ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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眠る男

眠る男

吉野翼企画

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

満足度★★★★

ジャングルジムの孤独
 岸田 理生自身の抱えていた父性との格闘や、詩としては単語間にやや距離を取り過ぎるきらいのあった彼女の文体は、舞踏家・点滅の身体表現、役者達のどこか寂しげな存在感の表出、多用される影・陰影のイマージュ等によって、彼女のシナリオ表現に身体を宿らせる。而もその身体が、存在の、逃れようも無い寂しさ、侘しさを表現して「言葉」を魔術のように立ち上げるシーンがあり、岸田 理生の才能の質を感じさせる。(追記後送)

デッサン

デッサン

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

満足度★★★★

”重ね”の深み
 いつもながら緻密な計算に基ずくSpiral Moonの作劇だ。無論、今回も雪絵役を演じる秋葉 舞滝子の想像力に富む役作りが、作品に深みを与えている。舞台美術も、舞台そのものに、奥ゆかしさや奥行きの感じられる作りになっており、シンメトリカルでありながら、わざと少し崩して東洋人好みの美意識で仕上げている点も良い。無論、作品と内実とのコレスポンダンスも図られている。(追記後送)

困った綾とり

困った綾とり

unit SELAH

テアトルBONBON(東京都)

2014/06/12 (木) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

満足度★★★

冒頭
 オープニング場面に工夫が無い。この時点で、喜劇でもなく、シリアスでも、所謂不条理劇でもなければ、異化効果を狙った作品でもないことがばればれだ。優れた舞台作品というものは、最初の数分で観客を引き込む力を持っている。それは、無論、緻密な計算が働いているからである。同じ原作でも演出によって、キャストによって、また様々な出し方によって、まるで違う作品になるのは、例えば、「楽屋」のようなシナリオから作られる作品を観ても明らかだ。スタニスラフスキーを持ち出したりしても、彼がチェーホフ作品と格闘して何を掴んだのかが、この演出家には分かっていないらしい。原作に忠実にということを考えたのだとしても、著作権の縛りがあるのだとしても、自分達が実際、何を中心に描きたいのかを見据えてから、仕事に掛かって欲しい。

2014年版 BANRYU 蟠龍 ご来場ありがとうございました。

2014年版 BANRYU 蟠龍 ご来場ありがとうございました。

世仁下乃一座フェアアート/岡安伸治ユニット

座・高円寺1(東京都)

2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

満足度★★★★

カルマ
 藤組を拝見。幕末、義足で舞台に上がり評判を取った歌舞伎役者、田之助の話がヒント一つになって作られた作品だが、これに、天に昇れないような小さな龍、蟠龍の話をミックス、更に、下北半島の御在所村に語り継がれてきた龍の話を加味して出来上がっている。但し、この御在所村の位置は、北海道から六ヶ所村を越えて繋がる活断層(恰も龍の形のような)の臍の位置に当たる。鮎沢 京吾の三味線の音、演者らの踊りが美しい。(追記後送)

毒舌と正義

毒舌と正義

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2014/06/06 (金) ~ 2014/06/12 (木)公演終了

満足度★★★★★

教育は、根幹
 教育改悪が急ピッチで進められる中、性質の悪い生徒と世間のダニのような親や教育委員会、直接描かれては居ないが、中教審始め文科省の不見識(竹富町の教科書採用問題をみれば、文科省のレベルは単に見識の問題ではなく、憲法を蔑ろにしている点でも問題がある。及び、狂気政権・安倍の率いる下司共の下知まで考えるのは、大人の観客として当然のことだろう。)VS教育に於ける正義とは何かを考えさせてグッド。(追記後送)

VOICE × DANCE ボイスカルシアター「ドリームドロップス」【ご来場、ありがとうございました!】

VOICE × DANCE ボイスカルシアター「ドリームドロップス」【ご来場、ありがとうございました!】

企画集団Gotta!

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2014/06/07 (土) ~ 2014/06/08 (日)公演終了

満足度★★★★

Aチーム
 開演前にマジッシャンが出てきて身体マジック、暗示マジック、錯覚利用マジックなどをみせてくれる。本編は、子供の観客も多い作品に入ってゆけるか否かで評価が分かれよう。拝見したAチーム、出演者は、皆若いのだが、広い観客層に受け入れられるようなバランスの良い演出で、クラシックバレエを基礎にした動きなのだろう。ダンサー達の体の切れ、回転、ジャンプ力の高さなども満足のゆくものであった。雨の中を観に行った甲斐はあった。(追記後送)

骨相学特別篇   Kaleido Fluid

骨相学特別篇 Kaleido Fluid

劇団メリケンギョウル

荻窪小劇場(東京都)

2014/06/06 (金) ~ 2014/06/08 (日)公演終了

雨の中、殆ど徹夜明けで
 更に、所要があって12~3分遅れたのだが、劇場の灯は消えており、受付には誰も居なかった。仕方なく、そのまま、入ってゆくと前説だったのか、神様と話をしている様子。もう始まっているかも知れないので入るタイミングを伺っていたのだが、だれた内容から、入っても大丈夫だと判断して客席に着いた。案の定、オムニバス形式で展開する舞台の内容は、一応、さっからしき人物が、開始前にした説明とは、異なる間の抜けたもので、やる気があるのかないのかにも疑問を持たざるを得なかった。なにぶん、途中から入場したので、断定はできないが、表現する人間というより、安倍を中心とする政治屋と径庭のない集団のように思われる。よく9回目迄もったな! と驚くと共に、最後に罵られていた金持ちと言われている人の趣味でやっている集団なのかも知れないと思った次第だ。殆ど、徹夜をしていたのと、余りにも、だれ、内容的にも貧相なシナリオに芸のない演出。工夫のない演技で、2話目からは、かなり居眠りをしてしまった。従って確定的評価はできないが、1話目を観た限りでは、おまけしても星2つ。まともに評価すると1つ或いは零である。

DOKURITSU KOKKA FES.2014

DOKURITSU KOKKA FES.2014

劇団東京ペンギン

スタジオ空洞(東京都)

2014/06/03 (火) ~ 2014/06/08 (日)公演終了

満足度★★★★

東京ペンギン?変化
 というわけで東京ペンギンだけで様々な劇団を演じてしまおうという今公演。「Love Liner Disco」と「東京エンペラー」を拝見。東京エンペラーは、もうちっとつけたしがあるので、後ほど追記(2014.6.7)。若い劇団なので、役者自身の存在感や深みは、これから創って頂こう。
 ところで6月6日はダミアンの誕生日。来週は13日の金曜日。うふ。

ネタバレBOX

Love Liner Disco
 鉄道研究会メンバー3人に科されたルールは、5本の特急列車を使うこと。成功報酬を得る為の駅を特定し19時3分迄に、目的の駅に到着すること。一度、使用した路線は再び使わないこと。一度降りた駅には、降りないこと。新幹線は使わないこと。鉄道以外の乗り物は使わないこと。
目的駅から終着駅までの旅は、成功報酬だ。但し目的駅へ辿りつく為の条件が一つ。駅に降りる度、乗り換えでランダムに使えなくなる路線が1つある。
3人のうち、1人は男、残る2人は女。男は、謂わば線路の延びる所に関しては、マジッシャンの異名を持つ。片や時刻表の魔女。彼女は卒業後、イギリスへの研修が決まっている。彼女が、時刻表マニアになったのは、マジッシャンの気を引く為であった。残る1人は電車好き。子供の頃、帰れなくなった所へ現れた少年から、鉄道の楽しさを教えられた。その少年こそ、マジッシャンであった。当然、女子同士は恋のライバル。マジッシャン、魔女2人の力で、問題は、ほぼ片付き、最後の関門に掛かった。目的の上野駅まで残り1本、特急を使っていかなければならない。特急の停車駅から上野迄は、使えなくなる路線というリスクがあるが、成功する為のベストプラン。然し、様々な縛りのせいで、難度はグンと上がっている。運を天に任せたが。心配した通りになった。ここからは、走破するしかない。結構な距離だ。魔女は、何冊もの時刻表の入った重いバッグを背負っている。彼女が転んだ。立ち上がれそうもない。女子2人は、もう駄目だ、とへばっている。ここでマジッシャンは男を見せる。魔女の荷物を持ってやり、約束への切符、西瓜も持って走る、走る。果たして、彼らは間に合うのか? そして恋の行方は?
東京エンペラー
 今作は、ゆとり世代のコンプレックスについて書かれた作品と捉えた。
 そこでゆとり世代という良く聞く言葉をイメージしてみたが、定義が良く分からないので調べてみると、1987年4月2日以降2004年4月1日迄に生まれ、ゆとり教育期間中に学校教育を受けた者ということになるようだ。従って現時点で最も高齢でも27、8歳、最も若い者で19歳位とみておく。
 頗るおおざっぱに言うと、バブル崩壊後の日本経済低迷期に学生生活を経験しており、通信インフラ・機器類の急激で爆発的な成長と共に大きくなった世代と言える。当然のことながら、デジタルメディアは自家薬籠中のものであると言えよう。一方、価値観は、堅実で安定度の高いものを求めると言われる。
 そうかも知れない。だが、それは本当だろうか? 今作「東京エンペラー」を観る限り、そうは思えない。今作では描かれていないものの、リストカットをしなければ、自分の存在している感覚を確かめることもできず、思い余って思いっ切り障害にぶつかろうと体当たりして殻をぶち壊そうと何度トライしても、周到に準備され、身体化されて自分自身では排除することさえできなくなった幾層ものショックアブソーバーに邪魔されて、まともにぶつかることも傷つくことも外的には不可能となり、complex(多重意識)に悩みながらも、自爆する程、突き詰めなければならない何事も無い。真綿で首を締められるような苦しみにあがくともなく足掻く地獄を生きる世代のように見える。当然のことながら、彼らにアイデンティティーを確立しようなどという積極的なパースペクティブは無い。そのような論理の地平は、少なくとも、日本の現代社会の中からは、排除され、亡き者とされている。そんな彼らが携帯端末を用いて頂点に立つ。即ちプランクトン・浮遊する者として積極的に頂点を目指すのだ! 滑稽そのものであるから、それを目指す者は正しく狂人と呼ばれているが、そのものの役名を東京エンペラーと名付けた。東京エンペラーになるには、ツイッターのフォロワーを一番多く持つことが条件だ。即ち、支持されているということだから。民主的だろ? ところで立候補する者、対抗する者は? 1人は無論、狂人。彼は、誰のフォロワーにもなりたくも無い少女を「革命家」に仕立て上げようとし、拳銃を持たせて対抗馬を抹殺しようと図るが、少女にその気は無い。だが、第一次世界大戦勃発の要因と言われるエスターライヒ・エステ大公ことF.フェルディナンドのガヴリロ・プリンツィプによる暗殺、所謂サラエヴォ事件をちょろっと出して、天皇暗殺を嗾ける辺り、芝居の筋などより、今波に乗っている劇団、チョコレートケーキへのチャレンジを思わせて微笑ましい。一観客として言わせて貰えば、チョコレートケーキは手強いぞ! 殊に、演出の日澤氏の力量は並大抵ではない。横道に逸れた。閑話休題と参ろう。
 もう1人は、朕である。即ち、嘗て「朕は国家である」と抜かした”現人神”とやらである。たまさか、少女ははずみで朕を銃撃したが、彼は死ななかった。暫く、動かなかったのだが「朕は不死身である」として、蘇る。キリスト復活を思わせ、現人神的神性を顕現するという仕掛けだ。極めて危ないこれら無根拠の情動・こじつけに対し、第3勢力がぐんぐん伸びてくる。それは、デジタル時代にマッチした勢力ではあるのだが。
ONE LOOKY TWO IN

ONE LOOKY TWO IN

株式会社Legs&Loins

Geki地下Liberty(東京都)

2014/06/03 (火) ~ 2014/06/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

Persona Train
 こちらを拝見。朗読と演劇が一体となったような作品で、ちょっと硬派。内容的には素晴らしいの一言に尽きる。照明がかなり暗いシーンが多いので、ほんの少し、カム場面もあったが、そんなことは全然気にならないほど、優れた内容であった。

ネタバレBOX

「真の文明は、山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」足尾鉱毒事件で有名な田中 正造の言葉である。彼は、「亡国に至るを知らざれば 之れ即ち亡国」との名言も残している人だが、今作では、このような名言、茨城 のり子「自分の感受性くらい」「汲む」、谷川 俊太郎「二十億光年の孤独」「朝のリレー」、三好 達治「土」、宮沢 賢治「アメニモマケズ」などの詩、1992年リオデジャネイロで開かれた環境サミットで演説したセヴァン・スズキ(当時12歳の少女)の伝説となったスピーチwww.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg。ストリートチルドレンの語った話等々の引用を巧みに構成しつつ、相補的に、早朝4時のラジオ番組パーソナリティーを務める中年男、スケアクロウとリスナーのやりとりを通じて現実世界を対置する。例えば、マイケル・サンデルの有名な設問「暴走列車問題」を巡っての苛められっ子との問答や、孤独死を遂げるに至った男と姉と別れた妻、及び日独ハーフの息子。息子とドイツ人の彼女の微妙な関係等々を織り込み、頼りない我らの日常生活に煌めく言語表現を織り込んでめくるめき織物に仕立てた。途中何度も言及されるバタフライエフェクトが、蚕が繭を紡ぐ時に、張り巡らす糸のように、一見関係無いと思われる事象を繋げて行く。

作品のコアと思えるのが、茨城 のり子の「汲む」に盛られた思想だ。弱さを根底に、世界の総てと向き合ってゆく。つまり自分の弱さをアンテナとして生き切る姿勢が、バタフライエフェクトとして世界を変える縁になってゆく。その形を、自分達がやっている演劇に重ねて表現した過不足のないメッセージと構成の見事さ、志の高さと、今言うべきことを言う勇気、演者たちのイマジネーションの確かさを観た今作、お薦めである。
以下、自分が作品の核となったと考えた茨城 のり子の「汲む」を引用しておく。

汲む
 ―Y・Yに―

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 墜ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇  柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです 」


非在

非在

(劇)ヤリナゲ

王子小劇場(東京都)

2014/06/03 (火) ~ 2014/06/04 (水)公演終了

満足度★★★

新鮮だが
 登場人物の内、主として弟役で映画監督を演じている役者が、他の登場人物をリアルタイムで撮りスクリーンに映し出してゆくので、舞台を正面から観ている観客とは、別の角度からの描写や、監督の選んだ人物のクローズアップ等が映り込んで新鮮である。

ネタバレBOX

 少し分析的に言うなら、劇作家の謂わば代理・分身として、監督が物語に入り込むと同時に役者としての役もこなしているわけだ。
このことは、作家が、客体化した自己という意識を、役者という存在に投影して、作者の持つ創造の一端を役者に分担させると同時に、役者自身が持つ個性と作家の表現との狭間に生まれるギャップをも呈示する。このように多様な意味を背負い込んだ役者自身の肉体は、最早、単に生理的な存在ではなく、作家の呈示するものに対応する思考を肉体に落とし込んだ身体である。肝要な点は、身体と構想・想像力が一体となっていることだ。我々、観客が新鮮だと感じたものの内実とは、これら総体と他の演者たちとの相互関係を観客との動的展開に於いて捉えようとする試みであると同時に、この方法が有効であるか否かを問う、創作者から観客への提起である。本来、この程度の思考を経てシナリオ化し、演出構成すべきであるが、この点では、詰めがまだまだ甘い。とはいうものの、余り理屈に遊び心を制御されてもいけない。遊びつつ、シャープに思考し、効果的に組み立てて貰いたい。
TERAMACHI

TERAMACHI

Baobab

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2014/05/30 (金) ~ 2014/06/02 (月)公演終了

満足度★★★★

ぶぶでもどうぞ
 舞踊劇という形なので、通常の演劇とは全く異なる。科白は殆ど無いし、デフォルメされていたりもする。様々な仕掛けが楽しい。ぶぶでも・・・。とは、京の特性を表すとしてよく引き合いに出される話だから、説明はしない。音響、照明も気の利いたものだ。楽しまれたい。

ネタバレBOX

  京の都は難しい。信頼される迄に大変な日時が掛かる。これは、京都に暮らした人間にしか分からないだろう。何せ、十代の女の子が、病葉の美を称揚できる程のセンスを持った町だ。なまじっかな美意識が太刀打ち出来る訳が無い。一方、東男に京女とは良く言ったもので、それだけのセンスを持つ京都女性なればこそ、東の国の武骨は、微笑ましくも映るのだろう。Baobabは、この点に着目しているように思える。彼らがずっと主張し続けてきた“土着的身体性”に日本舞踊や歌舞伎の美意識を織り込んだ今作では、歌舞く姿勢と三鷹から京への距離は距離として突き放す意識的所作が相俟って、時に動の中の静を、転じて静の中に汪溢する靭い動を感じさせる。このように組み立てられたパフォーマンスは、人体の持つ表現の可能性を感じさせて美しい。特に、Baobab代表の北尾 亘の切れのある動き、硬軟両様の身体の使い分けは見事である。
 因みに、踊り手各々の立ち位置だが、京の町の碁盤目状の其々の道筋、交差などにキチンと従っている点も隠し味だ。
 宿題は、動から静へ、静から動へ移行する際の一瞬の静止点をキチンとトメとして表現仕切ることだろう。北尾氏自身語る歩行という基礎の確立、深化が望まれる。但し、不合理な動きをして腰を痛めぬように。
嘘つきアポロジー

嘘つきアポロジー

9-States

OFF OFFシアター(東京都)

2014/05/28 (水) ~ 2014/06/01 (日)公演終了

満足度★★★★

論理なんか覚えるんじゃなかった!
 シリアスというよりシニカルな作品だ。分かり切ったことを傷口に塩を摺り込むように執拗に攻め立てる。戯曲としては良く出来ていると思うが、人が何故そのようであるのか、についての掘り下げは殆ど無い。その点を作り込んで、尚且つドラマチックな筋を展開できれば、頗るつきの作品を書けるだろう。その為には、不合理と知りつつ人生を背負う必要がある。評論家然として、距離を保つのではなく。生きることに前のめりになった上で、もう一度、このテーマで書いて欲しい。
 理想を言えば、標題通り、馬鹿でいられれば少しは幸福だったのだろうが、論理を覚えてしまった以上、その上で、解決を目指す他は無いのだから。

キャベティーナ

キャベティーナ

劇団鋼鉄村松

d-倉庫(東京都)

2014/05/28 (水) ~ 2014/06/01 (日)公演終了

満足度★★★★

キャベツ合戦
 スペインのトマティーナは、8月の最終水曜日に行われる収穫祭だが、熟したトマトをぶつけ合う奇祭として知られ、世界各地から、この日に合わせて観光客が集まり、この時ばかりは、住民の倍以上の人々が押し寄せることでも知られる。今作と同じように前夜祭があり、移動遊園地がやってきたり、屋台が立ち並んだりと縁日のような雰囲気の中で、人々は、酒を飲み、ダンスを踊るのが習わしだ。

ネタバレBOX

 設定を所沢とし、このトマティーナに想を得て作られたのが今作だ。キャベティーナの発端は、豊作の為、値崩れを起こしたキャベツを、トラクターで轢き潰す悔しさに耐えかねた農民が、キャベツを投げ合って憂さを晴らしたことに端を発するという。
スペインでは、トマトを少し潰してから投げるのがルールだが、キャベティーナでは、投げるのはキャベツなので潰しようも無い。だから、トラクター上に乗って最後迄、キャベツ合戦をし、踏ん張った男は、英雄であり、キャベツの妖精に選ばれた女性に接吻を受ける栄誉を担う。この儀式の後は、キャベツ出荷用の段ボールに細工をした仮面を被ってダンスパーティーが催されるが、酒も入り、開放的になった者達の間には、アバンチュールも多く生じる。この為、ダンパは、一種の若衆宿の趣を呈する。
以上のような状況に、おぼっちゃんのまさくにを中心に、所沢のヒロインで、横道にそれたこともあるキャロライン、キャロラインのファンで元族リーダーのコーセー、まさくにの雇主、実力者のガンバ、キャベツグループを潰そうと画策するまさくにの父、カボチャマスク、矢張り、キャロラインを愛する資源再生工場工場長、キャロラインの父、藤田、キャロラインのライバル達らが、こぞって惹き起こす小さな笑いが今作の特徴だ。従って、大筋で深い感動の渦に巻き込むとか、太い脈絡で喜劇性を仕込むという手法は取られていない。作家のシャイな性格から、真を描くに当たって嘘を構築するという手法は、却ってあざとく感じるということがあるようだ。とはいえ、キャベティーナの祭り自体は、舞台上で実在のものとして描かれるが、実際に所沢へ観に行くことはできない。完全な創作だからである。
★は、20周年に因んでこの値段で公演したこと、一所懸命な役者陣、制作側の心意気を加味して4つ。だが、矢張り更に★の数を増すには、骨太のシナリオを書いて欲しい。例えば、キャベティーナのルールを幾つかキチンと定めてエッジを立てる等の工夫が欲しい。
6人のレオナルド

6人のレオナルド

ジョン・スミスと探る演劇

ギャラリーLE DECO(東京都)

2014/05/29 (木) ~ 2014/06/02 (月)公演終了

満足度★★★★

パッチワークタピストリー
 タピストリーは、壁に掛ける絵入りの織物だが、その絵画表現には、横糸だけを用い、縦糸を隠すことで通常の織物とは、根本的に織りの技術が異なる。最も流行ったのはヨーロッパ中世が有名だ。

ネタバレBOX

 Socketは、美大の学生達が立ち上げたグループで、普段は、映画、メディア芸術などに関わっているようだ。だから、通常の芝居作りとは若干、視点が異なる。この点が、逆にとても面白く新鮮だ。但し、通常、座付作家などが拘る作品の“意味”については、その目指す方向性の中に見出してくれ、という形で提起されているように思う。
 その具体的現れとしては、タイトルに6人のレオナルドとあるのに、キャストは、5人。では、6人目のレオナルドは誰か? との問いが当然含まれている。この答えを出すのは閑却自身であり、この作品の意味は、観客自身のイマジネーションと今作を観て、感じた何か。見出した何か。或いはチャレンジしてみようと思った何かの中にあるように思う。少なくとも、Socketは、出発して経巡ることを提起した。今後とも、注意を向けておきたいユニークなグループである。
バンク・バン・レッスン

バンク・バン・レッスン

演劇ユニット パラレロニズム

明石スタジオ(東京都)

2014/05/28 (水) ~ 2014/06/01 (日)公演終了

満足度★★★

シナリオ、演出はもう少ししっかり
 一応コンセプトとしてはコメディーなのだろう。唯、コメディーで世話物とするには掘り下げが甘い。リアリティーに欠けるのである。話は、銀行で、銀行強盗に襲われたというシチュウエイションを設定しての予行演習である。最初は顧客が居なかったのだが、2度目の演習以降は、顧客も参加しての演習になる。まあ、内容は観て頂くとして、役者に頼り過ぎたきらいがある。

ネタバレBOX

 現実の世界での銀行員などというものは、裏では実に汚ない仕事をしているので、表向きだけは、頗るつきのエリートを演じているものだ。靴が光っているのは当たり前、靴底だって見苦しいすり減り方はしていない。IDカードはキチンと水平になるように付けているし、首の後ろに余った紐が出るような間抜けな真似はしない。要するに、だらしないとみなされるようなことは一切しない。その程度のことが装えないようでは、無論、採用されない。これは常識である。秀才に出来ることはこの程度のことなのだから。
 シナリオでは、予行演習から、泣き落としへ持って行くレベルでの必然性が欠けているのが大きな欠点だ。役者達の熱演で誤魔化しているが、これは、シナリオにある不如意を解消すべきだろう。公演中なので、内容の細かい点については割愛するが、以上が自分の気付いた問題点である。
 役者の頑張りに敬意を表してお勧めにしておく。
こんにちわハワイ

こんにちわハワイ

かのうとおっさん

小劇場 楽園(東京都)

2014/05/28 (水) ~ 2014/05/31 (土)公演終了

満足度★★★

男女脱力系・不条理・不思議ユニット
 大阪の男女脱力系コメディーユニットというフレコミで初見であったが、短編をオムニバス形式で繋ぎ、合間に、幕間芝居を入れたシナリオは、かのうさんとおっさんの二人が共同で書いているとのこと。

ネタバレBOX

 コメディー系シナリオで良い物は、基本的に頗る理知的で、コンセプチュアルだからエッジの立った作品になり易いと思うのだが、そこは、男女脱力系を標榜するこのユニット、ちゃんと脱力していて、心底不条理である。例えば伏線の無いオチがあったり、イマージュの広がりによって関連付けられた事象が舞台化されていたり、といった具合だ。だから面白いというより“おかしみ”や外されたと感じた時の苦笑を滲みださせるような可笑しさなのだ。
 金持ちについての表現では、~の三分の一は、自分の土地、などというのが出てくるが、東京の雇われ社長などというサラリーマンではなくて、上場企業のオーナー社長等が関西には多いので、実際、このようなことがあると考えられる。大阪ではないが、芦屋辺りの高級住宅街に行くと、石組みに使ってある石が城の石垣で使われるようなものと同じことはよくある。
 初見の印象では不思議なユニットという感じである。
草葉の陰でネタを書く。

草葉の陰でネタを書く。

気晴らしBOYZ

ウッディシアター中目黒(東京都)

2014/05/27 (火) ~ 2014/06/02 (月)公演終了

満足度★★★★

隠れ☆5つ
 Aキャストを拝見。 川名役の石井 マサトと中島役の石井 康太が、前説で出てくるのだが、漫才形式の前説で、関西系芸人の雰囲気だ。然し、気晴らしBOYS自体は、放送作家や芸人や役者やらが、曲がり角的年齢になって焦りを覚えて始めた劇団とかで、基本的にはコメディーを作る。

ネタバレBOX

 大学時代からの付き合いでコンビを組んだ天才肌の川名と気配りのきく中島。川名は天才肌ではあるが、世間常識からは外れた行動を起こして暴走する傾向があり、これが、数々のスキャンダルを起こすので、いつも尻ぬぐいをさせられる中島は好い加減腹に据えかねるものを溜めこんでいた。然し、川名の書くネタは破天荒で他の追随を許さない。紛れも無く川名には才能があるので、離れるに離れられずに居たのだが、幾つかのラジオ番組を持ち、TVにも進出するようになった8年目、TVの生放送の最中、市長の前で川名は、局所を露出した。それが原因で川名は謹慎。その後、二人で出ることに決まっていた出演番組も断らざるを得なくなる。中島は関係者に頭を下げまくって、兎に角、一人でコンビの名を汚さぬよう頑張ろうと努めて、コンビは解散。無論、川名にも、意見はあった。彼が露出したのは、市長が出席する生放送でインパクトが最大になることを見越したからである。つまり、行儀は悪いがあくまで強力なジョークなのである。唯、世間が、その過激さについてこなかっただけなのだ。インパクトが強ければ、コンビは伝説になれる。これに対して中島は、川名の周りの事を考えないで突っ走る芸は、周りを置き去りにしてしまう、と応える。
 上演中でもあり細かい内容は控える。然し、会場が狭く客席前後の間隔がキツキツだったこともあるが、後ろに座った観客が鈍感な男で、合図を何回も送っているのに気付くこともなく、荷物をこちらの背中にあたるような位置に置いたままにして年中ぶつかるので著しく集中力を削がれたにも拘わらず、頗る面白く拝見できたのは、シナリオ、演出の良さと役者陣の芸質の高さにあることは言う迄もない。実力派集団である。(観客席の詰め込み過ぎで★は4つだが、実力は★5つ)役作りではマネージャー役、山本を演じたKいちの演技が特に気に入った。
 舞台美術も下手、上手出捌け口の照明燈の位置が、ちょうど、各々の反対側になるように付けられているなどセンスの良さが伺える。窓枠の配置、壁のツートーンカラーなども同様。照明、音響もセンスよし。
鬼火-とこしえのうた

鬼火-とこしえのうた

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ・九段下GEKIBA(東京都)

2014/05/16 (金) ~ 2014/05/18 (日)公演終了

満足度★★★★

即発へのなし崩しに武器は表現
 時代を映すのに「満州国」建国の黎明期と思しき時期を採り、史的経過の既に知られていることを以って、現在を照らし返す構造になっている点で、この劇団が今作に掛ける念いが伝わってくるようだ。

ネタバレBOX

 “国が人を殺す”という事実が、秘密保護法と命名され定着しかけているように見える。然し、誰の秘密を誰から守る、と言うのだろうか? 為政者の嘘と瞞着と怠慢を、主権者の目から守る、という彼らの本音こそ、この法の命名に現れているように思えてならぬ。実体は、情報隠蔽法なのだし、共謀罪も提出されようとしているのだから、この解釈が正しかろう。為政者は、言葉でも誤魔化す。誤魔化された側は自由を失い、やがて自らの命も失い、終には狂気の尖兵となって自らを狂騒の内に葬るのだ。これは、戦前、我らの父祖が経験してきた事実である。
 「国」の民衆蔑視、下司な為政者共の無責任と倫理欠如、これらの嘘を暴く者への見せしめとしての拘束・拷問による恐怖支配の貫徹、民衆の革命権無視及び武器収奪と権力による一元管理、情報隠蔽、偽情報配布、国民監視等々の犯罪行為と、偽。嘘情報によるプロパガンダ及び洗脳によって作り出した、嘘八百が露見しないように張り巡らされた監視ネットワーク及び罠に対し。武器を持たぬ民衆は何をどのようにすれば、抵抗を有効なものと為し得るか? 教育の主導権も下司共に握られ、真理は、心理を操作されることによって最早機能しない。それどころか、鬼の思想、悪の思想と同値され排除の憂き目を見る。大手を振って陽の下を練り歩くのは、虚偽の群れ、欺瞞の群れであるが、多数である。


寺山修司・作 疫病流行記

寺山修司・作 疫病流行記

月蝕歌劇団

ひつじ座(東京都)

2014/05/15 (木) ~ 2014/05/18 (日)公演終了

満足度★★★

お勧めにしたのは、戯曲が寺山で演出はアングラの雰囲気を出していたからだ
 寺山 修司のオリジナルでは、キャバレーパコパコでのやり取りより、カーテンで仕切りを作り、観客からは舞台が見えないようにして演じる、閉じ込められた劇空間を実験的にやってみるというのが主眼だったとのことで、余り導入部を作り込んではいなかったということだが、月蝕版では、舞台を隠すということはしていないので、釘打ちのシーンを丁寧に演じる等の補強策を取った、と言う。

ネタバレBOX

 この釘打ちシーンを如何様に解釈するかも観客に投げ出された問いであるが、オープニング・エンディングで用いられているシルヴィー・バルタンの「アイドルを探せ」と同様、このシーンも最終部分で繰り返される。寺山が閉じ込める、閉じ込められるに拘った、という証言がその通りなら、狙いは他にはない。閉塞そのものである。
 このように考えた時、疫病、大方、ペスト・コレラと考えて良かろうが、病原菌は何であれ、パンデミックな状態を作り出すものであれば、それで良い。疫病対策が進んでいなかった時代、発症が確認された地域は封じ込められるのが、他への感染を防ぐ最も有効な手段であったということは誰にでもわかる話だから多言を要しない。然し、封じ込められた側から見た世界はどうか? 寺山の基本的な問いは其処に在る。三沢基地の米兵の慰み者になる日本の女性を見て育った寺山にとって、これは、日本という植民地が、アメリカの玩具になって屈辱だけを貯め込む地獄の話であたハズだ。731部隊らしき医療関係者の登場といい、彼らが、自らの命を救い、他の日本人を含む多くの犠牲者を贄として戦勝国、アメリカに差し出す畜生根性といい、寺山は、キチンとそのグロテスクな日本の支配層の姿を描いている。と同時に、それに反旗を翻し、尉官を畜人として生かし続けることによる復讐も仕組まれている。シナリオ自体の持つ毒は、今も健在だ。寺山の才能を語っていると見て良かろう。
 アングラムードの演出は、それなりに面白いが、役者は演技のレベルに達していない者が余りに多い。それが原因で、明度を落としているのでは、と勘繰りたくなるほどである。良い役者を揃えて欲しい。何と言っても、幕が開いてしまえば、観客と向き合うのは役者なのだから。

クジラの歌

クジラの歌

office HOMME

Geki地下Liberty(東京都)

2014/05/26 (月) ~ 2014/06/01 (日)公演終了

満足度★★★★

舞台美術も必見
 作・演出の“えのもと ぐりむ”が、若者を起用したのは大正解であった。何故ならシナリオの内容と彼らが追い詰められている命の、閉塞感、遣る瀬無さが、マッチしているからである。言い換えれば、若者が生きている時代と生活している場所は、今作に描かれた時と場所なのであり、其処から脱出する為の若者らしい武器といえば、未だ傷つきやすいナイーブさと汚れ切ってはいない純粋性、そして夢を夢見るあどけなさだけであるのだから。リストカットでしか、存在していることを確かめられない空虚感、自らのアイデンティティー崩壊の音を聞くことさえなく崩壊していた存在の原点、棹差そうにも、棹だけあって川が無く、川だけあって手段の無い夢幻地獄。夢幻であることは理性で知るが、感覚で納得することは、このオーダーからは永久にできない、という数学的確かさ等々をミルフィーユのように重ねて、唯虚しく日が暮れる。これを地獄と呼ばずして何と呼ぼう。
 だが、これら絶望の無限の連鎖の果てに、若者は尚、出発する。この出発の何と言う無謀、そして哀しい美しさ! 鯨の歌が、流れる。埋め立てられる危機を背負った辺野古や沖縄の海に。

 大道具さん、スタッフの方々、見事な舞台美術、お見事。ドアの開閉音が、船材の軋みに聞こえるのもグッド。

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