ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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「月いち座布団劇場 六月篇」

「月いち座布団劇場 六月篇」

占子の兎

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2017/06/22 (木) ~ 2017/06/22 (木)公演終了

満足度★★★★

 お題は上演順に”明烏”、”猫”、”お見立て”である。落語の噺故内容は書かない。(追記後送)

ネタバレBOX


“明烏”では、堅物の息子の堅物ぶりをどう演ずるかが見所だが、これが中々に上手い。青っ白い顔色の説明では、実際、そのような表情で登場しているし、現代で言えば引き籠りに近いようなぼんぼんの堅物ぶりをこれでもか、と中盤までキチンと演じ続けた上で終盤のドンデン返しを見せるのだが、当然予測できるこのドンデン返しそのものより、その見せ方と、或る意味優等生である息子を案ずる親の心が良く表されている点でも、この噺が名作と謳われる理由がよく分かる作品である。
“猫”を扱った作品は絵画、彫刻、文学、音楽など凡そ人の歴史の中でもその作品の数や表現の多様性には目を見張るものがあるが、それも故なきことではあるまい。犬と違って、猫は人に自由の夢をみさせる。その分、人間より高い存在として描かれることも多いのである。殊に、文学に描かれる猫の殆どは人間など小馬鹿にしているのではないか? くしゃみ先生の飼い猫には名前こそないが、先生をからかった描写も多いのは誰もが知る所である。フォークナーなどは、猫の会議で、人間どものどうしようもなさを活写している。スィフトはそれをフーィヌムにやらせているが。まこと、人間とは愚かな生き物である。云々を伝々と読むアホそのものの「首相」とやらは恥を知らぬのみならず、己自身が無能であることも自覚するのを誤魔化し続けている大嘘吐きであるが、その事実を認識することすらできないウツケの癖にそのことがまるで分かっていない。あんなアホが、人間というものの代表ということになっているのだから、猫に軽蔑されて当然であろう。それで分からないから、このオチがあるのだ!
どんじりに控えしは“お見立て” である。


風に抱かれて

風に抱かれて

立教大学演劇研究会

立教大学 池袋キャンパス・ウィリアムズホール(東京都)

2017/06/15 (木) ~ 2017/06/18 (日)公演終了

満足度★★★★

自由の代償! 甘えが無くて良い。

ネタバレBOX

 東京から作家が僻村を訪ねてくる。彼の目的は、村に残る民譚や風習の収集であるが、案内役の娘はしきりに村からの脱出を勧める。彼女は村きってのインテリで外部の情報、村双方の情報に通じて居た為、村長自らが案内役として抜擢したのだ。然し、作家はこの風の強い村の秘密に出会ってしまう。結果、囚われの身となり、過去に同じような道を辿って幽閉された民俗学者などの男達に出会うが、風の精に最も気に入られたのはどうやら作家であった。他の男達は憧れの風の精に会えないことで嫉妬の炎に身を焼くが、他の男達が、村娘達に懲罰を受ける為に連れ出される時を見計らって、案内人が救助の手を差し伸べる。あと一歩で脱出できるという段になって作家は美しい風の精に身を任すことに賭ける。恰もそれが宿命であったかのように、俗世の自由への道を断念し、宿命に身を任せる所で終劇となる。
 然しながら、風の精に身を委ねることは、永遠に幽閉されることを意味する。だが、作家にとっては、こちらが真の自由であり、大した価値を認めることのできなかった都会生活や村の日常にさよならをした時、真の自由即ち、絶対自由のアンチノミーに飛び込んでゆくのである。解説しておくならば、自由とは自由な選択の意味であり、絶対自由を手に入れた場合、我々の出会う事態とは、総てが選択可能であるが故に何一つ選択できないという状態だからである。換言すればそれ故にこそ、絶対自由なのだ。
るみ子のお酒~こだわり夫婦の一滴/満寿泉〜岩瀬を繋ぐ男

るみ子のお酒~こだわり夫婦の一滴/満寿泉〜岩瀬を繋ぐ男

Unit Blueju

西新宿ハーモニックホール(東京都)

2017/06/15 (木) ~ 2017/06/17 (土)公演終了

満足度★★★★

 酒にまつわる話2編。休憩あり、試飲もある。(追記2017.6.20)2編合わせての評価は花四つ☆。

ネタバレBOX

「満寿泉~東岩瀬を繋ぐ男~」
裏日本の地方都市から更に奥に入った過疎化に見舞われた集落の造り酒屋に生まれた現社長の八面六臂な活躍に振り回されながらも、その発想の壮大、忌憚の無い物言い、その発言の底にある真の優しさ、ヴィジョンの明確さとブレの無さから他の人々のインセンティブと真の能力を引き出し、常に前向きに進んでゆくパワーと大らかさが作り出す人間の絆の靭さと、本気を出すことで得られる可能性の大きさを示して圧巻。モデルになった社長さんは作品に描かれたキャラクターのような人だと言う。実際にお会いしたい人物である。
 何より、ものを作り出す人間の心を深く理解し、為すべきことを明確に見極めて、一所懸命に進んでゆくところが素晴らしい。5つ☆
「るみ子の酒」
 先代が脳梗塞で倒れ、造り酒屋を継ぐことになったるみ子、旦那の理解とママ友、倒れはしたものの、大した後遺症も残らずに済んだ父、優秀な杜氏らに助けられどうにか3年を過ごしたが、自分で納得のゆく酒が造りたいという心のせいで、経営はじり貧、このまま続ければ一家心中も考えねばならない窮地。一世一代の賭けに出たが、周りの多くの人々の助けもあり、一旦窮地を脱することはできたものの、品質のみで売れるのではなく、洒落たラベルや、一躍有名になったことによる集客効果で売れるようになったことで杜氏以下、酒蔵を支えてきてくれた人々が一斉に辞めた。
こちらは、酒造りとしてはトーシローだった夫婦が、これでもか、と言うほどの試練を越えて独自の味わいを持つ純米酒を作り上げてゆく話だが、酒のテイストについての面白さでは、試飲させて頂いた「るみ子の酒」は格別であった。然し、演劇としてはリアリティーは感じるものの、飛躍の度合いがやはりリアルで演劇の持つ魔法のレベルに届いていたとは思えなかった。それで4つ☆であるが、真面目に酒造りに取り組み、出来上がった酒は見事なものであった。また、飲みたい!
紅と影法師

紅と影法師

中央大学第二演劇研究会

高田馬場ラビネスト(東京都)

2017/06/15 (木) ~ 2017/06/18 (日)公演終了

満足度★★★★

 人の行為の属性とは、その主体が何らかの意志を以て事に当たり遂行しようとしても、その在り様は、泥が泥を捏ねるが如くである。このことのリアリティーをキチンと描いている点で、多くの学生演劇と一線を画している。シナリオのしっかりしていることは無論だが、舞台美術、照明、音響、スモークなどの効果も上手く使っている。初見の劇団だったが、フライヤーの持つ独特の雰囲気を裏切らぬ優れた舞台づくりであった。今後にも期待している。花四つ☆(追記後送)

黄金の猿

黄金の猿

ワイルドバンチ演劇団

d-倉庫(東京都)

2017/06/14 (水) ~ 2017/06/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 武田 信玄に与した真田の忍び、唐沢 玄蕃は、その器量の大きさと壮大な夢に力を与える人間的な靭さ、そして己を的にさせることで、仲間を守る優しさを評され、信玄の覚えが目出度い。無論、昌幸も玄蕃のこの性格を高く評価している。(追記2017.6.21)

ネタバレBOX

然し、流石の信玄も寄る年波には勝てぬ。終に崩御の時を迎えた。信玄を継いだ勝頼では重石が効かぬ。織田、徳川、北条らの連合、包囲は着々と武田を追い詰めて行った。武田は終に終焉を迎えた。然し、真田は、智将昌幸の下、独自の道を歩む。
 プラグマティックでなければ生き抜けない戦国の世の論理に、どこか人間的な夢を見、それを追った者達と、時代の趨勢に呑まれ自らその走狗として生きることを選んだ者達の葛藤を通じ、人間という生き物の抱える哀しみや苦悩、宿命に対する選択と態度を鮮やかに描いてみせた。
 真田の緋縅と武勲、采配の妙と結束の固さ、そして血脈を残す為に親子、兄弟が敵味方に分かれて争わざるを得なかった時代の価値の中で、何れも最大限の成果を上げた知の勝利に関して異論を唱える者はいないのではないか? そして、その勝利に大きな貢献をしたのが、情報収集をその根本とした忍びの活躍であった。講談などにもなった真田忍軍である。猿は猿飛佐助を暗示しようが、この真田勢力と風林火山で一世を風靡した猛将、武田信玄が、プラス要素のキャラクターであるなら、長く命脈を保った北条氏と彼らを盛り立ててきた風魔一族が、マイナス方の代表ということになろうか。作品は、どちらにも過度な肩入れはしない。何れも己の信じた宿命の為に生き、その生を貫こうとした者たちとして同等の重さで描かれている。役者陣もその辺りのことはよく分かっていて、互いに役を生きていた。無論、演出もこのような表現をする為にバランスをキチンと取っている。その結果、作品にバランスと深みが生まれ、観る者を彼らの戦いの現場に連れ出す。殺陣を演じながらの唐沢 玄蕃と風魔 小太郎の命とレゾンデートルを賭けた論争も見所だ。
時来組何回目かのアトリエ公演 多分9回目・・・。(仮題)

時来組何回目かのアトリエ公演 多分9回目・・・。(仮題)

神田時来組

ART SPOT LADO(東京都)

2017/06/10 (土) ~ 2017/06/18 (日)公演終了

満足度★★★★

 アクセス地図を見ていたら、なんとラドはラドリオⅡ(元)ではないか!? 花四つ☆。

ネタバレBOX

今でも元々のラドリオは営業しているハズだ。何れにせよ、因縁を感じるのはラドリオは好きで良く出入りしていた店だからである。神保町は子供の頃から縁のある街で、社会人になってからも仕事場が界隈に在ったり、ずっと付き合いのある街なので、この符号に驚いてしまった。閑話休題、自分のことなどを書き込んだのも、今作に関わりがあるからである。今回は、時来組に入った新たなメンバー4人のお披露目公演ということなのだが、3つの作品のオムニバス形式の上演で、その第一作が、ラドリオの斜め向かい辺りに実在する”ミロンガ”や、作家が原稿を書く為に缶詰にされることで有名な(無論、それだけ落ち着いた、サービスの行き届いたホテルなのである)山の上ホテル等、神保町馴染のホテルや店が登場するからであるし、観客に対する前説の対応の仕方も、如何にも小粋な神田らしい体の物だったからである。一作目は推理物ということになるが、こういう地元感覚を大事にした作品でもあった。
 二作目は、云々伝々首相(どこかの植民地首相で云々を伝々と読んだことで有名。自分の愚かさを隠す為か、三代将軍、家光の三本の矢の話を持ち出すアホで、何チャラミクスなどというたわけた「理論」を得意になって実践させている。)をおちょくった作品で、とんでもない新法の施行で庶民が塗炭の苦しみを嘗める話だ。
 三作目は、口上から察すると再演か再々演の作品だと判断した。第二話では、悪法の為に二十年以上も鍛えて来た技術を断念しなければならなくなった職人の、徒弟としての修業の話に心を撃たれたが、三作目では、小学校低学年の時提起され、血判状迄作って、二十年後に会って埋めたタイムカプセルを開封する約束を巡っての淡い恋と、恋に揺れる二人の重い現実とが、ピュアに描かれているが、女心の恋に賭けるひたむきな様を描いてホロリとさせる。どんでん返しもあって、こちらは、見抜けなかった。
大脚色

大脚色

Dangerous Box

ザムザ阿佐谷(東京都)

2017/06/08 (木) ~ 2017/06/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

 単に推理劇に終わらず、表現者論にも踏み込んだ知的な作品。素人さんにも分かるように、結構擽りも入れてあるから、幅広い層の人々が楽しめよう。

ネタバレBOX

 舞台は、中央の応接セットを囲むように、天井から床まで白布が下げられているが、白布は2枚でワンセットになっており、応接セットの奥の高い位置に矢張り天井からブランコが吊り下げられている。
 オープニング早々、多くの役者が登場し様々な科白をポリフォニックに語るのだが、その後、2人の作家が登場、小説家という表現者の「位置」について語る。ところで、このシーンで実に大切なことが、現れている。その一つは、表現する者の意味及び結果として出来上がった作品と作家の関係、作品が出来上がる過程に於ける作家のコノタシオンと作品及び作品を受け取る者との関係を敢えて簡略化し、誤解するように誘導しているのだ。実は、今作、推理作品でもあるのでもう一つ仕組まれた罠があるのだが、無論それを明かせば、これから観る人の妨げになるから、明かさない。
 面白いのは矢張り序盤で、神の位置を人間の創造物として規定している点である。中盤でも極めて本質的な科白がある。ヘミングウェイが書いた聖書のもじりとして現れるその科白に於いて大事な部分が“無”に置き換えられている点である。ホメーロスの叙事詩、オデュセイアに描かれるオデュセウスの逸話に巨人、キュクロプスとの戦いについての挿話があるが、目を潰されたキュクロプスに「お前は誰だ?」と尋ねられた所でオデュセウスが、ウーティス(nobody)と応じたことに近いかも知れぬ。何れにせよ、この“無”は終盤、最終部に繋がる重要な部分である。
 終局、自分が説明して来た通りに話が進み、自死したヘミングウェイが変更する前の聖書の一節が語られる。と同時に、最初、自分が明かさないと書いたトリックの結果が、示されている。答えは今夜、劇場で確かめられたい。楽日である。
時代絵巻AsH 其ノ拾『黄昏〜たそがれ〜』

時代絵巻AsH 其ノ拾『黄昏〜たそがれ〜』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/06/07 (水) ~ 2017/06/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

二度目の観劇である。二度目ともなると音響、照明などの効果についてもより詳しくチェックする余裕も生じる。で結果であるが、これもタイミング、効果の度合い、何れも流石に上手いのだ。初回に続き、花5つ☆。

ネタバレBOX

的確さは無論のこと、タイミングや、明度や音量、用いる効果音の選択に至る迄、舞台上で演じられている内容に即しているのは勿論のこと、観客の心理を盛り上げ、或いは消沈させるような心理的要素に対しても巧みな手腕を見せている。
シナリオの重層性についても矢張り言及しておくべきだろう。主人公である、将門の描き方は無論のこと、将門を討たざるを得なくなる貞盛、追討を命じる藤原北家の面々、貞盛に力を貸す藤原 秀郷、将門を阿弖流為と同等の王と看做し加勢する蝦夷の面々、将門を謀反人という存在にしてしまうことになる国司の興世王、その計画に利用される義賊気取りの玄茂、そして俘囚として生まれたが故に、敵に密通する大蛇丸、如何に無勢となろうと手を差し伸べる将門・貞盛の叔父、平良文など脇をしっかり活き活きと描き込み物語に膨らみと深さ、そして演じる役者達のインセンティブを高いレベルに保つことになるシナリオの作り、細かい所に気配りの見られる演出と役者達個々人の工夫の総和が、活気に満ち、広がりと深みそして残響を以て観客の胸に迫る。
ロコモーション!

ロコモーション!

演劇企画アクタージュ

明石スタジオ(東京都)

2017/06/08 (木) ~ 2017/06/11 (日)公演終了

満足度★★★★

 開演前から、かなり多くの役者が板に着いて、スラップスティックな寸劇をやっている。

ネタバレBOX

その舞台美術であるが、構造が多少変則的であるものの、舞台設定となるホテルの一室ということになっていて、話もジューンブライドに掛けてあるので、清潔な感じの白を基調とした部屋に応接セットというのが基本的なレイアウト。その他、若干の備品は無論あるが、すっきりした良いレイアウトになっている。
 話の内容は観て貰うとして、若干ファンキーで終始スラップスティックな内容なので、その内容にマッチした明るい雰囲気を保ち続けている所に、今作の成功があるだろう。笑えるし、楽しめる。良い意味で肩の凝らない作品だから、梅雨入りしたどんより気分を吹き飛ばすにはもってこいだろう。いくつか推理を楽しめる部分もあるから、唯笑ってばかりいないで、どれだけ早く真実を見抜けるかも注意して観ると増々楽しめる。
雨と猫といくつかの嘘

雨と猫といくつかの嘘

【2020年4月 演劇集団円プラスワン企画】コトブキプラネット

遊空間がざびぃ(東京都)

2017/06/08 (木) ~ 2017/06/11 (日)公演終了

満足度★★

 現代日本のだらしなさがそのまま出たような作品。

ネタバレBOX

ただ、日々をうっちゃって時の流れに揺蕩うだけの人間なんぞより、にゃこの方がよっぽどマシ。風太郎の母が繰り返す「覚えてる?」というバカげた質問で、何を浮かび上がらせようというのだろうか? 三島由紀夫でもあるまいに、生まれた時の光景を覚えているなどと、シャアシャアと言う嘘吐きが他にそうそう居るものか! かと言って血統的に能力の劣ることを、必死に悩むだとか、鉄平が一緒に暮らしているのが、LGBTの元野球部エースで今は性転換している人間だとかの問題を掘り下げる訳でもない。折角、芝居になりそうな要素を一切掘り下げず、而もアンチテアトルとかいう作品破壊をラディカルに実行しているとも思えない。
 では、細部にリアリティーがあるか? と考えると時代によってビールのラベルは異なるものの、ずっとアサヒである。アサヒスーパードライの前、一番飲まれていたのはキリンラガーだ。まあ、時代区分をハッキリとっている訳ではないから、余りガタガタ言っても始まらないが。そんなことより、結婚式を間近に控えた娘が婚約者を連れて父を訪ねて来た席で茶を淹れるのに、湯飲みの九分目迄注ぐ馬鹿が何処に居るのだ? 婚約者の目の前で若い女がそんな作法外れのことをするハズが無いではないか? それともこれも劣る血統を表す演出なのか? シナリオには、以上のような欠点を感じたし、演出についても上記のような不満を感じた。せめてもの救いがにゃこであった。
時代絵巻AsH 其ノ拾『黄昏〜たそがれ〜』

時代絵巻AsH 其ノ拾『黄昏〜たそがれ〜』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2017/06/07 (水) ~ 2017/06/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

実に素晴らしい舞台だった。未だ興奮が冷めない。時代劇を観てこのような体験をしたのは初めてである。この数年で2千本程度の作品を拝見しており、時代劇に限れば10分の1としてもである。というより、これだけ印象に残る作品は観劇した全作品の中でも10作に満たない。そのうちの1本である。絶対観るベシ!! 花5つ☆

ネタバレBOX

ところで、芝居好きなら誰でも気付くソフォクレスの傑作に出てくる科白を想起させるシーンが今作にもあるのだが、これも偶然ではない。今作の構造が、ギリシャ悲劇の構成に近いのだ。コロスのように現れる将門側近によって語られる意(おもひ)はポリフォニックな大音声となって幕開きから観客を引き込む。実に上手いオープニングである。而もかなり早い段階で陰陽師が登場して、これから起こるであろうことを予言するのである。そして、陰陽師の予言は、神ならぬ人の世の浅ましさを通じて具現化してゆくのだ。その只中に置かれた将門と平家一門の総領として歩まねばならなかった貞盛の悲運を軸にした展開こそ、この物語の核である。天性の資質として自由闊達な気性と天衣無縫な大らかさそして希代の優しさを持つ将門が、都の貴族たちの陰険で悪辣、而も無慈悲な政争の具に貶められ命を失うまでの一大叙事劇でもある。この時、武者として最も大切な二つの価値が、貞盛、将門それぞれに、一つずつ守り通されたことも見逃せない。
 いつの世も権力闘争に群がる者たちの精神は穢れ、血と汚辱そして悪徳に塗れているものだが、その実態を見事に描き出している点でも秀逸である。
 ギリシャ悲劇以来の演劇の伝統を見事に作品に活かしつつ普遍的なレベルに迄作品を高め得たシナリオ、演出の見事さ、役者陣の演技の良さと役を通じての間合いの取り方のバランス感覚、合理的且つ美的な舞台美術に適確な照明、音響の効果何れも優れたものである。
 初日が終わったばかりなので、余り詳しいことは敢えて書かないが、観ておくべき傑作である。
ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ

演劇企画集団THE・ガジラ

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2017/06/04 (日) ~ 2017/06/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

 原作の骨子をキチンと押さえながら、ドグラ・マグラという作品が奇書のレッテルを貼られる原因、

ネタバレBOX

即ち人間存在の裸形を深く穿ってゆくときに必ず立ち現れる、いわく言い難いもの・こととの対峙を、別の言い方をすれば、ハイデガーが述べた“ダーザイン”の意味する所へずり落ちてゆく時に見る、人間存在の根底に横たわる不如意の不気味を提示し得ていよう。舞台美術も、奈落の使い方も気に入ったし、柱の横に据えられた梯子、水場も良い。何より、気を引き締めようとする時や、テンションの上がる時に水が介在する点もグー。この水は我らの存在自体がアモルフであることを象徴してもいるだろうから。
 役者陣の熱演も気に入った。劇化することが極めて難しいと考えられる今作を、極めて印象的な舞台に仕上げてくれたのは、脚本、演出、そして役者陣であるのだから。
Die arabische Nacht|アラビアの夜

Die arabische Nacht|アラビアの夜

shelf

The 8th Gallery (CLASKA 8F)(東京都)

2017/06/02 (金) ~ 2017/06/05 (月)公演終了

満足度★★★★

 今作の作家は、ローラント・シンメルプフェニヒと言う作家で、現代ドイツ語圏で最も多くその作品が上演されると評判の作家である。1967年西ドイツ生まれというから50歳ほどの作家ということになる。今作の舞台はかつてホテルだった学芸大学のCLASKAというアトリエでの公演だ。現時点で花よつ☆(追記2017.6.21)

ネタバレBOX

Shelfの公演は、キッドアイラックや春風舎、横浜の古いビルの一室、そして今回のギャラリーといった非劇場の公演が多いようである。まあ、春風舎は一応小劇場ではあるが。何れにせよ、ギャラリーの床はそのままで、床面に白い長方形が描かれ、客席は品川方面に向いている本物の窓の前を除く3辺に沿って作られている。因みに窓には赤い文字・而も英語表記で、成田空港までの距離は64.2Km、品川4167mと書いてある他、床には、劇中の科白やエントランスの位置、物語の鍵になる鍵束の落ちる位置、回廊、唯一実際に置いてある家具らしい家具であるソファーの位置指定、実物は無いが在るとされているサイドテーブルが矢張りアルファベットで記されていたりする。他小道具としてコニャックの少し残った瓶。ソファの周りに脱ぎ散らされた女物の衣類そして、ソファには女が寝そべっている。これだけ舞台美術がシンプルだと、想像力を最大限に強いる舞台だということが、良い刺激となって観客に伝わる。而も異国情緒のエッセンスであるアルファベットが部屋中に踊っていると言う訳だ。象徴性でいうならば、窓に書かれている外界へのアプローチが、閉鎖系としての上演中の劇空間に対する現実世界への通路(窓口)を表していると同時にヨーロッパ人にとってのアラブ人、アラブ世界という異国趣味をも表象している。無論、この話はそんなに単純なものではない。但し、それが日本人に簡単に理解できるという話ではさらさらない。調べれば調べるほど深みの増す作品であろう。
 アラブ系文学の代表作として、誰もが即座に思いつくのが「千一夜物語」だろうが、今作には、この物語に出てきそうな、ヨーロッパから見たアラブ世界の魔法の感覚のようなものが感じられる。現在に即して言えば、ボルヘスやマルケスに代表されるようなラテンアメリカ作家のマジックリアリズムに近いと言えるのかも知れぬ。何れにせよ、移民が人口の多くを占めるヨーロッパ先進国の日常空間に於いて、異国文化に対する様々な反応や戸惑い、憧憬や反発が複雑に絡まり合って成立している状況を感覚的受容を含めて上手く吸い上げた作品ということなのであろう。残念乍ら、自分がドイツ人と話をする時はフランス語を使っているので、フランス語のできるドイツ人としか基本的には話さないのだが、その狭い窓から見えたのは以上のような世界であった。
逝ったり生きたり〜ver GREEN〜

逝ったり生きたり〜ver GREEN〜

SAF+

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/06/03 (土) ~ 2017/06/04 (日)公演終了

満足度★★★★


 元々は大阪の女子校生によって7年前に演じられた、高校演劇の話題作だという。

ネタバレBOX

どうりで! 坂本九の「上を向いて歩こう」が劇中何度も流されるのに、リモコンが使われたりすることにしょっぱな違和感を覚えたが、時代背景を説明している訳ではない、と納得した。
中盤迄は、関西らしく二人芝居というよりは漫才のノリである。
一方、内容が生き死にに関わることなので、段々、シリアスな科白、時にしんみり、時に哲学!? 的にすらなったりするのだ。そしてその表現の齎すテイストが、如何にも思春期の少女たちの柔らかい感性を感じさせる所に今作の真骨頂があるだろう。今回演じているのは、基本的には2人の男性俳優であるが、(その他にナース役の女性も登場するが、出番が余りにも少ないので基本二人芝居と観た訳である)内一人は常に苗字で呼ばれ、もう一人がファーストネームで呼ばれているのだが、孝子という名なので、この辺りは演出家のユーモアであろう。何れにせよ終演に近い部分にはドッペルゲンゲンルと取れるような状況まで飛び出すのだから、若書きの面白さと醍醐味を味わえる。


夜を忘れなさい

夜を忘れなさい

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/06/02 (金) ~ 2017/06/06 (火)公演終了

満足度★★★★

タイトルはマザーグースの歌から採ったそうである。手元にあるマザーグースの歌の中には無かったものの、そういうことらしい。まあ、マザーグースの歌はかなりの数があるということだから手元にある200ほどでは埋め尽くせないということでもあろう。

ネタバレBOX

作品の中には邯鄲の枕の話が出てくるし、夢と現の曖昧模糊とした辺りは、複合意識の底に蠢き台風の目のように明澄でありながら、目の前に在るのに触れられない不可解なギャップや思いがけない跳躍、訳も無い焦燥感などを睡眠障害として訴える顧客たちの言動や、添い寝屋のナオが出遭った少女との邂逅を懐かしく而もどこか白々しく感じていたことに集約されよう。実は少女が夢と現の橋渡しをする存在であり、彼女の能力は夢と現の等価交換にあり、それが実施された暁には、ナオの現実から、何かが失われてゆくのであった。挙句、ナオは少女と対決するに至る。その勝敗は五分と五分。1年後、大学も止め消えたナオを追って部屋を訪ねて来たかつての客に、ナオの唯一の大学時代の友人は、彼の消息は杳として分からぬことを告げるが、顧客は、そういう訳だのに、電気も水道などのインフラも、部屋の様子も当時と一切変わらずに維持されていることを告げる。残ったものは、何とも言えぬ不如意な感覚である。そしてそれは我々の体温に似ている。

赦せない行為・余炎

赦せない行為・余炎

さんらん&トゥルースシェル・プロデュース

ギャラリーしあん(東京都)

2017/05/31 (水) ~ 2017/06/04 (日)公演終了

満足度★★★★

 柳井 祥緒氏、森本 薫氏の作品である。柳井氏の脚本に関しては、流石と言うしかない。柳井氏の作品は花5つ☆、森本氏の作品は3つ☆全体では☆4つとした。2作品の間に休憩が10分入る。柳井氏の作品は絶対見るべし!(追記2017.6.4 02:30)

ネタバレBOX

どんなに才能のある作家にも出来不出来というものがあるものだが、柳井氏のシナリオに限っては、今まで拝見した総ての作品に出来の悪い、という作品が一作も無い。その中でも今作は「艶やかな骨」と共に出色の出来栄えである。こういう作品に出演する役者は幸せである。何故なら、作品が、役者を活かすからである。演じることが生きることに繋がるシナリオなのである。或る程度、シナリオが良ければ、良い役者は、シナリオを生きることができる。だが、このシナリオは、演じることが、生きることに重なる。そのような稀有なシナリオなのである。
 柳井氏のシナリオが生のシナリオであるなら、森本氏のシナリオは死のシナリオであると言えよう。書かれた時代の背景もあるのかも知れぬ。何と言っても治安維持法下の作品である。それ故に森本が敢えて死の作品を書いたのだとしたら、その才能は驚嘆すべきものであるが、シナリオ自体の出来で比較すると、柳井氏のシナリオを百点とすれば、森本氏の作品は、50点ほどか。
では、柳井作品のどこがどのように生に繋がるのか? それは、今作の主人公、伊坂なみ女の芸術家としての生き方が、人が人としてあるべき尊厳を湛え、而もそのことが、芸術の目指すべき真の姿に重なると同時に、その精神の根底を支えるものが、徹底的に率直であろうとする姿勢であり、そのような生き様であることに起因している。アーティストは、そのような生を実践することによってのみ、プライドを維持する。そして、このプライドが、治安維持法下での戦争協力をさせなかったものの正体である。
 それに引き替え、彼女の師であった蒼穹は、表面的には戦争に加担しないというアリバイ作りをしながら、その実、特攻基地に密かに潜り込んで時流におもね、死に行く若者たちに句を書いていたのである。彼女は、それを食堂の賄婦として働きながら観ていた。
 その辺りの事情をなみ女の妹弟子、凪子との句合戦で明かしつつ、天才の持つ力の源泉と其処から生み出される、言の葉の息吹として、劇化し演じてみせるのである。じっと、物事を見つめ、深く本質を見抜いて、その本質に生命で触れ、理解し葛藤し昇華する。これら総てが舞台上で表現されるのである。深く打たれぬなどということが在り得ようか!?
 ところで、以上の内容が劇的に設えられる前提がある。それは冒頭で、なみ女が、句を止め、句集を寺に奉納するとして、彼女の親友、ヨネが、住職に話をし、住職がもう来ることになっているシーンから始まるからであり、なみ女がそのような決断をしたのは、蒼穹に葉書を出してから10日経っても返事がなければ、句界を去ると決めていたからである。凪子が師の「句会へ戻ってくれ」との伝言と共にやって来たのは11日目であり、ヨネとなみ女の関係は、或いは凪子同様なみ女を愛していたからかも知れぬというサッフォー的な意味合いも含めての女同士の三角関係であり、師の偽善となみ女とのアーティスト魂との戦いであると同時に、彼女がミューズから愛されているか否かを賭けた戦いでもあったからである。この前提の中にも生命の激しい燃焼が炎を煌めかせているのが見える。
ぼちぼちそろそろ~farewell

ぼちぼちそろそろ~farewell

劇団SHOW&GO FESTIVAL

「劇」小劇場(東京都)

2017/05/30 (火) ~ 2017/06/04 (日)公演終了

満足度★★★★

 短編4本からなるコメディーと銘打った公演だが、劇小劇場閉鎖へのレクイエムとも取れる切なさ籠る作品群だ。(花四つ☆)

ネタバレBOX

1本目は設定が中学3年生ということもあり、若干、力の入り過ぎた役者も居たが4本とも脚本が良く、そのほかの作品では演技・演出も落ち着いて役者陣もいい味を出している。作品相互の関係は緩やかに繋がるものと独立したものがあるが、齟齬は感じなかった。一本目以外はシチュエイションも大人のものとなるので、人生の味・深み、苦さ等が良く出ているせいもあるだろう。一方、1本目のダメ三銃士たちは、もっと恥ずかしげに、ナイーブさを出しても良いかも知れない。その方が如何にも気弱でダメな男の子らしいように思う。要は思春期の男の子の持つはにかみを、ある程度ストレートに出しても良いのではないか? と考えるのだ。大人の話になる3本は、笑いの中に、何れも身につまされるシーンが鏤められており、頗る楽しんだ。
『あぁ、自殺生活。』4月~6月/365

『あぁ、自殺生活。』4月~6月/365

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2016/12/31 (土) ~ 2017/05/29 (月)公演終了

満足度★★★★

 今作、2度目の観劇である。前回(3月末)と大きく変わった点は、
(気まぐれ追記2017.5.31)

ネタバレBOX

舞台美術。駅の椅子などにも変化があったが、最も大きく変わったのは、客席天井も含めてラップが垂れ下がっていたり、メインの登場人物2人の体のかなりの部分にラップが巻きつけてあることである。このラップの意味をどう捉えるかという点と、ちょっと分別が難しいのだが、場面が駅ホームなのか、公園なのかである。公園の時、できれば街灯の一つも立てておいて、電燈のオンオフでどちらの場面なのかをハッキリさせ、対比を明確にするなどの演出があった方が、演劇がより立体化するように思う。また、度々衣装を変えて登場する女性と、自殺志願者2人の社会的関係がどうなっているのかについても、より明確なビジョンがあった方が良かろう。つまり、自殺願望を持っているが故に社会の「埒外」で暮らす2人と自殺を望むという陥穽に陥っては居ない精神的に健康な人との対比として女性を位置づけるなどである。
 一方、自殺願望を持つ2人の揺らぎは、対自関係を喪失するレベルの、つまり即自存在に陥るか否かの瀬戸際であろうから、互いの位置が入れ替わるというのは、実存の不如意を表現しているようでこのままで良いように思う。2人の男性の内の1人は呆けることを恐れ、自分の人生を自分で判断することができなくなることを恐れて自殺を考えているのだが、それには彼の祖父、父も呆け、本能をむき出しそれ以前には考えられなかった痴態を演じた事実が横たわっていた。人間の尊厳と本能とが鬩ぎ合う、長生きの時代には避けて通れない問題が提起されていることも見ておきたい。同時に1年の長丁場、様々な実験をしつつ表現の可能性を探って欲しい。
激熱

激熱

ユーキース・エンタテインメント

STUDIOユーキース(東京都)

2017/05/27 (土) ~ 2017/06/03 (土)公演終了

満足度★★★★

 Aキャストを拝見。花四つ☆

ネタバレBOX

中学時代からの仲良し3人組が、ユニットを組んでバンドをやっている。然しイマイチ売れずに高校卒業から7年が経過した。結婚も、恋も、バンドもしたいが、どうも座りが悪い。おまけに割り振られていたチケットノルマ代金として払った金も掠り取られてしまった。リーダーのはるかを愛することえは、ユニットを続ける為に売り迄やっている。おまけにななは右手を挟んでもう楽器が弾けないかも知れない怪我をしてしまった。そんな彼女たちのどん詰まり、誰も居ないハズの隣室から、自分達の曲が流れ、自分達がもう一人ずつ居て、自分達と同じように女子だけの音楽ユニットを結成しているのだけれど、あちらは、時に千人ものファンを動員する。
 だが、隣部屋の自分たちも決して順風満帆ではなかった。公演を打つ為に、向こうの琴絵もプロデューサーと寝ていたし、楽器を離れてエアーでパフォーマンスだけやっていることに遥と奈々の衝突の原因があった。一方、こちらのはるかは、原則通り、ギターと自分達の作ったオリジナルの曲・歌詞で勝負するという道を選択した。それが間違っていようと、正解だろうと自分が選んだことに責任を持って生きてゆこうという姿勢に辿り着く。隣同士のはるかと遥の対話の中でこの経緯が紡がれてゆくのだが、このシーンこそ、実存主義の最も本質的な部分と言って良い。
 若い女性の柔らかい感性と結婚適齢期の彼女たちの悩みがこの心象の揺らぎを作り出しているのであろうが、この揺らぎを通じて実存の本質に迫ったシナリオの良さと、演じる者達の実年齢と役の年齢が近いことからくる演技の自然な感じも良い。立ち止まらす、最後まで走り続けて欲しいものである。
「立ちあがる花々」

「立ちあがる花々」

ドラゴン・プロジェクト

中目黒キンケロ・シアター(東京都)

2017/05/26 (金) ~ 2017/05/28 (日)公演終了

満足度★★★★

 女性4世代の賑やかでぶつかり合いの多い生活は、大婆ちゃん、小婆ちゃん、お母さん、孫までが同居。

ネタバレBOX

東京の住宅街にあるマンションでの生活なのだが、流石に4世代も揃うと、それぞれの抱えてきた歴史も異なれば、社会参加の仕方も異なる。一方、血は水より濃いのか、互いに一途で負けず嫌いな性格には共通項もある。そんな女性4人が、それぞれの抱えた条件の中で如何様に生き、傷つき、記憶し、戦い、のたうち、魂の底に何かを沈めてきたのか? そしてそれらの結果の今を如何様に生きているのか? が描かれた作品といえよう。通底しているのは、今現実に我々が生きている日本に着実に忍び寄る戦争の足音、核汚染の恐怖と政府のプロパガンダに載せられ、或いは其の地から逃れられない事情から留まり「復興」への足掛かりを作ろうともがく人々への共感と連帯を求めて、一人は皆の為に、皆は一人の為にというかつて流行ったスローガンの健全な発露のようにふるまう大婆ちゃんの姿である。何故、彼女はそのような生き方に拘るのか? 何故80を過ぎて迄、辺野古に座り込みに行くのか? その答えは彼女の歴史の中にあった。彼女は信州から入植した満州開拓団の家族であった。父は教師、哈爾濱に入った。齢2歳である。然し敗戦の8月ソ連はソ満国境を越え攻めてきた。関東軍はとっくに逃亡していた。逃げ惑う民衆は或いは殺され、女はレイプされた。無論、女たちは坊主頭にし貌は黑く汚していたが、そんなことは何にも役に立たなかった。機関銃を抱えたロシア兵たちは、胸に手を突っ込んで女とみれば犯したからである。母も姉も父と大婆ちゃんの見ている前で犯された。父はまだ幼かった大婆ちゃんの目を手で塞いでやることしかできなかった。その後、満州から落ち延びる際、再度ロシア兵に襲われたことがあった。隠れていた大婆ちゃんも見付かって危うい所を姉・母が身代わりになって助けてくれたが、姉はその後、河に身を投げた。15歳であった。大婆ちゃんは復讐を誓った。ロシアとロシアの横暴を許して自分達だけは先に逃げた日本軍に対してである。
 未だに沖縄の人々の辛酸に共感し、80を超えた今も沖縄に座り込みに行くのは、沖縄では未だ戦争が終わっていないことを知っているからである。現在司法を含めて沖縄の人々の心と魂を砕こうと躍起になっている政府に理のあろうハズもなく、理を主張できるのは沖縄であることを充分に知っているからである。沖縄戦では、島民の25%が亡くなったと言われている。現在も続く占領下で喘ぐ沖縄の姿が、明日のヤマトの姿であることを大婆ちゃんは見抜いている。
 ところで、現在、皆の生活を支えているのは小婆ちゃん、近所の評判なども気になり、大婆ちゃんの正論をすんなり受け入れられない。おまけに大婆ちゃんに対して間違った記憶が原因になって対立していた。(上演中故ネタバレは此処まで)

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