家族カタログ
B.LET’S
小劇場 楽園(東京都)
2015/11/19 (木) ~ 2015/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
ゲネプロ拝見
「雨降って地固まる」という諺があったが、この公演は”台風が来て血固まる”ような家族再生の物語。もっとも固まるのは結束というか、その思いやりという目に見えない”気持”。家族だから知っている、しかし案外知らないことも多い。そして時として鬱陶しくなる存在をしっかり感じさせる。
BLET’S得意の会話劇が、楽園という小空間を濃密に満たしている。それは観客(自分)の心にも面白いという満足感を与えてくれた。
ネタバレBOX
梗概は、向井醤油専門店(家族)の濃口ならぬ恋愚痴の話…始まりは三女・友布子(如月皐サン)が付き合っていた男が二女・友美(永島広美サン)と結婚し、その当時、家族内でしっかり話し合わなかった結果、三女が家を飛び出した。その憎悪ある三女が法事で帰ってきたことから騒動が起こる。家族という内に現れた台風は激しい爪痕を残し、一過した後は…。
上演後に書いたアンケートを見ると、この2~3年の公演はほとんど観ている。脚本・滝本祥生 女史に作品の良し悪しを聞いても、多分どの作品も思い入れはある、と答えるのではないだろうか。脚本を書くことは子を産むと同じようなもので、大変なことだと思っている。子にもそれぞれ特長があるように、作品にも...。
本公演は、家族という内側の世界を描いており、現実的に考えれば、特異な出来事(事件)を展開するのは難しい。その意味でありそうな話を愛憎表現で牽引しているため、スリリングさは感じられない。また暴露話の応酬に終始しそうになるが、家族ともなれば内輪の思い出や出来事が頻繁に出て来るのは当たり前かもしれない。ここが他人との会話の違うところだろう。
全体は予定調和のような気もするが、二女が三女に向かって「将来、私の前に現われないで!」という本音が怖い。そこには姉妹を超えた、人間(女)としての感情が顕になっている。この公演は演出・演技で見せる”常識や理性で律しきれない思考や感情”表現が素晴らしい。
さて、作品(子)は、他人(観客の自分)から観ると、「春の遭難者」のような社会性が垣間見えるのが好みである。例えばこの作品でも、不景気にも関わらず商売が成り立つ老舗...世間の目、悪い噂のような、家族外との関係、影響はどうであったのか気になる(視点が散漫になる危惧はあるが)。
次回公演を楽しみにしております。
あたしのあしたの向こう側
トツゲキ倶楽部
d-倉庫(東京都)
2015/11/18 (水) ~ 2015/11/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
パラレルワールドが…
人は色々な選択や判断をして生きている。それが間違った選択だとしても過去は変えられない。SFの世界ではない…いや芝居なのだからやり直しは出来る。そんな別次元の自分が目の前に現れる。
これから起こる不思議体験は…。
ネタバレBOX
交番内の一場面...舞台セットはその後ろにピラミットのような階段。
交番勤務の警察官が「パラレル宇宙論」という雑誌を読んでいるところから物語は始まる。
時空管理をする組織(局)の誤作動により、パラレルワールドが出現する。その結果、現在の私も含めて9人(同じ名前のため女1~9という番号で識別)の自分が現れる。私以外の自分の存在が理解できないという不思議感覚。そこで起こるコミカル騒動は、笑いが渦巻くにも関わらず哀切を感じてしまう。選択が違った結果、ベクトルが拡散し勝手な会話(思い出話)で収拾できないかと思われたが、あることをキッカケに収斂していく。過去に選択した結果が今の私...しかし、今の私はやりたいことが分らない(明確にできない)。恋人と思っている人との関係も進展しない。もどかしく思う過去の自分たちが今の私を叱咤激励する。
女優9人が同一人物であるにも関わらず、個性豊かに”私”もしくは”自分”を演じる。特に女5(前田綾香サン)の存在感、女9(佐竹リサ サン)のコメディアンのようなストーリーテラー役は秀逸。まさにシャレではないが、5(ゴ)・9(ク)=極上の輝きである。そして、この女優陣を始め、取り巻く登場人物の生き活きとした演技力がこの公演の魅力だと思う。
気になるところは、時事...政治ネタが少し強引のようで白けてしまいそう。例えば「地域紛争の後方支援に行ったきり帰ってこない」とか、もうワンフレーズくらいのほうがインパクトがあり、印象にも残るのではないか。
最後、女5が着ている「青幕」のような服が悲しい...余韻のある見事なラストシンーンであった。
次回公演も楽しみにしております。
音無村のソラに鐘が鳴る
演劇企画ハッピー圏外
TACCS1179(東京都)
2015/11/13 (金) ~ 2015/11/19 (木)公演終了
満足度★★★★
最先端科学技術を緩く…
物語は、最先端科学技術の話題であるが、その観せ方は軽妙コミカル。また舞台セットもその演出の延長線上にあるようなマンガに出てくるようなもの。
公演全体の雰囲気は、ハッピー圏外らしい温かみと優しさに包まれている。現実の宇宙開発事業はロケット発射場のある自治体、政府機関、民間企業における様々な思惑が絡むようであるが、この公演でもリアル社会を投影しているような...。
ネタバレBOX
梗概は説明引用させてもらい「民間・音無宇宙開発局はロケット事業の岐路に立たされている。 それまでの無人探査衛星打ち上げから、 宣伝目的の名目だけの有人ロケット開発への移行を迫られていた。 技術、費用、人材、時間不足など、とっても不可能な状況。 局員もやる気を失いかけるが、音無宇宙開発局へやってきた青年により事態は急変する。」という。
さて、芝居には細かい疑問等が多くある。例えば青年の正体は、なぜ前科者ばかりが集まっているのか、この人数で遂行できるのか、さらに言えばあんなに簡単に脱獄できるのか...等々。
しかし例えば、母親の胎内にいる赤ん坊が足蹴にするとお腹が凹凸するように、胎内という宇宙の中で暴れているのが「ハッピー圏外」という劇団であるとすれば、大きな流れは大切にしつつ、些事と思えるようなところにも工夫を凝らしもっと大きく成長するだろう。その結果、遊び心という自由”度”は縮小しないでほしい(スケール感は大切)。
このロケット打ち上げ...宇宙開発には軍事戦略、テロ対策という国家的側面と軍需産業、宇宙産業という資本市場がしっかり観える。この社会的な問題の捉え方が鋭く、一方人間の優しく人情という味が感じられる。この”鋭く 緩い”公演は面白い。
ちなみに、ある新聞によれば、観劇した2015年11月には今まで打ち上げてきたロケットを改良し、人工衛星に優しいロケットを打ち上げる予定であるとか。その意味で、脚本・演出の内掘優一 氏の先見性に驚かされる。
次回公演を楽しみにしております。
メガネ温泉
劇団オンガクヤマ
ステージカフェ下北沢亭(東京都)
2015/11/13 (金) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★
行ってみたくなる温泉
未見の劇団であり、温泉での会話劇というシチュエーションに興味を持った。その話は面白いしテンポも良い。温泉に浸かっているような心地よさを感じる。このメガネ温泉の効能が舞台正面に掲げられているが、本当にあったら行ってみたい。このステージカフェ下北沢亭という小さな空間が、本当に温泉宿の一空間を醸し出している。簡素な作りであるが、そのイメージ作りは見事である。
また、制作サイドの対応も気持ちよい。宿のおもてなしを受けるようだ。このカフェのトイレは出入り口の反対側の奥まった所にある。トイレに行く際、舞台上を1~2歩 歩くことになるが、その面にはバスマットを敷くなど違和感のない工夫が施されている。また上演時間は60分という案内であり、その通りであった。時間を守るということは前提にしつつ、自分は多少の開演・終演時間の誤差は気にならなかった。せっかく温泉に来て、のんびりとした時間を過ごすのだから。
良い点が多いが、自分の拘りとして気になるところが...。
ネタバレBOX
梗概は説明抜粋...「温泉効能を知ってか知らずか訪れた一人の女。彼女は どうしても譲れない事情を抱えていた。そこに居合わせた3人の男。 メガネ温泉の湯上り処で、複雑な事情が交錯する。」というもの。登場人物は4人(女1人、男3人)で、女がニット帽を被った男が脱衣所から出てきたことに興味を持ったことが始まりである。その後に現れる男との会話...恍け、誤解、思い込みなど、会話のズレが面白く描かれる。その組み合わせは「男・女」「男・男」「男3人」「全員」という全てのパターンを観せる。
舞台セットは、中央に腰高さの畳縁台1つ、上手は男女浴場暖簾、下手は渡り廊下のイメージである。正面壁にはメガネ温泉の効能が掲げられているが、普通の「腰痛」などの他に「失敗」「失恋」「ストレス」などの文字がある。そして小物はメガネ温泉の名入り手拭、団扇、牛乳瓶のラベルなど細かいところにも配慮している。
脚本や演出、演技も恍けイラッを感じつつも温かく見守ることができる。全体を通じて好印象であるが、自分の拘りとして冒頭シーンのキッカケが不自然過ぎる。違和感がある姿で脱衣所から出てきても、あそこまで興味を示すだろうか。そしてニット帽の意味するところが終盤近くになって明らかになる。この伏線への工夫があってもよかったと思う。
この温泉の近くに霊験あらたかな神社があり、それに対するフェティシズムのようなものらしい。効能と同じように、この近辺の観光案内を貼るなど神社の存在を示めせると思う。
先にも記したが、公演(制作サイド含め)は丁寧で、内容的にも面白い。
次回公演を楽しみにしております。
ニホンオオカミはいなかった
十七戦地(2026年1月31日に解散)
小劇場 楽園(東京都)
2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
多角的な思考
表層的な話は「ニホンオオカミ捏造詐欺事件」の顛末が中心であるが、その物語が進展する中で、生態系、自然環境など現代人が考えなければならないテーマが織り込まれ、複眼的に問題提起しているようだ。
本筋は、次の展開を待ち望むようなスリリングさ、テンポ良く観せ飽きさせない。そして登場人物は本当に必要な役柄のみ。その人物像もしっかり性格付されている。
クリミナル・ホームドラマ...それは骨太の内容であるが、観せ方は巧緻である。
ネタバレBOX
梗概は、福岡県の林業一族・辻交(つじかい)家の当主が亡くなり、広大な山林が遺された。同時に莫大な相続税を課せられるが、その納税に”ニホンオオカミの目撃談”をでっちあげ、研究機関や財団から「ニホンオオカミ保護基金」を詐取するが、その足元では破滅の影が忍びよる、というもの。
ニホンオオカミは明治時代に絶滅したといわれている。食料(家畜)被害を防ぐため捕獲し続けた結果だという。しかし、現在では鹿による食物被害が深刻になっているという。本来、鹿の天敵であったオオカミがいないため動物の生態系がおかしくなっている。
ちなみに、観劇した日のある新聞の記事...他国での話であるが、オオカミが馬を常食している。村人は馬が捕食されても放置しているという。実はオオカミを保護している。ヨーロッパオオカミは絶滅の危機に瀕している。野生馬がいればオオカミは無理して羊や牛、鶏を襲わない。馬は肉も多くは取れないから、犠牲にし他の家畜を守ると同時にオオカミの絶滅を防いでいると...。
他方、山林を育てるには50年以上必要で、伐採したら将来その(木の)恩恵を享受することができない。先祖代々守ってきた林木...所有権は辻交家にあるかもしれないが、目先の対応(欲)で将来の自然(環境)は保たれるのか。
この公演では、相続(税)という期限のある事柄を上手く利用し、緊急かつ切迫した状況を自然に作り出している。無理なく進む話、一定期間内に決着させる必要があるための山場作り。しっかりした脚本に基づく観せる演出は見事であった。特に食事シーンは登場人物を一堂に会させ、その役割セリフを言わせる。その濃密な会話がその場の空気を引き締める。
この公演は物語の面白さと、そこに内包している数々の問題を投げかけているようだ。語弊があるかもしれないが、芝居という見世物に知的な問いかけ...実に見事な公演だと思う。
次回公演を楽しみにしております。
【追記(2016.1.9)】
東京新聞に次の見出記事が掲載
「ニホンオオカミ 信じて探す」
早大探検部OB
「百十年前に絶滅したとされるニホンオオカミだが、その生存を信じ、調査を続けている民間グループ「ニホンオオカミ倶楽部」(東京)が、、新たに三重県松阪市の山中で調査を開始する」...と。
国際共同制作ワークショップ上演会
APAF-アジア舞台芸術人材育成部門
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2015/11/13 (金) ~ 2015/11/14 (土)公演終了
満足度★★★★
濃密な…
三作品の共通した訴えは、平和の希求のようであった。
台湾、インドネシア、フィリピンの三チームが「雨」という共通テーマで創作した小作品(15分)の上演と各演出家のアフタートーク。
テーマ「雨」の選定は、アジアの国の人々にとって「雨」とは、また「雨」が惹起する情感もさまざまだろう。同時に、人が水を飲まずに生きていけない以上、どんな人間にも「雨」が根源的に大切なものであるという感覚は共有されている。
「雨」をめぐって、お互いの差異と共通性を見つけてゆければ...と主催者は語る。
ネタバレBOX
台湾「焦土」
焼け焦げた大地に囲まれた村で、日常生活を送っている。雨を待ち望んでいたが、雨は焦土をつくり、恵みの大地もつくる。そこには「世を蓋うのも功労も、一個の矜の字に当たり得ず。天に弥るの罪過も一個の悔の字に当たり得ず。」というらしい。
す
インドネシア「ペットボトルの中の雨」
雨は空と大地をつなげる神聖なもの。ジャバとバリの神話によると空は男性、大地は女性。それをつなげる雨は命を創造する。近代社会とパフォーマーの雨に対する個人的文化的経験をつなげ、断ち切りたい。声と体の動きの力を共に探っていき、言葉に頼ることなく何かを伝えたい。
フィリピン「TERU TERU!」
フィリピンの神話の中の雨は、自然への畏敬の念だけではなく、生きるとは何かということを伝えている。神話は語り継がれ、自分たちが誰なのか分からせる。しかし、気候変動により雨に対する受け止め方が激しく変化してきたのはなんという皮肉か。神話そのものが変化しつつある。大雨による洪水に関するアジアの神話を見せたいと。私たちはどこにいるのか、生きるとは何かを考えたいという。
いずれも素晴らしい”種芋”で、これがどう育つのか期待したい。
『黄金のごはん食堂』
APAF-アジア舞台芸術人材育成部門
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2015/11/13 (金) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★
「米」は文化…
「アジア舞台芸術祭」は、「アジアの若い演劇人が出会う場所」として構想された、国際コラボレーションの“土俵”だという。
さて「黄金のごはん食堂」は、昨年の「国際共同制作ワークショップ」(15分)で上演したフルサイズ版である。
この公演は、食を通じて自由と管理、裕福と貧困(飢餓)という構図が見える。近未来の不確かで不安定な社会が透かされるようであるが、ラストには一筋の光が...。
ネタバレBOX
場面ごとに時間と場所が異なるが、基本的には2050年(職場・戦場)、2048年(職場・食堂)、2010年(自宅)の三つの時代である。それによって観客の意識が混乱することはないだろう。
この公演は、食べることは生きること、人と繋がること、幸せが感じられること...そんなイメージを持つものであった。
最近、「食」をテーマにした映画「東京ごはん映画祭」(2015.10.31~11.13)が開催されていた。世界には「食」を切り口にした映画祭がいくつかある。生命に直結した物であり、それを題材にしたこの芝居は素晴らしかった。
梗概は、2048年の食事情は管理・統制下にある。私・さんしろう(猪俣三四郎サン)は、食堂で働いている。その「食堂」の食材は従業員たちが窃盗している。
2050年には食料不足で強奪行為が横行している。妻・もえこ(小山萌子サン)が病気、一人息子・ゆうた(遠藤祐太朗サン)は革命軍のリーダー。途方にくれる主人公...この時代のシーンは鮮烈。息子は戦車で轢殺、妻は拉致途中(頭陀袋のような中)餓死する。この母子の死の演出(ナレーション)が印象的である。
2010年新婚当時の我が家。その追憶シーンは「食堂」への就職が決まり、妻が懐妊(息子)する...幸福期である。
この世界共通にある「食」を通じて、不平等・理不尽さが鮮明に描かれる。そこには特定の国・地域ではなく、普遍的な問題として強く主張しているようだ。
ぜひ、このような企画を続けてほしいと思う。
Popn' Mad Effecter
踊る演劇集団 ムツキカっ!!
d-倉庫(東京都)
2015/11/12 (木) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★
エンターテイメントな…
芝居とダンス...観せると魅せるを融合したような公演である。時代背景がはっきりしないところが気になるが、話の内容はきわめて現代的、というか近未来の出来事を暗示しているようだ。上演時間2時間20分は少し長いようであるが、飽きることはなかった。
ネタバレBOX
大学の「忍者研究会」メンバーが忍びの里を訪れるところから物語は始まる。メンバーの一人がその里(忍者)出身であることから、案内役となっている。通常であれば忍びの里に一般人を招き入れないところであるが、そこにはある目的が...。忍者が持っている”癒しのような力”、その効能を取り込んで治験に利用する。この物語の中心となる兄・姉・妹の三人の間にある生き方に対する確執、それが研究会メンバーを巻き込んで騒動になる。この効用をめぐり善悪の考えが披瀝される。善の考えは平和利用、悪は混乱を招き、結果的に人口減(これ以上の人口増を抑止)をもくろむ。
この効用...最新医療で話題になるゲノム編集技術を連想した。遺伝子変異を人工的に作り出し、治療に生かす試みが始まっている(例えばダウン症の研究)。そのための臨床試験(治験)を行い、健康な人や患者に投与して安全性や有用性を調べる。まさに忍者の特性、という効能を利用する手法に似ている。その利用は、人間の心(善悪)で決まるというもの。
本公演では、社会性...科学の発達に関わる功罪、また自然環境の保護をテーマにしているが、それを直接セリフで説明している。言葉にするとその範囲での受け止めになってしまい、せっかく広がりのある訴えが小さく感じられる。その観せる工夫がほしいところ。
また、公演の特長...演技とダンスの楽しみについて、別々に捉えコラボしているようであった。観客の好みもあろうが、公演全体の統一感がほしいような。例えば、和の忍術を表現するダンスは、その衣装が中東のベリーダンス風、モダンバレエをイメージさせる白衣装など調和が感じられない。
また、ラストシーン...忍者研究会メンバーの一人とその子孫(5代目と8代目という時代差)が邂逅するが、その衣装に時代の差が感じられない。
些細なことであるが、公演のエンターテイメント性の豊かさを考えると、物語の面白さに比べ、それを観(魅)せる調和・親和性が足りないように思え、勿体ない。
次回公演を楽しみにしております。
ラバウル食堂
劇団芝居屋
ザ・ポケット(東京都)
2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
市井の中で…
市井の暮らしを通して、戦後の歩みとどのように向き合ってきたかを考えさせる秀作。今年(2015年)は戦後70年であり、そのテーマで多くの演劇が上演されている。本公演では、食堂を開店(ラバウル食堂という店名)した理由が明かされるが、そこには戦中・戦後を通じた悲話が...。
ネタバレBOX
この食堂を開店した故先代店主は、戦時中にラバウルで調理兵(軍隊での正式名称は別)として従軍していたが、病のため帰国することになった。その際、多くの戦友から家族などに宛てた手紙を託された。戦後になり一軒一軒尋ねて手交していたようだが、それも限界になった。そこで逆にこの店名にすることで、遺族等に知ってもらいたいと。
この心温まる逸話とシャッター商店街と言われる地域の街興しを絡める。その手段としてローカルTVが協力することになり、取材などが始まり関係者が狂喜する。その騒動がコミカルに描かれる。登場人物の全員が善人で展開する人情話は、坦々とした日めくりカレンダーのようであり、その日の暮らしを覗き見るようだ。
人は自分が見ている事象からしか現実を判断できないと思う。同じ時代・社会に生きていても戦争・紛争などが見えない人がいるかもしれない。先の戦争が始まる前も、多くの人は悲惨な戦争を予感することなく、日常を過ごしていたことだろう。
この公演では、身近な暮らしを切り取って描いているが、その街は常に変わり、愛着ある風景がリセットされる。そんな不安を抱えつつも明るい未来を模索する人々の姿が見える。
公演全体を通じて、芝居という「箱庭的な世界」を心穏やかに覗いているようで、実に楽しいひと時であった。
次回公演を楽しみにしております。
悪魔はいる
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了
満足度★★★★
不気味な…
輝く言葉、印象的な台詞が散りばめられており、メモしたくなるほどだ。ワクワクドキドキして観ていたが、段々と胸の底に澱むものを感じる。その正体不明の”何か“が分かるように導く演出が妙である。
この「悪魔はいる」の状況は、今年(2015年)出版業界のみならず世間を騒がせた”アレ”のことを思い出してしまうのは自分だけであろうか
ネタバレBOX
回転しないミラーボールがシャワーだとすれば、言葉は珠で溢れ、台詞は「空がわたしを呼んでいる」など魅力あるフレーズが降り注ぎ、実に気持ちよい。
公演梗概は、中小出版会社が発行した書物か記事が原因で、その被対象団体?から圧力、妨害さらには破壊活動へエスカレートする恐怖。それから逃避するように、現在(水商売を行っていたと思われる廃店舗)の場所に居住している。
舞台セットは、中央上手寄に長ソファー、テーブル。テーブルの上は酒、ツマミなどが散乱している。上手には別場所への出入口、また下手側にはテーブルがあり、その奥の壁に「不夜城」の文字(看板か?)が見える。この退廃的な雰囲気が閉塞感を漂わせる。そして、キャストは、この場(末)のようなところに似合う表情...沈鬱、憤怒、諦めなど、その立場をくっきり現すような演技を観(魅)せる。そして台詞、ここでは言葉といったほうが合うかもしれないが、その丁々発止が見所の一つであろう。
さて、その圧力等を受けることになった”標的...書いた内容(本)”はどのようなものか。あえて明確にしないような、暈けるような的に向かって「言葉」という矢を射るようだ。言葉は発した瞬間に消えてなくなり、聞いた者は瞬時に受け止める。その言葉によって人の感情は動く。それゆえそこに「悪魔はいる」かもしれない。
この公演の主体は、「言葉」なのか「文字」なのか、出版会社と出版物が物語の中心のようであったが...誤解であろうか?
そして、アレとは「絶歌」(元少年A)のことである。もちろん本公演とは関係ないのであるが…。
次回公演を楽しみにしております。
ストリッパー薫子
BuzzFestTheater
シアター711(東京都)
2015/11/11 (水) ~ 2015/11/17 (火)公演終了
満足度★★★★★
タイトルとのギャップに驚き
この公演の最大の魅力は、エロチックなタイトルと物語の脚本、コミカルとシリアスな演出のギャップ...その感情振幅が大きく、良い意味での裏切られが印象的である。芝居の画一化といえば大袈裟であるが、例えば悲劇・喜劇は、泣き・笑いという感情表現が片寄るような観せ方になる。自分もその流れを自然に受け入れていたと思う。
しかし、このリップ座公演はエロカワイイと人間の深淵という異質な状況を見事に融合させていた。
ネタバレBOX
梗概は、説明文から「ストリッパー薫子に近付く、テレビマン・岡本は、 『貴女のドキュメンタリー映像を撮らせてください!』」と懇願する。だが、薫子の心の奥底には、今でも深い深い傷跡が残っていた。 岡本は彼女の闇を消し去ることができるのか。そして岡本の真の目的は、薫子の父(実は養父)が大手芸能事務所代表で、その力で所属事務所にいたお子元の妹を甘言を弄し陵辱した上で自殺に追い込んだ。その復習のために近づいてきたと...。
そして、薫子自身も幼き頃に父から受けた心の傷...その結果、多重人格を形成する。サイコサスペンスの様相を見せるが、その描きはユーモアとグロテスクなシーンが交差し、観ている者(自分)の感情を揺さぶる。
ストリッパーという華やかな表舞台、一方哀愁、焦燥が漂う裏舞台は楽屋である。その両方を舞台セットとして見せる。表舞台(非日常)は、スポットライトを浴び回転盆の上で艶かしく踊る姿態(肢体)。楽屋は化粧台、長椅子、ロッカーなどが乱雑に配置されている。それが現実(日常)生活を物語っている。ここでも非日常と現実(虚実)というギャップを見せるが、まさに薫子の心の多重性を暗示しているようだ。
この公演は、職業こそストリッパーという設定であるが、悲喜こもごもの人間ドラマが垣間見える。
なお、ラストは映画「監督失格」(2011年制作)に見るような悲しい結末であるが、しっかり余韻(ナレーション、音楽)を感じさせる見事な幕引きであった。
次回公演を楽しみにしております。
泥花
劇団桟敷童子
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2015/11/05 (木) ~ 2015/11/12 (木)公演終了
満足度★★★★★
凄い...人間の逞しさ!
炭鉱三部作の第二弾...単に真ん中という位置付けではない。この作品は戦後の混迷期の社会情勢...炭鉱街を背景とした国策・資本と労働という階級闘争を描く。その一方で炭鉱ヤマ主の姉妹弟たちの人としての生き様が力強く表現される。その両方がしっかり融合した内容になっており骨太であり繊細でもある秀作。
その底流には戦後日本が逞しく復興していくのだ...そんなメッセージと希望が感じられる作品でもある。
それを象徴するかのようなラストシーン...凄く逞しい。
ネタバレBOX
戦後の混迷期に炭鉱という街で危険と隣り合わせで必死に生きてきた人々。舞台には、国策としての「石炭増産運動」と資本(企業)の「祖国復興ノ為ニ 石炭ヲ堀リマショウ」の檄文が掲げられている。また舞台一面に向日葵の花。
冒頭は炭鉱ヤマ主である父親が落盤事故の責に耐えられず失踪し、姉妹・弟が残されたシーンから始まる。その後、親戚宅に身を寄せることになる。この場面が一瞬のうちに転換する。このひと夏の姉妹弟の生活を中心にするという焦点を絞った演出が見事である。この夏に経験する出来事が今後生きていく上で重要な意味合いを持たせている。
炭鉱ヤマ主の子供ということで、裕福な生活を送っていた。本当に働くという意味すら知らなかった。親戚宅にいる時に、父親の炭鉱で働いて命を落とした人の息子と出会った。その人物は労働運動に身を投じることになるが...。
この登場人物において、資本(雇う側)の家族と労働(炭鉱夫)という対立構図を自然に描き込む。
しかし、この芝居では”恨み言”という、人間の持つ嫌らしい面ではなく、「泥花」という炭鉱に生きた人に共通の言葉を少し謎めかして興味を惹く。この「泥花」こそ、炭鉱で働く人の守り花だという。
何回も繰り返される「石炭は人間の苦しみと悲しみ」「機関車は苦しみと悲しみを食って走る」など、石炭に対する”恨み言”のようでもあるが、ラスト近くに「泥花」は泥が花(石炭)に...その恩恵をさりげなく、しかし理由は明確に言う。そしてその花は幻で、その花を見た者は願いが叶う...しかしそれを見るのは人間が死ぬ間際で、それは美しいとも。まさに死と隣あわせである。それ故、その詩的な台詞が愛おしい。
公演全体を通して、当時の社会世相...特に炭鉱を中心に形成されている街で働き、生きている人々を優しく観ている。しかし現実の社会は厳しい。
だからこそ、タイトルに込めたメッセージ...「泥花よ咲け、今日が駄目ならまた明日、泥花よ、咲け」が輝く。
本作にも機関車(「DOROBANA51」号)が疾走し、それがラストシーンに繋がる。また、機関車の見せ方も「オバケの太陽」のように正面ではなく、横向きにするなど工夫と変化を持たせる。
ラストシーン…舞い落ち花吹雪の中、ハジメが正面(客席)に向かって両腕を大きく振り、足を踏み鳴らし力強く歩く姿が、日本の復興に重なる。
次回公演(泳ぐ機関車)を楽しみにしております。
我が名は桃
タッタタ探検組合
ザ・ポケット(東京都)
2015/11/04 (水) ~ 2015/11/08 (日)公演終了
満足度★★★★
らしい公演...面白い
童話「桃太郎」のパロディであることは、タイトルと梗概によって明らかであるが、そこはタッタタ探検組合の公演である。この昔話(鬼=悪という構図)を真逆から捉えるという新たな視点で観せるところに並々ならぬ力量を感じる。
その描きようは鬼(牡仁)の目(立場)から人間社会を痛烈に批判(皮肉)したもので、実に観応えがあった。
ネタバレBOX
時代背景は、まだ朝廷が地方豪族を抑え切れておらず、豪族同士の戦いも絶えない。そのうち有力豪族と朝廷のみが生き残っていた。桃たちが討伐軍となって出向く牡仁一族支配地には、多くの金銀財宝、それに不思議な力を秘めた神が祭られている。
それらを狙い人間(権力者)が蠢く。その醜悪な姿は人間の本性を現す。平和に暮らしている牡仁一族からすれば退治(討伐)されるのではなく、人間と対峙(専守)しているだけ。この攻防の観せ方が、殺陣等の斬り合いではなく、現代的表現にすればスポーツでの決着をつける。この見せ場は、単純明快で分かりやすく、それでいて清爽の気がみなぎっていた。
そのスポーツは相撲であり、牡仁氏と人間が正面から取り組む。その観せ方に工夫(上部から俯瞰するイメージを持たせるため、数人でキャストを真横に抱え上げる)して一種の立体感を演出する。
舞台セットは、地方巡業のような土俵と幟が作り込まれていた。
ちなみに丸い土俵は江戸時代からではなかったか?
斬新な視点での脚本、観(魅)せる演出は実に見事であり、各所にあるアイデアはいつも感心させられる。ともすれば教訓のような臭さも出そうであるが、そこはキャストのコミカル・遊び心あふれる演技で、消臭している。
子どもの頃に聞いた昔話...仮にこのような話であったなら、と視点を変えるなどすれば、物事は違って見えるかもしれない。何が真実か、重要かなど、自分の考えをしっかり持つ...そんなことを改めて思ったりした。
最後に気になったこととしては、オープニングの映像が少し長いような。
次回公演を楽しみにしております。
八重咲ク
劇団KⅢ
d-倉庫(東京都)
2015/11/04 (水) ~ 2015/11/08 (日)公演終了
満足度★★★
もう少し説明が...
架空戦国時代における積怨・復讐の連鎖と繰返し、そこに人間の正邪心の葛藤、または理性と感情の相克が描かれる。本公演は三部作のうち、第二部にあたるという。前話との繋がりの説明がないと分かり難いと思う。登場人物が多く、この公演から観るとキャストの素性と立場の整理が必要になる。相関図が書かれた当日パンフがあるとよいのだが。
気になったところは...
ネタバレBOX
冒頭この物語を動かす人物が登場し怨嗟を語り、その結末がラストシーンになってくる。物語は単純な勧善懲悪ではなく、現れる集団(グループ)の現在における対立軸と過去の因縁が無条件(説明なし)で示されるため、ストーリーを追うことだけに終始してしまう。さらに人の魂を喰らう”鬼”も出現し、戦場を跋扈する。乱世を平定する、そんな崇高な理想は現実の戦闘(殺人)という非道な行為の前でどう気持に折り合いを付けるか。その心の在り様によって自分の中に鬼が棲むことになる。このリアル集団という複対立軸、歴史という時間軸、気持の葛藤という心軸が場面ごとに錯綜するため混乱する。
一方、衣装・化粧などのビジュアル面とアクション・殺陣は迫力...と言いたい所であるが、殺陣に関しては場面に巧・稚があり、その実力は均一化できていない。殺陣は連続したシーンとして構成しているが、そこに濃淡が出ては勿体無い。脚本が分かり難い分、観せる部分で芝居を牽引してほしかった。
一番気になったのは、脚本と演出・舞台美術がもう少し有機的であれば...。
この舞台セットは、城壁を思わせるような建屋(石垣をイメージ)、上・下手の階段状になっているところには唐草模様が見える。また大きく「丸ニ山桜」の家紋が掲げられているが、その花弁の一つが朱色である。自分のイメージであるが、それは血塗られているようだ。色鮮やかであるが、不吉な感じもある。物語全体を印象付けているようだ。
この公演、物語(背景)は大きなスケールで描いているようであるが、その壮大感が表現しきれていないため勿体無い。
次回公演を楽しみにしております。
桜の森の満開のあとで
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2015/10/31 (土) ~ 2015/11/10 (火)公演終了
満足度★★★★
白熱した机上議論
近未来における日本の地方都市の在り方を示唆するようだ。前提は、あくまで大学における授業であり、架空の地方都市という設定を確認しておかないと、現代の法制度などと整合性がとれない。
タイトルに惹かれて観劇することにしたが、直接的な関連性ではなくその背景に隠されている危うさ、悲しさが垣間見える。
ネタバレBOX
大学ゼミの卒業試験「モックカンファレンス」(通称モック)は、模擬会議のこと。この会議では一定のルールのもとに会議を進め、成績評価されるという。
この卒業試験は、集大成としてそれまでの年間成績がどのようなものであっても、この卒業試験で優秀と認められれば「A」評価になるという。
この大逆転の可能性が、この公演のドキドキ感を膨らませる。
卒業(モック)試験の題材は、高齢者から選挙権を放棄させる条例である。この街の状況が次から次に顕わになり、地元の危うさが露呈してくる。
ゼミ成績がかかっているため、利益代表役(例えば商店会、漁業連、農業連、行政職員)として喧々諤々と相手(賛成・反対)を論破しようと熱演する。
この議論は高齢者対策(高齢者の行政に対する口封じ)が声高に問われる。公演の表層とは別に、安保法(案)、原発、特別特区(正式名称別)...今日本が抱えている問題をしっかり考えさせる。学生議論を通じ観客にもその問題提起をしている。
この登場人物は指導教授(市長役)も含めて12名である。どうしてもこのシチュエーションだと「12人の怒れる男」(1957年・アメリカ)や「12人の優しき日本人」(1991年・日本)という映画を思い浮べてしまう。ここでも映画同様、全会一致が原則だからである。
物語を面白くするため、家庭の事情で大学に通学しなくなった友人を参加させ、単位を取らせる設定もある。事情とは、卒業試験という恩恵で単位が取得できるか、という興味を持たせる。実に上手い演出である。
ところで、個人的にはラスト...高齢者から選挙権を奪い、逆に若者は被選挙権を失うという動議のようなもの。一件落着のような...老人・若者の歪な平等感を説くが、若者は行政、ひいては為政への主体的な関わりから遠ざかるようであるが...。責任ある立場、それを牽制する立場などが必要であると思うが自分の勘違いであろうか。
最後に、タイトルであるが、坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」は、東京大空襲の死者たちを上野の山に集めて焼いたとき、折りしも桜が満開で、人けのない森を風だけが吹き抜け、その寂寥感を書いたものだという。この公演でも切り口は弱者切捨ての発想のようであった。その象徴する言葉...姥捨...言い換えていたが本音といったところ。その響きは本当に悲しい。
終わってから、年代果林さんと話をさせていただいたが、総じて若い役者が多くて勢いがあるとか。生き活きと演じており好ましい。
12人ひと幕の濃密な会話会議劇は素晴らしかった。
次回公演も楽しみにしております。
サヨウナラなら何度でも
試験管ベビー
インディペンデントシアターOji(東京都)
2015/11/06 (金) ~ 2015/11/08 (日)公演終了
満足度★★★★
それぞれに味わいが...
3作品ともしっかり笑わせてくれるし、テンポもよく飽きさせない。
タイトル...「サヨナラなら何度でも」は、三番目に上演されるが、その前の2作品「天使の夜2」、「東京ポエマーズ」との関連はあまり見られなかった。
観客の好みであろうが、自分としては上演順が...。
ネタバレBOX
「天使の夜2」(全員女性キャスト)
試験管大学病院に系列病院から新しい看護師が赴任してくることになった。この新任者から、この病院には死神と呼ばれている看護師がいると...そのような噂は病院にとって好くないと。実は余命が短い入院患者を好きになってしまい、その結果のあだ名だという。
「東京ポエマーズ」(全員男性キャスト)
続唱のような...ポエムを読むだけであるが、そこにはしっかりお題がある。力強い言葉、言い難し言葉、空気が読めない言葉、という3つのキーワード。観客としては、どこかで噛むのでは、と少し期待しだが...真面目だった。
「サヨナラなら何度でも」(男男・女女・男女)
樹海に自殺をしにきた人たちが偶然知り合い、会話をしているうちに自殺(死)の恐ろしさを知ることになり...。自殺という手段から死という表層を観せながら、その逆にある生の尊さを訴えるようなテーマ。それが笑いを交えてライトに描き出す。樹海に授(受)戒するカルト教団も現れて賑やかだった。少し強引な展開であるが、些細なことは気にならないテンポの良さ。この劇団は、女性同士、男性同士の組み合わせが多いような。ここでも先輩(男)と後輩(女)だけが異性アベック。演出し易いのか。
この順番であるが、「天使の夜2」、「サヨナラなら何度でも」は物語であり、その緩い?ようなテーマも垣間見える。「東京ポエマーズ」(言葉=伝える=命?)は読みだけであり、それが間に入ることは繋がりが途切れるような気がする。もともと繋がりが直接的には見えないし感じられない。1番目にして、この公演全体の”つかみ”にしてもよかったと思う。
個人的には、3作品に何らかの隠れテーマがあって繋がっていたら面白いと思っている。
次回(早く東京公演を予定して)も楽しみにしております。
彼女にとって無敵の世界
ライオン・パーマ
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2015/10/29 (木) ~ 2015/11/01 (日)公演終了
満足度★★★★
好きです
ファンタージーのようであるが、いくつかの文学挿話は寓話のように教訓が刻まれる。主人公・彼女に対する優しい物語...喪失の現実から覚醒した未来が見えるような力強い話であるが、その演出は軽妙である。描かれた絵(シーン)や言葉(せりふ)は、愛する父親の優しい手の温もりの中で、少女が逞しく成長していく様を観せる。その”シーン”や”せりふ”は快活な明るさ、優しさが吹き込まれる。
この公演では繊細な、というより笑いの連続の中で徐々に明らかにされる真実。瞬時に明かされる驚きよりも、悲しい現実が少しずつ氷解するような表現をすることに優しさを感じる。同時に印象的でもある。
この世には厳しい現実がいくつもあるが、それは必ずしも目に見えるものばかりではない。いや見えているが感じないこともある。あまりの大きな悲しみに向き合うことも出来ず、心の目を閉ざしている。この公演ではそのような話をファンタジー・コメディとして描いている。
Vol.62「Rehabili Billy」
劇団Turbo
駅前劇場(東京都)
2015/10/28 (水) ~ 2015/11/01 (日)公演終了
満足度★★★★
心が豊かに
軽妙なタッチで場面ごとに楽しく面白いが、その底流には人間讃歌がしっかり描かれる。芝居全体としては流れていると思うが、冒頭シーンとラストシーンにおける相関が弱いと思った。逆にそれは物語の関連付けが強引のような...
ネタバレBOX
冒頭は代行(偽装)グループ(特に結婚式における仮家族)のこと、ラストは建設会社(鳶田組)におけるヒューマンドラマである。もちろん、先のグループにいた高橋翼(銀次郎サン)が鳶田組に就職したという繋がりはあるが、それであれば冒頭のシーンはなくても物語は成立するのではないか。その関連に必然性がないから分離(二分)した芝居のように感じてしまった。
さて、登場人物は善人ばかり。その立場や思いが相手に上手く伝わらない。特に親子は身近すぎて知っているようでも理解(了解)はできない。その機微ある描きが実に良い。
親方・鳶田辰夫(富田誠サン)の息子2人(オカマ、落語家志望)は、建設とは無関係な世界にいる。親子の確執、職業に対する誇り、マイノリティーも垣間見える。職人・高橋翼は孤児で家族の温もりを知らないようだ。その悲哀を冒頭シーンで描き、この家族と対照させたかったのだろうか。
終盤は、硬派のような親方が建築現場から落下し、高所恐怖症になり現場復帰できなくなる。心身のうち”心”のリハビリが必要になるが...この経験がいろいろな意味で痛みを知ることになり成長する。このリハビリシーンは落語家を目指している息子の噺とシンクロして描かれる。このタイトルにあるラストシーンは感動的であった。
次回公演も楽しみにしております。
心中天網島
遊戯空間
上野ストアハウス(東京都)
2015/10/29 (木) ~ 2015/11/03 (火)公演終了
満足度★★★★★
共感して…
20代の頃、演劇研究者の故中山幹雄 氏から近世文学(鶴屋南北、近松門左衛門など)を学んだことを懐かしく思い出した。当時は、どれほど理解していたか定かではないが、「女殺油地獄」の朗読劇を発表したことがある。今でも写真とテープが残っており、恥ずかしいが記念でもある。
さて、近松門左衛門の作品についてはチラシ説明で詳しく書かれているが、その魅力は、登場する人物が皆追いつめられて破滅の道を選ぶ。追いつめられる状況が物語であり、その道を選択せざるを得えない、そこに共感が生まれるのだろう。
芝居は、その選択の過程が観客の機敏に触れることが大切だと思う。しかし、制作側が結果・結論を示しては面白くない。”どうして“は観客に委ねることで解釈が画一的ではない広がりが出来る。
本公演は、近松作品の物語としては忠実であるが、その演出は生演奏音楽、舞台美術としての映写文字など新しい試みで観(魅)せていた。
ネタバレBOX
近松作品は、当時実際に起きて世間を騒がせた事件をもとに創作しているという。その中でも「心中物」は、世間の好奇心や同情が集まり人気があったらしい。この頃の暮らしは、元禄バブル期から享保の質素倹約へ閉塞感が漂い始めた時期である。人々の不満など疲弊した状況を、今でいうワイドショーのような驚きと好奇な目で見ていたと思う。当時は心中事件が多く、幕府は世の乱れを憂い厳しい取締りをしていたという。そんな世相と近松作品...人間の本音を浮き彫りにしつつ、覗き見る感覚が庶民に支持されたようだ。
現代においても心中は世間の耳目を集めるが、今の心中動機としては、近松作品のような理由では弱いかもしれない。この心中という結末に向けての道行きが情感豊かに描かれるからこそ愛される。そこには今にも通じる人間の魂が観えるから繰り返し上演されるのだと思う。
本公演は物語(現代ではストーリーに新鮮味がない)こそ忠実のようであるが、観せる工夫として独特の台詞回しを字映し、当時のゆったりとした動作が緩慢に感じないよう、生演奏によって”情”という 間 をつくる、など多くの特長を持たせている。そこには古典芸能を現代でも観やすく、さらには面白くする創意が施されており感心した。
それにしても、江戸時代は庶民の娯楽であったものが、今では学問...本公演でも様式、丹誠というイメージがピッタリする。時を経て”伝統”的になっても、観られなければ廃れる。その意味で、この公演のような伝統を大切にしつつも新しい試みを続けてほしい。
次回公演を楽しみにしております。
シー・ザ・ライト
もぴプロジェクト
高田馬場ラビネスト(東京都)
2015/10/28 (水) ~ 2015/11/03 (火)公演終了
満足度★★★★
物語の面白さ、テンポの緩さ
チラシに「有島武郎に敬意を表して」とあり、彼の作品「生まれ出づる悩み」がこの芝居のベースにあるという。
極論すれば、人間は生まれた時、すでに死ぬことに向かって生きることになる。そう考えれば、なぜ生まれてくるのか、という疑問が生じる。さて主宰で脚本・演出の下平慶祐 氏は「…生き様の問題なのだ…」として、この芝居を作り上げたと、今どき珍しい 手書き 挨拶文を配付している。
さて、この舞台セット...暗幕で囲い、その内側(客席以外の三方)に白い板を横向きにブラインドのように組み込んでいる。その雰囲気は、有島武郎(芝居の主人公)の人生末を思わせるようにも感じた。
ネタバレBOX
物語は、映画制作に携わる人々が、某映画賞を獲得するまでの人間関係...主人公・斎藤雅樹(前嶋優治サン)の優柔不断、周りの人々の生活、恋愛が絡み、少し切ない思いも描く。
さて、舞台セットは主人公の高校生時代の教室(机が2つ)と、映画制作事務所(中央に作業台並列・小物、冷蔵庫)の2シーンで構成。相互の場面転換はなく、時間は未来に向かって経過する。そして黒と白というモノトーンが囲む...まるで鯨幕のようである。そこには原作小説家の自死をイメージするような深淵が観てとれる。下平 氏が描きたい(自分の演劇人としての)思いも、この芝居の映画制作人に重ね合わせているようだ。その意味で物語は面白いが、そのテンポ、流れが緩く冗長(飽き)になるシーンもあった。その第一がワンシーズンという設定だとしても、衣装が同じであり時間の経過が感じられない。空気、雰囲気の流れがなく澱んでいる。また役者の沈黙時間が若干長い。その間(ま)は必要かもしれないが、それにしても...。
全体としては観せたいという“思い”が十分伝わるので、それをどう観客に伝える(観せる)かという工夫をしてほしいところ。
次回公演を楽しみにしております。