ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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リア王

リア王

人形劇団ひとみ座

県民共済みらいホール(神奈川県)

2016/03/24 (木) ~ 2016/03/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

シェイクスピアを骨太に表現
 終演から随分経っても未だに人気の「ひょっこりひょうたん島」を担った人形劇団、ひとみ座の公演は、シェイクスピア作品中でも傑作の誉れ高い「リア王」だ。

ネタバレBOX

無論、人形劇として演じられるのだが、演出家の伊東 史郎さんが興味深いことをおっしゃっている。即ち人間が死を演じる時は、生きたまま物化することを強いられるが、人形はもともと死んだ物でそれに息吹を吹き込むのは人形遣いだということである。これは実に興味深い指摘である。ポーランドのカントルは、役者達を殊更死体として演じさせ、同時に人形も多用する演出を見せた。而も彼の舞台に立つ役者達は、所謂プロの俳優ではなく、他に研究者だの何だのと言う生活手段を持つ者達であった。案外、こんな所にも演劇というものの本質の一端が垣間見られるように思う。
 基本的に主要登場人物の人形は一体を二人で操る。頭部と手あとは背骨部分で形作られた人形であとは衣装である。演技が大きく見え、自在度が高い作りだ。狂った王と道化の過ごす嵐の夜、仏軍がドーバー海峡を渡って攻めてくるさま。このシーンは、兵士たちのフォーメーションを様々に変えることで大群であることをまざまざと感じさせ、而も上陸寸前の場面では、兵士たちの足元だけを青い光線で照射して海から上がる場面を演出している。この演出センスと照明のコラボレーションには正直驚いた。流石である。ほかにも、グロスターが目をえぐり取られるシーンなど、人形ならではの即物的効果をうまく活かしている。
タルタロスの契り

タルタロスの契り

劇団俳小

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2016/03/23 (水) ~ 2016/03/27 (日)公演終了

満足度★★★★

まじめなつくり
 碧血碑というものがあるという。義に殉じた士の血は、死後三年を経て碧玉に変わるとの言が荘子にあるとか。(

ネタバレBOX

荘子外物篇「萇弘は蜀に死す。其の血を蔵すること三年にして化して碧と為る」ウィキペディアより)函館五稜郭で榎本武揚に従った土方らが最後を遂げたことは周知の事実だが、彼らを顕彰して建てられた碑にこの名がつけられたという。だが、今作は幕末の話でもなければ、武士の話でもない。時代設定は第二次大戦後のどさくさから大阪万博辺り迄だ。
明日は閉めるというかつての賭場、五稜郭で、伝説となった一騎打ちがあった。卓の上に置かれた牌はその時用いた牌であるとの振りで、戦争中、左翼であった為に特高に捕まり拷問を受けたが口を割らなかったガミが、20年前の話を語りだすという設定だ。
話の中心は敗戦直後、米兵にレイプされ、パンパンになった女性が100万人とも言われた時代の博打打ちの話である。
敗戦を終戦と呼び換え、その真実に向き合おうとしない日本人は圧倒的に多かろう(その証拠に終戦は9月2日であるにも関わらず、それが敗戦なのを誤魔化す為に8月15日を終戦記念日と言っているではないか)が、戦中、特攻隊として徴用され死の恐怖を逃れさせる為にシャブを使われ死だけを目的として強要され続けたにも関わらず、エンジントラブル等の事情で死に損なった元特攻隊員、死線を掻い潜って漸く生き残ったものの、裕仁の一言で今度は敗戦の屈辱を舐めねばならなくなった兵士達は、完全に生きる実感を失い虚脱状態に陥ってしまった。
そんな彼らにも生きる実感を掴ませてくれたのが、博打であった。負ければ自分の姉・妹迄売り飛ばしてでも金を作って博打に賭ける。切羽詰ればヤクザに殺されることは目に見えているのだが、本当に彼らの賭けているものは、無論金などではない。己の命である。そんな博打打の中でも殊更に強い四人の勝負と各々の打ち方、性格を、勝負の様子を演じるのが、今作の見どころだ。この勝負、最後は差しで張り合う、アイヌのふくろうとシャモのらば伝説の名勝負である。
真面目な作りかたの作品だが、どちらかというとコンセプチュアルな作りで、唯一の主権者天皇と天皇制、軍部の跳梁跋扈に振り回された民衆の、苦しみと傷みの意味する所を掘り下げその視座からこの鵺社会を捌いていない点が気になった。
「 肉弾 」ご来場ありがとうございました。

「 肉弾 」ご来場ありがとうございました。

演劇ユニットG.com

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2016/03/23 (水) ~ 2016/03/28 (月)公演終了

満足度★★★★

役者たちの熱演が光る 花四つ星
 岡本 喜八がメガホンをとった映画の舞台化である。戦争というものの持つグロテスクな余りの滑稽をアイロニカルに描いた作品としてあとを引く作品だ。(追記後送)

深海のBreath [2016]

深海のBreath [2016]

劇団 現代古典主義

六行会ホール(東京都)

2016/03/19 (土) ~ 2016/03/20 (日)公演終了

満足度★★★★

こころに残る純愛
 エネレーヴェ島領主の王子、16歳のオーディンは、その人格の高潔、武勇の誉れ、民への優しさ、度量の広さなどで近隣の島々の姫君たちの憧れの的。だが、彼には一途に恋する乙女が居た。(追記後送)

ネタバレBOX

使用人で身分の差はあるものの、賢く美しいその少女の名をダリヤと言う。ダリヤにとっても意中の人は唯一人、その名はオーディン、即ち領主の息子である。身分違いということは分かっているが、互いに燃え盛る魂の炎は消すことができない。幸い領主であるアルベルトも妃アンも理解のある親であり、二人の婚姻を認めていた。実際、アルベルト自らオーディンの結婚を認めると口頭で約していたのである。
 然るに妃が倒れ、間もなく領主も崩御すると、主治医カミーラと彼女の引きでオーディンの義兄弟となっていたヘンリックは、アルベルトの遺言書を偽造。位を簒奪した挙句、オーディン・ダリアに追っ手を差し向ける。実はカミーラは20歳ほども年下のヘンリックを一種のツバメとしており、妃、領主は彼女の盛った毒によって殺害されていたのである。而も、ヘンリックは彼女の引きのみで領主の義理の家族となっていたのであり、遺言書偽造もカミーラの入れ知恵であった。
 嵐の夜、領主の位を簒奪された恋人たちは小舟で島を脱出するが激しい雨風に遭難。ダリヤは海底深くに沈んでしまった。オーディンは助かりこそしたものの、記憶の大半を失い、乞食のような形をして彷徨い歩いた。僅かに残っていたダリヤの名だけを頼りに城に辿り着くがヘンリックに見つかり地下牢に幽閉されてしまう。
素敵な世界

素敵な世界

T1project

ザ・ポケット(東京都)

2016/03/22 (火) ~ 2016/03/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

プロの舞台 お見事!
 小屋に入って驚いたのは、舞台美術の凄さである。素晴らしさという形容ではない。凄さそのものだ! 22日が初日で楽が27日、壊すのが本当に勿体ない。そう思わせるだけの舞台美術なのである。自分は、開演5分程前に到着したのだが、板上では寸劇が演じられていて、若い女性陣の演技は本番と遜色のないもので、観客の中には、開演前のハズなのにもう本番が始まってしまったのではないか? との自問をしている人も見受けられた。自分自身もフライヤーの開園時刻を確認したほどである。
 言うまでもあるまいが、シナリオ、演出、演技、照明、選曲や歌の素晴らしさ、効果音の用い方、どれをとってもこれだけの舞台美術に負けていない。表現のプロには是非とも観ておいて貰いたい舞台である。

ネタバレBOX



 本編が始まって直ぐ、掴みの部分で、期待は裏切られなかったことを確信した。最近、どんなセオリーに従っているのか、イントロ部分は控えめに観客を日常世界から亞空間に引き込む為には云々の下らない講義でも聞かされて、それを疑いもせずに唯々諾々と従っていることが才能を伸ばす為に必要な工程だとでも思っているのではないかと思わせるような馬鹿げた掴みばかり見せられることが多くて閉口していたのだが、ズバリ本質が提示される。そして、この本質に纏わるテーマが最後まで追求されて別次元に転移される。これが、見事である。初日が終わったばかりだから、これ以上、ここでは書かない。だが、精神と肉体、神の存否、人間と神、信仰と実存、そして宗教と政治等々、幸せを求めて足掻く我らの、命を賭けた競争の何たるかを自問させるに足る深さを持った作品である。
カムアウト

カムアウト

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2016/03/19 (土) ~ 2016/03/31 (木)公演終了

満足度★★★★★

27年間 日本人は何をしていたのか?
 初演は1989年。

ネタバレBOX

天安門事件、1986年4月26日のチェルノブイリがン発事故で決定的ダメージを受けていたソ連は、1989年アフガニスタンからも撤退せざるを得なかった。ソ連崩壊への序曲後半部である。冷戦終結、ハンガリーでも鉄のカーテン崩壊、ポーランドで連帯圧勝、ベルリンの壁撤去、チャウシェスク政権など東欧政権崩壊を受け、世界が激変した時であった。日本ばかりが、いつものようにどんより・もっさりしていた。自分は頗る苛立っていたのを思い出す。その意味で日本の在り様は本質的に当時と全く変わっていない。薄墨で記された初演時と現在の間にある両矢印は、現在2016年と1989年が本質的に全然変わっていないという事実をアイロニカルに表現していると見た。
因みに1989年の日本では、女子高生監禁・コンクリート詰め殺人事件が起こっており、この事件に関与していた人間(少女レイプに加担など)・この事件を知っていた人間の総数は100人にも上るとの裁判記録がある。LGBT(レズ、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)を扱ってはいるが、相変わらず陰湿極まりない下司社会・日本の鵺社会が今作の隠れたテーマである。自分はそう観た。
舞台は、レズビアンたちが共同生活を送るコミュニティー、坂手氏自身が実際に取材をして書き下ろした作品である。女性が他者に向ける愛の形は、深くて狭い。レズであろうとヘテロであろうと変わりない。変わるのは、世間的常識を正しいと信じる者が取る態度である。自分達と同じヘテロに対して多くのヘテロは違和感も感じないし、警戒心も恐怖心も抱かない。然し、異質の愛の形は、自分達と何かが同じであるかも知れず、異なるのかも知れない。何れにせよ正体の分からぬものは、薄気味悪く排除の対象となる。この単純な構図に加わる人間の感情や世間体が結果的に差別化を生み、歪んだ想像力が最後の仕上げをする。鵺社会で、このように出来上がった一般大衆の思い込みが、自らの思考と存在を賭けて人生を選び取った者に対してどのような仕打ちを返すかは、自らの生を自分で選び取った誰しもの知る所である。知らないとすれば、それは自身が自分の生を自分で選び取っていないことの証拠である。
麻雀ブラボー!!

麻雀ブラボー!!

劇団さかあがり

シアターシャイン(東京都)

2016/03/20 (日) ~ 2016/03/21 (月)公演終了

満足度★★

シナリオライター勉強が足りない
 先ず尺が長い。この内容なら25分から30分短くして充分対応できる。

ネタバレBOX

オープニングでコンピュータサイエンス部と文芸部が対峙する姿を示すシーンでもポーズの決め方、単純にグループに分かれて互いを敵対者として指し示すだけの仕草では何のインパクトも齎さない。自分達の目指す演劇の方向性も良く分かっていないようだ。演劇は、先ず第一に論理である。中盤、仙人の登場辺りから面白くなるが、それまでは凝縮し、敵対関係をはっきり際立たせること、対抗戦に出る女子2人のプロフィール紹介をキチンと織り交ぜること、文芸部部員も同様。
 麻雀にもあまり詳しくなさそうだ。中盤以降漸くキチンと雀士らしい発想が出てくる箇所があるものの、チー、ポンが前面に出過ぎるだけで、麻雀の格が落ちる。但し、安い手で早く上がるというのは、無論、麻雀で勝つための鉄則ではあるが。これ一本で勝てるほど麻雀は甘いゲームではない。また、プロ雀士の手法中、常道である積み込みが出てこないのも不自然である。セイガク麻雀でも、トップクラスの雀士ともなれば、麻雀の手練れの面前で「これから積み込みをやるぞ」と宣言してから積み込みをやっても、見ている側がどうやって積み込んだのか、積み込んだパイを何故正確に覚えていられるのか? が皆目分からない程の腕前を持つ。もう少し雀士の研究をすべきだろう。
 また、文芸部の体質がまるで応援団のような気質で描かれていたが、無頼派にしても、本質は優しさなのであって体制・風習・世間的価値如きに阿る輩とは一線を画していることは肝に念じておくべきであろう。
半神

半神

ナナイロスペース

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2016/03/18 (金) ~ 2016/03/21 (月)公演終了

満足度★★★★

半神の意味するもの・こと とは?
 無論、原作は萩尾 望都・野田秀樹共同の「半神」である。まだ彼が、詩的感性でシナリオにまじないを掛けることができた時代の代表作の一つということができよう。無論、萩尾 望都の優れた才能については今更言うまでもあるまい。だが、半神については時代を遥かに遡ることも可能である。即ちギリシャ神話の時代迄である。ゼウスと美女の間に生まれた英雄の多くは半神であり、時に神格化されるもののそれは下級神としてである。が、人間界にあっては、英雄であることによって本来の神の威信を高めることに繋がったとみることができよう。但し、ちょっと意地の悪い見方をすれば、それも政治的手法の一つに過ぎないのではあるが。(追記後送)

ネタバレBOX


 まあ、良い。今作にその点は余り関係ない。だが、シャム双生児に限らず、ハンディキャップを持つ人々は、日本でもある時期まで神の使いと見られていた時代があったのであり、為に如何に生産性の無い人々であっても生きてゆくことが可能な程度には人々から喜捨を受けたのであり、粗末なものとはいえ住居も与えられていたのである。こういう発想が無くなっていったのは、優生保護思想が蔓延して後のことであろう。
死に顔ピース

死に顔ピース

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2016/03/18 (金) ~ 2016/03/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

医は仁術というけれど
 医師というものは、クランケや病巣をオブジェとして観たり、距離を置いてみなければ自分自身の神経がやられてしまう。そんな場所で仕事をしている人々である。(追記後送)

ネタバレBOX

だから、自分の家族など殊に関係の深い人間は、基本的に自分で診察することがない。感情移入しすぎては適確な判断が下せないというリスクを負うからであり、愛する者を救えなかった場合、医師自身が魂に大きな傷を負うからである。医療とはかくまで人間的な微妙な分野である。
 現在でもそうであろうが、自分達の世代、東大理Ⅲ、京大Mなどに入る連中の中で特に優秀な連中は当然内科を目指した。癌の特効薬を発見すれば、ノーベル医学賞は間違いないからである。今作で扱われているのも、矢張り大学病院の癌スタッフである。医者の世界というのは弁護士同様、とても人別帳がハッキリしている世界なので、指導教授などのリーダーが回診するとなれば、本当に金魚の糞よろしく下位の者がぞろぞろついて回る。
在りし日の街

在りし日の街

21g座

明石スタジオ(東京都)

2016/03/17 (木) ~ 2016/03/20 (日)公演終了

満足度★★★★

良くも悪しくも現代日本の若者
 どうやら今作の作家は、相当の“つか こうへい”ファンであるらしい。つか的テイストが随所に感じられる他、台詞回しなどにも影響が見て取れる。あの“つか”の熱量を感じるシーンがいくつもあるのだ。(追記後送)

Blackbird ブラックバード

Blackbird ブラックバード

幻都

APOCシアター(東京都)

2016/03/16 (水) ~ 2016/03/21 (月)公演終了

満足度★★★★

シナリオが浅い 役者の熱演は評価するが
 子供の頃、誰しも一度くらい巣から落ちた雀の雛を巣にもどしてやろうとしたり、親から戻してもまた落とされるという話を聞いて自分で育てようと奮闘した経験はあるだろう。タイトルのBlack Birdは、日本で言えば雀のようなどこにでもいる小鳥の名だと言う。つまり、特別であるという属性は予め剥ぎ取られている翻訳劇である。然しながら、慣習に逆らう者への差別や無視、排除は相変わらずシビアな様子が作中で語られる所を見ると、作家は、未だタイトルの意味する所と作品の内容との齟齬を充分咀嚼できるだけの力量は無いように思われる。イギリスの作家であるようだが、いかんせんシナリオが浅い。否、浅すぎる。(追記後送)

「安全区/Nanjing」ご来場ありがとうございました。

「安全区/Nanjing」ご来場ありがとうございました。

メメントC

Geki地下Liberty(東京都)

2016/03/17 (木) ~ 2016/03/21 (月)公演終了

満足度★★★★★

弱者の痛み 必見
 タイトルからして如何にも戦争の持つ錯綜した情報のアイロニカルな性格、敵味方の悪意を、そして本当の所は誰にも分からないという混乱が、弱者に与える皮肉な結果を示唆している。

ネタバレBOX

舞台は蒋介石軍が首都と定めた南京陥落前夜から、南京に駐在した外国人特派員が本国に逃れた後、日本軍が蛮行を犯し、ハーグ陸戦条約に違反したとして告発。日本は欧米列強の非難の的となっていた。その対外処理を急遽委託された為、宣撫部隊中尉、田之倉が半年遅れで赴任し実際には何があったのかを調査した期間に纏わる物語である。
主要登場人物は、特務機関員・宣撫部隊中尉、田之倉 肇、田之倉が住むことになった屋敷の本来の主人であり、東京帝大に留学していた経験を持つ中国の経済学者、林 英呈、従軍僧を装うが、実は陸軍参謀本部のスパイをも務める林田の3人だ。
林の兄は、蒋介石の側近、南京陥落直前に蒋と共に南京を脱出した。英呈は兄の命により、家を守り血統を守る為に南京に残った。これは、中国の家族制度とも関わりのあることで、長男の権威・権力は絶対であった。
今作は嶽本 あゆ美氏が、堀田 善衛の「時間」をベースに作劇した作品である。登場人物のキャラクターは、原作と今作シナリオではかなり変えてあるとのことだ。無論、堀田氏のご遺族の許可を得てのことである。だが、最も大切な点は、原作でも演劇台本でもこの日記の作者に中国人を据えていることである。即ち、攻撃した側ではなく攻撃された側、弱者の痛みにその視座を据えているのである。その為、戦争という虚偽の氾濫によってカオスと化す状況に、痛切な人間の痛みという視点が鼎立されているのだ。この視座によって、今作は、人間芸術としての普遍的位置を獲得しているといっても過言ではない。
更に、林の妻の妹、周 茉莉は、日本兵に襲撃されて生き残ったものの、集団レイプで受けた魂の傷は彼女の生涯を葬ってしまうほどの傷を与えたばかりかレイプが原因でうつされた梅毒の痛みを抑える為にアヘン中毒に陥る様、それを克服しようと懸命に努力する姿は心を撃つ。
演技では、先に挙げた3人の役者の演技が秀逸であった。ぜひ、見ておきたい舞台である。
そしてまわり続ける

そしてまわり続ける

夢幻舞台

アートスタジオ(明治大学猿楽町第2校舎1F) (東京都)

2016/03/11 (金) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★

若者らしいさわやかな舞台
 宇宙開発企業の社長を父に持つ赤川は、何をやらせても常にトップのスーパーマン。

ネタバレBOX

然し、父の死後、父の会社の跡を継ぎベンチャーと言ってよかった社を一流企業に育て上げた。而も、エネルギー革命を齎す機器を発明し運用を開始する直前にあった。然し、世の中そうそう上手くはゆかない。エリート中のエリートと言える彼だからこその弱点、即ち自分以外を心底信ずることができないという弱点と超のつく優秀者であれば信じるという点を利用されて、機器は奪われ、社は倒産の憂き目にあう。
 こんな状況の中、銃で撃たれ瀕死の彼の病床を訪れずっと付き添ってくれた元幼馴染、且つ社員の超優秀ではないが、人としての優しさ、温かさにも目覚めて行く。
 それでも、また ビジネス界に引き戻されそうなオチがつくのだが。
若者らしく爽やかな舞台であると同時に、走り続けどんなことがあっても負けまい、とする積極的な生きるエネルギーを感じてとても好感を持った。科白も随所に光るもの・突き詰めたものを感じ、この点でも高評価。卒業するメンバーもいるが、実社会に出ても挫けず、諦めずに自らを信じる才能を伸ばして生きて欲しい。
そこにある場所

そこにある場所

崖っぷちウォリアーズ

劇場MOMO(東京都)

2016/03/09 (水) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★

シナリオが浅い
 街場でカフェを経営する一家にはもう一つの顔があった。然し、兄弟5人のうち1人だけ、この件については蚊帳の外。

ネタバレBOX


 シナリオの掘り下げが浅い。これは決定的である。扱われているテーマは掘り下げ方で可也深く持ってゆけるハズの埋蔵金問題。それも徳川の埋蔵金ということで特に長州閥の政治屋共と旧幕府サイドで理論派を形成していた水戸学に繋がる思想犯やそのイデオロギーを信奉する草莽との確執、現在の総会屋に繋がる自由民権運動の浪士たちと資本家共の争闘・確執、戦前は現公安警察に繋がる特高で辣腕を奮い、暗号名ポダムを持った正力 松太郎他の面々、即ち戦後はCIAエージェントとして日本をアメリカ植民地として管理した上級奴隷、正力やその右腕であった柴田などと吉田茂、中曽根康弘や安倍晋三などの国賊までの流れと意識的民衆との戦いなどをカバーしていなければ、この喫茶店に関わる兄弟たちの父が警察権力によって抹殺された、ということにはリアリティーが生じない。総ての挿話が、このレベルで浅すぎるのである。
 これでは演出がどんなに頑張っても、また役者がどんなにキチンとイマージュを具体化しようしてもできるものではない。シナリオライターはキチンと必要な勉強をすべきである。無論この程度の知識だけで、いいシナリオが書ける訳ではない。世の中には、知識だけ一杯持っている馬鹿が多数存在するが、このような間抜けを真似る必要はさらさらないどころか害悪であることは明らかである。肝心なことは様々な知識を必要に応じて用い、人間を描くことなのであるから。人間が描けて初めて作品というレベルに達するのだ。ここが、始まりである。
『BET』

『BET』

ラチェットレンチF

上野ストアハウス(東京都)

2016/03/09 (水) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★

牽強付会もあるにはあるが
  一時は売れに売れ、流行作家となって人気シリーズは映画化すらされた梶野だったが、本人のギャンブル好きが嵩じて今ではカジノで負った借金返済の為に借りた金の返済に追われ続ける体たらく。おまけに借金の督促は、彼の本を出版してきた出版社編集部に迄及び、担当編集者共々窮地に立たされていた。編集者が良く使うブラフではなく、最終締め切りはあと半日。それで編集長を唸らせる作品の第一章だけでも仕上げろ、の厳命に二人は追い詰められるかに見えたが。

ネタバレBOX


 ファンレターと渡された封筒から出てきたものは分厚い日記のような代物だった。事の真偽は分からぬものの、内容的には迫真に迫るものであった為、梶野は、これをベースにサスペンス小説に仕上げ発表してゆくが、その原稿は、実際にあった事件への招待状だった。罪を犯して罰を受けないどころか、市長として君臨し、末は国会議員にも立候補しようという人物と、彼の為に命を奪われた者、心と体に深い傷を負った者などとの赤裸々な関係・事実が語られた小説は地元では、真実ではないか? との憶測が憶測を呼び、而も地元新聞が、この件を追い続けた為に大きな事件に発展していった。近いうちに選挙があることもあり、それまで清廉潔白で売って来た市長にとっては大打撃。様々な反論・反撃を試みるが。
SUPASHI-BA

SUPASHI-BA

わらかどプロデュース

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2016/03/09 (水) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

演出花5つ星
 女3人、男2人の仲良し5人組。うち1組は既に夫婦になっている。1幕2場。1場と2場が、内容的にも時間的にも空間的にも白と黒という単純明快な指標によって対比されている点で、演出の力が圧倒的な作品である。(少しつけたし12時32分。更なる追記2016.3.12 02:37)

ネタバレBOX

1場では、舞台の基調色は白であるのに対し、2場は黒であることには大きな意味がある。1場の白は、ロシアの凍える雪や氷・寒さを表象し、2場の黒は、一郎の喪を表象している。このことが、実に端的に舞台の美術構成に現れているのである。
 先ず小屋に入って驚くのは、この小屋の雰囲気が普段とはまるっきり異なることである。普段、この小屋の板回りの壁は濃いグレーで塗られてやや昏い印象を受けるのだが、出捌け口を含め、客席の一番前の壁面まで総て白で覆い尽くされているのである。こんな使い方は初めて見た。無論、最初にも書いた通り、ロシアの寒さや雪・氷をイメージしているであろうことは容易く類推できる。だが、本当はもう一つ別のイメージを落とし込んでいるとは考える。最後に明かすから、読者もそれまでに考えて欲しい。
 更に今作は、この狭い小屋にロシアの雄大な大地のイメージや皆の故郷のゆったりした時空を表象する為、小道具などは最小の形で作られている。演劇の原点たる想像力に最も大きな場所が与えられている点でも評価したい。板上は無論素舞台である。役者の提示する身体表現を通じて、観客は適確にメッセージを受け取らなければならない。即ち板上と観客相対の想像力の勝負なのである。この演劇の原点に劇場の時空を過不足なく設定している点に、金 世一演出の真骨頂がある。
 5人のアウトラインを紹介しておいた方が分かり易かろう。先ずは一郎:AI(Artificial Intelligence・人工知能)の研究者で、この分野では世界トップクラスの研究スタッフが集うモスクワに赴任している。大吉:8年前に結婚した幼馴染の妻・ゆりと父の経営していた居酒屋の跡を継ぎ、現在は父に負けまいと一所懸命。ひまり:一郎から結婚を申し込まれた可愛子ちゃん、ちょっと天然だが仲間皆に好かれフォローされている。まりこ:東京へ出て編集者をやっているキャリアウーマンだが、弱みを見せるのが嫌いでちょっと堅物のイメージはあるものの友逹思いの柔らかな面も併せ持つ。

 オープニングでは白い衣装を纏った一郎が入場するが一切科白を喋らない。唯、辺りをゆっくり逍遥するだけである。この時の一郎の表情にも注意しておいて欲しい。(この場面の意味はラストで明らかになるからである。即ち死後の世界のイメージだ。一郎は、ひまりとの約束の時に仲間の下へ魂の形で戻ったのだ!)
 彼らが育ったのは急行も止まらない田舎町だが、それだけに人間関係が濃いとも言える。そんな幼馴染仲良し5人組の過去と現在を、一郎がひまりに結婚を申し込んだ未来のある日、ひまりの誕生日前後の今、過去を1場で現在を2場で対比的に表現して見せた。
裸舞台である。そして小道具は総て切り抜きである。おまけに白と黒を板上で変えるだけである。だが、極度に単純化し得ること、し得たことが、この作品の優れた到達点であることも事実だ。演劇の本質の総てがここに顕現しているからである。このように骨太で本質的な舞台を何人の演出家が創造し得ているか? 

巣鴨・監獄・冀望王 -スガモ・プリズン・ギャングスター-

巣鴨・監獄・冀望王 -スガモ・プリズン・ギャングスター-

法政大学Ⅰ部演劇研究会

法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎地下一階多目的室1番(東京都)

2016/03/04 (金) ~ 2016/03/08 (火)公演終了

満足度★★★★

舞台美術や照明、音響、スタッフ対応もグー
 とにかく、一歩会場に入ると、その舞台美術の作り込みに驚かされた。スタッフの対応も極めてよく、演技もうまい。ダーティーな世界を描くにふぃさわしく、照明は暗め。所長室の場面だけ明るくなる仕掛けて無駄な場転少ない。音響も効果的である。

ネタバレBOX

 公式な見解としては、随分硬い話のようである。だが、麻薬が問題であるにしても、それが在る程度抑えられる時と流行る時期があるのはどうしてなのか? その点を問題化し、キチンと分析して掛からないと片手落ちになろう。自分は社会学者ではないので、データ分析やった訳ではないが、戦争をしている国では、そしてそ戦争疑問を持つ者が多かったり、戦意を高揚させ命を簡単捨てるように仕向けるような国家や社会、時代には、麻薬は多用される傾向にあるように思う。戦争ばかりやっているアメリカには薬中が多いし、北朝鮮にもシャブ中が多い。日本でも1957年迄、薬局でシャブが買えた。薬品名をヒロポンと言ったからポン中という呼び名もあったほどだ。これは、日本軍がケシを栽培していたのと違う理由から大量に用いられていたのである。特攻隊には、死を怖がらせない為にやらせていたわけだし、その為、兵士が死なずに戻って来た後も国家は販売せざるを得なかったのである。無論、麻薬は体に良い訳ではない。医療用として用いられることがあるにせよ、それは、患者の余りに酷い痛みを和らげたりする為であり、麻薬のリスクより、その酷い痛みから解放することの方が、より人間的にマシだと判断されるからである。
 何れにせよ、一旦、嵌ってしまえば立ち直ることが極めて困難なものが多いのは事実で、特にケミカルなものは危険である。一方、人間は皆平等な環境下に生まれる訳ではない。親を選ぶことはできないのだ。或る者は、虐待する親の下に生まれ、或る者は、権力者・資本家・王侯の子として生まれる。実際、天と地ほどの差の下に個々の子は誕生し、育とうとする。だが、その命を奪う親もいれば慈しむ親も居るのであり、この生まれつきの差や、そこから生じるハンデや差別、学歴差や社会的地位、貧富の差などが、能力が高く劣悪な環境に育まれた者に強烈なドロップアウト指向を齎す場合、彼・彼女ららは、麻薬に走る傾向が高くなりはすまいか?
 何れにせよ、麻薬が良くないことは当たり前過ぎて文句のつけようがないのであるが、撲滅キャンペーンは、本質から目を逸らさせはしないかと懸念するのである。
 何れにせよ、今作、現代日本というアメリカの植民地に暮らす若者が、狡く一応力を持つ大人たちに収奪され抑圧される自分達の鬱積を、大人たちのやり方をなぞることで表現して見せ、観客に、力と狡猾が支配することの意味を考えさせる構造を提示、アイロニックな視点に気付いてもらうことを狙ったと解釈した。
カゲキ・浅草カルメン

カゲキ・浅草カルメン

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

2度目 今回は女性中心に
 一回目は主に男たちのことを書いたから、今回は女性たちについて書いておこう。そうでなければ片手落ちになろう。

ネタバレBOX


 ヒロイン、カルメンを始めとして「はした女」として生きる女たちの哀しさ、辛さが描かれている点を評価したい。己の意思を通す前に汚された女たちの哀しさは何によって癒すことができただろうか? 実は癒しようが無かったということではないのか? だからこそカルメンは干という自滅型純情を愛したのであり、自分のマブという立場に置きたがらなかったのではないか? 散々悪を担ってきたその道のプロ、我流とは異なり自らの汚れを浄化してくれるような、憧れを持ち続ける可愛らしいペットとして、干を愛することができたからである。
 一方、カルメンほど斜に構えた訳ではないが、勝 小吉に入れあげた芸者、照古満も泣かせるではないか! 小吉を二度まで救って命を落としたが、自ら「はした女」として迷惑を掛けぬように亡くなってゆく。分限思想は大嫌いな自分だが、人の知恵は己を知ることにあるのもまた事実である。自らが自らの頭で考え抜き、社会の不条理の中で納得できたなら、悲しいかなそれは上意下達ではなく実存としての己の選択の結果である。逆に言えばそれだけ深く自らの人生を背負って生きたということである。このような見方をする時、照古満の人生は内面から輝きを放つ人生なのである。
 カルメンの妹分も同様である。上方から流れてきた沢村との逢瀬で、自らを「はした女」として一歩下がった所から自己規定している。如何に女性が公式的立場からは被差別的に扱われていたとはいえ、若い女性が、己の社会的位置を一歩下がって認めるということは、並大抵のことでは無いように思うのは、現代に生きる我々の性からだけだろうか?  
 さて、どん尻に控えしは、小吉の妻、信である。小吉の本人にすら思いつかなかった魂の迷いを見事に見抜き、小吉を遊ばせて更に自由に奥底への旅に向かわせている。真に頭の良い女性であると共に紛れもない女傑であろう。小吉は信故にこそ、自由に羽ばたくことができたと言いうるからである。
 社会性で男を立てた世界を描くと共に女性のこのような強さ、存在の深さを描いている点でも優れた作品だいうことできる。
成り果て【グリーンフェスタ2016 GREEN FESTA賞 受賞作品】

成り果て【グリーンフェスタ2016 GREEN FESTA賞 受賞作品】

ラビット番長

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2016/03/03 (木) ~ 2016/03/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

スタンディングオベーション 花5つ星
 ラビット番長の作品系列は、まず2通りに分かれる。

ネタバレBOX

人間の優しさやしなやかさ、温かさなどを強調して描く作品群(「ギンノキヲク」シリーズなど)と抑圧され歪んだ人の魂や暗黒面を描いた作品(「白魔来る」など)だ。つまり人間の持つ二面性をそれぞれの作品に負わせた作品群である。だが、彼のペンネーム三兎は恐らく3羽の兎を同時に狙いたい、との意を込めたペンネームなのではないか? 今作はその3つ目の可能性、技術と人間の相克に力点があると思うのだ。(作品でいえば「RS」などの系列である)。
 三方を一人でこなすのは何も作品傾向だけではない。演劇人としての彼も三役をこなす。劇作家、演出家そして役者である。今作でもこの三役をこなしている訳であるが、他劇団への客演や後進の指導もこなし当に三面六臂の活躍なのである。
 こういった演劇人としての活動で多忙を極める彼だが、自らの内面の進化をも決して疎かにせず、人間性を豊かで深いものにしていることが良く出ている。人間が一回り大きくなったという印象を受けると共に、将棋という厳しい勝負の世界で優しく在ることの困難、そのような性格故の勝負での隙、更には勝負師としてのこれらの弱点を克服する姿を天野 高志というキャラクターに描きこむことで、実に自然に人間性の深まりを表象している。この苗字と名前にも無論、作家は意味を付与している。また、高志が、プロの将棋士になることを諦めても、生まれてきた我が子の為、愛する妻の為、そして亡き父の病に負けまいとの意意を自らの選択によって継承しようとする姿故に、不条理に抗う人としての高い姿勢が観客に訴えてくる。
 また板上の開閉可能な目隠しに描かれた文様は将棋の駒の形だ。歌謡曲の歌詞ではないが、吹けば飛ぶよな将棋の駒をこのような形に活かす。こういう細かい点にも神経の行き届いた配慮を見せている点も心難い。
 ところで、最後の場面で肝心なことは、嵌め手を使わないことを選んだ点にある。嵌め手を選べば勝率100%であるにも関わらず、敢えて勝率5%に賭けることを選んだ所に森九段の精神の戦いがあり、人間のプライドが在るのである。そしてそれは、コンピューターサイドに選べる選択肢ではあり得ない。何故なら、コンピューターのプログラムのコンセプトは勝つためのプログラムというオーダーで組まれているから、唯一の展開は尖鋭化することだけだからだ。即ち100%の勝率と5%の勝率のうちどちらを選ぶかは、プログラムのコンセプトを決めた段階で決しているのである。然しながらヒトはことほど左様に単純でも無ければ悩まない者でもない。その人間が人間として在ることのかけがえのなさと、勝ち負けだけでは測れない生きて在ることの意味、その重み、そして人らしく生きることによってのみ得られる充足感と幸福を、即ち人間が人間らしくある為に選ばれたこの選択が今作の要であることに異を挟む者はあるまい。
 だが、井保 三兎氏の凄い所は、こういう恥ずかしい褒め言葉をちゃんと茶化していることだったりするにょだ!
負け犬ポワロの事件簿

負け犬ポワロの事件簿

東京AZARASHI団

サンモールスタジオ(東京都)

2016/03/04 (金) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★

後半は何とかまとめたが
 キネ旬ベスト1「竜二」や「チンピラ」を撮り33歳で亡くなった金子 正次の生き様を思い出させる挿話が挟まれたが、気に入ったのはこの挿話部分。

ネタバレBOX

前半部のギャグは、表層的で自分の感覚では芸のうちに入らない。無理矢理、作ったという印象の作品であった。

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