りいちろの観てきた!クチコミ一覧

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怪物-カイブツ-

怪物-カイブツ-

ブラジル

駅前劇場(東京都)

2011/02/13 (日) ~ 2011/02/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

デフォルメはされているけれど、
そして、そのデフォルメぶりが
とんでもなく面白いのですが、
それを腰を据えて面白いと感じられるのは
きっと、母なり恋人なり、
男なり女なりに織り込まれた普遍性が
作品をしっかりと支えているからだろうと
おもったり。

単に笑い転げるのとは少し違って
心に残る味わいのある
文句なしの面白さでありました。

ネタバレBOX

いろんな意味で設定の突飛さと
リアリティのバランスが絶妙にとれた作品だと思います。

たとえば、ジャンボな子供を産み落とす女性の男性との関係にしても
元夫、職場、一夜の出会いとオールラウンドなのですが、
役者のお芝居から
それを観る側に納得させてしまう
キャラクターの実在感ががしっかりと作り上げられていて。
どこかクレバーな部分や強さ、
そして揺らぐ気持ちや脆さが
ひとつの個性のなかに違和感なく作りこまれている。
観る側が、そのあるがままに、
ゆだねることができる秀逸さがあるのです。

それは、彼女をとりまくキャラクターたちの現わし方にしても同じこと。
元夫のスタンスの取り方にしても、
元勤め先の上司にしても、
スタンスの取り方に絶妙なふくらみがあって
その関わり方の可笑しさをたっぷりと醸しながらも
物語が奇異なものに乖離していくことがなく
観る側の感覚にどこか馴染む。

その空気があるから、
医師の終盤の行動にしてもしっかりと物語に刺さっていくし、
よしんば女性の超常現象が絡んでも、
その踏み込みがしっかりと物語に絡んで浮くことがなく
ある種の感覚を伝えてくれるのです。

そんななかでも、
特にフリーターと路上ミュージシャンの二人の存在が
様々な舞台上のデフォルメを
さらにしっかりと観る側の感覚に縫いつけていきます。
その関係は終盤に逆転して、
デフォルメされた世界から、
ありがちな「出来ちゃった結婚」プロポーズの
互いに踏み出す心情を
素敵なインパクトとともに浮かび上がらせていく。

ジャンボベビーの献身的な演技の秀逸さにも瞠目。
仕草の一つずつがやたらに可笑しく、
それが親戚のハイハイを始めた子供の姿に重なると
可笑しさがさらに増して・・・。

実は、とても実直につくられた物語だと思う。
役者たちが紡ぐシーンのひとつずつが
観る側が内心に持つ感覚に紐づいていて
だから、様々な誇張やとほほな感覚すらも
心を引っ張ってくれるのです。

苦笑系喜劇とはよく言ったもの。
その苦笑を引き出しうる作り手の描写力に取り込まれ、
役者たちの秀逸なお芝居に
自らの感覚をゆだねて。
暖かさとどこか凛と醒めた感覚のそれぞれに
たっぷりと浸されたことでした
華麗なる招待

華麗なる招待

toi

STスポット(神奈川県)

2010/07/23 (金) ~ 2010/08/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

乾杯を重ねただけなのに・・・
場内の美術(?)や、時間の重ね方、
普遍を感じさせる生と死の法則性・・・。

それが家の歴史にまで昇華していく感覚、
時代に翻弄されていく姿、
そして家の終焉に
深く柔らかなペーソスを感じて。

もう片方のバージョンも観たかったのですが
すでにソールドアウト。
当日券はなし。理由は良く分かるのでなおさら悔しい。

この作品、再演を熱望いたします。

ネタバレBOX

会場にはいってびっくり。
そこには大きな邸宅の食堂が現出していて。
大きなテーブルに席が指定されていて、
当日パンフレットの出し方もお洒落。

全員が席につくと、
その家に嫁いだばかりの女性が現れ
出演者と観客がテーブルを囲む体で
クリスマスディナーが始まります。

グラスを重ねる音が響き
ディナーの雰囲気に浸っているうちに、
観る側がふっと揺らぐような感覚がやってきて
時間の流れの車止めが外されたことに気がつく。
そこから、流れるように
ディナーの乾杯が繰り返され、
そのたびに人は齢を重ねていきます。

入口から表れ出口に消えていく人の一生。
訪れる生と死。
誕生は高揚とともに祝福され、
死は静かな出口への歩みとしてやってくる。
生まれすぐ、看護婦に抱かれたまま
通り過ぎるように召される子供の姿に
心が痛む。

成長、結婚、老い・・・。
世代がかわり、子供はやがて主人の席に移り、
あるいは自らの道を歩み始めて・・・。
グラスの音とともに訪れる変化に
観る側までがなすすべもなく流されていきます。
繁栄の時代、不況、戦争・・・。
さらにはアメリカの歴史が織り込まれ、
ジェネレーションギャップと確執が生まれ
気がつけば冒頭の乾杯は遠い過去におかれて・・・。

人であふれていたその家は、
再び訪れるクリスマスの喜びと、
きっとその間を埋める
日々の暮らしに満ちながら
やがて古ぼけて、朽ちていく。

ラストのシーンで、
一人残される遠い血筋の老婆の姿に
人や家が過ごした時間の尺と
その質感の軽重が鮮やかに浮かび上がり
戯曲の企てとそれを表す作り手の秀逸に
息を呑みました。

この作品、2バージョンでの上演にたいして、
片方しか予約しておらず、
当日券もなしで
他バージョンは観ることができず。
久しぶりにとても悔しい思いをしました。

たとえば、クリスマスのころに、
是非に再演をしていただければと・・・・。
毎年、継続して上演いただくのもよいかもしれません。
年をまたいで上演し続ける価値が
十分にある作品だとおもうのです。



ゆめみたい(2LP)

ゆめみたい(2LP)

中野成樹+フランケンズ

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2011/12/23 (金) ~ 2011/12/27 (火)公演終了

満足度★★★★★

一つの物語、見え方の多様性
席の選び方については
説明があったのですが、
それは、観る側の迷いをしっかりと広げる以外の何物でもなく・・・、
会場に入った時には
どこに座ろうかとかなり悩みました。

でも、観終わって、ちょっと場内の他の席にも
足を運んでみて、
物語から浮かんでくるものを
いろんな質感で見せるそのやり方に納得。

3回観に行けないのがとても残念に思えました。

ネタバレBOX

場内に入ると
舞台中央に大きな壁があって
客席にまで張りだしている。
近くにいってみると一応
壁には通り道があって上手と下手、
それぞれから制限付きで舞台を見通せるようにはなっていて。

何度かリピートできるのであれば、
前方の席に座ったかもしれませんが
1度しかみることができないので、安全に両方が見渡せる
中央後方の席をゲット。

壁を挟んで上手の白っぽく明るいサイドと
下手の紫っぽく暗い感じのするサイド、
双方を眺めながら開演を待ちます。
舞台が始まると
どこか淡々としたハムレットが始まる。

役者達にはすっと早い役柄のたち上げがあって。
描き出すものがとても鮮明で
ロールの雰囲気がすっと観る側に置かれる。
しかも、そこから舞台に根を生やすことがなく
重厚さとか塗りこめるようなお芝居はほとんどなく。
物語の骨格がどこか線描されていくような感じ。

そこにはまさにLP2枚分に収められた、
シェークスピア不朽の名作っぽいエッセンスがあって。
名場面も強調されることなく
曲を流し聴くがことく
ダイジェスト的なハムレットを
見続けてしまいます。
舞台から目をそらさせないのは
役者の力量というのもあって、
とりあえず、観る側が、舞台上の法則を理解するまで
語られる物語で観る側を引っ張って行ってくれる。
そして上手と下手のそれぞれのニュアンス、
舞台のルール、
さらには舞台全体を閲覧するような外の視座と
物語の法則のようなものがわかってくると
舞台のニュアンスが魔法のようjに浮かび
面白くなってくるのです。

中央の壁を0軸として
立ち位置の座標てきなことや動きのベクトルが
演技や台詞にニュアンスのタグをつけて
そこに込められたものをくっきりと浮かび上がらせる。
通常の舞台であれば、
耳を研ぎ澄まして
キャラクターの想いを受け取っていくであろう重厚に演じられる場面が
重さも身も蓋もなく観る側に示される。
でも、そこには、物語の構造が
ちゃんと観る側に残る。

たとえば、
ハムレットにしても、
その壁を行き来するだけで
ニュアンスになるし
ラスト近くにフォーティンブラスが上手から現れ
下手にはけていくだけで
したたかにニュアンスが浮かび上がってくる。

物語を見つめる視点が舞台の奥に置かれているのもよい。
(私が座った場所からは音だけだったけれど)

これ、面白い・・・。

*** ***

終演後、劇場を出る前に、
舞台そばの客席に座って舞台を観たのですが、
見えてくる光景が中央と大きく違うことに驚く。
同じ舞台で同じように演じられているお芝居が
明らかに全く異なるニュアンスで伝わってくることが
容易に想像できて・・・。
遅いといえば遅いのですが
ここに至って初めて
客席についての説明の意味を理解することができました。

日頃、普通の舞台を観ていても
座る位置で違うものが見えることというのはあるのですが、
この空間にはにはその違いをさらにあからさまに分光する
プリズムが据え付けてあるような・・・。

「ゆめみたい」という作り手の作意を
受け取ることができたかどうかは定かではありません。
でも、恣意的に薄っぺらい舞台の描き方だから浮かび上がってくる
作品の飾られない本質的な部分は
とてもカジュアルに、しかも多層的に
舞台から観る側に流し込まれてきて、
がっつりと心に残ったことでした。




コンフィダント・絆

コンフィダント・絆

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2007/04/07 (土) ~ 2007/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

三谷幸喜の新境地
あまりのチケットの取れなさに半分あきらめていたのですが、毎日10時からPiaに電話をして6日目にキャンセル待ちナンバーを取得できて・・・。で開演15分前に並んでどきどきしながら待って・・・。
チケットを買えたときには本当にうれしかったです。

芝居は白旗を揚げるしかないほどすばらしかったです。役者の安定感は群を抜いているし、それぞれが絶妙な強弱で舞台に陰影をつけていく。前半が終わるころにはアトリエの雰囲気に取込まれていました。

ここからネタばれします

ネタバレBOX

三谷幸喜さん、今回は物語をウェルメイドに導くための伏線や仕掛けをあまりせず、人物を描くことに徹したようにお見受けしました。人物を表現することによって、登場人物の関係性が浮かび上がり、それらの関係性のゆりかごになったアトリエの瑞々しい時間が舞台を包み込むという仕掛けです。

堀内敬子さんがその時代を語るという設定もよかった。語られた時間の瑞々しさは、もう戻らない日々の切なさへとうつろう。
たくさん笑ったのに、シリアス重苦しいタッチのドラマではないのに・・・。自然に涙があふれてしまいました。
男優達の秀逸な演技にくわえて、シーンを蝶々結びにするように歌でつないでいく堀内敬子さんの歌唱力や演技力の勝利かと・・・。

三谷幸喜さんの作品ってけっこうみているのですが、その中でも1~2番を争う傑作だと思います。
今後も三谷さんはたくさんの名作を作り出してくださるのでしょうが、
その中でもエポックメイキングな作品として語り続けら得るほどのクオリディをこの芝居はもっているような気がします



今日もいい天気

今日もいい天気

渡辺源四郎商店

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/11/05 (木) ~ 2009/11/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

密度が高まるほどに和らぐ空気
エピソードの一つずつから感じられる
家族それぞれの視点。
物語の仕掛けにも気持ちよくやられて。

丁寧に描かれるが故の軽さと
淡々とした色に
ゆっくりと深く心を染められました。

ネタバレBOX

物語の筋立てがとてもしたたかだと思うのです。

ごく前半のシーンで、
まるで舞台装置を見せるように家族を紹介し
さらには、飼い猫のたまの姿を暗示。
そのスキームで物語を見せることで
日々の生活描写だけでは見えない家族の心情が
手に取るように観る側に伝わってきて。

少しずつ崩れるように残った男たちの心情が
お試し家政婦との会話の中からやわらかくあぶりだされてくる。
お試し家政婦というか、たまに残された時間がなくなり、
舞台の密度がじわりと高まっていくなかで、
かえって家族の過ごしてきた「いつも」の和らぎのようなものが
増してくる不思議・・・。
見よう見まねの碁のエピソードから伝わってくる
にゃんとも秀逸な視線の作り方に、
観る側の心がやさしく満たされて。

お坊さんを登場させてからの、
物語の膨らまし方なども本当にうまいと思う。

別れを悟った上でのわがままとその答え方から、
一緒に暮らしたものへの惜別の気持が、
きちんと描きこまれたが故の軽さで伝わってきて、
なにかが降りてくるような感じで、目頭が熱くなってしまいました。

カレーの匂いに、
ふっと夢から醒めたような
いつもの日曜日の夜がやってくる。
同じ色の時間のなかで
少しずつ変わっていくものへのいとしさや切なさが
深く伝わってきたことでした。
THE BEE

THE BEE

NODA・MAP

シアタートラム(東京都)

2007/06/22 (金) ~ 2007/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

ハイビジョンで観るような
筒井康隆氏の原作を踏襲してはいるのですが、それを踏み越えた世界が舞台に展開してしてました。

ある意味シンプルな構成なのにそこからたちあがって来る狂気はまるでハイビジョンを観るように細密で…。

その衝撃はしばらくあとを引くような…。

ロンドンバージョンも楽しみになりました。

ネタバレBOX

後半、舞台は原作を凌駕します。暴力と狂気の中に日常生活のルーティンが生まれて、その時間が粛々と劇場全体を包み込みます。

食事を準備する音、手を洗い、ひげをそり、人質の指を切り落とす・・・。そしてまぐわう。

狂気の果て、蜂の羽音に埋没していく姿に、観客はただ愕然と舞台を観つめることになります。
舞台が原作を跨いで別の世界に踏み込んだ瞬間です。

その粟立つような感覚…。多分、将来語り草になるような舞台でありました。

「ひつじ」 Les moutons

「ひつじ」 Les moutons

TACT/FEST

東京芸術劇場ロワー広場(東京都)

2010/08/11 (水) ~ 2010/08/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

めへぃ~とけた外れの身体表現
とても秀逸な身体表現であり、
ウィットと遊び心に満ちた30分でした。

ネタバレBOX

最初、偶然にその場を通り過ぎて
後半部分だけを観ることができて・・・。

愕然として、
気が付けば、
翌日に再見しに出かけておりました。

大上段に構えることなく
あの、凄いものを目の当たりにした高揚が
とてもナチュラルにやってくる。

演じ手たちの身体の使い方のしなやかさや
30分を演じきる精神的な強さに瞠目したのですが、
それはパフォーマンスが終わった後のこと。
理屈抜きに、その場にいろことが
こんなにも楽しい・・・。

観ることができて本当によかったです。
The Diver

The Diver

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2008/09/26 (金) ~ 2008/10/13 (月)公演終了

満足度★★★★★

物語が重なるときに浮かんでくるもの
野田秀樹の創意が
能の表現を借りて、般若の心を見事に浮かび上がらせていきました。

息をのむような作品、ずっしりと重さがありました。

シャープさんフラットさん

シャープさんフラットさん

ナイロン100℃

本多劇場(東京都)

2008/09/15 (月) ~ 2008/10/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

セット券で両バージョンを
20日にブラックチームを、23日にホワイトチームを観てきました。

物語の骨格は同じなのですが、肌あいがチームで微妙に違う・・・。
確かに片方でも十分楽しめるのですが、両方のチームを見ることによって見えてくるものがありました。

何年か前のケラ作品では、ある種のトーン徹することのすごさに圧倒されていたのですが、ここしばらくの作品では極上のクオリティをもった幾つものベクトルの絶妙のバランスに舞台全体の溜息がでるほどの洗練と広がりを感じるのです。

そこまでに役者一人ずつの力が至ったこともあるのでしょうけれど、なによりもケラ氏自身がさらに進化をつづけていることの証しのようにも感じます

動転

動転

コマツ企画

新宿シアターモリエール(東京都)

2008/10/02 (木) ~ 2008/10/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

これだけのことをやってしっかりとまとまって
既成のサイズを超えるようなやり方に舞台の乱れがなく一種の昂揚感まで作り上げてしまうこまつ氏の才能に舌を巻きました

ネタバレBOX

そりゃ、やりたい放題ではあるのですが、実はそれぞれのキャラクターがしっかりと作りこまれていて、なおかつ役者たちが実に真摯・・・

結果として極上の喜劇が見事に舞台上に現出していました。
中嶋正人

中嶋正人

studio salt

相鉄本多劇場(神奈川県)

2008/11/22 (土) ~ 2008/11/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

思ったほど重くなく、思う以上に懐が深い
アウトラインを読んで想像したような重さはなかったのですが、その重さでは決して表現できないものがこの作品にはありました。
べたな言い方ですが本当に良いお芝居だと思います。

馬のリンゴ 【3月15、16日 アフタートーク決定】

馬のリンゴ 【3月15、16日 アフタートーク決定】

ワワフラミンゴ

神楽坂フラスコ(東京都)

2013/03/15 (金) ~ 2013/03/20 (水)公演終了

満足度★★★★★

一身上の都合で全てはわからないけれど・・・
冒頭の身体での表現にまず捉われ、
シーンごとのひとつの所作や言葉から
女性たちの、このメソッドだからこそ表現しうるであろう感覚が伝わってきて。

もし戯曲で読んだら、
きっと突飛に思える踏み出しも、
役者たちが組み上げる空間に置かれると、
単に言葉そのもののニュアンスを観る側に伝えるのではなく
そこに紐づいた感覚や想いを細微に組み上げて
観る側を淡く、強く、ぼんやりと、でもくっきりと
その時間に染め揺らす力があって。

幾色ものとても自然でつかみどころのない想いの肌触りに
深く浸されてしまいました。

ネタバレBOX

フラスコはウナギの寝床のようなスペースで
入口からの細長い空間の奥に一段高い畳敷きの場所があって。
入って右側が客席に、
左側にもベンチなどが並べられ舞台に供されて。

冒頭、畳の部分に一人の女性が現れます。
その身体で紡ぎ出される感覚に一気に取り込まれる
しなやかで、内にあってのびやかで、起伏があって、
繫がれて凛とし、解き放たれて快活で・・・。。
ダンスの精度に裏打ちされた所作や表情が醸す、
刹那ごとの瑞々しさとふくよかさに目を瞠る。
そのシークエンスは、
入口側に現われた二人の女性に引き継がれて。
想いと身体が縒り合されるよう。

そこからの展開というか、描かれていくものには
男性には直接にわかりえない感覚も多々あって。
でも、その感覚を抱える女性の想いが
舞台に置かれ、紡がれるものから
突然にすっと透けて垣間見える。
女性たちだけの内緒話を漏れ聞いてしまったような感じがあって、
でも、描かれているもののトリガーに気づき、
舞台に置かれ表されたものの寓意が解けると、
その躰と心がひとつの世界に交わって
織り上げられる様々なシーンの暗喩するものが、
きっと全てではないのだけれど、
むしろすべてでないがゆえに、
男性にもとてもナチュラルに伝わってくる。

ひと月の日々のなかに訪れるものや、満たすもの、
心に居続けるものや、鬱屈や、慰安や、逃避や、ピュアな欲望や、
どこか不安定であいまいな開放や希望までが
立ち上がり、突然歩みだし、さらに踏み出して。
表見上、不条理にすら思えるそれらの、
舫がふっと解けると、
女性が女性であることで抱くものの、
あるべくしてそこにある
男性すら受け取りうる
洗練されたあからさまさのようにも思えて。

吸血鬼撃退の道具にしても、場所にしても、
片方が連れ去られることにしても・・・。
隠れ、出ることにしても・・、
男性が持つ知識であってもすっとはまる。

その吸血鬼の噛み方や、寄り添い方、
さらには供される飲み物に対する感覚などは、
男性にとっては柔らかな驚きや、
気付きでもあったりして。
でも、それらが、生々しくならず、
しなやかに削ぎ研がれ、
透明感すらもって訪れてくるところに
作り手一流のウィットや、
表現の豊かな洗練を感じて。

ラフなようで、観客の咳ひとつで
場の空気がかわるような繊細さを持った舞台を、
強かに背負う役者たちの様々な筋力にも
舌を巻く。

終演時には、
一人の女性の内なる心と体の
緩やかな俯瞰と存在感がしなやかに残って。

正直なところ、
たとえば家賃と床下から取り出してくる封筒など
空気のテイストに惹かれつつ、
描かれているものが分からなかったりもしたのですが、
でも、たくさんのことを受け取りつつも
分からないことやぴんと来ない部分もある、
その在り様こそが、
男性に供されたこの表現たちの秀逸にも思えたことでした。
ドアを開ければいつも

ドアを開ければいつも

演劇ユニット「みそじん」

atelier.TORIYOU 東京都中央区築地3-7-2 2F tel:03-3541-6004(東京都)

2015/12/24 (木) ~ 2016/01/12 (火)公演終了

満足度★★★★★

それぞれの家族
シーズンごとに役者を変えながら年間を通してのロングラン公演。梅雨のころ、盛夏の頃に観て、今度は師走の公演。
戯曲も季節に合わせて絶妙にディテールを変えながら、なによりも役者の異なりが、その家族の色に変わっていくことが面白い。

同じフォーマットを供する戯曲に内包された企みが、役者達によって同じ筋立ての異なる豊かさに解かれていくことに強く惹きつけられました

ネタバレBOX

みるたびに四人姉妹のそれぞれの個性に加えて、登場しない父母の人物像までが導かれる戯曲のうまさに感歎。

それが、単に役者達それぞれの演技にとどまらず、それぞれの色の重なりのなかで、家族の肌触りとなり、翻ってその中にキャラクターそれぞれの個性を映えさせていく。

公演としては四季を一巡したそうで、この先どこまで続くのかはわからないけれど、長女、次女、三女、四女、役者ごとのそれぞれの描かれ方とその重なりの異なりを見続けることでの豊かさにも更に惹かれました。


東京裁判

東京裁判

パラドックス定数

pit北/区域(東京都)

2009/11/13 (金) ~ 2009/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

歴史を傍聴したような・・・
作品が実に緻密に編みあげられていて
台詞の一つずつに質量がしっかりと乗っていて。

よしんば傍聴席から見ていても
感情が舞台上の人物と同化するような
力を感じました。

ネタバレBOX

以前にこの劇場での座席の辛さを体験済なので、
楽をして傍聴席にて観劇。

冒頭からの空気の作り方に
観ている側にすら緊張感が伝染してくるような・・・。

裁判長が入廷してくるときの起立の姿勢や
弁論のタイミング。
主任弁護団の会話のみで進められるシーンの積み重ねが
実に効果的で
裁判長や検察側、さらには判事たちや、
被告たちの表情や気配の描写が
市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂の
その日、その時間の感触を今とするに十分な力をもって
観る側にしっかりと伝わってきます。
レシーバーから伝わってくる同時通訳を繰り返す声や、
舞台上の弁護人一人ずつの返答、
裁判の雰囲気が歴史の縛めを解かれた
リアルタイムな臨場感を持ってやってくるのです。

彼らの会話や弁論の中で、個々の弁護人たちの
個性や抱えているもの、さらには裁判に対する想いが
滲むように浮かび上がってきます。
史実を借景にした物語のダイナミックさと、
弁護人ひとりずつの繊細な想いの質感が重なるとき
舞台には高い密度が醸成されていきます。

重箱の比喩、
検察にニュルンベルグ裁判を持ち出させるための苦闘、
歴史の足跡としてすら刻まれていく
ひとつずつの言葉が持つ人間臭さ・・・。
それぞれに戦争での痛手を負いながら
一方で戦勝国の正義に噛み付くように
たとえば戦争は政治の一手段であって犯罪はないという理論を盾に
その戦争を導いた被告たちを弁護していく姿。

5人の弁護人の想いに心を震わせ、
目頭を熱くしながら
一方であたかも歴史のひとこまを目の当たりにしたような高揚に
身を任せておりました。

劇場を離れてからも、いろいろな思いが去来して・・・。
本当に見応えのある作品だったと思います。








「俺とあがさと彬と酒と」第1回公演『ふたりマクベス、マボロシ兄妹、ほか短編』

「俺とあがさと彬と酒と」第1回公演『ふたりマクベス、マボロシ兄妹、ほか短編』

DULL-COLORED POP

アトリエ春風舎(東京都)

2012/12/27 (木) ~ 2012/12/31 (月)公演終了

満足度★★★★★

朝から観る側をマジにさせる力
ラジオ体操をして、リラックスしたあたりまでは、
気楽に観れるかなと油断をしていましたが、
舞台が始まると3秒で、ガッツリと取り込まれました。

ネタバレBOX

両作品とも、舞台の密度が半端ではない。

瞬時で観客jを、一瞬の緩みもなく
舞台に惹きつけ続ける力がありました。

(マボロシ兄妹)

役者の身体の傾ぎに、
観る側の視座を揺るがす力があって。
その、どこか不安定なままに固まった感覚が、
舞台の展開とともに心風景の俯瞰に繫がって。

昔、この役者が演じたサイコシス4.48の記憶がまず訪れる。
でも、物語の広がりは、あの芝居に浸った時の閉塞感と次第に乖離して、
もっとビビッドで生々しい感覚となって観る側にやってくる。

全てが観る側が持っているものに紐づいてくれるわけではない。
想いのほかのはみ出しに、当惑する部分もある。
でも、なんというか、
役者の表現の意図に支えられて、
舞台にあるものは、そこに存在して、
絵となり、世界となるわけですよ。

ループする感覚、そのループを抜け出した先での新たなループ。
冒頭の兄の傾いだ身体や、
その妹の極めて恣意的に道化的な笑いに
構築される心風景には、うまく言えないのですが、
五感や六感でも焦点があわないのに、
その先で世界と自分が共振するような感覚があって。

分かってしまうと、
その世界の内と外の区別がつかなくなってしまうような
漫然とした恐れに浸されながら、
二人の役者の紡ぐものをひたすら追いかけてしまいました。

(ふたりマクベス)

一つの物語のなかで、
ふたりの役者が描き出すロールの質感が、
かなり違っているように感じました。
岡田マクベス夫人には
女性の感性や感情の自由で細微な描き込みがあり、
一方の山崎マクベスは、
その感情が、元ネタの戯曲にそって丁寧に紡がれていく感じ。
だから、二人のシーンになった時に
乖離するような感覚が舞台に生まれ、
少しの間、どこかつかみきれない違和感に捉えられる。

でも、やがて、
逆に、その違和感があるからこそ浮かび上がる
夫婦の空気のリアリティに、
ぐいぐい惹き込まれる。
最初は、其々が描くものに目を奪われつつも
ひとつの肌触りとして受け取れなかった夫婦の姿が、
主殺しの共犯として手を血で染める、
マクベスの物語を借景に
とんでもない立体感が醸し出し始めて。
そこには、ありえないのにものすごく生っぽい
夫婦の姿が浮かび上がる。
もう、ぞくぞくしました。

観終わって、拍手をして、それで少しして
なにか揺り戻しのように作品が脳裏に戻ってくる。
気がつかないうちに、舞台から
すぐには消化しきれないほどの
たくさんのものを受け取ったような気がして。
朝からのこういうお芝居の2本立ては、
とても良い意味で、なかなかにタフな経験でありました。

*** *** 

余談ですが、この舞台の前説も後説も
実に見事。

携帯電話の電源オフへの導き方といい、
観る側がなにげに、ぴったりと心を準備できてしまう
開演の案内といい、
終演後には外の状況(天気とか)のインフォメーションが加わったり。

こういう、スタッフの観る側を芝居にしっかりと向けさせるやり方で、
観る側はよりたくさんのことを作品から受け取ることができる。

過去に某劇団の制作をやられていて
ノウハウを十分お持ちの方とは知っていましたが、
芝居の感動に加えて、
こちらにも感動してしまいました。
トーキョービッチ,アイラブユー

トーキョービッチ,アイラブユー

オーストラ・マコンドー

SAKuRA GALLERY(東京都)

2010/07/28 (水) ~ 2010/08/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

ゆたかな創意、へたれない刹那の秀逸
創意の中に緩急とメリハリがしっかり利いた舞台

狭いギャラリーを逆手にとって
日々の閉塞感をがっつりと醸し出し、
ルーティンのなかで
次第につもり溢れていく感覚を
がっつりと表現していく。

たっぷりと時間をかけて構築される
圧倒的な密度には
観る側をへたれさせない
目を見張るような完成度があって。

驚愕の舞台でありました。

ネタバレBOX

白を基調にした空間、
鰻の寝床のようなスペースの
両サイドに2列の座席。

客入れ時から
生ギターが場内の空気を作り上げていく。
客入れが終わるとシャッターが降りて
すっと舞台が始まります。

オフィス・風俗店・家庭と
3つの世界が重なりあうように演じられていく。
演じ手達には紐が付けられて
下敷きになっている近松文楽を暗示するにとどまらず
その社会への登場人物たちの従属を観る側に印象付ける。
2つの可動式の台の動きが
舞台のさらなるメリハリを生み出して・・・。
シャッターが朝と夜を刻み
また、同じような一日がやってくる。

人形振りのように
想いをすっと内に閉じ込めて演じられる
日々のルーティン。
ノルマに追われるオフィスの雰囲気、
夫の帰りを待ち、戻った夫に語りかける妻の想い。
抽象化された表現からこそ垣間見える
風俗店の欲望処理の質感。
それらの中に縫い込まれた「滓」のような感情が
次第に空間を満たし、
観る側に閉塞感を醸し出していく。

歌で語られるト書きや背景、
言葉と想いの分離が
演じるものと語るものをわけることによって
人形振りの内心が観る側に立体的にやってくる。

動作の均一性が作り上げる時間の希薄さが
役者たちによって作り上げられる
場のニュアンスの絶妙な変化を浮かび上がらせて
観る側がそのまま取り込まれていきます。

気がつけばルーティンの日々に積もり、ふくらみ、
やがてなすすべもなく
枠を超えてしまう感覚が
観る側の内も芽生えていて。
主人公の顧客や友人に対するモラルハザード、
風俗嬢のさらに身を削って稼ぐ決断、
ためらいながら夫の携帯を開く妻・・・。

役者たちそれぞれに
キャラクターの場ごとの感情の解像度の高さに加えて
舞台上での緩急の秀逸があって・・・。
キャラクターたちが盲人のごとく
踏み入れてしまうその一歩が
ただ語られるのではなく、
観る側が抱くものとともにそこにある。

終盤、主人公の二人が向きあう
屋上のシーンが
比類なき程に秀逸。
激しく湧き上がる言葉たちを背負って
想いに更なる密度が加わる中で、
ここ一番のたっぷりとした時間を配し
役者たちがその刹那をへたることなく貫いて
観る側の高揚を
その場が満ちるまで支え切る・・・。
大向こうをうならせるだけの想いに裏打ちされたテンションが
役者にとどまらず観る側のうちでも昇華しきるから
男を帰す女の一言が
乾いていても薄っぺらになることなく
観る側を醒めさせることなく伝わるのです。
これ、凄い・・・。

その前後の、妻と風俗嬢の会話にしても、
屋上の場面が終わって
日々へ戻る場面も
文楽や歌舞伎のように
「xxxの場」とでも銘打ちたくなるような
ゆたかな表現に満ち溢れていて・・・。

オフィスにしても、家庭にしても、風俗店にしても
閉塞の先にやってくる時間がある。、
観客をそこまでみちびき切ったうえで、
手のひらから解き放つ役者たちの演技に
観る側の目がさらに見開いて・・・。

それは「トーキョービッチ・アイラブユー」というタイトルのニュアンスに
観る側がたどり着いた瞬間でもありました。


オーストラ・マコンドー、前回の「三月の5日間」に続いてのこのクオリティです。
11月の公演から目が離せなくなりました。

☆☆★★★★○○
「孤天」第一回 : 『例えば、皮膚』

「孤天」第一回 : 『例えば、皮膚』

コマツ企画

RAFT(東京都)

2009/06/11 (木) ~ 2009/06/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

身体表現のごとき饒舌さ。
その饒舌さはしなやかな身体表現のよう
表現されるべきものが
単なる言葉の積み重ねから溢れ出し
面になり空間に昇華していく感じ・・・。

言葉の意味として重ねていたものが
意味を超越して世界になり
さらにはそれらがつながって・・・。

後半は目が見開きっぱなしになりました。


ネタバレBOX

パンフレットによると「一人芝居ではなくひとつの表現としてみていただきたい」とのこと・・・。で、私なりにですが、おっしゃっていることが理解できたような気がします。
作り手側の注文どおり、演技の積み重ねから浮かぶ物語ではなく、溢れ出すような言葉から湧き上がるイメージの重なり合いに見事に凌駕されてしまいました。

個々のパーツの完成度がとにかく高い。
牛乳パックを材料にはがきを作る男から滲み出る色も秀逸ならば、その内心として裸電球の下で話し合う4人の男たちの法則で抑制された表現もじわじわと染み入って来る。

同窓会の恩師がもつシュールな無関心さや愛を語る姿が新興宗教への高揚に変わっていくグルーブ感、さらにはしなやかに穿き違えられた芸術の排他性には鳥肌が立ちました。

また、表現のデフォルメなどから生まれる笑いには豊かなバリエーションと切れがありました。ピストルのごとく至近距離から来る言葉遊びのようなものもあれば核弾頭ミサイルのようにイメージのフレーム全体で揺すぶってくれるものまであって、それらが使い捨てのようにして織り込まれ、時には観るものを突き抜け、時には内側をくすぐりつづける。

しかも繰り返され有機的に連携するシーンが、
緻密な構成のなかで
回って回ってのバターのようにならず、
多彩な色の広がりとして
演者が表現する人物の包括したイメージを支えて・・・。

こういうのって、観ていて、理屈抜きに引き込まれてしまいます。
そして、常習性をもったわくわく感として観るものに残るのです。

花は流れて時は固まる(BATIK)

花は流れて時は固まる(BATIK)

フェスティバル/トーキョー実行委員会

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2009/11/15 (日) ~ 2009/11/20 (金)公演終了

満足度★★★★★

圧倒的
ジェンダーによって共振するものが異なるのではと思いました。

でも、そうであっても、男性の私が観ても圧倒的な舞台。強く、時に放埓で、あるいは繊細で、しかも気が遠くなるほど深淵で。

3回ぐらいのカーテンコールでは、とても受け取ったものには及ばない気がしたことでした。

ネタバレBOX

きっと、女性だからこそ共振し理解できるものが含まれていると思うのです。もしかしたら、手に溢れるような花びらを抱える女性の感覚にくらべると、男性のコアに降りてくる感覚は、前方に張られた水の底に沈む花びらの重さくらいのインパクトなのかもしれません。

でも、そうであっても、舞台からやってくる物には大きく揺すぶられました。
女性が生まれ、育ち・・・。幼い日や思春期までのルーティンの具象にも思える回転から、やがて、自由奔放な動きに広がっていく姿。そして初めての水とのふれあい。

集められ水に投げ入れられる蒼い花びら状のものは、哀しみや痛みにも思えて。一方で脚に鈴をつけて踊り、水に入るその姿に、女性のときめきを思う。
泣きつづける子供をあやし疲れ、後方の空間が電飾に飾られるほどの享楽に身をおき、或いは再び花びらを水に流すほどに痛みを覚え・・・。生きる悦びと痛みをくりかえしていく姿のひとつずつが、洗練され、しかもあからさまなインパクトをもった刹那として観る側に伝わってきます。

ダンサーがシークエンスで表現する、鼓動を感じるようなひとときの力強さに心を奪われ、被り物によって具象化された世界のどこかシニカルな匂いに、表現の洒脱さを感じる。

その中で、水の底から鈴の鎖をひろい、首にかけて、青い花びらのない胸で
水の中でのダンスを踊りつづける女性の存在にも目を奪われました。女性の悦びや哀しみの時間をいくつもいくつも跨ぐマラソンのようなダンスに、女性の人生分の業ようなものを感じて・・・。

そしてダンスを止めた彼女の躯が、蒼い花びらの詰まった袋で打たれつづけるその響きにも息が詰まりました。

女性の生きる姿が示されて。でもそれだけでは終わらない・・・。
終盤の輪廻を思わせるような、数知れない女性のジェネレーションの俯瞰にも目を見張りました。
誕生し、生きて、旅立つ。その抱えきれない程の刹那の連続が、曼荼羅のように広がっていく感覚に、もう胸が苦しくなって。

終演のとき、
舞台上に具象化された時間の表現の深さと豊かさに凌駕されました。
ダンサーたちの時間を背負いきるパワーと表現の意志に頭が下がりました。
照明(スピンするダンサーが作るシルエットには目を奪われた)や舞台装置にも創意がいっぱい。

でも、これほど強く揺すぶられたにもかかわらず、この作品において、男はやはり観客の位置にいるのだと感じたり・・・。
神が創りし男と女のこと、そしてそれぞれがながめる水の感覚がきっと違うことなど、風に吹かれて歩く板橋駅までの道すがら、ずっと頭から離れませんでした。
ガールフレンズ(再演)

ガールフレンズ(再演)

ホイチョイ・プロダクションズ

天王洲 銀河劇場(東京都)

2008/01/25 (金) ~ 2008/02/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

ユーミンの歌に包まれたものを開いて
堀内敬子と島谷ひとみの回を観ました。

ユーミンの歌唱にちかいのは島谷ひとみのほうで、彼女の歌からユーミンのスタイリッシュな部分が抽出されていき、一方で堀内敬子の歌からはユーミンの歌に内包された、デリケートでときには重たさを感じるような心情が見事に溢れ出していました。

台詞がひとつもないのに、アンサンブルの動きや男優たちの声にならない演技、さらには積み重ねられていく歌から溢れ出す時間達の流れで物語がしっかりと構築されていきます。

ミュージカルという表現方法が見事に開花した舞台だったと思います。

無邪気で邪気なみんなのうた【総製作期間2週間終了しました!】

無邪気で邪気なみんなのうた【総製作期間2週間終了しました!】

ぬいぐるみハンター

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2010/10/08 (金) ~ 2010/10/11 (月)公演終了

満足度★★★★★

ベタを踏み越える緻密さ
パワーで押し切るかと思いきや
ぞくっとくるような緻密さをもった
秀逸なシーンがいくつもありました。

「やられた!」という感じ。
理屈抜きでおもしろかったです。

ネタバレBOX

幼稚園を舞台にしたお芝居、
そこに大人の世界が投影されていくのですが
大人の世界に染まりきらず
あくまでも前提を貫いたことが勝因かもしれません。

ひとりの男の子を取りあう
女の子たちの想いの身勝手な説得力と
それに突っ込み続ける男の子の
当惑加減の秀逸さ。

ガールズトークにしても
男の子たちの悪ガキぶりにしても
お遊戯会の配役決定にしても
ワンショットではない
物語全体を貫くキャラクター設定や
キャラクター間の関係性に裏打ちされていて
観る側が思いっきり巻き込まれていく。

だから、その中に込められた笑いの仕掛けが
上滑りすることなく
しっかりと腰を据えて可笑しいのです。
しかも、それらの笑いがその場で蒸発するだけではない。
さらに膨らむ世界観へのパワーとして、
時には伏線として蓄積されていく。

ベースがあるから
宇宙人の話であろうと、桃→尻ネタであろうと
観る側が違和感を感じたり引いたりしない。
虚実の相乗効果が生まれて
それがグルーブ感に繋がっていきます。

よしんば、多少の滑舌の悪さがあったとしても、
それをカバーするだけの身体の切れに加えて
キャラクターを作り上げる
したたかさが役者たちにあって。
だから、
群衆処理というか
幼稚園の統制のとれたカオスが
成り立ってしまう。
エピソードをつなぐ時間の
乱雑な舞台の雰囲気であっても
舞台上のどの場所にも
その場所にキャラクターたちの世界が
醸し出されていて・・・。

これ、かなり凄い。

先生役の3人も、園児たちに負けない
それぞれの色を醸し出して秀逸。
終わるころには
舞台いっぱいにならんだ出演者たちの
それぞれのキャラクターに愛着すら生まれて。

べたですが、ほんと、滅茶苦茶おもしろかったです。

☆☆◎★★△◎◎










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