後半は説明不足で駆け足の感じがする。しかしこの物語ならやはりこの劇団だろう。初演は二十年前、4演目である。
メール劇団の色彩は、男性が両性を全部演じてしまうところから生まれる。だが、現実の社会では男性と女性の違いは、ファッションでは強調されている反面、日常生活の動作、言葉、衣装、履物、など、すべての面で急速に少なくなっている。歌舞伎や宝塚のように様式性が確立していればとにかく、日常的なドラマでは単一の性の演技で、表現が広がるメリットは少ない。単一性のカンパニーの行先は、今までのこの劇団の路線でも苦しいのではないかと思う。
今回は久しぶりに紀伊国屋ホール。かつてはもっと大きな劇場も開いた劇団だが最近は二百席位の劇場が多かった。よく見ると、なんと東映と組んでいる。東映というのは興業には独自の企画力があって、業界エエツと驚くようなことを成功させる。映画だけでなく、東映映画村、とか東映歌舞伎とか、直営館の雑居ビル化とか、前例にとらわれない事業を展開する。意外な事業でもちゃんと数字の計算もあってのことである。今回は初めてだから、見てみようということだろうが、これから東映がどんな企画を出してくるか楽しみでもある。今の業界を見ると、むしろ、2.5ディメンションの世界の方が、この劇団の色彩が生きてくるし、俳優の交流もしやすく、両方にメリットもあるのではないか。現実に、そのメリットを生かして成功した俳優も少なくない。しかも、ここも上演こそ増えてはいるが伸び悩んでいる。
創立35年という時間を経た劇団の曲がり角だ。

グロリア

グロリア

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2020/02/27 (木) ~ 2020/03/08 (日)公演終了

満足度★★★★

小劇場が見つけてくる海外戯曲には、時に思いがけず面白い本がある。昨年は俳小の「殺し屋ジョー」。この「グロリア」はアメリカのオフで評判の作品の由で、誰にもわかってもらえない孤独な市民生活の絶望的ないら立ちが描かれている。本は面白い。
真っ先に社会の規範となるべきメディア(文芸雑誌)の編集部で起きる人間疎外に。耐え切れず、補助職員のグロリアが、銃を乱射、二人の死亡者が出る。第一幕はそこへ至るまでのいきさつ。動機は前の晩に準備されたグロリアのパーティに編集部からは一人しか行かなかった、そのことを陰でみな物笑いの種にした・・・・というような無関心の差別というようなことなのだが、職業の場でも、家庭でも疎外されているアメリカの下流市民の暗い絶望がよく描かれている。二幕と三幕はその悲劇の後日談、まずは二か月後、現場にいた仕事仲間が体験談を書いて売ろうとし、次には二年後、ロスの映像企画会社が商品化しようとする。事件は風化して、当事者たちの欲得ずくだけが残る。メディアの貪欲さと、そこに生きる人たちの徹底した商品主義、個人主義が、アメリカの現代社会の深い病癖を素通りしていく。アメリカの現代劇にはよくある人間相関図なのだが、よくできていて、NYにもロスでもいかにもありそうな話だ。(たまたま似たシチュエーションの映画「スキャンダル」が封切されている、比べるのは酷だが、映画は本場だけにリアルで強い)
しかし、このドラマ、今回の上演では、シリアスな社会劇なのか、風刺コメディなのかよくわからない。俳優の演技は揃って、セリフの順番が来たら異常な速さでまくしたてる、演技の終わりに形を作る、という単調なステレオ演技で、話は分かるけど、どこを訴えたいのか、笑っていいのかさえもよくわからない。
時間もとび、場所もNYからロスにうつり、場面も人も変わっているのに代わり映えがしない。本ではドラマの推移がよく考えてあるのに同じ調子が続く。「殺し屋ジョー」では客演していた、いわいのふ健が本の面白さを引っ張っていく牽引車になっていたが、こちらには目立つ俳優がいない。索漠としたドラマというコリッチ批評も多いが、それは舞台の未成熟だろう。折角いい本を探してきたのにそこが惜しい。

肩に隠るる小さき君は

肩に隠るる小さき君は

椿組

ザ・スズナリ(東京都)

2020/02/26 (水) ~ 2020/03/03 (火)公演終了

満足度★★★★

新型コロナウイルス禍で、大きな劇場が次々と休演する中でここは千秋楽の3日まではあけるという。首相が言えば、世間は従うと浅慮断行の政府も政府だが、お達し通りと、小屋を閉めてしまう演劇側もどうかと思う。個人的に残念と言えば、稽古も終わって舞台に上げるばかりになっていた「お勢断行」や明治座の「桜姫」が、チケット抑えて楽しみにしていたのに、見られなくなってしまった。大劇場も増えてきたが経営と制作が様々に絡んでいるからおいそれと小屋を変えての公演はできないだろう。座組があるから、「桜姫」は当分見られないかな? だが、折角の準備万端だったのだから、どこかでやってほしい。
ここスズナリでも、入り口で聞くと、若干のキャンセルはあった由で客席も絞って80席ほど。毎回新しい作者に書かせるユニークな椿座公演だ。
芝居の中身は、2.26事件以前三年ばかり(34-36)の下町の踊りのお師匠さんのファミリーヒストリーである。事変物は山ほどあるが、この時期の下町ものは久保田万太郎か幸田文かという昭和物の世界で、平成以後は珍しい。この時代を生きて、さらに今を生きている市井の人はもう、世間に出ることはないだろうが、伝統芸能の世界ではその世界を伝承している人は生きている。大きな戦争で丸焼けになり、さらにバブルにデジタルと大きな時代の洗礼を二つも受けているのだから、生活感覚にもとずく表現の伝承が難しいことはよくわかる。昭和の時代には兵隊は誰がやってもサマになると言われたものだが、今は、難しい。俳優も揃ってセリフが乱暴で、いくら落ち目の家元にしてもこうはならないだろう。上手に置いた稽古舞台の扱いもぞんざいである。舞台にかなり違和感があった。
しかし、それをやってこそ、人が演じる演劇ではないか。
舞台の細部ににリアリティがないと、中村屋の実例があるからいいじゃないか、というアジア某国社会運動家亡命のストーリーもただのファンタジーになってしまう。それでは、いまの時代を見てのこの上演も意味がなくなる。

罪と罰(神奈川公演)

罪と罰(神奈川公演)

地点

神奈川県立青少年センター(神奈川県)

2020/02/29 (土) ~ 2020/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

県立劇場休館の中で、貸し小屋だったために公演できた。皮肉なことに大劇場で、ほぼ満席。二回だけの日本初演である。
国際的な場で成功しそうなジャポニカ趣味の全くない画期的なステージである。現代的で、前衛。中身は「罪と罰」だが、多くの町の人物が交錯するはじまりから次第に、ラスコリニフ(小林洋平)とソーニャ(安部總子)に絞られ、そこで、原作のテーマが、舞台ならではの手法で演じられる。ホリゾントに工場の非常階段を三段に組み、そこから出入りする装置も、照明も細かく計算され、例によって、掛け声(今回は{あ!」)も効果を上げて、リズミカルに、ペテルスブルグの物語に誘われる。二回だけというのは勿体ない。劇場も増えているので再演を待っている。

ネタバレBOX

政権の要請だからという理由で、簡単に劇場を締めてしまう演劇劇場関係者の神経を疑う。当該の劇場関係者に感染者が出たのなら。そう明示して閉めるのは納得できるが、やみくもに締めるのは全体主義に、こちらも加担させられたようないやな気分だ。この紅葉坂ホールも他の部分は閉めているのだから、休演の要請があったろうが、突っぱねた「地点「」はごりっぱ。おかげでこちらも名演を見ることができた
往転

往転

KAKUTA

本多劇場(東京都)

2020/02/20 (木) ~ 2020/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

初演からほぼ十年がかりで、面白い芝居ができた。三演目という。
東京から仙台へ向かう深夜バスが、たまたま荒天で横転事故を起こしたために乗り合わせた人々の人生を狂わせていく。乗り合わせ、というのは一つのパターンではあるが、そこに、現代社会の風俗、風景が面白く織り込まれていて、優れた現代劇になった。
技術的にも工夫が凝らされていて、見ていて、おや?とひかかったところは、後に見事に回収されていき、そこに、現代社会の断面が顔を出す。
長い間KAKUTAで芝居をやってきた桑原裕子らしい地道な努力が実を結んでいる。それを見て、俳優たちも集まってくる。今回は、なんといっても、峯村リエと小島聖。どちらも、小劇場でも、大劇場でもこなせる力のある女優だが、戯曲にこたえて現代を生きる女性を見事に演じている。いまの社会に確かにいる切なく生きる女性像だ。(忘れずに小島聖には今年の女優賞を上げてください!!)入江雅人もうまい。こういう中途半端な人間は演じにくいのだが、中年は寄る辺ない寂しい存在なのだ。俳優はそれぞれしどころで力を発揮して、本多の舞台が狭く見える。
思わぬウイルス騒動で客足にぶったか、八割の入りは残念だ。今年は「ひとよ」も再演するという。こちらは映画版で田中裕子の快演を見たばかりだ。楽しみだ。

Pickaroon!<再演>

Pickaroon!<再演>

壱劇屋

DDD AOYAMA CROSS THEATER(東京都)

2020/02/25 (火) ~ 2020/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★

この「見てきた」批評でも、年間ベストテンでも評判がいい劇団というので早速拝見。
大阪の劇団はここのところ、iakuとか京都の劇団がいい舞台を見せてくれるので楽しみに見に行った。殺陣を見せ場にして、新感線が登場した時のような、東京にはない新鮮さのある劇団ではある。しかし、新感線登場におよばないのは、つぎの三つ。
まず第一に、芝居にドラマがない。これは詳しく述べるまでもないだろう。新感線の古い映像もDVDで出ているので、見てみるといい。七人というのを真似るなら演劇の基本〈7というのは娯楽時代劇のパターンだ〉も押さえてほしい。音でごまかしてしまうのはいかがなものか。
第二。殺陣は始めから終わりまで続く。体力には感心するが、パターンをもう少し工夫しないとただ賑やかだけで終わってしまう。中段の、階段を動かしながらの対立はよかったが、紙を使った殺陣などは何度も重ねられると、知恵が出尽くした感じで苦しい。昔から序破急というではないか。新感線も最初は走り回るだけと批判を受けたものだが、そのなかで、役者の個性的な肉体を立てて見せ場を作った。
第三.登場人物の衣装は凝っているが、それぞれの役の中身も考えないと。新感線は、ばかばかしいけど、よく工夫されていた。真似をせよと言っているのではない。役を考えておかないと、筋もつまらなくなってしまうということだ。敵役も単調だし、ヒロインのお姫様は、これではかわいそうだ。
熱量はあるのだから、腰を落ち着けて。新しい分野の2.5ディメンションなどの成熟にも挑戦してもらいたい。

社会の柱

社会の柱

新国立劇場演劇研修所

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2020/02/21 (金) ~ 2020/02/26 (水)公演終了

満足度★★★★

現代劇はイプセンにはじまるといわれているが、19世紀の本は、さすがに古い。しかし、ここから始まる、という初々しさもある。新国立の俳優養成所の卒業生の修了公演である。
俳優と戯曲がともに、新しい世界に挑む船出につながって気持ちのいい公演になった。3時間の長い芝居で、主演の男優は声がかれかけていたが懸命に努め、度胸のいい女優もいる。優等生ばかりで端役も隙がないという印象ではあるが、セリフも動きも、技術的には安定している。
ノルウエイの田舎の港町の話だが、面白くできあがった。。
公演の趣旨とは違うかもしれないが、久しぶりに、のびのびとした宮田慶子の演出を見た。宮田演出は、やさしくいきとどいたタッチが女性演出家の中では傑出していたが、新国立でもみくちゃになっている間にしぼんでしまって残念に思っていたが、今回は基本を押さえながらも流れるように新人たちに舞台の動きもセリフも示唆している。宮田慶子、復調して快調である。新国立では、とんだ目にあったのに、新人養成には地道に力を尽くしていたことが分かる。活躍できる公共劇場も増えてきたので、改めて元気のいいお姉さんの活躍を期待したい。

ありがとサンキュー!

ありがとサンキュー!

劇団青年座

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2020/02/19 (水) ~ 2020/02/25 (火)公演終了

満足度★★★★

宗教で生活している登場人物というのは、舞台ではどこか一枚フィルターがかかっていて,観客からは感情移入しにくい。難しい素材だ。
この芝居は宮崎のキリスト教会の牧師の家の百年紀だが、宗教色よりも生活感が強い。作者得意の宮崎の言葉も効果を上げている。普段あまりかかわることのない宗教で生活している一家の素顔が描かれる。戦後に一時流行した生活劇のような味がある。さすが青年座で、俳優陣は宮崎弁を、演劇の言葉にしていて、うまいものだ。しかし・・・・という前に。
個人的な感想になってしまうが、私は、宮崎出身でこの舞台のようなキリスト教を信じる大家族出身の方とある時期仕事を共にしたので、この舞台設定は理解できる。見ていると善意と自省の人だった故人(その方はもうなくなっている)が懐かしく思い出される。登場人物やシーンのリアリティはある。
しかし、引いてみればドラマのバランスが悪い。主人公(増子倭文江)の一代記、ないしはこの大家族の百年をやるつもりだったら、もう少し、長い時間の中で、相互のシーンの関連するテーマがあり(それはやはり、宗教と生活、ということだと思うが)、その葛藤がないと、生活感の面白さだけに頼ったエピソードの羅列になる。それでは、たとえば、休憩後の長い三幕は持ちきれない。
登場人物も多すぎて説明不足だし、百年を行ったり来たりする劇の時間も長すぎ、その処理も恣意的という感じをぬぐえなかった。

まほろばの景 2020【三重公演中止】

まほろばの景 2020【三重公演中止】

烏丸ストロークロック

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2020/02/16 (日) ~ 2020/02/23 (日)公演終了

満足度★★★★

京都の劇団の震災もの。京都の劇団というと、斜に構えたスタイルが多いが、ここはさらに一ひねり。幕開きはさらりと主人公の震災地の介護士(パンフは配るが出演者の配役が書いてないので類推するしかない。こういうところも京都風)が担当の知的障碍者を探しているという語りで入るが、中身はひねってある。骨組みはこの介護士が、震災後社会で、担当の知的障碍者とめぐるロードムービーである。
舞台の中央から奥には長い白布が何本も垂れ下がっていて、主人公と出会う出演者はそこから現れ、消えていく。障碍者の姉、自分の父、土着的な宗教者、いずれもこの社会の中で、本来は生きていく共通基盤となるべき人間関係が断絶していて、震災でその断絶が露呈している。風呂に入るというような生活の細部、障碍者を散歩させるという日常、生活宗教の過去帳や祭文など、生身の人間が理屈でなく接するところから、抽象的なドラマが組まれていて新鮮で、洒落ている。京都スクールらしいソフィストケイトが成功している。
舞台の影で演奏されるチェロを主体に日本の打楽器による演奏もいい効果を上げている。
1時間45分。劇団になじみがないせいか、入りは半分ほどで、もっと、入ってもいいと思った。

八つ墓村【公演中止(02/28(金) ~ 03/03 (火) )】

八つ墓村【公演中止(02/28(金) ~ 03/03 (火) )】

松竹

新橋演舞場(東京都)

2020/02/16 (日) ~ 2020/03/03 (火)公演終了

満足度★★★★

昨年「犬神家の一族」で劇団新派の新境地を開いた横溝シリーズの第二弾。脚本・演出は犬神に続く斎藤雅文。犬神は登場人物の人間関係も本格向きに複雑なのだが、要領よくまとめて、横溝作品の演舞場上演のスタイルを作った。
横溝正史のミステリは、謎解きがしっかりある本格味でファンが多いが、この原作「八ッ墓村」は伝記小説の色彩が強い。そこが犬神とは違う。
突然、実の父親が判明して、岡山の山村、一村全部という広大な遺産を相続することになる27歳の男(室隆太・関ジャニ)に沿って物語は展開する。物語の背後に、戦国時代の落ち武者惨殺の歴史や、ほぼ二十年前に起きた村民32人が惨殺された事件がある。犬神のような一家でなく、村全体がおどろおどろしい空気と人間関係に包まれている。名探偵金田一耕助(喜多村緑朗)も登場するが影が薄い。脚本は、巧みに原作追っていくが、芝居の本筋ががなかなか定まらない。端的にその処理の良しあしが舞台に出た。
遺産相続の連続殺人の犯人探しなのか、山村の伝奇ホラーものか。名探偵ものなのか。
登場人物と場所の紹介で一幕。事件の展開と解決が二幕になるが、鍾乳洞の中のサスペンスは、劇場機構をうまく生かして、八つ墓村の伝奇的雰囲気はよく出ている。反面人間関係は意外に淡彩にまとめていて,美也子(河合雪之丞)や典子は、えっつ、そうだったのか、という感じ。
新派といえば、八重子に久里子、うまく役どころを心得ていて舞台を締める。喜多村緑朗と河合雪之丞が立派になって、演舞場の大舞台が務まるようになった。残念なのは、室隆太。昭和中期の雰囲気がまるでないので、この劇団の中では浮いてしまう。
音楽に昔の映画の芥川也寸志の曲を使っているがこれがうまくはまっている。やはり、近時代劇なのだ。
横溝の世界は乱歩のようにもう過去のものだ。今回はその中のその中の伝奇性がうまく取り入れられていて、公演的には犬神の持つ謎解き本格性よりも新派には親和性があるかもしれない。しかし、現代で受けるには、もう一つ思い切った革新的工夫がないと難しい。そこは新派の役割ではないかもしれないが、この路線でも、新派の財産になるよう丁寧に育てていってほしいものだ。ユニークであることは確かだから。

酔鯨云々

酔鯨云々

文化庁・日本劇団協議会

ザ・ポケット(東京都)

2020/02/12 (水) ~ 2020/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★

文化庁主催の戯曲新人賞の入選作である。
演劇界と官庁(政府行政機関)との間には長い確執の歴史がある。そのぎくしゃくぶりは、いまもパンフの裏にある主催者挨拶にも表れているが、演劇側も新劇団が軸となっている公益社団の劇団協議会が共同主催して、時代に合った関係を築こうとしている。
文化庁の旗印は時代の文化を創造する新進芸術家を育成する、となっているが、戯曲は上演されてこそで、戯曲が演劇にがなるまでフォローしなくては意味がない。
そこで、中野の小劇場を抑えて、劇団側も中堅の俳優を出し、演出もそこそこの若手でとにかく結果をと、やってみる。形だけは公共の文化振興の体裁だけは整える。
演劇の中の戯曲の在り方を知らないイベント化である。江戸川乱歩賞とはわけが違うのに気がっつかないふりをしている。
国立劇場でも、創作歌舞伎をもう何十年も新人募集しているが、その後使える本ができたという話も、いい作家が生まれたという話も聞かない。
本気で応募した人たちが気の毒である。演劇側からすれば、正直、十万円の賞金で、いいホンができるはずないよな、と思っているし、官庁もこれでは演劇界を懐柔できない、と思っている。それなのにだらだらと意味のないイベントを続ける。コンクールなら、民間の利賀村の演出コンクールのほうがはるかに打率が高い。
戯曲以外では実績が上がった仕事もある。国立劇場の歌舞伎の研修生制度は大きな成果を上げて今や、国立の研修生がいなければ幕があかない(ということもないだろうが)といわれている。新国立の俳優養成でもすでに確かな脇役は生まれてきている。それぞれのアーカイブも充実してきた。どれも幕内の専門家が深くかかわっていて、文化庁の小役人が「ご挨拶」したり、組織に口出し(天下り)していないからである。
戯曲に関して、文化を創造する新進芸術家のために「目に見える」事業をというなら、
帰りに、出口で、脚本を無料で配っていたように、小劇場で、観客に脚本を配る助成金を出す、というのはどうだろう。小劇場でもいくつかの劇団は千円で、脚本を売っている。売ってほしくない劇団もあるだろうが、舞台で上演した作品の戯曲に印刷代を助成する、というだけで、戯曲が広く市中で親しまれるようになるだろう。今回の作者の手元にも、書き始める前の段階で畑澤聖吾の「どんとゆけ」の台本は届いていただろう.そうすれば、今回のように、畑澤作品と同じようなシチュエーションの弱さがそのまま出てしまうようなことはなかったに違いない。
こういうところにも文化庁の「演劇という芸術」も、「興行や教育手段としての演劇」も全く分かっていないダメサ加減が現れている。

ねじまき鳥クロニクル【公演中止(2/28 (金) ~3/15(日))】

ねじまき鳥クロニクル【公演中止(2/28 (金) ~3/15(日))】

ホリプロ

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2020/02/11 (火) ~ 2020/03/01 (日)公演終了

満足度★★★★

村上春樹は自分の作品は、小説であって、ほかのメディアの素材ではないと思っているにちがいない。ことに国内メディア(映画、テレビ、劇画化など)に任せると、国内向けにローカル化、歪曲化されるという不信感があってか、なかなか原作を提供しない。
国際的な制作環境で幾つかの映画・テレビ作品があるが、母国読者から見れば、エエッツという出来が多い。昨年は「納屋を焼く」(映画タイトル「バーニング」)が韓国で作られた(これは日本資本)が、ずいぶん違和感があった。世界的なベストセラーなのに成功しない。
そこが、ミステリのベストセラー原作と違うところだ。
しかし、演劇は、観客が日本にいる以上ここでやるしかない。口説き落として(だと思う)実現した「海辺のカフカ」(演出・蜷川幸雄)は日本の演劇界としては万全の布陣で制作(ホリプロ)、蜷川らしいケレンミ味のある大劇場向け演出も功を奏してヒットした。しかし、ここでも脚本はアメリカのフランク・ギャラティ脚色。昨年の「神の子どもたちはみな踊る」も同じギャラティ。原作を生かした脚色だった。演出は倉持功。
今回は座組が変わって、演出/振付/美術:インバル・ピント 脚本/演出:アミール・クリガー 脚本/演出:藤田貴大というクレジット。
原作を生かした脚色というのは変わらないが、今までとはかなり違う公演になった。地の文そのままではないが、それを生かした長い独白、セリフが多いのは、時間のねじを巻いて過去の物語を遍歴するという小説の仕組み(そこは「神の子どもたちはみな踊る」と似ている)を継承しているが、舞台ではコンテンポラリーダンスや音楽、舞台美術を大きく取り入れている。四角い箱と、ホリゾントに抜ける長方形の壁に囲まれたいい色彩の空間がベースになった舞台に、さまざまな場所から登場人物が現れる。幕開きから歌があるように、終始、リズム系を主体にした音楽が上手で演奏されている。随所に歌はあるが、かと言ってミュージカルではない。前衛劇のような趣向なのだが、曲芸的な見世物にもなっていて飽きない。
ドラマ的には主役の岡田亨〈成河・なかなかいい〉と隣に住む高校生が庭の古井戸の中に見るさまざまのシーンが展開する。岡田の妻久美子(門脇麦)の失踪の謎を解く、ということが物語の軸になっていて、時間は過去へとねじまかれていく。それは、個人と歴史の混在する一種の現実性のない抽象的な世界だ。ここで効果を上げているのは、人間の肉体の一部だけを見せるというダンスカンパニーの踊りの演出と踊り手の技術である。
この舞台、原作読者の気にいるかどうかは別にして、新鮮な面白い舞台作品としては楽しめた。だが、客の入りはどうだろう。カフカほどの大衆性はない。いまは満席だが、寝ている客も多い。
たまたま、この舞台、16列ながら劇場中央の席で見た。この公演では、正面から見て効果があるシーンが多く得をした気分、左右の席の方には気の毒な気もした。この際だから言ってしまうと、日本の大劇場では席の料金にもっと高低差をつけてもいいのではないか。ほとんどの劇場で最高の値段の席がそれに値しない席に対して売られている。ついでに言えば、一階に二等席がある歌舞伎座は、、やはり老舗だけに興業のツボを知っていると感心する。


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