ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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刻印

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劇団活劇工房

明治大学和泉校舎第二学生会館地下アトリエ(東京都)

2017/10/21 (土) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★

 過疎に悩む山奥の小集落を舞台にしたサスペンス物との形式を採っているが、ことほど左様に単純な物語ではない。(花4つ☆)

ネタバレBOX

何故なら因循姑息で旧弊な社会の掟、習わしに対する破壊行為が、サスペンスに連なる層の問題だとしたら、少なくとももう一つの層が、劇中から汲み取れるからである。そのもう一つの層とは、エディプスコンプレックスである。サスペンス層は犯人の認知の過程を通して思惟の相に転化し、極端な行動に走らせたのであるが、この行為がラディカルであることに、今作第1部の肝が在ると考えられる。
 更なる興趣は、今作のラディカリズムが何処から生じているかに在る。評者の考える所に拠ればそれは、この「国」のパースペクティブの欠如から、ということになる。即ち、あらゆる隠蔽、詭弁や嘘、そして欺瞞にも拘わらず自らの頭を用いて考え、自らの眼を用いて観察できる個々人にとって、未来等どこにも無いという露骨な絶望があるのみだからである。
それが、生産性の全くないことが明らかであるような、今作で描かれているような行為に走らせたのではないか? そのことを突き付けるような視点を持った極めてラディカルな作品とみた。
 受付や、会場内での案内を担当してくれたスタッフの対応も実に良い。驚いたのは、キャスティング等を紹介するオープニングの映像である。このままでプロと言っても過言ではないレベルの高さをみせている。今後にも期待できるポテンシャルを持った劇団である。更なる飛躍を期待する。

木立によせて

木立によせて

芸術集団れんこんきすた

新中野ワニズホール ( Waniz Hall )(東京都)

2017/10/19 (木) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

2度目の観劇。もっと観たいのだが、公演中他の日は、完全に埋まっていてどうにもならないのが残念である。若手2人(第一部石渡 弘徳くん・第二部木村 美佐さん)の演技が良い。優れた作・演出をする奥村 千里さんの深い洞察に基づいた指示を的確に理解して、舞台上に載せるだけの良い意味での素直さを持っている。無論、れんこんきすた座長の中川 朝子さんの迫真の演技については言うまでもない。まことに深い作品である。革命後のソ連の状況を革命家たちの名前や、革命に関わる短い単語だけで表している技法も凄い。(少しだけ追記2017.10.22)花5つ☆

ネタバレBOX

 オリガが、最初の生徒、ジュイシェンを志願させるような気持ちにさせてしまったのが、己の教育の所為であると考え、彼が戦場から送って寄こした最後の手紙の意味する所を恐らくは取り違えて、他人に教えることを拒み続けた幾十年の苦悩を二番目の生徒、アルティナイが救ってくれることになるのだが、この間のドラスティックな展開を見事に舞台化している、役者たち3人の演技が、実に魂に染み入るのだ。無論、それを為さしめる脚本の良さ、演出の視座と適確なアドバイスが、このように他人の魂を惹きつける作品に結実している訳だ。何故、今作が他人の心にこれだけ染み入るのか? このことを知る便ともなる作品であろう。表現の白眉と言える作品を何れ生み出すであろう、れんこんきすたの、次のステップへの確固たる離陸作品である。
 些細な点で指摘できることが無いではないが、それは別の場所、別の機会にする。こんなことを言ったからといって、今作の価値が下がる訳ではない。何故なら、今作の基底は、本質を通してに見事な普遍性に達しているからである。
木立によせて

木立によせて

芸術集団れんこんきすた

新中野ワニズホール ( Waniz Hall )(東京都)

2017/10/19 (木) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

 二人芝居の年として「鬼啖」「かつて女神だった私へ」と上演してきた“れんこんきすた”の今年最後の二人芝居。前々作、前作に勝るとも劣らない素晴らしい出来である。こういう舞台を観なければ人生の損失である。これだけ素晴らしい舞台作りをする“れんこんきすた”だが未だ知名度が低い為に、席に余裕のある回もあるとか、是非、観て欲しいお勧めの作品である。因みに今作はキルギス最大の作家、アイトマートフの「最初の教師」という作品をモチーフとしているとか。途中約15分の休憩を挟んで2時間40~45分とちょっと尺は長いが、全く長さを感じさせない、終始、物語に引き付けられる時空を経験した。必見 花5つ☆(追記後送)
念の為、れんこんきすたHPのURLを記しておく。
http://renkonkisuta.com/

子ゾウのポボンとお月さま

子ゾウのポボンとお月さま

劇団印象-indian elephant-

RAFT(東京都)

2017/10/18 (水) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

 おならに対する感覚は、大人とこどもで大分違う。大人の感覚は、杓子定規でつまらない。然しこどもたちのおならに対する感覚は、先ず面白い、臭い、恥ずかしい、えっ、赤面等々多様である。ところでポボンの名前は、おならの音から来ている。だからポボンのトレードマークは、おならでもあったりする。すげーだろ! えへん!! えっへん!!! ポボン???? クセー!? か?
(ところで追加公演があるそうだ。以下にその詳細を記すのでご参考に。また席に余裕のある会もあるとか。詳細は必ず問い合わせ確認を取って頂くとして、2日ほど前の情報を参考までに載せておく。

追加公演をやることになりました!
最終日の、10月22日(日)の17:00です!!
この回は、3歳以下のお子さまも入場OKとして、行います。
皆様、是非お誘い合わせの上、ご来場ください。


「子ゾウのポボンとお月さま」(上演時間 約40分)
https://g-inzou.wixsite.com/pobon

日時:2017年10月18日19:30〜
       10月19日11:00〜完売、15:00〜
       10月20日15:00〜、19:30〜
       10月21日11:00〜完売、14:00〜、17:00〜
       10月22日11:00〜完売、14:00〜、17:00〜)

ネタバレBOX


 冒頭、こんな書き出しをしたのは、今作が、子供達にも楽しめるファンタジーだからである。実際、役者達の登場シーンから子供達が絶対喜ぶ工夫がいっぱい凝らされていて楽しく、微笑ましい。こういう作り方ができるのは、大人になっても子供だった頃の心を忘れない大人達か、よほど子供が好きで、子供の心の側に立つことを知っている大人達だ。
 さて、子供達が喜ぶような工夫を凝らして出てきた役者達は、それぞれ頭の上にバケツを載せている。それは王冠のようだ。でも、バケツの大きさは4つが4つともそれぞれ違う。最初のバケツは一番小さい。それが2番目、3番目・・・とどんどん大きくなってゆく。因みに舞台に上がると、といっても素舞台で、床の高さも建物のフロアの高さと同じなので、床そのものなのだが。客席に向かって正座してからお辞儀をする。1番目は、そのままお辞儀をしてバケツを落とし、2番目は首を掲げて挨拶、落ちない。3番目も頭に髷を結ってそれにバケツを被せた上に頭を掲げて挨拶するので落ちない。4番目は、早い段階でバケツを脱いでしまう。何れにせよ、こうして揃った4人はこのバケツを使ってパーカッションを披露してくれる。合間に珍しい楽器も登場するので楽しみにしていて欲しい。
 さて、愈々ポボンの登場である。ポボンの大きさは実際の子ゾウの大きさである。無論、既に自分で歩けるまでに成長しているが、人間のように歩けるようになるまで長時間掛かる訳ではない。そんなポボンは、バナナが大好きだが、ピーマン、人参、茄子などの野菜が嫌いだ。飼育係が嫌いな野菜を無理に食べさせようとするので、遂に食べさせる・食べない合戦が始まってしまった。結局この戦いは、闘牛の形を採ることになるが、ここで、今までポボンが4本足だったものが、2本足になり、素早い動作に対応する。この後も4本足から2本足になるシーンがあるが、ダンスシーンであるなど、その転換は合理的である。
 閑話休題、本筋に戻ろう。闘牛形式の合戦は、闘牛士となった飼育係が、相手を翻弄する為に用いる布をポボンに取られてしまった為、あわやポボンに踏みつぶされようとする刹那、飼育係の必死の呼び掛けに応えた少女がバナナ片手に割って入ったせいで事なきを得た。だが、その少女こそ、ポボンの運命の人であった。彼女に一目惚れしてしまったポボンは、求愛動作として、自分の鼻を彼女の鼻に当てて挨拶をする。彼女もポボンが気に入ったようである。然し、彼女は人間でポボンは象、どうにかして人間になりたい。ポボンは、そう思った。でも、どうしたら象が人間になれる? それが一向に分からないのだった。思いあぐねたポボンを見かねた母は「バナナみたいに黄色い月を食べたらなれるかもね」と教えてくれた。それ以来ポボンは、鼻を伸ばす為にストレッチを始め、鼻は、どんどん伸び皆が嘲るほどに長くなった。この姿を見た母は、自分の吐いた嘘の為に、ポボンがこうなってしまったことを詫びるが、如何に鼻が伸びても月には届かず而もその話は嘘だったと知ったポボンは、毎日を泣き腫らす。こんなに悲しくてもポボンのおならは、止まない。これは更に哀れを催す。流石に月もこれを哀れに思ってか、彼の下を訪れ魔法を掛ける。するとポボンは人間に変わっていた。ポボンと少女は互いに鼻に触れ合って挨拶。ダンスを踊って大団円を迎える。
 役者たちの演技も素晴らしく、鈴木 アツト氏の演出も良い。それに各シーンでの音響効果のセンスが実に良い。また、子供が見ても楽しめるよう、小さなおこさんたちがむずからずに済むよう、公演時間も40~45分と丁度良い長さに仕立ててある。お勧めの作品だ。更に終演後にはポボンと写真が撮れる。蛇足だが、無論、大人が見ても楽しめる作品である。
JOE MEEK

JOE MEEK

ピストンズ

花まる学習会王子小劇場(東京都)

2017/10/18 (水) ~ 2017/10/23 (月)上演中

満足度★★★★

 1950年代にアメリカで生まれたロックは瞬く間に世界を席巻。だがその栄光の期間は極めて短かった。というのも現れたスターたちが飛行機事故などで他界。プレスリーは兵役、幼い少女を連れまわしたり、関係を持っていたりというスキャンダルで失脚した者達も居た。極め付けは、バディ・ホリーの死である。彼はそれまでのロックミュージッシャンが誰かに作詞・作曲して貰った歌を歌うのが当たり前だった時代に初めて、自身で作詞し、作曲して演奏したのである。ジョーはこのホリーの後継を目指した。レーダー技師、スタジオエンジニアを経てプロデューサーに転じ、そのプロデュースでこの業界の星になろうとしたのだ。実際彼のプロデュースしたThe Tornadosの”Telstar”はイギリス人のグループとして初の全米No.1 のヒット作となった。(追記後送)

三編の様々な結末

三編の様々な結末

東京ストーリーテラー

シアターKASSAI(東京都)

2017/10/16 (月) ~ 2017/10/17 (火)公演終了

満足度★★★★★

 朗読劇である。この所、朗読劇は当たりだ。今回は、短編小説を朗読劇として演出した「対の人形」が第1話。第2話「システム」と第3話「杉山さん」は、最初から脚本として書かれているが、何れの作品もその質の高さで群を抜いた作家の才能を示している。舞台はシンプルだが可塑性が高く、演出、役者陣の演技も良い。生演奏が効果的に用いられている。必見の舞台!(花5つ☆)

ネタバレBOX

而も3作とも、全くタイプの異なる作品なのである。第1話は一種の説話で、坊さんの説話としては、出来すぎであるが仏教説話の傑作としても読める作品でつくづく因縁というものの摂理を知らされる。第2話「システム」は、天界のシステムを扱ったSFだが、内気な主人公の、それ故に見付からなかった彼女との出会いに、祖父への、また、彼女となることを宿命づけられた彼女候補の祖母への温かい思いやりと優しさが描かれた秀作、天界の担当者とのユーモアたっぷりの会話も見逃せない。第3話「杉山さん」は思春期の女子の男親への反発を、再婚する母や義父と直ぐ仲良くなった弟、事情を弁えてサジェスションもしてくれる祖母を仲立ちに、義父との間に徐々に良い関係を築いてゆきながら、そのことを義父が倒れるまで言えぬまま失くしてしまった娘の心情を綴って見事。たった2日間しかない公演で17日が楽だが、必見の舞台だ。
ユリディス

ユリディス

劇団Player's World

小劇場てあとるらぽう(東京都)

2017/10/12 (木) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★★

 J.アヌイ原作のユリディスだが、翻訳物の厭らしさは余り感じない良い訳だし、兎に角、長い作品なのである程度カットせざるを得ない部分をカットして齟齬の無い脚本に仕上がっていたとは思う。

ネタバレBOX

シェイクスピア作品のよういな長科白が多いのだが、役者がカムことも殆どなく、その意味では難の少ない公演であったが、ユリディスが恋に落ちる原因となったオルフェのヴァイオリン演奏のシーンでは、もっと形態模写をキチンとすべきである。とても大事なシーンであるから、オルフェ役には、実際のヴァイオリン演奏をさせておくことは無論必要である。演出は、其処までキチンとやっておくべきだろう。駅のカフェの上手隅に何も言わずにずっと座っている旅人(死神)なども登場する作品であるだけに、こういった細部の造形に拘らなければ作品のリアリティーが担保できない。
 まして、今作を今上演する必然性は、余り感じられない作品である以上、上演するからには、通常の上演以上に作品としての質を高める必要があると感じるのだ。
 作品の肝は、オルフェとユリディスの純愛と、世間というものの実体。その鬩ぎ合いから生まれる風評が、純愛の成立を脅かす時、皮肉にも死だけが、この純愛が孕むに至った矛盾を解消するということだが、このアイロニカルな結論を導き出す為に、権力や権威が如何に純粋を潰してゆくか、そして弱き者、即ち肝心な時に肝心な決断を己の精神に従ってできなかった者が、如何に人生に飼い馴らされ隷属してゆくかが描かれる。
 然しながら、このような解釈をする日本人が一体どれほど居るのだろう? その意味で、余り必然的な上演とは言えないと思うのだ。ブレヒトではないが、今日の世界を演劇は再現できるのか? という問いをキチンと自分達自身に発信し続けたいものである。
aster

aster

創作集団Alea

劇場HOPE(東京都)

2017/10/12 (木) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★

舞台美術が若干変わっている。下手が庭に,縁側を挟んで3分の2ほどが部屋に当てられているのだが、この部屋はやや右上がりに設えられ、而も奥には楕円状の円盤から放射状で銀色の光を表したようなオブジェが四散しており、壁、へっつい、衝立などの縁に当たる部分が波型になっていて落ち着かない。これは、この「家族」の歪みを表現しているのであろう。因みに庭の一角には、花の植栽がある。

ネタバレBOX

 話の展開に必然性が弱い。結衣の妄想(狂気)と出産日の異様な遅れとの連関も定かでないし、妄想の発露として太郎を自らの子として拾ってくることにも、主筋の修・結衣の夫婦関係を、結衣への恋慕の余り暴力的に関係を持ち、その裏切りに耐えられずに自殺した大介との因縁話との密接で必然的な連関は感じ取れない。
また彼の遺書に認められた文言をそのまま守って、この事実をひた隠しに隠し、遺体を花壇の下に埋めたという修の設定も余りに現実離れしている。火葬を旨とする日本では、例外的に土葬が常態化している地域を除き、かなり遺体の処理はキチンと行われており、ここに描かれた事例では、遺体遺棄などの罪にも問われよう。
仮に結衣が大介を殺したと思い込んで、狂気に走ったのだとしたら、どこかに太郎を拾う為の伏線を敷いておくとか、(おじさんであるホームレスの太郎を拾ってくる必然性として、自殺した大介の年齢に近く、而も子供として結衣が認知しているのであれば、大介の生まれ変わりと観客が思ってくれるような伏線である)しないと観客は、不消化感を免れまい。
まあ、ひた隠しにすることで、おかしな関係になった家族関係の在り様そのものを描くことが主眼であったならば、また別の観方が可能ではあるが、その場合にも、もう少し序盤・中盤、ヒリヒリするようなエッジを効かせて欲しい。現実認識の甘さと設定やドラマツルギーを如何に仕組むかへの配慮不足が、結果として作品を焦点のボケた平板なものにしている。受付の女性が頗る感じの良い対応をしてくれたのに、内容的に以上のようなちと残念な感じを持った。
死神と9月のベランダ

死神と9月のベランダ

東京カンカンブラザーズ

ザ・ポケット(東京都)

2017/10/11 (水) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★

 序盤シナリオレベルでの牽強付会が見られ、わざとらしい展開が気に掛かった。この傾向は、中盤迄影響してくる。

ネタバレBOX

基本は、捨て子、拓海と地元スーパーの社長令嬢、若葉との純愛物語にあるのだが、拓海は、捨てられ拾われた時には半死半生の状態であり、この時から、死神の宿としてその身体が用いられていたにも拘わらず、身体に於ける精神活動を担っていたハズの死神は、ヒエラルキー上位の神に禁じられていた人間との恋に陥ってしまった。然し、物語の展開に於いてはその主体性が恋する死神と拓海を恋する若葉との関係にあるのか、それとも拓海の身体と拓海の身体に恋する若葉との関係にあるのか一貫しないという論理破綻に陥っている。(ここで用いている身体概念はポール・ヴァレリーの考えた身体、即ち精神と肉体とがないまぜになった在り様を考えている。即ちこの身体の内では死神がその精神を具現化しているハズなのだが、それにしては拓海として表されたキャラクターの健気な姿から、ドラスティックに変容し距離その物と化すかのような精神的変化が不自然)
原因は宿主である拓海と借主である死神の精神的・身体的関係が、キチンと措定されていないので、身体が幼稚園時代から小学生、中学生と長じてゆく中で、若葉に対して変化してゆく拓海の主体も精神を司っているハズの死神の主体性もその一貫性が成立し得ないのである。この為、真の純愛物語が成立し得ない。シナリオのこの齟齬は決定的である。
Short Cuts 5

Short Cuts 5

劇団ガソリーナ

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/10/11 (水) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★★

Aチームを拝見。サブタイトルのa long trip to teatimeは、ジェームズ・ティプトリーさんからの借用との注が、当パンに入っていた。
総て短編であるが、演目を以下に記しておこう。
1.「明日に向かって撃て」2.「エステのお姉さん」3.「元彼」4.「「落としたもの」5.「高校の3年間」6.「しばしの別れ」7.「光の国」の7本。Bは、演目が全く異なり、役者もかなり違っている。いずれにせよ、この多様性が魅力的な公演。

ネタバレBOX


 このうち1と6がゾンビ狩りゲームに関する昨品だが中々迫力がある。2は、ねずみ講方式で良く販売している語学教材の代わりに化粧品を売っているセールスウーマンとそのカモの話。3は段ボールハウスに住むようになった元彼にいきなり呼び止められた派遣で働く元カノの雑談。4は、1か月50万も使って2か月で体重の3分の1ほどを削った元キャバ嬢とその友人の間で交わされる2か月前と現在の様々な変化についてのダべリング。5は、酔っぱらってトイレに閉じこもってしまった友達を連れだそうとしている仲間2人の女たちの間で交わされる高校時代から現在までのよしなしごと。興味深いのは、このうち一人が劇団で女優をやっていてその苦しい経済状態や客入りの悪さが垣間見れる点だ。最後がウルトラマンガイアの主演に抜擢された少年がクランクアップする迄の1年間の模様を芸能プロダクションの女性社員が語る作品。こちらは表現する者として生きることの厳しさを追及しつつ、少年たちのめくるめくような時間と時代を描いて感動させる。
「月いち座布団劇場 十月篇」

「月いち座布団劇場 十月篇」

占子の兎

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2017/10/11 (水) ~ 2017/10/11 (水)公演終了

満足度★★★★

 3月から始まった今年の月一座布団劇場、半年で六回の公演も今回で今年度最後の公演となる。総勢10名出演の舞台となるが、本日1日のマチソワ公演のみである。演目は、上演順に「くやみ」「子は鎹」「掛取り」の三話。来年のことを言えば鬼が笑うというが、それはさておき来年三月以降にも月一座布団劇場上演の予定があるという。楽しみに待とう。

ネタバレBOX

 第一話は、冠婚葬祭のうちその人物の人生最後の儀式であるが、無論、通夜、葬儀の席には、多くの関係者が列席して悔やみを連ねる。然るに本当に故人の死を嘆く者はごくわずかであろう。厳粛な儀式であることを要請されるので弔問に訪れた人々は口々に神妙な口ぶり態度で悔やみを述べる訳だが、内心では全然別のことを考えていてもおかしくない。今作は、堅苦しい儀式に纏わるこんな人間の赤裸々な事象を嗤いに託して批評した作品とも取れる。そうとれば、かなり辛辣な作品である。在る者はのろけ、或いは自分の商売の宣伝をし、また別の者は縷々己の主義主張を述べる。厳粛であるべき今生の別れをする儀式で。而も仏は皆の面倒を看、皆から慕われてきた人格者だというのにこの様。まったく処置なしと嘆くより先に、このように鋭い批評意識で落語化し、茶化して見せる魂の健全さを持つ者の存在あるということが救いである。笑いとは何より鋭い批評であるという、笑いの原点が示された作品と言えよう。
 第二話は、腕の良い職人だが、無類の酒好きで而も酒乱の職人、熊五郎が出来た女房と可愛い子を追い出し、吉原の女を連れ込んだものの、己の罪に漸く気付き酒を断って3年、偶々、頼まれた仕事で木場へ向かう途中、息子の金坊に出会い、この子が鎹となって復縁を遂げるまでの話だが、訳あって2歳の時から親を信ずることができなくなり以来家族という概念に縁遠い自分でもホロリとさせられるような良い話である。何より、熊五郎役が良い。如何にも腕の良い、下町の気の利いた職人の風情が良く出ている。金坊役もそのヘアスタイルと童顔が似合って良いキャスティングである。女房のしっかり者としての気性と当時の日本女性の一歩引いて男を立てる価値観もかなりキチンと再現されている。フェミニズムの機械的支持者にはお叱りを蒙るかも知れないが、身体の物理的強弱の問題が完全に平準化されない限り、弱い側が、身体的強弱以外の方法で、伍してゆく為に様々な方法で対峙する以外、対抗することは本質的に無理を伴う。
第三話は、掛取り即ち借金取りの話だ。江戸時代は大晦日に借金の取り立てが出来なければ、その借金は確かチャラになって翌年から再度、借金0状態から始められたと思う。その流れがあって、借金を取り立てる者、支払いを拒みたい者の攻防には凄まじいものがあった。そんな訳で、このネタは多くの落語、笑話のネタとなっている。今作では、矢張り、金に詰まって、今年の支払い拒否の言い訳をどうしたものかと女房に言い募られている男が、この難局を如何に切り抜けるかを記した笑話になっている。
 借金取り撃退に去年は夫が死んだことにした。棺桶を持ち込んで、その前で女房に嘘泣きをさせたのである。素人に涙が簡単に出せる訳ではないから、女房は、茶の雫を目の下に付けて演じていたのであるが、ある借金取りには「泣き真似はもっと上手にやった方が良い」と言われてしまう。確かめてみると頬に茶葉が付いていた、とか。大家が気の毒に思って香典をくれたのを女房は正月を迎えれば、死んだハズの亭主が直ぐぴんぴんと起き上がってくるのが分かり切っている手前、受け取ることが出来ずにお返ししますと押し問答をしている時、棺桶の蓋がガラリと開いて夫が飛び出してきたものだから大家はびっくり仰天、下駄も履かずに逃げ出してしまった。今年も同じ手は使えない、と今年は相手の好きなもの・ことを肴に話を盛り上げて誤魔化そうということになった。大家は狂歌が大好き、魚屋は喧嘩が好き、三橋は三橋美智也が大好きということで、大家には狂歌談義を魚屋には喧嘩腰の談判を、そして三橋には美智也の歌を替え歌にしたりしながら、総て追い返す。このピカレスクロマンを洒落で構成したような痛快が何ともいえない。
川村美紀子『或る女』/ 佐々木敦『paper song』

川村美紀子『或る女』/ 佐々木敦『paper song』

OM-2

d-倉庫(東京都)

2017/10/10 (火) ~ 2017/10/11 (水)公演終了

満足度★★★★

 異端x異端と銘打った本公演。佐々木 敦の「paper song」と川村 美紀子の「或る女」との2作品上演であるが、作品上演に舞台転換だの休憩は入らない。無論、それぞれ独立した作品である。(追記2017.10.12:02:54)

ネタバレBOX

 佐々木のパフォーマンスでも、川村のパフォーマンスでも照明はかなり絞られ、佐々木の場合では、工事現場で良く見掛るような電球の周りに防護のネットと半球型の反射板兼防護用カヴァーの付いた道具がいくつか用いられる他、エコーを掛ける為の機器が効果的に使われる。他は、机を叩いたり、蹴る。紙を破く、引っ張る、巻きつける際の、そして巻きつけた紙を通して呼吸をする際の様々な音を効果として巧みに用いている。
如何にも男の表現らしく、その方法は構造的・構成的で論理で追える内容と観た。開演当初、板上には、上手に机と椅子、机上にはエコーを掛ける機械と印刷物が少々載っており、机の脇には、数十冊の本か、該当する量の紙束が積み上げられている他、開始前に大きな紙袋から出された矢張り本らしきものが足し増されている。その下手横には、照明用機器がたぐねてある開演直後、男は、机に向かい新聞やら雑誌から、オンナの顔の映ったページを選んで破り取り、それを机上に大事に置いて、残りはゾンザイに投げ捨てている、この行為は、恰も文字や文字情報を拒否しているかのようである。その証拠と言ってはなんだが、男は女の画像と交感する。試しに♂が画像を顔に貼り付けると、彼の呼吸は荒くなり二重、三重に張られた文字情報の下で彼は吐血している。これは無論、文字情婦を紡ぐ為に費やされた刻苦勉励の為ではない。反対に本来刻苦勉励の果てに記されねばならぬ文字表現の果てしない堕落の齎した結果としての痛ましい「知」の血である。掛かるが故に、画像と化した女たちの顔を文字情報に傷付けられた血だらけの顔に貼り付け、気を取り直すのである。ここまで観れば彼が文字情報廃棄に至ることは必然であろう。彼が猛り狂ったように文字情報を廃棄する当に直中、板下手奥に設えられた袖に、オンナが立つ。この演出は背筋がぞくっとするほど素晴らしい。
かくして登場した女は、自由に舞う。この身体の柔らかさ、自由な表現のレベルの高さが見事である。一方、彼女は何か絶対的なこと或いは力及ばぬ何かに対する本能的な恐れをも同時に抱えているように映る。例えばそれは、己の身体と本能の総てが単にDNAの命令によって動かされている不如意。換言すれば、己の存在は単にDNAの乗り物に過ぎないという認識に似たものであろうか。そのような認識が真であるならば、精神と言い習わされてきたもの或いはその現れとしての事象は、総てマヤカシということになる。このような不安に対するに彼女の持っている武器は、精神に象徴される幻影と己の身体そのものだけである。だが、身体はその新陳代謝からも分かるように永遠不変のものである訳はなく、絶えず更新され、廃棄されて、その時点である一定の形を有する有機的構造体に過ぎない。レトリカルに永遠を措定するのでない限り、身体に永遠性を求めることは欺瞞以外の「なにもの」でも在り得ない。その時、瞬間、瞬間の反逆に身を委ねる以外にどのように真摯な態度を表現できようか? 彼女の踊りにはこのような問い掛けがあるように感じる。

暗闇演劇「イヤホン」

暗闇演劇「イヤホン」

大川興業

ザ・スズナリ(東京都)

2017/10/06 (金) ~ 2017/10/09 (月)公演終了

満足度★★★★

宇宙を構成している物質の殆どがダークマターだと言われるようになり、暗黒が宇宙で占める割合も圧倒的であることが認識され始めてやっと、暗黒に対する想像力の用い方が変わってきたのであろう。

ネタバレBOX

この劇団は、暗闇演劇を標榜して公演を打ってきた。
数年前に1度拝見したことがあるが、今回の公演は、数年の間に大きく進歩している。暗闇で演じるのが基本である為、伝達手段はほぼ音ということになるのだが、換言すれば、脚本が良くなければどうにもならないということである。
今作、序盤から中盤にかけては、時事ネタをベースに擽りを掛け、中盤の破から終盤、急に至る展開で、クライマックスを迎える。この場面の科白のレベルはつか こうへいの被差別意識の中核を突いたような名科白であり、傷ついたすみれへの口説き文句も、すみれの反応に対する対処も素晴らしい。
中盤までの擽りにもっとエッジを効かせれば、更に完成度は高くなろう。今後とも精進を重ね、更なる高見に到達せんことを!
朗読劇『季節が僕たちを連れ去ったあとに』

朗読劇『季節が僕たちを連れ去ったあとに』

トライストーン・エンタテイメント

あうるすぽっと(東京都)

2017/10/06 (金) ~ 2017/10/12 (木)公演終了

満足度★★★★★

 47歳で亡くなった寺山 修司と同期の早稲田大学学生であった山田 太一の往復書簡を劇化した作品の朗読上演である。花5つ星

ネタバレBOX


 何より当日パンフレットの表紙が訃報を告げる黒枠でタイトルを囲んでいることに注意が向く。山田 太一さんは現役作家として未だ新作を発表なさっているが、この装丁は無論、亡くなった寺山 修司に対する深い哀悼の念を表している。その寺山は、生前口にしていたように5月に亡くなった。西行の「願わくば 花の下にて 春死なむ その望月の如月の頃」 に対抗するつもりであったろうことは想像に難くない。5月と言えば五月晴れの清々しさを誰しもが即座に思う。西行の名歌と共に素晴らしい季節ではないか? 
 何れにせよ、ネフローゼで3年間も若い時期に入院し、生死の境を彷徨った寺山の自身に対する自負と才能の横溢を証立てるような言葉とその死ではないか。この寺山が、自ら声を掛けたのが、山田 太一であった。寺山が倒れる以前から、若くして優れた才能を発揮していた二人が互いに共鳴し合い、交感し合って心の底から笑い、談論風発に興じ、別れては続きを手紙に認めて交信し合う。そんな時を過ごしていたのだった。この往復書簡の期間が異様な長期に及ぶのは、寺山の長期入院により、彼の体調を慮ってのことである。
 だがそれ以前に、互いの優れた才能を互いに認め合い、最も身近に最大の理解者を持ち得た行幸を、互いに精神の高みを共有する者同士として認識し合っていたからに他ならない。この行幸を齎した原因が、同時代、同世代、而も同級生であったという因縁にあることが、この二つの優れた才能に更なる雄飛を齎し、盤石のものにしたであろうこともまた確かなことであろう。
それほどの友を喪った山田 太一が、寺山を失って味わった、自らの体の一部を抉り取られたような寂寞が、観客にも茫然自失を迫る。それほど真に迫った朗読劇であった。友情の何たるかを描いた秀作である。

めいじゅたなごころにあり。

めいじゅたなごころにあり。

遊々団★ヴェール

TACCS1179(俳協ホール)(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★

 舞台美術に結構金も掛かっているだろうに。勿体ないのは全体の印象が和風であるにも拘わらず、上手奥の割に目立つ所に掛かっている絵が洋画だったり奥正面脇に置かれた壺が、これまたマッチングを欠いた色彩のものであったり、と折角の舞台意匠がチグハグなものになっていることである。上手壁際に置かれた緋縅の鎧も、その緋に時の齎した古色蒼然たる気配が無い為浮いてしまい、正面に上手に置かれた兜と共に気配を台無しにしている。
(追記後送)

無料公演「ギンノキヲク」&介護福祉フェス!

無料公演「ギンノキヲク」&介護福祉フェス!

ラビット番長

あうるすぽっと(東京都)

2017/09/29 (金) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

2010年の第1作から2014年のファイナルに至る迄4作がシリーズ化され、何れも池袋演劇大賞をはじめ数々の賞の受賞作である。今回の公演で5作目ということになるが、今回は高齢化社会にあって認知症は最早他人事ではないという時代状況もあるだろうし、実際に家族の誰かが認知症になったなどで、この症状に対する理解が進んだこと。即ち想像力が具体的に働く人々が増えたことにもよるであろうが、何れにせよ最早避けて通れない問題として人々に受け入れられてきたアルツハイマーを、介護する側から描いた作品と言えよう。これには劇団主宰の井保氏が実際に介護に関わってきた経験が大きくものを言っている。語られる各挿話は無論フィクションという形であるが、問題の取り上げ方が一々具体的で気配りも人間的配慮も利いた内容になっている所に今作、今シリーズの凄さが潜んでいよう。(追記2017,10.5 0:33)

ネタバレBOX


とりわけ、認知症に対するに大切なことは、被介護者の人としてのプライドを、如何に守り抜きながらケアするか? という点であろう。認知症の最大の特徴は、兎に角忘れるということである。忘れたことを忘れているから、自分が何処かに仕舞った財布が見つからないと、自分自身で仕舞ったことを忘れて泥棒を疑うのである。泥棒は確かに気を付けなければならない問題であるが、泥棒が罪とされる根本の原因はそれを公式に認めてしまえば私有財産を根拠づける論理を否定するからではないか? 言い換えれば、私有財産制を根本原理とする資本主義を否定することになる。原始共産制に於いて泥棒という概念は存在し得ないだろう。まあ、この辺りの論議は置いておくとしても考え始めれば様々な問題提起が行えるハズだ。
何れにせよ大抵の人は、こんなことまで考えないから、取り敢えず自分が生きて来た社会で当たり前とされていることを自らの原理として採用している。だから、諺で言われているように”人を見たら泥棒と思え”とか、泥棒は犯罪だとかを「根拠」としており、忘れたことを忘れた際に原理を参照しているのだと思われる。
一方この“泥棒”の例のような概念レベルから被保護者のアイデンティティーが構成されているのであれば、その人のプライドもまたこのレベルの知をベースに構築されているのであり、それを徒に傷つけることは人格否定につながる。この事態は避けねばならない。人が人として生きる権利を否定することは、人倫にもとるからであり、人倫を否定した暁には、福祉その物の根本原理をも否定することになるからである。他人を傷つけずに而も社会にアダプトさせ、ケアする側にも過重な負担を掛けずにことを運ぶ為には、様々なテクニックと類稀な生きて働く想像力、そして弁証法的思考が必要であろう。これらが十全に行える人材は決して多くはあるまい。その解の一つが、今作で具体的に描かれている。その点が観客を惹きつけてやまないのである。
I is ANOTHER ワタシは...他人

I is ANOTHER ワタシは...他人

シアターX(カイ)

シアターX(カイ)(東京都)

2017/09/28 (木) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★

 オスロからやって来たグリソムヘテン劇団の作品。

ネタバレBOX

A.Rimbaudが1871年5月13日にGeorges Izambardに宛てた手紙の中に書いた有名な1行、Je est un autre.の英語訳がタイトルになった作品で、彼が19歳で詩を去った後、オランダの外人部隊を経、キプロスの採石場で助監督を経た後、遂にはイエメンのアデンで珈琲豆業者になって以降、マルセイユに戻って死ぬまでを、A.Artaudの解剖学的演劇の観点からの基本的インスピレーション復興を目指したパフォーマンスで表現しようとした。
 当然のこと乍ら、それはヨーロッパの個人主義的な伝統に則る形になったように思われる。例えば、冒頭、アデンのバザールの場面では、現地の人々を装った役者たちが、頭の上に壺などの荷物を載せて登場する者もあったのだが、自分も頭に荷物を載せて運ぶのが普通の場所で生活していて、今回役者が演じたような姿勢では絶対、ホントに重いには運べない、というのが余りにアカラサマで、このパフォーマンス自体をちょっと疑ってしまったのも事実である。呼吸法や、独自の発声法等も日本の役者とは異なる点も見られはしたが、矢張りヨーロッパで暮らした経験を持つ自分には、それはヨーロッパ流と映った。
 そういうことを意識した上で観劇するという態度で自分は拝見したということができる。その上で、Je est un autre.は、苦い認識には違いないが、天才じみた子供が大人になる時の気の狂わんばかりの重圧を通してみた、実存の相であるとの思いを再確認したに過ぎない。およそ150年近くも前の天才的ガキの書いた一行に振り回されるほど、自分達は軟だとすれば、これこそ問題であると言わねばなるまい。その意味で面白い試みであった。
【ご支援ありがとうございました。】メビウス―201709-

【ご支援ありがとうございました。】メビウス―201709-

LINX’S プロデュース

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

 Aチームを拝見。男女の2人芝居だ.。

ネタバレBOX

2人芝居は無論ダイアローグの基本。多くは同性による2人芝居が多いのではないかと思うが、今回のそれは男女1人Ⅰ人の2人芝居である。LGBTの方には怒られるかも知れないが、基本型、ヘテロカップルということである。
 愛の話であるが、その愛は不変・不屈の愛であり、何とローマ時代のカルタゴ(北アフリカに在った古代都市国家)とローマの戦争(第1次~第3次までのポエニ戦争が有名であるが、カルタゴの猛将、ハンニバルの名前くらいは多くの人が知っていよう。)から連合国軍対共和軍、中東軍対欧米軍等々数々の戦争で、或いは敵味方に、或いは主従に、在る時は人と動物として、ある時は女性とLGBTとして等々、各主体も変化し続けながら愛の念・記憶の塊として形象された枯れない花を徴に出会い・確かめ合いながら、その都度、戦によって引き裂かれた愛が、シンギュラリティーを経た未来の植民星に在って、それも廃棄されたアンドロイドの捨て場となっている植民星で経年劣化が進みエネルギーも切れようとする最後の2時間弱を通して確認される、3千年近い純愛の物語。極めて硬質なクリスタルの結晶のような、かつて湖のほとりで暮らし、慎ましく小さな幸せを育んだが、戦争によって奪われた2人の愛を、時代も空間も超え、更には存在の様態さえ超えて、貫き通した愛の物語。
 このぶれない愛が素晴らしい。流石、ナツメクニオの作である。同時にシンプルな美術だが、微妙にバランスが崩された美的センスと各部材の配置、そして照明と音響で齎される劇的効果の妙、更に息の合った役者2人による演技、随所でフィードバックされるアンドロイドとしての現況が、哀しさを加速する演出の巧み。自分の好みとしてはおちゃらけを抜いた方がより好感度が増すと思えたにせよ、素晴らしい作品である。
 演者によってもかなり印象が異なるであろう感触を持った作品であるが、それだけ、脚本の持つ深みも感じられる作品である。

缶詰工場の秘密

缶詰工場の秘密

T1project

ザ・ポケット(東京都)

2017/09/27 (水) ~ 2017/10/01 (日)公演終了

満足度★★★★

 T1プロジェクトは若手育成プログラムでもあるので、今回も初舞台という新人が何人もいる。それに初日の緊張感もあってのことだろう。オープニング早々は、若干こなれない表現も目に付いた若手だったが、そこは作・演出が極めて質の高い演出でかなりの程度フォローしている。作家の人間に対する深く強い信頼渇望が現れた作品である。(追記後送)

ネタバレBOX

オープニングのシーンは、主人公・悠人の登場シーンで下手奥に設えられた階段を下りてくるのだが、階段の客席側は途中まで壁になっているので、彼の姿は最初見えない。最初に見えるのは、彼の背後からのライトによって階段踊り場や階段正面の壁に映る彼の影である。この演出に先ず観客は度胆を抜かれる。舞台は、既に廃工場となった缶詰工場。じき20歳になろうとする悠人が、自分を捨てた父の働いていた缶詰工場を訪れるシーンが冒頭のそれである。正面奥が旧工場、上手も建物の一部を為し中庭のようになったスペースの上手奥と対角線上に当たる下手手前には、背凭れつきだが、時に洗われてすっかり古びた椅子がそれぞれ背凭れがキチンと対向する具合に斜めに置かれている。下手の椅子の手前には矢張り古く細長いテーブルが側壁に沿って置かれ、上手の電線などを巻く大きな糸巻型をしたテーブル代わりのオブジェとその横に椅子代わりに置かれたキュービックなオブジェとが対を為している。その他下手・上手共に客席側には植栽が配され、舞台と客席の間にも草の植えられたプランターが置かれている他、所々につたの類が這っている。全体としては、廃工場の雰囲気が充満して古色蒼然たる気配である。登場人物たちは2つの時間に属している。1つの時間は、2017年、もう一つの時間は20年前の1997年だ。1997年はこの缶詰工場が稼働していた時代であり、20年後の2017年に、工場は廃墟である。
魔法の鏡、とその中身

魔法の鏡、とその中身

the pillow talk

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2017/09/22 (金) ~ 2017/09/25 (月)公演終了

満足度★★★★

 身も蓋もないAVのお話。と言っても社会性はある。

ネタバレBOX

マジックミラーの内と外、内側ではAV撮影や契約、籠絡などが行われているが、その詐術的話法の見事さには目を見張るものがある。とは言え、騙されたと気付いた時には、既に契約書に判をつき、誘導されて自らの意思によって選択したと解し得るあけの根拠を相手に与えてしまっているかも知れない。而も、会社側が必ず言い出すのが、費用の発生と違約金である。今作で違約金は100万とされているが妥当な線ではあるまいか。実際、AV女優だったことをカミングアウトして現在は、このような被害に遭った女性達の力になれればと活動している女性の話とも一致する。何れにせよ、街中で声を掛けられてスカウトマンについてきた若い女性がおいそれと払える金額ではないことが重要な点である。それでも出ない、と言い張る女性に対しては大声を張り上げて何人もの男が恫喝としかいいようのない「脅し」を掛ける訳だ。ゲットする側はおだてすかした上、ちょっと体の線を見たい、などと言って別室でヌード写真を撮影しているから、出ないと強情を張れば、それを彼女の通う会社や学校、知り合いにばらまくなどと迫るのである。
このようにジェンダーの問題を絡めながらスカウトや彼らを雇い給料を払っているプロダクション、芸能事務所などを絡ませて、街中でスカウトした女性を強引にAV女優に仕立て上げる模様や、スカウトをやらせても効率よく女の子をゲットできない連中は結局仲間や社内で追い詰められて、自分の身の周りの女の子を売り込む様。契約書をろくに読みも読ませもしないで判子を押させ、これを根拠に無修正AVに出演させネット上にアップする手口等々が描かれてゆく。或る意味、啓発作品と言えよう。ネット社会での責任の曖昧化、海外のサーバーを経由することによる国内法からの抜け道、当然のこと乍ら、違法すれすれのことをやらせているプロダクションには、顧問弁護士がついているという法的問題点も類推させる。即ち法など解釈次第であると同時に時代の趨勢や力関係だというあからさまな実情が浮き彫りにされて、欺瞞社会そのものが今作のターゲットとされていることが理解できる訳だ。
 何れにせよ、現在では、我が国の哲学の本流もポストモダンの修辞学的傾向助長によって、下司共の主張を正当化するに至っている。無論我らの存在の基盤は曖昧である。何処から来て何処へ行くのか? 定かでは無いし、一体我々が何者なのか? も定かではない。その曖昧を精神に置き換え、人間として当たり前だと思われる思惟の普遍性によって根拠づけてきたのだろうが、今やそのベースが崩れ去って、時代の潮流は詭弁である。その詭弁を駆使して弱者である女性を性の道具乃至性奴隷として娯楽に供している姿が描かれている訳だが、ラストシーンがその対極に位置する。即ち客席と舞台を遮るように設置されたマジックミラー越しに、鏡の中身であるAVを巡る実体が、それを享受する我々を見返しているのだ。
 我々自身を律する倫理として、最低でもこの程度の自己批評意識は持っていたいものである。

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