ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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プロジェクト・エデン

プロジェクト・エデン

劇団ハッピータイム(元・劇団天然ぴえろ)

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2018/08/16 (木) ~ 2018/08/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今作、何の前提知識も持たずに拝見した時点では、(華5つ☆)

ネタバレBOX

シンギュラリティも間近に迫る中VRのみならずフェイクニュースや仮想領域での無根拠な情報、噂などによって浸食されている現在の我々の時空に於いて、メディアリテラシーを持たず、その重要性も認識していない人々の妄動・判断不能に陥った挙句の暴挙等々を見た経験から、その無責任や自分の頭を使って考えることの放棄、観察力、判断力の劣化を非難することは容易いと考えた。だが、批判するだけでは無根拠の情報と事実をないまぜにした現代社会の情報ネットワークを如何に篩に掛け、ファクトのみを取り出した上で判断材料として用い未来に対する責任を果たすのか? という問いに答えることはできない。実際多くの人々が情報選択の過ちの為に未来に対する選択を誤ってしまった。而もこの現実は、今作が描いているシンギュラリティ以降の時代ではなく、現在我々が体験している中での出来事だから、今作の舞台の描く時空では、既に遅れた発想であろう。現代日本ですらこれだけ倫理的退廃が問題化されないのは、その不正確な情報を事実と勘違いして判断を誤り、誤った判断に基づいて行動した結果だとすると、それは瓦解しか生むまい。我々地球上の食物連鎖最上位に在る者の倫理的退廃は、他の総ての動植物に決定的な影響を齎す。何故なら人工的な核物質を始め、現在の人間の科学力では根本的な解決策を持たない、即ち制御できない技術が生命の母たる地球環境そのものを破壊しているからである。この破壊の結果急激に微妙な生態系のバランスが崩れているばかりではなく、生態系そのものを形作る大気・水の循環、地表温度や、大気の構成要素、自然由来によらない核物質の爆発的増加等々が、今当に世界中で門題を引き起こしていると考えられるのだ。今、自分が挙げたようなこと総てが杞憂に終わってくれればこれほど嬉しいことはない。然し、この夏我々が経験しているこの異常な暑さや、大雨による被害はどうだ? 世界各地で起こる山火事、干ばつなど枚挙に暇が無い。ごく一部の良心的な核物理学者しか言及しないが、原発の冷却によって水温が上がってしまった川や海の水が、温暖化の原因の一つではないと誰が断定できよう。原発の温排水については、原発の規模から発する熱量は計算でき、取水口の水温を排水口の水温との温度差で比較すれば、用いられた水量を考慮した上で水に吸収された熱量は計算できるだろう。当然、その水温上昇率は計算できる。またその温排水がどう拡散するかについては、温排水に含まれる核核種をトレーサーとして用いることでトレース可能になるのではないか? それとも既に放出された過去の核核種の影響で計測不可能になっているということか? この辺りのことは、良心的な核物理学の專門家に問い合わせて見る外なかろうが、誰でもこの程度のことは考えつくハズだ。閑話休題。
 話を元に戻そう。今作では、VRによって現実と非現実の境界が分からなくなってしまった世界でのSEとAIの闘いを描いているのだが、無論、脚本はそれだけで終わる程単純ではない。ちゃんと人間を描いている。IT業界での過酷極まる労働問題の中ですり減ってゆく個々人、有ること・無いこと確かめもせずにその情報を真として採用することから起こる苛め、苛める側の多くは匿名性によって守られる為有効な反撃もできぬまま自死に追い込まれる人々、何とかこのような悲劇を失くそうと努める人々などが因果律によって結ばれ終結に向かってなだれ込んでゆく。ラストを全き悲劇に終わらせていない点でも、描かれている世界がSFでありながら強烈なリアリティーを持って迫ってくるのも、作家の本職乃至は前職がSEなどコンピューター関係の技術者であったのではないか? と感じさせる細部を描く手際による。同時に当パンを見ると、今作は実際に亡くなったコンピュータ技術者へのレクイエムのようにも取れるのだ。優れた作品として結実させてくれた今作の作・演出家、出演者、スタッフの方々総てに感謝すると共に作品を捧げられたお二人の女性技術者を悼みたい。
浅草アリス IN WONDERLAND

浅草アリス IN WONDERLAND

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(東京都)

2018/08/18 (土) ~ 2018/08/27 (月)上演中

予約受付中

満足度★★★★

 アリスを冠した作品をドガドガはこれまで3回上演しているという。(追記後送)

ネタバレBOX

まあ、ルイス・キャロル作の傑作だから「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」を読んだことがない、という文学好きは居まい。元々の原作は、原作者ドッジソンと付き合いのあったアリス・リデルの為に書き下ろされた作品だが、数学者であったドッジソンは一見ナンセンスとも取れる数々のエピソードに、深い意味とイギリスの伝承童謡集であるマザーグースのナンセンスを巧みに融合した為、結果的に読む者イマジネーションを極大化し世界文学の位置を獲得した。その一例を挙げておこう。有名なマッドパーティーに参加しているメンバーだが、帽子屋、アリス、三月兎、眠り鼠である。帽子屋がマッドなのは、当時大流行したシルクハットの素材であるフェルトを加工する工程で水銀を用いた為その毒性に脳を損傷した者が多かった為であり、3月兎は発情期の雄兎、眠り鼠は寝てばかりで現とも夢とも知れない世界の住人である。アリスは体が延び縮みしたことでアイデンティティーが不如意な状態であった。何れもその参加資格を充分に持ったキャラクター設定という訳だ。無論、イギリスの慣用句に関連している部分もある。
 
夏の夜の夢、宮澤賢治の世界

夏の夜の夢、宮澤賢治の世界

J-Theater

シアター711(東京都)

2018/08/14 (火) ~ 2018/08/19 (日)公演終了

満足度★★★

 箱馬を使うが、舞台上は基本的にフラット。演目は上演順に「やまなし」「よだかの星」「月夜の電信柱」「注文の多い料理店」の4作。(華3つ☆)

ネタバレBOX

これらの作品をオムニバス形式で上演するが演出は可也オーソックスである。ただ、夏ということもあり、オープニングのダンスでは浴衣を着て踊ったりもする。が、浴衣では基本的に手踊りになるのでこれは長所短所相乱れる結果になった。夏らしさは出ていいのだが。西洋的なダンスをやるなら下駄を履かせてタップ風のダンスをやるなどというのも手であろう。
「やまなし」は様々な色彩のイメージや水底から見える水泡の煌めき、魚体の色彩変化など瑞々しいイメージが作品の大切な要素なので、予算に無理がなければ照明なり何なりで銀河のイメージや色彩の変化をグラデーションで表すなどの工夫が欲しい。
 基本的に作品は朗読形式をベースに進行し、適宜キャラクターが形態を演ずる形式だが、間の取り方、音量の調節、センテンスの区切り、滑舌など何れも正確で明瞭であり、どの朗読も上手い。形態模写もまずまずである。スタニスラフスキーメソッドをキチンとやった韓国小演劇界のトップクラスには到底及ぶべくもないが、未だ若い役者ばかりなので今後の修練次第で伸び代は大いにあろう。
 Jシアター自体が若手育成を目指しているということもあり、余り奇を衒った演出をしていないという側面もありそうだ。
パイレーツ・オブ・トレビアン2

パイレーツ・オブ・トレビアン2

ノーコンタクツ

萬劇場(東京都)

2018/08/16 (木) ~ 2018/08/19 (日)公演終了

満足度★★★★

 カリブ海の海賊物である。無論大ヒットした映画のもじりだが、滑りそうな小ネタを含め、外連味たっぷり、前説とオープニングの敢えての混同、手品などを上手く取り込みながら、楽しいエンタメに仕上がっている。殺陣のシーンが結構多いのだが、これは更に訓練すべきだろう。
 檀上は舞台奥に船の舳先をあしらった造作がある他、上手・下手壁にもシンメトリックに大道具が作られていて、上手の物からは手前に引き倒すとベッドになる仕掛けが付いている他、正面中央の張りぼて中央は出捌け兼袖になっている。その左右は手前に引き出すと裏側に階段が付いていてアッパーデッキから降りて来られるようになっている。(追記後送)

ロンギヌスの槍

ロンギヌスの槍

芝居屋風雷紡

d-倉庫(東京都)

2018/08/15 (水) ~ 2018/08/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

 舞台中央にほぼ正方形の平台を置き、平台中央に縦長のテーブル、長辺中程に向い合せに椅子各1脚。上手、下手壁にそって各々数脚の椅子が置かれている。平台から奥へ向かって登り階段が3段、4段目が踊り場になって更に奥へ向かって3段。正面奥は、樣々な形の多くの窓枠をあしらったような造作が嵌められた壁面、見ようによってはたくさんの窓を象徴しているようにも取れる。

ネタバレBOX

 極めて判断が難しい問題を提起する作品である。今作はある事件をベースにしているが、その事件とは実際に17歳の少年が起こした浅沼稲次郎刺殺事件である。犯人の山口二矢は、今作に描かれたように歯磨き粉を用いて遺書を残し縊死した。(有名な自死であり遺書なので内容は個々で調べて頂きたい)大物右翼の演説に感銘を受けて当初拒まれたものの後入党を果たし、暗殺事件前に脱党したのも調書通り事実である。一貫した彼の行動原理から言っても、実践的論理から見ても、またこの事件以前の彼の行動を見ても、公安からの自白強制や調書改竄などの可能性は極めて低いと見るのが妥当だろう。
 以上が、今作で描かれた真(まこと)のモデル、二矢の事件前後の情報であるが更に詳しいことは自分で調べて頂きたい。彼の親族などについてもかなりのことがネットで調べられる。因みに事件が起こったのは、1960年10月12日15時5分頃。
 本論に入ろう。今作の主眼は、純粋な精神を持った真に思考が形を与えた時に形作ったことと、通常の過程、即ち世間体だの他人への配慮だのというマヤカシの論理を遵守しつつ社会参加の経験知を通して大人になった人々との齟齬と対立を示した作品ということができよう。要は相対的価値観を容認する不完全を前提とした人間と、絶対的価値観を有する人間との対立である。
 相対的価値。真はこれに対して異を唱える。何故なら彼女は純粋精神の系譜に属し、絶対を追及する主体だからである。演劇を演劇足らしめる根本的な対立が、ここに現れている。
 繰り返しになるが、世間知や常識を纏うことによって生き続ける不完全を認識し、経験知に基づく世間一般の子供、大人達の価値観と、真の精神が希求する絶対は決して相容れない。調書内容から、真は人生を相対化するような前提を持たずに思考のオーダーを持っていたことが考えられることから、その思考の唯一無二の発展形式は、尖鋭化することのみであったという事実が導かれる。この思考が齎した悲惨の結果をどう我々が判断するのか? を今作は問うていよう。この際、注意すべき点は、先にも述べた取り調べの中で明らかになる真の生い立ちに学校の友人が殆ど居なかったことだ。この事実は極めて示唆的であり、唯一心を通わせた双子の兄の死が彼女に齎したアイデンティティーの地すべり的崩壊が、彼女の行動を反社会的で過激なものとした引き金・内的原因であろうことが類推される。だが、彼女が孤立していればこそ、この内実を類推することが常識人にはできない。この点にこそ、この事件の悲劇があるように思う。
 蛇足ではあるが、委員長刺殺に向かう階段の数は、踊り場を含めると7段。階段自体は6段というのは、キリスト教神秘主義の6に関する解釈と照らし合わせると興味深いものがある。6は、神秘主義では完全な数とされている。その約数を総て足しても、掛けても6になるからであり、神が6日で世界を創り7日目に休んだと旧約聖書に記されてもいるからである。では、完璧な数を越え、神の休息の合間を縫って齎された殺人の罪は、誰によって何の為に齎されたのか? という問いが当然発生するのであるが、真が人生を相対化するような前提を持たずに思考のオーダーを持っていたことから、その思考の唯一無二の発展形式は、尖鋭化することのみであったという事実が再び想起される。
 これは神の不在乃至あずかり知らぬ所での我ら人間の行為が殺人であるという極めて示唆的な解が、キリスト教が一般に示す原罪という発想の現代的原点にあるのではないか? という問い掛けである。通常の原罪解釈であるエデンの園でのアダムとイブの知恵の木の実摂取問題も宗教的には神への不服従ということになるのだろうが“神が死んだ”後に生きる我々の原罪とは、当に我々の判断で他者を殺害するという、悍ましい殺人にあるのではないだろうか? 神の関与が無いことがこの階の段数によって示されていることが、その例証となるかも知れない。
ナイゲン(2018年版)

ナイゲン(2018年版)

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/08/10 (金) ~ 2018/08/20 (月)上演中

予約受付中

満足度★★★★★

 ただただ、素晴らしいの一言。(華5つ☆)
 最初、普通の授業の時の教室のように並べられていた机や椅子は、ナイゲン開始時、レイアウト変更で変わる。各委員4名は黒板の前に、黒板と並行して机を並べ、各クラス代表たちは片仮名のコの字を90度回転させた形で机を並べる。黒板上部には時計、会議の進行がリアルタイムで表示される。

ネタバレBOX

 オールブラックスのパフォーマンスのように足を踏み鳴らし、机を手やペットボトルで叩きながらの入場パフォーマンスで一気にテンションを上げて幕が上がった。この演出が、先ず素晴らしい。内容的には既に定番となっている作品だから、細かい説明はしない。要は高校の文化祭を生徒たち自身の自主的判断で運営実行してゆく為の決め事を、夏休みの間の3日間で決める為の話し合いが「ナイゲン」である。縮めなければ“内容限定会議”だ。参加しているメンバーは以下の通り。文化祭実行委員長1名。委員2名(うち1名は副委員長兼任)、監査1名。1~3年までの各クラス代表が9名という構成だ。尚、議事進行は文化祭実行委員長が行う。
 他にも細則が幾つかあるが、これらの内規とクラス代表たちの利害得失、自主独立の理想、恋心や嫉妬心が各々の転回点となって舞台が進行してゆく。議論の過程に於ける民主的運営の徹底は暗黙の紳士協定であり、議論を尽くした後の最終決定は全会一致を旨とする為、如何にこの二つの要件を満たして会議を終えるかは、これまでのナイゲンの歴史、今後民主的且つ自由な議論の徹底を維持しつつナイゲンを継承してゆくことが出来るか否かという、継承の問題も含めて各委員が倫理的、社会的な責任を負っているという意味でも頗る本質的な作品である。
 一方、様々な欲求や本能的なことも含めた衝動が、利害が、理想を蝕もうとする。これら全体を通して民主的に自治を行うとは何か? 或いはどのようなことか? 自主自立の自由闊達な精神とは何で、どのような態度で貫かれるか等々極めて大切でのっぴきならない問題が提起されている点、それが本質的であればあるほど、本能や利害との擦り合わせは難易度を増すと共に、時に極めて滑稽な人間味を表す。これらの細部を総ての役者が過不足なく演じている点が見事である。
滲む

滲む

不定深度3200

スタジオ空洞(東京都)

2018/08/09 (木) ~ 2018/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★

 自分が今後を期待する劇作家の1人。注目すべし! 但し今回は、移行過程にあるので、その分、作品としては若干の弱さがある。然し必要な不徹底だ。

ネタバレBOX

 この劇団というかユニットの公演はこれまで3回拝見しているのだが、今作は理科系を強く出してきた今迄の作品から、文化系の人間にも分かり易いということを意図的に探りそちらへシフトしようとする移行過程の作品という印象を持った。自分の体験から理科系の人間の多くは数学的思考ができることからくる世界に対する態度が、頗るピュアな人が多いように思う。そしてこの傾向は、極めて純粋な抒情性を保つ感性に繋がるように思う。詩人、立原 道造は建築専攻であったから矢張り理科系だが、彼の抒情性は誰しもの認める所。同時にそのシャープな抒情の特異性も多くの読者が認める所であろう。今作は移行過程の作品であるから、未だ文化系的な人間なら持っている方法的知見についての未熟さを免れては居ない。どういう点かと言うと、人間の持つ様々な矛盾や要素に対し、己の恥部を含めて精神的に裸になって対峙する覚悟と、その覚悟の上で徹底的に対象を観察するほどのインセンティブの強さなり己の抱えるカルマとの葛藤である。こういう要素を己のものとするには、体験が一番だが、それがままならない場合には、己が何を表現したいのかを徹底的に追及することが有効であろう。
ロシア・クルガン人形劇場ガリバー『かぐや姫』

ロシア・クルガン人形劇場ガリバー『かぐや姫』

シアターX(カイ)

シアターX(カイ)(東京都)

2018/08/11 (土) ~ 2018/08/11 (土)公演終了

満足度★★★★★

 たった1日だけの公演なのが残念!

ネタバレBOX

 ロシアのクルガン人形劇場・、ガリバーによる1日だけマチネ、ソワレの公演だ。演目が「竹取物語」ということもあって用いられている仮面・人形やその所作については、日本人が関わり演出もサンクトペテルブルグ演劇大学で演出を学んだ日本人が担当している。ロシア側からは、人形遣い3人と人形遣いでもある照明担当、座長が来日。
 板上には、孟宗竹の林が、上手、下手とも舞台ほぼ中央手前に各々1つずつ。それぞれが回り舞台になっていて回転すると四阿が現れる。舞台中央の上方には満月。
 恰も一夜にして起こった物語、或いは長い夜の間に起こった物語であるかのように舞台上は基本的に終始昏い。人形遣い達は黒子の衣装を纏い時に応じて面を手に持ち布などで衣装を表現しつつもう一方の手でかぐやを抱くなどの所作を演じたり、状況によって面を顔につけたりと通常の面の用い方とはかなり異なる使い方をする他、時に全体の動きを自然でスムースに見せる為に独りの動きを複数の人形遣いで演じたりもする。物語自体は、演者の数が少ないこともあってか、5人の求愛者の内、帝だけで代表させるなど本質だけを取り出した分、シャープに仕上がっている。かぐやの成長のスピードが尋常でないことは、その人形のサイズと衣装、髪型などで表しているが、人形をチェンジする手際は見事である。また黒髪の美しさが異様なまでに強調されているのは、白人の神秘化したオリエンタリズムの一側面を表現しているのだろう。照明の変化で見事なのは、かぐやが月に戻るシーンで月が地球に変じる点だ。照明は随分工夫を凝らしたという。
 更に演出で際立っていたのは、開演直後の長い間である。この間は、最も古い物語の古層を示すと共に、ロシアと日本との距離、文化的相違、現代と往時との超え難い時空を表現して一挙に観客を物語世界に誘う。
 音響に関しては科白が一切なく、ロシアで考案されたグリュコフォンという楽器を中心にタンバリンなどを組み合わせた独自の音響で舞台を包み込む。神秘的であると同時にファンタジックな音響空間を創っている点もグーだ。
 演者達の姿勢で素晴らしいのが、表現様式や人形の形の違いより、大切なことは、人形は生きていると演者達が考えている点に在る。この姿勢があったればこそ、彼我の差を越えてこれだけの作品を創り得たのであろうが、ロシアにも「竹取物語」に似た「雪の娘」という民話があるというから面白い。
大脚色

大脚色

Dangerous Box

浅草六区 ゆめまち劇場(東京都)

2018/08/08 (水) ~ 2018/08/11 (土)公演終了

満足度★★★

 台風接近の中エンコ迄足を運んだ公演だったが、残念ながら本が悪い。頑張っている役者も居たし、力のある役者もいたので、それに免じて一応☆は3つにしたが、本の本質的な弱さを変えなければ高評価は得られまい。(追記2018.8.12)

ネタバレBOX

 では、今作の脚本の何が弱いのか? を指摘しておくべきであろう。恐らく作家にとってはそれなりの自信作なのであろう。そこが独りよがりなのだ。今作は、深淵の淵に立つ可能性を秘めてはいる。然し実際にその深淵と命懸けの格闘をし、死と狂気の狭間で震吟した痕跡・形跡が見当たらない。謂わば頭の中でストア派的なレトリックをこね回しただけである。
一方、演劇とは、科白の身体化によって成立する総合芸術である。つまり頭脳の在る頭部も身体の一部と考えるのが演劇に於ける脳髄の捉え方であるべきである。然し乍ら今作では脳が身体を牛耳ろうとして空転しているのだ。即ち思考が身体化されていないのである。このことが、演劇で最も大切な創作法であるヴィヴィッドに即ち個々の具体性とリアリティーに於いての自然な筋の展開をオミットしてしまっている。これが原因で本当の対立が本に示されていない。と言うことは、ダイアローグの芸術である演劇の本質を満たすことができていないということである。作家は真に、己のテーマと格闘しなければならぬ。このことを措いて本質を描くことは永遠にできまい。そしてこれができれば、物語をヴィヴィッドに動かすメルクマールができてくる。こうしてできたメルクマールを連ねてこそ、プロットが完成するのだ。この過程を疎かにするから、多くの者が失敗する。
疑惑の教室にて

疑惑の教室にて

カスタムプロジェクト

調布市せんがわ劇場(東京都)

2018/08/10 (金) ~ 2018/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

 観客参加型の推理劇なのでネタバレはしない。公演形式は、とある場所に集められた人々のゲームが先ず演じられ、観客はこの芝居を観て30分間で4問の問いに答える。解答シートを集め終わったら、正解を得る為の謎解き芝居が上演されるという形だ。大いに頭を使って楽しめる作品であり、最終的に解説コーナーもあって?くれる。

アイスとけるとヤバイ

アイスとけるとヤバイ

オフィス上の空

ブディストホール(東京都)

2018/08/08 (水) ~ 2018/08/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

 テンポの良さ、舞台裏を見せる“風”に創り込まれた仮構世界の組み立ての上手さに、はっちゃけで如何にも現代日本の若い女性の感覚的表現をバランスよく配置した演出の巧み、タイトルとこれら総てを自然に表現した舞台美術の軽さなど、総てのバランスが素晴らしい。(追記後送)

劇作家協会公開講座2018年夏

劇作家協会公開講座2018年夏

日本劇作家協会

座・高円寺2(東京都)

2018/08/04 (土) ~ 2018/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 第2部開始は13分後、渡辺作品に出演した女優の三田 和代、銀粉 蝶、女優兼劇作家、桑原 裕子の3人を檀上に、演劇論、俳優術、総合芸術である演劇に於ける演出家、脚本、役者の関係等々活発で示唆に富んだ対話が為されると同時に、当に当事者ならではの発想、視座、経験から生まれる発言からは、ハッとさせられるような深い知見がいくつも発見できる頗る有意義な催しであった。
 また、渡辺の若い頃、鶴屋南北賞を受賞した桑原の若い頃の演劇との向き合い方についても、本物の才能を持つ者達の共通項が見て取れるなど、様々な収穫があり、1,2部合わせても僅か数時間の催しとは思えない程の収穫があったことは、観客として極めて喜ばしいことであった。

劇作家協会公開講座2018年夏

劇作家協会公開講座2018年夏

日本劇作家協会

座・高円寺2(東京都)

2018/08/04 (土) ~ 2018/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 第一部「劇作の力-渡辺えりに聞く」:渡辺 えりの劇作家協会会長就任と彼女の主宰する劇団オフィス3○○(現在名)の40周年記念を祝し丸尾 聡氏がインタビュアーを務めて、劇団の歴史をその秘話と共に語る。劇団がこの40年間に上演してきた総ての作品のフライヤーの写真を背景に1作、1作について渡辺がその思い出や、裏話を語るという形式で基本的な流れが作られ、撮影も入っていないことから、オフレコ話も存分に出て極めて楽しめるイベントになった。当然、話は伯仲し、予定の時間を越えてしまったが、貴重な話に観客の誰一人不満を漏らすこともなく第1部を終了。

『世 界のはじ の穴』

『世 界のはじ の穴』

sekai record

プロト・シアター(東京都)

2018/08/02 (木) ~ 2018/08/05 (日)公演終了

満足度★★★

 頭は身体の一部である。(伸び代に期待して☆をつけた)

ネタバレBOX


即ち、身体の健康が頭の働きを保障するのであってその逆ではない。かつての自分がそうであったように若者は時として、この点をなおざりにしがちである。若いということは多くの場合、その人の一生で最も健やかで活力に満ちている時期であり、世間知に疎い若者が経験豊かな大人達に対抗するには、理論武装以外にないのであるから、これもまた仕方の無いことかも知れないが、演劇に関わる者は、これをなおざりにしてはならない。
 今作でも、身体についての問いが内包されているのであるが、この問いが問う内実とは実際何なのかを知るには、個々の役者それそれが、己の身体を己自身で問い詰め、形象化する努力が不可欠である。演出家は、このように形象化された役者達の身体を脚本の要求するものを参考にしつつ整序し、照明や音響効果を最大限に活かしながら相互の関係を美や作品の訴えかけるもの・ことに集約してゆくことが必要になる。
 然し、今回拝見した限りでは、未だ作品のコンセプトを煮詰め切れておらず、それ故に言語表象自体が曖昧で作品として具体化する為には練り直しが必要と見受けられた。今後更に進化し続けてゆく為には己の内に他者性を確保すること、即ち己を対象化し得る視座を持つことが必要である。プロの表現者たらんと欲すれば、自己を三人称で語ることができることが条件となるからである。と同時に常に己の内面に耳を傾け、その発するもの・ことを取り込むと共に、世界の種々相にも自らの精神を開いていて欲しい。
 今作にも描かれていたが、入管法の抱える諸問題(移民や難民、諸外国人殊に有色人種に対する差別とアメリカ人に対する諂いを含めて、日本人の他人種に対する偏向問題も、そして偏向から来る差別に対する是正も必要なことは言うまでもない。今作では、この問題に対する“問い”がキチンと投げ掛けられていたことは評価に値する。無論、ジェンダーを含めてである。作・演出は同じ方がやっているが、他人の意見をキチンと聞く態度は、今後伸びる為にとても大切なことだ。常に謙虚に、そして理性的に自他を見つめ更に成長して頂きたい。
新撰組後日譚~SAMURAI達の挽歌

新撰組後日譚~SAMURAI達の挽歌

劇団め組

吉祥寺シアター(東京都)

2018/08/02 (木) ~ 2018/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 カクトニべシミル!!(華5つ☆)
 兎に角、登場する人物たちの粒がデカい。チンケ極まる現代日本人の己の身の周り数メートルの想像力とアリバイ作りに汲々とする世界などアット言う間に吹き飛ばすことができる力を持ちながら、限りなく優しく同時に人として生き抜く為に己の命を的に掛けて生きる姿の何という輝きだろうか!?(追記第一弾 8.4)

ネタバレBOX

 アナクロ狂犬グループと自分が評価してきた新選組後日譚という体裁を取っているが、今作日本近代とは何だったかを問う内容になっている。殊に、勝、西郷、龍馬、新門辰五郎、その娘・芳、辰五郎の腹心丑松、勤王の志士を匿う京芸嬉・菊松、人斬りと懼れられた以蔵、大奥を牛耳る天璋院と静寛院宮、勝の密命を担って西郷との会談のお膳立てを受けた山岡 鉄舟、新選組リーダーとしての人間性を見せる近藤 勇に対し、鬼と恐れられた一面合理的な土方、新選組三番隊トップだった斎藤 一、そして土方と共に五稜郭で戦いその最後にも彼と同様官軍と戦い生き残った島田 魁を始めとする面々、が荒れに荒れた幕末の京都を舞台とし丁度干支が一巡りする12年後との交錯の中で激動を人間らしく生きる登場人物達の生き様、死に様を活写して見事である。殊に勝 海舟や西郷 隆盛、坂本 龍馬や山岡 鉄舟ら現代にも名を残す偉人ばかりでなく、女の意地を女性らしいやり方で貫くお芳が、勝の頼みで京都から合戦の途中で逃げ帰り幕府軍総崩れとなる大きな原因を作った慶喜の助命嘆願の為に天璋院及び静寛院宮2人に出身である江戸庶民の言葉で啖呵を切るシーン、同じく菊松が土方 歳三との言い争いで見せた覚悟の見事さ等々、女性陣の活躍も男性陣のそれと同等の重みで創られている点が作品全体を現代的な我々の生に繋げても居る。
同棲時間

同棲時間

亜細亜の骨

新宿シアターモリエール(東京都)

2018/08/02 (木) ~ 2018/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 日本と台湾の劇団の共同企画公演という珍しい組み合わせだ。(追記後送)

ネタバレBOX

 舞台は、台北のしょぼいマンションの1室。引っ越して来た直後のように段ボールだの、様々な塵などが部屋中に散らばっている。弟がそれらを片付けている所へ、日本から兄がやってくる。この部屋で倒れ、孤独死していた父の葬儀で出会って以来である。弟はマッサージ師。ひょんなことで兄のマッサージをし、以来恋仲になっていたが、長年生き別れになって居た為、兄弟であることを知らずにそのような関係になった可能性が大である。因みにこの関係ができるまで、兄はヘテロとして生きてきて、妻子もあるのだが、偶然弟とできてしまってから、目覚めてしまったのである。弟はゲイであった。
 この2人にこのマンションオーナーの代理人、トランスジェンダーのサルサが絡んで物語は展開する。この展開だけで察しの良い人には3人の関係が見えるだろう。
虚空遊戯〜イナニティ・ゲーム〜

虚空遊戯〜イナニティ・ゲーム〜

ZERO Frontier

萬劇場(東京都)

2018/08/01 (水) ~ 2018/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 村では豊穣と富と引き換えに在る家系の幼子を山神に捧げる風習があった。(ネタバレ追記後送。踊りもアクションもダンスの振り付けもグー)

ネタバレBOX

だが、親も人の子、如何にしきたりとはいえ我が子が可愛くない親は無い。ある代で子を守る為、村の掟に逆らった者があった。だが、村人たちはこの一家を許すはずもなく、子を浚い、乳飲み子を抱えて逃げた母、兄をも殺し家に火をつけ焼き払った。戦って家族を逃そうとした父も多勢に無勢、倒れてしまった。
 時が流れ、ここは香港の一角にある人形店。ここで売られている人形は皆人間そっくり、本物の人間がこれらの人形に恋してしまうほどの見事な出来のものばかりである。だが、これらの人形の数は少なく、不良品として商いの対象として扱われない1体を除くと4体のみが現在店に置かれている総てである。当然頗る高い。だが、人形たちには心もあり、思考もあるのに、どういう訳か記憶が曖昧で自分達が何処から来て、今この店に居るのかはどの人形にも分からない。
 ところで、この人形たちの記憶障害には訳があった。
私は世界

私は世界

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2018/07/20 (金) ~ 2018/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

 台風の中を押して出掛けても損の無い作品であるどころか、得をした気持ちになって帰ることが出来よう。(必見華5つ☆)裏バージョン追加2018.7.28

ネタバレBOX

シリア内戦を、経験する中で、其処に我々と同じように暮らし、生き、喜び、哀しむ人々が、矢張り居るという当たり前のことを当たり前のこととして評価する目を持ち、共に明日を見たいと望む隣人として武器を持たぬ弱い人々の傍らに立ち、彼らの日常とそれらを恐怖のどん底に落とした内戦の実態を世界中の同胞に伝え、悲惨を1日も早く終わらせる“夢”を少しでも現実化すべく、命を懸け現地情報を送り届けようと健闘していた日本人フリージャーナリストが反政府勢力に捕縛された。例によって自己責任バッシングが巻き起こった。現在も彼は拘束されたままだ。実は、今作のモデルは知り合いである。だから、固唾を呑んで拝見していた。多くのことが、他のフリーのジャーナリストから訊いた話と符号し、リアリティーが増々高まる中で観劇させて頂いた。モデルになった男は、実に優しい極めて使命感の強い勇気のある男である。実際、本当に報じられねばならないような現場に行くのはフリージャーナリストである。それは、大手メディアに属するジャーナリストは今作に描かれたような事情を抱えると同時に他にも組織から現地派遣を指せないような力が働くからである。
一方、今作の素晴らしい点は、それこそ、貧しさからネットカフェ難民化しかねないほど貧しい若者の実態を、現代日本の嘘と詭弁及び人間性無視の企業論理と国策を細かくはあげつらわず非力の象徴として提示、訳の分からない力によって解体され単一の細胞の総体として己の存在領域と世界との接線をトータライズして峻別し、以て外界と内を峻別する機会を失ったザインとして自己規定する若者の境界域の曖昧さから世界認識への広がりの可能性を導き出し、それを解釈の違いとしてジャーナリストが世界により深く関与する共通項に纏め上げた筆者の力と想像力である。こんな言い方が分かり難い方は、是非、作品を観て欲しい。

以下 追加(裏バージョン)
 2つの対象に対する、自己責任云々。対象の1つはフリーのジャーナリスト。もう一つは、貧しい若者だ。丁度イラク戦争という愚挙が敢行された2003年以降、アメリカの愚挙に諸手を上げて賛成、軍隊をイラクに派遣した小泉らの愚行は、それまで日本人に対して絶対的な信頼を寄せてきた中東の雰囲気を大きく変えた。その結果、イラクの子供を中心に人道支援をしていた女性、イラク戦に疑問を感じた若者、そしてフリーのカメラマンらが現地で人質に取られた。彼らを救出する為に税金を使うのか? と焚きつけられた日本人の多くが、国策によって流されたプロパガンダに乗っかって自己責任という名のバッシングを繰り返した。何とかの一つ覚えで叫び出したこの時がきっかけだったのだろう。以後、現在でもこの言葉と、日本人個々の真っ当な倫理が欠如した態度をカムフラージュする便利なアイテムとしてこの単語が重用されている。要は、食物連鎖最上位に位置する人間という概念を持たず、その責任を自覚することも無いまま、即ち人間性という概念を自分達の力では決して造り上げることもできなければ、保守もしてこなかった剽窃家日本人の本性が見苦しいまでに繰り返されたことを思い出す方も多かろう。自己責任バッシングの酷かったこと。この現象を傍目からみれば、自分の頭を使って物を考える習慣を持つ人々から如何に奇妙に見えるかは想像に難くないのだが、殆どの日本人に分からない。何故なら自分自身の置かれ育った環境を相対化して見る目を持たないからだ。このことは、思考の範囲と限界を明確に定めてしまう。即ち自分の育ってきた状況と自己存在の関わりを自然なものとして己の根拠にしてしまうという極めて幼稚な過ちを犯すのである。無論、総ての意識的存在にとって己が体験して来た“自己という存在と世界との関係”は極めて自然なものとして初期の自己形成の中心となる。然し思春期をキチンと生き、己を深く穿った者には、この段階から抜け出ていないことは極めてプリミティブであるのも事実だ。今作で自己責任を追及される側の代表として描かれるフリージャーナリストと貧しい若者が、深く自分を穿つことによって、自己という存在を成り立たせているものが、如何に幽けきものであるかを発見した後、己の境と世界の接線に於ける境界領域の曖昧さに気付き、互いの解釈は異なるものの世界と己の相互嵌入を通して通じ合っているのは、双方がこの第1次自己同一性の自然発生性を対象化している所からくる。少なくとも現代日本で大人である資格の一つが、このイニシエーションを己の力で乗り越えて来たか否かに掛かっているということこそ、真っ当な己の世界に対する責任なのである。だから、例え、このレベルに達していない人を見つけたとして、他人がとやかく言うべき事柄ではなく、やんわり諭すか、乗り越えるヒントを与え、実践の場を用意してやるくらいが関の山であってバッシングするなど、己の恥と知るべきなのである。
 が、このように考え得る暇も与えないのが日本社会の特性である。つまり自分が無いのだ。他人の眼ばかり気に掛けアリバイ作りに汲々とするあまり、肝心肝要なことをなおざりにし、恬として恥じない恥知らず。これが日本人の正体である。何と非人間的な人種であろうか? 
散ッと舌を突く凍えそうな毒夢

散ッと舌を突く凍えそうな毒夢

劇弾☆ムーチョ・モーヂョ

吉祥寺シアター(東京都)

2018/07/26 (木) ~ 2018/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★

 かなりアイロニカルな作品だ。

ネタバレBOX

初めから最後まで最も冷静に事態の成り行きを見つめ続けているのは、檻の中で暮らすクズ子だし、クズ子がクズであるのは、無能の為ではないことは明らかである。彼女がクズとして己を認識し、且つ最底辺から世の中を見ているのは単に彼女が国家という近代以降の幻想にケツを捲り反逆しているからに過ぎない。一方、エリートとされる者らは、国家幻想に踊らされている事にも気付かぬ愚物である。先ずはこの前提から入らないとおかしな話になってしまうであろう。
 物語が展開するのは、かつて刑務所だった建物を現医院長が改装させ、今では精神病院として用いている建物の中である。この建物は現在ドドイツ軍とカルタ軍の戦闘が行われている最前線に位置しているので、年中、銃砲撃や戦闘機・爆撃機の飛翔音、爆弾の炸裂する音等が聞こえてくる。
 近代戦であるから、戦争の大義が問われる。戦争の発端にもこの論理は当然働くが、人口に膾炙しているのとは異なる事実がこの戦争にはあった模様だ。今作は、この事件を巡る因縁話でもあるが、無論総ての戦争に通じる部分も多い。各キャラクターの名は、その役割を象徴するものが多いのも今作の特徴だ。クズ子以外で冷静な視点を保っているのが、シンクである。彼女は、この戦争の真の発端となったと言われる大虐殺の唯一の生き残りとして描かれる。
 物語は、ドドイツ国の捕虜が、収容施設不足でこの精神病院に収容されたことから、急展開し、有為転変があるのだが、要は、戦争を遂行する軍人の論理と。感受性が鋭かったり精神の受忍限度を超えるような体験をして通常の精神の働きを逸してしまった者達の論理との対決である。どちらの論理が正しいとされるかは観てのお楽しみだが、精神病院から解放された後、将軍となったレッドが休戦協定を結んだにも拘わらず、1年後には、戦争遂行勢力の力が強まり、結局、レッドは、また病院に戻ってくるというラストに集約されている。このラストでどちらが正解かは、お分かりだろう。そしてヒトという生き物の愚かさも。
九月、東京の路上で

九月、東京の路上で

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2018/07/21 (土) ~ 2018/08/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

 1923年9月1日11時58分、関東大震災が日本を襲った。

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その日は風が強く、而も昼食の準備などで火を用いていた家庭も多かった為、地震による災害のみならず、燃え広がる大火災によって被害が拡大したことは知られる通りである。この震災及び大火災のパニックの中で、デマが飛び交い、軍、警察までがこれを信じ行動を起こすと共に後ポダムの暗号名を持ちCIAエージェントとして暗躍した正力松太郎(当時は内務官僚、特高などを動かした)らが出した指令により、多くの朝鮮人、中国人らが虐殺の憂き目を見た。(後日、これが過ちだと気付いた正力は、訂正した指令を出すが、既に広まったデマの猛威を払拭することは適わず虐殺は震災後数日に亘って実行された、この混乱に乗じて労働運動に関わった者らも政治的に殺害されている)殺害に加わった者達に軍人、警察官らが居たことは無論であるが、組織された自警団のメンバーら一般市民も数多く関与していた。この事実を揉み消そうとする輩は、今も大勢存在するし、当時から、事実を矮小化し、抹消、改竄、隠蔽しようという動きはあった。
 今作は、加藤 直樹氏の原作を手に、虐殺事件があった場所を訪ない、現在と往時とを繋ぎ掘り下げ連結する試みである。日本という「国」が、近代以降歩んできた道の検証作業であると同時に、日本及び日本人が持つ傾向についての、虐殺された方々への追悼の行脚を通しての掘り起し作業でもある。今作によって明らかにされる日本及び日本人の持つ傾向は、当に現在我々が日々経験しつつあることに他ならないという事実が、ひしひしと迫ってくる作品であるが、でああるが故に、この手の作品を避ける傾向が見受けられるのも事実である。戦前を生きた方々の多くが、かつて歩いた道と現代がそっくりだとの警告を何度も発している通りなのだということを実感させてくれる必見の作品である。このような作品を、今、この国で上演するこの劇団の勇気と真摯な姿勢を改めて称賛したい。

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