ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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6団体プロデュース『1つの部屋のいくつかの生活』#3

6団体プロデュース『1つの部屋のいくつかの生活』#3

オフィス上の空

吉祥寺シアター(東京都)

2021/04/09 (金) ~ 2021/04/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「1つの部屋のいくつかの生活#3」
“黄”を拝見。尺は各々約1時間。休憩後次の劇団が演じるスタイルだ。劇の進行する舞台美術としての大道具は変わらず、簡単に移動できる道具は、各劇団の裁量で用いている。各回2劇団が1本づつ上演する。(追記後送)

ネタバレBOX

「1つの部屋のいくつかの生活#3」2021.4.13 19時 吉祥寺シアター
“黄”を拝見。尺は各々約1時間。休憩後次の劇団が演じるスタイルだ。劇の進行する舞台美術としての大道具は変わらず、簡単に移動できる道具は、各劇団の裁量で用いている。各回2劇団が1本づつ上演する。
1本目:「犠牲と補正」PandemicDesignの作品だ。
態と分かり難い方法で演じられている。例えば台詞の背景に流れる音響を大きい音にして聴き取りにくくする、同時に異なる対話が別の箇所で進行する、暗喩が充分に活きるシチュエイションでない所に放り込まれている、不明瞭ばかりが序盤に提起され中々明瞭化されない等々。作品に恰も骨格の無い体(てい)。例えていえば鵺に仮に出会った人間が居たとして、鵺そのものをそのものとして描こうとするような分かり難さがある訳だ。無論、これも世の中の鏡として提起されているのであろうから、その意味で成功しているとは言えるのだが。色々な意味で現代日本を映し出している作品であろう。例えばWミーニングで何度も用いられている「距離を取りましょう」はCovid-19蔓延下現在進行形で強制される政治屋や無能政治屋に忖度する下種公僕たるキャリア官僚共の発する責任逃れの題目に過ぎない訳だが、科学的にもこれは抑止効果があるという点に関しては意味がある台詞。それにしても、今作で設定されている加害者家族と被害者家族の社会的位置づけやメンタルな関係をも示唆している点で1つの表現が多元的に解釈できるのである。(忖度の場合は、それが為される側には、ゴマをすられている側としての優越感を与え、以て愛い奴との印象を狙う曲折した媚、多元化は意味を曖昧化することによって焦点を呆けさせる効果も併せ持つ、自分なら今作の力点を裁判の公判に置く所だ)
アン

アン

やみ・あがりシアター

王子スタジオ1(東京都)

2021/03/26 (金) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 やみ・あがりシアター実験公演。今後続いてゆくであろうオーダーメイドシリーズの第1弾。

ネタバレBOX

このシリーズのコンセプトは作・演の笠浦 静花さんが、役者のオーダーに全力で応える形で脚本と演出を担い、役者はやりたいことを纏め原案をオーダー書面にして提出、適宜相談をしながら作品を創造する。尺は1時間程、独り芝居とする。この他、ユニークな約束事が幾つかあるが、それは観てのお楽しみだ。
 ところで、タイトルはこの作品の実質的主人公ではない。彼女の身籠った妊娠初期の胎児を彼女のシックスセンスが感じた女の子と想定して付けられている名である。実にユニークではないか! 名付けは、見ようによってアモルフな或いは存在しているか否かが定かでないもの・ことに或る概念を与え認識への梯子を掛けるような行為であるから、空虚や不定形と実在そのものへのアプローチにも通じる。物語は学生時代授業中に居眠りをしていた罰に科学教室の掃除を命じられた主人公(20歳・女性)が好意から手伝ってくれたクラスメイトの頭髪の薄い男性に、誤って実験室に残っていた様々な液体を混ぜたものを振り掛けてしまったことが発端だ。地獄のような悪臭を放っていたこの液体は、直ぐ拭われ彼女はハンバーガー、ナゲット付を御馳走することで許して貰ったが、翌日件の男の子は、ふさふさの髪を靡かせて登校した。彼女は起業し大金持ちになり10年後の生活は島を買って優雅そのものの生活だった。ところが、良い事ばかりは続かない。彼女の脳には悪性腫瘍ができていた。余命は半年から1年。それが優秀な医師の診断であった。同時に妊娠していることも分かったのだが遊びまわって来た彼女が胎児の状態から逆算してみると父候補は3人、誰の子かは分からない。秘書の提案で実際にどんな男なのかテストをすることになった。株の失敗で無一文になったと告げたのである。残った男は零。それでも彼女は産みたいと思った。胎児に悪影響が出ないよう治療を拒否する。
 ここから先は、この稿を読んだ方々の想像力で補って欲しい。
座布団劇場  番外二人会~花散るやかがみのなかの障子口(万太郎)

座布団劇場  番外二人会~花散るやかがみのなかの障子口(万太郎)

占子の兎

阿佐谷ワークショップ(東京都)

2021/03/26 (金) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★


 今回、占子の兎は落語ではなく、久保田 万太郎の作品から二作を演ずる。小屋も落語の時に使ってきた“プロット”ではなく、同じ阿佐ヶ谷だが“阿佐ヶ谷ワークショップ”だ。
「三の酉」を追記3月31日02時26分

ネタバレBOX

一本目は「猫の目」吉原遊郭を営む父を持つ若旦那、父が有意の若者である息子を自分が歩んだような道を歩んではいけないと玄人衆に縁のある寺の方丈さんに預けた。長男は油絵に興味を持ち実際に描いたりする性質で余り心配はないが、預ける次男は父に似て横道に逸れそうだと考えてのことであったが、次男坊の部屋から目と鼻の先に若い妾さんが住んでいた。この女性にぞっこんになって旧制中学で落第、父に大目玉を喰らって、だったら辞めると遊郭の帳附なんぞをやり始めた。そうこうするうち*小取回し(ことりまわし)の利いた若者が働きにきた。どうみても只者ではない。若旦那、暇に飽かして会う度に問い詰める。最初こそしらばっくれていたが、遂に白状した。名の在る師匠について目も掛けられ「明烏」等の難しい噺も師匠自ら仕込んでくれているという、実際に噺をさせてみると上手い。流石に頭のいい男で声が掛かっても可成りの間前座のやるような「寿限無」なんぞをやっていたが、一躍廓の人気者になり、あちこちの座敷から声が掛かるようになると難しい噺もするようになった。元々、将来を見込まれながら廓の下働きにまで身を窶したのも只師匠に教わり真似るだけではいけないと考えてのことだったので、唯一、修練だけが完璧を紡ぐという芸事の真の厳しさをしょっぱなから分かっている天才肌の、而も努力と研鑽を積める真の才能の持ち主だったのであろう。廓に一年と暫くいたが、ある時ふっと消えた。半年程すると、又師匠の所へ戻りましたと挨拶に来、柳花という名で高座に上がっていた。それから20年程経った敗戦直後の昭和21,22年頃、鮨詰めの地下鉄の中で声を掛けられたのである。
知り合って約20年、戦中は配給制度などもあり、それが機能していたこともあって食料事情は極めて厳しかったものの、敗戦後多くの庶民が餓死したような状況に比べればマシであった。こんな状況であるから探りを入れてみるとこんな時代でも高座に上がっているようである。廓で修行をしていた頃にも才能の横溢は見て取れたが一つの道に精進し相応の位置を占めていなければこんな状況で芸事では食っていけないのは明らかだから、そうなのだろう。彼に比して自分はどうであろうか? 生々流転を絵に描いて、壁に貼り付けたような人生ではないか、と自問する若旦那であったが、日本橋に到着するアナウンスが響くと、柳花師匠は「ここで降りなくてはなりません、また」と挨拶すると急ぎ足で去った。こんな内容の作品であるが、この若旦那の抱える侘しさ、寂しさが何とも言えない。無論、父も若旦那も一世一代の危機ということが重々分かっていたからこそ、逆に散財し重荷を誤魔化そうとしたのであった。本物なら師匠のように初めっからパースペクティブが開けるような行動を取っていたであろう。最初は小さな差でしかなかったが一世代、30年にも及ばぬ内に人生は大逆転を遂げていたのである。或る意味、現代版「蟻とキリギリス」でもある。
*当パンには江戸弁の解説やら、当時の社会情勢を的確に表す表現についての解説等が載り頗る役に立つ。小取回しの説明を当パンから引用させて頂く。気転がきいて、きびきびしていること。だそうだ。因みに「占子の兎」はEDO弁サロンというのを阿佐ヶ谷ワークショップで毎月やっている。第三木曜日18時~20時、各回1000円で参加できる。
「三の酉」
 亡くなった大岡 信の詩に
“青空は血の上澄み”という一行がある。これは例えてみればこんな作品だ。
 ちったあ、遊んで居て而もインテレクチュアルなら、あの資料は知っていよう。自分も大して読んだ訳ではないが赤裸々な内容には信憑性があるように思う。そんな時代の、そのような遊びができたであろう初老の男と赤坂の著名芸者とのナシカンである。赤裸々に語っちまっちゃあ、実も蓋もねえ。それを年によっちゃ、ねえこともある三の酉に掛けてのナシ。関東大震災の際、エンコの池に逃げ込んで亡くなった大勢の人々の中に彼女の父・母も居た。身よりを失くした彼女に親戚は冷たかった。騙して芸者見習いとして売り込んだのである。14歳であった。(満年齢で数える現代であれば13歳・中1だろう)何れにせよこんな経緯で芸者になって30年、大震時仲の良かったトシちゃんは幸い難を逃れ、今は著名な画家と結婚し鎌倉の材木座海岸に建つ邸で幸せな生活を送っている。数日前彼女の屋敷へお邪魔した。一泊させて貰い、自分が終の棲家を持たぬ身であることをつくづく思い知らされた。夫婦仲の良さ、自然で何物にも媚びない自由、無限の広がりを感じさせる互いの精神の飛翔が夫・妻の何気ない思いやりと共に目の前に眩しさそのものとして展開されるのを見た時、居場所の無い自らの情けない実相を見、余りの侘しさに打ちのめされたのである。帰路、横須賀線内で店に上がる某重役の顔を見た。互いに同時に声を掛け合い、隣に座って道中、話をしているうちに三の酉に誘って二人で出掛けたのだが、粋なんざ、トンと分からねえスットコドッコイと分かってチトげんなり。偶々、二人連れ添って歩いていたのを見咎められた訳で、その相手が初老の酸いも甘いも分かった馴染み。スットコドッコイを肴に一興という訳だが、この有様を粋に表現した、大人の男女の話だ。

INDESINENCE 

INDESINENCE 

LUCKUP

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 良く練られた台本、ポテンシャルの高い役者陣、Covid-19の影響さえなければ立ち見が出てもおかしくない程(この劇場でそれが許されるか否かは兎も角)、極めつけの舞台。華5つ☆。若干噛む役者が居てもこの評価は下せる内容だ。 ベシミル(追記27日22時25分)

ネタバレBOX


 タイトルからして既に多くの日本人にとって謎解きだろう。従って解答は明かさない。このソフィスティケイトされた台本を極めて優れた読み込みで舞台化した演出、過不足なく演じた役者陣のレベルの高さ、可成り複雑な作品展開を邪魔しないように、而も品格を失わないように設えた舞台美術、筋を浮き上がらせるようにそれ自体は控えめな照明と音響の見事、裏方さん達の気の利いたそれでいて押しつけがましさ等一切ない感じの良い対応。総てが唯でさえ優れた舞台を更に完成度の高いものにしている。
 無論、様々な仕掛けがあり、作家の遊び心が染み込ませてある。例えば那綱の履いているズボンの柄だ(これも、遊び心の一つと自分はとった)。学生探偵という役どころなのだが、大学では伝承文学を専攻しており、この分野では伝承の検証の為に歴史の正史、稗史は当然のこととして秘史、考古学的知識、地政学、天文、文学、古語、郷土史等々様々なジャンルに跨る膨大で正確な知識が必要なことは無論だが、探偵としては同時に瞬時の観察力、洞察、事実を見極め、総てのデータを統合取捨して事実のみを選別し、選別されたデータのみを用いて判断する冷静な判断力が前提となる。さてその推理力をこの作品の舞台になる「緋桜館」に到着して直ぐに示す点等は、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズ第1作・「緋色の研究」冒頭でのワトソンとの出会いの場面でホームズがその推理力を示した部分に対応し、緋桜館に同じ緋の字が含まれている点でも今作の作家によるヒントと作中に仕込まれた遊び心を感じるのは自分だけではあるまい。(観客は無論、それに気付きにんまり微笑むという次第だ)また、那綱の親友・慶乃の特殊能力である情報を引き出す能力の高さは、探偵にとって最も大切な能力の一つだが、この点では情報を引き出す前に、先ず自分のありのままを曝け出すことのできる慶乃の力が那綱に勝っている点でホームズにとってのワトソン同様、欠くことの出来ない相棒・助手である点でも両作品が呼応しているということは、今作が「緋色の研究」及びコナン・ドイルへの佐藤信也氏からのオマージュ或は挑戦状ととることもできる。
 但し、今作はコナン・ドイルの亜流作家の作品ではない。というのも事件は日本に今も残る因習が色濃く描かれてもいる作品だからである。土地の旧家・名家の血を引く者達同士の確執が執拗な迄に描かれ、女系家族で当主を務めた実力者男性・金森重鐘の遺産分配を巡る遺書を巡って展開するからである。推理の定番、密室殺人も状況の変化の中で登場する。観ながら観客は自分自身で推理し楽しむことが出来るので、終始良い緊張感が保たれ最高のサスペンスをソフィスティケイトされた時空で楽しむことができる。
D.C. -コドモと家族の物語-

D.C. -コドモと家族の物語-

劇団YAKAN

池袋GEKIBA(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「全、大人に告ぐ」を拝見。若い人達の直球勝負に好感を持った。今後もこのように、自分に嘘を吐かない作品作りをして欲しい。華5つ☆。(追記愉しみにすべし)

ネタバレBOX

 この国では大人がダメになってしまったことを機に完璧な子供を育てようということになった。こんなことを考えたのは大人達だ。駄目な大人が考えたものなんかが良い訳が無いことは、まともな子供には分かり切ったことだったが、駄目な大人達には分からなかった。結果、まともな子供達は施設に送られてくる。施設では思想矯正が行われる訳だ。因みにイマジネーションも柔軟性も思考も錆びつき硬直した思考と奴隷思考しかできなくなった塵そのものの大人達は、その反対の豊かなイマジネーションを持ち、柔軟に思考し、ユニークで建設的なパースペクティブを提起でき、オープンマインドで子供達の声に耳を傾け、庇うことのできるまともな大人は憂き目を見ていた。偶々今作に描かれた施設に入れられたマサシ、キキ、ケン、タロウ達を遇する施設長はリュウという左遷組、即ちマトモな大人であったから縛りが緩い。然しこれが中央省庁で問題化されており、アベという官僚がチョッカイを掛けてくる。リュウは有能で暖かい。然しその為にこそ、左遷の憂き目をみている。出世等という下らない茶番にも興味が無い。だが施設も役所、官僚が出張ってくれば・・・・
聖なる日

聖なる日

劇団俳小

d-倉庫(東京都)

2021/03/19 (金) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 タイトルの聖なる日は、誰にとっての聖別の日なのだろうか? オープニング・エンディング共にアボリジニの民族楽器・ディジュリドゥの唸る大地のような不思議な音をベースに別種の太い木管楽器2本を用いた演奏が流れる。この壮大な劇を、今演じる俳小の見識の高さ、取り組みの真剣な姿を先ずは高く評価したい。因みに今作は、日本初演である。(華5つ☆追記2021.4.4)

ネタバレBOX

 ファーストシーン、ラストシーンは共鳴するかの如き創りになっているが、ラストシーンのそれは思わず背筋が凍るような衝撃を与える。原作者・アンドリュー・ボヴェルは、現代オーストラリアを代表する劇作家とのことであるが、白人である。然し彼は書いた。植民期に白人達が先住者・アボリジニに対し何をしたかを。
 無論、作中に描かれる具体的な非人間的行為は流罪に処された犯罪者達のものだけだが、宣教師やキリスト教教会による犯罪者を利用しつつの植民と相俟っての教化、アンダーディベロップ論というイデオロギーによる植民政策正当化による差別という人類そのものに対する犯罪を炙り出すと同時に宣教師とその妻エリザベス、曖昧宿を兼ねた簡易宿を経営するノーラ、ノーラの娘として育てられているオビーディエンス。何故オビーディエンスをノーラが育てるに至ったかについての事情。エリザベスに代表されるヨーロッパ流普遍主義のドグマ化と傲慢が、ノーラの人間的で根本的な感性に裏打ちされた生き方とが対峙するサブストーリーも実に深く考えさせる主題だ。ラストの光景はオビーディエンスに関わるものだが、実際背筋が凍るような結末である。
写し霞

写し霞

不定深度3200

SCOOL(東京都)

2021/03/18 (木) ~ 2021/03/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 いつも通りオシャレな空間処理。まだまだ伸びしろがあるので、今回は華4つ☆。

ネタバレBOX

 作・演が工学部の修士課程を終了したばかりの若者とあって空間処理は実に合理定且つ美的である。無論色彩も、その組み合わせ、舞台美術各々の配置、色彩コントラストの妙、見やすさ等にも合理的で整合性の取れた安定感があり見事である。例えば、上手奥のキッチンスペースから下手へ順に居間を表すテーブル・カーペットやパソコン机とパソコンのある作業スペース、屋外を表す2人掛け用のベンチが的確な角度を保って置かれているが、居間のテーブルは黒、下に敷かれたカーペットは黒とグレイの市松模様、而もテ-ブルの天板とカーペットは縦横比で相似形になっている等数学的な美が現在している。これら総ての空間の奥に広がるホリゾントの色は白色。このホリゾントの上方部分がパソコンに映るZoom画面の拡大スクリーンになっているのも合理的でオシャレだ。
 若い世代らしくパソコン・周辺機器を実に自然に使いこなし全く違和感が無いことも我々・ロートルから見ると納得感が強い。一方そのようにIT機器を使いこなし一体感すら感じさせる彼らにとっても、これらの機器を通じて齎されるコミュニケーションの虚ろな感覚はごまかしようもなく彼ら若者の心・魂を蝕んでゆく。総てが空虚の淵で展開することの味気無さを補完し得るエートスやパトスを生み出す状況も、そこに至る方法も取り敢えず持ってはいない彼らの物質的な豊かさの中の見え難い飢えと渇きを遠い木霊のように聴きながら足掻いている、そのような不幸がここにはある。
 このような状況に楔が打ち込めるか否か定かではないが、若者たちの状況が上述のようなものに近いとすれば一つ表現者として指針になるかも知れない原点に「聞き書き」換言すればフィールドワークによる異質な体験との出会いがあるだろう。その到達点の一つに石牟礼道子さんの「苦界浄土」を挙げておきたい。
方丈の海

方丈の海

方丈の海2021プロジェクト

座・高円寺1(東京都)

2021/03/12 (金) ~ 2021/03/14 (日)公演終了

満足度★★★★

 方丈とは無論、維摩居士の居室が方1丈であったとの故事から出た言葉だ。(追記後送)華4つ☆

ネタバレBOX

転じて住職等への敬称としても用いられるが、元々は広さを表す単位であり、方丈の間といえば大体4畳半ほどの広さの部屋を指す。翻って建築の話をすると人間の身体感覚に近いサイズの材料を用いて作られた建築物(例えば煉瓦造りの建物等)は例え相当に高い建築物であっても、コンクリート表面に何も人体の部分(肘から先の長さ等)と直接関わらぬのっぺりした壁面を持つ同じ高さや幅の大きな建築物に比べ圧迫感が低いと言われる。今作でこのようなタイトルが付けられたことの意味は、圧倒的な存在感の圧迫から人が何とか逃れようと本能的に自らをガードする心理に基づいていよう。津波には、それだけのエネルギーと圧倒的威圧感があったということであり、それは人々を完全に1個人に解体するに足る充分以上の力であった。そしてその恐怖は1個人と帰した個々人の内面を虚空化するほどのものであったのではあるまいか。
たちきり

たちきり

ハコボレ

王子小劇場(東京都)

2021/03/09 (火) ~ 2021/03/09 (火)公演終了

満足度★★★★★

 板中央に高座、無論座布団が一つ。高座の背後にはほぼ一双の屏風。開演前は出の為、上手が少しすぼめてある。さて、真打登場。明転するが、微妙な明度の照明が実に効果的だ。(追記後送)

ネタバレBOX

話し手は前回も玄人はだしで上手いと思ったが、今回は更に進化して玄人の域に殆ど達しているように見受けられる。何れにせよ、今後も目の離せない才能だと言わねばなるまい。
 今回は落語の「反魂香」を一席噺した後、客席に座って聴いていたかつての漫才の相方・ジンから声が掛かる。また金の無心である。噺家を目指して修行中のコバタは、今まで貸した金も一切返ってきていないこともあり断るが、務所帰りのジンはしつこく粘る。かつてコンビを組んでいた頃、コバタが話芸で生きていきたいと思ってこの世界の門を叩くに至った程のインパクトを秘めていたジンは、最も大切なことを蔑ろにして来た為にすっかり駄目になっていた。コバタは彼に「男を見せろ」と迫るが。
田っ!

田っ!

早稲田大学演劇倶楽部

お客様のご自宅(東京都)

2021/02/27 (土) ~ 2021/02/28 (日)公演終了

 評価以前。

ネタバレBOX

この若者たち、実際に生きる感覚を持っているのだろうか? 大脳皮質だけで受験技術を磨いて大学に受かったというだけの空無だけを感じた。だから皆旅を目指している。ハナっから嘘の旅や旅ごっこである。真に自ら旅と言えるような旅は彷徨であり、彷徨とはある種の死である。BaudelaireがL’Invitation au voyageで描いたような華麗も情趣も全く無く Any where out of the worldで描いたような深い絶望やこの世に対する懸隔も無い。無論オブローモフのような貴族の退廃にも程遠く、唯、無意味を倦んでいる。即ち演劇云々の前にキチンと生きていない。無論、キチンと生きていない以上、死の淵に向き合うことも決してない。ただ胡乱な影の更なる影として事象からも見捨てられ、見捨てられた者同士が乳繰り合っているだけだ。現代日本の若者にこのようなタイプが居る事は彼ら自身にとって気の毒なことにも思われるが、受け身で生き、自分の頭をキチンと用いて深く考えなかった結果がこの有様だろうと自分は考えるので、まあ、人間としてのサイズも小さいのだろう。ちょっと気の利く奴なら少なくとも18歳までに色々はみ出して実験データも集めているのが当たり前だ。学校の勉強は学校で集中すればそれだけで足りる。そういうことが出来なかったというよりやらなかった人達であろう。そのことが気の毒である。

先の綻び

先の綻び

劇団水中ランナー

サンモールスタジオ(東京都)

2021/02/17 (水) ~ 2021/02/23 (火)公演終了

満足度★★★★

 ちょっと想像に傾き過ぎているように感じる。(追記2021.2.23)

ネタバレBOX

 一所懸命に打った公演である。それは拝見してつくづく納得させて頂いた。だからこそ忌憚ない意見を述べさせて頂きたいと存ずる。作家は男性であるが、失礼ながら女性と余り深く関わった経験には乏しいのではないか? 或は女性経験の数も多くは無いように思われる。何となればひかりは理屈っぽい女性として描かれているにも関わらず己の持つ自己矛盾を己自身で解決する術も持たぬ知恵の無い愚妹として描かれている点は余りに不自然だ。政文が己の依存している兄に似ているから、兄への決定的依存を自覚している彼女にアンヴィヴァレンツを齎す程度の理屈は無論良く分かるのだが、女性は更に現実的対応を取るのが普通だと自分は考える。ひかりは己の生きる意味を真剣に考え得る程度には賢い女性であろう。であれば己を真剣に愛してくれる男性が己の性格では殆ど皆無に等しいことも自覚できているであろう。限定条件として彼女はヘテロでもある。であれば政文に何時迄もごねている己の非現実的(カップルになる為の)対応にもキチンとケアをするハズである。先ずはこの辺りの矛盾や非現実感にリアリティーの欠如を感じる。
 もう一点だけ、在り得ないと思う点を指摘しておきたい。菜月の証言では、彼女がもう駄目だ、刺されると思った瞬間に信太が助けに入り、その際彼女の方に向かって微笑み声を掛けたということになっているが、刃物を持った若い男が他人を殺害しようとしている刹那そんなことをしている暇は無い。先ず刃物を蹴落として襲撃犯を身動きできないようにした上でなら兎も角、命の懸かるような格闘をしたことのある者ならこのようなことは余りに現実離れしていて描けない。仮に今作に描かれているようなことであれば、作品全体に描かれている信太の人助け行為は過去に無かったことになろう。何となればそういうことを本当にしていた人間であるなら刃物を持った相手にどう対処すればよいかの判断が正しくできたからあの年迄生き延びられたことになるからであり、今回の菜月証言とは矛盾するからである。他にもリアリティーの欠如を感じた部分は幾つかあるが指摘はここ迄にしておく。
地域演劇イベント「#演劇的な一日 in 大塚2021」

地域演劇イベント「#演劇的な一日 in 大塚2021」

地域演劇イベント「#演劇的な一日 in 大塚」

オンライン公演(東京都)

2021/02/06 (土) ~ 2021/03/31 (水)公演終了

満足度★★★

演劇的一日 5作品平均☆3つ

ネタバレBOX


「aqiLa邸からの脱出」☆1つ
 可成り矛盾だらけの作品だが、作家はキチンと正解を用意しているのか? 夢という陳腐な解を正解として措定しているのかも知れないが、音声収録も余り良い機材を使っていないのか聞き取れない箇所が何か所もあるので、そもそも表現する側が伝えなければならない情報が我々視聴者に伝わっていないことも考えられるし、オープニングでずっと閉じ込められているハズの人間が灯りのついた状態のランタンを可視状態の中で収録画面がブレブレになるような状態で床から持ち上げること自体異常である、これが夢の中という設定にしているのならそれでも良いのだが、夢見る主体が誰なのかは確定できない。本当に何が描きたくて作った作品なのか、存在の不如意であるのかも知れず、作者にとって意味不明で何らかの何処から湧いてくるのか分からない何かかも知れぬが、明確なヴィジョンが欲しい。作家が己の立ち位置を決められずに作った駄作。

「記憶する身体」☆5つ
 手元に「身体はトラウマを記憶する」というベッセル・ヴァン・デア・コーク著の翻訳本がある。原著者はマサチューセッツ州ブルックラインに在るトラウマセンターの創設者であり、精神科の医師・大学教授でもある。
 今作では、一般公開用に準備された映像(5つのパートに分かれインタビュアーの初歩的な質問に答えるという形に編集された解答映像が流される。面白いのは、挑発か? と思わせるようなテロップがパート5の直後に流されることである。因みにこの警告を挑発と取って見続けていると被験者向け映像を見ることは出来ない旨のテロップが流れ強制的に映像は止められてしまう点も面白い。

「クリスマスキャロル」☆5つ
 今作とワイルドの書いた「幸福の王子」アンデルセンの「絵のない絵本」ケストナーの「飛ぶ教室」ウィーダの「フランダースの犬」エンデの「はてしない物語」トールキンの「指輪物語」チャペック兄弟の作品群等の傑作は大好きな作品群である。無論、ドッジソンのアリスの大ファンでもある。

「オーディション」
 言っていることを全然信じていないことが丸見え。総て演技だから浅い。表現する者は、先ず己のありとあらゆるバイアスを脱ぎ捨てることから始めなければならない。それが分かっていない以上零以下の害悪である。

「大塚・巣鴨いきもの語り」☆5つ
紙芝居を実際にやってみせるのは5人のうち最も姿勢が良く、滑舌、間合いの取り方も最も上手い方だ。紙芝居という余り身体を用いないように思われる表現形式に於いても演劇の最も重要な要素である身体バランス、間、これらをキチンと実践し得るだけの基礎を基にして初めて成立するプロとしての滑舌等が実に良く体感される。他の4人はハッキリ素人と分かる姿勢、滑舌、間の取り方をしているので否が応でも対比がハッキリ見える点もグー。
カミキレ

カミキレ

藤原たまえプロデュース

小劇場B1(東京都)

2021/02/14 (日) ~ 2021/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

 極めてバランスの良い作品だ。(追記2021.2.23  2回目追記同日)

ネタバレBOX

物語が進行するのは、区役所の戸籍係、区民係の窓口の待合スペースである。区役所の戸籍係や区民係には様々な書類が提出される。そしてそれら書{(生)という漢字を用いた方が寧ろ現実を的確に表しているのではないかとの疑念さえ持つのであるが}類の1枚1枚には、大切な人の死や、皆に祝福されて新たな段階に一歩踏み出す婚姻届けもあれば、逆に幸せな時もあった二人の破綻を正式に社会に対し宣言する離婚届もある。また、書類によっては、親子関係に血縁が有るか否かが分かったり、或は性差を届け出る必要のあるもの迄あるのは、憲法の規定で結婚が両性の同意とされている事等からヘテロ婚しか認められないという解釈が中心になるということを示唆した結果だろう。
 By the way,天皇制でも現在の世襲制でなく選取制にすれば問題解決の糸口の1つにはなろう。敢えて少し脱線した。閑話休題と参る訳にはゆかぬのが本当の所だ。というのも明治が革命だと論じる向きがあるが、自分に言わせれば茶番である。何となればその遂行の主体は下級武士であって当時人口の約90%以上を占めていた民衆、即ち百姓では無かったからである。当時日本の識字率は世界トップクラスである、にも関わらず民衆の代表たる庄屋等は総て武家支配の構造内に組み込まれて機能していたのであり、明治はこの構造そのものを打ち壊し得た訳では無い。だから法制度はヨーロッパの形式を真似たもののその本質を完全にスポイルした謂わば形だけのものにしかならなかったのである、この本質的脆弱性を誤魔化す為にこそ天皇制が数々の嘘の上に構築された。歴史の実態に、切り込めばこのようなことまで考究し得るが、上記のような事例が窓口に提出された書類によって喚起されオムニバス形式で各々の物語が展開する。実に上手い描き方ではないか。端的に言えば今作は、日本の品の良い知的階層の持つ世界観をベースに、より庶民感覚で捉え返された上記深層の反映。即ち暗黒のわが国の歴史そのものを血とするなら、血の上澄みというべき作品である。実際、物語が展開する場を何処に設けるかは、作品をキチンと成立させる為の条件として半分程度を占めるほど大切なことであることは、今更言う迄も無いことだが、このように基本的なことにすら気付かぬ「作家」が多い中キチンとそれを弁えて書いて居る点は高い評価が為されて当然だ。此処に齟齬が生じればそもそも作品自体にリアリティーが失われ、不自然な表現になるからだ。この辺りの勘所をキチンと弁え実践している所に脚本家の賢さを先ずは認めたい。展開や登場するキャラのタイプについてもここに登場する以外のキャラは、そうそう無い。描かれていないキャラとして或るのは日本政府の戦争処理の意図的不手際による犠牲者問題や原発棄民をはじめとする国策棄民問題等であり、今作のカラーにはそぐわない。この辺りの問題は極めて本質的・核心的な問題であるから日本人の奴隷根性にはそぐわないからである。
 (今回は更なる)ところで、この「国」の為政者は“知らしむべからず寄らしむべし”を基本として支配を貫徹してきた。それが奴隷根性に支えられ成功体験として記憶されているから未だにこのアホな発想を改めようともしない。即ちハナから民衆を相手にしておらず「高級」官僚という立場のキャリア組公僕も、公僕でありながら一国一城の主であるかの如き増長振りを示しているのが一般だ。然し今作に登場するのは、区役所に勤める公務員である。こういう人達の中には敢えて出世せず庶民の味方になる立派な人間が実際に居る。そんな現実もキチンと踏まえ温かい作品に仕上げている手腕が、実は何とも言えぬ共感を呼ぶのだ。
夢うつろう、現の先に。

夢うつろう、現の先に。

J-Theater

小劇場 楽園(東京都)

2021/02/10 (水) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★

 夢うつろう、現の先に。を拝見。華4つ☆

ネタバレBOX

 インフォメーションコクーンコクーンという言葉は既に1度説明した覚えがあるが、未知の方もあるだろうからもう1度説明しておこう。ネットを利用している総ての方が経験をお持ちだろうがGAFA等は、一応匿名化されていると称しつつ個人情報を集積しており、個々人の好みや思想傾向等に合わせて広告等を配信してくる。ネットユーザーは自分で様々な情報や買いたい商品、選挙の際の被選挙者を選んでいるつもりが、実際には釈迦の掌の上を觔斗雲に乗って得意になって飛び回った悟空のように井の中の蛙よろしく他人の仕掛けた罠や情報ネットワークの意のままに操作されているという状況・状態を指す言葉だ。無論、ケンブリッジ・アナリティカ事件等も実際に起こってきた訳だから興味のある方は自分で調べてみると良い。閑話休題。では、何故インフォメーションコクーンの話を書いたかだが、現在の我々の日常生活では、ヴァーチャルな世界で起こっていることが、現実に密接に関わり変容させているという事態が在るからである。トランプやQアノンのフェイクに踊らされた多くのアメリカ人が実際に様々な事件を起こし現在も尚大きな影響力を持っている。科学的・理性的な判断力を持っている人間には考えられないような非論理的、非実証的なことを容易く信じ込み、あまつさえ行動に移すという愚挙は目に余る。日本でも政治屋・キャリア官僚共のCovid-19に対する対応は、矛盾だらけで非科学的な為、民衆が苦労させられている。小規模商店等は倒産が相次ぎ、倒産に至らずとも店舗縮小や売り上げ減で吐息をついているのが実情だ。地方では村八分が起きて居る。このような現実から逃避したくなるのは人情ではある。然し逃げ出したらその時点から状況は益々悪化するというのが実情だろう。言う迄も無く、生きることは他の命を喰らうという重くヤクザな行為の積み重ねだ。人間が地球上で食物連鎖の最上位を占める生き物である以上、他の総ての動植物に対して責任があるのもまた確かなことなのである。論理というものはこういった基本を基に組み立てねばなるまい。
 今作では、この基本を外し都市伝説に入り浸った果てに遂には究極の選択を迫られる少女の話であるが、ここに登場するのが“スンナトランスツツウメユ”というマジナイである。このマジナイを唱えて30分以内に寝ると夢を操ることができる。然しその対価は己自身の責任として払わねばならない。此処で見る夢は、己の深層心理が望むことや無意識の中で普段は気付かれない欲望等が実現された形を取る。而も夢と現の境は極めて曖昧であり、どちらが夢でどちらが現実かの判断も徐々に狂ってゆく。この在り様こそ、インフォメーションコクーンと現実の関係に似ているのである。実際、舞台上でこの経緯がどのように描かれるかは観てのお楽しみだ。
 因みにマジナイを解釈してみると、こんな具合か。“夢現つトランスすんな!” 
 朗読劇の形式を採り、若手の役者達が演じるが、声のみの出演で山田栄子さんが出ていらっしゃる。演劇人として長い経験を積んだ方の深みは、流石である。
#12『ピーチオンザビーチノーエスケープ』/#14『PINKの川でぬるい息』

#12『ピーチオンザビーチノーエスケープ』/#14『PINKの川でぬるい息』

オフィス上の空

シアターサンモール(東京都)

2021/02/07 (日) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

 えっ、こんな奴(ミキオ)そんなにもてる訳ないやん! この男に対する男のファーストインプレッションである。

ネタバレBOX

だって美女・魅力的な女性ばかりが8人も同時にこの男を待ち侘びて居るんだぜ! 而も増える! え~~~~~~~っ無幻だろ? 無理!Rimu, muri!
 切実な(女子)の叫び! 全編切迫の展開! 感の良い観客には序盤で根幹を為す部分が或は見えるかも知れないし、それは正鵠を射ているかも知れない。そのような正解を与えるヒントは作中何度も現れている。一方で、頭だけで考える思考法では、今作のホントの凄さやリアリティーは見えてこないだろう。全身で感じながら見るべき作品だ。展開の仕方が極めて上手い。実際に在った事件がベースになっているということも納得できる作品だ。
 而もメインストリームにサブストリームが実に見事に絡んで悲劇を更に深刻でリアルなものにしている点でも今作の底深さが見て取れる。
草の家

草の家

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2021/02/05 (金) ~ 2021/02/18 (木)公演終了

満足度★★★★★

 老母役の鴨川てんしさんの演技が素晴らしい。嫁VS舅の関係も、夫婦間ジェンダーの、殊に妻から観た不如意も実にリアルに丁寧なさりげなさで描かれていて、作家の力量を感じさせる。無論、この微妙な表現力を舞台化し得た演出、役者陣の演技もグー。

ネタバレBOX

 今は開店休業状態の岡山県の旧家は、かつて計器を扱う商店であった。様々な秤や上皿天秤、温度計や水銀体温計、ビーカーや試験管、試験管立てに至る迄、国家運営の基礎を為す計量に纏わる仕事であるから携わる者達には独自の矜持があったのは無論のことである。然し、時が移り子供達も大阪や東京に移って暮らす者も在り、岡山に残ったのは長兄や末の息子、警察官として地元に残っている息子くらいだ。現在、この旧家に暮らすのは、夫と家を継いだ長男夫婦に先立たれた老母だけであるが、次男・浩次夫妻は2カ月に1度は老母の面倒を看に帰郷している。また大学教授を辞め自由奔放に生きる幸雄は優しい所があって母とメールを交わしたり何くれとない心遣いをしている。末っ子は岡山在住だが地方暮らしも楽ではないと憤懣遣るかたない。こんな状況で古くなった家屋の処分や年取った母の今後をどうするか等で兄弟間で揉め事が起きたり、亡くなった長兄の妻が短歌で賞を獲ったりした話が織り込まれ家族生活のリアルな様子が描き出される。
三国志〜たった二人の赤壁の戦い〜

三国志〜たった二人の赤壁の戦い〜

国産本マグロ

高田馬場ラビネスト(東京都)

2021/01/02 (土) ~ 2021/01/04 (月)公演終了

満足度★★★★

 「三国志」を読んだのは若い頃だ。{(華4つ☆)この人数で良く頑張った。}

ネタバレBOX

当時編集者だった自分は仕事をしつつ10日余で読了した記憶がある。飯を食う時は無論のこと、睡眠時間は恐らく平均で2時間を切っていただろう。余りの面白さに殆ど寝食を忘れるという状態だったのだと思う。読んでいる最中は兎に角読むだけに集中していたから一々チェック等していない。勿体ないではないか。読む時間が1秒でも長く欲しいのだから。
 中国語が出来る訳ではないから岩波の文庫本で読んだのだが、今回の上演は大切な部分は原本翻訳に近い状態で上演されている。ただ、原本翻訳でも長編なので「赤壁の戦い」部分だけでもこの時間内に収めるのは中々苦労があったことだろう。然し上手に遺漏も無く纏めてみせた手際は褒められてしかるべきだろう。登場人物も多岐に亘る今作で主要登場人物を国産本マグロの2人が務め、雑兵、農民等、映画ならエキストラが演じる部分を身体パフォーマンスもこなす女性2人が演じ分けている点もグー。ジェンダー論の盛んな現在であればこそ、主要登場人物に女性は劉備の妻が一瞬出て来るだけなのでこの役割分担は合理的である。また歴史的観点からの知識が無いと全く意味する所が分からないという人々が出て来るのは必然であるから案内役が適宜説明に入るが、劇進行に上手く溶け込んで居る為全く邪魔にならないのもグーだ。拝見してつくづく思ったことは、今作脚本に戦乱の世で明日をも知れぬ命を賭けギリギリの選択をする漢(おとこ)達の人としての深み、ヴィヴィッドな魅力と生き様の凄まじさ、美しさ、尊さがキチンと描き込まれ、その魅力を役者達の演技は舞台化し得ているということである、また寝不足になるなあ、原本翻訳をまた読みたくなってしまった! 
世別レ心中

世別レ心中

ハコボレ

王子小劇場(東京都)

2020/12/26 (土) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 落語の「鰍沢」をベースにした作品で2部構成になっている。

ネタバレBOX

1部は、落研の落語「鰍沢」であるが、これがかなり上手い。2部が劇団が落語を基に制作した作品で話の内容も人間のようには言葉を用いない獣の純粋性が実に無駄なくピュアな精神に相応しい形で描かれており、エコロジーの極致ともいえるこれらの心象の高さ、清らかさ、悲痛等が直に魂に訴え、力を発揮してくる秀作だ。
“真”悲劇の生物兵器2367号

“真”悲劇の生物兵器2367号

空想実現集団TOY'sBOX

北池袋 新生館シアター(東京都)

2020/12/23 (水) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★

 時代なのだろう。

ネタバレBOX

今日本には、冒険や危険任務以外命懸けで事に当たる事例は殆ど無い。逆にそのような事に面と向き合っている少数者はマスゴミ排除の対象でしかない。今作の劇作家も本当に書かねばならぬことを持たない作家の1人であることは、作中人物の表現に良く表れている。一流紙・誌に書いているという設定のライターも設定と実際に書かれている台詞の内容が全く一致しないからリアリティーが無い。主役級がこれであるから作品そのものにガタが来る。笑いを獲りにくる為に作中人物達が勘違いできるような台詞が中盤以降特に多用される。このような台詞を書く為の手間や払った労力は評価するが、登場人物達のキャラ設定と設定と台詞のギャップから生じるリアリティーの無さは、観客を白けさせるに充分だ。もうちっと人間という者の観察と深読みを望む。

絶対、押すなよ!

絶対、押すなよ!

東京AZARASHI団

サンモールスタジオ(東京都)

2020/12/22 (火) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

 華5つ☆。良く練られた脚本、4人の演じるおじさんたちの個性が立ち味のある演技。ろ観よ!(追記後送)














ネタバレBOX

 ラストの素晴らしさ。ホントに良い作品を観せて頂いた。ありがとう。

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