実演鑑賞
満足度★★★★★
観るべし! 華5つ☆ おっと、危うく書き忘れる処だった。自分の拝見した回では、2人が各々異なるシーンでギターの生演奏をしてくれたが、腕は確かだ。彼らのギターを生で味わう楽しみもある。
ネタバレBOX
タイトルの付け方が上手い。上演内容を見てそう思った。コンセプチュアルなレベルでも良く考えられている、という意味だ。出演者は2名。開演回によって尺の延びる回が多かろう。それだけ思考が観客との関係で深まるからである。自分の拝見した回は87分であった。(因みに予定では60分ほど)観客の様子がクリティックであるとか、何か新たなことをやってみろ! というようなアグレッシブなものであれば、より鋭角的な而も本質的な作品が成立し得る場を形成する上演である。舞台美術もユニークだから好みは分かれるかも知れぬが楽しめる人は楽しんで欲しい。紙飛行機も3機登場するが飛び方が各々異なる、その意味する処を考えるのも一興だ。無論、2人の登場人物が何を喋り、どんな行動を取ることによって真と偽というテーゼを料理するか? が最大の見所となろう。自分は、極めて論理的でありながら、えっ! と驚嘆し得るような形でそれを為した荒業を高く評価した。今後も楽しみな上演集団である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
脚本が良い上に、演出、役者陣の演技もグー。特に山崎先生の台詞が凄い。観るべし!
ネタバレBOX
板上は夜間学校の教室。ホリゾントには下手に窓が2か所、上手に教室への出入り口、観客から観易いようにやや開かれた角度で伸びる教室正面の壁には緑板、その手前に教壇。この教壇とホリゾントの間に教師が用いることのできる机と椅子。対面に生徒用の机と椅子が整然と並んでいる。緑板対面の壁ホリゾント側にはもう1つの出入り口。センターには壁埋め込み型本棚が見える。尺は110分。
初演は2011年。自分は初演を拝見していないが15年経って居る分、随分変わった社会情勢や言葉遣い等も含めて現在に合わせて改稿されている部分はあろう。然し改稿された部分と初演上演版決定稿との間に在るハズのズレは全く感じさせない。内容が極めて本質的で全くブレが無い深みを湛えているからであることは容易に想像できる。設定が定時制というのもいい。定時制に通う人々の年齢は一般的に現実でも様々である。全日制の生徒と同年代の生徒もいれば親子程年の差がある場合も多いのは、生徒それぞれが抱えてきた人生に大きな差があり、困難や苦労が在って通学できない事情が在ったケースが多いからだ。ヒトは生まれ落ちた時点で例え同じ両親から生まれた兄弟姉妹であっても個性差を持っている。その生得的個性差に経験差が加わり、各々の位置の差が社会的にある中で育つことによって初めは小さかった差は拡大するのが開かれた社会では当然起こることだが、この自然の流れに棹刺すのが「国家」教育である。
今作では、担任教師山崎先生が生徒に接するに当たって取る対応が開かれた教育だとすれば、副担任を務める小林先生は「国家」教育の理念に縛られたタイプの教育、小林先生休職中代理で副担任を務める朝比奈先生は山崎先生寄りという感じだ。
生徒たちも様々である。元社長、引き籠り、ホスト、漁師、主婦、工場勤務、モブ、殺人犯等各々様々な事情を抱え実生活では何処にでも居る人、社会的弱者、排除対象者として一纏めに括られそうな人々である。そのように括られ、括られることで軽んじられて真っ当な対応を他人からして貰えないという傾向があるのが我々が日々過ごしている現実社会の姿である。今作は担任の山崎先生の態度が一見つっけんどんであり乍ら実に深く本質を突き、本質を突いているが故に具体的解決に達する道程が見え、問題を抱えていた本人は少なくとも燈明を持つことができるようになる。国家の強制する政策合致目的の次元の低い話では無い。それどころか、真に個々人を活性化させ可能性を増大させて結果的に真の富をも得る方途の基礎を築くのである。
描かれ方は、喜劇的に数々の擽りを入れ笑いを誘うシーンも鏤めつつ、優れた喜劇が本質的に持つ特質、悲劇を越えた悲劇を実は描いていると観た。
実演鑑賞
満足度★★★★
東中野にある梅若能楽堂での公演、30周年記念公演である。演奏が生で無かったのは残念だがそれでも能楽堂での上演は楽しい。(追記後送)華4つ☆
ネタバレBOX
上手いと思った点は、オープニングで往時の京の都の地理のあらましが朗読という音声に因ってヴィジュアルな要素に換骨奪胎されて観客に伝えられつつ、その流れの中で宮中である御所内部の細かい部屋割りに及んでいることだ。「源氏物語」は世界最古の現存物語として知られるのみならず、その質の高さと支配階層に現れる総ての心象を今現在も全く古びない形で定着した傑作として高く評価されている訳だが、其処で宮中に在った女人たちが望むことは帝の寵愛を受け男子を産むことが最大の願望であった。生まれた子が東宮となれば、その先は病等で亡くならない限り、母の行く末もその安泰は確約されたも同然であったからであり、この辺りの特権階級の暮らしぶりは、余暇を持ち得た人間総てが必ず体験するヒトの業との争闘を必然とし、その業との争闘が生み出し結果したもの・こととの争闘をもまた必然的に意味するからであり、業と結果の因果の央に自らの精神が引き裂かれる苦悩の行き来する場(帝の常在の場、寝所などや宮仕えをする女人各々の部屋等の配置)の詳細が語られるのだ。このように地理、屋敷の図面が知らされることにより、そこに流れる時間の境界を空間的に対峙させ時空間として提示している点が秀逸なのである。
実演鑑賞
満足度★★★★
板上は下手奥を高くして部屋を示し上手は板上を素直に利用して土間風に扱い上手側面の壁、観客席側に袖を設えて出捌けにも用いる。明治時代に建てられた古民家を利用した郷土資料館という設定だ。尺は80分弱。
ネタバレBOX
さて、この郷土資料館にはある言い伝えが在った。その言い伝えに因れば屋敷の床下には埋蔵金が隠されているというものであった。先々代の家長であった祖母(成瀬つや)は敗戦後の農地改革で落ちぶれ屋敷を売る他喫緊の生活を支える術さえままならぬ境遇に陥った為、先祖が遺した手記を根拠に屋敷の地下を堀り埋蔵金を見つけ出そうとしたが、家族の反対にあって実現しなかった。庭に在る樹齢500年とされる樹木迄切らねばならぬということに対する強い反発も大きかった。60年後孫に当たる成瀬はなが埋蔵金ハンターとしてこの成瀬家旧宅を訪れた。だが既に屋敷の権利は自治体に移譲されている。所有権を放棄しているハズのはながいきなり帰って来て埋蔵金を掘り出すと言い出したわけだ。この郷土資料館のある地域自治体に譲渡されて居る為、旧所有者の関与する余地が無いこと,またこの屋敷の埋蔵金についても既に祖母が敗戦後の農地改革で没落した為、埋蔵金掘り出しに関与したに違い無いと多くの者達が考えていたが、訪れたはなは信頼できるとする建築家と共に、屋敷の地所を掘り返そうと揉める。余りネタバレになってもなんだから内容説明は此処迄として、ラスト部分が極めて特徴的である。先ず、郷土資料館側に立った役者陣らが終演のお辞儀をして舞台を離れるが、ワンシーン後には女の子が木の名を問う、応えて曰く“エドヒガン”と入って幕であるのは、時間の経過と同時に郷土資料館として継続していることを暗示していよう。
実演鑑賞
満足度★★★★★
犯罪を犯すことになる者、被害者となる者とその家族。そしてこれらの人々を取り巻く社会。様々なことを考えさせる舞台。観るベシ!
ネタバレBOX
盤上は基本フラット。必要に応じ舞台美術がセットされる。オープニングは極めて曖昧に創られている。物語への導入に開演前から役者たちが板上に集まり、キャスティングをしたり、ジョークを飛ばしたりと、稽古中の出演者らの和気藹々な様子を置き、被害者家族の平凡で和やかだった家庭生活と等位であるかのように描いて、往時14歳だった少年が引き起こし、日本中を震撼させた酒鬼薔薇聖斗事件の犯人、少年Aを犯人モデルとして選び、今作では通り魔事件として描かれた今作のシリアスな内容に繋げてゆく。
結果的には殺害された少女(愛生/あおい10歳)は、物語の中核を為す家族の娘であった。両親、兄ら家族の苦悩と家族の受けた深い傷にお構いなく殺到するマスコミ、殺人犯出身校の校長、教頭ら学校関係者らのお詫び対応を通して謂わば硬い職に就いている人間の欺瞞・社会的アリバイ作りの厭らしさを端的に示している。事件勃発によって全く変わってしまった一家の日常に所轄の担当刑事らへの対応、頭骸骨を砕かれながら必死に生きようとする愛生の見せる生き抜くことそのものの姿、神経の磨り減るシリアスな状況を何とか両親が堪え得たのは、この愛生の頭蓋骨を砕かれ、顔も酷く腫れていたのを徐々に癒しながら生き抜く姿であった。心を痛めたのは無論、両親ばかりではなかった。妹を可愛がっていた兄も愛生の死後、犯人を憎む余り常態を逸してゆく。終盤は愛生の十三回忌。家族の負った傷は癒えてはいない。然し唯犯人を憎み続けるだけでは何も解決しないことに気付いた家族それぞれが、生き続けることそのものの大切さに気付き生きてゆく道を選ぶ処まで来ている。「車輪の下」でハンスを描いたヘッセの言葉が引用されたりもして感慨深い。
実演鑑賞
満足度★★★★★
板上センターに円形の白いカーペットを敷いてセンターを示し丸テーブルを置いてある。テーブル周りには椅子が4脚、観客から演技が見やすいように配置されている。コーナーの一角にスタンド式の衣文掛け。オープニング時点では白衣が掛けられている。精神科医療施設という設定だ。
ネタバレBOX
今作で扱われるのは1人の人間の中に幾つものキャラクターが存在する解離性同一性障害である。この病の多くは、子供の頃に受けた虐待や耐え難い苦痛・苦難によって、未だ親元から逃げて自立できないという環境下、難を避ける方図も無く深く魂を傷つけられた経験により身体のみならずその心、魂に深く抜き去りがたい傷を負った経験に因って発症するケースが多い。今作は、幼少時飛び降り自殺してしまった母の体がクッションになり奇蹟的に生き残った少女が、この時のショックで解離性同一性障害を発症し成人後は娘を産んで現在は娘に面倒を見て貰いながら生活を営んでいるという状況の中で起こった不可解な連続事件で5歳の男児が死亡していた件を巡り捜査一課の刑事たちが動き出し幾つかの証言からこの解離性同一性障害の女性を容疑者として追い始め、精神障害の疑いもある為件の病院に勤務する天才精神科医師とされるひかるに、捜査協力を求めたことで展開してゆく。無論、医師には患者情報に対する守秘義務があるが、警察には、犯人と思しき者に関する情報を市民に提供して貰う権利もある。このような事情からこの病院でも可能な限り警察に必要な情報を提供することが現実となった。
ところで、ひかるの天才性を示す場面は一場の取っ掛かりで描かれるが、シャーロック・ホームズシリーズの第一巻「緋色の研究」で有名な冒頭シーンそっくりな受け答えで少し鼻白んだ。無論、この点もひかるが警部に「殺人を犯している」旨指摘するシーンの解釈の仕方を上手く利用することで先に指摘した鼻白む印象は払拭された。流石に脚本化である。更に今作はホームズ以外の文学作品「源氏物語」に登場する光源氏ゆかりの女性が何人も登場する。無論、天才医師ひかるの名は光源氏に重ね合わされている。その為被疑者の多重な人格総てに源氏物語に登場する女人の性格が反映されている。源氏物語は読んでいて当たり前の書物だから誰しもその内容を可成り深く知っており、今作に深みを添えている。
但し、今作それだけでは終わらない。では、どのような展開を見せるのか? それは今作を観てのお愉しみだ。唯一つ指摘しておきたい点がある。今作で描かれる病院の院長の娘と婚約していたひかるは事件解決後、この病院を去ることになる。婚約者の妾腹の兄で副医院長を務めてきた医師が医院長に就任、ひかるは自分を捨てた母を探す旅に出る模様である。天才の抱えた自身の厳しい魂の傷が、彼の脱いで掛けた衣文掛けの白衣に憑依しているかのような感慨を齎すシーンは実に印象的である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
一幕三場。途中2度の場転は初回5分、2度目3分弱。板上ホリゾントにスクリーン、その手前にカーテンを設けその何れもに映写可。上演に必要な舞台美術の多くは場の内容に応じ、その都度設定される。
ネタバレBOX
フィジカルなシーンとメタフィジカルなシーンを巧みに撚り遭わせ、偶々露出した氷河内で発見され大戦中の収容所に収監された極めて特殊な体質を持つ推定年齢16~7歳の少女に対する科学者たちの調査・実験を縦軸に、この収容所の所長である大尉の、状況総てを秤に掛けて見切り諸対応を決定、指示を出し所轄内を差配してゆく様を横軸に編んでゆく。尺は約90分。
自分が最も素晴らしいと感じたのは三場。敵が収容所を制圧する間際のシーンで、司令部からの指示を中尉が告げに来るシーンである。中尉は上官である大尉に横柄な態度で臨み、大尉はそれを許し司令部からの指示通り総ての責任をたった独り大尉だけが負う。それを侵入した敵の眼前で見せる為の芝居までうち、確たる現行犯の証拠として敵に見せつけ処刑される。この行為を通して残った総ての自国軍の部下たちの命を助けたのである。この三場のしょっぱな、大尉に助けられた部下たちが催す戦後の催しのシーンが描かれるが、元中尉は英雄として称えられている。だが真の英雄はたった独りで罪を負い残った部下たち総ての命をその知恵で救った大尉であったことが明らかに見て取れるメタフィジカルな行為は、物語の秘められた真として描かれていた点である。大尉を演じた役者さんの演技も素晴らしい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
今作は2025年度、東京芸術大学卒業制作品である。
ネタバレBOX
演劇は書物や諸芸術が受け手を必要とし受け手に受容されて初めて完結するから、今回はキャンパス内にテントを設営、このテント内で上演する運びになっている。提示されるのは近未来のディストピアだ。オープニングで地球全球で起こった核戦争の経緯が伝えられる。実際に我々が体験してきたことに繋げてみれば、一時使える核兵器として新聞紙上でも騒がれた戦術核に関する記事が目についた。が、今作に登場するのは更に小型化された核兵器と考えられる。
としても核兵器の側に立てば条件の良い(天候など)であればそして被災者が十全な防御施設に護られて居なければ瞬時に数万の方々が命を落とす威力を持っていることは想像に難くない。使用する側は水爆等の被害に比べれば卑小と判断するのは目にみえており、そのように各国の責任者が考えてどんどん敵地を攻撃した結果、人類のみならず、地球上の殆どの生き物が命を絶たれた後の話として紡がれる。生き残った生き物と謂えど残留放射性核種からの被ばくを避けることは当然できないばかりではない。生きる為にはエネルギーを確保しなければならない生き物である我々は、食糧を得なければ生きてゆけないから役に立たない者、無用と見做される者達には一切食料を与えることができない。ではどうすれば核戦争後の自分達生き残りが、生きてゆけるか? もっとも明快な答えは1つ、余計者を抹消することである。今作では、未だこの世界に生き物が溢れていた時代には食料自給率は可成り高く、何か大きな自然災害や複合災害等が出来しない限り命を失うようなことは極めて稀であったが、描かれている世界では異なる。食べる物が無い、というのが日常だから役立たずや無用な者は処分される。処分する者らが感情を動かすことは一切無い。既に生き残る為の“愛”が定式化されて絶対的な支配力を各生き残りの思考の総てを縛っているからである。このようにして生き残ったこのコロニーは一説によれば既に1億年を経たと言われている。感情が失われて既に長い年月が経っているのである。そんなコロニーにも問題はある。教育システムが存在し学校がある。教師は極めて論理的であり、物知りである。放射性核種の多くは既にその悪影響を減衰していたが無論ウラン238のように半減期が45億年以上という核種も存在しているから被ばくの危険が皆無になったという訳ではない。また近親者同士の子孫は放射性核種の悪影響が仮に無くても奇形児等の出生率が高くなることは生物学上の常識である。こういった客観情勢がコロニー存続を絶え間なく脅かしていたことも事実なのであった。
一方、このコロニーには以下のような祖先神話が存在していた。現在の彼ら蟻は(大多数は彼女らだが)、彼らの祖は蜂であったというものである。ところが羽を失くした蜂が居た。その蜂は地上に降り地下深くに潜り巣を構築し、自らに似た翅の無い蜂即ち蟻として生きるようになったのだという。生殖は女王蟻となった個体と翅を持つ雄蟻とが交尾することで行われる。女王と交尾する、或いは交尾候補となった雄蟻以外の雄は総て処分されるのは既に述べた通りである。
処分する者達に感情は無いからごく機械的に命は奪われ殺害者達に何の痛みも無い。アウフヘーベンされ根本原理として機能する“愛”が普遍であると信じられている以上、この行為に疑義を感じる者は存在しないのである。然し乍ら近親者同士の交接は奇形を生み易い。つまり血が濃すぎると遺伝的にマイナスの結果を生じ易いという事実は避けられない。そこで授業に遅刻しそうになると何故か歌われる、そしてその歌詞に何となくウキウキさせられることの理由を探すうち、このコロニー以外の生き残りと関係を持たねばならない、という意見が生じた。だが度重なる核戦争を生き延びた者の絶対数は未だ少数であり、他の生き残り達が何処でどのように生きているのか? 正確に知る者は居ない。また、仮に生存者が居たとしても自分達と同じ蟻なのか? 或いは全く異なる生き物なのかも知ることができなかった。このような状況にも拘わらずコロニーの存続の為、血の更新は絶対達成せねばならぬ目標である。そこで取り敢えずは自分達のコロニーの近在各所に偵察隊を派遣して情報収集や、実際に見付かった場合は身柄の確保とコロニー参加者として協同することは不可欠となった。無論、若い個体であることが必要であり唯一、産む能力を持つ女王と交接できなければならない。今作では、そのような雄の個体が見付かり転校生としてコロニーに迎え入れられる。然し、コロニーの趨勢は今迄述べてきた通り。外界を一切知らなかった蟻達の前に現れ転校生として迎えられた生き物の正体が自分達と同じ生き物であるか否かという根本的問題に正解が出ている訳でもない。遅刻しそうになった時に体内の何処からか湧き上がる歌の意味する処も正解と思える答えであるか否か確定できない。五里霧中の状態でコロニーは如何様な展開を遂げるのか? また単体でコロニーに参加することとなった転校生のアイデンティティーは自任し得るのか? 等々の問題は未解決のままである。今作はこのような問いを孕んだディストピアSF演劇と観た。極めて面白い。
実演鑑賞
観客の評価は10点満点制なので会場でキチンと評価する時間は無かった。故にネタバレで評価させて頂いた。
ネタバレBOX
Bチームを拝見、尺は途中約10分の休憩、場転を挟み150分。出捌けは何れも下手、上手の袖から。
しょっぱなは:gabaco(学習院大学)の「おとしものにっき」
カノンは所謂秀才の典型例で大人たちの期待する価値観に対応する規則や生活習慣に縛られ唯々諾々とその範囲内に人生を測り正解と言われる解答を出し続けて同世代を牽引してゆくタイプだが切りの良い処で切り上げて後は、自分の人生設計に従って生きることを選ぶ。
今作で評価すべきは、そのような秀才に振り回された者の言い分がキチンと表現されている点である。毀誉褒貶様々な立場が在り得る中、置いてきぼりを喰わされたことに対する無念や拍子抜けに対するやり場のない怒りが表明されるシーン、やや時を経て、カノンと行動を共にしたことによって失っていた友を取り戻し、人生を豊かにしてくれたことに対する感謝も湧いてき、その喜びも示されて後、カノン自身の後日譚が添えられる。見事。観客の評価は10点満点制なので会場でキチンと評価する時間は無かった為、ここで評価させて頂く。(gabaco作品評価9点)
2作目:ミムガム(横浜国立大学)「ミ☆ツ」
タイトルの☆マークには、観客の好きな文字を入れれば良いのだろう。自分は音引きを入れることにした。
物語は都会ではなく地方の高速道路とJRしか走っていないような場所で紡がれる。そこに存在するコンビニで出会い、付かず離れず人間関係の希薄を生きる人々の日常を描く。彼らにとって大切なのは責任を問わない・問われない恰も互いに薄い空気同士ででもあるかのような希薄で無責任な生。而も恒常的な日常に偶然点在している如きかそけき人間関係である。演じている若者達が通う横国のキャンパスを思い浮かべると米軍基地界隈の、米軍基地が在る故の殺伐とした空気が心身を包む。{作品に描かれる人間関係は覇気が無く情けないが、米軍基地特有の事情を思う。この覇気の無さを上手く描いている点で(ミ☆ツの作品評価は8点)}
3作目:極光グミ(エキシビジョン公演)「世界征服ちゃん」
エキシビジョン公演なので詳細は後送、評価も一応点数化するが後程。
実演鑑賞
満足度★★★★★
まだ残席もあるそうである、是非観ておきたい作品だ。
ティーム“森”初日を拝見。
板上、センター中心を軸に対照的に置かれた湯舟が2つ。上手側壁前には飲料用ポットなどの置かれた家具、収納家具が見え、対面の壁前には掃除道具等の置かれた収納具が在る。精神を病んだ者達を収容する施設である。無論、現実には四囲を檻に囲まれているが、舞台では手前の檻だけ取り去られている。ホリゾント手前の檻の奥には大きな丸く柔らかな素材で作られた椅子が置かれ、矢張り球形のオブジェが空間に吊るされているのが見える。このスペースは空想癖のあるポルフの生み出すファンタスティックなイリュージョンを視覚化する際等に用いられて大きな効果を発揮している。原作自体は極私的に「精神を病んだ」とされる2人の女性を主人公に彼女らが正常とされる社会から受けている評価、受けてきた評価、そして収容されるに至った経緯等が序盤で示され、結果と収容されて以降を時系列にほぼ従う形で表現してゆく。尺は間に10分間の休憩を挟んで約135分。
開演前にはビートルズの曲がインストルメンタルな形で流され今作に向き合うことになる観客の心を和ませてゆく。舞台美術は基本的に安定感があり、親和性も高く良いセンスだ。前回公演より遥かに観客の心に訴える時宜を得た演出になっているのは、今回も演出を担当している森下 知香さんの作品読み込みが更に深化、進化したせいであろう。音響、照明のセンスの良さも抜群である。
板上、終始照明は昏め。これは親族・眷属や世間からドルフとポルフがどのように見られ、どのような評価に晒されているかを暗示していると解することができよう。実際、当代流行りのジェンダー論争でも最弱とされる女性2人の半世紀にも及ぶ収容所生活は、強く観客の心を撃つ。(追記2.7 )
ネタバレBOX
今作の原作者はシャーレット・ジョーンズ。1924年当時、実際にイギリスで行われていた触法的精神異常患者と見做されて施設収容・監禁されていた「患者(女性の割合が非常に高かった)」の歴史的事実を基に制作された作品であり、ラストシーンでは1974年が描かれている。因みに最初にレビュで書いたボルフはペルセポネー・ベイカー。ドルフはドーラ・キッドソンである。前者は妻子ある男との間に望まれぬ子を産み社会不適格者として触法とされ、法的に断罪される形で件の施設に入所させられた。そして出会ったのが葉巻を吸い男性的な行動を取るとして異常視された後者・ドルフであった。因みにヨーロッパで女性の社会的地位が一般的に向上したのは人権意識で先進的な動きをみせている北欧でさえ確か1960年代に入ってからだったと記憶している。“陽の沈まぬ国”ともてはやされ紳士の国と評されるイギリスの三枚舌外交は余りにも有名だし、現在でも余りに大きな禍根や現実的戦時体制を敷かざるを得ない国々や地域の多くにイギリスが宗主国として或いは委任統治者として関与し、独立後或いはその後の歴史的推移を見れば解決不能な禍根を齎してきた事実を振り返らざるを得ないが、その罪の重さは誰にも明らかである。{要は、表面(おもてつら)は紳士だの陽の沈まぬ国だのと恰好をつけているが、内実は嘘のつき放題で他国、他地域の弱者に総ての付けを回す姑息極まる手法である}
閑話休題、本題に戻ろう。触法的精神異常患者とされた人々の多くが女性であったと記した。そのようであったのは当に女性が弱者であったからだろう。そして強さが支配する我らの現実社会では、常に強者によって作り出された社会的問題や人間にとってのマイナス要素は常に弱者に拠って贖われる。弱者は彼ら・彼女ら自身の意図的欲求に拠って贖うのでは無論無い。強制的に贖わされるのである。そしてこの弱者に拠る贖いの事実を所謂中間層は無視するのが常である。このように無理無体な贖いを負わされる場面の、今作に描かれた苦悩例を1つだけ挙げておく。ドーラが自ら尖頭術を行おうと、その為に必要だと思われる器具を入手していたが、夢見がちでドリス・デイの大ファンであるポルフがその器具をどこかへ置き換えた為、自ら施術しようとしているのに見付からない! といきり立つシーンがある。ここで言われている尖頭術が実際何を意味するか? は明らかであろう。キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」やフォアマンの「カッコーの巣の上で」で映画化されたからこの作品で描かれた時代にはロボトミー手術を指していることは直ぐ気づく。
因みにドリス・デイの映画上での華々しさも、彼女の実人生とを比較するなら・・・。実に多くの宿題を我がこととして考えさせてくれる作品である。
実演鑑賞
満足度★★★★
板上は奥に平台を敷いて一段高くしたスペースを設け天狗が棲む秘境を暗示したりもする。オープニングでは若い母から乳児を奪い取る場面が描かれるが、奪った者は天狗では無い。ただ、天狗と関りのある著名な怪異の一人でありこの子は天狗の弟子として他の仲間と共に修行に励むこととなった。(追記後送)
ネタバレBOX
物語は、日々修行研鑽に励む子らが九歳を迎え明日からは冬休みに入るという処へ間もなく飛ぶ。ここで子供たちが課されている日々の鍛錬の内容が示される、天狗への道である。天狗の能力は高く予知、人の心(思念)を読む力、あらゆる音を聞き分け例えば捜索対象が何処に居るかを知る力、他人の来歴、前世などを知る力など人知を超えた力である。こんな超能力を身につける為、日々厳しい鍛錬に明け暮れている子らだが、当然学友同様に遊び惚けたい、内心ではそんな風に思っている。而も明日からは冬休み。本来なら友達と遊び廻る時間が一日の大半を占めるハズなのだ。然し・・・。厳しい修行は逃れられない。というのも修行する子供たち総てが身よりを持たないからだ。
こんな子供たちの前に遊び人の菊五郎と菊五郎のダラシナサを何くれとなくケアする女性が現れ伏線で敷かれていた冬彦の生母探しの旅への段取りがつけられてゆく。菊五郎はギャンブル好きで粋がってはいるが、可成りシャイな人間であることが原因でこのような態度を取らせることもおいおい分かってくる。更に、弟子仲間も冬休みらしい行楽に憧れる者が多く各々に超能力の芽生えも見え始めた。
実演鑑賞
満足度★★★★★
原作はアーサー・ミラー。翻訳が、さこうみちこさん。「~消された名前~」同様、体面客席に挟まれた空間を板として用いる。劇場入口側にベッド、その対面に椅子等。華5つ☆追記後送
ネタバレBOX
ユダヤ人に纏わる話だが、恐らく多くの日本人がイメージするアウシュビッツ等でのホロコースト譚では無い。寧ろ心理学的で用いられる患者自身に自覚されぬが或る拘りに束縛されその拘り及び類概念に束縛される状態を示すcomplexの問題を扱っている作品で、シオニストがイスラエエルの若者の洗脳や世界中の人々へのプロパガンダとして盛んに用いるホロコースト(ホロコーストに協力していたシオニストが居た事実などは隠蔽しつつシオニストに都合の良いことだけを喧伝し)とは全く異なり、人類全体に深く関りより本質的であるが故に気付かれ難い根本的且つ本質的な問題を扱った作品である。
実演鑑賞
満足度★★★★★
先ずは「エーリッヒ・ケストナー~消された名前~」から。戦争が間近な現在の日本。ハッキリ道筋がヴィジョンとして観える人は未だ少ない。必見の作品。華5つ☆。追記後送
ネタバレBOX
板は体面客席に挟まれた空間である。オープニング時点では劇場入口側側壁前に衣文掛け、板短辺のセンターに丸テーブルのセンターを合わせる形で等間隔に3つの丸テーブルが並んでいる。オープニング時点、時は1923年。前の月にヒトラーがミュンヘン一揆に失敗。Xmasも近い時期のドイツの小都市ライプツィヒにある劇場脇のカフェバー。第一次世界大戦で敗戦国となったドイツには莫大な賠償金が科され国民生活は破綻をきたしていた。
実演鑑賞
満足度★★★★★
華5つ☆ 断固観る可し!
ネタバレBOX
それにしても今夜の芝居は良かった、自分の家とは全く異なる遺産相続の有様で個々の登場人物のキャラも全く異なるが芝居に嵌入してしまった。脚本の筋立てと展開の上手さもさることながら演出も可成り複雑な筋立てを自然な流れにしてみせ、役者陣の演技が各々自らの領分をキッチリ演じ、相互の間の取り方も上手い。無論、照明、音響も煩い感じは全くなく上手く話に溶け込んで物語の展開を自然に魅せ、時にハイライトで盛り上げるなど緩急自在、音響も物語内容が深刻な場面は深刻でありながら観客の集中は一切途切れさせずに演劇空間全体を巧みに満たす。見事である。月チームの初日を拝見したが財布に余裕があるならもう1つのチームも拝見したい作品である。
ところで、何故今作はこんなに自然に感じられるのか? 考えてみた。大抵の人々は遺産相続に巻き込まれる。今作のように特殊な状態や条件が重なる複雑なケースはそれほど多くは無かろうし複雑で厄介な問題が絡んでいるからこそ、今作は優れた演劇作品に仕上がっているのである。が、これは今作がこれほど自然に受け止められる理由ではない。その理由は物語の展開する場所が、終始一貫して亡くなった所有者の別荘として用いられていたこのマンションであることだ。そこで時間だけが通り過ぎる。即ち遷移する。この事実は我々の生活する日常と寸分も変わらない。このことの持つ普遍性が我ら観客に自然に地続きな、意識されない安定感、自然感覚を齎す。この盤石の自然観の中で非日常的な遺産相続問題のあれこれが展開するのである。見事という他あるまい。今更言うまでもないことだが、同時に登場する役者が皆この普遍性の上で在り得べき役を然るべく生きているのだ。殊に娘役、そのいとこ役のお二人、亡き本物件所有者の友人役が出演陣の中核を担い、他の役どころを演じる役者陣と見事にコラボレイトして作品を仕上げている。
実演鑑賞
満足度★★★★★
学生演劇とは思えない質の高さ、見事だ。華5つ☆。終演前にアップできず申し訳ない。
ネタバレBOX
開演前には昭和のポップス草創期を飾ったザピーナツの「ふりむかないで」や坂本九の「上を向いて歩こう」等の名曲が流れており、オープニングで主人公の友人でひょうきんなススムがとんでもなくズッコケた調子で「ふりむかないで」を歌い、踊るのでイキナリ惹きこまれた。
この導入部から急転直下、話はススムが練習してきた八百比丘尼伝説の原点へなだれ込む。この導入部の上手さ、格段である。
板上は奥に、二層構造を為す建築物、二階部分は奥と側壁側に襖が見え、上手側壁の前には箪笥型の収納家具。部屋中央辺りに四角い卓袱台が見える。
その下、一階部分は観客席側にかなり太い格子で組まれた空間が見える。この格子の上手及び下手には片仮名のハの字を更に開いたような按配で衝立が見えその衝立に覆いかぶさるように天井から観客席側へ斜めに張られた和服のような色調の布が見える。つまり布の下部に大きな衝立が置かれているのだ。この衝立に描かれている線状の絵はこの椿が枯れる時、自分の命が絶える。と言ったとされる伝説の人、八百比丘尼の椿直系の椿を表す。因みに伝説の椿は切られ、為に八百比丘尼は亡くなった。衝立の角には行燈風の灯り。
この二層構造の建築の手前が通常の板部分となっており、場面、場面で主人公オサム(高校生。3月生まれの魚座・血液AB型)やその友、ススム。地方の資産家の娘シズクらが通う高校の教室になったり、オープニングでは広場になったり。場面によって長方形の和用テーブルや箱馬が用いられて場面に相応しい情景が作られる。
感心したのは、演劇の基本である小道具に至る迄総て観客の目に入る物は劇中で用いられるという原則が基本的に守られている点にも出ている。その一例が二層構造の建物の二階部分に置かれた箪笥型収納家具の手前に子消しが置かれていることである。(後移動したと見せかけて大型の物に変えられていたような気がする)
何れにせよ、上に挙げた高校生三人が、資産家の娘、シズクの実家がある日本海と連なる山々に囲まれた村へ卒業旅行に誘われ同道することになった。シズクは資産家の娘であることがそれとなく語られていたが、それは事実であった。オサムの家は母子家庭で問題があると、ススムは母から友達付き合いを責められるシーンが旅行話の前に既に演じられており、そんなことを母が問題視せざるを得ないススムの家とて決して裕福とは言えないことが既に示唆されていた訳だ。而も旅行はシズクが持ち出した話、ロハと突っ込むのはススムのキャラから言って自然である。
さて、こんな経緯でシズクの実家へ豪勢な車で向かった三人だったが、車が通れる道は実家には繋がっていなかった。幾つもの山を越え漸く辿り着いたシズクの実家は、かつて豪族として栄え、現在も村長(ムラオサ)として頂点に立つ家の格式と実力を具えた家であった。食べ物は今迄味わったことの無い程の旨さ。高校生だから酒宴のもてなしこそ無かったものの、格式を感じさせるものであった。
だが、信じ難いことが起こった。(ここからがクライマックスなのだ)
評は、こんな調子でいくらでも書けてしまう傑作だが、何れ再演して欲しい作品である。脚本、演出は尾藤 光氏、役者陣の演技も良く舞台美術もグー。照明は物語の展開を更に効果的に魅せる機微を得た素晴らしいものであったし、音響も用いた音源、選曲のセンスが抜群、とても学生演劇とは思えない質の高さを示した。今後の皆さんの活躍に期待したい。
実演鑑賞
満足度★★★★★
作はエラ・ヒクソン。翻訳は一川 華さん。演出が水野 玲子さん、芸術監督が坂手 洋二氏。
ネタバレBOX
照明はずっと昏め。これは石油をエネルギーとして人類が大々的に使い始める以前及び使い始めて以降の歴史に於ける暗黒史を象徴していよう。当然、今作を描くに当たってエラ・ヒクソンその人がぶち当たった現実の悍ましいとしか形容できない巨大資本、産業の核を為すエネルギー業界と国際政治の蜜月・結託関係が齎す(今作では齎した、と齎すであろうであるが本質は現在も全く変わっていない終盤描かれる2050年頃も変わるまい)ミエミエの茶番論とその茶番をごり押しする者{勢力・追随者(国家及び力に屈し隷従する群れに属する人々)}とこんな嘘八百と欺瞞の犠牲とされた国と国民、その狭間に在り結果的には不十分な第三者となる者三つ巴の物語だ。
演劇も実際に上演されて観客に届かなければ完結しない。これはあらゆる表現がそうであるように受容する者無しには完遂したとは考えられないからだ。ヒクソンもこの道理からは抜けられない。その結果が、イラクで実際に起こっていたことが起こっていた時点から隠蔽され、今では往時そのファクトを追求して居た者、及び体験し生き残れた者達にしか伝わっていないという事実と、往時を知らぬ者達の間でも”通用”し得る『愛』という概念を用い劇作家と観客、その間に居る役者、演出家、ドラマトゥルグら、及び舞台美術、衣装、化粧他演劇表現に関わる一切の者及びその成果を受け取る観客への橋渡しを老人がかつて体験した深く、昏い思い出を訥々と語る際に聴く者たちへの気遣いを怠らないような按配にみせる愛に近いように思う。当然、現実に起こっていた正しく地獄とは遠くかけ離れている。従って観客が観劇後何をすべきか? については不可視化された事実を発掘し、それら事実だけを手掛かりに今作終盤で触れられた常温核融合について自ら判断できるほどの勉強をすることだろう。ヒントとして以下の事実だけは挙げておく。実際にイラクで何が起きたか事実を知っていた人々の多くは暗殺されてしまった。
今作はこのような闇を一般に開く契機となった点で極めて重要だ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
今迄と大分上演形態が変わった。ロシア史に足跡を残した様々な(ソ連時代も含む)政治的指導者・支配者等の写真と名、生きた時代を誕生と死の年によって表現したパネルが観客席の下手、上手壁に貼られている点だ。1点だけ観客席最前列に置かれているのが、プーチンのパネル。パネル脇には取り扱い注意と記された赤色の注意書きが見える。
ネタバレBOX
板上は、今迄通りセンター奥に置かれた演台。下手奥に脚立。上手に荷物の置ける台。
基本的には益田 喜晴さんの一人芝居だが、MC等も務める紗モカさん。歌を歌ったりもしてくれる助手である。
今回の趣向はロシアという地域の広大さを示す表示及び歴史を示す人々十数名の写真パネルで囲まれた空間内で紡がれるチェーホフという医師であり天才劇作家でもあった人物が、同時代の一般の人々からどのように評価されていたか、その評価をチェーホフ自身がどのように捉え感じていたか殊に人間が大きな影響を与え破壊してしまう大自然を擁護するチェーホフの見解について、多くの一般人が理解せず絵空事だと感じていたであろう大多数の意見に対してたった独り立ち向かう己の姿を冷徹に観てしまう彼の才能と観察眼がチェーホフ本人に齎した心理的負担は極めて由々しきものだったと思われる。今作の最終盤のワンシーンでキリストの磔刑を模したシーンはその象徴として見事であった。老いたチェーホフの化身たる講演者と若い女性助手の歌と切れのある振り付けが対比されることで強調されている点も効果的だ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
初日を拝見。追記後送。お勧め!
ネタバレBOX
板上、ホリゾント手前に衝立を設け隠れた部分を袖として用い、袖の両側を挟む形でやや斜めに置かれたパネル。各々のパネル表面はそれぞれ白い布やシャツ等の衣類、クロス等が貼られている。センターの衝立にもデコレーション。ちょっと変わっているのが板手前の客席側床に幅30㎝程でグレーのカーペットが敷かれ板上同様数センチサイズの人形が恰も捨てられでもしたかのように散らばっていること。板上下手の一角に鉢植えの花が置かれていること。オープン時、下手の花の奥には、背凭れの無いベンチ、ベンチ下手に箱馬を寝かせて座れるように工夫した椅子がある他、上手側壁前にも箱馬が邪魔にならぬよう置かれている。
開幕時、極めて詩的で当に現代日本の切ない精神状況を謳ったような曲が流れる中、主人公のサンチと友人の神山が話をしている。サンチは漫画家を目指しており、神山は彼の描く漫画のファン、神山の家が母子家庭であることをサンチの母は余り良く思っていない。母に対するサンチの態度も一風変わっている。その訳はおいおい分かる仕掛けだ。
さて、サンチは将来プロの漫画家になりたいと思っているが、それで食っていけるのはほんの僅かの者だけであるというデータと日々格闘している。
一方、思春期のサンチや神山にとって彼女がいるいないは喫緊の大問題である。サンチには、彼を思ってくれる少女、愛子がおり、神山は推しの女子がいるが・・・。愛子も神山推しの子も都市伝説研究会に属しており、この都市伝説研究会は新歓で入部する者が無ければ廃部となる処だった部で愛子ら新入生たちの入部で漸く存続しているクラブなのだが、唯一人であった部員が一挙に数倍の規模に膨れ上がった。先輩の言によれば「町には天狗がいるらしい」との伝説がある。
今作のメインストリームは無論、サンチの夢・プロ漫画家になること実現とサンチ、神山らの恋の行方等々だが、更に天狗に纏わる都市伝説、地域の公園に屯するペレと呼ばれるホームレスの発するぶっ飛んだディスクールの意味する処等が、最終的に何をどう明らかにしてゆくのか? タイトルに籠められた意味については後送。
実演鑑賞
満足度★★★★
床の間企画第1回公演のゲネを拝見。尺は85分弱。舞台美術は脚本内容に相応しく白と黒を対比させ象徴性を持たせてお洒落。(追記するかも)華4つ☆
ネタバレBOX
板上、ホリゾント手前には天井から白いスクリーン状の床まで届く幕が真ん中を除く両側に垂れている。その手前上手には踊り場が黒、側面が白の階段が設えられ、更に観客席に近い場所に細長いテーブルと椅子1脚。テーブル上には電話、パソコン、バッグ等サラリーマンが仕事で用いる物は資料、既成のノートを除き総て黒。社畜などと揶揄される日本のサラリーマンの実態を象徴している。天井から下がる幕とホリゾントの合間に少し嵩上げされた狭い空間、中央の幕間からは低い扉のような物が見え、各々の合わせ目の両脇に〇が2つずつ見える。手前の板上やや下手に四角く白い平台が2つ置かれている。下手のコーナー近くに右肩上がりに置かれた白い衝立が見える。
先に挙げたサラリーマンの仕事に用いられる物が基本的に黒で統一されている以外に床面、踊り場は総て黒。
基本的に健全、健康な作品。子供の頃、誰もが憧れ、真似をし夢見た弱い者に味方して助け、弱い者を苦しめたり支配しようとする者達をやっつける優しく強いヒーローの精神を大人になっても忘れない主人公達の苦労や苦悩、家族とのすれ違い等を中心に描くが多用される擽りが観客の笑いを誘い飽きさせない。中々上手い構成の上、役者陣の演技、演出もグー。
実演鑑賞
満足度★★★★★
二度目の観劇、本日21日は楽日。
ネタバレBOX
「世界の果てからこんにちはⅡ」SCOT 202512.20 14時 吉祥寺シアター
板上レイアウトは先日同様。縞模様は照明でサイズを調整していると見える。場面によって板全体に及ぶ。作品構成は昭和から現在に至る迄を時の不可逆性をなぞるように展開するが、一場で徳富蘇峰と唐木順三、長谷川伸、梅崎春雄及び鈴木 忠志さんらの日本及び日本人に対する思考を綯交ぜにした評が表現されて問題提起及び観客への問いが設定される。二場以降は歌謡曲や演歌を背景に日本の民衆の心の奥深くに流れるメンタリティー、即ち言の葉表現に稔った万葉集以降の根底と本居宣長が考えたような心情吐露をベースに第二次世界大戦から当に現在の国際情勢に至る迄の歴史、国際関係迄を日本人のメンタリティーを錘にしつつ、世界の側から逆照射するような形で表象、ラストの所謂『失われた30年』以降、更に覇気を失い、摩滅しつつある日本に於いてそれでも生き抜く社会の底辺を支える人々の逞しさや祈りを表現したかのような場面に収束させる。鈴木氏の作品にしては可成り分かり易い作品になっているが、この構成によって得られる観客の理解は広く深いと思われる。因みに二場以降で演じられるシーンで用いられている曲は、美空ひばり、こまどり姉妹、北島三郎、五木ひろし、ちあきなおみ、杉本まさとらの歌詞から引用され、場面に応じて加工されたりもしている。 板上レイアウトは先日同様。縞模様は照明でサイズを調整していると見える。場面によって板全体に及ぶ。作品構成は昭和から現在に至る迄を時の不可逆性をなぞるように展開するが、一場で徳富蘇峰と唐木順三、長谷川伸、梅崎春雄及び鈴木 忠志さんらの日本及び日本人に対する思考を綯交ぜにした評が表現されて問題提起及び観客への問いが設定される。二場以降は歌謡曲や演歌を背景に日本の民衆の心の奥深くに流れるメンタリティー、即ち言の葉表現に稔った万葉集以降の根底と本居宣長が考えたような心情吐露をベースに第二次世界大戦から当に現在の国際情勢に至る迄の歴史、国際関係迄を日本人のメンタリティーを錘にしつつ、世界の側から逆照射するような形で表象、ラストの所謂『失われた30年』以降、更に覇気を失い、摩滅しつつある日本に於いてそれでも生き抜く社会の底辺を支える人々の逞しさや祈りを表現したかのような場面に収束させる。鈴木氏の作品にしては可成り分かり易い作品になっているが、この構成によって得られる観客の理解は広く深いと思われる。因みに二場以降で演じられるシーンで用いられている曲は、美空ひばり、こまどり姉妹、北島三郎、五木ひろし、ちあきなおみ、杉本まさとらの歌詞から引用され、場面に応じて加工されたりもしている。