ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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幻夜

幻夜

観覧舎

OFF OFFシアター(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

満足度★★★

出口を求めよ
 その為にはSence of Wonderを入手すべし。頑張れ、応援している。少し、厳しいことを書くが、検討あれ。一所懸命チャレンジしていると信じる。

ネタバレBOX

 バタフライ効果など複雑系の発想を借りて来たり、随分ぺダンチックな装いだが、一体何が分かったつもりで居るのだろうか? 幻にしてしまうしかない自分達の不如意を、不如意が何処から来ているのかの追求もせず、居直っているだけのように感じられる。そもそも、複雑系が出て来た背景にあったものは、考えておく必要があったのではあるまいか? 今作の場合はカオスであるが、何れの複雑系であっても、それが系として成り立つ為には、その系が存在し、働く場が最低限仮定されなければならない。例え、思考主体がカオスの真央に在ったにしても、そして、手持ちの材料が、産まれては滅する不安定な何者かであったにしても、それらの変化が生じるに当たってその要素が認識される以上、存在を仮定してみるのが本筋、また変化する以上は、時間を仮定しなければならない。その上、時空が認識できるとすれば、それが、作動する場を措定しなければならないのは当然である。然るに、今作に於いては場の問題が総て捨象されているのだ。多少とも理屈でゆくなら、この程度のことは、フォローしてしかるべきである。而も、この点に経験など一切必要ない。必要なのは、物理と数学である。この点を押さえずに書かれたシナリオと観た。
 結果は、手垢に塗れた常套手段、夢に逃げ込んで居直っただけの陳腐な作品と言わざるを得ない。もし、上記に指摘した総ての事をした上でなら、内容はもう少し違ったハズである。そしてそのような作品を提出していたのであれば、オーソドックスな形の傑作を2~3作既にものしていなくても、アンチテアトルの作品の可能性を否定できなかったに違いない。自分が良く咀嚼したものを素材に使うことも必要である。無論、どんどん、新しいことにチャレンジし続けることは必要だが、出し方に気をつけられたい。

見た目、偏見、そりゃあ大変!

見た目、偏見、そりゃあ大変!

劇団おおたけ産業

北池袋 新生館シアター(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

満足度★★★

頑張れ
 全体に温かく、ほっこりした家族関係を描いた作品だが、旗揚げから二回目の公演で少し硬くなっていたようだ。こういった作品テイストであれば、両親役は、深い所でもっと安心感を他の人々に与えるような存在感のゆとりが欲しい。若い役者陣は、一所懸命でやっていることが、結果的に案外自然な演技に結びついていたが、今後は役作りをしっかりしつつも、常に精神を開いて、徹底的に率直に、もの・ことを観るという姿勢を忘れずに居て欲しい。その姿勢だけが、真に独自な表現者を創るからだ。

ネタバレBOX

 富岡家は地方の米作農家だ。現在は長男の健二が東京でサラリーマンをやっている為、父、守彦と母、紀子が就業しているが、忙しい時期には、妹の恵美が手伝ったりしている。因みに健二は30歳、そろそろ、身を固めて貰いたいと両親は望んでいるのだが、地元に居た時にはモテた験がないのであった。
 その健二が、連休中に女の子を連れて来るという。田植えのアルバイトと本人達は言っているのだが、妙に息のあったやりとりから、家族の誰もがひょっとすると結婚相手? と疑っている。女の子の名前は利恵子、21歳。素直で真面目な子なのだが、格好が渋谷のギャル丸出しで言葉もギャル語。それで、紀子は、近所の手前、非常に警戒している。一方、明日は東京へ戻る、という日迄、健二からは結婚の話も出ない。このままでは、両親に許しを貰うという初期の目的も果たせなくなるという直前、健二は、二人の本当の関係を告げ、結婚するつもりであると宣言する。守彦は、健二が、東京から戻り、田畑を継ぐつもりであることも告げると、反対する理由が無いと、即座に二人の結婚を認めてくれたが、紀子は、矢張り反対している。そこで、守彦は、理詰めで妻を説得。兄が戻って来なければ家で農業に従事しようと、自分を抑えていた恵美も、健二から自分の好きなことをやって良いと言われたことや、自分自身を表現する自由を利恵子から学び、東京へ出て漫画家になる為の専門学校に行くことになる。
売春捜査官〜ギャランドゥ〜/熱海殺人事件〜友よ今君は風に吹かれて〜

売春捜査官〜ギャランドゥ〜/熱海殺人事件〜友よ今君は風に吹かれて〜

JJプロモーション

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2014/01/07 (火) ~ 2014/01/12 (日)公演終了

満足度★★★★

創造の坩堝
 つか こうへい亡き後、良くその作品テイストを再現し得ている。つか作品に限らず、芝居に同じものは2つないが、つか作品は殊に、それが顕著である。つか自身、ずっと徹底した「演劇一回論者」であり、所謂、印刷台本は長い間残さない人だったからである。だからこそ、本公演が始まってからも毎日最低1時間は練習時間をとり、必要とあれば、その場で口立てして、演者に科白を入れ、それを本番の舞台で演じたのであった。だからつかの舞台はフツフツと創造の滾る坩堝だったのだ。それ故にこそ、史上初の熱狂を以て迎えられたのであり、演劇というより事件だったのである。その坩堝の滾る感じが、この舞台には隋所に見られた。よくここまで、と感心していたら、演出の逸見輝羊氏は、つか氏の作品に実際出ていた役者であり、今迄につか作品の演出もこなして来た、と知って納得した。
 また原作者、つかの持つ出自故の優しさが、フツフツ滾る舞台の隋所に嫌みなく描かれ、優れた舞台と言える。
 一点、或いは、わざとかも知れないが、音響のチェンジの際、もう少し自然に移行させた方が、良いかも知れない。音響のチェンジの点だけ気になったので、星5つにはしないが、良い舞台であった。
 

火消哀歌~冬空の木遣り唄~

火消哀歌~冬空の木遣り唄~

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2014/01/04 (土) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

満足度★★★

マンネリとの闘い
 時代劇エンターテインメントの型と人情を組み合わせるテクニックは流石だし、火消し衆の男気も格好良いのだが、矢張り、女性の扱いが、男の付随物的で気に掛かった。時代劇の要請としては必然なのだろうが、振り袖火事等を題材に、現代的とは言わぬまでも、通常の価値観と懸け離れたように見える価値観を呈示することは可能だろう。
 エンターテインメントが保守的であるのも気掛かりだ。マンネリは免れないからである。一応、お上が、民衆の事を一切考えず江戸を燃やし尽くしてから新しい街を作ろうと考えているという都市伝説が流れる辺り、アイロニカルなポーズを採って見せるのだが、江戸城迄延焼するに及んで、この話は単に都市伝説でしかなかったことになってしまっている。
 然し乍ら、現実の日本に於いて、民衆の言うこと、請願、要求など一切聞かないどころか、総て非常にダーティーな方法を用いて潰し、延々と民から搾り取る構造を維持して来たのが、この国の支配層である。安倍の周辺を詳しく調べて見るが良い。また、今迄起こって来た様々な事件の背後にどんな人脈が横たわり、それらの閨閥が何処でどのように結びついて日本を駄目にしてきたのか。エンターテインメントは、当に今、それを追求すべきではないのか? 高い志を期待したい。

摩訶不思議でふざけたコメディーミュージカル『豚デレラ』

摩訶不思議でふざけたコメディーミュージカル『豚デレラ』

『劇団 もより駅は轟です』

OFF OFFシアター(東京都)

2014/01/06 (月) ~ 2014/01/08 (水)公演終了

満足度★★★★

笑える
 轟 もよ子が袖に居る時でもキチンと演技していたのが、印象的だ。彼女が豚デレラ役なのだが、シンデレラと同じで苛められ役なので、隅っこに追いやられるシーンが結構あるのだ。そこで、豚デレラの役回りとしては、人生の寂しさ、哀しさ、辛さなどの表現が隅っこで演じられ、母、姉達の華やいだ姿が対比される寸法だ。物語の転換点では、天才ミュージッシャン役を演ずる女優が、碇の役割を果たして全体の重心になっている。基本的に主人公と天才ミュージッシャン以外は、どこかズッコケているので、全体のバランスをこうしてとっていると観た。中々渋い演出である。役者陣のはっちゃけ方も楽しい。父親の○的趣味も捻りになっている。

カルメン

カルメン

シアターカンパニー 象の城

相鉄本多劇場(神奈川県)

2014/01/04 (土) ~ 2014/01/06 (月)公演終了

満足度★★★

日本の情況でどう生き残るか
 構成としては現代に視点を置き強調したい点があっての現在を過去の物語が包み込むような二重構造になっている。女子大生、咲が銃で脅され、廃ホテルに人質として監禁されたのが発端だが、犯人は凶悪には見えない。咲きは彼に事情を訊ねる。彼が話したのは、メリメの名作、「カルメン」に似た情熱的な話だった。

ネタバレBOX

 時間軸にずれがあるが、もう少し落ち着いたら、内部から声が上がるだろう。さて、彼、ドン・ホセの話した内容である。時代は19世紀半ばのスペイン。ホセは元騎兵である。但し、カルメンが人を殺めた時、彼女を逮捕しそこなって3カ月謹慎させられた後、上官であった中尉の門衛に任命されて働くことになった。が、カルメンは中尉とできており、ホセがカルメンを口説いている席に中尉が現れた為、カルメンにのぼせ上っていたホセは中尉を殺し、追われる身となった。成り行き上、カルメンの紹介で彼女の属する密輸グループに加わることになるが、殆どのメンバーがジプシーなのに、ホセが仲間になることを認められたのは、ルーマニアで奴隷として遇されていた彼らが解放され、パイロ(ジプシーから見てジプシー以外の人々)との関係が改善されつつあったことに関係がある。後半のストーリー展開は観てのお楽しみ。
 原作を強調した部分に愛と自由、信と不信や宗教などのテーマが目についたのでちょっと気をつけて観ていると、若いメンバーで構成されているこのグループにあっては、今、殊に此処で生きるに当たって喫緊の課題は不信であろうと気付いた。
 企業は嘘ばかりついて、実際にはこき使い、おまけに使い捨てを歯牙にもかけず、それを問題にしようともせぬばかりか、政治と結託している。その証拠に、日夜仲間と食事会やゴルフに現をぬかして「国家」を私物化しているにも拘わらず、真反対の明日に夢を持てるような社会づくりなどと嘘しかつかないことに、己自身が気付かない程の阿保を首相に据えて恥を知ることもない大手産業会及びマスコミとそれに踊らされていい気になっている愚集ばかり見せつけられれば、どんなに鈍感であっても、若いというだけで信じられないということだけはわかるハズだからである。
 このように乱れ切った現代日本を19世紀中葉の矢張り乱れ切ったスペインに置くことで、其処に生きる不信感そのものの被差別民の持つ、不完全との認識すら持てずに求める自由と、彼らの自由にすら至りつけなかった哀れなスペイン旧社会の真面目さが哀しいまでに滑稽な普通の青年のドラマを演じてみせたのだ。無論、このドラマを悲劇とするか喜劇とするかは観客の判断に委ねられている。
 ところで、カルメンの至り着いた自由は、ほんの一歩目に過ぎない。第1、男に頼るという所から一歩も出ていない訳だし。完全自由が何を意味するのかを考えたこともない女として描かれていることも事実である。
 また、上演に当たっては口立てで舞台の科白をつけ、出演者達の素を引き出すよう努めたという。演劇の専門大学があり、基礎訓練をきちんとしている国々と日本はその辺り、根本的に事情が異なるので、本質勝負を掛けてきたわけだが、そうであったも、演技のタメは最低限必要だ。科白は観客に届けば良い。が鳴りたてたり、叫んだりする必要は、基本的にはない。それが必要な場合は物語の展開状況が要請するのである。呼吸法などによる身体制御も無論必要だ。以上挙げた点が舞台上で実行できなければ、役者の存在そのものを舞台上に曝け出せなければ、観客を引きずり込み、熱狂の坩堝に叩きこむことはできない。作家、演出家は、ここ迄考えておく必要があるのは当然のことである。高い物を目指すのであれば尚更だ。今後に期待している。
と モロ ライブVol.1

と モロ ライブVol.1

劇団 と モロ

うまいもん屋 So(東京都)

2014/01/03 (金) ~ 2014/01/03 (金)公演終了

満足度★★

役者と呼べるのは一人だけ
 師匠のモロ師岡が前説をやったり、進行をやったりと変わった展開であったが、上演作品は、ショートショート、落語、コント、朗読と多岐にわたった。残念乍ら、役者としての力を感じたのは、袴田健太氏一人だけであった。師匠も、楽屋裏をバラすことが出来るのは良いが、捻りに欠ける。パンチも無い。袴田氏を除き、全体レベルで舞台役者のプロというのは厳しい。従って全体評価の星は2つ、袴田氏のみ4.5。

タイジの記憶

タイジの記憶

ロリポップチキン

ひつじ座(東京都)

2013/12/21 (土) ~ 2013/12/26 (木)公演終了

満足度★★

Huits closと比較すると
 Sartre Huits closにインスパイアされた作品だが、Huits clos同様出口は閉ざされる。その原因は殺人である。
 若い役者たちのチャレンジは認めるが、認識が浅すぎる。

ネタバレBOX

 流星群を眺めながら、タイジは病気が進み「恋人のことを忘れたら殺してくれ」と頼んだ通り、彼女はタイジを殺害した。Huits closと似た設定で、閉じ込められた所から始まり、登場人物の科白などで観客に分かる設定だが、サルトルほど、自意識と外界の鬩ぎ合いは無い。もっとだらしない。ただ、彼女に縁のあった者たちが集められ、閉じ込められた。後戻りできない密室に。Huits closと根本的に異なるのは、サルトルの場合、死者達は少なくとも常に覚醒しており、そのことが他者という地獄へ繋がるのに対して、今作では、死者達の意識が途中途切れており、罪の意識に苛まれ続けるという地獄の前提条件が根本から痛めつけられていることである。当然のことながら、その後の設定、論理展開がやわなので救いなどという馬鹿げた落ちがつく。
 物語の詳細を書く気にもなれない。もっと、哲学というより生きることを勉強し直して欲しい。
Gracia

Gracia

ThreeQuarter

遊空間がざびぃ(東京都)

2013/12/22 (日) ~ 2013/12/23 (月)公演終了

満足度★★★

今後に期待
 戦国時代の非情な判断や根底に在った価値観、名と所領安堵というレゾンデ―トルを現代に移し替え、光秀の娘、タマ、夫となる細川 タダオキ、幼馴染でやはり玉を愛する小笠原ヒデキヨの三つ巴の関係を軸に将軍、アキと光秀の恋を絡め、家康と信長を対比してそれなりに面白い展開を見せてくれた。若い役者が多い為、未だ演じ切れない怨みはあるものの、延びシロに期待したい。

諸事情

諸事情

パンチドランカー

OFF OFFシアター(東京都)

2013/12/19 (木) ~ 2013/12/22 (日)公演終了

満足度★★

視座
 小劇団の内紛を描いた作品だが、余りにもベタ。無論、この国で小劇団をやり続けることがどれほど大変なことかは良く知っているつもりである。愚痴をこぼしたくなるのも分かる。だが、シナリオライターと座長、劇団員のセンチメンタルな掛け合いになってしまっているようだ。科白同士が戦っていないのだ。ダイアローグをキチンと立てて行かないとエッジの利いた科白にならないばかりか、科白として立たないのだ。演劇のシナリオである以上、言葉が立ちあがってこないのはどうかと思う。
 エッジが効きダイアローグがダイアローグとして成立する為には、自分達の世界が置かれた位置を測る努力が必要だろう。私とか我々でなく、彼、彼らの視点に移行する必要があるのだ。2人称で書くならば、男女間の関係に絞り込んで互いの科白を研ぎ澄ますかだろう。何れにせよ、切れば血の出るような科白が欲しい。

或る夜の出来事

或る夜の出来事

或る夜の出来事

ギャラリーLE DECO(東京都)

2013/12/25 (水) ~ 2013/12/29 (日)公演終了

満足度★★★★

中年の粋
 同期のアラフォー4人組。このうち現在も夫婦でいるのは、1人だけ。あと3人のうち、1人はバツ1、他の1人は同棲中、そして残りは漸く恋人が出来そうなのだが、兎に角、相手と付き合うというプレッシャーだけで口もきけない性格が災いして今迄独身。この4人が謂わば男子会を催している店が舞台だ。若いウェイトレスが1人。

ネタバレBOX

 照明の蝋燭風電飾、各キャラクターの統一カラー、ソファーとテーブルの色のマッチングなど細かなことにも拘ったセンスの良い舞台設定と美術、衣裳、音響効果も邪魔にならず、演技の自然な感じを引き立てる配慮をみせてグー。
 中年男性を演じた4人の役者はそれぞれ、キャラが立った上、演技が自然で中年男の粋と人生経験が滲む舞台であった。
ケイタ・ソロダンス LIGHT, Part38 Part 39

ケイタ・ソロダンス LIGHT, Part38 Part 39

ケイタケイ

シアターX(東京都)

2013/12/29 (日) ~ 2013/12/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

息吹
 ケイタケイさんは、東北を振りだしに、鳥取砂丘や広島銀行本店、稲村ケ崎などで踊ってきた。2012年春には、第29回江口 隆哉賞及び江口 隆哉賞に係る文部科学大臣賞を受賞なさっているが、その後LIGHT津々裏々シリーズの旅に出ていたのだ。彼女が、自然の息吹の中から掴み取ったり自然との交感で得たものが、舞台上の彼女に途轍もないエネルギーと限りなく優しく繊細な表現を与え、その小さな体を興福寺の仁王像のように大きく逞しく見せたかと思えば、か弱く小さな妖精のようにも見せる。変幻自在な変容に命の美しさ、儚さが表現されて秀逸。

呼吸

呼吸

白米少女

小劇場 楽園(東京都)

2013/12/26 (木) ~ 2013/12/30 (月)公演終了

不思議の国のアリス
 をやりたくて、というので、ドッジソン流の数学を用いたナンセンスを期待していたのだが、そのような要素はネグレクトされて、ロリコンという名のレッテル貼りから転じてゲイが出てくるという流れで、何れの層も表層的で、観念的だったので、自分には、余り合わなかったようだ。従って、評価はほかの方々に任せる。

水銀の花嫁 改訂版

水銀の花嫁 改訂版

カプセル兵団

ワーサルシアター(東京都)

2013/12/28 (土) ~ 2013/12/30 (月)公演終了

満足度★★★

てんこ盛り
 一人で演ずるには、てんこ盛りに過ぎたか。パフォーマーの動きは中々洗練されていたし、コラボもかなり上手く行っていたが、宇宙船の規模や形までを視野に入れて一人で演ずるのは、やはり少ししんどいように思う。
 元来、一人芝居は、その内容に於いても一人でしかやれないような背景があった方が、より説得力が増すものだろう。例をあげれば、故あって人殺しをしたが、親族、倦族などのこともあって、迷宮入りになったのを幸い誰にも話さずにきたが、かつての自分と同じような青年に会い、彼も自分を殺そうとする、その彼に、罪というものを抱え込むことが何を意味するかを伝える為に、という設定にするなどだ。今作には、一人芝居でやらなければならない必然性は無いと思う。それなりに楽しめたのではあるが。

超人類

超人類

マサ子の間男

やまがた舟唄(渋谷)(東京都)

2013/12/29 (日) ~ 2013/12/30 (月)公演終了

満足度★★★★

案外深読み可能な笑い
 超人類をテーマにしたショート、ショートのオムニバス。深く読もうと思えば、核時代の命の問題だって読めるぞ。

ネタバレBOX

 折々、「こんな所に目が! バイン バイン バイン!!」と意味不明な合いの手を入れることをフォーマット化して、シュールな印象を刻み乍らプロットを展開して行く。各ショートショートは、緩やかな関連を持ちつつ独立した短編としても楽しめる構成になっており、梃子になっている。「こんな所に云々」を所々に挟み込むことで、日常に潜む深淵や不条理を垣間見せたり、ストーリー展開の中での箍外しをやったりし乍ら、面白おかしく突拍子もなく笑いのテンションを維持して行く。メンバーはホントは7人なのだが、今回はスピンオフ公演で4人が出演。其々の個性を活かし乍ら巧みなコラボレーションを形作るチームワークは微妙で程良い緊張感があり飽きさせない。兎に角、上手に脱臼させる。暗い世相を笑い飛ばすに足る内容であった。
 だが、年忘れに来年へのメッセージを伝えておくならば、何故、今、今作のタイトルが超人類なのか? 問うて見るのも良かろう。答えは読者諸賢のご賢察通り、放射性核種による突然変異と読むことが可能である。牛が人語を話すことができるようになったのも、その牛が、3歳で売られ肉として食用にされる予定だったのも茶化されてはいるが、現実と同じようにできなかったのである。そのように深読みするならば、被災県で飼われていた一頭数百万円と言われる牛がモデルでないとは言い切れまい。(此処まで読み込ませるつもりで書いているとすれば、当然、隠れ評価は星5つである。
「なんでわたしばっかり」

「なんでわたしばっかり」

プリンレディ

遊空間がざびぃ(東京都)

2013/12/26 (木) ~ 2013/12/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

色々示唆に富む舞台
 彼が自室に寄った時、甲斐甲斐しく食事の用意をしたり飲み物の準備をしたりするシーンが出てくるが「来る時、お腹がすいてるなら来る前に連絡してって言ってるでしょ」から「お風呂入る」など何気なく見える科白など、女性が伴侶或いはその候補に見せる日常的な世話と愛情の形を見せて巧みである。
 一方、男には一言も科白が与えられていないシナリオと演出が頗る興味深い。また、妹と彼の浮気に気付いた姉が、彼を追い出すシーンで出て行く男が去り際、チラっと振り返って部屋を覘き込むシーンなども普段の観察力が見て取れる演出である。(追記2013.12.31)

ネタバレBOX

 自由奔放な妹のキャラクターを表現するに際して、他者から見られた妹のイマージュに従って可能な限り別の女優が演じているのも良い。この辺り、あおきりみかんの鹿目 由紀の発想に近いか。或いは、鹿目 由紀の影響を受けているのかも知れない。異なっているのは、鹿目 由紀の分身或いは分裂は、個々人の意識の多様性を表しているのに対して、今作では、見られたキャラを表していることである。また、観客に妹が同一人物であることを示す為に、妹を演じる時には、必ずレイを首に巻いて出てくるのも初心者向けのサービスではある。
 更に自由奔放な女と家庭的な女の差を、単に現在我らの暮らす社会のタイプの違いとして見るのではなく新約聖書のベタニアのマリアと姉のマルタの話を引き合いに出し、実際の生活実務活動と観想(遊び、哲学など精神的活動)を提起することで、社会的生活を営む、蟻や蜂迄含めた労働と遊び、即ち生産と非生産、或いは生きる為の労働と精神的働きという普遍的差異を呈示してもいる。
 更に面白いのは劇中「なんでわたしばっかり」という科白を妹(遊び)、姉(労働)の両者が共に発している点である。おまけにこの科白は、どちらにも当てはまるのである。但し、妹のどうして云々は、周囲の同性からの非難がどうして自分にばかり向かうのか? の意であり、姉の場合は、どうして自分ばかりが地味で苦しみの多い労働に携わらなければならないか、という内容の差があることに注意しておきたい。
 ここで男には科白がないことの意味を考えてみよう。それは、現在、この地で女性が置かれている状況を形作っている社会システムであり、それが彼女らを縛っていると女性達が感じているからかも知れないのではないか。つまり、多くの女性が、この状態を肯んじたいとは思っていないのだ。では、彼女達が望むようなパラダイムシフトは可能だろうか? それが可能だとして、それはどのように為され得るか? 為される場合、両性協力してか? その場合、どちらが、どのようにしてヘゲモニーを握るのか? 両性が協力できないとすれば原因は何か? 協力できず単性で為す場合、♂が有利か♀が有利か? セクシャルマイノリティーが存在するが、問題化するのかしないのか? そもそも問題化できるのか? 単性生殖やクローン技術をも射程に入れた疑問はいくらでも湧いてくる。頗る興味深い舞台である。
空飛ぶ☆コメディキャラバン

空飛ぶ☆コメディキャラバン

to R mansion

こまばアゴラ劇場(東京都)

2013/12/25 (水) ~ 2013/12/29 (日)公演終了

満足度★★★★

詩的なのと物語してるのと
 ケセランバサランのイマジネイションが詩的である。父(なる者)を求めて旅をするケセランバサランは、母からの手紙に従って南へ北へ東へ西へと移動する。現在でこそ、磁石は北が基準だが、磁石が方位計として人類史上初めて用いられた時の基準は南であった。現在でも指南という単語に歴史の名残りが見られる。(追記2013.12.31)

ネタバレBOX

 これは指南車に乗った者が南を目指した為と言われている。NとS、1本の指針に過ぎない物が、洋の東西・歴史の中で相反するベクトルを基準にしたことが面白いではないか。
 ところで、父なる者即ち神と解するならば、今作は一挙に宗教的深みを増すが、実際にはどんな宗教も本気には信じていない圧倒的人数の日本人には、この発想自体あるまい。まあ、宗教的解釈などしなくても大きな旅行鞄に包まるようにして移動するケセランバサランの一人ぼっちの述懐「夜は真っ暗、何処迄行っても真っ暗な夜、月がずっとついてくる。目を閉じると青、紫や赤が目の裏に浮かぶ」から死の観念に至る瞑想の後、蛍が一匹虚空に飛跡を残すと、それを追うかのように無数に舞う蛍の群れを映し出した後、またもや1匹が最後に舞って宇宙の闇に消えてゆく儚さ・深さは、何とも形容のしようが無い。我らはこういう状態を寂謬と名付けた。
 これら詩的イマージュとデリカシーを弁えた用い方、観客を巻き込み聖化する呪力、顔にギザギザの傷口を描いた化粧の向こうに在る何という優しさ。同時にまど みちおの“やぎさんゆうびん”を織り込むことによって、最後の場所に着いた時に、既に手紙は食べられてしまった後で、山羊さんは、読んでもいないから内容も伝えようがない。だが、ここで山羊は慌てず騒がずこう述べる。「もう手紙が無くたって君には行く所が分かると思う」
と。
 ケセランバサランのあとは、to R Mansionだ。男2人、女2人のグループだが、今回は、女優というコンセプトを中心にショートストーリーを連ねた。ケセランバサランの演目が詩的に構築されているのに対して、to R mansionは、物語というわけだ。言う迄もなくマイム系のグループが演ずるのに向くのは、詩的作品だから、物語という語り、或いは語りのリズムと神話的世界に開かれた世界観を中心とする所迄のオーダーで切り取られてしまうと、現実の意識層も侵入してきてどうしても弱くなる。代わりと言っては何だがアカデミー賞がその代替物として用いられているものの、世界中に在る創世神話や火の発見・利用、男と女、ヒトと自然などを含む壮大な世界には、到底及ばないし、言語過多でもある。そのことが、マイムの無言による飛翔を妨げて仕舞ったと言えないだろうか?
輪舞 ラ・ロンド

輪舞 ラ・ロンド

シアターオルト Theatre Ort

スタジオ空洞(東京都)

2013/12/26 (木) ~ 2013/12/30 (月)公演終了

満足度★★★★

男女の艶
 原作は十景から成ると言う。娼婦と兵士、兵士と女中、女中と若様、若様と人妻、妻と夫、夫と若い娘、若い娘と劇作家、劇作家と女優、女優と伯爵、伯爵と娼婦という具合に各シーンはペアを変えながらリレーして行く構成になっている。

ネタバレBOX

 大きな舞台であれば、当然、各キャラクターに其々、異なった俳優を宛てるであろうが、今回は、スタジオ公演なので、女優、男優各1人である。従って、見所は、各々のキャラクターを役者がどう演じ分けるかという点に掛かって来よう。
 約100年前に発表された時、この作品は余りにもスキャンダラスだと感じられ、舞台に掛けることができなかったと言われているが、現在では、大人の寓話として一般に充分受け入れられる作品である。寧ろ、余り下卑ず同時に無味乾燥でないどころか艶のある作品に仕上がっていると言えよう。
 男女ともピエロの赤鼻をつけてコケティッシュな雰囲気を出したり、帽子やベール、着衣で社会階層や親疎を表したり、グレイドの異なる艶や色気が出ていて楽しめる舞台であった。
銀色の蛸は五番目の手で握手する

銀色の蛸は五番目の手で握手する

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターサンモール(東京都)

2013/12/27 (金) ~ 2013/12/30 (月)公演終了

満足度★★★★★

命の輝き
 離島の山奥に不時着したUFOには、臨月の宇宙人が乗っていた。

ネタバレBOX

 彼女は、偶々異変に気付いて近付いた老人に子供を頼み息絶えた。老人は1人暮らしであったから、生まれたばかりの子を連れ、育てることにした。だが、この子は、銀色の皮膚をし、足が11本もある子だった為、村の子達のからかいや苛めの対象になり、一人泣く姿がよく見受けられた。そんな中、村で最も可愛いと評判のハナ子だけは、彼にも優しく声を掛け友達にもなってくれた。そんな彼女の父は、体を壊し寝付くことが多かった。そんな父の快復を願い、彼女は四葉のクローバーを探していたのである。オサムと名付けられた遺児は、彼女と一緒になって四葉のクローバーを探すが、この時には見付けられなかった。そんな山間での学生時代を終える頃、ハナ子は、先輩でサッカー部の主将、皆の憧れの的である池畑と付き合い始めた。オサムは、ガールフレンドとして付き合って欲しい、と思っていたが、あっさり夢は断たれてしまった。
 失意のオサムにおじいは東京へ一緒に行かないか? と誘う。おじいは読者モデルなどをするつもりなのである。始め、島の仲間達とまだ過ごすつもりだったオサムは、飛来したUFOが自分の生まれた星からのものだと思い、生まれ故郷へ帰ると友達に告げ、ハナ子から四葉のクローバーを送られ、皆に挨拶を済ませてUFOに乗り込もうとするが、全然、別の星から来たUFOで相手にされず、じいと一緒に東京へ出る。一方、ハナ子も池畑と共に東京へ出てきていた。彼女は看護師になったと言う。池畑は商社マンで随分忙しく働いている由。
 オサムの手足は8本になっていた。それは、かつてじいが大怪我をした時じいを救い、高熱を出して寝込んだ時に、腕がもげてしまったからであった。以来、じいはその力を使わないよう命じていた。(追記2013.12.31)
 然し、オサムは知ってしまう。ハナ子が決して幸せではないことを、それどころか、池畑はすっかり駄目になっており、仕事もせずにハナ子に春を鬻がせ、自分の子ではないかも知れないなどと悪態を吐いてはDVに走る。ハナ子は終に堪忍袋の緒を切らし、彼を殺害してしまった。その罪を救ったのは、オサムであった。じいに禁じられた不思議な能力を用いて池畑を助けたのである。無論、オサム自身は体調を崩し、現在は世界のトッププレイヤーとして活躍する彼は休場。その後10日間も寝込んでしまうが、漸く何とか昏睡から目覚めた彼の前には、子供が泣くのを、隣室から何度も咎められ、赤ん坊の口を枕で覆って死なせてしまったハナ子の窮状があった。彼は、今回も彼女を助ける。その結果、総ての腕を失い、2本の足だけになったが、漸くキーパーをさせられずに済むようになった彼は、フォワードとして復帰、終にシュートで得点を上げた。
 宮澤賢治の描く「夜鷹の星」などのような純粋な自己犠牲と命の輝きを、切り捨てられた沖縄基地問題や未亡人製造機と揶揄されるオスプレイ強行配備などの対局に置いて痛罵しながら、軽々と高く舞うポップンマップチキンの清々しさよ!! 爪の垢を安倍に飲ませてやりたいものである。
Party³

Party³

移動する羊

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2013/12/22 (日) ~ 2013/12/23 (月)公演終了

満足度★★★★

オムニバス
 一篇50分の作品3作によるオムニバス式の公演。3作それぞれが、全く異なるテイストで楽しめる。各作品の合間に10分の休憩が入る。第一話「アイスランドの森」第二話「エレファントタイム」第三話「砂の歌が聞こえる」(追記2013.12.31)

ネタバレBOX

第一話:若い作家と同棲する彼女の名はしずく。「どうして」と質問する彼女は妖精と話すことも見ることもできるが、病が重く暫く作家と暮らした後、亡くなってしまう。彼らの暮らしたロッジは、アイスランドの木材で総てが造られている。かつて、アイスランドはその面積の三分の一を森が占めていたが、暖をとる為、或いは建材として人々が伐採した為、現在では森と言える程のものは消滅。国土の0.3%程度に樹木が残るのみである。
 そんな事情で森の妖精が、木材と一緒にやってきたらしい。妖精を見ることのできるしずくは、それ、アイスを発見。大好物のクッキーで釣り、妖精との同居を楽しみつつ過去・現在・未来を通じて森に纏わる物語を紡いで行こうとする。然し、彼女は急逝してしまった。その意志を継ごうとでもするかのようにしずくにそっくりなアイスが、現れ作家と同居することになった。妖精がアイスランドへ帰るまでの日々。
第二話:世の中に無くならないものが三つある。一つは戦争、一つは愛情、そしてもう一つは銀行強盗だ、という発想に四人がチームを組んだ。一人はオタク、一人は某施設副代表、一人は象の研究者、一人は食わせ者。さて四人はオタクの集めた情報を基に銀行強盗を決行、首尾よく金を盗みだすが、中味を確認すると札束は木の葉に変わっていた。だが、その後、三人とも、己の希みを実現した。実は裏があったのだ。食わせ者は、他の三人と其々個別に話し、裏切りを奨めていたのである。三人とも見事に策に乗って各々が日梅雨なだけの金を盗み残りは後になって返しておいたのである。結果、各々は、その望みを叶えゲームとしても楽しんだ上、殺人も犯さずWinWinの結末を迎えたのであるが、この策士こそ悪徳銀行オーナーの息子、怪しい金だと分かっていながら預かる自行不正義を内側から切り崩そうとの義挙であった。
第三話:天文学者、キリトの友人に境界領域専門のカメラマンが居た。彼は、シャーマンのような境界領域の人々を発見する能力に長け自らもクリスチャンでありながら、原罪を進化論の何処に位置づけるかで悩んでおり、尾崎緑の「第七感」の熱心な読者でもあったが、宗教的ストイシズムは彼の精神を追い詰めていった。そんな時、彼は出掛けた奄美諸島の神官の娘、釈迦堂 智美と出会う。彼女は、空に書かれた文字を読む能力の他、多くの外国語を操る能力を持つが、島に伝わる伝承を話して聞かせた。彼はその伝承に自らを浸し第七感を体得して失踪した。だが失踪の直前、彼女にキリトの連絡先を教え、訪ねるよう勧めていたのである。智美はそんな経緯でキリトの下へやってきたのだが、彼女がものごころついて以来見る夢はキリトの夢や既視感と繋がっており、二人は宿命的に結び付けられていたことが判明する。そして二人は、この宿命に身を任せることを選び、その結果になだれ込んで行く。その過程で、写真家がこの位相に入り込んでいることが判明するが、二人の運命は変えられない。位相で砂に変じる智美を救う為に、キリトは己が砂になる。

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