ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ことし、さいあくだった人

ことし、さいあくだった人

藤原たまえプロデュース

シアター711(東京都)

2022/07/14 (木) ~ 2022/07/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華4つ☆

ネタバレBOX

 何でも六星占いに大殺界と謂われる時期があるそうで3年間続くのだとか、各人の大殺界は生年月日で知ることができるという。今作は、マスター・松坂を含め某スナックに集まる人全員がその大殺界に在る人々の群像劇だが、このおどろおどろしい名の占星術用語が齎す不吉なイマージュを梃にネット小説家デビューを目指す柴田が、その小説のネタ探しにこのスナックを利用し、客達のゴシップをネタに小説として面白く仕立て上げようと奮闘することが主筋となって、このスナックの近所にある会社の社内恋愛、不倫関係、親友の彼を奪い合う三角関係のもつれが引き起こす嫉妬やバレルことを恐れた駆け引き、徐々に明らかになる深層と真相を含めた悲喜交々が描かれる。
 ところで普段はテンで駄目な柴田が、アルコールが入れば天下無敵となって顧客のプライバシーも何のその! 唯、小説を面白くしたいという念だけから、あちらに火をつけ、こちらを煽りの「大活躍」。
 この大騒動に更にサブストリームが貫入してくるのであるが、こちらは男性3人。1人は25歳童貞の木佐貫、矢鱈死にたがるのは、木佐貫タッチと名付けた苛めを女子から受けてトラウマを抱え、女子を前にすると竦んでしまうからであった。仕事をしてもウダツが上がらず、この日は先輩の和田、課長の小谷野と飲みに来ていたのである。言わずもがなではあるが、この3人が先の登場人物達と絡み合いながら進展する物語に、天下無敵と化した柴田が要所、要所で小説を面白くする為に仕掛ける転轍が物語を更に奇天烈な方向へ向かわせる。
 ネタバレはここ迄にしておくが、科学技術がここ迄生活に組み込まれた現代にあって大上段に構えて占星術の話を作っているのだから、無論、キチンと意味を詮索しても始まらない。寧ろ意味を無化する点にこそ、今作は力を注いでいる。その点で無邪気に笑って劇場を後にするのが良い作品でもある。因みに大殺界の後は種子だそうである。今作でもラストは、大殺界を抜けた人々が新たな種子の界に入ってゆくことで締め括られている。が、どんな種子界かは観てのお楽しみ! だ。ぴょん!!
第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★


 本日が2年に1度開催されてきたIDTFの最終日、クロージング・ガラである。今回のIDTFはシアターX創立30周年記念公演でもあったが、その幕である。演じられたのは予定の3演目+ヨネヤマママコさんの飛び入りパフォーマンス。

ネタバレBOX


 頭を飾ったのはカナダから来日のジョスリーヌ・モンプティさん。タイトルは「MEMORIA」今作はジョスリーヌさんが今世紀初頭にカナダ及びイタリアで共演した舞踏家・高井富子さんの遺品である衣装を纏って踊られた。オープニングでは、この白い衣装を纏った彼女の後姿に長四角の照明が当たる。彼女はそのまま暫く全く動かない。極めて想像力を刺激するシーンで始まった。音響は静かめな曲でほの暗い空間に溶け込み、深い思索に引きずり込む。極めて繊細な動きと微妙な動きで体の向きを変えた彼女は衣装の前垂れの端を持ち、時に永遠や死と生の間を渡る風に載せた祈りの薄布に与える微動のように繊細極まる念動を表現する。静止は死を、微動は生がその念を死に伝え得る最小の動きとエネルギーを我ら観客に伝える。死と生の鬩ぎ合いが殆ど拮抗して力の頂点で顫えている状態を形象化し得た稀有な踊りであった。その余りの力量、抽象度の高さ、そして命の充溢に最高度の能表現に通じる表現域を感じた。
直接的には高井富子さんへのレクイエムでありながら、同時に深く普遍的な生命観を表現した作品だ。つまり生きる事即ち時々刻々死ぬことであり、時々刻々死ぬこと即ち生命の再生であるという生命活動そのものへの深い洞察が表現されていた。
 次は仲野恵子さんの「魔羅ソンで届いた命」蝶を象った白っぽい衣装を纏い、背を客席に向けた状態で後頭部に艶やかな面を付けた踊り手が羽化したばかりの蝶の、外気に身体を初めて晒して起こす震えや戦きを微細な表現で示しながら板中央に座している。ホリゾント下手に登場した毛虫を象った衣装の仲野さんの踊りが開始される。毛虫の動きは活発で生命の躍動と伸長を押し出し、蝶の華麗な動きと対照的である。無論、この対称性にこそ仲野さんの主張が込められている。横溢する生命のヴァイタリティ―は他者を凌ごうと只管懸命であり、その懸命な有り様は時に可愛らしく、時に滑稽ですらあるが、生き抜こうとする命の叫ぶ姿は美しい。この毛虫のたゆまぬ動きと抑制された蝶の華麗な動きの対比も終わる時が来る。それは、美しく優雅な蝶がその翅を落とす時であり、成長した毛虫が羽化した蝶から子を産む母となり自らは瓦解してゆく姿、そして新たに誕生する命の姿が、元々の毛虫の色では無く新生の象徴としての白い衣装で表されている点に表象されている。

 次に飛び入りで登場なさったのは、ヨネヤマママコさん。何でもシアターXのチーフプロデューサー・上田美佐子さんとの約束を果たしにいらしたとのことで、4年前に大病を患って後、1度退院したものの再発して御闘病のみぎり、最近では認知症も発症なさったとのことで、書いていらした文章をお読みに成りながらご挨拶なさった。フォローについていらしたお弟子さん共々、彼女の掴んだテーマ、生命の輪廻、生命を支え育んできた水の生々流転の様を踊られた。コンセプト自体はお弟子さんの演ずる舞踏と変わらず、各表現の開始・終了のタイミングが若干ずれるだけの見事な生き様表現に心を打たれた。ママコさんの方が客席に近い下手で踊られたので上手後方で踊るお弟子さんの動作は全く見えていないから、コンセプトにずれが無かったのは一目瞭然。而もその踊りの品格と威厳の背景を為す生き様の見事さはひしひしと観る者を圧倒し流石に一流の踊り手と唸らせた。
 さてシンガリに控えしはダンサー・武井雷俊氏の「アマデウス」美しき魔笛の授業である。林正浩氏のピアノ、山本茉莉奈さんのフルート、歌唱はバリトン・大井哲也氏、テノール・寺尾貴裕氏。歌劇形式の実に楽しい催しものであった。板中央手前には切株に太陽や様々な文様をあしらったオブジェが数個、上手客席側に小机と椅子。机上にはインク壺や羽ペン、グラス等。グランドピアノは下手の板手前客席側との通路の一角に置かれ、その直ぐ上手にフルート奏者用の椅子と譜面台。無論フルート奏者は観客席側を向いて演奏している。
 設定は、魔笛作曲中のモーツアルトが2022年7月10日の上演時刻にウイーンから両国・シアターXにタイムスリップしてしまい其処に居合わせたミュージシャン、歌手らとコラボを始めるというものだが、設定の余りのあっけらかんに皆引き込まれてしまった。無論。各演者の実力は高く、武井氏の高い身体能力から繰り出されるスピーディーでハイテンション、高いジャンプ力の生み出す空中での妙技やしなやかな身体の機敏で誇張された滑稽味などが視覚的な面白さを上手に提示すると同時に、台詞の掛け合いの面白さが見事なバランスをみせて、楽しいといか言いようのない舞台を見せてくれた。
 終演後、恒例の三本締めの音頭を江戸伝統文化推進に尽力なさっていらっしゃる望月太左衛さんがとって第15回IDTFは幕を閉じた。
第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

IDTF2022 2022.7.9 14時半 シアターX
 本日は4公演。

ネタバレBOX


 頭を飾るのはひびきみかさん。此れ迄プロ競技ダンスチャンピオンから、大野一雄さん・慶人さんとの出会いを経て舞踏の道に入りシアターXのみならずアスベスト館、神楽坂die pratze、pit北/区域等でソロ公演を行ってきた。キューバ国立民族舞踊団でディプロマ取得、2018年からはオスロのグルソムへテン劇場の活動にも参加。作品タイトルは「Yo Viviré」(ダンス)は、今回のメインテーマを素直に表現した作品となった。
 次に一色眞由美さん
 1977年マーサ・グラハムコンテンポラリーダンススクールにに留学、ケイタケイさんらに学んだ。78年の帰国後も国内外での公演、指導に携わりミュージカルの振り付け等もこなす。近年は主としてソロ活動に取り組んでいる。今回の演目は「在 れ」(ダンス)である。テーマは、既にとうの昔に神を喪失した現代人である我々は、存在の無根拠性に遭遇し神を信じていた時代のような存在論の根拠を失っている。即ち根本的にアイデンティファイ出来ない状況に在る。その不如意の中で生きると言うことは即ち、我らは何処から来て、何処へ行くのか? 我ら・ヒトとは何か? という根源的問い掛けをし続けるということに他なるまい。その苦しく頼りない在り様の不如意の央から存在の根拠を求め願う、実存の寒さに顫え乍ら祈る行為にも似た、力強いダンス。
 3作目は15分間に圧縮された金達寿「玄海灘」より。玄海灘を上演する会が上演、大作の訴えたかった本質をよくこれだけコンパクトに抽出したと感心させられた。それもそのハズ、演出は東京演劇アンサンブル代表の志賀澤子さん。差別の何たるかを朝鮮併合後、大日本帝国が採った皇民化政策によって日本人とされた朝鮮族差別は、その大義名分とは逆に被差別民であることを強いられ続けた史実であり、現在へも続く差別である。その本質を、その複雑さを含めて見事に浮彫にして見せた。(演劇)
 トリを飾ったのがイスラエルから来日のダニエル・エドワルドソンさんとドール・フランクさんが共同制作したパフォーマンス。下着1枚で後ろ姿を晒す所から始まるパフォーマンスは「Clouds」と名付けられた作品だ。言語に成る前の音としてのアモルフな音声を音響効果として用いた点で、6月21日に演じられた「」(はく)に出演なさった赤い日ル女さんの唱法に似ている。ダニエルさんらは、ヘブライ語や英語の言語化される前の状態を多く用いた点で異なるにせよ。
 タイトルを日本語に訳すと「雲」になるだろうが、アパルトヘイト国家イスラエルのアーティストが演じると、体の震えや言語以前の音声は、シオニストによって追放され、圧殺され、日々の圧政に苦しみ、土地、水、人間らしく生きる為の総てを奪われ、拷問に掛けられる多くのパレスチナ人の苦しみそのものに見えたのは、イスラエルの対パレスチナ人ジェノサイドの実態を知る者にとっては極めて自然な観方と謂えよう。彼らが表現したかった雲のイマージュがBaudelaireが「LE SPLEEN DE PARIS」冒頭の詩「L'Étranger」で表現したような意味を持たせたかったにしても、国家がやっている事実は誤魔化せないこともまた事実なのである。心あるアーティストにとって悲しむべきことではあり、また観る側の我々にとっても極めて残念なことであるが。
 以下原文を載せておく。フランス語としては易しい詩だから一所懸命学べば半年もあれば充分読めよう。
L'Étranger
— Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ? ton père, ta mère, ta sœur ou ton frère ?
— Je n’ai ni père, ni mère, ni sœur, ni frère.
— Tes amis ?
— Vous vous servez là d’une parole dont le sens m’est resté jusqu’à ce jour inconnu.
— Ta patrie ?
— J’ignore sous quelle latitude elle est située.
— La beauté ?
— Je l’aimerais volontiers, déesse et immortelle.
— L’or ?
— Je le hais comme vous haïssez Dieu.
— Eh ! qu’aimes-tu donc, extraordinaire étranger ?
— J’aime les nuages… les nuages qui passent… là-bas… là-bas… les merveilleux nuages !


寝盗られ宗介

寝盗られ宗介

★☆北区AKT STAGE

北とぴあ つつじホール(東京都)

2022/07/06 (水) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 つかが己の劇団責任者しての位置を宗介に被せ、戦国期から登場した歌舞く者、即ち名詞としては江戸の歌舞伎に連なった概念を、歌舞くを動詞として演劇作品に仕立てた作品と観た。この作家の精神を見事に汲み上げ,
つかの持っていた天才としての才能を今作の舞台表現の随所に鏤めた演出、この演出にキチンと応えた役者陣の殺陣を含めた演技に心から拍手を送る。 ベシミル!

ネタバレBOX


 つかは基本的に脚本を残さないという姿勢で演劇に関わった人だった。遠慮のない口の利き方を先輩作家・劇作家に対してもしていた。その態度を彼が存命中、作品を観もせずに嫌っていた自分は、今作は今回初めて知った。彼の死後、つかと関わっていた方々とも知り合い彼の作品を観るようになって上演回数の多い作品は拝見してきたが今作はそれほど上演回数は多くない。だが、恐らく今作を深く理解している北区の北とぴあに関わっている人々の作家個人に対する付き合いや亡くなって以降の更なるつか及び彼の残した作品への追及への成果が今作に見事に現れている。作った側としてマダマダ未完成という想いはあろう。然し乍ら努力の成果はキチンと現れている。此れ迄の努力に応じ、考え得る高い完成度と単に上手いというレベルを超えて個々の役者陣のわざとらしさを感じさせず同時に観客の心を鷲掴みにした演技力の高さ、幅、深みに酔いしれることができた。感謝する。
畳屋のあけび

畳屋のあけび

CROWNS

シアター代官山(東京都)

2022/07/06 (水) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 敗戦後12~14年後辺り迄を描いた今作。敗戦直後を描いた作品は数多いが、この時代を描いた作品はかなり少ないのではないかと思う。物語は朝鮮戦争特需で日本経済が持ち直した後、公害が騒がれ始めた1957年頃から1960年1月19日の安保条約改定直前迄の世相を若い新進作家夫婦を中心に様々な世代の生き方、考え方、各々の生活様態をゆるぎない筆致で脚本化した。厚みのある作品である。(追記7.19)華5つ☆

ネタバレBOX

 新進作家自体が面白い。某著名作家・菅原のゴーストライターをやっている。というのもこの作家・多々良聡一が住む家は不思議な家で亡くなった先代が徳のある人で自分の子と戦災孤児たちを兄弟姉妹同様に育てた関係で先代亡き後も長女が大家となって血の繋がらない妹たちも2階に住まわせるなどして何くれとなく面倒を観て居たのである。多々良も一種の居候であった。その多々良の書斎に2階に住む秋子の経営する店で働く小春が酔って押し掛けてきた。水商売をやっているとはいえ、純でひたむきな所のある小春に多々良は惹かれてゆき、遂に結婚するに至る。この間、多くの戦友を意味も無い戦争でむざむざ殺され生き残った漢気の強い元伍長は、安保改定に反対であり、元部下と共に叛旗を翻そうと動いているようでもあった。
 一方、大家の実妹は、戦後一時吉原に身を沈めていた。恋人がピカの後遺症を気にして失踪してしまったのが原因だった。偶々自分の元の家の近所を通った彼女を見掛けたとの知らせもあり、住人挙って妹を探し見つけ出すことができた。「自分は汚れてしまった。もう戻れない」と嘆く妹に姉は、「あんたは、生き抜いたんだ」と励ましそれが最も尊いことだと諭す。この優しさが素晴らしい。これらのサブストリームが時代の暗部をキチンと照らし出し作品を重層化すると同時に多々良の広島の厳しい叔母が小春の人定に上京するという。多々良の部屋は何時でも誰かが屯するような部屋であったが、皆オメデタの為に、遠慮すべき所は遠慮し手助けすべき所は助けて、何より小春自身の気立ての良さ、裏表の無さ等をキチンと評価した叔母は2人の結婚を許した。然し、多々良が粗筋を書き菅原が完成させた小説が大きな賞を獲った。多々良自身の実力が証明されこれから愈々新進作家として活躍、という段になって多々良の若年性認知症が発症した。若い分、進行が早く多々良は、小春の名さえ思い浮かばなくなることがあった。そんな中、彼は最後の小説を仕上げに掛かる。原稿と向き合っている時ばかりは、認知症の症状が不思議と出ない。小春は傍らにいつも寄り添い、夫の傍らでなにくれとなく世話をし、話相手になっている。小説に描かれた畳屋の所帯の前には、この住いと同じあけびの木がある。
バカの声

バカの声

ツツシニウム

キーノートシアター(東京都)

2022/07/01 (金) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 公演終了後に詳しいことは書く。然し乍ら、現代の病巣を鋭く抉った手口は鮮やかなもの。お勧めである。
 舞台上の3面総てに紐で作られた網目状の物が巡らされているが、無論我らを取り巻き、絡めとろうと張り巡らされた電網空間の象徴であることは明らかだろう。感の良い人なら、これだけヒントを出せば本質は簡単に掴めよう。お約束の追記7.20.若干重複する部分あり。華5つ☆

ネタバレBOX

 ミノルとユウは飲み屋で知り合い意気投合、ミノルがユウに心を開けたのは彼が全盲で而も感が良くデリカシーもあって、何となく自分を曝け出しても良い、と感じることができたからだった。ユウは誘われるままミノルの住いに立ち寄る。ミノルの仕事は依頼を受けるとターゲットにされた人物の個人情報を徹底的に洗い出しSNS等にアップしてターゲットの人生を目茶目茶に壊すことだ。こんなミノルは7年前、家を出た。父が父に恋した女生徒・ヨウコの色仕掛けも告白も受け入れなかった為、ヨウコは父が彼女にセクハラをしたと訴え、父は無実を主張したが誰にも認められずに生徒達の目の前で自殺を遂げた。当然の結果としてミノルと妹のカホはセクハラ教師の子供として苛めに遭い妹は登校拒否、父の血を呪い、母と自分を置き去りに失踪した兄をも父同様毛嫌いしていた。ミノルは失踪後、7年間連絡も全く取らなかった。然し7年後のこの日、2人は駅前でバッタリ出会った。妹は売れない小説家の卵・ケイスケと付き合っており、デートの待ち合わせをしていたが売れない小説家である以上妹に負担を掛けていることを見透かされ「奢ってやる」と無理やり割り込まれた。
 ヨウコは相変わらず歪んだ心で今では人々を不幸に巻き込んでいる。唯己の悪を叱って欲しいという甘え故に。
 ミノルの家で時を過ごしていたユウは全く目の見えない境遇からヨウコの孤独を見抜く。ミノルの所へ何度も届いていた‟彼の正体を知っているぞ“との不気味な脅しを送って来た者の正体を、ミノルもユウの指摘から知ることになる。
 一方、ネット上で簡単なアルバイトを引き受けたケイスケは、ヨウコに嵌められて中身不明の荷物を届けたことによって爆発物事件に関わることになってしまった。何とか助かりたい彼はカホに縋り、カホは恨んでいる兄を自殺と見せかけて爆発物事件の犯人に仕立て上げ殺害する為兄の下を訪れる。そこで兄が妹に話したことは、父が無実であったこと、総てはヨウコの嘘の所為で父は自殺に追い込まれ、兄弟は苛めに遭って地獄を味わった経緯と事実であった。更にカホの計画も簡単に見破られてしまうことを立証、カホはケイスケに自首を勧め、彼をそれでも支える道を選んで兄の部屋を去る。カホの訪問中、ユウは手洗いに立っていて、カホが帰るのと入れ替わりに部屋に戻ってくる。残ったミノルとユウ、目の不自由なユウの為にミノルは言葉でこれから為すべき動作を指示しながらハグをし次に握手をする。即ち人としての友誼を紡ぐ。当然の事ながらヨウコは相変わらず独り、行く先は決まり切っていよう。
 ところで、今作ホリゾント、左右壁面には網のように線が張り巡らされている。この網は無論電網ネットに囲まれて生活する我らの空間を象徴している。だが、タイトルに現れるバカの指し示している対象は誰か? 表層で眺めるならヨウコの嘘に他愛もなく騙された世間、即ちネットを利用したフェイクに真偽も根拠も事実関係や因果、動機等々最低限客観化せねばならぬことをせず、名指された対象者を根拠なく指弾するミムメモの群れと取れるが、果たしてそれだけだろうか? 寧ろ作家が、これらの状況総てをメタ化することで登場人物及びそのキャラが描いている総ての人々(除外できるのはユウのみ)が電網世界で電妄に踊らされている姿なのではないか?

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

IDTF2022 7.5 19時 シアターX
本日の出演は3組

ネタバレBOX


 初めにフィンランドから来日のヴィルピ・パハキネンさん。筝の森稚重子さんの生演奏との共演だ。筝は十七弦他二つの筝を用いた。作品のタイトルは「Solos」。2人のアーティストのSoloが重なるという意味でも具体的にダンスが蜘蛛を描いた作品とモルフォ蝶を描いた作品2作によって構成されていることも含めて複数のsが付いているのは象徴的だ。
 ヴィルピさんは2000年のIDTFに参加して以来2度目の出演で、本来前回2020年の第14回IDTFに参加を予定していたがCovid-19の影響で参加できずその時のメインテーマは“『蟲愛づる姫』(「堤中納言語」に所収)とBiohistory=生きものの物語”と題されていた。当然そのつもりで今回演じられた2作品を準備して『蟲愛づる姫』に参加を予定しており、主催者側が今回のコンセプトとも関連があると判断、発表作品を変更することなく演じられた。
 構成は2部に分かれ、1部では蜘蛛が2部ではモルフォ蝶が演じられた。筝は十七弦筝を1部の演奏に、通常サイズの筝を2部の演奏に用いた。森さんは作曲もするので、上演作品の為に作曲。フィンランドと日本で各々が独自にを作った作品をネット上で交信してみると波長がピタリと合ったのであった。拝見・拝聴し乍ら感じていた量子の重なり合いというようなことが2人のアーティストの間で実際に起こったのかも知れない。ダンスは、形態模写を基本とするように見えつつ、もっと遥かに深い命の根のような所で息ずく生命そのものの波動(例えば電子)と存在(例えば粒子)を同時に表しているような形象であり蜘蛛では筝が、モルフォ蝶では森さんとルイ・ヘルナンさん、コルテス・マヤさんの音響が用いられ呼応した。また衣装は、蜘蛛では黒ベース、モルフォ蝶ではブルーベース、見事であった。
 次の出演者・藍木二朗氏はソロ。コーポラルマイムやパントマイム、モダン、コンテンポラリーダンス等をやってきた人だが、今回の発表作「バイオポップ」では、ルネサンスを独自解釈している点では以前書いた女性コンテンポラリーダンサーの浅野里江さん同様だが、浅野さんのRenaissance解釈とは無論全く異なり、映画バイオハザードやゲームの視座を取り込んだという。Renaissanceにしては発想が余りに安易に感じられたのは、男性は日常的に己の身体を女性ほど強く意識せずに済むからかも知れない。
 トリを飾ったのは矢張り女性ダンサー清水知恵さんだったが、タイトルは「Voiceless Whisper」。人間環境学の研究もして博士号も取得、大学教授でもある。使われた曲はグレツキの交響曲第3番第2楽章「悲歌のシンフォニー」。流石インテリの知的で深く更に純度の高いダンスと感心させられた。それは研究と、重ね合わせ可能な量子的世界やボードレールのコレスポンダンスの世界を綯い交ぜたような世界であり、身体表現であるダンスとより緊密に而もより照応して波を形作るような表現と感じたのは自分ばかりではあるまい。この点では本日初めに演じられた「Solos」とも共振しているような気がしてならぬ。

正義の人びと

正義の人びと

オフィス再生

六本木ストライプスペース(東京都)

2022/07/02 (土) ~ 2022/07/05 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 久しぶりにカミユをまた読みたくなってしまった。本当に深く考えさせる作品。華5つ☆(追記7.15)

ネタバレBOX

 Albert CAMUSの原作「Les Justes」をオフィス再生の高木氏は今回上演の為訳し直している。自分は初見であったがオフィス再生が今作に取り組むのは4回目だ。今作を拝見した感覚から言うと恐らく過去3回の公演に於いてもその時節、時節の社会状況を反映した素晴らしい作品であったであろうと思われるが、初演は1949年12月15日パリで初日を開けた。因みに今回開演中殆どの場面で背景にタイプライターを叩く音が入っているが、これは作家CAMUSが原稿を書いている音でありタイトルのJustesでJが大文字で書かれているのには意味がある。第2次大戦中フランスは開戦直後から4年に亘ってドイツに占領され傀儡政権も機能していた。この状況の中で迫害されたユダヤ人を匿った人々を指す特別の意味が付与されている為大文字が用いられているという。
 今作の時代設定は1905年2月のロシアである。モスクワ総督を務めていたセルゲイ・アレクサンドロヴィチ爆殺事件という史実をベースに襲撃側・社会革命党(エスエル)の内部事情を主として描き、神無き時代、存在する為の正当な論拠を一切持たない我らヒトは何処から来、何処へ行くのか、我らヒトとは何か? との難問にも答えられぬまま、飢え、寒さに震え、圧政、投獄等の弾圧に苦しむ民の側に立つ者は憎しみを以て為政者に対するのか? 或は公正や愛や正義を以て対するのかを巡る大論争が爆殺実行犯となった詩人、カリャーエフ(後者)と投獄後脱獄したステパン(前者)の間に巻き起こり、観客に深く考え込ませる。ここでこの2人に絡んで非常に大事なキャラ爆弾製造人のドーラが登場する。彼女はカリャーエフを愛しその愛は実存的であるが、カリャーエフの彼女に対する愛はより社会的・観念的である。役者陣は総数6名、内男性は1名のみ(作家役)、他は総て男性の役も女優が務める。実力派の演技人ばかりなので女性が内側に持っている男性性を上手に紡いで女優が男性を演じる違和感を感じさせない所は流石である。また今作上演会場となった六本木ストライプ スペースの特異な形状を上手に、効果的・象徴的に用いている点も、舞台美術・照明や音響効果の用い方と達者な役者陣とのコンビネーションを緻密にセンス良く組み合わせた演出と共に評価したい。中央上部から階段の段側を観客に見せて降りて来る踊り場を経て真反対方向に下る階段の背が下段に見える。この特異な構造が床面から立ち上がっているのが面白い。下手側壁にはモスクワの道路、通路が描かれた地図と地図上に大公らの写真、そして下手客席横にはロシア語の新聞等が貼られている。階段手前やや上手に丸テーブル、テーブル上に粗末なポットとカップ1つ、椅子。出捌けは上手奥の会場出入り口。ホリゾント側の袖。階段上部で見切れに成る場所。下手ホリゾントに接する一角にタイプライターとそれに向かい合うように置かれた椅子。縦長の姿見が数個それとなく散在している。
 ところで、今作で日本人に分かり難いのがエスエルメンバーがそれまでのヨーロッパで人間存在を支えていた神に因る創造という存在論の神学的根拠を既に壊れたと判断して居ながら、弱い者の側に立つ為の根底的な論理を存在の根拠にではなく来るべき理想に求め、それを手に入れる方法としてテロを選ぶ訳だが、その際に必要となる己自体の存在の論拠が既に瓦解した央に首筋をシャンと伸ばし未だ訪れない理想に向かって必死に自らの正当性を鼓舞しようとする思念の姿にしかないこと。その脇に常に寄り添い、あわよくばこの思念を飲み込んでしまおうと張り付いた怪物が居ることを。そしてこの怪物の名を言わぬが為に首筋をあくまで伸ばし頭を高く掲げて己の正当性を主張しようとしていることの意味を。これこそ、例えば先に挙げたカリャーエフの観念的イデオロギーの露呈する浅さであり、彼ほど整合的・論理的では無い乍ら「我らは何処から来て何処へ行くのか? 我らヒトとは何か?」という有史以来誰一人答えを出し得ていない問いと戦う実存的問いを発しているドーラの位置である。而もその彼女ですら、次の実行犯として自らが立とうと決意している点に、ロシア革命に繋がったと歴史的評価をされるこの事件の真に考察されるべき所以がある。そして我々が今、当に彼らの置かれていたのと根本的に搾取構造も人々の知恵のレベルも本質的に変わらない社会に生きているが故に、今作に深く触発されているのだという事実を。

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 何れの公演も、板上に大道具は無い。フラットな空間である。2つのダンス公演で観客はダンサーの身体の動きや、小道具、音響や照明効果を通して自由に想像力の翼を広げることができる。

ネタバレBOX


 CDS OSAKAは大阪発祥の個性豊かなダンスの発信を主目的とした発表の場・Creative Dance Showcaseの企画から生まれた。ダンサーたちの構成はストリート、ジャズ、コンテンポラリー等から成る。今回の演目は「記憶の青-Microplastics Dance-」。気候変動問題で国連事務総長のグテレス氏が「世界は燃えている」と危機感を表明したばかりだが、生態系に及ぼすプラスチック塵の深刻さは、この問題に勝るとも劣らない重大問題である。背景に流れる音楽は、この問題を真正面から取り上げる歌詞、ブレイクダンスで世界チャンプに輝いた経歴も持つダンサーSHUNJI氏が深い海やコバルトブルーに輝く一見何の問題も無いかに見える海でのたうち回る生命のけったいな有り様を形象化するのと同時に巨大な漁網に絡めとられる海洋生物たちの姿が表現されるインパクトは凄まじい。そしてその海には、人間の力で処理しきれない放射性物質が日々世界中で垂れ流されているのである。何と罪深く愚か而も情けない生き物であることか、人間とは! この事実を痛切に問い掛ける。

 2作目は武術的ダンスというコンセプトで表現された「light」加世田 剛氏のソロである。映像と舞台を融合させたパフォーマンスグループ・ENRAのメンバーであり、全米武術大会で3度優勝の実績を持つ。パソコン作業用の椅子を用いたパフォーマンスで必ず固定した部分を作り、他の身体部分を用いて表現に繋げるというスタイルで踊った。西洋のクラシックなダンスと身体の用い方が決定的に異なる点があるが、無論格闘技である武術の身体用法から来ており、素人が真似すると危険だからその差異は示さずにおく。参考までに大山倍達がダンサーが喧嘩をやったら強い、と言っていたことを記しておこう。ブレイクダンスの動きにはカンフ―やカポエラが取り入れられていることも知っておいて損は無かろう。

 トリは宇佐美雅司氏の「Listen to the He:art Where is the truth?」ジャック・プレヴェールの「おりこうでない子どもたちのための⑧つのおはなし」を独自に構成、演出し出演したが、自分はこの作品を読んでいないので評価まではしないでおく。何れ読んだ後に何かが書けるかもしれない。
第10回西谷国登ヴァイオリンリサイタルSpecial!

第10回西谷国登ヴァイオリンリサイタルSpecial!

西谷国登リサイタル

浜離宮朝日ホール(東京都)

2022/07/03 (日) ~ 2022/07/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 西谷さんの10回目のヴァイオリンリサイタル。

ネタバレBOX

本当なら2年前に上演されるハズだった10回目のリサイタルがCovid-19の為、中止となってしまった。西谷氏の落胆・やるせなさ、そして先の見えない中でのインセンティブの低下やボディーブローのように効いてくる経済的苦悩、と思うように表現し得ない状況に対する苦悩は真剣に表現しようとするアーティスト総てが抱えてきた大問題であった。と同時にアートを日々の糧とする我ら愛好家にとってもアーティスト本人たち程では無いにせよ、深刻な飢えを齎してきたのだということを、このコンサートを聴くに及んで改めて痛感した。
 元々フルオケの為に作曲されたヴァイオリン協奏曲2曲を弦楽合奏版に編曲し直し今回の演奏に至ったのが第1部。無論、2曲共に世界初演である。初めにM.ブルッフヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26の「弦楽合奏版(2020)」、2曲目がC.サン・サーンスヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61「弦楽合奏版2020」無論、こちらも世界初演。何れも西谷氏が2020年に予定されていたコンサートが中止の憂き目を見、1カ月朝から晩まで掛けて編曲した作品である。連日我々の体温を越すような猛暑の続く中、西谷氏の正装でのアグレッシブでサンパティックな弾き振り、彼が信頼する弦楽演奏者らの見事な呼応は、改めてクラシックの上質な生演奏に飢え且つ求めていた自分のヒートアップを宥めてくれた。休憩を挟んで新納 洋介氏のピアノ、西谷氏のヴァイオリンでC.フランクの「ヴァイオリンソナタイ長調(1886)」
 Covid-19は収束していないから、アーティストとの終演後の面会等は一切禁止ということもあって、出演者全員登壇の撮影タイムが設けられた他、極めてスピーディーで興の乗る曲がアンコールで奏され、西谷氏のサービス精神の真骨頂をも示した。余りに聞き惚れて、帰りは指定順に退場で自分の場合かなり退場時までに余裕があったのに椅子から立ち上がる際によろめいてしまった。単に年齢のせいではなく明らかに精神を集中し過ぎた為であるのは明白であった。
遺作

遺作

男〆天魚

ザ・ポケット(東京都)

2022/06/29 (水) ~ 2022/07/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

華4つ☆

ネタバレBOX

 本番迄1週間。役者、演出助手は追われていた。果てしの無い切迫感と焦り、ところで何に? 見通しの立たない状況にである。未だ原稿が上がってこないのだ。入稿済みはオープニングのみ。それも三流劇団の、否歯牙にも掛からないような駄作という以外、現時点では評価の仕様が無い代物なのである。無論、今後の展開次第では、わざとそのようなオープニングにしてあることも考えられるが、推理作品。それも19世紀前半の貴族階級の間に巻き起こる殺人事件? 或は自殺。その真偽を確かめるべく登場人物の中に私立探偵、助手、そして警部がおり、獣医師も居る。
 作家に連絡のついた最後の時点では「新たなトリックのアイデアが浮かばず頓挫状態にある」とのことであった。脚本が無ければ演ずることが出来ない。出演者の数は客演の方が多い。詰め寄る客演俳優たちの追及に演出助手は咄嗟に嘘を吐いた。「漸く連絡が付いた、物語の流れはある程度掴んだということのようである」であれば30枚程度は何とかなるのでは無いかということでその場はひとまず収まったのだが。
 板奥は一段高くなってホリゾントに接しており、この一角に木製のしゃれた丸テーブルと椅子、目立たぬように箱馬。何れも落ち着いた色調である。この段の下手・上手が出捌け。上手出捌けの客席側に背丈の高い木枠。木枠上部から首吊り用のロープが垂れ下がっている。
 以上の文章の安定感の無さからも分かるように、各要素に全体的な調和が欠け、ミステリーなのにコメディー要素が入る、場面にそぐわぬ誇張が目に付く。死体発見時に履物に仕掛けた笛が鳴る等々の茶化しが入る等々、作品への破壊工作が至る所に仕掛けられていてわざとらしさが鼻につく。
 このしっちゃかめっちゃかが大団円に向けて収束してゆくのだが、一応ミステリーの体裁を採り上演中の作品でもあるので詳細は省く。だが中盤から劇団員たちと客演たちとの関係を結んで行く仲介者の働きを通して各演者の演技がキチンと生きて働くようになると共に、脚本が上がらぬ中での公演中止を避ける為に試みられた華やかで切れの良いダンス等の試行錯誤、最終盤で幾重にも重ねられたどんでん返しや、気の利いた悪戯を織り込むことによって、とどのつまり、芝居は役者の力量が高ければ何とかなるものだ、との結論を導き出している点は高く評価したい。
第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 14時半からはダンスパフォーマンス等4つのグループが演じた。

ネタバレBOX

 先陣を切ったのはグローバルカルチャー那須「日本の音とおどりスペシャル」このグループは日本舞踊を時間的にも空間的にも広げてゆこうと志す人々の集いである。実際に日本の舞踊家同様オーストリア出身の女性が和服で日本舞踊をソロで舞い、日本の舞踊家はソロ或はデュオで舞うが、時に剣舞を扇を用いて舞い、切れも優雅と華やかさも兼ね備えた踊りに鉦、篠笛、尺八、鼓等の生演奏が実に心地よい。
 続いて登場したのは中野ちぐささんの作品「花ハ散リ種ハ飛ブ」ローティーンの少年、少女も参加し自然の中での総ての生き物の、生命のサーキュレーションを描いた作品。無論、IDTFのコンセプトに沿って作られた作品である。タイトルにカタカナが入っているのは、現代日本の抱える社会的歪みをひらかなの持つ柔らかさではなく、カタカナの持つ硬直性というか非柔軟性で表して居る気がする。生命は基本的に温かく、柔らかい。例え表面は硬くてもその初めの形、例えば卵の生命に直結する部分は柔らかで流動的である。
 三番目は若手ダンサー、品田彩さん・大淵水緒さんのデュオ。タイトルは「鼓動の記憶」尚お二人の共演は今回で2作目。現代日本に生きる若者らしく命じる側の非科学性や不合理が余りにも明らかな故に不合理そのものと化した規制・規則・強制される規範や情報操作、フェイク等々の擬制・欺瞞に対し脈打つ鼓動を通しての切なる命の表現。
 どん尻に控えしはむつみ・ねいろさんらのデュオ「夢で会いましょう」。最初からハイテンションで始まったダンスは日常の中に殆どシュールに飛び込んで来た、実に日常的なのに大きな違和感を伴った花を活け大きく四角い箱を背中に背負い自転車に乗る女性の出現に対置される。メインのダンスを踊る男性は何時しか下着一つになり調和のとれたクラシックの名曲にそぐわないダンスを踊っているが、これが極めて滑稽で背の荷物以外は極めて日常的で全うな自転車に乗った女性の動きに対して生き物としてピエロ的存在でしか有り得ない♂を表しているようで愉快である。(チョウチンアンコウの♀と♂を比較してみるまでもあるまい)。このアンバランスな男と女のカップルがラストシーンでは板の離れた位置から徐々に近寄り遂には寄り添う。
第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

アーサー・ビナード『詩の食べ方』2022.6.16 シアターX
 シアターXが2020年11月30日から始めた「詩のカイ」の第9回目に当たるが今回は番外として催された。この「詩のカイ」、コンセプトはちょっと気恥ずかしくなるほど直截な表現だが以下の如くである。‟あらゆる芸術の根幹にある「詩」を知り、「詩」を考える“
 日本の最近の詩人の作品は余りに知に偏り素人には縁遠い作品が多くなったと感じる方々も多かろうが、米国出身で巧みに日本語を操るだけの言語力を持ち尚且つ真っ直ぐにもの・ことを観、且つそれを見事な日本語の表現として成立させることのできるビナード氏の詩、そして多くの詩人たちの詩に対する解釈のシャープで真摯な読み込みに先ず感心させられた。而もその知識や知性が人々の念を大きく乖離していないと感じる。実に楽しく、面白く、また示唆に富み、本質的な試みであった。
華5つ☆

もんくちゃん世界を救う

もんくちゃん世界を救う

U-33project

王子小劇場(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 お伽噺「桃太郎」をベースにした作品だが、この噺をどう解釈するかが最初の関門であるのは自明だ。現代の思考傾向に照らせば鬼ヶ島の鬼たちとは、即ちかつて現為政者に連なるような勢力或はイデオロギーに敗れた勢力であり、負けたが故に被差別者として機能させられてきた人々の集団であると捉えられる。鬼即ち邪悪・凶悪であり、勧善懲悪説の悪者である。従って退治されるのは当然である。何故ならその者達は悪に過ぎないからである、と斯様な意識の下どんなに酷い仕打ちを「正義」から受けようが「正義」が批判の対象となることは無い。
 上述のような立場から今作を観る者にとって今作は極めて哲学的な作品であると言わねばならない。その哲学が結果的に至り着いている地点は、少なくともサルトルが至り着いた主要な地平の内、最も大切な地平のレベルの1つである。(追記6.27 )華5つ☆

ネタバレBOX

 板上の舞台美術は奥に高い段そのセンターから迫り出す突堤のような低い段。高い段の奥の中央に出捌け用のスペースをとって書き割が立てられている。下手の書き割には樹木や太陽が。またホリゾント、側壁にも樹木が描かれ自然を象徴している。上手の書き割にはビルディングに雲が。下手とシンメトリックにホリゾント及び側壁に人工を象徴するビルディング。書き割の手前には大き目の箱馬が1つずつ置かれ色はそれぞれ青と赤。オープニング場面では巨大な桃が突堤の根元真ん中辺りにデンと置かれている。
ちょっと変わっているのがストーリーテラーとして1人女優が登場することであるがこの演出はお伽噺の新解釈を提示する仕掛けとして作家が問題提起する姿勢を示しているようでもある。
 さて今作では桃太郎に登場するキャラを3つの属性で示したが、誤解や誤認を避ける為各々の属性に従ってグループ分けしておこう。桃太郎≑もんくちゃん=A、鬼(自己主張できない者達を差別し隷属化して得意になっている者達)≑赤鬼・青鬼=B、犬・猿・雉≑犬井・猿渡・雉谷(優しさや引っ込み思案、自身喪失によって自己主張できない者達)=Cとする。
 登場はしないが筆者が想定する為政者(地域内)=D,地域外=E。まず物語の具体的問題提起の主体となる鬼・Bの属性とされる凶暴性や力を背景にCはBに支配され鬱憤を募らせている。おじいさんは、リクルートしたもんくちゃんを旗印として負のエネルギーを集め変容を目指している模様である。文句を言うという一歩踏み込んだ行為を異見・意見を謂うという発想に切り替えた時、C達の反逆は成果を見せた。然し乍ら自らの主体を賭けて真に為すべきことを自分の頭で考えた訳でもなければ、自らその思考の奥の奥迄探索し究極の答えに辿り着いてそのような変革に携わった訳ではないCグループは、必然的に己の位置をも、また社会という人間存在の根底的基底にも触れることなく一種の暴発をしたに過ぎなかった。結果的にその批判は行き過ぎ、瓦解する。当然、Bらはフェイクや情報操作という手法を用い新たな攻撃を仕掛けてこよう。そしてC達己自身では思考というレベル迄到達することが出来なかった者たちは再び元のもんくのカオスに逆戻りするであろう。この経緯を観察していたAは、己の頭を用いて考えることを悉り遂にC達自身をも救い得る唯一の道を見付けることに成功した。その道とは、各々が自ら負った条件の下、その苦境の中で自らの行動、思考、状況や諸関係の検証を為し、その内面に還って自らの自由や生死の問題にも直面。この試行錯誤を経て遂に自由の本質と己の根源的欲求に気付き、自ら自身の選択によってしか成否は決定できないということの意味する所を悉る。このことによってしか、責任を負うことも恥じぬ行いとして自らを生きることも出来ないという人間存在の原義を実践し得る。それがタイトルに込められた世界を救うことの意味だ。
 些末的なことを謂えば、Bたちも所詮雇われている弱者であるに過ぎず、恰も自分達の意志や知力でC達に憂き目を見せていると勘違いしているB達を差配しているD達が存在するのが現実であり、そのDを従えている力Eが存在している。丁度我らの味わっている日々の状況そのもののように。だが、今作の提起したAの結論はDにもEにも対抗し得る力なのである。
 もんくちゃん役のゆでちぃ子さんが何とも言えないキュートな魅力を発揮しているのは、こういった真の強さを秘めているキャラからであるように思う。
たぐる

たぐる

ここ風

テアトルBONBON(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 中盤迄軽めに推移してゆく舞台の雰囲気は、世界中が右往左往してでもいるかのような昨今の情勢で日本人ばかりは相変わらず極楽蜻蛉のような風を装い、その実、内部に有象無象を貯め込み爆発寸前の有様を描いているようで興味深い。後半の展開は、劇団の特徴を示しおとなし目だがちゃんとシリアスも組み込んでくる演出がグー。(追記6.25 20 時)

ネタバレBOX

 出捌けは下手手前に1カ所、上手中程に1、手前に1の都合3カ所。下手ホリゾントの壁には葉が茂りその手前に可成り大きなテント。その直ぐ上手に下段は単に階段とし上段には中央にテーブル、周囲に金属製の椅子数脚を置き夏のホテルの一角のような雰囲気を醸し出している。その上手壁際にキッチン等建物に通じる出捌け、これらの客席側が板部分である。
 物語は中盤まで軽めのタッチで展開する。現在この屋敷に暮らすのは元かなり腕の良い医師だった一花。間もなく40歳になる。テントの住人は前日此処にテントを張ったフリーランスのライター・瀬能で旅に関するエッセイや御当地のおいしい料理、レストランなどの紹介記事を書いている。ここにテントを張ったのは去年この家の主と知り合って意気投合し、いつでも来て到着が遅かったら勝手に庭にテントを張って良いと言われていたからだ。ところがそう言ってくれた家主は既に亡くなり今住んで居るのは彼の娘にあたる面識のない一花、そこで「怪しい人が居る」と一花から電話を受けた役場の翼がやって来て、丁度魚を突きにゆこうと銛を出した所を一花に見咎められ、煮炊きの為に組んだ竈石を撤去していた瀬能と一騒動が起きた。そこへ一花の親友である明日美、その息子・純、一花に命を救われた鶴がやって来た。久しぶりに集った人々の間に巻き起こる恋の鞘当て、軽い嫉妬やフラレた失望等々が軽いタッチで展開して行き、更に浜辺で評判のレストランから記憶喪失症の店員・ジョニーがデリバリーにやってくる。が、外国人で記憶喪失というジョニーの日本語は、ハチャメチャ。理解し得ぬような変ちくりんな代物。それでも人が集まれば何だかんだと噂話や思い出話が出る。そのようにしてさまざまな伏線が敷かれてゆく。
 他に浜辺のレストランのシェフ・島の得意料理はスクランブルエッグ、洋食のコックの腕前はこの料理の味で決まると言われるほど本当においしいスクランブルエッグを作るのは難しいといわれるが、この話題で彼が腕の良いコックであることが明かされる、因みにジョニーの作るカレーが絶品で常連の間ではジョニーカレーの人気が勝っており、2人のコックとしてのライバル意識も見もの。更にジョニーの記憶喪失事情についての詳細も挿入エピソードで明らかに。また、10日程前からサーファーパンツ姿の若くハンサムな九右ェ門という男がこの家に居ついている。彼はいつもサーファーパンツのみの姿で登場し料理が上手く性格も良いので女性、特に明日美には大人気である。そんなシングルマザーの母の恋愛モードに対する息子・純の反応が面白い。だが母の恋する九右ェ門、彼は何かを探していて時々ふいに居なくなる。また一花と彼女の父の誕生日は同じ日で、父と母が別れた理由、一花は父からは愛されていなかったのではないかとの疑念を持つが、父が存命中、心を許した人々とだけ一花の誕生日プレゼントを集めていたことが知らされる。最終盤、総てが収斂される中でで、父の一花への念、死因、九右ェ門の正体なども明らかになって幕。

ほおずきの実る夜に

ほおずきの実る夜に

藤原たまえプロデュース

シアター711(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 誰しもこの作品を観た後感じたであろう痛快感は、閉塞感そのものの現在日本への反発からだろう。元気を貰える作品である。華5つ☆

ネタバレBOX

 導入部、暗転中イキナリ女性の悲鳴、明転すると刺殺事件現場だ。天井からほおずきの橙色の方形が不気味に垂れ下がり、上手側壁はほおずきで埋め尽くされている。下手側壁の前には一升瓶のラックに載った神棚等。包丁が体中に刺さった人体、血だらけの身体が倒れた女の脇を跳梁跋扈する。そこへ現れたのは狐の面を付けた者が現れ刺殺犯に告げる。「あんたは運がいい、この村に居る限り人は決して死ぬことが無い」と。
 ところで、このオープニングは明日初日を迎える舞台の稽古である。2年前に上演する予定だった作品がCovid-19の影響で1年延び、延びた公演の中止の憂き目を見、今回漸く上演できることになったのだ。稽古が漸くひと段落つくかつかぬかの折、電話が鳴った。体調を崩し医者に診てもらっていた出演女優からだ。「陽性!」座員が崩れ落ちる。延期、中止で借金を負い乍ら頑張って漸く公演に漕ぎ着け、愈々明日初日のこの日、遂に公演は中止に追い込まれた。作・演を担当した博美は八方塞がりの中、13年振りに「有名女優になって金持ちになるまで帰ってくるなよ」と励まして送ってくれた故郷の島へ襤褸雑巾のような心を抱えて帰る。夏の近づく頃で車椅子で芝居を観に来てくれていた祖母の面倒も総て妹に見て貰っている。それが心苦しい。因みに「金持ちになるまで云々」は、送迎幕付きで二度も繰り返され、島と東京の人情や世知辛さの差異を嫌が上にも対比して効果的である。そんな中、東京のせわしなさに疲れ島へ越して来たミュージシャンや青年団のメンバーらで今年は夏祭りをするという話がまとまって、女優であった博美に船頭役が与えられた。初めは渋っていたものの、表現する者の血は滾る。引き受けることになった博美はスパルタ教育の稽古を強い、仲間たちも良くついて来た。愈々、明日本番の前日、演目の中心・阿波踊りの仕上げを終えたメンバーに役場からは祭り中止の命令。上等! 祭りをやらなけりゃ良い、とケツをまくった。痛快!
 役者さんの演技に関してはだるま座の剣持さんの間の取り方、対話の脱臼のさせ方、ずらし方、外し方等々上手いベテラン俳優の味のある、また観客の機微に瞬時にそして見事に対応する演技に見惚れた。
「星灯り〜2022ver.〜」

「星灯り〜2022ver.〜」

TEAM 6g

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華四つ☆ メインストリームとサブストリームの重ね合わせ方の上手さ、相乗効果をキチンと見極めて作品創りをしている点もグー。

ネタバレBOX

 舞台美術は基本的に殆ど変らない。日本で最も星が澄んで見えると雑誌に紹介されたペンションのダイニング・リクライニングルームでほぼ総ての物語は展開する。オープニングは小説の新人賞に応募している新米作家大橋夫婦の家という設定で始まる。亭主は傍から見ると優柔不断で何事に対しても受け身であるかのように見えるが、寧ろ警戒心が強く他者を自分の世界には容易に立ち入らせない頑なさを持っているように描かれる。例えそれが妻であってもだ。一方妻は自分の方を振り向いてくれない夫に対する不満が募ってゆくばかりであった。そしていつか2人で行こうと話した件のペンションへ旅立ってしまった。期間は1カ月、要は家出であった。
 脚本的に上手いのは、妻が孤立感を深めている状況の中で腰の痛みを訴えているシーンをさりげなく入れていることである。{この辺りTEAM6gの意味(恐らく6gは魂の重さ)を大切に作品創りをしているこの劇団の姿勢が見事に出ている。}メインテーマがこの夫婦の愛を巡る不如意にあるので作家自身の真の問題即ち何故大橋一樹は、他人に心を開くことができないのか? という問いには踏み込んでいない。あくまで夫婦を中心とした家族関係の話である。上演時間は2時間半を超え笑わせ所も満載だが実存の本質からは距離があると考える。
 物語自体の構造は、この小説家夫婦の不如意、殊に妻の抱えていた寂しさ、辛さを理解してやれなかった夫が、家出から戻った妻に辛く当たり彼女の抱えていた病に気付きもせず他界させてしまったことを後悔し、孤りペンションを訪れる中で、其処に泊まっている客達やペンション関係者との間に観た、ヒトとヒトを紡ぐ距離を前提とした人間関係の中で、尚求め合い出逢い別れる人間の、様々な様態を通して遅ればせながらもやや人間関係という網目を悉り始めるに至ったことで幕。
第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

第15回 シアターΧ 国際舞台芸術祭2022(IDTF)

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2022/06/16 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

IDTF2022 6.21公演
 The 15th TheaterX International Dance + Theater Festivalの6.21公演は3組のダンスパフォーマンスが行われた。何れも個性的な作品であり、音と身体のコラボレーションとして見事である。(追記後送)

ネタバレBOX

 最初に登場したのは意味を構成する前の音を用い実に深く多様な音声表現を行う赤い日ル女さんとアメリカ、セネガル等で多様なダンスを学び古武術、アートマイムを続けるパフォーマーの西尾樹里さん。タイトルは『    』ハクと読む。意味的には無題に近いが、ここに表現されたものは、当に意味が成立する前の言葉の芽・カオスと身体との類稀なるコラボレーションであった。赤い日ル女さんの発声はタイのカレン族、或はイヌイット、アイヌ等の発声法、古歌を聴くうちに彼らと様々な地域の発声法の類似性や言語以前のカオティックな表現にカオスの持つ深い豊かさ、深さ、未分化故の可能性に魅せられた為。そしてそのような表現を自ら追及する旅が始まった。独自の表現法は現在も模索・開拓し進行中である。10年程前迄はパーカッション奏者であったが、何か道具を用いなければ音楽表現にならないかのような状態に疑問を感じ、現在の表現法を編み出すこととなった。実際にこの方法で表現する者として聞いて下さる方々の前で演者となったのは6~7年前からだ。評者は、実際に彼女の表現を聴いて余りにインパクトが大きくこれほど多様な音声をヒトが作り出せることに驚嘆した! 小柄な方であるが、このような音声を発する為に例えば口を殆ど閉じて喉の奥を用いて発声したり、呼気、吸気と口の開き方や吐く或は吸う時の強度を変化させての発声などで獣の唸りのような音、風の強さや気象変化に応じて異なる風の音に似た音、その他の部位を用いて野に生きる様々な生き物たちの発する命の音、せせらぎや木霊等々を、時折入る静けさで際立たせながら深山幽谷さえ想起される音声は、言語化されない表現としてのダンスパフォーマンスと見事に呼応して演じられる、お二方ががっちり組み合い、交感する圧倒的パフォーマンスであった。
 次に登場したのはコンテンポラリーダンサーの浅野里江さん。メインテーマとして掲げられているのが21世紀renaissanceという所からヒントを得て、その史的意味(所謂西洋の中世にはキリスト教が極大化した結果、聖書に書かれていないことは真では無いとされ科学的知等は異端審問の憂き目に遭い殆ど根絶やしにされていた。ガリレオが弾圧されたのはこの所為である。ところがギリシャで隆成を誇りローマに引き継がれたこれらの知性は往時の交易・交流を通してアラビア語に翻訳されアラブ世界で更に発展していた。ヨーロッパの暗黒時代と謂われる中世、世界で最も発達した文明・文化を誇ったのはアラブ世界であった。その名残はヨーロッパの王侯がアラブ世界に憧れるゴシック・ロマン小説の表現にも如実に描かれている。ところで十字軍やそれに対抗する形で行われたアラブサイドからの反撃等との間にも相互理解を求める領主たちが居た。このような再交流の中でアラブ世界で更に発展したギリシャ・ローマ的文明はアラビア語からラテン語に翻訳されヨーロッパに入り込む結果を生みそれがヨーロッパに再び科学的知を含む文明・文化の再興を齎した。この歴史的事実をrenaissanceという)とは別の解釈をした。タイトルは「ありとあらゆる」。表現は日本神話の八百万の神と謂われるものは、神の転生の姿であるとの解釈が民俗学的な見解に在るそうで、その転生する神が現在も在るのであれば、その神は我らのITや科学技術の世の中にも何ら本質を変えることなく存在し続けているハズだ、との立場から紡がれている。従って音響はギターの爪弾きにバイクの擦過音や発進音が組み合わされた形になった。自分の立場は、可成り史実を重んじる立場なのでこの理論には異見があるが、それはそれとして独自の発想の下に創られた作品として評価したい。
 トリを務めたのはERIKO・HIMIKOさん。タイトルは「儒の花—answer—」である。着想は酒見 賢一の小説『陋巷に在り』から得ているという。春秋時代孔子の弟子であった顔回を主人公とした小説だ。
朗読ユニットさざなみ第二回日本公演in東京

朗読ユニットさざなみ第二回日本公演in東京

朗読ユニットさざなみ

金王八幡宮(東京都)

2022/06/19 (日) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 何れの演目も作品への深く的確で繊細な読み込み、解釈、そして演者の力量を示して見事である。(華5つ☆)僅か2日間、3回のみの公演だったのが残念。尚ネタバレに書かなかったが、中国で愛唱される「茉莉花~ジャスミンの花~」の歌唱と演者が出した中国の話から出来たとされる熟語を当てるクイズ等も間に催された。

ネタバレBOX

朗読ユニットさざなみ第二回日本公演in東京 2022.6.19 14時 金王八幡宮
 公演は渋谷の金王八幡宮の和室二つの間にある襖を取り払い、演者は社の庭から登場、板部分は庭に面した廊下を使用。和室と廊下の間は障子でし切られているが、登場時に間髪を入れずに開かれ敷居には点綴された光の帯。第一部では下手に朗読する役者、上手にフルートとギターの生演奏を担当する演者。天気も良く庭の緑が映えて気持ちが良い。下手裏には一枝に一重と八重の花が混じって咲くことで有名な金王桜が生えている。この桜の名の由来である金王丸は、鎌倉幕府を樹立した頼朝が金王丸の名を遺す為に鎌倉から移植させたと伝えられる。
 さて、朗読をする役者・中瀬古 健くんの紹介から始めよう。Covid-19の影響で現在、ユニットの相方は中国在、健くんは中国に戻れない状況が続いている。今回演出をなさった望月 六郎さん主宰のドガドガプラスに出演していたので御存知の方があるかも知れない。因みにこの夏、7月30日~8月5日まで「金色夜叉・改」を、また8月19日~8月25日まで「春琴SHOW!!」を浅草東洋館劇場で連日19時から開演し、中瀬古くんも出演予定だ。実に華のある役者なので観劇をお勧めする次第である。以下本日の演目、間に10分の休憩を挟んだ公演で上演時間は100分弱。
 しょっぱなは、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」朗読:中瀬古健 演奏:夜ヒル子 以下同
 賢治童話に登場する様々なキャラクターの声音を総て別の音域、声調、テンポで表現し而も賢治が多用するオノマトペもこの役者の想像力の働きによって実に納得のゆく音として造詣するので臨場感が物凄い。一郎はオルフェウスの如く詩人の特権である物や動植物すらをも魅了し精神感応を為すことができた為、ヤマネコやリス、樹々や草などとも会話を交わすことができるが、その人類の夢が恰も現在するかの如く立ち現れるから凄い。
次に中国唐代の女流詩人・杜秋娘の「金縷曲」を新宮出身の佐藤春夫が訳した「ただ若き日を惜め」を中国語と日本語で朗読。
 更に佐藤春夫が幼い女の子の様子を描いた『「の」の字の世界』を朗読。これは面白い作品でうたちゃんは、賢い子なのだが絵本等を与えても字を読まずに自分で勝手な物語を創作してしまい全く文字に関心が無い。これでは文字を覚える訳が無いと最初に「の」の字を一つだけうたちゃんと関連づけて覚えさせ、本でも新聞でも「の」を発見させる。うたちゃんは文字のみならず、カタツムリや庭で見つかったミミズが偶々「の」の字の形になっていたことから「の」という形に見えるもの・ことは総て「の」というコンセプトで統一し思考し始める。このことの面白さ、奇天烈、困りごと等が夜ヒル子さんの歌にも載り健くんの朗読と響き合いながら展開する。
休憩(10分)
第二部
 思えば日清日露以降日本は諸外国と戦争ばかりしていた。そんな年中戦争の時代に最も日本の為す戦争を冷徹に観ていた作家が居る。それが太宰治であろう。その太宰の「葉桜と魔笛」の朗読である。金王桜を下手裏に控えながら、中性的な雰囲気を持つ美形俳優の中瀬古くんが為す朗読は狂おしいほど切なく哀しい。太宰の独特の文体、読者と作家だけしか居ない世界を朗読を通して実現することのできた稀有な公演と言えよう。
 尚、第二部で楽器伴走は無い。
らくご芝居~「丹青の花入れと水屋の富」より~

らくご芝居~「丹青の花入れと水屋の富」より~

ThreeQuarter

JOY JOY THEATRE(東京都)

2022/06/18 (土) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 今回はスリークウォーターと深川とっくり座のMixing公演。初の試みだが、スリクオの定番のうち・時代劇。但し光物の登場しない時代劇である。脚本はとっくり座のひぐち丹青さん。演出がスリクオの竹原ぽんずさん。板上の舞台美術は基本的に書き割と幕等で構成され、出捌けも幕で袖を作ってある。基本的に上手・下手の奥に各1カ所、上手手前に1カ所だ。(華4つ☆、追記6.19)

ネタバレBOX


 作品は「花入れ」と「水屋の富」の二作。どちらも元ネタは落語。時代設定は江戸時代である。まずは「花入れ」から参ろう。
 とある古道具屋に花小路流家元・桜子と名乗る者が弟子・捨松と共に現れる。家元は承認欲求が極めて強く既に自らの名声は天下に轟いていると自認しているものの、実は誰も知らない。にも拘わらず知らないと通されれば暴れまくり訊ねた先を叩き壊してしまう程の暴れっぷりを見せる。一方、既に知られていると捨松に頼まれた人々が同調していれば忽ち新たな芸術思潮の先導者ででもあるかの如きラディカルな芸術論を展開する。元ネタが落語であるから、無論承認欲求の余りに強い人物を茶化しているのであるが、桜子の主張。その内容は新芸術思潮の論理に極めて近い。本質的で尖鋭な論理なのである。この辺りは今作全体が単に笑いを提供するのみならず、もう一つ表現する者として芝居に関わる人々総ての指向性とその念をも表現していると捉えた方が面白い。能に対する狂言、Baudelaireがそれ迄ヨーロッパ全域で隆成を極めたクラシカルな芸術観に対して唱えたモデルニテの重要性とラディカリズムにも通ずるレベルのものがあるのである。それを尿瓶で茶化している点に落語の深さもあるではないか! 無論これらの滑稽を左右する要となる人物がいる。古道具屋の遣り手おかみ・おときである。先ずは観て楽しんでほしい。
 第二話は下町庶民の住居・長屋の話「水屋の富」である。自分が小さい頃に暮らした矢張り深川の長屋でも似たような光景が日々繰り広げられていたものである。自分の体験は1955年頃の話であるが、今作の時代設定は上に挙げた通り江戸時代だ。長屋の暮らしは、隣近所も皆家族同然。そうしなければ暮らして行けない程皆貧しいからである。味噌、醤油の貸し借りは当たり前、他所の子が他家に上がり込んでいるのも当たり前、鍋、釜、寝具迄質に入っていて夕方下ろして来れなければこれらも無い。だから借りられるものは他家から借りたり米だけ持っていって一緒に炊いて貰ったり。
 そんな生活の中で水屋の熊五郎・おしまの夫婦が富籤を買った。最高賞金は千両。十両盗めば首が飛ぶ時代、大変な金である。ところで半月ほど前、新たな住人が加わった。おこんという名のちょっと粋な女である。また長屋では魚屋の寅松の女房おみつが大きな腹を抱えていた。こんな状況の中、岡っ引きの茂平次が名うての掏りを捜査の為長屋に新たに入居した者が無いか否かを調べにくる。似顔絵が無いか住人に訊かれた茂平次は、誰も顔を見た者がおらず、似顔絵も無い事を告げるが、おこんが魅力的な為、ホの字と為り、また様子を見に来ると告げて去るが。
 富籤が当たってしまった! 特賞である。熊五郎夫婦は腰を抜かすほどびっくりし、保全に走った。共同の厠へもどちらか一人が部屋に残らなければ行けない有様。だが、急に産気づいたおみつのお産の為長屋中が上を下への大騒ぎ、その隙に現れたのが件の掏り。はて顛末や如何に? オチが如何にも下町長屋らしい良い話である。

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