ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

踊る妖精 作舞・ソロ『鶴の恩返し』2022.6.16 19時 シアターX
 両国の劇場・シアターX創立30周年記念・第15回シアターX国際舞台芸術祭ビエンナーレ2022は、メインテーマを21世紀Renaissance(現実を剥ぐ 生きものの詩)と題した。因みに各回、たった千円である。予約はしておいた方が良い。キャンセル待ちになる可能性もあるかも知れないから。

ネタバレBOX


 初日は標記タイトルの通り。5名のダンサーに和楽器奏者、ピアノ伴奏者が各1名。共通コンセプトは民潭・『鶴の恩返し』である。以下出演順に。
 韓国から現在韓国国立現代舞踊団芸術監督を務める南 貞鎬さん。韓国にも似た民潭があるそうであるが、鶴を助けたのは老夫婦で鶴が嫁入りするという話ではないとのことであった。ダンスは日本の民潭も勘案して創作なさった模様で犠牲を中心テーマとして創作している為、キリストのpassion即ちredemptionにも連なる少し抽象的な表現になっていた。
 今回はダンス公演が殆どなので当パンを見ておいた方が良かろう。自分はいつも通り当パンを一切見ずに鑑賞に及んだのだが、各ダンサーが共通テーマから己独自の要素を掴み出しそれを表現するという形式を採った為、2番目に演じた竹屋 啓子さんがコンセプトを開始早々述べ、ダンスも鶴の形態模写も入って極めて言語的であった為木下順二の「夕鶴」を思い返しながら拝見し得た以外は、実際何をダンスで具象化しようとしているのか拝見中は五里霧中状態であった。演目やダンサー、そして個々のプロデュースコンセプトにも因るが今回ばかりは当パンは読んでおいた方が良かろう。改めて身体表現と言語の加わった身体表現の質的差異を如実に感じる勉強になった。
 続いて登場なさったのは花柳 面さん、和楽器演奏・囃子は福原 百之介さん。和楽器はメロディー楽器としてもパーカッションとしても用いられるが拍子の刻み方が鬼気迫るような緊張感を齎し実に見事な演奏であった。と同時に鉄琴に似たオルゴールという打楽器の音も涼やかでどこか儚い音で客を引きずり込む。花柳さんは鶴の織った見事な反物に焦点を当てて創作なさっていた。
 次に登場なさったのは上杉 満代さん。小さな傘を頭上に翳しての登場である。衣装は女性がドレスを着る前の状態とでも言ったら良いだろうか。当然、鶴が納戸に籠って機を織る姿をイメージしていよう。西洋とのコラボも多い方だからこれは彼女流の自然な発想と思われる。用いた傘は半折れが効くタイプで華奢な構造だが、オシャレなものであり、この華奢性が鶴の細い脚を連想させ、強靭な精神とは反対に脆弱な身体を感じさせて哀れである。
 トリを飾ったのがケイタケイさん。ご自分で衣装を縫い衣装のあちこちに設けたポケットに水や松の葉をたくさん入れ機を織る度にその羽を自ら抜いて機に織り込む、余りに切ない鶴の念を表現した、水が流れるのは一度だけだが、鶴が血を流しながら機を織ることを象徴していよう。その余りの辛さ切なさから血が透明になっているのである。布地の基本は白、ポケットの開口部に黒を用い、赤い糸を引き抜くことで羽に擬した松葉が零れ落ちるという仕組み。モダンダンスの動きに合わせながらこういった点にも工夫を凝らす表現であった。ケイタケイさんの演技にはピアノの伴奏がついたが演者は松本 俊明さん。現代音楽風ではあるが余り不協和音等は用いずダンスとのコラボを意識した良い演奏であった。
小刻みに戸惑う神様

小刻みに戸惑う神様

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2022/06/15 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 脚本はジャブジャブサーキットのはせ ひろいち氏、演出が水先アンナを演じた秋葉 舞滝子さんである。舞台美術の精密、センスの良さ、合理性、使い方何れをとっても流石スパイラル ムーンの舞台と唸らせる内容。無論、脚本、演出、演技もグー。殊に秋葉さんの演出、演技の群を抜いた上手さは格別である。(華5つ☆、タイゼツベシミル!!)1回目追記 6.16 17時 2回目最終追記6.18 0:50

ネタバレBOX

 上演時間約105分。板上は中央の焦げ茶壁面に掛け時計この壁はホリゾントとしても機能し舞台上手から下手の端迄を占めている。上手・下手にそれぞれホリゾントと平行するよに延びた短い壁。短い壁とホリゾントの隙間が各々出捌け。下手の短い壁に直交するように左手側面の壁、上手も同様に直交する側面壁。上手側面壁の客席側に2階へ通じる階段が設えてありここが3カ所目の出捌けである。壁面には額装された写真などが掛かっている。上手にはソファーセットやテーブル、サイドテーブルが置かれテーブル上には黒盆に載せられた湯呑と未だテーブル上に置かれたままの湯呑が混在している、下手のテーブル上にも同様に湯呑と黒盆、椅子。上手下手各々のスペースの入口辺りに鉢植えの植物が置かれているので感覚の鋭い人には、それとなくこの舞台美術が葬儀の雰囲気を醸し出しているのがこの時点で分かるが、黒盆が2カ所に用いられ而も湯のみの数やその配置で上記の推論が正しいことは直ぐ合点がゆく。舞台美術のセンスの良さは上手側壁から左斜め方向に延びた明り取りの窓の鋭角の鋭さとその鋭さを宥めるようなその色彩・文様の微妙繊細なマッチングにある。上手サイドテーブルの傍にとても小さなゴミ箱が置かれているのだが、これもキチンと使用する辺りの気配りも流石である。
 脚本は周到に練られており随所に仕掛けられた伏線・回収、遊びが在る。役者陣の演技については先に述べた通り、皆そつの無い演技力を見せてくれるが秋葉さんの図抜けた演技力はスタニスラフスキーの談じたレベルのそれを越えているように思う。それは単に自然に滲み出るというレベルであるより間の取り方、台詞回し、過不足の無い表現による安定し自然な立ち居振る舞いから醸し出される存在感が舞台全体を締める。こんなことができるのは矢張り脚本の深い理解と、登場人物相互間に働く人情の機微への没入、翻って瞬間的に他の出演者が演じている役柄との相互関係を的確且つ俯瞰的に判断、身体表現に移す瞬発力と舞台空間内での位置関係のこれまた極めて的確な把握によった言語(台詞)発語のレベル、時間(間)、空間(他の役者や美術との舞台内位置関係レベルと身体レベル相互の陥入及び俯瞰との瞬間的な交感能力があってのことだろう。まだるっこしい言い方になった。もっと根本的には彼女が日常レベルに於いてもアイデンティファイし得ているということなのであろう。
 そんな彼女が役名・水先アンナとして活躍する。即ち葬儀一般に関わるフリーの水先案内役を務める人物を造詣している訳だ。それは慣れない葬儀の為心細い喪主や親族と霊界を繋ぐ或る意味カロンであり、世間一般の習わしと儀式・霊界との仲介役でもある。
 同時に脚本で亡くなったのが劇作家という設定もあり、亡くなった劇作家の主張が若くして最愛の妻を喪い作風が変じたこと。以降総ての作品に単に悲嘆に暮れる残された者を描くことのみならず、様々なエピソード、時に明るい話題も綯い交ぜにしつつ而も常に死の影が存在したこと、と作品創造との不可分な諸関係及び類似性が対比されつつ物語が紡がれてゆく。
 この優れた脚本活き活きした舞台作品に仕立て上げているものは役者陣の演技、照明、音響の諸効果を見事に構成し効果的表現に高めている演出。そして数々の深い台詞、その深い科白の数々は人々の日常と葬儀との入れ子細工を通して神学と科学を示唆し、遂には誰しもがその問いを発し、応えきれずして何時しか放棄してしまった問題、‟我々は何処から来て何処へ行くのか? 我ら人間とは何か?“ という普遍的な問いを、再度提起してくるのだ。


瀬沼さんのことを何も知らない

瀬沼さんのことを何も知らない

ライオン・パーマ

シアターKASSAI(東京都)

2022/06/08 (水) ~ 2022/06/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 オープニング。板上には大きな可動式カウンターを板中央辺りに観客席と並行に設置、人気ラーメン店のカウンターである。カウンターど真ん中に件の主人公がでんと構える。

ネタバレBOX

さて、どんな飛び道具となるか、期待すべし! ラーメン屋の客達は全員観客席を向いて座っている。
 カウンターを場面、場面で所定の位置に移動、例えば喫茶店の設定では上手奥に観客席に対して直角になるように設置される。板上は即ち基本的にはこのカウンターと箱馬4個その他衝立が幾つも配置されている。ホリゾントに近い衝立はセンターが開けてあり奥は回廊のように通行できる。箱馬の基本的位置は下手。キャバクラの客席として、或はタクシー車内シートとして演じられる内容に応じて自由自在に変容する。また下手袖には、シチュエイションに応じて暖簾が掛けられたり、出捌けとしても無論利用される。
 途中約10分程の休憩を挟みトータル140分程度。休憩前は幾つもの挿話がオムニバス形式で一話ずつ演じられてゆく。因みにLion Perm作品をこれまで観て来られた観客には、瀬沼氏が飛び道具として活躍してきた役者さんだということを御存知の方々も多かろう。前半の諸作品がこのような形式で演じられたのは今作で初の主演を演じる瀬沼を演じた瀬沼敦氏への恐らくは劇団からのオマージュと労いを込めた作品という側面があるからだろう。オムニバス形式で演じられた前半の各挿話に飛び道具に特徴的な演技が随所に見られたのは、こういった前史があるからである。無論各挿話にオチがついているが内容的にメインストリームを追いつつ形としては独立した体裁を採っているのも上記の理由が正しければ必然ということになる。
 休憩後はトーンが全く変わり通常のストレートプレイになるが、ややメロドラマ的要素が入ることを含めて脚本の作風がガラリと変わる点に注目したい。このように一風変わった作りになっているのは、上に挙げた理由からであり作品の必然的発展形態の1つがここで実現されている。
 ところで今作の表層で追及される謎の答えを正答するのは難しいことではない。それを正答して乙に居るのは野暮とおいうモノであろう。今作の本当に狙いはそのような所には無いように思われるからだ。では何処にどのような形であるのか? それは俳優たちの演技と観客達の反応の間に在る。即ちそのような演技と観客の反応によってメタ化されることを目指した作品だと解するのである。何故ならCovid-19で塗炭の苦しみを舐めた演劇人と演劇というアートに飢えた観客との交感や切なさの共有こそ今作が目指したメタレベルなのではなかったか? というのが小生の観方である。日銀のトップ、黒田が述べた言葉からも簡単に分かるように日本の組織のトップに真に頭の切れる人間は少ない。組織のトップに立つ事即ち「エリート」とは、本当の情報は上がってこないということを類推できない程度の頭脳しか持ち合わせない存在とイコールなのだ。このような「エリート」の下で塗炭の苦しみに喘ぐ庶民の哀歓にこそ、今作は立脚しているのであり、これは可成りの冒険であるが、劇団が観客を信じて投げ出した今上演のメタ化を観客としてしっかり受け止めてゆきたいと考えている。何となれば黒田のような「エリート」を利用して更においしい汁を吸おうとしている腹黒い為政者が少なくとも我らの上に君臨している権力者たちなのだから。‟飛び道具“と我らの苦悩や哀切を蟷螂之斧にしてはなるまい。
唐人お吉 外伝

唐人お吉 外伝

相州雅屋

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2022/06/02 (木) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 お吉を演じた三野 友華子さんには華を感じた。劇団の志の高さを買う。同時に更に思考を深めて頂きたい。
華4つ☆

ネタバレBOX

 幕末の下田にはアメリカの領事館が置かれた。そこで領事に任命されたのが日米修好通商条約を幕府と結んだタウンゼント・ハリスである。安政年間から万延、文久へ至る幕末激動の時代に5年9カ月を日本で過ごした。ハリスが江戸へ出ると下田の領事館は閉じられハリスも公使に昇進していた。
 By the way,お吉の話に戻ろう。今作の展開は、お吉が亡くなったと伝えられる“お吉が淵”に通い詰める病んだ初老の女性の回想記という体裁を採っている。この女性の名は「ふく」話を聞いているのは看護の女性である。
 板上は奥に1m程の高さへ嵩上げされた土手のような塩梅の舞台、手前が通常の板面である。土手中ほどに階段が設えられ高低それぞれの板上手、下手に出捌けがある。場転に合わせて上手にこの地域で祭られた祭神の祠が誂えられたり、橋の欄干のようなものが設けられたり、或はお吉が切り盛りをしたという『安直楼』の店内が再現されたりする。
 ふくは吉より1つ年下で、一緒にハリスの世話をしたと言う。然しふくは下がって後、世間の偏見を恐れ、他所に越して下田へは戻らなかった。従って世間から誹謗中傷を浴びせられ苦闘したのはお吉独りであったと、その苦悩を彼女独りに負わせたと悔い、吉が亡くなったとされているお吉が淵へ日ごと通っては吉に詫び話し掛けていたのである。吉の凄絶な生涯は作品を観て頂くとして、殆どの人間が事大主義に流され己の保身の為だけにターゲットを定め苛め抜く下劣に対しては腸が煮えくり返る思いがする。一方、そのように醜い世の中に在って唯一の救いは、少数ではあっても矢張り心ある人々もまた連綿と存在し続けていることである。
パスキュア

パスキュア

GROUP THEATRE

浅草九劇(東京都)

2022/06/01 (水) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 観るベシ。生きる力、勇気を貰える。脚本が良い、演出、演技が良い。照明もグー。更にテナーサックスの生演奏が随所に入る。尚‟観て来た”の内容は上演中なのでセーブした。華5つ☆

ネタバレBOX

 当パンの最後のページに9年前に旅公演先で急逝なさったグループの恩師・塩屋俊氏が常日頃語っていらした言葉と死因、そして頌辞が添えられている。良い師匠だったのだな、としみじみ思わせる内容だが、今作その師にしてこの弟子たち在りと信じさせる作品である。
 板上、基本的には素である。可動式の墓や病院で用いるベッドやベッドを跨ぐ書見台、サイドテーブルや点滴器具等が必要に応じて配される。ちょっと変わった幕開きなのは、物語は墓地で始まることだ。このオープニングでもそうだが、適宜テナーサックスの生演奏が入る。曲はジャズ風の中々洒落た曲なのでこちらもお勧め。客席は舞台をコの字状に挟み込むように設えられている。唯一客席の無い、つまり劇場出入り口側が出捌けに用いられている。
 さて肝心の物語だが墓場から始まることで或る程度、話の内容は限られてくる。病院の相部屋、患者は亡くなる者も多いところから末期、重症者が多いことが分かる。病床は4床。男性部屋である。が、この部屋で筋トレをし続けている患者のファン女性が居り、良く訪ねてくる。彼女は未だ若いが癌を患い、先ずは乳房を切除することを薦められている。然し乳房を失うことは彼女にとって大問題で切除を受け入れるか否か、放射線治療を受け入れるか否か、できれば受け入れず何とか生き延びたい。そんな念を抱えて決断できぬまま入院している。筋トレ青年はアグレッシブな生き方をしており、同室の石材店社長とは意見が合わない。というのも社長は企業の業績不振からか肝硬変であるにも関わらず、アルコール摂取を止めないばかりか、何とか借金を清算する為に墓の手配に余念がなく病室内にも拘わらず大声で露骨な利害関係の電話をしまくるからだ。而も間近に火災現場で子供が焼け死ぬ所を燃え盛る炎の中に飛び込み見事助け出したものの自らは大火傷を負い、最早口も利けず、呼吸器を付けなければ呼吸もできずurineも器具を取り付けて採ってもらっている状態の消防士のベッド。そのような重傷者迄商売のタネにしようと目論むからである。こんな訳で2人は年中口論が絶えない。然るに新入り患者が入ってきた。利き腕の右手を複雑骨折しており約1週間後に控えた医学部受験に間に合わない。ところで、問い質してみれば受験の重圧から悪夢に襲われ自ら複雑骨折したことが判明、その症状は入院後にも表れた。治療した右腕を夜中にベッドに打ち付けたのだ。部屋の仲間たちは黙っていなかった。
GK最強リーグ戦2022

GK最強リーグ戦2022

演劇制作体V-NET

TACCS1179(東京都)

2022/05/25 (水) ~ 2022/05/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「家族会議」
 さて、本日の後攻・大和企画の登場である。先行の猿組は妖精として出演もし、作・演迄こなした東野裕氏が余りに一人で多くを負い過ぎたきらいがあったが、大和企画は作・小金丸大和氏、演出・小林大祐氏と分かれていて、ペンネーム等を用いて同一人物がこなしているのでなければ各々の持ち場を専任の方が担っている。

ネタバレBOX


 50分でよくこれだけ本質的な作品を創った! と称賛したい。登場人物達の設定が先ず秀逸である。登場するのは3世代に亘る人々。{下手袖は亡くなった(母=祖母)の遺体が安置されている部屋。亡くなった本人は登場しない。}
 既に他者の言う事を認知する能力を現実には欠いた、元売れないコメディアンの父・清作。(但し父に関する親族らと関係のあるシーンや、フィードバックシーンではちゃんと受け答えする)、貧しさの齎す苦労を体験して育ち経済力に乏しい父の代わりに一家の担い手として活躍後堅実な収入を求め公務員として、只管実直に生きて来た長男・清一。長男に大学へ行かせて貰い、卒業後は小説家を目指し売れないまま、借金迄拵えて母の葬儀に駆け付けた次男・清次郎。借金2000万を取り立てに次男を追い掛けて来た闇金社長・堀田。名門大学に受かりながら役者を志願する清一の息子・大聖。清作の隠し子で富裕な葵、その執事・安藤(弁護士資格も持ち、武道にも秀でる)、清一の妻・静子(大聖誕生頃からずっと離婚を考えてきた)、嫁に出た長女・真理(自由、自発を大切にする、美人ではないが心優しい妻、夫と深く愛し合っている)、良夫(真理の夫で優しい心の持ち主、職業は教師)以上10名が登場人物である。
 主たる対立軸は、生活と夢の対立ということになろう。自分の人生を選ぶに当たってどちらを中心に自分の実人生を設計してゆくか? という誰にとっても最も大切な選択の1つを対立軸として生活を成り立たせる為に他の総てを抑制、或は犠牲にしてきた清一の生き方と小説家になるという夢の為、他をなおざりにする生き方を選んだ清次郎や大聖との生き様の差に対して、また生涯売れないお笑い芸人として貧しさの中に生きた清作とその妻の貧しさ故の苦労に対し、貧しくとも心豊かに他人に優しく朗らかに何より自分の選んだ道を歩む楽しさとこれらを通して得る幸せを選ぶことのわくわく胸躍る実感を伴う人生を対比して見せる。無論、後者は演劇に関わる総ての人々の夢に重なる。然し現実的には経済的に極めて全うすることが難しい選択であるが、大団円ではこの困難だがそして険しく心許ない人生だが、それに賭ける生き方を選択し、そのような生き方を容認する形で収束させてみせる。無論、その過程で清作の浮気、隠し子問題が齎したぎくしゃくした人間関係や清次郎の借金問題も解決されている。脚本、演出、演技何れも素晴らしい。
GK最強リーグ戦2022

GK最強リーグ戦2022

演劇制作体V-NET

TACCS1179(東京都)

2022/05/25 (水) ~ 2022/05/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

 恒例のGK最強リーグ戦、2022の共通テーマは「葬式」である。本日の先行はじゃんけんで決められた。先行は猿組。演目は「猿組式 白雪姫~女王と7人の妖精~」

ネタバレBOX


 私自身が歳をとって肉体的衰えを日々痛感する有様であるから、当然その帰結たる死は日常的に考えることの一つである。このような視点から見ると今作は矢張り若い人の書いた作品だという印象が強い。良し悪しの判断は様々にあろうが、日本が「国」として直接戦争等の戦闘行為に関わることは久しく無かった。このような事情もあり、大人への通過儀礼という習慣が今では殆ど存在していない。その代わりモラトリアムが異様に長い。モラトリアムが長いということは突き詰めなくても済むケースが多いということでもあろう。就職氷河期と言われた不況の中、唯でさえ自殺率が高まった。毎年3万人以上の人々が自殺で亡くなったがその全体平均の十数倍の率で自殺率が高かったのがポスドクの自殺率であった。こういった人々に視座を向け死の問題を扱ったなら、極めて深刻でリアリティーのある若手世代の作品を上梓することが可能であったと思われるが、基本的に童話を余り毒の無いまま表現してしまった。童話やファンタジーにも無論優れたものはたくさんあるが、大人が味わって面白いモノというのは限られよう。50分という限定の中に何らかの哲学や本質的問題提起、人類の根源的問題を封じ込めたような状況を設定した舞台制作を期待したい。
リバーシブルリバー

リバーシブルリバー

24/7lavo

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2022/05/26 (木) ~ 2022/05/31 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 初日を拝見、脚本がやみ・あがりシアターの笠浦静花さん、演出は24/7lavo/feblaboの池田智哉さん。これは素晴らしいコンビネーションだ。華5つ☆ 必見

 約束の追記、手入れ稿をネタバレにアップ。

ネタバレBOX


 舞台美術も凄い。この空間によくぞこれだけ詰め込んだ。客席はいつも通り。板上にはグリーンのカーペットが敷かれ小屋入口の左、劇場壁の手前側にパネルで仕切った空間を設け、この空間内には階段が設えられている。パネル手前には幅の狭い平台、是に直交するように通常の平台が置かれ、通常の平台上にはテーブル、スツール、ソファ、椅子等が置かれ、小屋入口の客席側には小型丸テーブル上にボードゲーム・オセロが載りテーブルを挟んで対局者用の小型丸椅子、奥の客席前にはやや小ぶりのテーブルの周りに椅子。物語はこの空間で展開するが、某大学の学生が多く寄宿するシェアハウスの共同空間というような設定だ。現在この大学に在籍する者8名、浪人1名が住人であり、住人の内の1名がシェアハウスオーナーの娘、娘は同じ大学の学生と付き合っており普段は同じ部屋で暮らして居る、この事実がこのシェアハウス最大のタブーである。
 ところで問題がある。オーナーは結構、風紀に厳しいことだ。若い男女が同じ建物で暮らしているのだから大人として当然のことではあり、増してその中に実の娘も含まれている訳だから時々様子を窺がいに来たりもする訳だ。
 このような条件下、とんでも無いメンバーが加わった。そのメンバーとは浪人生である。彼は自分の思うことと反対の表現しかできなくなることがあった。当初新入りの彼の不可解な言動の構造も原因も何もかもが分からなかった。そこへオーナーが来るという情報が齎された。新入り歓迎パーティーが前日行われていたこともあり、禁止されている飲酒その他違反事項諸々の他、娘の同棲生活も浪人生の言動によってバレルかも知れない。タダ同然だからこそ、東京で学生生活を送れる学生達は追い出されたら退学を余儀なくされるという危機感も手伝い上を下への大騒ぎ。オーナーの到着は着々と迫る。さて・・・というのが素直に今作を観た場合の展開ということになろう。
 然し、今作ことほどさように単純に非ず。笠浦さんクラスになれば、或はガイ・ドイッチャー辺りを読んでいるのではないか? 読んでいるとすれば、使用言語によって世界の見え方が変容してしまうという現代言語学の提起した極めて興味深いテーマこそ、今作の主眼と見るべきだろう。まして演出は池田さんである。この聡明な作家と負けず劣らず聡明な演出家のタッグが、今作をして実に見事な作品に仕立て上げた! 恐らく殆どの観客がラストを解釈不能と考える、善意に言えば観客に解釈を委ねたと考えるであろう。然し小生の意見は異なる。その根拠、論理的説明は終演後に明かす。小生がそのようなことを考えたヒントは、無論この段落に書いておいた。

「リバーシブルリバー」追記 手入れ稿
 普通に物語の筋を追ってゆくと決して最終的な解は得られまい。Oui ou non.を決定し得るヒントは文字通りタイトルとボードゲームとして描かれている“オセロ”に先ずは見出すことができる。また最終盤で主人公・ハジメ(苗字天竜は天地の初めの世界に誘う)と通訳・ルナ(苗字が阿賀野なのは赤の他人等も想像させる)2人だけで話すときのルナの台詞「私も実は云々」と主人公同様の傾向を持つことをにおわせるシーン、更に常識的な判断を下すのであれば殆どタダの家賃で都心に暮らせる程の公共性を持たせたシェアハウスを運営する人物が、如何に娘・ユカリの為とはいえそんなにコスッカライ人物であるとも考え難い。厳しい~と先輩達が言い募るのは、新人に対する教育の一環と考えた方が良かろう。
 若い男女の共同宿舎である。住居のオーナーも社会的問題が起きれば矢張り責任追及されることも考えねばならぬのであるから。無論、他にもヒントはある。看護学を専攻する2人の女学生アミナ&カリンはリバーシブルなブルゾンを共有している。このブルゾンの明るい柄にはハジメの吐瀉物の跡がありありと見え、強烈な臭気さえ放っている。これら様々な示唆こそ、今作に埋め込まれたヒントなのであるから、これらのヒントを手掛かりとして今作を解釈すべきだと小生は考えた。即ち結論不明と考えた観客の多くは、今作の仕掛けに見事載せられ、深い霧の夜の遠海や原生林に迷い込んだ人々の如くあれこれ試したものの脱出できないどころか展望を持つことすらできずに迷う。言い方は悪いが迷路の罠に掛かってしまった。
 他方、今作を解釈し得たと感じることのできる解釈に以下のものがある。もうお判りだろう。作品そのものが、シェアハウスオーナーの厳しさという偽情報を根拠に仕組まれていたということだ。ラスト音声だけで表現される住人とオーナーのフレンドリーな状況はこのように解釈することで矛盾の一切ない、あっけらかんとした(底抜けの)逆転劇として担がれたことを知る。見事である! 余談ではあるが、登場人物総ての苗字が河川名に由来している、こんな遊び心も楽しい。
 ところで更に深読みをしたい向きには、以下の側面をも指摘しておこう。この段になって初めて看護学生2人の共有しているブルゾンの片側が暗黒を表す黒系であり、明るい柄には吐瀉物の跡と強烈な悪臭がまとわりついていたこと、而もこの事実は黒系の側しか見せないことによってずっと隠されて来たことの意味を見出すことができるのである。即ち一般に認められている社会規範なるものが実は酷く不可視的であり規範化されていることによって如何に多くの欺瞞や嘘、真実を隠蔽しているか、という事実である。つまり、今作は何をひっくり返したのか? という作品の真の目的と小生が考えるものである。上に挙げたブルゾンの機能が果たして小生の考える通りのものなら、ブルゾンのひっくり返しという韜晦を用い、もっと明瞭に示されたオセロによる全体ひっくり返し及びタイトルによる示唆という化粧迄施された全体ひっくり返しは、現代日本及びその住民に対する真摯な警告、もっと端的に謂えば強烈なアイロニーと解釈すべきである。
 ところで、この小論で小生が述べたことは本当は皆が分かっていることだ。そして自ら隠蔽していることである。

雨と夢のあとに

雨と夢のあとに

Yプロジェクト

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2022/05/25 (水) ~ 2022/05/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 板上は上手が高い段違いの横長踊り場を左右に繋ぎ、随所にステップを設けた。この踊り場センターにホリゾント方向からの出捌け。出捌けの両脇には高低差のある衝立が設えてある。出捌けはほぼセンターに位置するがシンメトリーではなく、個々の幅を狭く採った上手のものの方が数は多い。この衝立には蝶の翅を思わせるような煌びやかな文様が見えるが照明によりその色が変化し、衝立のどの位置にこの文様があるかは幾何学的センスによって決められている模様だ。この他踊り場上手・下手、板上にも出捌け。(追記後送)

ネタバレBOX

 脚本は矛盾がかなりあり、自分には余り感心できなかった。存在と非在に関する認識についても念の強い者同士は見る事、話すこと、触れることさえできるが、霊自身が強く意識すると念の弱い者にも見えたりするという話に持ってゆくならせめて量子論等を伏線として仕込んで置いて欲しかった。それ以前の物理学では、このようなご都合主義に論拠は与えられまい。量子論を前提としたところで今作程ハッキリと存在することは無いのだから。後半の追い込みは、可成り成功していたと感じたが。
SHOWほど素敵なショーバイはない!

SHOWほど素敵なショーバイはない!

劇団娯楽天国

ザ・ポケット(東京都)

2022/05/18 (水) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

追記は後ほどするが必見作品。観るベシ! 華5つ☆
 「The Show Must Go On」を地で行ったような作品。実際にこの2年強というもの、多くの劇団がCovid-19の影響で公演中止、延期を余儀なくされ、資金的にも、インセンティブとしても大きな而も大変な苦労をしてきた。にも拘わらずというよりだからこそ、今作のような素晴らしい作品が生まれたと言えよう。観客を力づけてくれる作品なのだが厭らしさ、わざとらしさが微塵も無い。これは凄いことである。劇団員全員、登場する役者や作・演、無論道具方や制作の方々、照明さん、音響さん総ての方々が総力を結集し多くの苦労・苦悩を乗り越えてきたからこそのこの素晴らしい上演なのである。追記2022.5.20

ネタバレBOX

 最初、フラットで始まった舞台は中盤辺りからセンターに階段を設え高めの踊り場の両脇に大きな格子を組み込んだ造作を具え、センターが踊り場への広い通路を確保した大道具に支えられた舞台美術に代わる。この転換も見事であった。更に木枠で三方を囲い上部から幕を垂らした作り物が袖として用いられる等実に効果的に用いられて芝居の展開をスムースにまた効率的に進行させている点も見事だ。
 後半では踊り場の上手・下手に設けられたボックスタイプの袖の前面にガーゼのような布を貼り芝居の進行を妨げる様々な要素、例えば主演女優の事故で公演が中止になりそうな中で起こる、様々な事件の裏話や、出演者相互の反目、またその結果としての出演許否騒動の内幕、舞台監督の優れた仕事ぶりと人情の深みをよく知る者のみが下し得る的確でぬくもりのあるサジェスチョン、公演が中止できなければ破産するしかないとの思いから公演を潰す為に巡らされる悪だくみの一々、更に枕営業に余念のない出演女優の仕掛けるあれやこれや、劇場オーナーと出演女優との真の係が明かされた後の女優の行動等々が)メインストリームの背景を為す諸事情を炙り出すように使われていて見事な対比を為しいやが上にも作品を盛り上げる。
 作品全体の基調として普段余り表立って描かれることの無い舞台監督・裏方さん(今作では殊に道具方の責任を担う女性が中盤影の主人公ともいえる程大きな役回りを務め、また、急遽演出に抜擢された大衆演劇の花形女形だった老人が実に渋く、本質的且つ融和的な演出でメンバーを纏め上げ、上演成功に持ってゆく筋、今作で悪の根源たるイベント会社社長という憎まれ役を座長で作・演出も担当する小倉 昌之氏が担っている点も流石である。ところで以外と大切なのが、枕営業を実践している女優の背景を為す居直りとテンパることしか知らぬ者の哀しさであろう。この一歩突き抜けたドライな悪が最終盤でキリリとした山椒の味わいを齎し作品を締まったものにしている。
歌劇『天守物語』

歌劇『天守物語』

呼華歌劇団KOHANA

新宿村LIVE(東京都)

2022/05/18 (水) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 歌劇とされているだけあって富姫・亀姫らの歌は聴き応えあり。エンタメ要素が可成り強くはあるので、その点をどう評価するかで評価が異なってこよう。自分は、主筋の本質を骨太にキッチリ描いている点を高く評価した。

ネタバレBOX

 板上は白鷺城天守。登場するは、異界の住人であり実質的な天守閣主・富姫にその力の源泉である異界の虎、奥女中六名、女の童五名。他富姫の妹分・猪苗代湖から五百三十里を飛翔し鞠突きにやってきた亀姫に従者・不老不死のお婆、風神・雷神等々。
 人間の側は、鷹匠・姫川図書之助、その主君・武田播磨守に図書之助の親友、平和になった世にあって武術ではなく芸能や耽美趣味、人々の熱狂によってのし上ろうと企む若侍集団等。
 板上舞台美術は客席に最も近い板上から変則台形を模した平台の奥に更に通常の平台を設けて踊り場としそのセンターに階段、階段を上った所が天守閣、左右に朱色の欄干、天守奥及び下手、上手に出捌け。低い方の踊り場上・下にも出捌け。花道が上手に設えられ、天守閣欄干のホリゾントには出捌けスペースを除き天井から白い布の垂れ幕、上部半分は血しぶきの如き紅い斑文様。欄干の上には藤棚のように重厚な花房が垂れ下がる。また、低い方の平台に沿って照明用の電飾が設けられ様々な色で発光して実に効果的である。主筋の富姫と図書之助、サブの奥女中と三郎の恋が見事に対比されつつ、協調して叶わぬ純愛の異様なまでに切なく純な恋を描いて見事である。
 約140分、休憩無しの長丁場だが、撮影タイムが挿入されたり、イケメンアイドルグループの歌や踊り、富姫・亀姫を中心にした歌と踊り、奥女中らの舞と歌、女の童たちの何とも愛くるしい演技に童謡に振り付け。華麗な衣装に煌びやかな小道具等々エンタメ要素満載だが、宝物や利害の為に心ある人々の真心を利用し己の利益追求のみに走る人間の醜さと、将軍家に献上の決まっていた白鷹が富姫の力によって解放され自由を謳歌しつつ異界の者達及び人として真を貫く図書之助に与する姿、異界の住人達の真実の為に命を賭ける純粋性がキチンと骨太に描かれている点も心を撃つ。更に主たる登場人物たちが入り乱れて相討つ殺陣も見事である。劇そのものの終焉後に華麗なオマケを観ることができるのもこの劇団のサービス精神の現れだ。著名な漫画やアニメ化された時の主題歌を替え歌にしてあったり、「とうりゃんせ」の替え歌が実に効果的に用いられている点も称賛すべきだろう。また受付、案内を担当してくれる制作担当の方々も的確で遅滞ない動きでサポートしてくれる。
竹之内淳志じねん舞踏ソロ公演

竹之内淳志じねん舞踏ソロ公演

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/05/14 (土) ~ 2022/05/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 スタンディングオベーション。華5つ星、必見。こんなに素晴らしい舞踏を観たのは芦川さんの「ひとがた」を観て以来だからほぼ半世紀ぶり。たった1000円。15日15時から残り1公演がある。上演時間約110分。追記15日午前4時40分。

ネタバレBOX

 衣装は緋色系の貫頭衣のようなもの。貫頭衣は衣装の最も原初からある形の1つであるから、今作の何億年もの生命の歴史を描くスタンスにも見合っている。而も緋色というのは、新月の晩に忍びが纏った衣装の色でもある。白~黒というのは色調というより本質的には明暗であるから、黒い衣装は明暗差の中で浮き上がってしまうのに対し、緋色は闇に溶け込んで見分けがつかない。この性質を見事に用いつつ舞踏は展開するが、この程度の科学的知識は初歩的なものであることは言う迄も無い。音響は生命が誕生した時の宇宙に対する戦きが舞踏によって表現されている時には、恰も宇宙背景輻射の只中で顫えるような音、或は水琴窟内に響くくぐもった音のような質感が東欧、中東、アジア、アフリカ等々の楽器を用いて生で奏でられコレスポンダンスが素晴らしいのみならず、昏めの照明の微妙な変化が更に陰影を濃くして効果的である。様々な生き物たちの始原から現在までの諸相をカオティックな状況を背景に時に水琴窟様の、時に洞窟内で獲物の肉を焼き暖を摂り、或は灯りを灯して過ごす夜もすがら。更に或は近世、近代、現代迄の我らの生きている時代に近づくにつれより具体的に骨肉争う様、戦地獄、また飢餓や災害に逢う憂き世の動物たちをそれでも何も言わずに養う植物の生と我らヒトを含む動物の生との対比としても明確化してくる。無論このような人間の知の発達に応じた変化と変われない部分、即ち動物は、生き続ける為に必ず他の生き物を殺して食わねばならぬ業(カルマ)を負うが、植物は太陽光と水分さえあれば他の生き物を殺さずとも生きて行けるという決定的差を炙り出し、掛かるが故に人は植物の精華たる花に憧れる。その夢のような夢幻境に迄念を馳せた作品。
静寂に火を灯す

静寂に火を灯す

演劇プロデュース『螺旋階段』

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2022/05/05 (木) ~ 2022/05/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★


 マグカルシアターかながわネクストVOL.1として上演された今作は、螺旋階段の第31回公演である。因みにマグカルとは? 華4つ☆
 創作の秘密を1つだけ書いておくことにした。頑張っている劇団へのプレゼントである。

ネタバレBOX

 リーフレット・「マグカルシアター2022」に拠れば演劇・ダンス・パフォーマンスの為の創造スペースであるスタジオHIKARI及びかながわアートホールで、芸術・文化の魅力を用いて人々を魅了し賑わいを作り出すことを目標にした神奈川県の取り組みだ。マグカルという単語はマグネットとカルチャーを結び付け短縮化した造語である。そのVOL.1に選ばれていることからも螺旋階段という劇団の実力を素直に認めて良かろう。
 さて本題に入ろう。
 板上真上から俯瞰すると台形のパネルの内側に総ての大道具が設えられており、現実の製菓会社の事務所及び応接室そのものといった精緻な作り。下手側壁にはカーテンを開け陽光が入るように設えた窓。その手前客席側に鉢植えの貸鉢。正面奥下手に書類棚、暖簾が下がった出捌けを挟んだ上手壁には額装された「夢」の文字、その上の壁には看板商品名である「海猫さぶれ」の文字。その文字の下辺りに本棚及び予定表ホワイトボード、更に上手に整理棚。なおこの整理棚の上には神棚が祭ってある。上手側壁には出入り口が設けられこちらがもう1カ所の出捌け。硝子部分には「みちのく製菓」の文字が読み取れる。
 また下手客席側には机、椅子が各4つ配置され、上手客席側には応接セットが設えられている。テーブル上には梱包されたさぶれや試食用に小籠に入ったさぶれも載せてある。芸の細かさは下手机の手前客席側に置かれた大き目の塵箱と下手入口手前客席側に置かれた小さなゴミ箱が不均等なそれでいてシンメトリカルな状態に置かれていることである。
 無論、このような小さな齟齬は敢えて作られている。何となれば、今作の中心テーマは、居ないようで居り、居るようで居ない存在に振り回される家族及び近しい人々の話であるからだ。
 かつて来日したロラン・バルトが指摘したように≪我が日本の本質は中心性の喪失にある≫とするなら、そしてこの劇団の真の狙いが其処を指し示すことにあるのだとしたら、恐るべき慧眼と謂わねばなるまい。
 By the way,拝見した限りでは、其処迄哲学的だとは思えなかった。深読みする者と押しなべて自己の感性・経験値から来る判断によって観る者の評価が別れよう。今回自分は、☆印によってその中間を自分の評価とした。
 無論、役者陣の演技はキャラが立ち各々の味を出しているし、照明・音響も気に入った。舞台美術の見事さは感心するばかりであった。だが、真に観客総てを虜にする為には息子の自殺とその原因の因果関係をもっとハッキリ見せる脚本にして欲しかった。
 またもし真のテーマが上に挙げたような中心性そのものを喪失した人々の悲喜劇そのものならば、それが我が国に齎している極めて大きな弊害を炙り出して欲しかった。即ち総てを曖昧化し責任の所在を無化するシステムをだ。折角みちのくを舞台にした作品なのだから。
 以下、長男の自殺について自分なら、こういったことを書く:とどの詰まり長男は、人として守るべき倫理を護った。然し結果的に犯人に怪我を負わせ、それが罪とされ、社会の中で自分の居場所を失くしてしまった。居場所を失くした以上、そして居場所を取り戻せなかった以上、死しかないではないか? 居場所を失くすことの意味とそれが理解されなかった不幸という形でなら、家族の問題として深めることができたであろうし、中心性の喪失という風に持ってゆくなら日本人の精神に深く、殆ど自覚されないマデニ深く染み込んだ天皇制に切り込めたハズだ。
フェアウェル、ミスター・チャーリー

フェアウェル、ミスター・チャーリー

theater 045 syndicate

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2022/04/28 (木) ~ 2022/05/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 ‟かながわネクスト“と名付けられた県内拠点の若手・中堅劇団にStuddio HIHARIでの上演機会を提供し支援してゆく取り組みだから地元色は良く出る。

ネタバレBOX

今作でも登場するオーオカ川(大岡川)は井土ヶ谷、小金町、桜木町界隈を流れる河川で場所によっては桜並木も見られるが、今作に登場する映画館はかつてはシャブ銀座と呼ばれた黄金町の大岡川縁に立つ小さな映画館であるから往時のことを考えれば溝臭くても自然である。こんなことも含めてハマで遊んで居た体験を持つ者にとっては、黒船来航以来のハマと米国との歴史や占領下以降の米兵との関係を含め合点のゆく所がたくさんある作品だ。
 板上は中程からホリゾントに掛けて平台を先ず1段、奥は2段と重ねてある。つまり板を基準に3段階になっており、移動式の大道具(窓枠や壁、カウンター等)を適宜配置して舞台美術を構成。シーンに応じ手早く的確に配置されるので、全く観劇の邪魔にはならない。出捌けは下手、上手に2カ所づつ、客席通路をも利用するので都合5か所。
 時折エキセントリックな単語・表現等が出て来るが、アメリカという国がその固有の歴史の中で基本的に暴力によってその理念や支配構造を護ってきたことを鑑みれば納得のできるものである。惜しむらくはこのことの深い意味合いを直接的な台詞で表現するのではなく、台詞を通じて示唆し浮かび上がらせることができていれば更に素晴らしい作品足り得たという点である。その為には、劇作家が曖昧化を避け更に現実を内省化する必要があろう。大変な作業ではあるが是非ともそのような視座も持って欲しい。
ムーランルージュ

ムーランルージュ

ことのはbox

萬劇場(東京都)

2022/04/20 (水) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 途中、15分の休憩を挟み2時間35分の大作だが、一瞬たりとも目が離せない。ウクライナからの凄惨な報道を見るにつけ、戦争が炙り出すもの・ことの実質を描き深く考えさせる秀作である。観るベシ!

ネタバレBOX

 敗戦直後焼け野が原の新宿には闇市が立ち、赤い風車のレビュー小屋が復活した。その名をmoulin rouge 新宿座という。小屋の名は無論、パリのピガールにあるmoulin rougeを真似て赤い風車を目印にしたが、戦争で破壊される前の小屋は1931年12月31日開館。今作で描かれるのは人々が戦後食うや食わずの生活を強いられた時期に再興され一世を風靡した再興後のムーラン。現在の新宿3丁目で軽演劇・レビューを中心に興業し実在していた小屋である。1951年に閉館した。
 脚本は、斉藤 憐さん。演出はことのはboxの酒井 菜月さん。板上はショーの時等に降りる垂れ幕を挟んで手前客席側とホリゾント側にほぼ2分割されており手前側壁に電話の載った机、椅子。上手垂れ幕の直ぐ奥に応接セット。その奥に2階へ上がる階段が設えられている。ホリゾント中央には、劇場を支える太い支柱が2本、その上手には大道具らしきもの、下手には平台が堆く積み上げて在る他、側壁脇にはこれも様々な大道具が整理された状態で置かれている。出捌けは垂れ幕を挟んで上手に2カ所、下手垂れ幕の下がる辺りに釣り物等の作業の際や、物干し用の柱として用いられる細身のpilier(柱)が1本立っている。
 オープニングではAIR FRANCEと大書された大きな箱が上手から入場、中から歌姫が飛び出し、箱を運び入れたミニスカートのダンサーたちの踊りを背景に歌い始めるというセンスの良さを見せ、いきなり劇空間に引きずり込む。衣装替えの素早さ、衣装自体のあでやかさ、歌う出演者の殆どが歌唱力の高さを示し、ダンサーたちの踊りもグー。また、垂れ幕にレビューに登場する演者たちの衣装の色に合わせた照明が当てられるのも演出のセンスを感じさせてグー。この華やかな舞台と対比されるかのように描かれるのが、後発でムーランの客を奪ったストリップ小屋との集客合戦に於ける劣勢、女優、ダンサーら女性と、執筆者、小家主、GHQの1セクションであったCIE(Civil information and Educational Section)の担当官、闇市をいち早く立ち上げた尾津組配下のチンピラら男とのジェンダー問題、嘗て植民地化され日本国籍を強要された朝鮮半島、台湾等の人々が解放され日本人には最早法的に彼らを処罰できなくなったこと等々と諸差別だ。戦争が炙り出した各民族の歴史と生活であれ、イデオロギーであれ裸形の生が繰り広げる争闘と其処に現出する現実の裂け目。戦前、戦中様々な言論統制下にあって尚、戦争の実質を深く見極めていた無頼派の代表的作家・太宰 治のような本来極めて真っ当でデリケート而も自己省察の鋭さに己自身を傷つけた魂が、遂には酒に溺れ、シャブに手を出し自壊してゆく様も座付き作家に仮託して描かれ、生活し愛する身内を養う為に職を選ぶ事が可能か否かのギリギリの選択を迫られる表現者達には、戦勝により日本を開放・民主化したハズのGHQの1セクションCIEによる検閲が為される。その一方でGHQに送られてくる2千万通にも及ぶ葉書・手紙の類中検閲対象としてピックアップされた4百万通中に1通もアメリカに対するレジスタンスの書面が無かった事等、恥ずべき事大主義者・日本人の姿が見事に浮き上がる。(この事実は要するに天皇に代わってアメリカが日本の神として崇められることになったということに他ならない)これらの点即ち戦争という大参事によって炙り出された事実にこそ、今作の眼目はあり、それを正確に見抜きこのような舞台に仕上げた“ことのはbox”面々の尽力に敬意を表したい。

水の中の狸

水の中の狸

ツツシニウム

バルスタジオ(東京都)

2022/04/20 (水) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★


 若い人達の公演なので、脚本の質を高め、また自分達お作品の質を上げる為の勉強の成果が多くの引用となって脚本中に挿入されているが、こういった作業を通して段々本質や普遍性を獲得してゆくものだし、今作の作品創りそのものが普遍性を目指して努力していることも明らかなので好感を持った。役者陣の力演もグー。(追記2022.4.24 )華4つ☆

ネタバレBOX

 お伽噺の「かちかち山」をベースにした作品で兎は思春期の若い♀に、狸は原作通りの畑荒らしの食いしん坊。太宰の解釈を援用しながらワークショップの卒製として上演された。未通女の高慢・傲慢と残酷性を強調した作品となっている。板上はフラット。各壁面天井部から紐を束ねた長短のオブジェがぶら下がっている。板表面には逆三角形の手前側頂点に接する線分が一直線に引かれている。演技で気に入ったのが、他の演劇部から移って来た姉弟役の2人、狸役、そして涼介役。
「流れる」と「光環(コロナ)」

「流れる」と「光環(コロナ)」

劇団あはひ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/04/03 (日) ~ 2022/04/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

 光環を拝見。アップしたハズが載っていなかったので再送。

ネタバレBOX

 板上はフラット。観客席側下手コーナーをAとし時計回りにB,C,Dとする。板中央に大きく白い正方形。このセンターに水を湛えた趣の真円。B・Dを結ぶ対角線を延長した線上に中心から遠くに行くにつれて小さくなる正方形がスモールb・cを各々の頂点として飛び石の如く置かれている。下手奥最小の四角形の面積を1とすると次は4その次は9でACを結ぶ対角線中心に完全なシンメトリーを為している。C・Dの中間辺りに天井からカーテンのような布が下ろされ床迄届いている、この幕の幅は50㎝程か。時折、ホリゾントやこのカーテン状の幕に文字が映し出される。
 原案はPoeの「Purloined Letter」だそうで、当初今作のタイトルはLettersであったが上演直前に変更された。能を意識して作られているというが、足捌きはすり足でなく、現在の日本人一般の通常の歩き方である。偉く能書きの多いアフタートークが付いていたが、観客が舞台を観て能とデリダ哲学との関係、ラカンとの関係をどう読み解くと考えているのか? そもそも作品というものの性質は、作家の手を離れた瞬間から作家も知らない何者(なにもの)かになるのではないのか? そのようにしなければ作品は単に作家の「従属物」に貶められてしまうだろう。
 敢えて善意に解釈すれば「光環」(コロナ)という作品は、詩人、哲学者、能作家、小説家、批評家等々を散々引用しつつ、存在と非在或は138億年前にあったとされるビッグバンとその後3×10⁻44乗秒の間に膨張して始源宇宙ができたとされる説に関わって必然的に提起される問題即ち“存在と無の関係”つまり宇宙に完全な無が在り得るか否か、が浮かんでこよう。自分の知る限り現在の宇宙認識に於いて完全な真空は無いと考えられていた。だとすると量子論的宇宙というものを考え更に一般相対性理論を同時に成り立たせる統一的論理を構築しなければならないが、それが出来て居ない現段階で無理に思考した時点に於ける、我らヒトの思考の揺らぎをこそ描いていると言えよう。唯、その描き方が引用の織物として表現されて居る為に極めて焦点を結びにくい。(兎に角、原案がポー、参照・引用は東浩紀、村上春樹、ヴァレリー、岡田利規、世阿弥、パウル・ツェラン、バッハマン、ラカン等々のオンパレードである。)このピンボケ感覚が一種の疎外感のようにしか表現されていない点で作劇法としては弱いと感じるのだ。ところで相対性理論と量子論の統一理論形成の話だが、時間を事物変化の経緯と捉えるなら初期のエネルギーと炎の塊のような何かがビッグバン後の3×10⁻44乗秒で拡散したとするなら炎とエネルギー時点で既に時間は存在したということになるのではないか? 而も時間は事物変化の経緯と規定したのであれば、この定義と矛盾する。
 「野獣降臨 」で野田は主人公の絶対的孤独を宇宙船と地球の交信が途絶えた時間に於ける絶対的孤独として描き主人公というコアに収束させることに成功したが、「光環」に於いてはこのような主体が存在しないことも今作の弱さの原因である。余りに引用ばかりであるのみならず、アフターミーティングで作家自身が語った所によればシテとワキを入れ替えるという作業をしているとのこと。能をベースにしているということも語っており、{能に於いては実際に異界の者(神、精霊、亡霊、鬼等)がシテとされることも多いのに、(態々今作では本来の脇役である側をシテとし、実舞台で主役である者が実はワキだった、と言及していた訳だ。)}が作品を観た限り逆転させたと言っていたのが間違いではなく事実であったとすれば、この操作によって焦点化が不可能になってしまった。
グレートフルグレープフルーツ

グレートフルグレープフルーツ

LICHT-ER

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2022/04/13 (水) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 物語は一種の因縁物ととれようが、そのように感じられたのは今作が描く世界とは、(追記4.18:遅くなって申し訳ない。アクセスが特定し得る誰かによって邪魔されていたようである)

ネタバレBOX

現在我々が生きているこの格差社会そのものではないかと思えたからである。脚本の良さ。上手さと共に、絡み合った因縁の昏い黒い無明の綾を手際よく展開させる演出、アナーキーな雰囲気を齎す舞台美術、照明や音響の用い方、役者陣の演技もグー。
 さて追記であるから筆者の感じる格差社会というのが如何なるものなのか? についても少し述べておこう。我々は親を選んで生まれてくる訳ではない。何時、何処に生まれるかは、生まれる迄定まらない訳だ。少なくとも生まれる当事者はそうである。そうして多くは生れ落ちた時の庇護者の属している階層から一歩も先へ進めずに世を去る。貧しければ教育を充分受けられない、教育程度が低ければ就職先も条件の良い所は無いに等しい。これが親から子へ、子から孫へ孫から曾孫へ・・・と連なる。これ以外に道が無いように思われないか? 負のスパイラルでこれに捕らえられたら蟻地獄に落ちた蟻、蛇に睨まれた蛙、母の手から奪われ売られた乳飲み子、悲惨そのものである。こんなことは、まともな大人なら誰でもハッキリイメージできることだ。然るにこの国の世間では、身近に在るこのような悲惨には目を瞑るのがお約束でさえあるから身近な問題には蓋をし何も無かったことにしてある。而もこの茶番を指摘されるや否や目くじらを立てフェイクを交えた中傷、非難が跡を絶たない、情けない。
 ところで演劇が観劇料をとって上演される見世物である以上、客には納得して帰って貰う必要があるから、如何に因果が上記で示したように悲惨であっても、それだけを提示したのでは客は納得するより打ちひしがれてしまうだろう。それは避けねばならぬ。そこで導入部ではふんだんなカリカチュアやズッコケ奇抜性やアナーキーなるが故の自由奔放な展開に、そのアナーキーなイキフンをしっかり受け止め観客に逆照射するような一面の文字による張り紙が、床といわず壁といわず一面に張り巡らされており、所謂「偏りの無い記事を目指す」という日本独自の客観性を欠く「スタンダード」の滑稽を嘲笑うかのように分解された文字、個々の独立性が台詞にも担保されているが、系列会社のエリート記者・クズ丸が偏りの無さではなく‟ホ“の字を選ぶ点、掃き溜めの酔雄・ヒカリに論破されㇹの字になるのがミエミエの展開の分かり易さと相俟って、現代版弥次喜多よろしく九州で起こった怪事件に挑み、謎を解き明かすと同時に最下層の人々の救い難い宿命の如き負のスパイラルの凄惨な結末を描くが、罪を犯したテルオと影彦を含め、何れの登場人物も観客からの哀れの念を滝の様に浴びる作品である。演技が特に気に入ったのは、成人後のヒカリを演じた福圓美里さん、テルオを演じた音羽美可子さんのお二人。
 実際にバラバラ死体を量産した妖怪・ししかりが左手だけを喰い残すのは、ししかりを蘇らせたテルオと影彦が、その怪物が蘇る場となった木箱に左手を載せて何も考えずに願うという至難の技を駆使して蘇らせたからであるのも想像に難くはあるまい。テルオが自らの目を突いて両目を潰し血を滴らせるシーンは、無論「薔薇の葬列」のピーターを思い出させ松本自身が言っていたように「オィディプス」迄遡ることができる。
#15『朱の人』

#15『朱の人』

キ上の空論

本多劇場(東京都)

2022/04/13 (水) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 小劇場演劇に関わる状況をよくここ迄描いた、劇中背骨に衝撃が走るほどのシーン、台詞に何度も打たれた、見事である。(追記楽日)

ネタバレBOX

 板は、前段・後段の二段構え。後段上手奥にギター、エレキギターの生演奏用セットと演者の載る平台。大道具の殆どは可動式。白いカーテンの掛かった床まで届く窓枠、階段の付いたオブジェ、重さを軽減する為骨組みに間隔を空けて板を均等に打ち付けた大きな箱、通常の横長テーブル、椅子等。シーンによってこれらを適切に移動して配置。
 出捌けは上手のみ仕切り用の幕を下げ2カ所、下手1カ所。
 物語は小劇場演劇と謂われるジャンルで表現に携わる劇作家・演出家・役者・制作・サポーター等のリアルを当事者相互の葛藤、爆縮、主人公の弟の兄評価を中心とした家族関係及び14歳で男の子を卒業した兄の14歳らしい女性関係等を振り出しにその時点でのステディ。無軌道な可能性を可能性のままに突っ走ろうとした兄が、主であろうとすることが朱に染まることと同義である表現する者の生き様を、表現欲求とその現実化に際しての才能の多寡、演劇という表現形式で現実化する為の下部構造としての収支という経済的現実、相変わらず絶えない複数女性関係の齎す人間関係の歪み等々を実にリアルに、即ち観ている観客自身の問題と感じさせるまでに作品化した舞台。独りでは決して実現することができない舞台芸術であるが故に何れの主体も自らの目指したもの・内容を完全に現実化することはできないが故の諍い、内面の葛藤、現実社会で起きていることと、その現実が表現者に与える様々な負荷とそれらの負荷との決闘、倫理的問題等々日々生活の中で我ら観客自身が関わっていることと地続きなレベルで表現する者達の世界が入れ小細工になる。このことこそ、今作がこれほどのインパクトを観客に齎す所以であろう。
 By theway,表現する者が人の死を描くことに関しては、兄が弟と地元「彼女」の同乗死を経験することによって表現の側に帰ってゆく点は実に示唆的である。

皓白の麗ら

皓白の麗ら

早稲田大学劇団木霊

劇団木霊アトリエ(東京都)

2022/03/04 (金) ~ 2022/04/13 (水)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★

 皓白:“こうはく”と読む。輝くような白さ、を表すが舞台美術が白ベースであり、登場人物名がラテン系の名、ブランカを意味するのであれば、当然白をイメージさせるが、無論ことほど左様に物語の内容が単純だとは思わない。

ネタバレBOX

 板手前センターに半円形の平台、半円の頂点に接するように白い緞帳。緞帳が開くと奥には90度の円弧に沿うように高さを増す小型平台が3個置かれ4つ目は腰掛けに丁度良い高さのベンチ様のオブジェ。この奥に紐を用いて形作られた樹木1本。樹木の手前に樹を挟むように設けられた衝立各1、奥に幅広の衝立を設え出捌けを設け袖にしてある。この左右に天井から床迄下がる紐状の幕、樹木脇空間の2カ所及び左右の幕が出捌けに用いられる。中空になった箱2つ、これが診察の際の寝台になったりシーンによって喫茶店のテーブルになったりと様々に用いられる。舞台全体が白系で統一されているのは、唯一の男性登場人物の名がブランカである所にも関わっていると思われる。
 登場人物は男1人、女5人。設定は病院であり男は記憶喪失症の設定。院長・社長への出世競争や医師としての優秀性競争等「秀才ぶり」競争のこれ見よがしな表面性の厭らしさが、所謂勝ち組VS負け組的勝ち負けや、ブランカの誕生日を祝う儀式の表層性と普遍性を求めなければ解決し得ないアイデンティファイ問題との齟齬と絡めて展開される。衣装は男女とも白ベースなのは病院という設定の為と捉えることも可能ではあるが、上で指摘した事以外には、余り深読みをする必要は感じない。但し表層しか見ることができぬような状況に現代日本の若者が置かれているのだとすれば、その根拠律を欠く存在感覚の齎す不如意の不安・不定感覚のドライタッチの不如意に煮え切らない漠然たる不安定性を感じ、漠たる不安を決して払拭し得ないであろうことは想像がつく。登場人物の設定中に病院の医療補佐等もする双子の女子が登場するが、正規の医師と為す所が大して変わらないのは示唆的である。

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