泥花 公演情報 劇団桟敷童子「泥花」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    凄い...人間の逞しさ!
    炭鉱三部作の第二弾...単に真ん中という位置付けではない。この作品は戦後の混迷期の社会情勢...炭鉱街を背景とした国策・資本と労働という階級闘争を描く。その一方で炭鉱ヤマ主の姉妹弟たちの人としての生き様が力強く表現される。その両方がしっかり融合した内容になっており骨太であり繊細でもある秀作。
    その底流には戦後日本が逞しく復興していくのだ...そんなメッセージと希望が感じられる作品でもある。

    それを象徴するかのようなラストシーン...凄く逞しい。

    ネタバレBOX

    戦後の混迷期に炭鉱という街で危険と隣り合わせで必死に生きてきた人々。舞台には、国策としての「石炭増産運動」と資本(企業)の「祖国復興ノ為ニ 石炭ヲ堀リマショウ」の檄文が掲げられている。また舞台一面に向日葵の花。
    冒頭は炭鉱ヤマ主である父親が落盤事故の責に耐えられず失踪し、姉妹・弟が残されたシーンから始まる。その後、親戚宅に身を寄せることになる。この場面が一瞬のうちに転換する。このひと夏の姉妹弟の生活を中心にするという焦点を絞った演出が見事である。この夏に経験する出来事が今後生きていく上で重要な意味合いを持たせている。

    炭鉱ヤマ主の子供ということで、裕福な生活を送っていた。本当に働くという意味すら知らなかった。親戚宅にいる時に、父親の炭鉱で働いて命を落とした人の息子と出会った。その人物は労働運動に身を投じることになるが...。
    この登場人物において、資本(雇う側)の家族と労働(炭鉱夫)という対立構図を自然に描き込む。
    しかし、この芝居では”恨み言”という、人間の持つ嫌らしい面ではなく、「泥花」という炭鉱に生きた人に共通の言葉を少し謎めかして興味を惹く。この「泥花」こそ、炭鉱で働く人の守り花だという。
    何回も繰り返される「石炭は人間の苦しみと悲しみ」「機関車は苦しみと悲しみを食って走る」など、石炭に対する”恨み言”のようでもあるが、ラスト近くに「泥花」は泥が花(石炭)に...その恩恵をさりげなく、しかし理由は明確に言う。そしてその花は幻で、その花を見た者は願いが叶う...しかしそれを見るのは人間が死ぬ間際で、それは美しいとも。まさに死と隣あわせである。それ故、その詩的な台詞が愛おしい。

    公演全体を通して、当時の社会世相...特に炭鉱を中心に形成されている街で働き、生きている人々を優しく観ている。しかし現実の社会は厳しい。
    だからこそ、タイトルに込めたメッセージ...「泥花よ咲け、今日が駄目ならまた明日、泥花よ、咲け」が輝く。
    本作にも機関車(「DOROBANA51」号)が疾走し、それがラストシーンに繋がる。また、機関車の見せ方も「オバケの太陽」のように正面ではなく、横向きにするなど工夫と変化を持たせる。

    ラストシーン…舞い落ち花吹雪の中、ハジメが正面(客席)に向かって両腕を大きく振り、足を踏み鳴らし力強く歩く姿が、日本の復興に重なる。

    次回公演(泳ぐ機関車)を楽しみにしております。

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    2015/11/11 17:46

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