ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

1-20件 / 2152件中
CRIME

CRIME

劇団伍季風 ~monsoon~

Geki地下Liberty(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/04/30 (月)上演中

予約受付中

満足度★★★

 核爆発が落とされても壊れない、との噂が立つ程の堅牢性を具えていることが自慢の五和銀行本店。課長は、受付嬢と不倫しているし、受付嬢には、出前のお兄ちゃんがストーカー紛いの張り付き方をしており、金庫以外はどこか怪しげな印象を漂わせている。

ネタバレBOX


 こんな銀行に外資系大手の支店開設絡みの融資の話が舞い込み、客が店長を訪ねてきていたが、そんな折も折、3人組の銀行強盗が襲撃を掛けた。
 一度、板上に上がった役者は、殆ど皆出ずっぱりなので、ある程度仕方がないのかも知れないが、銀行強盗を仕掛けるような犯罪者が、手袋も覆面もせず、而も簡単に仲間の名前を呼んでしまうという間抜けぶり(名前を呼ぶ件については、犯罪者としてはトウシロウであるこの3人組を示したかったのかも知れないが、余りにも馬鹿げている)は、脚本を弄ってもう少し工夫すべきだったのではないか?(再演なのだし)
 中盤に入ってからは、アクシデンタルな理由で金庫に閉じ込められることになった面々が、同じ人質の中に爆弾を持っていた者がおり、彼の爆弾が起動してしまったことによって命の危険に晒される中で、深刻な人生論が語られ、今作の内容を一躍深いものにする。また、銀行強盗をすることになった3人の犯行動機には、同情すべき事情がある事も明らかになって、五和銀行と、この銀行を吸収合併しようとしていた四和銀行及び大手ゼネコンの絡んだ犯人親族への過剰融資という企業犯罪の問題が問い質されて一挙に社会的な話題をも射程に入れてくる。この辺り、銀行と商社はやくざより性質が悪いと言われる所以を含めて考えるに値しよう。ラストのドンデン返しもグー。
『シーチキン®サンライズ』Musical『殺し屋は歌わない』

『シーチキン®サンライズ』Musical『殺し屋は歌わない』

T1project

小劇場B1(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/05/06 (日)上演中

満足度★★★★★

 出演者22名、これだけの役者が出ていながら、誰一人キャラの立っていない役者が居ない。年間少ない時でも250本程度は芝居を観る自分も、これだけのキャストが皆キャラの立った演技をしている舞台を観たのは今回を含めて2度しかない。
 兎に角、重層化した深みのある脚本なので、可也演ずるのが難しいとは思うのだが、それを見事に演じている。キャスティングの良さ、演出の良さも、脚本の良さも無論のことだが、所謂下世話な世界を描き乍ら、決して下卑たり、媚びたりしない、而も極めて本質的な作品である。
 舞台美術も作品内容にピッタリしたものだし、導入部から、観客を引き込む演出手腕も見事である。脚本・演出は、何れも友澤氏が務めているが、脚本に対する演出の仕方に適正な距離が取られている点も見逃せない。照明、音響のオペも見事である。総てが総合的に収斂して総合芸術としての舞台芸術を形作っているのだ。(華5つ☆ 追記2018.4.26)

ネタバレBOX

 芸能界の裏を描きつつ、人はどう生きるか? 如何に生きるべきなのか? を問う。長い下積みから「陽はまた昇る」で一躍ブレイクした後、コンビを解散した漫才コンビ・シーチキン。一人立ちした後突っ込みだったリョウは今や芸能プロダクションの看板。一方ボケの榊は、鳴かず飛ばずで今では大人の玩具の販売で食いつなぐ。4年後、超売れっ子のリョウから下積みの頃に常打ち小屋として出演させて貰った小屋で復活公演を演るとのオファーが入った。当時の仲間も呼ばれている。ひとまず了解した榊であったが。
天井からアスベストが出たとかで楽屋を急遽倉庫のような掘立小屋に移した空間で話は進行する。ファーストシーンで雷光の中に浮き上がる女の立ち姿が強調される導入部の上手さは流石である。三々五々、出演する芸人たちが集まってくるが、当初、榊は、掘立小屋の梁に黒いネクタイを掛けて首吊り自殺を図っていた。偶々支配人がやってきた為、タイミングを逃してしまった。ところで、この小屋も借金の形に入れられ支配人は返済の催促に追われていた。
 今作が、このような状況を描くのは、1920年代の世相を描きロストジェネレーションと呼ばれた作家たちの代表的な存在であるヘミングウェイの”The Sun Also Lises”(1926)を、その背景に置いてからだと観ると更に面白く観ることができよう。The Sun Also Lisesは、ヘミングウェイ初の長編小説であり一躍彼の名を有名にした作品でもあるので読んだ方も多かろう。因みにロスジェネの表す概念は、第1次世界大戦の時代に思春期を過ごした世代が、それまでの価値観や社会体制に疑義を持ち、自堕落で享楽的な生活態度を選んで反社会的に過ごした様を呼んだものと言われている。
当に今作の芸人たちが置かれている時代。価値観が無限に希薄化し、生きる意味を考えたり、天下国家を論じたりする当たり前のことも忌避するようなこの「国」の社会状況の閉塞感と、無意味が存在自体を蝕んでゆく鵺のような状況の中で。逆説的に刹那的で二極的なイデオロギーを強調することによって、職業、恋、生活の総てを律し、人としての思いやりも人情も捨て恬として恥じない生き方を選ぶリョウを通して、優しい人々の優柔不断や、その不甲斐なさを浮かび上がらせるが、その冷淡な態度は、実はリョウの責任感の強さと優しさであったことが描かれる。(その理由は察しの良い方にはお分かりだろうが観てのお楽しみだ)ラスト、リョウの恋人・愛のストーカーの放火によって小屋が焼け落ち中止になった演目がコンビによって演じられるシーンは圧巻!!

美愁

美愁

The Vanity's

APOCシアター(東京都)

2018/04/24 (火) ~ 2018/04/28 (土)上演中

予約受付中

満足度★★★★★

 脚本の完成度の高さ、演出の上手さ、歌の上手さに踊りの切れが加わり、更にエレクトーンと二胡の生演奏の響き、悲劇の色調を耽美なまでに表現してくれた。見事である。終演後には、ゲストとThe Vanity’sメンバー3名のうち今回は出演していない1名を除く2名が歌を披露してくれるおまけつき。こちらも聴くべし!
 

タバコの害について/たばこのがいについて

タバコの害について/たばこのがいについて

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2018/04/20 (金) ~ 2018/04/24 (火)公演終了

満足度★★★★


 オリジナル作品1篇とチェーホフの「タバコの害について」の2本立て公演である。(華4つ☆)

ネタバレBOX


オリジナルは、表現活動をする男とその男の世話をし続けて5年になるが、妻にもしてもらえないことを嘆きつつもその生活資金も食事などの世話も止められずに暮らす女の関係を描いたものだが、女は男を浴槽で飼っているピラニヤに擬え、臆病な癖に強がるとからかう。
 男は、嫌いな食べ物が多く、女が一所懸命ヘビースモーカーである彼の健康を考え、何とか食事で健康を回復させようと考えて作った食事を食べずに過ごすことも多く、そればかりか、女が男の為に断念した表現者の道の後輩をたらし込んで浮気をしている。女はこれを詰るが、男は、女が未だ手垢のついた自分の革命的な生き方に憧れてついて来ていることを知悉している為、革命的論理によってこれをいなしつつ、自由になること、縛り付けられずに脱出することばかり考えている。無論、女は、反対に好きな男を自分から逃さず管理下に置くことを今日も、明日も考えている。今作は、革命は兎も角、この男女相互の普遍的な関係を描いた秀作である。

 チェーホフの「タバコの害について」である。モーパッサンの「une vie」ならぬ「男の一生」とでも名付けたい内容の作品である。確か日本の落語にも下げで「おんな」が「かんな」になるものがあったように思うが、今作は、当にこれではあるまいか? 
 発生学的にみても、雌雄がある生物のプロトタイプは♀である。それは、種を残す性が雌だから当然のことなのだろう。鯛などは、総て雌として生まれるし、人間の男も母体の中で男になるのであって、最初から男として形成されている訳ではない。今では差別用語とされるかも知れないが、色盲なども発現率は女子の方が低い。生物学的には母体の中で一種のオペを受けて♂になる生命体より♀の方が強いのである。
 一方セクハラ等、男の横暴が話題になる昨今だが、こんな言動は、自民党議員など下劣を旨とする下司がやることであって、一般男性の多くは寧ろ女性に奉仕することで一生を終える者の方が多かろう。蟷螂は、生殖行為後、♂は♀に食われて生涯を終える。つまり♂は、♀に奉仕するだけ奉仕させられ、絞り尽くされてその生涯を終えるのが、生物としての宿命なのである。
 人間社会が男性優位社会という形を採ってきたのは、戦争を含めた生存競争の結果かも知れないが、実は、生物学的に弱い♂が、♀に甘える為のシステムであるかも知れない。医者でもあったチェーホフは男女のこのような生物学的関わりをその本質に於いて知っていたのではなかろうか? 実に深い作品である。
作レ家

作レ家

法政大学Ⅰ部演劇研究会

法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎 多目的室2番(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/23 (月)公演終了

満足度★★★★

 作家の作業を良い家を作る作業に例えて創られた脚本は、恰も露伴の「五重塔」の構成を思わせる、しっかりした太い柱が全体の構成を合理的且つ論理的なものとし、ブレのない考えさせる作品になっている。(華4つ☆)

ネタバレBOX


 板部分は手前が広い台形になっており、奥中央、左右の辺中ほどに出捌け口が作られ、役者の動きもスムースである。床面は、寄木細工の文様を施し、雰囲気を醸し出す。奥壁の両コーナーに掛かったカーテンは、閉じると、スクリーンとして利用できるなど極めて合理的な作りである。主人公が作家なので、板中央には、机と椅子が置かれ、作家の仕事机としても、家族の用いる居間としても用いられる。
 さて、物語の内容であるが、表現する者としてその仕事に特化する生き方(いわば芸術至上主義或いは仕事中心主義)と生活(特に家族関係の親疎)の切実な問題を描いて、ホントに考えさせられる内容であった。
 演技には、序盤若干硬い感じが観られることもあったが、中盤からはそれもほぐれて自然な感じになり合格点。小道具の使い方と小道具自体も洒落たものが使われている。殊に家の模型が、家族崩壊の危機を表現する場で用いられるのだがとてもセンスの良い色・形の模型を用い、照明の適確な技術もあって頗る美的に映った。
 スタッフの対応もいつも通り、非常に感じの良いものであった。
ヴィテブスクの空飛ぶ恋人たち

ヴィテブスクの空飛ぶ恋人たち

劇団印象-indian elephant-

シアター711(東京都)

2018/04/18 (水) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 ダニエル・ジェイミソンという人の原作を演出家の鈴木 アツト氏が訳している。生のヴァイオリンが入っていて、イディッシュ語を話すことの多かったアシュケナジーユダヤの生活の匂いが感じられるような気がする。
(ところで、照明ランプにも絵が描いてある。お魚の絵で、シャガール作品に現れる絵のお魚に似ているように見受けた。粋な演出ではないか)(華4つ☆)

ネタバレBOX

水晶の夜迄は、ホロコーストに直結するような行動を矢張りヨーロッパ人も中々起こせなかったとは言えまいか。無論、「屋根の上のヴァイオリン弾き」が、ポグロムに追われたユダヤ人の物語であり、ロシアでは、このポグロムによってかなりの数のユダヤ人が殺害されていた。その為もあってか、現在、イスラエルで最右派を形成する勢力、リクードのイデオロギーのベースはロシア出身のシオニストの論理がベースになっているという事実は、日本人以外ならかなり多くの人々に知られている。この論理が、現在、ホロコーストこそやっていないものの、ナチよりも悪辣なやり方をするに至っているイスラエルによるパレスチナ人ジェノサイドに利用されているのである。
だが、かつてユダヤ人殊にアシュケナジーユダヤには、極めて優れた表現者、学者、思想家らが輩出した。何故か? 彼らは各々が、語るべき多くのことを持ち、主張しなければならない正当性と論拠を持っていたからであり、これらを抱え込まざるを得ない故なき被差別が、彼らをして人類全体を底上げする為の人生を選ばせたからである。フランツ・カフカが存命中、プラハに居たユダヤ人は3万人ほど、そのうち14人だったか15人だったかハッキリ思い出せないが、このどちらかの人数のユダヤ人がノーベル賞を受賞している。それほど、彼らの知的レベルと人類への奉仕の姿勢は高かったのである。現在、パレスチナ人が、かつてヨーロッパで迫害されていたユダヤ人と極めて似た状況に置かれている。そして、パレスチナ人一人、一人は、多くの語るべき物語を持ち、世界中に散らばったパレスチナ人は、表現者、学者、思想家として素晴らしい活躍をしている。このような差別状況を作り出している人々がシオニストであることはもっと糾弾されてよい。(断っておくが、自分はユダヤ人批判をしているのではない。あくまでシオニストを批判しているのである)
 今作を観るに当たって、観客は“ミルクの夜”を過ごしたシャガール夫妻の恋による魔法を見ることになる。シャガールの絵の解釈については、今作とはかなり異なる解釈に立つものも実はある。だが、それはしばらく経ってから明かすとしよう。取り敢えずは、恋の魔法に掛かった彼らという設定を通して観てみたいと思わせるだけの作品であったのだから。
アラクネの恋

アラクネの恋

劇団もっきりや

ART THEATER かもめ座(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 どの役者の演技も個性を持ちつつしっとりしていてグーだが、自分は特に先生役が気に入った。(華4つ☆)

ネタバレBOX


世界中で起こっている多くの欺瞞をベースにした事象に対するに当たって、絶対的な力を持つとされる“神”に支配される架空の街で起こった或る美術教師と高校のマドンナの恋、そして同じ美術部の天才高校生のマドンナへの憧れ、更に神が女として望んだ捧げものとしてのマドンナの関係が惹き起こした悲劇を通して真実とそれを暴く者、相思相愛であるが故に力関係を斟酌し卑劣な手段をとることでしか、恋人を護ることができなかった弱い人間の魂に打ち込まれた後悔という名の杭は、教え子の天才美術家の自死。それを見て否見続けて知らぬ振りを決め込む他者たちの欺瞞を告発する作品。
 惜しむらくは、主張の強さの余り、それを表現する科白がくどくなったこと。もう1枚、別次元のカムフラージュを掛けておいて、それをラストで明らかにすることで、観客を無明の闇に放り込み、考え抜かせるように仕組んだ方が更に演劇的効果は上がりそうだ。
歌姫、ネバーダイ!

歌姫、ネバーダイ!

ライオン・パーマ

上野ストアハウス(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイムマシンものなのだが、タイムパラドクスなどの理屈を捏ねることが野暮と感じられるほど、良く人間の情緒を丁寧に描いた秀作。前作とは毛色の全く異なる作品でもこれだけ質の高い作品を創りだす劇団の実力に感嘆することしきりである。(追記第1回2018.4.22)

ネタバレBOX

 作中、登場する要素は、海賊(ロマン)、人魚伝説(怪奇・幻想)、タイムマシン(夢)、社会や自然の厳しさと優しさ(存在することの厳しさとその中で協同・共同することによって作り上げられる人情などの温かさ)、夢と掟の果てに存在し続ける心。そして魂を抱えた永遠の存在、である。
リチャード三世

リチャード三世

芸術集団れんこんきすた

アトリエファンファーレ高円寺(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今作、最大の特徴は、「時の娘」を埋め込んでいることだろう。(追記2018.4.27 01:32)華5つ☆

ネタバレBOX

「時の娘」と言われてピンとくる方はそう多くあるまいが、シャイクスピアが、今作を書くに当たって資料とした文献は、勝者ヘンリー7世を正当化する史家のものしたものである。つまりチューダー家のプロパガンダとして書かれた史書をベースにしているとして、これに反した解釈を述べた本のタイトルが「時の娘」なのである。
 残っている歴史というのは、勝者の歴史に過ぎない、との歴史見解があるが、それを地で行った書物ということが出来よう。
 脚本家の奥村氏は「時の娘」のエッセンスを要約すると同時に自分自身の批評を込めてラストの科白を創作しているが、この科白によってシェイクスピアの傑作、「リチャード3世」という大作をひっくり返してもいる。詳細は追記するが、流石というしかあるまい。
 役者で気に入ったのは主宰の中川さんの、死神のようなイメージから「時の娘」に描かれたもう一人のリチャードの荘厳な佇まいに至る演技は無論のこと、リチャードの妻・アンを演じた木村さん(受け身で緊張を強いられる難しい立場を見事に演じた)、王女のエリザベス役を演じた佐瀬さんは、作品としての「時の娘」を体現してみせた。更に爽やかで聡明なエドワード王子を演じた中村さんも聡明故に己の位置を正確に知る王子の覚悟を演じて見事であった。

 多くの方が指摘しているように、噛む役者さんが複数いたことは事実で、残念ではある。然し、経済的基盤のしっかりした劇団の公演や、ヨーロッパの演劇環境と日本のそれとは大いに異なる。民衆の文化に対する感覚が異なるし、人間的なレベルでアートに対する考え方の基本も大きく異なる。こんなこともあってか、役人の文化政策自体、ヨーロッパ先進国に比べてお話にならないレベルである。標準語なる言葉が恰も存在しているような文部行政の言葉感覚も全く肯んじ得ない。少なくともヨーロッパの先進国は、標準的な言葉を定める為にその国のトップクラスの国語学者がチームを作って世紀を跨いで辞書を作る。だから、語源や初出から、時代を追って変遷してゆく意味から現代使われている言語表現をどのように位置づけるか等々を延々とやり続けている。そして例えばアカデミーフランセーズのような機関が国語全般に亘って侃々諤々の議論をして正しい言葉、用法を示して基準としているのである。日本でこのような基礎作業もせずに標準語などと言っているから、僅か数十年の間に送り方などが変わって混乱を来したりするのだ。全く何をやっているのだか、国民の貴重な税金を使って、監視社会を作ろうなどと馬鹿なことをしている。おっと、話が逸れ過ぎた。
 何れにせよ、人間社会の根底を為す言語に対する「国家」の態度がこの程度のものであるから、文化行政などあって無きが如きお寒い状況であるのは、芝居好きなら誰でも知っている事。こんな状況があって、小劇場演劇に携わる人々の多くが、生活の為に何らかのアルバイトをしつつ芝居をやっているという事情がある。シェイクスピアは、天才中の天才、その彼の天才ぶりは何処に発揮されているかというと、その科白によって登場人物の全体を活き活きと描いていることにある。その分、一つ一つの科白が長くなり、どうしても練習時間の少なくなりがちな小劇場出演俳優には負担が掛かる。無論、それでも噛むこと自体は避けられればそれに越したことはないし、噛むことの無いよう努力する必要がある。だが、このような状況を斟酌することも必要なのではあるまいか? 無論、脚本を書いた感受能力の高い奥村さん自身、これだけ密度の高いシャイクスピアの科白を刈り込むことには、大変な苦労をしたに違いない。感受能力が高ければ高いほど、その困難は増し当に死闘であったろう。同時にこのような脚本家は、今自分が生きている地域、時代、世界情勢についてもヴィヴィッドで高い感受性を具えてもいるものだ。そして更に優れた批評意識も。即ち今回脚本化としての原作を刈り込む作業は、感受性と批評意識との壮絶な戦いであったと考えられる。この作業が、高い精度で為されたが故に、ラスト部分で、この傑作を全く古びさせず、而も現代における差別史への視座、力関係やプロパガンダによって歪み得る我らの認識とこの事に対する批判及び反批判を通じての客体化、フェイクとファクト、それらを見極める知恵としての総てのメディアに対するリテラシー、これら諸問題に対するにあたり己の立ち位置と批評眼を如何にバイアスから解放し、メディアリテラシーを根拠づけ、世界に解放してゆくかに賭けたハズである。お疲れ様。一言ねぎらいたい。

忘却論

忘却論

華凛

ワーサルシアター(東京都)

2018/04/18 (水) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★

 レイアウトが少し変わっている。(追記4.25:04;48)華3つ☆

ネタバレBOX

板中央は十字路が通っており、その各コーナーには水を張った水槽が1個ずつ置かれている。無論台に載っている。これらの周囲を囲むように椅子と机が置かれているが、机は入口からみて右奥のコーナーを除く3か所に、机用椅子は机の手前に背凭れの無い物が置かれている。他の椅子は十字路への入口を除いて均等に置かれている。このひと回り外側総てが観客席である。天井からヨシキリ鮫の顎ほどの大きさ、形状の枠から吊り下げられたテルテル坊主が吊るされている。
 出演は女性ばかり10人。5人が姉妹、母、教職の研修に来ている国語教師、近所のおばちゃん、花屋、姉妹の彼氏役である。
 しょっぱな忘却曲線について語られるが、このデータを得る為の実験と結果の妥当性が今も古びずに用いられていることが緩やかな導きの糸となり、物語というものは作家の意図次第で結末をいくらでも改変できるという事実をもう一つの糸にして物語が紡がれてゆく。各出演者かなりの熱演で、その点は評価していいが、3~4 割の演者の科白は、がなられているだけで滑舌が悪く聞き取れない。演出はしっかりダメ出しをして少なくともゲネまでには改善するか、それができなければ舞台を通常の形にして滑舌の問題が余り観客の聴き取りに問題にならないよう、科白の聞き取り易さを優先すべきであろう。仮にこのような点にも気付いていないのであれば、演出を基礎からやり直すべきである。演出の役割とは、脚本に書かれていることを観客に最大限効果的・的確に伝えることだろうからである。熱意や勢いだけで演劇は成り立たない。
 ネタバレが楽日以降との要請があったので、この点については楽日以降に記すことにする。
 善悪は人間が勝手に決めるもの、一方人間はどんなことも考えることができ、罰を考えなければ簡単に実行に移すことができる。それを演劇という手法で見せた点が良い。
 但し様々の悪行は、己の内側の論理によって、己の総てを明澄化し、律していないことから来る。考える気になれば無意識のある程度迄を意識化できるし、八識についても認識できるのが人間である。またこのレベルに至って初めて無明の闇の入り口に立つことになろう。即ち己の無明を己の力で律するトバ口に立つことができるのである。今作は。この認識のとば口にも立つことのできない無明を生きる者たちの迷妄を描いた、と見た。熱演ではあるものの、この文の途中で注意したことなどを意識して更に高みを目指して欲しい。
母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ

母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ

劇団 短距離男道ミサイル

北千住BUoY(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 2011.4月、殆どの日本人がF1人災のショックに魂を抜かれたようになっていた時に立ち上げたユニットが母体となったこの劇団だが、よくあの中で立ち上げたな! と感心する。(追記後送)華4つ☆

ネタバレBOX

自分などは、メルトダウン、メルトスルーを心配して12日、13日辺りはもう日本が終わる、と深刻な精神状態で情報集めと分析に必死になっていた。偶々、フランス在住の知り合いから、13日深夜だったかヨーロッパの科学者たちがスパコンを使ってF1人災によって発生した放射性プルームの移動予測(スピーディの予測のようなもの)したものをメールに添付して送ってくれたので、そのデータを自分の親しい者達には拡散した。東電や官僚、政治のスポークスマンの言う事は無論信用できないから。菅首相(当時)は東工大の物理出身だから核暴走がどのような結末を招くか即座に判断して東電に報告や状況把握を求めたが、清水(当時の東電社長)は、自分達が逃げることばかり考えて碌な対応を取らなかったことは、当時も報道された。東電で頑張ったのは亡くなった吉田所長と現場の人々である。
 ところで、太宰の薬漬けは、無頼派青年の深刻な精神状態とその危機を如実に語るものとして我らを惹きつけてやまない訳だが、今作は、当にこの点にコミットしている。(無論、麻薬にということではない)作品をソフィストケートすることによって全体をパーフェクトでコンセプチュアルな様式に貶めるのではなく、あくまで今作のベースになっている「人間失格」を書いた当時の太宰の抱えた“破綻”に掉さしてゆこうとしているからである。何故、このように困難で未完な形式を選んでいるのかについては、3.11の深く、凄まじい体験があるからなのだと、自分は考えている。
 これらのことを描く為に彼らが採った方法とは、生身であることだ。2011年4月に結成されたユニットが旗揚げであったことは既に述べた。この時彼らは、生身を視覚的象徴的に表現する方途として脱ぐことを選んだのである。以来、この方法は、この劇団の伝統となっている。今回、演じられたBuoyが、元銭湯であるというジョークも気が利いている。実際、劇空間は、上階には元ボーリング場の、今作上演会場は、洗い場のタイルの上に組まれた畳2畳の部屋と下手にはカラン、部屋の奥には浴槽が残り客席床からは欠けたブロックと20㎝ほど底上げされたタイル面、切断された管などが丸見えのB1にある空間であり、入口から劇空間まで観客席を囲うように入口側を除く3方には、天井から帯状の紙に記された「人間失格」の一部“弱虫は、幸福をさえおそれるものです”などが書かれ吊り下げられている。その数100枚近いだろうか。BGMは、ちょっと変わった環境音楽といった感じのものが流れて、異空間を形作っている。更に、この部屋の奥の衝立は、スクリーンとして利用され演じ手としても登場する本田氏がパワポで拵えたイメージが映される。(何と、パワポで700メガ)
Were Born / ワー・ボーン

Were Born / ワー・ボーン

舞台芸術集団 地下空港

表参道 NORA HAIR SALON(東京都)

2018/04/14 (土) ~ 2018/04/15 (日)公演終了

満足度★★★★

 前回に続く移動型公演である。演者達が、何時何処でどのような動き、発話をしているかに応じて、観客は積極的に動くべし。荷物は預かって貰えるが、持ち物は少ない方が良かろう。(華4つ☆)追記2018.4.17

ネタバレBOX

観客自身が、好奇心と探究心そしてイマジネーションを持って作品に接することに加えて、論理的に自分の頭で考えながらキチンと判断しなければ、余りヴィヴィッドに関われないタイプの作品だと考えられるからである。積極的に関われば、作品構造がハッキリ見えるし決して難しい作品ではない。
 何しろ、一時の寺山作品のように同時に様々な場所で別々のことが行われたりするので、観客が動き回りながら、何をどのように観るかを的確に判断しながら観ないと全体像のイマージュを掴むことも難しくなる可能性があるからである。何、構造が見えてしまえば、後は観客個々人の知性・イマジネーション等の問題で可也深読みができる理知的な作品である。
 タイトルが示していることのみならず、war born、和盆、和本等このタイトルの音が示す様々な概念・イマージュが喚起する内容が包みこまれた作品である。多様な解釈が可能であるが、自分は現代日本の現実を映しているように解釈した。
 契機は、それぞ:れの役者が演じている役割を見ることだろう。皇帝というか支配者と目される人物が居る。官僚が居る。治安維持を担う軍人或いは警察官が居る。弱者が居る。浮動層はダンサーによって表されている。
  次にこれら各々が何を表象しているのかを考えてみるのだ。支配者は、プロパガンダをし、それによって大衆をマッスの次元で操縦しようとするがプロパガンダは魔物である。情報操作が時に為政者の目論見を超えて暴走すると、為政者が大衆に担がれ破滅の責任者として総括されることにもなる。
 官僚は、為政者の意図を汲み、忖度して大衆管理に携わるが、その方法は、彼らの目論見や単に気紛れによって方向づけられるから、大衆にとっては単なる不条理でしかないが、機構がこの隔絶を絶対化してしまうので、大衆の反抗は役に立たない。本質的な革命のみが、この機構そのものを変質させる可能性を持つ。
 治安維持を担う連中は、知的に一段劣るから、唯上の言う事を、実行に移す暴力装置として機能する。
 浮動層は、以上の三階層の欺瞞を見抜き、自分の力の限界も知っているから、揺蕩いつつ、力から巧みに身を逸らしている。
 残る弱者たちは、最も無防備なまま、暴力の犠牲になる。彼らは願う事しかできない。そして唯一の武器は記憶することだ。
 これらの社会的要素が総て役者達の演技によって同時多発的にあちこちで行われているのが、今作である。2階部分には、洗髪用のタンクを備えた理髪店用のシンクで、水責めの拷問が行われるシーンもあるが、これは更に大きな1階部分で同時に進行している別の様々な演技からは隠されている。無論、これは、ロシアなどがシリア政権軍に加担したことを責めるアメリカがラッカ攻撃に関しては西側に報道させなかった一般市民の犠牲者被害と同等の性質を持つものであり、アメリカがイラクやアフガニスタン、キューバのグエンタナモで散々やった拷問が殆ど報道されなかったこと、イラク戦争については、インベッド取材でアメリカ軍にとって極めて有利な報道しかできないように企まれた手法の発明、これらに深く関与し軍事オブザーバーとして指導したイスラエルの暗躍を見えなくさせていることとも同等である。
 その上で構造的に捉えるなら、先ず我々の生きている世界がどのようであるか? を考えてみる必要があろう。そこには様々な層が堆積している。我々が日々食わされている物は、果たして本当に安全か? 空気は? 水は? 土は? インフラや社会システムは? 信じていることは? という生きる条件に直接、密接にかかわっている事・もの等は、リアルな局面に於いてホントに確かか? 
 エネルギーは完全に足りているにも関わらず、原発再稼働に走る自民党を中心とした政権とそれに追随するしか能の無いアホダラ官僚、マスゴミ、フェイクニュースを捏造し続けることによって事実を隠蔽し、地球生命を危機に陥れる命の敵共、森友、加計、自衛隊、自民党政府、東電、アメリカの植民地政策に見るような隠蔽、虚偽、無責任、切り捨て、弾圧、頬っかむり等々を貫く為にこそ、諸々のプロパガンダが用いられ、そのプロパガンダに踊らされ、フェイクをファクトと勘違いさせられていないと言い切れるか? 寧ろ、我々の日常は、既にバーチャルとフェイクで覆われ尽くしているのではないか? 仮にそうであるとしたら、どうやって我らはバーチャルやフェイクから自由になれるか? ということをこそ次に考えなければならない。
 今作は、このような生活環境に意図的でないかも知れない人々に、状況を提示して見せる試みであろう。この姿勢を高く評価したい。
組曲~touch 2 you~

組曲~touch 2 you~

touch my brassiere? company

上野ストアハウス(東京都)

2018/04/13 (金) ~ 2018/04/15 (日)公演終了

満足度★★★★

 やや情緒に流れるきらいはあるが、新宿という街のかつての優しさの背景には、或いはこのような事情があったかも知れない。(追記2018.4.17)

ネタバレBOX

何れにせよ、この街に深くかかわる者総てが抱えていた寂しさや侘しさ遣る瀬無さばかりは本当だっただろう。だから喧嘩も多かった。今なら喧嘩を態々買ってやろう、などという優しさを身に纏った人種は絶滅してしまっているであろうから。今作でヤクザが大切な役割を果たしているのは、そして実際、ある意味見捨てられた者達の最後のケツ持ちをするのは、右翼や不良であろう。彼らは人の痛みを良く知っている。計算もするが、その上での優しさもそれを知らなかった者にとってはとても温かなものに思えるのも事実だからだ。今作に登場する女の子も泣くことを知らずに育った。そんな人間は、世の中の底辺にはごまんと居るものなのだが、大衆的懶惰に慣れ切った愚衆には見えないし感じられない。これが現実である。思春期、怒るべき時にキチンと怒ってやれなければ子供達は横道に逸れる。そして子供達はその瀬戸際で必ずシグナルを出す。大人の役割は、子供らの出すシグナルをキチンと捉え、的確な対応を為すことだ。そして仮にその能力が己にないならば、その無能を意識し然るべき対応を採ることである。そういうことのできる人は必ずいる。そういう大人への橋渡しだけはすべきなのである。
 どんな人間も、生まれた状態から殺人鬼ということは殆ど無い。仮に遺伝的にそのような要素を持つと分かった場合には、では、どうすれば、当事者が己の欲求をセーブしつつ幸福を得られるか? 社会参加が可能になるかを一緒になって考えることができるような方法を考え抜くことが第1の問題として施行されるべきであろう。一緒に考える姿勢を取ることで殺されるリスクを回避する手法も含めてであることは当然だ。まあ、今作では此処までシビアな状況は措定されていないが。その甘さも含めて情緒に流されている点が問題なので、深く考えた上で、無駄を削って作品作りをして欲しい。
山の上のHOTEL・別館~2018~

山の上のHOTEL・別館~2018~

劇団カンタービレ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2018/04/13 (金) ~ 2018/04/16 (月)公演終了

満足度★★★★

 2012年に初演を迎えた今作、自分は初めて拝見したが、3回目の上演ということである。(追記2018.4.17)花四つ☆

ネタバレBOX


 国家と自治体、官僚が愚かなことしかしないこの植民地ではもっと上演されても良い作品だろう。尖閣、竹島等、棚上げしておくという多国間の知恵を使ってきた多くの問題を、また慎重に対応してきた北方領土問題を、植民地支配と言う負の要素をキチンと解決してこなかった北朝鮮問題を、己の知恵の欠如を残酷なまでに示している現首相とやら、妖怪の血を引き、己も妖怪、それも最悪の鵺である晋三とかいうパシリが、学生時代だけで卒業しておけばよかったものを、今はアメリカのパシリとして機能して良い気になっている。嘘、隠蔽、権柄ずく、冷淡、無責任、詭弁、空とぼけ、厚顔無恥、偽善等々枚挙に暇のない国賊が、総てのテクニックを使って国民を欺こうとしているが、どっこいそう簡単に問屋が卸すものか! こんな下司の抜かす恫喝に屈しない者達も居るのである。それが、決定的に疎外された者達、今作の影の主人公である脱走犯2名。犯罪者であることで正義を貫こうとする立場は、金嬉老によっても実行された。被差別的立場に置かれた者が真に正義を実行しようとする場合、このような方法に拠る他現実にはあり得ないケースがまま在り得よう。何せこの腐り切った「国」の為政者は、小栗上野介が幕末に指摘した通り、当に無責任によってこの国を運営してきたからである。こんなものは本当は運営でもなければ運用でも何でもない。唯の出鱈目である。主権者であるハズの国民がまともでないから、最も虐げられて在る者達が、犯罪者となって正義を遂行するしかなくなるのではないか? 今作が真に問うのはその点であろう。それだけ大切で本質的な問いが今作には含まれている。
 超能力者達が、国家、東電などの組織の怠慢と歴史の事実に対する瞞着によって殺された子供達の親であることも重要である。我々が心しておくべきは、国家や独占組織というものは、必ず嘘を吐くということを肝に銘ずることであろう。そして何より肝心なことは、こういう欺瞞しか為さない者共の言うことなど、その欺瞞に根差した事象については何ら聞く必要がない、とハッキリ態度で示すことである。
誰も寝てはならぬ

誰も寝てはならぬ

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/04/12 (木) ~ 2018/04/18 (水)公演終了

満足度★★★★

 「」内も「」外も凄いタイトルとサブだが、先ずこれにイカレテしまった。(華4つ☆)追記楽日以降

ネタバレBOX

実際、これ以上にインパクトのあるキャッチ・コピーは、そうあるものではない。尺は70分程の中編だが、捻りの効いた作品であるということは直ぐに察しがつくだろう。
 それも其の筈。このタイトルは、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の有名なアリアから採られているのは、そう音楽に詳しくない人でも知っていることだろう。劇中のシナリオも、無論、この歌劇と関連させてある。だから尺は短くても内包している意味は大きいのだ。このような世界的な大風呂敷を広げた上で、終盤の科白が活きてくる。実際にどんな科白にこの物語が収束するか? それは観てのお楽しみ。楽終演後には、明かすことにしよう。
春の花びら3回転!!

春の花びら3回転!!

チームまん○(まんまる)

シアターKASSAI(東京都)

2018/04/11 (水) ~ 2018/04/15 (日)公演終了

満足度★★★★

 “下ネタは世界を救う”を標語にぐぁんばっている劇団だが、お客さんには、若く美しい女性も結構多い。花四つ☆

ネタバレBOX

今回は短編3作のオムニバス公演で、当初90~100分位を考えていたのですが120分と長くなりました、と前説の時に説明があったより長くなった。が、全然退屈などはせず、最後まで楽しませてくれた。というのも、下ネタというのは、生命現象にそのまま結びつくので、結構哲学的な傾向を持ち易いと同時に羞恥心など社会的・文化的問題とも深く関わる為、社会学、心理学、社会心理学等々にも結びつき易いのだ。その上、社会ヒエラルキーの上層、下層を分けるメルクマールにもなり得る。当然、タブーとも結びつくのだ。
上演順に作品タイトルを挙げると
花びら①:おめこ星 
花びら②:じまんげ 
花びら③:うんKOである。
ところで硬いことを言った序でに“下ネタというのは案外哲学なのである”という事を実証するのも面白かろう。16世紀ヨーロッパを代表する知識人であったフランソワ・ラブレーの書いた「ガルガンチュワとパンタグリュエル物語」には、エスプリ・ゴロワがふんだんに登場するから下ネタがかなり作品中に描かれるのだが、それはルネサンスの光であると同時にそれまで中世キリスト教によって散々抑えられてきた人間性解放の讃歌でもあったことは明らかであり、そこに描かれる教育論など当に天才の発想そのもの。医学者としても超一流の医者であったラブレーの人間性を余すところなく描く傑作であるから、時間の在る方は一読されたい。岩波文庫で絶版になっていなければ入手可能なハズ。但し、注釈がごまんとついているから覚悟して読むべし。注を入れて2500~3000ページくらいだろうか。もう何十年も前に読んだのでハッキリページ数までは覚えていないが大体その程度である。
 他にも能書きを垂れれば「金環蝕」という小説はご存じだろうか? このタイトルは無論、天体の美しい現象ではない。初代芥川賞受賞作家の石川達三が、政治の世界を汚穢そのものとして描く為に敢えて天体の美しい現象を穢す下司としての政治屋を糞に例えたのである。糞を黄金に例えるスラングは誰しも知る所だ。つまりアイロニーである。蝕の使い方が何とも微妙ではないか。「生きている兵隊」で発禁処分を喰らった石川 達三の意地が見えるような気がする。因みに「生きている兵隊」に描かれていることは、日本軍が中国で行った戦争犯罪行為である。
 閑話休題。①は、スマホに代替されているAIと我々人間存在の正しく現在に於ける対比である。利便性に侵食された我らの人生は、更なる利便性を求めて自己崩壊してゆくのか否か? 更にこの先他の技術とも結びつきつつ進化・深化してゆくであろうテクノロジーに、支配される可能性の高い我らヒトの存在をも根本から考え直させる契機を含んでいると見た。
②は、性に目覚める頃の男の子と母との関係を面白おかしく描いたものだが、男の羞恥心と女性の現実的な生々しさがすれ違う滑稽味が見所か。
③は、ストレスと胃腸との相関関係を心理学的なレベルを中心に追った作品で、自律神経失調と便意との関係が分かり易く描かれて示唆的である。
だが、何れの作品も密接に生きるということに関わっている点で実に人間的であり、エコロジカルな視点で描かれている点が良い。
これに対し我々・ヒトが発明してしまった核などは、暴走すれば、人間だけではない。死滅するのは。地球上の総ての生き物である。この責任は我ら、人間にこそある。
やさい

やさい

劇団うけつ

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2018/04/07 (土) ~ 2018/04/07 (土)公演終了

満足度★★★★

 今回は“野菜”をキーワードにしたコント公演と銘打たれた作品だ。

ネタバレBOX

①母さんいるよ②友情③僕の眉毛は細い④初恋をもう一度⑤急須に藤の花を添えて~土橋を叩いて人は渡る~の五話である。尺は1時間程。
 板上は、下手観客席側に設けられた小テーブルの上に俎板、包丁、鍋、コンロ、野菜。調味料などの調理関連品が置かれている以外はフラット。
 ①母と子の絆に絡んだ話、②は、友情に男女関係が割り込むハナシ等々。中々ウィットに富んだシナリオで笑える。最後には、ゲームもあるのだが、上演中に即席キッチンで作られるのはカレー。登場した野菜は、この具になり、可也好い加減な調理で作られたカレーを負けたメンバーが食べなければならないという罰付きで、これも気の毒ながら笑ってしまった。
母の桜が散った夜

母の桜が散った夜

“STRAYDOG”

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2018/04/04 (水) ~ 2018/04/08 (日)公演終了

満足度★★★

 一応、粗筋で作次郎と母のことが記されているのであるが、これを作劇だけで分からせて欲しい。

ネタバレBOX

 母・光代が春を鬻ぎ、キャバレーで働いて育ててくれたことを恥じたとて、ホントに自分・作次郎が殺したようなものだと感じているのであれば、その経緯を迷わずに告白できる訳もない。脚本が甘いか、演出が甘いかどちらかであろう。しょっぱなで、こういったリアリティーの欠如に白けてしまった。少なくとも長めの間を置くべきである。中盤まで脚本の粗さが際立った。
 このような作りは、若い役者と老年に差し掛かった役者が亡くなった光代の息子を演じていることを終盤まで明確に示さない演出にも表れている。質の低いギャグで観客に媚びるよりも、実際描きたいものを中心にキチンとした構成を目指すべきであろう。
 個々の科白が、メディアから切り取ってきたようなレベルであることも気に掛かった。薄っぺらいのである。心底悩み地獄と手を繋いで生きてゆくしかない人々の吐く科白は、一般人には、思いもつかないような視点から提示される。この辺りの掘り下げが欲しい。
 子役の女の子の演技とキャバレーで働いていた母を演じた女優の演技が最も気に入った。
ストラタ

ストラタ

一十口企画

新宿眼科画廊(東京都)

2018/04/06 (金) ~ 2018/04/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

 タイトルのストラタはウィキで調べると、どうやら3Dプリンタなどの製造メーカーらしい。(華5つ☆)終演後発表部分追加 2018.4.9

ネタバレBOX

シュールなシーンがたくさん飛び出す芝居だが、この手法自体が芝居をメタ化する方向に働いている。それも極めて有効に。

 物語は、単純だ。或る男が、交通事故を引き起こした。被害者は3歳の男の子。場所は世田谷区の一角。小屋入口の脇が小さな踊り場に設えられこの踊り場に接するようにして家屋の壁。壁には小さな窓があり、普段はカーテンで仕切られている。踊り場から小屋の長辺に沿って奥の方まで歩道が延びており、奥の壁の手前1mほどの所で切れているが、この切れ目には、車両の進行方向を記した掲示板。歩道が車道に面した場所に信号機操作盤があり、板突き当りはスクリーンになっていて、この先の道路が映し出されている。
 異様なのは、丁度歩道の切れる辺り、天井部分から電線に巻きつかれた子供用自転車が宙吊りになって居ること位だ。この自転車こそ、被害者が撥ねられた時に乗っていたチャリである。
 さて、撥ねられた子供は、大きな音にカーテンを開いた主婦が連絡を取り、救急車で病院に搬送されたが2日後に息を引き取った。運転手は、子供が急に飛び出してきたのだが、動転していてどこからどのように飛び出してきたのか定かでは無い、と主張。運転手にも子が生まれたばかりでもあり、警察の細かい調査は、後回しになっていたのだが、この日は、被害者の母親、運転手とその妻子らも現場に集まることになっており、担当刑事も到達したのだが、中々被害者の母親が現れない所へ通行人が通りかかり、色々と詮索をしてくる。信号機が変わらないのをいいことにああだ、こうだと口を挟んでくる等々が非常にシュールレアリスティックに描かれてゆく。刑事は刑事で自分はインコだと言い張るばかりでなく実際、そのように鳴き、仕草も鳥のような場面を多々演じる。そこに現れる運転手の母は、何やら意味不明の言葉と通じる言葉のちゃんぽんで話す等々。
 一方、歩道に面した家の主婦には、小さな子供が居て子供は事件の現場を見ていたということが判明した。他にも特殊なことがいくつもあるのだが、大人は全員、シュールレアリスティックな世界の住人であるのに対し、唯一子供だけがノーマルで物語全体の錘として機能している。扇で言えば要部分だ。主として歩道で展開する物語のキモ部分は、終演後に明かそう。

以下終演後に発表する部分だ。
 大人達が総てシュールなのは、要するに人工的な世界に生きているからである。通行人らは総て事故に関わる人々をからかうかのような野次馬(世間)であり、人が死んでいるにも拘らず、無責任極まる批評や茶々を入れて楽しんでいる。これらの大人の行為を対象化しているのが、自然でしかない子供である。この子供が居ることで、この人工的な檻が即ち大人達のベースになって観客という第三者に提示される。この構造が、作品をメタ化しているのである。一見、何気ないシュールレアリスティックで不思議な遊びに見えるかも知れないが、ちょっと構造を考えてみるとこのような面白い観方が可能である。

Be My Baby

Be My Baby

enji

吉祥寺シアター(東京都)

2018/04/04 (水) ~ 2018/04/08 (日)公演終了

満足度★★★★

 子が授かるだの、安産だの何かとお目出度伝説の湧く団子屋。(追記2018.4.17)

ネタバレBOX

この店の脇を上がると神社があり、願を掛けると子宝に恵まれるという噂が流れて、こんな辺鄙な場所にある団子屋にもお恵みが回って来るとか来ないとか。どういう訳か近場に産婦人科の医院がある。
 それも其の筈! この伝説は、この産婦人科院長の事実婚の女性が作り出したものであった。何れにせよ、ネットで拡散され訪れる者も居るのが実情だ。
 “石胎女”という言葉がある。子を欲しがっても生まれない場合、その原因を女性に負わせた場合の言い方だ。実際にその為に苦しむ女性が居ることは事実であり、今作にもそのような女性が登場する。団子屋の妻である。一方、今作に登場する団子屋のケースでは、夫側にも問題があることが指摘されているので実際には、どちらが指弾されていると区分けすることはできないものの、精神的負担としては、産む性としての女性の方が精神的負担が掛かりそうである。何れにせよヘテロセクシュアル中心の社会で男女の微妙な人間関係が、健常者同士ではあっても、若く而も見た目はヤンキーでリストラに遭い乍ら、連れ合いに告げていない実際には生活苦を抱えたカップルの妊娠や、院長の内縁の妻でありながら、入籍はしていない熟年女性などが、各々の悩みを抱えながら生き、生活している日常を劇化した作品だ。舞台美術がかなり凝っている。舞台奥上手の一番高い所に神社があるのだが、そこへ行くアプローチの階段の登り口入り口が何か所にも分かれていたり、それらが踊り場を通じて一つの階段に集約された上の方で、神社側、医院側と分れていたり等である。因みに団子屋は、下手、階段が一つに纏まる踊り場の高さが屋根に中る辺りに建てられており、店の手前には床机が置かれている。上手壁際には、医院への行き方を示した案内板が貼られている。
 今作の弱い所は、舞台美術などにこれだけ凝りながら、内容的には上に挙げたような苦しみを描くのであればもう一段深い突っ込んだ表現迄到達して欲しい、と思わせてしまう点と最終的な集約点に昇華するのに成功していない点があるように思われることである。

このページのQRコードです。

拡大