実演鑑賞
満足度★★★★
開演前、ずっと水の滴る音がしている。
ネタバレBOX
明転すると板上には天井から裸電球、網掛けされた電球総計十数個が下がり、灯っているもの、消えているものの比は2体1程度。灯っている方が多い。劇空間の四隅には側壁側は真っ直ぐ垂れ板中央側は円を4分割した形に各々纏められた白いすだれ状の縄暖簾の如き物が下がっている。上手奥の垂直に下がっている物のみ、先が床迄達している。他下手奥にラウンドテーブルと椅子。上手客席側には寝かせた箱馬が4つ、適度な距離をとって置かれている他、側塀前にはパイプ椅子が壁に密着して置かれ演じて居ない者は此処に座る。総ての登場人物の着衣が白を基調とし多用される殆どが釣鐘草のような形の傘も白が基調だ。役者陣総出の動きには、常にシンメトリカルな構図が意識され動作全体が構成美を持つように計らわれているが、このようにすることで、この劇団が表現したい個々の気持ちを機能的モビールという骨でガードしようとしているようである。出演者は総勢13名、内11名が女性である。
内容的には女性が守りたい自分達の気持ちを、このように幻想的な美しさのある形で表現した作品と観た。5周年記念公演のようだ。おめでとう。
実演鑑賞
満足度★★★★★
早めに劇場に行くと凄い占い師に直接占ってもらえるかもしれない。自分の感覚では、この占い師、一流。記憶力が凄まじく良く、瞬時の観察力、論理的思考能力、イマジネーション能力、得た情報を基に判断する能力、何れもピカイチ。
というオープニングを裏切らない今作。感嘆文で観たい投稿をしたことは裏切られなかったのだ。面白い。作家は可成り賢い。自分の好みである。恐らく理科系。文科系の方々、こう言ったからとて心配する必要は全くない。キチンと匙加減を知り実践しているし当を射ている。既にレビュー原稿は書き上がっているが(24時60分頃に。少し寝かす。寝かした上で発表する。兎に角、観るベシ! シナリオは、相当レベルで深読みできるから、現代物理学の根本を本質的に理解していると考えている人には極めて面白く、深い。同時にだからこそ、載せられやすい人々の盲信とは次元の異なるレベルでの神学問題にも扉を閉じては居ない作品である。初めて拝見した劇団だが、今後にも期待したい。役者陣も単に賢いのみならず発展的素養を感じる役者が居る。(追記11.10)
ネタバレBOX
板上総ての壁面はちょっと変わった文様のパネルで覆われており、出捌けは奥センターと下手側壁に各1カ所。使われているのは六角柱型の台と矢張り六角柱型の箱馬、高さ40~50㎝程の平台2~3。他は演じられるシーンによって暗転時にリクライニング形式のビーチなどで使うような寝台等。博士と黎子{自習し進化する人間型ロボット(アンドロイド・香盤表を見て居ないので表記が正しいか否かは不明だが、作品を拝見して博士が願ったことを考えれば漢字表記の場合なら、この字を使いたい)}のシーンでは、人工物と人間のシーンということを際立たせるかのようなストロボショット風の照明が用いられているのも面白い。
物語は近未来の同じ時刻、別の部屋の別の人々。但し縦糸となってこれらのオムニバスを何となく繋ぐのは創作した博士が起動後の黎子と共に為す黎子検証過程の模様や、遣り取りのあれこれ。これが実にユーモラスに、論理的、明快に紡がれて行き、これらの縦糸にゆるやかに対比されるように様々な人間の愛の在り様が横糸として機能する。観方によって可成りの深読みができると同時に、先に述べたようにこの作家可成り理科系に通じていると見えて様々なシーンに現代物理学の最先端を表象するかのようなシーンが出て来る。一例を挙げれば六角柱の台の上に正面に大きな?の付いた箱が置かれ、中に何が入っているかを当てるゲームの話が出て来るが、これを見た瞬間、理科系に興味ある者の多くがシュレジンガーの猫を反射的に思い出すといった類である。黎子は極めて優秀なアンドロイドだから思考は論理的でシャープ、博士の立ち位置も明らかになる地平がある。様々な人間達の日常のそれぞれの愛の形が対比されていることにも無論意味があり愛が選ばれていることにもアイロニーを含めて意味がある。それは観てのお楽しみだ! 世界をちゃんと観て居る人なら誰でも心の隅で心配していることは当然射程内であり、カラッと表現されているものの実は酷く深刻な内容であり、ブラックユーモアだ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
傑作、華5つ☆。昨日といい、本日といい傑作に立て続けで出逢うことができた。今作もまた今年拝見した全作品の中でトップを競う作品の一つである。まだ席に余裕がある、ぜひ観ておくべし!(これから食事を作って食べる、追記後送)
ネタバレBOX
燐光群は演出も坂手氏が兼任しているが、役者陣のレベルが高いことは観て居る方々が良く御存知の通りである。そして、今作には今迄燐光群が上演してきた様々な作品を書く為に坂手氏自身が取材させて頂き多くのことを学んだ経験が活かされている。一応それらの作品名を挙げておく。「カウラの班長会議」、「お召し列車」の二作品だ。これらの作品を創作する取材の中で坂手氏はハンセン病に出会い、深く考えるようになった。そういった経緯からだろうか。もっと若い頃の複式夢幻能という発想を軸に創作されていた作品群とは可成り肌合いの異なる作品になっている。複式夢幻能とおっしゃっていた頃の作品群は、より抽象度が高かったように思われるのだ。それは、若い才能の必然でもある。というのも若者に欠けている体験を理論でカヴァーしていたからである。それに比して今作は人生体験も増し表現活動にずっとキチンと関わり合ってきた人間としての積み重ねがより濃く深く顕れている。つまりこの戯曲は、脚本として用いられている単語の一つ一つが在るべき場所に在るべき形で描かれているのである。この優れた脚本の特性を役者陣が見事に身体化している。こんなに素晴らしいことはめったに起こることでは無い。それが起こっているのだ!
実演鑑賞
満足度★★★★
華4つ☆、オモクロイ!
ネタバレBOX
この狭い舞台空間を巧みに使っている点に感心。板、上・下の客席側には、たくさんの衣装が掛かったハンガー。息の合った男女一組の役者がほぼ総ての場面を構成する。観客の前で着替えるが、演じる時には演者のみにスポットを当てて演ずるので光と闇の対比で舞台全体が大きく深く感じられ観て居る者に深みを感じさせるのだ。2人の間にはラウンドテーブルが置かれているシーンが多い。兎に角ショートストーリーをたくさん詰め込み、その各々は殆ど独立した話ながら、オープニングで演じられる作品とラストが呼応している。基本的には喜劇だが、ブラックで残酷な点がグー。喜劇の良し悪しは在るシチュエイションで予想される当然の結果を脱臼させ思いもよらぬ結末を提示したり、拍子抜けさせたりするセンスの良さにあるが、この点に関しても極めて質の高いショートショートが何か所にも鏤められ楽しめる。但し自分はこの10年程は全くTVを見ないのでTV番組を下敷にしていると思われるショートショートでは笑いのツボがイマイチ良く分からないという作品があった点については自分の勉強不足である。
実演鑑賞
満足度★★★★
廃墟マニアと言うタイプの人々が居る。自分も廃墟は好きだが作中人物とは理由が異なる。安心するのである。無理して頑張る必要等無いのだと思わせてくれるから。滅ぶのが分かり切っているのに何を努力する必要があろう? という気持ちを許容してくれそうな空間だと感じさせてくれる。何れにせよ登場するのは廃墟案内人とフリーのライター、伝説の掏摸とかつての仲間、会社をクビになった元社長候補、元社長候補をクビにした二代目。そして刑場で斬首を担当していた者の霊、斬首された女の霊。登場するのは7名の人間と2つの霊。追記11.6
ネタバレBOX
車の行き交う国道脇の、一見何の変哲も無いとある廃ビル。何でもこのビルの近くには江戸時代刑場があり、獄門、磔、斬首等の刑が執行されたと云う。因みにこれらの刑が廃止されたのは明治10年代であった。こんな歴史があった為かこの廃ビルにも出るとの噂があった。世の有為転変は決して今に始まったことではないが、廃墟が象徴する栄枯盛衰の有様に見合うように廃れた空間には所謂余計者、敗残者が吸い寄せられたかのように集まる。今作は、このような者達を巡って尚廻る宿命の喜怒哀楽を描いてみせた。
実演鑑賞
満足度★★★★★
今年拝見した総ての舞台の中で一、二を争う凄い舞台。絶対観るベシ! 華5つ☆
公演は11月6日13時開演の残り1回。演劇に興味がある人は絶対観ておくべき舞台だ。
去年は正面から拝見したので今回は脇正面から。矢張り観る位置によって印象が異なる。それにしても凄い舞台だ。流石に観世さんの教えを受けた役者さんたち、縁ある方々の演技・舞台である。観劇料も極めて良心的。学生さんは2500円、一般は4500円と、この内容でこの観劇料は極めて安い。前回同様10分休憩2度、上演時間は前回より5分短くなった。更なる鍛錬の跡が見え、その分迫力が凄い。それでも休憩を含めて3時間半の長丁場である。役者さん達の質の高い演技(間・抑揚・迫力・言語の身体化等)は無論だが、観客と雖も一瞬たりとも気が抜けない緊迫感のある舞台だ。音響は二十五弦筝奏者・多田彩子さん。三幕物の三島作品だが、各幕の内容に合った曲想が見事に呼応し合い、曲を聴いているだけで物語の内容が想起されるほどだ。筝については全く素人の自分でもトレモロのような技法や筝の見事で様々な技法で奏でられる演奏の凄さには、唯感嘆させられるのみであった。追記後送
実演鑑賞
満足度★★★★★
華5つ☆ ベシミル!! 少し特異な視座から描かれた人間。脚本、演出、舞台美術、役者陣の演技、照明や音響効果、何れもグー。而も深く考えさせる。
ネタバレBOX
極めて特徴的な舞台美術だ。ぼんやり眺めていたのでは余りこの特殊性に気付かないかも知れぬ。然し蛇腹を意図的に而も巧妙に変型させたかと思えるようなこの構造を心理構造に当て嵌めて考えるなら、一見安定し正常に見える人が、実は内面に大きな歪みを抱え心も魂の安定も欠いて、その結果肉体的にも正常な機能を果たさぬ部分を抱え込んでいるような塩梅を暗示しているように見える。そのことに観客が気付くようにとの意図からか、開演前殆どの舞台で舞台美術が見えないように板上は暗くしてあるのが一般だが、今作では初めから明転している。
中盤まで登場人物各々の関係が消化不良でも起こしたようにイマイチ判然としない。確定できる要素が、つまり決定打がずっと伏せられているのだ。無論、その分観客も心の内に何とも居心地の悪い不安定感を抱え恰も深い霧の中を彷徨い歩くような緊張感と不安と不確実性に苛まれて心がざわつきつつ、舞台に釘付けになる。総てがハッキリするのは終盤に至ってからだが、この辺り話の持っていきようが実に上手い。
無論、注目すべき点は上に挙げたことだけでは無い。登場人物の多くが養護施設出身者という設定であり、登場するワインバー店主の連れ合いは台詞から判断する限り女子刑務所に居たことがある等だ。色々な意味でヒトという生き物が持つ、プラス方向の可能性、マイナス方向の可能性の大きさ、怖ろしさすら考えさせる奥の深い極めて優れた作品である。時代設定は2015年。今作初演時を踏襲している。
実演鑑賞
満足度★★★★
途中15分の休憩を挟んで2部構成。初めてよみうりホールでMusicalを拝見したがピアノはスタインウェイ。流石に透明感のある音から微妙な余韻迄良い音色だ。ピアニストの腕も良い。他にヴァイオリンとパーカッションが矢張り生で入るが曲によって音響で代替する。出演者の技術的レベルは高い。ただ、通常のミュージカルではなく、ミュージカルで用いられた曲をメドレーで歌ってゆくタイプの公演であった。第1部ではショウとしてブラッシュアップされた作品が多いように感じられ、上手いのだが余り魂を揺さぶるような感動は覚えなかった。表層的と感じた訳だ。休憩後の第2部では、歌い手各々が自分の好みの歌を歌ったのだろうか? 心に届き響く作品が多かったように思う。
実演鑑賞
満足度★★★★★
今回の上演会場は横浜・元町に1946年8月に開業した山手舞踏場が、その後ナイトクラブ「クリフサイド」となった建物で開催されている。音響は下手にピアノ、上手に楽団の生演奏。上演時間はトータル105~110分。
ネタバレBOX
「Yokohama Short Stories」2022.10.27 19 クリフサイド
御多分に漏れず戦後の横浜もまた焼け野が原であった。その時代にこのような建築物が作られたことは驚嘆に値する。元々がダンスホール、ナイトクラブという歴史から横浜の歴史の一角を担ってきたことは容易に察しがつこう。ミュージカル仕立てのショート・ストーリー5本は総て横浜に纏わる話だ。以下にそのタイトルと若干の説明を上演順に上げておこう。
1:「シウマイ・ガール」焼売といえば横浜、崎陽軒と考えるくらい旨い焼売があるが、駅ホームで焼売売りをしている少女とプロ野球選手との可愛い恋物語
2:「マッカーサーズ・スイートにて」D.マッカーサーが厚木に降り立って9月2日に東京湾に停泊していた戦艦ミズーリ艦上で日本が降伏文書にサインする式典迄の3日間滞在したホテルでの逸話。これが事実なら極めて興味深い内容であるが、事実でなくともマッカーサーのリーダーとしての一面を極めて印象的に描くと同時に戦勝国と敗戦国の差を圧倒的なまでに活写した。ホテル支配人、若手No1従業員2人の演技も素晴らしかった
3:「クリフサイド」この店の歴史を男と女、アメリカと日本、つまり戦勝国と敗戦国の関係として描いている、或る意味井上 ひさしさんの「東京セブンローズ」に描かれたことと似ている
4:「谷崎潤一郎・ザ・ミュージカル」谷崎は1921年から23年迄横浜に住んで居た。その間に映画にも関わっており今作で扱われているのが大活(大正活動写真)で撮られた谷崎の妻・千代の妹、葉山三千子をヒロインとした「アマチュア倶楽部」と小田原事件に繋がるあれやこれや。そしてこのドロドロを評する女性出演者陣の男性批評
5:「周ピアノ」横浜中華街でアップライトピアノを作っていた周さん。彼の作ったピアノは、その奏でる音で愛されていた。が、製作者の周さん(ご主人)は既になく、夫が他界なさった後は奥さんが仕事を受け継いでいたが、戦火で焼けてしまった周ピアノが多かった。その貴重なピアノを空襲下たった1人で避難させようとしている少女が居た。戦場で足を怪我し除隊となった若者が、彼女を逃がそうとするが、娘はこのピアノの貴重性を説明し自らの唯一の慰めであるピアノ演奏をその場で始めた。除隊した若者もその場に留まり彼女の演奏に聞き入る。話題になった「戦場のピアニスト」という映画を自分は拝見していないが、きっとこんな状態でのアーティストたる者そして市民の心構えを描いた作品
実演鑑賞
満足度★★★★★
明日、23日が楽日だが12時、16時開演の回に若干空きがあるとのこと。今回役者陣は、関東の役者さんだが練られた脚本に優れた演出がグー。観るベシ! 若干レビューを書いておく。これから食事を取るので追記はその後。追記が遅くなって申し訳ない。追記完了10.23 11時13分。
ネタバレBOX
板上はフラット。パイプ椅子7脚が背凭れを後ろに横に並べられている。実はこれらのパイプ椅子、実に色々な物に変化するのだが、是が実に上手い。例えば車、例えばジェットコースター、或は山。果てはダクトらしき通路等々と。そこはその組み合わせ方の上手さや、音響、照明そして役者陣の演技と観客の想像力が絡み合って、見事に様々な物に変じる。
舞台が明転すると7脚の椅子に縛り付けられ、猿轡をされた7名の男女が現れる。誰もここが何処で何故こんな目に遭っているのか分からない模様だ。偶々1人が舌を用いて猿轡を外すことに成功した。彼はその方法を皆に説明しもう1人今度は女性が猿轡を外すことに成功。対話を始めるが、此処が何処で誰が何の為に7人をこんな目に遭わせたのかは皆目分からない。それどころか五里霧中で何時から此処に居るのかもハッキリしない。睡眠薬でも飲まされてこの状態にされたのかも知れない。何れにせよ気付いてから1時間程という感覚しかない。と、今度は後ろ手に縛られていたことから脱した男が1人、皆解放してくれとばかりに彼の周りに蝟集した結果、椅子脱却に成功した男は不信感を募らせてしまった。何も分からない状況では7人の中に犯人が居る可能性も否定できない。それで彼が怪しいと睨んだ者は縛めを解かれなかった。だが、何時迄も五里霧中という訳にはゆかない。そこでここに囚われた個々人全員が囚われることになった原因があると思えることや、思いつく訳を互いに話し、共通項等があれば、それをヒントに謎を解き、犯行動機や犯人を捜す縁にしようと考えた。
このようにして7つの挿話が開陳される。それは各挿話が各々一話として構成されたオムニバス形式の演劇の如し、である。この辺りの脚本センスが抜群。因みに作・演出はオカモト國ヒコさん。普段は関西で活躍なさっている演劇人だが、嬉しい事に、時々こうして関東でも公演して下さる。Covid-19の影響で様々な困難があり、今後も楽観できないことは、ちょっとこのウィルスの特性を科学的に観れば直ぐ分かること。結論としては、ウィルスがRNAしか持たないから突然変異を起こし易く変異株がこれだけ多いのもそれが原因と考えて良かろう、ということだ。当然、ワクチンが総ての変異株に有効とは言い切れない可能性が出て来るから有効性に関して様々なことが言われて来た訳だ。不安を煽るつもりは更々無いが、科学的知見に基づかなければ頓珍漢な対応が増すだけだ。何れにせよ、こんなことを書いたのは現在日本で暮らす我々同様、登場人物達は1人の例外も無く自分を完全だとか、エリートなどとは考えないちょっと心や魂に傷を持つ普通の人々であり、アホな政治(即ち自らが不完全なことに遠慮して自分で感じたり、自分が不合理の犠牲になっているのに遠慮して抗議できない人々が結局支えているとしか見做されない)を構成し、その結果招請してしまったディストピアに対して蟷螂之斧しか揮うことのできない姿を炙り出して見せる。ひとまず、この登場人物達がどのような人々であるかを明かしておこう。個々人が先の要請に従って話した内容から、端的にその人となりを説明しよう。順不同で列挙する。1:別れさせ屋 2:アルコール依存症: 3:刑事 4:企業の内部告発者 5:役者 6:車輪占い師 7:ヤクザ(但し下っ端)の7名だ。この7名の各々の話が総て伏線を形成し、終盤で回収される訳だが、この手法が実に鮮やか、移行も自然である。而も純愛の泣かせるシーンに収束してゆくのみならず、最後はこの伏線によって普通の7人が総てディストピアからユートピアへ行けるのではないか、との夢を抱かせる。
実演鑑賞
満足度★★★★★
あと2回公演が残っている。22日14時、23日14時である。観るベシ!
ネタバレBOX
今日は少し、前回書かなかったことを書いておこう。ピアノ演奏は無論生で、作品がポーランドのオルガ・トカルチュク(2018年ノーベル文学賞受賞)唯一の脚本ということもあり、演奏される曲は総てショパンの作品である。ショパンに詳しい人なら何故、「革命のエチュード」があれほど激しい曲なのかも充分理解していることだろうし、ポーランドが2世紀に跨る長い間、国土を失っていたことも、その間劇場と教会内のみでポーランド語の使用が許されたこと、このような歴史があるからこそ、未だにポーランド演劇は社会性、政治性が作品に顕著に見て取れることも。この傾向はポーランドのみならず、チェコや、ハンガリーにも見られるが。
何れにせよ、日本の事大主義に則って作られる多くの作品とは根底が全く異なる。皆、命賭けである点が異なるのだ。この「宝物」でもポーランドが味わってきた苦く地を這うような歴史の頸城が背景にあるのは無論のことだ。然し日本人に彼らの味わってきた苦悩を具体的に理解することは不可能だろう。事大主義で凝り固まっている典型的日本人なら分かるハズが無い。原理的に理解できないのだ。
「宝物」は極めてポエティックな作品である。踏み潰され、蹂躙され、差別され地を這いながら血を吹き青空をその上澄みで染めてきた彼ら・彼女ら、そしてその子供たち、孫や曾孫たちが殆ど総てを奪われることによってアイデンティファイの何たるかを知り、以て自らの血と汗と苦悩という形の思考を通して到達した地平で、こう問うことを誰も止められない。曰く、我らは何処から来て、何処へ行くか? 我ら、ヒトとは何か? この根源的な問いを真っ直ぐに問うことで断片化された生を今迄とは異なる方法で問い、再び何らかの出会いを齎す為に夢を夢見る。そのような存在の裸形をこそ今作は垣間見せていると言えよう。
実演鑑賞
満足度★★★★★
一時、日本の新劇をリードし一世を風靡した劇団の人々は観ておくべき作品だろう。原作はポーランド出身で2018年にノーベル文学賞を受賞したオルガ・トカルチュク。今作は彼女の唯一の戯曲だが「昼の家、夜の家」という彼女の小説をTV用に再構成して戯曲化した作品である。作品の特徴は、因果律等の必然性を背後にした文脈からある意味離れ、而もベケット流不条理とはならず、寧ろ無という概念的零を目指すも実際には至り着けない無限の希薄とか、宇宙で完全な概念としての真空を目指しても実際には究極の真空には到達できない物理学の実際に経験させられる事実とかを表象するに近い。極めて知的で知的探求心にも富み、該博な知にも支えられながら実際にはイデアとしての零にも、即ち無にも辿り着けない我ら人間の知の限界にも竿さしつつ、遥か向こうで笑っている何か、人間の知等を遥かに凌駕した無限の知力の夢を夢見るような世界に開かれているかも知れない新しさが感じられる。
実演鑑賞
満足度★★★★
「約束は昔日」を拝見。
ネタバレBOX
大向う受けを狙ってか脚本に陳腐な台詞が百回以上は繰り返されただろうか。これだけでげんなりしてしまった。舞台美術は結構作り込まれていて内容がタイムスリップを含む為、正面のカフェバーか何かを思わせる小じゃれた店の壁の煉瓦が一部剥がれているとか、洒落た照明器具が入口を照らすようになっているとかで良く雰囲気と物語の内容を暗示していたのに単調でバカバカしい繰り返しが多いばかりにこういったセンスの良さが減殺されてしまった感がある。余りに当たり前な表現は肝心な箇所で理想的には一度だけ用いて深みを持たせる方が好みである。
実演鑑賞
満足度★★★★
ThreeQuarterのカウントダウン公演「5・・・」である。華4つ☆(少し追記10.17)
ネタバレBOX
池田屋の階段落ちシーンで余りにも有名な作品から、大部屋のヤスが受け取る差出人不明(ミモザという名は冠してあるが筆跡も分からぬよう活字の切り貼りで記された)のファンレターを梃にしつつ、実行すれば死、良くても半身不随か植物人間という階段落ちに戦きつつも、銀ちゃんの為なら死をも厭わず、銀ちゃんの子を孕んだ小夏との結婚も呑んだヤスの一種の漢気と、照れ症そのものが人格化したような銀ちゃんの優しさと愛情表現の形、銀ちゃんを愛し乍ら、数々のリスクや不利を承知でいつも一緒に居て気遣ってくれるヤスにどんどん惹かれてゆく小夏の、逆子で臍の緒が首に絡まって辛いのにお腹を蹴る胎児を帝王切開や出血死の危険を顧みずに産もうと決意する女性の姿は例えようも無いほど美しい。
つか自身の裸形が最も良く顕れた作品の一つであろう、今作の核を今作で表現した。スリクオのカウントダウンというのが寂しい。
つかの裸形が最も良く顕れた作品の一つだと書いた。それには無論根拠がある。「銀ちゃんが逝く」で描かれた世界は今作と重なる台詞も多いが、在日朝鮮人や部落を含め実は差別が可成り色濃く反映された作品であった。衆知の如くつか自身在日出身である。実家が可成り豊かだったこともあり大学迄進んだものの在日であることに因って差別の経験を味わった友人・知人・親戚・縁者等も居たであろうことは想像に難くない。今作でも差別構造は端的に示されている。スターと大部屋役者との関係の中にである。そして今作のラストでミモザが誰だったかも明かされるのであるが、スターと大部屋俳優の逆転がここで為されていることの意味を考えるならば、つかの希いは明らかだ。死地に赴くヤスの小夏に対する告白内容のアンヴィヴァレントが小夏に対する止むに止まれぬ愛情の深まりと死によってしか差別構造に抗えないことの理不尽をいやが上にも表している。小夏もヤスの抱える難題に深く関わり更に愛をも育ててきたが故に、自らの命を賭けた出産に真っ向対峙し果たしたのだ。その覚悟をした女性の透明感を漂わせる美しさを、筆者は今作の白眉と観た。アンビヴァレンツな状況を演じたシーンでのヤスの引き締まった表情も見逃せない。
実演鑑賞
満足度★★★★★
演技も学生さんの演技としてはかなり上手い。殊にリク役、閻魔役の殺陣での動きがグー。大人の役者が演じたら身体から滲むものが見えて更に深みが増すことは間違いない完成度の脚本でもある。
ネタバレBOX
タイトルはキメラと読む。無論ギリシャ神話に登場するライオンの頭、蛇の尾、山羊の胴を持ち口から炎を吐く怪物の名であることは誰もが知っていよう。然し今作、これだけに留まらずもう少し捻りがある。寧ろ未だ遺伝についての科学的認識が充分でなかった頃世界中の科学者が双生児について一所懸命研究していたことは御存知だろうか? まあ、そっちも寄り添った話である。
物語は彼岸と此岸の間に在る時空で展開する。即ち閻魔大王等が天界行き、地獄行き等の判断を下す場所と考えて貰えば良い。無論、人間界での死が前提となるが、三途の川を渡ってしまうか否かはキチンと判定しなければならない。例えば昏睡状態は、死に似ているが生命は未だ此岸にある。心肺停止でも蘇生するケースがあるがこの状態にある者の死と生の判定は実に困難と言わねばならぬ。何れにせよ、今作では閻魔大王の居るこの時空に他にも九体の各部署の長がおり所管の事案を担当しているという設定だ。その内閻魔は最も力のある存在ということである。事件は、盆の法要も終わり大忙しが一段落し多忙を極める閻魔が休養を取るのはこの時期しかないという理由で閻魔は自慢の養子・利八(愛称=リク)を代理に立て休暇を取った間に起こる。只でさえ多忙で人出不足とあって合理的判断を下すリクは、自分の最も力を注がねばならぬ職域を最優先で担当し生死の判定等はしっかりしていると見込んだ獄卒らに任せた。ところがこの任務を任された獄卒が蝶狂いだった為、偶々現れた蝶を追い新たにここへ来た海未(ウミ)の意識不明状態を死と判断しここ迄寄越してしまったのである。この大失態を埋めることのできるのは閻魔のみ。然し彼は休養の為遠くに居て直ぐには戻れない。本来ウミの意識は一晩明ければ回復するハズだったが予定はずれ込む。この事件が切っ掛けとなって第七御殿を差配している、慈愛遍く諸般の事情から名の分からぬ者がここに来て永久に輪廻転生のサイクルに乗れないことに胸を痛めてきた長・京極は今回閻魔の代理を務めているリクについても名が分からぬ為に転生できないことを哀しく思っていた為もあり子飼いの者ら・喪揺&徒然を使い自身は謹慎中である為開錠できない神域の鍵をウミに渡して開錠し閉じ込められていた名の無い者達総てを開放し反乱を起こした。無論、リク自身もこの問題に悩んでいて担当部署の第五御殿で働く百目鬼に精査を依頼している最中であった。百目鬼から誕生の秘密を知らされたリクと開錠したウミは反乱の最中に出会い互いの宿命を知ることになったが、喪揺、徒然及び反乱軍と戦うことになった。このことは休養中の閻魔にも知らされ閻魔は休暇を早めに切り上げ戻ることとなった。最後にどうなるか? ウミとリクの知った秘密とは何か? 二人の関係は? 事件はどう展開し、収束するのか? 等々は観てのお楽しみだが、舞台美術は一見シンプルだが、良く考えられ合理的な作りだし、音響、照明もグー。殺陣の動きも良い。脚本は論理的整合的であり、全体のバランスも良い。演出も賢い演出だ。ダンスシーンが一部にあるが、大抵の芝居でそのダンスに必然性が感じられないので嫌いな自分にもすんなり素直に受け入れられる必然性があって驚かされた。お勧めである。
実演鑑賞
満足度★★★★★
己の思考を用いて自らの進路を選択できぬとすれば、そしてそれが真か事実であるなら、これほど惨めで哀しい事は無い。以蔵の頭脳が作中、以蔵役の台詞に現れた通りならば彼の殺人は責められるべきではなかろう。然し、本当にそれほど無能だったのだろうか? 犬を殺して剣術の稽古をしたという件があったが、人も犬も呼吸が大切だとも語っていた。これは剣術のみならず格闘技の本質の一つである。本当に無能な人間にこのような本質が掴めるとは思えない。寧ろ彼は己の生い立ちに於いて武士として必要な教養を修めることが出来なかった為に勤王・佐幕の政治的議論に参加できなかった件を「己が馬鹿だから云々」という言葉で表現していたのではなかったか?(追記後送)
実演鑑賞
満足度★★★★★
現代社会を覆う欝。無感情の常態化。その原因とは何か? どのように原因を特定するか? 原因が特定できたとして対処法は? ある大学の研究室で繰り広げられる科学的テーゼを分かり易く解説しつつ、人間のもう一つの知性発揮領域・人文的な領域にも切り込んだ今作。(追記後送)
ネタバレBOX
開演時、ホリゾントには鯨幕が張られ板中央の壇上に棺桶。鯨幕の手前には椅子が数脚並べられているが観客から居並ぶ面々の姿が見えるように棺桶で隠れてしまう部分には置かれていない。読経が終わるとまもなく暗転。鯨幕、棺桶等が取り払われるとそこは大学のラボだ。因みにこのラボで進められてきた研究は現代のストレス社会の中で多くの人々を悩ませている欝の解明に寄与する可能性のある大変興味深い研究である。だが、その研究の中心を担ってきた研究者2名の内、1名が交通事故で亡くなってしまった。オープニングの葬式は亡くなったチームリーダー木村の葬式であった。而ももう1人の中心人物・斉藤は元々の欝がこの事故死を契機に悪化。イキナリ免職を願い出る。斉藤は、元医学部出身だが自身の欝が悪化して医学の道を諦めこのBSラボに移ってきた人物であり、木村とは相性も良く互いに切磋琢磨して欝症状も軽くなり日々研究に没頭してきただけにその反動が大きかったと見える。だが、ラボ室長・杉田は慰留を迫る。理由は、斉藤自身も自分の病を克服する為にこのラボに移って木村という素晴らしい研究仲間を得、親友になった木村も斉藤の病克服の為に奮闘してきたこの仕事を途中で投げ出すのか? との念が在った為だ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
板上は奥下手から緋毛氈の掛かった床几、お茶セットの載った小テーブル、やや斜めに置かれた陳列棚(上に電話等)、菓子折りの載ったテーブル。板やや上手天井から下がった長方形の板に販売している商品の名が大書された半紙が掛かっている。メニューは月見うさぎ、豆大福、きんつば、おはぎ、芋ようかん等々。下手客席寄りには、屋号の「あきもと」と書かれたのれんが天井から吊り下げられている。(言う迄も無いが、観客席から観易いように配慮してある訳だ。そして板下手最も観客席に近い場所に鉢植えが置かれて店の入り口を大まかに示している。柱や扉等は一切ないが、役者陣の演じる内容とその時用いるスペースから実際商いをする店内と、奥座敷が分かるようになっている。因みに店内は下手半分、奥座敷は上手半分でほぼ分かれている。出捌けは上手・下手ともに側面袖から。
ネタバレBOX
脚本のバランスが良い。内容でジャンル分けするとホームコメディーということになろうか。登場するキャラは、あきもと二代目店主、妻、息子、娘、弟子。無茶振りをウリにして可成りアクセス数の多いユーチューバー、小洒落た飲食店チェーン50店を切り盛りする女会長、資本金は何と30憶円。以上の7名だ。
物語は、どこの街にもあるような商店街の一角にある和菓子店「あきもと」に取材申し込みがあったことで始動する。シナリオの上手い所は、このユーチューバーの無茶振りぶりを他の喫茶店で行った模様をオープニングで流す所から始めている点だ。その内容は、いきなり喫茶店に入り、自己紹介すると直後に「店主の方ですか」店「そうです」U「このお店のお勧めメニューを3秒以内に答えて下さい。1,2,3」と始め、店主が答えるとU「じゃあ、お勧めメニューと❓❓❓湯麵」と注文、店「うちは喫茶店ですけど、中華なら云々」と店の場所を案内するとU「いえ、僕はこのお店の❓❓❓湯麵が食べたいのです」とシャアシャア言う!
話変わって物語の主人公一家の場面:電話が入る、受けた二代目店主(父)には当初取材の話は伝わっていない。取材を申し込まれた時受けたのは普段からおしゃべりが過ぎて肝心なことは後回しというキライがある妻だった。妻は、既に実家を離れた娘が久しぶりに来るというので一家全員が揃った時の定番メニュー・すき焼きの材料買い出しに出掛けていた。この間にユーチューバーから掛かってきた電話を受けた父は当初ちんぷんかんぷん、もう既に高齢で和菓子作り一筋の生活を送ってきた職人故致し方無い事。息子が助太刀に入ってユーチューバーとはどんな人種か知ることとなった。息子は相手の名乗りで通り名を検索、ユーチューバーとしての実績等を確認、凡そのイメージを掴んだ。
そうこうしている内に妹が帰ってきたのだが、彼女の付き合っている人が某飲食チェーンの社長であり、彼の母が会長だと言う。何でも全国に50店舗を展開、資本金30億という話をし出し、ついつい、バランスを取って実家も和菓子では知られた店、全国で5本の指に入る名店で支店も何軒も在る、という嘘を吐いてしまって大慌てだった。話が話、他人に聴かれては不味いと奥座敷に引っ込んだ兄妹がバタバタしている所へ父が残っている店内に女性が訪ねて来た。名を名乗り名刺を父に渡して挨拶をし、店内の様子を眺めたり、暫くはよもやま話をしていた。話はちんぷんかんぷんの点もあるが、何とか辛うじて繋がっている。そうこうするうち、菓子を食べて貰うことになり父は裏へ菓子を取りに行く。息子と会って女性が来ていることを話し名刺を見せると、名刺の苗字は、妹の彼と同姓。さて、ここからが喜劇の本番。父は、ユーチューバーの名前も朧気だし、顔も知らないからてっきり女性が取材者だと思い込み、緊張して態度がぎこちない。息子は会長が来たのではないかと気遣い、緊張している。父は取材と思い硬くなって息子を呼んで手助けして貰うが、息子も苗字を見てビックリ、緊張しているから手助けもしどろもどろ。父に何とか女性が何者であるか気付かせようとするのだが、入れ替わり立ち代わり妹が入って来たり、母が買い物から帰ってきたりでテンヤワンヤ。この辺りのドタバタも頗る面白いが、何より会長女性役を除いてホームコメディーらしい誇張や一種のケレンを含めた庶民らしさがそれらしく演じられ演技臭くないのがグー。無論、会長役は、試食させて貰った和菓子の食べ方にも品があり、言葉遣い、そして店主の作った和菓子を食べて「弟子にして下さい」と言い、弟子にしてもらうのだが、実は娘の付き合っている男性の母であり大手飲食チェーンの会長であることが皆に知れた時の台詞が良い。「自分は確かに現在飲食店チェーンの会長をしていますが、息子が業務提携を申し出ていると聴き自ら足を運んでどんなお菓子を作っていらっしゃるか確認させて頂く為に参りました。実際に食べさせて頂き、本当においしい、このような味を出すことのできる技術に全く知識が無いようでは実際に業務提携をさせて頂く時に何ら具体的な事案を理解することもできなければ、提案をしたり、新たなお菓子開発をする為の提案も出来ない。それで、弟子にして頂くことにしました」というような内容のことを言った。これは実に深い科白で感心した。他にも会長の言には流石と思わせる台詞がたくさんあるのだが、今作の劇作家の優れている点は、このように偉い人物が殆ど無意識に自分の持っている知識を言い過ぎてしまう傾向をキチンと揶揄ってバランスを取っている点なのである。これは中々できることではない。演出も自然に感じる庶民的な味を出しながら、役者の個性を活かし全体としてユーモラスで暖かく厭らしくない程度に人情を絡めた作品に仕上げている。無論、役者陣も一所懸命で好感の持てる演技をしていたし、制作の方々の対応もグー。また拝見したい劇団である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
タイゼツベシミル!! 拝見して居て本質的に現在、我々が体験していることと同じではないか! との感覚に何度も襲われ慄然とした。華5つ☆ 本日10日、13時楽。残席あり、必見!
ネタバレBOX
亡くなった石垣 りんさんから何度も戦前の心象風景に似て来たと御懸念を伺ってきており、自分自身も戦争に行き、復員できた伯父等から様々な話を聴き特攻の生き残り(出陣直前に敗戦)の叔父、特高の大尉であった伯父からも話等を聴いていたから、りんさんの御懸念にも同調できたのだったが、チャペックの非凡で本質的な想像力と、人間として在ろうと決意して揺るぎなくそれを通した人ならではの妥協の無い慧眼が見定めた本質に慄然とさせられたのである。鈴木アツト氏は、このチャペックの本質を見る目を継承したのであろうか。実に見事な脚本に仕上げ、役者陣の演技、アツト氏の演出、舞台美術、照明、音響効果も良い。観客に対して欲を言えば20世紀初頭から第2次大戦に至るヨーロッパの歴史を予め知っておけば尚良いが、知らずともこの劇を注視していれば自ずと理解る。
実演鑑賞
満足度★★★★★
豪華絢爛、廓の非情もリアルに描きつつ、純愛の美しさを見事に表現。脚本、演出、演技、効果、舞台美術、キャスティング、受付も良い。タイゼツ、ベシミル!!(急用が入ってしまった、追記10.9:11:23)
ネタバレBOX
舞台美術も見事だ。奥中央には大輪の紅白牡丹、下手に白、上手に紅の配置でそのあわいを蝶が舞う。男と女の恋を象徴しているのは無論である。この絵の完成度の高さは見事なもので、流石に良い舞台を創る劇団は総てに配慮が行き届いている。その手前には下手は半円形をくり抜き、上手は通常の直角に交差する仕切り、中央手前には廓へ上がる階段が設えられこの階段の両脇にやや奥に矢張り階段が設けられているが、場転に応じて両側面の階段は撤去されることもある。また中央階段を登り切った所は踊り場になっており、劇中、廓内部の部屋や客を迎え入れる場等様々に用いられる。出捌けを考慮してこの踊り場の両側面にも階段が設けられている。これら大道具を設えた客席側が本来の舞台床になるが、ここは往来や外部の某所等廓の外の世界を表現する際に用いられるのが基本だ。出捌けは上・下側面を主とするが、道行など心中物には不可欠の要素を有効に生かすこともあり、客席側通路が上手、下手共場面状況に応じて用いられる。花道が作られる前の否能の橋懸かりが作られる以前迄遡れるかも知れない役者の登退場以前には、こうであったであろうと想像させるだけの力を持った用い方であった。
上演中故、個々の展開の詳細は書かないが、恋の始まりに抒情的な短詩を菊之介(ヒーロー)がヒロインの初花{吉原一の太夫候補(但し未だ水揚げ前)に贈り、彼女がその詩の内容を正確に理解するも未通女故それが実際何を意味するかは正確に分かっていない、この少女の恥じらいが実に良く表現されている}初花が短詩を正確に理解できたのは、彼女が元々利発であったことは類推できるが、武士の娘であったことが大きい。父の博打の借金のカタに売られたのである。一方ヒーローの菊之介は勘定方を務める義父の旗本本家嫡男、元禄の大火によって両親を失い、叔父の養子として暮らしている。分家の石高は五百石、可成りの家であり、許嫁も居る。だが、養父の実子・佐次衛門は、如何に不幸な目に遭って自分の家に養子として入ったにせよ、家督を本家に取られれば、自らは他家に婿養子として入り他家の家督を継いで生きるか或は自らの生家に残り生涯囲われた生活を送るしかないことを肯んじることができず、義弟をカッコウに準えて昼も夜も執念く悪だくみを仕掛けていた。然し、品行方正、義と人情に厚く知的レベルも徳も高い菊之介自身に付け入る隙は中々無い。そこで菊之介の親友・松平に阿片を仕込み借金まみれにしていた。松平の母は重い病に掛かっており、治療費も大変だ。一方阿片のせいもあってか、松平は早くから女遊びも覚え吉原に馴染みの廓もあった。初花と菊之介の出会いは、元服の祝いを義父がしてくれるその日、松平が吉原に菊之介を連れて行き、彼の馴染みとは異なる店で偶然出会ったことで互いに一目惚れしてしまったからだ。結局、義父の用意してくれた祝いにゲコの菊之介は飲まれ不義理を働いてしまったのみならず、その後、義父が菊之介の将来の為にと膳立てしてくれた上司への挨拶と十両の金は、松平の母の治療の為貸してしまい、これがもとの大事を引き起こすこととなった。ネタバレはここ迄としよう。
廓の仲間たちのリアルな苦労は、梅毒を患った者がどう扱われていたかや、マブを他の遊女に取られると警戒した際、普段は嫌った振りをしてワザと客を待たせたり、じらせたりしている当人が本気になって怒ったりするシーンで如実に描かれる。また、生の三味線演奏で舞台を盛り上げる趣向もグー。更に狂言回しとして狐の面を被った役者が物語の流れを実に上手く運んでいる。