「幕末!天命、投げ売りのクマさん」「ニコニコさんが泣いた日」
演劇企画ハッピー圏外
TACCS1179(東京都)
2016/04/01 (金) ~ 2016/04/14 (木)公演終了
満足度★★★★
史実..【ニコニコさんが泣いた日】
メッセージ性を意識した公演...この物語は有名な史実であり、戦争という最悪な悲劇にして究極の不条理を端的に表現する。人間の愚かな行為は動物をはじめ他の生命体の存在を脅かす。その演出は、戦時中における軍国主張を援用し、その理不尽な環境下では弱い立場にある動物たちへの慟哭が見て取れる。しかし、そこは単にお涙頂だいではなく、演劇企画ハッピー圏外という劇団の特長である面白く、そして優しい眼差しで見守るようだ。動物を擬人化して愛らしく、その結末は...。
ネタバレBOX
舞台は、前・後(客席側と奥)に区分し、奥は2段差あるだけの素舞台。客席側が動物園のオリの中、奥は柵ごしに見物する。この空間によって動物園に飼われている動物と人間を区分し、オリ外は戦時状況を現す。その時代環境であろうか、全面がダーク色で暗澹たる雰囲気を醸し出す。
梗概は、第二次世界大戦中の東京・上野動物園...戦争の激化により、餌の調達や空襲時に逃げ出したら危険ということで、動物たちを殺処分する戦時猛獣処分の命令が出された。ライオンや熊(公演ではワニ)が殺され、次は象のジョン、トンキー、ワンリー(花子)だけになる。餌や水を与えるのをやめ餓死するのを待つことにする。象たちは餌をもらうために必死に芸(野球)をしたりするが、ジョン、トンキー、花子は終に餓死していく。
動物園の職員達は反対したが、食糧事情の悪化などもあり、他の動物園への移送に奔走する姿に感動する。とにかく走る走る、その熱量と動物たちの愛らしさと無念さが涙を誘う。
人間の勝手な行為によって多くの動物が死んだ。その足蹴にした人間、今、動物園にいる動物から癒しや元気、そして楽しみをもらう。悲惨な戦争から71年、人の噂も75日というが、その痛みをあと4年(戦後75年にして東京オリンピック開催年)で忘れてはならない。それ以降も同様に...。その意味で戦火が直接描かれる訳ではないが、その主張は鮮明である。
役者陣は擬人化した動物、立場がしっかりした人物造形。そしてバランスの取れた演技力は観応えがあった。素舞台であるだけに、個々の役者の演技力が目につくが、とても魅力的(ピンクレディの衣装と歌など)に演じていた。舞台技術、特に照明は動物たちの生まれ故郷をイメージする森林の描写が美しい。
そういえば、象を数える時、「○匹」という数え方でしたっけ。
次回公演を楽しみにしております。
レドモン
カムヰヤッセン
吉祥寺シアター(東京都)
2016/04/06 (水) ~ 2016/04/10 (日)公演終了
満足度★★★★
表層的には地球人と地球外生命体(=レドモン)の共存共栄が成り立つのか、そんな投げ掛けがされているようだ。この投げ掛けは異文化との関わりであり、卑近な例をとれば移民・難民問題を提示していると思う。
さて移民などの問題に関して、自分は、正義と秩序の守護神とされるギリシャ神話の女神・テーミスのように公平無私になれない。さしずめフーコーの振り子のようにその考えが定まらない。もっとも国レベルの政策から個人レベルの思いまで、各段階でもその捉え方は様々かもしれない。
本公演は、対象となる者(地球外生命体として)と距離を置くことで客観的に物事を捉えている。その核心について考える材料を提示し、観客の思いに委ねている。
なお、作品自体がSF風であることから、世界観を重視し物語(筋)における多少の違和感は卑小なこととして楽しんだ。
ネタバレBOX
舞台セットは、鉄骨(金属パイプで足場組み)という無機質な物で外形を作り、その内に人や地球外生命体という者の活動が見える。また上手側の主舞台から数段下に張り出したスペースを作り、酒場カウンターを設える。酒場という憩いの場が、この公演では思念の確認場のように思えた。
核心と思える場面が、子供たちの学校での議論である。子供の無意識に発せられる本音、そのやり取りに思わず頷いてしまう。
社会が異文化を前向きに受け入れること、その反面、差別や緊張感も併せ持つことも分かってくる。子供の物怖じしない”文化の違い”の言い合いは、無邪気ゆえに本質を突く。その中に、大人(両親など)の会話の受け売りが雑じり”公平無私”ならぬ”工兵無視”という怖い側面が見えてくる。その大人の立場が、新聞記者・行政(厚生労働省)さらには警視庁刑事という、一見良識と思えるような職業の視点で描くところが興味深い。
レドモン=移民・難民の問題をユーモアと諧謔(かいぎゃく)でオブラートに包みながら、巧みに物事の本質に迫ろうとする。作・演出の北川大輔氏の人に対する鋭い洞察力をもって描き上げた作品を観客(自分)がどう受け止めるか?その思いは既に記したように曖昧だ。
物語に潜ませた事は、時を越えても色褪せない普遍的なテーマのように思う。理性とユーモアを交え、思索を重ねて捻り出した結晶のような作品…秀作である。
次回公演を楽しみにしております。
車窓(まど)の外は星の海
風凛華斬
シアターシャイン(東京都)
2016/04/08 (金) ~ 2016/04/10 (日)公演終了
満足度★★★
演出、演技に魅力がほしい
物語の構成は面白い。タイトル「銀河鉄道の夜をモチーフに、この春、風凛華斬が送る心温まるファンタジー 『車窓(まど)外は星の海』 命の最後に訪れる選択…あなたならどちらを選びますか?」 からファンタジーをイメージしたが、その内容は真逆かも...。上演時間2時間弱で面白い物語であるが、その内容を体現する役者の演技に魅力が...。そういう意味では勿体無い。
素舞台であるから演技力がなければ、その物語は動かない。人の思い遣り、愛憎が交錯するという人間ドラマは、その心理描写・情景描写がしっかり描ければ面白いものだったと思う。個人的には好きな展開であるが...。
ネタバレBOX
梗概は、説明引用し「事故で命を落とした明日香は、魂だけの存在となり「銀河ステーション」に辿り着く。 そこは、転生のために乗り天上へと旅立つ「白い列車」と 今のまま永遠に銀河を彷徨い続ける「黒い列車」のどちらかを選び乗り込むための場所だった。 「黒い列車」には生きた人間を連れて乗れるという。 憎い相手に永遠の苦しみを与える事も、 愛しい者を永遠に自分のものにする事も可能だという。 たった一人の肉親である兄、タクトと別れ、安らかな転生を選ぶか それともタクトと共に永遠の旅を選ぶのか」と...。その死…なぜ死んだのか、その原因は何か、実は殺害された。では、どうして殺されなければならないのか。兄妹を中心に周りの知人が絡んだ推理。そして犯人は…。
作風は、サスペンス・ミステリーというイメージである。物語としては面白いと思うが、その観せる力が弱い。
例えばストーリー展開において、その人物造形がないと、行為の動機・原因が鮮明にならない。また結末に向けての展開が強引のようである。ミステリー仕立てであるので、その事件の全貌を明らかにする過程において、伏線をめぐらせておくなどの工夫が必要。恋焦がれている素振り、兄・妹に対する嫌悪感などがある。そして自分の死を簡単に受け入れてしまう疑問。死(後)という感情の重みが伝わらない。またステーションの担当案内人がその世界のルールを無視してでも助けようとする理由などは、カーテンコール後に明らかになる。それらは全て台詞で説明し、その状況や雰囲気から察することが出来ない。それを体現する役者の演技力(表情含む)に情感がないため、感情移入が出来ない。観客(自分)は演技を眺めているだけ。
脚本は面白いと思えるだけに勿体ない。白列車、黒列車の選択についてその緊迫感がない。それだけこの世界に時間という概念がないのかも知れないが、明後日とか明日という台詞もある。その期限に対する切迫感もない。また小物(ナイフ)は、お粗末なもの。次回予告の説明時に使用する太刀...その刀身は美しい。それだけにナイフも緊張できる物を使用して欲しかった。
もう少し丁寧に描くために、演出に工夫と役者の表現力があれば...。重ねて脚本は面白いと思えるだけに勿体なく残念である。
次回公演を楽しみにしております。
手のひらを太陽に
コルバタ
戸野廣浩司記念劇場(東京都)
2016/04/07 (木) ~ 2016/04/10 (日)公演終了
満足度★★★★
日本の原風景を見るような
この劇場(戸野廣浩司記念劇場)の舞台セット、見事な伊藤煎餅店がそこにある。黒く艶のある柱や梁、趣のある3畳和室、煎餅を入れる容器など、人の暮らしがうかがい知れ、その人たちの息づかいがしっかり聞こえる。そしてチラシにもある店の暖簾には伊藤家(氏)の代表的な家紋(庵木爪)を使用するこだわり。
この舞台は、或る商店街にある伊藤煎餅店の家族を中心に物語は進展するが、実に心温まるもの。そぅレトロな感じもするが、いつの時代も家族関係はドラマになる。この舞台では「お父さん」と呼ぶことが許されない事情があるようだが...。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
梗概は、説明文から抜粋...或る町のとある商店街にある煎餅屋「いとうせんべい」は頑固な父親としっかり者の娘で切り盛りしていた。 普通の生活をしている二人だったが、この頑固親父には1つ変わった事があった。 それは「お父さん」と呼ぶ事を許さないこと。 そんなある日娘が彼氏を連れてきた事で物語が動き出す。 色んな家族の絆が交錯するドタバタコメディー
主人公・元太(天晴一之丞サン)、若い時の元太(廣司侑也サン)は、孤児院施設の仲間だった夫婦(妻は子を産んですぐ、夫は子が3歳の時に病死)の子供を親代わりに育てており、子・岬(折原陽子サン)もそのことは知っている。お父さんと呼ばせることで、実親のことを忘れてしまうことを恐れている。お互いを思いやる気持ちがチグハグ。この父娘の関係を中心にして、近所のラーメン屋夫婦、離婚以来、娘と会っていない父親のふためき、実娘と里子の娘という少し複雑な家庭の父親など...家族の数だけドラマがあるようだ。
この家族・血縁という”個”という側面と、商店街という地域の繋がりを、温かい視点で見つめる。家族の中でケンカできることを羨ましいと思う里子・とうこ(マツダヒロエさん)の言葉が、家族の距離感を表す。クールで優等生的な態度には、実親でないことに対する客観的で距離を保つ姿が感じられる。その血縁のなさを超えた枠に家族を形成する。
そこに街の存在が関わる。時代とともに移ろい変わる街であるが、どこか郷愁が残る。地域商店街は日本の原風景であり、馴染み深いものであり、見守りの原点でもあった。古きよき時代の一面を詳らかにしつつ、市井の人々の人情をしっかり絡める巧みな芝居であった。
役者陣は個性豊かで、その役柄キャラクターを立ち上げていた。そのアドリブとも思えるような笑い。本当の家族、地域の人たちの関わりを観るようであった。
なお、劇団猿芝居の特長である「人情劇の王道」が観てとれ満足だが、コルバタとしては、これで良かったのだろうか。
次回公演を楽しみにしております。
Zebra On Zebra ゼブラ・オン・ゼブラ
劇団Turbo
駅前劇場(東京都)
2016/04/07 (木) ~ 2016/04/11 (月)公演終了
満足度★★★★
頑張れ!地域商店街の物語
物語は架空の桜中町商店街が舞台...この公演「ゼブラ・オン・ゼブラ」は、英語で横断歩道のことをゼブラゾーンと言い、横断歩道上のシマ馬という意味らしい。そのシマ馬、なぜ縞模様なのか、その理由に有力説がなく謎になっている。アフリカサバンナではシマは目立ち猛獣からの標的になりやすいのに...。一方シマ馬が数頭いると全体的に巨大な縞模様になり、猛獣への威嚇にもなっているという。一頭では弱いが、群れをなせば強くなる。
商店街によってはシャッター商店街と揶揄されるほど衰退している所があると聞く。大手のスーパーマーケットなど大手資本の進出が地域商店街を圧迫する。商店も1店1店では経営が厳しいかもしれないが、そこは地域活性化を模索し...その試みが商店街ラジオFM局の放送である。
そこには地域の人情がしっかり描かれ、温かい気持にさせるが…。
ネタバレBOX
舞台セットは、ラジオ局内の放送ブース。上手には音響機器をイメージさせる机。下手には局のマスコットガールが...。物語は地域の人々の繋がりや商店街の出来事などが挿話するが、本筋はこの試行のラジオ放送が終了することに対する寂しさから自殺を仄めかす投書が寄せられる。この人物を助けるため、投書主を探し出すドタバタがコミカルに描かれる。
地域に密着したニュースの提供...その話題や人の繋がりが断片的に説明されるが、物語の本筋とうまく連携していなかったように思う。自殺を仄めかした人物にたどり着く過程もあまり伝わらない。もともとコメディタッチであるが、それでも時間的制約をつけた緊迫感・臨場感が観えると街中の情景も動いたと思う。あくまでラジオ局(ブース)内という狭い空間世界しかイメージ出来なかったのが残念である。
投書主はマスコットガールで、このラジオ番組への愛着と存在の重要さを示すというオチである。
演技も役者間に力量差が見えるようで、人間的魅力を体現出来ている、出来ていないというアンバランス。商店街の人に応じた個々の喜怒哀楽の総和が地域の雰囲気であり風景であろう。
ちなみに、認知症のおばあさんは見つかったのでしょうか?迷ったシマ馬は早く探し出して保護しなければ…”ラジオの力“の見せどころであろう。
次回公演を楽しみにしております。
紙風船
libido:
新宿眼科画廊(東京都)
2016/04/01 (金) ~ 2016/04/06 (水)公演終了
満足度★★★
微妙になった夫婦関係は…
夫婦とは不思議な存在かも...。生まれ育ちも違う男女が基本的には生活を共にする。この紙風船が描かれた時期は、今から90年ほど前であるから、生活様式は少し違うかもしれない。
さて、本公演での夫婦関係はその衣装や考え方が現代のような感じである。その描く情景も現代のような気がするが、映像テロップ、映写風景が大正から昭和初期のようである。例えば、1925年、目白文化村(めじろぶんかむら)の第三期分譲の案内など、当時の広告または新聞と思われる写真が投影されるが、その意味するところはなにか?
説明にある、庭に面した座敷での夫と妻の会話。 夫が縁側の藤椅子に座り、新聞を読んでいる。 妻はすぐ近くで編物している。 夫婦の話はその性格・人柄が如実に表れるもの。
その内容とは...。
ネタバレBOX
梗概は、平凡な若夫婦の日曜日。退屈をもてあまし、妻がどこかに出掛けようと提案している。夫は出掛けるにはもう遅いと、相手にしない。そこで2人は思いきりぜいたくな旅行の空想の遊戯にふける。その空想する旅先が湘南方面で、実に楽しそうである。しかし、何気に現実を意識するとき、互いに心の空白を感じないではいられない。妻の夫にかまってほしい、一方の夫は自分の世界に浸り妻にじゃまをしてほしくない。その2人の心のすれ違い、不安は、隣の家から舞い込んできた紙風船を突き合うことによって和むような…。
舞台セットは、新宿眼科画廊スペース0という小空間…そこは白を基調にしながら、色彩豊かな旅先名所のイラストが描かれている。中央にはテーブルと椅子。テーブルの上には絵筆などの画材が乱雑に置かれている。客席正面の壁の一角はスペースになっており、そこに画用紙を貼り、夫婦で絵を描き出す。その身体的動きが、空想する旅先をイメージするもの。この空想から現実に立ち返った時、手持ち無沙汰になった”間(無言)”がずいぶんと長く感じられる。確かに会話が途切れているが、芝居という観る者がいることを意識すれば、例えば「茶を飲む」「縁側に指文字を書く」などの無言動作で心情表現する工夫があってもよいと思う。完全な二人芝居で逃げ場は ない。それだけに平凡な夫婦における、ありきたりな会話の中に危機感を滲ませるのは難しい。それゆえ、繊細な男女の心理を描くだけではなく、独自の演劇空間を作る必要があると思うのだが。
この公演は、現代と大正・昭和初期という書かれた時代の並列描写なのか。そのあたりが分かり難い。
先日、新聞に「夫婦生活を充実させるための習慣」という記事が掲載されており、それによると第1位は「相手を尊重する・思いやる」ということ。逆にあまり幸福と感じていない人のトップ3は、「お互いに干渉しない」「相手を束縛しない」「適度な距離感を保つ」で夫婦間の距離を感じさせるもの。時代を経ても夫婦の有り様は難しい。ちなみに新聞記事のアンケートは、50~60歳代が対象。この芝居は結婚1年という設定からすればなお更その思いを強くする。
舞台美術は現代風…アトリエという設定で描きながらの空想旅行も斬新だ。演技も悪くはないが、やはり夫婦という感じが醸し出せていないため、違和感が…。
次回公演を楽しみにしております。
十手ガール捕物帳
劇団 EASTONES
駅前劇場(東京都)
2016/03/30 (水) ~ 2016/04/04 (月)公演終了
満足度★★★
もう少し演出を大切に...勿体無い
場内では、時代劇らしく着物姿の女性が案内していた。髪も日本髪を結い雰囲気は和である。そして舞台はほぼ素舞台で、周りの壁(屏風のようでもある)は桜模様もしくは桜吹雪をイメージする絵柄、その淡いピンク色が春を思わせる。
だた、この案内をしていた女性の役どころや演出方法を始め、いくつか勿体無いところがあり、物語の面白さに影が...。
ネタバレBOX
梗概は、名うての岡っ引きだった父・平蔵が何者かに殺された。奉行所の計らいで娘のさくら(西山美海サン)は、父の十手を持って捜査に乗り出した。オヤジの子分をひきつれて、江戸の町を舞台に繰り広げる捕物帳である。下手人らしい人物が推理されるが、今一つ決め手がない。サスペンス推理の定めは意外な人物が下手人と相場が決まっている。
さて、この主人公の捕り物推理に直接絡まず、独自の探索を始める遊び人・ひとでの長助が雇う”闇の三人娘(楓・柊・いろはもみじ)”。この三人娘は闇で働くという設定であることから、その艶やかな着物姿は薄暗い場面で登場する。その“華”を摘んでいるような演出で勿体無いと思う。
また、さくらの後見人のような立場の丸山徳兵衛(石田武サン=殺陣・演出担当)の笑いネタが煩く感じる。もう少しストーリー本位の演出にしたほうが楽しめる。
それぞれの場面…「甘味処かねや」「観音組」の人情味や父・平蔵のライバルだった蝙蝠の銀次との対決シーンは観応えがあった。もちろん、ラストの下手人との決闘(殺陣)シーンも素晴らしい。この感情・緊迫と笑い洒落の弛緩した落差を意識した演出かもしれない。しかし、コンセプトが初のサスペンス物?と謳っていることから、その路線で観せてほしかった。
舞台技術の音楽は、TVの現代サスペンスを想起させるもの。また照明の桜屏風のような見せ方は実に印象的、余韻の残るもの。
次回公演を楽しみにしております。
つじたく2016
タクフェス
サンシャイン劇場(東京都)
2016/04/02 (土) ~ 2016/04/03 (日)公演終了
満足度★★★★★
見事!
カーテンコールで辻本茂雄氏の挨拶...「吉本喜劇の舞台に上がる時の稽古時間は4時間だけど、この”タクフェス”は100時間以上の稽古をしている。誰かが間違えたら大変なことになる」という、この公演の素晴らしさを端的に表している。さり気なく笑わせる芝居の裏には、相当な稽古を積んでいることを知る。役者の心の緊張が、観客の顔に笑いをもたらす。
前回公演は、Zeepブルーシアター六本木で観劇したが、その際、指定席のため観客は前列・後列に分かれており、中央列が疎らになっていた。そのため盛り上がり方が分散していたと思う。今回のサンシャイン劇場(指定席)は、自分が観た回はほぼ満席。その客層は小学生から年配の方まで幅広い。そしてどの年齢の方にも楽しめる内容(4話・オムニバス)になっている。
この公演は、地方巡業を通して多くの方に観てもらうことを予定している。東京のような大都市だけではなく、劇場が少ない又は限られるような地方都市で公演する。自分は、映画や音楽はもちろん、演劇も文化だと思っている。その文化は大都市圏だけではなく、各地で公演することが出来れば”演劇という文化”の裾野が広がって行くと思う。
さて、公演の幕間にはハレルヤシスターズ(2人合わせて体重約200㌔)の迫力と魅力ある歌が聴かれる。
ネタバレBOX
開演までの時間を、ゲストのハレルヤシスターズの歌と軽妙な喋りで盛り上げる。そのままの流れを維持し、つじたく(辻本茂雄、宅間孝行)の珠玉4作が上演される。
さて、各編は30分程度であるが、そのどれもが本当に面白く(シュールさも含め)、最高に笑わせてくれた。
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どの作品も観応えがあり、挨拶にあったように緻密に計算された笑い。そんなことは微塵も感じさせないが...。
次回公演を楽しみにしております。
Gliese
ピヨピヨレボリューション
シアターノルン(東京都)
2016/04/01 (金) ~ 2016/05/29 (日)公演終了
満足度★★★★
明るく元気な芝居
明るく元気というのが第一印象である。そしてコアファンが付きしっかり支えている感じである。その内容は、女の子の憧れが実に微笑ましく描かれており、ファンタジーSFとして味付けしている。
この劇団は未見で、この劇場に来るのも初めてである。数年ぶりに蒲田駅に降り立ったが、少し懐かしくもあり悲しくも...。
(上演時間:本編75分)
ネタバレBOX
この舞台セットは、左右非対称の階段状舞台で、上手に試着室のような出入り口、下手は円形の刳り貫きオブジェがある。この公演は、ほとんどが女優で本当に華がある。特に右手愛美さんは背も高く美形で目立つが、それに加えダンスパフォーマンスにも切れがある。役どころは脇役で三枚目的な設定であるが、注目させる”力”がある。
さて物語は、モデルに憧れる主人公・河合由衣(東理紗サン)。 念願のオーディションに合格したものの、 そこには理想とかけ離れた世界があった。序々にスタッフやファンに支えられ人気を博していく、というサクセスストーリー。一方、この雑誌のボスであり、トップモデルの母親、その母娘の関係も絡む。この主人公の憧れを後押しする妄想、その分身とも言える女の子たちAmi、Bibi(新木美優サン、あずさサン)に話し掛け(独り言のように聞こえている)、変人扱いされている。自分も年齢とともに独り言、溜め息が多くなり、逆に肌の張りや髪が少なくなり...この芝居でもある外見を気にするようになる。もっとも若い女の子の悩みと中年男性のそれとは雲泥の差であろうが。
母と娘の関係は、父と息子や、父と娘の関係以上に難しいのだろうか。母は娘を様々な仕方(今回はトップモデルの維持⇒意地?)で縛り、娘はそんな母の呪縛から逃れようとする。母娘の情景を女性の外見...美容(整形)技術というSF要素を取り入れて、ライトノベルのような観(魅)せ方にする。物語の所々でダンスパフォーマンスや歌が披瀝されるが、これが愛くるしい。こんなところが、ファンの心を掴むのであろう。
ただ、もう少し物語に深みがあると印象的で観応えが感じられると思う。
また、芝居のレベルを高めるためには、右手愛美さんとの演技力に差が観られないこと。バランスが欠けては、公演の魅力が失われてしまう。
私事で大変恐縮であるが、この劇場の近くの病院に父は入院し、そして亡くなった。この劇場への往路は少し感傷的になっていたが、帰路は少し元気がもらえたような気がした。
次回公演も楽しみにしております。
ぼくの好きな先生(再演)
enji
OFF・OFFシアター(東京都)
2016/04/01 (金) ~ 2016/04/10 (日)公演終了
満足度★★★★
嘘(エイプリルフール)では済まされない現実の問題【松田るかバージョン】
春の季節、わが子の成長を待ち望む親心はいつの時代も変わらないだろう。その節目が卒業や入学ではないだろうか。子の成長に伴い、見守りから監視という受け止めに変わり、反抗・疎遠という一時期を経て、子も自らも親になっていくことだろう。この公演は、6年ぶりの再演ということであるが、作・演出の谷藤太 氏には感慨深いものがあるようだ。
自分は、第18回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」の授賞式(2016年3月28日)に出席したが、その時の受賞作品「ソロモンの偽証(事件編・裁判編)」を思い出した。この賞は、2015年度に発表された、映画、TVなどのすべての映像作品の脚本の中から脚本家が選出するもの。今年は真辺克彦 氏が宮部みゆき原作を脚本化し映画上映されたもの。すでにネタバレかもしれないが、内容テーマは「いじめ」である。
その「いじめ」は学校の時だけではない。社会人になっても「パワハラ」「セクハラ」「モラハラ」など言葉が多肢になるほど深刻さを増す。しかし、この公演では、別の角度で見せるなど、転換した視点が面白かった。
ネタバレBOX
この劇団の特長であるが、舞台セットをしっかり作り込み、印象付ける仕掛けもある。今回はタイトルの言葉にもある「先生」から、壁面をほとんど本棚で囲い、中央に座卓とテーブル、上手にベット、下手にハンガーが置かれている。空スペースに映画などのポスター、「いまを生きる」「コルチャック先生」、そして銀河鉄道の夜をイメージするもの。
中学教師・河合優(千代延憲治サン)、その部屋に居る学生服を着た馬場翔太(松田るかサン)の2人が主人公のようだ。ストーリーテラー的には中学教師であるが、この学生服の少年の言動が「いじめ」という問題の本質を抉るシーンに心が痛む。
この中学教師が尊敬するジョン・キーティング先生(いまを生きる)、ヤヌシュ・コルチャック、アニー・サリバン、宮沢賢治と妹トシ、坊ちゃん(小説に名前はない)が、始めは世界教育者会議参加のため架空世界や時空間を越えて登場する。そこで中学生・馬場にいじめ談義をする。しかし、少年の心は氷解することなく、逆に各先生の問題を暴き出す。実は、この少年は既に亡く(この中学教師の同級生で中学の時自殺)なっており、この中学教師が親友であったにも関わらず助けられなかった、という自責の念が生み出している妄想(亡霊)である。
この既に亡くなったという設定(「ソロモンの偽証」も自殺した生徒の呪縛)は、見たことがあるものであるが、そこに直接関係のない”ぼくの好きな先生”たちが登場し、それぞれのスタイル(例えば机⇨テーブルの上)で諭そうとする。「いじめ側」と「いじめられた側」という両面だけではなく...解決策が見つけられない難しい課題を、今実在しない人物の言葉を借りて問題提起する。それは観客である自分に投げかけられたものとして受け止めた。あくまで、そして敢えてコミカルにテンポよく、(表層的に)見せることを意識した公演であった。
それでも、セットの仕掛けという見せかけの奇抜さもよいが、出来ればもっと各先生との突っ込んだ話し合いを聞きたかった。
ラスト、自殺した中学生が未来の自分にあてた郵便物。それを持って訪ねてきた父親の慟哭。生きている時の親子の距離は永遠の難問であるが、亡くなってからの距離は縮めることができないだけに悔しい、その思いがよく現れていた。
気になるのが、河合先生が同僚の田中光一先生(橋本裕介サン)に諭す。かつて自分がいじめたであろう、友人に謝罪の電話を掛けたり、手紙を出す、または直接謝って回わらせる。たしかにいじめた側はその行為を忘れているかもしれないが、いじめを受けた側は忘れはしない。しかし、いじめる側はいつもいじめる側なのだろうか。いじめられた、だから今度は自分が弱いものを探しいじめる。そのいじめという不幸の連鎖になっているのでは...。そう考えた時、謝罪を通して受けたいじめの思い出(傷)は、何故自分だけが、という歪な感情に捉われないだろうか。そういう感情は了見が狭いのだろうか。この公演では理想形のようであるがきれい事のようで、今ひとつ真に感情移入出来なかった。
役者陣の演技は素晴らしく、そのキャラクターがしっかり確立していた。なお、何かで松田るかサンは初舞台とあったが、コミカル、シリアスな演じわけが実に魅力的であった。
因みに、偶然であるが「いまを生きる」は、アカデミー脚本賞(1989年)を受賞している。
次回公演を楽しみにしております。
「 肉弾 」ご来場ありがとうございました。
演劇ユニットG.com
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2016/03/23 (水) ~ 2016/03/28 (月)公演終了
満足度★★★★★
映画同様、本公演も胸を打つ
映画「肉弾」(岡本喜八 監督)が製作公開されたのが1968年、当時は大手映画会社から相手にされずATG製作になっている。それから47年(戦後70年にあたる2015年)、同じように自主製作で戦争末期のレイテ島を描いた「野火」(塚本晋也 監督)が話題になった。時代を経ても、大手映画会社が見向きもしないテーマ、それでも映画作家の強固な拘り(スタイル)がある。そこには、どうしてもこれを作りたいという意志が伝わる。
本公演は作家・監督の意志よりも当時の映画市場の好みが優先し、自主製作(それだけ気骨あるもの)にするしかなかった映画が原作である。それを舞台化することに大変興味があった。今も昔(50年近く前)も、市場の好みにあわせて作られた作品がスクリーンを席巻するが、そこに映画状況の不毛が垣間見える。そのマイナーイメージのある映画の舞台化...岡本喜八監督の思い、体験が愚直なまでにシンプルに描かれ...舞台は映画と違った意味で素晴らしかった。
戦時下における人間讃歌がしっかり描かれる。映像における情景こそ迫力不足であるが、人間の深奥はうかがい知ることが出来る。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台は、太平洋戦争末期...ドラム缶に魚雷を括り付けて、敵艦に特攻することを命ぜられた あいつ(志村史人サン)の生きる様と彼に関わり合う人々(古本屋の老夫婦、遊郭の前掛けおばさん、砂丘で知り合った少年、軍曹と教師)、因幡の白ウサギ(佐藤晃子サン)との交流を通して観えてくる人間の姿。そこには面白く、哀しい人の世の無常がそこはかとなく浮かび上がる。
それを実写するような舞台セット…客席はL字型に配置され、最前列はベンチシート。ドラム缶に魚雷(先端部は赤、胴体部は白)をロープで括り付けてある。その右奥に小便器が2個並ぶ。また周囲は、焼け残ったトタンまたは土壁か。この空間が各シーンにおける状況をしっかりイメージさせる。
戦争という究極の不条理が観えてくる。しかし(戦争)状況は、あくまで軽妙かつ哀歓が感じられるもので、決して悲壮感・絶望感が見える訳ではない。だからこそ、その人間模様は個々人の主義主張を超え、力強い説得力を持っていたと思う。救いはあるのか...神道(教科書)やキリスト教(聖書)の描き方も斜に構えたもの。”あいつ”が感じたことは何であったのか、それを間接的に見せる人間賛歌は見事!心に「寂寞」を抱え、体には「積爆」を抱えるという混乱思考が悲しいまでの人間、いや日本人の当時の状況下を現している。
それを体現した役者の演技力はもちろん、舞台美術や照明・音響・音楽という技術も素晴らしかった。
このマイナーとも言える戦争映画を舞台化する。構想20年にしてやっと実現させる。その時期が昨今のきな臭い日本の情勢に敏感に反応する、そこに演劇人としての気概を見たようだ。
次回公演を楽しみにしております。
愛、あるいは哀、それは相。
TOKYOハンバーグ
「劇」小劇場(東京都)
2016/03/30 (水) ~ 2016/04/10 (日)公演終了
満足度★★★★★
素晴らしい!【ゲネプロ】
東日本大震災から5年を経て、被災地を舞台に震災をテーマにした映画や小説が増えてきた。直後であれば現実味があるが、近視眼的になる。今であれば切実・切迫感は薄れるが、もう少し客観・巨視的に見られるようになるだろう。
この公演は、再々演ということであるが、東日本大震災3.11を思い起こすには優れた内容である。少しずつ設定や演出を変えているが、その根幹は揺るがない。脚本・演出が優れていることは言うまでもないが、その描く内容に相まった舞台技術(照明や音響・音楽)が印象的であった。
何をどうしたらよいのか、その出口はもちろん糸口さえも見えないようだ。その解決すべきことが人それぞれの思いと状況によって異なる。感情表現の言葉にすれば、悲しみ、嘆き、落胆であろうか。この作品は、被災した家族の心情を推し量り、葛藤や限界を感じて創っているという、作り手の心優しさが見えるところが素晴らしい。
(上演時間1時間55分)
ネタバレBOX
東日本大震災で被災した人々の形態や状況は様々。そしてその人達の立場によって発せられる言葉は違う。この家族(初演は観ていないが再演時は姉妹という設定)は、親戚を頼り、伊勢市に身を寄せている。このように身を寄せる先がない人々もいることを説明する。
舞台セットは、HOTLINEという喫茶店内...上手にカウンター、中央にテーブル席(1つは花札ゲーム盤)。その店内は細かいところまで細工が施されている。福島県相馬市から親戚を頼って引っ越してきた母、娘2人の家族。この被災者を中心に描いているが、実はこの家族を取り巻く人々を描くことで、この家族の在り様が浮かび上がるという巧みな演出がよい。所在無い家族を気遣う人々...例えば、例年であればこの喫茶店で賑々しく年明けイベントを行っているが、震災があった年越しは自粛するかどうか。家族にとってはどうしたら良いのか、元気付になるか、無神経と受け止められるか、その判断が難しいという。この公演のいたるところで、思いやることの難しさが垣間見える。また娘の高校生活を通して、放射能汚染に対する危惧について説明する。経済的な面も含めて、被災者に対する補償で生活している人々との対比。しかし、それは是非という短絡的な見方ではない。被災した方々の思いや生活状況などは様々であろう。少なくとも、人の感情と暮らしという両輪をしっかり見据え、飽くまで客観的に捉える。そこから観客が自分で考えるという、問いかけがされている。観客の受け止め方も違うだろう。人は自分が見てきた、または経験してきたことでしか現実を判断できないだろう。だから同じ社会に生きていても切実感は異なる。しかし、他者に対する痛みの感覚を無くした人間が、淡々と傍観者になっていることはできない、と自分は思う。
日本は有数の地震発生国という。それゆえ天災と復興を繰り返す歴史の中で、災害慣れしているかも...。災厄に見舞われても”仕方がない”という諦めというか割り切りをする意識もあるのではないか。しかし、今回は地震という天災と放射能漏れという人災が重なっている。この後者の影響により復興が進まないばかりか、将来に対する不安を払拭できない。
震災年(2011.3.11)を軸に、当時は社会をよりよくしたいという雰囲気があったが、災害時だけのユートピア幻想にしてはならない。そういう意味では、再々演ということであるが、何回も繰り返し上演してほしい公演である。
脚本が優れているのは、この土地の伝統、それも遷宮という行事を通して家族への思い遣りを描くところ。日本の良き伝統・風習が、お仕着せの励ましではなく、この地で暮らしていく家族への繋がりが見えてくること。この木遣りの伝承を、役者陣がしっかり演じていた。登場人物のキャラクターがしっかり立ち上がり、実に自然体である。
そして舞台技術の音響は、冒頭の地響き・轟音を始め、素晴らしい音響効果。照明は、季節感(例えば雪景色、春桜舞い)がしっかり出ており、時の移り変わりが体現できるようだ。そして全体的に余韻と印象をしっかり残す見事なもの。
できれば、震災直後の描きとともに、5年経過しても復興の道は険しいと思う。その思いを描いた続編的な内容を描いてほしいような...。
次回公演を楽しみにしております。
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TEAM 6g
d-倉庫(東京都)
2016/03/24 (木) ~ 2016/03/30 (水)公演終了
満足度★★★★
観応えあり
タイトルから”仮定”に基づくミステリードラマ。その軽快なテンポと推理する面白さは秀逸である。この公演の当日パンフに主宰・脚本の阿南敦子 女史が「(前略)...この情報過多の時代に、自分の知らないこと、溢れる情報に流され真実を見失ってしまっていること、そんなことがたくさん存在していることを知りました。(後略)」、と記している。この文章を読んで、最近亡くなられたミステリー作家・夏樹静子さんのことが書かれた記事を思い出した。たしか、ご自身は就職したことがなく世間知らず、社会をよく知らない、という劣等感が人に聞くという取材力になっていた。その作風には市民社会では一人ひとりが「知ること」が大切であるという。そんなメッセージ性が伝わる。翻って、本公演は今までのTEAM6gの作風と趣きが違い、いや今までもメッセージ性はあったが、それ以上に強く感じる。その描いた内容は、権力機構...その象徴として警察機構を取り上げる。しかし、その捉え方が一方的に観えたのが気になるが…。
ネタバレBOX
連続幼女(誘拐)殺害事件を追う某新聞社。近日中に廃部署になるところにスポーツ部署から異動してきた女性記者・篠原泉(阿南敦子サン)の視点から見たミステリー、サスペンスドラマ。栃木県足利市を中心に10km圏内で起きた5件(1979~1996年)の事件を再調査する。その進展に伴い、当時の所轄警察署のずさんな捜査(信頼性が小のDNA鑑定、自白の強要など)が浮き彫りになる。
この舞台はd-倉庫という天井が高い劇場の特長を活かしたセットを作っている。左右非対称の階段状(床面の緑色は「草」か)になっているが、そのイメージは殺害現場である土手を示しているようだ。もちろん、新聞社オフィス、警察取調室、被害者宅などいろいろな場面に姿を変える。そして役者陣は登場人物のキャラクターをしっかり立ち上げ、安定した演技を観せてくれる。
被害者家族の悲しみは、それを体験した者でなければ理解できない。犯罪...その筆舌しがたい悲しみ、悔しさ等々を伝える。その描きが涙を誘う。
気になるのは、確かに「冤罪」はあったかもしれない。同時に、この公演で繰り返し出てくる台詞...「想像」すること。その先にあるのは、加害者や被害者家族にマスコミは取材攻勢をかけてきたのではないか。それは新しい材料(ニュース素材)がなければ、警察発表を信じるだろう。そして容赦なく取材したと思われる。公演では、再調査を進める竹内誠(吉成浩一サン)の動機が弱い。廃部署での起死回生のスクープ狙いでは単純すぎる、純粋に人権派気取りであれば面白みに欠ける。表層的には警察の問題的捜査、組織的問題(所轄縄張り意識)が描かれているが、同時に被害者の痛みを”知る”マスコミの姿勢が見られたのか...。
報道に限らず、ネットで拡散するデマ、詐欺など騙される恐れはいつもある。だから、何が本当で、何が嘘なのか自問する必要があろう。
「騙されてたまるか 調査報道の裏側」(清水潔 著)
最後に脚本・演出・演技はもちろん、舞台技術の音楽・音響や照明(茂みの陰影、街夜景・星空など)は見事であり、印象・余韻付けが巧い。
次回公演を楽しみにしております。
タルタロスの契り
劇団俳小
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2016/03/23 (水) ~ 2016/03/27 (日)公演終了
満足度★★★★
丁寧な作りと確かな演技
北海道新幹線が3月26日に新函館北斗駅まで開通した。この公演では「碧血の碑」の前で、アイヌ人(フクロウ)と内地人(ラバ)がタルタロス(奈落)...勝負からおりないことを誓う。それが70年ほど前の話であるが、今後は陸(鉄道)と空(飛行機)の競争となる。また新聞記事に、この地に漫画「北斗の拳」の主人公・ケンシロウの銅像が建ったとあったが、戦いはマンガの中で...。時代、隔世の感といったところ。
ネタバレBOX
公演は、戦後間もない頃(1947年)から大阪万博前年(1969年)までの北海道函館の雀荘兼売春宿(死語?)の「五稜邸」が舞台になっている。アイヌと内地人の争い、しかし第二次世界大戦の前では、いつの間にか同胞的に戦地に行かされ、死地をさまようことになる。その後、終戦になり生きる気力を失う男たち。一方、色々な事情があるにしても逞しく生きている女たち、その対比も垣間見える。
この函館という寒地を背景に、奈落という深淵に魅せられた(勝負)男たちの戦い(賭け)が熱く語られる。しかし、自分は、「碧血の碑」やイコン画の「山下りん」の名前などが出てくるが、この物語における関係性(土方歳三の血筋の話はあった)が判然としなかった。主題はそちらにあるのか、物語の背景を表現しただけのものか。
舞台セットは、中央に雀卓、上手に”だるま”ストーブ、下手にミニカウンターが置かれている。そのつくりは重厚感があり、物語の見せ所である勝負シーンの緊迫感と相まっていた。時代という大きなうねりの中で虚無的になっている男たち、しかし目先の卓は、遣る瀬ない心を奮い立たせる場でもある。生きがいとは何か、そこに命を懸ける値打ちがあれば、親兄弟まで犠牲にして金策に走る。
一方、女衒の元締め、その悲しいまでの生い立ちが、同性をも食いものにする銭ゲバに成長し逞しさを見せる(「だるま」は俗語で売春婦を意味していたような)。
戦後の混乱期における自我・自立の「虚無」と勝負・賭事への「情熱」というアンバランスな精神構造が当時の人間性を象徴するのか。全体的に丁寧な描きで演技も上手いが、その”勝負事(奈落)”という表層は見えるが、自分にはその現実感と切迫感が分からない。それゆえ感情移入という点においては、今一つという印象であった。
次回公演を楽しみにしております。
第14回公演 『闇細工ふく子ちゃん』 第15回公演 『おまぬけくんと、おかしこちゃん』
劇団天然ポリエステル
シアター711(東京都)
2016/03/24 (木) ~ 2016/03/27 (日)公演終了
満足度★★★★
日常が漫才ネタに…【おまぬけくんと、おかしこちゃん】
芝居は、素舞台の中で完全に役者の演技力だけで観(魅)せる”力”が求められる。そして2作品同時上演企画第3弾ということで、劇団員は両作品に出演している。
その内容は、日常の「夫婦」「親子」に見られる”笑いネタ”を芝居として仕込み、それを更に漫才のようにして見せる。それゆえ前説から本編まで、全てを通して漫才のようであり、その意味でセットなどは不要なのかもしれない。そしてテンポが実に気持ちよく飽きさせない。
ネタバレBOX
夫婦(永沢家)の関係を見ると、夫・善夫(おかざき雄一サン)は失業中のぐうたらタイプ、一方、妻・勝美(やんえみサン)は物事をはっきり言うタイプ、そのチグハグ感がボケ・ツッコミをイメージする。この夫婦を見ていると、映画「釣りバカ日誌」を思い出す。主人公のハマちゃんこと浜崎伝助がプロポーズ...「僕はみち子さんを幸せにする自信はないけど、僕が幸せになる自信はあります」と。その自己中心的でありながら憎めないキャラクターとしっかり者の奥さんの姿が重なる。そして夫は、一攫千金を目指して夫婦で漫才大会に挑戦したいと言い出す。
子供は男・新(浅山敬介サン)と女・理帆子(小島菜奈子サン)の2人...小学生の頃はまだ両親を慕い、作文にもその様子が出ている。しかし高校生ともなれば、ずいぶんと距離ができ疎ましくさえ思い、その関係性は希薄になっている。
また女の子は、映画「きみはいい子」のようであった。自己を曝け出すことが出来ず、”いい子”という殻に閉じ篭って生きている。その不自由さをしっかり描く。その印象付けは見事。
さて、いつまでも居ると思っていた夫であり父親は、病に侵され亡くなる。その時になって、その存在のありがたさ、温もりを改めて知ることになる。
夫婦漫才は夢で叶うことになる...その相方がいない妻が健気に”笑い”を取ろうとする姿は、逆に涙を誘う。それまでには、子供たちやその友達を巻き込みドタバタするが、全ては「漫才」という演目に込められた思いのようであった。
小劇場にして素舞台、そのシンプルな空間はごまかしがきかない。しっかり物語が流れるためには役者の存在が輝くことであろう。役柄のデフォルメした感情が覆いかぶさるように迫ってくる魅力。ただし、その経験値(初舞台者もいた)によって差が観て取れたのは残念であった。
次回公演を楽しみにしております。
丹青の「金明竹は風呂敷の紙入れ」
深川とっくり座
江東区深川江戸資料館小劇場(東京都)
2016/03/25 (金) ~ 2016/03/27 (日)公演終了
満足度★★★★
典型的な大衆娯楽演劇...楽しめたが
初めての劇場、未見の劇団である。初めてのことばかりで、予備知識なしであったが、昭和の大衆(時代)演劇といった雰囲気であった。あくまでイメージであるが、大宮デン助、藤山寛美が率いていたような劇風である。会場は、公共施設に併設されたホールで段差がなく緩い傾斜の客席である。ゆったりシートは心地よい。
舞台セットや衣装、小道具も時代劇のイメージを出す工夫をしており、好感が持てる。典型的な娯楽演劇という感じであり、観客を楽しませようという思いが伝わる。
この公演は、タイトルからも明らかなとおり、三つの落語噺をもとに構成されているが、それがあまりに...。
ネタバレBOX
「金明竹」「風呂敷」「紙入れ」の落語噺であるが、自分は落語が好きなこともあり、其々が融合することもなく繋ぎ合わせただけのように感じられた。あくまでその三噺はモチーフに溶け込まし、この劇団の新たな”江戸庶民の人情話”に生成していればと残念でならない。落語噺の面白さを損なわず解体し、芝居という中に活かすという試み、その融合させる手腕を観たかった。
ちなみに、三落語噺は...
「金明竹」…骨董屋(古美術店)を舞台とした滑稽噺。店の小僧と客のおかしなやり取りを描いた前半部および、小僧と店主の妻が上方者の難解な言葉に振り回される後半部の二部構成となっており、多くは後半部のみ演じられるという。この芝居では、両方入っている。
「風呂敷」…夫の帰りを待つ長屋に、幼なじみが遊びに来る。ふたりで語り合っていると、夫の声がする。夫は覚えが悪く、嫉妬深く、粗暴であったため、「不倫と勘違いされて殺されかねない」と恐れるあまり、幼なじみを押し入れに隠す。しかし夫は押し入れをふさぐような形で横になり、寝込んでしまう。そこに鳶頭(かしら)がやって来る。ことの次第を聞いた頭は、隣の家から1枚の風呂敷を借り、夫を揺さぶり起こす。
「紙入れ」…貸本屋の新吉は出入先のおかみさんに誘惑され、旦那の留守中にせまられていた。そんな時にいきなり旦那が帰宅、慌てた新吉はおかみさんの計らいで辛うじて脱出に成功する。しかし、旦那からもらった紙入れを、現場に忘れてきた事に気づく。しかも、紙入れの中にはおかみさん直筆の『恋歌』が書かれた手紙が入っている。
現代社会…政治に目を向ければ”きな臭い法”が、経済では大企業が不祥事の数々、終身雇用が終わりを告げ、何歳になっても絶対的な立場などない不確実な時代になっている。そんな閉塞感漂う時代だからこそ「笑い」のある娯楽(芝居)は大切であろう。
次回公演を楽しみにしております。
さよならに橙色が霞む(ご来場ありがとうございました!
劇団えのぐ
遊空間がざびぃ(東京都)
2016/03/24 (木) ~ 2016/03/27 (日)公演終了
満足度★★★★
珠玉&珠玉の連作のような
観劇した日は、すでに春分の日を過ぎていたが寒かった。本作は劇団の番外公演として、2人の作・演出家(松下勇サン、佐伯さやかサン)が同じタイトル・同じ場所でそれぞれの物語を書いている。同じように見えて違って見える橙色が、今回の「えのぐ」色である。その内容は気温は寒いが心は温かくなるような話である。春分の日(2016年は3月20日)の前後3日間を合わせた7日間を「彼岸(ひがん)」というが、この時に“ご先祖様”の墓参りをする人が多いと思う。そして彼岸に欠かせないのが、牡丹餅(ぼたもち)である。この包まれた餡(あん)、その素になる小豆は邪気を払うと考えられているそうで…。このチラシにある舞台セット、駅を比喩として人と人の出会いと別れがしっとり描かれる珠玉な両作品である。なお、別々の物語ではあるが、そこはしっかり連作風にまとめる。
(各45分、途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台は本日廃線になる某ローカル線の駅(道曳-みちびき)ホーム。そこにベンチが置かれている。駅の雰囲気を出すため防護柵や白線。
まず松下作品…主人公の男(25歳)が、友人(医師インターン)に余命が後わずかと告げられ、4人の幼なじみとの思い出を回想する。疎遠になったがゆえに、気になり身近に感じる人、2度と聞けなくなるから、胸の中で反芻する言葉がある。不器用であるから、あえて深く交わらない。しかし出会いがあって別れるまで、そこに流れた時間は永遠の一瞬として照らし出される。もう夜明け...そこに見える朝焼けは橙色である。
次に佐伯作品…こちらも余命がわずかという婦人を、死神専門学校の生徒があの世へ導くまでを描く。この生徒(学籍番号の末尾が…9)がなかなか卒業できない。要は寿命がきている人を導けず落第している。導くためには、その人の想いを叶えること。さて、この婦人は亡くなった夫を待ち焦がれている。既に亡くなっていることは承知している。はたして、この婦■◇人の望みを叶え無事卒業できるか。鐘が鳴る夕方、そこに夕焼けの橙色がまぶしい。結果はルール違反があり、以降33回も落第している。
さて、「9」は、「終わらせない」「できないことだらけの現実を受け止め、失敗したり苦しんだりしつつ、安易な幕引きに頼らない生活を送る」こともあるという。中国では、永遠を意味する「久」と同じ発音の「九」が好まれるらしい。そして落第を続けること33回を数える。それは三回忌、七回忌などの回忌上げの回数と言われ、個人から”先祖“になることを意味するという。まさしく、公演にある生生世世のようである。
観たことがあるシチュエーションであり、重厚感があるわけでもない。しかし、逆に優しく見守られているような安心感がある。それは、強調した色ではなく、淡く霞むような…そう橙色という印象である。
最後に冒頭シーン、少し強引に思うが、この駅で自殺を図ろとした少女がこの話の繋ぎとなる。それは是非劇場で…。
次回公演を楽しみにしております。
死に顔ピース
ワンツーワークス
赤坂RED/THEATER(東京都)
2016/03/18 (金) ~ 2016/03/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
生きたいを強く意識させる秀作
人は誰でもいつかは死ぬ、その年齢に違いがあるだけということも解っている。それでも生きたいと思う(この劇団でも描いた「自死」という問題もあるが)。人は生まれた時から死に向かって生きることになる。そうであれば何故生まれてくるのか...まさに”生まれ出悩み”である。
本公演は、末期癌患者の在宅医療に関して描いたものであるが、実話をベースにしているだけにリアリティがある。その脚本は取材を重ね、演出は物語をしっかり印象付ける。そして役者は、一人何役もこなし、また人生観に対する変化に伴うキャラクター作りなど、其々の役者の人物造形も見事であった。
ネタバレBOX
自分の身近にも胃癌になった友人がいる(再発経過観察の5年は過ぎた)。”末期患者の在宅医療”におけるあり方を、本人・家族・在宅医療チームの視点から周密に観る(「診る」のほうが相応しいかも)。
この舞台セットは客席寄りに白い椅子が横一列に並ぶ。その上に役者の顔写真パネル(遺影のようである)が置かれている。舞台三方は上部が縦格子(スリット)になった仕切り壁(途中で可動し舞台スペースが変化)で、これは全面黒である。この白と黒の配置は鯨幕という感じである。冒頭は一人ずつ職に対する希望を述べるが、写真...人はみんな死ぬことをイメージさせる。生まれたときから死に向って歩くという、究極の不条理。
梗概は、大学病院で最先端医療に携わっていた医師が、同僚・後進の医療ミスの責任をとり、地方開業医になる。一方、看護師として働いていた40代女性(離婚し独身)が末期癌に侵され余命数ヶ月と宣告される。医療を続ける場所は、病院か自宅か。新聞記事を読むと、多くの患者は自宅を選択するとあったが、それは家族を始め周りの人への負担が掛かることも意味する。先の開業医と自宅で医療を受ける患者とその家族の心温まる話に滂沱する。患者には、まだ両親が健在で娘も2人いる。働き手の中心であったことから、経済的負担も相当だろう。そして、看病する家族の精神的・肉体的負担がしっかり描かれ、終末医療の問題・課題が浮き彫りになる。医療チームは、患者に対して は”笑い”で「生」へ繋げる励まし。そして家族へは”たまには泣いていますか”という労いの言葉。あまりに心に沁み込む台詞の数々。
さて、自分の周りで大病した人は、宗教(入信)へ...やはり救いは神や仏にすがるのだろうか。公演では直接描かれなかったが、最期に人は、どこか拠りどころを求めるのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
麻雀ブラボー!!
劇団さかあがり
シアターシャイン(東京都)
2016/03/20 (日) ~ 2016/03/21 (月)公演終了
満足度★★
もう少し前提の説明がほしい
舞台セットは、チラシの説明のとおり麻雀勝負が見て取れるようなもの。しかし物語の面白さは今一つという感じであった。その要因は、物語の設定・説明不足が大きいと思う。なぜ、文芸部とコンピューターサイエンス部が麻雀勝負をするのか。それも文化祭の伝統行事になっているらしい。そして、何故肌を見せるような演出が必要なのか、その必然性が分からない。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
当日パンフから、作・演出の木村晃純 氏によれば、将棋や囲碁はプロと素人の実力の差は歴然とする。その勝負事は盤面から平等(基本、将棋は同駒の配置、囲碁は無石の盤面から開始)であり、棋力に勝るほうが強い。その点、麻雀は配牌の段階で競技者(基本4人)に不平等(積み込みしないという前提)なところから始まる。これを人生(貧富等、生まれながらの不平等)に準えている。
セットは中央に雀卓、上手にホワイトボード、下手には本棚(賞状など)が置かれている。床は雀卓面(緑色)、天井には「牌」の形をした複数のオブジェが吊るされている。
文芸部とコンピューターサイエンス部という取り合わせが面白い。勝つため文芸部は以心伝心という精神論で臨む、一方コンピューターサイエンス部はパソコンソフトによる解析という技術論で対抗する、まさにアナログとデジタルの対戦である。さらに、この二つの部に対する拘りとして、「牌」...これには「東」「西」「中」などの「字牌」と「一萬」「二萬」などの「数牌」があるが、これも文芸とコンピューターという言葉を意識した設定であろう。勝負の結果...最後は両部員が手をとりフォークダンスを踊る。まとめるとすれば「心」と「技」の両方が大切ということだろうか。
両部を結びつけるきっかけが、其々の男と女の恋愛である。これまたファジーな世界が、リアルな真剣勝負の世界に入り込む。しかし、物語の展開が緩く、また不明なシーン(例えば男性の褌姿、女性の上半身が水着)があり、何を意味しているのか。そして仙人は単なるニートのようであるが、その登場(存在)における役割は何か。プロットは面白いと思うが、本筋での必然性と結果、それを体現する魅力がほしい。
次回公演を楽しみにしております。
俺が妹(30)を好きになるはずがない
ソテツトンネル
新宿眼科画廊(東京都)
2016/03/19 (土) ~ 2016/03/21 (月)公演終了
満足度★★★
不思議な空間演出...嫌いではない
全面が白い空間(場内)、そこにいくつかのBOXが積み置かれている。始まると同時に役者が片付けるように上手、下手に運び並べる。何の意味があるのか分からなかったが、時間軸の整理のようであった。この物語は、タイトルを素直に受け入れるような兄・妹の恋愛感情を描いたものではないようだ。
また、この物語に出てくる動物の扱いは、住民・街にとっては切実なところもあるらしい。それを、さらりと表現するところはうまい。
しかし、この話の時間軸はどちらの視座から観ているのか、その曖昧さが自分の意識を混乱させ、今ひとつ物語に入り込めなかった。
ネタバレBOX
一時、ネコとハンバーガーショップの名を掛け合わせた”ネ〇〇ナルド”なるネーミングが都市伝説のように流布したことがあった。
この物語における田尻妹の起業動機は、ハクビシン(ジャコウネコ科)の保護。それから時を経て、今度は持て余したのか、中国へ(輸)出しているらしい。たまに地方新聞などでハクビシンによる害(農作物、悪臭など)が報じられるが、「鳥獣保護法」により駆除対象となっていない。実害を理由とした、鳥獣保護法に基づく都道府県などの許可(「有害鳥獣」認定)が必要で、「住宅街をうろついている」など民間人の予防的捕獲は許されていない。この起業の背景にはこんな事情も垣間見える。妹の現況は、先のハクビシンに対する取り扱いが法に抵触しているため、関係者(同僚)から逃避しているようだ。
さて、兄妹の恋愛的な関係を示唆するようなタイトルである が、実のところ、兄は妹の存在を(積極的に?)隠し、恋人と付き合っていた。この兄は妹の起業資金を援助しているが、恋人にしてみれば存在を知らされず、金銭的援助までしていることから、近親相姦の疑惑・妄想をいだく。
この歪な関係性が緩く、少し怖く描かれる。なお、兄の恋人の存在は過去(2016年)の回想で、現状(2021年)は逃避行生活を続けているのであろうか。この時間軸(5年間)の視座が判然としなく混乱した。
演技は、田尻妹(吉田啓子サン)の気怠い(アンニュイ)ような動き、田尻兄(杉元秀透サン)のニヤケタ優柔不断な態度が不思議と印象に残った。
なお、中国ではハクビシンを料理(煮込み)しているらしいが、この話の中でも田尻妹は同僚へ煮込み中のカレーをすすめ...。
次回公演を楽しみにしております。