かずの観てきた!クチコミ一覧

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水の手紙

水の手紙

チーム・クレセント

ザムザ阿佐谷(東京都)

2023/10/20 (金) ~ 2023/10/23 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2023/10/23 (月) 13:00

座席1階

井上ひさしの脚本という。まさに今、持続可能な地球を次世代に受け継ぐために考えるべき水の物語。力のある役者たちが次々にせりふを重ねていく見応えのある朗読劇だった。

世界各国で水がどのように使われているかを、水が豊かな日本と比べて語られる。20㌔も離れたところに子どもが水をくみにいくというエピソードには驚かされる。水のために、教育も何もあきらめているのだという。
どの俳優もせりふが明瞭で、最後の合唱は見事な出来栄えだった。ミュージカルで歌唱力がとわれることがあるが、今作はミュージカルにしてもよかったと思う。

ネタバレBOX

ザムザは靴を脱いで会場に入るとずっと思っていたが、この前の「同郷同年」は土足のままでよかった。千秋楽は満席で、足の不自由なお年寄りも多かった。靴を脱ぐのは大変なので、一考してほしい。
少女都市からの呼び声

少女都市からの呼び声

新宿梁山泊

ザ・スズナリ(東京都)

2023/10/17 (火) ~ 2023/10/19 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/10/19 (木) 13:00

座席1階

唐十郎の状況劇場の作品。メンバーだった金守珍が改作したものを上演し、新宿梁山泊結成のきっかけの一つになったとも言われているという。梁山泊の原点とも呼べるアングラ劇。テントでやるのと趣は違うと思うが、スズナリ版は切れ味たっぷりの舞台に仕上がっていた。

連隊長役の風間杜夫の熱唱には大きな拍手が起きた。大久保鷹がせりふを忘れたかもしれない(本当だと思う)場面での金守珍の掛け合いは大爆笑を呼んだ。前列に陣取る観客は若い女性が多い。アングラ文化が次の世代に引き継がれていることを実感した舞台だった。
何回も再演されている作品だが、今作ではレーザーポイントを駆使した演出に驚かされる。出演する若手俳優の機敏な動き、お約束の空中ぶらんこの美女など見どころは満載だ。テントでやった6月の上演は見逃したが、ここでの演出はどうだったのかと想像すると見逃したのはとても悔やまれる。
きっとまた、再演してくれると思うと念じて、スズナリを後にした。

ネタバレBOX

ビー玉が滝のように流れる場面はすごい。終演後に客席の足元にも多数転がっていた(転ぶと危ないかも)
次の公演まで時間がないのに、片付けるのは大変だ。
同盟通信

同盟通信

劇団青年座

新宿シアタートップス(東京都)

2023/10/13 (金) ~ 2023/10/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/10/16 (月) 14:00

座席1階

劇団チョコレートケーキの古川健の書き下ろし。歴史的なトピックを丁寧に取材して構築する古川らしい脚本だった。演じる青年座との相性はぴったりの舞台だった。

同盟通信とは、戦前から戦時中にかけて新聞などにニュースを配信する通信社を国策で一つに統合した会社だ。戦後、共同通信と時事通信に分かれ、今に至る。政府の報道統制に巻き込まれたとはいえ、大本営発表を垂れ流して国民を戦争に駆り立てたという点では、当時の新聞社やラジオ局と同じ十字架を背負っている。だが、自分から見て同盟通信の罪がより重いのは、世界のメディアの打電情報をキャッチし大本営発表がウソまみれになっている事実を具体的につかみながらそれを国民に伝えなかった点にある。今作で、古川はこの点に鋭く切り込んでいく。
政府に統合させられ、社内に軍部や外務省が乗り込んでくるのを許した時点で、この会社は既にジャーナリズムとは言えない。古川は、それでも報道人・ジャーナリストであり続けたいと抵抗した若い記者を主人公に据えることで、報道の自由の重要性を浮き彫りにしている。
劇中の人間ドラマが面白い。外国通信の情報を通訳・翻訳する女性で、夫が米国人だったりしてアメリカと関係の深い二人が登場するが、片方は入社時に日本国籍に転向し、片方は米国籍のままという設定が妙である。また、自分の身を守るために本当の事実を伝えなくても仕方がないのだと折り合いを付ける上司もいたり、立場や考え方が異なる記者たちの会話劇によって、現場の苦悩が鮮やかに描き出した。

ジャーナリズムとは、政府など権力におもねらず、粘り強い取材で権力側が隠蔽している真実を掘り起こし、警鐘を鳴らすという仕事だ。政府が誤った方向に向かっている時に「番犬」のように吠えるという役割である。日本のジャーナリズムは、戦時の反省や教訓を毎日の仕事に生かしているのか。情報の受け手もきちんと見極めなければならない。

EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo

EPAD Re LIVE THEATER in Tokyo

EPAD事務局

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2023/10/11 (水) ~ 2023/10/22 (日)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2023/10/12 (木) 19:00

座席1階

岸田賞加藤拓也のヒット作「綿子はもつれる」を映像で見た。
既に破綻している夫婦が妻の不倫をきっかけにもつれた糸を結び直そうとする物語。ふとしたきっかけで、築き上げようとした楼閣がガラガラと破滅する。主人公を演じた安達祐実はさすがの演技。生で見たら相当な迫力があったと思われる。

たしかに映像でもそれなりに楽しめる。舞台を映写化した作品を大きなスクリーンで映画として見たのは初めてだが、結論から言うと、やはり舞台は生で、という当たり前の結論に落ち着いた次第。どの場面を回想しても、「あぁ、これが生の舞台だったら」と考えてしまう。

いい作品だった。それだけに、映像では見たくなかった。物語を追うだけならいいが。

失われた歴史を探して

失われた歴史を探して

新宿梁山泊

ザ・スズナリ(東京都)

2023/10/12 (木) ~ 2023/10/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/10/12 (木) 14:00

座席1階

関東大震災から100年。発災後に起きた朝鮮人などの虐殺を真正面から取り上げた力作。韓国の大御所劇作家金義卿の作品を、金守珍が在日の視点で演出をしたという。

特徴的なのは、冒頭に登場する若い女性二人が、虐殺の被害者らが務めていた鉄工所の跡地を訪ねるという場面から始まることだ。100年前と当時を結ぶ演出で、多くの日本人が忘れ去ろうとしている歴史を今に記憶するという意味を持たせている。梁山泊らしい妖艶な演出で、女性たちが「自分たちは歴史を記憶するために何もしてこなかった」などとリフレインする。
物語は、当時の日本の植民地戦争で現地の人たちなどを殺害した男が経営する鉄工所が舞台。その贖罪の思いから、男は、日本人に土地を奪われて内地に移住してきた朝鮮人たちを積極的に雇用している。工員たちはその思いに感謝をしている。だが、トラブルを起こした若い朝鮮人従業員を追ってきたヤクザともめている時に震災が起きる。
男の息子も軍人で、地元の在郷軍人会の役員を務めていたが、従業員の朝鮮人の娘と恋仲となっていた、という筋立てが「失われた歴史」のもう一つの側面をあぶり出す。息子は軍人としての立場から娘との結婚に踏み切れないでいる。立場の溝が二人を引き裂くという物語を浮き彫りにすることで、日本人による朝鮮人への差別意識を舞台上に表現していく。差別している日本人の中に「朝鮮人から復讐される」という恐怖が生まれ、狂気に変貌していくという当時の空気だ。

今回はいつにもまして、出演者たちの熱演が光った。悲劇の朝鮮人娘を演じた望月麻里は見事だった。朝鮮人従業員のまとめ役を演じたパギやんはさすがの立ち居振る舞いだ。留置場に入れることで自警団の狂気から朝鮮人をかくまった刑事を演じた大久保鷹の演技は、いつも以上にいい味を出している。

劇中、インターミッションのようにパギやんが当時の朝鮮人たちの言葉遣いなどを説明する場面を作ったのは秀逸だ。スズナリの客席の半分以上を占める若い世代に効果的な解説だった。
梁山泊のテイストを保ちながら、金義卿の作品へのリスペクトを織り込んで演じた今作。次の100年でこの歴史を失わないために、絶対に見逃してはならない舞台である。

イェルマ

イェルマ

劇団昴

Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)

2023/10/06 (金) ~ 2023/10/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/10/10 (火) 19:00

イェルマとは「石女(うまずめ)=子を産めない女」という意味だそうだ。主人公の女性は農作業などにとても勤勉な男の妻。子ができず、夫は「子どもがいなくても夫婦で平穏に暮らしていこう」という考え方で、劇中でもそのようなせりふがあるが、この女性は子を産むことに執着する。周囲の口さがない言動、石女に対する差別的な視線。こうしたものに巻き込まれ、女性は心の平穏を次第に失っていく。

恐ろしい物語である。不妊治療などない時代、これは悲劇というよりこうした世を生きる女性(男性も含めて)に対する惨劇と言ってもよい。「愛し合えばそのうち子どもはできる」という「常識」を前にして、石女は人間扱いされない。夫も妻の言動に不信感を持って自宅に閉じ込めておこうとし、女性の悲劇は加速していく。「どうして子どもがほしいのか」という問いすら、風に流されていくように。

演出がすばらしい。特に後段、洗濯女たちによる長髪を振り乱しての踊りは鬼気迫るものがある。また、主演の市川奈央子が時系列で変わっていく女性を強烈に表現している。劇の出だしでは柔らかな表情を持つふっくらして穏やかな感じの主婦を(おそらく地で)演じ続けているのが、後段で徐々に豹変していく。小劇場に響き渡る絶叫には耳をふさぎたくなるほどだ。
劇団昴はこうした社会性のある戯曲を扱うと一日の長があるような感じだ。どのような議論を経てこの戯曲を取り上げたのか。そんな舞台裏も知りたいと思った。

同郷同年2023

同郷同年2023

MyrtleArts

ザムザ阿佐谷(東京都)

2023/10/04 (水) ~ 2023/10/09 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/10/04 (水) 19:00

座席1階

期待通りの力作だった。同郷同年、同じ年に同じ故郷で生まれ育った同級生という郷愁を誘う言葉が原発のゴミ・放射性廃棄物処理場誘致をめぐって凶器になるという物語だ。

人口減少に効果的な対策を打てない過疎の街。代々続いてきた米作りも耕作をする人が減り、希望を見いだせない。そんな故郷を、電力会社が札びらを片手に乗り込んでくる。巨額のカネで何とか地域振興を、とすがる町当局。ところが、住民投票で誘致が否決されるという場面から始まる。
現実世界でも、調査を受け入れただけで巨額資金が流れ込むという事実を前に、調査を受け入れた自治体もある。だがこの街ではまず、否決している。少し意外な展開なのだが、こうした思いが舞台が進むにつれて音を立てて崩れていく様子を見せつけられる。同郷同年、の言葉と共に。
演出は桟敷童子の東憲司だ。買ったチケットがたまたま最前列だったのだが、真っ黒に塗られたヒマワリ。かつて子どもや若者たちの声であふれていた街が誰もいなくなったということを象徴するように、壊れて捨てられたラジカセやギターが舞台最前にさりげなく置かれている。最前列に座らなければ気付かないような細かな舞台美術。まるで桟敷童子の舞台を見るようだ。
精神病院つばき荘で見せた舞台芸術だからこそできる問題意識を持ったリアリティ。今作でも、これを3人の俳優が見事に演じきって見せた。

ハイツブリが飛ぶのを

ハイツブリが飛ぶのを

なないろ満月

テアトルBONBON(東京都)

2023/10/04 (水) ~ 2023/10/09 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/10/04 (水) 15:00

座席1階

大規模災害の被災地にある避難所という高い緊張状態での物語だが、最後は何だかホッとできる展開。人間の心の動きを書かせたら秀逸な横山拓也らしいすてきな台本だった。期待通りの出来栄えだ。

舞台は避難所の集会所のようなテント内。寺十吾演じる、噴火災害で亡くなったとみられる妹を探している男性に、野々村のんが駆け寄って抱きしめる場面から始まる。この女性は、男性が自分の夫だと思い込んでいるのだ。男性は戸惑いながらも「夫」を演じているが、災害地をめぐって思い出の人の似顔絵を描いている画家崩れの男(佃典彦)が正論と冗談を交えながら絡んでくることで、会話劇が動き出す。
関西弁とかみあわない標準語。このあたりのせりふのやり取りも面白いのだが、「夫」を演じていていいのか、本当のことを言うべきではないのかと揺れ動く心に画家の男が鋭い突っ込みを入れてくるところが前半の見どころになろう。
後段のカギを握るのは「歌」だ。この歌の取り扱いも絶妙のうまさ。なるほど、そうなんだなと納得しながら、ハラハラしながら見守っていける。笑いのツボもしっかり押さえている。こう自然に笑いを取れるところはやはりネイティブ関西人ならではのところか。
ユニットを率いる野々村のんの演技も、後段に行くにつれてうまさがほとばしる。心の内を明かしそうで明かさない、明かさないようで少し垣間見える。こんな微妙な表現力が求められる難易度の高い台本を演じきったと言っていい。
被災地という極限状況の舞台設定で、とてもユニークな人間関係。やっぱり横山の本はおもしろい。

代わりの男のその代わり

代わりの男のその代わり

アマヤドリ

スタジオ空洞(東京都)

2023/09/28 (木) ~ 2023/10/06 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2023/09/30 (土) 15:00

座席1階

非常におもしろい会話劇だった。劇が進むにつれて解き明かされる物語もあって、謎解きの要素もある。ドメスティックバイオレンス(DV)による離婚を扱っているが、一方的に男性側に非があるわけでもなさそうだ。さまざまな要素を3人だけの登場人物で編んでいく高等戦術。ワープロ書きのパンフレットには「定食屋さんがお米を炊いてそれだけを出してみました」という作品だそうだ。コメ(俳優)の旨さ、炊き方(脚本)の旨さだけで客席に迫ってくる。

アマヤドリが本拠とする池袋の小劇場で、客席と俳優の距離が圧倒的に近い。冒頭、開幕前から長いすに喪服の女性が座ってあくびをしたり、寝転んだり。別れた夫の三回忌だということがまもなく分かる。客席のすぐ脇を通って入ってきたのは彼女の弟。彼女は弟の運転で田舎にある元夫の実家に来たようだが、最初に話題になったのは弟が会社を首になりそう、という話だ。女性には元夫との間の息子、再婚した夫との間に娘がいることも会話の中身から分かってくる。
もう一人の登場人物は亡くなった元夫の弟で弁護士。この弁護士が女性に意外な提案をするところから、話は回り始める。
おもしろいのは、会話のキャッチボールを通して相手がどんな感情を持っているか、また、それがどう変化していくのかを丁寧に描いているところだ。女性の口調も七変化。離婚した元夫やその家族に対する微妙な感情の揺れが、波のように客席に伝わってきた。

アマヤドリを主宰する劇作家の広田淳一は、役者との対話を通して台本を練り上げていくという手法を採るという。このような絡み合った家族関係、人間の心の動きをけいこに参加した俳優たちと作り上げたとすれば、どのような会話がけいこ場で交わされたのか。そんなメイキング映像があったらおもしろいのではと想像した。
けいこ場のような小さなスペースなので仕方がないかもしれないが、もう少し舞台美術に手をかけてもよかったと思う。

ローズのジレンマ

ローズのジレンマ

劇団民藝

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2023/09/22 (金) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2023/09/28 (木) 13:30

座席1階

ニール・サイモンは喜劇という印象なのだが、最晩年の2003年に発表されたこの作品は、劇作家たちの愛の物語。まるでこれまでの人生を振り返るかのような筋書きに、この作家はある意味、集大成を書きたかったのだろうか、と感じた。

主人公は愛するウォルシュを5年前に脳卒中で亡くした著名劇作家ローズ。ウォルシュも業界では尊敬を集める劇作家であり、ローズの元に時々現れては会話をしている(幽霊である)。そのためかローズは新たな戯曲を書こうともせず、破産寸前だ。助手のアーリーンは何とかこの窮地を脱したいとあの手この手で説得を重ねるのだが、亡き恋人の幽霊との会話が日課のローズは仕事をしようともしない。この作品はこんな設定で始まる。
舞台はビーチを目の前にしたしゃれた別荘。ウォルシュと過ごした思い出の家である。ウォルシュもこれではまずいと思ったのか、絶筆となった自分の作品を世に出してその印税でローズを救おうとある計画を立てる。
登場人物は4人だけで、いずれも劇作家という役柄だ。近年俳優だった夫(綿引勝彦さん)を亡くしたばかりの樫山文枝がローズを演じ、客席の心を揺さぶる。アーリーン役の桜井明美もいい。特に休憩後の後半、舞台が展開して物語のメーンに躍り出るのだが、ローズとの会話劇が心を打つ。
亡くなった愛する人を幽霊として登場させる戯曲は日本でも多い。生と死を越えて登場人物が心を通わせるという筋立ては、劇作のお国柄を越えて出色の会話劇になっているようだ。

三人姉妹

三人姉妹

アイオーン

自由劇場(東京都)

2023/09/23 (土) ~ 2023/09/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2023/09/27 (水) 14:00

チェーホフが劇団のために初めて書き下ろしたという戯曲。三人姉妹なのだが実は男の兄弟も一人いて、本来は「四人きょうだい」。舞台はこの男性にもたっぷり時間を割いて物語ができていているので、事前のイメージとは少し異なる展開となった。
時代は19世紀末からに20世紀初頭のロシア。軍の高官だった父親の一周忌に知己が集まる場面からスタートする。劇中「自分たちはお金持ち」というせりふもあるくらい、恩給暮らしだろうが上流階級だ。だが、妹のイリーナが何度も「モスクワに帰りたい」と言うのは、何の不自由もない田舎暮らしに飽き足らず、職業を持つことで「人生への意味」を付与したいという強い思いに裏打ちされている。
当時は女性が一人でモスクワに出ることすら困難だったろう時代だ。「こんな人生意味ないわ」という捨てぜりふに共感できる。一方で、結婚して夫に尽くしていくという生き方をしている姉もいる。チェーホフは、どの姉妹(弟も)にもある胸の内の苦悩を丁寧に描いていく。
自由劇場という音響に優れた場所で、朗々と響くせりふによどみはなかった。幕開け前から流れる効果音もいい。幕の上げ下げによる切り替えもあるが(休憩は2回)、照明をうまく使った場面転換も自然だった。
有名な戯曲だから、上演する劇団によってかなり色合いに差があると思われる。これほどまでに「働く」ことに意味を認めあこがれの対象とする思いを、今の時代の男女はしっかり受け止めなければ、と感じた。

好日

好日

劇団文化座

シアターX(東京都)

2023/09/23 (土) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2023/09/25 (月) 14:00

座席1階

文化座とは浅からぬ縁の三好十郎。未発表の戯曲があるとは驚きだった。これを「時空を越えて」今の文化座の若手が演じた。三好十郎ご本人が主人公の興味深い舞台だった。

戯曲の舞台は、まもなく太平洋戦争に突入するかという戦前のこと。知人宅に居候している三好十郎をとりまく群像劇でもある。おもしろいのは三好を慕って訪ねてくる劇作家希望の若者たちだ。自分の作品を批評して物になるかどうかをいってくれと言う若者に「この国では戯曲では食っていけない。全く報われない仕事だ」と説教する場面がある。三好本人はこう考えていたのだろう。さらに、当時の世相、政治状況などを背景に、「劇作家が世相や政治におべっかを使うような作品ではなく、本音を書かねば駄目だ」という趣旨の独白もある。戦争にほんろうされながらも上演し続けた文化座のDNAを映し出すような一幕だ。

なぜこの作品が今まで世に出なかったのかと不思議なくらいだが、今が新たな戦前のような世相、政治状況であるからまったく違和感を感じることなく舞台に没入できる。よくぞ今、この作品が初演された、と拍手を送りたい。三好十郎を演じた白幡大介はせりふをかむ場面もあったが尻上がりによくなり、熱演が光った。

ネタバレBOX

文化座には罪はないが、いびきをかきつづける男性、途中で退席するご老人など、客席に残念な場面が目立ちすぎた。招待を受けたと思われる高齢の演劇記者も爆睡していた。とても残念だ。
チョークで描く夢

チョークで描く夢

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2023/09/07 (木) ~ 2023/09/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/09/14 (木) 14:00

座席1階

劇場に通い始めて結構な年月が過ぎたが、客席の大半が男女や年齢を問わず泣いているという舞台に初めて遭遇した。障害者雇用をテーマに「差別」に真っ向から取り組んだ戯曲。休憩を挟んで3時間という長さもまったく感じない。これは見ないと損する演目だ。ハンカチも用意しよう。

舞台は黒板に書くチョークを製造する小さな工場。前半は戦後間もない時期で、養護学校(特別支援学校)の先生に頼み込まれて2人の知的障害がある女生徒に職場体験をしてもらうところから始まる。人手が足りず、通常でも忙しい職場だ。最初から「足手まとい」と決め付ける従業員たちの反発は強烈だ。ここに一人の女性が立ち向かう。銀行に就職したが苛烈ないじめに遭って退職を強いられたという出自に、中津留戯曲の真骨頂を見る。

後半は同じ工場が舞台だが、時代は現代。ここでもハラスメントを題材にするなど、差別をベースにした時事性が秀逸だ。戯曲を書くに当たって緻密に取材したという背景が伺える。
後半については、異論がないわけではない。だが、この工場は小さいながらも障害者を「戦力」として受け入れ、それを貫き通している。一部の大企業が「特例子会社」制度を駆使して別会社に障害者を集め、簡単な作業しかさせず障害者雇用率だけを上げているという現実にも触れてほしかった。

知的障害者に知人がいないので分からないが、障害者を演じた役者たちは心底頑張ったと思う。その演技がどれだけリアルだったか、障害者の作業所の人に聞いてみたい。今作は秀逸な中津留戯曲に役者たちがすばらしい演技で応えてできあがった作品である。一人でも多くの人に見てほしい。

星をかすめる風

星をかすめる風

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2023/09/08 (金) ~ 2023/09/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2023/09/13 (水) 14:00

座席1階

「温泉ドラゴン」のシライケイタの脚本・演出とのことで、期待を持って劇場へ。3年前に上演された作品の再演だが、当時はコロナ禍の厳しい時で、ほぼ満席のサザンシアターということで実質上の初演という感じであった。

想像だが、原作に忠実に練り上げられた戯曲だと思う。朝鮮半島の著名な詩人、尹東柱(ユン・ドンジュ)の物語だ。舞台は福岡刑務所。戦時中、治安維持法違反で収監された尹らが、暴力的な看守を殺害した容疑をかけられ、後任の若い看守が調べに入るというのが舞台の出だしである。
舞台を見る前は尹の物語かと思っていたが、これは収監された朝鮮半島出身の囚人たちも含めた群像劇だ。さらに言えば、刑務所の職員や医療関係者も含めた物語であり、塀の外と内のたこ揚げの場面など、日本の庶民と囚人たちの心の交流という素材も織り込まれている。尹の詩は暗幕に映され、その繊細な詩が彼らの思いを鮮烈に訴えかけている。脚本・演出の力であろう。
二幕ものだが、休憩も含めて2時間20分ほど。あえて二幕としたのは、客席に高齢者が多いから? テンポのいい会話劇が続くだけに、一気にラストシーンまで走ってもよかったかもしれない。
日本に留学をしていた尹は、これだけの理不尽な扱いを受けても相手への礼節を失わない。対する日本の看守は暴力的に描かれるが、殺人事件の犯人捜しを命じられた後任の看守は、あの暗い時代の中で真実を追求する姿勢を持っている。現実はもっと激烈な憎悪があふれる人間関係だったかもしれないが、そこは劇作家へのリスペクトなのだろう。リンチや虐殺もあったであろう刑務所内のストーリーだが安心して劇作に没頭できる。
人間と人間が信じ合うことの大切さを通じて反戦という教訓が描かれ、青年劇場らしい仕上がり。でも別に、説教臭いわけではない。むしろ尹という詩人を取り巻く群像に、何だか希望のようなものを感じて劇場を後にすることができる。

『会議』『街角の事件』交互公演

『会議』『街角の事件』交互公演

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2023/09/06 (水) ~ 2023/09/12 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/09/12 (火) 13:00

座席1階

「会議」に続いて鑑賞。「会議」が別役作品の中でも上位に来ると書いたが、今作は「会議」を上回る切れ味だった。何げなく発せられている言葉が場の空気を一気に変えたり、登場人物の立ち位置を反転させたりする。このように緻密に組み立てられた戯曲を味わうことができるのは、ほかにはなかなかないと思う。

冒頭は「会議」と同じ裸電球付きの木製電柱とベンチ、そして踏み台。この踏み台に乗って、男が手旗信号をしているところからスタートする。おなじみのせりふ「ここで何をしているんですか」と声を掛ける、乳母車を押した女。ただ、母親らしくない黒い喪服のような出で立ちだ。なんだか嫌な予感がする(笑)
時間を追って、次々に新しい人物が登場する。看護師によって車いすを押されてくる男、「ただいま容疑者を護送しています」とアナウンスをしながら赤いロープに男をつないでくる男。この「容疑者を護送しています」という説明言葉が、後段とんでもない力をもって客席に迫る。言葉の仕掛けはこれだけでない。「会議」と同じように公衆の面前での殺人事件が起きるが、「私は引き金を引いただけ」「私はピストルを渡しだだけ」とか、言葉が重ねられることで、犯人は明白であるにもかかわらず、いったい誰が悪いのか分からなくなる。

どうなってるんだ!という混乱が頭に渦巻く。なぜかそれが爽快感?みたいになって満たされていく。これが別役中毒か。初めて別役作品に触れた人で、こんな中毒症状を呈してはまっていく人もいるに違いない。
シリーズ「べつやくづくし」を演じてきた俳優たちも、戯曲同様、切れ味が増してきている。緻密に組み立てられたせりふを力を抜いて自然に演じられると、戯曲の言葉のマジックが客席を直撃する力を持つようになってくるような感じだ。
1時間半の作品を見て、頭がしびれたまま帰途に就く。これはもう、完全な中毒だ。

『会議』『街角の事件』交互公演

『会議』『街角の事件』交互公演

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2023/09/06 (水) ~ 2023/09/12 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/09/06 (水) 19:00

座席1階

「会議」をまず、拝見。Pカンパニーの「べつやくづくし」の中でも、上位に入る面白さだ。

まず、開幕前の舞台に納得。定番の電柱に裸電球。これは自分的に言うと好みなので「そう来なくっちゃ」という感じである。冒頭、アルバイトと思われる数人が木製テーブルといすを運んでくる。まず、偉そうに振る舞っているのがこのバイトたちを束ねる担当者のおじさんだが、やがて入ってくるこの仕事を発注したと思われる紳士に会話の主導権が移る。この紳士によると、人間の会議志向を証明するのが目的なのだという。電柱がある屋外に机といすを持ち込んで「会議」だというのだから相当おかしいが、不思議なことに客席はこのシチュエーションをすんなりと受け入れてしまう。
別役戯曲の面白さの一つは、会話の主導権が次々に別の人に移り目くらましをされていくところだ。なるほど、相当な不条理だ。今作でも、バイトが「壊れているいすがあった」というのだが、バイトの担当者のおじさんは「そんなはずはない。壊れていたとしたらお前たちが壊したんだ」と毒づくがそれはその場面だけですっかり忘れてしまう。だが、こうしてすんなりと受け入れられるシチュエーションの中に、重大なカギが潜んでいる。
会話の主役は続いて、たまたま通りかかった風情の「会議参加者」に移る。これも別役戯曲ではよく見られるが、その一人ひとりが勝手な会話を繰り広げる。てんでバラバラに交わされている会話のようだが、実は巧妙に織り込まれていて、やがてキーパーソンである男が登場する。劇はこの男を中心に急展開し、客席は路上という公共空間で行われる殺人事件を目撃することになる。

こうした見どころが1時間20分の舞台に凝縮されているのだから、面白くないわけがない。
2本だてにしなくて、これ1本で締めたのは正解だ。帰りの電車で「あの場面の会話は、ここを解く鍵だったのか」などと反すうして楽しむことができる。 

親の顔が見たい

親の顔が見たい

劇団昴

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/09/01 (金) 14:00

座席1階

2008年に畑澤聖悟が劇団昴に書き下ろし、韓国でも上演され映画にもなったそうだ。畑澤の劇団・渡辺源四郎商店でも上演した。そんな有名作だが見るのは初めて。劇団昴の再演、お帰りなさい公演といったところだろうか。さすが現役の教師だけあって、迫真の戯曲。約2時間の上演で、客席は水を打ったように静まり返って舞台を食い入るように見つめていた。何という秀作だ。

客席をわしづかみにする原動力は、何と言ってもリアリティだろう。お安くない授業料を取る名門私立中学の教室で、女子生徒が首つり自殺をした。夕方、学校に届いた遺書のような手紙に、5人の加害生徒の名前が書いてあり、親たちが緊急に呼び出される。舞台は、わが子がいじめに関わったと認めたくない親たちの壮絶な会話劇である。
職業もバラバラ。シングルマザーあり、事情があって孫を育てている祖父母もいる。会話からはそれぞれの家庭の深刻な内情も垣間見えて、いじめ事件と複雑に絡み合っていく。
当初、いじめなどはなく女子生徒が勝手に死んだと主張する声や、いじめがあったとしても自分の子は関係ないと訴える声が出る。いじめ事件などが表に出れば名門私学の名に傷がつくと、先生からかすめ取った被害生徒の遺書を燃やしてしまう場面も出て、驚かされる。
だが、その後の展開は想像を絶する物語だ。

パンフレットによると、畑澤は2006年に実際に福岡県で起きた中二の男子生徒のいじめ自殺をきっかけに、この物語を書いた。「せいせいした」「別にあいつがおらんでも、何も変わらん」という加害生徒たちの態度に衝撃を受けたという。今作では、舞台は親たちが集まった学校の会議室で、加害生徒は別室にいるという設定で出てこない。だが、先生のせりふで「早く帰りたい」「おなかすいた、ピザとって」などと反省などまったくしていない様子も出てきて、恐ろしさが募る。最後の方の独白で、一人の女子生徒がいじめに参加したことを悔い、抜けたいと思うが抜けられないという姿が出てきて、少しだけホッとする。
いじめの中身は苛烈である。だが、こうしたいじめは現実にはたくさんあり、教師にも親の目にもかからず埋もれてしまっているのだろう。被害者はたった一人で苦しみ、死の淵に追いやられている子は少なくないと思われる。この舞台は、こんな現実を激しく主張している。

子どもたちに見せたい舞台。(客席は圧倒的に高齢者が多かった)
見ないと、損するかも。

ヨーコさん

ヨーコさん

演劇集団円

吉祥寺シアター(東京都)

2023/08/26 (土) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2023/08/30 (水) 14:00

「100万回生きたねこ」で知られる作家・佐野洋子の物語。この絵本はよく知っているが、作者については知識がなく、このような波乱の人生だったとは。演劇集団円のこどもステージは幾度か見たが、このステージの作者も務めていたと、今回のパンフレットで知った。

中国東北部で生まれて内地へ引き上げた。父や兄弟を早くに亡くして苦労してきた半生だが、そんな波乱も笑い飛ばしてしまうような豪傑だったようだ。冒頭、愛煙家の佐野がソファで紫煙をくゆらせながら寝転んでテレビのリモコンを操り、「地球と平行に生きてきた」と叫ぶ場面が印象的だ。編集者たちに囲まれる場面も出てくるが、愛されキャラだったことも分かる。
子ども時代のエピソードもふんだんに盛り込まれているが、子どもらしい場面を大人だけで演じていても違和感がない。大小二人の「ヨーコ」を登場させて会話劇に仕上げた工夫もいい。生演奏の歌あり踊りあり影絵あり。基本的には明るいステージで貫かれている。

テンポよく、完成度が高い舞台だった。

ネタバレBOX

母親との葛藤を抱え、認知症になった晩年は施設に入れたというくだりも。母親と同じ布団にくるまり、「ぼけてくれてありがとう」と泣く場面には深く感じるものがある。丁寧に作られた台本だと思う。
「真っ赤なお鼻」の放課後

「真っ赤なお鼻」の放課後

劇団銅鑼

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2023/08/23 (水) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2023/08/25 (金) 14:00

座席1階

「何のために勉強するのか」「何のために生きるのか」「どんな仕事をしたいと思うのか」。高校生の進路選択で悩ましいテーマだが、これは今も昔も変わらないようだ。ただ、高校生の段階で将来の夢を具体的に描いている子はおそらく、今の方が少ないかもしれない。今作は、やりたいことを見つけたある意味幸せな女子高生の物語。劇団銅鑼らしく、ハッピーエンドを期待して安心して見ることができる。

台本を書いた東京ハンバーグの大西弘記氏は、もともとは高校サッカーの選手であり、そのイケメンの風貌からホストクラブでも働いた経験があるという異色の演劇人と聞いている。彼もまた、自分の人生をささげる職業に悩んだ一人であろう。いろいろ回り道をしながら演劇の道をつかんだ、そんな彼の思い入れも、この戯曲からは感じることができる。
「真っ赤なお鼻」とは道化師クラウンのことだ。病床で子どもたちを励ます姿は本当に勇気づけられる。かつての劇団の俳優で今はタクシードライバーをしながらクラウンをやっているという設定も、本当かと思わせるリアリティがある。
「何のために生きるのか」という解を探すために、僕らの時代は必死になって本を読んだ。加藤諦三の「青春論」などを今、懐かしく思い出す。今時の女子高生はそうした思索をするために本は読まない。行き当たりばったりかもしれないが、行動に移して自分なりの解を見つけていく。そんな行動力には共感が持てる。
ただ、その両親の描き方は今ひとつ。関西出身の母親の関西弁をネタにして笑うのはどうなのか。劇中、両親は娘の成長を見守る重要な立ち位置だけに、もう少しきちんと描いてもいい。
この舞台には、ALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患した母親を介護する高校生男子のヤングケアラーが登場する。この親子の描写には涙が出た。その中でも特に、胃ろうのケアの場面には驚いた。演劇シーンで胃ろうの場面を見たのは初めてだ。とても意味ある場面だ。取り上げた大西氏には敬意を表したい。

客席には夏休みの子どもの姿もちらほら。ぜひ自由研究で取り上げてほしい舞台だ。

くらいところからくるばけものはあかるくてみえない

くらいところからくるばけものはあかるくてみえない

果てとチーク

アトリエ春風舎(東京都)

2023/08/18 (金) ~ 2023/08/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2023/08/24 (木) 14:30

座席1階

とてもおもしろかった。真夏の上演にぴったりの恐怖だ。カルトが徐々に人間関係を引き裂いていく様子が、比較的明るい会話劇を通して展開されていく。台本もよく練られていて、回転ドアのように登場人物が入れ替わる演出も戯曲にテンポと力を与えていた。舞台美術も秀逸だった。

最初に登場するのは、オーガニック野菜を栽培する農場。ここで汗を流す二組の夫婦はとても健康的に見えるが、不妊で悩んでいたり、別の夫婦は妻は2人目の子はもういらないと言い切って夫とぶつかるという、深刻な亀裂が見えてくる。実はこの農場、カルトと健全社会の接点。オーガニックだから取っ付きやすいし、魅力的だ。こういう設定がリアルで怖い。
舞台を見ている限り、これらの夫婦の亀裂は当初はそれほどでもないのだが、本当は離婚も不思議ではないというくらい深いものであると客席は思い知らされる。夫と妻は健全な家族であり、お互いを大切に思っている。だが、この小さな亀裂に水がしみこんでいくように、カルトが染み込んでいく。自然に、しかもこの道しかないというくらいな正当性を装って。このあたりも実に現実感を持って、うまく描かれている。だからこその恐怖は後段で募っていく。

謎の宗教のうさんくささに当初は抵抗していた夫が取り込まれていく場面も、とてもリアル。明らかに精神的な病気(幻視を見るなど統合失調症か)で治療が必要なのだが、その症状が「大地から取り込まれた明るいパワー」で軽減した体験を経て信じ込んでしまうというところも、あり得る話だ。カルトがあえて弱みに付け込もうとしているのではない。あくまでも自然な人助け、カウンセリングが実は落とし穴だったりする。

もう一つ、この戯曲の一翼を担うのがユーチューブなどの動画。興味があるものだけを見続けるというネット社会、SNS社会への強烈な批判が込められている。もしも彼らがテレビとか新聞とか自分とは離れたところのニュースに接していたなら、自分が見ている世界が広がることでカルトに取り込まれることはなかっただろう。
しかし、米国のトランプ前大統領の信者たちのように、何百万人の「健全な」アメリカ人が教祖をあがめるように心酔していく状況が現実にある。トランプはカルトの教祖ではないけれど、状況はかなりカルト的。舞台を見ながら、こんなことまで考えてしまった。

客席の思索を四方八方に広げていく力のある舞台である。おもしろくないわけがない。



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